Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

Blackgaze

So Hideous - None But a Pure Heart Can Sing

Artist So Hideous
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Album 『None But a Pure Heart Can Sing』
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Tracklist
01. Souvenir (Echo)
02. The Emerald Pearl
03. Intermezzo (3)
04. Motorik Visage
05. From Now (Til The Time We're Still)

何やら2021年の「Spotifyまとめ」によると、今年自分が聴いた音楽ジャンルのランキング2位がブラックゲイズとのことで、しかしひとえにブラックゲイズと言ってみても今やブラゲも多様性のあるサブジャンルと化しているのも事実。この手の界隈を代表するDeafheavenのようなポストメタル系ブラックゲイズ、sonhos tomam contaParanoulのようなサブカル同人系サブラックゲイズ、Portrayal of GuiltViolet Coldのようなアンチクライスト系ブラックゲイズなど。そんな中、このニューヨークはブルックリン出身のSo Hideousもブラックゲイズの多様性を象徴するバンドの一つと言っても過言ではない。

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彼らは2013年にデビュー作となる『Last Poem / First Light』を発表、その二年後にリリースされた2ndアルバム『Laurestine』では、1stアルバムの延長線上にある初期のDeafheavenInfant Islandを連想させる激情ハードコア/スクリーモ系のブラックゲイズを主体に、彼らのアイデンティティとも呼べるシンフォニックメタル顔負けの壮大なオーケストレーションをはじめ、同郷のLiturgyとシンクロする大聖堂に響き渡るかの如しチェンバーミュージック然としたピアノ/ストリングスが恍惚な旋律を奏でる美しい轟音でブラゲシーンのド肝を抜いた(さしずめブラックゲイズ化したJuniusみたいな)。

そんな前作から約5年ぶりとなる3rdアルバム『None But a Pure Heart Can Sing』は、彼らの長所とも呼べるチェンバーミュージック的な美しさにより磨きをかけながらも、着実な進化を伺わせる俄然ポストメタルとしてのスタイルが強調された作風となっている。それこそアルバムの入りからして、Ulverが地元のオーケストラとコラボした『Messe I.X-VI.X』顔負けの不穏な空気を漂わせる無慈悲なチェンバーミュージック的でありながら、Convergeチェルシー・ウルフのコラボアルバムを彷彿とさせるポストメタル然とした轟音ヘヴィネスやハードコア/パンクな咆哮が織りなす#1“Souvenir (Echo)”は、プログレッシブな流動性とカオティックな混沌を内包した、少なくとも過去作とは一線を画す一曲となっている。

一転して、ケニー・G顔負けの扇情的かつアヴァンギャルドなサックスを『カウボーイ・ビバップ』ばりにフィーチャーした#2“The Emerald Pearl”、前半パートの俄然ポストロック/ポストメタル然とした轟音からブラックゲイズ界のイコンであるDeafheavenの名盤『サンベイザー』とシンクルするピアノと優雅なストリングスがクソサイテーな世界を美しく彩る後半に分かれた#3“Intermezzo (3)”、ここでようやくブラックゲイズらしさと映画のサントラ並にクラシカルなストリングスが出会い愛憎にまみれた狂奏曲を描き出す大作の#4“Motorik Visage”は本作のハイライトで、その壮絶的な大作のエンディング的な役割を担うイントロのピアノから終始恍惚の旋律を奏でる#5“From Now (Til The Time We're Still)”まで、とにかく「冷静に考えて凄くないかこのアルバム?この5年に一体何があった?」と邪推不可避なくらい、もはや最高傑作だとかそんな生半可な言葉じゃ説明できないくらい、ちょっとバンドとして覚醒しちゃってる気がする傑作。

portrayal of guilt - CHRISTFUCKER

Artist Portrayal of Guilt
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Album 『CHRISTFUCKER』
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Tracklist
01. Intro To CHRISTFUCKER
02. The Sixth Circle
03. Sadist
04. Fall From Grace
05. Dirge
06. Bed Of Ash
07. The Crucifixion
08. Master/Slave
09. ...where the suffering never ends
10. Possession

このテキサス州はオースティン出身のportrayal of guiltも某アレックス・フィッツパトリックに見出され、2018年にHoly Roar Recordsから1stアルバムを発表しているバンドで、その音楽性も出自がホーリーシーもといホーリーロアー即ちフィッツパトリックの趣味嗜好に裏付けられたデスウィッシュ系のカオティックなハードコアをルーツとするBlackgazeであり、それこそ(かのウィル・イップをエンジニアに迎えた)今年の初めにリリースされた2ndアルバム『We Are Always Alone』は、ブラゲはブラゲでもハードコア/パンクやエモ/スクリーモの文脈からBlackgazeを紐解いた、要するに昨今のトレンドを抑えたエモ・ラップならぬエモ・ゲイズで、しかし個人的な印象としてはさしずめ「今年のInfant Island枠」くらいの認識しかなかったのも事実。

しかし、その前作から約9ヶ月ぶりという短いスパンで発表された3rdアルバム『CHRISTFUCKER』の方が実は凄いんじゃねぇか説あって、勿論そのナントカ隆法総裁のイタコ芸により「マザッ ファカッ!」ならぬ「クライスッ ファカッ!」するかのような、ブラックメタルらしいアンチクライストな逆✝字タイトルを精神的支柱としながら、その音楽性もBlackgazeというニッチな立ち位置だけにとどまらず、昨今におけるヘヴィミュージック界のトレンドであるThou顔負けのスラッジーな邪悪ネスをはじめ、新世代メタルを代表するコード・オレンジや元レーベルメイトのveinおよびGulchなどと否応にもシンクロするノイズ/インダストリアルな打ち込みを取り入れた革新的なスタイルへと変貌を遂げている。また、本作は元レーベルメイトであるMØLの2ndアルバムDioramaと同じく界隈の重鎮であるテッド・ジェンセン案件となっているのも偶然にしては皮肉が効いてて面白い。


さしずめ『アンチクライスト』界のルシファーであるAltar of Plaguesの正統後継者を襲名して「クライスッ ファカッ!」するような、まるで天使と見せかけた悪魔を地上に降臨させるSEの#1“Intro To CHRISTFUCKER”から、黒魔術の儀式を執り行う不協和音的なリフとThou直系のノイジーかつブルータルな邪悪ネスがドス黒い『惡の華』を咲かせる#2“The Sixth Circle”、スラッジーな邪悪ネスが悪魔のイタズラの如く暴虐的に襲いかかる#3“Sadist”、ノイズ志向の高い#4“Fall From Grace”、混沌蠢く呪術的なリフやブラストビートを交えながらカオティックホラーに展開する#5“Dirge”、本作におけるノイズ/インダストリアルな嗜好を象徴する打ち込み主体の#6“Bed Of Ash”、出自であるハードコア/パンクらしさを垣間見せる#7“The Crucifixion”、ノイズコアの#8“Master/Slave”、某占星術師からしかし地獄行くと宣告された時の不安な気持ちが音像化したような#9“...Where The Suffering Never Ends”、そして本作の鍵を握る邪悪ネスの権化となる#10“Possession”まで、このように前作で注目を浴びた理由とその悪魔的な才能を裏付けるような、まるでメインストリームでチャラいメタルやってイキってるコード・オレンジに対するアンダーグラウンド側からのカウンターポジションを担う本作品。それこそ、自分のように本作でその才能に魅入られてから前作の解像度がより高まるパティーンもあるので、要するに同年に短期間でドロップされた2枚の作品は天使と悪魔の関係性と同じように表裏一体であると。

MØL - Diorama

Artist MØL
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Album 『Diorama』
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Tracklist
01. Fraktur
03. Serf
05. Redacted
06. Itinerari
07. Tvesind
08. Diorama

UKを代表する気鋭のインディーズレーベル、Holy Loar Recordsの創始者であるアレックス・フィッツパトリックがやらかした結果、レーベルに所属する気鋭の才能を持つ数多くのバンドが路頭に迷う事となったわけなんだけど、このデンマーク出身の新世代メタルバンドであるMØLもHoly Loarを背負って立つ有望株だったのは確かで、しかし奇遇にも悲運に見舞われたこのタイミングで(代表が新レーベルのAtomic Fireを立ち上げた)業界最大手のNuclear Blastに引き抜かれたのは何の因果か。しかし、本作を聴き終えた今思えば、結果的に新作をリリースするタイミングで半ば不可抗力的に引き抜かれたのは彼らにとって非常に幸運であり好都合な出来事だったのかもしれない。

そんな、フィッツパトリックに見出され鳴り物入りでHoly Loar Recordsからリリースされた1stアルバムJORDから約3年ぶりとなる2ndアルバム『Diorama』は、ヘヴィミュージック界を代表する重鎮テッド・ジェンセンをエンジニアに迎え、その楽曲自体も元レーベルおよびフィッツパトリックの趣味嗜好であるAlcestDeafheavenの影響下にあるブラックゲイズ~ポストメタル、あるいは新世代メタル界のホープとしての“らしさ”を前作から正統に引き継ぎつつも、まるでフィッツパトリックから喧嘩を吹っかけられたBFMVの新譜BFMVに加勢するかの如し、それこそフィッツパトリックへの手向けとしてMØLなりの「ご愁傷様」のお気持ちが込められた、心機一転そんな著しく洗練されたメジャー感を打ち出したエクストリーミーなサウンド、そのワンランク上の強度の高さからは確かな正当進化を伺わせる。


『ジオラマ』を冠する本作の幕開けを飾る#1“Fraktur”からして、Alcest『Kodama』Esben and the Witchを連想させるUKオルタナ気質に溢れた幻想的なオープニングから、Deafheavenのジョージ・クラークリスペクトな金切り声を皮切りに、バンドの出自がホーリーシーもといホーリーロアーであることを裏付けるようなカチコミ不可避の超絶エピックな洗練されたメロディ、そしてアウトロの音響意識までもDFHVNの正統後継者を襲名すれば、DFHVN『シン・バミューダ』の影響下にあるブラストビート全開のブラゲを軸としつつイーサリアルなクリーンパートを織り込んだ#2“Photophobic”および#3“Serf”、皮肉にもレーベルメイトとなったDark Tranquillityのミカエル・スタンネもビックリの、ヒマワリ畑が目の前一面に広がる超絶エピックなリフレインを響かせる#4“Vestige”、DFHVN普通の堕落した人間の愛における“Worthless Animal”から一部引用した#5“Redacted”、さしずめ“サンフランシスコ・ネイティブ”ならぬ“スカンディナヴィア・ネイティブ”として覚醒した北欧ならではの叙情的なメロディセンスを垣間見せる#6“Itinerari”および#7“Tvesind”、そして女性ボーカルをフィーチャーしたドラマティックなポストロックを展開する表題曲の#8“Diorama”は本作のハイライトで、改めてDFHVNが今年リリースしたInfinite Graniteにおいて脱メタルしたこのタイミングで、その大きな穴を埋めるようにフォロワーのMØLDFHVN化の著しい作品を発表するという神展開。とにかく、前作比で著しく上下の奥行きと立体感を増した楽曲面での内的要因と不可抗力(ホーリーシー)による外的要因、その全てにおいてタイミングの良さとバンドの「運」も含め極めて高い完成度を誇る、そして「やっぱりニュークリアブラストがナンバーワン!」と唸ること請け合いの1枚。

Parannoul / Asian Glow / sonhos tomam conta - Downfall of the Neon Youth

Artist Parannoul / Asian Glow / sonhos tomam conta
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Split 『Downfall of the Neon Youth』
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Tracklist
01. Nails
02. Insomnia
03. todos os sonhos que eu tive
04. Phone Ringing on Corridor
05. Colors
06. tons de azul
07. one May Be Harming
08. vento caminha comigo
09. 70 Seconds Before Sunrise
10. Love Migraine

2021年度のBandcamp界におけるバズり音源の一つであり、庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』や岩井俊二監督の映画『リリィ・シュシュのすべて』をはじめとする日本の90年代サブカルチャーからの強い影響を公言する、韓国ソウル出身のParannoulの2ndアルバム『To See the Next Part of the Dream』は、全ての作曲工程をDTMで完結させるイマドキのインディーズ・ミュージシャンである彼の存在証明となる、そしてシューゲイザー史に名を残す歴史的な名盤となった。そんな彼と同じくして、今年のBandcamp界隈を賑わせた同郷ソウル生まれのAsian Glowとブラジル出身のsonhos tomam conta、そんな“ズッコケ三人組”ならぬ“ぶっ壊れメンタル三人組”が一堂に集結して生まれた奇跡のスプリット作品が本作の『Downfall of the Neon Youth』で、その内容も2021年の上半期に各々が発表したぶっ壊れローファイ作品よりもメンタルぶっ壊れまくってて、不謹慎ながらも大傑作としか言いようがない1枚となっている。

2000年にブラジルはサンパウロで生まれたsonhos tomam contaの人物像を簡潔に、それこそ彼が7月に発表した3ndアルバム『Hypnagogia』のセルフライナーノーツから引用させてもらうと、彼が14歳の時に初めて自殺を思い立ち、自分の人生にはもう何年も残されていないことを悟ると、毎週のようにセラピーを受けては抗うつ剤や抗精神病薬、抗不安薬などの20種類以上の薬に頼っても効果がない、そして毎日のように双極性障害や境界性人格障害、または社会不安との戦いに敗れて無気力状態に陥ると自傷行為に及び、アルコールやドラッグで自分を麻痺させる事にも2mgのザナックスを飲むことにも疲れ切った、言うなれば「ブラジルのParannoul」とでも称すべき完全に心がぶっ壊れちゃってるミュージシャンである。そんな彼もParannoulと同じく滝本竜彦の小説『NHKにようこそ!』をはじめ、今敏の映画『パプリカ』や98年のトラウマSFアニメ『serial experiments lain』をはじめとする日本の90年代サブカルチャーの影響を公言する一人だ。

そんな彼の音楽性も眠らない街サンパウロを華やかに照らし出すネオンを遠目に真夜中の公園で独り佇むような、アルペジオギター中心のシューゲイザー/ポストロックや90年代のMidwest emo(イーモウ)の影響下にある、そして彼がインスパイヤされたと語るデイヴィッド・リンチ脚本の映画『マルホランド・ドライブ』の迷宮を彷徨うかの如し、リアル白昼夢のイーサリアルかつアトモスフェリックなサウンドスケープを繰り広げている。特に3ndアルバムの『Hypnagogia』では、孤独に苛まれて凍え死ぬかのような荒涼感溢れる轟音ノイズと、毎日リスカして自殺を試みるも死にきれないメンヘラ男の悲痛な叫び声や苦痛に満ちた金切り声をフィーチャーした、いわゆるBlackgazeやポストメタル指数を著しく高めたデプレッシブ然とした作品となっており、聴いているだけで危うくそっち側に引きずり込まれそうになる。

2001年に韓国ソウルに生まれたAsian Glowは、ブラジルのsonhos tomam contaParannoulとも共通する内省的なアプローチは元より、アコースティックなインディーフォークを基調としながらもMidwest emoやマスロック、ノイズ・ポップやシューゲイザー要素を取り入れたオルタナティブなスタイルを特徴としており、また全編英語詞で歌っている点からも三人の中では最も90年代のemo(イーモウ)へのリスペクトが強いインテリ系ミュージシャンと言える。他の二人の音楽性が暗く冷たいウェットなイメージだとすると、このAsian Glowは比較的カラッとした明るく温かいオーガニックな音像みたいな。また、先日リリースされた16分にも及ぶシングルの“pt.2345678andstill”では、ノイズ/マスロック~プログレ要素みならず、エイフェックス・ツインばりのエレクトロニカやグリッチ方面へのアプローチを垣間見せる、著しく実験的な側面が強すぎるバグった名曲を産み落としている。

このスプリットにおける一番バッターを飾るAsian Glowは、#1,#4,#7の計3曲を担当しており、ソロというか自身の作品と比較するとインディー路線というよりも、正直かなりParannoulを彷彿とさせるノイズロック/マスロック寄りのコアな方向性に引っ張っれている印象。露骨に16分シングルの実験的なアオリを受けた#1“Nails”をはじめ、本作における彼の“コアさ”を象徴する#4“Phone Ringing on Corridor”では、プログレ然とした転調やカオティックなブラストビートやグリッチ/ノイズをもって、自身のぶっ壊れローファイメンタルをバリバリと激しく音を立てながら突き破るような新時代のノイズロックを、そして#7“one May Be Harming”では(ほのかにThe Pineapple Thiefみを醸し出しながら)日本のオルタナレジェンド=NUMBER GIRLに肉薄するオルタナティブなハードコア/マスロックを繰り広げている。もしかすると彼は、今回のスプリット音源と今年ドロップした音源の乖離が三人の中で最も大きく、最もぶっ壊れ性能高ぇんじゃねぇかってほどに。

このスプリットにおいて#3,#6,#8の計3曲を担当するsonhos tomam contaに関しても、Asian Glowと同様にParannoulぶっ壊れローファイ/ノイズ全開のスタイルに引っ張られている印象。確かに、Parannoul名盤To See the Next Part of the Dreamにおいて、『リリィ・シュシュのすべて』『NHKにようこそ!』のサンプリングを駆使して超絶エピックな激情ハードコアに化けたかと思えば、“Age Of Fluctuation”に象徴されるような初期デフヘヴンmeet後期アナセマみたいなBkackgazeやノイジーなギターロックやってみたりと、現在進行系でシューゲイザー/ノイズの新しい形をシーンに提唱してみせた。そんなParannoulの革新的なスタイルに面食らったsonhos tomam contaの不安定な精神状態とシンクロするぶっ壊れローファイメンタルが炸裂する轟音ノイズと、一転して街頭のネオンが薄明かりに照らし出すドリーミーなアルペジオギターが交錯する#3“todos os sonhos que eu tive”をはじめ、Asian Glowのぶっ壊れメンタルとシンクロするようなぶっ壊れブラストビート主体の#6“tons de azul”、そして#8“vento caminha comigo”ではローファイ・ブラストビートと金切り声を撒き散らしながら、初期KATATONIA級の自殺メンタルとシンクロするアトモスフェリックな世界観をもって、いわゆるアンダーグラウンドなローファイ・ブラックメタルの領域を超越した、もはやぶっ壊れメンタルの美学すら覚えるような、そのローファイ・ブラックメタルをZ世代の視点から紐解いたある種のローファイ・ブラックゲイズだ。

そんな彼ら“ぶっ壊れ三人組”に共通するのは、2000年生まれを中心とするいわゆるZ世代の若者であるということ。そしてもう一つ、ブラジルの大都市サンパウロと韓国の首都ソウルという都市部に生まれた若者がこの現代社会に感じる孤独と将来への不安、それこそParannoulの名盤『To See the Next Part of the Dream』のセルフライナーノーツから言葉を引用させてもらうと、妄想」「劣等感」「過去」「不適応」「逃避」「妄想と幻滅」「闘争」「最も平凡な存在」「無気力」「自殺などの、現代のストレス社会に適合できなかった若者たちが心の内に抱えた、さしずめ“ぶっ壊れメンタル”代表こと碇シンジくんばりに内省的で憂鬱な感情や自己嫌悪(身体的コンプレックス)やどうしようもない絶望感を、それぞれ自身の音楽に投影しているシンクロ率にある。彼らを映画『シン・エヴァンゲリオン』のリツコのセリフから引用して例えるなら、ゲンドウに対する神に屈した絶望のリセットではなく、希望のコンティニューを選びますの名ゼリフを真っ向から否定するような、むしろ積極的にTVシリーズ以前のエヴァにおける絶望のリセットの世界線に向かった人達であり音楽なんですね。

なんだろう、ぶっ壊れメンタル三人組の各々が心に宿すATフィールドを持ち寄って中和された薄くて脆いガラスハートのパリパリATフィールドを、「自分の心の中にあるクソみたいなATフィールドを3㌧ハンマーでぶっ壊せ!」とばかりに「ロンギヌスの槍」「カシウスの槍」「ガイウスの槍」という“三本の槍”をもって各々が自分自身にブッ刺すことで、最終的に彼らにとって効き目のない薬よりも最良のセラピーであり精神安定剤として機能する今回のスプリット作品は、負け犬は負け犬でも“アクティブな負け犬”による地球の裏側に住むアクティブな負け犬のための、あるいはブラック企業に11年勤務してメンタルぶっ壊れた僕みたいなケーセッキ(犬野郎)に贈る真の人間讃歌である。その薄くて脆い㍉のガラスハートが粉々に砕け散った鋭利なローファイ/ノイズ・ミュージックは、昨今のトレンドであるローファイ・ヒップホップに対するZ世代なりの解釈であると同時に、内省的というエモを司る概念を超越した古谷実漫画の主人公のぶっ壊れメンタルともシンクロさせながら、最期は三人のぶっ壊れメンタリストが持つ“コア”な面と“コア”な面を重ね合わせたハードコアな負け犬根性をもって、このクソサイテーな世界を覆うATフィールドを3㌧ハンマーで叩き割って無事にエンディングを迎える。

彼ら三人のシンクロ率を高める、その内省的な感情の根幹部にあるハードコアな90年代エモムーブメントを象徴するミッドウェスト・エモをルーツとするミュージシャンでありながらも、各々が全く違う角度から一種のエモリバイバルとして咀嚼するZ世代の音楽センスに改めて脱帽する。また、エモならではのおセンチな感情をさらけ出す姿にはミレニアル世代のケーセッキとしてシンパシーを感じえないし、それこそ碇シンジ級のぶっ壊れローファイメンタルを煮詰めたような作品なので、今現在メンタルが弱ってたり病んだりしてる人やニートの僕みたいなリアル負け犬が聴くと別の意味でガンギマるからガチで注意したほうがいいですw

今回のスプリット作品における大本命であり大トリを担うParannoulにいたっては、65daysofstaticPendulumを連想させるドラムンベース的なエレクトロビーツを刻みながらPost-Progressiveなアプローチを垣間見せる#2“Insomnia”を皮切りに、グリッチーな導入から本家本元のぶっ壊れハードコアメンタル~ポストメタルラインの轟音を叩き込みつつ、トラップやピアノ/アンビエント/ニューエイジの要素を折り込みながら俄然ポスト・プログレッシブに構築する#5“Colors”、タイトル通り70秒のアンビエント/ニューエイジ系インストの#9を挟んで、本作の大トリを飾るラストの#10“Love Migraine”では、さすがに“ぶっ壊れ三人組”のリーダーだけあって、前半のメランコリックなムードからヘヴィ・シューゲらしい激しくエモーショナルな轟音が炸裂する後半まで着実に泣かせてくれる。

今回のスプリット、他の二人がリーダーのParannoulにシンクロしているだけあって全体的にPost-Progressive、すなわちana_thema化が顕著に現れた作品であると同時に、それこそ音楽ジャンルや性別の垣根を超えたLiturgyハンターハント・ヘンドリックス並の超越的(transcendental)な革新性を露見してて溜息しか出ないというか、上半期の音源からたった半年足らずで更に進化している彼らZ世代の成長力の高さにビビる。そのように国籍も言語も違うZ世代なりの解釈をもって、それぞれの得意分野で全く新しい音楽ジャンルを生み出さんとしてるのは、もうなんか笑うしかない。やっぱ各々のぶっ壊れATフィールドを互いに中和させた結果、その相乗効果によって限界突破したとしか思えない。とにかく、その音楽制作における常識や固定観念(ステレオタイプ)などの既成概念を叩き壊さんとする革新的なハードコア精神に溢れたアクティブな負け犬のカッコよさに慟哭不可避。

ブラジルの大都市サンパウロ、韓国の首都ソウルときて、なぜ日本の首都である東京のZ世代からぶっ壊れミュージシャンが現れる気配がないのか?しかし、それはいかに今の東京が魅力のないオワコン都市であるかを裏付けているのかもしれない。その件に関してちょっと皮肉っぽく推測すると、世界でも有数の若者が政治参加しない国として知られる日本は、Z世代の若者が老害主導の日本の未来に絶望して既に“ぶっ壊れ三銃士”に匹敵するぶっ壊れメンタルになってるから(既に)、だから選挙の投票率も低いんじゃねぇか説w

デフヘヴン - 普通の堕落した人間の愛

Artist Deafheaven
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Album Ordinary Corrupt Human Love
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Tracklist
1. You Without End
3. Canary Yellow
4. Near
5. Glint
7. Worthless Animal

人は心のなかに、いまだ存在していないいくつかの場をもっており、そこに苦しみが入ることでその場は存在するようになる----------レオン・ブロワ


『真実の愛』とは・・・それは多分、もしかすると、例えばこのクソサイテーな世界の片隅で、クソみたいな胸いっぱいの愛を叫ぶのが新生アイドル研究会のBiS(二期)なら、このクソサイコーな西海岸のド真ん中で普通の堕落した人間の愛を叫ぶバンドが彼らDeafheavenなのかもしれない。そんなDFHVNの約3年ぶりとなる4thアルバムOrdinary Corrupt Human Love、このタイトルはイギリスの小説家グレアム・グリーン『情事の終り(The End Of The Affair)』から引用したものでで、そのOrdinary Corrupt Human Loveすなわち普通堕落した人間とは、物語の主人公である作家モーリスベンドリックスと不倫関係にある人妻サラ・マイルズが自身の日記に書き残した言葉である(いわゆる「不倫」を少しカッコよく言ったのが普通の堕落した人間の愛というわけ)。この小説の内容としては、それは「禁断の愛」か?それとも「真実の愛」か?その狭間で神(キリスト)の存在すなわち神(あなた)への信仰心を問いかけ、そして「愛と神」の間で激しく揺れ動く人間の情念を赤裸々に暴き出す究極のラブ・ストーリーである。

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おいら、彼らの音楽を比喩する時に必ずと言っていいほど用意する画像がある。それが、日系三世のグレッグ・アラキ監督の映画『ミステリアス・スキン(謎めいた肌)』の冒頭、いわゆるBUKKAKEのメタファーを描写する衝撃のシーンだ。DFHVNは、いわゆる新世代メタルの金字塔と呼び声の高い歴史的名盤サンベイザーの中で、思春期真っ只中のティーンエイジャーが生まれて初めて精通する瞬間を刹那的に描き出したかと思えば、一転して次作の3rdアルバム『シン・バミューダ』では、「イカなきゃ」という使命感に駆られた汁男優の白濁色のラブシャワーをBUKKAKEられたAV女優の笑顔の裏側に潜むドス黒い闇、あるいはAV男優吉村卓に顔面ベロチュウされまくって引退した桃谷エリカの絶望感を、地平線のように果てしなく続く激情をもって描ききっていた。彼らは、いつだって自らの音楽の中に人間が犯した「罪と罰」、「祈りと赦し」を神に乞い続けてきた。

近年、自分の中でここ数年で最も衝撃的な出来事が、音楽界隈ではなく海外ドラマ界隈で起こった。それこそ、シーズン1が公開されるとまたたく間に世界中でブームを起こしたNetflixオリジナルドラマ『13の理由』のシーズン2の1話をちょうど見終えた時だった。普段からNetflixにあるドラマシリーズを嗜んでいる人には伝わるはずだけど、Netflixドラマ特有の最後のクレジットをすっ飛ばして次の話に移る自動スキップ機能が発動する前にほんの一瞬だけ映る一番最初のクレジットに、あのグレッグ・アラキ(Gregg Araki)の名前が出てきた。その瞬間、僕は「え、ちょっと待って、いまグレッグ・アラキ(GREGG ARAKI)って出なかった?え?」って、初めは幻覚なんじゃねぇかと自分の目を疑った。「絶対にありえないこと」が起こっていることに一瞬戸惑った。そのまま続けて2話も見た。2話のクレジットもグレッグ・アラキだった。僕は嬉しくて涙が出た。

林家ペー

何を隠そう、おいら、もう10年以上も前に映画『ミステリアス・スキン』を観て、まだ今ほどブレイクしていない精々子役上がりのジョセフ・ゴードン=レヴィットくんを初めて目にした時、その役柄といいアジア人体型に近い華奢な体つきに妙な親近感を感じて男ながらに一目惚れしたのと、しまいには「抱きたい」と思っちゃったんだからしょうがない(それぐらい衝撃的な出会いだった)。で、この映画での体を張った演技やラブコメ映画『500日のサマー』をキッカケに一気にハリウッドスターに駆け上がったジョセフくんと、映画『ドント・ブリーズ』『13の理由』の主演を務め一躍人気俳優の仲間入りを果たしたディラン・ミネットくんは似た者同士というか、役者としてかなり近いフィーリングを僕は感じ取っていた。だから尚さら、こうやってグレッグ・アラキ『13の理由』が十数年の時を経て繋がったのは、こんな引かれ合い見たことないってくらい驚きというか奇跡的な出来事で、というか、また今気づいたけどシーズン1から複数話監督してたみたいで俄然驚いた(自分の気づかなさに)。そもそも『13の理由』のテーマの一つであるLGBTQ.Q.に対する差別や性暴力みたいな事って、それこそグレッグ・アラキ『ミステリアス・スキン』の中で表現してたりするわけで。ちなみに、グレッグが監督したドラマシリーズで最も重要な1話と2話ともにグレッグ・アラキのゲイならではの”性的嗜好”が画に表れていて、個人的にこれはもう『ミステリアス・スキン』の地続きの続編としか観れなかった。そう考えたら、この出会いは奇跡でも何でもない、ただの必然だったように思う。しかし、映画『ミステリアス・スキン』の内容が内容だけに、今や売れっ子となったジョセフくんが円盤化NGにしてるんじゃねえかと疑ってて、もしそうならNetflixが責任を持って配信すべきでしょってずっと思ってたんだけど、ちょっと調べてみたら2017年に日本でも円盤化されたと知ってソッコーでポチったけど、何か質問ある?(ちなみに、円盤の特典はゴードンくんの生写真w)

(ここまでの文章は、2018年8月13日に書いた文を微編集したもの)

本作のアートワークに描かれた、風を切るように颯爽と情熱的にマフラーを靡かせるダンディなグラサン姿のパンク婆からして、何やらこれまでとは違う雰囲気を醸し出す。幕開けを飾る#1“You Without End”からして、彼らの地元であるサンフランシスコが位置する西海岸のビーチの浜辺に寄せては返す美しいさざ波(浜辺美波)のSEとともに、まるで官能小説の一幕にありがちな事後のピロートークのような、フェミニンでアンニュイ、ホモセクシャルでハラスメントな倦怠感むき出しのギター、そしてエルトン・ジョン顔負けのジャズ風のピアノが流れ出し、“あの頃”をフラッシュバックさせる女性の語り声(スポークン・ワード)が「過去」の記憶を呼び起こす。それはまるで、かつてのダチでありバンドメンバーだったニック・バセット率いるWhirrというルーツと原点回帰を示唆するような、まだプロではなくただ純粋に音楽が好きだった“あの頃”の親友ニックと共に「この指Demoマジにサイコー過ぎるだろwww俺たちピッチに見つかっちゃうかもなwwwチュパチュパwwwこの指ハッピーターンの粉の味して超ウメェwwwお前も舐めてみな、飛ぶぞwww」だなんだと、西海岸の浜辺でワチャワチャはしゃいでいた“あの頃”の淡い思い出が蘇る。

未来への希望に満ちていた青春時代、いつしか疎遠になってしまったニックと交わした言葉、それが最後の会話になるとも知らずに、And then the world will grow(ズッ友だよ~♪)And then the world will grow(ズッ友だよ~♪)と約束したひと夏の青春の記憶を運んでくるコーラスワークと共鳴するように、ズットモダヤ゛ォ゛ォ゛!!ズットモダヤ゛ォ゛ォ゛!!と青春の痛みを痛みで補うようにシャウトするフロントマンのジョージ・クラーク、そして思春期の黒歴史が走馬灯のようにフラッシュバックさせる、衝動的に胸を掻きむしりたくなるアキバ系ギタリスト=ケリー・マッコイが奏でるトレモロに呼応する、それは怒りか、それとも愛か、もはや体がねじ切れるんじゃねぇかくらいのスクリーム→イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ヤ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!は、それはまるで西海岸の名所である砂漠地帯のデスバレー(死の谷)へと続く道、道路脇にパームツリーが立ち並ぶ灼熱のアスファルトが照らし出す蜃気楼の中で、亡霊のように浮かんでは消え、そしてまたおぼろげに浮かんでは消える、そんな燃え盛るようなむき出しの愛を込めたジョージ・クラークの叫びは、それこそ冒頭に書いた「人は心の隙間を苦痛で埋めることで、その存在証明を示す」というフランスの小説家レオン・ブロワの言葉を実践するように、苦しみや痛みを叫ぶことで心に空いた隙間を埋めていくかのごとし。

確かに、DFHVNの作品にはピアノをフィーチャーした楽曲がバンドの個性を際立たせる役割を担っており、そういった意味ではDFHVNを象徴する最たる楽器がピアノと言っても過言ではないほど、彼らにとってピアノは切っても切れない関係にあって、特に本作ではそのピアノが音出しの一発目からメインの旋律として機能させている所からも、あらゆる面で過去作と一線を画す作品である事を示唆している。というよりは、それこそ2ndアルバム『サンベイザー』の根幹部を担う“Dream House”からの“Irresistible”というピアノインストの世界線と現在を紡ぎ出す続編と解釈するのもアリかもしれない。また、この“You Without End”に至っては、他の楽曲と比較しても意図的にマイルドなサウンド・プロダクションに聴こえるというか、なんだろう、いい意味で普通のロックバンドじゃないけど、ある種のピアノ・ロック的な“エルトンメタル”あるいは“エルトンゲイズ”とでも呼称したいくらいには、ピアノを軸に構築された楽曲と言える。


デスバレーの熱波に頭がやられた影響か、二曲目の“Honeycomb”では先ほどまでの優美で甘味な音世界から一転、冒頭の不穏なSEから青春時代の淡い思い出がズタズタに切り裂かれ、エルム街の悪夢が襲いかかるようなBlackgaze然としたゲイズギターや思春期のトラウマをエグり出すようなトレモロが、激しい動悸とともに徐々に加速していくBPM(平常心)に合わせて狂気乱舞したかと思えば、4分30秒以降の「シュ~」とパンク婆が高速で風を切るような擬音を合図に、まるで気分は海外ドラマ『フルハウス』のOPとばかり、(地元愛に溢れたMVにも登場する)西海岸の名所であるゴールデン・ゲート・ブリッジを時速300キロで(道路脇から飛び抜けちゃう勢いで)リア充がウェーイ!と突っ走るような、まるで日本のメロコアや青春パンクばりに爽やかなギターソロが炸裂するロックンロールゲイズを繰り広げる(この時のドラムがクソ気持ちいい)。このタイミングでメタル界の格言であるアチエネはメロコアの正統後継者としてデフヘヴンはメロコアが爆誕するという神展開。

アメリカ屈指の経済都市としても知られるカリフォルニア州といえば、バークレー出身のグリーン・デイをはじめとする青春パンクやメロコア、90年代のパンクブームを象徴する通称“エピタフ系”と呼ばれるバンドが主流である。ある意味で「デフヘヴンはメロコア」と仮定するならば、このDFHVNもLAパンクの一種としてカテゴライズできなくもない。もちろん、彼らの地元サンフランシスコのバンドといえばメタル界のレジェンドであるメタリカが最も有名だが、そんな彼らに対するジモティー愛は既に前作の『シン・バミューダ』で示している通りだ。

実は、この『普通の堕落した人間の愛』って、サンフランシスコという“一つの州”の概念を超えた“一つの国”への地元愛や土着愛に満ち溢れたマイルドヤンキー系ブラックであると同時に、DFHVNのもう一つのルーツ=第二の故郷がアメリカ中西部にあることを示唆する作品でもある。そのアメリカ中西部といえば、90年代に独自のエモシーンを確立した土地として知られ、いわゆる「エモ」ではなく伝統的な「emo(イーモゥ)」の精神を受け継ぐ、American Footballに代表されるようなMidwest emoが盛んである。何を隠そう、本作は全編に渡ってメロディの湿度がMidwest emoを経由している気がしてならなくて、そのアメリカ中西部が生み出した本物のemo(イーモゥ)への憧憬が顕著に現れたのが三曲目の“Canary Yellow”である。この曲はemoやポスト・ハードコアをルーツとするポストメタルで、このクソサイテーなモノクロの世界に蜜蜂風味のキャンディポップのフルーティな香りとカラフルな彩りを施すメロディ、リズム隊が織りなすマスロックをイメージさせる徹底したグルーヴ、そしてクライマックスでのケリー・マッコイによるギタリストとしての遊び心を忘れないブルージーなソロワークから、“あの頃”の地元のマブダチと一緒に肩を組んで童話『かごめかごめ』のような円を作って、皆でOn and on and on we choke on(死ぬまで一生ズッ友だよ~♪)On and on and on we choke on(死ぬまで一生ズッ友だよ~♪)とシンガロングする輪の中心で『真実の愛』を叫ぶジョージ・クラーク→

ズットモダヤ゛ォ゛ォ゛!!ズットモダヤ゛ォ゛ォ゛!!

四曲目の“Near”は、Alcestとのコラボでも知られるスロウダイヴや一発屋と化したシガレッツ・アフター・セックスを連想させるスロウコア/ドリーム・ポップで、この曲では驚くべき事にジョージがバンド史上初となるクリーンボイスを披露している。このジョージのクリーンボイス導入は、2021年8月20日にリリースされる彼らの5thアルバム『Infinite Granite』への伏線となっている。


小説『情事の終り』の主人公モーリス・ベンドリックスとその愛人サラ、二人の間を引き裂くのは悪魔か、それとも神か。憎しみと妬みが欺瞞と疑惑を生み、互いの想いはすれ違い、そして神への信仰から食い違う愛の形に対面した二人の苦悩が儚く散りゆくイントロのメロディから、突如としてシングルの“From The Kettle Onto The Coil”のセルフオマージュの如く唸るようなゲイズギターが炸裂する#5“Glint”、複数の作家・小説家から引用した情緒的で官能的な本作品のロマン主義を象徴する#6“Night People”は、『普通の堕落した人間の愛』を求めて暗闇の世界を彷徨うサラの情熱的な想いと『真実の愛』に気づいたモーリスが悲哀の恋文あるいは激情的なロマンスを語り合うかのような二人の求愛行為、その二人を演じるようにしてレーベルメイトのSSWチェルシー・ウルフとジョージ(クリーンボイス)がデュエットするピアノバラードで、いわゆるコンセプト・アルバムとしての側面が色濃い作風だからこそ可能にした楽曲と言える。

ピアノをフィーチャーした#1“You Without End”から漂うそこはかとないジャズ・ロック的な伏線は、アルバムのラストを飾る#7“Worthless Animal”で見事に回収される事となる。#1における「いい意味で普通のロックバンド」たらしめている“普遍性”とその要因となるキーマンこそ、他ならぬ本作から新加入したベーシストのクリス・ジョンソンによるものだと確信できる。何故なら、以前までのDFHVNって極端な話だけどメタル界の格言である「ベースいらなくね」案件のサウンドで、しかし本作では一転して「ベースいるくね」のバンドに大変身を遂げている。特に#7ではジャズいアプローチをもってバンドに新しい風を運んでおり、そんな彼のブッリブリなベースラインとドラムのダニエル・トレイシーが織りなすリズム隊のプレイが、バンド史上最高のグルーヴ感とバチグソなタイト感を生み出している。気のせいか、BPM指数が体感的に歴代最低に感じるのも、同じBPMなのに彼のプレイによって俄然タイトなイメージに錯覚させるというか、なんだろう、「ロックバンドとしてのデフヘヴン」を司る上で欠かせない最後のピースがカチッとハマった感。そして、その「ロックバンドとしての普遍性」が今後の彼らにもたらすものとは?それこそメタルというジャンルを超越したモンスターロックバンドとしての、つまり“ポスト・メタリカ”としての座である(ごめん盛った)。そういった意味では、今の彼らは俄然フジロックじゃなくてサマソニで観たいバンドになった。

全ての物語に“始まり”があれば、それはいつか“終わり”を迎える。愛人サラの突然の死によって、悲劇的な幕切れを迎えた三角関係のその後。小説『情事の終り』の終盤に示される答えは、不倫という『普通の堕落した人間の愛』ではなく、妬みや憎悪を超えた先にある“隣人愛”だった。著者であるグレアム・グリーンは、キリスト教における“隣人愛”もまた、人間を肯定する正しい愛の形、あるいは性別を超えた人間愛であると。小説の終盤、いわゆる腐女子視点だとカップリングできちゃう主人公モーリス・ベンドリックスとサラの夫ヘンリー・マイルズの間に奇妙な友情が芽生え、サラの亡き後に恋敵であるはずの男二人で同棲生活を始めちゃうも、なんだかんだで最終的には神に全てを寝取られるという、これがホントの神展開w

「こいつらどんだけしたたかで頭いいんだ」と改めて感心するのは、小説『情事の終り』の終盤で提示されたサラと主人公ベンドリックスの『真実の愛』と見せかけた男同士の禁断の“隣人愛”と、本作『普通の堕落した人間の愛』における地元愛と見せかけた中西部(Midwest emo)に対する“隣人愛”を共振させている点で(これはゲイと揶揄されたDFHVNの隠語的なメタファーである)、つまり本作は地元愛と中西部への憧憬、この2つの州や地域を股にかけた青春時代の記憶(ノスタルジー)と自らのルーツ(DNA)を辿る音の旅であると。それこそ“音の旅”といえば、イギリスのアナセマも西海岸を舞台にした遺作を発表したが、本作もまたサンフランシスコ生まれのネイティブ仲間で地元を巡ってたら飛ばし過ぎて中西部にも寄り道しちゃった音の旅。寄り道したと言っても、#1の冒頭と#7のアウトロが同じ浜辺に寄せて返す美しい波(浜辺美波)SEを使っている事から、地元サンフランシスコで燃えるような大恋愛を経験したパンク婆が年月を経て地元に帰ると、まだ若かりし頃に「やっぱ地元サイコー!」とか言いながら仲間とビーチでサンバイザーを付けてウェーイ!してた思い出が蘇り、そして「過去」と「現在」が無限ループする輪廻転生的な考察や解釈の余地を持つ“シスコゲイズ”であると。

確かに、基本的なギターのフレーズや楽曲構成諸々に関しては過去作を踏襲している、言い換えれば“集大成”と呼んでも差し支えない内容で、その一方でクリーンボイスの導入やロックバンドとしての普遍的なアプローチなど、次作への布石が要所に散りばめられている。しかし本作は、音楽的な部分よりも諸々のコンセプトありきの作品であることは確かで、それこそ一冊の小説を読んでいるかのような純文学的な作風で、その小説『情事の終り』などから引用したコンセプティブな隣人愛と中西部のemo(イーモゥ)愛を共振させる『真実の愛』に気づいた当時は、正直これは凄すぎて書けないと途中で断念したくらいには、リアルタイムというか今でも思い入れのある作品の一つと断言してもいいくらいには当時めちゃくちゃ聴き込んでて、でも逆に思い入れが強くなり過ぎて当時は書ききれなかった代物。それくらい、ここまでたどり着いてようやく正当な評価を下せる作品だと、2018年のリリース当時から約3年経ってようやく書けた今だからこそ改めて思う。しかし今となっては、当時まだ存命していたBiS二期が解散し、映画『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノが手がけた新作ドラマ『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』が制作される始末...(時の流れ怖い)。ちなみに、当時(2018年)に書き残していた冒頭文の微編集した箇所は時系列のタイムパラドックス修正がほとんど。

事実、来月に本作から約3年ぶりの新作となる5thアルバム『Infinite Granite』のリリースが予定されている状況の中、本作について書けるラストチャンスが今このタイミングだった。というより、上半期のBandcamp界隈でバズったParannoul『To See the Next Part of the Dream』に触発されたのが一番大きくて、何故ならその作品におけるemo(イーモゥ)とシューゲイザーの邂逅的な音楽性って、まさにDFHVNが数年前にやった事でもあったから。ちなみに、そのParannoulの新譜と本作『普通の堕落した人間の愛』は、奇しくもトータルタイムが1時間1分と全く同じなのも偶然にしては面白いなって。

逆に、観客が10人くらいしかいなかった「伝説の名古屋公演」をほぼ最前で観ている自分が書かなきゃ誰が書くねん的な謎の使命感と、あとは単純に自らのモチベを奮い立たせるために「デッへのレビュー書けたら可愛い女の子と3Pできる!デッへのレビュー書けたら可愛い女の子と3Pできる!絶対に3Pできる!」と自分をだまくらかした結果、なんだかんだ当時のiPadにメモっといた膨大な短文(黒歴史)を引っ張り出して、それをいつもどおりパズルのように組み立てたら、恐らく当時もこのような事が書きたかったんだろうな~的な感じのレビューが書けたと思うので・・・今から僕と3Pしてくれる可愛い読者の女の子募集します!某選手村に対抗して選手ムラムラ3P堕落プレイがしたいです!僕の目の前に『NHKにようこそ!』における岬ちゃん現れてください!もし3Pしてくれたら当時海外マーチから取り寄せた『サンベイザー』5周年記念ピンクTシャツをプレゼントします!(←林家ペー・パー子かよw)というか、むしろそれを女の子に着てもらって3Pしたいです!よろしくお願いします!3Pーー!!3Pーーー!!3Pーーーー!!
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