Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

邦楽

相対性理論 『天声ジングル』

Artist 相対性理論
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Album 『天声ジングル』
2016041100199_1

Tracklist

01. 天地創造SOS
02. ケルベロス
03. ウルトラソーダ
04. わたしがわたし
05. 13番目の彼女
06. 弁天様はスピリチュア
07. 夏至
08. ベルリン天使
09. とあるAround
10. おやすみ地球
11. FLASHBACK

「相対性理論は死んだ」

未だにあれは『夢』だったんじゃねーかと疑ってるくらい、ANATHEMAの奇跡の来日公演が実現していなければ、昨年の1月に行われた相対性理論初の名古屋公演『回折II』は、間違いなく年間BESTライブの一つだった。そんなやくしまるえつこ率いる相対性理論が2013年に発表した4thアルバムTOWN AGEは、従来の理論フアンの間で賛否両論を巻き起こした問題作となった。その中には「相対性理論は死んだ」と嘆くも者もあった。確かに、中心人物である真部脩一の脱退が大きく内容に影響していたのは紛れもない事実だし、その音楽性もトクマルシューゴの影響下にある相対性理論流のチェンバー・ポップ、それこそ”ヤクマルシューゴ”と言わんばかりの”上海an”、ポストロック/ミニマル/アコースティックに傾倒した”ほうき星”、そして『TOWN AGE』が「えつこのソロっぽい」と評される所以であるシンセ・ポップ風の”YOU & IDOL”をはじめ、いわゆるバンド・サウンドというよりもチェンバーちっくな音の傾向というか、ソロ化が著しいやくしまるえつこの趣味嗜好に相対性理論本体が引っ張られた感は否めなかった。とは言え、それだけで『TOWN AGE』を酷評するなんて事は愚の骨頂で、何故この日本における「Post-Progressive」なるジャンルが「女性的」なジャンルであるのか?その根拠を裏付けるような”キッズ・ノーリターン”の圧倒的なソングライティングを正当に評価できない時点で、その批評家の意見はたかが知れている。

「相対性理論 is BACK...」

『天声ジングル』の幕開けを飾る”天地創造SOS”から、それこそ「相対性理論 is BACK...」を宣言するかのような、永井きゅんによるめくるめくギターのリフレインと往年の相対性理論をフラッシュバックさせるえつこの歌声、まるで新海誠監督の処女作『ほしのこえ』をイメージさせるSF的な世界観と近未来ちっくなアレンジ(中にはクラップ)を駆使しながら、セーラームーンをはじめえつこが近年お得意様としているアニソン特有の大サビの半音上げを効かせてベッタベタに展開する曲で、とにかく前作の"アンチバンド・サウンド"的な潮流から一転して、相対性理論の原点である"ギター・ロック回帰"を強く印象づける、もはやえつこの歌と永井きゅんのギター以外必要ないという『真実』に気づいたかのような、一ミリの煩悩や邪念すらないシンプルでストレートな相対性理論ナンバーだ。

この地獄の番犬”ケロベロス”が伊集院光のラジオから聞こえてきた時は、番組のゲスい内容と可愛くてポップな曲調のギャップが凄すぎて笑った、と同時に「どっちかっつーと伊集院は犬じゃなくてブタだろwww」ってツッコんだ曲だ。この曲では、菅野よう子とコラボしたX次元へようこそで「ニャンニャンニャンにゃにゃん♪」とネコ化したえつこが今度は「輪廻転生したい!」と願った結果、本家の相対性理論では「わんわんお!」とばかりワンコ化する。その一種の”素”に近いえつこのワンワンボイスをはじめ、3rdアルバム『シンクロニシティーン』を彷彿とさせるトロピカルフルーツ味のギター・リフレインの応酬と2ndアルバム『ハイファイ新書』を彷彿とさせるAOR的でアンニュイなムードがシンクロする。ここまでくると「相対性理論回帰」というより、もはや彼らの”原点”である90年代の「UKミュージック回帰」と呼ぶべきほどのキラーチューンだ。・・・ハッ!?この曲が伊集院のラジオで流れたのは、将来えつこがブタ化する伏線だった・・・?借りにもしこの曲のタイトルを『伊集院光』とするならば、例の歌詞が「地獄のブタさ~ん ブゥ!ブゥーッ!」みたいな替え歌になるってこと?めちゃ聴きてぇ・・・。

昨年のライブで初めて聴いた時は→「良くも悪くも相対性理論っぽい」←こんなイメージを持った”ウルトラソーダ”は、少し気だるくオラついたえつこの歌い方を筆頭に、その甘酸っぱい曲調からリフ回しまで、まだ椎名林檎の影響下にあった最初期の名作『シフォン主義』”LOVEズキュウウウン!!”を、今の相対性理論流の解釈で再構築したかのような、アルバム序盤の「相対性理論 is BACK」の流れをダメ押しするかのような、つまり往年の「相対性理論回帰」を確信的なものへと近づけるような曲で、もはや前作の『TOWN AGE』がボロカスに酷評されて日和った結果生まれた曲なのでは?と勘ぐりたくなるほどだった。

某ゲスの極みZ女の曲タイトルを思わせる”わたしがわたし”は、ジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助の「オレはいったい誰なんだッ!?」的な、世にも奇妙な状況をコンビニを舞台に繰り広げられる所謂ループモノのSFナンバーで、Pink Floydあるいは初期Porcupine Tree、そして坂本教授をはじめとした70年代のプログレ/ジャズ/サイケなUKサウンドとメルヘンでラブリーなえつこワールドが邂逅する曲で、特に間奏部のインストはワームホールを漂うかのような浮遊感とスピリチュアルな世界観、そして超ド級のバンド・アンサンブルを発揮する。

一転して”13番目の彼女”は、まるで「DAOKOとかいう若い芽は早いうちに潰す」とばかり、意図的に舌っ足らずな歌い方でロリBBA化するうえつこの幼女ラップが一番のフュチャー・ポイントで、もはや三十路女が幼女化するなどという”媚び”や”ブリっ子”とかいう概念を超越した先にある女の『狂気』、サブカルクソ野郎にアイドル視されて勘違いしちゃった三十路女のドス黒い『闇』に恐怖すること請け合いの曲だ。しかし、それ以上に永井きゅんおギターがイキイキしてる曲でもあって、アルバム序盤の”ギター・ロック回帰”を俄然肯定していくかのように、アマチュア無線みたいなノイズ混じりの電磁波で宇宙と交信しながらシンプルなギター・ロックを奏でる。つうか、曲の終わり際のさり気ない音響がWarpaintっぽくてマジ怖ぇ・・・。

アルバム前半は、前作の『TOWN AGE』で消失した「俺たちの相対性理論」をトリモロスかのような、相対性理論のキモである永井きゅんのギターとえつこの歌以外いらねぇ!という「気づき」を得たかのような、特に永井きゅんが「うはぁ!これ楽しい!めっちゃ楽しい!」と言わんばかりの、もはや開き直りすら感じるギター・ロック回帰とともに、往年の相対性理論に回帰する事に成功していた。それくらい永井きゅんのギターが宇宙を駆けめぐるように巡り巡っていた。しかしこの後、彼の存在そのものがアラサー女の『闇』という名のブラックホールにガオンされてしまう事を、この頃の永井きゅんはまだ知らない。

「相対性理論 is DEAD...」

ところで、近頃はラップバトル番組の『フリースタイルダンジョン』や高校生ラップをはじめ、先日Mステに出演したことでも話題を呼んだ水曜日のカンパネラや某動画サイト出身のDAOKOを代表とする、新世代の日本語ラップが一大ムーブメントを起こしている。実のところ、おいらも『私を鬼ヶ島に連れてって』でカンパネラデビューをしたクチだ。フロントマンのコムアイ擁する三人組ユニットの水曜日のカンパネラは、ヒップホップ化した相対性理論と称されるDAOKOとともに今や日本語ラップの最先端を行く渋谷系アーティストの一つで、何を隠そう、その”渋谷系”および”サブカル界の女王”として過去に一世を風靡したのが、他ならぬやくしまるえつこ率いる相対性理論だ。しかし、今やサブカル界および言葉遊び界の新女王といえばやくしまるえつこではなくコムアイ、今や相対性理論も懐メロ、完全に過去の人扱いだ。そういった意味では、相対性理論が2013年に発表した『TOWN AGE』以降、そして2016年となる現在、サブカル界の勢力/相関図は大きな転換期を迎えつつあるのかもしれない。

結局のところ、ここまでの「相対性理論回帰」は一時の『夢』だったのかもしれない。その『夢』から目覚めたやくしまるえつこは、とある『実験』にとりかかる。えつことtricotヒロミ・ヒロヒロと並んで「世界三大ロリBBA」で知られるローレン・メイベリー擁するUKのChvrchesJustin K. Broadrickなど、その手のエレクトロニカ/インダストリアルやリミックス界隈の常套手段であるチチチチ電チ音と水曜日のカンパネラに対抗意識を燃やすようなヒップホップ然としたミニマルなトラックにド肝を抜かれる”弁天様はスピリチュア”は、そのミニマルなトラックと『ハイファイ新書』の頃を彷彿とさせるえつこの萌ボイスとの分離感/距離感/立ち位置が、いわゆる”バンド・サウンド”とは一線を画した、それこそヒップホップ然としたトラック重視の構成及び(音の)重ね方そのもので、しかし「ただのヒップホップ風の音楽」で終わらない所が流石の相対性理論だと唸ったのは、前半のミニマルな曲調から転調して後半のバンド・サウンドへと繋ぐ、それこそCult of Lunaを代表とするPost-系のダイナミズム/展開力と宇宙規模の超絶epicッ!!なサウンドスケープで聴く者全てを圧倒する。なんつーか、渋谷系の若いフォロワーどもに格の違いを見せるような一種の”凄み”すらあるし、前作の”キッズ・ノーリターン”に匹敵するソングライティングを発揮している。

これまでの相対性理論にはなかった新機軸的かつ実験的な曲から一転して、”ウルトラソーダ”と同じく良くも悪くも相対性理論らしい曲で、”(恋は)百年戦争”のギター・メロディを再解釈したような”夏至”、クラップを全面にフューチャーした”ベルリン天使”、アルバム後半の実験的な要素とギターロック然とした荻野目洋子ばりのクサメロギターが奇跡的な邂逅を果たす”とあるAround”、まるでえつこが「#日本のローレン・メイベリーなの私だ」とハッシュタグつけてツイッターに連投してそうな、Chvrches”Lungs”を彷彿とさせるミニマルなエレクトロニカとケルティックなフレーズを靡かせるアコギが織りなす”おやすみ地球”まで、従来の理論フアンの顔色をうかがいながらも、着実に実験的な要素を強めていく。

おいら、自分で言うのもなんだが、「日本一のジョジョヲタ」なんだが、そもそも『ジョジョの奇妙な冒険』って一言で言えば『男の少女漫画』なんだが、その『男の漫画』をガールが『理解』できるわけでもないのに、ガールでジョジョ読んでる奴って一体何が目的なのか『理解不能』なんだが、そんな「日本一のジョジョヲタ」である僕が唯一認めるジョジョヲタ界のTO(トップヲタ)こそ、他ならぬやくしまるえつこなんだが。現在連載中のジョジョ8部『ジョジョリオン』に、なぜエイフェックス兄弟とかいう双子(ツイン)の敵キャラが登場したのか?何を隠そう、やくしまるえつこは実験的なNHKのラジオ番組をはじめ、つい最近では『Flying Tentacles』というソロ名義のアルバムで”エイフェックスごっこ”をやっている。エイフェックス・ツインといえば、かのスティーヴン・ウィルソン(荒木飛呂彦)エイフェックス・ツインや坂本教授の影響を受けているアーティストの一人で、もはや音楽好きで知らない人はいないであろうほどの偉大な人物だ。当然、Post-Progressive界の代表取締役兼CEOことSWやくしまるえつこの関係性については、以前からこのブログで考察してきたのだけど、もはや荒木飛呂彦≒スティーヴン・ウィルソン≒やくしまるえつこと結論付ける事ができるんじゃあないか?おいらの妄想の中では、既にやくしまるえつこスティーヴン・ウィルソンは特別な関係にあって、つまり一種の現代のオノ・ヨーコとジョン・レノンみたいな関係性、すなわち”えつこ・ウィルソン”みたいな解釈を持っていて、当然それはやくしまるえつこ荒木飛呂彦との関係性にも通じる話でもあって。要するに、その著しくエレクトロニカに傾倒した「実験的」な要素が、この『天声ジングル』の中に組み込まれている。

   コムアイ
new_cover声が似ているって最初の頃言われていた相対性理論は超えたい 

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「・・・は?お前は二番煎じの出涸らしや!」 

   コムアイ
new_cover「相対性理論の時代はもう終わったんだよっ!」

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「おめーはSEALDsと一緒にリベラルごっこでもしてろっ!」

   コムアイ
new_cover「うるせぇ三十路ババア!」

やくしまるえつこ

new_2016041100199_1・・・(プッツン)

   コムアイ
new_cover「やべっ!(石仮面ハメー)」 

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「!?」

   コムアイ
new_cover「私は『人間』を超越するぞ!ザ・ワールド!時よ止まれっ!」

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1すたーぷらちなっ ざ・にゅーわるっ にゅーわるっ にゅーわるっ...

わ^るそjj

   コムアイ
new_cover「フハハハハ!・・・なにィ?!(体が動かない)」

jojojoj

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「おらおらおらおらおらおらおらおらおらぁっ!」 

   コムアイ

new_cover・・・(再起不能)

やくしまるえつこ
new_2016041100199_1「てめーの敗因は...たったひとつだぜ...コムアイ...たったひとつの単純な答えだ...『てめーは わたしを怒らせた』」

おいら、ヒップホップって普段は聴かない音楽ジャンルで、しかし2013年にリリースされたUSのラッパーSadistikFlowers for My Fatherは、同年に発表された相対性理論『TOWN AGE』を差し置いて、いわゆる”俺の感性”にとてつもなく大きな衝撃を与えた。で、一体何の話かって、この『天声ジングル』を締めくくる”FLASHBACK”こそ、アルバムの後半でやくしまるえつこが行ってきた「とある実験」、その研究の成果であり、この実験の最終段階をもってえつこは声高らかに「SRAP細胞はありまぁす!」と、母親である小保方晴子の雪辱を果たす。このブラックビッグディックばりにダーティでミニマルなトラックを主体に、えつこ流のフリースタイルダンジョンと言わんばかりのラップボイスやシアトリカルなトラック、そしてこの世の終末に絶望するかのような無慈悲なストリングス、それこそSadistik『Flowers for My Father』FLASHBACKさせるかの如し、Sadistik然とした暗愁なトラックが一曲に凝縮されたような名曲で、なぜアルバム前半のポップでキャッチーな曲を差し置いて、この”FLASHBACK”がMVになったのか?という誰しもが感じる疑問、その疑問に対する答えでもあって、これはもはやエイフェックス・ツイン水曜日のカンパネラ、すなわちサブカル界の新女王=コムアイに対するサブカル界の旧女王=やくしまるえつこからのアンサーソングだ!
 

正直、ギターロック回帰とか往年の相対性理論回帰とかいう話なんざクソどーでもいいんです。このアルバムの「面白さ」はそこじゃあない。チャーチズなどの打ち込み要素マシマシ、すなわちえつこソロ感マシマシ、そしてDAOKO水曜日のカンパネラなどの新世代ヒップホップ勢からの影響マシマシで、とにかくサブカルおよび渋谷系の系譜、その正統後継者と名高い水曜日のカンパネラの影響を直に受けているのが実に面白い(どうやらえつこも『私を鬼ヶ島に~』がオキニらしい笑)。よく「女の趣味は男の影響」と言うけれど、これはまさに「男の影響」ならぬ「俺の感性」の影響!とばかり、極端な話、この『天声ジングル』は2013年以降、SadistikChvrches 、そして水曜日のカンパネラに傾倒していたWelcome To My ”俺の感性”の音楽遍歴を総括するかのような、それらを一つに繋ぎ合わせるかのような、大袈裟じゃなく俺の感性的に歴史的な一枚と言っても決して過言じゃあないかもしれない。なぜ今年に入ってからチャーチズのアー写をブログのトップ絵にしているのか?それは決してローレン・メイベリー『Lたそ』であることを暗示しているだけじゃあない、この『天声ジングル』相対性理論がエレクトロ方面に傾倒することを事前に予測していたからだ(ぜってー嘘だわ)。

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しかし「面白い」のはそれだけじゃあない。ここからは「日本一のジョジョヲタ」の視点から見る『天声ジングル』の「面白さ」だ。今作のブックレットを見れば一目瞭然だが、まるで漫画『ハンター×ハンター』の王とコムギの黒塗り台詞のみ演出をオマージュした富樫リスペクトのような、最もドス黒い『悪』を超える真っ黒なブックレットのように、この世に絶望してメンヘラ(SICK)化した終末論者の如しリリックが見所の一つで、中でも”おやすみ地球”の歌詞はジョジョ6部のエンリコ・プッチが唱えた「全人類があらゆる悲劇や絶望にも事前に「覚悟」ができる世界」、すなわち『メイド・イン・ヘブン』の世界を萌え擬人化したかのような歌詞で、そして物語の『終わり』であり『始まり』でもある”FLASHBACK”の歌詞は、ジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助の『謎』であり物語の『始まり』、一人という個人の記憶が消滅し「二人で一人」に融合した人間の「NEW WORLD」を描き出している。そこで日本一のジョジョヲタである僕は、この『天声ジングル』は逆再生することで『ジョジョリオン』の『謎』を解き明かす大きな『鍵』になるのではないかと考えた。物語の『始まり』に最大の謎が隠されている『ジョジョリオン』と同じように、この『天声ジングル』は『終わり』の”FLASHBACK”が実質アルバムの『始まり』と言っていいのかもしれない。それは『人類』の『始まり』であり、『天地創造』の終わりに『神』によって創造された『アダムとイブ』の物語、「夜明け前の一番暗いとき (エデンの園で)もぎたての果実(禁断の果実)を齧った時」、すなわち「善悪の知識の木」の果実を齧ってしまったばかりに、アダム=東方定助は「脳天ハレルヤ!記憶フラッシュバック!」という擬音とともに、ある『呪い』にかかる。その『呪い』を解く物語が他ならぬ『ジョジョリオン』であり、「土」と「人間」の2つの意味を持つ言葉に由来するアダム(東方定助)を、3.11の大震災の時に「土」の中から助けだしたのは、他ならぬべブライ語で「生命」を意味するイブ(広瀬康穂)の存在であり、「あなたは何度も甦る あたしはいつでも呼びかける」という歌詞は、『輪廻転生』して相対性理論はゾンビのように何度でも甦ると自身に投げかけるような歌詞でもあり、同時に『ジョジョリオン』のアダムとイヴ=東方定助と広瀬康穂を廻る数奇な運命を司るとともに、そしてこの『ジョジョリオン』「ループモノ」である説を暗に示唆している。この『ジョジョリオン』最大の『謎』に辿り着いてしまった日本一のジョジョヲタである僕は、この『天声ジングル』の狂気的にまで病んだ新世界(ニュー・ワールド)に心の底から共感し、そして涙していた。やはり唯一、やくしまるえつこにだけは敵わないと悔し涙を流していた。あと面白いのは、本当に面白いのは、逆から再生しても”弁天様はスピリチュア”がアルバムのハイライトを飾るところだと思う。

ギターロックおよび往年の「相対性理論らしさ」への回帰、やくしまるえつこ≒荒木飛呂彦(スティーヴン・ウィルソン)であることや『ジョジョリオン』の『謎』、打倒コムアイはじめ渋谷系の新世代ラッパーへの回答、母である小保方晴子が解き明かせなかった論文『ニュー・理論』の定義、#日本のローレン・メイベリーなの私だ宣言や#日本のエイフェックス・ツインなの私だ宣言、Sadistikばりのダーティなブラックビッグディック、からの2013年以降のWelcome To My ”俺の感性”の総括、そして遂に真部デトックス脩一の亡霊から解放された相対性理論の『天声ジングル』は、間違いなく過去最高に面白くて泣けるアルバムだし、少なくとも前作とは比べものにならないレベルの『求心力』を誇る傑作だ。それらのあらゆる音や実験的な要素の他に、特に水曜日のカンパネラのコムアイに対するアラサー女子の若さへの妬み嫉みが、もはやどっちがディオなのか判別不能なくらい、ありとあらゆる音と感情がグッチャグチャに蠢き合っている。おいら、過去に一時代を築き上げたレジェンド的な存在が時代の煽りに、新世代を担う若手の波に、勢いに日和って触発されてマジになっちゃう展開嫌いじゃなくて、むしろスゲぇエモいし、もうテッド・ジェンセンがマスタリングしてる事すらどうでもよくなるくらい泣ける。コムアイは過去にインタビューで「相対性理論は超えたい」と語っていたが、皮肉にも相対性理論自身がこの『天声ジングル』を通して、コムアイおよびカンパネラの存在を真正面から肯定している。なんつーか、『TOWN AGE』で従来のフアンから総スカン食らって、しまいにはカンパネラにもブチ抜かれ・・・そらえつこも(精神病者が描いたジャケ絵)みたいに病むわw
 
天声ジングル
天声ジングル
posted with amazlet at 16.06.09
相対性理論
みらいrecords (2016-04-27)
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赤い公園 『純情ランドセル』

Artist 赤い公園
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Album 『純情ランドセル』
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Tracklist

01. ボール
02. 東京
03. Canvas
04. 西東京
05. ショートホープ
06. デイドリーム
07. あなたのあのこ、いけないわたし
08. 喧嘩
09. 14
10. ハンバーグ!
11. ナルコレプシー
12. KOIKI
14. おやすみ

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最近は、いわゆる「超えちゃいけないラインを超えちゃったゲスの極みZ女男子」『一本』で満足しちゃった事で世間を賑わせているが、この音楽業界でも「超えちゃいけないラインを超えちゃった系ゲスの極み乙女」が話題を呼んでいる。ガールズ・ロックバンドの赤い公園が2014年に発表した2ndアルバム『猛烈リトミック』は、その「超えちゃいけないライン」の線上に立った傑作で、つまり「アンダーグラウンド(クソ)」「メジャー(ポップ)」「境界線」、すなわちボーダーラインの上を津野米咲が命がけで綱渡りするかのようなアルバムだった。

前は『闇
一色だったが、今は『光
が優勢だ

その境界線という言葉に関して最近考え事をしていて、それというのは→荒木飛呂彦の漫画ジョジョ8部ジョジョリオン』でも、主人公の東方定助『誰か』『誰か』が融合した、言うなれば「ハーフ」という人物設定がなされていて、その定助の身体の中心には『ナニか』『ナニか』を繋ぎとめる「つなぎ目(境界線)」がある。話は変わるが→俺たちのマシュー・マコノヒー主演の『トゥルー・ディテクティブ』という海外ドラマは、一見硬派な刑事モノと見せかけた、人間の『善(人)』『悪(人)』の境界線(ボーダーライン)を問う複雑かつ濃厚な人間描写に惹き込まれるサスペンスドラマの傑作だ。おいら、このドラマを見て東方定助の身体の中心に刻まれた「つなぎ目」が意図する本当の意味って、一方で『誰か』『誰か』が混ざり合ったという一般的な意味合いの他に、一方で『光』すなわち黄金の精神』『闇』すなわち『漆黒の意志』の境界線(ボーダーライン)でもあるんじゃあないか、という解釈が生まれた。この『TRUE DETECTIVE』、タイトルを直訳すると『本当の刑事』なんだが、改めてこのドラマは刑事という本来は『善意』の象徴とされる存在、その心にもドス黒い『闇』すなわち『漆黒の意志』が潜んでいる事を、シリーズ(1,2)を通して登場人物のキャラクター像が重厚な物語の根幹として至極丁寧に描き出されている。当然、日本一のジョジョヲタである僕からすれば、飛呂彦も観ている海外ドラマだと断言できる作品で、特にマシュー・マコノヒーウディ・ハレルソンをバディに迎えたシーズン1は、『過去』に起こった事件の『謎』と月日が経過した『現在』の供述を緻密に交錯させた演出をはじめ、マコノヒーとハレルソンの少し歪で奇妙なバディコンビという点からも、より現在進行形で展開する『ジョジョリオン』空条仗世文吉良吉影の少し歪で奇妙な相棒関係を描き出す『過去』を演出として盛り込んだ、それこそミステリー/サスペンス然とした複雑怪奇なストーリーからも、むしろ逆に飛呂彦がこのドラマを観ていないと考える事の方が難しい。しかし、『ジョジョリオン』『トゥルー・ディテクティブ』の影響がある...とは流石に断言こそできないが、要するに先ほどの「アンダーグラウンド」「メジャー」境界線は一体どこにあるのか?刑事(人間)の『光』『闇』、東方定助の『善』『悪』境界線は一体どこにあるのか?に注目して、あるいは考察しながら音楽/漫画/ドラマ/映画をはじめとしたクリエイティブな創作物に触れると、よりその作品の世界観に入り込むことが出来るのではないか、ということ。

境界線

そもそも『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズというのは、『人間』を超越しちゃった吸血鬼とか、一般的に『悪』の象徴とされるギャングがマフィアのボスという『悪』にトラウマを植え付けたり、ヤンキーという反社会的なイメージを持つ人間が街のリーマンと言う名の『悪』を倒したり、歩けないクズが某トランプ大統領候補にソックリな奴を倒したりする漫画で、一貫して『トゥルー・ディテクティブ』と同じように、人間の「境界線」を問いかけるようなキャラクター像を描き出している。もはや『トゥルー・ディテクティブ』のマコノヒーは、映画『インターステラー』『本棚の裏』という『四次元空間』に導かれたマコノヒーが時空を超越してパラレルワールドで刑事に輪廻転生したマコノヒーみたいな奴で、要するに、これはもう『ジョジョドラマ』と言い切っても過言じゃあないし、もはやマコノヒーはジョジョ俳優の一人として認識すべき役者だ。

十二支ん会議

俺は一体ナニを書いているんだ!?・・・というわけで、話を元に戻して→前作の猛烈リトミックでその境界線上に立った赤い公園は、約二年ぶりとなる3rdアルバムの『純情ランドセル』でどうなったか?果たして超えちゃいけないライン(境界線)を超えてしまったのか?結局のところ、「ネットにはじかれたテニスボールはどっち側に落ちるのか誰にもわからない」、それこそ『神』のみぞ知る世界だ。まずアルバムの幕開けを飾る”ボール”からして、上記のプログレ界の「十二支ん会議」を見れば分かるように、津野米咲椎名林檎と並んで秘密結社KことKscope主宰のPost-Proguressive界を取り仕切る幹部であることを裏付けるような、本格的に赤い公園がPost-Pの世界に入門してきた事を意味するような、言うなればANATHEMAWe're Here Because We're Hereから”Get off, Get Out”を彷彿とさせる、いわゆるミニマルな「繰り返し」を駆使したオルタナティブらしいリフ回しや津野米咲スティーヴン・ウィルソンの傀儡化したことを暗示する間奏部のギター・フレーズ、初期のねごとをフラッシュバックさせる近未来感あふれるファンタジックなキーボード、赤い公園のバックグラウンドの一つである歌謡曲を経由したフロントマン佐藤千明の情感あふれる歌メロ、ヘヴィな重みを乗せたうたこすのどすこいドラミング、そして転調を織り込んだPost-Progressive然とした展開力、この一曲だけで津野のズバ抜けたライティングセンスと彼女たちが如何に才能に溢れたバンドなのかを証明している。面白いのは、前作の一曲目を飾った名曲”NOW ON AIR”の「これぞメジャー」なイメージとは一転して、初期を彷彿とさせる「アンダーグラウンド」な懐メロ風の、それこそ「意外性」のある展開とメロディに良い意味で期待を裏切られたと同時に、俄然アルバムに対する期待度を押し上げているし、只々この”ボール”を一曲目に持ってきた赤い公園『勇気』と確かな『成長』に僕は敬意を表したい。

僕に「東京コワイ」というトラウマを植え付けた某きのこ帝国YUIのように、『東京』の名を冠した名曲は世にたくさん溢れていて、津野米咲は「真の”じぇいぽっぱー”を名乗るなら”東京”を書かなきゃ説得力がない」とばかり、まるで某ネコ型ロボット映画の主題歌に使われてそうなくらいの力強いエネルギーと前向きなメッセージが込められた”東京”は、良くも悪くも赤い公園というバンドにしては、一曲目の”ボール”みたいな奇をてらった『意外性』は皆無で、想像した以上に『平凡』で『普通』だった。その謎というか違和感の答えは、2ndシングルの”Canvas”を挟んだ三曲目の”西東京”にあった。ご存じ、赤い公園は東京は東京でも”西東京”は多摩地域に位置する立川が地元のバンドで、某政治家の「友達の友達は~」の迷言をモジッた歌詞をはじめ、田舎のクッソブサイクなカッペJKが雨の日に学校まで鼻水撒き散らしながら自転車でかっ飛ばす様子が浮かんでくるような、それこそ立川の象徴である赤い公園メンバー自身を投影したかのような、こいつらにしか書けない説得力に溢れたユニークな歌詞を、”東京”という大衆的(メジャー)なイメージからかけ離れた、赤い公園の本性を表したようなファンキーかつヤンキーな、ノイズ/インダストリアルなサウンドに乗せたハードコア・パンクチューン。それにしても、この曲の佐藤千明はなんだ...おめーは「平成のカルメン・マキ」かよw

初期の黒盤こと『透明なのか黒なのか』”潤いの人”を彷彿とさせるスローなファッキン・テンポで始まり、90年代のJ-POPを彷彿とさせるキーボードとジャジーなピアノが織りなす、さっきまでのクソカッペJKから一転してオシャンティなアレンジで聴かせる”ショートホープ”は、前作の”TOKYO HARBOR”で培った「オトナ女子」的な素直にアップデイトしたかのようなシティ・ポップ風の演出がポイント。6曲目の”デイドリーム”は、その名の通り津野米咲のシューゲイザーに対する嗜好が著しいドリーミーな音響と、前作の”私”を彷彿とさせる佐藤千明のエモーショナルな歌声と”ドライフラワー”を想起させるストリングス・アレンジ、そして一種のカタルシスを呼び起こすアウトロの演出まで、もはや今作のハイライトと言っても過言じゃあない名曲だ。この手の儚さ満開、エモさ爆発の曲を書かせたらこいつらの右に出るバンドはいないこと改めて証明している。

そのの中で目覚めた四人のクソカッペJKは、気づくとハロプロ・アイドルと化していた”あなたのあのこ、いけないわたし”は、それこそ赤い公園のラジオで何故℃-ute心の叫びを歌にしてみたがジングルで使用されていたのか?その伏線を回収するような、90年代のシンセ・ポップ風のキーボード・アレンジを効かせたkawaii系ポップ・チューンで、まるで佐藤千明「#ガールズ・ロック界の矢島舞美なの私だ」とハッシュタグ付けてツイッターに連投してそうな、それこそ津野がこの度モーニング娘。に楽曲提供したことに対する理解と納得が得られる曲でもある。遂にアイドルという『夢』から目覚め、自らの素性がマイルドヤンキーであることを自覚したクソカッペJKは、他校の女ヤンキーに対して「かかって来いやオラァ!」と威勢のいいメンチを切って、”カウンター”を交えながら素っ頓狂な”喧嘩”を始める。その”喧嘩”の後に、お互いに爽やかな友情が目覚めていた”14”は、前作の”サイダー”を彷彿とさせるシンプルなメロコアチューン。10曲目はキテレツ大百科ばりの”ハンバーグ”を作るような、名曲”め組のひと”を津野流に料理したポップチューンから、5曲目の”デイドリーム”の系譜にあるドリーミーなサウンドにクリック音と藤本ひかりのあざといコーラスがひかる”ナルコレプシー”、そして1stシングルの”KOIKI”は、去年の『ま~んま~んツアー』で初めて聴いた時は「モー娘。っぽい」って漠然と思ったけど、実際にスタジオ音源で聴いてみたら大して似てなくて笑った。けど、津野がモー娘。に楽曲提供することを予測していたと考えたらセーフ(なにが)。

本作を象徴する一曲と言っていい”黄色い花”を初めて聴いた時、厳密にはJ-POPの常用手段であるストリングスを聴いた時、僕は「あ、津野変わったな」って思った。自分の記憶が正しければ、津野って過去にインタビューか何かで「J-POPにありがちなチープなストリングス」を否定してた憶えがあって、だからこの曲を聴いた時は本当に「あ、赤い公園が目指すところってそこなんだ」って思った。けれど、きのこ帝国が新作でJ-POPの常用手段であるストリングスとピアノを擁してメジャー行きを宣言したたように、現代の流行りのJ-POPを象徴するような曲調に、この手のJ-POP特有のストリングスを入れるのは至極当然というか、この曲で遂に赤い公園「超えちゃいけないライン」「境界線」を超えてしまったんだと、そう僕は理解した。僕は「境界線」を超えるのと破るのは違うと思ってて、赤い公園はこのアルバムで「アンダーグラウンド(クソ)」「メジャー(ポップ)」「境界線」を超えたんじゃあない、その「境界線」を破って「アンダーグラウンド(クソ)」でも「メジャー(ポップ)」でもない、それこそ「ローカル」なクソカッペJKへと変身する事に成功したんだってね。

ぼくフレッチャー
jii「ゴラァァァァァァァァあああ!!津野おおおオオお!!」

津野米咲
津野米咲「・・・は?」

ぼくフレッチャー
new_d923ad829cdaa748bc2f3beaaeb15c16「なーに楽しそうにキーボード弾いてんだコラァァァァ!!」

津野米咲
津野米咲「うるせぇシネ」

ぼく元℃ヲタフレッチャー
new_session2-e1426367009736「なんで℃-uteに楽曲提供しねぇんだゴラァァァぁああ!!」 

津野米咲
津野米咲「知らねぇよハゲ」

ぼくフレッチャー
new_CPD904lUkAA4Otz「なーに超えちゃいけないライン超えてんだゴラぁぁぁ!!」 

津野米咲
津野米咲「うるせぇシネ」 

極端な話、今作は赤い公園バンドというより「津野プロデュース」感がハンパない。なんだろう、某深っちゃんの「今時、まだギター使ってんの?」という例の発言に触発されたのか、なんて知る由もないが、とにかく今作は虹のようにカラフルなキーボード・アレンジが際立っていて、それは津野米咲が楽しそうに鍵盤を弾き鳴らしている様子が浮かんでくるほどで、あまりにもノリノリに弾き倒す津野に対して、僕は映画『セッション』のフレッチャー先生ばりに鬼のような形相で「オメー楽しそうにキーボードなんか弾いてんじゃねーよ」とツッコミを入れたほどだ。それこそ80年代の歌謡曲や90年代のJ-POPやシンセ・ポップなどの懐メロ風アレンジ、そして現代風の鍵盤アレンジに注力しているのが分かるし、前作以上に津野米咲が自由に好き放題やってる。しかし、一方のアレンジに重きを置きすぎて、肝心のメロディが蔑ろになっているんじゃあないか?いくら凝ったアレンジでも肝心なメロディが貧弱じゃあ本末転倒なんじゃあないか?という疑問が残る。おいら、津野米咲をリスペクトできると思ったキッカケの一つに、某インタビューで津野が「大事なのは力強いメロディとソングライティング」と発言した所にあって、その「メロディとソングライティング」を大事にする姿勢というのは、奇しくも僕が大好きなANATHEMAのヴィンセント兄弟も全く同じことを言っている。この言葉は、DIR EN GREYのリーダー薫にも通じる話でもあるのだが、結局のところ一体ナニが言いたいって、要するにこの『純情ランドセル』でその発言の信憑性および説得力というのが少し揺らいだんじゃあないかって。その点で前作の『猛烈リトミック』は、アレンジやメロディ、そしてソングライティングの全てが両立した奇跡のアルバムだったんだと再確認させられた。

anasema
 
なんやかんや、初期や前作に通じる”らしさ”のあるリズムやメロディ、そして強力なアレンジを巧みな技術で「ローカル」なポップスに落とし込んでいるのは実に小粋な演出だし、その辺のセンスは初期の頃から不変だ。その中でも、完全にメジャーのポップスに振り切ったアレンジは過去最高にバラエティ豊か、前作以上にバラエティ豊かと言い切れるかもしれないが、如何せんアルバムの流れが悪すぎる。いや、始まりこそキライじゃあない、むしろ【ラジオネーム スティーヴン・ウィルソン】こと某レビューブログの管理人が嬉しさのあまり咽び泣き出しそうなくらい大好きな始まりなんだが、その始まりの”ボール”と終わりの”黄色い花”だけは共存してはならない、つまり一つにパッケージングしてはならない、その曲と曲の間にはそれこそ「超えちゃいけないライン」という明確な「境界線」が存在する。つまり「バラエティ豊か」という表現は、曲と曲に「境界線」が存在しないクリーンな状態で、一つにパッケージングされた状態で初めてその言葉の意味を成すんだってね。

超えちゃいけないラインああ

このアンチ「バラエティ豊か」は、今作の曲を多人数にプロデュースさせた弊害でもあって、面白いのは、本当に面白いのは、昨年にガールズ・バンドのねごとが発表した3rdアルバム『VISION』は年間BEST入り間違いなしの傑作で、奇しくもねごと赤い公園も世界的なマスタリングスタジオSTERLING SOUNDを率いる(ねごとは)Ted Jensenと(赤い公園は)Tom Coyneという二大エンジニアにマスタリングを依頼して、双方ともに『音』に対する”こだわり”を伺わせるばかりでなく、一方のねごとはセルフプロデュースで新作を、一方で赤い公園は五人のプロデューサーを迎えて新作を発表するに至ったこと。もう一つ面白いのは、昨年にきのこ帝国が発表したメジャー1stアルバム猫とアレルギーも年間BEST行きの傑作で、おいら、きのこ帝国に関する記事の中で「きのこ帝国に足りないのは津野米咲だから津野米咲をプロデューサーに迎えろ!」みたいな戯れ言を書いてて、本当に面白いのは、きのこ帝国は『猫とアレルギー』の中で佐藤千亜妃「#椎名林檎の後継者なの私だ」宣言をはじめ、エンジニアに井上うに氏を迎えることで「超えちゃいけないライン」の境界線上に立って、つまり津野米咲の生首を片手に佐藤千亜妃なりの『勝訴ストリップ』あるいは『猛烈リトミック』を描き出していたこと。その『猛烈リトミック』でやられた事の仕返しとばかり、新作で赤い公園がやりたかったことを一足先にやり返されて、今では綺麗に立場が逆転してしまったこと。

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赤い公園
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きのこ帝国 『猫とアレルギー』

Artist きのこ帝国
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Album 『猫とアレルギー』
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Tracklist

03. 夏の夜の街
04. 35℃
05. スカルプチャー
06. ドライブ
08. ハッカ
09. ありふれた言葉
10. YOUTHFUL ANGER
11. 名前を呼んで
12. ひとひら

フロントマンの佐藤千亜妃曰く→「絶望の中から見上げる希望」と語った、2014年に発表された2ndフルアルバムフェイクワールドワンダーランドは、初期の『渦になる』『eureka』の頃の音楽性を全否定するかのような、言うなれば初期の椎名林檎”CHE.R.RY”以降のYUIがクロスオーバーしたような、『絶望』から一転して『希望』に満ち溢れた普遍的なJ-POPへとその姿を変え、その翌年には椎名林檎の後を追うようにEMI Recordsへと移籍し、2015年初頭に発表されたメジャー1stシングル桜が咲く前にでは、これまでにないほどメジャー色に染まったきのこ帝国を披露してみせた。

そんなきのこ帝国は、次なるメジャー1stアルバム『猫とアレルギー』で一体どんな姿を見せたのだろうか。何を隠そう、まず僕はアルバムのリードトラックであり表題曲でもある”猫とアレルギー”のMVに映る佐藤千亜妃の姿に興味を惹かれた。これまでは、その音楽性と同調するかのようにボクっ娘あるいはボーイッシュなビジュアルイメージで売っていた佐藤千亜妃が、このMVではまるで「ユニクロの新作ニットのCMかな?」と見間違えるくらい、音楽性を含め色々な意味で『黒』を好む男性的(中性的)なイメージから一転して、エクステや純のセーターに身をまとい、何時にもなく『女性的』なシンボル(象徴)を身につけ、何時にもなく『女性的』なアイコンとして輝き放つ佐藤千亜妃のビジュアルに度肝を抜かれた。それすなわち→佐藤千亜妃が都会色に染まりきったことを示唆していた。気づくと僕は、「東京コワイ」と呟いていた。



その佐藤千亜妃のビジュアルよりも驚かされたのは、他でもないその『楽曲』イメージで、シングルの『桜が咲く前に』の路線を素直に踏襲しつつも、しかし随所に椎名林檎”虚言症”に対するオマージュ&リスペクトを織り交ぜながら、柔らかなピアノの音色と壮麗優美なストリングスというJ-POP界の専売特許と言わんばかりの音を大胆にフューチャーした、教科書通りのJ-POPを繰り広げる。まさに新生きのこ帝国の襲名と同時に、椎名林檎の正統後継者を宣言するかのような、まるでツイッターのハッシュタグに「#椎名林檎の後継者なの私だ」と付けてツイートしてそうな佐藤千亜妃の圧倒的な存在感に震える。
 

表題曲と並んでアルバムのリードトラックを担う#2”怪獣の腕のなか”は、一定に鳴り続けるミニマルなメロディと和音ギターのリフレインと音(残)響をフューチャーした曲で、過去に「あいつをどうやって殺してやろうか」と歌ってた中二病バンドと同じバンドとは到底思えない可愛い歌詞まで、その全てに度肝を抜かれる。一見「普通のポップス」に聴こえるこの曲の凄い所は、出自のセンスを感じさせるギターのリヴァーヴィな音響意識にあって、USのWarpaint”Intro”直系の空気圧/空間描写からは、奇しくもきのこ帝国と同じく2014年間BESTに名を連ねたウィーペイントと同レベルの音響世界、その更なる高みに到達したことを意味していた。その#2の音響意識を受け継いだ曲で、音響指数ビンビンな#3”夏の夜の街”でも、懐かしい郷愁を呼び起こすケルティックなメロディを靡かせながら、#2と同じく和音ギターのリフレインと出自を想起させるシューゲイザー的なアプローチで聴かせる。

次の”35℃”は、USのWhirrを彷彿とさせる焦燥感溢れるノイズポップ風のギター、バンドの土台(低域)をガッチリと支える谷口君のベースとロックなリズム&ビート感を刻む西村コン君のドラムが織りなすアンサンブル、そして佐藤千亜妃の幼少期にタイムスリップさせる歌声と、思春期の焦燥と刹那、そして煩悩といったあらゆる感情が交錯する、むせ返るような真夏の夜の切ない恋模様を描き出すエモい歌詞が絶妙にマッチした、ここまで90年代のJ-POPを意識したコード進行はないってくらい王道的なポップスで、これはもはやきのこ帝国なりのホワイトべりー”夏祭り”、あるいはレベッカ”フレンズ”と言っても過言じゃあない。当然、この曲でも”普通のポップス”ではないことを、ノイズという名の音の蜃気楼を巻き起こす轟音パートを耳にすれば分かるはずだ。

昭和の匂いを内包したジャズ風味のピアノをフューチャーした”スカルプチャー”は、椎名林檎”罪と罰”みたいにガッツリ巻き舌する勇気はないけれど、少しオラついた演歌歌手ばりにコブシを握って椎名林檎になりきる佐藤千亜妃が、別れたオトコの匂いに執着するオンナの未練と怨念が込められたダーティな歌詞を熱唱する、それこそ佐藤千亜妃「#椎名林檎の後継者なの私だ」とツイート連投してそうな歌謡曲で、これはもうきのこ帝国なりの”歌舞伎町の女王”ならぬ”メンヘラストーカーの女王”だ。しっかし、思春期の無垢で甘酸っぱい片想いを歌った”35℃”から一転してオトナのオンナに化けるギャップ、というか曲の振り幅に柔軟に対応する佐藤千亜妃の表現力≒演技力には、伊達に女優業やってなかったと関心してしまった。

さっきまでの『夏』をテーマにした曲とは一転して『冬』をテーマにした”ドライブ”は、その『冬』のイメージどおり、Daughter2:54をはじめとしたUKインディ直系のリヴァーヴィな音像と北欧ポストロック的な幽玄なメロディがリフレインするダウナーなスロウコアで、一言で「洋楽っぽい」とかそういったチープな表現はナンセンスで、とにかく初期の”ユーリカ”を彷彿とさせる激シブいアンサンブルと、森田童子ばりに陰鬱な佐藤千亜妃の歌声が真冬の夜の淫夢へと誘うかのような子守唄ソングだ。

そして、今作のハイライトを飾る#4~#6までの流れを締めくくるように、シングルとは違ってピアノのイントロで意表を突いてくる”桜が咲く前に”を中盤の山場に迎えるが、正直アルバムに収録される上でここまで効果的なシングルになるなんて想像してなかったし、単体じゃなくアルバムの流れの中で聴くと、俄然この曲が持つ他とは一線を画した力強いエネルギーと凄みを感じる。

それ以降も→若手SSWの片平里菜からの影響を感じさせる、実質佐藤千亜妃のソロとして聴けなくもないシンプルなピアノの語り弾きを聴かせる”ハッカ”、在りし日のYUIが歌ってそうな賑やかでアップテンポなポップチューンの”ありふれた言葉”、一転してニルヴァーナばりにダーティなヘヴィネスと椎名林檎”弁解ドビュッシー”を想起させるメンヘラ風ボコーダーを効かせた佐藤千亜妃の歌、そしてポストブラックメタルばりの不協和音的なメロディが狂気じみてる”YOUTHFUL ANGER”は、別の意味で(G)ソロもあって完全に「マッシュルーム・エンパイアはメタル」なセイント・アンガーばりの一曲で、在りし日の僕に「東京コワイ」を痛感させた『CAN'T BUY MY LOVE』の頃のYUIをイメージさせる、「女の趣味は全部オトコの影響!きのこ帝国の変化はオトコの影響!」と言わんばかりの”名前を呼んで”、ラストの”ひとひら”ねごと辺りが演ってそうなストレートなロックナンバー。

序盤は新生きのこ帝国の始まりを告げるような、出自のセンスと天才的なアレンジを王道的なJ-POPに落とし込んだ楽曲、アルバム一番の見せ場である中盤は、ライブの十八番になりそうな90年代のJ-POPを地でいく曲や佐藤千亜妃の椎名林檎化が著しい曲をはじめ極端に振り切ったガチなキラーチューンの応酬、アルバム後半ではガチのメタル曲や佐藤千亜妃がソロ化する新機軸とも受け取れる曲を擁して最後まで楽しませる。ハッキリ言って、前作とは比べものにならないくらい驚きと面白さに満ち溢れれた内容で、表面上は「ただのポップス、普通のポップス」に見せかけて、一体どこにそんな才能隠してたんだ?ってくらい、音の細部にまで徹底した”こだわり”を感じさせるアレンジやメロディセンス、そしてライティングの凄みにビビる。とにかくアルバムとしての完成度、一つの作品として聴かせる熱量がこれまでとは段違いだ。前作『フェイク~』の時点で『面白い』というポテンシャルは未知数にあったけれど、まさかここまでとは思わなくて、前作で予感させた並々ならぬ『面白さ』が開花した結果というか...でもあの『eureka』という傑作を作ったバンドって事を考えたら至極妥当だし、全く不思議じゃあない。音の傾向として和音のリフレイン主体の至極シンプルな構成と音使いで、ここまでの曲が書けるのは彼らが本物であるという何よりの証拠だと思う。

フロントマンの佐藤千亜妃は、このアルバムの中でボーカリストとしての役割、コンポーザーとしての天才的な才能、そしてシンガーソングライターとしての未知なる可能性を開花させている。近年激化する椎名林檎の後継者問題に終止符を打つかのような、もはや椎名林檎の正統な後継者は赤い公園津野米咲でもなく、tricotイッキュウ中嶋でもない、赤い公園佐藤千明もといきのこ帝国佐藤千亜妃だ。その佐藤千亜妃からの要求に真正面から答える、特にリズム隊の男性陣が強力なアンサンブルを生み出しているのも聴きどころの一つだ。もはやシングルの『東京』以降、エンジニアを担当している椎名林檎でもお馴染みの井上うに氏のキャリアの中でも上位に食い込むであろう作品なんじゃねーかレベル。

『前作のライングラフ』
超えちゃいけないライン

そもそも、そもそも前作の『フェイクワールドワンダーランド』は、いわゆる「超えちゃいけないライン」からは少し外れた所に位置する作品で、2014年当時その「超えちゃいけないライン」の線上に立っていたのが、他でもない赤い公園の2ndアルバム『猛烈リトミック』だった。何を隠そう、赤い公園というガールズバンドも、きのこ帝国と同様に初期の拗らせたアンダーグラウンドな音楽性から、今現在のメインストリームすなわち大衆性すなわちメジャー感あふれる音楽性へと流動的な変化を遂げたバンドの一つで、おいら、『フェイク~』の時に「きのこ帝国に足りないのは津野米咲の存在」みたいなニュアンスで、遂には「次作は津野米咲にプロデュースさせるべき」みたいな事もレビューに書いてて、それは今思うと本当に面白くて、ナニが面白いって→この『猫とアレルギー』で遂にきのこ帝国佐藤千亜妃「超えちゃいけないライン」の線上に立って音を鳴らしている事実に面白さしかなくて、一方『猛烈リトミック』「超えちゃいけないライン」に立った赤い公園が次作の純情ランドセルでどうなったのか?「それはまた、別のお話」。

猫とアレルギー
猫とアレルギー
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きのこ帝国
ユニバーサル ミュージック (2015-11-11)
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ねごと 『DESTINY』

Artist ねごと
negotoaaa

Single 『DESTINY』
15

Tracklist
01. DESTINY
02. 夜風とポラリス
03. シンクロマニカ -Mizuki Masuda Remix-

『深夜の馬鹿力』 ・・・ねごとの3rdアルバムVISIONは、まさにねごとの『未来を確信的かつ核心的に捉えた、今年の邦楽界を象徴するかのような傑作だったが、そのアルバム『VISION』から約三ヶ月ぶりとなる新曲『DESTINY』が早くも発表された。自分の中で→「ねごとはシングルよりもアルバム曲のが面白い」というイメージと、今回のシングルはアニメ『銀魂゜』のアニソンタイアップだという点から、正直過度な期待はしていなかったし、実際に伊集院光のラジオ『深夜の馬鹿力』で流れた時にサラッと聴いても→「まぁ、シングルだしこんなもんか」みたいな漠然とした印象しか持てなくて、でもこのMVがアップされて初めてフルで聴いてみたら一転、それまでの評価が180度ガラッと変わってしまった。



裏VISION ・・・そんな事よりも、曲がどうとか以前に、この横スクロールアクションみたいなMVの沙田瑞紀がメチャクチャ可愛い。特にラスト演奏パート。もうなんかこれ以外の感想は必要ないくらい、俄然瑞紀推せるやん?というわけ。で、話を戻して→伊集院光のラジオでほぼ寝ながら聴いた時は、ありがちなアニソンみたいなイメージしかなかったが、前述の通りこの”DESTINY”はフル音源で聴いて初めてその真価を発揮するのだ。まるでデヴィン・タウンゼント総裁『Addicted』を彷彿とさせるピュンピュンしたkawaii系エレクトロニカとガールズ・ロック界のYMOを襲名するかの如し俄然レトロフューチャーなキーボードの音色、つまり新しさと懐かしさ、それこそレトロとモダンがクロスオーバーした"レトロモダン"なイントロから、瑞紀らしいミニマルなフレーズで曲のシュール感を演出しつつ、”シンクロマニカ””GREAT CITY KIDS”を連想させる最高にハイ!ならぬ最高にデッ↑デッ↑ってヤツな蒼山幸子のボーカルが冴え渡るポスト-グリッチ・ポップ的なサビへと繋ぎ、そしてこのシングルがただのポップ・ソングじゃあないことを証明する中盤からの、それはまるでANATHEMA”Thin Air”顔負けのPost-Progressiveなパートでは、ベースの藤咲佑とドラムの澤村小夜子によるリズム隊のジャズミュージシャンばりに大人びたグルーヴを形成し、その強靭な土台の上で星空を見上げるような幸子の哀愁を帯びたボーカル・メロディが確かな存在感を発揮、来たるクリマックスではこれぞ"日本のオリアンティ"あるいは"ガールズ・ロック界のダニー・カヴァナー"と呼ぶに相応しい瑞紀の天上を貫くようなギター・ソロから大サビへと繋がる”endless”顔負けの展開力・・・そして遂に一つの結論に行き着く→「チョトマテチョトマテ...これって『VISION』の原型じゃ~ん!」って。事実、この曲は二年前から既にストックされていた曲との事で、どおりで所々にアルバム『VISION』の鍵を握る楽曲アレンジが顔を覗かせたりするし、と言っても『VISION』のどの曲とも一線を画した雰囲気や世界観を持っているのも確かで、これはもう言わば『裏ビデオ』もとい『裏VISION』と命名したくなるほどの名曲だ。あらゆる音がせめぎ合っているのにも関わらず、全く窮屈に感じない無駄のないソングライティング、その著しい洗練が進んだねごとワールドが宇宙さながら無限に広がっていく中で、その音のワームホールを抜けた先にねごとが辿り着いた一つの境地、これまでの集大成であると同時にねごとが降り立った新種の惑星がこの『DESTINY』なのかもしれない。

【成長性A ・・・傑作『VISION』で培ったバンドのアンサンブルはより強固に、より靭やかさが増し、持ち前のメジャー感溢れるポップさと『VISION』という傑作を作り上げたことで芽生えた自信、そしてバンドの成熟感に裏打ちされたアンサンブルが絶妙なバランスで保たれた、そのサウンドスケールが突如としてサウンドスケープと化す音のダイナミズムに只々圧倒される。アルバム『VISION』から数ヶ月という短期間で、自らのサウンドを著しくアップデイトし続けるねごとの音楽に対するひたむきな姿勢、優等生過ぎるほど貪欲な探究心にリスペクト不可避だ。なんだろう、ジョジョの身上調査書的に例えると、ねごとメンバーの成長性は間違いなくAランクだ。もはや今のANATHEMAに肩を並べる成長スピードだわ。なんかもうこいつらスゲーわ。こいつら本当に後ろ(過去)を振り返る気ねーわ。今はもう前しか見えてない、それこそ『VISION』で指し示した未来へと突き進んでいる感、無敵感がハンパねーわ。同時に、もうなんか『5』は意地でも聴かねーわと決意した瞬間だった。もうなんか公園に引き篭もって"椎名林檎ごっこ"してるどっかのメンヘラクソ女に聴かせてやりたい気分だ。

邦楽界のANATHEMA ・・・ねごとの成長性、それ即ちバンドメンバーの成長性に繋がっている。その実力はGLAY界隈でも折り紙つきの小夜子のドラムは、いつものように足の裏から変な汁が出るくらいテクいリズムを刻むというわけではなくて、今回はむしろ過去最高に派手さや手数を抑えた、パッと見地味に聴こえるようでいて、しかし随所で小夜子らしいというか小夜子にしか叩けないセンスフルなドラミングを披露していて、同時にドラムの音も過去最高にオーガニックかつナチュラルな音像で、俄然タイトかつヘヴィに聴かせる。佑との絶妙なコンビネーションも相まって、俄然リズム隊の骨太感マシマシだ。幸子は幸子で、一曲の中で哀愁と激情の間で最高にハイ↑から最高にロー↓まで(ハンティン↑ハイアンロー↓的な)、繊細に聴かせる所はシッカリとメロディを聴かせ、ブチアゲ↑る所ではシッカリとエピカルにブチアゲ↑る、まるでANATHEMAヴィンセント・カヴァナーの如く変幻自在に歌いこなし、一人のボーカリストとして着実なステップアップを感じさせる。瑞紀は瑞紀で、カップリング曲の”夜風とポラリス”の中で、海外ノイズ・ポップ/ギター・ポップ風のオルタナ然としたギターを主体に、夏っぽいカラッとした雰囲気で軽快かつ爽やかなテンポで聴かせる曲で、これまでのねごとにはなかったような、しかし随所にねごとらしさを強く感じさせる今風の新感覚サウンドを展開していく。そして三曲目の”シンクロマニカ -Mizuki Masuda Remix-”は、初期Porcupine Treeをはじめとした今のPost-Progressive勢にも通じる、言うなればSF映画『メトロポリス』の世界観にも通じるアトモスフィアーでダークな雰囲気を持ったミニマル/ダブ・テクノ風のリミックスとなっている。目指すはJ-POP界のChvrchesといった所か。そしてアルバムに引き続き、かのテッド・ジェンセンをマスタリングとして起用しており、俄然プロフェッショナルな音を提供してくれている。特に今回の小夜子のドラムの音は理想的と言える。ちなみに、歌詞カードはきのこ帝国『桜が咲く前に』と同じく一枚づつのカード仕様で、初回限定盤のDVDには先日大団円を飾った『お口ポカーン?!初の全国ワンマンツアー2015』の初日密着ドキュメンタリー編が収録されている。

今最も評価されるべきバンド ・・・ともあれ、"今最も評価されるべきバンド"という俺的評価に俄然説得力を持たせるような、一方で【なぜ日本におけるPost-Progressiveが女性的なジャンルであるのか?】という昨今の疑問に対する答えのようなシングルだった。つうか、シングル曲でこれだけハイレベルな一種の実験的な曲が書けちゃう今のねごとに怖いものなしだろう。マジでもうねごとがNEXT-ステージにステップアップするには、ANATHEMA”Distant Satellites”みたいな究極のミニマル・ミュージックが書けるか否かにかかってるんじゃあないか。それができなきゃねごとはそれまでのバンドだったというだけの話で、それ以上でもそれ以下でもない。なぜならそれができるのは、少なくとも今の邦楽界ではねごとしかいないからだ。しかし現に、三曲目の”シンクロマニカ -Mizuki Masuda Remix-”はその伏線()だと確信しているので、俺たちの瑞紀なら、俺たちの瑞紀ならきっとやってくれるハズだ・・・ッ!

DESTINY(初回生産限定盤)(DVD付)
ねごと
KRE (2015-06-03)
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椎名林檎 『日出処』

Artist 椎名林檎
new_Land+of+the+Rising+Sun+2014

Album 『日出処』
日出処

Tracklist
01. 静かなる逆襲
02. 自由へ道連れ
03. 走れゎナンバー
04. 赤道を越えたら
05. JL005便で
06. ちちんぷいぷい
07. 今
08. いろはにほへと
09. ありきたりな女
10. カーネーション
11. 孤独のあかつき
12. NIPPON
13. ありあまる富

Post-Progressive界の第一人者 ・・・事の発端は、昨年リリースされた赤い公園猛烈リトミック、そしてきのこ帝国フェイクワールドワンダーランドで、今年に入ってからは相対性理論のライブを皮切りに、tricotねごとはじめとした、それらのガールズ・ロックおよび女性ボーカルバンドの楽曲を聴いてもの凄く痛感した事があって、それは椎名林檎という一人のババアもとい一人の女性アーティストの存在が、いかに日本の音楽シーンに多大な影響を与えてきたのかという事で、それに伴って→【なぜ日本におけるPost-Progressiveが女性的なジャンルであるのか?】という疑問にブチ当たった。何を話そう、その疑問に対する答えは、既に約10年以上前の椎名林檎が証明していると言っても過言じゃあなくて、それこそ昨年リリースされたオリジナル・アルバムとしては約5年半ぶりとなる5thアルバム『日出処』は、この椎名林檎が日本におけるPost-Progressive界の第一人者であるという事実を物語るような一枚となっている。
 

音楽の王道』=『黄金の道 ・・・まるで椎名林檎が執り仕切るキャバレーの開演を知らせる合図の如く、トランペットやサックスが織りなすダーティなブラスとジャジーでアダルトな世界観を繰り広げていく#1静かなる逆襲”は、初っ端の「東京なんてのは危険なトコよ」とかいう歌詞をはじめ"らしさ"のあるシニカルな歌詞からして、つい最近きのこ帝国のアンダーグラウンドからメインストリームへの移行を目の当たりにした身には痛く染みるほど、もはやソレに対する皮肉にも聞こえて俄然面白いし、お得意の転調から巻き舌風にオラオラと捲し立てる大サビまでのポスト-な展開力にはぐうの音も出ない。で、まるでRATMばりのUSヘヴィロック然とした縦ノリグルーヴで幕開けを飾り、ハードロック調のアッパーなノリで展開していく#2自由へ道ずれ”は、それこそアルバムのリード・トラックと呼ぶに相応しい、驚くほどストレートでシンプルかつキャッチーな、そして作品の明確なツカミとしてその大胆不敵な存在感を放っている。一転してフルートのエスニックな音色とファンキーなバンド・サウンドが、初期の傑作勝訴ストリップ虚言症”をフラッシュバックさせるワチャワチャしたリズム&グルーヴを刻んでいく#3走れわナンバー”、それに負けじとイヴァン・リンスのボイスとトロンボーンをフューチャーしたジャズナンバーの#4”赤道を越えたら”、また一転してエレクトロな打ち込みと壮麗優美なストリングスがシリアスに交錯する、それこそPost-Progressiveに精通するオルタナチューンの#5JLOO5便”、まるで気分は怪盗ルパン三世あるいはカウボーイビバップな映画音楽顔負けのスケール感溢れるブラスとド派手なストリングス、そしてGrimesSusanne SundførをはじめとしたSSW/海外アート・ポップ勢に負けず劣らずな日本人らしいコピー能力の高さを発揮する林ンゴのオリエンタルなボーカル、極めつけは「テレッテッテッテーテレレテーレレレ…Ringo!!」とかいうアゲアゲなコーラスに草木生える#6”ちちんぷいぷい”、また一転してケルティックなアレンジと壮麗なストリングスを擁したドラマティックなバラードナンバーの#7”今”、若作りに必死なババアの激萌えボーカルとチェンバロの摩訶不思議な音色が織りなす、一種のおとぎ話のようにアンニュイでメルヘンチックな世界へと聴く者を誘い込んで行き、そして転調に次ぐ転調を見せる後半の展開、そのポスト-な展開力をはじめギターの音使いからも、林ンゴのプログレッシブ・ミュージックに対する見識の広さを垣間見る事ができる#8”いろはにほへと”、ピアノ一本で聴かせるシンプルなバラードかと思いきや、間もなく高鳴る心臓の鼓動のように力強くテンポアップして純情的かつ情熱的な歌声を披露する#9”ありきたりな女”、終盤は朝ドラのOPでお馴染みの#10”カーネーション”、この手の打ち込みメインの英詞曲やらせたら菅野よう子の右に出る者は椎名林檎しかいないと思わせる#11”孤独のあかつき”、そして「フエ~フエ~ニッポンハエ~」こと#12”NIPPON”から、児童合唱団による清らかなコーラスを駆使したクラシック/アコースティックなシットリ系バラードの#13”ありあまる富”まで、林ンゴ自ら「もう王道のことしかしたくない」と語るように、 オルタナとしてもプログレとしても普遍的なJ-POPとしても聴けちゃう懐の深さ、アヴァンギャルドに見せかけて『王道』、奇をてらったように見せかけて『王道』、これぞ『王道、まさに王道中の『王道』を行く『王道音楽だ。本来、王道だけの音楽って面白くもなんともないハズなのに、むしろ『王道』のことしかやってないのに、それこそ王道的なことの面白さ、素晴らしさを突き詰めたような一枚と言える。つまりこの『日出処』には、椎名林檎なりの『王道の道、すなわち黄金の道』が描かれている。もはや椎名林檎とかいう女は、『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦『インターステラー』クリストファー・ノーランが映画あるいは漫画という創作場の中で描き出している『王道映画』及び『王道漫画』を、この椎名林檎は音楽の世界で『王道音楽』として表現しようとしているのかもしれない。
 


椎名林檎はプログレ ・・・このアルバム、ほぼ全曲にタイアップが付いている。よってその音に一貫性というのは皆無で、しかしバラバラの楽曲コンセプトを一つにパッケージングしてアルバム『日出処』として一つの物語を完結させてしまう、もはや音楽の枠組みを超えた1人のクリエイターとしての椎名林檎にリスペクト不可避だし、同時に「ババア最高だ・・・ってなる。とは言え、なんだかんだ東京事変で培ったジャジーでアヴァンギャルドなサウンドを聴かせる序盤、そんな中で"自由へ道連れ"のようなベッタベタなロックチューンを2曲に配置する曲順も実に王道的だし、そのアダルトな雰囲気から赤道を越えたら”→JLOO5便”→”ちちんぷいぷい”までの流れは本作のハイライトで、この椎名林檎がなぜオルタティブババアと称されるのか?なぜアヴァンギャルド変態ババアと称されるのか?その所以を垣間見る事ができる。中盤以降は、総勢数十名を超えるストリングスを全面にフューチャーしたプログレ度マシマシな楽曲が続き、その極めつけに【椎名林檎はプログレ】である事を証明するかのような曲で、そして【なぜ日本におけるPost-Progressiveが女性的なジャンルであるのか?】の答えを指し示すかのようないろはにほへと”の存在感ったらなくて、もはや森は生きているの岡田君がブヒりそうな気配すらある名曲だ。しかし、今作から醸し出される謎のプログレ感はそれだけじゃあなくて、それは今作の曲と曲の繋ぎが驚くほど自然(スムーズ)な所で、その音の繋ぎの異常な"こだわり"や細かな気配りが過去最高に研ぎ澄まされた結果、アルバム終盤の朝ドラOPすら例の「ニッポンハエ~」すらもアルバム曲として違和感なく馴染んでいる。というより、アルバムを通して聴いた時の違和感というか異物感を最小限に抑える事を最大限に考慮した曲順が功を奏していて、つまり全13曲まとめて一曲として聴かせる林ンゴの熟した身体に巻かれた一枚の絵巻物、それこそデカパイ(擬乳)もといプログレだ。これはプログレ以外ナニモノでもないのだ。
 

椎名林檎≒ANATHEMA ・・・昨今、かのスティーヴン・ウィルソンを中心とした本場イギリスのPost-Progressive界も、大所帯のストリングスを積極的に曲に組み込む流れがあるのを読者はご存知のはずだが、結論から言ってしまえば→待望の来日公演が決まったANATHEMAの『Distant Satellites』はPost-JPOPであるという俺の解釈を、このJ-POP界の女王すなわち卑弥呼である椎名林檎が身をもって証明してくれたのだ。おいら、一般的なJ-POPの嫌な所って、とりあえずサビでストリングス鳴らしときゃエエやろ的な、全く必然性の感じられないストリングスを平然と使い回すのが本当に嫌で、もはやバカにされているような気分になってしまうのだけど、しかしこの『日出処』の中で展開されるストリングスというのは、(これだけ過剰にストリングスぶっ放してんのにも関わらず)ダメな邦楽にありがちなストリングスの安売りとは正反対のソレで、それこそANATHEMA『Distant Satellites』と同じように必然的かつ必要不可欠な音として存在している。また面白いのは、この『日出処』とかいうタイトルの意味で、一見【日出ずる国のシンボルを背にしたブロンドヘアーの日本人】という皮肉の効いたジャケや「ニッポンハエ~」とかいうネトウヨマーケティングを狙った曲からも日本を指す語だと考えがちだが、林ンゴいわく「陽の光」をイメージして付けられたタイトルとの事で、そんな所からも俄然ANATHEMAの音楽性及び世界観と椎名林檎の親和性を見出す事ができる。

かつお
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中嶋

邦楽界のスティーヴン・ウィルソン ・・・もちろん初期の毒素やヤンデレ感は皆無に近いが、とは言えこれは紛れもなく椎名林檎のアルバムだ。しかし、それ以前にJ-POPのお手本のようなアルバムでもあって、今作の中にはJ-POPの王道を知っている人の素晴らしいメロディとJ-POPの『王道』を知っている人の素晴らしいソングライティング以外の概念は存在しない。それこそ現代の『勝訴ストリップ』、というより漢字とカタカナを組み合わせたタイトルからも分かるように、津野米咲自身が意図的にソレを狙って作った赤い公園猛烈リトミックも、実にバラエティに富んだ傑作アルバムだった。が、この『日出処』は更にその上をいく、 楽曲のコンセプトや和洋ごちゃ混ぜのオリエンタルな林ンゴのボーカルやバックの音使い的にも、まさに本当の意味でバラエティ&バラエティなアルバムと言えるのかもしれない。洋楽は大手女性SSW、かたや邦楽菅野よう子から森は生きているに至るまで、もはや邦楽界のスティーヴン・ウィルソンと呼ぶに相応しい日本人らしい咀嚼能力の高さと器用過ぎる創作技術を、いわゆる椎名林檎ごっこに余念がない昨今のガールズ系バンドに格の違いを見せつけるような、かつ今の日本に対する林ンゴらしい皮肉が込められた隙のない傑作だ。

「お~い佐藤~!椎名林檎ごっこしようぜ~!」
かつお2
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「アホくせぇ」
かつお3

椎名林檎ごっこ ・・・と言えば→まず赤い公園は、2ndアルバム『猛烈リトミック』の楽曲プロデュースをはじめ、遂には津野米咲が亀田のおっさんとバンド組み始めたり、このタイミングでねごとのドラマー澤村小夜子も亀田のおっさんプロデュースのGLAYの新曲に参加したり、一方でtricotは2ndアルバム『A N D』の中でこの 『日出処』にも参加しているex-東京事変のドラマー刄田綴色H ZETT Mことヒイズミマサユ機とコラボしてたり、一方できのこ帝国林ンゴの背中を追うようにしてEMIからメジャーデビューを果たし、そして最新シングルの桜が咲く前にでは名盤『勝訴ストリップ』を手がけた井上うにをエンジニアとして迎え入れ、その楽曲もポスト-椎名林檎を襲名するかのような作風だった。そのようにして、椎名林檎が生まれた1978年から十年後の1988年に自分をはじめ(えっ)、きのこ帝国佐藤千亜妃tricotヒロミ・ヒロヒロが誕生し(定期的にヒロミ・ヒロヒロを推していくスタイル)、その世代が成長して音楽を聴く側から創る側になった結果、どのバンドも何かしらどこかしらの部分で林ンゴからの影響を著しく受けている現状からも、あらためて椎名林檎が当時の音楽シーンに与えた衝撃、その計り知れない大きさを物語っている。全盛期が過ぎ去った今も、これからも椎名林檎常に邦楽界の最先端を行く唯一無二の存在、J-POP界のセックスシンボルすなわちSUNNYであり続けるのだろう。

「お~い津野~!椎名林檎ごっこしようぜ~!」 
かつお4
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っっっg

林檎フェス  ・・・昨年の後半から今年に入ってからも漠然としたままガールズ系バンドの尻を追っかけてきて、しかしその先に一体何があるのか?一体どんなオチがつくのか?と自分でも不安に思っていたけど、結局そのオチは他でもない椎名林檎のデカパイ(擬乳)だった、というわけです。決して今の林ンゴを聴かず嫌いしていたというわけじゃあないけど、いかんせん勝訴ストリップ 信者の自分は今作を積極的に聴こうという気持ちにはなれなくて、確かになぜ今更みたいに思うかもしれないが、むしろ逆に今このタイミングだからこそ意味があったと、上半期の流れを汲んで満を持して聴いたからこそ得ることができた感動なのかも知れないそれくらい、今の自分の耳に驚くほどマッチングする内容だったし、それこそ上半期の流れを総括するかのような、それと同時に、あらためて【音楽即ち引力だという事を確信させるような音楽体験だった。で、この音楽体験から予測できる事があるとすれば、それは近い将来、椎名林檎主宰の林檎フェス開催される可能性で、そのフェスを成功させて初めて椎名林檎は日出ずる処のシンボル、すなわち卑弥呼として邦楽界の頂点に即位し、そして腐海に沈んだ日出ずる国は真のクリエイティブ 国家として復活を遂げるッ!林ンゴよ、今こそ貴様が与えられた使命を全うする時だ...ッ!
 
日出処
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