Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

邦楽

tricot 『3』

Artist tricot
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Album 『3』
20861149174583

Tracklist

02. WABI-SABI
03. よそいき
04. DeDeDe
05. スキマ
06. pork side
07. ポークジンジャー
08. エコー
09. 18,19
10. 南無
11. MUNASAWAGI

「中嶋イッキュウのソロデビューとは一体なんだったのか」

ナレ「その謎を明らかにすべく、我々藤岡探検隊はアマゾン奥地へ向かった!」

ぼく藤岡隊長
new_f1923a5521c1b1e5a8ad3dfca108ca75「おぉ...ここが未開の部族が棲む秘境の地か...ん?あれはなんだ!」


ナレ「突如、我々の目の前に暗闇から何者かが現れた!」


 未開の部族
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「コレ アゲル」

new_DHQQ0KpUIAAMuO5

ぼく藤岡隊長
new_img_0「なんだこれは・・・無地のケースに『3』の数字が描かれているだけのCDと「2012.11」という日付のような数字が記された青いCDだ」

 未開の部族
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「コレ キイテ」

ぼく藤岡隊長
new_tanken3-26「よし、まずは青い方のCDから聞いてみよう」


青いCD「私じゃダメなの?もう好きじゃないの?


ぼく藤岡隊長
new_f1923a5521c1b1e5a8ad3dfca108ca75「林抱いて///」

 未開の部族
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「『サン』 モ キイテ」

ぼく藤岡隊長
new_img_0「こ、これは!もしやトリコットの新しいアルバムじゃないか!?おい!手抜きすんなイッキュウゥゥゥウウ!!メンヘラなれーーーーーーーーー!!」

イッキュウ中嶋
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「かかってこいやああああああああああ!!」

ぼく藤岡隊長
new_tanken3-26「Just Bring It!!Just Bring It!!」

イッキュウ中嶋
new_tricot_a-thumb-1200xauto-53972「Just Bring It!!Just Bring It!!」


初めてこの無印のケースに「3」という数字が書いてあるだけの、歌詞カードも入ってない「シンプルイズザベストスタイル」のCDを目にした時、僕は中学生の頃に友達から借りた様々なアーティストの音源が詰まった無印の青いCDを思い出した。これはトリコットのメンバーや僕と同世代の「今ギリギリ20代」の人なら共感してもらえるような話で、今から約15年前、当時の中学もしくは高校時代って「音楽をCDに焼ける奴」=「神」みたいな存在で、そもそも「CDに焼く」という言葉も今では死語になってる気もするし、その「CDに焼く」という行為が違法行為(グレーゾーン?)だなんてのは、昨今の「ストリーミング時代」を前にしたらクソどーでもいいただの思い出話でしかなかった。僕が中学生の頃に友達から借りた上記の青いCD(現物)には、(2002年)当時流行っていたJanne Da ArcL'Arc~en~CielなどのV系ロックをはじめ、モンパチから種TM西川兄貴、ブリグリやBOAなどのJ-POPの音源が詰め込まれていて、特にその中に収録されていたJanne Da Arcのバラード”DOLLS”を初めて聴いた時は、体に稲妻のような衝撃が走ったのを今でも憶えている。それ以来、僕はJanne Da Arcの虜となり、CDは勿論のこと大阪城ホールやSSAのライブDVDを買い占めた。何を隠そう、このトリコットの3rdアルバム『3』は、中学生の頃に無印の青いCDを介してJanne Da Arcと運命的な出会いを果たし、そして僕のその後の音楽的な嗜好を決定づけたように、この『3』を聴いた今の中高校生のその後の人生に多大な影響を与えるであろう、邦楽界の歴史に名を残す名盤なのである。

ここ最近のトリコットといえば、昨年に『KABUKKAKE EP』を発表するやいなや、フロントマンのイッキュウ中嶋がソロ活動を始めたり、それこそ昨今の「洗脳ブーム」に乗っかってじゃないけど、とにかく最近のイッキュウ中嶋って「中嶋ホームオブハートイッキュウ」に改名すんじゃねーかってくらい、なんか悪い男にそそのかされて急に坊主頭にして「出家します」とか言い出しそうな、そんな戸川純リスペクトな典型的な「勘違い女」みたいな危うい雰囲気あって、終いにはゲス野郎のプロデュースで芸人の小籔野性爆弾くうちゃんとバンド結成して俄然「勘違い女」っぷりに拍車をかけ、今やライブツアーの箱も縮小して解散間際の集金ツアーみたいな典型的な落ち目バンドみたいな事やってて、トリコットがそんなハンパなことやってる間に、フォロワーの「右斜め45度女」こと率いるポルカドットスティングレイにも人気でも動員でもブチ抜かれる醜態を晒していて、傍から見てると「おいおいトリコット大丈夫かよ」みたいな、「ソロ活動は自由だけどバンドには迷惑かけんなや」とちょっと心配になるくらい、まぁ、それくらいここ最近のトリコットを取り巻く状況は、こんなオモンナイバンド見たことないってくらい、まさしく「オワコンバンド」の名に相応しい状況まで追い込まれていた。もうこの際、イッキュウ中嶋こと顔面朝勃ち女くうちゃんと一緒に『ドキュメンタル』に参加して100万円奪われとけやと。つうか、なんやねん顔面朝勃ち女て、自分の真上に発射して自分の顔にBUKKAKEんのかよ。キモすぎだろ。

2015年作の2ndアルバム『A N D』では、某BOBO氏をはじめ複数のドラマーの協力を得て制作され、昨年の『KABUKKAKE EP』では、ドラム・オーディションを開催して選出された5人のドラマーを起用した楽曲が話題となったが、実は自分もそのドラムオーディションに応募して、その結果一次選考で落選したことを今でも根に持っていて、何故なら僕がこの度のドラム・オーディションで選んだ曲がX JAPAN”ART OF LIFE”という、いわゆる(Radio Edit)ではない方の29分ジャストの方の完全版で、そしてYOSHIKIの「かかってこいやー!」からの「ヘドバンは良くない」からのアテフリプレイからドラムセット破壊まで、ライブ作品の『Art of life live』を忠実に完全再現したビデオを撮って応募したわけ。なのに一次選考で落選とか本当にショックだったし、もうトリコット聴くのやめようかと思ったほどで、少なくとも「あの時点」ではまだ僕がトリコットの三代目ドラマーとしての人生を歩んでいた「if(もしも)」の世界線が存在していたわけ。まぁ、全部ウソだけど。最終的にサポート・ドラマーに選ばれ、今回の『3』に収録された新曲を叩いているのは、ドラムオーディションを勝ち抜いた5人の内の一人である吉田雄介氏で、なんか結局安牌な結果になったというか、またしても一番面白みのない結果になって、こんな結果ならガチで僕が”ART OF LIFE”の完全版アテフリした方が面白かったわ。もっと言えば、BAND-MAIDがメジャーデビューする前にドラマーのを引き抜いてれば今頃トリコットは天下取ってたに違いない。なぜかと言うと、僕が今年の初めにBAND-MAIDのMVでのドラムプレイを見た時、以前までトリコットのサポート・ドラマーとして活躍していた”みよさん”こと山口美代子さんの叩き方とソックリな事に、ボーカルの彩ちゃんに一目惚れするよりもまず一番先にそこに驚いて、もしや親子関係あるいは師弟関係でもあるのかと一瞬勘ぐったくらい。それは行き過ぎた冗談にしても、でもが一度でいいからトリコットでドラム叩く姿を見たいって人は間違いなく僕以外にも存在するハズ。とにかく、そういった面でも、今のトリコットを取り巻く状況は「オモンナイ」の一言でしかなかった。



それはそうと、この『3』の幕開けを飾る”TOKYO VAMPIRE HOTEL”がOPテーマに起用された、園子温監督のamazonオリジナルドラマ『東京ヴァンパイアホテル』を観たのだけど、毎回OPの入り方がサイコーにカッコ良くてかなり扱いは良かった。ちなみに主題歌はMIYAVI。で、一話の初っ端からしょこたんの激しい銃乱射からの血ドバー!に始まって、謎の筒井康隆ネタから、映画『ムカデ人間』でお馴染みの俳優北村昭博や某グラドル、そして園作品でも毎度お馴染みとなった監督の嫁NTR要素とか小ネタも多いし、そして見せ場となる主演の満島ひかり(弟)と夏帆のアクションシーンは勿論のこと、おっぱいの大きいヒロイン役の女優誰かな?と思って見たら、映画『アンチポルノ』の主演でヌードも披露した(例の当選したポスターでもお馴染みの)冨手麻妙とかいう女優らしく、作中で一番体を張った演技を見せているが、その役者陣の中でも特にMVP級の活躍を見せているのが安達祐実で、さすがレジェンド子役女優だなと。それと、物語終盤に出てくるアカリ役の森七菜は今後要注目の新人女優だと思う。とにかく、レビュー自体はボロクソだけれど、これまでの園子温作品が好きならそのブッ飛んだエログロな世界観だけでも十分視聴継続できるし、確かに3話以降ホテル内の話になると急にテンポが悪くなるのは監督のいつものクセというか、そもそもテンポよくできる監督だったら4時間の映画なんて撮らねぇし、そこはご愛嬌としか。話としては終盤の展開の方が面白いかな。ちなみに、本作は既に映画版として編集されたモノが海外で上映されており、ちなみに名古屋県は豊橋市で撮影されたシーンも収録されている。

そんな『東京ヴァンパイアホテル』の世界観が堪能できる歌詞もポイントなトリコット”TOKYO VAMPIRE HOTEL”は、幕開けの疾走感触れるドラムとソリッドなリフから1stアルバム『T H E』”POOL”を彷彿させる、それこそ”タラッタラッタ”の歌詞にある「初期衝動を忘れたくないのに 古くなる事は止められないらしい」という、初期トリコットの問いかけに対する「答え」のような粗暴で荒々しい獣性むき出しの衝動性を垣間見せ、そして初期の9mm Parabellum Bullet的な、すなわちカオティック/ポスト・ハードコア然とした破天荒かつ激情的なサウンドを繰り広げていく。このトリコット節全開の音作りとサウンドから分かるのは、「This is tricot」すなわち「tricot is Back」を予感させると同時に、その中でボーカルのイッキュウ中嶋は2ndアルバム『A N D』で培った「ポップ」なセンスを巧みに昇華し、それこそ「おいおいペギーズじゃねぇんだから無理すんなBBA」とツッコミたくなるくらい、イマドキのガールズバンドで歌ってそうなくらい(顔面朝勃ち女らしからぬ)過去最高にポップな声色を織り交ぜながら、更に進化した多彩なボーカルワークを披露している。

それから間髪入れず始まる#2”WABI-SABI”は、1stアルバム『T H E』への回帰が見受けられた”TOKYO VAMPIRE HOTEL”と対になるような、今度は2ndアルバム『A N D』的なボーカルとコーラス主体に、しかしトリコットらしさに溢れた変則的なリズムで緩急を織り交ぜながら展開する曲で、この頭の2曲をワンセットみたいな形で聴かせる。その”トリコットらしさ”に溢れた幕開けから一転して、今作の象徴するような#3”よそいき”から導き出される言葉はただ一つ、それが「自由」だ。この曲はオルタナ然としたカッティング主体に展開し、イッキュウ中嶋の「イェイイェイ フッフー アーハー イエーイ」という軽快なボーカルワーク、そして2番目からはまさかの吉田美和がゲスト参加と思いきやリード・ギターキダ モティフォの歌とヒロミ・ヒロヒロの歌を織り交ぜた「トリプルボーカル」をブッ込んでくるほどの「自由さ」を発揮する。確かに、こう見ると確かに今作は「自由」っちゃ「自由」だが、しかしこれを「自由」という一言で片付けてしまったら、これまでのトリコットがやってきたことを全否定するような気もして、今作を「自由」という一言で片付けるにはあまりにも安易すぎないかと、僕が思うに、これは「自由」であること、それ以上に「自然」であると。

確かに、トリコットは初期衝動全開の『T H E』の変拍子だらけの音楽性が高く評価された。その反面、続く『A N D』では変拍子はただのギミックに過ぎないとばかり、そしてフロントマンであるイッキュウ中嶋の「#椎名林檎の後継者なの私だ」アピールを拗らせた、つまりイッキュウ中嶋が「ワンマンバンド化」を目論んだ、「アタシめっちゃ歌えるやん!」と勘違いを拗らせた「ただのJ-Pop」と各方面から批判された。つまり、僕が『A N D』のレビューで「こういうバンドこそメジャー行ったら面白い」と書いたことは、あながち間違いじゃあなくて、それくらいサブカルクソ女系のJ-Pop臭がハンパないアルバムだったのも事実で、それは一作目が高く評価されたバンドにありがちな「二作目のジンクス」みたいな側面もあって、その「脱変拍子バンド」を図った前作が批判されて日和った結果、この『3』では『T H E』『A N D』の中間みたいな、ロックバンドにありがちなクソ典型的な音楽遍歴を辿っている。「変拍子はただのギミックに過ぎない」のは、ある意味前作と何一つ変わっちゃあいなくて、その変拍子に囚われない「いい意味」でこの『3』でも踏襲している。つまり、変拍子祭りの『T H E』と脱変拍子の『A N D』で培ってきた基本的なことを忠実に守り、それを素直に表現しているという意味ではまさに「自由」と言える。

この『3』では、オルタナだマスロックだなんだ、他バンドからの影響だなんだ以前に、それ以上にトリコットなりに「普遍的なロック」を貫き通している。それこそ『T H E』『A N D』の間に生じた「意図的」な「変化」ではなく、この『3』では特定のジャンルや特定の何かを「意図的」にやろうとした気配はまるでなくて、もはや身体に染みついた「変拍子」という名の「意図的」でない「リズム」が「自然」に溶け込んでいくように、端的に言ってスタジオセッションで起こる「インプロヴィゼーション」の延長線上にある、生々しいオーガニックなトリコットなりのロックンロールを、すなわち『トリコロール 顔面朝勃ち女の章』を極めて自然体で鳴らしている。メンバー自身が、真正面からトリコットの音楽と向き合っている。これはもう、いわゆるメシュガーが「メシュガー」というジャンルなら、このトリコットは「トリコット」というジャンルだ。

この『3』を野球の球種で例えるなら、『T H E』でド真ん中のストレート、『A N D』で緩い変化球を投げてきたトリコットが、今度は「ストレート」でもあり「変化級」でもある「ツーシーム」を投げてきている。そう、「ストレート」だと思って打ちに(解釈しに)いったら手前で微妙に「変化」して、バットの根元に当たってバットがへし折れるあの「ツーシーム」だ。どうりで打てないわけだ。「ストレート」だと解釈して打ちにいってはどん詰まり、はたまた「変化球」だと予測して打ちにいっても綺麗に空振りしちゃうわけだ。何故なら、ストレートでも変化球でもそのどちらでもないのが「ツーシーム」=『3』だからだ。だから今のトリコットに野球で勝てるバンドっていないと思う。

前作の”E”を聴いた時は「デッ デッデッデーーーーーンwwwwwwwww」みたいなノリで、メタリカのマスパペでも始まるのかと思ったけど違って、今回は”DeDeDe”というタイトルで今度こそはガチでメタリカのマスパペカバーきたか!と思って聴いてみたけど違った。普通にオシャンティなジャズだった。中盤のハイライトを飾る「イー、アール、サン、スー」な#7”ポークジンジャー”では、『T H E』”おちゃんせんすぅす”を彷彿させるオリエンタルなチャイニーズ感を醸し出し、そのタイトルどおりきのこ帝国を彷彿させる白昼夢を彷徨うかのような幻想的なギターのリフレインが響き渡る#8”エコー”、キレッキレの転調や変拍子を巧みに織り交ぜながらオルタナとプログレの狭間を行き来しつつ、Misery Signals顔負けの叙情派ニュースクールハードコア然としたギターをフィーチャーした#9”18,19”ナムナムナムナムてホンマに出家しよるやんこいつってツッコンだ#10”南無”は、ふと仕事中に無限ループしてクソ迷惑だったのを思い出した。そして『KABUKKAKE EP』に収録された、最初期トリコットのリフ回しから”99.974℃”ばりの転調をキメる#12”節約家”まで、「アンチポップ」あるいは「アンチメジャー」の精神に溢れた、そして#3や#9をはじめ『KABUKKAKE EP』でも垣間見せたソングライティング面での成長、その確かな作曲能力に裏打ちされたトリコロールをぶっ放している。


ここまで書いたこと全部間違ってるし全部ゴミなんで忘れてもらっていいです。この『3』を発売日に買ってから今まで、頭に浮かんだイメージが定まらない上に全然まとまらなくて、頭が破裂しそうなくらいグチャグチャになりながらも、いざ書いてみてもやっぱりリズム感のないゴミ文章にしかならなかったからゴミ。確かに、この『3』でやってることはもの凄く「シンプル」で、しかし「シンプル」故の難しさみたいな所もあって、それは「普通」でいることの難しさでもあって、その音楽的な内面やガワの面では引っかかりがなくて俄然「シンプル」なのに、どこか別のところで妙な引っかかりを感じている自分も確かに存在して、事実このアルバムを初めて聴いた時は「気づいたら終わってた」みたいな感想しか出てこなくて、こう書くとあまり良いイメージを持たれないかもしれないが、逆にそれくらい初めて聴くのに異様に耳に馴染む感覚っつーのかな、実はその感覚こそこのアルバムの一番大事な部分のような気もして、しかしそれでも「核心的」な部分がまるで見えてこなくて、何だかすごく曖昧で、しかしこの言いようのない得体の知れない、恐ろしいナニカが潜んでいるような不気味な雰囲気に飲み込まれそうで。ここまで僕を悩ませたのは、全ては顔面朝勃ち女のメンヘラクソ女みたいな長文ブログ『シンプルがベストだと思う理由』を読んでしまったからで、特にこのブログの「CDが売れない時代」のくだりに引っかかって、何故なら僕は過去にフィジカルとデジタルの境界線に関するCDが売れない時代の話のくだりで、「椎名林檎よりもトリコットのCDを買って応援してやってほしい」と書いた憶えがあって、だからこのブログの内容を見てスゲー考えてんなこいつって思ったし、その流れで急にX JAPANネタぶっ込んできてクソ笑ったし、最終的に「自主レーベルでやりたいことを(自由に)やれてる」と「考え方をシンプルにしたかった」という話を聞いて、またしても僕は過去に「トリコットみたいなバンドこそメジャー行ったほうが面白くなりそう」みたいな事を書いてて、要するにこれらのイッキュウ中嶋の言葉は、自分が「トリコットの事を何も知らないジョン・スノウ」だったと、いや「知ろうともしなかったクソニワカ」だったと気付かされたし、このブログの内容に強く共感してしまった僕は、ヘラりながらも一つの答えにたどり着いた。それが、この『3』トリコットなりの「(実質)メジャーデビュー作」であるということ。

『3』=

この『3』は三枚目の『3』でもあり、三人組の『3』でもある。そして『3』という数字は、キリスト教にとって「三位一体」を意味する奥義であり、キリスト教にとって「神の世界」を表す聖なる数字でもある。この意味に気づいた時、この『3』に潜む「得体の知れないナニカ」を目の当たりにし、そしてトンデモナイ領域にたどり着いてしまったのではと、我々藤岡探検隊はただただ「恐怖」した。これまでのアルバムとは一線をがした、この『3』からにじみ出るような得体の知れないものこそ、全知全能の『神』そのものだったんだ。僕は、この『3』という「神の世界」の中でキリストと対面していたんだ。我々はその「恐怖」を前に体が硬直し、今更もう引き返せなかった。我々は全知全能の『神』と対峙した瞬間、もはや「ツーシーム」だとか「神降ろし」だとかそんなものはどうでもよくなっていた。僕は勇気を振り絞って最後の”メロンソーダ”を聴いた。すると涙が溢れ出して止まらなかったんだ。



この『3』は、今月いっぱいでバンドを卒業する佐藤千明と、今後は『3』ピースで活動していくことを宣言した、盟友赤い公園に対するトリコットなりのエールにしか聴こえなかった。初めてこの『3』を聴いた時から、特にアルバムの最後を飾るJ-POPナンバーの”メロンソーダ”がナニカを示唆しているようにしか聴こえなかった。その数カ月後、まるで『3』という数字が赤い公園の未来を暗示するように佐藤千明の脱退が公表されてから、改めてこの”メロンソーダ”を聴いたらもう涙が止まらなかった。確かに、この”メロンソーダ”イッキュウ中嶋の(顔面朝勃ち女らしからぬ)一際ポップでセンチメンタルな歌声をフィーチャーした、「ただのJ-POP」に聴こえるかもしれない。しかし僕には、決して「ただのJ-POP」には聴こえなかったんだ。今までずっと悩んできた全ての答えがこの”メロンソーダ”に詰まってるんじゃあないかって。皮肉にも、早々にメジャーデビューして「最悪の結末」を迎えた赤い公園とは逆に、「トリコットもメジャーいけ」という周囲の何者の声にも一切惑わされず、自身の音楽理念を信じ、それを一貫して貫き通してきたトリコットというバンドの生き様が込められた、そして「インディーズ」に足をつけながら「もしトリコットがメジャデビューしたら」という高度な「if(もしも)」を、この『3』で実現させている。これは赤い公園”サイダー”に対する”メロンソーダ”であり、赤い公園『猛烈リトミック』に対する『サン』である。最後にトリコットが示したのは、「インディーズ」にいながらも「メジャー」を超えることができるという力強い意志だ。それこそ赤い公園の津野米咲が掲げる”じぇいぽっぱー”としての「意志」を受け継ぐようなJ-POPでアルバムの最後を締めるあたり、これが「トリコットなりのJ-POP」であり、これが「トリコットなりのメジャデビューアルバム」だと、まさにマスロック界からJ-POP界へ殴り込みをかけるような歴史的名盤である。この『3』に込められた今のトリコットの生き様を見せられて、津野米咲は一体何を、そして佐藤千明は一体何を思う?

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ここまでの話は全部ゴミだからどうでもよくて、結局のところ僕がトリコットに伝えたいことはただ一つで、それはイギリスで開催されるArcTanGent FestivalTesseracTと共演した暁に、今度は是非ともTesseracTと一緒に日本でツーマンやってほしいということ。そもそも、このそうそうたるメンツの中に日本のバンドがいること自体相当凄いことで、つまり何食わぬ顔でこのメンツに名を連ねているBorisスゴい。事実、あのTesseracTを日本に呼べる、あるいは対バンできるバンドってトリコットしか他に存在しないと思うし。勿論、このTesseracT(テッセラクティー)TricoT(トリコッティー)の引かれ合いは、2ndアルバム『A N D』の中でTricoTが垣間見せたPost-Progressiveのセンス、その証明に他ならなくて、この『3』TricoTがますます世界的なバンドへと飛び立っていく未来を暗示するかのような一枚といえる。

3
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tricot
インディーズレーベル (2017-05-17)
売り上げランキング: 1,430

ポルカドットスティングレイ 『大正義』

02. ミドリ
03. シンクロニシカ
04. ベニクラゲ
05. 本日未明
06. 夜明けのオレンジ (大正義 ver.)

ポルカってよく見りゃブス、もとい「上坂すみれさん方式」で右斜45°からなら椎名林檎レベルの典型的な福岡女顔になるんだけど、そんな椎名林檎リスペクトな福岡女顔からオラついた巻き舌歌唱と、カッティングを駆使したトリッキーでリズミックな、ゲス以降のいわゆる「踊れるギターロック」を聴かせるテレキャスター・ストライプのMVが公開されると瞬く間に話題を呼んだ、マルチな分野で活躍するギタボの率いる超絶ハイカラギターロックバンド、ポルカドットスティングレイの1stミニアルバム『大正義』がもはや「売れる」予感しかしない件。



が尊敬してやまないトリコットのベーシストヒロミ・ヒロヒロがゲスト参加している今作は、アルバムのリードトラックとなる一曲目のエレクトリック・パブリックから、前作でポルカテレキャス】という自覚が芽生えたポルカ節全開の縦ノリを誘発するカッティングを主体に、しかしクラップを交えることでよりライブ感を意識したトリッキーなリフやギュンギュンなギターソロ、そして「脱椎名林檎」を図ろうかというような、ポルカのライバルとなるthe peggies的な大衆性(メインストリーム)とメジャー感を内包したの言葉遊びに富んだポップなボーカルやトリコット中嶋イッキュウリスペクトな脱力系のあゝコーラスワークまで、全ての音がエネルギッシュかつキレッキレで、この短い尺の中で緩急を効かせながら目まぐるしく展開していく。あの元メガデスのマーティ・フリードマンも激推しする”テレキャス”と比較して大きく違うのは、半ば強制的に椎名林檎の存在を意識させる一種の「クセ」を徹底的に排除し、よりメジャーシーンを的確に捉えた「ポップバンド」としての存在感をマシマシにアピールしている所だ。

ポルカって実はフロントマンのよりも、ギタリストエジマハルシ君が繰り出すメタル耳にも馴染む超絶怒涛のギタープレイが生命線だと思うのだけど、それを証明するかのような2曲目の”ミドリ”は、あらためてトリコットイッキュウ中嶋リスペクトなのぶっきら棒な一種の喜劇役者の如しボーカルワークを披露しつつも、エジマ君によるイントロの雨の日のように内相的なシティポップ感溢れるリフとサビのスリリングなバッキング、そして「お前はJanne Da Arcのyouちゃんかよ」とツッコミ不可避な流麗なソロワークまで、とにかくポストハードコア界のレジェンドThe Fall of Troyをはじめ、CHONSithu Aye、そしてPliniをはじめとした今流行の海外インスト勢にも精通するギターの音像や音のトーンというのが絶妙で、これだけで彼のギタリストとしての類まれなる才能を垣間見ることができるし、それこそマーティ・フリードマンがこのポルカに注目する主な理由って、他ならぬ彼のギターセンスにある。

一曲目と双璧をなすアルバムのリード曲となる3曲目の”シンクロニシカ”は、ポストハードコア然とした轟音をカチ鳴らすイントロから、ポルカらしいトリッキーなカッティングでスピーディに展開し、センチメンタルでありながらも衝動的なのボーカルとリヴァーヴを効かせたバッキングのギターが絡み合うサビ、そしてフュージョン/プログレ界隈のレジェンドギタリストばりにシブみの深いソロワークやヒロミ・ヒロヒロのキレッキレなベースラインを最大限に活かしたダイナミックでプログレスな展開力まで、その刹那的な世界観や音作りまで全てが凛として時雨リスペクトなキラーチューンで、正直ポルカの王道とは全く異なるタイプの曲調も書けるなんて思ってなかったから、これには意表を突かれたというか、初めて聴いた時は2秒で「はい推せる」ってなった。とにかく、この曲は一種の「ポストV系メタル」と言っても過言じゃあないし、それくらいエジマ君のギターが完全にメタルだし、特にアウトロのギターソロとか「どんだけソロ弾くんじゃコイツ最高かよ」ってなったし、ますますエジマくんの「ギターヒーロー」およびギタリストとしての「こだわり」や「ルーツ」が誰に、そしてドコにあるのか俄然興味が湧いた。正直、現時点で凛として時雨のサポートできる実力はあります。こんなん絶対にピエール歓喜するわ。どうせならヒロミ・ヒロヒロ345みたいに歌わせたらネタ的に面白かったかもしれないw

一曲目で「脱椎名林檎」と言ったな?ありゃ嘘だ。そもそも、このポルカをはじめ、トリコット赤い公園きのこ帝国を筆頭に、いわゆるガールズ系バンドで椎名林檎の影響を受けていないバンドを探すほうが逆に難しいくらい、その椎名林檎と同郷のポルカが影響を受けていないわけがなくて、むしろ逆に椎名林檎愛が暴走する4曲目の”ベニクラゲ”は、あざといくらいに林檎リスペクトなジャジーでアダルティなアレンジで聴かせるバラードで、雨のSEをバックにのアカペラで始まるメンヘラ感全開の導入部から、全体的に黒盤の頃の初期赤い公園を彷彿させるリフレインでゆったりとほの暗いムードで展開し、それこそ「#椎名林檎の後継者なの佐藤千亜妃やイッキュウ中嶋じゃなくて私だ」とツイッターにハッシュタグ付けてツイートしてそうな、まるで全盛期の鬼束ちひろばりに凄んだ歌唱法で不幸な女を演じきるからは、それこそ福岡出身の伝説のメンヘラSSWことYUIの存在、そのトラウマをデジャブさせ、つまり椎名林檎→YUIに次ぐ福岡女の系譜、福岡女特有の「メンへリズム」という名の伝統芸能を受け継ぐ現代のアイコンこそポルカだ。少なくとも、現状ではフロントマンとしての魅力や才能はイッキュウ中嶋を余裕で超えちゃってます。

ポルカのことを「ポップバンド」だと強調する。その言葉に未曾有の説得力を植え付ける5曲目の”本日未明”は、ファンキーなギターやイマドキな感じの零のボーカルまで、それこそ「これがメジャーだ!」みたいな爽やかなドポップチューンで、さっきの曲との振り幅がもの凄いし、ポルカだけにポルカリスエットのCMタイアップ取ってこれそうなレベル。しかし、ここまで色んなことやってきて、最後にこのポップソングを持ってこれるのはバンドの強みか、はたまた弱みか。6曲目には2015年の限定シングル”夜明けのオレンジ”の大正義版を収録し、6曲6色のポルカワールドを繰り広げている。

基本的な音は一昔前に流行ったマスロックをベースにしているんだけど、いわゆるマスロックというジャンルからイメージされるような変拍子を駆使した変態的な要素は皆無で、あくまでのバンドの最前提には「ポップス」があって、極端に例えるならトリコットから変拍子とメンヘラ臭い毒素をぶっこ抜いて、その代わりに「ポップス」の要素をブチ込んだようなバンドで、特にこのミニアルバムではYUKI矢井田瞳などメジャーな「J-POP」をしっかりと勉強してきたのが凄く伝わってくる内容で、前作のEPとは比べ物にならないアレンジ力の高さと個々のスキルアップとともに、とにかくサウンド面のメジャー感がグッと増している。初のミニアルバムだからと言って初期衝動的な特別なナニカがあるというわけではなくて、そこには綿密に計算された成熟感すら漂っている。これが「メジャー感」とやらなのか?

椎名林檎以降のJ-POP、凛として時雨以降のポストハードコア/マスロック、ゲス以降の「踊れるギターロック」を経由して、そして今のメジャーで活躍するポップ・ミュージックの中にパッケージングした、露骨に「売れ線」を狙ったぐうの音も出ない「ザ・売れ線」なのを頭で理解していながらも、「正義と踊れ」と命令されたら踊らざるをえない、その謎の説得力ったらない。伊達に2017年の「ネクストブレイク」とメディアから激推しされてない、その確かな才能に裏打ちされた高濃度の楽曲陣は、まさに「大正義」としか他に例えようがない。これは売れるわ。これは右斜45°からライブが観たい。

危惧することは、このままポルカが更にメジャー化しいていくにつれて、本当に「ただのポップバンド」になってしまわないかという事で、何度も言うけどポルカの魅力って、見せかけの「ただのポップバンド」かと思いきや、無駄にというか想像以上にギターがガチってたり、バッキングのリフがやけにカッコ良かったり、そして何よりもギターソロがメタル臭かったりする所で、確かに今後ポルカがどの方向性に進んでいくのか現状未知数ではあるが、そのバンドの生命線であるエジマくんのギターを蔑ろにしない限りは、最低限レベルでポルカの作品を聴き続けることはできそう。まぁ、その辺の「超えちゃいけないライン」は零もよく理解していると思うので心配ご無用か。

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ポルカドットスティングレイ
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ねごと 『ETERNALBEAT』

Artist ねごと
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Album 『ETERNALBEAT』
negoto

Tracklist
01. ETERNALBEAT
02. アシンメトリ
03. シグナル
04. mellow
05. 君の夢
06. DESTINY
07. cross motion
08. holy night
09. Ribbon
10. PLANET
11. 凛夜

DESTINY』のぼく
new_13「ねごとがNEXTステージへと向かうには【Satellites】のビートが必要だ(しかし、いくら優等生のねごとでも流石にできるわけがない!)」

    ねごと
蒼山幸子「できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!」

   ぼく
new_20131031220005「ほら!『4回』も『できるわけがない』って言ったぁ!ねごとはオワコン!」

   ねごと
澤村小夜子「ANATHEMAの未来ことBoom Boom Satellitesと邂逅してシン・ねごとになったぞ」

  ぼく
new_UJ「なにそれすごい」

なんだろう、「運命の引かれ合い」って、漫画の世界の話だけじゃなくて現実の世界でも起こりうるんだなって、そう実感させられた出来事だった。僕は、2015年作のVISIONの時にねごとの事に対して、何の根拠もないままに「いま最も評価されるべきバンド」と断言したけれど、その言葉は何一つ間違っちゃいなかったんだって。
 
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というのも、その『VISION』から約3ヶ月後に発表されたシングルのDESTINYの時に、僕はねごとメンバーに対してANATHEMAの”Distant Satellites”みたいな曲が書けるかという『レッスン4 できるわけがない試練』を与えた。そのシングルのDESTINYで、ロックバンドとして一段と成熟した今のねごと「オルタナティブバンド」としてNEXTステージに行く為には、それこそ”Distant Satellites”みたいな実験的なロックを極めるしか他に道はないと。だから僕は前作『VISION』の時から記事中に【ANATHEMA】【Satellites】というキーワードという名の伏線を忍ばせていて、それ以降も事あるごとに執拗にねごとANATHEMAの存在をリンクさせてきた。



もっと面白いのはここからで、僕はねごと『VISION』を聴いた翌月に、(tricotに釣られて)名古屋クワトロでBoom Boom Satellitesのライブを観て、アルバムSHINE LIKE A BILLION SUNSを聴いて、そして【Boom Boom Satellites=ANATHEMAの未来】である事を確信した。ご存じのとおり、ANATHEMAは通算10作目となるアルバムDistant Satellitesの中で実験的な、それこそ「オルタナティブバンド」たる所以を証明するかのような、プログラミングやエレクトロな打ち込み系の音を駆使したダンサブルなサウンドを展開し、中でも表題曲となる”Distant Satellites”の鼓動を激しく打ち付けるようなエレクトロなビートとダイナミクスを内包したロックなビートが融合した姿は、まさにBoom Boom Satellitesの音世界そのものだった。
【2015年8月31日】ANATHEMA 奇跡の来日公演
【2016年5月31日】Boom Boom Satellites活動終了
【2017年3月19日】ねごとの『ETERNALBEAT』を書き上げる
【2017年3月20日】ねごとの『ETERNALBEAT』ツアーを観る(宇宙の終わり)
 
正直、あの時は「ねごとのNEXTステージはANATHEMAのDistant Satellites」だとか、「Boom Boom Satellites=ANATHEMAの未来」だとか、一体ナニを思って書いたのか自分でもよく分かっていなくて、そもそも自分は基本的にレビューを書く時に最も重視するのが「ひらめき」で、そしてスキあらば伏線を散りばめていく文章スタイルなのだけど、2014年にDistant Satellitesがこの世に爆誕して以降、その翌年の2015年にねごとANATHEMABoom Boom Satellitesのライブを観たこと、そして2016年にBoom Boom Satellitesが活動終了を発表するまで、それら一連の流れと伏線をまとめた上記の時系列を見れば、今回の『運命』すなわち『DESTINY』”引かれ合い”はその「ひらめき」が上手くハマった結果の出来事だったというのが分かるハズだ。というより、ここ三年はこのアルバムを書くためのちょっと長い準備期間だったのかもしれない。僕は常に、いつだってどんな時もどんな時もねごとの事を気にかけていた、というのは流石に嘘だけれど、ここ三年の僕は『地球』に存在しながらも『Satellites』という『衛生音楽』を介して『宇宙』を彷徨っていた、そんな気がしてならなかった。同時に僕は、2015年度BESTの記事の中で2015年は『繋がり』を強く意識させた年だと言及したけれど、その『繋がり』を感じた最もたる部分の一つが、他ならぬねごとを中心とした人物と音楽だったのは、今さら言うまでもない。

もう何を言いたいのかお分かりの方もいると思うが、このねごとは僕が与えた試練、その「答え」として、Boom Boom Satellitesが残した『魂』のビートを「受け継ぐ」ような形で、昨年の『アシンメトリ e.p.』、そして本作の『ETERNALBEAT』へと『繋がって』いる。その100点満点の回答に対して僕ができる唯一のことと言えば、赤ペン先生ばりに上から目線で100点満点の返信をするしかなくて、つうか、こんな回答出されたら100点付けて終わりじゃんこれ。俺もう何も言えねぇじゃん。「エモい」とか「泣ける」とか、そんなチープな言葉じゃ何も伝えられない。自分の語彙力のなさに泣けるくらい。というか、こんなとんでもねぇアルバム聴かせられたら、僕が何を書こうと『説得力』のカケラもないし、正直ナニも書けないからもうナニも書きたくないです。



ねごと
Boom Boom Satellites(ANATHEMAの未来)との邂逅という名の引かれ合いが実現した”アシンメトリ”は、シン・ねごとという名のシン・ブンブンサテライツ譲りのイントロから打ち込み主体のダンサブルな、鼓動を打ち付けるような音のビートが波紋のビートとなって体全体に刻み込み、中盤以降のアトモスフェリックな空間表現や崇高さ漂うコーラスワーク、そしてギターの残響音が宇宙を構成する無数無限の微粒子となり、それこそ【左右非対称】や【不均衡】という意味合いを持つ『アシンメトリ』という無数の四次元立方体(テッセラクト)が無限に不均衡に重なり合って、この『ETERNALBEAT』という名の三次元と五次元を繋ぐ『ワームホール』への入り口をこじ開けていく、その姿はまるで自らの手で『運命』『未来』を切り拓いていくねごとの生き様を、この宇宙この銀河の果てまで映し出すかのよう。

ねごとがデビュー当時から一貫してきた「オルタナティブ・ミュージック」への探究心は一つの極地へと到達し、この宇宙からもの凄く遠くて(Distant)、ありえないほど近い銀河の果てにある”ANATHEMA””Boom Boom”という2つの”Satellites=人工衛星”が取得した惑星データと量子データを応用して、相対性理論やくしまるえつこがソロで解き明かした宇宙最大の謎である「特異点」と同じ答えをワームホールに示し出し、そして遂にねごとは次元の壁を超えてThey=彼らと再会する。これにはえつこX次元へようこそとばかり、人工衛星マギオンからほくそ笑んでいるに違いない。冗談じゃなしに、今のシン・ねごとの比較対象ってその辺のガールズバンドじゃなくて、わりとマジでやくしまるえつこ率いる相対性理論だと思う。
 

ねごととダンスミュージックの融合、その相性はアルバムの幕開けを飾る表題曲の”ETERNALBEAT”から遺憾なく発揮されていて、前作のようなロック歌唱ではなくウェットでシットリした幸子(Vo,Key)のオトナ系ボーカルをリードに、この『ETERNALBEAT』という名の小宇宙の幕開けを飾るに相応しい、ミラーボールのようにカラフルなサウンドと永遠に鳴り止まない「始まり」のビートを刻んでいく。”アシンメトリ”と同じく、BBSの中野雅之氏がプロデュースを手掛けた#3”シグナル”は、クラブ系のイントロからバッキバキなエレクトロニカを効果的に鳴らしつつも、要所で幸子のボーカル&キーボードと瑞紀のギターでメリハリを効かせながら展開し、クライマックスではギターのリフとクラップで縦ノリ的な盛り上がりを見せる。

シングル『DESTINY』 の時に「グリッチホップっぽい」と一体どういう意図で書いたのか、自分でもよく分からないのだけど、この4曲目の”mellow”のグリッチホップ的なトラックを耳にしたら至極納得したというか、それこそ同シングルに収録された瑞紀が手がけた”シンクロマニカ”のリミックスという名の伏線を回収するかのような一曲だった。哀愁を帯びたメロディを歌いこなす幸子のボーカルと、そのリミックス風のクール&ドライなトラックが、絶妙な切なさとエモさを呼び起こすバラードナンバーだ。また幸子が奏でるマリンバのノスタルジックな音色が絶妙なアクセントとしてその存在感を示している。

まるで森田童子みたいなノスタルジーの世界へと誘うような、幸子の歌と小夜子と瑞紀のコーラスでゆるふわっと始まる#5”君の夢”は、ある種のドラムンベース的な疾走感溢れるビートを刻むトラックとファンタジックなプログラミングが、まるで白昼夢を見せられているかのような、摩訶不思議なシン・ねごとワールドを構築していく。



なんだろう、何度も言うけどこの”DESTINY”ってねごとの音楽人生、その未来を大きく変えた、言うなれば【特異点】だったと思うのだけど、なんだろう、「全てはここから始まった」じゃあないが、なんだろう、それこそ【過去のねごと】【現在進行系のねごと】【未来のねごと】を紡ぎ出すキートラックというか、なんだろう、ねごと『運命』すなわち『DESTINY』を繋ぐいわゆる四次元立方体(テッセラクト)的な役割を担っているのがこの曲で、このシン・ねごとによる『ETERNALBEAT』の実験的なアルバム前半の曲と、ex-ねごとらしいバンド・サウンド全開でお送りするアルバム後半の曲、それぞれ別次元に存在する粒子を同次元へと繋ぐワームホール、すなわち橋渡し的な役割を担っている。

この”DESTINY”という【特異点】を起点に、打ち込みを駆使したアルバム前半の実験的な流れから一転して、持ち前のエネルギッシュなバンド・サウンドを全面に押し出してくる。ROVOの益子樹氏プロデュースの#7”cross motion”やシングルにも収録された同氏プロデュースの#8”holy night”では、イントロからスペースワールド感&ピコピコ感マシマシの曲で、特に#7はガールズ・バンド界のレジェンドZONE愛を伺わせる幸子のボーカル・ワークが個人的にお気に入り。

アルバム終盤は、前作『VISION』のバンド・サウンドを継承した”Ribbon”、ゆるふわゲーこと『リトルビッグプラネット』風のゆるふわな世界観の中で軽快なロック・ビートを刻んでいく#10”PLANET”、そしてYUI”TOKYO”を彷彿とさせる切ない歌詞をエモく歌い上げる幸子の歌とバラエティ豊かな幅広いアレンジを効かせたアコースティックなトラックがサイコーなラストの#11”凛夜”まで、アルバム後半はex-ねごとらしいバンド・サウンド主体でありながらも、アルバム前半の実験的なサウンド・アプローチを受け継ぐ所はシッカリと受け継いでいる。とにかく、聴き終えた後の「余韻スゲぇ...なんだこのアルバム...宇宙かよ」ってなる。なんだろう、「傑作」とかそんな生半可なもんじゃあないです。単純に「僕の好き」が詰まってる。なんだこれ。

このアルバム、もはや『進化』というよりも『突然変異』と表現したほうが正しいのかもしれない。確かに、前作の『VISION』でド真ん中のストレートな、それこそ自分たちの中でナニかが吹っ切れたようなバンド・サウンドを展開していたねごとが、なぜ一転して打ち込み主体のダンサブルな縦ノリ系のバンドに変貌を遂げたのか?しかし、果たして本当に突然変異なのだろうか?元々、ねごとメンバーの4人が織りなすバンド・サウンドには、グルーヴィでアンサンブルな縦ノリにも横ノリにも強い、ロックバンドとしての柔軟性の高さとそのスキルが備わっていて、だからこの手の打ち込み系との相性もグンバツなのは聴く前から分かりきっていたし、そして何よりも以前からギターの沙田瑞紀がリミックス音源を通して「実験的」なサウンド×ねごとを散々試みてきた事もあって、むしろこの『突然変異』はイメージ通りでしかなかった。あの”アシンメトリ”にしても、そのまんまBoom Boom Satellitesのビートを借りてきたというわけじゃあなくて、あくまでもねごとがデビュー当時から一貫して探求してきた『宇宙』に対する強い”憧憬”と元々の素養から全ては内側から生まれ出た音であり、そのBBSから受け継いだ『魂』のビートと「ガールズバンドねごと」としてのファンタジックなポップネスが、ワームホールを抜けた先にある宇宙の果てでクロスオーバーした必然の結果に過ぎない。つまり、【彼ら=They】が作り出した五次元空間の中で見た【未来のねごと】は、その【彼ら=Theyの正体が実は【ex-ねごと】だったという宇宙の『真実』に到達していたんだ。

あらためて、今作はねごとの音楽的価値観が宇宙を一巡して一回り大きくなってスケール感を増した、シン・ねごとによるオトナ・サウンドを展開していく。彼女たちの音楽的な見識の広さとロック・バンドとしての柔軟性を垣間見せるような、それこそ「オルタナティブバンドとしてのねごと」が持つプライドとポテンシャルがビッグバンを起こした奇跡的な作品だ。楽曲のアレンジ力が格段にアップしたこと、特にトラック面の強化は目を見張るものがある。今作におけるボーカル&キーボード担当の幸子の歌は、無理に声を張り上げるような歌い方ではなく、非常に落ち着いていて相当耳障りが良くてオトナっぽいです。彼女の「ボーカリスト」としての成長および変化は、このアルバムの中で地味に大きな微粒子として存在しているし、ほんの微粒子レベルに些細なことかもしれないが、その微粒子レベルの変化が及ぼす大きな『バタフライ・エフェクト』は地味に評価されるべき所だと思う。単純に歌ってるメロディが心地いい。つうか、そろそろ幸子はANATHEMAヴィンセントChvrchesローレン・メイベリーみたいにドラム叩き始めそうな予感。
 
『繋がり』という点で言うと、シン・ねごとBoom Boom SatellitesROVOもソニー系列のバンドで、面白いことにANATHEMAも「彼らが最もオルタナティブやってた」と評される中期の頃に所属していたMusic for Nationsの親会社がソニー・ミュージックと合併してソニーBMGとなり(詳しくは『Fine Days: 1999 - 2004』参照)、そして2004年にMFNは正式に閉鎖され、ご存じそれ以降のANATHEMAは露頭に迷ってしまうのだが、しかし今思うと、その合併騒動がなければ【今のANATHEMA】は存在しなかったかもしれないし、そう考えると【バタフライ効果】【オルタナティブ】には”引かれ合う”「ナニか」があるのかもしれない。そういった些細な『繋がり』からも、ソニーがやってる事業で一番評価されるべきなのって、ソニー損保のCM事業でもゲーム事業でもなくて音楽事業だよなって再確認した次第。今のねごとは、ソニーの「モノづくり」に対する【オルタナティブ】な姿勢とその信念を受け継ぎ、それを守り続ける音楽界最後の砦、言うなれば「邦楽界のマシュー・マコノヒー」すなわち「シン・オルタナティブ・ヒーロー」だ。彼女たち4人の他に「代わりは、代わりはいないんだ」。

昨今は「ガールズバンド戦国時代」だなんだと囁かれているが、正直そんなことより「ガールズバンド戦国時代」という名の「殺し合いの螺旋」から降りた今のねごとの生き様に刮目せよと、「いま最も評価されるべきバンド」以前に、「いま最も面白いバンド」であり「いま最もカッコイイバンド」でもあり、そして「いま最もオルタナティブなバンド」がこいつらだって、今のねごとを正当に評価してから戦国時代だなんだと騒げよと、ハッキリ言って今のex-ねごとの前では「ガールズバンド戦国時代」なんて子供のお遊戯会でしかない。わかったか、ガルバンの当て振り鳩女ども。

実際にねごとは、「いま最も評価されるべきバンド」その根拠をこのアルバムで、宇宙最大の難問である「特異点」の方程式を解き明かすことで、それを証明してみせた。なんだろう、僕自身がこの『ETERNALBEAT』における『バタフライ・エフェクト』その一部の粒子として存在していた、な~んて勘違いも甚だしいのは重々承知の助だし、なんかもう「ありがとう...」それしか言う言葉がみつからないというか、こんなビッグバンレベルのアルバム出しちゃっていいのかよって。もう本当にナニも言えねぇ。当然、僕はこの【シン・ねごと路線】を全面的に支持するというか、ねごとはこれまで数々の伏線を辿ってきて『今』という『未来』を描いているので、やっぱ何も言えねぇし、やっぱ瑞紀サイコーだ。
 
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ねごと
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DECAYS 『Baby who wanders』

Artist DECAYS
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Album 『Baby who wanders』
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Tracklist

01. Aesthetics of the transgression
02. Zero Paradise
03. 愛と哀を遺さず... <Baby who wanders Ver.>
04. Drifting litter
05. Where are you going?
06. Vagabond
07. Imprisonment Leaving
08. シークレットモード
09. HELLO!NEW I
10. Eve
11. Rana
12. D/D
13. 綺麗な指

今どきロックバンドのフロントマンがソロプロジェクトを始めるなんて事は珍しくもないし、むしろソロ活動しない方がおかしいレベルで、同じようにフロントマン以外のバンドメンバーもソロプロジェクトなるものを始めるのも何も珍しいことではないし、むしろフロントマンのソロ活動以上に活き活きとしてるのが多いくらいだ。それは、僕がティーンエイジャーの頃に夢中だったJanne Da Arcも決して例外ではなかった。ジャンヌダルクは今から約10年前に活動休止状態に入ると同時に、メンバーはそれぞれソロ活動を開始し、ご存じフロントマンのyasuAcid Black Cherryとかいうソロプロジェクトを継続して早くも十周年を迎える。その後、ベーシストのka-yuDAMIJAWとかいう自身のバンドを立ち上げ、ドラムのshujiおじさんもサポメンみたいな形でバンドに参加していた。でもちょっと待ってほしい、この話のポイントはバンドのソロ活動に対する賛否の話ではなくて、例えばロックバンドのフロントマンが自身でボーカルを務めるソロバンドを組むのは誰も疑問に思わないが(例ABC)、ではフロントマン以外の、例えばベーシストやギタリストがソロプロジェクトでバンドを組んだ場合(例DAMIJAW)、肝心のボーカルは一体誰がやるんだ・・・?という単純な疑問が生まれる。僕は、そんなシンプルな疑問を抱えながら、いざダミジョウ初音源のサンプルを試聴した時→え、これ歌ってるの粥やん。いやいやいや、粥めっちゃ歌ってるやん。いやいやいや、なに歌ってんねん粥ってなったし、その時の驚きというか不思議な感覚は、今でも昨日のことのように思い出せる。
 
その例え話と全く同じ話がこのDECAYSだ。DIR EN GREYのフロントマンであるは、sukekiyoとかいうソロプロジェクトを始めて久しいが、このDECAYSはギタリストのDieMOON CHILD樫山氏を中心としたユニットで、現メンバーにはシンガーソングライターの中村中と「美人過ぎるバイオリニスト」のAyasaを迎えた6人編成となっている。しかし、およそ10年前に「粥のトラウマ」を経験している僕は、一抹の不安を抱えながら、2016年に発表された彼らのメジャー1stアルバム『Baby who wanders』を聴いてみた。

    Die
DIEナントカカントカトランスミッション! 

 ぼく下僕
new_136947878325513121615_jojorion20_2「ナントカカントカトランスミッション?!」 

    Die
DIEナントカカントカトランスミッション!」 

 ぼく下僕
new_18「粥ダミジョウ...寄与ツイッタ芸人...湯ギター侍...修二オッサン...うっ、頭が」 

僕は耳を疑った。「いやいやいや、ダイ君めっちゃ歌ってるやん。いやいやいや、ダイ君めっちゃナントカカントカトランスミッションしてるやん」と。 それこそ、「粥のトラウマ」が10年の時を経て現代にトランスミッションしたかと思った。まぁ、厳密にはAesthetics of the transgressionなんだけど、アルバムの幕開けを飾るこの曲は、近未来溢れるモダンな電子音とベースがウネウネと鳴り響く妖しげなイントロから始まり、「90年代」という今よりはまだ日本がイケイケだった頃の音楽シーンを賑わせたTKこと小室哲哉TM NETWORKリバイバルみたいなDie君によるナントカカントカトランスミッション!X JAPAN”WEEK END”を彷彿とさせるサビメロ、要所でAyasaの妖艶に演出するヴァイオリンをフューチャーしつつ、Die君のパリピボイスと中さんによるツインボーカルならではの掛け合いを披露し、つまり90年代のパリピ音楽を作り上げたTKとV系とかいうジャンルをメインストリームにブチ上げたX JAPAN(YOSHIKI)とかいう日本の音楽界にムーブメントを起こした二大アーティストが、約20年の時を経て『音楽』という名の『五次元空間(ワームホール)』の中で邂逅した・・・って、それどこのV2だよ。



その幕開けから、それこそMOON CHILDとかいう90年代を代表する”ESCAPE”だけの「一発屋」をはじめ、バブル崩壊後とは言えまだ日本がイケイケだった頃の謎のパリピ感というか無駄に自己評価の高いキモナルシスティックな社会的ムード、その良くも悪くもノスタルジックな世界観および音像をこの21世紀に蘇らせるのが、このDECAYSというバンドだ。と思えば、2曲目の”Zero Paradise”では一転してメロコア然とした疾走感溢れるサウンドに爽やかなDieのボーカル・メロディを乗せたシンプルでキャッチーなギターロックが聞こえてきて、それこそティーンエージャー向けのポップな青春エモパンクみたいな曲で、僕は「ダイ君これダミジョウよりわかんねぇな...」とか思いつつも、とにかくその感情表現豊かなクサい歌詞を筆頭に、全ての面においてDie君がDIR EN GREYでやってる事と180度違う、もはや可愛いメイドさん達が「北斗の拳イチゴ味」みたいなノリで鬼ごっついメタルやること以上の「ギャップ萌え」は面白いっちゃ面白いかもしれないが、その「面白さ」より勝るのが「戸惑い」であることは、このアルバムを再生すれば2秒で分かることだ。

Dieがメインボーカルを務めた”Zero Paradise”と対になる曲で、今度は中さんがメインボーカルとなる3曲目の”愛と哀を遺さず...”、このDie中さんがそれぞれメインを飾る、言うなればダブル・リードソングでアルバムのツカミを強烈に演出する。また一転して、まるで魔界に迷い込んだような重苦しい世界観が繰り広げられる#4”Drifting litter”は、それこそ魔界で開催される晩餐会の大トリを務める『闇の宝塚』歌劇団、その男役トップに君臨する中さんと女役トップのDie君が織りなす凄艶じみた舞踏会である。これ初め聴いた時は、男のゲストボーカルかな?と思ったら普通に中さんでビビったというか、中村中さんって時々男性ボーカルに聴こえるくらい中性的というか独特の歌声の持ち主で、だから偶に中さんの声とDieの声が男女逆転して性別不能になるというか、それこそジェンダーの壁を超えたツインボーカルは、このDECAYSを語る上で欠かせないとても大きな魅力の一つと言える。

このDECAYSの妖艶な世界観を作り上げるのに最も効果的な存在としてあるのが、他ならぬ「美人すぎるヴァイオリニスト」こと岡部磨知もといAyasaだ。つうか、「美人すぎるヴァイオリニスト」って何人おんねん!とツッコミたくなる気持ちを抑えながらも、Ayasaの他を顧みず自由気ままに弾き倒すヴァイオリンの存在は、DECAYSの耽美的かつ官能的な異世界設定の根幹を司る重要な演者であることは確かだ。そのAyasaSubRosaばりに妖しく響き渡るヴァイオリンを大々的にフューチャーした#5”Where are you going?”中さんメインの曲でちょっとだけDirっぽいネットリ感のある#6”Vagabond”、今度はジェンダーの垣根を超えた二人のツインボーカルが冴え渡る曲で、モダンなV系っぽい雰囲気を纏った#7”Imprisonment Leaving”、再び90年代風のナルシスティックさとディスコ感溢れるビートを「鼓動」のようにズンチャズンチャと刻みながら高速道路を駆け抜ける#8”シークレットモード”Boom Boom Satellitesリスペクトなデジロックの#9”HELLO!NEW I”、Dirにも通じるDie君らしい神秘的かつメロディアスなギターから壮大に展開していく#10”Eve”は今作のハイライトで、キーボードのポップなメロディを乗せたアップテンポで疾走感溢れる#11”Rana”AyasaのヴァイオリンとDie君らしいギターとエロい歌声が織りなす#13”綺麗な指”を最後に、この悪魔城の奇妙な晩餐会は盛大のうちに幕を閉じる。これはアニメ『悪魔城ドラキュラ』の主題歌あるんじゃねー的な。

正直、Die君がナントカカントカトランスミッション!とか言い始めた時点で、10年前の「粥のトラウマ」が蘇って聴くのやめようかと思ったけど、次々に曲を聴いていくうちにその「戸惑い」は晴れ、 「これ普通にダサカッコイイじゃん」ってなります。確かに、DIR EN GREYというバンドからイメージされる音楽からは程遠い、【TKパリピサウンド×90年代V系】からBIGMAMAを彷彿とさせる歌モノ系のメロコア曲まで、それこそ中心でやってるsukekiyoよりもDie君以外のメンバーの存在感が強すぎるお陰で、音楽的な方向性がどうこうよりも割りと好きなことを好き勝手にやってる印象。TK的な音楽という意味でも、このDECAYSって冷静に見ると相当エイベックスの息がかかったメンツが揃ってるんだけど、でもこれだけ濃ゆいメンツを集めて、そのそれぞれに尖った個性をよくここまで一つにまとめたな感は、このアルバムで最も感心させる所だ。

失礼ながら、自分の中で中村中のイメージって随分前にMステ出てたくらいの印象しかなくて、それこそロックを歌うイメージなんてなかった。でも今回のアルバムを聞いたら、中さんとロックって思いの外ハマってるというか、もの凄い適当なことを言うと中さんて凄い「パンクだな」と感じる所があって面白かったし、シンガーソングライターの彼女にとってもバンドのグループの一員として歌うのは全くの「新境地」だと思う。そのメンバーそれぞれの「新境地」という科学的要素の集合体が化学反応を起こし、DECAYSとして産声を上げ、そして『Baby who wanders』の中で花開いている。
 
Baby who wanders(通常盤)
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DECAYS
ドリーミュージック (2016-12-07)
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宇多田ヒカル 『Fantôme』

20160809-utadahikaru

Tracklist

01.
02. 俺の彼女
03. 花束を君に
04. 二時間だけのバカンス (feat. 椎名林檎)
05. 人魚
06. ともだち with 小袋成彬
07. 真夏の通り雨
08. 荒野の狼
09. 忘却 (feat. KOHH)
10: 人生最高の日
11: 桜流し

ヒッキーこと宇多田ヒカルの約8年ぶり通算6作目となる新作、その名も『Fantôme』はフランス語で「幻」や「気配」を意味する言葉らしい。

自分の中で宇多田ヒカルっていうと、まだ日本で音楽番組が盛んだった時代に一世を風靡した女性歌手、みたいな漠然としたミーハーなイメージしか持っていないのだけど、当然、代表的な曲はTVや街中から聴こえてくるBGMとして耳にしていたからよく知っている。しかしどうだろう、今の時代どの街を歩いてみても「音楽」というか「音」そのものが街中から消えてしまった、ここ数年そんな言葉をよく耳にするようになって久しい。

では最近、「宇多田ヒカル」の名前を明確に意識したのって何時だろう?と記憶を巡らせてみた。それは数年前に『宇多田ヒカルのうた -13組の音楽家による13の解釈について-』をたまたま姉から譲り受けて聴いた時だった。この作品は、ヒッキーと同じ1998年デビュー組の椎名林檎浜崎あゆみをはじめとした著名なアーティストが宇多田ヒカルの名曲をカバーしたコンピレーション・アルバムで、日本がまだ音楽に対して強い関心があった時代にシノギを削り合ってた歌姫同士が、十数年の時を経て互いに認め合うかのようでもあって妙に胸がアツくなった。

思わず「ハッ」っと目が醒めるようなイントロで始まる一曲目の”道”から、荊棘のように険しく、しかし薔薇のように美しい『人生』という名の『道』を力強く踏みしめていくようなリリックと、往年の宇多田ヒカルらしくもありながらも、しかしwoob woobもといダブステップなどのイマドキ感溢れる打ち込みを擁したR&B調のリズム&ビートを刻んでいく、それこそオープニングを飾るに相応しいアリアナ・グランデもビックリの「王道的」な「ポップス」で、もはや「日本の音楽は全て宇多田ヒカルから始まる」と言わんばかりの、それこそ「シン・J-POP時代」の幕開けを宣言するかのような名曲だ。この曲だけで海外のitunesチャートを一時席巻したというヒッキー本人もビックリのニュースに多少なりの説得力が持てるんじゃあないだろうか。

何が面白いって、それこそこの『Fantôme』を勝利への『道』へと、スピリチュアな『道』へと導くかのようなイントロ及びバッキバキの打ち込みやミニマルなフレーズを耳にした瞬間、天声ジングルをドロップした相対性理論やくしまるえつこが嫉妬して更に病んでしまう事案が容易に想像できてしまったことだ。世界中の人が「これが本物のJ-POPなのか」と思ったハズ。あとサビに挟まれる「Run」がyoutubeのドッキリシリーズ『Jalals Run』を思い出してどうしても笑ってしまう。

まるで全てのJ-POPを過去のものにするかのような、大袈裟じゃなしにそれくらい今のJ-POP界に大きな風穴を開けるような”ファースト・インパクト”となる幕開けの余韻に後ろ髪を引かれながらも、盟友椎名林檎リスペクトな少しオラついた歌い方で始まる二曲目の”俺の彼女”は、男視点のダーティな歌詞と女視点の歌詞を演じ分ける”ジェンダー”なボイス・パフォーマンスを筆頭に、中盤から終盤にかけて美しくも儚い人生を優雅に彩るようなストリングスを全面に押し出した、それこそポスト-系にも通じる壮麗優美な展開には只ならぬエネルギーを感じさせる。あと終盤の「俺には夢がない~」以降のもう本当にどうしようもない歌詞がもう本当にどうしようもなくてサイコー。

『ブス姉ちゃん』こと高畑充希主演の朝ドラ主題歌として、毎朝半ば強制的に聞かされていた三曲目の”花束を君に”、フレンチポップみたいなイントロから始まる四曲目の”二時間だけのバカンス”では椎名林檎とのデュエットを披露していて、正直椎名林檎が宇多田ヒカルの曲をカバーしただけでも十分凄いことだというのに、まさか宇多田ヒカルのオリジナル・アルバムでガチでコラボしちゃうなんて思いもしなかったというか、これは朝ドラ主題歌の件もそうだのだけど、ここ最近の椎名林檎の目覚ましい活躍が活動休止中のヒッキーにどれだけの勇気と刺激を与えたのか、そしてどれだけ大きな影響を与えたのかが分かる事案でもある。もはや禁断の果実の如し、アンタッチャブルな二人の歌姫による小百合ナンバーだ。

ハープの音色による幻想的な世界観を繰り広げる#5”人魚”、小袋成彬氏をゲストに迎えた曲でtoeっぽいミニマルなアコギ主体の#6”ともだち”、某ニュース番組のED曲の#7”真夏の通り雨”、オシャンティなトラックと歌謡曲を経由した往年のJ-POPらしいヒッキーの歌が素晴らしい8”荒野の狼”、アトモスフィアな音響空間の中で日本語ラップ界の新生KOHHによって尾崎豊を現代に蘇らせる#9”忘却”、そのタイトルどおりめっちゃ前向きなJ-POPチューンの#10”人生最高の日”

実はカバー集の『宇多田ヒカルのうた』よりも前に「やっぱ宇多田ヒカルってスゲーわ」と思い知らされた出来事があって、それが『新劇場版エヴァンゲリオンQ』の主題歌として起用された”桜流し”を聴いた時だ。この曲を初めて耳にした瞬間、昨年奇跡の来日公演を果たしたANATHEMA”Untouchable, Part 2”が脳裏に過ぎったくらい、いわゆるPost-系バラードの一つの完成形で、僕はここでも「なぜ日本におけるPost-Progressiveとかいうジャンルが女性的なジャンルであるのか」を再確認した。もっとも面白いのは、この曲はヒッキーとイギリス人プロデューサーであるポール・カーター氏の共作であるところで、このそこはかとないUKミュージックっぽい感じの正体は、他ならぬ彼によるものだったのだ。

まるでメンヘラクソ女の自撮りみたいなジャケから放たれるは、『シン・J-POP時代』の幕開けだった。自分は熱心な宇多田ヒカルフアンとかではないので、このアルバムを椎名林檎『日出処』相対性理論天声ジングルというメンヘラサブカルクソ女フィルターを通してでしか分析できないが、正直それ抜きにしてもJ-POPとして文句なしの傑作だし、この日本にはまだ「曲が書ける」人が存在するんだって素直に喜びを噛み締めた。でもやっぱり椎名林ンゴの影響力ってスゲーな思うし、恐らく2020年に開催される東京ンゴ輪ではきっと何かしらの楽曲提供、あるいは林ンゴと一緒に音楽面でのバックアップが期待できると思うし、当然期待したい。あと始めと終わりの曲がずば抜けて凄いところや、”人生最高の日”から”桜流し”の流れが、『天声ジングル』”おやすみ地球”から”FLASHBACK”の流れに似たナニかを感じたから、やっぱこれ聴いたえつこ嫉妬してヘラってるわ多分。

今のように複数形態やCDという名の握手券などの”アコギ”な売り方が当たり前ではなかった、「あの頃」のように通常一形態でのリリースという潔さからは、正しい音楽のあり方を、正しい音楽の楽しみ方を忘れてしまった現代の僕たちを戒めるかのよう。まるで宇多田ヒカルというファントームに導かれ、「あの頃」と全く同じ音楽体験そのノスタルジーと記憶をフラッシュバックさせる。もはや宇多田ヒカルの歌声は、「音楽」の価値というものが著しく失われつつあるこの現代社会を生きる人々に、まだ「音楽」が日常として身近に存在していた「あの頃」と同じように、それ即ち「気配」と同じように人々の側にソッと常に寄り添うかのよう。まさしくこれが「生ける音楽」なのかもしれない。
 
Fantôme
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宇多田ヒカル
Universal Music =music= (2016-09-28)
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