Artist A Perfect Circle
Album 『Eat The Elephant』
Tracklist
90年代のグランジ・ブームの流れを正統に引き継いだ、いわゆる00年代以降のヘヴィロック黎明期の中心的な存在と言っても過言じゃあない、Toolのフロントマンメイナード・キーナン率いるA Perfect Circleの約14年ぶり通算4作目となるアルバム『Eat The Elephant』は、UK発祥の「Post-Progressive」に対するUS側からの回答である。
先日伝えられた大手ギターメーカーで知られるギブソン社破産のニュース、それは同じくロックの終焉を意味していた。元々、それこそもう十数年前から「ロックは死んだ」だとか「ロックはオワコン」だとか、何か事ある毎に騒がれ続けていたけれど、このギブソン破産のニュースはその聞き飽きた「フレーズ」に対して、この上ない説得力として重くのしかかるような出来事だった。この「ロックの終わり」は、いわゆる「ロックの花形」とされたギターヒーローが持て囃される時代の終わり、例えばギターリストが眩いスポットライトを浴びながら、ツインリードやソロバトルを披露してアリーナの観客がワーキャーする時代の終わり、つまり豚貴族やイケメンの超絶ピロピロギュイーンにブヒーと熱狂する時代は終わったんだ。
Album 『Eat The Elephant』
Tracklist
01. Eat the Elephant
02. Disillusioned
03. Contrarian
04. The Doomed
06. TalkTalk
07. By and Down the River
08. Delicious
09. DLB
10. Hourglass
11. Feathers
12. Get the Lead Out
90年代のグランジ・ブームの流れを正統に引き継いだ、いわゆる00年代以降のヘヴィロック黎明期の中心的な存在と言っても過言じゃあない、Toolのフロントマンメイナード・キーナン率いるA Perfect Circleの約14年ぶり通算4作目となるアルバム『Eat The Elephant』は、UK発祥の「Post-Progressive」に対するUS側からの回答である。
先日伝えられた大手ギターメーカーで知られるギブソン社破産のニュース、それは同じくロックの終焉を意味していた。元々、それこそもう十数年前から「ロックは死んだ」だとか「ロックはオワコン」だとか、何か事ある毎に騒がれ続けていたけれど、このギブソン破産のニュースはその聞き飽きた「フレーズ」に対して、この上ない説得力として重くのしかかるような出来事だった。この「ロックの終わり」は、いわゆる「ロックの花形」とされたギターヒーローが持て囃される時代の終わり、例えばギターリストが眩いスポットライトを浴びながら、ツインリードやソロバトルを披露してアリーナの観客がワーキャーする時代の終わり、つまり豚貴族やイケメンの超絶ピロピロギュイーンにブヒーと熱狂する時代は終わったんだ。
しかし現代のロックシーンで、このA Perfect Circleほど「ギター」が活躍するバンドは他になかったかもしれない(過去形)。APCといえば、一般的に「Toolのメイナードのサイドプロジェクト」という認識が強いと思うのだけど、しかしそのメイナードと同じくらい、いやAPCの音楽を構成する上で欠かせない最重要人物こそがギターリストのビリー・ハワーデルだ。その特徴的なギターの歪みやリヴァーブを巧みに駆使して変幻自在に音を繰り出し、時にシューゲイズ・ギターのリフレイン、時にエモーショナルなフレーズ、時にミニマルで理知的なポストリフなど、次から次へと波状攻撃のように襲いかかるリフやフレーズが幾重にも重なり合って唯一無二の空間表現、いわゆる「ATMSフィールド」を広域に展開していくのが彼のプレイスタイルだ。決して(頭以外は)派手なギターリストではないが、もはやギター仙人とでも呼びたいくらい細部まで徹底してこだわり抜かれたギターの音作り、その「ATMS界の王」による空間描写は、このロックシーンを代表するギターリストの1人としてその存在感を示している。とにかく、まさに「ギターが主役」と呼べる彼の存在はAPCのキーパーソンであり、そのビッグなギターリフからアリーナ級のギターフレーズ、そして病的なバッキングへと全ての音をギターで繋ぎ、まるで一寸の狂いのない「完璧な円」を描き出すように、このAPCの深淵な世界観を繊細かつ大胆に描写していく。
それこそ世はまさに「ヘヴィロック時代」の幕開け、その金字塔となった2000年のデビュー作『Mer de noms』は、90年代前半のグランジムーブメントの血を正統に受け継いだヘヴィロック然としたダイナミックで重厚なギター中心のアルバムだった。それに対して、2003年作の2ndアルバム『Thirteenth Step』では、一転して今度は90年代後半に次世代のオルタナとして誕生したポストロックの影響下にある、いわゆるPost-系のミニマリズムを追求した、より繊細かつ緻密な空間表現と世界設定に徹した作風だった。中でも、その2ndアルバムを象徴する名曲”Blue”は中期のANATONIAをはじめ、スティーヴン・ウィルソンことSW界隈にも精通する幽玄でサイケデリックなオルタナで、他にもこの2ndアルバムはSWの1stアルバムやDjentを代表するTesseracT、国内ではDIR EN GREYなど、つまり後世のPost-系を代表するバンドやギターリストにも強い影響を与えた傑作であり、つまるところAPCは当時から誰よりも早く独自のPost-Progressiveを作り上げていたのだ。
しかし、この度のギブソン社破産というギター・ロックシーンへの強い向かい風は、皮肉にもギブソンのレスポール使いでも知られるビリー擁するAPCの復活作にも影響を与えていないハズがなかった。そして、その約14年ぶりとなる新作『Eat The Elephant』のオープニングを飾る表題曲を耳にした瞬間、「ギターは死んだ」という現実に打ちのめされて絶望した僕は、その場でギターを床に叩きつけてブッ壊した。
まるで「ギターとの決別」を宣言するような、誤解を恐れずに言うと日本のインストバンドみたいな、ピアノとドラムの打楽器中心にジャズのビートとグルーヴを醸し出す、これまでの「ギター命」だったバンドの作風とは一線を画した言うなればピアノ・ロック的な音使いからも、現代ロックシーンにおける大きな時代の変化を感じ取ることができる。悲しいかな、この20年でギターの存在価値は地に落ちた事を証明するかのようだった。もうギターだけでどうこうする時代じゃなくなったんだって。ここで僕は考えた、じゃあ逆に今のロックにおける「ギターの居場所」って一体どこにあるんだ?って。そこで真っ先に思い立ったのが、他でもない2017年に発表されたスティーヴン・ウィルソンの新作『To the Bone』だった。
SWの『To the Bone』は、エレクトリックギターが時代遅れの遺物とされるこのご時世に反抗するような、「最高のポップス」であると同時に、まるでオエイシスが復活したような「最高のギターロック」アルバムでもあった。そんな、PRSのCustom 22やフェンダーのテレキャスを愛用しているSWは、過去に天才ギターリストとして有名なガスリー・ゴーヴァンをSWバンドの一員として迎え入れるほど、とにかく「ギター」に対する「こだわり」がとても大きい人でも有名だ。そして、今年の11月には「現在CDを1枚も出していない大物ギターリスト」と言われるアレックス・ハッチングスをサポートに引き連れて、「ギターは死なぬ」と「ギターここにあり」と声高らかに宣言する奇跡の来日公演を開催するので、是非ともこのライブを全国のギターリストたちに観ていただきたい(アツい宣伝)。それこそ、ヘタしたらSWよりもアレックスの超絶ギタープレイを目当てに足を運ぶギターマニアの方が多いかもしれない。
「幻滅した」という直接的なメッセージがタイトルに込められた、2018年の元旦に発表された2ndシングルの#”Disillusioned”は、ここで初めてギターらしいギターの音が聴こえてくるというか、しかしビリーの歪んだギターが魅惑のリフレインよりも、あくまでも「ピアノが主役」と呼べるPost-Progressiveな曲で、決してこれまでのように「ギターが主役」と呼べる曲ではなかった。もはや「ギターソロ」の代わりに「ピアノソロ」がある所からも、いわゆるバンドサウンドにおけるギターの優先順位、格付けが地に落ちたことを裏付けるようだった。つまり、ギターは「メイン」の楽器ではなく、あくまでも一つの曲を彩る「一部」に過ぎないと。
インダストリアルなアレンジを効かせた#3”Contrarian”は、ここぞとばかりにシューゲイズ・ギターを駆使してGod Is An AstronautばりのATMSフィールドを描き出す#3”Contrarian”は、フェイクニュース合戦となった先のアメリカ大統領戦のアナルトランプがマニフェスト(公約)として掲げた、メキシコの国境に壁を設置する発言、イスラム入国禁止などの移民排他政策、TPPをはじめとした貿易、雇用問題、そして日本車うぜえ発言など、それらの共和党信者が大喜びする嘘(フェイク)で支持を集めたトランプをマジシャン(道化)であると揶揄するリリックが辛辣。
今作のハイライトを飾る、2017年に発表された1stシングルの#4”The Doomed”は、それこそ大統領選があった2017年の歪んだ政治的・社会的な背景を元に、キリスト教原理主義者を支持層の一つとする共和党に対する皮肉と怒りを、キリストの説教を歌詞に取り入れて逆説教をかますメイナードの強烈なボーカルパフォーマンスは、有無を言わせぬ圧倒的な説得力に満ち溢れている。その曲としては、この困憊した世界情勢のように不穏なアトモスフィアやカナダのElsianeを彷彿させるエスニックでアートポップ的なアレンジ、そしてやはり「What of the pious, the pure of heart, the peaceful? What of the meek, the mourning, and the merciful?」のコーラス部分がANATHEMAの”Thin Air”を彷彿とさせ、それらの皮肉めいた歌詞やPost系然とした曲展開からも、この曲が今作の全てを象徴していると言っても過言じゃあない。
「さようなら、いままで魚をありがとう」
このタイトルは、イギリスのSF作家ダグラス・アダムズのSFシリーズ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の第4章の最後のシーン、それは地球で二番目に知能の高いイルカが地球で三番目に知能の高い人間に対して言い放った最期のメッセージで、これは現代の物質主義を嘆き、核実験をはじめ人間によって引き起こされた大気汚染、地球温暖化や自然災害などの環境破壊によって「世界の終わり」が間近に迫ることを察したイルカさんが、無知で馬鹿な人類のために残した最後通告である。そんな、さかなクンさんリスペクトな「全ての哺乳類と魚さんにマジ感謝」する、「マザー・アース」ならぬ「マザー・フィッシュ」なリリックが込められた4thシングルは、ギターみたいな超物質的な木の塊を海に投げ捨てて(おい)、その代りに高貴な気品に満ち溢れたストリングスや心躍るピアノをフィーチャーしたAPC史上最もポップな曲で、それらのLOVE&PEACEなリリック面やトラック面からも、俄然今作がKscopeからリリースされても全くおかしくない、アートポップやニューエイジを経由したPost-Progressiveであることを強調している。3rdシングルとなる#6”TalkTalk”も幕開けから終始ピアノの音をフィーチャーした曲で、ここまで表題曲を含む全てのシングルでギターよりもピアノにスポットライトを当てていて、そこから理解できるのは、音楽面では物凄く現代的なアプローチを、それと同じくしてリリック面でも現代社会を風刺する辛辣なリリックを展開している。
彼らが深い眠りについていたこの14年の間に、よそのジャンルや業界から「ロックは死んだ」と蔑まれながらも、アンダーグラウンド・ロック界隈で密かに生まれ育まれていったのが、他ならぬDjentとPost-Progressiveである。初期の頃からMASSIVE ATTACKやNine Inch Nailsなどのインダストリアル・ロックに精通し、ストリングスやアコースティック、そして幽玄なATMSフィールドを筆頭に、元からPost-Progressiveの素養を持ち合わせていた、それこそSWの音楽に欠かせない音使いを全て兼ね備えたエリートバンドだったが、まるで数年の月日を経て復活したと思ったらLOVE&PEACEなArt-Rock/Post-化してたANATHEMAみたいな、ここにきて自分たちのヘヴィロックをアップデイトするのではなく、アート・ロックを経由した現代プログレへと華麗に転身して見せている。今作のプロデューサーにはオエイシスの作品でもお馴染みのデイブ・サディーを迎えている点も、オエイシス繋がりで俄然SWの『To the Bone』と重なる部分が多くて驚く。これSWとAPCのツーマンあったら面白いだろうなって。これからはプログレの世界こそ、「世界の終わり」のイルカのように「ロックの終わり」で行き場を失ったギターが輝ける唯一の居場所なのかもしれない、そう強く思わせる出来事だった。
アルバム後半のハイライトを飾る#11”Feathers”では、今までのフラストレーションを晴らすように、ビリーのギターが象の鳴き声のごとく唸りを上げる。そしてラストを飾る#12”Get the Lead Out”は今作を語る上で欠かせない曲で、相対性理論の”FLASHBACK”を彷彿させるヒップホップ然としたトラックを用いることで、14年経っても常にオルタナティブの姿勢を見失わずに、かつ実験的な部分も踏まえてPost-Progressiveの未来を提示して見せている。もうずっと前にロックが終わりを告げたと同時に、そのロックに代わって現在に至るまで(今まさに)全盛期を迎えている音楽、それがラップ/ヒップホップである。この曲は、ある意味で00年代のロックシーンの一時代を築き上げたバンドがそれ(敗北)を認めたような、いや、ロックとヒップホップの切っても切れない密なる関係性、その未来志向の関係を改めて自分たちの音楽で示しだしたというか、改めてAPCの偉大さを実感する最重要案件である。
ここで改めて、タイトルの『Eat The Elephant』の「象」は触れちゃいけない「タブー」の象徴であり、同時に共和党のシンボルでもある。その『象を食らう』というタイトルはアメリカの共和党批判に他ならない。バンドの中心人物でありフロントマンのメイナードは、「現在の偏向された社会的、精神的、政治的な問題に対して、我々アーティストは大きな声を上げて、希望という名の光を分け与えていく必要がある」と語るように、病的な現代社会が直面する様々な危機にイルカさんに代わって警鐘を鳴らすかの如く、この14年間に起こった地球の変化、世界情勢の変化、その最な例であるアナル・トランプ爆誕を皮肉交じりに揶揄しながら、過去最高にメッセージ性の強い歌詞を展開する。
そのメッセージを伝える役割を担うメイナードの歌は、初期作のように激しく吐き散らすような歌い方や情緒不安定な歌い方ではなく、それこそR&Bの女性歌手みたいな艷のある、優しく包み込むようなフェミニンな母性と体温を感じるアンニュイなボーカルで、中でも3曲目の”Contrarian”のネットリまったりな歌い方とかは、カナダのアートポップElsianeのElsieanne Capletteに影響されてるんじゃないか説あって、一方で”さようなら、いままで魚をありがとう”を筆頭に全体的に「ポップ」というよりは「メインストリーム」をフォローしたメロディを歌ったかと思えば、一転して”The Doomed”では時に聡明な面持ちでリリカルに、時に激しく罵倒するように吐き散らす、つまりカメレオンのように常に流動的に変化し続け、道化師のごとしシニカルなボーカル・マジックを繰り広げている。そのメイナードと今作のメイン楽器であるピアノの相性は言わずもがなにグンバツで、確かに、これまでのファンの中には「これただのメイナードのソロアルバムじゃねーか」ってツッコミ入れる人も少なからずいるかもしれない。しかしこれは宇宙から見た地球のようにツルッツルで美しい、ハゲ(メイナード)とハゲ(ビリー)が融合した「完璧なハゲ」だ。
一つ一つの曲に意味と物語があって、曲の繋ぎをギャップレスにすることで、同時にアルバム全体のストーリーに繋がっていくので、ある意味コンセプト・アルバムっぽいノリも少なくはない。確かに、ヘヴィロックバンドとしてのAPCとして考えたら、この14年のブランクがバンドに及ぼした「変化」についていけないかもしれない。でも逆に、Post-界隈には歴史的なアルバムとして記憶に残りそうな一枚ではあるし、何よりも現在のロックシーンにおける「ギターの現在地」として解釈すると俄然面白いアルバムだと思う。しかし唯一気がかりなのは、このアルバムにおける「変化」が現在レコーディング真っ最中の本家Toolの新作に影響を及ぼしているのか否かで、一体どうなることやら。