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Art-Rock

A Perfect Circle 『Eat The Elephant』

Artist A Perfect Circle
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Album 『Eat The Elephant』
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Tracklist
01. Eat the Elephant
02. Disillusioned
03. Contrarian
04. The Doomed
07. By and Down the River
08. Delicious
09. DLB
10. Hourglass
11. Feathers
12. Get the Lead Out

90年代のグランジ・ブームの流れを正統に引き継いだ、いわゆる00年代以降のヘヴィロック黎明期の中心的な存在と言っても過言じゃあない、Toolのフロントマンメイナード・キーナン率いるA Perfect Circleの約14年ぶり通算4作目となるアルバム『Eat The Elephant』は、UK発祥の「Post-Progressive」に対するUS側からの回答である。

先日伝えられた大手ギターメーカーで知られるギブソン社破産のニュース、それは同じくロックの終焉を意味していた。元々、それこそもう十数年前から「ロックは死んだ」だとか「ロックはオワコン」だとか、何か事ある毎に騒がれ続けていたけれど、このギブソン破産のニュースはその聞き飽きた「フレーズ」に対して、この上ない説得力として重くのしかかるような出来事だった。この「ロックの終わり」は、いわゆる「ロックの花形」とされたギターヒーローが持て囃される時代の終わり、例えばギターリストが眩いスポットライトを浴びながら、ツインリードやソロバトルを披露してアリーナの観客がワーキャーする時代の終わり、つまり豚貴族やイケメンの超絶ピロピロギュイーンにブヒーと熱狂する時代は終わったんだ。

しかし現代のロックシーンで、このA Perfect Circleほど「ギター」が活躍するバンドは他になかったかもしれない(過去形)。APCといえば、一般的に「Toolのメイナードのサイドプロジェクト」という認識が強いと思うのだけど、しかしそのメイナードと同じくらい、いやAPCの音楽を構成する上で欠かせない最重要人物こそがギターリストのビリー・ハワーデルだ。その特徴的なギターの歪みやリヴァーブを巧みに駆使して変幻自在に音を繰り出し、時にシューゲイズ・ギターのリフレイン、時にエモーショナルなフレーズ、時にミニマルで理知的なポストリフなど、次から次へと波状攻撃のように襲いかかるリフやフレーズが幾重にも重なり合って唯一無二の空間表現、いわゆる「ATMSフィールド」を広域に展開していくのが彼のプレイスタイルだ。決して(頭以外は)派手なギターリストではないが、もはやギター仙人とでも呼びたいくらい細部まで徹底してこだわり抜かれたギターの音作り、その「ATMS界の王」による空間描写は、このロックシーンを代表するギターリストの1人としてその存在感を示している。とにかく、まさに「ギターが主役」と呼べる彼の存在はAPCのキーパーソンであり、そのビッグなギターリフからアリーナ級のギターフレーズ、そして病的なバッキングへと全ての音をギターで繋ぎ、まるで一寸の狂いのない「完璧な円」を描き出すように、このAPCの深淵な世界観を繊細かつ大胆に描写していく。

それこそ世はまさに「ヘヴィロック時代」の幕開け、その金字塔となった2000年のデビュー作『Mer de noms』は、90年代前半のグランジムーブメントの血を正統に受け継いだヘヴィロック然としたダイナミックで重厚なギター中心のアルバムだった。それに対して、2003年作の2ndアルバム『Thirteenth Step』では、一転して今度は90年代後半に次世代のオルタナとして誕生したポストロックの影響下にある、いわゆるPost-系のミニマリズムを追求した、より繊細かつ緻密な空間表現と世界設定に徹した作風だった。中でも、その2ndアルバムを象徴する名曲”Blue”は中期のANATONIAをはじめ、スティーヴン・ウィルソンことSW界隈にも精通する幽玄でサイケデリックなオルタナで、他にもこの2ndアルバムはSWの1stアルバムやDjentを代表するTesseracT、国内ではDIR EN GREYなど、つまり後世のPost-系を代表するバンドやギターリストにも強い影響を与えた傑作であり、つまるところAPCは当時から誰よりも早く独自のPost-Progressiveを作り上げていたのだ。

しかし、この度のギブソン社破産というギター・ロックシーンへの強い向かい風は、皮肉にもギブソンのレスポール使いでも知られるビリー擁するAPCの復活作にも影響を与えていないハズがなかった。そして、その約14年ぶりとなる新作『Eat The Elephant』のオープニングを飾る表題曲を耳にした瞬間、「ギターは死んだ」という現実に打ちのめされて絶望した僕は、その場でギターを床に叩きつけてブッ壊した。

まるで「ギターとの決別」を宣言するような、誤解を恐れずに言うと日本のインストバンドみたいな、ピアノとドラムの打楽器中心にジャズのビートとグルーヴを醸し出す、これまでの「ギター命」だったバンドの作風とは一線を画した言うなればピアノ・ロック的な音使いからも、現代ロックシーンにおける大きな時代の変化を感じ取ることができる。悲しいかな、この20年でギターの存在価値は地に落ちた事を証明するかのようだった。もうギターだけでどうこうする時代じゃなくなったんだって。ここで僕は考えた、じゃあ逆に今のロックにおける「ギターの居場所」って一体どこにあるんだ?って。そこで真っ先に思い立ったのが、他でもない2017年に発表されたスティーヴン・ウィルソンの新作『To the Bone』だった。

SW『To the Bone』は、エレクトリックギターが時代遅れの遺物とされるこのご時世に反抗するような、「最高のポップス」であると同時に、まるでオエイシスが復活したような「最高のギターロック」アルバムでもあった。そんな、PRSCustom 22やフェンダーのテレキャスを愛用しているSWは、過去に天才ギターリストとして有名なガスリー・ゴーヴァンSWバンドの一員として迎え入れるほど、とにかく「ギター」に対する「こだわり」がとても大きい人でも有名だ。そして、今年の11月には「現在CDを1枚も出していない大物ギターリスト」と言われるアレックス・ハッチングスをサポートに引き連れて、「ギターは死なぬ」と「ギターここにあり」と声高らかに宣言する奇跡の来日公演を開催するので、是非ともこのライブを全国のギターリストたちに観ていただきたい(アツい宣伝)。それこそ、ヘタしたらSWよりもアレックスの超絶ギタープレイを目当てに足を運ぶギターマニアの方が多いかもしれない。

「幻滅した」という直接的なメッセージがタイトルに込められた、2018年の元旦に発表された2ndシングルの#”Disillusioned”は、ここで初めてギターらしいギターの音が聴こえてくるというか、しかしビリーの歪んだギターが魅惑のリフレインよりも、あくまでも「ピアノが主役」と呼べるPost-Progressiveな曲で、決してこれまでのように「ギターが主役」と呼べる曲ではなかった。もはや「ギターソロ」の代わりに「ピアノソロ」がある所からも、いわゆるバンドサウンドにおけるギターの優先順位、格付けが地に落ちたことを裏付けるようだった。つまり、ギターは「メイン」の楽器ではなく、あくまでも一つの曲を彩る「一部」に過ぎないと。

インダストリアルなアレンジを効かせた#3”Contrarian”は、ここぞとばかりにシューゲイズ・ギターを駆使してGod Is An AstronautばりのATMSフィールドを描き出す#3”Contrarian”は、フェイクニュース合戦となった先のアメリカ大統領戦のアナルトランプがマニフェスト(公約)として掲げた、メキシコの国境に壁を設置する発言、イスラム入国禁止などの移民排他政策、TPPをはじめとした貿易、雇用問題、そして日本車うぜえ発言など、それらの共和党信者が大喜びする嘘(フェイク)で支持を集めたトランプをマジシャン(道化)であると揶揄するリリックが辛辣。

今作のハイライトを飾る、2017年に発表された1stシングルの#4”The Doomed”は、それこそ大統領選があった2017年の歪んだ政治的・社会的な背景を元に、キリスト教原理主義者を支持層の一つとする共和党に対する皮肉と怒りを、キリストの説教を歌詞に取り入れて逆説教をかますメイナードの強烈なボーカルパフォーマンスは、有無を言わせぬ圧倒的な説得力に満ち溢れている。その曲としては、この困憊した世界情勢のように不穏なアトモスフィアやカナダのElsianeを彷彿させるエスニックでアートポップ的なアレンジ、そしてやはりWhat of the pious, the pure of heart, the peaceful? What of the meek, the mourning, and the merciful?のコーラス部分がANATHEMA”Thin Air”を彷彿とさせ、それらの皮肉めいた歌詞やPost系然とした曲展開からも、この曲が今作の全てを象徴していると言っても過言じゃあない。

「さようなら、いままで魚をありがとう」

このタイトルは、イギリスのSF作家ダグラス・アダムズのSFシリーズ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の第4章の最後のシーン、それは地球で二番目に知能の高いイルカが地球で三番目に知能の高い人間に対して言い放った最期のメッセージで、これは現代の物質主義を嘆き、核実験をはじめ人間によって引き起こされた大気汚染、地球温暖化や自然災害などの環境破壊によって「世界の終わり」が間近に迫ることを察したイルカさんが、無知で馬鹿な人類のために残した最後通告である。そんな、さかなクンさんリスペクトな「全ての哺乳類と魚さんにマジ感謝」する、「マザー・アース」ならぬ「マザー・フィッシュ」なリリックが込められた4thシングルは、ギターみたいな超物質的な木の塊を海に投げ捨てて(おい)、その代りに高貴な気品に満ち溢れたストリングスや心躍るピアノをフィーチャーしたAPC史上最もポップな曲で、それらのLOVE&PEACEなリリック面やトラック面からも、俄然今作がKscopeからリリースされても全くおかしくない、アートポップやニューエイジを経由したPost-Progressiveであることを強調している。3rdシングルとなる#6”TalkTalk”も幕開けから終始ピアノの音をフィーチャーした曲で、ここまで表題曲を含む全てのシングルでギターよりもピアノにスポットライトを当てていて、そこから理解できるのは、音楽面では物凄く現代的なアプローチを、それと同じくしてリリック面でも現代社会を風刺する辛辣なリリックを展開している。

彼らが深い眠りについていたこの14年の間に、よそのジャンルや業界から「ロックは死んだ」と蔑まれながらも、アンダーグラウンド・ロック界隈で密かに生まれ育まれていったのが、他ならぬDjentとPost-Progressiveである。初期の頃からMASSIVE ATTACKやNine Inch Nailsなどのインダストリアル・ロックに精通し、ストリングスやアコースティック、そして幽玄なATMSフィールドを筆頭に、元からPost-Progressiveの素養を持ち合わせていた、それこそSWの音楽に欠かせない音使いを全て兼ね備えたエリートバンドだったが、まるで数年の月日を経て復活したと思ったらLOVE&PEACEなArt-Rock/Post-化してたANATHEMAみたいな、ここにきて自分たちのヘヴィロックをアップデイトするのではなく、アート・ロックを経由した現代プログレへと華麗に転身して見せている。今作のプロデューサーにはオエイシスの作品でもお馴染みのデイブ・サディーを迎えている点も、オエイシス繋がりで俄然SW『To the Bone』と重なる部分が多くて驚く。これSWAPCのツーマンあったら面白いだろうなって。これからはプログレの世界こそ、「世界の終わり」のイルカのように「ロックの終わり」で行き場を失ったギターが輝ける唯一の居場所なのかもしれない、そう強く思わせる出来事だった。

アルバム後半のハイライトを飾る#11”Feathers”では、今までのフラストレーションを晴らすように、ビリーのギターが象の鳴き声のごとく唸りを上げる。そしてラストを飾る#12”Get the Lead Out”は今作を語る上で欠かせない曲で、相対性理論”FLASHBACK”を彷彿させるヒップホップ然としたトラックを用いることで、14年経っても常にオルタナティブの姿勢を見失わずに、かつ実験的な部分も踏まえてPost-Progressiveの未来を提示して見せている。もうずっと前にロックが終わりを告げたと同時に、そのロックに代わって現在に至るまで(今まさに)全盛期を迎えている音楽、それがラップ/ヒップホップである。この曲は、ある意味で00年代のロックシーンの一時代を築き上げたバンドがそれ(敗北)を認めたような、いや、ロックとヒップホップの切っても切れない密なる関係性、その未来志向の関係を改めて自分たちの音楽で示しだしたというか、改めてAPCの偉大さを実感する最重要案件である。

ここで改めて、タイトルの『Eat The Elephant』「象」は触れちゃいけない「タブー」の象徴であり、同時に共和党のシンボルでもある。その『象を食らう』というタイトルはアメリカの共和党批判に他ならない。バンドの中心人物でありフロントマンのメイナードは、「現在の偏向された社会的、精神的、政治的な問題に対して、我々アーティストは大きな声を上げて、希望という名の光を分け与えていく必要がある」と語るように、病的な現代社会が直面する様々な危機にイルカさんに代わって警鐘を鳴らすかの如く、この14年間に起こった地球の変化、世界情勢の変化、その最な例であるアナル・トランプ爆誕を皮肉交じりに揶揄しながら、過去最高にメッセージ性の強い歌詞を展開する。

そのメッセージを伝える役割を担うメイナードの歌は、初期作のように激しく吐き散らすような歌い方や情緒不安定な歌い方ではなく、それこそR&Bの女性歌手みたいな艷のある、優しく包み込むようなフェミニンな母性と体温を感じるアンニュイなボーカルで、中でも3曲目の”Contrarian”のネットリまったりな歌い方とかは、カナダのアートポップElsianeElsieanne Capletteに影響されてるんじゃないか説あって、一方で”さようなら、いままで魚をありがとう”を筆頭に全体的に「ポップ」というよりは「メインストリーム」をフォローしたメロディを歌ったかと思えば、一転して”The Doomed”では時に聡明な面持ちでリリカルに、時に激しく罵倒するように吐き散らす、つまりカメレオンのように常に流動的に変化し続け、道化師のごとしシニカルなボーカル・マジックを繰り広げている。そのメイナードと今作のメイン楽器であるピアノの相性は言わずもがなにグンバツで、確かに、これまでのファンの中には「これただのメイナードのソロアルバムじゃねーか」ってツッコミ入れる人も少なからずいるかもしれない。しかしこれは宇宙から見た地球のようにツルッツルで美しい、ハゲ(メイナード)とハゲ(ビリー)が融合した「完璧なハゲ」だ。

一つ一つの曲に意味と物語があって、曲の繋ぎをギャップレスにすることで、同時にアルバム全体のストーリーに繋がっていくので、ある意味コンセプト・アルバムっぽいノリも少なくはない。確かに、ヘヴィロックバンドとしてのAPCとして考えたら、この14年のブランクがバンドに及ぼした「変化」についていけないかもしれない。でも逆に、Post-界隈には歴史的なアルバムとして記憶に残りそうな一枚ではあるし、何よりも現在のロックシーンにおける「ギターの現在地」として解釈すると俄然面白いアルバムだと思う。しかし唯一気がかりなのは、このアルバムにおける「変化」が現在レコーディング真っ最中の本家Toolの新作に影響を及ぼしているのか否かで、一体どうなることやら。

Riverside 『Love, Fear and the Time Machine』

Artist Riverside
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Album 『Love, Fear and the Time Machine』
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Tracklist
01. Lost (Why Should I Be Frightened By A Hat?)
02. Under The Pillow
03. #Addicted
04. Caterpillar And The Barbed Wire
05. Saturate Me
06. Afloat
08. Towards The Blue Horizon
09. Time Travellers

R.I.P. ・・・イギリスの奇才、デヴィッド・ボウイが亡くなった。80年代の音楽シーンに多大なる影響を与え、音楽面は元よりビジュアル面から思想に至る所まで、いわゆるPost-Progressive界隈並びに現代プログレ界の第一人者であるスティーヴン・ウィルソンに計り知れないほどの影響を及ぼし、そして"日本のスティーヴン・ウィルソン"こと漫画家荒木飛呂彦の感性および『ジョジョの奇妙な冒険』に絶大なる影響を与えた、その最もたる偉人が亡くなった。この時間旅行は、そのデヴィッド・ボウイに対する壮大な鎮魂曲なのかもしれない。

プログレ回帰 ・・・このポーランド出身のRiversideというのは、かのスティーヴン・ウィルソン主宰の新興レーベルKscopeが提唱する、いわゆる"Post-Progressive"とかいう流行りのシーンに決して流されることなく、個性あふれる独自のプログレッシブ・ロックを構築していることから世界的に高い評価を得ているバンドで、2013年に発表された5thアルバムShrine of New Generation Slavesは、現代に蔓延るブラック企業の社畜という名の『新世界の奴隷』をテーマに、それこそ新世代のスーパーヒーロー『アイアム・ア・ノマド・フリーマン』が現代の行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らすような一枚だった。一方で、その音楽的には往年のクラシック・ロックに対する理解を著しく深めていた彼らだが、前作から約二年ぶりとなる6thアルバム『Love, Fear and the Time Machine』では、そのクラシック・ロックを基にしたサウンドを着実に踏襲しつつも、しかしこれ以上懐古路線に傾倒することなく、いわゆる「超えちゃいけないライン」を超えない程度に、あくまでも"プログレ"として成立させている。正確には"プログレ回帰"した作風となっていて、しかし一言で"プログレ回帰"と言ってみても、これまでとは一味違ったプログレであることは確かで、何を隠そう、これまで意図的にPost-Progressiveという新興ジャンルから一定の距離を保ってきた彼らが遂に、というか、ここに来てようやくPost-Progressiveの世界に介入してきたのである。

(Love) ・・・ここ最近のPost-Progressive界隈では、イギリスのANATHEMAやフランスのAlcestが新しく立ち上げた新興勢力、その名も黄金界隈』が幅を利かせている状況で、この事態を受け、Post-P(ポスト-ピー)界隈の代表取締役社長兼CEOで知られるスティーヴン・ウィルソンも、2015年に発表した自身のソロアルバムHand. Cannot. Erase.の中で、SWなりの黄金の音』というのを黄金界隈』に掲示してみせた。その異常事態を察知した、SWのクローンことマリウス・デューダきゅん率いるRiversideも、敬愛するSWの後を追従するように黄金界隈』からRiversideなりのPost-Progressiveを展開している。まず、今作のタイトルに含まれたLove(愛)」Fear(恐怖)」という2つのワードからして、いわゆる"LovePeace"を最大のテーマとして掲げる黄金界隈』に、彼らRiversideが入門してきたことを意味する。何を隠そう、その『Love(愛)』『Fear(恐怖)』というキーワードは、荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』にも深い関わりを持つ。例えば→引力、即ち愛(Love)であることや、おれは「恐怖(Fear)」を克服することが「生きる」ことだと思う。世界の頂点に立つ者は!ほんのちっぽけな「恐怖(Fear)」をも持たぬ者ッ!という三部DIOや、『勇気』とはいったい何か!? 『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖(Fear)』を我が物とすることじゃあッ!と言い放ったツェペリ男爵の名言を筆頭に、ジョジョに登場するキャラクターの言動および行動原理には、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』という二大概念が存在している。人間は『恐怖』を乗り超えることで『勇気』を得ることができる、その言葉どおり、Riversideはこの6thアルバム『愛・おぼえていますか』の中で、これまで見て見ぬふりをし続けてきたPost-Progressiveと真正面から向かい合い、その『恐怖(Fear)』という名の時空を超えて真実の『愛(Love)』を掴みとっている。

恐怖(Fear)  ・・・人は誰しもが【変わる】ことに恐怖(Fear)し、世界的に【新しい】異分子となるものを排除する潮流にあり、その【新しい】異分子が原因で起こる問題に人々は恐怖(Fear)する。おいら、以前からPost-Progressive界の第一人者スティーヴン・ウィルソン荒木飛呂彦は限りなく近い、【≒】の存在であると考えていて、なお且つ黄金界隈』の創始者でありPost-P界の幹部でもあるANATHEMA"オルタナティブ"な音楽遍歴と黄金の精神』を提唱する『ジョジョ』の"オルタナティブ"な冒険遍歴も【≒】の存在であるという独自解釈を持っている。そもそも、『ジョジョの奇妙な冒険』というのは音楽漫画でありプログレ漫画でもある、という前置きはさておき、【ANATHEMA≒ジョジョ】であるという根拠の一つに、ANATHEMAが2014年に発表したDistant Satellitesを象徴する”The Lost Song”という組曲にも、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』の二大概念がテーマに組み込まれていて、中でも”The Lost Song Part 1”のラストシーンにあるThe Fear is Just an Illusionつまり恐怖なんて幻想に過ぎないんだという『ジョジョ』然とした人間讃歌あふれる歌詞(セリフ)を筆頭に、ジョジョ8部『ジョジョリオン』「呪い(ANATHEMA)を解く物語」であること、バンド名を冠した"ANATHEMA"即ち"呪い"の中には『Love(愛)』が込められていること、そのANATHEMAがまさかの来日公演を果たしたこと、そして今回満を持してRiverside"LovePeace"即ち黄金の精神』を描き始めたこと、全てが糸のように繋がっている気がしてならないんだ。現代日本の"リアル"を暴き出していくジョジョ8部『ジョジョリオン』の中で、全く【新しいジョジョ】を切り拓かんとする荒木飛呂彦恐怖(Fear)は想像を絶するものがあるが、しかしその恐怖(Fear)を乗り超えられたならば、歴代最低の評価を受けている『ジョジョリオン』は晴れて傑作の評価を得ることになるだろう。
 

Love:12g⇄Fear:11g ・・・愛(Love)恐怖(Fear)よりも重いのだろうか・・・?人は恐怖(Fear)を乗り超えることで愛(Love)を知るのだろうか・・・?この『愛・おぼえていますか』を司る『Fear(恐怖)』『Love(愛)』、そして『Peace』という3つのワードが一つに集約され、リリックビデオとして先行公開された”Discard Your Fear”からして、アンニュイでメロマンティックな世界観やThe Cure”Fascination Street”をオマージュしたベースラインをはじめ、"オルタナティブ"なクリーン・トーン中心のフレーズやバッキング・ギターに魅了される。そして何よりも→Fear of new life Fear of days of the unknown No more fear of loveという、今作のコンセプトその本質を表した歌詞が全てを物語っている。その80年代のUK音楽リスペクトな耽美的なムードは、オープニングを飾る#1”Lost”から惜しげもなく発揮されていて、前作のリード・トラックである”Celebrity Touch”を彷彿とさせるクラシック・ロック譲りのリフ回し、今作のアートワークの如しどこまでも続く地平線に淡色に揺らめく夕焼けを映し出すようなリヴァーヴィでドリーミーなメロディ、そしてデビュー作『Out Of Myself』の頃にファスト・トラベルさせる抒情的かつ幽玄な旋律を奏でるギター・ワークまで、まさに彼らの『過去』へとタイムトラベルするかのような、今作の幕開けを飾るに相応しい一曲だ。で、ANATHEMAがPost-P界隈の仲間入りを果たし、いわゆる黄金界隈』創設に至る大きなキッカケとなった傑作『We're Here Because We're Here』直系のクリーン・ギターを擁したミニマルなリフで始まり、中盤からエキセントリックなハモンド・オルガンやメロトロンを駆使してグッと場を盛り上げてから、後半にかけて「キング・オブ・プログレ」としか例えようがないPost-然とした展開力を発揮する#2”Under The Pillow”、そして【新しい】ことに対する『Fear(恐怖)』と対峙する#3”#Addicted”は、イントロからPorcupine Tree”Fear of a Blank Planet”を彷彿とさせるポップなビート感に度肝を抜かれ、そのリズムからギター・フレーズ、そしてマリウスきゅんのフェミニンなボーカルを筆頭に、ニュー・ウェーブ/ゴシック・ロックが一世を風靡した80年代のイギリス音楽愛即ちLoveに溢れた、それこそ「ロマンスがありあまる」ような名曲だ。そして、この曲のアルペジオが入ってくるアウトロの場面転換というか、それこそ"イェンス・マジック"により化けたMoonspell”Medusalem”を彷彿とさせる、要するに80年代のUK音楽と現代的プログレを邂逅させたこの瞬間というのは、このRiversideがPost-Progressive界入りを宣言した歴史的瞬間でもあった。
 


タイムトラベル ・・・自らの原点である『過去』や自らの音楽的なルーツでもある80年代の音楽シーンに回帰した彼らは、今度は2ndアルバム『Second Life Syndrome』と3rdアルバム『Rapid Eye Movement』の頃にタイムトラベルする。暗鬱で内省的な世界観やポスト系のキザミで構成されたリフ回しをはじめ、中期のPorcupine TreeあるいはThe Pineapple Thiefを連想させる、それこそイギリスの空模様のようにソフト&ウェットな、それこそPost-Progressive然としたアコギを織り込みながら、ラストは一種の小宇宙を形成するようなエピカルなバンド・アンサンブルでキメる。次はそのメタリックな側面を更に追い求めるかのように、すなわち4thアルバムAnno Domini High Definitionへとタイムトラベルする#5”Saturate Me”は、プログレ・メタル然としたアクティヴでテクニカルなインストをはじめ、マリウスきゅんによるミカエル・オーカーフェルト顔負けの抒情的なボーカル・メロディとキーボードのエピカルでスペイシーな演出とともに、カタルシスを誘うアウトロのアルペジオまで揺るぎない音のスケールで繰り広げる。悪夢を見ているかのようなダーティで物哀しいマリウスきゅんのボーカルをメインに聴かせる#6”Afloat”Alcest顔負けの美しいアルペジオとアート・ロック志向のピアノ、そしてマリウスきゅんのヨンシーばりの繊細な歌声をもって恍惚感に溢れた幕開けを飾る#8”Towards The Blue Horizon”は、そのアルプスの遊牧民と化す幕開けから一転して、Opethの名曲”Bleak”Riversideなりに再解釈した猟奇的なギター・フレーズから徐々に暗黒面に堕ちていく曲で、というより、Pale Communion”River”をイントロから見せ場のスリラーなインストパートまで丸々オマージュしたような曲調で、あらためてOpethがマリウスきゅんおよびRiversideに与えた影響、その大きさを物語っている。そのタイトルどおり、それこそLet's go back to the world That was 30 years ago And let's believe this is our timeと繰り返される歌詞にあるように、『現在』から30年前の『過去』へとタイムトラベルした長旅の疲れを癒やすような、その思い出話に花を咲かせるようなフォーキーなアコギ中心の#9”Time Travellers”、そしてPink Floyd”High Hopes”をオマージュしたようなMVの映像美が見所の#10”Found”を最後に、デヴィッド・ボウイと並びPost-Progressiveの一つのルーツであるフロイドに敬意を表することで、これにてRiversideのPost-P界入りが正式に『許可』される。



再構築 ・・・「僕たちが愛した音楽、そのルーツがどこにあるのか?」を過去30年まで遡って彼らが導き出した答え、「僕たちの音楽」がこの『Love, Fear and the Time Machine』なのだ。マリウスが子供の頃に夢中になった80年代のイギリス音楽、大人になったマリウスが夢中になったPorcupine Treeおよびスティーヴン・ウィルソンOpethおよびミカエル・オーカーフェルト、それらを含むマリウス・デューダが愛した世界中の音楽との再会、つまりタイムトラベルの後遺症により"Lost"した記憶(思い出)をトリモロス(再構築)する音の時間旅行なのだ。子供の頃の記憶を取り戻し、大人になって成長した今の自分を紡ぎ出すことに成功した主人公マリウスは、右手には愛(Love)を左手には勇気(Pluck)を持って、Post-Progressiveという未知なる恐怖(Fear)に立ち向かい、その恐怖(Fear)を乗り超えた先で掴みとった【新しいRiverside】の姿が今作に刻み込まれている。そもそも、往年のクラシック・ロックの音作りでガチのプログレやるパティーンというのは、最近ではMastodon『Crack the Skye』CynicKindly Bent to Free Us、そしてOpethPale Communionが記憶に新しいが、紛れもなくこの『Love, Fear and the Time Machine』もそれらの作品と同じ系譜にあるアルバムと言える。中でも、スティーヴン・ウィルソンが手がけた『Pale Communion』は、今作に多大な影響を及ぼした一枚なのは確かで、Opeth自身もそのアルバムの中で自らの『過去』を再解釈/再構築していたが、このRiversideの場合は自らの『過去』を経由して、更にそこから30年前の音楽を再構築するという、それはまるでスティーヴン・ウィルソンミカエル・オーカーフェルトの間に生まれたマリウス・デューダという名の子供が、親の離婚という『未来』を変えるために『過去』へタイムトラベルして再構築を目指すような、それはまるで未知なる惑星へと向かう途中、ガルガンチュア内部に突入する恐怖(Fear)時空(Spacetime)を超えて究極の親子愛(Love)に辿り着いた、映画『インターステラー』マシュー・マコノヒーばりに前代未聞の事を成し遂げている。そして子(マリウス)が親(SW&MO)という絶対的な存在を超越した瞬間、気がつくと僕はマシュー・マコノヒーばりに咽び泣いていた。

繋ぎの意識 ・・・今作、とにかく曲展開の"繋ぎ"とアウトロに対する意識の高さが尋常じゃない。その繋ぎやアウトロといえば→デフヘヴンの新しいバミューダ海峡が一種のプログレに通じていたのは、他でもない展開の繋ぎとアウトロの意識の高さにあって、今作のRiversideも例外はなく、繋ぎのメリハリを強調することによりプログレという名の様式美/構成美が刻まれていく。そして、いかに今作がOpeth『Pale Communion』をお手本にしてるのかが分かる。特に、#2,#3,#4のクライマックスで垣間見せる、四人の個が互いに高め合いながら一つになり、ナニモノも立ち入ることを許さない"四人だけのセカイ"を構築する孤高のバンド・アンサンブル、それは現代のプログレと称されるポストロック的ですらある、まさにポストでモダン、リリカルでエピカルなPost-Progressive然とした展開力、ある種の「静寂の中にある狂気」は息を呑むほどに「ロマンスがありあまる」。もはやバンドとしての一体感は、ポスト界隈の幹部勢を優に超えたものがあるかもしれない。

変わる ・・・初期二作のクサメロ全開の辺境プログレっぷりから、一転して3rdアルバムではTool直系のモダン/オルタナ化したと思えば、次の4thアルバムではメタリックなモダン・ヘヴィネス化したりと、元々Riversideって【変わる】ことを決して恐れないバンドではあるのだけど、この『Love, Fear and the Time Machine』における【変わる】の意味は、これまでの【変わる】とは意味合いがまるで違う。ピョートル(兄)のギター・ワークからアコギおよびアルペジオをはじめ、それに伴う曲作り/曲構成、そしてリリック面に至るまで、全ての音のトーンが完全にポスト化へとシフトしている。いわゆる洗練されたとかモダン化したとか、そんなベクトルの話とは違くて、ただただ「これがプログレなんだ」感しかない。マリウス&ミシャのインテリコンビとガチムチ系ピョートル兄弟からなる、この凸凹過ぎるギャッピーなビジュアルからは想像つかないほどの、音楽に対する柔軟性や器用さを過去最高レベルで発揮している。中心人物であるマリウスきゅんはマリウスきゅんで、クリエイターとしての才能とソングライターとしての才能を過去最高に高い次元で爆発させている。そして過去最高にSW愛に満ち溢れた作品でもあって、ソロプロジェクトのLunatic Soulで垣間見せたSW愛をそのままバンドに持ち込んだような形とも言える。僕は今作における【変わる】の意味に対して、「軸がブレた」とか、「オリジナリティが薄れた」とは微塵も思わない。むしろSWの正統なクローンだからこそ実現可能にした、紛れもなく真のオリジナリティだ。
 
Love, Fear & the Time Machine
Love, Fear & the Time Machine
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Riverside
Imports (2015-09-11)
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赤い公園 『公園デビュー』

Artist 赤い公園
赤い公園

Album 『公園デビュー』
公園デビュー

Tracklist
01. 今更
02. のぞき穴
03. つぶ
04. 交信
05. 体温計
06. もんだな
07. 急げ
08. カウンター
09. 贅沢
10. くい

猛烈リトミック

右手にポップス、左手にクソ ・・・今年、ANATHEMADistant Satellitesと並ぶ傑作となった『Redwater Park』こと赤い公園の2ndアルバム猛烈リトミックは、例えるなら右手に赤色の”ポップス”を、左手に黒色の”クソ”を持って、「これ以上ポップになったら誰も聴かなくなる」←この”超えちゃいけないライン”の上を命綱なしで綱渡りするかのような、その”ポップス””糞”の絶妙なバランス感覚を保った名盤だった。その”超えちゃいけないライン”の見極め力の高さは、ひとえにバンドの中心人物である津野米咲の才能としか思えなかった。

『紅の華 ・・・で、こうなると過去作を聴いてみたくなっちゃうのが自然の流れで、さっそく昨年リリースされた1stフルアルバム『公園デビュー』を聴いてみた。僕が赤い公園の存在を初めて知ったのは丁度この頃で、猛烈リトミックでも書いたように、今作『公園デビュー』の一曲目を飾る”今更”のMVを見たのがキッカケだった。その当時は初期相対性理論みたいな、ちょっとサブカル臭くて「ちょっと音楽知ってる私らマジカッケー(ドヤア)」みたいな気取った雰囲気を醸し出してて、正直なところ条件反射で飛び膝蹴り食らわしたくなるほど気に食わない存在だった。そんな僕が名盤猛烈リトミックに魅了された今、赤い公園を知るキッカケとなった曲や過去の作品を聴いてみたらどうだろう?というお話で、結果として→やっぱり初期相対性理論に通じるシティ・ポップ感やユル~いファンキーさだったり、持ち味であるオシャンティなリズム感を意識したArt-Rock/Post-Progressiveなセンスはこの頃から既に完成されていて、そして初期衝動に伴う音の荒々しさや漫画『惡の華』のヒロイン仲村さん顔負けのナニカが蠢くような混沌とした焦燥感が絶妙な毒味となっている。その”今更””のぞき穴”からリアルに伝わってくるハードコア/パンキッシュな勢いはデビュー作ならではだし、この”洗練””大衆性”という言葉からかけ離れたアンダーグラウンドな生臭さは、まさしく2ndアルバム猛烈リトミックには無いものだった。

津野米咲≒仲村佐和 ・・・当然ながら、あざといくらいのキャッチーさやkawaiiポップネスを内包した『猛烈リトミック』、そのコンセプトである「売れたい、売りたい」という”意思”は微塵も感じなくて、このデビュー作では”自分たちが本当にやりたい音楽”を、言うなれば垢抜けない田舎の女子高生のように少し尖ったガールズ・ロックをドヤ顔でやってる。一聴した限りでは、正直なところ部分的に優っている点はあるが、トータルで見るとやはり『猛烈リトミック』には遠く及ばない作品というか、ありとあらゆる部分で猛烈に足りてない。その足りない音の隙間を埋める(補足する)ように、モーレツな音を詰め込んだのが亀田誠治氏や蔦谷好位置氏らのプロデューサーで、あらためて猛烈リトミックにおけるプロデューサー陣の存在の大きさを思い知らされた。それくらい、なぜこの赤い公園にあの『猛烈リトミック』が作れたのか?プロデューサーの腕だけでこうも変わるのか?もしくは津野米咲のコンポーザー能力が奇跡的に爆発したのか?このデビュー作を聴いたら余計にわからなくなった。どちらにせよ、この僕には奇跡的な出来事にしか思えなかった。つうか、まだ信じてねー。いや冗談じゃなしに、ちょっとありえない進化の仕方っつーか、この『公園デビュー』から『猛烈リトミック』に生じている変化は、もはや進化じゃなくて突然変異としか他に例えようがない。なんでコイツらが”ひつじ屋さん”をはじめ、”私”みたいなANATHEMA”Lightning Song”Alcest”Voix sereines”が融合したような曲が書けるんだ?って、ホント謎過ぎる・・・赤い公園の闇は深い・・・。はたしてソングライターの津野米咲に一体ナニが起こったのか?ちょっと津野ちゃんにインタビューして聞いてみたいくらいだ。

ゲスニックマガジンの西条・・・「ゲスニックマガジンの西条です!赤い公園のリーダー津野米咲さんに質問です!デビュー作の『公園デビュー』と比べて『猛烈リトミック』の出来が良すぎるんですが!もしかして今流行のゴーストライターとしてPorcupine Treeのスティーヴン・ウィルソンでも雇いましたぁ?」

津野米咲・・・「誰?」

ゲスニックマガジンの西条・・・「ゲスです!新作の『猛烈リトミック』って・・・完全に”メタル”を意識した作品だよねぇ?」

津野米咲・・・「あんた誰?」

ゲスニックマガジンの西条・・・「ゲスです!新作の『猛烈リトミック』って赤い公園じゃなくて、もはや『クリムゾン・キングの公園
だよねぇ?」

津野米咲・・・「だからあんた誰?」

new_GCjsVQPs・・・「はい!はい!ゲスニックマガジンの西条です!『猛烈リトミック』の”私”って間違いなくANATHEMAとALCESTからのinfluenceあるよねinfluence?」

津野米咲・・・「ANATHEMA?ALCEST?・・・誰?」

ゲスニックマガジンの西条・・・「それはそうと、DIR EN GREYの”サVカル系男子”こと京率いるsukekiyoと今後対バンする予定とかあります?」

津野米咲・・・「
灰色赤色だけに・・・?って、やかましいわw

ゲスニックマガジンの西条・・・「ゲスです!『猛烈リトミック』の”いちご”とか”お留守番”みたいな曲って、明らかにNHK教育番組への楽曲提供を狙ったゲスい下心がありますよねぇ?」

津野米咲・・・「(ギクッ)ちょ、ちょっと警備員!」

ゲスニックマガジンの西条・・・「なーにするんだよ!あーにするんだよ!(警備員に連行されながら)取材拒否かよぉ~!!」


スッピンの赤い公園 is ブス ・・・久石譲チックな心躍るピアノをフューチャーした”交信””体温計”そして”贅沢”などのアート・ロック然とした楽曲なんかは、ガールズ・ロックバンドならではの”ユルさ”があるし、驚くほどメタリックなギターで始まる6曲目の”もんだな”はCMソングっぽい既聴感のあるポップなサビが印象的だし、なお且つスティーヴン・ウィルソン的な陰鬱な音使いをさり気なく垣間みせたり、その流れで俄然SW感増々な#7”急げ”のイントロでは、もはやポストブラック...あるいはKayo Dotを彷彿とさせる赤い公園のアヴァンギャリズム(変態性)を垣間みせたりと、これはもう”ひつじ屋さん”の前身と言っていいし、そして#8”カウンター”で聴けるような衝動的/本能的な粗暴さは猛烈リトミックでは体験できない。それらの楽曲を筆頭に、要所で津野さんのギター・フレーズが冴え渡っている所がまたニクい演出で、これは『猛烈』同様に津野ニー不可避です。しかし、特にどこかで盛り上がるといった場面はなくて、どちらかと言えば全体を通してジワジワ浸透してくる感じの、言うなればスルメタイプの楽曲/アルバムという印象。なんつーか→「やりたいことやってるんで、それでいいです...」みたいな、それこそ【自己完結】という言葉がよく似合うアルバムだ。なんだろう、この『公園デビュー』でソロ活動(オナニー)するよりもセックスのほうが気持ちいい事に気づいちゃったというか、田舎の化粧を知らないクソブサイクな女子高生が化粧を覚えてTOKYOに上京からの大学デビューからのキョロ充化したのが『猛烈リトミック』みたいな感覚? なんだろう、この『公園デビュー』”本能的”な作品だとすると、あの『猛烈リトミック』は俄然”理性的”な作品と言えるのかもしれない。少なくとも、ちょっと背伸びして色気づいていた『猛烈リトミック』には無い、等身大の赤い公園すなわちスッピンの赤い公園が堪能できる、いい意味で本当に”ブサイク”な一枚だ。このアルバム、一般的というかサブカルクソ野郎からは評価が高いらしいけど、あの名盤『猛烈リトミック』を聴いた後では、どうしても過大評価にしか思えなかった。とはいえ、ある程度聴き込んでいく内に、なんだかんだ『猛烈リトミック』の”原形”あるいは”ルーツ”とも取れる要素に溢れたアルバムだって気づいちゃうと、全然過大評価なんかじゃあなくて、むしろ普通にスゲーいいアルバムなんじゃあねぇかって。

最後に→あのミカエル・オーカーフェルト率いるスウェーデンのOpethは、かのスティーヴン・ウィルソンがプロデュースした『黒水公園』の前に『Still Life』とかいう名盤を出しているが、でもこの『公園デビュー』赤い公園『Still Life』にはどう考えてもなりえなかった(ジャケこそ赤いけど)。そう考えると、やはりあの『猛烈リトミック』が生まれた事は奇跡に近い。でもって、やっぱ『猛烈リトミック』って”売れなきゃいけないアルバム”だよなーって、あらためて思うわけです。
 
公園デビュー
公園デビュー
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赤い公園
EMI Records Japan (2013-08-14)
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Sólstafir 『Ótta』

Artist Sólstafir
マイルドヤンキー

Album Ótta
Ótta

Tracklist
01. Lágnætti
02. Ótta
03. Rismál
04. Dagmál
05. Miðdegi
06. Nón
07. Miðaftann
08. Náttmál

ブラックメタル界のシガーロス・・・そんな異名を持つ、1994年にアイスランドは大レイキャヴィークで結成されたマイルドヤンキーこと、Sólstafirの約三年ぶりとなる5thアルバム『Ótta』がリリースされた。アヴァンギャルディでヤンキーなマイルド・ブラックメタルやってた初期から異質な存在としてマニアの間で話題を呼んでいた彼らだが、その名を一躍有名にしたのが2009年にリリースされた3rdアルバムの『Köld』で、轟音ポストロックやアトモスラッジやノイズやシューゲイザーやポストパンクなど、ありとあらゆる要素を持ち前のアヴァンギャリズムとクロスオーバーさせた、それこそ”アイスランドのAmesoeurs”かってくらい今流行りの激情系ポストブラックへとその姿を変えた。その二年後、かの霧の季節に移籍してリリースされた4thアルバムSvartir Sandarでは、着実に3rdのオルタナ路線を引き継ぎながら、同郷のシガーロスに対する想いの強さ、そして母国アイスランドに対する郷土愛に目覚めていた。そんな前フリがあっての本作『Ótta』は、これまでの流れからも予想できたように、もう完全にポストロック化していると言っても過言ではなくて、それはヨンシー親衛隊ことamiinaをはじめ、前作同様に数多くのシガロ作品で知られる重鎮Birgir Jón Birgissonをプロデュース/ミックスに迎えているのが、何よりの”答え”みたいなもんで→

Sigur Rós→Sólstafir→ANATHEMA ・・・今年、僕たちはamiinaBirgir Jón Birgissonという名前に見覚えがあるハズだ...そう、Alcestシェルターを手がけたアイスランド勢だ。まず、オープニングの#1”Lágnætti”の音使いを耳にすれば全てを理解することができる。それはシガーロス直系のストリングスとピアノの壮麗優美な音色が織りなす、それこそアイスランドの雄大な自然と大地をモノクロームに描き出すかのような、まるで深夜のドキュメンタリー映像集を観ているかのような力強いドラマティックな展開力に、その壮観な景色を目の前にして僕は只々唖然とするしかなかった。その流れを引き継いで、雄大な自然の育み(自然エネルギー)...生命の神秘(生命エネルギー)に満ち溢れた、アイスランドの歴史という名のホワイトシルクロードを、アイスランドという名の雪国が作り出す真っ白なキャンパスに描き映すかのような#2”Ótta”は、まさしく”ブラックメタル界のシガーロス”という異名を確かなものとする、セルフタイトルを冠するに相応しい名曲で、これはもうポストロック以外なにものでもない、ただひたすらに美しいリリカルで壮大な抒情詩に、ヴァイキングの末裔である俺たちの魂がアツく揺さぶられる...ッ!・・・あらためて、そのヴァイキンガーとしての民族性とアイスランディックな土着性を繰り返し煽るバンジョーのオリエンタルな音色をアクセントに、ここぞとばかりにフロントマンAðalbjörn Tryggvasonのヴァイキング魂が解放される魂の叫びから超絶epicッ!!なヴァイオリンへと繋がるクライマックスの展開に男泣き不可避な楽曲で、これこそアイスランドという小さな独立国家が歩んできた長年の歴史と文化、そのホワイトシルクロードとともに歩んできた音楽人生の中で、常に新しいモノへと”深化”してきた彼らが導き出した一つの”答え”であり一つの”終着点”だ。正確には”ポストロック化”というより”シガロ化”と言ったほうが的確で、あらためて今年のメタル界のトレンドはホモもといシュガーロス・ダイエットだなーなんて思いつつ、それはまるで現代の人間社会に生じる大きなヒズミのように、人間の闇を...人間の業を...人間の尊厳を深裂に抉りだすかのようなストリングスや音響意識の高いポピュラーなピアノ、そしてレディオヘッドばりにモダンな音使いを全面にフューチャーした、いわゆる”Art-Rock”に対する意識を高めてきたという点では、なぜ本作がANATHEMAファンなら間違いなし!みたいなウリ文句で大々的にプッシュされているのか?そのワケが実によーくわかる。・・・ん?ちょっと待てよ、これってつまり→ブラックメタル界隈からANATHEMASigur Rósを繋ぎ始めたってことか・・・?もうわけわからん...このマイルドヤンキー頭おかしいわ。その無人の荒野を彷徨う浮浪者ばりにダーティな姿は、さしずめデンマークの奇才ラース・フォン・トリアー黒澤明『七人の侍』をリメイクしたヤンキー映画『四人のSAMURAI』といった所か。

Vampilliaの上位互換 ・・・おいら、今年の初めに【Sigur Rós→Vampillia→Alcest】てな感じに、日本のサブカル左翼芸人ことVampilliaSigur RósAlcestを繋ぐ黄金の架け橋だ!なんーて例えたが、どうやら違ったみたいだ。アイスランドの至宝Sigur Rósとフランスの皇帝Alcestを繋ぐ真の架け橋こそ、このマイルドヤンキーSólstafirなんだって、この『Ótta』を聴いて確信することができた。近年で例えると→先ほどのVampilliaUlverあるいはKayo Dotにも精通する、experimentalismすなわち狂気イズムが込められた歪んだストリングス主体の”オルタナティブ”な音使いからは、なんつーかVampilliaが1stアルバムmy beautiful twisted nightmares in aurora rainbow darknessで本当に描きたかった音がこの『Ótta』に詰まっているような気がして、やはり”ニセモノ”の吉本芸人Vampilliaとはスケール感がまるで違うというか、単純に音の説得力が違いすぎる(自分の中で、Vampilliaといえば→the divine moveということもあって)。当然、その説得力はアイスランド生まれだからこそ成せる技みたいなもんで、邦楽のVampilliaにソレすなわち”ホンモノ”や”リアル”を求めること自体ナンセンスか。何にしても僕たちは今、”ホンモノ”を見極める真の審美眼が試されているのかもしれない。

アイスランド・サガ ・・・ここ最近の二作と比べてもかなり分かりやすい、まるでアイスランドの風土や匂いが漂ってくるようなシットリした音作りで、これまでの曲は大作志向が強く、収録時間も1時間越えが当たり前だったが、今回は従来の大作志向その傾向は少し弱まってトータル約57分という、あらゆる面で非常にシンプルかつコンパクトにまとめられている。しかし初期から一貫しているのは、アイスランド特有の静観な雪景色やその繊細な空気感を鮮明に、しかし幻想的に描写していくアトモスフェリックなセンスで、本作はそれがより顕著に表面化した実に”Post”な作風だ。その一貫した”らしさ”と多数の弦楽器を用いたamiinaによるストリングス・メロディが恐ろしいくらい自然に融け込んでいる。Sólstafirの総長もといフロントマンAðalbjörn Tryggvasonのパフォーマンスとしては→まるでアイスランド語を話す田舎のヤンキーが啖呵を切るような、粗暴なヤンデレ系ハイトーンボイスは少し抑えめになっていて、確かに初期や近作ほどの轟音や焦燥感や激情感を煽るエモーションは希薄だが、民謡テイストに溢れた抒情的なメロディを中心に、この北欧神話『アイスランド・サガ』のいち語り部となって聴き手を黄泉の国へと誘っていく。まるでスコットランド独立が叫ばれるこの時期に触発されたように、彼らの母国愛は極地に達した結果→彼らにしか成し得ない孤高の音世界、その唯一無二の世界観、その圧倒的な存在感は、それこそ北欧映画『孤島の王』との親和性を感じるほど気高い芸術性を放っている。こうしてアイスランドの音楽/映画/文化を一つの音に落とし込んで誕生したのが、この歴史的芸術作品『Ótta』であり、そして昨年36歳の若さで亡くなったフランスのブラックメタルバンド、Vorkreist他の女性ベーシストMarianne Séjournéに捧げる鎮魂歌(レクイエム)なのである。

Otta
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Solstafir
Season of Mist (2014-09-02)
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Cynic 『Kindly Bent to Free Us』 レビュー

Artist Cynic
Cynic

Album 『Kindly Bent to Free Us』
Kindly Bent to Free Us

Tracklist
01. True Hallucination Speak
02. The Lion's Roar
03. Kindly Bent To Free Us
04. Infinite Shapes
05. Moon Heart Sun Head
06. Gitanjali
07. Holy Fallout
08. Endlessly Bountiful

【レジェンド】・・・2011年にリリースされた前作のEPCarbon-Based Anatomyといえば→伝説の1stアルバム『Focus』から15年ぶりに目覚めた奇跡の復活作『Traced In Air』のファンタジックかつオリエンタルな方向性を更に深く掘り下げたような作風で、サウンド的にも持ち前のボコーダーを駆使したスペーシーかつドリーミーな神秘性や理系くさいメタリックでテクニカルなヲタメタル色は希薄となり、比較的オーガニックな音作りとポストロッキンなアプローチを強めると同時に、より多彩な民族音楽を用いたウッホウッホホなオルタナへと深化した、言うなればポストプログレッシブ的なスタイル、言うなれば『未知なる部族との遭遇』だった。悪く言えば日和ってエモくなった。で、2ndの『Traced In Air』『もののけ姫』のシシ神様をモチーフにした作品だとするならば、このEP『Carbon-Based Anatomy』は同作のタタリ神をモチーフにしたような作品だった。そんな、(今では珍しくも何ともないが)ジャズ/フュージョンとデスメタルをクロスオーバーさせたバンドの先駆けであり、今流行りのDjent界隈に多大なる影響を及ぼしたUSのレジェンドことCynic。フルアルバムとしては約6年ぶりとなる待望の3rd『Kindly Bent to Free Us』は、エンジニアにロブ・ゾンビの作品で知られるJason Donaghyを迎えてレコーディングされている。

【オーガ(シ)ニック】・・・まず、オープニングを飾る#1”True Hallucination Speak”のまるでPorcupine Tree『Fear Of A Blank Planet』ライクなイントロから、この手の好き者ならばニヤリとしてしまうだろう。近年Mastodonライクなジュクジュクしたキザミリフ主体の”オーガニック”なクラシック・ロックに→「ポール・マスヴィダルの新プロジェクトかな?」と面食らい、中盤からジョン・ペトルーシ顔負けのスリリングな速弾きGソロからのツーバスドコドコを使った緩急を織り交ぜながら、実にシニックらしいアート性をもってプログレスに展開していく。もはや、この一曲だけでUKプログレおよびUSプログレを掌握するかのような一曲だ。それぐらい、恐ろしいほどの音の密度を感じる。その流れから、近年Baronessを彷彿とさせるストーナー風の”オーガニック”なリフ回しで始まる#2”The Lion's Roar”は、UKのIt BitesやスウェーデンのA.C.Tらのシンフォ/プログレハードを連想させるコーラスとポップなボーカルが織りなす爽やかなハーモニーとA Kamikaze seedとかいう謎の歌詞がポイントで、これにはA.C.Tも「えっ、僕たちクソ久しぶりに新譜リリースしたんですがそれは・・・」と訴訟不可避。で、ここまでの”オーガニック”な序盤の流れを聴けば分かるように、少なくとも今作は2ndの『Traced In Air』ではなく、前作のEP『Carbon-Based Anatomy』のオルタナ路線を素直に踏襲した作風だと理解できる。当然、2ndみたいなアンビエンスがかった音響ライクな音作りではなくて、とにかくリフからソロからプロダクションまで”オーガニック”を意識したクラシックな音作りで、まるでネフェルピトーの”脳みそクチュクチュ”、もしくは花京院のハイエロファントグリーンが脳幹に侵入して結界を張り巡らせていくような刺激的なキザミリフを主体に、本来のシニックらしいテクニカルなプログ・メタルではなく、いわゆる”クラシック”な”プログレッシブ・ロック”というものを現代風の解釈で描き出している。まさかあのシニックが”あのキザミ”リフを取り入れてくるなんて想像してなかったし、Gソロに関しても大きな特徴だったフュージョン色は皆無で、もはやDTジョン・ペトルーシばりにピロピロ弾きまくってて笑う。

【俺がプログレだ】・・・そして表題曲の#3”Kindly Bent To Free Us”のイントロからテクニカルな低音キザミリフまで、シニックの一番弟子に当たるScale the SummitThe Collectiveライクな小回りの効いたリフ回しを耳にした時は→「まぁ、弟子だから多少はね?」とか思いながら、ここに来てようやく本来のシニックらしいジャジーで幻想的なムードを高めていく。が、ここでも寂寥感を煽るタイトなベースの音使いに、二番弟子であるIntronautを想起させる。で、まるでOpeth『Damnation』ライクな哀愁よろしゅうイントロで始まる#4”Infinite Shapes”は、ポールのサイドバンドÆon Spokeっぽくオルタナ風に仄暗い空間を演出しつつ、トドメにThe Rasmusライクなエモい転調から闇夜に響き渡る狼の鳴き声の如し泣きのGソロまで、トコトンOpethリスペクトな曲。で、ドイツのThe Oceanを筆頭としたポスト界隈からの影響が伺える#5”Moon Heart Sun Head”、遂には兄弟分のExiviousライクな#6”Gitanjali”まで、序盤の”オーガニック”な始まりとは一転して、中盤はシニック自身やポールのサイドプロジェクトを含む現代的なプログレ/オルタナからの影響が顕著に表れた楽曲が続いていく。で、終盤の流れは→いわゆるATMS界の初代王者たる所以を見せつける#7”Holy Fallout”、そして本編ラストを飾るのは#8の”Endlessly Bountiful”で、あのレジェンドがまるでクリスマス・ソングみたいな、ここまであざといぐらいのエモい曲を書くなんて・・・僕はもう何も信じられなくなった。

ピッチフォークとニューヨークタイムズからの寄稿

【プログレッシブ・デス・ピッチ】・・・正直、今作がPitchforkでフルストリーミング配信された時から嫌な予感はしてた。まずリフがクソつまらないです。もう一回言うけど、リフがクソつまらないです。とにかく既聴感しかない。でもリフはパクリだらけだけど、異常に高い曲の構成力に無意識のうちに惹き込まれ、ふと気づいたらその世界に入り込んでいる辺りは、さすがレジェンドらしいシニックの【ATMS】に対する意識の高さゆえだと。これがレジェンドの作品じゃなければ、手放しでプログレマニアに高く評価されたんだろうけど、現にシニックの約6年ぶりのフルアルバムとして考えると、正直物足りなさが否めない。このアルバムで唯一評価できる所を挙げるとすれば→それは「えぇ!?レジェンドがそれやっちゃう!?」という”意外性”だけです。つうか、ある意味”禁じ手”やっちゃってるわけだから、これ以上はもう解散しかなくね?って、そんな一抹の不安を感じてしまった。なんつーか、ピッチみたいなニワカ御用達メディアを口説くには、最近のマストドンみたいなクラシックな音を出しときゃいいんでしょとメタル界隈が学んでしまった感。あらためて、やはり現代アメリカン・ヘヴィメタルの雄であり現代プログレの中心に位置するマストドンの存在は無視できないものがあったんだろう。

ポール・マスヴィダルの脳ミソ

【Post-Progressiveへの憧憬】・・・少し話は戻るが、今作のような”オーガニック”もしくは”クラシック”な変化というと→Opeth『Heritage』を想像してもらうと分かりやすいかもしれない。なんつーか、昨年のRiversideKATATONIAも、ある意味でAlcestもそうなんだけど、ここ最近のメタル界隈、特にベテラン勢の作品には大きな”変化”が巻き起こっている。2ndから約6年間、ポールの意識の中にOpethHeritageMastodonの名盤Crack The Skyeや迷盤The Hunterの存在があったなんて事は知る由もないけど、少なくとも今作はクラシック・ロックに対する敬意とPost-Progressiveに対する憧憬が入り混じった、【Porcupine Tree?SW Teacher?Kayo Dot?Frost?Opeth?DT?A.C.T?Baroness?It Bites?Mastodon?Scale the Summit?Intronaut...?】それら21世紀以降の近代的な”プログレ”と称される全てを網羅した、つまり『勝手に21世紀のプログレ総括しちゃいましたテヘペロ』的な一枚。もはやKscopeに所属する全バンドが「マジかよシニック最低だな」もしくは「汚いなさすがシニックきたない」と阿鼻叫喚する様子が思い浮かぶほど(今作がポストプログレ界隈に与える影響って実は少ないと思うけどね)。そういった意味では→あのピッチフォークが「21世紀におけるアート・ロックの新しいカタチ」と言うのも至極納得できるし、UKのプログレメディアが年間BESTに挙って持ち上げそうな予感はする。しかし、近年のプログレ界隈が徐々に脱ヲタ化もといハードロック化していく流れ・・・正直嫌い。いかんせん、この悪い流れがOpethMASTODONの新作へと繋がっていきそうなのがまた何とも...。

【プログレセンター試験】・・・もはや、これはレジェンドCynicではない、至ってシンプルな”プログレ”なんだ。いい意味でも悪い意味でも”ただのプログレ”、それ以上でもそれ以下でもない。プログレ好きによるプログレ好きのためのプログレだ。どこか新しくもありどこか懐かしくもあるプログレ浪漫飛行、もしくは現代プログレ大全集だ。これは世界中のプログレヲタクが試されているのかもしれない。自分がどれだけ”プログレ通”なのかを測る、言うなれば【プログレセンター試験】だ。聴き手側のプログレに対する意識の高さが問われると同時に、今のレジェンドに対して”らしさ”を求めるか”プログレ”を求めるかによって、どのような嗜好でどのような立ち位置から聴くかによって評価が大きく変わってくる作品だ。この試験の問題を解いてる時は、それこそプログレヲタクの脳みそを断面図にしたようなグロいアートワークのように、脳幹が働きまくって脳汁が溢れ出す勢いだった。自分で言うのもなんだけど、個人的にはB判定くらいは取れたんじゃあないかと。でも、唯一Toolに関する応用問題だけは解けなかったから勉強し直しかな? 何回も言うけど、今作はピッチをも巻き込んだプログレセンター試験です。今作を高く評価する奴はプログレガチ勢であると同時にニワカである証明だという...ね。しかしながら、このレジェンドに対して正しい評価を下せる俺ってやっぱカッケーわ。僕は、今作を無理くり褒め称えるようなニワカプログレヲタだけには絶対なりたくないんだ。もはや「ニワカプログレッシャーよ、俺の感性を超えてみろ」って感じだ。兎にも角にも、まるでハンターのパリストンばりに有能なポールの大胆な発想と器用さに驚きと賞賛を。

【ヒニック】・・・それこそ映画『もののけ姫』のラストでシシ神様が死を迎えたように、これにてレジェンドが築き上げてきた孤高の創造神話は無残にも崩れ落ちてしまった。当然ながら、2010年にグロウル担当のTymon Kruidenierが脱退しているため、初期のデスメタルらしき要素は微塵も存在しない。そして、ただただ驚いた。伝説の1st、15年の眠りから覚めシシ神化した2ndと革命的なスタイルでシーンに多大な影響を与えてきたレジェンドが、今度は逆に影響を与えた弟子から影響を受けていることに対して。例えるなら→銀河の果ての存在であるシシ神様が土臭い地上へと降り立ち、平民と同じ目線で日々の暮らしを体験してみた、みたいな。なんて皮肉なことなのだろう。これぞまさにヒニックだな!

Kindly Bent to Free Us
Kindly Bent to Free Us
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Cynic
Season of Mist (2014-02-18)
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