Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

邦楽

tricot 『3』

Artist tricot
new_F_Gs-Fb5

Album 『3』
20861149174583

Tracklist

02. WABI-SABI
03. よそいき
04. DeDeDe
05. スキマ
06. pork side
07. ポークジンジャー
08. エコー
09. 18,19
10. 南無
11. MUNASAWAGI

「中嶋イッキュウのソロデビューとは一体なんだったのか」

ナレ「その謎を明らかにすべく、我々藤岡探検隊はアマゾン奥地へ向かった!」

ぼく藤岡隊長
new_f1923a5521c1b1e5a8ad3dfca108ca75「おぉ...ここが未開の部族が棲む秘境の地か...ん?あれはなんだ!」


ナレ「突如、我々の目の前に暗闇から何者かが現れた!」


 未開の部族
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「コレ アゲル」

new_DHQQ0KpUIAAMuO5

ぼく藤岡隊長
new_img_0「なんだこれは・・・無地のケースに『3』の数字が描かれているだけのCDと「2012.11」という日付のような数字が記された青いCDだ」

 未開の部族
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「コレ キイテ」

ぼく藤岡隊長
new_tanken3-26「よし、まずは青い方のCDから聞いてみよう」


青いCD「私じゃダメなの?もう好きじゃないの?


ぼく藤岡隊長
new_f1923a5521c1b1e5a8ad3dfca108ca75「林抱いて///」

 未開の部族
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「『サン』 モ キイテ」

ぼく藤岡隊長
new_img_0「こ、これは!もしやトリコットの新しいアルバムじゃないか!?おい!手抜きすんなイッキュウゥゥゥウウ!!メンヘラなれーーーーーーーーー!!」

イッキュウ中嶋
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「かかってこいやああああああああああ!!」

ぼく藤岡隊長
new_tanken3-26「Just Bring It!!Just Bring It!!」

イッキュウ中嶋
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「Just Bring It!!Just Bring It!!」


初めてこの無印のケースに「3」という数字が書いてあるだけの、歌詞カードも入ってない「シンプルイズザベストスタイル」のCDを目にした時、僕は中学生の頃に友達から借りた様々なアーティストの音源が詰まった無印の青いCDを思い出した。これはトリコットのメンバーや僕と同世代の「今ギリギリ20代」の人なら共感してもらえるような話で、今から約15年前、当時の中学もしくは高校時代って「音楽をCDに焼ける奴」=「神」みたいな存在で、そもそも「CDに焼く」という言葉も今では死語になってる気もするし、その「CDに焼く」という行為が違法行為(グレーゾーン?)だなんてのは、昨今の「ストリーミング時代」を前にしたらクソどーでもいいただの思い出話でしかなかった。僕が中学生の頃に友達から借りた上記の青いCD(現物)には、(2002年)当時流行っていたJanne Da ArcL'Arc~en~CielなどのV系ロックをはじめ、モンパチから種TM西川兄貴、ブリグリやBOAなどのJ-POPの音源が詰め込まれていて、特にその中に収録されていたJanne Da Arcのバラード”DOLLS”を初めて聴いた時は、体に稲妻のような衝撃が走ったのを今でも憶えている。それ以来、僕はJanne Da Arcの虜となり、CDは勿論のこと大阪城ホールやSSAのライブDVDを買い占めた。何を隠そう、このトリコットの3rdアルバム『3』は、中学生の頃に無印の青いCDを介してJanne Da Arcと運命的な出会いを果たし、そして僕のその後の音楽的な嗜好を決定づけたように、この『3』を聴いた今の中高校生のその後の人生に多大な影響を与えるであろう、邦楽界の歴史に名を残す名盤なのである。

ここ最近のトリコットといえば、昨年に『KABUKKAKE EP』を発表するやいなや、フロントマンのイッキュウ中嶋がソロ活動を始めたり、それこそ昨今の「洗脳ブーム」に乗っかってじゃないけど、とにかく最近のイッキュウ中嶋って「中嶋ホームオブハートイッキュウ」に改名すんじゃねーかってくらい、なんか悪い男にそそのかされて急に坊主頭にして「出家します」とか言い出しそうな、そんな戸川純リスペクトな典型的な「勘違い女」みたいな危うい雰囲気あって、終いにはゲス野郎のプロデュースで芸人の小籔野性爆弾くうちゃんとバンド結成して俄然「勘違い女」っぷりに拍車をかけ、今やライブツアーの箱も縮小して解散間際の集金ツアーみたいな典型的な落ち目バンドみたいな事やってて、トリコットがそんなハンパなことやってる間に、フォロワーの「右斜め45度女」こと率いるポルカドットスティングレイにも人気でも動員でもブチ抜かれる醜態を晒していて、傍から見てると「おいおいトリコット大丈夫かよ」みたいな、「ソロ活動は自由だけどバンドには迷惑かけんなや」とちょっと心配になるくらい、まぁ、それくらいここ最近のトリコットを取り巻く状況は、こんなオモンナイバンド見たことないってくらい、まさしく「オワコンバンド」の名に相応しい状況まで追い込まれていた。もうこの際、イッキュウ中嶋こと顔面朝勃ち女くうちゃんと一緒に『ドキュメンタル』に参加して100万円奪われとけやと。つうか、なんやねん顔面朝勃ち女て、自分の真上に発射して自分の顔にBUKKAKEんのかよ。キモすぎだろ。

2015年作の2ndアルバム『A N D』では、某BOBO氏をはじめ複数のドラマーの協力を得て制作され、昨年の『KABUKKAKE EP』では、ドラム・オーディションを開催して選出された5人のドラマーを起用した楽曲が話題となったが、実は自分もそのドラムオーディションに応募して、その結果一次選考で落選したことを今でも根に持っていて、何故なら僕がこの度のドラム・オーディションで選んだ曲がX JAPAN”ART OF LIFE”という、いわゆる(Radio Edit)ではない方の29分ジャストの方の完全版で、そしてYOSHIKIの「かかってこいやー!」からの「ヘドバンは良くない」からのアテフリプレイからドラムセット破壊まで、ライブ作品の『Art of life live』を忠実に完全再現したビデオを撮って応募したわけ。なのに一次選考で落選とか本当にショックだったし、もうトリコット聴くのやめようかと思ったほどで、少なくとも「あの時点」ではまだ僕がトリコットの三代目ドラマーとしての人生を歩んでいた「if(もしも)」の世界線が存在していたわけ。まぁ、全部ウソだけど。最終的にサポート・ドラマーに選ばれ、今回の『3』に収録された新曲を叩いているのは、ドラムオーディションを勝ち抜いた5人の内の一人である吉田雄介氏で、なんか結局安牌な結果になったというか、またしても一番面白みのない結果になって、こんな結果ならガチで僕が”ART OF LIFE”の完全版アテフリした方が面白かったわ。もっと言えば、BAND-MAIDがメジャーデビューする前にドラマーのを引き抜いてれば今頃トリコットは天下取ってたに違いない。なぜかと言うと、僕が今年の初めにBAND-MAIDのMVでのドラムプレイを見た時、以前までトリコットのサポート・ドラマーとして活躍していた”みよさん”こと山口美代子さんの叩き方とソックリな事に、ボーカルの彩ちゃんに一目惚れするよりもまず一番先にそこに驚いて、もしや親子関係あるいは師弟関係でもあるのかと一瞬勘ぐったくらい。それは行き過ぎた冗談にしても、でもが一度でいいからトリコットでドラム叩く姿を見たいって人は間違いなく僕以外にも存在するハズ。とにかく、そういった面でも、今のトリコットを取り巻く状況は「オモンナイ」の一言でしかなかった。



それはそうと、この『3』の幕開けを飾る”TOKYO VAMPIRE HOTEL”がOPテーマに起用された、園子温監督のamazonオリジナルドラマ『東京ヴァンパイアホテル』を観たのだけど、毎回OPの入り方がサイコーにカッコ良くてかなり扱いは良かった。ちなみに主題歌はMIYAVI。で、一話の初っ端からしょこたんの激しい銃乱射からの血ドバー!に始まって、謎の筒井康隆ネタから、映画『ムカデ人間』でお馴染みの俳優北村昭博や某グラドル、そして園作品でも毎度お馴染みとなった監督の嫁NTR要素とか小ネタも多いし、そして見せ場となる主演の満島ひかり(弟)と夏帆のアクションシーンは勿論のこと、おっぱいの大きいヒロイン役の女優誰かな?と思って見たら、映画『アンチポルノ』の主演でヌードも披露した(例の当選したポスターでもお馴染みの)冨手麻妙とかいう女優らしく、作中で一番体を張った演技を見せているが、その役者陣の中でも特にMVP級の活躍を見せているのが安達祐実で、さすがレジェンド子役女優だなと。それと、物語終盤に出てくるアカリ役の森七菜は今後要注目の新人女優だと思う。とにかく、レビュー自体はボロクソだけれど、これまでの園子温作品が好きならそのブッ飛んだエログロな世界観だけでも十分視聴継続できるし、確かに3話以降ホテル内の話になると急にテンポが悪くなるのは監督のいつものクセというか、そもそもテンポよくできる監督だったら4時間の映画なんて撮らねぇし、そこはご愛嬌としか。話としては終盤の展開の方が面白いかな。ちなみに、本作は既に映画版として編集されたモノが海外で上映されており、ちなみに名古屋県は豊橋市で撮影されたシーンも収録されている。

そんな『東京ヴァンパイアホテル』の世界観が堪能できる歌詞もポイントなトリコット”TOKYO VAMPIRE HOTEL”は、幕開けの疾走感触れるドラムとソリッドなリフから1stアルバム『T H E』”POOL”を彷彿させる、それこそ”タラッタラッタ”の歌詞にある「初期衝動を忘れたくないのに 古くなる事は止められないらしい」という、初期トリコットの問いかけに対する「答え」のような粗暴で荒々しい獣性むき出しの衝動性を垣間見せ、そして初期の9mm Parabellum Bullet的な、すなわちカオティック/ポスト・ハードコア然とした破天荒かつ激情的なサウンドを繰り広げていく。このトリコット節全開の音作りとサウンドから分かるのは、「This is tricot」すなわち「tricot is Back」を予感させると同時に、その中でボーカルのイッキュウ中嶋は2ndアルバム『A N D』で培った「ポップ」なセンスを巧みに昇華し、それこそ「おいおいペギーズじゃねぇんだから無理すんなBBA」とツッコミたくなるくらい、イマドキのガールズバンドで歌ってそうなくらい(顔面朝勃ち女らしからぬ)過去最高にポップな声色を織り交ぜながら、更に進化した多彩なボーカルワークを披露している。

それから間髪入れず始まる#2”WABI-SABI”は、1stアルバム『T H E』への回帰が見受けられた”TOKYO VAMPIRE HOTEL”と対になるような、今度は2ndアルバム『A N D』的なボーカルとコーラス主体に、しかしトリコットらしさに溢れた変則的なリズムで緩急を織り交ぜながら展開する曲で、この頭の2曲をワンセットみたいな形で聴かせる。その”トリコットらしさ”に溢れた幕開けから一転して、今作の象徴するような#3”よそいき”から導き出される言葉はただ一つ、それが「自由」だ。この曲はオルタナ然としたカッティング主体に展開し、イッキュウ中嶋の「イェイイェイ フッフー アーハー イエーイ」という軽快なボーカルワーク、そして2番目からはまさかの吉田美和がゲスト参加と思いきやリード・ギターキダ モティフォの歌とヒロミ・ヒロヒロの歌を織り交ぜた「トリプルボーカル」をブッ込んでくるほどの「自由さ」を発揮する。確かに、こう見ると確かに今作は「自由」っちゃ「自由」だが、しかしこれを「自由」という一言で片付けてしまったら、これまでのトリコットがやってきたことを全否定するような気もして、今作を「自由」という一言で片付けるにはあまりにも安易すぎないかと、僕が思うに、これは「自由」であること、それ以上に「自然」であると。

確かに、トリコットは初期衝動全開の『T H E』の変拍子だらけの音楽性が高く評価された。その反面、続く『A N D』では変拍子はただのギミックに過ぎないとばかり、そしてフロントマンであるイッキュウ中嶋の「#椎名林檎の後継者なの私だ」アピールを拗らせた、つまりイッキュウ中嶋が「ワンマンバンド化」を目論んだ、「アタシめっちゃ歌えるやん!」と勘違いを拗らせた「ただのJ-Pop」と各方面から批判された。つまり、僕が『A N D』のレビューで「こういうバンドこそメジャー行ったら面白い」と書いたことは、あながち間違いじゃあなくて、それくらいサブカルクソ女系のJ-Pop臭がハンパないアルバムだったのも事実で、それは一作目が高く評価されたバンドにありがちな「二作目のジンクス」みたいな側面もあって、その「脱変拍子バンド」を図った前作が批判されて日和った結果、この『3』では『T H E』『A N D』の中間みたいな、ロックバンドにありがちなクソ典型的な音楽遍歴を辿っている。「変拍子はただのギミックに過ぎない」のは、ある意味前作と何一つ変わっちゃあいなくて、その変拍子に囚われない「いい意味」でこの『3』でも踏襲している。つまり、変拍子祭りの『T H E』と脱変拍子の『A N D』で培ってきた基本的なことを忠実に守り、それを素直に表現しているという意味ではまさに「自由」と言える。

この『3』では、オルタナだマスロックだなんだ、他バンドからの影響だなんだ以前に、それ以上にトリコットなりに「普遍的なロック」を貫き通している。それこそ『T H E』『A N D』の間に生じた「意図的」な「変化」ではなく、この『3』では特定のジャンルや特定の何かを「意図的」にやろうとした気配はまるでなくて、もはや身体に染みついた「変拍子」という名の「意図的」でない「リズム」が「自然」に溶け込んでいくように、端的に言ってスタジオセッションで起こる「インプロヴィゼーション」の延長線上にある、生々しいオーガニックなトリコットなりのロックンロールを、すなわち『トリコロール 顔面朝勃ち女の章』を極めて自然体で鳴らしている。メンバー自身が、真正面からトリコットの音楽と向き合っている。これはもう、いわゆるメシュガーが「メシュガー」というジャンルなら、このトリコットは「トリコット」というジャンルだ。

この『3』を野球の球種で例えるなら、『T H E』でド真ん中のストレート、『A N D』で緩い変化球を投げてきたトリコットが、今度は「ストレート」でもあり「変化級」でもある「ツーシーム」を投げてきている。そう、「ストレート」だと思って打ちに(解釈しに)いったら手前で微妙に「変化」して、バットの根元に当たってバットがへし折れるあの「ツーシーム」だ。どうりで打てないわけだ。「ストレート」だと解釈して打ちにいってはどん詰まり、はたまた「変化球」だと予測して打ちにいっても綺麗に空振りしちゃうわけだ。何故なら、ストレートでも変化球でもそのどちらでもないのが「ツーシーム」=『3』だからだ。だから今のトリコットに野球で勝てるバンドっていないと思う。

前作の”E”を聴いた時は「デッ デッデッデーーーーーンwwwwwwwww」みたいなノリで、メタリカのマスパペでも始まるのかと思ったけど違って、今回は”DeDeDe”というタイトルで今度こそはガチでメタリカのマスパペカバーきたか!と思って聴いてみたけど違った。普通にオシャンティなジャズだった。中盤のハイライトを飾る「イー、アール、サン、スー」な#7”ポークジンジャー”では、『T H E』”おちゃんせんすぅす”を彷彿させるオリエンタルなチャイニーズ感を醸し出し、そのタイトルどおりきのこ帝国を彷彿させる白昼夢を彷徨うかのような幻想的なギターのリフレインが響き渡る#8”エコー”、キレッキレの転調や変拍子を巧みに織り交ぜながらオルタナとプログレの狭間を行き来しつつ、Misery Signals顔負けの叙情派ニュースクールハードコア然としたギターをフィーチャーした#9”18,19”ナムナムナムナムてホンマに出家しよるやんこいつってツッコンだ#10”南無”は、ふと仕事中に無限ループしてクソ迷惑だったのを思い出した。そして『KABUKKAKE EP』に収録された、最初期トリコットのリフ回しから”99.974℃”ばりの転調をキメる#12”節約家”まで、「アンチポップ」あるいは「アンチメジャー」の精神に溢れた、そして#3や#9をはじめ『KABUKKAKE EP』でも垣間見せたソングライティング面での成長、その確かな作曲能力に裏打ちされたトリコロールをぶっ放している。


ここまで書いたこと全部間違ってるし全部ゴミなんで忘れてもらっていいです。この『3』を発売日に買ってから今まで、頭に浮かんだイメージが定まらない上に全然まとまらなくて、頭が破裂しそうなくらいグチャグチャになりながらも、いざ書いてみてもやっぱりリズム感のないゴミ文章にしかならなかったからゴミ。確かに、この『3』でやってることはもの凄く「シンプル」で、しかし「シンプル」故の難しさみたいな所もあって、それは「普通」でいることの難しさでもあって、その音楽的な内面やガワの面では引っかかりがなくて俄然「シンプル」なのに、どこか別のところで妙な引っかかりを感じている自分も確かに存在して、事実このアルバムを初めて聴いた時は「気づいたら終わってた」みたいな感想しか出てこなくて、こう書くとあまり良いイメージを持たれないかもしれないが、逆にそれくらい初めて聴くのに異様に耳に馴染む感覚っつーのかな、実はその感覚こそこのアルバムの一番大事な部分のような気もして、しかしそれでも「核心的」な部分がまるで見えてこなくて、何だかすごく曖昧で、しかしこの言いようのない得体の知れない、恐ろしいナニカが潜んでいるような不気味な雰囲気に飲み込まれそうで。ここまで僕を悩ませたのは、全ては顔面朝勃ち女のメンヘラクソ女みたいな長文ブログ『シンプルがベストだと思う理由』を読んでしまったからで、特にこのブログの「CDが売れない時代」のくだりに引っかかって、何故なら僕は過去にフィジカルとデジタルの境界線に関するCDが売れない時代の話のくだりで、「椎名林檎よりもトリコットのCDを買って応援してやってほしい」と書いた憶えがあって、だからこのブログの内容を見てスゲー考えてんなこいつって思ったし、その流れで急にX JAPANネタぶっ込んできてクソ笑ったし、最終的に「自主レーベルでやりたいことを(自由に)やれてる」と「考え方をシンプルにしたかった」という話を聞いて、またしても僕は過去に「トリコットみたいなバンドこそメジャー行ったほうが面白くなりそう」みたいな事を書いてて、要するにこれらのイッキュウ中嶋の言葉は、自分が「トリコットの事を何も知らないジョン・スノウ」だったと、いや「知ろうともしなかったクソニワカ」だったと気付かされたし、このブログの内容に強く共感してしまった僕は、ヘラりながらも一つの答えにたどり着いた。それが、この『3』トリコットなりの「(実質)メジャーデビュー作」であるということ。

『3』=

この『3』は三枚目の『3』でもあり、三人組の『3』でもある。そして『3』という数字は、キリスト教にとって「三位一体」を意味する奥義であり、キリスト教にとって「神の世界」を表す聖なる数字でもある。この意味に気づいた時、この『3』に潜む「得体の知れないナニカ」を目の当たりにし、そしてトンデモナイ領域にたどり着いてしまったのではと、我々藤岡探検隊はただただ「恐怖」した。これまでのアルバムとは一線をがした、この『3』からにじみ出るような得体の知れないものこそ、全知全能の『神』そのものだったんだ。僕は、この『3』という「神の世界」の中でキリストと対面していたんだ。我々はその「恐怖」を前に体が硬直し、今更もう引き返せなかった。我々は全知全能の『神』と対峙した瞬間、もはや「ツーシーム」だとか「神降ろし」だとかそんなものはどうでもよくなっていた。僕は勇気を振り絞って最後の”メロンソーダ”を聴いた。すると涙が溢れ出して止まらなかったんだ。



この『3』は、今月いっぱいでバンドを卒業する佐藤千明と、今後は『3』ピースで活動していくことを宣言した、盟友赤い公園に対するトリコットなりのエールにしか聴こえなかった。初めてこの『3』を聴いた時から、特にアルバムの最後を飾るJ-POPナンバーの”メロンソーダ”がナニカを示唆しているようにしか聴こえなかった。その数カ月後、まるで『3』という数字が赤い公園の未来を暗示するように佐藤千明の脱退が公表されてから、改めてこの”メロンソーダ”を聴いたらもう涙が止まらなかった。確かに、この”メロンソーダ”イッキュウ中嶋の(顔面朝勃ち女らしからぬ)一際ポップでセンチメンタルな歌声をフィーチャーした、「ただのJ-POP」に聴こえるかもしれない。しかし僕には、決して「ただのJ-POP」には聴こえなかったんだ。今までずっと悩んできた全ての答えがこの”メロンソーダ”に詰まってるんじゃあないかって。皮肉にも、早々にメジャーデビューして「最悪の結末」を迎えた赤い公園とは逆に、「トリコットもメジャーいけ」という周囲の何者の声にも一切惑わされず、自身の音楽理念を信じ、それを一貫して貫き通してきたトリコットというバンドの生き様が込められた、そして「インディーズ」に足をつけながら「もしトリコットがメジャデビューしたら」という高度な「if(もしも)」を、この『3』で実現させている。これは赤い公園”サイダー”に対する”メロンソーダ”であり、赤い公園『猛烈リトミック』に対する『サン』である。最後にトリコットが示したのは、「インディーズ」にいながらも「メジャー」を超えることができるという力強い意志だ。それこそ赤い公園の津野米咲が掲げる”じぇいぽっぱー”としての「意志」を受け継ぐようなJ-POPでアルバムの最後を締めるあたり、これが「トリコットなりのJ-POP」であり、これが「トリコットなりのメジャデビューアルバム」だと、まさにマスロック界からJ-POP界へ殴り込みをかけるような歴史的名盤である。この『3』に込められた今のトリコットの生き様を見せられて、津野米咲は一体何を、そして佐藤千明は一体何を思う?

banners_v10

ここまでの話は全部ゴミだからどうでもよくて、結局のところ僕がトリコットに伝えたいことはただ一つで、それはイギリスで開催されるArcTanGent FestivalTesseracTと共演した暁に、今度は是非ともTesseracTと一緒に日本でツーマンやってほしいということ。そもそも、このそうそうたるメンツの中に日本のバンドがいること自体相当凄いことで、つまり何食わぬ顔でこのメンツに名を連ねているBorisスゴい。事実、あのTesseracTを日本に呼べる、あるいは対バンできるバンドってトリコットしか他に存在しないと思うし。勿論、このTesseracT(テッセラクティー)TricoT(トリコッティー)の引かれ合いは、2ndアルバム『A N D』の中でTricoTが垣間見せたPost-Progressiveのセンス、その証明に他ならなくて、この『3』TricoTがますます世界的なバンドへと飛び立っていく未来を暗示するかのような一枚といえる。

3
3
posted with amazlet at 17.08.14
tricot
インディーズレーベル (2017-05-17)
売り上げランキング: 1,430

Spotifyで水曜日のカンパネラの新曲「贏政」を聴いた

eisei

つい最近というか、ようやく『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦先生も激推ししている漫画『キングダム』を読み始めて、流石に天下の漫画将軍の荒木飛呂彦が推すだけあってメチャクチャ面白くて、皮肉にも飛呂彦が現在連載しているジョジョ8部『ジョジョリオン』とは比べ物にならないくらいの面白さで、何を隠そう、その『キングダム』を題材にしたリアル脱出ゲーム「ある大戦場からの脱出」の主題歌として書き下ろされた、サブカルクソ女コムアイ擁する水曜日のカンパネラの新曲「贏政」がすこぶるカッコイイという話。ここ最近の水曜日のカンパネラといえば、今年の初めにメジャー1stフルアルバムを出して武道館ライブを成功させた事で久しいが、正直そのフルアルバムよりもこの新曲のが面白くね?っつー話。

new_photo21

この曲のタイトル「贏政」は、漫画『キングダム』でもお馴染み、中国春秋時代に中華統一を志す31代目の秦王「贏政」の名を冠したもので、やはり注目スべきはその歌詞で、戦国七雄風にたなびく それが春秋時代」という戦国時代の中で、西の方の秦の国31代目の秦王「贏政」王になるっていつかは中華統一したいと(エラい軽いノリで)贏政の偉大なる『野望』『夢』を描き出すキングダムの物語を詞にしている。もっとも水カンらしくてユニークなのは、みんな大好き秦国六大将軍の王騎の右腕ことさんがファルファルと敵をなぎ払ったと思ったら、今度は羌瘣が呼吸を整えてトーンタンタンと空中を舞ったりと、漫画『キングダム』に登場するキャラの「シンボル」とも呼べる擬音を歌詞に織り交ぜながら、群雄割拠蠢く戦場のド迫力な臨場感をユニークな歌詞で表現していく。大袈裟じゃなしに、この曲の歌詞だけで『キングダム』が一体どんな漫画なのかが分かってしまうほど。

当然、この僕がただそれだけのためにわざわざ記事にするわけがなくて、この曲の更なる面白さは歌詞以外の所にあって、それは全編に渡って鳴り響く環境音楽やエレクトロニカを織り交ぜた、東洋思想や神秘主義を取り入れた70年代のニューエイジ(New Age)を彷彿させるトラックである。海外ではエンヤハンス・ジマー、国内を代表するニューエイジ系アーティストといえば喜多郎久石譲が一般的であるが、この曲を聴いてまず頭に浮かんだのが、他ならぬカナダが生んだ奇才デヴィン・タウンゼンド「サブカル期」でお馴染みのアルバム『気』”kawaii”が収録された『Ghost』で、それらの作品およびアーティストとこの「贏政」に共通するのは、秘境の地にある瑞々しい幻水がトロピカルに弾け飛ぶようなサブカル系アートポップ的な、中華風のスピリチュアルでピースフルなアンビエント/ニューエイジ的なアトモスフィアである。要するに、メタル界を代表するサブカルクソヤ野郎と日本を代表するサブカルクソ女の邂逅は、正直かなり面白いよねっていう話。まぁ、こんな音楽にも精通するデヴィンがただ変態なだけというか、それはコムアイも似たようなもんと思えば何ら不思議ではない。そもそも、その辺の一種の宗教的な音楽とコムアイの思想的な面での相性はグンバツであることから、必然的に「いい曲」になる事は目に見えていた。

ミニマル・ミュージックや環境音楽およびヒーリング・ミュージックを織り交ぜた幕開けから、まるで小鳥のさえずりが聞こえてきそうな神秘的な自然感を醸し出しつつ、その中盤以降まさに馬が中華の大地を駆けていくようなドラムビートで徐々にスピード感を増していく姿は、それこそ天下の大将軍を夢見る『キングダム』の主人公であり飛信隊のの如し。その戦国の世を駆けるを陰ながら見守るのが、エンヤさながらの「戦場の女神」的な存在感を放つコムアイだ。正直、ラップらしきことやってないコムアイのがマトモ説あるくらい、この手の曲を水曜日のカンパネラにやらせたら右に出る者はいないと再確認させる。だから、僕みたいにずっと気になってはいたけど漫画『キングダム』をまだ読めていないという人は、是非ともこの「贏政」Spotifyで聴きながら読むと俄然ファルファルとトーンタンタンが捗るのでオヌヌメです。

赤い公園から佐藤千明が脱退することについて

最近、PCがブッ壊れて修理に出した結果、どうやら蘇生不能みたいで、実はPCが戻ってくるまで更新停止するつもりだったけど、今はこうやってiPadから記事を更新している。何故なら、この件に関してはどうしても黙っちゃあいられなかったからだ。

さすがにバビった。赤い公園からボーカルの佐藤千明が脱退すると聞いて、遂に僕と漫才コンビを組んでくれる気になったのか?と思ったら違った。と言うのも、数年前に赤い公園がやってた深夜のラジオ番組に、ラジオネーム【スティーヴン・ウィルソン】で「佐藤千明のうるせえなあ!というツッコミをベースにした漫才コンビ組んだらM1準々決勝くらい狙える気がする」的なメールを送ったら、それが採用されて読まれた思い出を持つ自分としては、今回の佐藤千明の脱退発表は正直かなりエモい状況。まさか、2015年の『マンマンツアー』を観に行って以来、赤い公園から距離を置いていた僕が(シングル乱発してたのは知ってた)、再び赤い公園に強い関心を示すことになる出来事が、まさか佐藤千明の脱退だなんて思いもよらなかった。

しかし津野は一体ナニをやっとんねんと。もちろん、佐藤千明が恐らく悩み抜いて出した脱退という結論に対して、僕たちフアンがどうこう言う筋合いはないのだけど、本当に「まさか」というか、まさか赤い公園に限って「そういうこと」は起こり得ないと、むしろ私がおばさんになーってもバンド続けてる様子が容易に想像できるくらい仲良しバンドだと、結果的にそれは「ただの思い込み」だったのかもしれない。まさか先月℃-uteが解散したせいで津野がただメンヘラを拗らせただけなのか…?そうであって欲しかった。しかし現実は違った。その佐藤千明は脱退理由として→赤い公園で過ごした7年の年月は、控えめに言って、最the高でした。その中で、自分の手に負えないほどのズレが、生じてきていることに気付きました。そのズレにぶつかり、擦り合わせようと出来る限りの努力をし、最善を尽くしましたが、ズレはどんどんと大きくなっていきました。そのズレが、迷いとして音楽にまで介入してきた時、赤い公園のボーカルという使命に、限界を感じましたと述べている。この言葉の中で一際目を引く自分の手に負えないほどのズレとは一体何なのか?

確かに、昨今のガールズバンドが売れるためには、特にフロントマンとなるボーカルにはその歌声以上に高いルックスが求められるのも事実だ。これはもう「しょうがない」ことなのかもしれないが、しかし唯一赤い公園に限っては例外だった。赤い公園は佐藤千明がフロントマンに立って初めて成立するバンドだからだ。事実、これまでの作品、特に僕が10年一度の名盤だと思っている『猛烈リトミック』は、佐藤千明が居たからこそなし得たアルバムだと。だから単純に不仲ゆえの脱退とは思いたくないし、そうは思えない。今回の件で「赤い公園は津野マイサのバンド」と再認識されるかもしれないが、しかしこれは「そういう問題」ではない。あえて「そういう問題」だとするなら、それこそ初期の頃こそ作詞作曲なんでもござれな津野のコンポーザーとしての才能だけ注目され、そしてその頃はまだ津野は赤い公園という名の「檻」の中で、ゴリラもとい佐藤千明を自由自在にコントロール(調教)できていたんだと思う。しかし、バンドが様々な経験を重ねていくにつれて、佐藤千明はフロントマンとしての才能およびボーカリストとしての才能を開花させ、そして日に日にバンドにおける存在感と権限を強めていった。そして遂に、佐藤千明は津野のコントロール(調教)が効かないほどの猛獣へと成長してしまったのだ。まさに、今の佐藤千明は檻から解き放たれたゴリラだ。ゴリラとなった佐藤千明は、生まれて初めて津野と「絶対的な関係」ではない「対等な関係」を求めたのだ。脱退はあくまでもその結果でしかなくて、これは「なるべくしてそうなった」と捉えるべきだ。あくまでこれは妄想の域を出ない話だが、しょうもない不仲説よりも、こんな風に解釈した方が面白いというか、つまり目出度く2013年に『公園デビュー』した佐藤千明は、彼女自身を最も強く成長させた『猛烈リトミック』経て、2016年には無事に『純情ランドセル』を背負い、そして四人体制では最後のアルバムとなる『熱唱サマー』を最後に「赤い公園」から卒業するんだって。

こう見えてメンヘラ拗らせてる津野よりも、実は佐藤千明の方がナイーブな考え方を持っているなんて事は、様々なインタビューを通して見れば分かるし、これは別に関係ないことかもしれないが、実は佐藤千明だけツイッターをやってなかったりする。とにかく、佐藤千明の脱退で一番デメリットを被るのは他ならぬ津野含めた残りの三人だろう。既に佐藤千明以外の三人はスリーピースバンドとして赤い公園を継続していくとアナウンスしているが、スリーピースってことは、新しいボーカルはどうなんの?とか、確かに今はまだ気が早いかもしれないが、正直この時期にフリーで歌える女ボーカリストってお…

ああ゛ああ゛ああ゛ああ゛ああ゛ああ゛ああ゛ああ゛ああ゛ああ゛ああ!!

リアルに鳥肌たった。さっき℃-uteって書いた時は何も思わなかったけど、何故かこのタイミングで「鈴木愛理」の名前が脳裏に浮かんだ、けど…さすがにそれはネーよ。でも、正式メンバーはネーにしても、津野は愛理が「歌える場所」を提供する気マンマンだと思うし、間違いなく愛理に楽曲提供する気マンマンなのはバレバレだぞ津野マジで。つうか、℃解散からの佐藤千明脱退からのPCボンバーとか…ヘラりたいのはこっちだっつーのマジで。ザケンナ津野マジで。これもう完全にナントカタイムズのせいだろ。やっぱあいつらクソだわ(八つ当たり)。

こうなったからにはもうどうしようもないというか、佐藤千明には8月まで赤い公園のフロントマンとしての人生を悔いのないよう精一杯全うしてほしい。ただただ、それを願う。今後なんて、佐藤千明レベルの 芸人もとい歌い手ならどの舞台どの業界でもやっていけるハズだから何も心配してない。むしろ他の三人の方が心配だ。今後 、どのツラ下げて赤い公園名乗っていくんだ。相当困難な未来が待ち受けているのは目に見えているし、フアンよりも残されたメンバー三人が佐藤千明というオモロイ存在、あるいはその亡霊の影に苦しむ事になるだろう。この試練をどう乗り越えるのか?皮肉なことに、今回の件で赤い公園こそ 「いま最も目が離せないガールズバンド」となってしまった。

戸川純 with Vampillia 『わたしが鳴こうホトトギス』

Artist 戸川純 with Vampillia
DBSMoeRU0AAXzXr

Album 『わたしが鳴こうホトトギス』
a3383198807_10

Tracklist

01. 赤い戦車
02. 好き好き大好き
03. バーバラ・セクサロイド
04. 肉屋のように
05. 蛹化の女
06. 12階の一番奥
07. 諦念プシガンガ
08. Men’s Junan
09. わたしが鳴こうホトトギス
10. 怒濤の恋愛

織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

約一年ぶりに漫画『HUNTER X HUNTER』の連載再開がアナウンスされた原作者の冨樫義博が、この休載期間という名のサボり中に一体ナニをしていたのか?それこそ、戸川純の歌手活動35周年を記念したブルータルオーケストラことVampilliaとのコラボ作品に伴うアーティスト・イラストで、これには「もっと仕事選べよ富樫、つうか仕事しろ富樫、あっ、仕事してんのか富樫」ってツッコんだ。 

豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かしてみせようホトトギス

何かとお騒がせな戸川純に影響を受けた(女性/男性問わず)アーティストは数知れず、中でも「戸川純の後継者」とか「戸川純のパクリ」だとか散々なレッテルを貼られた椎名林檎はその筆頭で、その椎名林檎の提供曲をドラマ『カルテット』の中で披露し、そしてMONDO GROSSOの約14年ぶりとなる新曲ではバブミの深い歌声を聴かせていた女優の満島ひかりちゃんが、戸川純の12年ぶりの新曲および新作となる『わたしが鳴こうホトトギス』に対するコメントを発表したとのことで、いわゆる十年来の「満島ひかり大好き芸人」としては聴かないという選択枠がもはやないわけです。しかし今思うと、9年前の2008年に公開された園子温監督の映画『愛のむきだし』での満島ひかりちゃんの息を呑むほどの破天荒な演技には、他でもない戸川純の影響があったのかもしれない。そう考えると、今回のコメントの件はなかなか感慨深いものがある。

徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

当然、自分は戸川純が世間を騒がせていたらしい時代/世代の人間じゃないので、それこそ例の重大事件をニュースで見て「頭のおかしな女」と子供ながらに思った記憶しかなくて、だから2014年にVampilliaとの初コラボが実現した『the divine move』"lilac"で初めて「歌手」としての戸川純の歌をマジマジと聴いたくらいで、つまり今作に収録された過去の名曲すら実質新曲として認識してしまう立ち位置の人間が、ただ単に「満島ひかり大好き芸人」という理由だけで今作を聴いてみた結果・・・果たして?



幕開けを飾る1曲目の”赤い戦車”から、ツインドラムを擁した破天荒かつアヴァンギャルディなVampilliaらしいヘヴィなサウンドスケープを繰り広げ、その重厚な音世界のセンターで威風堂々とした立ち振舞で戸川純が、それこそ昔も今も変わらぬ「シン・オルタナティブ」としてのシンボル=象徴としてその絶対的な存在感を発揮する。2曲目の”好き好き大好き”は、どっかで聴いたことあるなと思ったら、新生アイドル研究会BiS非常階段がコラボしたユニットことBiS階段がカバーしたことでもお馴染みの原曲で、初期のDir en greyみたいなサイバーパンク感あふれる3曲目の”バーバラ・セクサロイド”、イントロからグランジ風のヘヴィなギターリフをフィーチャーした4曲目の”肉屋のように”、パッヘルベルの名曲”カノン”に詞を与えた5曲目の”蛹化の女”は、原曲でもお馴染みのストリングスの優美な旋律と打ち込み系の激しくモダンなアレンジが、コラボならではのギャップと摩訶不思議な音楽体験を提供している。ATMSフィールドを展開する緩やかな始まりから、転調を交えてドラマティックに展開していく6曲目の”12階の一番奥”、ツインドラムが放つグルーヴが気持ちいい7曲目の”諦念プシガンガ”、激情系ポスト・ブラックメタル感がマシマシになる8曲目の”Men's Junan”、そして12年ぶりの新曲となる表題曲の”わたしが鳴こうホトトギス”は、初コラボ曲の"lilac"の再来となる真部脩一が手がけた俳句的な歌詞を刹那的に歌い上げる戸川純のボーカル、ピアノとヴァイオリンの優美な音色が織りなす緩やかな始まりから、歌姫の『魂』に共鳴するかのように激情するギターと怒濤のドラムが唸るような轟音を形成し、物語はリリカルでドラマティック、そして感動的なクライマックスを迎える。その姿は、まるで決して出会ってはいけない、「はみ出し者」with「はみ出し者」が運命の再会を果たしたかのような、その「はみ出し者」同士お互いに共振し、そして互いに高め合うようにして未知なる相乗効果を生み落としている。

このアルバムには、戦国時代の3人の英雄が叶えた「天下統一」という『夢』、その気高い『意志』を現代に受け継ぐ「歌姫」として生き続ける戸川純の『覚悟』が込められている。Vampilliaとかいう謎の音楽集団が繰り広げる混沌蠢くサウンドに飲み込まれない、むしろ逆に美味しそうに喰っちゃってる戸川純の歌声、その存在感たるやまさしく唯一無二かつ孤高、それ以外のナニモノでもない。もちろん、過去の原曲を知っていたほうが良いのだろうけど、しかし原曲を知らなくてもVampilliaworld’s end girlfriendによる多彩で奇抜なアレンジで楽しませる、つまり”カッコー”ならぬ『過去』の音を『イマ』の音としてブラッシュアップしている。そもそも、Vampilliaとの初邂逅となった"lilac"の時点で、その異常な相性の良さを垣間見せていたが、その相性の良さは今作および新曲を聴けば確信へと変わるし、目出度く出演が決まった今年のフジロックでは、この音源以上の「はみ出し者」with「はみ出し者」によるブルータルな喜劇舞踏を見せてくれるに違いない。でもちょっと待って欲しい、今年のフジロックにMONDO GROSSO戸川純 with Vampilliaの出演が決まったとなると...もしや満島ひk...いや、ねーか...。

とにかく、12年ぶりの新曲は"lilac"の延長線上にある名曲なんで、これだけのために今作を聴く価値は十分にあります。ちなみに、ネクロ魔ことNECRONOMIDOLと同じように、今作をBandcampで買うとflacが24bitのハイレゾ仕様になってるので、普通に国内のハイレゾ配信サイトで同じ仕様の音源を買うよりもチョトだけオトクです。

わたしが鳴こうホトトギス
戸川純 with Vampillia
Virgin Babylon Records (2016-12-14)
売り上げランキング: 5,924

ポルカドットスティングレイ 『大正義』

02. ミドリ
03. シンクロニシカ
04. ベニクラゲ
05. 本日未明
06. 夜明けのオレンジ (大正義 ver.)

ポルカってよく見りゃブス、もとい「上坂すみれさん方式」で右斜45°からなら椎名林檎レベルの典型的な福岡女顔になるんだけど、そんな椎名林檎リスペクトな福岡女顔からオラついた巻き舌歌唱と、カッティングを駆使したトリッキーでリズミックな、ゲス以降のいわゆる「踊れるギターロック」を聴かせるテレキャスター・ストライプのMVが公開されると瞬く間に話題を呼んだ、マルチな分野で活躍するギタボの率いる超絶ハイカラギターロックバンド、ポルカドットスティングレイの1stミニアルバム『大正義』がもはや「売れる」予感しかしない件。



が尊敬してやまないトリコットのベーシストヒロミ・ヒロヒロがゲスト参加している今作は、アルバムのリードトラックとなる一曲目のエレクトリック・パブリックから、前作でポルカテレキャス】という自覚が芽生えたポルカ節全開の縦ノリを誘発するカッティングを主体に、しかしクラップを交えることでよりライブ感を意識したトリッキーなリフやギュンギュンなギターソロ、そして「脱椎名林檎」を図ろうかというような、ポルカのライバルとなるthe peggies的な大衆性(メインストリーム)とメジャー感を内包したの言葉遊びに富んだポップなボーカルやトリコット中嶋イッキュウリスペクトな脱力系のあゝコーラスワークまで、全ての音がエネルギッシュかつキレッキレで、この短い尺の中で緩急を効かせながら目まぐるしく展開していく。あの元メガデスのマーティ・フリードマンも激推しする”テレキャス”と比較して大きく違うのは、半ば強制的に椎名林檎の存在を意識させる一種の「クセ」を徹底的に排除し、よりメジャーシーンを的確に捉えた「ポップバンド」としての存在感をマシマシにアピールしている所だ。

ポルカって実はフロントマンのよりも、ギタリストエジマハルシ君が繰り出すメタル耳にも馴染む超絶怒涛のギタープレイが生命線だと思うのだけど、それを証明するかのような2曲目の”ミドリ”は、あらためてトリコットイッキュウ中嶋リスペクトなのぶっきら棒な一種の喜劇役者の如しボーカルワークを披露しつつも、エジマ君によるイントロの雨の日のように内相的なシティポップ感溢れるリフとサビのスリリングなバッキング、そして「お前はJanne Da Arcのyouちゃんかよ」とツッコミ不可避な流麗なソロワークまで、とにかくポストハードコア界のレジェンドThe Fall of Troyをはじめ、CHONSithu Aye、そしてPliniをはじめとした今流行の海外インスト勢にも精通するギターの音像や音のトーンというのが絶妙で、これだけで彼のギタリストとしての類まれなる才能を垣間見ることができるし、それこそマーティ・フリードマンがこのポルカに注目する主な理由って、他ならぬ彼のギターセンスにある。

一曲目と双璧をなすアルバムのリード曲となる3曲目の”シンクロニシカ”は、ポストハードコア然とした轟音をカチ鳴らすイントロから、ポルカらしいトリッキーなカッティングでスピーディに展開し、センチメンタルでありながらも衝動的なのボーカルとリヴァーヴを効かせたバッキングのギターが絡み合うサビ、そしてフュージョン/プログレ界隈のレジェンドギタリストばりにシブみの深いソロワークやヒロミ・ヒロヒロのキレッキレなベースラインを最大限に活かしたダイナミックでプログレスな展開力まで、その刹那的な世界観や音作りまで全てが凛として時雨リスペクトなキラーチューンで、正直ポルカの王道とは全く異なるタイプの曲調も書けるなんて思ってなかったから、これには意表を突かれたというか、初めて聴いた時は2秒で「はい推せる」ってなった。とにかく、この曲は一種の「ポストV系メタル」と言っても過言じゃあないし、それくらいエジマ君のギターが完全にメタルだし、特にアウトロのギターソロとか「どんだけソロ弾くんじゃコイツ最高かよ」ってなったし、ますますエジマくんの「ギターヒーロー」およびギタリストとしての「こだわり」や「ルーツ」が誰に、そしてドコにあるのか俄然興味が湧いた。正直、現時点で凛として時雨のサポートできる実力はあります。こんなん絶対にピエール歓喜するわ。どうせならヒロミ・ヒロヒロ345みたいに歌わせたらネタ的に面白かったかもしれないw

一曲目で「脱椎名林檎」と言ったな?ありゃ嘘だ。そもそも、このポルカをはじめ、トリコット赤い公園きのこ帝国を筆頭に、いわゆるガールズ系バンドで椎名林檎の影響を受けていないバンドを探すほうが逆に難しいくらい、その椎名林檎と同郷のポルカが影響を受けていないわけがなくて、むしろ逆に椎名林檎愛が暴走する4曲目の”ベニクラゲ”は、あざといくらいに林檎リスペクトなジャジーでアダルティなアレンジで聴かせるバラードで、雨のSEをバックにのアカペラで始まるメンヘラ感全開の導入部から、全体的に黒盤の頃の初期赤い公園を彷彿させるリフレインでゆったりとほの暗いムードで展開し、それこそ「#椎名林檎の後継者なの佐藤千亜妃やイッキュウ中嶋じゃなくて私だ」とツイッターにハッシュタグ付けてツイートしてそうな、まるで全盛期の鬼束ちひろばりに凄んだ歌唱法で不幸な女を演じきるからは、それこそ福岡出身の伝説のメンヘラSSWことYUIの存在、そのトラウマをデジャブさせ、つまり椎名林檎→YUIに次ぐ福岡女の系譜、福岡女特有の「メンへリズム」という名の伝統芸能を受け継ぐ現代のアイコンこそポルカだ。少なくとも、現状ではフロントマンとしての魅力や才能はイッキュウ中嶋を余裕で超えちゃってます。

ポルカのことを「ポップバンド」だと強調する。その言葉に未曾有の説得力を植え付ける5曲目の”本日未明”は、ファンキーなギターやイマドキな感じの零のボーカルまで、それこそ「これがメジャーだ!」みたいな爽やかなドポップチューンで、さっきの曲との振り幅がもの凄いし、ポルカだけにポルカリスエットのCMタイアップ取ってこれそうなレベル。しかし、ここまで色んなことやってきて、最後にこのポップソングを持ってこれるのはバンドの強みか、はたまた弱みか。6曲目には2015年の限定シングル”夜明けのオレンジ”の大正義版を収録し、6曲6色のポルカワールドを繰り広げている。

基本的な音は一昔前に流行ったマスロックをベースにしているんだけど、いわゆるマスロックというジャンルからイメージされるような変拍子を駆使した変態的な要素は皆無で、あくまでのバンドの最前提には「ポップス」があって、極端に例えるならトリコットから変拍子とメンヘラ臭い毒素をぶっこ抜いて、その代わりに「ポップス」の要素をブチ込んだようなバンドで、特にこのミニアルバムではYUKI矢井田瞳などメジャーな「J-POP」をしっかりと勉強してきたのが凄く伝わってくる内容で、前作のEPとは比べ物にならないアレンジ力の高さと個々のスキルアップとともに、とにかくサウンド面のメジャー感がグッと増している。初のミニアルバムだからと言って初期衝動的な特別なナニカがあるというわけではなくて、そこには綿密に計算された成熟感すら漂っている。これが「メジャー感」とやらなのか?

椎名林檎以降のJ-POP、凛として時雨以降のポストハードコア/マスロック、ゲス以降の「踊れるギターロック」を経由して、そして今のメジャーで活躍するポップ・ミュージックの中にパッケージングした、露骨に「売れ線」を狙ったぐうの音も出ない「ザ・売れ線」なのを頭で理解していながらも、「正義と踊れ」と命令されたら踊らざるをえない、その謎の説得力ったらない。伊達に2017年の「ネクストブレイク」とメディアから激推しされてない、その確かな才能に裏打ちされた高濃度の楽曲陣は、まさに「大正義」としか他に例えようがない。これは売れるわ。これは右斜45°からライブが観たい。

危惧することは、このままポルカが更にメジャー化しいていくにつれて、本当に「ただのポップバンド」になってしまわないかという事で、何度も言うけどポルカの魅力って、見せかけの「ただのポップバンド」かと思いきや、無駄にというか想像以上にギターがガチってたり、バッキングのリフがやけにカッコ良かったり、そして何よりもギターソロがメタル臭かったりする所で、確かに今後ポルカがどの方向性に進んでいくのか現状未知数ではあるが、そのバンドの生命線であるエジマくんのギターを蔑ろにしない限りは、最低限レベルでポルカの作品を聴き続けることはできそう。まぁ、その辺の「超えちゃいけないライン」は零もよく理解していると思うので心配ご無用か。

【Amazon.co.jp限定】大正義(ステッカー付)
ポルカドットスティングレイ
ユニバーサルシグマ/半泣きビビレコーズ (2017-04-26)
売り上げランキング: 2,740
記事検索
月別アーカイブ