Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

相対性理論

相対性理論 『天声ジングル』

Artist 相対性理論
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Album 『天声ジングル』
2016041100199_1

Tracklist

01. 天地創造SOS
02. ケルベロス
03. ウルトラソーダ
04. わたしがわたし
05. 13番目の彼女
06. 弁天様はスピリチュア
07. 夏至
08. ベルリン天使
09. とあるAround
10. おやすみ地球
11. FLASHBACK

「相対性理論は死んだ」

未だにあれは『夢』だったんじゃねーかと疑ってるくらい、ANATHEMAの奇跡の来日公演が実現していなければ、昨年の1月に行われた相対性理論初の名古屋公演『回折II』は、間違いなく年間BESTライブの一つだった。そんなやくしまるえつこ率いる相対性理論が2013年に発表した4thアルバムTOWN AGEは、従来の理論フアンの間で賛否両論を巻き起こした問題作となった。その中には「相対性理論は死んだ」と嘆くも者もあった。確かに、中心人物である真部脩一の脱退が大きく内容に影響していたのは紛れもない事実だし、その音楽性もトクマルシューゴの影響下にある相対性理論流のチェンバー・ポップ、それこそ”ヤクマルシューゴ”と言わんばかりの”上海an”、ポストロック/ミニマル/アコースティックに傾倒した”ほうき星”、そして『TOWN AGE』が「えつこのソロっぽい」と評される所以であるシンセ・ポップ風の”YOU & IDOL”をはじめ、いわゆるバンド・サウンドというよりもチェンバーちっくな音の傾向というか、ソロ化が著しいやくしまるえつこの趣味嗜好に相対性理論本体が引っ張られた感は否めなかった。とは言え、それだけで『TOWN AGE』を酷評するなんて事は愚の骨頂で、何故この日本における「Post-Progressive」なるジャンルが「女性的」なジャンルであるのか?その根拠を裏付けるような”キッズ・ノーリターン”の圧倒的なソングライティングを正当に評価できない時点で、その批評家の意見はたかが知れている。

「相対性理論 is BACK...」

『天声ジングル』の幕開けを飾る”天地創造SOS”から、それこそ「相対性理論 is BACK...」を宣言するかのような、永井きゅんによるめくるめくギターのリフレインと往年の相対性理論をフラッシュバックさせるえつこの歌声、まるで新海誠監督の処女作『ほしのこえ』をイメージさせるSF的な世界観と近未来ちっくなアレンジ(中にはクラップ)を駆使しながら、セーラームーンをはじめえつこが近年お得意様としているアニソン特有の大サビの半音上げを効かせてベッタベタに展開する曲で、とにかく前作の"アンチバンド・サウンド"的な潮流から一転して、相対性理論の原点である"ギター・ロック回帰"を強く印象づける、もはやえつこの歌と永井きゅんのギター以外必要ないという『真実』に気づいたかのような、一ミリの煩悩や邪念すらないシンプルでストレートな相対性理論ナンバーだ。

この地獄の番犬”ケロベロス”が伊集院光のラジオから聞こえてきた時は、番組のゲスい内容と可愛くてポップな曲調のギャップが凄すぎて笑った、と同時に「どっちかっつーと伊集院は犬じゃなくてブタだろwww」ってツッコんだ曲だ。この曲では、菅野よう子とコラボしたX次元へようこそで「ニャンニャンニャンにゃにゃん♪」とネコ化したえつこが今度は「輪廻転生したい!」と願った結果、本家の相対性理論では「わんわんお!」とばかりワンコ化する。その一種の”素”に近いえつこのワンワンボイスをはじめ、3rdアルバム『シンクロニシティーン』を彷彿とさせるトロピカルフルーツ味のギター・リフレインの応酬と2ndアルバム『ハイファイ新書』を彷彿とさせるAOR的でアンニュイなムードがシンクロする。ここまでくると「相対性理論回帰」というより、もはや彼らの”原点”である90年代の「UKミュージック回帰」と呼ぶべきほどのキラーチューンだ。・・・ハッ!?この曲が伊集院のラジオで流れたのは、将来えつこがブタ化する伏線だった・・・?借りにもしこの曲のタイトルを『伊集院光』とするならば、例の歌詞が「地獄のブタさ~ん ブゥ!ブゥーッ!」みたいな替え歌になるってこと?めちゃ聴きてぇ・・・。

昨年のライブで初めて聴いた時は→「良くも悪くも相対性理論っぽい」←こんなイメージを持った”ウルトラソーダ”は、少し気だるくオラついたえつこの歌い方を筆頭に、その甘酸っぱい曲調からリフ回しまで、まだ椎名林檎の影響下にあった最初期の名作『シフォン主義』”LOVEズキュウウウン!!”を、今の相対性理論流の解釈で再構築したかのような、アルバム序盤の「相対性理論 is BACK」の流れをダメ押しするかのような、つまり往年の「相対性理論回帰」を確信的なものへと近づけるような曲で、もはや前作の『TOWN AGE』がボロカスに酷評されて日和った結果生まれた曲なのでは?と勘ぐりたくなるほどだった。

某ゲスの極みZ女の曲タイトルを思わせる”わたしがわたし”は、ジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助の「オレはいったい誰なんだッ!?」的な、世にも奇妙な状況をコンビニを舞台に繰り広げられる所謂ループモノのSFナンバーで、Pink Floydあるいは初期Porcupine Tree、そして坂本教授をはじめとした70年代のプログレ/ジャズ/サイケなUKサウンドとメルヘンでラブリーなえつこワールドが邂逅する曲で、特に間奏部のインストはワームホールを漂うかのような浮遊感とスピリチュアルな世界観、そして超ド級のバンド・アンサンブルを発揮する。

一転して”13番目の彼女”は、まるで「DAOKOとかいう若い芽は早いうちに潰す」とばかり、意図的に舌っ足らずな歌い方でロリBBA化するうえつこの幼女ラップが一番のフュチャー・ポイントで、もはや三十路女が幼女化するなどという”媚び”や”ブリっ子”とかいう概念を超越した先にある女の『狂気』、サブカルクソ野郎にアイドル視されて勘違いしちゃった三十路女のドス黒い『闇』に恐怖すること請け合いの曲だ。しかし、それ以上に永井きゅんおギターがイキイキしてる曲でもあって、アルバム序盤の”ギター・ロック回帰”を俄然肯定していくかのように、アマチュア無線みたいなノイズ混じりの電磁波で宇宙と交信しながらシンプルなギター・ロックを奏でる。つうか、曲の終わり際のさり気ない音響がWarpaintっぽくてマジ怖ぇ・・・。

アルバム前半は、前作の『TOWN AGE』で消失した「俺たちの相対性理論」をトリモロスかのような、相対性理論のキモである永井きゅんのギターとえつこの歌以外いらねぇ!という「気づき」を得たかのような、特に永井きゅんが「うはぁ!これ楽しい!めっちゃ楽しい!」と言わんばかりの、もはや開き直りすら感じるギター・ロック回帰とともに、往年の相対性理論に回帰する事に成功していた。それくらい永井きゅんのギターが宇宙を駆けめぐるように巡り巡っていた。しかしこの後、彼の存在そのものがアラサー女の『闇』という名のブラックホールにガオンされてしまう事を、この頃の永井きゅんはまだ知らない。

「相対性理論 is DEAD...」

ところで、近頃はラップバトル番組の『フリースタイルダンジョン』や高校生ラップをはじめ、先日Mステに出演したことでも話題を呼んだ水曜日のカンパネラや某動画サイト出身のDAOKOを代表とする、新世代の日本語ラップが一大ムーブメントを起こしている。実のところ、おいらも『私を鬼ヶ島に連れてって』でカンパネラデビューをしたクチだ。フロントマンのコムアイ擁する三人組ユニットの水曜日のカンパネラは、ヒップホップ化した相対性理論と称されるDAOKOとともに今や日本語ラップの最先端を行く渋谷系アーティストの一つで、何を隠そう、その”渋谷系”および”サブカル界の女王”として過去に一世を風靡したのが、他ならぬやくしまるえつこ率いる相対性理論だ。しかし、今やサブカル界および言葉遊び界の新女王といえばやくしまるえつこではなくコムアイ、今や相対性理論も懐メロ、完全に過去の人扱いだ。そういった意味では、相対性理論が2013年に発表した『TOWN AGE』以降、そして2016年となる現在、サブカル界の勢力/相関図は大きな転換期を迎えつつあるのかもしれない。

結局のところ、ここまでの「相対性理論回帰」は一時の『夢』だったのかもしれない。その『夢』から目覚めたやくしまるえつこは、とある『実験』にとりかかる。えつことtricotヒロミ・ヒロヒロと並んで「世界三大ロリBBA」で知られるローレン・メイベリー擁するUKのChvrchesJustin K. Broadrickなど、その手のエレクトロニカ/インダストリアルやリミックス界隈の常套手段であるチチチチ電チ音と水曜日のカンパネラに対抗意識を燃やすようなヒップホップ然としたミニマルなトラックにド肝を抜かれる”弁天様はスピリチュア”は、そのミニマルなトラックと『ハイファイ新書』の頃を彷彿とさせるえつこの萌ボイスとの分離感/距離感/立ち位置が、いわゆる”バンド・サウンド”とは一線を画した、それこそヒップホップ然としたトラック重視の構成及び(音の)重ね方そのもので、しかし「ただのヒップホップ風の音楽」で終わらない所が流石の相対性理論だと唸ったのは、前半のミニマルな曲調から転調して後半のバンド・サウンドへと繋ぐ、それこそCult of Lunaを代表とするPost-系のダイナミズム/展開力と宇宙規模の超絶epicッ!!なサウンドスケープで聴く者全てを圧倒する。なんつーか、渋谷系の若いフォロワーどもに格の違いを見せるような一種の”凄み”すらあるし、前作の”キッズ・ノーリターン”に匹敵するソングライティングを発揮している。

これまでの相対性理論にはなかった新機軸的かつ実験的な曲から一転して、”ウルトラソーダ”と同じく良くも悪くも相対性理論らしい曲で、”(恋は)百年戦争”のギター・メロディを再解釈したような”夏至”、クラップを全面にフューチャーした”ベルリン天使”、アルバム後半の実験的な要素とギターロック然とした荻野目洋子ばりのクサメロギターが奇跡的な邂逅を果たす”とあるAround”、まるでえつこが「#日本のローレン・メイベリーなの私だ」とハッシュタグつけてツイッターに連投してそうな、Chvrches”Lungs”を彷彿とさせるミニマルなエレクトロニカとケルティックなフレーズを靡かせるアコギが織りなす”おやすみ地球”まで、従来の理論フアンの顔色をうかがいながらも、着実に実験的な要素を強めていく。

おいら、自分で言うのもなんだが、「日本一のジョジョヲタ」なんだが、そもそも『ジョジョの奇妙な冒険』って一言で言えば『男の少女漫画』なんだが、その『男の漫画』をガールが『理解』できるわけでもないのに、ガールでジョジョ読んでる奴って一体何が目的なのか『理解不能』なんだが、そんな「日本一のジョジョヲタ」である僕が唯一認めるジョジョヲタ界のTO(トップヲタ)こそ、他ならぬやくしまるえつこなんだが。現在連載中のジョジョ8部『ジョジョリオン』に、なぜエイフェックス兄弟とかいう双子(ツイン)の敵キャラが登場したのか?何を隠そう、やくしまるえつこは実験的なNHKのラジオ番組をはじめ、つい最近では『Flying Tentacles』というソロ名義のアルバムで”エイフェックスごっこ”をやっている。エイフェックス・ツインといえば、かのスティーヴン・ウィルソン(荒木飛呂彦)エイフェックス・ツインや坂本教授の影響を受けているアーティストの一人で、もはや音楽好きで知らない人はいないであろうほどの偉大な人物だ。当然、Post-Progressive界の代表取締役兼CEOことSWやくしまるえつこの関係性については、以前からこのブログで考察してきたのだけど、もはや荒木飛呂彦≒スティーヴン・ウィルソン≒やくしまるえつこと結論付ける事ができるんじゃあないか?おいらの妄想の中では、既にやくしまるえつこスティーヴン・ウィルソンは特別な関係にあって、つまり一種の現代のオノ・ヨーコとジョン・レノンみたいな関係性、すなわち”えつこ・ウィルソン”みたいな解釈を持っていて、当然それはやくしまるえつこ荒木飛呂彦との関係性にも通じる話でもあって。要するに、その著しくエレクトロニカに傾倒した「実験的」な要素が、この『天声ジングル』の中に組み込まれている。

   コムアイ
new_cover声が似ているって最初の頃言われていた相対性理論は超えたい 

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「・・・は?お前は二番煎じの出涸らしや!」 

   コムアイ
new_cover「相対性理論の時代はもう終わったんだよっ!」

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「おめーはSEALDsと一緒にリベラルごっこでもしてろっ!」

   コムアイ
new_cover「うるせぇ三十路ババア!」

やくしまるえつこ

new_2016041100199_1・・・(プッツン)

   コムアイ
new_cover「やべっ!(石仮面ハメー)」 

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「!?」

   コムアイ
new_cover「私は『人間』を超越するぞ!ザ・ワールド!時よ止まれっ!」

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1すたーぷらちなっ ざ・にゅーわるっ にゅーわるっ にゅーわるっ...

わ^るそjj

   コムアイ
new_cover「フハハハハ!・・・なにィ?!(体が動かない)」

jojojoj

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「おらおらおらおらおらおらおらおらおらぁっ!」 

   コムアイ

new_cover・・・(再起不能)

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「てめーの敗因は...たったひとつだぜ...コムアイ...たったひとつの単純な答えだ...『てめーは わたしを怒らせた』」

おいら、ヒップホップって普段は聴かない音楽ジャンルで、しかし2013年にリリースされたUSのラッパーSadistikFlowers for My Fatherは、同年に発表された相対性理論『TOWN AGE』を差し置いて、いわゆる”俺の感性”にとてつもなく大きな衝撃を与えた。で、一体何の話かって、この『天声ジングル』を締めくくる”FLASHBACK”こそ、アルバムの後半でやくしまるえつこが行ってきた「とある実験」、その研究の成果であり、この実験の最終段階をもってえつこは声高らかに「SRAP細胞はありまぁす!」と、母親である小保方晴子の雪辱を果たす。このブラックビッグディックばりにダーティでミニマルなトラックを主体に、えつこ流のフリースタイルダンジョンと言わんばかりのラップボイスやシアトリカルなトラック、そしてこの世の終末に絶望するかのような無慈悲なストリングス、それこそSadistik『Flowers for My Father』FLASHBACKさせるかの如し、Sadistik然とした暗愁なトラックが一曲に凝縮されたような名曲で、なぜアルバム前半のポップでキャッチーな曲を差し置いて、この”FLASHBACK”がMVになったのか?という誰しもが感じる疑問、その疑問に対する答えでもあって、これはもはやエイフェックス・ツイン水曜日のカンパネラ、すなわちサブカル界の新女王=コムアイに対するサブカル界の旧女王=やくしまるえつこからのアンサーソングだ!
 

正直、ギターロック回帰とか往年の相対性理論回帰とかいう話なんざクソどーでもいいんです。このアルバムの「面白さ」はそこじゃあない。チャーチズなどの打ち込み要素マシマシ、すなわちえつこソロ感マシマシ、そしてDAOKO水曜日のカンパネラなどの新世代ヒップホップ勢からの影響マシマシで、とにかくサブカルおよび渋谷系の系譜、その正統後継者と名高い水曜日のカンパネラの影響を直に受けているのが実に面白い(どうやらえつこも『私を鬼ヶ島に~』がオキニらしい笑)。よく「女の趣味は男の影響」と言うけれど、これはまさに「男の影響」ならぬ「俺の感性」の影響!とばかり、極端な話、この『天声ジングル』は2013年以降、SadistikChvrches 、そして水曜日のカンパネラに傾倒していたWelcome To My ”俺の感性”の音楽遍歴を総括するかのような、それらを一つに繋ぎ合わせるかのような、大袈裟じゃなく俺の感性的に歴史的な一枚と言っても決して過言じゃあないかもしれない。なぜ今年に入ってからチャーチズのアー写をブログのトップ絵にしているのか?それは決してローレン・メイベリー『Lたそ』であることを暗示しているだけじゃあない、この『天声ジングル』相対性理論がエレクトロ方面に傾倒することを事前に予測していたからだ(ぜってー嘘だわ)。

jojorion

しかし「面白い」のはそれだけじゃあない。ここからは「日本一のジョジョヲタ」の視点から見る『天声ジングル』の「面白さ」だ。今作のブックレットを見れば一目瞭然だが、まるで漫画『ハンター×ハンター』の王とコムギの黒塗り台詞のみ演出をオマージュした富樫リスペクトのような、最もドス黒い『悪』を超える真っ黒なブックレットのように、この世に絶望してメンヘラ(SICK)化した終末論者の如しリリックが見所の一つで、中でも”おやすみ地球”の歌詞はジョジョ6部のエンリコ・プッチが唱えた「全人類があらゆる悲劇や絶望にも事前に「覚悟」ができる世界」、すなわち『メイド・イン・ヘブン』の世界を萌え擬人化したかのような歌詞で、そして物語の『終わり』であり『始まり』でもある”FLASHBACK”の歌詞は、ジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助の『謎』であり物語の『始まり』、一人という個人の記憶が消滅し「二人で一人」に融合した人間の「NEW WORLD」を描き出している。そこで日本一のジョジョヲタである僕は、この『天声ジングル』は逆再生することで『ジョジョリオン』の『謎』を解き明かす大きな『鍵』になるのではないかと考えた。物語の『始まり』に最大の謎が隠されている『ジョジョリオン』と同じように、この『天声ジングル』は『終わり』の”FLASHBACK”が実質アルバムの『始まり』と言っていいのかもしれない。それは『人類』の『始まり』であり、『天地創造』の終わりに『神』によって創造された『アダムとイブ』の物語、「夜明け前の一番暗いとき (エデンの園で)もぎたての果実(禁断の果実)を齧った時」、すなわち「善悪の知識の木」の果実を齧ってしまったばかりに、アダム=東方定助は「脳天ハレルヤ!記憶フラッシュバック!」という擬音とともに、ある『呪い』にかかる。その『呪い』を解く物語が他ならぬ『ジョジョリオン』であり、「土」と「人間」の2つの意味を持つ言葉に由来するアダム(東方定助)を、3.11の大震災の時に「土」の中から助けだしたのは、他ならぬべブライ語で「生命」を意味するイブ(広瀬康穂)の存在であり、「あなたは何度も甦る あたしはいつでも呼びかける」という歌詞は、『輪廻転生』して相対性理論はゾンビのように何度でも甦ると自身に投げかけるような歌詞でもあり、同時に『ジョジョリオン』のアダムとイヴ=東方定助と広瀬康穂を廻る数奇な運命を司るとともに、そしてこの『ジョジョリオン』「ループモノ」である説を暗に示唆している。この『ジョジョリオン』最大の『謎』に辿り着いてしまった日本一のジョジョヲタである僕は、この『天声ジングル』の狂気的にまで病んだ新世界(ニュー・ワールド)に心の底から共感し、そして涙していた。やはり唯一、やくしまるえつこにだけは敵わないと悔し涙を流していた。あと面白いのは、本当に面白いのは、逆から再生しても”弁天様はスピリチュア”がアルバムのハイライトを飾るところだと思う。

ギターロックおよび往年の「相対性理論らしさ」への回帰、やくしまるえつこ≒荒木飛呂彦(スティーヴン・ウィルソン)であることや『ジョジョリオン』の『謎』、打倒コムアイはじめ渋谷系の新世代ラッパーへの回答、母である小保方晴子が解き明かせなかった論文『ニュー・理論』の定義、#日本のローレン・メイベリーなの私だ宣言や#日本のエイフェックス・ツインなの私だ宣言、Sadistikばりのダーティなブラックビッグディック、からの2013年以降のWelcome To My ”俺の感性”の総括、そして遂に真部デトックス脩一の亡霊から解放された相対性理論の『天声ジングル』は、間違いなく過去最高に面白くて泣けるアルバムだし、少なくとも前作とは比べものにならないレベルの『求心力』を誇る傑作だ。それらのあらゆる音や実験的な要素の他に、特に水曜日のカンパネラのコムアイに対するアラサー女子の若さへの妬み嫉みが、もはやどっちがディオなのか判別不能なくらい、ありとあらゆる音と感情がグッチャグチャに蠢き合っている。おいら、過去に一時代を築き上げたレジェンド的な存在が時代の煽りに、新世代を担う若手の波に、勢いに日和って触発されてマジになっちゃう展開嫌いじゃなくて、むしろスゲぇエモいし、もうテッド・ジェンセンがマスタリングしてる事すらどうでもよくなるくらい泣ける。コムアイは過去にインタビューで「相対性理論は超えたい」と語っていたが、皮肉にも相対性理論自身がこの『天声ジングル』を通して、コムアイおよびカンパネラの存在を真正面から肯定している。なんつーか、『TOWN AGE』で従来のフアンから総スカン食らって、しまいにはカンパネラにもブチ抜かれ・・・そらえつこも(精神病者が描いたジャケ絵)みたいに病むわw
 
天声ジングル
天声ジングル
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相対性理論
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【1/24】 相対性理論 presents「回折II」@Zepp Nagoya

 相対性理論 presents「回折II」

最近ちょっと驚いた事といえば→僕とやくしまるえつこが同い年だったという事実で(キャリア的に三十路くらいかと...)、そのやくしまるえつこ率いる相対性理論が1月に名古屋で自主企画ライブを開催するらしいとの事で、相対性理論が名古屋でライブするのって一体何年ぶりだ?って・・・


<<<<<<<<<初>>>>>>>>>


まさか相対性理論"初"となる名古屋のライブが、中心人物だった真部脩一西浦謙助が居ない相対性理論とかわりとウケる。そんなこんなで、名古屋待望の相対性理論の自主企画『回折II』を観に行ってきたわけです。で、自分は先行の超特大チケットを購入したのだけど、肝心の整理番号が600番代後半で→「あれ?意外と番号悪いのね」なーんて思いながら、6時半開演に合わせて、だいたい6時ちょい過ぎにZepp名古屋に到着したんよ~。すると・・・

スタッフ「Aの100番の方~」

ぼく「えっ、まだ100番代なのか。押しぎみ~?」なーんて思いながら、暫くその辺で待ってたんよ~。

・・・

・・・・・

・・・・・・・

【開演五分前】

番号呼びのスタッフ「Dの650番の方~」

ぼく「えっ、開演五分前なのにまだ600番台とか押しすぎじゃね?でも番号近いから入れるかもwDUM-DUMってきっと"D"の事だろうしなw」

チケット確認スタッフ「はいどうぞ~」

ぼく「うん?妙に変だなぁ・・・」って稲川淳二風に疑いながら・・・ここで私、気づいちゃったんですよ。

「あぁ、もしかして超特大チケットはA番より先に入場できたヤツなんじゃあないか?」って・・・

・・・気づいた時はもう時スデにお寿司! 「あぁ、死にたい・・・特大チケットだなんて、慣れないことするんじゃあないな・・・」ってテンション爆サゲのまま入場すると、既に会場は満員状態。言わずもがな、自分は最後列からの鑑賞となってしまった。気になる男女比的には→サブカルクソ野郎とサブカルクソ女がほぼ五分五分で、中心人物のデトックス真部が脱退して新作の『TOWN AGE』が賛否両論を呼んだにも関わらず、バンド存続の危機を物ともしない余裕の集客率・・・未だ相対性理論人気は衰えず、といった所か。でも実際に15分くらい押してから開演。謎のSEが終わり、幕開けを飾るのは『TOWN AGE』から”たまたまニュータウン”で、生えつことえつこの生歌を耳にして、そして初っ端から解き放たれる轟音ノイズに、ついさっきまでテンション爆サゲだった自分が嘘のように、脳が目が耳が五感が一気に冴え渡った。最後列から辛うじて見える生えつこと生歌に終始顔ニヤけっぱなしだったのは言うまでもなく、二曲目は聴いたことない曲だなと思ったら新曲らしい。良くも悪くも"らしい"新曲だった気がする。そして、あのイントロのメロディが鳴り響き、新作を代表する名曲”キッズ・ノーリターン”を披露。この曲、ライブだとアレンジが、特にギターの音がクソカッコよくてマジで「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」って感じに高まった。その流れで初めてのMC→

やくしまるえつこ「相対性理論プレゼンツ、回折II。チャンネルは、メ~テレに」とかいうMCから”テレ東”を披露。

ぼく「”テレ東”なのにテレ朝系列のメーテレとはこれいかにぃwww」って、ローカルネタに対して心の中でツッコんだ。

やっぱり『ハイファイ新書』はイイな~なんて思いながら、大胆なアレンジを効かせた”ジョンQ”、から初期の名曲”LOVEずっきゅん”、そして新譜の中では”キッズ・ノーリターン”と双璧をなす”ほうき星”を立て続けに披露して一気に畳みかける。で、遂にえつこから念願のラブズキュウウウン!!された僕はもう死んでいいと思った。再び、ここでMC→

やくしまるえつこ「第六天魔王、えつこ」

ぼく「ファッ!?」


もはやMCと呼んでいいのかわからないMCから3rdアルバム『シンクロニシティーン』”三千万年”、続いて新譜から”YOU & IDOL””BATACO”、そしてここでまさかの”こきゅうとす”を披露。正直、声優の花澤香菜さんに楽曲提供した”こきゅうとす(相対性理論Ver)”ワンチャンあるかも?って予想してたから→「うおおおおおおおおおおおおおおおおおえつこおおおおおおおおおおおお愛してるぜええええええええええええええええええええ!!」って感じに超アガった。そしてMC→

やくしまるえつこ「フィアンセに、なってみや~ち~」

ぼく「でた~名古屋芸人宮地」


再びMCでローカルネタをぶっ込んで、ここで映像と照明を使った演出を本公演の目玉(ハイライト)として持ってくる。なんかよくわかんねーけど超宇宙を彷徨うような、一種のプラネタリウム的な映像とレーザービームをフル稼働した照明演出に感動するというよりは只々圧倒された。まさに"相対性理論ワールド"の真骨頂とやらをぐうの音も出ないほど、まじまじと見せつけられた気分だった。その演出とバックのインストに挟みこむように”救心”、次の”上海an”ではリコーダーえつこや和楽器による濃ゆいアレンジでジックリと聴かせ、そして”気になるあの娘”を披露。そしてMC→

やくしまるえつこ「シュワッチの、チっている?」

ぼく「し、しらんがな・・・」 


みたいなMCから新曲したらしいけど、どんなだったか覚えてない。これも良くも悪くも系だった。ここで本編は終了。アンコールではソロの”ロンリープラネット”から初期の名曲”スマトラ警備隊”ときて、最後はやくしまるえつこが「バイバイ」とかいう可愛い捨て台詞を吐いて終演。


・・・とにかく、生えつこ最高だった。ライブが終わった後は、それしか言う言葉が見つからない状態で、 時にドリーミーで時にアグレッシヴに動き回る変幻自在かつ正確な演奏をはじめ、ライブでしか味わえない曲の各アレンジだったり、映像と照明をフルに駆使した演出面だったり、そして何と言ってもやくしまるえつこのどちゃ可愛い萌声やピカピカ光る謎の棒あるいはサイリウムらしきナニカみたいなのとか、いかんせん最後列からじゃあ見えるものもマトモに見えない所もあったけど、しかし最後列からでも最初から最後まで存分に楽しむことができたし、実に刺激的で実に”プロフェッショナル”なライブだった。確かに、4thアルバム『TOWN AGE』中心のセトリだったし、もっと他に聴きたい曲があったのだけど(地獄先生とかハイファイ系)”LOVEずっきゅん””テレ東””スマトラ警備隊”を筆頭に各アルバムを代表する名曲がライブで聴けたのは素直に嬉しかったし、特に”気になるあの娘””スマトラ警備隊”では一瞬にして”ロックバンドとしての相対性理論”へと変貌する瞬間、その感覚(ギャップ)に身震いするほどだった。あらためて、その音楽性の幅広さに関心したというか、それは『意外!』なほどの”バンド・サウンド”に魅了されっぱなしだった。もちろん、真部デトックス脩一や西浦さんが今も相対性理論に在籍していたらもっと凄かったんだろうけど、しかし彼らの不在を物ともしない圧倒的なライブ力と演出力に、そしてDIR EN GREYもビックリのMCの少なさにド肝抜かれた。いわゆる"スタジオバンド"or"ライブバンド"で言うと、この相対性理論は前者の"スタジオバンド"というイメージがずっと自分の中であったのだけど、しかし初めての相対性理論でこんなライブ見せつけられちゃあ、そのバカな考えを改めざるを得ないよね。それくらい、この日のライブは完全に"ライブバンド"のソレだった。さすが終身名誉ジョジョヲタであるやくしまるえつこと言った所か。やっぱえつこってスゲーわ。しっかし、今年一発目のライブがコレってかなりの贅沢というか、もう今年はコレ以上のものはないだろうってくらい良かった。気づけばチケットで失敗した事が記憶から消え去るほど。今まで名古屋で演らなかったのが本当に不思議で仕方ないが(確かに、相対性理論と名古屋って相性悪そうだがw)、その”初”を生で体験できたのは一生の思い出になりました。早いとこ次も観たい。だからえつこ頼む!スティーヴン・ウィルソンとの対バンで来い!

赤い公園 『透明なのか黒なのか』×『ランドリーで漂白を』

Artist 赤い公園
赤い公園

EP 『透明なのか黒なのか』
透明なのか黒なのか

Tracklist

01.
02. 透明
03. 潤いの人
04. 副流煙
05. 世紀末

EP 『ランドリーで漂白を』
ランドリーで漂白を

Tracklist

01.
ナンバーシックス
02. よなよな
03. 血の巡り
04. ランドリー
05. 何を言う

EP ランドリー黒なのか』
ランドリーで黒なのか

Tracklist
01. 塊
02. ナンバーシックス
03. 透明
04. よなよな
05. 潤いの人
06. 血の巡り
07. 副流煙
08. ランドリー
09. 世紀末
10. 何を言う

・・・赤い公園の1stフル公園デビューは、2ndフル猛烈リトミックの一つの原形となるアルバムで、その『猛烈リトミック』は言うなれば非リアが大学デビューしてキョロ充化したような名盤だった。なんだろう→1stの『公園デビュー』では”赤い公園”という名のジャンルをやってたが、2ndの『猛烈リトミック』では”ノイズロック””メタル”という名の”音楽ジャンル”を演奏している”理性的”な感覚があって、そういった意味ではオリジナリティというか、赤い公園の”本能的”な部分は1stの方が上かもしれないし、それがプロデューサーを迎えるという事なのかもしれない。で、この赤い公園『公園デビュー』の一年前に、『透明なのか黒なのか』『ランドリーで漂白を』という二枚のEPを連続でリリースしていて、前者が黒盤で後者が白盤の2つで1つ的な位置づけで、黒盤が奇数番で白盤が偶数番というパズルのようにリンクする仕様。それぞれ曲間に数秒から数十秒のシークレット・トラックが隠されている。

ランドリー黒なのか ・・・その『公園デビュー』は、俄然初期相対性理論っぽいサブカル向けの雰囲気を醸し出しつつ、音的には尖った初期衝動を纏いながらカオティックにゴリ推していくツンツントゲトゲしたアルバムだったが、その謎の相対性理論っぽさは、このEPにex-相対性理論真部デトックス脩一西浦謙助とかいう二人のサブカルクソ野郎の名がクレジットされているのを見れば、我々は全てを察することができるだろう。この二枚のEPでは、俄然その相対性理論リスペクトなシューゲイザー/ポストロック主体の楽曲を展開していて、赤い公園の等身大すなわちスッピンをありのまま見せつけていた『公園デビュー』よりも、各メンバーの音楽的ルーツや嗜好が素直な形で音に反映されたアルバムと言える。というわけで、せっかくだから仕様どおり一枚に組み合わせて、つまりランドリー黒なのか』として聴いてみた→まず、先にリリースされた『透明なのか黒なのか』の幕開けを飾る#1”塊”から、まるで「スラッジメタルかな?」ってくらいの轟音ギターにド肝を抜かれ、歌よりもモノマネの方が上手いことで知られるVo佐藤千明が毒気のある歌詞を声を張り上げて激情的に歌い上げる、それこそ初期椎名林檎あるいは鬼束ちひろを連想させるヤンデレ系のダーティさを纏った、まさしく黒盤のイメージとリンクするかのようなオープニング曲で、さしずめ渡辺真知子の名曲『かもめが翔んだ日』への現代からのカウンター・ソングといったところか。で、い方の幕開けを飾る#2”ナンバーシックス”は、一転してゆるふわ系のあざといコーラスやカウベルなどの軽音楽器を駆使した、それこそ相対性理論を彷彿とさせる日常系の歌詞をユル~く歌い上げるVo佐藤と真部デトックス脩一のウザキモいコーラスが織りなす、シュールでファンキーかつファニーな脱力系ガールズ・ロックナンバーで、この黒盤白盤を一曲づつ聴いただけで→赤い公園そのコンポーザーである津野米咲の音楽的バックグラウンド、その振り幅の異常な広さや新人バンドとは思えないズバ抜けたアレンジ・センス、そして何よりも”Post-系”に対する意識の高さに圧倒される。再び黒盤から、まるでWhirr顔負けのリヴァーヴィなシューゲイジング・アプローチを垣間みせる#3”透明”、一方の白盤からkawaiiアレンジを効かせたガールズ・ロック直系の#4”よなよな”、コーラスとアコギが奏でる不協和音のように不規則なリズムと病んだ雰囲気で始まって、Rolo Tomassiを思わせる8bit系ゲーム音楽や椎名林檎っぽいアダルト&ジャジー風のフェミニンなアレンジを振りまきながらアヴァンギャルディに展開する#5”潤いの人”、一転して白盤からウザいくらい賑やかに展開する#6”血の巡り”、そして名盤『猛烈リトミック』を語る上で欠かせない一つのポイントとなっていたのが”タバコ”という名の毒素で、まるでMonoや近年ANATHEMAを連想させるATMS系ポストロッキンな#7”副流煙”は、ミニマルなメロディがタバコの煙となって身体にネットリとまとわりつき、息もできなくらい大気に充満していく。そのダーティな余韻を深く味わいつつ、イタリアの至宝Klimt 1918の1stアルバム『Undressed Momento』を彷彿とさせる#8”ランドリー”の、それこそオルタナ系の恍惚感のあるメランコリックなメロディに衝撃を受けた僕は→「My Heart is アヒ~ン...」とかいう言葉を発しながらその場で絶頂してしまった。まぁ、それは冗談として→そもそも赤い公園って、メロディの質が洋風っぽいってのは今さら言わずもがなで、その中でも僕がピンポイントで聴いている海外バンドに直結するメロディ・センスっつーか、自分でもまさか赤い公園の曲を聴いててWhirrKlimt 1918、そしてWarpaintの存在が脳裏に浮かび上がるなんて...まるで想像してなかった。まぁ、一言で”オルタナティブ”って言っちゃえばそれまでなんだけど。とにかく、赤い公園津野米咲の”ルーツ”を伺わせるシューゲイザー/オルタナティブなセンス、それこそ”邦楽界のWarpaint”と言っても過言じゃあない、その音響意識の高いアレンジ・センスからは、この赤い公園が近頃のメロディを蔑ろにしているクソみたいな邦楽ロックバンドとは一線を画した無二の存在、その証明となっている。おいら、だから”海外でウケる、ウケない”という意味では、tricotよりも赤い公園のが”ウケる”ような気がするし、だからこそ一例として”俺の界隈”代表取締役社長兼CEOで知られるスティーヴン・ウィルソンの名を挙げている思惑というかナニがあったりして、実際黒盤とかSWが聴いたら絶対に喜ぶだろなーって。もはや僕レベルになると、黒盤初期DIR EN GREYの親和性を見出し始めている。お話を戻して→その黒盤っぽさの薄い#9”世紀末”から、ピアノ主体で聴かせる#10”何を言う”まで、最後に醤油ネタをぶっ込んでくるところも、それこそ赤い公園のラジオやライブMCのように、いちいち笑えるフリークでフリーダムなセンスに溢れている。

猛烈リトミック

右手にポップス、左手にクソ ・・・当然、個人的=Welcome To My ”俺の感性”の嗜好を考慮すると黒盤のが俄然好みだけど、正直この二枚を合わせて聴くと驚くほど馴染むというか、違和感とか一切なくて、むしろ組み合わせて聴くことを前提に作られているせいか、もはや『猛烈リトミック』同等...いや、それ以上の完成度に驚かされる。少なくとも、楽曲アレンジの練り具合はリトミックより秀逸だ。初期椎名林檎系の少し奇をてらった歌詞や幽玄かつフェミニンなムーディズム、ハードなギター・サウンドやアヴァンギャルドで予測不可能な展開力の高さをウリとするガールズ・ロックらしからぬ黒盤と、一方で持ち前のゆるふわ系のコーラス・ワークやガヤみたいなSEや赤い公園の秘密兵器であるカウベルを駆使した、実にユニークかつファニーなアレンジで楽しく聴かせるサブカル系ガールズ・ロックらしい白盤、この二面性こそ赤い公園を構成している女の子らしい”ユルさ”『惡の華』のヒロイン仲村佐和顔負けの深い闇を抱えたドス黒い”狂気性”、わかりやすく言い換えれば『右手にポップス、左手にクソ』を両手に絶妙なバランスで均衡を保った『猛烈リトミック』の正統な”ルーツ”と言っても過言じゃあないし、いや単体でも十分に凄いアルバムなんだけど、い”ポップ”な部分があるからこそ”クソムシ”な部分がより際立つというか、なんだろう...この二枚のEPや1stフル『公園デビュー』があってこそ、それらを大衆向けに”再構築”して出来たのがあの『猛烈リトミック』なんじゃねーかって。それこそポップスの中に魔性の毒を込めた、その一種のギャップ萌えが『猛烈リトミック』の面白さでもあるんだなぁと。そう考察してみると、あの『猛烈リトミック』って本当にアソビが一切ないマジメなアルバムで、本当に売れたくて売れたくてしょうがないアルバムだっったんだなーって。でも売れない・・・そこが赤い公園の絶対的な”エモさ”だ。

シークレット曲=木 ・・・これは今作に参加しているex-相対性理論の真部が加入したVampilliaの楽曲にも繋がってくる事なんだけど、黒盤のシークレット曲に”season of mine”ってのがあって、それがアニメ『惡の華』のEDやVampillia”endless summer”っぽい感じがして、他にも津野米咲が男性ボーカルとデュエットした”CRAZY 4 U '12 winter ver.”とかいうシークレット曲を聴けば、数多く存在する赤い公園の”ルーツ”の一つに”昭和歌謡”が存在するのが分かる。だからVo佐藤千明『かもめが翔んだ日』を歌って欲しいと思っちゃったんだからしょうがない。で、白盤”uh-huh, OK”って曲では、真部か誰かがキモく唸ってて、それらシークレット曲ひとつ取ってみても、赤い公園のルーツや嗜好回路が顕著に垣間見えてくる。あとこれらのシークレット曲は『猛烈リトミック』”木”の歌詞で出来ているって・・・これマジ?

逆輸入 ・・・このEP、初期の林檎や理論が好きな僕が気に入らないわけがなかった。でも椎名林檎とも相対性理論とも違った方向へと向かっているのが、この赤い公園の面白いところでもあって。少し心配なのは、この若さで異常に音楽を知りすぎているし、いい意味でも悪い意味でも完成されすぎている所で、要するに色々な意味で赤い公園の集大成となった『猛烈リトミック』の次に一体ナニやんの?っつー話で、何度何度も忠告のように言うけど、”これ以上ポップになったら誰も聴かなくなる”のは目に見えているから、理想は今の立ち位置から二歩か三歩くらい下がって、そしてスティーヴン・ウィルソンをプロデューサーに迎えて黒盤白盤の再来をやる!・・・ってのが僕の妄想です。いや、わりとマジでコイツらならSWと組めるんじゃあねーかって。つまり・・・国内で売れないなら海外から逆輸入や!
 
透明なのか黒なのか
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Vampillia 『the divine move』 レビュー

Artist Vampillia
Vampillia

Album 『the divine move』
the divine move

Tracklist
1: lilac (bombs 戸川純)
2: mirror mirror (bombs BiS)
3: endless summer (feat. ツジコノリコ)
4: tasogare (feat. 長谷川裕倫)
5: good religion (feat. Mick Barr)
6: dizziness of the sun (feat. ツジコノリコ)
7: oops i did it again (bombs BiS)
8: endless (massaka) summer (feat. ツジコノリコ and 真部脩一)
9: lilac bombs 戸川純 (perfect ending ver)

「相対性理論から真部脩一が脱退!?」←まぁわかる
「真部脩一改め真部デトックス脩一がVampilliaに加入!?」 ←ファーーwww

・・・本作品の『the divine move』は、自称ブルータル吉本オーケストラことVampilliaに正式加入したex相対性理論の行方不明者真部脩一改め真部デトックス脩一が歌詞と歌メロを担当した「bombs」シリーズをフューチャーした日本企画盤、そしてVampilliaがJ-POP産業に挑戦したコンセプトアルバムとなっている。そのオープニングを飾るのは、ゲストに戸川純を迎えた#1”lilac”で、学研の付録楽天のブログなどの相対性理論節全開のユニークな歌詞を摩訶不思議に歌い上げる戸田純と、日本の季節感を彩る情緒豊かなストリングスや琴のような和音が織りなすミニマルかつノスタルジックな、それこそ久石譲を彷彿とさせる映画音楽ライクな美しくも幻想的なメロディを織り交ぜながら、どこか懐かしい、子供の頃に毎朝ポンキッキーズを見ていたあの夏の思い出が甦るような、それこそ『ちびまる子ちゃん』のEDテーマに起用されてもオカシクないほどの2次元力の高さに、まるで童謡『まんが日本昔ばなし』のセカイに迷い込んだかのような、その奇想天外なポップ・ワールドに度肝を抜かれる。相対性理論では女子中高生の甘酸っぱい乙女心を繊細に描き出していたが、この曲では「夏休みの宿題よりも気持ちのいい事しよう...(ムラムラ)」という、まるで稲中卓球部の前野のような男子中学生の煩悩をセキララに描き出している。



【BiSなりの卒業式】・・・おいら、以前から【BiS×非常階段=BiS階段】がありなら【BiS×Vampillia=BiSpillia】【BiS×DEAFHEAVEN=BiSheaven】もしくは【BiS×DIR EN GREY=BiS EN GREY】が実現する可能性もワンチャンあるんじゃあねーか?って密かに期待してたんだけど、その中で最も実現的だったBiSVampilliaのコラボが、この度アッサリと実現して大変嬉しく思っている。まさか対バンだけでなく、花見合コンや遂には楽曲コラボなんて・・・しかもソレ+真部ってのは、まさかまさかのマッサカサマーだった。そんな、解散を間近に控えたアイドル界の最終兵器ことBiSとブルータル吉本オーケストラことVampilliaのコラボが実現した楽曲こそ、ex相対性理論真部脩一あらため真部デトックス脩一が手がけた「bombs」シリーズの二曲目”mirror mirror”だ。まるで『アイドル戦国時代』の殺し合いの螺旋からの卒業もとい解散を祝うかのような、担任の山本先生によるピアノの伴奏とともに、それこそ”BiSなりの卒業式”を祝うかのようなBiSメンの合唱で幕を開け、ココロが力強く弾む扇情的なストリングスや東京都心はパラレルワールドに迷い込んだかのようなメロディ、そしてDEAFHEAVENばりのスクリーモ/デプレッシブ系ブラゲ直系のギターを掻き鳴らしながらリリカルに展開していく。そして最期はBiS下衆の極み乙女の感情とVampilliaのゲスい吉本魂が激しく共鳴し合い、ゲスやビスやブスやクズやカスなど...あらゆる激情的な感情と刹那的なエモーションを爆発させながら、まるでBiSメンが処女喪失する瞬間の衝動を叫ぶような奇声とBiS階段リスペクトな極悪ノイズが蠢く混沌(カオス)の渦へと聴き手を引きずり込んでいく。正直、この曲の展開力には驚かされた。往年の相対性理論を彷彿とさせるシティ・ポップ感と、いわゆるポストプログレッシブ/ポストロッキンな音使いをもって、デプレッシブ系アイドルという名の偶像、その刹那的な人生を振り向かずに駆け抜けてきた一つの『アイドル激情物語』を繊細に紡ぐリリカルな展開力、そのBiSと吉本芸人Vampilliaが持つゲスの極みが一つになることで、それこそSTAP細胞を超える異常な化学反応を起こし、まるでDIR EN GREYの京の自傷行為に匹敵する”この胸に絡みついた灼熱の純情な感情”を爆発させる。この曲は、僕がBiSに対して漠然としたポストブラック精神を感じていたのはコレだったのかと、あの”DiE”はこの曲の伏線()だったんだ、と。正直、この曲だけでBiSのラストアルバムの存在意義を超えちゃってるというか、本家のラストアルバムWHO KiLLED IDOL?よりもBiSメンの個性が活かされているという皮肉(特にプー・カスとカミヤサキ、そしてのぞ氏がいい味出してる)。ある意味、この曲こそ”BiSなりのラストソング”、つまり卒業ソングだと思うわ。正直、真部ちゃんが相対性理論を抜けてVampilliaに正式加入したって聞いた時は→「ゴラアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!真部ええええええええええええええええ!!相対性理論抜けてこんな所でなにやっとんじゃあああああああああああああああ!!」って激おこプンカスだったけど、この「bombs」シリーズ二連発を聴いちゃったら最後→「これが真部ちゃんが相対性理論を抜けてまでやりたかった音楽か...フッ」って、すまし顔で僕はソッと口を閉じた。しっかし、あの真部ちゃんが”アイドル”をどのように料理するのか?最初は全くイメージ出来なかったんだけど、実際聴いてみたら「やっぱ真部ってスゲーわ」ってなった。



【Vampillia=ネタバンド】・・・このヴァンピリア、実はAlcestの初来日公演のサポートで初めてその存在を知ったというか、その破天荒なライブパフォーマンスを観てからは、自分の中で”Vampillia=ネタバンド”というイメージが根強くあったんだけど、その悪いイメージを払拭してくれたのがこの”endless summer”という、ゲストという名の語り部にツジコノリコを迎えた約4分33秒の曲だったんだ。これは以前にアルセスト来日のサポートを経験した影響なのかは定かではないが、正直ここまでポストブラック然とした楽曲が書けるなんて素直に驚いたし、このヴァンピリアというバンドのポテンシャルの高さに面食らったと同時に、この僕に生まれて初めて”ヴァンピリアの楽曲”を意識させた曲でもあり、生まれて初めて”ネタバンド”ではなく一つの”アーティスト”として認識させたほどの曲だった(なお、先日のライブで改めて”ネタバンド”という認識が強くなった模様)。で、この曲は”mirror mirror”の上位互換とも取れる曲で、ツジコノリコという名の語り部が『世にも恐ろしいグリム童話』のような儚くも陰惨な世界観を朗読しながら、優しくも切ないピアノやシガーロス直系の壮麗優美なストリングスを擁したATMS系ポストロックなアプローチをもって繊細かつリリカルに展開し、そしてボーカルの天パクソ野郎によるあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!!という咆哮と共に、まるでNe Obliviscaris(ネ・バブリシャス)の如し抒情的な旋律を奏でながら天空を駆け巡る超絶epicッ!!なストリングスを凶悪なトレモロ・リフに乗せて、それこそKayo Dot『Hubardo』に匹敵する極悪のアヴァンギャリズムの中で、静かなる狂気を解放し、そして死者の霊魂を浄化していく。この曲調、このMVが醸し出すグリム童話感というのは、まさにスティーヴン・ウィルソン氏がソロ活動で描いている世界観に近く、少し大袈裟かもしれないが、UKの奇才スティーヴン・ウィルソンとアンダーグラウンドシーンの暗黒星Kayo Dotを繋ぐ架け橋的な存在こそ、このブルータル吉本オーケストラのヴァンピリアなのかもしれない。 しっかし、こうも大層なオルタナティブ・ミュージックやってるのにも関わらず、こうも人気が爆発しないのは、そのあまりにもニッチな隙間を狙いすぎている音楽性だから...なんだろう。



【マッサカサマーウイカ】・・・あぶらだこの長谷川裕倫をゲストに迎えた”tasogare”は、静寂の中で独り寂しくこだまする雨漏りのような哀しいピアノと長谷川裕倫のキモい語り部に黄昏れる、まるでアニメ『惡の華』のED曲の”花 -a last flower-”の原曲をオマージュしたかのような前半から一転して、後半からはEfなどの北欧ポストロックライクなアプローチやポップなピアノをフューチャーしながら、マスいリズムをもってまるでカーニバルのように明るく楽しく、そしてカオティックに展開していき、そして最後は男の娘ことVelladonの美輪明宏ばりのオペラティックなボーカルを披露し、まるで一つのミュージカルを観ているかのような、空前絶後の壮大なクライマックスを迎える。これこそヴァンピリアのポテンシャルがフルに発揮された、まさにプログレッシブでアヴァンギャルド、まさしくブルータルオーケストラな楽曲と言える。そして、USBM界のトレモロマスターことKralliceMick Barrがゲスト参加している”good religion”は、本家KralliceLiturgy譲りのハイパー・メガ・トレモロ地獄の中で、優雅なピアノと優美なヴァイオリンがエクストリームに交錯するファストナンバー。再びツジコノリコをゲストに迎えた”dizziness of the sun”は、瀬戸内国際芸術祭関連事業のために書き下ろされたという、ツジコノリコのストーリーテラー感および母性に溢れた歌声とピアノを中心に、緩やかに抒情的な旋律をもって静寂のリリシズムを発揮しながら、内向きだった感情が徐々に外側に解放されていくような、あまりにも芸術的過ぎるナンバー。それこそ先ほどの”endless summer”じゃあないが、それよりもスティーヴン・ウィルソン氏の”The Raven That Refused To Sing”的な、まさしく”Post”な展開力と無限のスケール感を持った曲だ。そして実質本編ラストを飾る、再びBiSをゲストに迎えた「bombs」シリーズの”oops i did it again”は、BiSメンによるゲップや喘ぎ声や泣き声や叫び声などの不快な擬音に重厚なストリングスとピアノを加えた曲で、先ほどの”mirror mirror”をイメージして聴くとあまりのゲスっぷりに吐き気をもよおすこと請け合い。その最後にのぞ氏が「ありがとう」と卒業生からの答辞を述べる辺りも、より”BiSなりの卒業式”を感じさせて面白い。オマケにはマッサカサマーウイカ仕様もとい真部ちゃん仕様の”endless (massaka) summer””lilac”(perfect ending ver.)が収録されている。とりあえず、真部ちゃんはBiSだとウイカパイセン推しなのはわかった(えっ)。”lilac”の(perfect ending ver.)は、より映画音楽的なドローン/ノイズ風のアレンジに惹き込まれる。



【Post-感】・・・僕は、あくまでもアルセストスティーヴン・ウィルソン氏を中心とした”Post-Progressive”な立ち位置からしか、このヴァンピリアの楽曲を紐解くことが出来ないけれど、そんなヴァンピリアが普段から居るちょっとスカした立ち位置とは少し違った”俺の界隈”目線で聴いてみても、予想以上にツボにハマった感あるし、むしろ逆に本作のような本筋から少し逸れた日本企画盤だからこそ、ここまで今作を相対評価以上に楽しめてるんじゃあないか?って。やはり、それは賛否両論を生んだ相対性理論TOWN AGEと同じ”Post-感”だったり、一方で往年の相対性理論を思わせるシティ・ポップ感だったり、自分の好きな音が”ポップ・ミュージック”という枠組みの中で、強引ではなくあくまでも自然な形で一体化し、これはパスピエの楽曲作りの”うまさ”にも繋がってくる話なんだけれど、明らかに”ポップ・ミュージック”ではない音を一つのアルバムにパッケージしてしまうセンス、このヴァンピリアという名のお笑い芸人が持つ底知れぬ”Post-Pop”なセンス、もはや僕たちは新たなるポップ・ミュージックの夜明けを目の当たりにしているんじゃあないか?って。

【総括】・・・もちろん、国内外からのゲストを迎えてコラボした楽曲も素晴らしいが、ポストロックやポストプログレッシブに通じる”ポスト-リリカル”な展開力の高さこそ、このヴァンピリアの真骨頂だと僕は思っていて、そのポテンシャルがフルに発揮された「bombs」シリーズ、特にBiSが参加した”mirror mirror”みたいなリリックを大切にした曲を聴くと、どうしても歌詞カードを見ながらその世界観に没頭したくなるんだけど、いざ歌詞を見ながら楽しもうとしたら、アートワークの裏にクレジットが書いてある紙一枚だけの仕様だった...。一応は真部ちゃんが書いた歌詞を一つのウリとしているわけだし、その歌詞が創り出す独創的な世界観が今作の見せ場になっているからこそ、余計に最低限の歌詞カードは欲しかったなーと。まぁ、レーベルの懐事情がカツカツなのが伝わってきて逆にエモかったけど。あとメイドイン台湾という謎流通も実にエモい。欲を言うなら→(ありえないことだけど)その「bombs」シリーズの歌い手に”サブカル界のオボちゃん”ことやくしまるえつこが参加してたらビバナミダだったわ。これ、もはや今年のBESTアルバムと言っても決して過言じゃあない。しかしこうなってくると、長年の”アルバム出るよ出るよ詐欺”が遂に詐欺じゃなくなる1stフルに対して、更に大きな期待がかかるってもんです。

裏ジャケ

【アイドル×アーティスト】・・・”ポップなんだけどポップじゃない”、”ポップじゃないのにポップ”みたいな不条理な感覚と、一枚のアルバムに”アイドル””ブラックメタル”が何の違和感もなく平然と共存している頭のおかしさ、こんな”いともたやすく行われるえゲスない行為”は世界中探してもこのヴァンピリアにしかできないだろうし、ある意味、こいつらベビメタ以上に革命的なブッ飛んだ事やってるんじゃねーか?って。これはBiSを見れば顕著なんだが、ここ最近、いわゆるアイドルと一般的なアーティストとのコラボという名の”アイドルを利用したカネモウケ”が本当に増えてきている。この現象は、もはやアイドルとアーティストとの壁や垣根がなくなってきた、それこそ昨今の日本の音楽シーンを司る大きな流れなのかもしれない。そういった視点から音楽界隈を眺めてみると、ガラパゴス化したと言われている今の邦楽シーンは本当に面白いし、一方で洋楽がオワコンと呼ばれるのにも納得してしまう。当然、このヴァンピリアも抜け目がないというか、その辺のアンテナがシッカリしているバンドだということは、今作で既に証明済みだ。なにはともあれ、解散を目前にしてもなお僕を色々な意味で驚かせてくれるBiSメンには敬意を表したい。 あと裏ジャケには絵本タッチに可愛くデフォルメされたBiSメンが描かれているんで、これだけで研究員はマストバイなんじゃねーかなぁ。もちろん、”BiSなりの卒業式”的な意味でもね。

the divine move

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パスピエ 『演出家出演』 レビュー

Artist パスピエ
パスピエ

Album 『演出家出演』

演出家出演

Tracklist
1. S.S
2. 名前のない鳥
3. フィーバー
4. シネマ
5. ON THE AIR
6. くだらないことばかり
7. デ・ジャヴ
8. はいからさん
9. △
10. ワールドエンド
11. カーニバル

【真部デトックス脩一】・・・中心人物の真部デトックス脩一が行方不明となった相対性理論の新作TOWN AGEがサブカル住人の間で賛否両論を呼び、これまで理論が築き上げてきた”サブカル界のアイドル”という絶対的な立ち位置が揺らぎ始めたその隙に、その理論から離れたサブカルクソ野郎を上手く取り込むことに成功したのが、プログレバカのゲスの極み乙女やこのパスピエだ。このパスピエというのは→2009年に結成された女1人男4人からなる五人組で、本作のリード・トラックの”S.S”のMVで初めてその存在を知った時は→紅一点のボーカル大胡田なつきの椎名林檎のメンヘラっぽさとYUKIの合法ロリっぽさを足して2で割ったような実にユニークな歌声と、バンドの中心人物こと成田ハネダデレク・シェリニアンばりのキーボードが織りなす、水しぶきのようにハジケ飛ぶカラフルなポップ・センスと知性溢れるプログレ・センスを、ベーシストの露崎義邦とドラムのやおたくやとギターの三澤勝洸がトライアングルに織りなす、グルーヴ感と疾走感溢れるダンサンブルなバンド・サウンドに乗せて、それこそ奇想天外摩訶不思議なパスピエ・ワールドを繰り広げちゃってて素直に驚いた記憶がある。



【うまい】
・・・パスピエの1stフル『演出家出演』は”いいアルバム”だ。でもそれ以上に憎らしいほど”うまいアルバム”でもある。まずはパンチの効いた#1”S.S”からして”うまいツカミ”で完璧だ。もちろん影響はないと思うけど、この曲のサビを聴くと℃-ute”夏DOKIリップスティック”を思い出す。で、タイトルにある”名前のない鳥”が雨上がりの淡い春の情景と爽やかな哀愁を運んでくるかのような#2でもYUKIを彷彿とさせる大胡田なつきの凛とした歌声が、メッセージ性の強い芯のあるサビメロを難なく歌いこなす所も実に”うまい”。次の#3”フィーバー”では、70sサイケ風のイントロからメロトロンの音をフューチャーしながら、アニメ『波打ち際のむろみさん』のOPの上坂すみれさんみたいな、そことはかない電波なアニソン臭を醸し出す曲で、特に中盤のATMSパートから凛として時雨ばりのGソロに、その展開力の高さに思わずニヤリとしてしまう。まるでダフト・パンクの名曲”One More Time”をオマージュしたかのような、ついニヤリとしてしまうイントロの90sライクなハートフルなシンセから、真部デトックス脩一もとい相対性理論リスペクトなシティ・ポップ感を醸し出すギターの音使い、そして大胡田なつきが描く独創的な歌詞やムード歌謡風の歌メロまで全てが懐かしい、ノスタルジックな気分にさせる#4”シネマ””うまい”の真骨頂だ。その流れで→シットリしたソフトなポップ・ナンバーの#5”ON THE AIR”、そして往年の邦楽を思わせる星空のようにキラキラしたキーボードを中心に響かせる#6”くだらないことばかり”では、まるで次回の映画『ドラえもん』の主題歌にどうですか?と言わんばかりの、こちとら子供向けの大衆アニメのタイアップも受け付けてますよ~的な(NHK教育でもいいよテヘペロ)、あざといくらいの”うまさ”がある。その#6から一転して、笑っちゃうくらい椎名林檎リスペクトな#7”デ・ジャヴ”ではジャジーなアプローチを垣間みせ、YUKIライクな歌と艶かしくもオリエンタルなメロディが支配する#8”はいからさん”は、インストへの繋ぎが実にプログレ然としてて、これまた”うまい”。終盤は→kawaii系の#9”△”、グルーヴィなベースラインを際立たせたJ-Popチューンの#10”ワールドエンド”、そして色とりどりの表情を見せながらドラマティックに展開してく#11”カーニバル”を最後に、このファンタジックなパスピエ・ワールドは盛大に幕を閉じる。

【大衆性】・・・このパスピエの持ち味は、その”大衆性”にある。今作を聴けば分かるように、とにかくメロディがポップだ。しかし”バンド”としてのグルーヴ感を損なわずに、他の要素と絶妙なバランスで均衡を保っているのが何よりも”うまい”。彼らが影響を受けたとされる70年代から80年代、そして90年代にタイムスリップさせるノスタルジーな音使いによって、ある種の”音の旅”を体験する事ができる。プログレッシブな知性を大衆ポップスの中に、もはや気づかないくらい自然に溶け込ませるのが、すなわちハイブリット化させるのが本当に”うまい”と思う。だから単純に懐かしんだよね。そもそも、大衆性なんていうのは高めようと思って高められるもんじゃあないし、この大衆性はパスピエが持つ最大の才能なんだろう。ある意味、”サブカル界のPerfume”というか。色んな立ち位置から色んな音楽を提供できる多彩なスタイルは、単純に”うまい”と言わざるをえない。そういった意味でも、”J-Pop”としては非常に優秀なバンドなんだと思う。その大衆性から音楽性まで、色んな意味で偏差値が高いんだろうね。

【ポスト相対性理論】・・・正直、よく比較とされる相対性理論とは少し、いや、まるでベクトルが違った。初期の相対性理論も椎名林檎っぽい事やってたが、このパスピエはあくまでも大衆性の強い”J-POP”という枠組みの中で、大二病患者がブヒりそうなサブカルチャーへの絶妙なアプローチや電波系アニソン成分、メジャーな女性邦楽ポップスやレトロなプログレ、そして過去の音楽に対する敬意を巧みに落とし込んだ、このパスピエの創作術こそ、いわゆる”俺の界隈”の代表取締役社長兼CEOを務めるスティーヴン・ウィルソン氏が提唱するクリエイティブ精神そのものと言えるんじゃあないか?って。一見パクリと非難されそうな音楽性だが、それすなわちパスピエが”プログレ”だという証明でもある。それこそスティーヴン・ウィウルソン氏のような、それこそ『ジョジョ』荒木飛呂彦のような、過去の音楽からのあらゆるオマージュやリスペクトを自分のモノに昇華させる確かな技術(センス)がある。その説得力に半ば強制的に納得させてしまう。そうやって納得させちゃうのは、ひとえに成田ハネダの東京藝術大学卒とかいう肩書に裏打ちされた確かな知能の高さ、音楽的な教養の高さ故なのか。とにかく、その作曲面/創作術での”プログレ”に対する意識の高さに驚かされた。少し大袈裟かもしれないが→Porcupine Treeスティーヴン・ウィルソン氏が世界を相手にプログレ復興を果たしたように、ようやくこの日本にもそのプログレの波が僅かながらもやってきた、というわけです。しっかし、このパスピエゲスの極み乙女のような愛すべきプログレバカが現れるなんて...今の邦楽界もまだまだ捨てたもんじゃあないです。なんつーか→聴いてて楽しいのがパスピエで、聴いてて面白いのが相対性理論、邦楽志向なのがパスピエで、洋楽志向が相対性理論、大二病なのがパスピエで、高二病なのが相対性理論、ピアノ・ロックなのがパスピエで、ギター・ロックなのが相対性理論、曲ごとに歌い方を変えるのが大胡田なつきで、アルバムごとに歌い方を変えるのがやくしまるえつこ、成田ハネダなのがパスピエで、真部デトックス脩一なのが相対性理論・・・という冗談はさて置き→このパスピエの曲構成は至極シンプルで分かりやすいし、フックのあるメロディも豊富だから、本家の相対性理論よりはパンピー受けは良さそう。しかしその分、飽きるのも早そう。中心人物である成田ハネダのネタが尽きた時、その『知性』が失われた時がちょっと怖いな、、、と。

【サブカル界のスティーヴン・ウィルソン】・・・あらためて、パンピーや大二病からアニヲタやロキノン厨そしてサブカル層まで、あらゆる層に訴えかける唯一無二の大衆性、そのポテンシャルの高さには、各方面から邦楽で”いま最もブレイクに近い存在”と言わしめる所以を感じた。その確かな勢いが、圧倒的な初期衝動が楽曲に宿っている。本家の相対性理論があらかじめ計算された上で書かれた曲なら、このパスピエの曲はハネダの鍵盤主体に、大胡田なつきの多彩なボーカルの勢いとノリ重視で書かれている印象。楽曲の個性や密度、完成度は相対性理論の方に軍配が上がるが、しかしこのパスピエの曲は驚くほど完成されている。何にしても、相対性理論に変わる新たな”サブカル界のアイドル”として、その絶対的なアイコンとして今の邦楽シーンに一矢報いる一枚であるのは確か。そんなわけで→昨年から今年2014年にかけて更なる飛躍が期待されるパスピエだが、この状況を受けて”サブカル界の元祖アイドル”こと相対性理論やくしまるえつこがどう感じているのかが気になる所だ。ちゅーても、”サブカル界のスティーヴン・ウィルソン”として知られるえつこなら、このパスピエのアルバムを超える極上のプログレッシブ・ポップアルバムを作ってくれるんじゃあないか?って、僕はまだ密かに信じてやまない。どうせなら本家のスティーヴン・ウィルソン氏とコラボしてくれてもエエんやで、えつこ。



【ギターが鍵】・・・このパスピエは既に新曲の両A面シングル『MATATABISTEP / あの青と青と青』を発表している。実は今回の1stフル『演出家出演』を聴いて→ギターの人が音楽性の違いで脱退してしまわないかと心配していた部分もあったんだけど、この新曲の”MATATABISTEP”を聴く限りでは、まだその心配はなさそう(まだかい)。相変わらずレトロ感をフューチャーしたキーボード主体の楽曲ではあるものの、地味にギターも頑張ってる...というか頑張れ!頑張れ!頑張れ!要するに→このパスピエが更にビッグになるには、ギターの三澤勝洸君の存在が大きなキーマンとなってくるんじゃあないか?って。よし、こうなったら次のアルバムには現Vampillia真部デトックス脩一をプロデューサーとして迎えよう(提案) そんなアホな冗談言いつつも、結局この僕がパスピエに対して言いたい事はたった一言↓↓

うまい

演出家出演(通常盤)
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パスピエ
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