Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

レビュー (A)

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Alcest 『Kodama』

Artist Alcest
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Album 『Kodama』
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Traclist

01. Kodama
02. Eclosion
03. Je Suis D'ailleurs
04. Untouched
05. Oiseaux De Proie
06. Onyx

先日、長編アニメーション作品への現役復帰宣言をした宮﨑駿の何が凄いって、国内外のアニメーター/クリエイターへの影響は元より、その「アニメ」という枠組み、垣根を超えて今や多岐の分野にわたって根強く影響を与え続けている所で、最近ではブリット・マーリング主演のNetflixオリジナルドラマ『The OA』の役作りにも『もののけ姫』の影響があったり、そして何そ隠そう、某NPBの加藤◯三氏のご厚意により、「Alcest」の正式名称が「アルセ」あらため「アルセスト」あらため「アルセ」あらため「ンアルセストゥ」に統一された、そのンアルセストゥの首謀者でありフランスの貴公子ンネージュゥも、宮﨑駿の最高傑作である『もののけ姫』をはじめ、80年代や90年代の日本のTVアニメシリーズやビデオゲームなどの日本のサブカルチャーからインスピレーションを受けたと語るほど日本贔屓な人で知られている。それらを含めて宮﨑駿作品の「影響力」というのは、歴代ジブリ作品の売上をブチ抜いた君の名は。新海誠監督にはない言わば「オリジナリティ」であり、そこがパヤオと誠の大きな差であり違いでもあった。

この「アルセ」あらため「アルセスト」あらため「アルセ」あらため「ンアルセストゥ」といえば、今から約10年前にリリースされた1stフルアルバム『Souvenirs d'un autre monde』で衝撃的なデビューを飾り、2010年にはその歴史的名盤と対になる2ndアルバムÉcailles de Luneを発表し、いわゆる【Post-Black/Blackgaze】の先駆者および元祖としてその名を世界中に轟かせる。しかし、その二年後に3rdアルバムの『Les voyages de l'âme』をドロップしたンネージュゥは、ポストブラック・メタルの『可能性』とその『未来』に対して一抹の不安と迷いを感じ始める。転機となったのは、他ならぬ新世代のポストブラック・メタルシーンを担うDEAFHEAVENの台頭で、彼らはピッチフォークをはじめインディ系の音楽メディアから祭り上げられる事となる2ndアルバムのサンベイザーを世に放ち、ンアルセストゥンネージュゥが見失いかけていたポストブラック・メタルの全く新しい形、すなわちポストブラック・メタルの『未来』をシーンに提示し、ンネージュゥが独りでに長年思いを馳せていたピッチフォーク・メディアへの強い『憧憬』『夢』、その想いをンアルセストゥの正統後継者であるデフヘヴンが受け継ぐ展開、それこそまさに世代交代の瞬間じゃあないが、ポストブラック・メタルの元祖および教祖のンネージュゥが叶えられなかった『夢』『ユメ』を次世代のデフヘヴンへと委ねていく、この一連の流れは、いま思い出すだけでも胸が熱くなるような出来事として記憶に残っている。

あの歴史を動かしたサンベイザーに触発されたのか、ンネージュゥの心の奥底(インサイド)に隠された秘密の扉が徐々に外側(アウトサイド)へと開かれていき、もはやポストブラック・メタルの先駆者および元祖としての立場から解放されたンネージュゥは、長年の自らの『夢』を叶えんと、2014年に4thアルバムとなるシェルターを発表する。まず一つめの『夢』は、アイスランドのレジェンドことシガーロスへの強い憧憬で、ビョークやシガロ作品でお馴染みのエンジニアBirgir Jón Birgisson「ヨンシー親衛隊」ことストリングスカルテットのAmiinaを迎えて、アイスランドのSundlaugin Studioで録音、そしてマスタリングには世界的な売れっ子エンジニアテッド・ジェンセンが所属するSterling Soundにて行われ、まるでフランスの片田舎出身の陰キャの陽キャの都会人に対するコンプレックスが暴発したかのような、これ以上ない万全の録音体制で挑まれている。そして2つめの『夢』は、他ならぬシューゲイザー界のレジェンドSlowdiveへの憧憬で、デフヘヴン『サンベイザー』に「ポストブラック界のレジェンド」として迎え入れられたンネージュゥは、今度は自身の作品に「シューゲイザー界のレジェンド」としてSlowdiveニール・ハルステッドを迎えてみせた。だけあって、その音世界もアイスランドの大自然と純白の雪景色を太陽のように眩い光が照らし出すかの如し、それこそ2013年にツアーを共にしたUKのANATHEMAが組織する黄金界隈」の仲間入りを果たすべく、その言うなれば黄金期のジャンプ漫画」ばりに前向きな「勇気」と「希望」に溢れた神々しい世界観を繰り広げ、まさに「日本人向け」と釘打てるほどの音楽だった。 

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このドラゴンボール顔負けの「元気玉」のような「太陽」すなわち「サン」が次作への伏線だったのかなんて知る由もないが、前作のシェルターから約二年ぶりとなる5thアルバム『Kodama』は、日本人イラストレーターの山本タカト氏の作品にインスパイヤされた、日本のエログロ大好きなフランスの二人組グラフィックデザイナーFørtifemが手がけた、『もののけ姫』のヒロインサンをモデルにしたアートワーク、そして「Spirit of the Tree」を意味する「コダマ(木霊)」を冠したそのタイトルが示すとおり、二度(三度目)の来日公演と圓能寺でのスペシャルなアコースティックライブを経験し、科学的技術が発達した日本社会ならびにクレイジーなオタク文化を目にして「日本人は時代の先を行ってるよ」と海外の反応シリーズばりに衝撃を受け、しかし文明が発達した現代社会の中にも日本人の「伝統」や「自然」、そして日本人の「美徳(おもてなしの心)」と「精神性」が共存している、それこそ『もののけ姫』の主題の一つである「神秘主義と合理主義の対立」すなわち「テクノロジーが発達した現代社会」と「そこに住む原始的かつ土着的な人々」と対比(コントラスト)に感銘を受けたと語る、そんなンネージュゥの創作イマジネーションが爆発した、過去最高にスピリチュアルな「ギミック」とコンセプティブな「ワード」が込められた、言い換えればこれはもう「キングオブ・ビッグ・イン・ジャパン」アルバムだ。

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『Kodama』の音楽的な方向性とサウンドプロダクションならびにアイデンティを象徴するキートラックとなる表題曲の”Kodama”は、まず何が驚いたって、兄弟分のLes Discretsを彷彿とさせる慟哭不可避なイントロに次いで、ボーカルの裏でなるバッキングのガリガリしたダーティなギターリフを耳にした時に、UKの女性デュオ2:54”Revolving”が脳裏に過ぎり、そこから更に遡ってThe Cureをはじめとした80年代のポストパンク/ニューウェーブ、そして90年代のオルタナ/グランジからの影響を伺わせるサウンド・アプローチを聞いて僕は→「なるどほ・・・そう来たか!」と、「アイスランドから離れて今度はUKに来ちゃったか!」と呟いた。その90年代のオルタナ然とした渇いたギターと過去最高に強靭なリズムを刻むドラム、そして北風小僧の寒太郎ばりに素朴な『和』を表現した、それこそ『もののけ姫』の豊かな森林に住む精霊コダマの合唱が大森林に反響するかのような神秘的なメロディや、まるで「シシ神様」の如しKathrine Shepardの聖なるコーラスをフィーチャーしながら、それらの80年代~90年代の音楽をルーツとする幅広い音楽的素養と「ええいああ 君からもらい泣き」と俄然民謡的なメロディを奏でるンネージュゥの歌とお馴染みのシューゲイズ要素をダイナミックかつプログレスに交錯させていく、それこそ『もののけ姫』のサントラとして聴けちゃう崇高かつ壮大な世界観と極上のサウンドスケープを展開していく。これまでのどのアルバムとも違う全く新しいンアルセストゥ、それこそシン・ンアルセストゥの幕開けを宣言するかのような一曲であり、この曲のアウトロまで徹底して「オルタナ」の意識を貫き通しているのは、今作のサウンド面のキーワードが「オルタナティブ」であることを暗に示唆しているからだ。

いわゆる「静と動」のコントラストを活かした、要するに往年のンアルセストゥ-スタイルへと回帰した”Kodama”に次ぐ2曲目の”Eclosion”は、「UKの相対性理論」ことEsben and the Witchを彷彿とさせる幻想的なメロディをフィーチャーしながら、徐々にギアチェンしていきブラストで粗暴に疾走するエモーショナルな展開を見せてからの、そしてもう何年も聴くことがなかったンネージュゥ「世界一エモーショナルな金切り声」が聞こえてきて、僕は泣きながら・・・

「ン゛ア゛ル゛セ゛ス゛ト゛ゥ゛ウ゛ウ゛ッ゛ッ゛!!」 

ン゛
イ゛ズッ゛ッ゛ッ゛」 

「ヴァ゛ア゛ア゛ア゛ッ゛ッ゛ッ゛ク゛ク゛ッ
!!」 

・・・と、ンネージュゥに負けじと絶叫した。

そんなンネージュゥ自身も「トラディショナル・ソング」と語る3曲目の”Je Suis D'ailleurs”は、1stアルバム『Souvenirs d'un autre monde』や2ndアルバム『Écailles de Lune』を連想させる刹那的に歪んだリフとンネージュゥのスクリームでシンプルに展開し、特に終盤の目玉となる間奏のラブリーなメロディは、ンネージュゥの「メロディスト」としての才能が垣間見れる。「短めの曲尺的にもポップな雰囲気的にも前作のイメージがまだ残っている曲」とンネージュゥは語る4曲目の”Untouched”、実質的に最後の曲となる5曲目の”Oiseaux de Proie”は、再び90年代のオルタナを彷彿とさせるリフと1stアルバム的なシューゲ・サウンド、より神秘主義的で民族的なアプローチを効かせた曲で、そしてここでもドラムのブラストとンネージュゥのスクリームで「痛み」を撒き散らしながら、俄然ブラック・メタル然とした粗暴な展開を見せる。色んな意味で表題曲の”Kodama”と対になる曲と言える。その流れのまま、物語のエンディングを迎える6曲目の”Onyx”へと繋がる。

作品を重ねる毎に初期のブラック・メタル的な要素が徐々に削がれていき、遂には前作の『シェルター』では正式に「ポストブラックやめる宣言」がアナウンスされた。と思いきや、この『Kodama』で初期のポストブラックメタルへの原点回帰、つまり「ンアルセストゥ is Back」を高らかに宣言する。確かに、いわゆる「二次元」的なアニメっぽい世界観から、いわゆる「静と動」のコントラストを効かせたメリハリのある往年のスタイル、Blackgaze然としたノイジーでダークなギターリフとンネージュゥの金切り声、長尺主体の全6曲(実質5曲)トータル約40分弱など、そういったギミック面の部分では、イメージ的に一番近いのは2ndアルバムの『Écailles de Lune』と言えるかもしれない。確かに、その表面的なガワだけを見れば往年のAlcestに回帰したような印象を受けるが、しかし中身の部分その細部では著しい「変化」が巻き起こっていた。

彼らは、より「スペシャル」で「エクスペリメンタル」なアルバムを生み出すために、これまでのAlcestにはない実験的なアプローチをもって今作に挑んでいる。まずギタボのンネージュゥは、これまでの作品ではギター主導で作曲していたが、今回はこれまでとは全く違うやり方で、ボーカルのリズミカルな面を押し出した歌主導で曲作りすることを決めた。それに対して、ドラマーのWinterhalterは、一種の民族的なあるいはポストパンク的なドラムパターンを多く取り入れたと語る。その言葉どおり、これまでの作品と比べて最も大きな「変化」を感じるのは、他ならぬWinterhalterのドラムパートと言っても過言じゃあなくて、とにかくドラムの音がオーガニックな響き方で、シューゲイザーやら何やらの音楽ジャンルの固定概念に囚われない、一人のドラマーとしてそのポテンシャルを遺憾なく発揮し、一つの「ロックバンド」としてのグルーヴ感が『Kodama』のサウンド、その生命の樹を司る根幹部として絶対的な存在感を示している。特に、#2”Eclosion”や#3”Je Suis D'ailleurs”は、完全に彼の跳躍感溢れるグルーヴィなドラミングありきの曲と言っていいくらい。正直、こんなにロックなドラムドラムした彼は今まで見たことがなかったから単に新鮮だし、Alcestって「ンネージュゥのバンド」だけじゃなくて「Winterhalterのバンド」でもあるんだなって、今更そんな当たり前のことを気付かされた。

ギターについては、より多くのリフを演奏する「Alcestらしさ」と「静と動」のコントラストを意識的に取り入れ、そして更なるギターの可能性を模索した。今作でンネージュゥが使用したギターは、『Kodama』のインフルエンサーとして名が挙げられたマイブラをはじめ、Dinosaur Jr.Sonic Youthなどの90年代のオルタナ系バンドのギタリストが愛用しているフェンダー・ジャズマスターのシングル・コイルで、そのクリーンなギターサウンドとノイジーな極上の歪み得る代わりに時々トリッキーな過剰反応を見せる、そんな可愛らしいジャズマスの特性を最大限に活かすことで、ギタープレイの幅を無限に広げることに成功し、今作では「シューゲイザー・ギタリスト」としてのンネージュゥは元より、「オルタナティブ・ギタリスト」としてのンネージュゥの才能が開花している。その80年代のポストパンク/ニューウェーブ愛や90年代のオルタナ愛に溢れた、ンネージュゥのギタリストとしてのパフォーマンス力は、この『Kodama』のサウンドを著しく高める大きな要因として存在している。彼は、今作におけるギターのプロダクション/音作りまで徹底した「オルタナ」の再現を果たすと同時に、持ち前の「メロディスト」としての側面や作品の世界観およびコンセプトの面まで、そしてプレイヤーとしてのパフォーマンス面にも細部にまで「こだわり」が行き渡った職人気質に脱帽する。

ンネージュゥ
のボーカルについては、往年の金切り声から森のせせらぎのような環境ボイス、そして山霧のように曇りがかったATMS系ボイスまで、前作のように自分を制御することなく、一人の「ボーカリスト」としての可能性を見極めている。ンネージュゥは、ボーカリストとしてもギタリストとしても自らのリミッターを解除して、自らが持つポテンシャルを超える勢いで覚醒している。正直、リズム&グルーヴ重視のAlcestがここまでカッコよくハマるなんて素直に驚いたし、それくらい今作は二人のプレイヤーに視点をフォーカスした、過去最高にAlcestの生々しいオーガニックな「バンド・サウンド」が著しく表面化したアルバムと言える。

この『Kodama』は、映画『もののけ姫』のヒロインサンという『人間』として生まれながらも、犬神である『モロの君』に娘として育てられ、そして自然豊かな森林が我が家である、そんなある種の「自然界と人間界の間の子」的なサンのルーツを探る音旅でもあるかのような、それすなわちAlcestというバンド自らの音楽的ルーツを巡る音旅でもあったのだ。サンのように自然や大地、野生動物と共存し、ありのままの姿で、つまり文明の利器=テクノロジーが発達した現代社会にはない原始的かつ土着的な、より人間的な尊厳と郷土愛、自然愛、オルタナ愛、伝統愛、日本愛、様々な『愛』すなわち『LOVE』に溢れた作品で、その『もののけ姫』の最大のテーマである「人間と自然」の関わりと「神秘主義と合理主義の対立」 、そして今現在なお絶えることのない、ウイルスのように増殖し続ける「人と人の争い」、から起こる「人間の憎悪の増幅作用」による「憎しみの連鎖」と「報復の連鎖」、つまり今作の「静と動」の対比(コントラスト)は、Alcestらしさへの回帰を意味するだけのものではなく、『もののけ姫』のテーマである自然界の安らぎと人間界の醜い争いの対比など、その他様々な対立構造を表現しているようにしか思えなかった。このアルバムには、そんなヒトと動物と自然が争うことのない優しい世界への強い憧憬が込められている。

昨年公開された新海誠監督の『君の名は。』「今だからこそ売れた作品」だが、だからといって必ずしも「今観なきゃいけない映画」というわけではなかった。しかし、今から約20年前に公開された宮﨑駿『もののけ姫』「今だからこそ観なきゃいけない映画」だって、そう気付かされたような作品だった。最近は、外国人から日本の良さを聞くみたいな、その手のTV番組が増えているとよく耳にするが、この『Kodama』は、まさしく『YOUは何しに日本へ?』の取材クルーから真っ先にインタビューされるレベルの、それこそ「外国から見た日本」を知ることが出来る、それこそ教育勅語に記すべき、国歌よりも子供の頃から聴かせるべき、超絶怒涛の日本愛に溢れた極上のビッグ・イン・ジャパン作品だ。 

話を戻すと、その国独自の文化やサブカルチャーというのは一方的にゴリ押したり、ましてや自分からドヤ顔で「クールジャパン!」などと言っていいものでは決してなくて、それこそンネージュゥのように子供の頃から日本のTVアニメを見て、生活の一部として根付いている環境や大人になって実際に来日して感じた実体験から、その国の人や文化に実際に触れてみて、その邂逅と結果が今回の『Kodama』に純粋な形となって音として具現化することが真の「影響力」と言えるのではないか。僕自身このアルバムを通して、昨今国が推し進めている「クールジャパン」のゴリ押しに対する懐疑心が確信へと変わり、そしてその日本人自身の日本文化に対する勘違いに気付かされた一人だ。
 
KODAMA
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ALCEST
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Animals as Leaders 『The Madness of Many』

Artist Animals as Leaders
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Album 『The Madness of Many』
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Tracklist

02. Ectogenesis
03. Cognitive Contortions
04. Inner Assassins
05. Private Visions Of The World
06. Backpfeifengesicht
07. Transcentience
08. The Glass Bridge
10. Aepirophobia

昨今の洗脳ブームの火付け役といえば、M A S A Y Aに洗脳されたX JAPANToshiこと出山ホームオブハート利三だが、最近では朝ドラ女優の能年玲奈が生ゴミおばさんこと女版M A S A Y Aに洗脳されて「のホームオブハートん」に改名した事が記憶に新しい。その能年玲奈「のホームオブハートん」に改名したことで、能年玲奈と今や世界的なギタリストとなったトシン・アバシのジェントユニット「あにまるず・あず・りーだーずっ!」はコンビ解消を余儀なくされ、その傷心した想いをアルバムに込めたと語る、トシン・アバシ率いるAnimals as Leadersの通算4作目となる『The Madness of Many』は、「生身の人間は裏切る!二次元なら・・・いや、AI(アンドロイド)なら僕を裏切らない!」という、数理物理学を極めすぎて頭がおかしくなった天才物理学者の歪んだ愛情と苦悩が、まるで古代エジプトの迷宮の如し複雑怪奇に描かれている。

その天才物理学者の「数字恐怖症」が臨界点に達する時、出口のない迷宮の入り口が開かれる#1Arithmophobia、今度は8bit系レトロゲームみたいな電脳世界へと誘うミニマルなエレクトロニカがヒトの脳幹部に侵入し、そこから身体の神経回路へと、そしてヒトの遺伝子情報を書き換えていく、それこそ「遺伝子組み換え音楽」としか例えようがない#2”Ectogenesis”、更に深いところでスピリチュアルな電脳世界を構築していく#3”Cognitive Contortions”、前作The Joy of Motion”Ka$cade”をPost-Djent化したような#4”Inner Assassins”、気分を一転して西海岸系の爽やかでオシャンティなギター・メロディの中にMeshuggahGojiraばりの鬼グルーヴ/モダン・ヘヴィネスを織り込んだ#5”Private Visions of the World”、基本的なジェント・リフとモダン・ヘヴィネス、エレクトロニカとアトモスフェリックなATMSフィールドを駆使して目まぐるしくスリリングに展開する#6”Backpfeifengesicht”、前半プログレ・メタルっぽくて後半ジャズっぽくオシャンティに展開する#7”Transcentience”トシン・アバシの流麗なソロワークが際立つ#8”The Glass Bridge”、アコギの流麗なメロディをフィーチャーした#9The Brain Dance、この出口のない迷宮の中で深層心理を操られ記憶も遺伝子も書き換えられた天才物理学者は、「この世界はループループしているのか?」という宇宙の真理にたどり着き、絶望した彼は「無限恐怖症」へと陥り、そしてゴールド・エクスペリエンス・レクイエムのスタンド攻撃を喰らって「終わりがないのが終わり」と悟り精神崩壊してしまう最後の”Aepirophobia”まで、まるでヒト=ニンゲンがAIチップならぬ音チップを脳に埋め込まれ、ヒトからアンドロイドへと変わっていく様を精密機器の如く繊細緻密に描き出していく、それこそ人工知能の脅威をリアルに描いたアリシア・ヴィキャンデルちゃん主演の傑作SF映画『エクス・マキナ』を彷彿とさせる、人工知能の発達によりニンゲン社会が徐々に侵食され、徐々に歪んでいく一種の恐怖映像を見せられているかのよう。

AALって、奇数ナンバリングの比較的わかりやすい(わかるとは言ってない)プログ・メタル/ジェント主体のパワー系路線と2ndアルバムWeightlessみたいな難解至極なインテリキチガイ系路線に分類できるのだけど、偶数ナンバリングとなる本作は、2ndアルバムのPost-Djentならぬソフト-ジェント路線を素直にアップデイトさせた作風で、エレクトロ志向が更に強まった事で俄然ゲーム音楽っぽくなってる。コンセプティブなギミック面とジェント/モダン・ヘヴィネス成分のバランスとまとまりが良くて、ハッキリ言って2ndよりも格段に完成度が高いです。とにかく、某都市伝説芸人が「信じるか信じないかはあなた次第です」とか言いながら聴いてそうな音楽ですw
 
THE MADNESS OF MANY
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AURORA 『All My Demons Greeting Me As A Friend』

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Tracklist
01. Runaway
04. Lucky
05. Winter Bird
07. Through The Eyes Of A Child
08. Warrior
10. Home
11. Under The Water
12. Black Water Lilies

北欧
のシンガー・ソングライター事情といえば、スウェーデンはiamamiwhoami、ノルウェーはSusanne Sundførがシーンのトップに君臨している状況で、その北欧SSWの遺伝子を受け継ぐ、北欧SSWの『未来』を託されたのが、ノルウェーはベルゲン出身で若干ハタチのAurora Aksnes、あらためAURORAだ。そんな彼女の1stフルアルバム『All My Demons Greeting Me As A Friend』は、既に本国ノルウェーでチャート一位を獲得しており、ティーンを中心に急激な速度でその人気を世界に拡大している。



その音楽性は、同郷の大先輩であるSusanne Sundførの傑作『The Brothel』『The Silicone Veil』を全力でリスペクトしたような、つまりチェンバー・ポップ的な音使いやシンセ・ポップ的な綺羅びやかなサウンドを駆使したアート・ポップで、さすがにスザンヌみたいな唯一無二で崇高な世界観やザ・オルタナティブなセンスには及ばないが、時としてオーロラのような輝きと神秘的な存在感を放つ、その若さ溢れるエネルギッシュなポップ・センスと北欧のレジェンドABBAをはじめとした北欧のムード歌謡や北欧民謡/フォーク・ミュージックを経由した優美なメロディセンスは、彼女がSusanne Sundførの妹分であり正統な後継者である事実を物語っている。とにかく、北欧出身ならではの奇抜な才能とChvrchesみたいなイマドキのエレクトロ・ポップを紡ぎ合わせる積極性と柔軟性、そして無類の”若さ”を兼ね備えた、まさに『新世代』のディーヴァと呼ぶに相応しい、これぞハイブリットなスーパー北欧ガールの誕生だ。


USのWarpaintを彷彿とさせる仄暗いアンビエント・ポップ風の始まりから、シンセを使った神秘的なサビへと繋がるオープニング曲の#1”Runaway”、一転してチャーチズ顔負けのアップテンポなイマドキのエレクトロ・ポップを展開する、まるで気分は「北欧のローレン・メイベリー」な#2”Conqueror”、もはやSusanne Sundførも羨むレベルの北欧然としたメロディセンスが爆発する#3”Running With The Wolves”、ここまでの冒頭の三曲を耳にするだけで、つい最近まで10代の少女だったなんて到底思えない、驚くほど成熟した音楽的才能とその全てを魅了するかのような堂々たる歌声にド肝を抜かれる。北欧の白夜を繊細に描き出すような#4”Lucky”Susanne SundførM83が組んで映画『オブリビオン』に書き下ろされた曲に匹敵するスケール感と宇宙空間的なアレンジが際立った#5”Winter Bird”、そのアトモスフェリックな流れを引き継いで、再びSusanne Sundførを凌駕する極上のメロディが炸裂する#6”I Went Too Far”は、あらためて彼女がタダモノじゃあないことを、ただの「若干ハタチ」ってレベルじゃねぇぞって事を証明するかのような曲だ。



北欧の純白の雪景色が一面に広がるようなATMS空間とピアノ、そしてJulianna Barwick顔負けのコーラスが壮観に演出する#7”Through The Eyes Of A Child”、戦いに赴く北欧ヴァイキングを鼓舞するかのような民族音楽風のけたたましいトラックとAURORAの力強い歌声が広大な大地に響き渡る#8”Warrior”、そして今作のハイライトとを飾る#9”Murder Song (5, 4, 3, 2, 1)”は、その「若さ」ゆえの危うさと心の不安定さが不規則で不可解な化学反応を起こす曲で、このMVをはじめ各MVで垣間見せるAURORAの迫真の演技はもはや「北欧のクロエ・モレッツ」だ。で、このまま終わるのかと思いきや、カナダのElsianeを彷彿とさせるエスニックな調味料を加えた”Under The Water”の存在感ったらない。
 

とりま「最近のSSWでキテるの誰?」っていう質問の答え、その解答の一つがAURORAであり、この『All My Demons Greeting Me As A Friend』は、北欧SSWの『未来』をオーロラのように明るく虹色に照らし出すような、聡明かつ純粋、そして『幸福』なメロディに満ち溢れている。とにかく、根拠に裏付けられた自信と天才的な才能が凝縮されたデビュー作だ。
 
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Amorphis 『Under the Red Cloud』

Artist Amorphis
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Producer/Engineer/Mixing/Mastering Jens Bogren
Jens Bogren
Engineer(#5) David Castillo
David Castillo

Album 『Under the Red Cloud』
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Tracklist
01. Under The Red Cloud
02. The Four Wise Ones
03. Bad Blood
04. The Skull
07. Dark Path
08. Enemy At The Gates
09. Tree Of Ages
10. White Night
11. Come The Spring
12. The Wind

「No Jens No Life」 ・・・今やあのBABYMETAL凛として時雨すらライブ作品などでイェンス・ボグレンと絡んでるくらい、今のメタル界隈には「No Jens No Life」みたいな風潮あって、これは別に自慢じゃあなんだが、おいら、初めてベビメタの記事を書いた時、偶然にも「イェンス・ボグレン」の名前を一緒に出していて、恐らくあの時点でベビメタとイェンスの邂逅を予知していたのは世界でも自分だけだと思う。しかし、ベビメタを【アイドル界のDIR EN GREY】と解釈している者ならば、あの程度の予測は容易に可能で、勿論プロデューサーのコバメタルが当ブログを読んでいるなんて自意識過剰なことを言うわけじゃあないが、兎も角それぐらいイェンス・ボグレンは今のメタル界にとって欠かすことのできない最重要人物なんだ。

実質プロデューサー ・・・北欧フィンランドの重鎮で知られるAmorphisの近況といえば、00年代を締めくくる傑作となった9thアルバムSkyforger以降イマイチパッとしない作品が続き、前作のCircleに至ってはどんな作風どんな内容だったかすらも記憶になくて、辛うじて「デスメタル回帰」したんじゃね~?的なイメージが残ってるくらい。で、近年のアモルフィスは中期の作品と比べると深刻なライティング不足、つまりベテランメタルバンドにありがちなスランプに陥っていた。そんなアモルフィスが約二年ぶりとなる12thアルバム『Under the Red Cloud』を制作するにあたって、プロデューサーすなわち【復活請負人】として任命したのが、他でもないイェンス・ボグレンだ。ここ最近はイェンス関連の記事ばかりで、まるであたかも「全ての作品をイェンス・ボグレンがプロデュースしている」みたいな勢いで書いてしまっているのも事実で、読者に誤解を与えかねないので一応訂正したいんだが、イェンスが"プロデューサー"として関わっている作品はほんの一部で、彼がメインとする仕事は主にミキシングをはじめとしたエンジニアワークである。しかし、例えばDark TranquillityConstructBTBAMComa Eclipticのように、"プロデューサー"ではなくあくまでもミキシング/マスタリング・エンジニアとしてクレジットされているのにも関わらず、確信的にバンド側がイェンスの嗜好に合わせて曲を書き上げてくるパターン、このような現象を僕は"実質プロデューサー"と表現している。
 

『怒りのデスロード』 ・・・しかし、この『Under the Red Cloud』では"実質プロデューサー"ではなく、MoonspellExtinctと同様に"プロデューサー"名義でイェンス・ボグレンが深く作品に関わっている、という事を念頭に置いて話を進めたい。先行シングルの”Death of a King”は、まるでアフガンのように情熱的に燃えたぎる赤鯉魂が描かれた、Orphaned Landの作品でもお馴染みのMetastazisValnoirによるオリエンタルラグ(アラビア絨毯)をモチーフにした今作のアートワークを象徴するかのような一曲だ。そのアラビックな中東的メロディをフューチャーしたイントロのリフから、EluveitieChrigel Glanzmannによるフィンランドの民族叙情詩カレワラを司るようなフルート&ティン・ホイッスルとex-Opethマーティン・ロペスによるドーフ・ウォリアー顔負けのリズミカルなパーカッションが、ギタリストホロパイネンによるグルーヴを乗せたモダンなヘヴィネスとともに"音"で士気高揚させる姿は、まるで魔改造されたドーフ・ワゴンさながら、そしてチャームポイントのドレッドヘアを捨てたフロントマントミ「Death of a King!! Death of a King!!」と野太く咆哮する姿は、まさしく『マッドマックス 怒りのデスロード』イモータン・ジョーそのもの、すなわち本作の『王=キング』だ。要するに→日本のゲーム界屈指のクリエイター小島秀夫監督が『MGSV』の中で表現したように、この曲...いや今作は映画『マッドマックス 怒りのデスロード』の世界観を音楽で表現したかのような、まるで五人のワイブスを奪われ、その中でも"オキニ"のスプレンディドとお腹の中の子供(息子)を亡くしたイモータン・ジョー『復讐心』『報復心』という名の『怒り』をアフガニスタンの広大な大地に轟かせるような名曲なのだ。
 
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【勝利の方程式】 ・・・この『Death of a King』すなわち『死の王』がいかに凄い曲なのか?それについて、まずは本作が「打倒Opeth」を謳った作品である事を理解しなければならない。今作は、いわゆる「イェンスと組んだ一作目は名作になる」というメタル界の迷信を裏付けるような、Opethの8thアルバム『Ghost Reveries』からの影響が強く垣間見れる一枚でもあって、中でもそれを顕著に象徴するのが#4”The Skull”と#8”Enemy at the Gates”、そしてボートラの#12”The Wind”だ。#4はメロトロンをフューチャーした叙情性からリフ回し、そしてプログレ然とした転調から何から何まで『Ghost Reveries』リスペクトで、#8はホモバンド化した後期Opethの"Prog-Rock"な俄然エスニックな芳ばしい香りを漂わせる。まるで「打倒Opeth」を実現させるには、あの名盤『Ghost Reveries』を超えるには、対抗して「イェンスと組んだ一作目は名作になる」というメタル界の迷信に賭けるしかない・・・そのアモルフィスの「勝ちたいんや!」精神、その答えこそ『Death of a King』の中に凝縮されていて、それこそex-Opethマーティン・ロペスを、全盛期のOpethを支えた裏の立役者であるマーティン・ロペスという「打倒Opeth」の最終メンヘラ兵器を援軍に迎え、そしてマーティンのパーカッションを手がけた張本人こそ、他でもないイェンスの相棒であり【勝利の方程式】を紐解く鍵となるデイビッド・カスティロなのだ。

マッドマックス 怒りのデス・ロード

「外に開かれている」 ・・・話は変わるが→おいら、数年前に「DIR EN GREYデイビッド・カスティロと一緒に仕事するべきだ」と書いたんだが、まるでそれを合図にしたように、ここ最近ではSoilworkMoonspellをはじめ、今やエクストリーム・メタル界の帝王に成り上がったLeprousまでも、立て続けにデイビッドと組むメタル界の重鎮が増えてきている。しかし、肝心のDIR EN GREYと言えば、KATATONIA『死の王』からの影響も垣間見れた最新作の『ARCHE』以降何も音沙汰なしで、今やEarthsideとかいう無名バンドですら【勝利の方程式】を解き明かしているというのに、流石の薫も審美眼に衰えが生じ始めているんじゃあないかと少し心配になった。確かに、僕は『ARCHE』二万文字レビューの時に→「今のDIR EN GREYは外に開かれている」と某赤いバンドのギタリスト津野米咲の言葉を一部引用したんだが、その予想どおりシンヤの有吉反省会出演やパーソナリティ薫のラジオ番組が始まったりして、メロディア露出という意味では確かに今のDIR EN GREYは「外に開かれている」。その流れで今度は音楽面にも開かれた『説得力』が欲しいところだ。少なくとも、このアモルフィスは前作で長年連れ添ったフィンランドの大物エンジニアミッコ・カルミラとの決別を宣言している。そう、比較的地元愛の強い保守的な国のバンドですら音楽的に開国されつつあるのだ。つまり前作でワンクッションを置いてから、今作で満を持してメタル界の最大勢力であるイェンス組に入門してきた、というわけ。

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黄金のヘヴィネス ・・・まぁ、それはともかくとして→今作を象徴する『Death of a King』はアモルフィスのポテンシャルの全てが引き出された、それと同時に、欧州最後の砦だったMoonspellが名曲”Medusalem”の中で80年代のUKミュージックと中東音楽の邂逅を実現させたように、この曲は民族叙情詩カワレラと中東音楽を邂逅させた歴史的瞬間でもあるのだ。それこそ欧州は元より北欧全土に蔓延る中東問題を痛烈に皮肉るかのような、まるで今の時代、この先のメタル界で生き残っていくには中東要素との共存が不可欠であること物語るようだ。それと並んで本作を象徴する一曲で、幕開けを飾る表題曲の”Under The Red Cloud”では、名盤『Skyforger』の再来を予感させるイントロのピアノや同作のシングル”Silver Bride”の傑作リフから更に低音を盛って洗練を施したようなモダンなヘヴィネスを聴かせる。他にも『Eclipse』『Silent Waters』、そして『Skyforger』という中期アモルフィスの黄金を連想させる、まるでワイブスを奪われたイモータン・ジョーの如く、自慢のドレッドヘアを奪われたVoトミのボーカリストとしてのポテンシャルを極限まで引き出されたボーカル・パフォーマンスを筆頭に、同郷のSwallow The Sun界隈でもお馴染みのAleah Stanbridge【王=キング】の妾、すなわちワイブスとして迎え入れた所も俄然『マッドマックス 怒りのデスロード』の裏コンセプトであるフェミニズムの世界観とリンクさせられるし、特に今作の基礎的な部分を担うアモルフィス屈指の名リフである”Silver Bride”黄金比』で形成されたキザミリフを再解釈したような黄金のヘヴィネスには、並々ならぬセンスの塊を感じる。

【真・勝利の方程式】 ・・・またしてもイェンス・ボグレンという男は、界隈のベテランをNEXT-ステージへとブチ上げる事に成功し、ここ最近の二作で感じた「ライティング不足」が嘘のように、ソングライティングの幅が広がったのは言わずもがな、とにかく全てにおいて著しく音の洗練化が進んでいる。メロデスやらサブジャンルとして以前に、そのバンドの根幹にある「メタル」としてのポテンシャルを限界まで引き出し、それと同時にバンドが持つ"Progressive"な側面を具現化するイェンスのプロデュース能力が顕著に表れた、そしてポッと出の新人バンドに対してベテランならではの凄みを見せつけるような、まさしく【真・勝利の方程式】を解き明かすような大傑作だ。
 

ANATHEMA 『Fine Days 1999 - 2004』

Artist ANATHEMA
ANATHEMA

Album 『Fine Days 1999 - 2004』
Fine Days 1999 - 2004

Music for Nations ・・・今年驚いたニュースの一つに、90年代のメタルシーンを支えた偉大なインディ・レーベルとしてその名を馳せたMusic for Nationsの復活で、過去にはOpethParadise Lost、そしてANATHEMAをはじめ著名なメタルバンドが数多く在籍していた事で知られるMFNだが、そのMFNが2004年に消滅してしまい路頭に迷ったANATHEMAKscopeと契約し、すると間もなく人気に火がついたこのタイミングで→ここぞとばかりに「ANATHEMAのオルタナ期(全盛期)を支えたのは他でもないワイらや!」という"したたか"な主張とともに、ANATHEMAMFNに在籍していた1999年から2004年までの間に発表されたアルバムおよびライブ作品、要するにANATHEMAが最も"オルタナティブ"していた中期の名作、つまり『Judgement』『A Fine Day to Exit』『A Natural Disaster』の三作品の音源にリマスターを施し、そこにライブ作品『Were You There?』をプラスして再発したのが、今作の『Fine Days 1999 - 2004』というわけ。正直、1999年発の『Judgement』はまだしも、2001年発の『A Fine Day to Exit』『A Natural Disaster』あたりはリマスターするほど悪いプロダクションじゃあないのだが、とは言いながらも今回のリマスター&再発はファンとして素直に嬉しい限りだし、そして何よりもMFNの復活を素直に祝福したい。

アナセマ×ジョジョ

『Judgement』 ・・・初期の絶望と破滅を描いたデス/ドゥーム・メタルから現在のラブ&ピースなオルタナティブ路線に至るまで、音楽性の振り幅が世界で最も大きいバンドとして有名なアナセマだが、そもそもアナセマの"オルタナ化"というのは、いわゆる"UKゴシックメタル御三家"として名を馳せていた3rdアルバム『Eternity』、そして4thアルバム『Alternative 4』の頃から既に"オルタナバンド"としての素質やその片鱗を音から垣間見せていて、その"オルタナ化"がより顕著に表面化する事になったのが、1999年にリリースされた名盤と名高い5thアルバム『Judgement』だ。このアルバムは、まだ90年代特有の垢抜けないアングラな雰囲気やギター・サウンドもメタル然とした歪んだ音作りではあるが、しかしバンドは新たにキーボードによるPink Floydばりのアトモスフェリックな浮遊感を身に付け、それこそ現在のPost-Progressiveなサウンドの先駆け的な変化を呼んでいる。幕開けを飾る"Deep"のアルペジオは、近年のアナセマを代表する傑作Weather Systemsの名曲”Untouchable, Part 1”を彷彿とさせるし、それこそWeather Systemsはこの『Judgement』の世界を一巡させたアルバム、という俺の解釈がシックリくる。今回リマスターされた三作の中で最もリマスターの恩恵を受けているアルバムでもあって、今作が一番のウリとする荘厳な世界観と『デビルマン』のラストシーンばりに慈悲深きコンセプトが、輪郭のクッキリハッキリした音と相まってより鮮明に、かつ深裂に浮かび上がってくる。

『A Fine Day to Exit』 ・・・21世紀に差しかかると、2001年にアナセマは6thアルバムとなる『A Fine Day to Exit』をリリースする。かのトラヴィス・スミスが手がけたアートワークをはじめ、そのサウンド的にも一気に垢抜け始めるとともに、少し湿り気のあるUKロック的なアンニュイな色気とグランジにも通じるダウナーな気だるさが融合した、ほのかにアート・ロック的な側面を持つオルタナへと大きく変化し、完全にメタルからの脱皮に成功する。もはや90年代の不毛のメタルシーンを生き抜いたアナセマの面影はなく、そこには"オルタナティブ・バンド"としてのアナセマが存在しているだけだった。このアルバム、今回のリマスター版とオリジナル版では少し異なる所があって、まずリマスター版の一曲目には”A Fine Day”というインストが新曲として追加されていて、それによりオリジナル版の一曲目を飾る”Pressure”がリマスター版では6曲目に、オリジナル三曲目の”Looking Outside Inside”がリマスターでは8曲目になってたり、”Barriers”にいたっては(Breaking Over The)の部分が取り払われて”Breaking Down The Barriers”に改名されたりと、もの凄い曲順に違和感あるけど逆に言えば新鮮な気持ちで聴ける利点もある。このアルバムは、とにかくイギリスの空模様のように不機嫌な空気感と憂鬱な雰囲気がたまらなく魅力的で、音使い的には中期アナセマの中では最も今のアナセマに近い、存外ソフト&ウェットなアトモスフェリック・ロックを展開している。しかし、このアルバムも結構特殊なアルバムで、ラストの大作がほぼSEメインだったり、色々と個性的なアルバムではあるが、持ち前のコンセプティブな世界観は不変である。イメージ的には、このアルバムの世界を一巡させたのがWe're Here Because We're Hereみたいな、ちょっと強引な解釈もできなくもない。

『A Natural Disaster』 ・・・前作で完全に脱メタル化したアナセマは、その二年後、更に"オルタナティブ・バンド"としての真価を発揮し始める。2003年にリリースされた7thアルバム『A Natural Disaster』は、Post-系のヘヴィネスや俄然幽玄さを増した音響的な意識を高めると同時に、UKオルタナ界の長であるRadiohead顔負けのエレクトロな要素を積極的かつ大胆に取り入れた、これまでで最も実験的かつ賛否両論を呼んだ作品と知られていて、それこそ『Judgement』から本格化したオルタナ路線の一つの終着点であり、名実ともにオルタナバンドとしての音を極め尽くした、中期アナセマの集大成と位置づけられる一枚だ。今聴いても、やはり最新作の10thアルバムDistant Satellitesには、この『A Natural Disaster』からのエレクトロな要素やミニマリズムを意識した作曲面における実験的な部分からも、ソレと限りなく近いフィーリングが感じ取れる。それこそ映画『インターステラー』の深宇宙(ワームホール)の中を彷徨うかの如し、『A Natural Disaster』の狂気的なコンセプトと五次元的な世界観を一巡すなわち『メイド・イン・ヘブン』にブチ上げたのが『Distant Satellites』、という俺の解釈に説得力が生まれるんじゃねー的な。また表題曲に(まだ正式加入する前の)リー・ダグラスをメイン・ボーカルに携える所も、リー姐さんが未来のアナセマのキーパーソンとなる重要な存在である事を示唆している。あと約10分を超えるラストナンバーの”Violence”は、現代ポストブラックの先駆けと言っても過言じゃあない。全てにおいて、声を大にして傑作と呼べる一枚だ。

黄金の道』 ・・・惜しまれながら2004年にMFNが消滅し、数年間の空白期間を経て、2008年にスティーヴン・ウィルソン主宰のKscopeと契約したアナセマは、今回の三作を含む過去作の名曲をアコースティック・リメイクした『Hindsight』をリリースする。そして、2010年にはSWのプロデュースにより晴れて"Post-Progressive"界の仲間入りを果たす8thアルバムWe're Here Because We're Hereをドロップし、2012年には近年アナセマの最高傑作と名高い9thアルバム『Weather Systems』を、その二年後には最新作の10thアルバム『Distant Satellites』を、まるで水を得た魚の如くコンスタントに作品を発表し、今現在の黄金期』に至る。正直なところ近年のアナセマは、細部の所では微妙な違いはあるものの、広義で見れば"Post-Progressive"という一つのジャンルに定義することは容易に可能で、しかし今回リマスターされた三枚のアルバムというのは、それぞれ音使いも音色も世界観もコンセプトもライティングも何一つとして同じ要素がなくて、それだけで如何に中期のアナセマが豊富なアイデアと創作者としてのポテンシャル/インスピレーションを多感に切り拓いていった時期であったか、それすなわちアナセマの"全盛期"だったのかが分かるし、と同時に如何に彼らが"真のオルタナティブ・バンド"であったのか、その証明でもある。時の流れ(流行り)を巧みに咀嚼すると共に、その時代その時代の音に合わせてその姿を変え、常に"オルタナティブ"な存在であり続けたアナセマは、こうしている今も自らの黄金の道』を突き進んでいる事だろう。そう遠くない未来、アナセマはワームホールを抜けた先にある五次元世界、すなわち人類未達の地に辿り着き、そして遂にアナセマは黄金界隈の神(未来人)となるッ!

ファッ◯ンソニー ・・・しかしながら、いま聴いても新たな発見があるし、むしろ今だからこそ再評価されるべき名作だと思う。アナセマが如何様にして、これらのクリエイティブ!!deエキサイティング!!な経験を経て今のスタイルに至ったのか、その数奇な音楽遍歴を改めておさらいするという意味でも、バンドのディスコグラフィー的な意味でも大変重要な作品と言える。同時に、この時期のアナセマの面白さ、つまりアナセマが音楽的に最も充実していた時期、それこそ1999年から2004年までの『Fine Days』を追憶する事で、今のアナセマとの違いや面白さというのが浮き彫りになってくる。とにかく、これからアナセマを聴いてみようって人に打って付けの作品だし、むしろ黄金すげぇ!」みたいなノリで今のアナセマを崇拝している人にオススメしたい。ちなみに、ライブDVDの方はPAL方式うんぬんで観れない可能性が高いので注意が必要です。で、個人的に面白いと思ったのは→アナセマのDistant Satellites"Post-JPOP"であるという俺の解釈を、"いま最も評価されるべきバンド"であるねごとの3rdアルバムVISIONが証明してくれた事で、そもそもMusic for NationsソニーBGMとなった2004年にレーベル閉鎖に至るのだが、奇遇にもねごともソニー所属のアーティストだったりと、要するにこの"偶然"めちゃくちゃ面白くね~?しかし当時のアナセマを路頭に迷わせたソニー許すまじ!
 
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