Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

スティーヴン・ウィルソン

tricot 『A N D』

Artist tricot
tricot

Album 『A N D』
A N D

Tracklist
1. Noradrenaline
2. 走れ
3. E
4. 色の無い水槽
5. 神戸ナンバー
6. 消える
7. ぱい~ん (A N D ver.)
8. 食卓
9. 庭
10. CBG
11. QFF
12. Break

ガールズ・ロック界のメタリカ ・・・自分の中で、京都発の変拍子大好きスリーピース・ガールズ・ロックバンドことtricotは、先日のライブツアーのチケットを発券したにも関わらず、音源を事前に予習できなかったり平日だったりというしょーもない理由で結局行くのやめたレベルの関心しかなくて、そもそもパンクというジャンルが好きじゃあないので、これからも一生聴くことはないんだろうと思った矢先、最近ようやく1stアルバムのT H Eと約二年ぶりとなる2ndアルバム『A N D』を聴く時間ができて、しかもこれが思いのほか良くて、「あ~やっぱり無理してでもライブ行っときゃよかった・・・」って後悔させるほどの内容なのだ。まず何が驚いたって→今作のリード・トラック担う”E”の冒頭部分が、あまりにもメタリカ”Master of Puppets”の「デッ デッデッデーンwwwwwwwwwwwww」という、あの世界的に有名な冒頭を彷彿とさせたもんだから、僕は思わず・・・

こんな風に↓↓
ベビメタ大好きおじさん

あるいはこんな風に↓↓
ベビメタ大好きおじさん2

・・・まるで"ベビメタ大好きおじさん"ことラーズ・ウルリッヒばりに高らかにガッツポーズしていた。つまり何を隠そう、メタリカがヘヴィメタルにパンクを持ち込んだ偉大なバンドならば、このtricotは日本のガールズ・ポップに80年代初期スラッシュ・メタルのハードコア・パンク精神を持ち込んだ偉大なバンドなのかもしれない、ということ。
 


デッ デッデッデーン ・・・この『A N D』は、1stアルバムT H Eのように初期衝動的な勢いで最初から最後まで青臭く駆け抜ける作風ではなくて、想像した以上にアレンジ面に力を入れたアルバムとなっていて、これぞヘタウマな中嶋イッキュウの刹那的な爆裂ボーカルをはじめ、キダ モティフォの俄然マスロック/ポストハードコア然としたリフ回し、ヒロミ・ヒロヒロによるガチ恋不可避なベースプレイ、そしてプログレ度マシマシな楽曲展開まで、ありとあらゆる面でバンドの進化と個人の成長が著しい作品となっている。で、オープニングを飾る#1”Noradrenaline”こそ1stアルバムの流れを素直に踏襲した、持ち前のコーラスを駆使した比較的ストレートな疾走感溢れるセカイ系の青春パンクではあるが、次の”走れ”以降はtricot"進化"をまざまざと見せつけられる事になる。この”走れ”は、1stアルバムの中でも一際異彩を放っていたトリコ屈指の名曲”art sick”を彷彿とさせるリヴァーヴィな雰囲気とオルタナティブ/アート・ロック的なアレンジが光る曲で、イントロからヒロミ・ヒロヒロのガチ恋不可避な妖しいベースが冴え渡り、特に2:13秒の不意をつくベースの絶妙な入り以降に繰り返されるミニマルな曲展開は、トリコの魅惑的な作曲センスと"Post-Progressive"に対する意識の高さを伺わせるし、同時に1stアルバムとの明確な違いと着実な進化を確信づけるような一曲と言える。で、例の「デ...デッデッデーンwwwwwwwwww」を合図に、トリコ流のマスパペやってのける”E”では、トリコの純粋な変拍子愛を適度な緊張感とタイトな疾走感を伴って爆発させる。俄然ポストハードコア然としたリフ回しでノリよく展開する”色の無い水槽”相対性理論”品川ナンバー”ならぬ”神戸ナンバー”では、一転してイッキュウの「アタシ超サブカルkawaii」アピールがウザいくらいに光るシティ・ポップ的な一面を垣間見せ、そして再びさり気ないアレンジや予測不能な展開力を発揮する”消える”で前半の流れを締めくくる。

スティーヴン・ウィルソン
スティーヴン・ウィルソン・・・「WOW!! I Like Ikkyu Nakajima. Welcome to Kscope!!」

中嶋イッキュウ
中嶋イッキュウ・・・「Kyaaaaaaa----(照)」 

   ぼく
ゲスニックマガジンの西条・・・「OK. I Like Hiromi Hirohiro」

ヒロミ・ヒロヒロ
ヒロミ・ヒロヒロ・・・「No Thank You」

キダ モティフォ
キダ モティフォ・・・「LOL」

   ぼく
ゲスニックマガジンの西条・・・「LOL」 

おっぱい~ん ・・・ここまではtricotの持ち味を活かした楽曲が続いたが、しかしこの『A N D』がより面白く、トリコの"進化"が顕著に表れるのは後半からで、まずジャズィでエレガントなピアノを大胆に取り入れ全面にフューチャーした”ぱい~ん”は、一瞬スティーヴン・ウィルソン”Luminol”が始まったのかと錯覚するレベルのスリリングなドラミングへと繋がる幕開けから、再びトリコのArt-Rock/Post-Progressiveに対する見識の広さを垣間見せ、そして1stアルバムの”おちゃんせんすぅす”の流れを汲んだ、ジェント/フュージョン然としたオシャンティーなアプローチを効かせた”食卓”までの流れは今作のハイライトで、そのセンスフルなアレンジ力およびユニークな作曲能力の高さを実証している。で、一転して「サンバ!」という掛け声を合図に、中嶋イッキュウがシュールなリリックを激しくまくしたてながら、リズミカルなサウンドにノッてロキノン系キッズがバカになって踊り狂うような”庭”は、それこそ自称"非・踊らせ系"がメジャーな大衆性を帯びたイマドキの踊らせ系に擦り寄った一曲で、一種のヌー・ロック的な曲調は面白いけど、このロキノン系みたいなノリだけは賛否両論ありそう。なんかもう「もうどうにでもなれ」感すごい、エモい。で、一際バッキングのコーラスがカッコイイ”CBG”、雰囲気のあるスロー・バラードかと思ったら後半からピアノを使って軽快にテンポアップする”QFF”、そしてシングルの”Break”まで、後半の曲は新機軸とも取れる流行りのノリやオシャンティーな雰囲気重視の曲が中心で、持ち前の粗暴な勢いは少し抑えられて比較的ゆったりと"音楽的"に"曲"を聴かせにくる。


プログレ界のBABYMETAL ・・・光の戦士こと南條愛乃やBSニュースの堤真由美キャスター、そして中嶋イッキュウみたいなこの手のダメ男にDVされてそうな絵面が似合う、俗にいう"DV映え"する顔に弱い男って僕だけじゃないと思うのだけど(中嶋イッキュウが可愛いという風潮)、その中嶋イッキュウが自身で赤い公園ファン担当と謳っているだけあって、初期の赤い公園をはじめ椎名林檎や初期の凛として時雨ライクな少しシニカルな雰囲気もあるのだけど、それこそ1stアルバムの『T H E』赤い公園の通称をリスペクトしたような、時にシュールに、時にカオティックに、時にエモーショナルに、時にションベン臭い青春パンクみたいな、ちょっとサブカル入った特に珍しくもない音楽性で、なんというか初期の赤い公園を洋楽視点で捉えるとこうなる、みたいな雰囲気すらあった。しかし、メンバーの技量的にも音的にもまだまだ未熟な所が多々あって、執拗に騒がれるようなバンドではなかった。で今作、衝動的な勢いに身を任せて、やりたいことが明確化していた1stアルバムとは違って、何を血迷ったのか結構突拍子もない事やってる、悪く言えば流れもクソもない阪神タイガースの打線ばりにチグハグでまとまりのないアルバムなのだけど、でもそれはドラムが辞めて解散一歩手前の危機的状況を打開するための、バンドの可能性を模索し色々と試行錯誤した結果と思うので、これはこれで納得できるし、むしろ逆に"もがいてる"感あってスゲーエモいです。だから完成度という点では『T H E』の方が上だし、本能的というより理性的、しかし野性的なのは相変わらずだが、持ち前の粗暴な勢いは抑制されてリズム重視の作曲意識が強く、同時にトリコの一つの魅力だった"エモさ"も減ったが、今作での中嶋イッキュウは"ボーカリスト"としての自覚が芽生え始めているし、その表現力は幾倍にも増している。個々の技量的な意味でも楽曲のアレンジ的な意味でもその成長は顕著だ。しかしまだアレンジの単調さは否めないし、あらゆる面で成長段階といった感じだが、”走れ””消える”のような聴き手の意表を突く予測不能な曲展開だったり、おっ”ぱい~ん””QFF”で聴けるようなアート志向の強いピアノの導入だったり、とにかく”Post-Progressive”然とした作曲センスに終始驚かされっぱなしで、正直ここまで次作への期待がかかるバンドは他にないってくらい、クソ面白いアルバムだと思う。もしこの流れでメジャー行ったら絶対に面白くなるというか、むしろトリコみたいなバンドが、逆にこういうバンドこそメジャーに行って化けるパターンを期待したい。同時に海外からも注目を集めるトリコだが、そろそろKerrang!あたりに取り上げられて、ダウンロード・フェス参戦からのKscopeデビューして欲しいと思っちゃったんだからしょうがない。そしてガールズ・バンド初のDjentやって欲しい。というか、これはマジにメタリカのマスパペカバーして欲しい。まぁ、それは冗談として→海外メディア的にはメルトバナナの後釜にしたい所だろうし、今後の海外展開の行末も俄然楽しみでしょうがない。目指すは"プログレ界のBABYMETAL"だ!

   ぼく
ゲスニックマガジンの西条・・・「おいイッキュウ!トリコは”art sick”みたいな曲も書けるのが強みだって事を忘れるんじゃあない!」 

中嶋イッキュウ
中嶋イッキュウ・・・「庭には二羽のニワトリが踊り続けた!庭には二羽のニワトリがずっとそこで踊り続けた!」 

   ぼく
ぼく・・・「庭には二羽ニワトリがいる!庭には二羽ニワトリがいる!」 

超えちゃいけないライン ・・・驚いた。こんな"音楽的"に面白いバンドやったのかと、聴かず嫌いしていた以前までのイメージとのギャップに驚いた。これは昨年に赤い公園の名盤猛烈リトミックを聴いた時と同じ体験、というかデジャヴだった。その猛烈リトミックのレビューの中で→「僕はtricotなんか聴かない(キリッ)」とか発言してからほんの数ヶ月でトリコの虜になってて笑う。それでは、この『A N D』赤い公園『猛烈リトミック』に取って代わるような名盤かと聞かれたら、その答えはノーだ。このアルバムを聴く限り、中嶋イッキュウ赤い公園の1stアルバム公園デビューが相当好きなんだろうという事が伝わってくる。でも次作の猛烈リトミックで露骨に大衆性を帯びたメインストリーム向けのサウンドに舵を切った事で、初期赤い公園からの影響をモロに受けている中嶋イッキュウは一体ナニを思うのだろう。しかし、この『A N D』から漂う"わてメジャー行きたいどす感"は、どちらかと言えば最近メジャーに行ったきのこ帝国フェイクワールドワンダーランドのソレに近くて、そのフェイクワールドワンダーランドと同じでこの『A N D』は別に”売れなきゃいけないアルバム”ではないけど、恐らく次のアルバムでは"売りにくる"と予測できる。名盤『猛烈リトミック』に習って次作で化けるかどうか、その可能性とバンドのポテンシャルは今作で十二分に証明している。そこでようやくDV中嶋津野米咲とタイマン張れるレベルになるんじゃあないか?だからこそ、このトリコには"エモさ"を忘れたロキノン厨もといニワトリのようなバカにはなって欲しくはないんだ。今後、もし”庭”みたいなロキノン厨に媚びを売るような方向に行ったら、こいつら本当に終わりだと思う。前作の”art sick”を取るか今作の”庭”を取るか、はたまた”超えちゃいけないライン”に入るか、、、色々な意味で今後のトリコに目が離せない。

めちゃ後悔だよなぁ

tricot×sukekiyo ・・・おいら、バンドで一番重要なパートってドラムだと思ってる人で、それこそtricotのドラムが辞めたって風のウワサで聞いた時は、リアルに「こいつら終わったな」って思ったのだけど、どうやらこの『A N D』を聴く限りでは余計な心配だった模様。今作、脱退したドラムに代わって五人のドラマーがゲスト参加していて、そのドラマー陣がまた良い仕事してます。相対性理論との仕事でも知られる千住宗臣氏やex-東京事変で現ニートの刄田綴色氏をはじめとした豪華なメンツの中でも、凛として時雨TKがリミックスしたsukekiyo”zephyr”でドラムを叩いてるBoBo氏が#3#7で叩いてるとのことで、まさかこんな所でsukekiyoと繋がるとは思ってなかったし、とにかく人脈および人選が無駄に面白かった。どうせだからsukekiyotricotで対バンして欲しいと思っちゃったんだからしょうがない。それこそ【変態男VS.変態女】みたいなノリで、頼むぜン゛ギョウ。ともあれ、変拍子とかいうどうでもいいようなギミックに頼らず、この『A N D』で純粋に楽曲で勝負しにきた、しかしそこにはまだ未熟な部分や課題も沢山あるが、ドラマー脱退という鬱屈した状況を打開しようとあらゆる方向性と多方への可能性を模索しながら、ガムシャラにもがき苦しみながらも攻めに攻めてきたトリコに僕は盛大な拍手を送りたい。少なくとも今年のガールズ・ロックでは、ねごとVISIONと並んでマストアイテムです。ちなみに、僕はDV中嶋よりもベースのヒロミ・ヒロヒロ派です(ヒロヒロ派ならシングルカップリング曲の”ダイバー”は必聴です)。
 
A N D 【初回限定盤】2CD仕様
tricot
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Steven Wilson 『Hand. Cannot. Erase.』

Artist Steven Wilson
Steven Wilson

Album 『Hand. Cannot. Erase.』
Hand. Cannot. Erase.

Tracklist

01. First Regret
02. 3 Years Older
03. Hand Cannot Erase
04. Perfect Life
05. Routine
06. Home Invasion
07. Regret #9
08. Transience
09. Ancestral
10. Happy Returns
11. Ascendant Here On...

『パーフェクト・ライフ』
 
私が13歳の時、6ヶ月間だけ姉がいた

彼女は2月のある朝にやって来た
顔は青く、精神も病んでいた
過去に何があったのか、私には想像もつかない

彼女は私より三歳年上だった
だけど、私たちはすぐに意気投合した

二人で彼女の作ったミックステープを聴いた
デッド・カン・ダンス、フェルト、ジス・モータル・コイル...

彼女はお気入りの本を紹介してくれた
洋服もくれた、そして初めてのタバコも

時にブラックバースの湿原まで繰り出して
夕暮れ時のグランドユニオンで船を眺めた

彼女は言った「水には記憶がないのよ」

数ヶ月の間、私たちの暮らしは
あらゆる面で完璧だった

いつも二人きり、決して離れることはなかった

その年の暮れ、両親が離婚し
姉は家族と共に
ドリスヒルの新しい家へと移った

一ヶ月ほど死にたい気分に陥った、毎日彼女を恋しがった

だけど時が経つに連れ、
彼女は私の記憶の彼方へと追いやられていった

やがて私は彼女の顔も声も、名前さえも思い出せなくなった

スティーヴン・ウィルソン ・・・この人もなかなか"したたか"な人で、いったいナニが"したたか"って、彼が主宰するPorcupine Treeが2009年に賛否両論を呼んだ問題作『The Incident』をリリースした直後に、まるで図ったようにPT活動停止からのソロ活動開始という計画的な流れを目にすると、もはやソロがやりたいがために意図的に"あの駄作"を作ったんじゃねーかって、この時スデにSWの意識はソロ一色に染まっていたのかと邪推したくなるほどで、そのようにして如何に彼が"したたか"な人間であるのかが分かるハズだ。で、そんなスティーヴン・ウィルソンの約二年ぶり通算4作目となる『Hand. Cannot. Erase.』は、奇しくもAcid Black Cherryの4thアルバムL -エル-のコンセプトとリンクするような、DV男から逃れるも最悪の状況が重なって悲劇的な死を遂げた、ジョイス・キャロル・ヴィンセントという一人の女性の壮絶な人生にインスパイアされたコンセプト・アルバムとなっている。そして自身で「これまでの僕のキャリアすべてがこのアルバムに詰まっている」と語るように、本家のPorcupine Treeは元より、No-Manをはじめとした数多くのサイド・プロジェクトや70sプログレジェンド作品のミックス稼業、そしてOPETHANATHEMAなどのプロデュース&ミックスから、しまいにはカバー・アルバムまでを含むSWの音楽人生すなわち生き様が余すことなく凝縮された、現代プログレッシブ・ミュージック界の頂点に君臨し続けるSWの集大成と位置づけられる一枚だ。

『DV男はプログレ好き』 ・・・その言葉どおり、SWがプロデュースを手がけたOPETHの名盤『Blackwater Park』から”The Leper Affinity”のアウトロを彷彿とさせるピアノ・メロディと子供が戯れ合う和やかな情景を描写するSEが織りなすインストの#1”First Regret”から、このケータイ小説DV男はプログレ好き』は静かに幕を開ける。そしてスケール感のある神聖な幕開けから、PT『In Absentia』を想起させる爽快感溢れるアコギを合図に始まる#2”3 Years Older”は、いわゆる"SWバンド"として二作目にして早くも貫禄を伺わせる、俄然タイトで堅実的な"バンド・サウンド"を打ち出していく。その"バンド・サウンド"からなるダイナミックな"動き"と、SWのボーカルおよびコーラス/ハーモニーとアコギとピアノ/メロトロンからなる"静寂"的なパートがスリリングに交錯し、ドラマーの千手観音超人ことマルコ・ミネマンを筆頭にまるで『MGS3』のコブラ部隊顔負けの変態おじさんで編成された各メンバーの"プロフェッショナル"な見せ場(ソロパート)を与えながら、そのプロフェッショナルな音と音が激しく鬩ぎ合う終盤の鬼気迫るインストパートは、前作から続く”SWバンド”としての集大成であると同時に、SW本人は幻影旅団を指揮する団長さながらの統率力を発揮している。要するに→ソロ二作目や三作目の音をイイトコ取りして素直に再構築(アップデイト)したようなSWサウンドから持ち前の曲構成まで全てがプログレ然とした曲で、言うなれば"SWバンド"としてPT『Lightbulb Sun』あたりの夕立のように淡い音像を再現していく。その”3 Years Older”と表題曲の”Hand Cannot Erase”が導き出すキーワードこそ”ポップ”という言葉で、もはや1stアルバムInsurgentesと同じバンドとは思えない(明確には同じではないが)、SWソロ史上最も”ポップ”な曲を表題曲に冠した意味、あの日見た”ポップ”な意味を僕達はまだ知らない。

suke

【V-kei × Post-kei】 ・・・この構図から細かな配色(橙色の使い所とか本当に凄い)まで...偶然にしてはあまりにも奇妙な偶然の一致で、しかし僕は既に日本のビジュアル系とUK発祥の"Post-系""親和性"を見出し始めていて、その漠然とした考察は”Perfect Life”とかいう今作のリードトラックを耳にした瞬間、確信的なナニカへと変わった。僕は以前から、SWと深い関わりのあるANATHEMAとV系界の頂点であるX JAPANな存在だと思っていて、例えばANATHEMAの曲に”THE LOST SONG”という曲が、奇しくもX JAPANにも”THE LAST SONG”という曲があって、ほぼこじつけに近いけど独りでに面白いと思っちゃったんだからしょうがない。で、結局ナニが言いたいかって、この”Perfect Life”の物思いに耽る女性の語り口調が完全にX JAPAN”THE LAST SONG”YOSHIKIの語りに瓜二つで驚いた、と同時に日本のV-keiとUKのPost-keiの親和性、および関係性に対する信ぴょう性がほんの少しだけ増した気がした。その意味深な語りは、今作の"コンセプト"を聴き手に意識づける重要な鍵を握っているが、その曲調としては→エレクトロな打ち込みやオルタナティブ流れのモダンな音使いとポストロック的な極上のミニマリズムもって、リリカルかつノスタルジックなSWワールドを繰り広げていく。語り部がメインであるのにも関わらず、シッカリと一つの楽曲として成立させるSWの作曲センスにはぐうの音も出ない。ところで、ANATHEMAの9thアルバムDistant Satellitesにも打ち込みを擁した実験的な楽曲が見受けられたが、まさにそのANATHEMAに対するSWからの回答であるかのような曲で、もはや"ポスト-ミュージック"とは一体なんたるか?を、常に"ポスト-"界の第一線に立ち続けるSW自身で再確認するかのような、いわゆる"俺の界隈"代表取締役社長兼CEOがソレを直々に実演して見せている。ANATHEMAの一歩先を行くのは、やはりこのスティーヴン・ウィルソンだった。つうか、今話題の同性婚をテーマにしたようなこのMVに出てる女の子、SWに似すぎ問題。隠し子かもしれない問題。

 

コンセプト・アルバム ・・・しかし"偶然の一致"は、それだけじゃあない。日本のビジュアル系ロックバンド、Janne Da Arc林保徳ことyasuのソロ・プロジェクト、Acid Black Cherryの4thアルバム『L-エル-』もエルという一人の女性の波瀾万丈な人生を綴ったコンセプト・アルバムで、その『幸福』『不幸』が激しく交錯するコンセプトや2月25日の同日リリース、そして同じソロとして"4thアルバム"という部分も"偶然"にしては面白い一致だ。こんなこじつけがましい事に一喜一憂してるのは世界でもただ一人だろう。で、本作『Hand. Cannot. Erase.』のコンセプトを象徴するような曲が五曲目の”Routine”という曲で、遂にSWも近年ANATHEMAの圧倒的なクリエイティビティに触発されたのか、この曲ではイスラエルの女性シンガーNinet Tayebをゲストに迎え、今作の主役であるジョイスの張り裂けそうな想いを代弁するかのような、美しくもありどこか悲しげな表情を見せる女性ボーカルと、SWの"とある嗜好"が露わになるレオ・ブレア君というCardinal Vaughan Memorial School所属のボーイ・ソプラノによる天使さながらの神聖なショタボイスに引き寄せられ、ある種の狂気にも似た陰影が忍び寄る・・・。驚いたのは、あのSWバンドの珍獣たちが調教された子猫のように一人の演者として曲に注視していて、この曲の見せ場であるケタタマシク鳴り響く鍵盤を従えたSWバンド・サウンドと共に、人々の目から逃れるようにして暗い部屋で赤黒い涙を流しながら独り絶望するジョイスの悲しみ、その激情的な想いが込められたNinet Tayebのエモーショナルな歌声、そして怒りと狂気が爆発する魂の叫びを耳にした僕は只々脱力するしか、僕には「ごめんよジョイス・・・ごめんよ・・・」と泣きながら懺悔するしかできなかった。その天をも貫くスクリームからアウトロへの繋ぎは本当に見事で、ジョイスの置かれた危機的な状況からイメージされる様々な想いや感情が、そして悪夢がそよ風と共に過ぎ去っていき、天使の囁きの如しクアイヤと共に清々しい夜明けを迎えるようだ。まるで日常と非日常が静寂と狂気の狭間で揺れ動く、ジョイスという一人の女性の悲劇と人間世界の光と闇を深裂に、しかし美しくも残酷に描き出していく。この曲は、ジョイスという一人の女性の人生に起こった怒りと悲しみ、希望と幸福が百花繚乱に入り乱れた今作のコンセプトを集約している。この曲のSWは、総合演出家としてほぼ裏方に徹している。

もう一つのルーツ ・・・このスティーヴン・ウィルソンといえば、YESPink FloydKing Crimsonなどのプログレジェンドをルーツとするアーティストとして知られるが、今作の”Home Invasion””Regret #9”という組曲では、往年のプログレだけではなく70sや80sのクラシック・ロックからのルーツを披露している。まずは前編の”Home Invasion”では、「悪夢はまだ終わらない」とばかりStorm Corrosionばりに陰鬱でミステリアスなイントロから、DIR EN GREY”Unraveling”あるいはLeprousを連想させるいわゆる”Post-Djent”なモダン・ヘヴィネスを垣間見せ、その流れでSWがミックスを手がけたOpethPale Communionから”Goblin”に通じるレトロフューチャーなハモンド・オルガンやSWのファンキーなボーカル・アレンジまで全てがヴィンテージな匂いを醸し出していく。中期PTっぽいアンニュイなフレーズは、森は生きているの岡田君が好きそうな感じではある。繋がって始まる後編の”Regret #9”は、初期PTを彷彿とさせるスペーシーなシンセのソロパートをメインに、後半からはGuthrie Govanによる往年のクラシック・ロック系ギターヒーロー顔負けのドラマティックなギター・ソロを披露してみせる。まさにSWのクラシック・ロックオタクっぷりが炸裂したような曲で、その感動的なGソロを名残惜しむようなアウトロのバンジョーの音色がまた一際ノスタルジックに演出する。で、昨年にカバーアルバム『Cover Version』をリリースした意味を知る事ができる、アコギ一本で繰り広げるシンプルなフォークソングの”Transience”で中盤の流れを締めくくる。

キッズ・ノーリターン ・・・スティーヴン・ウィルソン、彼が長年のキャリアの中でここまで感情を露わにしたことが過去にあっただろうか?今作のコンセプトを担う先ほどの”Routine”では、SWはあくまでも裏方として徹していたが、その曲のアンサーソング的な立ち位置で今作のハイライトを飾る”Ancestral”では、裏方ではなく一人の演者として、一人の主演として自らの役目を果たしている。なんだろう、自分にしか興味のないオタクが初めて他人の人生を客観的に捉え始めたような、それぐらいオタクの本気と書いてマジを見せつけるこの曲は、再び女性ボーカルのNinet Tayebを迎え、まさにSWソロ後期PTのヘヴィ路線の集大成であるかのような約13分の大作ナンバーで、中でもクライマックスを飾る終盤のメタリックなヘヴィネス、デレッデレ♪みたいなメロデス感のあるアグレッシヴなリフの応酬はもの凄くスリリングかつエキサイティングで、メタリックはメタリックでもヘタにOpethみたいなプログレッシブ・ヘヴィ真似ちゃった結果の駄作だったThe Incidentではなく、それ以前の傑作『Fear of a Blank Planet』や名盤『Deadwing』の流れにある一種のヘヴィロック的なヘヴィネスって所がポイント。正直、今のSWが"この音"を作れるなんて微塵も思ってなかったから、やっぱSWってスゲーわってなったし、あらゆる場面で”あの頃”のSW(PT)を再現したある種のパラレルワールド的なアルバムと言えるのかもしれない。でも何故か『The Incident』らしき音が一切ないのはお察しのとおりで。そして→「指うめえ!」・・・あの日舐めた指の味が帰ってくる・・・。ここまではジョイスという女性の壮絶な人生を痛々しいまでに描き出してきたが、一曲目の”First Regret”のピアノを引用したフレーズで始まる”ハッピーターン”ならぬ”キッズ・ノーリターン”ならぬ”Happy Returns”は、SWのトゥル~ル~ル~ララ~♪とかいうゆるふわ系のコーラスや壮麗なストリングス、そしてSWがプロデュースしたANATHEMAWe're Here Because We're HereあるいはAlcestを連想させるポストロッキンなミニマリズムと黄金に輝くエピカルなフレーズが織りなす、それこそSWから黄金界隈に対する回答であるかのような一曲だ。こうしてジョイスの魂は呪い(ANATHEMA)から解放され、彼女は子供の頃の無垢な姿に新しく生まれ変わり、そしてJulianna Barwickばりの天の使いが舞い降りてくるアウトロ(#11)のクワイヤとともに、何ひとつの苦しみもない清らかな天国へと、まだ彼女に確かな未来があった時代の思い出を抱きしめながら天国へと旅立っていく。『パーフェクト・ライフ』という名の明るい『未来』を夢見たジョイスの魂は救われたのだろうか・・・?きっとそうだと信じたい。

集大成 ・・・SWの言うとおり、この言葉以外ほかに必要ないです。SWの人生がありのまま素直に詰まった傑作だ。エレクトロを擁したモダンな音とクラシックな音が、まるでSWの過去と現在を紡ぎ出すようにクロスオーバーしている。なんというか、クラシック・ロックオタクとしてのSW”Post-Progressive”の伝道者としてのSWを両立させなきゃいけない、現代プログレ界の先駆者としての使命を全うしている。やっぱり今作のクレジットからしても、SWが手がけたOpethPale Communionからの影響が顕著に現れていて、そもそも『Pale Communion』自体が過去のOpethを再構築した作風で、つまり再構築という意味ではこの『Hand. Cannot. Erase.』はSWの全キャリアを咀嚼し再構築した、デビュー間もないバンドには出来ない人生を賭けた壮大なスケールの作品と言えるだろう。でもSWがホントにスゲーのはそこじゃあなくて、過去のキャリアをソロバンドという枠組みの中で器用に再現しつつ、かつシッカリとコンセプティブな作品として両立させるその能力値の高さで、もうなんかSWの才能枯れなさすぎて笑っちまうというか、もうこれSWの遺作でイイんじゃねーかってレベル。もはや今のSWは人生のハイライトを迎えようとしているのかもしれない。しかもネガティブなコンセプトを題材にしているのにも関わらず、表題曲に過去最高に"ポップ"な曲をあてがったり、音自体は中期PTをイメージさせるくらいに”ポップ”だ。しかし過去最高に”ヘヴィ”でもある。”ポップ”だとか”ヘヴィ”だとか、”デジタル”だとか”アナログ”だとか、”明るい”とか”暗い”とかどっちがどっちというわけでもなくて、そういった型にはまらない姿勢という意味では、彼は本当の意味で"オルタナティブ"な存在であり続けるのかもしれない。兎に角、これまでにSW”与えたもの””与えられたもの”が時空を超えて一つに巡りあった感あって、その”与えられたもの”の中でもANATHEMAの存在は大きくて、最近のANATHEMAに触発されたのか、この『Hand. Cannot. Erase.』でもストリングスや女性ボーカルを大胆に取り入れており、そして「あれ?もっと感情的になってDVしてもいいんだ!」みたいな、それくらい感情的なエモーションに溢れている。なんだろう、ANATHEMAの曲は感情の限界突破した先にある莫大な多幸感をもって『メイド・イン・ヘブン』へとブチアゲるなら、このSWはあくまでも静寂の中で幸福と狂気を平等に、かつ現実的(リベラル)な描き方をしている。ストリングスや女性ボーカルの起用法にも明確な違いがあって、ANATHEMAはバンドの主役を担うくらいの存在感を持たせる一方でSWはあくまでも演出的かつ演劇的な、いかにも"オタク"らしい奥手な使い方を特徴としている。この現代プログレ界を牽引する二大アーティストは、進む方向は一見同じように見えて実は対をなす存在なのかもしれない。要するに、ヒキコモリのギークが一歩前に踏み出した結果の、あの1stアルバムに匹敵する名盤です。

SW≒飛呂彦 ・・・おいら、SWが本当の意味で"ソロ"やってたのって1stアルバムのInsurgentesだけだと思ってて、広義の意味で言うなら2ndアルバムのGrace For Drowningまでで、それ以降というか3rdアルバムThe Raven That Refused To Sing (And Other Stories)からは"SWバンド"という認識で、その3rdアルバムは超人的かつ変態的な技術力をフル稼働させた"プログレの押し売り"みたいなアルバムだったが、今回はSWバンド体制のまま1stの頃のオルタナ感や2ndのソフト&ウェットな湿り気のある音像に回帰している。前作で呼び寄せた珍獣をいともたやすく飼い慣らせるのは奇才たる所以か。おいら、前作の時も書いたんだが、SWと『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦はの存在だと思っていて、僕がナゼ荒木飛呂彦とyasuをリスペクトしているのか、この『Hand. Cannot. Erase.』はその二人を繋ぐ架け橋がSWだという証明、そんな気がしてしょうがなかった。いつだってSWは、僕たちにクリエイティブ!!に大切なことを教えてくれる。それは荒木飛呂彦だって同じだ。したがって飛呂彦の漫画術が赤裸々に語られた新書『荒木飛呂彦の漫画術』を読みませう(いともたやすく行われるえげつない宣伝)。ちなみに、Acid Black Cherry『L -エル-』とこの『Hand. Cannot. Erase.』を合わせて聴くとガチでヘラる恐れがあるのでパンピーにはオススメしませんw
 
ハンド・キャンノット・イレース
スティーヴン・ウィルソン STEVEN WILSON
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森は生きている 『グッド・ナイト』

Artist 森は生きている
森は生きている

Album 『グッド・ナイト』
グッド・ナイト

Tracklist
01. プレリュード
02. 影の問答
03. 磨硝子
04. 風の仕業
05. 痕跡地図
06. 気まぐれな朝
07. 煙夜の夢
  a. 香水壜と少女
  b. 空虚な肖像画
  c. 煙夜の夢(夜が固まる前)
08. 青磁色の空
09. グッド・ナイト



あ...ありのまま 今 起こった事を話すぜ! 「いや~、やっぱりスティーヴン・ウィルソンの新作イイな~」・・・なんて思ったら日本のバンドだった・・・。な...何を言っているのか わからねーと思うが おれも 何をされたのか わからなかった...頭がどうにかなりそうだった...催眠術だとか超スピードだとか そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ...

邦楽界にプログレの波がキテいる・・・これは紛れもない事実だ。それを真っ向から証明するかのようなバンドが、東京は武蔵野生まれの6人組、その名も森は生きているだ。何が驚いたって、彼らの2ndアルバム『グッド・ナイト』に収録された"煙夜の夢"という約17分の大作ナンバーの存在で、まずはじめに、その大作をMVにしちゃう彼らの心意気に、そのプログレ魂に僕は敬意を表したいと思う。この”煙夜の夢”は、第一幕に”香水壜と少女”、第二幕に”空虚な肖像画”、そして第三幕に”煙夜の夢 (夜が固まる前)”に分かれた三部構成となっていて、まず第一幕の”香水壜と少女”からゴイスー。まずイントロのアコギの靡かせ方からのフルートの導入部からして→「スティーヴン・ウィルソンの新曲かな?」って勘違いするくらい、完全にSW関連事業の音使いというか"プログレ"以外ナニモノでもない幕開けから始まって、とりまプログレ然とした音や楽器をあざとくもふんだんに使ってプログレヲタの琴線をブヒらせながら、時に優美に、時に喜劇的に入り乱れながら、時に中東の民謡音楽ばりのエスニックな旋律をもって、秋枯れの荻が生い茂ったどこまでもつづく原野の如し情緒感あふれる素朴な風景を描き出し、そこから中期Porcupine Treeを想起させるクラシック・ロック然としたギター・リフ~アコギとフロイドリスペクトなエフェクティブなサウンドをバックに、この物語の語り部となる竹川悟史の歌へと繋がっていく。続く第二幕の”空虚な肖像画”では、リーダーの岡田拓郎をメインボーカルに携えてTemples顔負けのインディ・サイケ~アンビエントなシーンへと物語は移り変わっていき、そして最終章となる第三幕の”煙夜の夢 (夜が固まる前)”では、一転してカントリー調のポップなリズムにノッて、森のせせらぎと共にランランラ~ン♪と鼻歌交じりに妖精さんが舞い踊るクライマックスのシーンを最後に、このラノベ小説『メンヘラ彼女とボク』は盛大に幕を閉じる。このキング・クリムゾンやピンク・フロイドをはじめとしたプログレレジェンドに匹敵する大胆な構成力と抒情的かつ緊張感のある展開力は、なまじハタチそこそこの文学青年が演るレベルをゆうに逸脱している。これはもうスティーヴン・ウィルソンPorcupine Treeの名曲”Anesthetize”をも凌駕する...いや、歴代のプログレレジェンドを過去のモノとするッ!これこそ現代のプログレッシブ(J)ポップ絵巻だッ!・・・ってのは少し大袈裟かもしれないが、この森は生きているの圧倒的なクリエイティビティと若者的咀嚼エネルギーが爆発した名曲であるのは確かで、持ち前のオサレでシュールな歌詞世界をはじめ、フォーク/サイケ/プログレ/アヴァンギャルド/ジャズなどのジャンルを変幻自在に操る、若者らしからぬ大人びた落ち着いたアナログな演奏、とにかくこの曲に彼らの全てが詰まっていると言っても過言じゃあないし、その音楽的素養の深さと"音"に対する"こだわり"が初期衝動的な勢いで伝わってくる。様々なジャンルや過去の偉大なバンドからの影響を自らの音へと巧みに昇華し、それらを洗練されたポップ・ミュージックに仕立て上げる柔軟性の高さはスティーヴン・ウィルソンとダブる。実際、想像した以上に柔軟性の高いバンドで、ヲタク丸出しのプログレからキャッチーなポップスもできるのはバンドとして大きな強みだろう。で、その"影響"といえば→神戸在住のThe fin.もモダンな海外バンドからの影響が色濃くあったが、近代的な彼らより古典的すなわちクラシックでアナログ感あふれるレトロフューチャーボンバーなのが森は生きているだ。この2つのバンドに共通するのは、若くして作曲からミックスまでこなす卓越した才能を持ったYuto Uchino岡田拓郎という未来の邦楽界を背負って立つであろう存在か。ここで少し話は変わるが→最近、自分の中で"いい音楽"を選別する判断材料として→赤い公園の津野米咲がアヒャヒャとブヒりそうな音楽か否か】みたいな謎の測りを設け始めていて、昨年にThe fin.の1stアルバムDays With Uncertaintyを聴いた時も→「あっ、これぜってぇ津野米咲が好きなヤツや」ってなったし、そして今回この森は生きているに対しても同じことを思っちゃったから、だから「これはきっと"いい音楽"に違いないんだ」という結論に至った、というわけです。その将来性はThe fin.以上かもしれない。

ハルキスト ・・・そのタイトルどおり本作の”プレリュード”となる幕開けから、「走り出す少女は 影に惹かれて 風に似て行ってしまったのです」とかいう村上春樹ばりの文学的な歌詞をはじめ、マンドリンやハーモニカ、鉄琴や木琴などの鍵盤打楽器、フルートやパーカッションなど様々な楽器やさり気ないエレクトロニクスを駆使しながら、Voの竹川悟史による斉藤和義風の歌声とバンドの頭脳である岡田拓郎のコーラスが朝焼けの匂いを醸し出す、アルバムのオープニングを飾るに相応しいムーディなフォーク・ソングで、続く2曲目の”影の問答”では、60年代~70年代を想起させるクラシックなギター・リフとビートルズやピンク・フロイドを最高権威者としたUKネオ・プログレッシブ・ロック直系のフェミニンなメロディが織りなすサイケデリックなサウンドに、まるで夢遊病者ように無表情で不協和音のように虚ろなボーカルと幽玄なコーラスがアンニュイに交錯していき、そして江戸川乱歩の短編に出てきそうな【男A】【男B】の会話を描いた一風変わった歌詞からも、異常にセンスフルかつ俄然文学的な彼らのアーティスティックな一面を垣間みせる。一転して陽気な気分でカントリー風のチェンバー・ポップやってのける3曲目の”磨硝子”は、マンドリンとフルートの優美な音色が遊牧民のユル~い日常を描き出し、中盤からは重厚なヴァイオリンを合図に、まるでどこかのデブが「音の宝石箱や~」と言わんばかりのキラキラ☆綺羅びやかでカラフルな音使いとモダンなアンビエント感をもって、それこそ後期UlverKayo Dot顔負けのアヴァンギャルディな文系力を発揮していく。正直、この展開にはプログレ好きは「キター!」って感じだし、まさかVampillia以外の邦楽バンドにコレができる集団が他に実在するなんて思いもしなかったから素直に驚いた。というか、もしかするとKayo DotSteven Wilsonを繋ぐ架け橋となる存在こそ、彼ら森は生きているなのかもしれない。で、ここまでの"知的"な文学青年あるいはハルキスト然とした流れから一転して、"ポスト-くるり"を襲名するかのようなゆるふわ系のポップスを聴かせる4曲目の”風の仕業”岡田拓郎をメインボーカルに迎えたシンプルなサイケ・ロックを披露する5曲目の”痕跡地図”、再びフロイド的なゆるフワッと感と"ポスト-くるり"っぽさを醸しながら、前二曲と同様に比較的シンプルな曲かと思いきややっぱりプログレッシブかつエキゾチックなニクい演出が光る6曲目の”気まぐれな朝”、そして三部作の”煙夜の夢”、まるでモノクロの白昼夢の中を彷徨うかのようなアコギ主体の”青磁色の空”、そして表題曲の”グッド・ナイト”を最後に、全9曲トータル約48分の『夢』は地平線のようにどこまでも続いていく・・・。

アニミズム ・・・おいら、インディとかよく知らないしどうでもいいんだが、この作品だけはインディっつーよりも"プログレ"として聴いたほうが絶対に面白いです。しかし、その森は生きているの郷土愛や自然崇拝に満ち溢れたDIY精神は、自給自足系ブラックメタルに通じるインディペンデント感というか謎のスケール感すら内包している。これはもう一つの純文学であり一つの"文芸作品"と言っていいだろう。もはや音楽界の太宰治賞を与えたいくらいだ。この勢いで今話題のTemplesと対バンしたら面白いと思う。あと赤い公園よりも森は生きているのがSWプロデュースの可能性あるな(願望)って思っちゃったんだからしょうがない。ともあれ→"今の邦楽界は面白い"・・・という一説を裏付けるような、2014年の代表する一枚でした。
 
グッド・ナイト
グッド・ナイト
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森は生きている
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Lunatic Soul 『Walking on a Flashlight Beam』

Artist Lunatic Soul
Lunatic Soul

Album 『Walking on a Flashlight Beam』
Walking on a Flashlight Beam

Tracklist
01. Shutting Out The Sun
02. Cold
03. Gutter
04. Stars Sellotaped
05. The Fear Within
06. Treehouse
07. Pygmalion's Ladder
08. Sky Drawn In Crayon
09. Walking On A Flashlight Beam

マリウス・デューダ≒京 ・・・おいら、DIR EN GREY”サVカル系男子”こと率いるsukekiyoに最も親和性のあるバンドって、実はRiversideのフロントマンマリウス・デューダ君のソロ・プロジェクト、Lunatic Soulなんじゃねーかと思ってるんだが、例えばsukekiyoの1stアルバム『IMMORTALIS』の一曲目”elisabeth addict”Lunatic Soulの1stアルバム『S/T』だとするなら、二曲目の”destrudo”Lunatic Soulの2ndアルバム『Lunatic Soul II』みたいなイメージを持っていて、このLunatic Soulといえば→初期こそアコギ/パーカッション/ピアノを中心に、フルート/カホン/カリンバ/古筝などのオリエンタルな楽器を擁して多彩なアレンジを効かせた、いわゆる”Post-Progressive”然とした音響意識の高いアンビエント・ロックやってて、しかし3rdの『Impressions』からは初期二作のロック色は薄まって、俄然アンビエント寄りのモダンでアトモスフェリックなミニマル・ミュージックへと変化していった。そして、前作から約二年ぶりとなるこの4thアルバム『Walking on a Flashlight Beam』では、まさしくマリウス・デューダという人間のPorcupine Tree愛、すなわちスティーヴン・ウィルソン愛がバクハツするかのような、それこそSWの一番弟子としてのポテンシャルが宇宙の如く無限大に広がるような、前作のアンビエント路線が更に極まって、俄然スケール感が増した力作となっている。

SW愛 ・・・彼マリウス・デューダSW愛というのは、本家のRiversideを聴けば嫌ってほど分かるし、当然これまでのソロ作品にもその影響はあった。しかし、ここまで露骨なSW愛が込められたアルバムはなかったように思う。そんな彼の異常なまでのSW愛は、この『Walking on a Flashlight Beam』の幕開けを飾る”Shutting Out the Sun”を聴けば顕著で、それこそ彼が敬愛しているPTの1stアルバム『The Sky Moves Sideways』や2nd『Signify』を連想させる、さざ波のSEをバックにモダンなエレクトロが荘厳かつ神秘的な雰囲気を醸し出し、聴き手を誘惑するかのようなマリウスの深みのある歌声と実験音楽的な音使いをもって、それらを全て飲み込んで宇宙規模のATMSフィールを広域に展開していく。次の#2”Cold”では、より仏教的な音響やレーベルメイトの某TesseracTの名曲を彷彿とさせるアルペジオを駆使した、トリップ感あふれるミニマルなエレクトロニカ/アンビエント・ミュージックを繰り広げ、独特の”ウネり”を効かせた持ち前のグルーヴィなギター・ベースを軸に、マラカスなどのエスニックな楽器や胸に染みわたるマリウスの叙情的な歌声が妖艶に絡み合い、それこそTool直系の妖しい呪術を唱えるかのような#3”Gutter”、まるで気分は宇宙空間を彷徨うサンドラ・ブロックなATMS系インストの#4”Stars Sellotaped”、いくつもの狂気的な音響が重なりあって小さなブラックホールを形成するかのような、まるで地下鉄に一人取り残されたような不安感に苛まれる#5”The Fear Within”、レーベルメイトの中期ANATHEMAやレディへを連想させるUKミュージック的なモダンな音使いとレトロフューチャー感のあるオルガンが織りなす#6”Treehouse”は、初期椎名林檎†††に通じるフェミニンでアンニュイなムードを纏った、それこそ薄暗い雲に覆われた始まりから徐々に優美な光が差し込むような、これぞPost-Progressiveな、まさしくK-Scopeサウンドを垣間みせる。その流れを継いで、艶美なエレクトロとOpethあるいはStorm Corrosion譲りのダーティなアコギが暗黒街主催のエレクトリカルパレードを奇しく彩る行進曲のような#7”Pygmalion's Ladder”への流れは今作のハイライトで、そのままアルペジオ主体の#8”Sky Drawn In Crayon”から、再びIsisばりの”Post-感”あふれるモダンな音響主体の表題曲の#9”Walking On A Flashlight Beam”を最後に、この物語『SW♥LOVE♥ビーム!』は幕を閉じる。

マリウス×SW ・・・今思うと、本家Riversideの5thアルバム『Shrine of New Generation Slaves』のボートラとして収録された、実験的なインストナンバーの”Night Session”が今作への伏線だったのかもしれない。UKミュージック風のモダンなエレクトロを大胆に取り込むことで、大幅な音の洗練とスケール・アップが図られ、1stアルバムの”Out on a Limb”をルーツとしたLunatic Soulらしいダーティなオリエンタリズムと、その首謀者マリウス・デューダとかいう人物に宿る深い闇がクロスオーバーした末に産み落とされた、それこそトラヴィス・スミスが手がけたアートワークのように、無数の音がクロスしてパノラマの如く眩い光を放つイメージが直に伝わってくるかのような、まるでスティーヴン・ウィルソンに対するマリウス君の歪んだ愛情がそのまま歪んだAtmosphereへと変貌したかのような一作だ。その長年のSW愛が認められたのか、遂にマリウス君とスティーヴン・ウィルソンのコラボが実現するに至った。これは26歳の若さで亡くなったアレックという青年(ファン)のリクエストがキッカケで、アレックが歌詞をマリウスが曲を書いて、それをSWに持ち寄って実現したコラボだ。しかし残念ながら、このコラボ曲が完成する前にアレックは他界。。。ともあれ→このLunatic Soulは1st以降右肩下がりな感じが否めなかったが、このアルバムでまた挽回してきた感じする。それくらい、かなりのSW愛即ちLOVEが込められた力作なんです。

Walking on a Flashlight..
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Lunatic Soul
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赤い公園 『公園デビュー』

Artist 赤い公園
赤い公園

Album 『公園デビュー』
公園デビュー

Tracklist
01. 今更
02. のぞき穴
03. つぶ
04. 交信
05. 体温計
06. もんだな
07. 急げ
08. カウンター
09. 贅沢
10. くい

猛烈リトミック

右手にポップス、左手にクソ ・・・今年、ANATHEMADistant Satellitesと並ぶ傑作となった『Redwater Park』こと赤い公園の2ndアルバム猛烈リトミックは、例えるなら右手に赤色の”ポップス”を、左手に黒色の”クソ”を持って、「これ以上ポップになったら誰も聴かなくなる」←この”超えちゃいけないライン”の上を命綱なしで綱渡りするかのような、その”ポップス””糞”の絶妙なバランス感覚を保った名盤だった。その”超えちゃいけないライン”の見極め力の高さは、ひとえにバンドの中心人物である津野米咲の才能としか思えなかった。

『紅の華 ・・・で、こうなると過去作を聴いてみたくなっちゃうのが自然の流れで、さっそく昨年リリースされた1stフルアルバム『公園デビュー』を聴いてみた。僕が赤い公園の存在を初めて知ったのは丁度この頃で、猛烈リトミックでも書いたように、今作『公園デビュー』の一曲目を飾る”今更”のMVを見たのがキッカケだった。その当時は初期相対性理論みたいな、ちょっとサブカル臭くて「ちょっと音楽知ってる私らマジカッケー(ドヤア)」みたいな気取った雰囲気を醸し出してて、正直なところ条件反射で飛び膝蹴り食らわしたくなるほど気に食わない存在だった。そんな僕が名盤猛烈リトミックに魅了された今、赤い公園を知るキッカケとなった曲や過去の作品を聴いてみたらどうだろう?というお話で、結果として→やっぱり初期相対性理論に通じるシティ・ポップ感やユル~いファンキーさだったり、持ち味であるオシャンティなリズム感を意識したArt-Rock/Post-Progressiveなセンスはこの頃から既に完成されていて、そして初期衝動に伴う音の荒々しさや漫画『惡の華』のヒロイン仲村さん顔負けのナニカが蠢くような混沌とした焦燥感が絶妙な毒味となっている。その”今更””のぞき穴”からリアルに伝わってくるハードコア/パンキッシュな勢いはデビュー作ならではだし、この”洗練””大衆性”という言葉からかけ離れたアンダーグラウンドな生臭さは、まさしく2ndアルバム猛烈リトミックには無いものだった。

津野米咲≒仲村佐和 ・・・当然ながら、あざといくらいのキャッチーさやkawaiiポップネスを内包した『猛烈リトミック』、そのコンセプトである「売れたい、売りたい」という”意思”は微塵も感じなくて、このデビュー作では”自分たちが本当にやりたい音楽”を、言うなれば垢抜けない田舎の女子高生のように少し尖ったガールズ・ロックをドヤ顔でやってる。一聴した限りでは、正直なところ部分的に優っている点はあるが、トータルで見るとやはり『猛烈リトミック』には遠く及ばない作品というか、ありとあらゆる部分で猛烈に足りてない。その足りない音の隙間を埋める(補足する)ように、モーレツな音を詰め込んだのが亀田誠治氏や蔦谷好位置氏らのプロデューサーで、あらためて猛烈リトミックにおけるプロデューサー陣の存在の大きさを思い知らされた。それくらい、なぜこの赤い公園にあの『猛烈リトミック』が作れたのか?プロデューサーの腕だけでこうも変わるのか?もしくは津野米咲のコンポーザー能力が奇跡的に爆発したのか?このデビュー作を聴いたら余計にわからなくなった。どちらにせよ、この僕には奇跡的な出来事にしか思えなかった。つうか、まだ信じてねー。いや冗談じゃなしに、ちょっとありえない進化の仕方っつーか、この『公園デビュー』から『猛烈リトミック』に生じている変化は、もはや進化じゃなくて突然変異としか他に例えようがない。なんでコイツらが”ひつじ屋さん”をはじめ、”私”みたいなANATHEMA”Lightning Song”Alcest”Voix sereines”が融合したような曲が書けるんだ?って、ホント謎過ぎる・・・赤い公園の闇は深い・・・。はたしてソングライターの津野米咲に一体ナニが起こったのか?ちょっと津野ちゃんにインタビューして聞いてみたいくらいだ。

ゲスニックマガジンの西条・・・「ゲスニックマガジンの西条です!赤い公園のリーダー津野米咲さんに質問です!デビュー作の『公園デビュー』と比べて『猛烈リトミック』の出来が良すぎるんですが!もしかして今流行のゴーストライターとしてPorcupine Treeのスティーヴン・ウィルソンでも雇いましたぁ?」

津野米咲・・・「誰?」

ゲスニックマガジンの西条・・・「ゲスです!新作の『猛烈リトミック』って・・・完全に”メタル”を意識した作品だよねぇ?」

津野米咲・・・「あんた誰?」

ゲスニックマガジンの西条・・・「ゲスです!新作の『猛烈リトミック』って赤い公園じゃなくて、もはや『クリムゾン・キングの公園
だよねぇ?」

津野米咲・・・「だからあんた誰?」

new_GCjsVQPs・・・「はい!はい!ゲスニックマガジンの西条です!『猛烈リトミック』の”私”って間違いなくANATHEMAとALCESTからのinfluenceあるよねinfluence?」

津野米咲・・・「ANATHEMA?ALCEST?・・・誰?」

ゲスニックマガジンの西条・・・「それはそうと、DIR EN GREYの”サVカル系男子”こと京率いるsukekiyoと今後対バンする予定とかあります?」

津野米咲・・・「
灰色赤色だけに・・・?って、やかましいわw

ゲスニックマガジンの西条・・・「ゲスです!『猛烈リトミック』の”いちご”とか”お留守番”みたいな曲って、明らかにNHK教育番組への楽曲提供を狙ったゲスい下心がありますよねぇ?」

津野米咲・・・「(ギクッ)ちょ、ちょっと警備員!」

ゲスニックマガジンの西条・・・「なーにするんだよ!あーにするんだよ!(警備員に連行されながら)取材拒否かよぉ~!!」


スッピンの赤い公園 is ブス ・・・久石譲チックな心躍るピアノをフューチャーした”交信””体温計”そして”贅沢”などのアート・ロック然とした楽曲なんかは、ガールズ・ロックバンドならではの”ユルさ”があるし、驚くほどメタリックなギターで始まる6曲目の”もんだな”はCMソングっぽい既聴感のあるポップなサビが印象的だし、なお且つスティーヴン・ウィルソン的な陰鬱な音使いをさり気なく垣間みせたり、その流れで俄然SW感増々な#7”急げ”のイントロでは、もはやポストブラック...あるいはKayo Dotを彷彿とさせる赤い公園のアヴァンギャリズム(変態性)を垣間みせたりと、これはもう”ひつじ屋さん”の前身と言っていいし、そして#8”カウンター”で聴けるような衝動的/本能的な粗暴さは猛烈リトミックでは体験できない。それらの楽曲を筆頭に、要所で津野さんのギター・フレーズが冴え渡っている所がまたニクい演出で、これは『猛烈』同様に津野ニー不可避です。しかし、特にどこかで盛り上がるといった場面はなくて、どちらかと言えば全体を通してジワジワ浸透してくる感じの、言うなればスルメタイプの楽曲/アルバムという印象。なんつーか→「やりたいことやってるんで、それでいいです...」みたいな、それこそ【自己完結】という言葉がよく似合うアルバムだ。なんだろう、この『公園デビュー』でソロ活動(オナニー)するよりもセックスのほうが気持ちいい事に気づいちゃったというか、田舎の化粧を知らないクソブサイクな女子高生が化粧を覚えてTOKYOに上京からの大学デビューからのキョロ充化したのが『猛烈リトミック』みたいな感覚? なんだろう、この『公園デビュー』”本能的”な作品だとすると、あの『猛烈リトミック』は俄然”理性的”な作品と言えるのかもしれない。少なくとも、ちょっと背伸びして色気づいていた『猛烈リトミック』には無い、等身大の赤い公園すなわちスッピンの赤い公園が堪能できる、いい意味で本当に”ブサイク”な一枚だ。このアルバム、一般的というかサブカルクソ野郎からは評価が高いらしいけど、あの名盤『猛烈リトミック』を聴いた後では、どうしても過大評価にしか思えなかった。とはいえ、ある程度聴き込んでいく内に、なんだかんだ『猛烈リトミック』の”原形”あるいは”ルーツ”とも取れる要素に溢れたアルバムだって気づいちゃうと、全然過大評価なんかじゃあなくて、むしろ普通にスゲーいいアルバムなんじゃあねぇかって。

最後に→あのミカエル・オーカーフェルト率いるスウェーデンのOpethは、かのスティーヴン・ウィルソンがプロデュースした『黒水公園』の前に『Still Life』とかいう名盤を出しているが、でもこの『公園デビュー』赤い公園『Still Life』にはどう考えてもなりえなかった(ジャケこそ赤いけど)。そう考えると、やはりあの『猛烈リトミック』が生まれた事は奇跡に近い。でもって、やっぱ『猛烈リトミック』って”売れなきゃいけないアルバム”だよなーって、あらためて思うわけです。
 
公園デビュー
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赤い公園
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