Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

レビュー (A)

Amorphis 『Under the Red Cloud』

Artist Amorphis
new_gET5h-8I99M

Producer/Engineer/Mixing/Mastering Jens Bogren
Jens Bogren
Engineer(#5) David Castillo
David Castillo

Album 『Under the Red Cloud』
jpeg

Tracklist
01. Under The Red Cloud
02. The Four Wise Ones
03. Bad Blood
04. The Skull
07. Dark Path
08. Enemy At The Gates
09. Tree Of Ages
10. White Night
11. Come The Spring
12. The Wind

「No Jens No Life」 ・・・今やあのBABYMETAL凛として時雨すらライブ作品などでイェンス・ボグレンと絡んでるくらい、今のメタル界隈には「No Jens No Life」みたいな風潮あって、これは別に自慢じゃあなんだが、おいら、初めてベビメタの記事を書いた時、偶然にも「イェンス・ボグレン」の名前を一緒に出していて、恐らくあの時点でベビメタとイェンスの邂逅を予知していたのは世界でも自分だけだと思う。しかし、ベビメタを【アイドル界のDIR EN GREY】と解釈している者ならば、あの程度の予測は容易に可能で、勿論プロデューサーのコバメタルが当ブログを読んでいるなんて自意識過剰なことを言うわけじゃあないが、兎も角それぐらいイェンス・ボグレンは今のメタル界にとって欠かすことのできない最重要人物なんだ。

実質プロデューサー ・・・北欧フィンランドの重鎮で知られるAmorphisの近況といえば、00年代を締めくくる傑作となった9thアルバムSkyforger以降イマイチパッとしない作品が続き、前作のCircleに至ってはどんな作風どんな内容だったかすらも記憶になくて、辛うじて「デスメタル回帰」したんじゃね~?的なイメージが残ってるくらい。で、近年のアモルフィスは中期の作品と比べると深刻なライティング不足、つまりベテランメタルバンドにありがちなスランプに陥っていた。そんなアモルフィスが約二年ぶりとなる12thアルバム『Under the Red Cloud』を制作するにあたって、プロデューサーすなわち【復活請負人】として任命したのが、他でもないイェンス・ボグレンだ。ここ最近はイェンス関連の記事ばかりで、まるであたかも「全ての作品をイェンス・ボグレンがプロデュースしている」みたいな勢いで書いてしまっているのも事実で、読者に誤解を与えかねないので一応訂正したいんだが、イェンスが"プロデューサー"として関わっている作品はほんの一部で、彼がメインとする仕事は主にミキシングをはじめとしたエンジニアワークである。しかし、例えばDark TranquillityConstructBTBAMComa Eclipticのように、"プロデューサー"ではなくあくまでもミキシング/マスタリング・エンジニアとしてクレジットされているのにも関わらず、確信的にバンド側がイェンスの嗜好に合わせて曲を書き上げてくるパターン、このような現象を僕は"実質プロデューサー"と表現している。
 

『怒りのデスロード』 ・・・しかし、この『Under the Red Cloud』では"実質プロデューサー"ではなく、MoonspellExtinctと同様に"プロデューサー"名義でイェンス・ボグレンが深く作品に関わっている、という事を念頭に置いて話を進めたい。先行シングルの”Death of a King”は、まるでアフガンのように情熱的に燃えたぎる赤鯉魂が描かれた、Orphaned Landの作品でもお馴染みのMetastazisValnoirによるオリエンタルラグ(アラビア絨毯)をモチーフにした今作のアートワークを象徴するかのような一曲だ。そのアラビックな中東的メロディをフューチャーしたイントロのリフから、EluveitieChrigel Glanzmannによるフィンランドの民族叙情詩カレワラを司るようなフルート&ティン・ホイッスルとex-Opethマーティン・ロペスによるドーフ・ウォリアー顔負けのリズミカルなパーカッションが、ギタリストホロパイネンによるグルーヴを乗せたモダンなヘヴィネスとともに"音"で士気高揚させる姿は、まるで魔改造されたドーフ・ワゴンさながら、そしてチャームポイントのドレッドヘアを捨てたフロントマントミ「Death of a King!! Death of a King!!」と野太く咆哮する姿は、まさしく『マッドマックス 怒りのデスロード』イモータン・ジョーそのもの、すなわち本作の『王=キング』だ。要するに→日本のゲーム界屈指のクリエイター小島秀夫監督が『MGSV』の中で表現したように、この曲...いや今作は映画『マッドマックス 怒りのデスロード』の世界観を音楽で表現したかのような、まるで五人のワイブスを奪われ、その中でも"オキニ"のスプレンディドとお腹の中の子供(息子)を亡くしたイモータン・ジョー『復讐心』『報復心』という名の『怒り』をアフガニスタンの広大な大地に轟かせるような名曲なのだ。
 
20150623171802

【勝利の方程式】 ・・・この『Death of a King』すなわち『死の王』がいかに凄い曲なのか?それについて、まずは本作が「打倒Opeth」を謳った作品である事を理解しなければならない。今作は、いわゆる「イェンスと組んだ一作目は名作になる」というメタル界の迷信を裏付けるような、Opethの8thアルバム『Ghost Reveries』からの影響が強く垣間見れる一枚でもあって、中でもそれを顕著に象徴するのが#4”The Skull”と#8”Enemy at the Gates”、そしてボートラの#12”The Wind”だ。#4はメロトロンをフューチャーした叙情性からリフ回し、そしてプログレ然とした転調から何から何まで『Ghost Reveries』リスペクトで、#8はホモバンド化した後期Opethの"Prog-Rock"な俄然エスニックな芳ばしい香りを漂わせる。まるで「打倒Opeth」を実現させるには、あの名盤『Ghost Reveries』を超えるには、対抗して「イェンスと組んだ一作目は名作になる」というメタル界の迷信に賭けるしかない・・・そのアモルフィスの「勝ちたいんや!」精神、その答えこそ『Death of a King』の中に凝縮されていて、それこそex-Opethマーティン・ロペスを、全盛期のOpethを支えた裏の立役者であるマーティン・ロペスという「打倒Opeth」の最終メンヘラ兵器を援軍に迎え、そしてマーティンのパーカッションを手がけた張本人こそ、他でもないイェンスの相棒であり【勝利の方程式】を紐解く鍵となるデイビッド・カスティロなのだ。

マッドマックス 怒りのデス・ロード

「外に開かれている」 ・・・話は変わるが→おいら、数年前に「DIR EN GREYデイビッド・カスティロと一緒に仕事するべきだ」と書いたんだが、まるでそれを合図にしたように、ここ最近ではSoilworkMoonspellをはじめ、今やエクストリーム・メタル界の帝王に成り上がったLeprousまでも、立て続けにデイビッドと組むメタル界の重鎮が増えてきている。しかし、肝心のDIR EN GREYと言えば、KATATONIA『死の王』からの影響も垣間見れた最新作の『ARCHE』以降何も音沙汰なしで、今やEarthsideとかいう無名バンドですら【勝利の方程式】を解き明かしているというのに、流石の薫も審美眼に衰えが生じ始めているんじゃあないかと少し心配になった。確かに、僕は『ARCHE』二万文字レビューの時に→「今のDIR EN GREYは外に開かれている」と某赤いバンドのギタリスト津野米咲の言葉を一部引用したんだが、その予想どおりシンヤの有吉反省会出演やパーソナリティ薫のラジオ番組が始まったりして、メロディア露出という意味では確かに今のDIR EN GREYは「外に開かれている」。その流れで今度は音楽面にも開かれた『説得力』が欲しいところだ。少なくとも、このアモルフィスは前作で長年連れ添ったフィンランドの大物エンジニアミッコ・カルミラとの決別を宣言している。そう、比較的地元愛の強い保守的な国のバンドですら音楽的に開国されつつあるのだ。つまり前作でワンクッションを置いてから、今作で満を持してメタル界の最大勢力であるイェンス組に入門してきた、というわけ。

CKRaxCcUAAAgi8J

黄金のヘヴィネス ・・・まぁ、それはともかくとして→今作を象徴する『Death of a King』はアモルフィスのポテンシャルの全てが引き出された、それと同時に、欧州最後の砦だったMoonspellが名曲”Medusalem”の中で80年代のUKミュージックと中東音楽の邂逅を実現させたように、この曲は民族叙情詩カワレラと中東音楽を邂逅させた歴史的瞬間でもあるのだ。それこそ欧州は元より北欧全土に蔓延る中東問題を痛烈に皮肉るかのような、まるで今の時代、この先のメタル界で生き残っていくには中東要素との共存が不可欠であること物語るようだ。それと並んで本作を象徴する一曲で、幕開けを飾る表題曲の”Under The Red Cloud”では、名盤『Skyforger』の再来を予感させるイントロのピアノや同作のシングル”Silver Bride”の傑作リフから更に低音を盛って洗練を施したようなモダンなヘヴィネスを聴かせる。他にも『Eclipse』『Silent Waters』、そして『Skyforger』という中期アモルフィスの黄金を連想させる、まるでワイブスを奪われたイモータン・ジョーの如く、自慢のドレッドヘアを奪われたVoトミのボーカリストとしてのポテンシャルを極限まで引き出されたボーカル・パフォーマンスを筆頭に、同郷のSwallow The Sun界隈でもお馴染みのAleah Stanbridge【王=キング】の妾、すなわちワイブスとして迎え入れた所も俄然『マッドマックス 怒りのデスロード』の裏コンセプトであるフェミニズムの世界観とリンクさせられるし、特に今作の基礎的な部分を担うアモルフィス屈指の名リフである”Silver Bride”黄金比』で形成されたキザミリフを再解釈したような黄金のヘヴィネスには、並々ならぬセンスの塊を感じる。

【真・勝利の方程式】 ・・・またしてもイェンス・ボグレンという男は、界隈のベテランをNEXT-ステージへとブチ上げる事に成功し、ここ最近の二作で感じた「ライティング不足」が嘘のように、ソングライティングの幅が広がったのは言わずもがな、とにかく全てにおいて著しく音の洗練化が進んでいる。メロデスやらサブジャンルとして以前に、そのバンドの根幹にある「メタル」としてのポテンシャルを限界まで引き出し、それと同時にバンドが持つ"Progressive"な側面を具現化するイェンスのプロデュース能力が顕著に表れた、そしてポッと出の新人バンドに対してベテランならではの凄みを見せつけるような、まさしく【真・勝利の方程式】を解き明かすような大傑作だ。
 

ANATHEMA 『Fine Days 1999 - 2004』

Artist ANATHEMA
ANATHEMA

Album 『Fine Days 1999 - 2004』
Fine Days 1999 - 2004

Music for Nations ・・・今年驚いたニュースの一つに、90年代のメタルシーンを支えた偉大なインディ・レーベルとしてその名を馳せたMusic for Nationsの復活で、過去にはOpethParadise Lost、そしてANATHEMAをはじめ著名なメタルバンドが数多く在籍していた事で知られるMFNだが、そのMFNが2004年に消滅してしまい路頭に迷ったANATHEMAKscopeと契約し、すると間もなく人気に火がついたこのタイミングで→ここぞとばかりに「ANATHEMAのオルタナ期(全盛期)を支えたのは他でもないワイらや!」という"したたか"な主張とともに、ANATHEMAMFNに在籍していた1999年から2004年までの間に発表されたアルバムおよびライブ作品、要するにANATHEMAが最も"オルタナティブ"していた中期の名作、つまり『Judgement』『A Fine Day to Exit』『A Natural Disaster』の三作品の音源にリマスターを施し、そこにライブ作品『Were You There?』をプラスして再発したのが、今作の『Fine Days 1999 - 2004』というわけ。正直、1999年発の『Judgement』はまだしも、2001年発の『A Fine Day to Exit』『A Natural Disaster』あたりはリマスターするほど悪いプロダクションじゃあないのだが、とは言いながらも今回のリマスター&再発はファンとして素直に嬉しい限りだし、そして何よりもMFNの復活を素直に祝福したい。

アナセマ×ジョジョ

『Judgement』 ・・・初期の絶望と破滅を描いたデス/ドゥーム・メタルから現在のラブ&ピースなオルタナティブ路線に至るまで、音楽性の振り幅が世界で最も大きいバンドとして有名なアナセマだが、そもそもアナセマの"オルタナ化"というのは、いわゆる"UKゴシックメタル御三家"として名を馳せていた3rdアルバム『Eternity』、そして4thアルバム『Alternative 4』の頃から既に"オルタナバンド"としての素質やその片鱗を音から垣間見せていて、その"オルタナ化"がより顕著に表面化する事になったのが、1999年にリリースされた名盤と名高い5thアルバム『Judgement』だ。このアルバムは、まだ90年代特有の垢抜けないアングラな雰囲気やギター・サウンドもメタル然とした歪んだ音作りではあるが、しかしバンドは新たにキーボードによるPink Floydばりのアトモスフェリックな浮遊感を身に付け、それこそ現在のPost-Progressiveなサウンドの先駆け的な変化を呼んでいる。幕開けを飾る"Deep"のアルペジオは、近年のアナセマを代表する傑作Weather Systemsの名曲”Untouchable, Part 1”を彷彿とさせるし、それこそWeather Systemsはこの『Judgement』の世界を一巡させたアルバム、という俺の解釈がシックリくる。今回リマスターされた三作の中で最もリマスターの恩恵を受けているアルバムでもあって、今作が一番のウリとする荘厳な世界観と『デビルマン』のラストシーンばりに慈悲深きコンセプトが、輪郭のクッキリハッキリした音と相まってより鮮明に、かつ深裂に浮かび上がってくる。

『A Fine Day to Exit』 ・・・21世紀に差しかかると、2001年にアナセマは6thアルバムとなる『A Fine Day to Exit』をリリースする。かのトラヴィス・スミスが手がけたアートワークをはじめ、そのサウンド的にも一気に垢抜け始めるとともに、少し湿り気のあるUKロック的なアンニュイな色気とグランジにも通じるダウナーな気だるさが融合した、ほのかにアート・ロック的な側面を持つオルタナへと大きく変化し、完全にメタルからの脱皮に成功する。もはや90年代の不毛のメタルシーンを生き抜いたアナセマの面影はなく、そこには"オルタナティブ・バンド"としてのアナセマが存在しているだけだった。このアルバム、今回のリマスター版とオリジナル版では少し異なる所があって、まずリマスター版の一曲目には”A Fine Day”というインストが新曲として追加されていて、それによりオリジナル版の一曲目を飾る”Pressure”がリマスター版では6曲目に、オリジナル三曲目の”Looking Outside Inside”がリマスターでは8曲目になってたり、”Barriers”にいたっては(Breaking Over The)の部分が取り払われて”Breaking Down The Barriers”に改名されたりと、もの凄い曲順に違和感あるけど逆に言えば新鮮な気持ちで聴ける利点もある。このアルバムは、とにかくイギリスの空模様のように不機嫌な空気感と憂鬱な雰囲気がたまらなく魅力的で、音使い的には中期アナセマの中では最も今のアナセマに近い、存外ソフト&ウェットなアトモスフェリック・ロックを展開している。しかし、このアルバムも結構特殊なアルバムで、ラストの大作がほぼSEメインだったり、色々と個性的なアルバムではあるが、持ち前のコンセプティブな世界観は不変である。イメージ的には、このアルバムの世界を一巡させたのがWe're Here Because We're Hereみたいな、ちょっと強引な解釈もできなくもない。

『A Natural Disaster』 ・・・前作で完全に脱メタル化したアナセマは、その二年後、更に"オルタナティブ・バンド"としての真価を発揮し始める。2003年にリリースされた7thアルバム『A Natural Disaster』は、Post-系のヘヴィネスや俄然幽玄さを増した音響的な意識を高めると同時に、UKオルタナ界の長であるRadiohead顔負けのエレクトロな要素を積極的かつ大胆に取り入れた、これまでで最も実験的かつ賛否両論を呼んだ作品と知られていて、それこそ『Judgement』から本格化したオルタナ路線の一つの終着点であり、名実ともにオルタナバンドとしての音を極め尽くした、中期アナセマの集大成と位置づけられる一枚だ。今聴いても、やはり最新作の10thアルバムDistant Satellitesには、この『A Natural Disaster』からのエレクトロな要素やミニマリズムを意識した作曲面における実験的な部分からも、ソレと限りなく近いフィーリングが感じ取れる。それこそ映画『インターステラー』の深宇宙(ワームホール)の中を彷徨うかの如し、『A Natural Disaster』の狂気的なコンセプトと五次元的な世界観を一巡すなわち『メイド・イン・ヘブン』にブチ上げたのが『Distant Satellites』、という俺の解釈に説得力が生まれるんじゃねー的な。また表題曲に(まだ正式加入する前の)リー・ダグラスをメイン・ボーカルに携える所も、リー姐さんが未来のアナセマのキーパーソンとなる重要な存在である事を示唆している。あと約10分を超えるラストナンバーの”Violence”は、現代ポストブラックの先駆けと言っても過言じゃあない。全てにおいて、声を大にして傑作と呼べる一枚だ。

黄金の道』 ・・・惜しまれながら2004年にMFNが消滅し、数年間の空白期間を経て、2008年にスティーヴン・ウィルソン主宰のKscopeと契約したアナセマは、今回の三作を含む過去作の名曲をアコースティック・リメイクした『Hindsight』をリリースする。そして、2010年にはSWのプロデュースにより晴れて"Post-Progressive"界の仲間入りを果たす8thアルバムWe're Here Because We're Hereをドロップし、2012年には近年アナセマの最高傑作と名高い9thアルバム『Weather Systems』を、その二年後には最新作の10thアルバム『Distant Satellites』を、まるで水を得た魚の如くコンスタントに作品を発表し、今現在の黄金期』に至る。正直なところ近年のアナセマは、細部の所では微妙な違いはあるものの、広義で見れば"Post-Progressive"という一つのジャンルに定義することは容易に可能で、しかし今回リマスターされた三枚のアルバムというのは、それぞれ音使いも音色も世界観もコンセプトもライティングも何一つとして同じ要素がなくて、それだけで如何に中期のアナセマが豊富なアイデアと創作者としてのポテンシャル/インスピレーションを多感に切り拓いていった時期であったか、それすなわちアナセマの"全盛期"だったのかが分かるし、と同時に如何に彼らが"真のオルタナティブ・バンド"であったのか、その証明でもある。時の流れ(流行り)を巧みに咀嚼すると共に、その時代その時代の音に合わせてその姿を変え、常に"オルタナティブ"な存在であり続けたアナセマは、こうしている今も自らの黄金の道』を突き進んでいる事だろう。そう遠くない未来、アナセマはワームホールを抜けた先にある五次元世界、すなわち人類未達の地に辿り着き、そして遂にアナセマは黄金界隈の神(未来人)となるッ!

ファッ◯ンソニー ・・・しかしながら、いま聴いても新たな発見があるし、むしろ今だからこそ再評価されるべき名作だと思う。アナセマが如何様にして、これらのクリエイティブ!!deエキサイティング!!な経験を経て今のスタイルに至ったのか、その数奇な音楽遍歴を改めておさらいするという意味でも、バンドのディスコグラフィー的な意味でも大変重要な作品と言える。同時に、この時期のアナセマの面白さ、つまりアナセマが音楽的に最も充実していた時期、それこそ1999年から2004年までの『Fine Days』を追憶する事で、今のアナセマとの違いや面白さというのが浮き彫りになってくる。とにかく、これからアナセマを聴いてみようって人に打って付けの作品だし、むしろ黄金すげぇ!」みたいなノリで今のアナセマを崇拝している人にオススメしたい。ちなみに、ライブDVDの方はPAL方式うんぬんで観れない可能性が高いので注意が必要です。で、個人的に面白いと思ったのは→アナセマのDistant Satellites"Post-JPOP"であるという俺の解釈を、"いま最も評価されるべきバンド"であるねごとの3rdアルバムVISIONが証明してくれた事で、そもそもMusic for NationsソニーBGMとなった2004年にレーベル閉鎖に至るのだが、奇遇にもねごともソニー所属のアーティストだったりと、要するにこの"偶然"めちゃくちゃ面白くね~?しかし当時のアナセマを路頭に迷わせたソニー許すまじ!
 
Fine Days 1999
Fine Days 1999
posted with amazlet at 15.05.05

Imports (2015-04-21)
売り上げランキング: 50,647

Acid Black Cherry 『L-エル-』

Artist Acid Black Cherry
Acid Black Cherry

Album 『L-エル-』
L-エル-

Tracklist

01. Round & Round
02. liar or LIAR ?
03. エストエム
04. 君がいない、あの日から...
05. Lーエルー
06. Greed Greed Greed
07. 7 colors
08. 〜Le Chat Noir〜
09. 黒猫〜Adult Black Cat〜
10. versus G
11. 眠れぬ夜
12. INCUBUS
13. Loves
14. & you

「Lたそぐうかわ」 ・・・ってなわけで、朝ドラ『マッサン』のヒロインエリーの母親役の役者が”INCUBUS”のMVで主役を演じていたのは少し驚きだったのだけど、そんなエリーならぬエルーの波瀾万丈な人生をテーマにした、林保徳ことJanne Da Arcyasuのソロ・プロジェクトAcid Black Cherryの4thアルバム『L-エル-』は、大まかに言っちゃえば『もう一つのレ・ミゼラブル』だ。

コンセプト・アルバム ・・・およそ100ページにも及ぶストーリーブックからして、ABC史上最も"コンセプト"に力を入れたこの物語『もう一つのレ・ミゼラブル』、いかにも"コンセプト・アルバム"な幕開けを飾る”Round & Round”からこのストーリーは始まる。これから壮絶な人生を歩んでいくLたそを強く想う何者かの暗示(メッセージ)か、ストーリーブックの内容とリンクさせた歌詞と夢のように幻想的なアレンジ、山崎慶君によるex-KATATONIA(現In Mourning)のダニエルくん顔負けの俄然タイトでセクシャルなドラミングを軸としたミドルテンポな力強いリズムと叙情的なメロディを中心に展開していく、前作で言うところの”Fallin' Angel”を彷彿とさせるドラマティックな曲で、それこそ今ツアーの一発目に演ったらちょっとマジで感動しちゃいそうな曲だ。この高音と低音を巧みに使い分けるメロディの組み立て方は実に林らしい。そこから間髪入れずに始まる”liar or LIAR ?”は、このアルバムのリード・トラック的な位置づけにあり、今作の中では最も"ABCらしい"というか、逆に存在が浮いてる曲でもあって、前作で言うところの”Re:birth””CRISIS”系統のyasuらしいフレーズとフックを効かせた疾走感溢れるアッパーな楽曲だ。で、ダメ男に嘘(liar)をつかれ散々裏切られたLたそが遂にメンヘラクソビッチ化してしまう”エストエム”は、まんま前作の”ピストル”をオマージュしたかのような激しいヘドバンチューンで、林のヘラったボーカル・エフェクトがジャンヌっぽいというか、Janne Da Arc”ピストル”っぽい事やってみた感あって、ジャンナー的には懐かしく面白く聴ける。歌詞といい”Wing”みたいな最高にハイ!ってヤツのノリある。そしてシングルバラードの”君がいない、あの日から...”
 
L=ローレン・メイベリー説

L=ローレン・メイベリー説 ・・・ここまでの序盤の流れを聴くだけでは、なんだかんだ3rdアルバム2012を踏襲した楽曲が続くので、それほど"コンセプト・アルバム"という意識は薄い・・・が、次の表題曲である”Lーエルー”の冒頭→「L、おはよう」とかいうフレーズに「!?」っとド肝を抜かれる。さっきまでの荒れ狂ったLとは一転して多幸感溢れる歌詞をはじめ、その曲調としては林なりのクリスマス・ソングみたいな曲で、前作の”その日が来るまで”とはまた違った演劇的なイメージがあって、何よりも今作が"コンセプト・アルバム"であること、そのイメージを半ば強制的に植えつけるような、少なくとも今作の鍵を握る楽曲であるのは確かだ。その夢のように幸福な雰囲気から一転して、「我が人生は金!暴力!SEX!SEX!アンドSEX!」とかいう欲望をむき出しに、Lたそが再びメンヘラクソビッチに目覚めてしまうシングルのGreed Greed Greed、また一転して、それこそLたその人生の如く急転して、主に”チェリーチェリー”に代表される林の専売特許であるシャッフル曲の”7 colors”、ナイトクラブの賑やかなSEを挟んでからの~通称"日南響子ズンドコソング"黒猫、そして神様をも逝かせるレベルの夜の街の嬢王となり、Lたそは人生の絶頂期を迎える・・・が、その幸福な時間もつかの間、Lたその前に過去の"因縁"が襲いかかるッ! 「ハッ!?Lたその正体はローレン・メイベリー(Lauren Mayberry)だった!?」ってなるくらい、俺たちのローレン・メイベリー率いるCHVRCHES”Science/Visions”を彷彿とさせるハウス/エレクトロなイントロから、メタル然としたゴッリゴリなヘヴィネスと共に林のヘロヘロラップを織り交ぜながら、ミステリアスでインダストリアルな雰囲気を醸し出す”versus G”は、2ndアルバムの『Q.E.D.』をイメージさせる。再び人生のドン底まで堕ちて絶望に苛まれたLは、あの頃の”眠れぬ夜”を思い出す。この曲は、カバーアルバム『Recreation』シリーズを彷彿とさせる昭和歌謡チックなノスタルジーと『Q.E.D.』”眠り姫”っぽいサビのフレーズが印象的なバラード。



・・・今作の中で、この『L-エル-』のコンセプティブな世界観を一曲で表現している楽曲こそ、アルバムにおける最後のシングルとなった”INCUBUS”で、冒頭でも述べたように、朝ドラ『マッサン』のヒロインのオカン役の俳優を起用した、それこそ映画『レ・ミゼラブル』リスペクトなMVを観れば一目瞭然で、アルバムのハイライトを飾るに相応しいダークでドラマティックな展開をウリとする曲だ。そして刑期を終え、数十年の月日が過ぎ、悪夢にうなされる日々を送る老婆のLたそ。目覚めてもなお悪夢の中を亡霊のようにな迷い続け、人々が行き交う路上で永遠に眠りについたLたそは、夢の中で故郷"La vie en rose"へと帰郷する。で、yasuの『L-エル-』に対するなみなみならぬ”こだわり”を感じたのが”Loves”という曲で、この曲の林はまるで舞台役者の如く、それこそ物語の主人公オヴェスとLの運命的な再会を一人二役で演じてみせる美しすぎるハモリと女性的な色気ほとばしるファルセット、からの映画音楽ばりのストリングスまでの展開に涙不可避。そのアウトロ的な存在感を放つ”& you”を最後に、この物語『メンヘラ界の貴公子オヴェス』は盛大に幕を閉じる(センチュリーボーイズ感)。そしてLは、"色のない街"ではなく沢山の花(色)に埋め尽くされた"La vie en rose"の花畑の中で生き続け、その夢の世界の中でLが最後に手にしたのは、身近にあるちょっとした幸せ、それこそ泡のような真実の愛だった・・・(aiko感)。そして遂にLは、自らの名前が花京院典明ばりの"LeroLeroLeroLeroLeroLeroLeroLeroLeroLeroLeroLero"というエロい舌使いに必要な"L"、もといLOVEの頭文字"L"だったという真実に気づくッ!「ガシッ!ボカッ!」アタシは死んだ。スイーツ(笑)

「哀しみより先に子宮が疼きます」

ストーリーブックを読み始めたぼく→「まともな登場人物がキャバレーの
オーナーとアンナとしかおれへん・・・で、次はいつセックスするんだ?」

その直後のぼく→「・・・は?アンナもオーナーもクソやんけ!つうか登場人物全員クソやんけ!」

Lたそ→「いつか私を素敵な王子様が迎えに来てくれると思っていました。でも私を迎えに来たのは王子様ではなく警察官でした。

ぼく→「おっ、そうだな」

ストーリー終盤のぼく→「もうLとかどうでもええねん!もう希望はオヴェス君しかおれへん!リノたそと幸せになるんやで!ファッ!?リノたそはアンナの娘だった!?」←この伏線回収はアツかった。予想した通りだったけど。

クライマックスのぼく→「オヴェスくーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!うわあああああああああああああああああああ!!ハッ、この物語はオヴェスくんの物語だった!?」

・・・この物語を読み終えた僕は、まるでLの呪いにかけられたようにメンヘラクソ野郎と化していたヘラヘラ。Lたそのメンヘラ魂は何時だって僕たちの心の中に眠っているんだヘラヘラ。で、この100ページにも及ぶストーリーブック、序盤は"色のない街"で典型的な不幸少女の生い立ちやオヴェスとの思い出を描き、次の舞台となる大都会セラヴィーでは女をボッコボコにぶん殴った後に優しく接する典型的なDV男や妻子持ちの医者に振り回されながらも夜の嬢王に成り上がっていく中盤、裏の世界の堕ちた人間は二度とカタギの世界には戻れない、という真理を深裂に描き出す終盤、そして子供の頃からの夢だったシンデレラになるクライマックスまで、なかでも「ねえ、エル。君に見せたい未来があるんだよ」からの見開きの絵の演出はグッときた。でも最後の98ページの存在は賛否両論あるかも。当然、それは全て夢オチだったという現実を示すには必要不可欠な場面だけど、前の97ページで終わらせても良かった感はある。そこまで読みづらいような無理くりな展開はないし、絵柄もワールド・ネバーランドみたいな独特の味があって、最後まで一気に読ませる質は保証されている。このストーリーブックを読むと読まないでは、今作の楽曲や歌詞に対する理解度が全然違ってくる。

紗倉まな「自分の性欲に気づいたとき、あのドロドロのラブソングに救われた」 

ぼく「おいおい初めてモノリスに触れたサルか」

紗倉まな「もしかしてLの正体は私かもしれない(笑)」

ぼく「紗倉まなはヌケない。鈴村あいり最高!松岡ちな最高!北野のぞみ最高!」 

シングルの存在感 ・・・正直なところ、今回のシングル曲をどうアルバムに落とし込むのか若干不安に思っていた所もあったのだけど、フタを開けてみるとむしろ逆にシングル曲をストーリーの軸として置くことで、聴き手によりコンセプティブなイメージを意識づけている。それほど今回はシングル曲がアルバムの重要な役割を担っているし、同時にシングル曲の良さをあらためて再確認させられた。なんだろう、シングルに頼らざるをえない状況は一見悪いことのように思えるけど、そのシングル自体がアルバム曲っぽいお陰で違和感なく他の曲と馴染んでいるという、良いのか悪いのかよく分からない謎の相乗効果を生んでいる。それは"コンセプト・アルバム"だからトータルで聴かせるという意味では間違いじゃないし、逆に”イエス”みたいな良くも悪くも突出した曲があったら作品のパワー・バランスが崩れる懸念もあるし。しかし大きな見せ場がないまま気づいたらラストシーン・・・みたいな感覚はまるでフランス映画のよう。今作は曲順にも大きな意味を持たせていて、ヒロインのオヴェスが夢の中で見たLの未来と現実世界のL、Lの波瀾万丈な人生とオヴェスのひたむきな努力とLに対する想いが複雑に入り乱れるような、つまり『夢と現実』の対比が曲順という演出方法で表現されている。だからこの曲順に文句を言うのはナンセンスだし、むしろこの曲順であるからこそ、ダメ男に翻弄されて堕ちるところまで堕ちて幸せの絶頂から再び転落していく、言わば急転直下な人生模様という意味ではこれ以上ないベストな曲順だと。それは同時に、それぞれの人生模様が音で描かれている事でもあって、例えばLの人生をテーマにした楽曲(#2,3,6,9,10,12)は、その転落人生のようにヘヴィでアグレッシブなナンバーで、これはシングルの”GGG”で示したように、音自体は2ndアルバムの『Q.E.D.』の音を更にソリッドに研ぎ澄ました、俄然メタリックなヘヴィネスをカチ鳴らしている。一方のオヴェスくん視点からは→「君に見せたい未来があるんだ」という言葉のように、Lを想う純粋な恋心と"色のない街"を本当の"La vie en rose"へと変える大きな『夢』が込められた楽曲(#1,4,5,7,13)を中心に展開し、これはコンセプトの部分と林のソングライターとしての幅広い作曲能力の高さを裏付けている。これまでも"コンセプト"を題材にしたアルバムだったが、それはあくまでも上辺だけのテーマであって、しかし今作はストーリーブックや楽曲的な面でも他でもない紛れもなく本物のコンセプトアルバムと言える。

実質3rdアルバム ・・・もう何十年も創作に勤しんでいる人間というのは、 時として『ジョジョリオン』荒木飛呂彦だって、奇才スティーヴン・ウィルソンだって駄作を世に送り出してしまうわけで、少なくともこの『L-エル-』に対して"最高傑作"だなんて言葉を使うTEAM-ABCは誰一人として存在しないだろう。海外のメタルバンドでも"コンセプト・アルバム"=地雷みたいな風潮あって、だからメタルバンド「次のアルバムはコンセプト・アルバムになるで!」 メタラー「あっ・・・(察し)」みたいな風潮あって、どうしても"コンセプト・アルバム"となると、そのストーリーやテーマにエネルギーを注力し過ぎて肝心のライティングは二の次みたいになりがちで、この『L-エル-』にはそんなネガティブなイメージが微塵も浮かばないわけでは決してないのだ。確かに、過去作のフレーズやJanne Da Arcを想起させる様々な要素が詰まったアルバムではあるが、だからといってAcid Black Cherryの集大成と呼べるようなアルバムでもなくて、特に表題曲や”7 colors””眠れぬ夜”と過去作に収録されたこの手の楽曲を比べてみると、いかんせんメロディが煮えきらないというか、あえてそうした可能性もなくはないが、"コンセプト"に注力し過ぎて肝心の曲が蔑ろになっている、つまり林のライティング能力が著しく低下していると言われたら否定できないかもしれない。とはいえ、少なくとも前作の『2012』よりはABCらしさというのはあって、そもそも『2012』は持ち前のヘヴィネスよりキャッチーなポップさ、つまり大衆性を重視した"特殊"なアルバムだったわけで、この『L-エル-』はコンセプトこそ前作寄りかもしれないが、音自体は『Q.E.D.』の頃に回帰しているキライもあるので、本来なら今作が三作目になるハズだった、みたいな感覚もある。結局ナニが言いたいかって、コンセプト・アルバムは逃げ・・・というわけじゃあないが、そろそろ林は”いい曲”とはナニか?を素直に考える時期に来ているんじゃあないかって。

親和性

流行りのDV男 ・・・奇しくも、Janne Da Arcのフロントマンyasu"ソロ・プロジェクト"Acid Black Cherry"4thアルバム"『L -エル-』と同日(2月25日)に、Porcupine Treeのフロントマンの"ソロ・プロジェクト"スティーヴン・ウィルソン"4thアルバム"『Hand. Cannot. Erase.』が、DV男によって命を落としたジョイスという名の一人の女性の悲劇からインスピレーションを受けた"コンセプト・アルバム"をリリースしている。なぜABCDIR EN GREYのフロントマンンギョウのソロ・プロジェクト、sukekiyoVITIUMとの同発を回避してSW『Hand. Cannot. Erase.』と同じ日にズレ込んだのか、それはSWが活動停止中であるPorcupine Treeの復活を匂わしている事にヒントがあるのではないか?と僕は考えた(なお、本人は否定している模様)。つまり・・・もしかしてこの『L -エル-』『救世主』の復活を示唆しているんじゃあないか?って。まぁ、それは冗談としても、しかし奇しくも偶然にしてはなかなか面白い出来事だった。話を戻すと→このアルバムは最高傑作と呼ばれることはないが、難産なりにそれなりにシッカリとまとめてくる、シングルを含めたアルバム作りの巧さは"ソロ・プロジェクト"としての円熟を感じさせた。例えそうでなくても及第点はあるし、コンセプト・アルバムとしては普通に傑作だと思う。しかし気になるのは、今作の曲やコンセプトがライブでどう化けるかで、ライブでの演出面に俄然期待される。なお、アルバムに封入されたライブのシリアル抽選は余裕で落選した模様。これは完全に愚痴だが、ほぼ空売りに近いシリアルをドヤ顔で封入するのだけはダサいからやめて欲しい。なぜなら、前作の『2012』は"売れなきゃいけないアルバム"だったが、このアルバムは特別売れなくてもいいアルバム、というより完全にメンヘラクソビッチもとい従来のABCファンに向けられた作品だからだ。なので心優しきメンヘラクソビッチもといTEAM-ABCの可愛い皆さん、TEAM-ABCメンヘラクソ野郎部の代表である僕にチケットを恵んでくださいヘラヘラ。

L-エル- (CD+DVD) (Project『Shangri-la』LIVE 盤)
Acid Black Cherry
motorod (2015-02-25)
売り上げランキング: 39

Animals as Leaders 『The Joy of Motion』

Artist Animals as Leaders
Animals as Leaders

Album 『The Joy of Motion』
The Joy of Motion

Tracklist

01. Ka$cade
02. Lippincott
03. Air Chrysalis
04. Another Year
05. Physical Education
06. Tooth And Claw
07. Crescent
08. The Future That Awaited Me
09. Para Mexer
10. The Woven Web
11. Mind-Spun
12. Nephele

【スーパー中学生バンドの親玉】・・・Djent界の第一人者ことミーシャ・マンソーすなわち”Bulb”の盟友であり、ソニーと一億円で大型契約したスーパー現役中学生バンドの親玉こと、インテリ系ギタリストトシン・アバシ率いるAnimals as Leadersの約三年ぶりとなる3rdアルバム『The Joy of Motion』は、今最もイケイケな新鋭レーベルとして知られるSumerian Recordsへ移籍しての第一弾。

【二作目のジンクス】・・・何やら昨今のDjent界には”二作目のジンクス”という言葉が流行っているらしく(当ブログ調べ)、2009年にセルフタイトルの『Animals as Leaders』で鮮烈なデビューを飾った彼らも例外でなく、2011年にリリースした2ndアルバムWeightlessがミニマルでエレクトロニックなアプローチを強めた”Post-Djent”な作風で、ジェント大好き通称Djentlmenの間で賛否両論を呼んだ。最近では、そのジェント界に蔓延る呪いを乗り超えたTesseracTの傑作Altered Stateが記憶に新しい。そのTesseracTAnimals as Leadersは一緒にツアーを回るほどの親友であり、一方で良きライバルでもある。

【原点回帰】・・・そんなわけで、かのスメリアンに移籍しての3rdアルバム『The Joy of Motion』はどうだろう。本作の幕開けを飾る”Ka$cade”から、脳幹を活性化させるようなキレ味鋭いスリリングで知的な高速リフ回しやトシン・アバシによるオシャンティなソロワークを中心に、展開力というよりスケール感のある複雑かつ緻密な構成力で聴かせる実にAaLらしいバカテクナンバーで、その強烈な幕開けからスウェーデンのVildhjartaを彷彿とさせるミステリアスなキーボードと沈み込むような極悪ヘヴィネスに圧倒される”Lippincott”GTA5の舞台でもあるアメリカ西海岸から朗らかで爽やかな風を運んでくるかのような癒し系メロディをフューチャーした、と同時にスラッジーな轟音ヘヴィネスをも取り込んだミニマリズム主体の#3”Air Chrysalis”や続く#4”Another Year”では、『Carbon-Based Anatomy』CynicCloudkickerリスペクトなジャズ/フュージョン・パワー全開のチルいインストゥルメンタルを、まるで”ビッグブリッヂの死闘”ばりの勢いで繰り広げている。ここまで序盤の流れを聴けば、今作は1stアルバムを踏襲した作風だという事が理解できる。今回、その1stへ原点回帰した主な要因としては、やはりその1stを手がけたPeripheryミーシャ・マンソーが作曲に大きく関わっている所だろう。それ以降も→まるでTesseracT顔負けのブッリブリなベースラインのウネりを効かせた#5”Physical Education”、ゲーム音楽にも精通するエレクトロニックなテクノ・ミュージックを介した#7”Crescent”、1stアルバム屈指の名曲”On Impulse”をルーツとする#8”The Future That Awaited Me”、【アコースティック×ジェント】という新機軸的な側面を垣間みせる#9”Para Mexer”、再びスケール感あふれるダーティな鬼グルーヴを見せつける#10”The Woven Web”、再びトシン・アバシの超絶ピッキングを披露する#11”Mind-Spun”、ゴッリゴリに鬼ヘヴィなリフの応酬とアバシの流麗なソロワークとチルいメロディが大胆に交錯するラストの#12”Nephele”まで、1stへの原点回帰と新機軸的な要素を組み込んだバラエティに富んだアルバムで、曲それぞれのアレンジが凝ってて最後まで飽きさせないポテンシャルの高さは前作の比じゃない。そして、ミーシャ兄貴が関わりを持つ持たないでこうも変わるもんなのかと、あらためて彼が”Djent界の第一人者”たる所以を痛感した。まるで”二作目のジンクス”なんて存在しなかったような最高傑作だ!

【ジェジェジェント!!】・・・あらためて、ペリフェリー”Bulb”VolumesDiego Fariasが作曲に携わっているだけあって、そして何よりもスメリアンに移籍した影響か、レーベルメイトのBorn Of OsirisVeil Of Maya、レジェンドCynicやスウェーデンのVildhjartaを連想させる、時にミステリアスに、時にアトモスフェリックに、時にチャラい近未来感あふれるピコピコキラキラテケテケ系キーボードのメロディに、そこはかとないキッズ感とキャッチーな色気を出してきた大衆性の強い作品だ。ところで・・・人間の脳ミソは約10%しか使われていないと言うが、このアルバムは人間の脳のリミッターを解除し、一時的に脳ミソのCPU使用率を100%にアップコンバートするかのような、その奇跡体験アンビリーバブルなジェント沼にハマったら最後・・・

「ジェジェ!?ジェジェジェジェジェ~~~ッ!?」


Joy of Motion
Joy of Motion
posted with amazlet at 14.08.02
Animals As Leaders
Sumerian Records (2014-03-20)
売り上げランキング: 3,317

ANATHEMA 『Distant Satellites』

Artist ANATHEMA
ANATHEMA

Album 『Distant Satellites』
Distant Satellites

Tracklist
01. THE LOST SONG part 1
02. THE LOST SONG part 2
03. DUSK (dark is descending)
04. ARIEL
05. THE LOST SONG part 3
06. ANATHEMA
07. YOU'RE NOT ALONE
08. FIRELIGHT
09. DISTANT SATELLITES
10. TAKE SHELTER

    -これは呪い(ANATHEMA)を解く物語-

【解散願望】・・・解散して欲しかった。約二年前、2012年にリリースされた9thアルバムWeather Systemsを数千回聴き込んだ末、遂に”俺の感性”が導き出した答えこそ→ANATHEMAは『ジョジョ』だということ、つまりANATHEMAの『Weather Systems』黄金の精神』であり、『Weather Systems』X JAPANのバラード・コレクションだということ、そして”俺の感性”一巡させた事である。そんな、10年に一度の歴史的名盤となった『Weather Systems』を超えるなんて事はもはや不可能、万が一の可能性を見い出すとすれば→それは”俺の界隈”代表取締役社長兼CEOであり8thアルバムWe're Here Because We're Hereを手がけたスティーヴン・ウィルソン氏、あの『Weather Systems』をプロデュースした張本人であるChrister André Cederberg、そして俺の界隈の裏方で知られるイェンス・ボグレンという、いわゆる”俺の界隈の三銃士”の力が必要不可欠、でもそんなこと・・・「できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!」と四回叫び、半ば諦めかけていたその時ッ!今作『Distant Satellites』のエンジニアとしてSW氏がミックス(2曲)を、前作同様にノルウェイ人のChrister André Cederbergがプロデュース&ミックスを、そして5.1chサラウンドのミキシングに俺たちのイェンス・ボグレンが参加しているとの情報を得た僕は→あの『Weather Systems』『神の領域』すなわち『メイド・イン・ヘブン』に到達し、名実ともに”アンタッチャブル”な存在となったANATHEMAは、この『Distant Satellites』で自分自身を乗り超える、つまり【神殺しのANATHEMA】を襲名する覚悟ッを決めたんだ...そんなダイアモンドのように硬い意志を感じ取った。要するに→「神を超える」ための条件は全て整った、というわけだ。

               『ザ・ロスト・ソング パート1』

                       今夜
                   僕は解放された
                    とても自由だ

                   生まれて初めて
                     僕は目にした
                     新たな人生を
                     新たな人生を

                    呼吸を始めよう

                    そして君が現れた
                    どこからともなく
                     僕の人生は
                 すっかり変わってしまった

    (いつの日か、あなたは私を感じるわ 微風に運ばれる囁きの中に)

                   そして、あの夜
                    僕は夢の中で
                   静かに立ち去った

                  もう一つの場所へと
               そこで君は僕に話をしてくれた
                    この日のこと
                    この日のこと

                    そして君が現れた
                    どこからともなく
                      僕の人生は
                 すっかり変わってしまった

               というのも、君は僕のものであり
                   僕は君のものだから
                     死ぬまでずっと
                     死ぬまでずっと
                恐怖なんて幻想に過ぎないんだ


【THE LOST SONG=THE LAST SONG】・・・僕は涙した。まるで僕が『Weather Systems』はX JAPANのバラード・コレクションだと言った事を証明するかのような、今作『Distant Satellites』の心臓部を担う”THE LOST SONG”、その幕開けを飾る”THE LOST SONG part 1”に涙した。ハッと息を呑む壮麗かつ荘厳なストリングスから、まるで英国貴族の社交界のようにエレガンスなピアノの旋律と新メンバーのダニエル・カルドーゾによる5拍子を効かせたドラミングが織りなす、それこそソフト&ウェット(柔らかくて、そして濡れている)な黄金のリズム&血液のビートが、鼓動が魂が、山吹き色の輝きを放ちながら激しく高らかにオーバードライブしていき、前作の『Weather Systems』を堺に”ボーカリスト”としてのリミッターが解除された暴走モードのヴィンセント・カヴァナーリー・ダグラス姐さんが織りなす、まるで『幸福』についてを語り合うかのような黄金のハーモニー、そしてこの歌詞に涙したんだ。驚いた、まるでジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助の壮絶な運命を歌っているようではないか。そう、この歌詞に登場する”僕”とは東方定助であり、”そして君が現れた”の”君”とは広瀬康穂ではなかろうか。それこそ『ジョジョリオン』の一話と同じように、どこからともなく現れた康穂と出会った定助の人生、その運命は”すっかり変わってしまった”わけだ。では、”解放された”や”新たな人生を”は一体何を意味し、”もう一つの場所”とは一体何処なのだろうか。そして、広瀬康穂役のリー・ダグラス姐さんによる(いつの日か、あなたは私を感じるわ 微風に運ばれる囁きの中に)という意味深な歌詞は一体何を意味しているのだろうか?これらは壁の目で目覚めたジョジョリオン一話の東方定助なのか、はたまたジョジョリオン最終話での”帰るべき場所”を見つけた東方定助=Xなのか、とにかく複数の解釈が持てる謎に満ち溢れた歌詞だが、少なくともこの曲で流した僕の涙は、『ジョジョリオン』の最終話を読んで流す涙と全く同じ涙であると確信した。そもそも、この”THE LOST SONG”というタイトルは、自分の記憶を”失った”東方定助自身であり、これこそ『ジョジョリオン』のテーマソングと呼べるだろう。

jojo1

【プログレ界のART OF LIFE】・・・それはまるで『ジョジョの奇妙な冒険』の初代主人公ジョナサン・ジョースターエリナ・ペンドルトン、もしくはジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助広瀬康穂黄金の関係性、その関係性を黄金のハーモニーへと変えて、血液のビートを刻みながら雄大な抒情詩を宇宙という名の無限∞に広がるキャンパスに静かに、しかし深裂に描き映し、そして瞬く間に天空を駆け巡るストリングスや艶美なキーボードとニュータイプ的なプログラミング、音圧(ダイナミズム)重視のギターの轟音ヘヴィネス、俄然タイトなリズムを刻みこむドラム&ベースが互いに高め合い狂喜乱舞しながら、それら全ての音をハリケーンの如く巻き込んでいき、遂には黄金の回転エネルギー』の力が働いた巨大な音の塊、すなわち宇宙規模のサウンドスケープとなって全人類をカタルシスの渦に飲み込んでいく。その曲調としては、前作の名曲”Untouchable, Part 1”を踏襲した超絶epicッ!!ナンバーと言っていいが、当然のようにドラマティックでありながらも崇高かつ荘厳、そして神妙な雰囲気を漂わせながら、一定のリズムからなるシンプルなミニマリズムによって体内に蓄積された小さな音エネルギーを一気に爆発させるような、2012年の『ウェザー・リポート』のスタンド能力により生じた暗雲たち込める空模様に太陽の光が差しこむような、まるで【3.11】を堺に漆黒に染まった日出づる国に『愛(Love)』『勇気(Pluck)』『希望(Hope)』という生命エネルギーをズキュウウウン!!と注入するかのような、クライマックスを飾る終盤のオーケストラが解き放つ『清らかさ』は鳥肌モノってレベルじゃないし、それと同時にthe fear is just an illusionという歌詞に込められた、まるで「勇気とは怖さを知ることッ!恐怖を我が物とすることじゃあッ!」と言い放ったウィル・A・ツェペリの如く、それこそ『人間の魂』をアツく焦がすような『灼熱の魂』に、もはや”感情の限界突破”に限りなく近い胸の昂ぶりを抑止することが出来なかった。そして僕は、今にも張り裂けそうな胸の高鳴りを沈めながら閃いた→「もはやTHE LOST SONG part 1はプログレ界のART OF LIFEだッ!」ってね。

                『ザ・ロスト・ソング パート2』

                     人生には
                     必ず訪れる
                   目覚める瞬間が

                    着実に刻まれる
             あなたの心臓の鼓動の音を耳にして

                 今やあなたは解放された
                   そして私はこのまま
                   ずっと夢見ていよう 

                生きている、気づいている
                  かつて信じていた愛

             いつの日か、あなたは私を感じるわ
                微風に運ばれる囁きの中に
               そして私はあたなを見つめる
                堂々と立っているあなたを

                      戻ってきて
                    どうか信じて

                 こんな気持ちは初めてよ

            あれが幻想だったんなんて信じられない 

【東方定助×広瀬康穂】・・・幕開けを飾る”THE LOST SONG part 1”東方定助視点で描かれた曲ならば、この”THE LOST SONG part 2”はヒロインである広瀬康穂視点で描かれた曲だ。この曲は、恋人を想うあまりにも純粋なキモチが込められた歌詞を、いい意味でポップに歌い上げるリー・ダグラス姐さんの母性あふれる歌声と壮麗優美なストリングスをフューチャーした、と同時に艶かしいまでのL O V E!L O V E!L O V E!なエモーションがとめどなく溢れ出す、真珠のドローン系バラードだ。これは前作の”Untouchable Part 2”に相当する楽曲と言っていいだろう。まるで”あの頃”の思い出を懐かしむかのような、ある種のフェチズムを刺激する息遣いにブヒれるリー姐さんのコーラスと情緒感あふれる繊麗なサウンドが織りなす、儚くも美しいダイナミズムと切ないラブストーリー性には”感動”という二文字以外の他に例えようがない。そして、この歌詞にも『ジョジョリオン』の謎を紐解く鍵が隠されている気がして→まず一体何が誰が”目覚める瞬間”なのか、それは東方定助を司るもう一人の人物=Xなのか、ここでも”解放された”という意味深なフレーズをはじめ、パート1と同じ”and one day you'll feel me a whisper upon the breeze(いつの日か、あなたは私を感じるわ 微風に運ばれる囁きの中に)”という”THE LOST SONG”の核心部分に触れるような黄金のフレーズが、そして”戻ってきて”とは?”あれが幻想だった”とは?こんな風にこの歌詞を考察していたら、気づくと僕は涙を流していた。『ジョジョリオン』の東方定助と広瀬康穂が巡る数奇な運命、その黄金の軌跡』を辿るかのような歌詞に涙したんだ。

                『ザ・ロスト・ソング パート3』

                  君を見つけたからには
                   もう放すつもりはない
                    世界は回り続ける
                    魂が映し出される
              僕の心臓は君のために鼓動を鳴らす
                  身体の外へと伝えるんだ
                    今夜、心の中では
                 君に頑張って欲しいと願う

                     なぜなら愛とは
                     我々そのもの
                    どんなに近くても
                    どんなに遠くても
                       そして命は
                     真実をもたらす
                       夢の中に

【THE LOST SONG=『黄金の精神・・・ここまで、フロントマンのヴィンセントがメインのパート1とリー・ダグラスがメインのパート2の流れを見れば、前作の名曲”Untouchable”の再来、少なくともそれを素直に踏襲している事がわかる。しかし、前作の”アンタッチャブル”なANATHEMA=自分自身の存在を超えるためには、最後のワンピースが必要だ・・・でもその前に→ギラついたアルペジオ・ギターに合わせてヴィンセント&リーが大胆な掛け合いを披露する”Dusk (Dark Is Descending)”、この曲の歌詞は今作の中で最も『ジョジョリオン』の物語にリンクする歌詞で、初めてこの歌詞を読んだ時は少し恐怖を覚えるくらい、前半部の歌詞には『ジョジョリオン』第一話を、そして後半部には、まるで『ジョジョリオン』最終話を予知するかのような歌詞が記されている。続く”Ariel”は、パーカッションや電子ドラムなどのチルアウト効果を織り交ぜながら、まるでアリエールで洗った洋服のように柔らかな肌触りで優しく包み込むピアノと壮大なオーケストラをバックに、リー姐さんの天使の囁きの如しウィスパーボイスとヴィンセントの情熱的なゴッドボイスが劇的に交錯する、この世の全てのカタストロフィを浄化する黄金のハーモニーが至高の感動を呼び起こすラヴバラードで、アウトロではカヴァナー三兄弟の長兄ダニエルがその優しい歌声を披露している。この”人間愛”に満ち溢れた歌詞は、”THE LOST SONG”のフィーリングを感じさせるし、曲としてはデヴィン・タウンゼンド総裁『Ghost』を思わせるほどの透明感がある。そして遂に来たる、今作の核を担う”THE LOST SONG”の最後のワンピースこと”THE LOST SONG part 3”は、序盤のパート1&2の中で描いてきたそれぞれの想いが運命的に引かれ合い、そしてその想いが一つに重なる瞬間だ。8thアルバム『We're Here Because We're Here』”Get Off, Get Out”を彷彿とさせると同時に、着実に”THE LOST SONG part 1”の流れを汲んだ、まるで波紋使いの呼吸法のように俄然タイトなリズム&ビートからなるミニマリズムが極上のグルーヴ感およびトリップ感を生成し、まるで夜空を見上げた星の煌めきと淡い揺らめきがこだまする静寂の中で、しなやかな恍惚感を発しながら”永遠の美”を求めて優雅に舞い踊る、東方定助役のヴィンセント・カヴァナーの想いと広瀬康穂役のリー・ダグラスの想いがシャボン玉のように融け合って共鳴し合うその瞬間ッ、シルクのように繊細な焦燥感と激情的なエモーションを解き放つハーモニーが、静かに、しかし美しく魂を揺さぶる。この組曲”THE LOST SONG”を構成する3つのピースに共通するのは→まさしくLovePeaceの精神すなわち黄金の精神』であり、それこそパート3の”My Haert Beats for You (僕の灼熱のビートを君にッ!)”や”なぜなら愛とは 我々そのもの”とかいう一種の聖書的なリリックが示すように、Love即ち『愛』こそ、Love即ち『引力こそ我々人類が憧憬し崇拝すべき唯一『神』であり、それこそ『天国への階段』を登った先に啓かれた『メイド・イン・ヘヴン』なのである。これはもう恐ろしいほど純粋なラブストーリーであり、それこそ究極の『愛』の物語すなわち『愛のむきだし』、もはや音楽界の『失楽園』と言っていいレベルのセカイだ。

jojorion


-これは「呪いを解く物語-
この呪いを解くためには、ANATHEMAという過去の自分自身を乗り超えなければならない。そんな願いが込められた曲が、このバンド名を冠した”ANATHEMA”だ。感情を押し殺したヴィンセントの無慈悲な歌声と荘厳かつ重厚なオーケストラ、そして流麗なピアノがクラシカルかつシアトリカルに交錯する、それこそ初期ANATHEMAの荒寥たる世界観を持った、まさに「人間の尊厳とはナニかを具現化したような楽曲だ。音楽性の変化に伴うメンバーとの対立そして別れ、しかしその幾多の試練を乗り越えて新たなる境地に辿り着いたANATHEMA、そんな今のANATHEMAと過去のANATHEMAを約20年の時を経て再び繋ぎ合わせるかのような、それこそ今作の裏テーマである”ANATHEMA”という名の”呪い”を解く大きな鍵であり、そして導き出されたその答えこそ→『LOVE』...即ち『愛』だった・・・。その呪縛(ANATHEMA)から自らを”解放する”かのような、過去のANATHEMAとの決別を宣言するかのようなヴィンセントの魂の叫びから、まるで映画のクライマックスを飾るようなギター・ソロという名のレクイエム(鎮魂歌)を奏でる時、真の意味でANATHEMAは呪縛(ANATHEMA)から解放され、晴れて究極のカタルシスを得たのである。ちなみに、ヴィンセントのインタビューによると→自らの意志で”ANATHEMA”という曲を書こうとしたのではなくて、完成した楽曲が自然と”ANATHEMA”そのものになったらしい。そう言われると確かに、曲全体を支配する荘厳かつ無慈悲な雰囲気をはじめ一種の破滅的な、この地球この大地を轟かす”DOOM”なギターの重厚感は初期ANATHEMAをフラッシュバック!!させる。しかし、こうやっていともたやすく過去の自分自身と向き合えるのは、(音そのものは違えど)やっぱりアナセマの音の根幹にある音楽的理念がデビュー当時から現在まで一貫しているからであって、それはデビューから今まで一貫して『人間賛歌』をテーマとして描いている荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』だって同じだ。しかも、過去にANATHEMA=呪いというバンド名を改めようとしたが、かのスティーヴン・ウィルソン氏の助言によって結局改名しなかった所も、ジョジョ7部『スティール・ボール・ラン』でジョジョをやめようとしたけど、なんだかんだで結局『ジョジョ』になってしまうという、そんな荒木飛呂彦が歩んできた漫画人生とまるで同じではないか。そういった意味では、近年ANATHEMAの楽曲の中では最も特異な曲であり、過去の自分自身を乗り超えるために必然的、いや運命的に生まれた楽曲と言えるのかもしれない。こうして、ANATHEMAは”ANATHEMAの中にある、もう一人のANATHEMA”を自らの手で葬ったが、はたして『ジョジョリオン』の主人公東方定助は”もう一人の自分”を解放し、そして自らを『祝福』する事ができるのか?

アナセマ×ジョジョ

【アナセマ≒荒木飛呂彦】・・・スウェーデンの重鎮OPETHや皇帝KATATONIA、そしてフランスの貴公子ALCESTでも、それなりの地位に位置するバンドが音楽的な”変化”を起こすと、大抵は従来のファンから批判される。初期のデス/ドゥームやってた頃から今まで、音楽史上最も大きな音楽遍歴を巡りしこのANATHEMAも決して例外ではない。まず、一つ目の大きな”変化”が起こったのは4thアルバムの『Alternative 4』だろう。その”オルタナティブ”というタイトルをはじめ、これまでのスタイルと違って呪術感あふれる通称ゴシック・メタルと呼ばれるサウンドへと”変化”したのだ。続く5th『Judgement』こそ4thと差ほど変わりはしないが、しかし21世紀にさしかかると6th『A Fine Day to Exit』と7th『A Natural Disaster』を立て続けにリリースし、それこそ今のANATHEMAの”原点”と言えなくもないような、レディへリスペクトなATMOS系の浮遊感やポスト-感を内包した、実にUKミュージック然とした路線へとシフトしていった。しかし驚いたのは、いずれも批判より賞賛の声の方が大きかった事だ。これはヴィンセントがインタビューで→「”テクニック”ではなく、あくまでも”ソングライティング”に重きを置いている」と語っているが、まさに彼らの曲作りに対する信念や執念を裏付けるような話だ。同じく海外のインタビューで→ヴィンセント「批判を恐れていては真のクリエイティブな音楽は生まれない」と答えているが、まさしくそのとおりだと思う。このように”変化”に対する”批判”を恐れず、常に”変化”と”進化”を求めて前進し続ける通称クリエイティヴ・ヒューマンとしての意識の高さ、そのまさしく”オルタナティブ”な精神性こそ、現在連載中の『ジョジョリオン』で絵柄をはじめ本格派サスペンスを謳ったストーリーやコマ割りなど...今や大ベテランであるにも関わらず新たなる境地に挑み続けている漫画家荒木飛呂彦という名の吸血鬼に直結する、とどまることを知らない創作意欲およびクリエイティブ精神と言えるのではないか。僕はこれまでに”アナセマとジョジョ”の親和性、その類似点をクドイくらいに説いてきたつもりだが、その双方に対する漠然とした考察は、この『Distant Satellites』で遂に確信へと変わった。それと同時に、僕はスティーヴン・ウィルソン氏が提唱する創作精神こそ、荒木飛呂彦が持つ創作精神だと確信していて、やはり、こうやって今のANATHEMAが存在していられるのも、Kscope主宰のスティーヴン・ウィルソン氏による功績が大きいのかもしれない。ご存知のとおり、SW氏は7th以降スヤァ...っと深い眠りについていたアナセマを覚醒させるキッカケとなった8thアルバム『We're Here Because We're Here』を手がけた人物である。そんな彼は、今作でも2曲ミキシングで参加している。それが”You're Not Alone””Take Shelter”だ。

                  『ディスタント・サテライツ』

                君は自分自身を売り払った
             それでいいんだと自分に言い聞かせた
                 状態が状態を生み出し
                 高水準を乗り越えていく

                 そして僕は泣きたくなる
                  漂いながら君を捕まえた
                 そして僕は泣きたくなる
             遠く離れた人工衛星に過ぎないんだ

                だから僕を救い出しておくれ
                  僕は生きているんだ
                  僕は生きているんだ
                 この中で生きているんだ


【新境地】・・・確かに、中期アナセマの『A Natural Disaster』に収録された”Closer”ではレディへリスペクトなエレクトロニカを、前作の『Weather Systems』に収録された”The Storm Before The Calm”では、今はなき同郷のPure Reason Revolutionを彷彿とさせるダンサンブルな電子音を積極的に取り入れ、かつアナセマの音へと巧みに昇華していた。では、本作『Distant Satellites』における”新機軸”と呼べる楽曲を挙げるとすれば、それはSW氏が手がけた”You're Not Alone”や表題曲の”Distant Satellites”だろう。まず、前者の”You're Not Alone”では、遂にダニエル・カヴァナースティーヴン・ウィルソンの奇跡の共演が実現ッ!・・・と言いたい所だが、SWじゃなくてヴィンセントの声だった。初めて聴いた時はヴィンセントの声がSWに聴こえたくらい、SWを意識した少年風の歌い方だ。とにかく、そのSWとも交流のあるPendulumばりにバッキバキな打ち込みを擁したインダストリアルなドラムンベースを展開している。で、先述の”Closer””The Storm Before The Calm”における”新機軸”は、あくまでも数ある要素の一つとして取り入れられたものだったが、しかし今回ばかりは”ガチ”な感じで、完全に向こう側のジャンルの立ち位置からモダンな音を鳴らしている。これは先ほどの”批判”に繋がることだが→当然「別にアナセマがやらなくてもいい」なんて思う人も居るだろうけど、むしろ今のアナセマだからこそというか、それよか単純に曲がカッコイイというか、批判という恐怖を克服し、自らの手で未来を切り拓き、そして遂に辿り着いた”アナセマなりの新境地”に直に触れているような気がして、もはや批判とか賛否両論とかどーでもよくなるくらい、素直に楽しい気分にさせてくれた。なんつーかこの曲、ほとばしるスティーヴン・ウィルソンの影が一種の”免罪符”となってる気がしないでもない。もう次作でダブステップやり始めても全然驚かないくらいにはなってる。

ゼロ・グラビティ

【ANATHEMA=輪廻転生説】
・・・その”You're Not Alone”だけじゃあない、それ以上に”実験的”な要素を感じさせる曲こそ、ゴースト名ソングライターことジョン・ダグラスとヴィンセントが共同プロデュースした曲であり、今作のコンセプトを担う表題曲の”Distant Satellites”だ。まるで大聖堂が目の前に立ちはだかるような、”Firelight”とかいうインストの神聖なる『清らか』な風を受け継いで始まるこの曲も、打ち込み系のエレクトロニカを大胆に取り入れた、言うなれば65daysofstatic meet ANATHEMA的な楽曲で、まるで人工衛星から地球を見下ろしたような無限大の世界が目の前に広がり、その壮観さは北欧ノルウェイの上空に現れる色鮮やかなオーロラのように『清らか』で神秘的だ。しかし、一言で”エレクトロニカ”と言ってみても、あくまでも繊細で浮遊感のあるヴィンセント・カヴァナーの歌声を軸としながら、その夢心地なボーカルのメロディと心躍る上品なピアノが極楽なトリップ感を生成しながら、高鳴る心臓の鼓動のように小気味よいダンサンブルなビートを打ち込んでいく、まるで子守唄の如くフロイド感あふれるアトモスフェリックな曲調なので、逆に驚くほど違和感というものはなかった。まるで気分は映画『ゼロ・グラビティ』「あたしサンドラ・ブロック、ガチで宇宙空間を漂流中」だ。ここで、その映画『ゼロ・グラビティ』を例に出すと→前々作の8th『We're Here Because We're Here』が地上(浜辺)からの目線で地球を描いた作品ならば、リメイク作品のFalling Deeperが水中から地球を描いた作品で、前作の9th『Weather Systems』が『空から地球を見てみよう』的な作品だとすると、本作の10th『Distant Satellites』では更に遠く離れた大気圏外にある宇宙衛星の視点から地球を描いた作品だという風に解釈すると、ある一つの流れが出来上がっているのがわかる。まさか、その映画『ゼロ・グラビティ』の物語に隠された『輪廻転生』を音楽という手法を使って描き出しているんだとしたら...このアナセマというバンドは、実はとんでもない事をやろうとしてるんじゃあないか?って、そう思うと僕は少し恐怖した。事実、前々作の8th『We're Here Because We're Here』では臨死体験という名の黄金体験』を音で表現しているし、あながちそれは間違いじゃないかもしれない。もしそうだとしたら、それこそ『人間賛歌』の極みだと思うし、ジョジョ6部でプッチ神父のスタンド能力『メイド・イン・ヘヴン』によって生じた一巡した世界、すなわちパラレルワールドもある種の『輪廻転生』と言えるのではないか、それこそ初期の『破滅の音楽』から現在の『幸福の音楽』に至るまでのアナセマの音楽遍歴ですら、『ジョジョの奇妙な冒険』の初期(暗黒面)~中期(オルタナ期)~後期(黄金期)の作風および時代背景、その精神性と全く同じ道を辿っているようではないか。つまり、全てにおいて『アナセマ』と『ジョジョ』は一心同体となったのだ。このように、【ANATHEMA=輪廻転生】という説から考察してみれば、現在のアナセマは初期のアナセマが”一巡”しただけの存在すなわち同一人物でしかないと理解ッできるし、初期から現在までの音楽性の変化すらも必然的、いや運命的な出来事だったのかもしれない。

「あたしサンドラ・ブロック、ガチで宇宙空間を漂流中」

【アートとは「光るウンコ」だ】・・・そして、SW氏がミックスを手がけた”Take Shelter”のレディへ(Kid A)ライクな音響や、まるで生まれたての赤子のように生命エネルギーに満ち溢れた、シガーロス直系の神々しく純粋無垢なストリングスを耳にすれば分かるように、その90年代と00年代のオルタナティブシーンを牽引してきた二組のレジェンドを融け合わせ、それぞれの時代と時代を繋ぎ合わせるかのような、それこそ”キング・オブ・オルタナティブ”と呼べる曲であり、それすなわち”オルタナティブ・ミュージック”に傾倒していた頃の『A Natural Disaster』をはじめとした中期アナセマと、前作の『Weather Systems』を筆頭とした近年の黄金アナセマを引き合わせるかのような、もはやアナセマ自身の約20年にも及ぶ音楽人生を総括するかのような楽曲だ。それらを踏まえて→前作の『Weather Systems』が5thの『Judgement』”一巡”した結果だとすると、今作の『Distant Satellites』は7thの『A Natural Disaster』”一巡”した先のパラレルワールドなんだって、僕はそう解釈し、そう結論づけた。そして、この聖なる遺体が眠るとされる地下シェルターの扉を開くと、そこには新たなる黄金の輝きを放ちながら元気に走り回るアナセマの姿が・・・ッ! 話を戻して→要するに、常に”変化”と”深化”を求めてきたアナセマが本格的なエレクトロニカを擁する必然性、常に自らの手で過酷な未来を切り拓いていく創造者としての飽くなき探究心、そのクリエイティヴ!!に対する貪欲な姿勢こそ正真正銘の”オルタナティブ・バンド”と呼べるんじゃあないか、その創作精神こそ真の意味で”Progressive”と呼べるんじゃあないか、ってね。また、ニューヨークで活動する新星コリアン・メディア・アーティストの作品を本作のアートワーク/デザインに採用している所からも、フロントマンヴィンセント・カヴァナーの視覚面に対するアンテナの鋭さ、異文化に対する寛容の精神、懐の広さを伺わせる。それこそアレハンドロ・ホドロフスキーの名言で知られる→「アートとは「光るウンコ」だ」と言わんばかりの創作精神、その覚悟に僕は一人の音楽好きとして敬意を表したい。

                     『テイク・シェルター』
 
                     僕らは永遠
                      子どもたちが
                    駆け抜けていく...

                 君を思って自分を見失った
                 真実の中に自分を見出した
                    僕らはこの先道に迷う

                 君を思って自分を見失った
                 真実の中に自分を見出した
                 僕らはこの先自分を見失う
              そして再び時の中に自分を見い出す

 
【至ってシンプルな答え】・・・再びッ話は振り出しに戻るが→ある種の”解散願望”を持っていた僕は、アナセマの次のアルバムがどうなるかなんて全く考えてなかったし、想像すらしてなかった、というかできなかった。確かに、「最高に『ハイ!』ってやつだ!」とかいう”人間をやめちゃった人”みたいなハイテンションで、まるでドカーン!バーン!キャー!を特徴としたB級ハリウッド映画の如く、つまり”バンドサウンド”を全面に押し出した大仰かつ大胆かつド派手な展開力の高さを一番の魅力としていた前作『Weather Systems』のような、いわゆるガッシャンガッシャンしたギター・ミュージックではなくて、この『Distant Satellites』におけるギターの役割といえば、それは主に組曲”THE LOST SONG”で聴けるような極限までエッジを削ぎ落したギター・サウンドからして明白で、持ち味とする耽美なクリーン・ギターも大きく影を潜め、あくまでも重厚感(ドローン系ヘヴィネス)やポストメタリックなスケール感および重低音(ダイナミズム)を加えるだけの一つのオトでしかなくて、そういった意味では今作はかなり”メタルっぽい”と言えるのかもしれない。要するに→かのデイヴ・スチュワートがアレンジを施したオーケストラのストリングスを中心としながら、ドラムとキーボードによる”ある一定のリズム感”を大事にしたシンプルなリズム&ビート、そして英国貴族のように気高い歌詞を繊細かつ大胆に歌い上げるボーカルの反復運動に意識を向けた、ある種の”ミニマル・ミュージック”的な側面が強い作風となっている。そしてヴィンセントがインタビューで→「これまで以上にインプロヴィゼーションの要素を取り入れている」と語るように、その即興演奏で生まれた結果であろう至ってシンプルなリズム&ビートに対する感覚を研ぎ澄ますことで、より音の生々しさというか、より古風のProgressive-Rock感や独特のライヴ感が生まれている。これは彼らが”ライヴバンド”であるからこそ、なのかもしれない。同時にその”シンプルさ”は、ギター&ドラムのミニマルなリズム主導の”THE LOST SONG Part 3”をはじめ、それはアルバム後半の”新機軸”と呼べる曲に対しても「複雑になることを嫌った」と語るように、実際に複雑なことは何一つなくて、あくまでもボーカルやピアノやストリングスによる”メロディ”の反復運動を軸としており、最初から最後まで一貫して”シンプル”な分かりやすさが貫かれている。一見、音が複雑に重なり合っているように見えて、それらを一つとして聴くと驚くほど”シンプル”な音である事がわかるハズ。その俄然タイトでシンプルなリズムが、”イキ過ぎ”を抑制するために絶妙な”寸止め感”を作品に与えている。そして、これはアルバム前半の楽曲の全てに共通することだが、気のせいかポップな歌いまわしというか、”歌う”ことに対して本能の赴くまま自由に楽しんでいるヴィンセント・カヴァナーとリー・ダグラスの力強い歌にも、先ほどのインプロヴィゼーションやライブ感というのが発揮されている。この一貫した”シンプルさ”を理解ッすると、「二週間でレコーディングを終えた」というのにも納得せざるを得なかった。

    ※訴えないでください!

【Distant Satellites=内田真礼説】・・・2008年作のアコースティク作品『Hindsight』に始まって、2011年作の『Falling Deeper』からの流れを引き継いで、本格的なオーケストラとの共演を果たした昨年のライブ映像作品Universal、それらの経験から得た影響を伺わせる”THE LOST SONG”を心臓部としたクラシカルな前半部、初期のANATHEMAと現在のANATHEMAを継ぎ合わせるかのような”ANATHEMA”を挟んで、正真正銘の”オルタナティブ・バンド”としてあるべき姿...その信念を貫いた現代的かつ実験的な後半部、このように大きく2つのテーマに分かれている。この2つのテーマの狭間で生じるギャップ...それはまるで声優内田真礼「この顔からこの足」という一種のギャップ萌えのようだ。この『Distant Satellites』という名のシェルターを紐解く鍵、そのヒントはこの”まれーたそ”が握っていると言っても決して過言じゃあない。もはや俺レベルになると→黄金比』で形成された内田真礼の体型から、アナセマの壮絶なる音楽遍歴を紐解くことができる。そして僕は、あらためて”アナセマ””アイドル(2.5次元)”の親和性を再確認するのであった。まぁ、それは冗談として→ここ最近の作品の中ではキャッチーなツカミや作品の統一感は希薄だが、逆にその決して完璧ではない粗さやいい意味でアンバランスな感覚が絶妙な味となっている気がしないでもなくて、少なくとも即効性の高いここ最近の二作とは違って妙なスルメ感はある。確かに、前二作のように豊富な音数を繊細かつ緻密にリリカルに積み重ね、クライマックスに解放感のあるド派手な展開を見せるわけでもなく、(ミックス&マスターの影響もあるのか)いい意味でも悪い意味でも平坦で起伏の乏しい展開とシンプルな音使いをもって、比較的緩やかなバラード風の展開を主体にシットリと聴かせる印象。その辺りは、ギンギラギンにさり気なかった『Weather Systems』とは確実に一線を画していて、蒼天のようにカラッとした空気感ではなく、どちらかと言えばアートワークのイメージを含めて7thの頃の妖艶なオーラ、それこそ英国の変わりやすい空模様のように少し湿り気のある陰鬱な色気を纏った音で、その静謐さ溢れるアトモスフェリックな音響空間の中で、静かなる叙情と激情を冷静と情熱の狭間で爆発させている。結論からすれば→なんだかんだ、歴史的名盤だった前作に勝るとも劣らない、音楽的な面でも20年を越えるキャリア的な面でも、本当の意味で集大成と呼べる名作なんじゃあないかって。しっかし、これを聴く直前まで”解散願望”を持っていた自分が恥ずかしい。アナセマだけに...セマいアナがあったら今すぐにでも入りたい気分だ(テヘペロ///)

『ダスク(ダーク・イズ・ディセンディング)』

僕の心を光の方へと引き上げておくれ、凍えそうなんだ
僕の目を大空へと引き上げておくれ、探し物をしているんだ

自分の望む気分になろう
自分の望む姿になろう
なぜなら僕は
自分の愛を試しているんだ

僕の手を取って
連れ去っておくれ

この場所から
だってここは僕の居るべき場所じゃないんだ

この場所から、ところで、一体どうやってここに来たんだ?

この場所から
だってここは僕の居るべき場所じゃないんだ

僕の心に語りかけ
連れ去っておくれ

なんとか勇気を振り絞ろうとする
だけど、この場所で凍えるばかり
とても寒いんだ

もはや希望は捨ててしまった

-------------------------------------------------------

あの痛みと共にここに連れ戻されたんだ
どうか家に帰しておくれ

だけど、全て心の中にしまっておこう
心の中に
心の中に
心の中に

涙の向こうに飛び立つ君を見た
飛び立つ君を
飛び立つ君を
遥か遠くへと
遥か遠くへと
遥か遠くへと

歲月を経るにつれ
僕は時の中に微笑む自分を見出した

僕は夢に明かりを灯した
だけど君のことは決して忘れない
ずっと君のために生きる
全ての愛を捧げ

君はそんなに遠く離れていない 

【アナセマ×イェンス・ボグレン=引かれ合い】・・・本作は一言でいうと大人しい 、一言でいうとシンプルな作品であると同時に、過去最高にあざとくてエモくてクサくてダサくてラブい...でも最高にカッコイイ作品だ。そもそも、近年のアナセマが高く評価されている一番の理由って、ポストロックなどのモダンなオルタナティヴ・ミュージックを自身の音に昇華しているからだと思うんだけれど、でも本作にはその”モダン”なイメージは極めて薄くて、これはいい意味でも悪い意味でもオッサンが好きそうなクラシック・ミュージック(クラシカルという意味で)とクラシック音楽(古典的という意味で)に大きく歩み寄っているからなのか、それともマイナーキー主体の楽曲によるものなのか・・・いずれにせよ、ここ最近の作風を嫌味なく素直に踏襲しながらも、シンプルでありながらも実験的な新境地を切り拓くことに成功した作品である事には違いない。確かに、作品としては正直”地味”かもしれないが、しかし今回のエモーショナルな歌詞をどのように解釈するかによって、その評価がガラッと変わってきそう。そして、思春期における感情の暴走によって誕生した、ある種の”キッズ・ミュージック”とも言えなくもなかった『Weather Systems』とは違い、この『Distant Satellites』ではクラシックな大人のプログレ感を著しく強めている。それは”至ってシンプル”という概念に取り憑かれたようなリズムや音使いをはじめ、かのイェンス・ボグレンを迎えた5.1chサラウンドやハイレゾ音源(48kHz/24bit)での配信など、それら音質に対するアナセマの考え方(ポリシー)からも明白な事だ。要するに→この【アナセマ×イェンス・ボグレン】という一種の”引かれ合い”も、過去に俺の界隈の裏方として紹介したのが全ての伏線()だった、というわけです。ちなみに、自分はハイレゾ(48kHz/24bit)と5.1chサラウンド両方とも手に入れたんだけど、さすがに5.1chだけあって、特にストリングスの立ち上がりや音が収束していく部分をはじめとした、ボーカルの細かな息遣いからドラムの正確な再現力、上下左右の空間の広がりや奥行き、音の分離感、とにかく作品全体の生々しさと繊細さを併せ持った表現力とスケール感が段違いな気がする、気がする...。残念ながら、5.1chをまともに鳴らせる再生環境を持ち合わせていないので説得力は皆無だが、ともあれ自分にとってはイェンス・ボグレンアナセマの音源をミックスした、その事実だけで十分です。でも、こうやって高音質と謳われた音源で聴くとCDより音が良いってのが、もはやCDの存在意義とは何ぞや?ってくらいによく分かる。そう遠くない未来(いや、既にか)、CDという媒体はアニメ業界における円盤と同じ扱いになっていくのかなと思うと、少し寂しい気持ちになった。まぁ、そんな話は今更でしかなくて、要するに→アナセマの音楽、特にここ最近の作品は”いい音”で聴けば聴くほど、それ相応の恩恵と感動がジカに得られるハズなんで、できる限り”いい音”で楽しんで欲しい。そうすることが、アナセマの音楽に対する最大の敬意になると思うから。しっかし、『13年ぶりにリリースされた国内盤も買う』『ハイレゾ&5.1chも買う』、更には『メイキング映像付きの限定版も買う』・・・「全部」やらなくっちゃあならないってのが「幹部」のつらいところだな。『破産』の覚悟はいいか? オレはできてる。

【Distant Satellites=『ジョジョリオン最終話説】・・・正直、各音楽メディアが挙って10点中8点つけそうな『無難』な感じは否めない。しかし、僕にとっては『無難』という言葉は間違いだった。『ジョジョ』史上初となる駄作への道を歩んでいるなんて巷で囁かれているジョジョ8部『ジョジョリオン』だが...でも僕はこの『Distant Satellites』という名の『2014年宇宙の旅』が描き映す「音のイリュージョン!愛のレボリューション!」を体験し・・・再びーッ!”俺の感性””一巡”したことによって、『ジョジョリオン』最終話を読んで号泣している未来の自分が予測できた。これらは全て”日本一のジョジョヲタ”であり、”日本一のアナセマヲタ”を自称している僕だから辿りつけた唯一無二の解釈、および考察なのかもしれない。当然、東方定助広瀬康穂の運命をどのように導き定めるかは、それは作者の飛呂彦しか知る由もないこと・・・。しかし飛呂彦よ、俺は『ジョジョリオン』最終話をこの耳で...しかと目撃したぞッ!

(このレビューは、国内盤の解説を担当した鮎沢氏と歌詞・対訳の石川氏に捧げる)
 
ディスタント・サテライツ【初回限定盤CD+BLU-RAY DISC AUDIO】
アナセマ
ワードレコーズ (2014-06-04)
売り上げランキング: 1,626
記事検索