Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

邦楽

赤い公園 『純情ランドセル』

Artist 赤い公園
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Album 『純情ランドセル』
20160223-akaikoen02

Tracklist

01. ボール
02. 東京
03. Canvas
04. 西東京
05. ショートホープ
06. デイドリーム
07. あなたのあのこ、いけないわたし
08. 喧嘩
09. 14
10. ハンバーグ!
11. ナルコレプシー
12. KOIKI
14. おやすみ

aaaa

最近は、いわゆる「超えちゃいけないラインを超えちゃったゲスの極みZ女男子」『一本』で満足しちゃった事で世間を賑わせているが、この音楽業界でも「超えちゃいけないラインを超えちゃった系ゲスの極み乙女」が話題を呼んでいる。ガールズ・ロックバンドの赤い公園が2014年に発表した2ndアルバム『猛烈リトミック』は、その「超えちゃいけないライン」の線上に立った傑作で、つまり「アンダーグラウンド(クソ)」「メジャー(ポップ)」「境界線」、すなわちボーダーラインの上を津野米咲が命がけで綱渡りするかのようなアルバムだった。

前は『闇
一色だったが、今は『光
が優勢だ

その境界線という言葉に関して最近考え事をしていて、それというのは→荒木飛呂彦の漫画ジョジョ8部ジョジョリオン』でも、主人公の東方定助『誰か』『誰か』が融合した、言うなれば「ハーフ」という人物設定がなされていて、その定助の身体の中心には『ナニか』『ナニか』を繋ぎとめる「つなぎ目(境界線)」がある。話は変わるが→俺たちのマシュー・マコノヒー主演の『トゥルー・ディテクティブ』という海外ドラマは、一見硬派な刑事モノと見せかけた、人間の『善(人)』『悪(人)』の境界線(ボーダーライン)を問う複雑かつ濃厚な人間描写に惹き込まれるサスペンスドラマの傑作だ。おいら、このドラマを見て東方定助の身体の中心に刻まれた「つなぎ目」が意図する本当の意味って、一方で『誰か』『誰か』が混ざり合ったという一般的な意味合いの他に、一方で『光』すなわち黄金の精神』『闇』すなわち『漆黒の意志』の境界線(ボーダーライン)でもあるんじゃあないか、という解釈が生まれた。この『TRUE DETECTIVE』、タイトルを直訳すると『本当の刑事』なんだが、改めてこのドラマは刑事という本来は『善意』の象徴とされる存在、その心にもドス黒い『闇』すなわち『漆黒の意志』が潜んでいる事を、シリーズ(1,2)を通して登場人物のキャラクター像が重厚な物語の根幹として至極丁寧に描き出されている。当然、日本一のジョジョヲタである僕からすれば、飛呂彦も観ている海外ドラマだと断言できる作品で、特にマシュー・マコノヒーウディ・ハレルソンをバディに迎えたシーズン1は、『過去』に起こった事件の『謎』と月日が経過した『現在』の供述を緻密に交錯させた演出をはじめ、マコノヒーとハレルソンの少し歪で奇妙なバディコンビという点からも、より現在進行形で展開する『ジョジョリオン』空条仗世文吉良吉影の少し歪で奇妙な相棒関係を描き出す『過去』を演出として盛り込んだ、それこそミステリー/サスペンス然とした複雑怪奇なストーリーからも、むしろ逆に飛呂彦がこのドラマを観ていないと考える事の方が難しい。しかし、『ジョジョリオン』『トゥルー・ディテクティブ』の影響がある...とは流石に断言こそできないが、要するに先ほどの「アンダーグラウンド」「メジャー」境界線は一体どこにあるのか?刑事(人間)の『光』『闇』、東方定助の『善』『悪』境界線は一体どこにあるのか?に注目して、あるいは考察しながら音楽/漫画/ドラマ/映画をはじめとしたクリエイティブな創作物に触れると、よりその作品の世界観に入り込むことが出来るのではないか、ということ。

境界線

そもそも『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズというのは、『人間』を超越しちゃった吸血鬼とか、一般的に『悪』の象徴とされるギャングがマフィアのボスという『悪』にトラウマを植え付けたり、ヤンキーという反社会的なイメージを持つ人間が街のリーマンと言う名の『悪』を倒したり、歩けないクズが某トランプ大統領候補にソックリな奴を倒したりする漫画で、一貫して『トゥルー・ディテクティブ』と同じように、人間の「境界線」を問いかけるようなキャラクター像を描き出している。もはや『トゥルー・ディテクティブ』のマコノヒーは、映画『インターステラー』『本棚の裏』という『四次元空間』に導かれたマコノヒーが時空を超越してパラレルワールドで刑事に輪廻転生したマコノヒーみたいな奴で、要するに、これはもう『ジョジョドラマ』と言い切っても過言じゃあないし、もはやマコノヒーはジョジョ俳優の一人として認識すべき役者だ。

十二支ん会議

俺は一体ナニを書いているんだ!?・・・というわけで、話を元に戻して→前作の猛烈リトミックでその境界線上に立った赤い公園は、約二年ぶりとなる3rdアルバムの『純情ランドセル』でどうなったか?果たして超えちゃいけないライン(境界線)を超えてしまったのか?結局のところ、「ネットにはじかれたテニスボールはどっち側に落ちるのか誰にもわからない」、それこそ『神』のみぞ知る世界だ。まずアルバムの幕開けを飾る”ボール”からして、上記のプログレ界の「十二支ん会議」を見れば分かるように、津野米咲椎名林檎と並んで秘密結社KことKscope主宰のPost-Proguressive界を取り仕切る幹部であることを裏付けるような、本格的に赤い公園がPost-Pの世界に入門してきた事を意味するような、言うなればANATHEMAWe're Here Because We're Hereから”Get off, Get Out”を彷彿とさせる、いわゆるミニマルな「繰り返し」を駆使したオルタナティブらしいリフ回しや津野米咲スティーヴン・ウィルソンの傀儡化したことを暗示する間奏部のギター・フレーズ、初期のねごとをフラッシュバックさせる近未来感あふれるファンタジックなキーボード、赤い公園のバックグラウンドの一つである歌謡曲を経由したフロントマン佐藤千明の情感あふれる歌メロ、ヘヴィな重みを乗せたうたこすのどすこいドラミング、そして転調を織り込んだPost-Progressive然とした展開力、この一曲だけで津野のズバ抜けたライティングセンスと彼女たちが如何に才能に溢れたバンドなのかを証明している。面白いのは、前作の一曲目を飾った名曲”NOW ON AIR”の「これぞメジャー」なイメージとは一転して、初期を彷彿とさせる「アンダーグラウンド」な懐メロ風の、それこそ「意外性」のある展開とメロディに良い意味で期待を裏切られたと同時に、俄然アルバムに対する期待度を押し上げているし、只々この”ボール”を一曲目に持ってきた赤い公園『勇気』と確かな『成長』に僕は敬意を表したい。

僕に「東京コワイ」というトラウマを植え付けた某きのこ帝国YUIのように、『東京』の名を冠した名曲は世にたくさん溢れていて、津野米咲は「真の”じぇいぽっぱー”を名乗るなら”東京”を書かなきゃ説得力がない」とばかり、まるで某ネコ型ロボット映画の主題歌に使われてそうなくらいの力強いエネルギーと前向きなメッセージが込められた”東京”は、良くも悪くも赤い公園というバンドにしては、一曲目の”ボール”みたいな奇をてらった『意外性』は皆無で、想像した以上に『平凡』で『普通』だった。その謎というか違和感の答えは、2ndシングルの”Canvas”を挟んだ三曲目の”西東京”にあった。ご存じ、赤い公園は東京は東京でも”西東京”は多摩地域に位置する立川が地元のバンドで、某政治家の「友達の友達は~」の迷言をモジッた歌詞をはじめ、田舎のクッソブサイクなカッペJKが雨の日に学校まで鼻水撒き散らしながら自転車でかっ飛ばす様子が浮かんでくるような、それこそ立川の象徴である赤い公園メンバー自身を投影したかのような、こいつらにしか書けない説得力に溢れたユニークな歌詞を、”東京”という大衆的(メジャー)なイメージからかけ離れた、赤い公園の本性を表したようなファンキーかつヤンキーな、ノイズ/インダストリアルなサウンドに乗せたハードコア・パンクチューン。それにしても、この曲の佐藤千明はなんだ...おめーは「平成のカルメン・マキ」かよw

初期の黒盤こと『透明なのか黒なのか』”潤いの人”を彷彿とさせるスローなファッキン・テンポで始まり、90年代のJ-POPを彷彿とさせるキーボードとジャジーなピアノが織りなす、さっきまでのクソカッペJKから一転してオシャンティなアレンジで聴かせる”ショートホープ”は、前作の”TOKYO HARBOR”で培った「オトナ女子」的な素直にアップデイトしたかのようなシティ・ポップ風の演出がポイント。6曲目の”デイドリーム”は、その名の通り津野米咲のシューゲイザーに対する嗜好が著しいドリーミーな音響と、前作の”私”を彷彿とさせる佐藤千明のエモーショナルな歌声と”ドライフラワー”を想起させるストリングス・アレンジ、そして一種のカタルシスを呼び起こすアウトロの演出まで、もはや今作のハイライトと言っても過言じゃあない名曲だ。この手の儚さ満開、エモさ爆発の曲を書かせたらこいつらの右に出るバンドはいないこと改めて証明している。

そのの中で目覚めた四人のクソカッペJKは、気づくとハロプロ・アイドルと化していた”あなたのあのこ、いけないわたし”は、それこそ赤い公園のラジオで何故℃-ute心の叫びを歌にしてみたがジングルで使用されていたのか?その伏線を回収するような、90年代のシンセ・ポップ風のキーボード・アレンジを効かせたkawaii系ポップ・チューンで、まるで佐藤千明「#ガールズ・ロック界の矢島舞美なの私だ」とハッシュタグ付けてツイッターに連投してそうな、それこそ津野がこの度モーニング娘。に楽曲提供したことに対する理解と納得が得られる曲でもある。遂にアイドルという『夢』から目覚め、自らの素性がマイルドヤンキーであることを自覚したクソカッペJKは、他校の女ヤンキーに対して「かかって来いやオラァ!」と威勢のいいメンチを切って、”カウンター”を交えながら素っ頓狂な”喧嘩”を始める。その”喧嘩”の後に、お互いに爽やかな友情が目覚めていた”14”は、前作の”サイダー”を彷彿とさせるシンプルなメロコアチューン。10曲目はキテレツ大百科ばりの”ハンバーグ”を作るような、名曲”め組のひと”を津野流に料理したポップチューンから、5曲目の”デイドリーム”の系譜にあるドリーミーなサウンドにクリック音と藤本ひかりのあざといコーラスがひかる”ナルコレプシー”、そして1stシングルの”KOIKI”は、去年の『ま~んま~んツアー』で初めて聴いた時は「モー娘。っぽい」って漠然と思ったけど、実際にスタジオ音源で聴いてみたら大して似てなくて笑った。けど、津野がモー娘。に楽曲提供することを予測していたと考えたらセーフ(なにが)。

本作を象徴する一曲と言っていい”黄色い花”を初めて聴いた時、厳密にはJ-POPの常用手段であるストリングスを聴いた時、僕は「あ、津野変わったな」って思った。自分の記憶が正しければ、津野って過去にインタビューか何かで「J-POPにありがちなチープなストリングス」を否定してた憶えがあって、だからこの曲を聴いた時は本当に「あ、赤い公園が目指すところってそこなんだ」って思った。けれど、きのこ帝国が新作でJ-POPの常用手段であるストリングスとピアノを擁してメジャー行きを宣言したたように、現代の流行りのJ-POPを象徴するような曲調に、この手のJ-POP特有のストリングスを入れるのは至極当然というか、この曲で遂に赤い公園「超えちゃいけないライン」「境界線」を超えてしまったんだと、そう僕は理解した。僕は「境界線」を超えるのと破るのは違うと思ってて、赤い公園はこのアルバムで「アンダーグラウンド(クソ)」「メジャー(ポップ)」「境界線」を超えたんじゃあない、その「境界線」を破って「アンダーグラウンド(クソ)」でも「メジャー(ポップ)」でもない、それこそ「ローカル」なクソカッペJKへと変身する事に成功したんだってね。

ぼくフレッチャー
jii「ゴラァァァァァァァァあああ!!津野おおおオオお!!」

津野米咲
津野米咲「・・・は?」

ぼくフレッチャー
new_d923ad829cdaa748bc2f3beaaeb15c16「なーに楽しそうにキーボード弾いてんだコラァァァァ!!」

津野米咲
津野米咲「うるせぇシネ」

ぼく元℃ヲタフレッチャー
new_session2-e1426367009736「なんで℃-uteに楽曲提供しねぇんだゴラァァァぁああ!!」 

津野米咲
津野米咲「知らねぇよハゲ」

ぼくフレッチャー
new_CPD904lUkAA4Otz「なーに超えちゃいけないライン超えてんだゴラぁぁぁ!!」 

津野米咲
津野米咲「うるせぇシネ」 

極端な話、今作は赤い公園バンドというより「津野プロデュース」感がハンパない。なんだろう、某深っちゃんの「今時、まだギター使ってんの?」という例の発言に触発されたのか、なんて知る由もないが、とにかく今作は虹のようにカラフルなキーボード・アレンジが際立っていて、それは津野米咲が楽しそうに鍵盤を弾き鳴らしている様子が浮かんでくるほどで、あまりにもノリノリに弾き倒す津野に対して、僕は映画『セッション』のフレッチャー先生ばりに鬼のような形相で「オメー楽しそうにキーボードなんか弾いてんじゃねーよ」とツッコミを入れたほどだ。それこそ80年代の歌謡曲や90年代のJ-POPやシンセ・ポップなどの懐メロ風アレンジ、そして現代風の鍵盤アレンジに注力しているのが分かるし、前作以上に津野米咲が自由に好き放題やってる。しかし、一方のアレンジに重きを置きすぎて、肝心のメロディが蔑ろになっているんじゃあないか?いくら凝ったアレンジでも肝心なメロディが貧弱じゃあ本末転倒なんじゃあないか?という疑問が残る。おいら、津野米咲をリスペクトできると思ったキッカケの一つに、某インタビューで津野が「大事なのは力強いメロディとソングライティング」と発言した所にあって、その「メロディとソングライティング」を大事にする姿勢というのは、奇しくも僕が大好きなANATHEMAのヴィンセント兄弟も全く同じことを言っている。この言葉は、DIR EN GREYのリーダー薫にも通じる話でもあるのだが、結局のところ一体ナニが言いたいって、要するにこの『純情ランドセル』でその発言の信憑性および説得力というのが少し揺らいだんじゃあないかって。その点で前作の『猛烈リトミック』は、アレンジやメロディ、そしてソングライティングの全てが両立した奇跡のアルバムだったんだと再確認させられた。

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なんやかんや、初期や前作に通じる”らしさ”のあるリズムやメロディ、そして強力なアレンジを巧みな技術で「ローカル」なポップスに落とし込んでいるのは実に小粋な演出だし、その辺のセンスは初期の頃から不変だ。その中でも、完全にメジャーのポップスに振り切ったアレンジは過去最高にバラエティ豊か、前作以上にバラエティ豊かと言い切れるかもしれないが、如何せんアルバムの流れが悪すぎる。いや、始まりこそキライじゃあない、むしろ【ラジオネーム スティーヴン・ウィルソン】こと某レビューブログの管理人が嬉しさのあまり咽び泣き出しそうなくらい大好きな始まりなんだが、その始まりの”ボール”と終わりの”黄色い花”だけは共存してはならない、つまり一つにパッケージングしてはならない、その曲と曲の間にはそれこそ「超えちゃいけないライン」という明確な「境界線」が存在する。つまり「バラエティ豊か」という表現は、曲と曲に「境界線」が存在しないクリーンな状態で、一つにパッケージングされた状態で初めてその言葉の意味を成すんだってね。

超えちゃいけないラインああ

このアンチ「バラエティ豊か」は、今作の曲を多人数にプロデュースさせた弊害でもあって、面白いのは、本当に面白いのは、昨年にガールズ・バンドのねごとが発表した3rdアルバム『VISION』は年間BEST入り間違いなしの傑作で、奇しくもねごと赤い公園も世界的なマスタリングスタジオSTERLING SOUNDを率いる(ねごとは)Ted Jensenと(赤い公園は)Tom Coyneという二大エンジニアにマスタリングを依頼して、双方ともに『音』に対する”こだわり”を伺わせるばかりでなく、一方のねごとはセルフプロデュースで新作を、一方で赤い公園は五人のプロデューサーを迎えて新作を発表するに至ったこと。もう一つ面白いのは、昨年にきのこ帝国が発表したメジャー1stアルバム猫とアレルギーも年間BEST行きの傑作で、おいら、きのこ帝国に関する記事の中で「きのこ帝国に足りないのは津野米咲だから津野米咲をプロデューサーに迎えろ!」みたいな戯れ言を書いてて、本当に面白いのは、きのこ帝国は『猫とアレルギー』の中で佐藤千亜妃「#椎名林檎の後継者なの私だ」宣言をはじめ、エンジニアに井上うに氏を迎えることで「超えちゃいけないライン」の境界線上に立って、つまり津野米咲の生首を片手に佐藤千亜妃なりの『勝訴ストリップ』あるいは『猛烈リトミック』を描き出していたこと。その『猛烈リトミック』でやられた事の仕返しとばかり、新作で赤い公園がやりたかったことを一足先にやり返されて、今では綺麗に立場が逆転してしまったこと。

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赤い公園
ユニバーサル ミュージック (2016-03-23)
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きのこ帝国 『猫とアレルギー』

Artist きのこ帝国
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Album 『猫とアレルギー』
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Tracklist

03. 夏の夜の街
04. 35℃
05. スカルプチャー
06. ドライブ
08. ハッカ
09. ありふれた言葉
10. YOUTHFUL ANGER
11. 名前を呼んで
12. ひとひら

フロントマンの佐藤千亜妃曰く→「絶望の中から見上げる希望」と語った、2014年に発表された2ndフルアルバムフェイクワールドワンダーランドは、初期の『渦になる』『eureka』の頃の音楽性を全否定するかのような、言うなれば初期の椎名林檎”CHE.R.RY”以降のYUIがクロスオーバーしたような、『絶望』から一転して『希望』に満ち溢れた普遍的なJ-POPへとその姿を変え、その翌年には椎名林檎の後を追うようにEMI Recordsへと移籍し、2015年初頭に発表されたメジャー1stシングル桜が咲く前にでは、これまでにないほどメジャー色に染まったきのこ帝国を披露してみせた。

そんなきのこ帝国は、次なるメジャー1stアルバム『猫とアレルギー』で一体どんな姿を見せたのだろうか。何を隠そう、まず僕はアルバムのリードトラックであり表題曲でもある”猫とアレルギー”のMVに映る佐藤千亜妃の姿に興味を惹かれた。これまでは、その音楽性と同調するかのようにボクっ娘あるいはボーイッシュなビジュアルイメージで売っていた佐藤千亜妃が、このMVではまるで「ユニクロの新作ニットのCMかな?」と見間違えるくらい、音楽性を含め色々な意味で『黒』を好む男性的(中性的)なイメージから一転して、エクステや純のセーターに身をまとい、何時にもなく『女性的』なシンボル(象徴)を身につけ、何時にもなく『女性的』なアイコンとして輝き放つ佐藤千亜妃のビジュアルに度肝を抜かれた。それすなわち→佐藤千亜妃が都会色に染まりきったことを示唆していた。気づくと僕は、「東京コワイ」と呟いていた。



その佐藤千亜妃のビジュアルよりも驚かされたのは、他でもないその『楽曲』イメージで、シングルの『桜が咲く前に』の路線を素直に踏襲しつつも、しかし随所に椎名林檎”虚言症”に対するオマージュ&リスペクトを織り交ぜながら、柔らかなピアノの音色と壮麗優美なストリングスというJ-POP界の専売特許と言わんばかりの音を大胆にフューチャーした、教科書通りのJ-POPを繰り広げる。まさに新生きのこ帝国の襲名と同時に、椎名林檎の正統後継者を宣言するかのような、まるでツイッターのハッシュタグに「#椎名林檎の後継者なの私だ」と付けてツイートしてそうな佐藤千亜妃の圧倒的な存在感に震える。
 

表題曲と並んでアルバムのリードトラックを担う#2”怪獣の腕のなか”は、一定に鳴り続けるミニマルなメロディと和音ギターのリフレインと音(残)響をフューチャーした曲で、過去に「あいつをどうやって殺してやろうか」と歌ってた中二病バンドと同じバンドとは到底思えない可愛い歌詞まで、その全てに度肝を抜かれる。一見「普通のポップス」に聴こえるこの曲の凄い所は、出自のセンスを感じさせるギターのリヴァーヴィな音響意識にあって、USのWarpaint”Intro”直系の空気圧/空間描写からは、奇しくもきのこ帝国と同じく2014年間BESTに名を連ねたウィーペイントと同レベルの音響世界、その更なる高みに到達したことを意味していた。その#2の音響意識を受け継いだ曲で、音響指数ビンビンな#3”夏の夜の街”でも、懐かしい郷愁を呼び起こすケルティックなメロディを靡かせながら、#2と同じく和音ギターのリフレインと出自を想起させるシューゲイザー的なアプローチで聴かせる。

次の”35℃”は、USのWhirrを彷彿とさせる焦燥感溢れるノイズポップ風のギター、バンドの土台(低域)をガッチリと支える谷口君のベースとロックなリズム&ビート感を刻む西村コン君のドラムが織りなすアンサンブル、そして佐藤千亜妃の幼少期にタイムスリップさせる歌声と、思春期の焦燥と刹那、そして煩悩といったあらゆる感情が交錯する、むせ返るような真夏の夜の切ない恋模様を描き出すエモい歌詞が絶妙にマッチした、ここまで90年代のJ-POPを意識したコード進行はないってくらい王道的なポップスで、これはもはやきのこ帝国なりのホワイトべりー”夏祭り”、あるいはレベッカ”フレンズ”と言っても過言じゃあない。当然、この曲でも”普通のポップス”ではないことを、ノイズという名の音の蜃気楼を巻き起こす轟音パートを耳にすれば分かるはずだ。

昭和の匂いを内包したジャズ風味のピアノをフューチャーした”スカルプチャー”は、椎名林檎”罪と罰”みたいにガッツリ巻き舌する勇気はないけれど、少しオラついた演歌歌手ばりにコブシを握って椎名林檎になりきる佐藤千亜妃が、別れたオトコの匂いに執着するオンナの未練と怨念が込められたダーティな歌詞を熱唱する、それこそ佐藤千亜妃「#椎名林檎の後継者なの私だ」とツイート連投してそうな歌謡曲で、これはもうきのこ帝国なりの”歌舞伎町の女王”ならぬ”メンヘラストーカーの女王”だ。しっかし、思春期の無垢で甘酸っぱい片想いを歌った”35℃”から一転してオトナのオンナに化けるギャップ、というか曲の振り幅に柔軟に対応する佐藤千亜妃の表現力≒演技力には、伊達に女優業やってなかったと関心してしまった。

さっきまでの『夏』をテーマにした曲とは一転して『冬』をテーマにした”ドライブ”は、その『冬』のイメージどおり、Daughter2:54をはじめとしたUKインディ直系のリヴァーヴィな音像と北欧ポストロック的な幽玄なメロディがリフレインするダウナーなスロウコアで、一言で「洋楽っぽい」とかそういったチープな表現はナンセンスで、とにかく初期の”ユーリカ”を彷彿とさせる激シブいアンサンブルと、森田童子ばりに陰鬱な佐藤千亜妃の歌声が真冬の夜の淫夢へと誘うかのような子守唄ソングだ。

そして、今作のハイライトを飾る#4~#6までの流れを締めくくるように、シングルとは違ってピアノのイントロで意表を突いてくる”桜が咲く前に”を中盤の山場に迎えるが、正直アルバムに収録される上でここまで効果的なシングルになるなんて想像してなかったし、単体じゃなくアルバムの流れの中で聴くと、俄然この曲が持つ他とは一線を画した力強いエネルギーと凄みを感じる。

それ以降も→若手SSWの片平里菜からの影響を感じさせる、実質佐藤千亜妃のソロとして聴けなくもないシンプルなピアノの語り弾きを聴かせる”ハッカ”、在りし日のYUIが歌ってそうな賑やかでアップテンポなポップチューンの”ありふれた言葉”、一転してニルヴァーナばりにダーティなヘヴィネスと椎名林檎”弁解ドビュッシー”を想起させるメンヘラ風ボコーダーを効かせた佐藤千亜妃の歌、そしてポストブラックメタルばりの不協和音的なメロディが狂気じみてる”YOUTHFUL ANGER”は、別の意味で(G)ソロもあって完全に「マッシュルーム・エンパイアはメタル」なセイント・アンガーばりの一曲で、在りし日の僕に「東京コワイ」を痛感させた『CAN'T BUY MY LOVE』の頃のYUIをイメージさせる、「女の趣味は全部オトコの影響!きのこ帝国の変化はオトコの影響!」と言わんばかりの”名前を呼んで”、ラストの”ひとひら”ねごと辺りが演ってそうなストレートなロックナンバー。

序盤は新生きのこ帝国の始まりを告げるような、出自のセンスと天才的なアレンジを王道的なJ-POPに落とし込んだ楽曲、アルバム一番の見せ場である中盤は、ライブの十八番になりそうな90年代のJ-POPを地でいく曲や佐藤千亜妃の椎名林檎化が著しい曲をはじめ極端に振り切ったガチなキラーチューンの応酬、アルバム後半ではガチのメタル曲や佐藤千亜妃がソロ化する新機軸とも受け取れる曲を擁して最後まで楽しませる。ハッキリ言って、前作とは比べものにならないくらい驚きと面白さに満ち溢れれた内容で、表面上は「ただのポップス、普通のポップス」に見せかけて、一体どこにそんな才能隠してたんだ?ってくらい、音の細部にまで徹底した”こだわり”を感じさせるアレンジやメロディセンス、そしてライティングの凄みにビビる。とにかくアルバムとしての完成度、一つの作品として聴かせる熱量がこれまでとは段違いだ。前作『フェイク~』の時点で『面白い』というポテンシャルは未知数にあったけれど、まさかここまでとは思わなくて、前作で予感させた並々ならぬ『面白さ』が開花した結果というか...でもあの『eureka』という傑作を作ったバンドって事を考えたら至極妥当だし、全く不思議じゃあない。音の傾向として和音のリフレイン主体の至極シンプルな構成と音使いで、ここまでの曲が書けるのは彼らが本物であるという何よりの証拠だと思う。

フロントマンの佐藤千亜妃は、このアルバムの中でボーカリストとしての役割、コンポーザーとしての天才的な才能、そしてシンガーソングライターとしての未知なる可能性を開花させている。近年激化する椎名林檎の後継者問題に終止符を打つかのような、もはや椎名林檎の正統な後継者は赤い公園津野米咲でもなく、tricotイッキュウ中嶋でもない、赤い公園佐藤千明もといきのこ帝国佐藤千亜妃だ。その佐藤千亜妃からの要求に真正面から答える、特にリズム隊の男性陣が強力なアンサンブルを生み出しているのも聴きどころの一つだ。もはやシングルの『東京』以降、エンジニアを担当している椎名林檎でもお馴染みの井上うに氏のキャリアの中でも上位に食い込むであろう作品なんじゃねーかレベル。

『前作のライングラフ』
超えちゃいけないライン

そもそも、そもそも前作の『フェイクワールドワンダーランド』は、いわゆる「超えちゃいけないライン」からは少し外れた所に位置する作品で、2014年当時その「超えちゃいけないライン」の線上に立っていたのが、他でもない赤い公園の2ndアルバム『猛烈リトミック』だった。何を隠そう、赤い公園というガールズバンドも、きのこ帝国と同様に初期の拗らせたアンダーグラウンドな音楽性から、今現在のメインストリームすなわち大衆性すなわちメジャー感あふれる音楽性へと流動的な変化を遂げたバンドの一つで、おいら、『フェイク~』の時に「きのこ帝国に足りないのは津野米咲の存在」みたいなニュアンスで、遂には「次作は津野米咲にプロデュースさせるべき」みたいな事もレビューに書いてて、それは今思うと本当に面白くて、ナニが面白いって→この『猫とアレルギー』で遂にきのこ帝国佐藤千亜妃「超えちゃいけないライン」の線上に立って音を鳴らしている事実に面白さしかなくて、一方『猛烈リトミック』「超えちゃいけないライン」に立った赤い公園が次作の純情ランドセルでどうなったのか?「それはまた、別のお話」。

猫とアレルギー
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きのこ帝国
ユニバーサル ミュージック (2015-11-11)
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ねごと 『DESTINY』

Artist ねごと
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Single 『DESTINY』
15

Tracklist
01. DESTINY
02. 夜風とポラリス
03. シンクロマニカ -Mizuki Masuda Remix-

『深夜の馬鹿力』 ・・・ねごとの3rdアルバムVISIONは、まさにねごとの『未来を確信的かつ核心的に捉えた、今年の邦楽界を象徴するかのような傑作だったが、そのアルバム『VISION』から約三ヶ月ぶりとなる新曲『DESTINY』が早くも発表された。自分の中で→「ねごとはシングルよりもアルバム曲のが面白い」というイメージと、今回のシングルはアニメ『銀魂゜』のアニソンタイアップだという点から、正直過度な期待はしていなかったし、実際に伊集院光のラジオ『深夜の馬鹿力』で流れた時にサラッと聴いても→「まぁ、シングルだしこんなもんか」みたいな漠然とした印象しか持てなくて、でもこのMVがアップされて初めてフルで聴いてみたら一転、それまでの評価が180度ガラッと変わってしまった。



裏VISION ・・・そんな事よりも、曲がどうとか以前に、この横スクロールアクションみたいなMVの沙田瑞紀がメチャクチャ可愛い。特にラスト演奏パート。もうなんかこれ以外の感想は必要ないくらい、俄然瑞紀推せるやん?というわけ。で、話を戻して→伊集院光のラジオでほぼ寝ながら聴いた時は、ありがちなアニソンみたいなイメージしかなかったが、前述の通りこの”DESTINY”はフル音源で聴いて初めてその真価を発揮するのだ。まるでデヴィン・タウンゼント総裁『Addicted』を彷彿とさせるピュンピュンしたkawaii系エレクトロニカとガールズ・ロック界のYMOを襲名するかの如し俄然レトロフューチャーなキーボードの音色、つまり新しさと懐かしさ、それこそレトロとモダンがクロスオーバーした"レトロモダン"なイントロから、瑞紀らしいミニマルなフレーズで曲のシュール感を演出しつつ、”シンクロマニカ””GREAT CITY KIDS”を連想させる最高にハイ!ならぬ最高にデッ↑デッ↑ってヤツな蒼山幸子のボーカルが冴え渡るポスト-グリッチ・ポップ的なサビへと繋ぎ、そしてこのシングルがただのポップ・ソングじゃあないことを証明する中盤からの、それはまるでANATHEMA”Thin Air”顔負けのPost-Progressiveなパートでは、ベースの藤咲佑とドラムの澤村小夜子によるリズム隊のジャズミュージシャンばりに大人びたグルーヴを形成し、その強靭な土台の上で星空を見上げるような幸子の哀愁を帯びたボーカル・メロディが確かな存在感を発揮、来たるクリマックスではこれぞ"日本のオリアンティ"あるいは"ガールズ・ロック界のダニー・カヴァナー"と呼ぶに相応しい瑞紀の天上を貫くようなギター・ソロから大サビへと繋がる”endless”顔負けの展開力・・・そして遂に一つの結論に行き着く→「チョトマテチョトマテ...これって『VISION』の原型じゃ~ん!」って。事実、この曲は二年前から既にストックされていた曲との事で、どおりで所々にアルバム『VISION』の鍵を握る楽曲アレンジが顔を覗かせたりするし、と言っても『VISION』のどの曲とも一線を画した雰囲気や世界観を持っているのも確かで、これはもう言わば『裏ビデオ』もとい『裏VISION』と命名したくなるほどの名曲だ。あらゆる音がせめぎ合っているのにも関わらず、全く窮屈に感じない無駄のないソングライティング、その著しい洗練が進んだねごとワールドが宇宙さながら無限に広がっていく中で、その音のワームホールを抜けた先にねごとが辿り着いた一つの境地、これまでの集大成であると同時にねごとが降り立った新種の惑星がこの『DESTINY』なのかもしれない。

【成長性A ・・・傑作『VISION』で培ったバンドのアンサンブルはより強固に、より靭やかさが増し、持ち前のメジャー感溢れるポップさと『VISION』という傑作を作り上げたことで芽生えた自信、そしてバンドの成熟感に裏打ちされたアンサンブルが絶妙なバランスで保たれた、そのサウンドスケールが突如としてサウンドスケープと化す音のダイナミズムに只々圧倒される。アルバム『VISION』から数ヶ月という短期間で、自らのサウンドを著しくアップデイトし続けるねごとの音楽に対するひたむきな姿勢、優等生過ぎるほど貪欲な探究心にリスペクト不可避だ。なんだろう、ジョジョの身上調査書的に例えると、ねごとメンバーの成長性は間違いなくAランクだ。もはや今のANATHEMAに肩を並べる成長スピードだわ。なんかもうこいつらスゲーわ。こいつら本当に後ろ(過去)を振り返る気ねーわ。今はもう前しか見えてない、それこそ『VISION』で指し示した未来へと突き進んでいる感、無敵感がハンパねーわ。同時に、もうなんか『5』は意地でも聴かねーわと決意した瞬間だった。もうなんか公園に引き篭もって"椎名林檎ごっこ"してるどっかのメンヘラクソ女に聴かせてやりたい気分だ。

邦楽界のANATHEMA ・・・ねごとの成長性、それ即ちバンドメンバーの成長性に繋がっている。その実力はGLAY界隈でも折り紙つきの小夜子のドラムは、いつものように足の裏から変な汁が出るくらいテクいリズムを刻むというわけではなくて、今回はむしろ過去最高に派手さや手数を抑えた、パッと見地味に聴こえるようでいて、しかし随所で小夜子らしいというか小夜子にしか叩けないセンスフルなドラミングを披露していて、同時にドラムの音も過去最高にオーガニックかつナチュラルな音像で、俄然タイトかつヘヴィに聴かせる。佑との絶妙なコンビネーションも相まって、俄然リズム隊の骨太感マシマシだ。幸子は幸子で、一曲の中で哀愁と激情の間で最高にハイ↑から最高にロー↓まで(ハンティン↑ハイアンロー↓的な)、繊細に聴かせる所はシッカリとメロディを聴かせ、ブチアゲ↑る所ではシッカリとエピカルにブチアゲ↑る、まるでANATHEMAヴィンセント・カヴァナーの如く変幻自在に歌いこなし、一人のボーカリストとして着実なステップアップを感じさせる。瑞紀は瑞紀で、カップリング曲の”夜風とポラリス”の中で、海外ノイズ・ポップ/ギター・ポップ風のオルタナ然としたギターを主体に、夏っぽいカラッとした雰囲気で軽快かつ爽やかなテンポで聴かせる曲で、これまでのねごとにはなかったような、しかし随所にねごとらしさを強く感じさせる今風の新感覚サウンドを展開していく。そして三曲目の”シンクロマニカ -Mizuki Masuda Remix-”は、初期Porcupine Treeをはじめとした今のPost-Progressive勢にも通じる、言うなればSF映画『メトロポリス』の世界観にも通じるアトモスフィアーでダークな雰囲気を持ったミニマル/ダブ・テクノ風のリミックスとなっている。目指すはJ-POP界のChvrchesといった所か。そしてアルバムに引き続き、かのテッド・ジェンセンをマスタリングとして起用しており、俄然プロフェッショナルな音を提供してくれている。特に今回の小夜子のドラムの音は理想的と言える。ちなみに、歌詞カードはきのこ帝国『桜が咲く前に』と同じく一枚づつのカード仕様で、初回限定盤のDVDには先日大団円を飾った『お口ポカーン?!初の全国ワンマンツアー2015』の初日密着ドキュメンタリー編が収録されている。

今最も評価されるべきバンド ・・・ともあれ、"今最も評価されるべきバンド"という俺的評価に俄然説得力を持たせるような、一方で【なぜ日本におけるPost-Progressiveが女性的なジャンルであるのか?】という昨今の疑問に対する答えのようなシングルだった。つうか、シングル曲でこれだけハイレベルな一種の実験的な曲が書けちゃう今のねごとに怖いものなしだろう。マジでもうねごとがNEXT-ステージにステップアップするには、ANATHEMA”Distant Satellites”みたいな究極のミニマル・ミュージックが書けるか否かにかかってるんじゃあないか。それができなきゃねごとはそれまでのバンドだったというだけの話で、それ以上でもそれ以下でもない。なぜならそれができるのは、少なくとも今の邦楽界ではねごとしかいないからだ。しかし現に、三曲目の”シンクロマニカ -Mizuki Masuda Remix-”はその伏線()だと確信しているので、俺たちの瑞紀なら、俺たちの瑞紀ならきっとやってくれるハズだ・・・ッ!

DESTINY(初回生産限定盤)(DVD付)
ねごと
KRE (2015-06-03)
売り上げランキング: 1,654

椎名林檎 『日出処』

Artist 椎名林檎
new_Land+of+the+Rising+Sun+2014

Album 『日出処』
日出処

Tracklist
01. 静かなる逆襲
02. 自由へ道連れ
03. 走れゎナンバー
04. 赤道を越えたら
05. JL005便で
06. ちちんぷいぷい
07. 今
08. いろはにほへと
09. ありきたりな女
10. カーネーション
11. 孤独のあかつき
12. NIPPON
13. ありあまる富

Post-Progressive界の第一人者 ・・・事の発端は、昨年リリースされた赤い公園猛烈リトミック、そしてきのこ帝国フェイクワールドワンダーランドで、今年に入ってからは相対性理論のライブを皮切りに、tricotねごとはじめとした、それらのガールズ・ロックおよび女性ボーカルバンドの楽曲を聴いてもの凄く痛感した事があって、それは椎名林檎という一人のババアもとい一人の女性アーティストの存在が、いかに日本の音楽シーンに多大な影響を与えてきたのかという事で、それに伴って→【なぜ日本におけるPost-Progressiveが女性的なジャンルであるのか?】という疑問にブチ当たった。何を話そう、その疑問に対する答えは、既に約10年以上前の椎名林檎が証明していると言っても過言じゃあなくて、それこそ昨年リリースされたオリジナル・アルバムとしては約5年半ぶりとなる5thアルバム『日出処』は、この椎名林檎が日本におけるPost-Progressive界の第一人者であるという事実を物語るような一枚となっている。
 

音楽の王道』=『黄金の道 ・・・まるで椎名林檎が執り仕切るキャバレーの開演を知らせる合図の如く、トランペットやサックスが織りなすダーティなブラスとジャジーでアダルトな世界観を繰り広げていく#1静かなる逆襲”は、初っ端の「東京なんてのは危険なトコよ」とかいう歌詞をはじめ"らしさ"のあるシニカルな歌詞からして、つい最近きのこ帝国のアンダーグラウンドからメインストリームへの移行を目の当たりにした身には痛く染みるほど、もはやソレに対する皮肉にも聞こえて俄然面白いし、お得意の転調から巻き舌風にオラオラと捲し立てる大サビまでのポスト-な展開力にはぐうの音も出ない。で、まるでRATMばりのUSヘヴィロック然とした縦ノリグルーヴで幕開けを飾り、ハードロック調のアッパーなノリで展開していく#2自由へ道ずれ”は、それこそアルバムのリード・トラックと呼ぶに相応しい、驚くほどストレートでシンプルかつキャッチーな、そして作品の明確なツカミとしてその大胆不敵な存在感を放っている。一転してフルートのエスニックな音色とファンキーなバンド・サウンドが、初期の傑作勝訴ストリップ虚言症”をフラッシュバックさせるワチャワチャしたリズム&グルーヴを刻んでいく#3走れわナンバー”、それに負けじとイヴァン・リンスのボイスとトロンボーンをフューチャーしたジャズナンバーの#4”赤道を越えたら”、また一転してエレクトロな打ち込みと壮麗優美なストリングスがシリアスに交錯する、それこそPost-Progressiveに精通するオルタナチューンの#5JLOO5便”、まるで気分は怪盗ルパン三世あるいはカウボーイビバップな映画音楽顔負けのスケール感溢れるブラスとド派手なストリングス、そしてGrimesSusanne SundførをはじめとしたSSW/海外アート・ポップ勢に負けず劣らずな日本人らしいコピー能力の高さを発揮する林ンゴのオリエンタルなボーカル、極めつけは「テレッテッテッテーテレレテーレレレ…Ringo!!」とかいうアゲアゲなコーラスに草木生える#6”ちちんぷいぷい”、また一転してケルティックなアレンジと壮麗なストリングスを擁したドラマティックなバラードナンバーの#7”今”、若作りに必死なババアの激萌えボーカルとチェンバロの摩訶不思議な音色が織りなす、一種のおとぎ話のようにアンニュイでメルヘンチックな世界へと聴く者を誘い込んで行き、そして転調に次ぐ転調を見せる後半の展開、そのポスト-な展開力をはじめギターの音使いからも、林ンゴのプログレッシブ・ミュージックに対する見識の広さを垣間見る事ができる#8”いろはにほへと”、ピアノ一本で聴かせるシンプルなバラードかと思いきや、間もなく高鳴る心臓の鼓動のように力強くテンポアップして純情的かつ情熱的な歌声を披露する#9”ありきたりな女”、終盤は朝ドラのOPでお馴染みの#10”カーネーション”、この手の打ち込みメインの英詞曲やらせたら菅野よう子の右に出る者は椎名林檎しかいないと思わせる#11”孤独のあかつき”、そして「フエ~フエ~ニッポンハエ~」こと#12”NIPPON”から、児童合唱団による清らかなコーラスを駆使したクラシック/アコースティックなシットリ系バラードの#13”ありあまる富”まで、林ンゴ自ら「もう王道のことしかしたくない」と語るように、 オルタナとしてもプログレとしても普遍的なJ-POPとしても聴けちゃう懐の深さ、アヴァンギャルドに見せかけて『王道』、奇をてらったように見せかけて『王道』、これぞ『王道、まさに王道中の『王道』を行く『王道音楽だ。本来、王道だけの音楽って面白くもなんともないハズなのに、むしろ『王道』のことしかやってないのに、それこそ王道的なことの面白さ、素晴らしさを突き詰めたような一枚と言える。つまりこの『日出処』には、椎名林檎なりの『王道の道、すなわち黄金の道』が描かれている。もはや椎名林檎とかいう女は、『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦『インターステラー』クリストファー・ノーランが映画あるいは漫画という創作場の中で描き出している『王道映画』及び『王道漫画』を、この椎名林檎は音楽の世界で『王道音楽』として表現しようとしているのかもしれない。
 


椎名林檎はプログレ ・・・このアルバム、ほぼ全曲にタイアップが付いている。よってその音に一貫性というのは皆無で、しかしバラバラの楽曲コンセプトを一つにパッケージングしてアルバム『日出処』として一つの物語を完結させてしまう、もはや音楽の枠組みを超えた1人のクリエイターとしての椎名林檎にリスペクト不可避だし、同時に「ババア最高だ・・・ってなる。とは言え、なんだかんだ東京事変で培ったジャジーでアヴァンギャルドなサウンドを聴かせる序盤、そんな中で"自由へ道連れ"のようなベッタベタなロックチューンを2曲に配置する曲順も実に王道的だし、そのアダルトな雰囲気から赤道を越えたら”→JLOO5便”→”ちちんぷいぷい”までの流れは本作のハイライトで、この椎名林檎がなぜオルタティブババアと称されるのか?なぜアヴァンギャルド変態ババアと称されるのか?その所以を垣間見る事ができる。中盤以降は、総勢数十名を超えるストリングスを全面にフューチャーしたプログレ度マシマシな楽曲が続き、その極めつけに【椎名林檎はプログレ】である事を証明するかのような曲で、そして【なぜ日本におけるPost-Progressiveが女性的なジャンルであるのか?】の答えを指し示すかのようないろはにほへと”の存在感ったらなくて、もはや森は生きているの岡田君がブヒりそうな気配すらある名曲だ。しかし、今作から醸し出される謎のプログレ感はそれだけじゃあなくて、それは今作の曲と曲の繋ぎが驚くほど自然(スムーズ)な所で、その音の繋ぎの異常な"こだわり"や細かな気配りが過去最高に研ぎ澄まされた結果、アルバム終盤の朝ドラOPすら例の「ニッポンハエ~」すらもアルバム曲として違和感なく馴染んでいる。というより、アルバムを通して聴いた時の違和感というか異物感を最小限に抑える事を最大限に考慮した曲順が功を奏していて、つまり全13曲まとめて一曲として聴かせる林ンゴの熟した身体に巻かれた一枚の絵巻物、それこそデカパイ(擬乳)もといプログレだ。これはプログレ以外ナニモノでもないのだ。
 

椎名林檎≒ANATHEMA ・・・昨今、かのスティーヴン・ウィルソンを中心とした本場イギリスのPost-Progressive界も、大所帯のストリングスを積極的に曲に組み込む流れがあるのを読者はご存知のはずだが、結論から言ってしまえば→待望の来日公演が決まったANATHEMAの『Distant Satellites』はPost-JPOPであるという俺の解釈を、このJ-POP界の女王すなわち卑弥呼である椎名林檎が身をもって証明してくれたのだ。おいら、一般的なJ-POPの嫌な所って、とりあえずサビでストリングス鳴らしときゃエエやろ的な、全く必然性の感じられないストリングスを平然と使い回すのが本当に嫌で、もはやバカにされているような気分になってしまうのだけど、しかしこの『日出処』の中で展開されるストリングスというのは、(これだけ過剰にストリングスぶっ放してんのにも関わらず)ダメな邦楽にありがちなストリングスの安売りとは正反対のソレで、それこそANATHEMA『Distant Satellites』と同じように必然的かつ必要不可欠な音として存在している。また面白いのは、この『日出処』とかいうタイトルの意味で、一見【日出ずる国のシンボルを背にしたブロンドヘアーの日本人】という皮肉の効いたジャケや「ニッポンハエ~」とかいうネトウヨマーケティングを狙った曲からも日本を指す語だと考えがちだが、林ンゴいわく「陽の光」をイメージして付けられたタイトルとの事で、そんな所からも俄然ANATHEMAの音楽性及び世界観と椎名林檎の親和性を見出す事ができる。

かつお
↓↓↓
中嶋

邦楽界のスティーヴン・ウィルソン ・・・もちろん初期の毒素やヤンデレ感は皆無に近いが、とは言えこれは紛れもなく椎名林檎のアルバムだ。しかし、それ以前にJ-POPのお手本のようなアルバムでもあって、今作の中にはJ-POPの王道を知っている人の素晴らしいメロディとJ-POPの『王道』を知っている人の素晴らしいソングライティング以外の概念は存在しない。それこそ現代の『勝訴ストリップ』、というより漢字とカタカナを組み合わせたタイトルからも分かるように、津野米咲自身が意図的にソレを狙って作った赤い公園猛烈リトミックも、実にバラエティに富んだ傑作アルバムだった。が、この『日出処』は更にその上をいく、 楽曲のコンセプトや和洋ごちゃ混ぜのオリエンタルな林ンゴのボーカルやバックの音使い的にも、まさに本当の意味でバラエティ&バラエティなアルバムと言えるのかもしれない。洋楽は大手女性SSW、かたや邦楽菅野よう子から森は生きているに至るまで、もはや邦楽界のスティーヴン・ウィルソンと呼ぶに相応しい日本人らしい咀嚼能力の高さと器用過ぎる創作技術を、いわゆる椎名林檎ごっこに余念がない昨今のガールズ系バンドに格の違いを見せつけるような、かつ今の日本に対する林ンゴらしい皮肉が込められた隙のない傑作だ。

「お~い佐藤~!椎名林檎ごっこしようぜ~!」
かつお2
↓↓↓
「アホくせぇ」
かつお3

椎名林檎ごっこ ・・・と言えば→まず赤い公園は、2ndアルバム『猛烈リトミック』の楽曲プロデュースをはじめ、遂には津野米咲が亀田のおっさんとバンド組み始めたり、このタイミングでねごとのドラマー澤村小夜子も亀田のおっさんプロデュースのGLAYの新曲に参加したり、一方でtricotは2ndアルバム『A N D』の中でこの 『日出処』にも参加しているex-東京事変のドラマー刄田綴色H ZETT Mことヒイズミマサユ機とコラボしてたり、一方できのこ帝国林ンゴの背中を追うようにしてEMIからメジャーデビューを果たし、そして最新シングルの桜が咲く前にでは名盤『勝訴ストリップ』を手がけた井上うにをエンジニアとして迎え入れ、その楽曲もポスト-椎名林檎を襲名するかのような作風だった。そのようにして、椎名林檎が生まれた1978年から十年後の1988年に自分をはじめ(えっ)、きのこ帝国佐藤千亜妃tricotヒロミ・ヒロヒロが誕生し(定期的にヒロミ・ヒロヒロを推していくスタイル)、その世代が成長して音楽を聴く側から創る側になった結果、どのバンドも何かしらどこかしらの部分で林ンゴからの影響を著しく受けている現状からも、あらためて椎名林檎が当時の音楽シーンに与えた衝撃、その計り知れない大きさを物語っている。全盛期が過ぎ去った今も、これからも椎名林檎常に邦楽界の最先端を行く唯一無二の存在、J-POP界のセックスシンボルすなわちSUNNYであり続けるのだろう。

「お~い津野~!椎名林檎ごっこしようぜ~!」 
かつお4
↓↓↓
っっっg

林檎フェス  ・・・昨年の後半から今年に入ってからも漠然としたままガールズ系バンドの尻を追っかけてきて、しかしその先に一体何があるのか?一体どんなオチがつくのか?と自分でも不安に思っていたけど、結局そのオチは他でもない椎名林檎のデカパイ(擬乳)だった、というわけです。決して今の林ンゴを聴かず嫌いしていたというわけじゃあないけど、いかんせん勝訴ストリップ 信者の自分は今作を積極的に聴こうという気持ちにはなれなくて、確かになぜ今更みたいに思うかもしれないが、むしろ逆に今このタイミングだからこそ意味があったと、上半期の流れを汲んで満を持して聴いたからこそ得ることができた感動なのかも知れないそれくらい、今の自分の耳に驚くほどマッチングする内容だったし、それこそ上半期の流れを総括するかのような、それと同時に、あらためて【音楽即ち引力だという事を確信させるような音楽体験だった。で、この音楽体験から予測できる事があるとすれば、それは近い将来、椎名林檎主宰の林檎フェス開催される可能性で、そのフェスを成功させて初めて椎名林檎は日出ずる処のシンボル、すなわち卑弥呼として邦楽界の頂点に即位し、そして腐海に沈んだ日出ずる国は真のクリエイティブ 国家として復活を遂げるッ!林ンゴよ、今こそ貴様が与えられた使命を全うする時だ...ッ!
 
日出処
日出処
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椎名林檎
ユニバーサルミュージック (2014-11-05)
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きのこ帝国 『桜が咲く前に』

Artist きのこ帝国
きのこ帝国

Single 『桜が咲く前に』
桜が咲く前に

Tracklist
01. 桜が咲く前に
02. Donut
03. スピカ

メジャーデビュー ・・・きのこ帝国が昨年リリースした2ndアルバムフェイクワールドワンダーランドが邦楽ロックリスナーの間で話題を呼び、某『ネットの音楽オタクが選んだ2014年のベストアルバム』では、幸か不幸か総合2位を獲得するくらいには評判を呼んで久しい。と同時に、1stアルバムではあいつをどうやって殺してやろうかとかなんかぜんぶめんどくせえとか言って邪気眼に目覚めた根暗の厨二病患者が、この2ndアルバムでは何を血迷ったのか日々あなたを思い描くとか言って西野カナばりのラブソングを歌い始め、その音楽性も従来のオルタナ/シューゲイザー/ポストロックから、椎名林檎は元よりチャットモンチーYUIを連想させるメジャー感と大衆性に帯びたJ-POPへと姿を変え、従来のフアンの間で大きな戸惑いと猛烈な賛否両論を巻き起こした。そして、きのこ帝国がアルバム『フェイクワールドワンダーランド』の中で指し示した→"アンダーグラウンド"から"メインストリーム"への移行は、メジャー移籍第一弾となるシングルの『桜が咲く前に』をもって堂々の完結を迎える。 



東京→桜 ・・・アルバムフェイクワールドワンダーランドの幕開けを飾った、アルバムのリード曲でありシングルの"東京"は、それこそ新種のマッシュルームが邦楽シーンに芽生えたことを暗示するかのような曲で、これまでのきのこ帝国が歩んできたサウンドとは一線を画したものだった。何を話そう、このシングルの『桜が咲く前に』は、その"東京"から10年前の物語をテーマに、桜舞い散る卒業の季節にピッタリな刹那い春ソングとなっている。しかし"東京"の次に"桜"という流れは、今時珍しいメジャーアーティスト感満載だし、ライティングよりも普遍的なテーマからなるメッセージ性や季節感とリンクさせた話題性を重視した戦略を見ると、彼らがメジャー・デビューしたことを強く実感させる。で、佐藤tricotヒロミ・ヒロヒロと同じ1988年生まれ勢の自分的に、いわゆる"桜""春"をテーマにした曲で思い出深い曲といえば→MVに鈴木えみの全盛期が記録されている事でも知られ、「さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる」で有名なケツメイシ"さくら"、そしてJanne Da Arc"桜"や卒業ソングの"振り向けば・・・"は、遡ること約十年前...まさに自分がリアルタイムで高校卒業を迎える時に聴いていた、とても思い入れの深い曲だ。あの頃は、まさかコッテコテのビジュアル系が出自のJanne Da Arcが、まさかまさか"卒業ソング"を書くなんて・・・「こ、これがメジャーの力かッ!」って、そしてその後のJanne Da Arcに何が起こったのかを考えると・・・メジャー許すまじ!



「あなた」と「君」 ・・・このMVは、フロントマン佐藤千亜妃の生まれ故郷である盛岡市を舞台に撮影され、そして前作で「"東京"で生きていく」と誓った佐藤千亜妃"過去"が赤裸々に浮かび上がるような、リアルに上京組である佐藤のパーソナルな経験をもとに、この曲の歌詞は生まれている。少し考察すると→"東京"ではあなたという主語を使っているのに対し、この"桜が咲く前に"では意図的にという主語を用いていて、前者が『LIFE!』女優の臼田あさ美が演じる女性視点からの歌詞で、後者は深水元基演じる男性視点からの歌詞となっており、つまり深水元基演じる男を想う臼田あさ美が演じる女の切ない恋心を描き出したのが"東京"、しかし男=(あなた)心の中に他の誰か=(君)がいた事を示唆する"桜が咲く前に"という風に、それら2つの曲の無垢で無邪気な歌詞が紡ぎ上げるストーリーからも、思春期から10年後の大人へと成長する青春物語として繋がりや一つの解釈を持たせる事ができる。しかし双方に共通するのは、いずれもその恋心が"不完全"に描かれている所で、そのポスト-ネガティヴな儚さや尊さを映し出す描写力は、実にきのこ帝国らしいと言えるのかもしれない。まぁ、"完全"なラブソングは西野カナ辺りに任せるとして、それとは対極に人間の心内に眠る不穏な空気感だったり、心の闇に潜む狂気だったりを、このメジャー・シーンで描き出さんとするきのこ帝国の反骨精神は、2000年代はじめに邦楽界の風雲児として名を馳せた椎名林檎の片鱗、その面影をデジャブさせる。

『トリハダ』 ・・・このMV、何と言っても駒井蓮演じる「君」の存在が大きな見どころで、それこそ昔仲の良かったあの子・・・的な、一種の"幻"のような非現実的かつ刹那的な存在感は、それこそ岩井俊二映画ようなノスタルジーを誘うプロフェッショナルな演出と物語に聴き手を引き込むには十分過ぎる魅力を放っている。しかし、まるで漫画のキャラクターでもあるかのように、なぜここまで徹底して純粋無垢な描き方をしたのだろう・・・?それは、この十年の間に東北で何が起こったのかを考えれば、自ずとその答えやこのMVが伝えたい裏のメッセージが見えてくるのかもしれない。まさかと思ったけど、やっぱり最初と最後のアパートの部屋と”東京”の部屋は同じ部屋らしい。その最後の部屋のシーンは妙な殺気が漂ってて、それこそ"過去"佐藤千亜妃が役者として出演した恐怖系ドラマ『トリハダ』のワンシーンに見えてどうしても笑ってしまう。どう見てもこの後に臼田あさ美が後ろから男に襲いかかる前のシーンじゃん(笑) これ狙ってやったんだとしたら面白いな。次作の伏線みたいな。しかしあの『トリハダ』に佐藤が出てたなんて驚いた。自分は全話観たことあるのだけど、コレに佐藤が出てたなんて全く記憶になかったから。まぁ、それはそうとして、このMVを見るに岩井俊二作品とは相性良さそうだから、いずれコラボしそうな予感はする。ともあれ、ほぼ間違いなく年間BEST MVです(でも音量の小ささは気になった)。

上京する前のYUI→「東京は怖いって言ってた

上京したYUI→「恋しちゃったんだ たぶん 気づいてないでしょ?

ぼく→「あっ、大丈夫っす・・・」

初期佐藤千亜妃→「あいつをどうやって殺してやろうか」 

中二病から目覚めた佐藤→「日々あなたを思い描く

ぼく→「東京コワイ」

YUIリバイバル ・・・アルバム『フェイクワールドワンダーランド』の面白さ、及び"東京"の面白さって、やっぱり初期椎名林檎初期YUIがクロスオーバーしたハイブリッド・ポップだからであって、何を話そうこの"桜が咲く前に"は、その邦楽界の一時代を築いた椎名林檎YUIが過去に歩んできた"根暗なりの王道"を行く楽曲となっている。まるで初期の"WHIRLPOOL"から"余分な音を削ぎ落した"ような、それこそ"WHIRLPOOL"を一巡させたようなイントロのギターが奏でる叙情的な旋律からして、アルバム『フェイクワールドワンダーランド』のリア充的世界観を踏襲しているのが分かる。その、今流行りの"余分な音を削ぎ落した"系のシンプルで脱力感のある優美なアコースティック・サウンドと、俄然初期のYUIをデジャブさせる儚くも美しい、そして素朴な佐藤千亜妃の歌声が、いわゆるJ-POPの教科書どおりのコード進行を描きながら、そして桜の花びらが美しく咲き乱れ可憐に舞い散るかの如く、誰しもが持つ"あの頃"の思い出と故郷への郷愁を記憶の底から呼び覚ますような、佐藤千亜妃の扇情感かつ情熱的なサビらしいキャッチーなサビへと繋がっていく。正直、初めて聴いた時は猛烈に心揺さぶられた。僕が10年前にJanne Da Arc"振り向けば・・・"を初めて聴いた"あの頃"と同じ感動をフラッシュバックさせるほどに。とにかく、この往年のJ-POP然とした起伏を効かせたドラマティックな曲展開、そして何よりもバンドの圧倒的個性でありアイコンでもある佐藤千亜妃の歌声から解き放たれるエモーショナルな感情表現に涙不可避で、佐藤はまた一段と"ボーカリスト"としての才能を開花させている。これはメジャー・デビューの影響もあるのか、この曲の佐藤は大衆の耳に耐えうる"ポップ"な歌声を意図的にチョイスしている。マジな話、ここまでJ-POPの王道を行く明確なサビが書けるバンドって今の時代どれくらい存在するのだろうか。前作の"東京"もそうなのだけど、今回の上京物語的なテーマも俄然初期のYUIリバイバル感あって、クシャ顔で今にも泣き出しそうな佐藤の歌い方的にも"余分な音を削ぎ落した"系の音像的にも、それこそ初期のYUIが椎名林檎カバーしてみたノリすらある。アルバム『フェイクワールドワンダーランド』の中に、初期のYUI椎名林檎とかいう福岡が生んだファッション・メンヘラ・コンビの面影を感じたのは、決して間違いじゃあなかったんだと。それを核心的に裏付けると同時に、もしやきのこ帝国YUI椎名林檎が成し遂げられなかった"ヤミ系J-POP界"の高みへ向かっているんじゃないかと勘ぐりたくなるほどだ。事実、全盛期のYUI椎名林檎のような、その時代の絶対的なアイコンに成りうるヤミ系女性ボーカルの不在が近年著しくて、しかし佐藤千亜妃はその端正なビジュアルや凛とした存在感も含めて、この時代のアイドルもといアイコンに成りうる唯一の可能性を秘めている。この"桜が咲く前に"を聴いて、長らく空席だったそのピースが埋まったような気がした。でもこのままYUI路線に行って、ある時期に「あの頃の俺達はどうかしてたのさ・・・」みたいな海外メタルバンドのインタビューみたいなこと言い出したら笑う。笑う。

   佐藤千亜妃
new_photo06・・・「誰かと出会いたい一心で音楽をやっている

       ぼく
ゲスニックマガジンの西条・・・「佐藤千亜妃...僕と出会おう!」

  佐藤千亜妃
new_photo03・・・「アホくせぇ

       ぼく
ぼく・・・「てか佐藤の下の名前標記って千亜妃だったの!?」

  佐藤千亜妃
new_kinokoteikoku・・・「イカくせぇ

    ぼく
イカ大王様・・・「イカ大王様だーーーーーーーーー!!」

黄金の道』 ・・・この曲は、いわゆる"余分な音を削ぎ落した"系の音使いなのだけど、それにより音の隙間や空間、あるいは一つ一つの楽器の残響感を大事にした繊細かつ静寂的なサウンドを鳴らしていて、これまでのノイズという轟音のベールに誤魔化されていた、もといかき消されていたバンドの音が、バンドのアンサンブルがより鮮明に浮き彫りとなった事で、演奏力や技術力までも生々しく赤裸々に、それはまるで水彩画のように浮かび上がってくる。それこそ佐藤千亜妃の某インタビューにもあるように→「きのこ帝国はジャンルにこだわったグループではない」という言葉の意味を立証するかのような曲で、洗練されていながらも今のきのこ帝国にしか成し得ないバラードと言える。むしろ、今の時代にここまでベタで王道的な曲やってるのは逆に新鮮で面白いというか、それくらい今じゃ珍しいほどのポップスやってて、しかもそれをやってんのが元根暗の奴らだってんだから尚さら面白くて、それこそ佐藤が某インタビューで語った→光の強さを知ってるからこそ闇が描けるという言葉の説得力ったらなくて、それこそANATHEMAが歩んできた"オルタナティブ"な音楽変遷に通じる、すなわち『ジョジョの奇妙な冒険』の作者であり東北出身の荒木飛呂彦が提唱する黄金の道』を歩もうとしているのかもしれない。これがきのこ帝国が目指す黄金の道』なんだ。これはANATHEMAは元より、『ARCHE』DIR EN GREYにも同じことが言えるのだけど、 過去に一度 "人間の底すらない悪意"を極めたバンドは、何故ある日突然悟りを開いたようにシンプルなアンサンブル重視の路線に回帰するのか・・・?初めから普遍的な音楽をやっても何一つ面白くないけど、過去に黒歴史(中二病)みたいな闇を抱えたバンドが、突拍子もなく普遍的な事をやりだすとどうしてこんなに面白いのか。それが光の強さを知ってるからこそ闇が描けるという佐藤の言葉の意味なのかもしれない。とはいえ、このきのこ帝国はキャリア的に一応は若手に分類されるのだろうけど、そういった視点でモノを考えてみると、このきのこ帝国の成長性の高さに俄然驚かされる。しかし、その成長スピードの早さがキャリアの中で仇となる場合もある。それが良いか悪いかは、今後のきのこ帝国が歩む道のみぞ知る。

桜が咲く前に

次作『漆黒の殺意』 ・・・このシングル『桜が咲く前に』には、他に"Donut""スピカ"の二曲が収録されている。前者の"Donut"は、それこそノイズ・ロック化した椎名林檎とでも例えようか、このシングルの中では最も”らしさ”のある曲だ。まずイントロからお得意のノイズバーストして、初期林檎リスペクトな佐藤のボーカルと”あるゆえ”を彷彿とさせるアンニュイなムードを醸しながら、そして三分あるアウトロでは再び轟音ぶっ放して、ライブ感溢れる終わり方で締めくくる。後者の"スピカ"は、このシングルで、というよりきのこ帝国史上最もポップスのイメージに近いラフさが印象的な曲で、特に繰り返し響き渡る凛としたミニマルなメロディが印象的。”桜が咲く前に”は元より、この二曲のメロディ・ラインやアレンジを耳にすれば、前作の”東京”に引き続いて椎名林檎界隈の井上うにをエンジニアとして起用した理由が嫌でもわかるハズだ。しっかし、佐藤が"椎名林檎ごっこ"やるにはまだまだ全然シニカルさが足りないな(笑) とは言え、それぞれ三者三様に今のきのこ帝国らしさに溢れているし、同時にきのこ帝国の未来予想図が詰まった極めて良質なシングルだと思う。そんなこんなで、リアルに高校生だったあの頃は、何も疑問に感じずにシングルCDなんて買ってたなーとか昔を懐古しつつ、あれから約10年の月日が過ぎ去り、昔と比べて音楽シーンも大きく変わりゆく中で、今日日こうやってきのこ帝国のメジャー・デビュー・シングルを買うなんて、俺はあの頃から何も変わっちゃあいないのかって、我ながら本当に時代に取り残された人間だなって、この瞬間もこうやって彼らが描き出す『桜』を聴いているなんて・・・でもまぁ、それも別に悪くないんじゃネーのって。冗談じゃなく、まるで僕の青春の記憶と今を紡ぎ出すかのような一曲だった。つまり、これが佐藤が語る→誰かと出会いたい一心で音楽をやっている、という言葉が示す一つの答えであり、その結果なのかもしれない。もし次回作で、心の中に他の誰か=(君)がいた事に気づいちゃった臼田あさ美演じるアラサー女の復讐劇、その名も『漆黒の殺意』とかいうタイトルで、つまり『東京』→『桜が咲く前に』→『漆黒の殺意』みたいな女の復讐三部作完結せたら俺マジで一生佐藤についていくわ。
 
桜が咲く前に
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