Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

レビュー (A)

ana_thema 『The Optimist』

Artist ana_thema
anathema

Album 『The Optimist』

_SL1000_

Tracklist
01. 32.63N 117.14W
02. Leaving It Behind
03. Endless Ways
04. The Optimist
05. San Francisco
07. Ghosts
08. Can't Let Go
09. Close Your Eyes
10. Wildfires
11. Back To The Start

2015年の夏に奇跡の初来日公演を果たしたアナセマことANATHEMA。バンド結成から27年目を迎えたアナセマは、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦の作品遍歴と同じく、音楽遍歴が「流動的」なことでも有名なバンドで、その音楽性の移り変わりはザックリと大きく3つに分類することができる。

1990年にリヴァプールで結成された当初はPagan Angelという名で活動していたANATHEMAは、その憂鬱で破滅的かつ絶望的な世界と隣接した音楽性から、同じPeaceville一派であるMy Dying BrideParadise Lostと並んでUKゴシックメタルの「御三家」としてその名を馳せると、バンドは00年代に差し掛かると大きな転換期を迎える。それこそアナセマの長い音楽史の中でも「最も幸福だった日々」すなわち『Fine Days』とも呼ばれる黄金期」で、それは1999年作の『Judgement』を皮切りに、2001年作の『A Fine Day to Exit』と2003年作の『A Natural Disaster』では「90年代」のオルタナやグランジからの影響を感じさせる作品を立て続けに発表し、その『Fine Days』の時期に培った彼らの「オルタナティブ」に対する意識は、その後のana_themaの音楽性にも大きな影響を与える事となる。

その『Fine Days』の頃に世話になった所属レーベルのMusic For Nationsが買収されるとバンドはしばらく小休止となるが、バンドは2008年にスティーヴン・ウィルソンが主宰する新興レーベルのKscopeから過去作の名曲をリメイクした『Hindsight』をリリースし、「生まれ変わったアナセマ」を宣言すると、2010年に同じKscopeから奇跡の復活作となる『We're Here Because We're Here』を発表し、SWが掲げる「Post-Progressive」の右腕としてその存在感を誇示し始める。2012年にはプロデューサーにChrister André Cederbergを迎え、最高傑作と名高い『Weather Systems』というまるで「世界を一巡」させるような作品をリリースし、2014年には自身のバンド名であるANATHEMAという「呪い」を解く物語のような『Distant Satellites』をドロップすると、その翌年には奇跡の初来日公演を実現させる。

その初来日公演でアナセマは、それこそ漫画『デビルマン』のラストシーン(神VSサタン)の「その後」を新説書ならぬ新説音として描き出すような、それこそ「神堕ろしのアナセマ」となって、そして最終的には「神殺しのアナセマ」として空前絶後の壮絶的なライブを繰り広げた。その後、Netflix資本で湯浅政明監督の手によって漫画史上最高とも言える衝撃的な展開と壮大なラストシーンを描く『デビルマン』の新作アニメが制作発表されたのは、もはや全てが何かと繋がっているような、もはや何かの因果としか思えなかった。そして、その「神殺しのアナセマ」は今度はana_themaへと姿を変え、約3年ぶりに通算11作目となるオリジナルアルバム、その名も『The Optimist』を世に放つ。

「The Optimist」
意味:楽観主義者

今作のタイトル「The Optimist」の意味が「楽観主義者(オプティミスト)であると知った時、「え、それ俺じゃん」ってなった人も少なくないかもしれない。それはともかく、今作の『The Optimist』は、2001年作の『A Fine Day to Exit』のアートワークにインスパイアされた、言ってしまえば実質続編と解釈できる自身初となるコンセプト・アルバムで、その「旅」をテーマとした『A Fine Day to Exit』の中で、絶望の淵に追いやられたペシミスト(悲観主義者)の主人公が最後に行き着いた先、それがこの『The Optimist』「始まり」となる浜辺で、つまりこの物語は、それまでネガティブで後ろ向きな思考を持つペシミスト(悲観主義者)だった主人公が、一転して前向きでポジティブな思考を持つオプティミスト(楽観主義者)へと心変わりしていく「人生の旅」、その話の続きを描き出している。確かに、アナ_セマって元々コンセプチュアルなバンドではあるけれど(その中でも『A Fine Day to Exit』は特に)、はなっから「コンセプト・アルバム」を明言した作品は今作が初めてだ。

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改めて、今のアナ_セマって理論物理学の最高権威で知られるスティーヴン・ホーキング博士が主宰するStarmus Festivalに招待されて映画音楽界の巨匠ハンス・ジマーや歌姫サラ・ブライトマンと共演しちゃうくらい、今やあのU2と肩を並べるくらい「意識高い系バンド」の一つで、そもそもバンドの中心人物であるダニー・キャヴァナーの「意識の高さ」っつーのは過去のラジオ出演などからも明白であり、当然その「意識の高さ」は音楽面にも強く反映されていて、いつ何時だってアナ_セマはその時代その時代の音楽シーンの流行りを的確に捉え、そして自分たちの音楽に昇華してきた。決して二番煎じに陥らない確固たるオリジナリティをもって。

そんな、20年以上にも及ぶ彼らの音楽人生の中で一番の転機となったのは、アナ_セマ『Fine Days』すなわち黄金期」の真っ只中にいた2001年の『A Fine Day to Exit』だと断言していいだろう。少し前に「ノストラダムスの大予言」が世間を騒がせたかと思えば、今度は「2000年問題」が騒がれ始めた時代に発表されたこのアルバムは、「90年代」のロックを象徴するオルタナ/グランジの影響下にある作風で、それまでは広義の意味で言うとまだ「ゴシックメタル」の枠組みにいたアナ_セマが初めて「脱メタル」をアナウンスした瞬間でもあった。面白いのは、その「脱メタル」した先がオルタナ/グランジというメタルを「メタルの暗黒期」と呼ばれる時代に追いやった、言うなればメタル界の「敵」と呼ばれる音楽に寝返ったことだ。しかし、その一つの枠に囚われない貪欲な姿勢、その「したたかさ」こそアナ_セマの魅力の一つと言える。

 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「こんばんは、稲川VR淳二です。」

 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「実は私ねぇ、こう見えて怖い話の他にも音楽がひと一倍好きな人間で、特に最近はイマドキのプログレにハマっていましてねぇ、そんなイマドキのプログレの中でも特にお気に入りなのがアナセマというイギリスのバンドでしてねぇ、まずその”アナセマ”とかいうギリシャ語で”呪い”を意味するバンド名からしてホラー要素に溢れているわけなんですが、まぁ、それはともかく、実は今回そのアナセマが約3年ぶりに新作を発表したっていうんでね、早速聴いてみたわけなんですよ」

 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「恐る恐る一曲目を再生してみると、何やら浜辺に打ち付けるような波の音と息の荒い男の気配がする。その”Panic”状態に陥った「謎の男」は車に乗り込むと、大きく深い溜め息をついてからエンジンをかけ、そしてカーステレオをオンにして車を走らせる。ラジオからの情報によると、どうやら(サンフランシスコ・)ベイエリアが氾濫するほどの異常気象(Weather Systems)が起こっているらしい。私はそれを聴いた瞬間、うわぁ~嫌だなぁ~怖いなぁ~って。するとねぇ、今度はラジオから音楽が聴こえてくる。そしたら次の瞬間・・・」


ティキドゥンドゥン


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 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「なんだなんだなんだなんだなんだ、ダメだダメだダメだダメだ、だっておかしいじゃない。私の知ってるアナセマはロックバンドなのに、まるでEDM顔負けの打ち込みが聴こてくるんだもん。妙に変だなぁと思って、怖いもの見たさもあって我慢して聴き続けてみた。すると私ねぇ、気づいちゃったんですよ・・・」

「あぁ、これシン_ブンブンサテライツだって」
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「32.63N 117.14W」
32.63N 117.14W

この物語は、”32.63N 117.14W”という「とある場所」を示した曲から始まる。この「北緯32.63度 西経117.14度」をグーグルマップで調べてみると、そこはカリフォルニア州サンディエゴ郊外にあるシルバー・ストランド・ステート・ビーチの位置を示していた。ご存知、この場所はトラヴィス・スミスが手がけた『A Fine Day to Exit』のアートワークが撮影された場所だ。つまり、主人公のペシミストが『A Fine Day to Exit』の最後の曲である”Temporary Peace”の中で辿り着いた浜辺である。主人公のペシミストは、この場所から新しい人生の一歩を踏み出していく。そう、何度でも新しく生まれ変わるように・・・。

アナ_セマが2014年作の『Distant Satellites』について語っていたのは、これまでにない「インプロヴィゼーション」だったり、「エレクトロニック」な要素をはじめとした「実験的」なアプローチで、その「実験的」な要素を最も象徴していたのが表題曲の”Distant Satellites”だった。この曲は、いわゆるEDMにも精通するダンサブルなビートを刻み込む、20年にも及ぶ音楽の「旅」でアナ_セマが辿り着いた「ロックの未来形」であり、それはまさしく日本のBoom Boom Satellitesが示した「全く新しいロックの形」だった。それらの「伏線」を全て飲み込んだのが、実質オープニングナンバーと言える”Leaving It Behind”だ。

まずイントロから「あれ?俺ってEDMの音源なんて持ってたっけ」状態になる。その鳴り止まないダンサブルな電子音を皮切りに、いつにもなくエッジに尖った、それこそ『A Fine Day to Exit』を彷彿させるグラ_ンジ譲りのダーティでザラザラしたギターの音作りを、『We're Here Because We're Here』の立ち位置から再解釈したような、それはまるで赤い公園”ボール”のようなミニマルなリフ回し、それに覆いかぶさるように今度はAlice in Chains顔負けのボーカルが聴こえてきて、遂にはダンスフロアという名の宇宙に放り込まれるような場面もあって、正直ここまでどれだけの情報が詰め込まれているのかと、とにかくその情報量の多さに何をどう理解していいのか戸惑う。

「アナ_セマ」=「シン_ブンブンサテライツ」

まず足元から激しく打ち上げるような重低音が、本気と書いてマジでEDMなイントロからド肝を抜かれる。そして、2分50秒からのクラブのダンスフロアにタイムリープしたような、自然と体が踊りだすようなダンサブルなパートを耳にした瞬間、過去に僕はこの音に出会ったことがあると思った。それこそ、2015年に観たBoom Boom Satellitesと2017年に観たねごとのライブで体感したダンスフロアと全く同じビート感だった。この大胆不敵なエレクトリック・ロック、本当にBoom Boom Satellitesが蘇ったかと錯覚するほどだった。とにかく、これで全てが繋がった。僕は過去にBoom Boom Satellites「アナ_セマの未来である」と説いたことがある。しかし、アナ_セマよりひと足先にBBSの「意志」を受け継いだのが、日本のガールズバンドねごとだった。ねごとBBS中野雅之氏をプロデュースに迎えた『ETERNALBEAT』は、まさに「シン・ブンブンサテライツ」と呼ぶに相応しいアルバムだった。この”Leaving It Behind”は、まさに「アナ_セマの未来」を示すものであり、同時にねごとが示した「シン・ブンブンサテライツ」に対する彼らなりの答えでもある。

この曲の、言うなれば「90年代」のオルタナ/グランジ回帰は全て意図的なものである。カリフォルニアのビーチサイドから始まった人生の再起を図る旅は、まだ旅の序盤も序盤で、主人公のペシミストは未だ『A Fine Day to Exit』の頃の破滅主義者のような憂鬱な気分に後ろ髪を引かれている。フロントマンであるヴィンセント・カヴァナーの無感情で倦怠感溢れるボーカルは、まさにアリチェンニルヴァーナに代表される「90年代」のグランジ全盛を彷彿とさせ、主人公のペシミストが置かれた状況、その感情のままに歌っている。『A Fine Day to Exit』”Underworld”は、それこそグランジを象徴するダークで退廃的なヘヴィネスを忠実に再現していたが、この”Leaving It Behind”では『We're Here Because We're Here』のウェットに富んだクリーンなギターを、意図的にグランジ的な歪みを効かせたような乾いた音作りからも、これはファッション業界や映画界が中心となって世界的にあらゆる業界で囁かれている「90年代リバイバル」を、流行に敏感なアナ_セマなりにそのリバイバルブームに乗っかったと解釈できるし、改めてアナ_セマとかいうバンドがいかに「したたか」なバンドであるのかを再確認させる。

物語の主人公であるペシミストは、とりあえず太平洋沿岸を沿って車を走らせるも、未だに「90年代」の記憶の中に取り残されている。開幕から優しく包み込むようなピアノをバックに、「現代プログレ界のサッチャー」ことリー・ダグラスHold Onというラブリィな歌詞を繰り返すバラードの”Endless Ways”は、未だ鳴り止まない打ち込みと優美なストリングスで静寂的に幕を開け、そしてバンド・サウンドとともにU2顔負けのソリッドなカッティング・ギターで超絶epicッ!!に展開していく。全く新しいロックナンバーの”Leaving It Behind”と「バラードでツーバスドコドコして何が悪いの?」と一種の開き直りすら感じる究極のロック・バラードの”Endless Ways”、この対になるような曲楽曲の流れは、ここ最近の『We're~』から『Distant~』までの「三部作」を素直に踏襲している。しかし、その三部作と決定的に違うのは「90年代」「過去」「現在」「ana_thema」が邂逅した歴史的な「引かれ合い」が存在すること。今作における新しい名義となるana_thema「_」は、まさに「過去(ana)」「未来(thema)」を繋ぐ架け橋(あるいは境界線)となる「現在地(_)」で、SF的な表現に言い換えるとワームホール的な役割とその意味を果たしている。


それらのEDM的な要素をはじめ、Hold OnDreamを含んだバラードを歌う上で必要不可欠なエモい歌詞とU2やOG産のオル_タナバンドにも通じるカッティングを駆使した、まさに超絶epic!!「オルタナティブ・バラード」を聴いて思い出す事と言えば、他でもないBAND-MAID”Daydreaming”だったりするんだけど、これ聴いたらKATATONIAANATHEMA=ANATONIAの「オルタナティブ」にも精通するBAND-MAIDって実は凄いバンドなんじゃねーかって思ったりして、なんだろう、自分がBAND-MAIDに惹かれた理由が分かったというか、なんというか「音楽」即ち「引力」だなって改めて思ったりして、なんか本当に面白かったというか、何よりもPost-Progressiveとかいうジャンルがいかに「女性的」なジャンルなのかを思い知らされたような気がする。ハッ、もしかしてana_thema「_」BAND-MAID「-」をリスペクトしていた・・・?

改めて、アナ_セマスティーヴン・ウィルソン主宰のKscopeに移籍してから発表した『We're Here Because We're Here』『Weather Systems』、そして『Distant Satellites』までの俗にいう「三部作」というのは、まず始めに「地上」から、次に「空」から、そして最後は「宇宙」からという、ある意味で「神」すなわち「人類の創造者」からの視点で描かれていた。しかし、それまでの壮大なシチュエーションから一区切りするように、ここにきて再び「車の中」という現実的な世界に回帰したのが今作の『The Optimist』だ。名義の変更をはじめ、「90年代リバイバル」を目論んだサウンドから「コンセプト・アルバム」という点からも、間違いなく「三部作」とは一線を画した、少なくとも過去最高に挑戦的な作風と断言できる。決してただのリバイバル音楽ではなくて、常にその先にある「未来」を見据えているのがアナ_セマで、そういった面でも彼らは本当の意味で「オルタナティブ」な存在と言える。

再び主人公のペシミストは、「ある目的」を胸にサンフランシスコに向かって4時間ほど走らせるが、先ほどの予報どおり雨脚は更に酷くなるばかりだ。すると、この嵐に近い大雨の中、たった1人でヒッチハイクしている人を見かけた。主人公は「なんて不幸な人なんだ。彼は僕と同じペシミストかもしれない。」と少し同情した様子で、そのヒッチハイカーを車に乗せた。主人公が「your name.(君の名前は。)」と聞くと、そのヒッチハイカーはこう答えた。「I, Optimist(わたしは、オプティミスト)」であると。これが、それぞれの「過去」と「宿命」を背負った二人の「運命の出会い」だった。思えば、それはまるで映画『テルマ&ルイーズ』のような刹那的な逃避行だった。まさに、その二人の「過去」からの「この素晴らしき逃避行」を歌った曲が表題曲の”The Optimist”である。それはまるで、同じ目的同士で引かれ合った二人の行末を優しく見守るような、茨の道だった「過去」と決別して輝かしい「未来」を切り拓こうとする二人の道筋を黄金色に染め上げるような、二人の主人公に待ち受ける過酷な「運命」を映し出すような曲である。

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二人は更に4時間ほど走らせと、遂に旅の目的地である”San Francisco”に辿り着く。すると主人公のペシミストは、何かに取り憑かれるようにして強くハンドルを握ると、その勢いのままサンフランシスコの観光名所で知られるゴールデン・ゲート・ブリッジに向かって更に車を加速させる。まるで金門橋から眺める美しい夜景のように、疾走感溢れる晴れ晴れとしたキーボードの音色と、無数に建ち並ぶ高層ビル群の灯りが色めき立つ大都市を描き映すような、それこそ65daysofstatic直系の綺羅びやなエレクトロが、この凍えるように冷え込んだ闇夜のハイウェイに差し込む「希望」の光となって主人公の二人を暖かく出迎える。ついさっきまで口々に「死にたい」と自殺をほのめかしていた主人公のペシミストは、旅の途中で出会ったもう一人の主人公オプティミストの存在によって、少しずつであるが「前向き」な気持ちが芽生えつつあった。主人公のペシミストは、当初はこのサンフランシスコで自らの人生を終わらせるつもりだった。美しい夜景が楽しめる名所である一方で、自殺の名所でもあるこの金門橋から身を投げ出そうと覚悟を決めていたのだ。しかし、その「人生の終着点」に向かう途中で出会ったオプティミストの存在が、不思議と主人公のペシミストを「もう少しだけ」という考えにさせた。



なんでこんなとてつもない才能がアナ_セマに隠れとんねん笑うって。お前一体ナニモノやねんと。とにかく、まずは前作の『Distant Satellites』はエレクトロやドラムンベースなどの電子音楽の要素を大胆に取り入れるという「変化」があった。それと同時に、アナ_セマというバンドにも大きな「変化」があった事を思い出してほしい。言わずもがな、それこそ新しいドラマーとしてダニエル・カルドーゾを迎えたことだ。僕は前作のレビューにも書いたように、次作では彼の影響が表面化するだろうと予測した。その結果はどうだったのか?それは今作『The Optimist』Boom Boom Satellites顔負けの本格志向のエレクトロニカを耳にすれば納得するだろうし、それこそ彼が手がけたCardhouseによるエモいニカチューンを聴けば否応なしに分かる。しっかし、ドラムできて曲も書けるって天才かよ。最近はめっきり隠居状態のジョン・ダグラスもメインコンポーザーとして曲が書けるドラマーだし、なんかもうドラム叩けてピアノも弾けて曲も書けるとかYOSHIKIかな?とにかく、そういった面でも、ダニエル・カルドーゾの存在はアナ_セマをNEXT-ステージに押し上げた張本人と言っていい。

今作を語る上で欠かせない大きなポイントの一つとしてあるのが、今作のプロデュースを担当したトニー・ドゥーガンの存在だ。ご存知、彼はポストロック界のレジェンドであるモグワイをはじめ、国内ではART-SCHOOLくるりの作品を手がけた事でも知られるスコットランドを代表するエンジニアだ。この『The Optimist』は、プロデューサーのトニー・ドゥーガンモグワイが所有するグラスゴーのCastle Of Doom Studiosで制作され、マスタリングにはそのモグワイをはじめ、ニューオーダーアーケイド・ファイアなどの作品でも知られるFrank Arkwrightを迎えている。

いわゆる「ポストロック」とかいう90年代後半に誕生した音楽ジャンルは、現在のアナ_セマにとって、少なくともKscopeに移籍してからのアナ_セマにとって切っても切れない関係にある。そのアナ_セマがポストロックを意識し始めたのが、Kscopeに移籍して一発目にリリースされた、過去のアルバムをポストロック風に再解釈した2008年作の『Hindsight』で、そのPost-的な解釈とモダンな方向性をオリジナルアルバムに落とし込んだのが復活作の『We're Here Because We're Here』である。一方で、ポストロックは「現代のプログレッシブ・ロック」だと言う人もいるのも事実で、まさにその問に対する答えを示したのが、他ならぬ現代プログレッシブ・ロックの旗手とされるアナ_セマだったのは、やはり何かの因果としか思えなかった。

事実、Kscopeに移籍してからのアナ_セマは、そのポストロックに精通する「繰り返しの美学」に目覚めると、「究極のミニマリズム」とは何かを探るべく、1人のミニマリストとしてミニマリズムの極意を追い求めていた。曲を例に出すと、「三部作」の一部となる『We're Here Because We're Here』では”Thin Air”、二部となる『Weather Systems』では”Untouchable Part”、三部となる『Distant Satellites』では”The Lost Song Part”、これらの(組)曲に共通するのは、執拗に同じ音をミニマルに繰り返し繰り返し、その繰り返す「努力」を積み重ねていくことで曲の「未来」を切り拓いていく、まるで人の人生その一生を見ているような錯覚を憶えるほど、彼らは音楽人生を賭けてその哲学的とも呼べるテーマを自身の楽曲に込めてきた。その「繰り返しの美学」を貪欲に追い求めてきたアナ_セマが、この『The Optimist』でたどり着いたのは、「全く新しいロックの未来形」であり、そして「全く新しいポストロックの形」だった。

ところで、君たちは「細胞が裏返る」という経験をしたことがあるか?僕はある。それは2015年の夏に行われたアナ_セマの初来日公演での出来事だった。今でも思い出深いのは、2DAYS公演の二日目の日に拠点の品川から恵比寿駅に降りた瞬間に大雨が降ってきて、「おいおい、『Weather Systems』の演出にしてはえらい粋な演出だな」と思ったんだけど、この日のライブでその『Weather Systems』から「嵐の前の静けさ」ならぬ「静けさの前の嵐」でお馴染みの”The Storm Before The Calm”を演ったのは偶然にしては面白かった。でもライブで初めて”The Lost Song Part 1”を聴いた時は本当に細胞が裏返ったかと思った。その”The Lost Song Part 1”は、まさに彼らが語るような「インプロヴィゼーション」を強く感じさせる曲で、そのシンプルな音の積み重ねによるイキ過ぎを抑制しつつ、あくまでも段階的に絶頂へのリミッターを解除していく寸止めプレイみたいな曲構成である。この『The Optimist』は、その方向性を更に推し進めた俄然生々しくオーガニックなサウンドを突き詰めており、そして「三部作」の中で一貫して貫かれてきた「繰り返しの美学」、それらに対する答えが一つに集約されたのが今作のリード曲となる”Springfield”だ。



初期モグワイ直系のおセンチな寂寥感を伴うオーガニックで乾いたギター・プロダクションから、ピアノ→プログラミング→キーボード、そしてドラム&ベースのリズム隊の順に合流していく様は、それこそスタジオセッションの延長線上にある生々しいライブ感に溢れていて、そこへリー・ダグラスHow did I get here? I don’t belong hereという歌詞を、もはや「歌」というより「声」という名の楽器を繰り返し、その「繰り返しの美学」を追求した音の繰り返しが幾倍もの回転エネルギーへと姿を変え、そのエネルギーの蓄積が臨界点を超えて遂にビッグバンを引き起こすと、幾重にも折り重なったトレモロが天をも貫く稲妻となり、ただひたすらにかき鳴らされる轟音が大地を揺るがし、それと共鳴するようにとめどない感情が溢れ出すキーボード、そしてリー・ダグラスのまるで喜劇女優の如し狼狽を合図に、それは「怒り」か、あるいは「激情」か、はたまた「衝動」か、それらの抑えきれない感情が全てを破壊し尽くすようなAlcest直系の轟音ノイズとなって、未だかつて誰も辿り着けなかった「轟音の先にある轟音」のシン・世界へと旅の者を導いていく。

なんだこの超絶epicッ!!な高揚感と恍惚感、なんだこのカタルシス・・・。冗談じゃなしにリアルにメスイキしたわ。まずはリー・ダグラスのボイスと同じ旋律を奏でるトレモロから、そこから更にキュルキュルキュルキュルキュルキュルと唸りを上げるギター、過去の名曲”A Simple Mistake”直系のエモいキーボード、そしてリー・ダグラスによる2回の狼狽から鬼の形相で迫りくる轟音・・・それはまるでモノリスという文明に触れたことで「感情」や「知性」や「痛み」を繰り返し学習した猿がヒトとして進化する瞬間のような、それこそ宇宙の誕生、そして人類の進化の過程を見ているかのような、その生物学における「進化論」と全く同じように「音」がシン化していくような、ヒトが持つ五感のリミッターを段階的に解除していく。なんかもう5回はメスイキしたわ。それこそ「イケ!イッちゃえ!」とばかり、過去の「三部作」で自らが早漏だと知ってしまったアナ_セマは、早漏のウィークポイントである「イキスギ」を抑制するため、新たに「スローセックス」を会得したのである。

確かに、Kscopeへとレーベルを移してからのアナ_セマは、いわゆるポストロックの影響下にあるバンドへと様変わりした。しかし、それはあくまでも「テイスト」レベルの話で、決して本場本職のソレとは一線を画するものだった。だが遂に、このアルバムでは本場本職のモグワイ界隈のエンジニアとスタジオを借りて、ある種の『夢』を実現させている。いま思えば、この新作に伴うツアーのサポートにAlcestを指名したのが答えだったのかもしれない。ご存知、いわゆる「ポストブラック」の第一人者であるAlcestは、シガーロス界隈の人材を迎えた4thアルバム『Shelter』の中で、ずっと憧れだったSlowdiveニール・ハルステッドとの共演という子供の頃からの『夢』を実現させている。今回の件は、Alcest『Shelter』でやった事と全く同じで、本場本職の景色を知らなかったアナ_セマが初めて本場の景色から音楽と向き合っている。この曲は「Post-の世界」をよく知る彼らだからこそできた、それこそ「ポストロック」と「ポストブラック」の邂逅である。これは、ポストロックは「現代のプログレッシブ・ロック」という一つの解釈に対する彼らなりの答えでもあるんだ。

表題曲の”The Optimist”から”Springfield”に至るまでの流れを見ても分かるように、今作の「ボーカル」というのはあってないようなもので、要するに「歌モノ」として聴くのではなく、極端な話「インストモノ」として解釈すべき作品で、そういった面でも過去の「三部作」とは一線を画しているし、それにより俄然コンセプチュアルな世界を構築する上でとても大事なギミックとして働いている。特に”Springfield”でのリー・ダグラスなんて、それこそJulianna Barwickばりに環境ボイス化している。「三部作」の最終部で自らに降り掛かった「呪い」から解き放たれたアナ_セマは、「三部作」ではメインパートを担っていた「ボーカル」の要素すら徹底した「繰り返し美学」を強要しているのだ。

そのシンプルな音の積み重ねを、日々繰り返される何気ない日常のように繰り返し繰り返し、そこから更に執拗に繰り返しエンドレスにループし、その無限に繰り返した先で「黄金長方形」を描き出し、そして遂に「過去」から「未来」へと次元を超えていくような、それこそ「無音」から「轟音」へと姿を変えていく様は、まさに主人公のペシミストがもう一人の主人公であるオプティミストに生まれ変わっていく、ある種の輪廻転生を暗喩している。いや、主人公のペシミストは自分の中に眠るオプティミストの姿を夢見ていたのかもしれない。

サンフランシスコの名所であるゴールデン・ゲートブリッジを車で渡りきろうとした瞬間、この闇夜のハイウェイを切り裂くような雷鳴とともに降り注ぐ、それはまるでブラック・ホールの如しけたたかしい轟音を直に浴びた主人公のペシミストは車の中で気を失ってしまう。これは一種の臨死体験なのかもしれない。しばらくして目覚めると、助手席に居たはずのオプティミストの姿がない。ペシミストは車を降りて周囲を見渡すが、それでも彼の姿は見当たらない。近くにあった標識に目をやると、そこには「スプリングフィールド」と書かれていた。しかし轟音を浴びたせいで未だに記憶が少し曖昧で、意識も朦朧としたままだ。さっきまで助手席に居たはずのオプティミストが本当に実在した人物なのかすら怪しくなってきた。この世界の何が「夢」で何が「現実」なのか、自分が誰で一体何者なのか、もはや生きているのか死んでいるのか、この世界が三次元なのか二次元なのかすら正確に判別できない。とにかく、ペシミストは憔悴しきった今の自分を落ち着かせるため、その場から目と鼻の先にある表札に「モー・タバーン」と書かれた案内に吸い寄せられるようにして扉を開いた。

Moes-tavern

  ペシミスト
new_018「ガチャ」


(そこは、やけに年季の入った少し寂れたバーだった)


  店主モー
new_o035002911341988472963「へいっ!いらっしゃい!何にする?」

  ペシミスト
new_018「とりあえずビールで」

  店主モー
new_o035002911341988472963「あいよっ!ダフビールねっ!」


(ダフビール・・・初めて聞く銘柄だ)


  ペシミスト
new_018「(ゴクゴクゴク)」


(それはカラッカラの喉を潤した)


  店主モー
new_o035002911341988472963「お客さん新顔だねぇ、どっからこの街へ?」


(どうやら普段は常連客を相手にしているらしい)


  ペシミスト
new_018「いや、サンディエゴから金門橋を渡ってここへ」

  店主モー
new_o035002911341988472963「へ~、ってことは旅の人か。わざわざご苦労なこって」


(すると、ここで店に新たな客人が現れた)


  ホーマー
beb8d593f4db1a17371da429c6c66261--article-html「よぉ~、モ~元気かぁ~?」


(その小太りの中年男は、どうやらこの店の常連のようだ)


  店主モー
new_o035002911341988472963「よぉホーマー、今日はレニーとカールは一緒じゃないのか」

  ホーマー
beb8d593f4db1a17371da429c6c66261--article-html「おう、今日は一人だ・・・ん?隣の奴、ここらで見ない顔だなぁ?」

  店主モー
new_o035002911341988472963「あぁ、彼はサンディエゴからの客人さ」

  ペシミスト
new_018「どうも」

  ホーマー
new_f04d8f8625e48e7ea61ac81993241cc6「まっ、ここには原発とダフビールとドーナツしかないけど、楽しんでってくれ」

  店主モー
new_o035002911341988472963「それよりホーマー、今日は平日だってのに仕事の方はいいのかい?」

  ホーマー
new_9724b2c637ff896b96fa4be9060b2b93「D'oh!!でも別にいっか」

  店主モー
new_o035002911341988472963「相変わらずの楽観主義者だなぁお前さんは」


(わたしは、その”楽観主義者”という言葉に妙な引っかかりを憶えた)


  ペシミスト
new_018「そうだ、オプティミストを探さなきゃ」


(ペシミストは、そそくさと店を後にする)


  店主モー
new_o035002911341988472963「もう行っちまうのかい?またな」

  楽観主義者
new_ba7d70cca458777e2945bba9a21528de「じゃね~」

「しかし、さっきの店は一体何だったんだ・・・?まるでテレビアニメのような・・・そうだ、あれは確か『シンプソンズ』のキャラクターじゃないか?」ペシミストは、酒の酔も相まって著しく頭の中が混乱した。ということは、これは『夢』なのか?これは悪夢だ、そうに違いない。ここは三次元ではなく、二次元の「アンダーワールド」なのか?確かに、『シンプソンズ』ホーマー・シンプソンはアニメ界最大の「楽観主義者」かもしれない。しかし、さっきまで助手席にいたオプティミストではない。それは確かだ。ペシミストは再びオプティミストの行方を追って、この周囲をくまなく探すことにした。

主人公のペシミストは、未だに「過去」の亡霊(Ghost)に取り憑かれている。7曲目の”Ghost”では、アルバム『We're Here Because We're Here』”Angels Walk Among Us”のメロディを引用したリー・ダグラスのボーカル曲で、続く#8”Can't Let Go”でも同アルバムから”Get Off Get Out”を彷彿させるクラップを交えたポップなビート感とニューエイジ風のコミカルなアレンジが施されている。面白いのは、7曲目以降は気のせいかデヴィン・タウンゼンドのアルバム『Ghost』に精通するスピリチュアルな、それこそニューエイジっぽい雰囲気もあって、俄然そのコンセプトの理解を深める大きな要素になっている。

改めて、この『The Optimist』はアメリカ西海岸を舞台に繰り広げられるコンセプト・アルバムだ。このアルバムには、「90年代」のオルタナ/グランジをはじめ、ポスト・ロックやインストゥルメンタル、今流行りのEDMやエレクトロ、そしてジャズに至るまで、とりあえずエレクトロからのジャズって聞くと「おいおい、映画『ラ・ラ・ランド』かよ」ってなるんだけど、とにかく「過去」と「現在」の様々な要素が入り交じった闇鍋に近い音楽やってて、確かに「ソングライティング」の面では過去の「三部作」に劣るかもしれないし、そこは否定しない。なんだろう、どんなギミックよりも「ソングライティング」を創作活動における最重要課題として自由にライティングしてきた彼らが、初めて「コンセプト」に注視してライティングしてきた印象。それは曲間にSEの演出を挟んでアルバムの物語を構築している事からも、つまり「アルバム」のフォーマットを最大限に活かしたアルバムと言える。思ったのは、プロデューサーにトニー・ドゥーガンを迎えたことでガラッと作風が変わるかと思いきや、「過去」のanathemaと「現在」のana_themaがやってきた事を素直に踏襲しつつ、そこに新解釈を加えた結果でしかなくて、目に見えてトニー要素を感じる曲といえば”San Francisco””Springfield”、そして”Wildfires”だけなのが逆に功を奏していると思った。

俺は一体誰なんだ?!

周囲を探せど探せど、一向にオプティミストの姿は見当たらない。ペシミストは、長旅の疲れもあって、この日は近くのモーテルで一夜を過ごすことにした。憔悴しきった彼は、ベッドに横になると2秒で深い眠りについた。9曲目の”Close your eyes”は、これまでの奇妙な旅路の疲れを癒やすような歌詞とともに、リー・ダグラスの歌とトロンボーンとコントラバスがジャズバーのムードを醸し出し、それが心地よい子守唄となって彼を一層深い眠りへと誘う。すると再び「悪夢」がペシミストに襲いかかる。たちまち山火事の如し轟音ノイズが彼に襲いかかり、またしても「過去」のトラウマがフラッシュバックする。「もう手遅れだ...」・・・彼は「悪夢」にうなされる中でWho am I?(俺は一体誰なんだ?!)」と自問自答する。すると、ここで見覚えのある部屋と聴き覚えのある音に目が覚める。

そこには聴き覚えのある砂浜に波が打ち付ける音とともに、アコースティック・ギターを手にして弾き語る男が現れる。そして、「Back to the Start」というかけ声と鳴り止まない拍手喝采をバックに、この物語は大団円を迎える。すると目の前にいた謎の男は急に立ち上がり、ペシミストが泊まっている部屋の扉を開き、そしてこう呟いた。

How are you?

そして、物語が幕を閉じた後のシークレットトラックには、アコギを靡かせる中年の男とその子供の幼女が楽しそうに話す姿が映し出される。その男の顔はボヤケて分からない。そこにいるのは前世の自分か、それとも未来の自分か、はたまた平行世界の自分か、しかしそんなことはどうでもよかった。何故なら、目の前にいる彼はペシミストではなく、オプティミストとして「幸福」だったあの頃へと立ち返り、再び人生のスタート_ラインに立って人生の再出発という名の新しい旅路につこうとしているのだから。

再び人生のスタートラインに立った主人公は気づく。これまでの自分はペシミストの仮面を被ったオプティミストだったという真実に。後ろ向きの性格だったペシミストが、前向きな性格のオプティミストへと姿を変える。それはまるで繰り返しながら無限ループする「運命」のように、「終わりのないのが終わり」・・・主人公はオプティミストとして再び人生のスタートラインに立ったんだ。それはまるで約138億年前に起こったビッグバンから宇宙が始まったように。

今作の大きなキーワードとしてあるのが「線(_)」である。「線(_)」、それは「境界線」を意味している。この『The Optimist』における「境界線」は、あらゆる物事に対するメタファーであり、その一方で「光と闇」、「善と悪」、「絶望と希望」、「ana_thema」、「神とサタン」、「空条仗世文と吉良吉影」、「アルファとオメガ」、「黄金の精神と漆黒の意志」、「無と有」、「過去と未来」、そして「楽観主義者(オプティミスト)と悲観主義者(ペシミスト)」、それらのあらゆる「境界線」を繋ぎ合わせる意味での「_」でもあったんだ。つまり、ana_themaにおける境界線(_)の意味というのは、「過去」anathemaとの決別を表しており、それこそスティーヴン・ウィルソンが自らの半生を自伝化したようなメジャーデビュー作を発表したように、これはオプティミスト(ana_thema)ペシミスト(anathema)という過去と決別した事を示す一種の比喩的表現でもある。今作のアナ_セマの何が凄いって、まず2曲目の”Leaving It Behind”で「過去のアナセマ」と「現在のアナセマ」を曲単位で表現したかと思えば、アルバム単位ではペシミスト(悲観主義者)とオプティミスト(楽観主義者)という対比を用いてそのコンセプトを高めつつ、そして新しいバンド表記であるana_thema「_」で「過去との決別」と同時に「過去との結合」を図っているところで、実はこういったミステリー小説みたいな「謎」のギミックが好きなバンドなんですね彼ら。

確かに、この『The Optimist』『A Fine Day to Exit』にインスパイアされたアルバムだが、僕の解釈はちょっと違った。僕は今作を”Temporary Peace”における5分の無音部分から生まれた作品だと理解した。ご存知、『A Fine Day to Exit』のラストを飾るこの曲は、約18分のうち実質初めの5,6分が曲と呼べるもので、その後は浜辺(シルバー・ストランド・ステート・ビーチ)のさざなみのSEと病んだ男の声、それ以降は5分間の無音部分、そして最後には「隠しトラック(Hidden Track)」として”In the Dog's House”が収録されている。

「無」から何も生まれない。しかし、138億年前に起きたビッグバンにより宇宙が誕生した。このアルバムは、”Temporary Peace”の約5分間の空白部分を補完して未完成品を完成品にするように、つまりビッグバンと同じ原理で例えると「0から1」になる瞬間、「0」から生まれた「1の音楽」である。つまり、”Temporary Peace”の無音部分が「境界線(_)」であり、その「境界線(_)」の空白を埋めるのがこの『The Optimist』である。決して『A Fine Day to Exit』のパート2ではないという事から、この『The Optimist』はそれを補完する一つの「サイドストーリー」として解釈すべきかもしれない。

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アナ_セマはいつだってこの僕を「日本一のジョジョヲタ」へと押し上げてくれる。僕は以前からアナ_セマのフレキシブルな音楽遍歴と漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の「フレキシブルさ」は全く同じであると、上記の相関図を使って説明してきた。例に漏れず、今作の『The Optimist』『ジョジョの奇妙な冒険』と大きな関わりを見せている。

まず、数年ぶりにアップデイトした上記の相関図を見てほしい。面白いのは、前作の『Distant Satellites』『A Natural Disaster』の世界を「一巡」させたアルバムだとすると、今作の『The Optimist』は言わずもがな『A Fine Day to Exit』の世界を「一巡」させたアルバムと解釈できる。これをジョジョの各部に当てはめてみると、ジョジョ4部が『A Fine Day to Exit』であり、そして『The Optimist』が現在連載中のジョジョ8部『ジョジョリオン』だ。ご存知、ジョジョ4部とジョジョ8部『ジョジョリオン』は世界の「一巡前」と「一巡後」のパラレルワールドで、設定としては同じ杜王町を舞台にしている。もっとも面白いのは、ジョジョ7部『スティール・ボール・ラン』ではアメリカ大陸レースとかいうスケールのデカい物語だった反面、次作となる『ジョジョリオン』では一つの家族というスケールの小さいミニマムな世界観を展開しており、一方のアナ_セマも前作の『Distant Satellites』で宇宙規模の話をやった後、次作の『The Optimist』では「車の中」という超絶ミニマムなスケールで話を展開していて、これも『ジョジョリオン』の世界設定と密接関係にある。そして、歌詞の中にあるWho am I?(俺は一体誰なんだ?!)という物語の核心を突くような言葉も、まさに『ジョジョリオン』の主人公である東方定助が放った叫びとリンクしている。そして最後のHow are you?に関して、僕は『ジョジョリオン』のラストシーンを見ているような気がしてならなかった。

ご存知、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』は7部の途中で週刊ジャンプからウルトラジャンプに連載を移した。今回のana_themaにおける「境界線(_)」をジョジョに当てはめてみると、週刊少年ジャンプで連載していた「過去のジョジョ」と完全に決別したのが、この『ジョジョリオン』である。しかし、その『ジョジョリオン』は巷で駄作だと嘆かれている。それには同意するし、同意もしない。僕は『ジョジョリオン』のことを面白い駄作と評価している。確かに、『ジョジョリオン』はこれまでのジョジョシリーズとは全く異なる描かれ方をした全く新しいジョ_ジョだ。だから「これまでのジョジョ」と同じ読み方をしている人には駄作と感じてしまうのも仕方がない。

それでは、「呪いを解く物語」として2011年の3.11をキッカケに始まった『ジョジョリオン』における「境界線(_)」は一体どこにあるのか?それこそ「3.11以前の日本」と「3.11以降の日本」を繋ぐ、そして「3.11以降の日本」と「2020年までの日本」を繋ぐメタファーとして物語を紡いでいるんじゃあないか、ということ。よく映画の感想などで「メタ的な」とか「メタ発言」とか耳にするけど、この『ジョジョリオン』はまさに「3.11以降の日本」を「メタ的な物語」として描いた漫画なのだ。事実、3.11以降に浮き彫りとなったのは、SNSが関係した10代のイジメ問題、自殺問題、幼児虐待、ネグレクト、薬物問題、仮想通貨など、3.11以降の日本に降り掛かった一種の「呪い」を解く物語、そのメタファーとしての『ジョジョリオン』である。今の荒木飛呂彦というのは、まさにスティーヴン・ウィルソンダニー・キャヴァナーばりに「意識高い系」の漫画家なのだ。そして「日本一のジョジョヲタ」である僕は「意識高い系インターネットレビューマン」なのである!

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Alcest 『Kodama』

Artist Alcest
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Album 『Kodama』
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Traclist

01. Kodama
02. Eclosion
03. Je Suis D'ailleurs
04. Untouched
05. Oiseaux De Proie
06. Onyx

先日、長編アニメーション作品への現役復帰宣言をした宮﨑駿の何が凄いって、国内外のアニメーター/クリエイターへの影響は元より、その「アニメ」という枠組み、垣根を超えて今や多岐の分野にわたって根強く影響を与え続けている所で、最近ではブリット・マーリング主演のNetflixオリジナルドラマ『The OA』の役作りにも『もののけ姫』の影響があったり、そして何そ隠そう、某NPBの加藤◯三氏のご厚意により、「Alcest」の正式名称が「アルセ」あらため「アルセスト」あらため「アルセ」あらため「ンアルセストゥ」に統一された、そのンアルセストゥの首謀者でありフランスの貴公子ンネージュゥも、宮﨑駿の最高傑作である『もののけ姫』をはじめ、80年代や90年代の日本のTVアニメシリーズやビデオゲームなどの日本のサブカルチャーからインスピレーションを受けたと語るほど日本贔屓な人で知られている。それらを含めて宮﨑駿作品の「影響力」というのは、歴代ジブリ作品の売上をブチ抜いた君の名は。新海誠監督にはない言わば「オリジナリティ」であり、そこがパヤオと誠の大きな差であり違いでもあった。

この「アルセ」あらため「アルセスト」あらため「アルセ」あらため「ンアルセストゥ」といえば、今から約10年前にリリースされた1stフルアルバム『Souvenirs d'un autre monde』で衝撃的なデビューを飾り、2010年にはその歴史的名盤と対になる2ndアルバムÉcailles de Luneを発表し、いわゆる【Post-Black/Blackgaze】の先駆者および元祖としてその名を世界中に轟かせる。しかし、その二年後に3rdアルバムの『Les voyages de l'âme』をドロップしたンネージュゥは、ポストブラック・メタルの『可能性』とその『未来』に対して一抹の不安と迷いを感じ始める。転機となったのは、他ならぬ新世代のポストブラック・メタルシーンを担うDEAFHEAVENの台頭で、彼らはピッチフォークをはじめインディ系の音楽メディアから祭り上げられる事となる2ndアルバムのサンベイザーを世に放ち、ンアルセストゥンネージュゥが見失いかけていたポストブラック・メタルの全く新しい形、すなわちポストブラック・メタルの『未来』をシーンに提示し、ンネージュゥが独りでに長年思いを馳せていたピッチフォーク・メディアへの強い『憧憬』『夢』、その想いをンアルセストゥの正統後継者であるデフヘヴンが受け継ぐ展開、それこそまさに世代交代の瞬間じゃあないが、ポストブラック・メタルの元祖および教祖のンネージュゥが叶えられなかった『夢』『ユメ』を次世代のデフヘヴンへと委ねていく、この一連の流れは、いま思い出すだけでも胸が熱くなるような出来事として記憶に残っている。

あの歴史を動かしたサンベイザーに触発されたのか、ンネージュゥの心の奥底(インサイド)に隠された秘密の扉が徐々に外側(アウトサイド)へと開かれていき、もはやポストブラック・メタルの先駆者および元祖としての立場から解放されたンネージュゥは、長年の自らの『夢』を叶えんと、2014年に4thアルバムとなるシェルターを発表する。まず一つめの『夢』は、アイスランドのレジェンドことシガーロスへの強い憧憬で、ビョークやシガロ作品でお馴染みのエンジニアBirgir Jón Birgisson「ヨンシー親衛隊」ことストリングスカルテットのAmiinaを迎えて、アイスランドのSundlaugin Studioで録音、そしてマスタリングには世界的な売れっ子エンジニアテッド・ジェンセンが所属するSterling Soundにて行われ、まるでフランスの片田舎出身の陰キャの陽キャの都会人に対するコンプレックスが暴発したかのような、これ以上ない万全の録音体制で挑まれている。そして2つめの『夢』は、他ならぬシューゲイザー界のレジェンドSlowdiveへの憧憬で、デフヘヴン『サンベイザー』に「ポストブラック界のレジェンド」として迎え入れられたンネージュゥは、今度は自身の作品に「シューゲイザー界のレジェンド」としてSlowdiveニール・ハルステッドを迎えてみせた。だけあって、その音世界もアイスランドの大自然と純白の雪景色を太陽のように眩い光が照らし出すかの如し、それこそ2013年にツアーを共にしたUKのANATHEMAが組織する黄金界隈」の仲間入りを果たすべく、その言うなれば黄金期のジャンプ漫画」ばりに前向きな「勇気」と「希望」に溢れた神々しい世界観を繰り広げ、まさに「日本人向け」と釘打てるほどの音楽だった。 

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このドラゴンボール顔負けの「元気玉」のような「太陽」すなわち「サン」が次作への伏線だったのかなんて知る由もないが、前作のシェルターから約二年ぶりとなる5thアルバム『Kodama』は、日本人イラストレーターの山本タカト氏の作品にインスパイヤされた、日本のエログロ大好きなフランスの二人組グラフィックデザイナーFørtifemが手がけた、『もののけ姫』のヒロインサンをモデルにしたアートワーク、そして「Spirit of the Tree」を意味する「コダマ(木霊)」を冠したそのタイトルが示すとおり、二度(三度目)の来日公演と圓能寺でのスペシャルなアコースティックライブを経験し、科学的技術が発達した日本社会ならびにクレイジーなオタク文化を目にして「日本人は時代の先を行ってるよ」と海外の反応シリーズばりに衝撃を受け、しかし文明が発達した現代社会の中にも日本人の「伝統」や「自然」、そして日本人の「美徳(おもてなしの心)」と「精神性」が共存している、それこそ『もののけ姫』の主題の一つである「神秘主義と合理主義の対立」すなわち「テクノロジーが発達した現代社会」と「そこに住む原始的かつ土着的な人々」と対比(コントラスト)に感銘を受けたと語る、そんなンネージュゥの創作イマジネーションが爆発した、過去最高にスピリチュアルな「ギミック」とコンセプティブな「ワード」が込められた、言い換えればこれはもう「キングオブ・ビッグ・イン・ジャパン」アルバムだ。

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『Kodama』の音楽的な方向性とサウンドプロダクションならびにアイデンティを象徴するキートラックとなる表題曲の”Kodama”は、まず何が驚いたって、兄弟分のLes Discretsを彷彿とさせる慟哭不可避なイントロに次いで、ボーカルの裏でなるバッキングのガリガリしたダーティなギターリフを耳にした時に、UKの女性デュオ2:54”Revolving”が脳裏に過ぎり、そこから更に遡ってThe Cureをはじめとした80年代のポストパンク/ニューウェーブ、そして90年代のオルタナ/グランジからの影響を伺わせるサウンド・アプローチを聞いて僕は→「なるどほ・・・そう来たか!」と、「アイスランドから離れて今度はUKに来ちゃったか!」と呟いた。その90年代のオルタナ然とした渇いたギターと過去最高に強靭なリズムを刻むドラム、そして北風小僧の寒太郎ばりに素朴な『和』を表現した、それこそ『もののけ姫』の豊かな森林に住む精霊コダマの合唱が大森林に反響するかのような神秘的なメロディや、まるで「シシ神様」の如しKathrine Shepardの聖なるコーラスをフィーチャーしながら、それらの80年代~90年代の音楽をルーツとする幅広い音楽的素養と「ええいああ 君からもらい泣き」と俄然民謡的なメロディを奏でるンネージュゥの歌とお馴染みのシューゲイズ要素をダイナミックかつプログレスに交錯させていく、それこそ『もののけ姫』のサントラとして聴けちゃう崇高かつ壮大な世界観と極上のサウンドスケープを展開していく。これまでのどのアルバムとも違う全く新しいンアルセストゥ、それこそシン・ンアルセストゥの幕開けを宣言するかのような一曲であり、この曲のアウトロまで徹底して「オルタナ」の意識を貫き通しているのは、今作のサウンド面のキーワードが「オルタナティブ」であることを暗に示唆しているからだ。

いわゆる「静と動」のコントラストを活かした、要するに往年のンアルセストゥ-スタイルへと回帰した”Kodama”に次ぐ2曲目の”Eclosion”は、「UKの相対性理論」ことEsben and the Witchを彷彿とさせる幻想的なメロディをフィーチャーしながら、徐々にギアチェンしていきブラストで粗暴に疾走するエモーショナルな展開を見せてからの、そしてもう何年も聴くことがなかったンネージュゥ「世界一エモーショナルな金切り声」が聞こえてきて、僕は泣きながら・・・

「ン゛ア゛ル゛セ゛ス゛ト゛ゥ゛ウ゛ウ゛ッ゛ッ゛!!」 

ン゛
イ゛ズッ゛ッ゛ッ゛」 

「ヴァ゛ア゛ア゛ア゛ッ゛ッ゛ッ゛ク゛ク゛ッ
!!」 

・・・と、ンネージュゥに負けじと絶叫した。

そんなンネージュゥ自身も「トラディショナル・ソング」と語る3曲目の”Je Suis D'ailleurs”は、1stアルバム『Souvenirs d'un autre monde』や2ndアルバム『Écailles de Lune』を連想させる刹那的に歪んだリフとンネージュゥのスクリームでシンプルに展開し、特に終盤の目玉となる間奏のラブリーなメロディは、ンネージュゥの「メロディスト」としての才能が垣間見れる。「短めの曲尺的にもポップな雰囲気的にも前作のイメージがまだ残っている曲」とンネージュゥは語る4曲目の”Untouched”、実質的に最後の曲となる5曲目の”Oiseaux de Proie”は、再び90年代のオルタナを彷彿とさせるリフと1stアルバム的なシューゲ・サウンド、より神秘主義的で民族的なアプローチを効かせた曲で、そしてここでもドラムのブラストとンネージュゥのスクリームで「痛み」を撒き散らしながら、俄然ブラック・メタル然とした粗暴な展開を見せる。色んな意味で表題曲の”Kodama”と対になる曲と言える。その流れのまま、物語のエンディングを迎える6曲目の”Onyx”へと繋がる。

作品を重ねる毎に初期のブラック・メタル的な要素が徐々に削がれていき、遂には前作の『シェルター』では正式に「ポストブラックやめる宣言」がアナウンスされた。と思いきや、この『Kodama』で初期のポストブラックメタルへの原点回帰、つまり「ンアルセストゥ is Back」を高らかに宣言する。確かに、いわゆる「二次元」的なアニメっぽい世界観から、いわゆる「静と動」のコントラストを効かせたメリハリのある往年のスタイル、Blackgaze然としたノイジーでダークなギターリフとンネージュゥの金切り声、長尺主体の全6曲(実質5曲)トータル約40分弱など、そういったギミック面の部分では、イメージ的に一番近いのは2ndアルバムの『Écailles de Lune』と言えるかもしれない。確かに、その表面的なガワだけを見れば往年のAlcestに回帰したような印象を受けるが、しかし中身の部分その細部では著しい「変化」が巻き起こっていた。

彼らは、より「スペシャル」で「エクスペリメンタル」なアルバムを生み出すために、これまでのAlcestにはない実験的なアプローチをもって今作に挑んでいる。まずギタボのンネージュゥは、これまでの作品ではギター主導で作曲していたが、今回はこれまでとは全く違うやり方で、ボーカルのリズミカルな面を押し出した歌主導で曲作りすることを決めた。それに対して、ドラマーのWinterhalterは、一種の民族的なあるいはポストパンク的なドラムパターンを多く取り入れたと語る。その言葉どおり、これまでの作品と比べて最も大きな「変化」を感じるのは、他ならぬWinterhalterのドラムパートと言っても過言じゃあなくて、とにかくドラムの音がオーガニックな響き方で、シューゲイザーやら何やらの音楽ジャンルの固定概念に囚われない、一人のドラマーとしてそのポテンシャルを遺憾なく発揮し、一つの「ロックバンド」としてのグルーヴ感が『Kodama』のサウンド、その生命の樹を司る根幹部として絶対的な存在感を示している。特に、#2”Eclosion”や#3”Je Suis D'ailleurs”は、完全に彼の跳躍感溢れるグルーヴィなドラミングありきの曲と言っていいくらい。正直、こんなにロックなドラムドラムした彼は今まで見たことがなかったから単に新鮮だし、Alcestって「ンネージュゥのバンド」だけじゃなくて「Winterhalterのバンド」でもあるんだなって、今更そんな当たり前のことを気付かされた。

ギターについては、より多くのリフを演奏する「Alcestらしさ」と「静と動」のコントラストを意識的に取り入れ、そして更なるギターの可能性を模索した。今作でンネージュゥが使用したギターは、『Kodama』のインフルエンサーとして名が挙げられたマイブラをはじめ、Dinosaur Jr.Sonic Youthなどの90年代のオルタナ系バンドのギタリストが愛用しているフェンダー・ジャズマスターのシングル・コイルで、そのクリーンなギターサウンドとノイジーな極上の歪み得る代わりに時々トリッキーな過剰反応を見せる、そんな可愛らしいジャズマスの特性を最大限に活かすことで、ギタープレイの幅を無限に広げることに成功し、今作では「シューゲイザー・ギタリスト」としてのンネージュゥは元より、「オルタナティブ・ギタリスト」としてのンネージュゥの才能が開花している。その80年代のポストパンク/ニューウェーブ愛や90年代のオルタナ愛に溢れた、ンネージュゥのギタリストとしてのパフォーマンス力は、この『Kodama』のサウンドを著しく高める大きな要因として存在している。彼は、今作におけるギターのプロダクション/音作りまで徹底した「オルタナ」の再現を果たすと同時に、持ち前の「メロディスト」としての側面や作品の世界観およびコンセプトの面まで、そしてプレイヤーとしてのパフォーマンス面にも細部にまで「こだわり」が行き渡った職人気質に脱帽する。

ンネージュゥ
のボーカルについては、往年の金切り声から森のせせらぎのような環境ボイス、そして山霧のように曇りがかったATMS系ボイスまで、前作のように自分を制御することなく、一人の「ボーカリスト」としての可能性を見極めている。ンネージュゥは、ボーカリストとしてもギタリストとしても自らのリミッターを解除して、自らが持つポテンシャルを超える勢いで覚醒している。正直、リズム&グルーヴ重視のAlcestがここまでカッコよくハマるなんて素直に驚いたし、それくらい今作は二人のプレイヤーに視点をフォーカスした、過去最高にAlcestの生々しいオーガニックな「バンド・サウンド」が著しく表面化したアルバムと言える。

この『Kodama』は、映画『もののけ姫』のヒロインサンという『人間』として生まれながらも、犬神である『モロの君』に娘として育てられ、そして自然豊かな森林が我が家である、そんなある種の「自然界と人間界の間の子」的なサンのルーツを探る音旅でもあるかのような、それすなわちAlcestというバンド自らの音楽的ルーツを巡る音旅でもあったのだ。サンのように自然や大地、野生動物と共存し、ありのままの姿で、つまり文明の利器=テクノロジーが発達した現代社会にはない原始的かつ土着的な、より人間的な尊厳と郷土愛、自然愛、オルタナ愛、伝統愛、日本愛、様々な『愛』すなわち『LOVE』に溢れた作品で、その『もののけ姫』の最大のテーマである「人間と自然」の関わりと「神秘主義と合理主義の対立」 、そして今現在なお絶えることのない、ウイルスのように増殖し続ける「人と人の争い」、から起こる「人間の憎悪の増幅作用」による「憎しみの連鎖」と「報復の連鎖」、つまり今作の「静と動」の対比(コントラスト)は、Alcestらしさへの回帰を意味するだけのものではなく、『もののけ姫』のテーマである自然界の安らぎと人間界の醜い争いの対比など、その他様々な対立構造を表現しているようにしか思えなかった。このアルバムには、そんなヒトと動物と自然が争うことのない優しい世界への強い憧憬が込められている。

昨年公開された新海誠監督の『君の名は。』「今だからこそ売れた作品」だが、だからといって必ずしも「今観なきゃいけない映画」というわけではなかった。しかし、今から約20年前に公開された宮﨑駿『もののけ姫』「今だからこそ観なきゃいけない映画」だって、そう気付かされたような作品だった。最近は、外国人から日本の良さを聞くみたいな、その手のTV番組が増えているとよく耳にするが、この『Kodama』は、まさしく『YOUは何しに日本へ?』の取材クルーから真っ先にインタビューされるレベルの、それこそ「外国から見た日本」を知ることが出来る、それこそ教育勅語に記すべき、国歌よりも子供の頃から聴かせるべき、超絶怒涛の日本愛に溢れた極上のビッグ・イン・ジャパン作品だ。 

話を戻すと、その国独自の文化やサブカルチャーというのは一方的にゴリ押したり、ましてや自分からドヤ顔で「クールジャパン!」などと言っていいものでは決してなくて、それこそンネージュゥのように子供の頃から日本のTVアニメを見て、生活の一部として根付いている環境や大人になって実際に来日して感じた実体験から、その国の人や文化に実際に触れてみて、その邂逅と結果が今回の『Kodama』に純粋な形となって音として具現化することが真の「影響力」と言えるのではないか。僕自身このアルバムを通して、昨今国が推し進めている「クールジャパン」のゴリ押しに対する懐疑心が確信へと変わり、そしてその日本人自身の日本文化に対する勘違いに気付かされた一人だ。
 
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Animals as Leaders 『The Madness of Many』

Artist Animals as Leaders
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Album 『The Madness of Many』
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Tracklist

02. Ectogenesis
03. Cognitive Contortions
04. Inner Assassins
05. Private Visions Of The World
06. Backpfeifengesicht
07. Transcentience
08. The Glass Bridge
10. Aepirophobia

昨今の洗脳ブームの火付け役といえば、M A S A Y Aに洗脳されたX JAPANToshiこと出山ホームオブハート利三だが、最近では朝ドラ女優の能年玲奈が生ゴミおばさんこと女版M A S A Y Aに洗脳されて「のホームオブハートん」に改名した事が記憶に新しい。その能年玲奈「のホームオブハートん」に改名したことで、能年玲奈と今や世界的なギタリストとなったトシン・アバシのジェントユニット「あにまるず・あず・りーだーずっ!」はコンビ解消を余儀なくされ、その傷心した想いをアルバムに込めたと語る、トシン・アバシ率いるAnimals as Leadersの通算4作目となる『The Madness of Many』は、「生身の人間は裏切る!二次元なら・・・いや、AI(アンドロイド)なら僕を裏切らない!」という、数理物理学を極めすぎて頭がおかしくなった天才物理学者の歪んだ愛情と苦悩が、まるで古代エジプトの迷宮の如し複雑怪奇に描かれている。

その天才物理学者の「数字恐怖症」が臨界点に達する時、出口のない迷宮の入り口が開かれる#1Arithmophobia、今度は8bit系レトロゲームみたいな電脳世界へと誘うミニマルなエレクトロニカがヒトの脳幹部に侵入し、そこから身体の神経回路へと、そしてヒトの遺伝子情報を書き換えていく、それこそ「遺伝子組み換え音楽」としか例えようがない#2”Ectogenesis”、更に深いところでスピリチュアルな電脳世界を構築していく#3”Cognitive Contortions”、前作The Joy of Motion”Ka$cade”をPost-Djent化したような#4”Inner Assassins”、気分を一転して西海岸系の爽やかでオシャンティなギター・メロディの中にMeshuggahGojiraばりの鬼グルーヴ/モダン・ヘヴィネスを織り込んだ#5”Private Visions of the World”、基本的なジェント・リフとモダン・ヘヴィネス、エレクトロニカとアトモスフェリックなATMSフィールドを駆使して目まぐるしくスリリングに展開する#6”Backpfeifengesicht”、前半プログレ・メタルっぽくて後半ジャズっぽくオシャンティに展開する#7”Transcentience”トシン・アバシの流麗なソロワークが際立つ#8”The Glass Bridge”、アコギの流麗なメロディをフィーチャーした#9The Brain Dance、この出口のない迷宮の中で深層心理を操られ記憶も遺伝子も書き換えられた天才物理学者は、「この世界はループループしているのか?」という宇宙の真理にたどり着き、絶望した彼は「無限恐怖症」へと陥り、そしてゴールド・エクスペリエンス・レクイエムのスタンド攻撃を喰らって「終わりがないのが終わり」と悟り精神崩壊してしまう最後の”Aepirophobia”まで、まるでヒト=ニンゲンがAIチップならぬ音チップを脳に埋め込まれ、ヒトからアンドロイドへと変わっていく様を精密機器の如く繊細緻密に描き出していく、それこそ人工知能の脅威をリアルに描いたアリシア・ヴィキャンデルちゃん主演の傑作SF映画『エクス・マキナ』を彷彿とさせる、人工知能の発達によりニンゲン社会が徐々に侵食され、徐々に歪んでいく一種の恐怖映像を見せられているかのよう。

AALって、奇数ナンバリングの比較的わかりやすい(わかるとは言ってない)プログ・メタル/ジェント主体のパワー系路線と2ndアルバムWeightlessみたいな難解至極なインテリキチガイ系路線に分類できるのだけど、偶数ナンバリングとなる本作は、2ndアルバムのPost-Djentならぬソフト-ジェント路線を素直にアップデイトさせた作風で、エレクトロ志向が更に強まった事で俄然ゲーム音楽っぽくなってる。コンセプティブなギミック面とジェント/モダン・ヘヴィネス成分のバランスとまとまりが良くて、ハッキリ言って2ndよりも格段に完成度が高いです。とにかく、某都市伝説芸人が「信じるか信じないかはあなた次第です」とか言いながら聴いてそうな音楽ですw
 
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AURORA 『All My Demons Greeting Me As A Friend』

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Tracklist
01. Runaway
04. Lucky
05. Winter Bird
07. Through The Eyes Of A Child
08. Warrior
10. Home
11. Under The Water
12. Black Water Lilies

北欧
のシンガー・ソングライター事情といえば、スウェーデンはiamamiwhoami、ノルウェーはSusanne Sundførがシーンのトップに君臨している状況で、その北欧SSWの遺伝子を受け継ぐ、北欧SSWの『未来』を託されたのが、ノルウェーはベルゲン出身で若干ハタチのAurora Aksnes、あらためAURORAだ。そんな彼女の1stフルアルバム『All My Demons Greeting Me As A Friend』は、既に本国ノルウェーでチャート一位を獲得しており、ティーンを中心に急激な速度でその人気を世界に拡大している。



その音楽性は、同郷の大先輩であるSusanne Sundførの傑作『The Brothel』『The Silicone Veil』を全力でリスペクトしたような、つまりチェンバー・ポップ的な音使いやシンセ・ポップ的な綺羅びやかなサウンドを駆使したアート・ポップで、さすがにスザンヌみたいな唯一無二で崇高な世界観やザ・オルタナティブなセンスには及ばないが、時としてオーロラのような輝きと神秘的な存在感を放つ、その若さ溢れるエネルギッシュなポップ・センスと北欧のレジェンドABBAをはじめとした北欧のムード歌謡や北欧民謡/フォーク・ミュージックを経由した優美なメロディセンスは、彼女がSusanne Sundførの妹分であり正統な後継者である事実を物語っている。とにかく、北欧出身ならではの奇抜な才能とChvrchesみたいなイマドキのエレクトロ・ポップを紡ぎ合わせる積極性と柔軟性、そして無類の”若さ”を兼ね備えた、まさに『新世代』のディーヴァと呼ぶに相応しい、これぞハイブリットなスーパー北欧ガールの誕生だ。


USのWarpaintを彷彿とさせる仄暗いアンビエント・ポップ風の始まりから、シンセを使った神秘的なサビへと繋がるオープニング曲の#1”Runaway”、一転してチャーチズ顔負けのアップテンポなイマドキのエレクトロ・ポップを展開する、まるで気分は「北欧のローレン・メイベリー」な#2”Conqueror”、もはやSusanne Sundførも羨むレベルの北欧然としたメロディセンスが爆発する#3”Running With The Wolves”、ここまでの冒頭の三曲を耳にするだけで、つい最近まで10代の少女だったなんて到底思えない、驚くほど成熟した音楽的才能とその全てを魅了するかのような堂々たる歌声にド肝を抜かれる。北欧の白夜を繊細に描き出すような#4”Lucky”Susanne SundførM83が組んで映画『オブリビオン』に書き下ろされた曲に匹敵するスケール感と宇宙空間的なアレンジが際立った#5”Winter Bird”、そのアトモスフェリックな流れを引き継いで、再びSusanne Sundførを凌駕する極上のメロディが炸裂する#6”I Went Too Far”は、あらためて彼女がタダモノじゃあないことを、ただの「若干ハタチ」ってレベルじゃねぇぞって事を証明するかのような曲だ。



北欧の純白の雪景色が一面に広がるようなATMS空間とピアノ、そしてJulianna Barwick顔負けのコーラスが壮観に演出する#7”Through The Eyes Of A Child”、戦いに赴く北欧ヴァイキングを鼓舞するかのような民族音楽風のけたたましいトラックとAURORAの力強い歌声が広大な大地に響き渡る#8”Warrior”、そして今作のハイライトとを飾る#9”Murder Song (5, 4, 3, 2, 1)”は、その「若さ」ゆえの危うさと心の不安定さが不規則で不可解な化学反応を起こす曲で、このMVをはじめ各MVで垣間見せるAURORAの迫真の演技はもはや「北欧のクロエ・モレッツ」だ。で、このまま終わるのかと思いきや、カナダのElsianeを彷彿とさせるエスニックな調味料を加えた”Under The Water”の存在感ったらない。
 

とりま「最近のSSWでキテるの誰?」っていう質問の答え、その解答の一つがAURORAであり、この『All My Demons Greeting Me As A Friend』は、北欧SSWの『未来』をオーロラのように明るく虹色に照らし出すような、聡明かつ純粋、そして『幸福』なメロディに満ち溢れている。とにかく、根拠に裏付けられた自信と天才的な才能が凝縮されたデビュー作だ。
 
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Amorphis 『Under the Red Cloud』

Artist Amorphis
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Producer/Engineer/Mixing/Mastering Jens Bogren
Jens Bogren
Engineer(#5) David Castillo
David Castillo

Album 『Under the Red Cloud』
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Tracklist
01. Under The Red Cloud
02. The Four Wise Ones
03. Bad Blood
04. The Skull
07. Dark Path
08. Enemy At The Gates
09. Tree Of Ages
10. White Night
11. Come The Spring
12. The Wind

「No Jens No Life」 ・・・今やあのBABYMETAL凛として時雨すらライブ作品などでイェンス・ボグレンと絡んでるくらい、今のメタル界隈には「No Jens No Life」みたいな風潮あって、これは別に自慢じゃあなんだが、おいら、初めてベビメタの記事を書いた時、偶然にも「イェンス・ボグレン」の名前を一緒に出していて、恐らくあの時点でベビメタとイェンスの邂逅を予知していたのは世界でも自分だけだと思う。しかし、ベビメタを【アイドル界のDIR EN GREY】と解釈している者ならば、あの程度の予測は容易に可能で、勿論プロデューサーのコバメタルが当ブログを読んでいるなんて自意識過剰なことを言うわけじゃあないが、兎も角それぐらいイェンス・ボグレンは今のメタル界にとって欠かすことのできない最重要人物なんだ。

実質プロデューサー ・・・北欧フィンランドの重鎮で知られるAmorphisの近況といえば、00年代を締めくくる傑作となった9thアルバムSkyforger以降イマイチパッとしない作品が続き、前作のCircleに至ってはどんな作風どんな内容だったかすらも記憶になくて、辛うじて「デスメタル回帰」したんじゃね~?的なイメージが残ってるくらい。で、近年のアモルフィスは中期の作品と比べると深刻なライティング不足、つまりベテランメタルバンドにありがちなスランプに陥っていた。そんなアモルフィスが約二年ぶりとなる12thアルバム『Under the Red Cloud』を制作するにあたって、プロデューサーすなわち【復活請負人】として任命したのが、他でもないイェンス・ボグレンだ。ここ最近はイェンス関連の記事ばかりで、まるであたかも「全ての作品をイェンス・ボグレンがプロデュースしている」みたいな勢いで書いてしまっているのも事実で、読者に誤解を与えかねないので一応訂正したいんだが、イェンスが"プロデューサー"として関わっている作品はほんの一部で、彼がメインとする仕事は主にミキシングをはじめとしたエンジニアワークである。しかし、例えばDark TranquillityConstructBTBAMComa Eclipticのように、"プロデューサー"ではなくあくまでもミキシング/マスタリング・エンジニアとしてクレジットされているのにも関わらず、確信的にバンド側がイェンスの嗜好に合わせて曲を書き上げてくるパターン、このような現象を僕は"実質プロデューサー"と表現している。
 

『怒りのデスロード』 ・・・しかし、この『Under the Red Cloud』では"実質プロデューサー"ではなく、MoonspellExtinctと同様に"プロデューサー"名義でイェンス・ボグレンが深く作品に関わっている、という事を念頭に置いて話を進めたい。先行シングルの”Death of a King”は、まるでアフガンのように情熱的に燃えたぎる赤鯉魂が描かれた、Orphaned Landの作品でもお馴染みのMetastazisValnoirによるオリエンタルラグ(アラビア絨毯)をモチーフにした今作のアートワークを象徴するかのような一曲だ。そのアラビックな中東的メロディをフューチャーしたイントロのリフから、EluveitieChrigel Glanzmannによるフィンランドの民族叙情詩カレワラを司るようなフルート&ティン・ホイッスルとex-Opethマーティン・ロペスによるドーフ・ウォリアー顔負けのリズミカルなパーカッションが、ギタリストホロパイネンによるグルーヴを乗せたモダンなヘヴィネスとともに"音"で士気高揚させる姿は、まるで魔改造されたドーフ・ワゴンさながら、そしてチャームポイントのドレッドヘアを捨てたフロントマントミ「Death of a King!! Death of a King!!」と野太く咆哮する姿は、まさしく『マッドマックス 怒りのデスロード』イモータン・ジョーそのもの、すなわち本作の『王=キング』だ。要するに→日本のゲーム界屈指のクリエイター小島秀夫監督が『MGSV』の中で表現したように、この曲...いや今作は映画『マッドマックス 怒りのデスロード』の世界観を音楽で表現したかのような、まるで五人のワイブスを奪われ、その中でも"オキニ"のスプレンディドとお腹の中の子供(息子)を亡くしたイモータン・ジョー『復讐心』『報復心』という名の『怒り』をアフガニスタンの広大な大地に轟かせるような名曲なのだ。
 
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【勝利の方程式】 ・・・この『Death of a King』すなわち『死の王』がいかに凄い曲なのか?それについて、まずは本作が「打倒Opeth」を謳った作品である事を理解しなければならない。今作は、いわゆる「イェンスと組んだ一作目は名作になる」というメタル界の迷信を裏付けるような、Opethの8thアルバム『Ghost Reveries』からの影響が強く垣間見れる一枚でもあって、中でもそれを顕著に象徴するのが#4”The Skull”と#8”Enemy at the Gates”、そしてボートラの#12”The Wind”だ。#4はメロトロンをフューチャーした叙情性からリフ回し、そしてプログレ然とした転調から何から何まで『Ghost Reveries』リスペクトで、#8はホモバンド化した後期Opethの"Prog-Rock"な俄然エスニックな芳ばしい香りを漂わせる。まるで「打倒Opeth」を実現させるには、あの名盤『Ghost Reveries』を超えるには、対抗して「イェンスと組んだ一作目は名作になる」というメタル界の迷信に賭けるしかない・・・そのアモルフィスの「勝ちたいんや!」精神、その答えこそ『Death of a King』の中に凝縮されていて、それこそex-Opethマーティン・ロペスを、全盛期のOpethを支えた裏の立役者であるマーティン・ロペスという「打倒Opeth」の最終メンヘラ兵器を援軍に迎え、そしてマーティンのパーカッションを手がけた張本人こそ、他でもないイェンスの相棒であり【勝利の方程式】を紐解く鍵となるデイビッド・カスティロなのだ。

マッドマックス 怒りのデス・ロード

「外に開かれている」 ・・・話は変わるが→おいら、数年前に「DIR EN GREYデイビッド・カスティロと一緒に仕事するべきだ」と書いたんだが、まるでそれを合図にしたように、ここ最近ではSoilworkMoonspellをはじめ、今やエクストリーム・メタル界の帝王に成り上がったLeprousまでも、立て続けにデイビッドと組むメタル界の重鎮が増えてきている。しかし、肝心のDIR EN GREYと言えば、KATATONIA『死の王』からの影響も垣間見れた最新作の『ARCHE』以降何も音沙汰なしで、今やEarthsideとかいう無名バンドですら【勝利の方程式】を解き明かしているというのに、流石の薫も審美眼に衰えが生じ始めているんじゃあないかと少し心配になった。確かに、僕は『ARCHE』二万文字レビューの時に→「今のDIR EN GREYは外に開かれている」と某赤いバンドのギタリスト津野米咲の言葉を一部引用したんだが、その予想どおりシンヤの有吉反省会出演やパーソナリティ薫のラジオ番組が始まったりして、メロディア露出という意味では確かに今のDIR EN GREYは「外に開かれている」。その流れで今度は音楽面にも開かれた『説得力』が欲しいところだ。少なくとも、このアモルフィスは前作で長年連れ添ったフィンランドの大物エンジニアミッコ・カルミラとの決別を宣言している。そう、比較的地元愛の強い保守的な国のバンドですら音楽的に開国されつつあるのだ。つまり前作でワンクッションを置いてから、今作で満を持してメタル界の最大勢力であるイェンス組に入門してきた、というわけ。

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黄金のヘヴィネス ・・・まぁ、それはともかくとして→今作を象徴する『Death of a King』はアモルフィスのポテンシャルの全てが引き出された、それと同時に、欧州最後の砦だったMoonspellが名曲”Medusalem”の中で80年代のUKミュージックと中東音楽の邂逅を実現させたように、この曲は民族叙情詩カワレラと中東音楽を邂逅させた歴史的瞬間でもあるのだ。それこそ欧州は元より北欧全土に蔓延る中東問題を痛烈に皮肉るかのような、まるで今の時代、この先のメタル界で生き残っていくには中東要素との共存が不可欠であること物語るようだ。それと並んで本作を象徴する一曲で、幕開けを飾る表題曲の”Under The Red Cloud”では、名盤『Skyforger』の再来を予感させるイントロのピアノや同作のシングル”Silver Bride”の傑作リフから更に低音を盛って洗練を施したようなモダンなヘヴィネスを聴かせる。他にも『Eclipse』『Silent Waters』、そして『Skyforger』という中期アモルフィスの黄金を連想させる、まるでワイブスを奪われたイモータン・ジョーの如く、自慢のドレッドヘアを奪われたVoトミのボーカリストとしてのポテンシャルを極限まで引き出されたボーカル・パフォーマンスを筆頭に、同郷のSwallow The Sun界隈でもお馴染みのAleah Stanbridge【王=キング】の妾、すなわちワイブスとして迎え入れた所も俄然『マッドマックス 怒りのデスロード』の裏コンセプトであるフェミニズムの世界観とリンクさせられるし、特に今作の基礎的な部分を担うアモルフィス屈指の名リフである”Silver Bride”黄金比』で形成されたキザミリフを再解釈したような黄金のヘヴィネスには、並々ならぬセンスの塊を感じる。

【真・勝利の方程式】 ・・・またしてもイェンス・ボグレンという男は、界隈のベテランをNEXT-ステージへとブチ上げる事に成功し、ここ最近の二作で感じた「ライティング不足」が嘘のように、ソングライティングの幅が広がったのは言わずもがな、とにかく全てにおいて著しく音の洗練化が進んでいる。メロデスやらサブジャンルとして以前に、そのバンドの根幹にある「メタル」としてのポテンシャルを限界まで引き出し、それと同時にバンドが持つ"Progressive"な側面を具現化するイェンスのプロデュース能力が顕著に表れた、そしてポッと出の新人バンドに対してベテランならではの凄みを見せつけるような、まさしく【真・勝利の方程式】を解き明かすような大傑作だ。
 
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