Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

レビュー (M)

Marika Hackman 『I'm Not Your Man』

Artist Marika Hackman
new_9d7bba2ce04a27647352643dccf9adef

Album 『I'm Not Your Man』
9e79934f18767a358af1a6a0816f028e

Tracklist

02. Good Intentions
03. Gina's World
05. Round We Go
06. Violet
07. Cigarette
08. Time's Been Reckless
09. Apple Tree
10. So Long
11. Eastbound Train
12. Blahblahblah
13. I'd Rather Be With Them
14. AM
15. Majesty

new_スクリーンショット (34)「こんばんは、稲川VR淳二です」

new_スクリーンショット (34)「今宵は、私が体験した音楽にまつわる身の毛もよだつ恐怖話について語りたいと思います」

new_スクリーンショット (34)「実は私ねぇ、子供の頃からフォークソングが大好きでしてね、ちなみに最近のイチオシはイギリスはハンプシャー出身のマリカ・ハックマンというシンガーソングライターで、彼女が2015年に発表した1stアルバム『We Slept at Last』が私の怪談朗読用BGMに打ってつけの、それこそ「コン コン コン コン 釘を刺す」といった感じの地獄少女的なインディフォークで、そのアルバムは今でも愛聴盤なんですよねぇ」

new_スクリーンショット (34)「そんでもって、そのマリカ・ハックマンが約二年ぶりに新作を発表したっていうんでね、さっそく音源を再生してみたら、いきなりインディロックみたいな音が聴こえてきて、(妙に変だなぁ?)って。だっておかしいじゃない、マリカと言ったらアコギを片手に語り弾きするスタイルなのに、まるでアンプに通電された電子的なギターが聴こえてくるんだもん」

new_スクリーンショット (34)「いやいや、そんなはずないと思って、改めて目を閉じて音に集中して聴いてみたんですよ。するとねぇ、遂にはマリカの肩の辺りに4人の女の背後霊みたいなのがスッと浮かんできて、(うわぁ~~~嫌だなぁ~怖いなぁ~って)、全身に鳥肌がグワ~~~~!!って立った瞬間...私ねぇ、気づいちゃったんですよ」

「あぁ、これThe Big Moonだって」
new_スクリーンショット (35)

                                                                                                         


リアルにこんな感じで、一曲目の”Boyfriend”からオルタナ/インディロック然としたギターが聴こえてきて、「聴く音源間違えたか?」と思ったら、直後にどう見てもマリカの「あの声」にしか聴こえない倦怠感むき出しの歌声が聴こえてきて、これにはマリカだけにマジカってなった(えっ)。それもそのはず、今作の『I'm Not Your Man』は、マリカがティーンエージャーの頃に夢中になっていた伝説のバンドNirvanaに対する懐かしい「思ひ出」と強い「憧れ」を実現させるために、いま最も注目されているロンドンのガールズバンドことThe Big Moonをバックバンドに迎えて制作された、過去最高にマリカのパーソナルな部分が反映されたアルバムとなっている。 

イギリスはハンプシャー出身、グレーター・ロンドンを拠点に活動する1992年生まれのマリカ・ハックマンは、カバーアルバムや複数のEPをリリースした後、22歳の時にalt-Jを手掛けたチャーリー・アンドリューをプロデューサーに起用した1stフルアルバムのWe Slept at LastDirty Hitから発表すると、その卓越したソングライティングと例えるなら「女版スティーヴン・ウィルソン」の如しマルチプレイヤーとしての才能が一部のSSW界隈で話題を呼んだ。それから約18ヶ月の間に、マリカは新しいマネージャー探しと大手ユニバーサル傘下のAMF Recordsに移籍して、身の回りの全てを一新して24歳になったマリカ・ハックマンは、再びチャーリー・アンドリューをプロデューサーに迎え、私はあなたのモノじゃない的な意味深なタイトルを掲げた2作目の『I'm Not Your Man』で僕たちに一体ナニを訴えかけるのだろう。 

そもそも、マリカ本人がティーン時代の非モテ喪女に扮する「ポップ」なアートワークからして、「足フェチ」ならジャケ買い必須だった前作のフェティッシュかつダークなアートワークをはじめ、その内容も「UKの森田童子かよ」あるいは「山崎ハコの呪い かよ」ってツッコミ不可避な、アコギ一本で語り弾くような陰鬱かつアンチ・ポップ的な本来の作風とはかけ離れたものとなっている。今作の大きな特徴であるThe Big Moonとの邂逅、すなわち"バンド・サウンド "とマリカの邂逅、実はその伏線というのは既に前作の"Open Wide "という、アコギではなくエレクトリックなギターをフィーチャーしたWarpaint顔負けの楽曲にあって、端的な話、今作はそのバンド・サウンド的な方向性を推し進めたスタイルで、前作の時に「女版スティーヴン・ウィルソン」やら「Storm Corrosion」やら「Trespassers William」やらの名前を出して、それこそThe Cure『Faith』を神と拝める2:54Esben and the WitchをはじめとしたUKロックとの親和性の高さに言及したとおり、もはや完全に俺得な音楽性になっていた。そしてもう一つ、今作を語る上で欠かせないポイントがあって、それは今作がアメリカではSub Pop Recordsからリリースされている所で、ご存じSub PopといえばNirvanaの歴史的名盤『Nevermind』をはじめ、今はなきクリス・コーネルSoundgardenらと共に90年代のグランジ・ムーヴメントを作り出した一番の立役者である。

実はというと、マリカはハタチの頃に『Free Covers EP』なる、その名の通りカバーアルバムをリリースしていて、それこそ、そのカバーアルバムが本作における二大キーワードとなる「Nirvana」「Warpaint」、それらと今のマリカを繋ぎ合わせる 「原点」と呼べるものであり、その中でもニルヴァーナからの強いインフルエンスは、2曲目のリフ回しからボーカル・メロディをはじめ、それこそニルヴァーナ屈指の名曲"Come As You Are"のカバー曲かと思うほど、特にバックのサウンド面から顕著に現れており、思えば1曲目の"Boyfriend"のサビのバッキングは名曲"Smells Like Teen Spirit"を彷彿させるし、3曲目の"Gina's World"に至ってはWarpaintのEP『Exquisite Corpse』リスペクトなリズム&グルーブ感溢れるドリーム・ポップで、今作のコンセプトとなる「原点回帰」はアルバムの序盤から惜しげもなく発揮されている。

陰鬱なシンガー・ソングライターから一転して、バンド体制という自らがやってきたことへの根底を揺るがしかねない大きな変化が起こって、一体どうなるもんかと思いきや、そこはもともとオルタナ/インディ・フォークとしての側面を持ち合わせているだけあって、バックのThe Big Moonが奏でるオルタナティブなバンドサウンドと自然に共振する部分は思いのほか沢山あって、事実マリカの憂鬱な歌声はこの手のダウナー系のグランジ/オルタナ系のサウンドと驚くほど違和感なくマッチする。もはや、馴染みすぎて逆にこれまでフォークソング歌ってた人間には思えなくて、にこやかな顔で互いに笑顔を振りまきながら、仲良くセッションしている様子が浮かんでくるような息の合ったファミニンなグルーヴ感は、既に本当に実在する五人組のロックバンドのようなライブ感を放っている。つまり、マリカの音楽的な根っこの部分は何一つ変わっちゃあいないし、紛れもなくマリカにしかなし得ない「呪いの音楽」である。そして人々は、このアルバムをレディオヘッドとウォーペイントの間にある音楽と呼んだ。

その「不変的」な部分、それは前作でも垣間見せたスティーヴン・ウィルソンとも共振する、いわゆるPost-Progressiveなセンスおよび叙情的な雰囲気は、3曲目の”Gina's World”を皮切りに、今作を象徴するかのようなインディ・ポップ然とした4曲目の”My Lover Cindy”を間に挟んで、山崎ハコ系の5曲目の”Round We Go”や森田童子系の”Violet”、再び”らしさ”に溢れた”Cigarette”というインディフォークナンバーを間に挟んで、そして今作のハイライトを飾る、ウォーペイント最大のクソ曲こと”Disco//Very”リスペクトかと思いきや中盤でPost-化する8曲目の”Time's Been Reckless”や初期ウォーペイント然とした10曲目の”So Long”などの、決して一筋縄ではいかない曲構成はまさにこれぞマリカ節といった感じだし、むしろ今回バンドサウンド中心になったことで、よりそのPost-感というのが立体的に表面化し、結果的に音の強弱、いわゆる静と動のコントラストというマリカの武器に更なる磨きがかかっている。同時に、ザ・ビッグ・ムーンを交えたユルくて賑やかなコーラスワーク、こだわり抜かれたミニマルなフレーズ、前作でも垣間見せたマルチミュージシャンとして更に洗練された多彩なアレンジ、そしてPost-系ならではの楽曲構成力とダウンテンポからアップテンポまで何でもござれな底知れぬソングライティング、それらマリカの無理難題にも近いハイスペックな要求に対して、このザ・ビッグ・ムーンは「バックバンド」だからと言って一切の手抜きをすることなく、持ちうる力の100%いや120%の力で答えている。つまり、今作はマリカとザ・ビッグ・ムーン、双方の強い信頼関係により成り立っている作品とも言える。

確かに、前作で獲得した暗鬱フォークフアンからは「脱フォーク化」したと非難轟々かもしれないが、しかしマリカは今作に対して「これもまた私の脳の一部」であると語っており、僕はこの言葉を聞いて「これぞオルタナティブアーティストならではの考え方だ」と彼女を賞賛するしかなかった。それはマリカが過去最高に感情を表に爆発させる実質ラストの”I'd Rather Be With Them”という曲一つ取ってみても、それこそ「私はあなたのモノじゃない」というタイトルの意味が全てを物語っていて、実際にこれ聴いちゃったらもう前作のが良かったなんて軽々しく言えないです。むしろ逆に、チャーリー・アンドリューという名高いプロデューサーと今話題のガールズバンドがバックに付いてて傑作以外のモノを作るほうが難しいというか、正直こんなに贅沢なアルバムってなかなかお目にかかれないと思う。こう言っちゃあなんだけど、今年リリースされたザ・ビッグ・ムーンの1stアルバムより良いし、正直今のウォーペイントよりよっぽどウォーペイントらしいことしてます。

とにかく、その二組の偉大なる「裏方」の協力によって、マリカの「ミュージシャンとしての才能」は元より、「フロントウーマン」としての才能が花開いたのも事実で、つまりこのアルバムには「マリカ・ハックマン」の名をここ日本の(ホステス界隈を中心とした)音楽リスナーに知らしめるには十分過ぎる、マリカの「オルタナティブ」な魅力と質の高い楽曲とユニークなアイデアに満ち溢れた作品だ。しっかし、自分自身なんでこんなにマリカ・ハックマンの歌声に魅了されるんだろうと疑問に思って、もしやと思ってマリカの誕生日を調べてみたらやっぱり「2月生まれ」でマリカってなった(えっ)

アイム・ノット・ユア・マン
マリカ・ハックマン
Hostess Entertainment (2017-06-21)
売り上げランキング: 29,433

MONDO GROSSO 『何度でも新しく生まれる』

Artist MONDO GROSSO
new_news_header_mitsushimahikari_art201704

Album 『何度でも新しく生まれる』
_SL1000_

Tracklist

01. TIME [Vocal:bird]
02. 春はトワに目覚める (Ver.2) [Vocal:UA]
03. ラビリンス (Album Mix) [Vocal:満島ひかり]
04. 迷子のアストゥルナウタ [Vocal:INO hidefumi]
05. 惑星タントラ[Vocal:齋藤飛鳥 ( 乃木坂46)]
06. SOLITARY [Vocal::大和田慧]
07. ERASER [Vocal:二神アンヌ]
08. SEE YOU AGAIN [Vocal:Kick a Show]
09. late night blue [Vocal:YUKA (moumoon)]
10. GOLD [Vocal:下重かおり]
11. 応答せよ[Vocal:やくしまるえつこ]

90年代に京都から世界を股にかけて活躍した、滋賀県は大津市出身の大沢伸一率いるMONDO GROSSOが約14年ぶりに放つ新作、その名も『何度でも新しく生まれる』は、女優の満島ひかりや乃木坂46の齋藤飛鳥などの豪華ボーカル陣を迎え、自身初となる「全曲日本語ボーカル」をコンセプトに掲げた作品となっている。



90年代から現代までの間に、日本の音楽シーンはもとより、世界の音楽シーンおよび音楽リスナーを取り巻く環境は一変した。まず環境面では、Spotifyをはじめとした音楽ストリーミングサービスの台頭、それに伴い「CDの時代」は終わりを迎え、もはやCDという媒体の存在価値は握手券以下に成り下がった。国内の音楽シーンでは、90年代の渋谷系を受け継いだサブカルクソ女の台頭、アイドルシーンの活性化、そして現代の日本語ラップ全盛時代まで、これらの日本の音楽シーンおよび音楽を取り巻く環境、そのあらゆる流動的な「変化」大沢伸一はどのように解釈し、それに対する答えをMONDO GROSSOはどのようにして導き出したのであろうか?



大沢氏がインタビューでもともとMINMIちゃんと一緒に別のシンガー用に作った曲が基になってると語る、過去に(思春期に「90年代」~を通過した世代の人間なら一度は耳にしたことがある)”LIFE”というCMソングでコラボした女性シンガーbirdとの再タッグが実現した1曲目の”TIME”から、大沢氏の艶めかしくセクシャルにウネるベースラインを中心に、ギターの音を靡かせるような音響的な表現やjジャズいドラム、ピアノやパーカッションなどの生音をフィーチャーした、もはや「らしい」としか言いようがないグルーヴィなバンド・サウンドと、MINMIとの共作だと瞬時に分かるR&B系J-POP然としたbirdのシットリしたキャッチャーなボーカルが、夕暮れ時のメランコリックな時間に誘うかのような世界観を構築し、ここだけ「90年代」で「時」が止まっているかのような、そんな「90年代」の「あの頃」が帰ってくるような情緒溢れる曲で、特にワン ツー スリー「時」を刻む「90年代」特有のダサクサいギミックから、転調してリズムチェンジする展開の気持ちよさとカッコ良さったらない。結果的に、この曲が今作で最も「バンド」してる曲でもある。

2009年作の”光”というUAをフィーチャリングした曲が「日本語ボーカル」に挑戦し始めるキッカケとなったMONDO GROSSOが、再びUAを迎えた2曲目の”春はトワに目覚める”は、1曲目の生音主体のグルーヴィなバンド・サウンドから一転して、オシャンティなクラブで流れていてもおかしくないような、数多くのプロデュース/リミックスを手がける、それこそ「90年代」の「おしゃれ音楽」を代表する大沢氏ならではのミニマル・テクノを繰り広げ、全体的に上海ハニーというかオリエンタルなメロディをフィーチャーした、映画『ブレードランナー』のようなレトロとモダンが融合したレトロフューチャーな世界観は、海外のサブカルクソ女界のアイコンであるGrimesを彷彿させる。これらの1曲目と2曲目から垣間見せる、まるで国境と国境の壁を取り払うような、そのジャンルレスでボーダレスなサウンド・アプローチは、まさしく「MONDO GROSSOMONDO GROSSOたる所以」と言える。

今年に入ってからの満島ひかりちゃんは、「ナニか」が吹っ切れたのか本当に「アクティブ」だ。「日本版ファーゴ」でお馴染みとなった今年放送のドラマ『カルテット』では、椎名林檎提供曲の主題歌で女優松たか子とのデュエットを披露し、そして4月に発表されたMONDO GROSSOの約14年ぶりとなる新曲の”ラビリンス”を歌う謎の人物が実は女優の満島ひかりだと判明し、その数日後・・・まるで図ったように戸川純の歌手活動35周年を記念したVampilliaとのコラボアルバムわたしが鳴こうホトトギスに対するコメントを発表したのだ。これは個人的な話になるが、それに触発された僕は、満島ひかりがヒロインを務める園子温監督の映画『愛のむきだし』を数年ぶりに見返して、からの園子温監督のサイン入りポスターに当選するという、偶然にしては奇妙な「繋がり」を感じさせる出来事があった。つまり、それら一連の出来事からなる伏線回収、その総仕上げがこの度のMONDO GROSSOとの邂逅であり、それ即ち「女優 満島ひかり」「原点」である「音楽」の世界に舞い戻ってきた歴史的瞬間でもあった。面白いのは、MONDO GROSSO「14年ぶりとなる新作に対して、フォルダー5では短パンキャラで売っていた満島ひかりが、今度は「女優」として「16年ぶりにMステの舞台に帰ってきたところで、大沢氏とともに「袖に腕を通さないタイプ」の衣装を身にまといステージに上がった満島ひかりちゃんは、なんだかとても緊張した様子で、しかし間奏パートでの「不思議な踊り」だけはバッチリ決まっていた。もっとも面白いのは、満島ひかりちゃんがコメントした戸川純 with VampilliaMONDO GROSSOが揃ってフジロック'17に出演することが決まっていて、僕はMステ出演が発表される前に書いたわたしが鳴こうホトトギスの時点では、「(満島ひかりがフジロックにサプライズ出演する可能性について)それだけはありえない」的なことを書いたけど、こうやって実際にMステに出て「不思議な踊り」を披露している満島ひかりちゃんを観たら、「(今年のフジロック出演は)満更でもないかもしれない」と考えを改めざるをえなかった。



初めてこのMVを観た時、僕は「あっ、遂にコムアイ降ろし始まったな」って思った。いわゆる「ワンカット撮影」と言えば、最近では2015年のアカデミー賞【作品賞】を受賞した映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でもお馴染みの撮影技術だが、この満島ひかりちゃんが夜の香港をワンカットで踊り歩くMVは、今年最も話題を呼んだ「アカデミー賞【作品賞取り損ね映画」こと『ララランド』の振付補でありダンサーのジリアン・メイヤーズが振付・ダンスを監修している。面白いというか、ちょっと皮肉だなって思ったのは、水曜日のカンパネラコムアイは過去に映画『ララランド』をディスるような発言をツイッターで発信してて、その映画にもキャストとして出演していたジリアン監修の振り付けを満島ひかりちゃんが、いかにも水曜日のカンパネラ的なトラックをバックに、いかにも水曜日のカンパネラコムアイ的なダンスをフィーチャーしたMV・・・本職の「女優」にこれやられたら、もう「女優気取り」コムアイの立場ねーじゃんってホント笑ったわ。もっとも、「満島ひかり大好き芸人」であり「皮肉大好き芸人」でもある僕がこの件を更に皮肉るなら、Fack共謀罪とかツイートして「リベラルごっこ」してる今のイキったコムアイに対して、法案可決された「共謀罪」が早速適用されて、体制側が雇った女エージェント役の満島ひかりMONDO GROSSOと組んで刺客としてコムアイの前に現れた、実にドラマ的な演出および展開だ。なんつーか、これはもう満島ちゃんが主演している江戸川乱歩のドラマシリーズで役者対決するしかないな。もちろん満島ひかりちゃんは明智小五郎役で、そんでコムアイ怪人二十面相



この曲は、シングルのミックスとアルバムのミックスでまた微妙に違いがあって面白い。シングル版の”ラビリンス”は、そのハウス・ミュージック的なトラックを中心としたアトモスフィアと満島ひかりちゃんの透明感ある歌声との「一体感」みたいなのがあって、それこそ水曜日のカンパネラ”千利休”みたいな、良くも悪くも平坦でチープなB級感が魅力的に感じる部分もあった。しかしアルバム版では、より無機的でドラスティックな立体感のあるミックスで、シングルの浮遊感のある空間表現を担っていたアトモスフィアがまるっと消えて、その代わりにシングルのアコースティック版並に満島ひかりの歌声をド真ん中にフォーカスしたミックスで、かつストリングスとピアノの音がより上質に洗練されたのもあって、つまり水カンっぽいB級感はないし、シングルのような「一体感」こそないが、より底のないバブミの深さにどこまでも堕ちていくような、そして無限にループしていくようなミニマルな感覚が強調されており、いい意味で子供っぽいシングルに比べて、アルバムでは他の楽曲の雰囲気に引っ張られたのか俄然大人っぽい印象を与える。それこそ、昔の水カン今の水カンみたいな差がある。とは言え、これはただ単にハイレゾで聴いたからかもしれないが、確かにハイレゾで聴く満島ひかりちゃんの歌声はブレスがハッキリと聴こえるくらい最高だし、それもあってか、どうしても満島ひかりちゃんの芯のある歌が全体のトラックを引っ張っていくイメージに行き着いてしまう。それくらいバブいしマブい。



今思うと、昨年の11月に水曜日のカンパネラのライブを観ておいて本当に良かった。ライブ中にコムアイがフロアに降りてきて自分の真横を通り過ぎて行ったのを思い出して今でも笑う。何を隠そう、僕は2016年作のUMAの時に、そのMVにおけるコムアイグライムスという国内と海外を代表するサブカルクソ女のダンス対決に注目した。このGrimes”REALiTi(現実)”は、上海やシンガポールをはじめ、日本では東京と大阪、そして名古屋を舞台に撮影されたオリエンタルなMVで、これには「名古屋飛ばしをしないグライムスはチョ~kawaii」と賞賛された。しかしなぜ今、コムアイグライムスなのか?その理由が、男性ボーカルの猪野秀史を迎えた4曲目の”迷子のアストゥルナウタ”のアレンジからして、Grimesの1stアルバムを彷彿させるシンセ・ポップやってるところで、ここまで聴いてて面白いのは、2,3,4曲目までの全ての曲の裏にグライムスが潜んでいることで、つまりコムアイもリスペクトしている世界的なサブカルクソ女のグライムスをも利用して、完全に水曜日のカンパネラの息の根を止めにかかっててクソ笑う。



ここまで「アダルト」な雰囲気が支配する今作の中で、一際異質でイマドキの現代っ子な存在感を放つ乃木坂46齋藤飛鳥を迎えた5曲目の”惑星タントラ”は、イントロからシューゲイザー/ドリーム・ポップ的なギターの音響的な浮遊感を内包したATMSフィールドの中で、現代社会という名の「イマ」を生きる若者の苦悩を迷宮のごとし複雑に紡ぎ出す、ティカ・αなる謎の人物による言葉遊びを駆使した文学少女兼リケジョな歌詞を、アイドル界屈指のサブカルクソ女で知られる齋藤飛鳥がいい意味で青臭い歌声をもってセンチメンタルに表現する。そして僕らは、中盤のラップパートをはじめ、この独特な歌詞世界に対して猛烈なデジャブを憶える。ちょっと面白いのは、「90年代」から「イマ」までの音楽を取り巻く環境の変化、そしてCDの価値を握手券以下にした張本人でありアイドルシーンを代表する乃木坂46のメンバーを歌い手として起用することの皮肉ったらなくて、しかしこの辺は大沢伸一という音楽家が持つ「流動性」、その真髄を体現している気がしてならなかった。



それ以降も、大和田慧を迎えてリミックス風のアレンジを効かせた#6”SOLITARY”AMPSのボーカリストで知られる二神アンヌ”シンデレラ”として迎えた#7”ERASER”、再び男性ボーカルのKick a Showを迎えた「90年代」のポンキッキーズ的な郷愁を憶える#8”SEE YOU AGAIN”moumoonYUKAをフィーチャーした打ち込み主体の#9”late night blue”、そして下重かおりなる「主婦」の歌には聴こえない美声をフィーチャーした#10”GOLD”を最後に、ここで僕は再生を止めた。だから僕は、このアルバムを最後まで聴きたくなかったんだ。だって最後に「アイツ」が待ち構えてるやんと。アラサー女特有のドス黒い闇がドヤ顔で仁王立ちしてんだもん。

僕らは、女優界屈指のサブカルクソ女こと満島ひかりとアイドル界屈指のサブカルクソ女である齋藤飛鳥、現代のサブカルクソ女界を取り仕切るコムアイと世界的なサブカルクソ女であるグライムスの存在を認識していながらも、僕らはただ一人、日本が誇るサブカルクソ女の存在を視界の中で確かに認識しながらも、しかし頑なにその存在を認めようとはしなかった。今作の「裏設定」としてある、現代サブカルクソ女達による「コムアイ降ろし」、それは決して「共謀罪」を利用した体制側の陰謀ではなかったのだ。今作における「水カン包囲網」を考案した首謀者は、他ならぬサブカルクソ女界最強の女であり、11曲目の”応答せよ”を大沢氏とともに共作した謎の人物ティカ・αこと相対性理論やくしまるえつこによる指示だったのだ。

過去に菅野よう子など様々なアーティストとのコラボ作品を発表してきたやくしまるえつこが、このタイミングで引かれ合ったのが大沢伸一率いるMONDO GROSSOだった。それこそ初期のMONDO GROSSO菅野よう子はジャズ周辺に精通する音楽スタイル的にも互いに共振し合う存在だ。とは言え、今回の大沢伸一やくしまるえつこの邂逅は、紛れもなく相対性理論の2015年作のアルバム天声ジングルがあってのことで、このアルバムというのは、今流行りのラップムーブメントを的確に捉えた「えつこなりのヒップホップ」であり、それこそ「えつこなりの日本語ラップ」だった。つうか、えつこ大沢氏の邂逅よりも、えつこエイベックスの邂逅のほうが『意外性』高くね?って感じるけど、それはともかくとして、実は大沢伸一は今の若者に大人気のラッパーぼくのりりっくぼうよみに強く影響を与えてたりと、だから今回の引かれ合いは意外でもなんでもない邂逅であって、それよりも「コムアイ潰し」のために満島ひかりちゃんとやくしまるえつこが邂逅してしまったことの方がヤバいし、もうなんかコエーわ。現代サブカル界の頂点に立ってイキってるコムアイを、満島ひかりやくしまるえつことかいうレジェンドサブカルクソ女がシメにきてる構図怖すぎだろ・・・。もうなんか【やくしまるえつこ×満島ひかり】=【みつしまるえつこ名義でシン・対性理論という名でバンド組んでアルバム出して欲しいわ。ゼッテー売れる。少なくとも、インタビューを見ると大沢氏は今回えつことのコラボにご満悦なようで、近い将来に再タッグが実現しそうなんで俄然期待して待ちたい。

あらためて、MONDO GROSSO『何度でも新しく生まれる』相対性理論天声ジングルには共振する部分が多くて驚かされる。このアルバムのナニが凄く怖いって、いわゆる「初期の相対性理論回帰」で初期のファンを釣っておきながら、そいつらを実験の材料として【SRAP細胞】の謎を解き明かし、母親である小保方晴子の無念を果たしているところで、特に打ち込みをフィーチャーした6曲目の”弁天様はスピリチュア”以降は、そのエイフェックス・ツイン顔負けの「実験的」な傾向が著しく強くなり、中でも”おやすみ地球”はこの『何度でも新しく生まれる』と共振する部分が多く、あらためて天声ジングルの凄さや怖さを再確認させられた。そんなえつこが参加した”応答せよ”は、GrouperJulianna Barwickを連想させるアンビエント・ポップをバックに、えつこがソロアルバムの『Flying Tentacles』で習得したエスペラント語を駆使して人類に語りかける、まさに天声ジングルな幕開けから、全体的にピアノやシンセをフィーチャーしながらゆるふわな感じに展開するこの曲だけは、ほぼえつこソロみたいな感じになってて笑うし、ある意味で『天声ジングル』の延長線上にある楽曲と言える。とにかく、いわゆる「日本一のジョジョヲタ」である僕が認める唯一の女オタだけあって、えつこ怖すぎるわホント。

正直、こんなにも面白くて笑えるアルバムってなかなか出会えないと思うし、それをMONDO GROSSOが14年ぶりにやっちゃう不思議さ。イタリア語で「大きな世界」を意味するMONDO GROSSOなりに「90年代」以降の日本の音楽シーンおよび世界の音楽シーンを総括するような、それこそ「90年代」と「イマ」を音楽という名のワームホールの中で紡ぎ合わせた、紛れもなく今世紀最大のJ-POPアルバムだ。そして、このアルバムの裏で秘密裏に行われているのが「女たちの戦い」であり、これはもう世界的のサブカルクソ女代表のグライムス、現代サブカルクソ女代表のコムアイ、女優界代表の満島ひかり、アイドル界代表の齋藤飛鳥、そして伝説のサブカルクソ女であるやくしまるえつこによる「シン・サブカルクソ女」の称号を賭けた頂上決戦だ。僕は”ラビリンス”の歌い手が満島ひかりだと知った時→「どうせなら満島ちゃん主演でMV撮ってほしい」という願望が本当に実現したと思ったら、まさかこんな面白い裏の演出が仕込んであるなて思っても見なかった。今年、もう何回満島ひかりちゃんに振り回されて惚れ直したかわからないけど、いわゆる「満島ひかり大好き芸人」としてはこんなに嬉しいことはないし、なんかもう満島ひかりちゃんから何度でも新しく生まれたいと思っちゃったんだからしょうがない。

何度でも新しく生まれる(DVD付)
MONDO GROSSO
cutting edge (2017-06-07)
売り上げランキング: 32

MONDO GROSSOの『ラビリンス』が凄いという話

C-bl52IUMAEIb6T

おいらが国内で唯一認めてる女優って満島ひかりちゃんと今はなき能年玲奈(この二人を引き合わせなかった業界の罪は重い)、そんなおいらが満島ひかりちゃんのことを明確に認知し始めたのって、他ならぬ奇才園子温監督の最高傑作である『愛のむきだし』のヒロイン役で、そのバブみの深い存在感と体を張った凄みのある演技をひと目見た瞬間に、年下ながら「この子は間違いなく大物になる」とドヤ顔したのを覚えている。元々はフォルダー5とかいうダンスグループで一人だけ異質な存在感を放っていて、しかしその時は女優に転身するなんて、しかもまさか国内屈指の大物女優に化けるなんて思いもよらなかったのだけど、最近では江戸川乱歩ドラマシリーズの明智役他をはじめ、火曜ドラマ『カルテット』では椎名林檎が提供した主題歌で松たか子らとのデュエットを披露したりと、その存在感はCM界やドラマ界を中心に日に日に増すばかりで、更には名作映画『川の底からこんにちは』の某監督との離婚ですら「大物女優」としての箔付けにしかなってなくて、俄然惚れ直したというか、「やっぱ俺って見る目あるわ」ってなった。

ところで、一体なんでこんな話をしているのかというと、大沢伸一氏のソロプロジェクトMONDO GROSSOの約14年ぶりとなる新曲に、他ならぬ満島ひかりちゃんがボーカルとして参加してるからであって、しかもその曲がトンデモナイくらいイイ曲でサイコーなのだ。



今流行の水曜日のカンパネラをはじめとした、クラブ/ハウスミュージック系のダンサブルなトラックと満島ちゃんのほのかに幼さを残す透明感のある甘い歌声が織りなすアトモスフェリックなトリップ空間にソッと身を委ねたくなる、それこそ同郷である往年の安室奈美恵を彷彿させる、それこそ小室哲哉全盛だった90年代のエイベックスサウンドを彷彿させる懐かしのサウンドを展開する。"ラビリンス "の歌詞を手掛けたのは、東京スカパラダイスオーケストラの谷中氏で、2曲目にはサックスをフィーチャーしたレゲエ調の(DUBFORCE Mix)を収録し、3曲目の(Acoustic Mix)では文字通りアコギをフィーチャーしたハワイアンな曲調で、より満島ひかりちゃんのピュアでラブリーな歌声が癒し系に作用してて最高。この曲で毎日満島ひかりちゃんの歌声が聴けるってだけで嬉しみが深い。そして、こんなイイ曲を満島ちゃんに与えてくれた大沢伸一氏およびモンド・グロッソに感謝。

Mastodon 『Emperor of Sand』

Artist Mastodon
new_rs-245897-Mastodon-Game-of-Thrones

Album 『Emperor of Sand』
67294

Tracklist

03. Precious Stones
04. Steambreather
05. Roots Remain
06. Word To The Wise
07. Ancient Kingdom
08. Clandestiny
09. Andromeda
10. Scorpion Breath
11. Jaguar God

確かに、ことマストドンって、2012年に突如として現れメタルシーンに衝撃を与えたデビューアルバムの『Remission』から、Rushなどのクラシック・ロックや70年代のプログレヲタクを唸らせた歴史的名盤と名高い2009年作の4thアルバムCrack the Skyeまでは、確かに「神がかり的」な勢いで「神がかり的」な名盤を立て続けにリリースし、瞬く間にアメリカの現代メタルシーンを代表する「レジェンド」と称されるまでの地位へと上り詰めた。しかし、その歴史的な名盤の次に発表された2011年作の5thアルバムThe Hunterでは、玄人向けだった前作から一転して、パーリーピーポーみたいなチャラくてポップでポストハードコア的な、「売れ線」というよりは「キッズ向け」のパリピ・サウンドを展開し、これまでのフアンから総スカンを喰らってしまう。しかし、この玄人向けのクラシックなスタイルから一転してティーンエージャー向けのポップなスタイルへと様変わりする、様々なスタイルに変幻自在なところもマストドンの魅力であり、そこがマストドンというバンドが高く評価される理由、マストドンというバンドの「面白さ」たる所以でもあった。

そんなパリピアルバムの次の作品として、ある意味で注目された2014年作の6thアルバムOnce More 'Round the Sunは、十分に「良作」の部類に入る作品ではあったものの、あくまでも「全盛期のマストドンを彷彿とさせるレベル」の、しかしどこか「パチモン」っぽい感じが拭えなかったのも確かで、事実その曲構成からリフ回しをはじめとしたソングライティングの面から、そしてマストドンの生命線であるオリジナリティの面でも全盛期からはほど遠い内容で、やはり「神がかり的」だった彼らの求心(神)力は、歴史的名盤および最高傑作と名高い4thのCrack the Skyeを最後に綺麗サッパリ消失してしまった、その事実を皮肉にも裏付けるような作品でもあった。なんだろう、ただ過去作の美味しいところを寄せ集めただけの、言うなれば全方位中途半端なアルバムというか、単純にアルバムの核となる「コンセプト」の部分が脆弱的で、そういった「コンセプト」という点ではまだ『The Hunter』の方がトガッた作風だったと言える。それこそ、超絶テクいドラム叩きながら歌っちゃう俺かっけーみたいな、単にブラン・デイラーが自己主張し過ぎた結果とも言えなくもない。そのブラン・デイラーによるワンマンバンド化が著しく進行し、それにウンザリしたベスボのトロイ・サンダースとギタボのブレント・ハインズ、そしてリード・ギタリストのビル・ケリアーの3人は、それぞれ個々でサイドプロジェクトに手を伸ばし始め、終いにはフォロワーであり盟友のBaronessにまでブチ抜かれたマストドンは、いよいよバンド崩壊の前夜を漂わせていた。

それらのネガティブ要素が取り巻く今のマストドンが放つ、約三年ぶり通算7作目となる『Emperor of Sand』『砂の王』は、いわゆる「神がかり的」マストドンを象徴する歴史的名盤Crack the Skyeを手がけた名プロデューサーブレンダン・オブライエンとの再タッグが実現、彼と同じアトランタ出身のマストドンの相性は今作で更なる飛躍を遂げている。



今作は死刑を宣告された人が舞台となる神話をモチーフにしたコンセプトアルバムで、それこそPain of Salvationダニエル・ギルデンロウじゃあないが、『死』を宣告された人間の限られた時間と余命を『砂の王』という名の死神が独断でジャッジメント!する、そのコンセプティブな世界観を司るようなイントロで幕を開ける1stシングルの#1”Sultan's Curse”から、マストドンらしい怒涛の砂波が押し寄せるソリッドなキザミ系のヘヴィネス、トロイの獣性むき出しの遠吠え、ブレントの爺猫ボイス、そしてブランの歌によるトリプルボーカルの掛け合い、そして歴史的名盤『Crack the Skye』を彷彿とさせるキーボードがスペース/サイケデリックな世界観を構築し、まさしくそれは『高い砂の城の男』を築き上げるかの如しだ。開幕と同時にShow Yourself Show Yourselfとコマーシャルかつキャッチーに歌い上げるブランと「はざまけんじ」でお馴染みのビートルズの”Eleanor Rigby”のサビを彷彿とさせるトロイの歌メロでとことんキャッチーに展開する2ndシングルの#2”Show Yourself”、タンバリンを抱えながら疾走する#3”Precious Stones”、そして盟友Baroness”Shock Me”に対するからの答えの如しトロイのキャッチーなボーカル・メロディをフィーチャーしたサビをはじめ、オルタナ系のモダン・ヘヴィネスを通過した重厚なリフとキーボードのサイケデリックなアレンジで妖しさを醸し出す#4”Steambreather”まで、ここまでの序盤は比較的モダンなエッセンスを効かせた「いつものマストドン」と言った感じの、ツカミとしては決して悪くないシンプルかつキャッチーな流れで聴かせる。

しかし、今作のハイライトを飾る5曲目の”Roots Remain”では、妖しげにフェードインしてくるアコースティックなイントロから、重圧のようにのしかかるヘヴィなリフとオルタナ系のモダンなリフで骨太な地盤を組み立てながら、名盤『Crack the Skye』を象徴する名曲”The Czar”の続編あるいは延長線上にある深淵な世界へとトリップさせる、キーボードやトライアングルを駆使したサイケなサウンド・アプローチをもってプログレッシブに展開し、そして「DON is Back...」を高らかに宣言するブレントの超絶怒涛のGソロからアウトロのピアノまで、それこそ「神がかり的」な時代のマストドンにしか書けないような楽曲だ。

初期の頃を彷彿とさせる変拍子を交えたリフ回しと、トロイとブレントによる攻撃的なボーカルワーク、そしてけたたましく鳴り響くサビの轟音ヘヴィネスへと繋がる#6”Word to the Wise”、名盤『Crack the Skye』の系譜にあるキザミ系のリフとタンバリン主体で聴かせる#7”Ancient Kingdom”、3rdアルバム『Blood Mountain』”Circle of Cysquatch”をフラッシュバックさせる宇宙人ボイスとテレサ・テンばりの哀愁よろしゅうな間奏パートが目玉の#8”Clandestiny”、2ndアルバム『Leviathan』をフラッシュバックさせるスリリングなインストとブレント&トロイのハードコア然とした咆哮が炸裂する”Andromeda”、その猛烈な勢いのまま、最初期の頃の混沌蠢く破天荒かつカオティックなマストドンへと回帰した#10”Scorpion Breath”、そして約8分ある大作の#11”Jaguar God”では、シブいアコギのイントロから優美なピアノとA7X風のブレントのムーディな歌声で哀愁よろしゅうな幕開けを飾り、今度はギアチェンしてタイトなビートを刻むベースラインにブランの歌を乗せて進行し、再びギアチェンしてトロイの咆哮とスラッジーなリフで大胆不敵に展開し、トドメは2ndアルバム『Leviathan』の名曲”Megalodon”のスリリングな展開とリフのセルフオマージュをやってのけ、そのまま最後までテクニカルなリフの波状攻撃、そしてブレントによる名曲”The Czar”の血が通った泣きのGソロを最期に、『高い砂の城の男』である『砂の王』との契約により、マストドンは再びNWOAHMの頂点に君臨する。

あの名盤『Crack the Skye』というのは、鍵盤をフィーチャーしたスペース/サイケ・ロックにはなり切らない絶妙なサイケ風アレンジがキモであり、『Crack the Skye』を歴史的な名盤たらしめた最もたる要素、その所以でもあって、今作でも名曲”The Czar”の世界観を更に深く掘り下げるような鍵盤が全編にわたって鳴り響いている。とにかく、アルバム前半はバロにゃんことBaronessに「格の違い」を見せるけるようなバロにゃん煽りでキャッチーに展開し、しかしアルバム後半からは往年のマストドン、それこそ「神がかり的」だった頃=1stアルバム~4thアルバムまでのマストドン全盛をフラッシュバックさせるような、リフメーカーことビルの『Crack the Skye』直系のキザミ系のリフを筆頭に、2ndアルバム『Leviathan』や3rdアルバム『Blood Mountain』を連想させるテクニカルな怒涛のリフ攻め、最初期のスラッジ/ハードコア然とした獰猛なヘヴィネス、名曲”The Czar”をルーツとするブレントの超絶epicッ!!な泣きのGソロとトロイのハードコア然とした咆哮、そして何よりもタンバリンとトライアングルという最強装備を身につけたマストドンに敵なしだ。とにかく、3人のボーカル面とインスト面のガチっぷりは近作にはない、それこそ「神がかってた」時代の初期衝動が『砂の王』の力によって現代のマストドンに憑依したかのような、久々に年間BESTの可能性を大いに感じさせる怪作、というより「復活作」と表記した方が的確かもしれない一枚だ。

正直、全7曲の大作志向というガチなプログレやってた『Crack the Skye』とは打って変わって、今作は全11曲で曲尺も至って普通の長さで、となるともう聴く前からその内容が全く想像できなかった。しかし、久しぶりのコンセプト・アルバム、そして初めて過去作と同じプロデューサーを起用したことで危惧していた、いわゆる二番煎じに陥ることもなく、クラシック・ロックというよりはモダンな音を多用した実に現代的な『Crack the Skye』とでも言うんだろうか、とにかく彼らが求心(神)力を失った『The Hunter』のウェイ!系のパリピ感が完全に消え去ったことが何よりの進歩で、小細工なしの基本的なリフとメロディ、そして複雑な展開/構成力で聴かせる、言うなればオーガニックなマストドンに回帰したことが何よりも嬉しい。あと、やっぱりって事前にガッチリコンセプト決めて曲書いたほうがいいバンドだと再認識させられた。じゃなきゃこいつら5thや6thみたいに好き勝手やり過ぎるからなw
 
エンペラー・オブ・サンド
マストドン
ワーナーミュージック・ジャパン (2017-03-31)
売り上げランキング: 942

Marika Hackman 『We Slept At Last』

new_be9a6cd751134645c62a5206d4eb825b

Tracklist
01. Drown
02. Before I Sleep
04. Open Wide
05. Skin
06. Claude’s Girl
08. In Words
09. Monday Afternoon
10. Undone, Undress
11. Next Year
12. Let Me In

UKのシンガー・ソングライター事情といえば・・・実はよく知らないんだが、とは言えイングランド南部はハンプシャー州出身のマリカ・ハックマンのデビュー・アルバム『We Slept At Last』が、寂れた郊外のバーで語り弾きする光景が脳裏に浮かびそうなくらいダーティなムード漂う激シブなインディ・フォークやってて、例えるならex-Trespassers WilliamLotte KestnerがUSのChelsea WolfeTrue Widow、あるいはUKの2:54みたいな暗黒面に堕ちたヤンデレ系フォーク・ミュージックやってて、とにかく一見ありがちなインディ・フォークかと思いきや、そこはUK出身ならではの”オルタナティブ”なアレンジ/メロディ・センスを垣間見せたりと、なんとも「イギリスらしいシンガー・ソングライター」としか他に形容しがたいSSWだ。
 

イントロから不協和音にも近い不穏な空気感をまといながら、気だるくも落ち着いた、しかしどこか色気のあるマリカの歌声とアコギのリフレインが、Kayo Dotばりの暗黒物質という名の多彩なアレンジとともに絶妙な距離感で調和し、素直に心地良く、しかしどこか深い闇がある音世界を構築するオープニング曲の”Drown”、いわゆるスティーヴン・ウィルソン界隈を彷彿とさせるArt-Rock然とした音使いと叙情的なストリングス・アレンジの絡みが完全にPost-系のソレな二曲目の”Before I Sleep”Trespassers Williamリスペクトな#3”Ophelia”、そしてもはや確信犯と言っていい四曲目の”Open Wide”では、一転してバンド・サウンドを主体に、USのWarpaint顔負けのダウナーなドリーム・ポップを繰り広げる。この序盤の流れを耳にすれば、彼女のシンガー・ソングライターとしての才能は元より、一人のマルチミュージシャンとしての才能にド肝を抜かれる事ウケアイで、それと同時に彼女が産み落とす音楽が”俺の感性”のド真ん中であるということが理解できる。それすなわち、Warpaint大好き芸人のスティーヴン・ウィルソンが一番のオキニにしそうなSSWである、ということ。



再びダーティなアコギを靡かせながら、ロンドン出身のSivuとかいう男性ボーカルとのデュエットを披露する#5”Skin”、70年代のフォーク・ソングのカバー曲と言われても疑わない#6”Claude’s Girl”、一転してDevin Townsend”Blackberry”ばりのカントリー調でノリよく展開する#7”Animal Fear”、哀愁漂うシンプルな#8”In Words”、遊牧民を誘き出すようなフルートや優美なストリングスを擁した民謡風の曲調からポスト-系の展開力を発揮する#9”Monday Afternoon”、そして後半のハイライトを飾る#10”Undone, Undress”は、そのタイトルどおり、まるで「UKの森田童子」と言わんばかりの、底すらない闇へとどこまでも堕ちていくような、ただそこに蠢くドス黒い狂気の中に彼女の底知れぬ『闇』を垣間見る。Opethミカエル・オーカーフェルトが悶絶しそうなメロトロンとフルートの音色が俄然サイケかつサイコに演出する#11”Next Year”、最後はアコギを片手にドチャシブな歌声を聴かせる。

なんだろう、一見至って普通のシンガー・ソングライターかと思いきや、全然普通じゃない、とにかく闇が深すぎるSSWだった。 ピアノやシンセ、メロトロンやオルガンをはじめ、民族楽器のサーランギーやディルルバまで難なく弾きこなす、それこそプログレ界隈もビックリのマルチな才能が遺憾なく発揮された傑作です。

もはや「UKのSusanne Sundfør」と呼んでも差し支えないレベルだし、もちろん我らがスティーヴン・ウィルソンをはじめ、少しベクトルは違うがUSのRhye、そして近年のUlverOpethなど、そして最終的にはビートルズという偉大な先人をルーツに浮かび上がらせる、そのメランコリーでサイコーパスな音楽性は、普段の日常生活の中に潜む『闇』に気づいたらスッと片足突っ込んじゃってた感すらある。

あとは単純にメロディが素晴らしいのと、何度も言うけど曲の展開が一々ポスト-系のソレでツボ過ぎる。正直、ここまでPost-Progressive系のアーティストとリンクするSSWは他に類を見ない。逆に「繋がり」が一切ない事の方がおかしいレベル。でも逆に「繋がり」がないからこそ「面白い」くもある。
 
We Slept At Last
We Slept At Last
posted with amazlet at 16.07.22
Marika Hackman
Imports (2015-02-24)
売り上げランキング: 272,997
記事検索
月別アーカイブ