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墓っ地・ざ・ろっく!

KATATONIA

Disrupted - Pure Death

Artist Disrupted
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Album 『Pure Death』
HMHR201124-314

Tracklist
01. Blood Worship
02. Human Stew
03. Born In A Corpse
04. Carve
05. Headless Torso
06. Total Death
07. Pestilential Vomit
08. Goat Lord
09. Chopped Into Oblivion
10. Slave From The Grave

僕の一番好きなメタルドラマーであるex-KATATONIADaniel Liljekvistは、2013年にKATATONIAを脱退すると、その後はフォロワーであるIn Mourningに(同郷のよしみで)加入して先輩風を吹かせるも2秒で脱退。今現在はDisruptedというスウェーデンのデスメタルバンドに在籍しており、そのDisruptedが2020年に発表した2ndアルバム『Pure Death』を聴いてみた結果、これが思いのほかスラッジ/クラストパンク譲りのデスメタルやってて驚いたというか、それこそ初期のKATATONIAを彷彿とさせるデス/ドゥーム寄りのスタイルを展開している件について。

なんだろう、この手の頭ン中にネック突っ込んで脳みそジャギジャギにドッロドロにかき回して血ヘドロ撒き散らすかの如くシュレッダーなギターサウンド(サウンドプロダクション)からは、それこそ本作のミキシングを手がけているChristian Larssonの古巣である初期のShining(スウェーデン)は元より、USクラストコアを代表するBlack BreathTrap Themを否が応にも連想させる。また、本作のゲストとしてParadise Lostのニック・ホームズやパー・エリクソン(ex-Bloodbath/ex-KATATONIA)が参加している事からも、いわゆる一般的な(ピュアな)デスメタルのソレよりもパラロスの『The Plague Within』、あるいはニック加入以降のBloodbathの作品イメージがシックリくる。

幕開けを飾るカオティック/クラスト然としたゴアグラインド×ロックンロール=「怒りのデスロール」の#1“Blood Worship”とパー・エリクソンをソリストに迎えた#2“Human Stew”、この冒頭2曲のゴア過ぎる描写やBPM指数の高いドラムのテンポからして、古巣のKATATONIAとは何もかもが一線を画すバンドであるのがわかる。デスメタル然とした暴虐性のむき出しな#3“Born In A Corpse”、初期のKATATONIAとも共振するデス/ドゥーム・メタルな#4“Carve”、そして近年デスメタル回帰したパラロスのニックによる暴虐の極みな#6“Total Death”は本作のハイライトで、何よりも喜ばしいのは、ダニエルと同じex-KATATONIAのメンバーやゴシックメタル時代の盟友パラロスのニック御大すなわち“旧友”とともに、再び彼がメタルバンドのドラマーとしてシーンに舞い戻ってきたこと、正直これに尽きる。

面白いと思ったのは、ダニエルが加入して以降のKATATONIAの音楽性ではなく、加入以前までのKATATONIAに比較的近いデスメタルで彼がドラムを叩いている矛盾、ないしはその強烈なギャップ萌えで、言うまでもなく彼に惚れた理由はKATATONIA加入後の色気ムンムンのタイトなドラミングに他ならないけど、本作のようにゴアゴアのデスメタルでアグレッシヴに叩いているメタルドラマー然とした彼も悪くないし、改めて惚れ直した。それこそKATATONIA時代における彼の天才的なドラミングは、日本の次世代ガールズバンドTRiDENTに新加入したNAGISAが受け継いでいるので心配ご無用というか、ダニエルはダニエルで今後もメタラーとして好きな音楽で好きに叩いてくれれば他に何も言うことないです。

Katatonia 『City Burials』

Artist Katatonia
Katatonia

Album 『City Burials』
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Tracklist
01. Heart Set To Divide
02. Behind The Blood
03. Lacquer
04. Rein
05. The Winter Of Our Passing
06. Vanishers
07. City Glaciers
08. Flicker
09. Lachesis
10. Neon Epitaph
11. Untrodden

古代から“King of the North”=北の王として七王国の一角に君臨する皇帝KATATONIAは、今から8年前、「壁」の向こう側から突如として現れた『Dead End Kings』=『死の王』の呪いによって鉄の王の座を追われ、その呪いから逃れるべく「壁」を守護する冥夜の守人=ナイツウォッチとして新たに生まれ変わった“鴉”は、何世代も続く長い冬の暗闇の中から虎視淡々と復活の機会を伺っていた。そして、約4年の歳月の間、冥夜の守人に命よりも大事な“心臓部”を捧げてきた鴉は、この10thアルバム『The Fall Of Hearts』で再び不死鳥として冬の夜空を舞い踊る・・・そう、「何も知らないジョン・スノウ」のように。

もう時効なので、2016年作の10thアルバム『The Fall Of Hearts』がリリースされた当時のipadに今でも残っているメモ書きの冒頭の文章を上記に晒すけど、約4年経った今見返しても黒歴史のソレで恥ずかしいったらありゃしない。察しのいい人ならすぐ元ネタに気づくと思うけど、前作のレビューは10年代に一世を風靡した海外ドラマ『ゲームオブスローンズ』と共振させる気満々だった。しかし、待望のゲースロ最終章を実際に観たらクソ過ぎて逆に書く気が失せたので、結局そのレビューはお蔵入りとなってしまった。日本一のカタオタを自称する僕が、なぜ前作のレビューを書かなかったのか?それは全てゲースロ最終章のせいですw

・・・という言い訳はさて置き、そんな“幻のレビュー”を生んだ前作から約4年ぶりとなる11thアルバム『City Burials』のレビューを今から書いていくけど、前作のレビュー用のネタが今でもipadのメモに残っている場合、つまり前作のレビューをすっ飛ばして次の新作のレビューに挑むのって、正直めちゃくちゃ大変というか、奥歯に物が挟まったような感じが少し難点ではある(これも全部ゲースロ最終章のせいw)。それもこれも自業自得が呼んだある種の罰と理解して、もれなく「冬来たる」ばりに長く辛いレビューになる事が想定される中、そして2020年になった今、改めてKATATONIAというバンドの全盛期を振り返ってみようと思う。

カタトニア家の親戚にあたり、七王国の一角を担うゴシックメタル界の長であるParadise Lostの新作『Obsidian』は、端的に言ってしまうと自身の『Icon』となった『Gothic』以降“対外的”な視点から得た多様性に富んだ思想を真正面から肯定し、そしてウン10年ぶりに“対内的”な視点に立ってParadise Lostを見つめ直した末の傑作だった。それでは、パラロス家の兄弟分であるカタトニア家はどうかだろう?言うまでもなく、それは初期のゴシックメタル時代ではなく、7thアルバム『The Great Cold Distance』から8thアルバム『Night Is The New Day』までの革新性に溢れたカタトニア、それすなわち“対外的”な意識を兼ね備えていた時代が彼らの全盛期である。

その頃のカタトニアがいかに革新的であり対外的だったのか?まず彼らの最高傑作の一つとして挙げられる2006年作の『The Great Cold Distance』の何が凄かったのかって、バンドの中心人物でありギタリストのアンダース・ニーストロムによる触手のようにウネるキザミを用いたリフ回しやメイナード・キーナン顔負けのシャウトを駆使した、それこそTOOLA Perfect CircleなどのUSオルタナ/ヘヴィロックの“対外的”な影響と北欧ならではの叙情性が融合した陰鬱ヘヴィロックの傑作で、とにかくフロントマン=ヨナス・レンクスの歌メロもアンダースの天才的なリフ/キザミもシンプルさゆえのバンドサウンドのカッコよさを極めたような、そしてドラマーのダニエル主体のリズム隊から放たれる神がかり的なソングライティングとアレンジ、その全てにおいて「センスの塊」と表現する他なかった。

彼らの音楽が最も“革新的”だったのが2009年作の『Night Is The New Day』だ。このアルバムは、前作の『TGCD』のオルタナ路線を引き継ぎながらも、後に“10年代最高のメタルバンド”としてシーンで語り継がれる同スウェーデン出身のメシュガーが編み出した現代ヘヴィネスをオルタナの解釈を通して咀嚼したオルタナティブ・ヘヴィの傑作だった。その翌年、TOOLと双璧をなすUSヘヴィロックのDeftonesは、『Diamond Eyes』という一年前にカタトニアが『NITND』でやってのけたメシュガーのヘヴィネスをオルタナティブな解釈をもって、自分たちのヘヴィロックをNEXTステージにアップデイトした名盤を発表する事となる。要するに、USヘヴィロック界の頂点であるDeftonesよりも先にヘヴィ・ミュージック界のトレンドを学び、そして応用研究していた当時のカタトニアは、正真正銘の天才でありバンドとしてもピークを迎えていた。

そして、カタトニアが最も“革新的”で“対外的”だった時代を象徴する二大名盤をプロデュースしたのが、それ以降(主に2010年代)メタルシーンを象徴するエンジニアとして、後に世界の歌姫テイラー・スウィフトのマブダチにまで成り上がる事となるイェンス・ボグレンであり、カタトニアはそんなスウェーデン人エンジニアの才能をいち早く見出していた。イェンスは、カタトニアが持つUSヘヴィロック界への対外的な視点と同じ立場に身を置き、全く新しいカタトニアの可能性を引き出す事に成功すると、この時期からバンドはイェンスの右腕であるフランク・デフォルトによる鍵盤やエレクトロな打ち込みを取り入れたアンビエント〜トリップホップ的な、いわゆるBサイドと呼ばれる方向性に活路を見出していった。

今から十数年前に世に解き放たれた、KATATONIA『The Great Cold Distance』、イェンスがプロデュースした盟友Opeth『Ghost Reveries』DIR EN GREY『UROBOROS』『激しさとこの胸に絡みついた灼熱の闇』、各それぞれのバンドの最高傑作として挙げられる3枚のアルバムに共通するのは、他ならぬTOOLであり、この2000年代中盤から後半までのイェンス・ボグレン〜TOOLラインという謎ラインが世界のヘヴィロック界で共鳴しあっていたのも事実。面白いのは、その後にDIR EN GREYは10thアルバム『The Insulated World』を、TOOLは約13年ぶりに5thアルバム『Fear Inoculum』を、そして双方とも最終的に“メシュガー”の存在をオルタナティブ~ポストメタルとして再解釈した作品に行き着くあたり、さすが“10年代最高のメタルバンド”というか、改めて十数年前の時点でメシュガってたカタトニアって、誰よりも先見的な視点でシーンを捉えていたんだなと素直に感心する。

ぼく「結局お前ら何がしたいねん」

某ゲーマー「いや、だからゲームしたいねん」

ぼく「ホーリーシー」

00年代中盤から後半にかけてバンドとしてピークを迎えたカタトニアは、10年代に入ると2012年に9thアルバム『Dead End Kings』というメタル三大駄作に名を連ねる、その名のとおり城の周りを包囲された皇帝=King「グヌゥ・・・」と自らの息の根を止める事となる通称『死の王』を発表する。それは今思い返してみてもショックだった。このアルバムには、前作や前々作にはあった先見的な“革新性”や“対外的”な視点が何一つ見当たらなかった。まさに「音」が「死」んでいた。もはや“対外的”だとか“革新的”だとか、プログレだとかオルタナだとか、そんな次元の話で収まるような代物ではなかった。そんな『死の王』が犯した王位の失墜から8年が経過した2020年の今だからこそ、いま一度冷静になって分析してみるとまた違った一面が見えてくるかもしれない。あの『死の王』とは一体なんだったのか?

まず、あるべきはずのイントロをすっ飛ばして不意のヨナスからの音が死んだリフ・・・ワクワクしながらアルバムを再生してほんの数秒間の「生理的にムリ」な不快感を伴うトラウマ級のサウンドプロダクションに、僕は自分の知ってる皇帝はたった今ここで死んだ事を理解した。いま改めて聴いてみても、一曲目の「音が死んだリフ」は“皇帝なりのポストメタル”だと解釈できなくはないし、確かにリード曲のヨナスの「Go!!(咆哮)」からはGojiraTOOLを連想させ、他にもメシュガー以降のDjent的な現代ヘヴィネスを基調としていたのも事実。つまり、メシュゴジラという“10年代最高のメタルバンド”のワンツーへのリスペクトを意図して狙った事は全然理解できるというか、当時(10年代の)メタルシーンにおける力関係を垣間見たら実に合理的な試みであり、この事からも『死の王』の狙いや素質自体は悪くなかった。都合よく解釈するなら、逆に“革新的”過ぎて理解が追いつかなかっただけかもしれない(それだけは絶対にありえないけど)。しかし、そのトラウマ級の音作りは元より、その他の部分が悪すぎたというか、それ以上にこの時期からヨナスとアンダースの独裁政治はより強権を(誰かのお腹のように)肥大化させ、前作の『Night Is The New Day』リリース後にベースとリズムギターのノーマン兄弟が脱退した影響が露骨に現れた結果、あるいは全盛期カタトニアの立役者であるイェンス・ボグレンを左遷してセルフプロデュースを推し進めた結果、はたまたゲームオタクのスウェーデン野郎ことアンダースが神ゲー『スカイリム』にハマり過ぎててライティング不足に陥った結果のどれか、というのが自分なりの『死の王』に対する見解(全部クソゲーマーのせいw)。ちょっと面白いのは、その『死の王』における似非ポストメタル要素と、最近のDIR EN GREYにおけるポストメタル志向は思いのほか共振する部分を持っている点。

自分の中で、本当の意味で皇帝の死を実感したのは、ドラマーのダニエル脱退の時だったのは今さら言うまでもない。少なくとも、あの『Night Is The New Day』『The Great Cold Distance』を傑作たらしめた影の立役者と呼んでも差し支えないほど、いつだって皇帝の中心にはダニエルがいた。しかし、あの『死の王』に限っては唯一の例外で、以前の作品で見せたような彼の輝きは鳴りを潜めていた。その翌年に、(実質的にダニエルの遺作となった)『死の王』をBサイド的な解釈で再構築したアコースティック作品の『Dethroned & Uncrowned』を発表したのが明確な“答え合わせ”となった。その存在は『死の王』がハナからアコースティック/再構築化を前提に制作された可能性を示唆し、そのアコギ主体の楽曲を後からバンドサウンドで合わせたんじゃねぇかと、そう邪推したくなるほど「結局何がしたいねん」という話でしかなかった。同時に、そういえば『NITND』時のインタビューでヨナスかアンダースが俺たちはニカバンドなんかにならないよHAHAHA的なジョークを飛ばしていたのを思い出して、『死の王』の登場にPTSD級のトラウマを負っていた僕は「いや、いっそのことオメーらニカバンドになっとけよw」と独りでに皮肉煽りした事が今でも記憶の片隅に残っている。

バンドの実質的な主導権を握っていたドラマーのダニエルが脱退したとなれば、そりゃバンドの根本から全て変わるよね。しかも同じ“ダニエル”名のスウェーデン人ドラマーを迎えたのは俺か他の誰かに対する当て付けか、それともただの偶然か。前作『死の王』の反省を踏まえて、左遷したイェンス・ボグレンを再びエンジニアとして起用し、新ドラマーのダニエル・モイラネンを迎えて2016年に発表された10thアルバム『The Fall Of Hearts』は、冒頭に晒した黒歴史メモに記したように、死の淵から復活の兆しを見せた作品でもあった。実は、このアルバムがリリースされた2016年、つまりあの『The Great Cold Distance』から節目の10周年というのにも深い意味がある。このアルバムがバンド自身思い入れの深い作品であることは、10周年を記念するメモリアル盤とアニバーサリーツアーを敢行するくらいには明白だった。何を隠そう、この『The Fall Of Hearts』では、確かに『死の王』「イントロすっ飛ばして直ヨナス」路線を継続しつつも、10年前の傑作『TGCD』を意図して意識したような、例えば「ダッダッダッダッ」みたいなコア的なリフを随所に垣間見せ、全体的なサウンドもいわゆるプログレ・メタルのステレオタイプに回帰したというよりは、そのシンプルさとは対照的なパーカッションを多用したプログレッシヴな楽曲構成も含めて、KATATONIA~TOOLフォロワーのSoenみたいな印象は否めなかった。

全盛期メンバーよりも新規メンバーが多数を占めるようになったカタトニアは、もはや自分の知ってる彼らではなかった(厳密にいえば「カタトニアなんだけどカタトニアじゃない」)。何故なら、散々言っているように自分は『TGCD』〜『NITND』時代のオルタナ〜ヘヴィロックラインの“センスだけ”で弾いてるようなコア的なリフ回しこそ彼らの真髄と信じてやまないからで、確かに、確かにこの『The Fall Of Hearts』には『TGCD』を想起させるコア的な要素や北欧ならではの叙情性が十二分に備わっている。しかし、それはあくまでファンサービス程度のもので、ピロピロしたギターソロをはじめ著しくメタル色が濃くなったのは新メンバーの影響と推測したところで「どうでもいい」としか思わなくて、そんなこと以上に過去作とは一線を画した妙な違和感を察知した。その違和感の正体こそ、“対内的”な視点から見たカタトニアの存在だった。

その前作から4年の月日が経過した2020年、歴史的駄作や黄金期メンバーの脱退という激動の10年を歩んできた鴉は、この新時代の幕開けを告げる2020年に一体何を思うのか?その答えは、混迷する現代のディストピア社会のBGMとしての役割を果たす『City Burials』に克明に記されていた。

そのタイトルからも前作の延長線上の位置付けである事を示す#1“Heart Set To Divide”を再生した瞬間、「2度目」のデジャブに襲われると僕はたちまち恐怖に慄いた。そこには『死の王』が誕生してから「呪い」のように続く「イントロすっ飛ばして直ヨナス」という『悪夢』が待ち受けていた。それと同じくして、ヨナスの歌メロやギターのリフ回しも前作をベースとした構築系のプログレメタルを踏襲している事に気づく。事実、#2“Behind The Blood”のイントロから「オメーはギターヒーロー気取りかよw」とツッコミ不可避のピロピロギュイーーーンなリードギターとか、少なくとも『TGCD』〜『NITND』時代からは考えられない音だった。確かに、前作の時点でパラロスのグレッグ顔負けの耽美的なリードギターを皮切りに、カタトニアの出自に最も近いゴシックメタルの王道路線に回帰したようなギタープレイヤーとしてもメタル界屈指のゲームプレイヤーとしても、全く新しいカタトニアを創造するという揺るぎない意思と確かなポテンシャルに満ち溢れた叙情的なギタープレイが異様に際立っていたのも事実。

前作ではギターソロで参加していたロジャー・オイエルソンが本作から正式メンバーとして直接楽曲に関わっており、恐らく本編#2“Behind The Blood”における怒涛のソロワークをはじめ、#11“Untrodden”の黄金期カタトニアの高すぎる「壁」を打ち破らんと抗ってるような、むしろ開き直ったようなメタル然とした歌謡曲ばりの泣きのギターソロは、某ゲーマーではなく新メンバーのロジャーによるものだと容易に推測できる。それらを含めた音楽的な変化は、ヨナスが長年対外的な経験を積んで“メタルボーカリスト”として自覚を持って歌えるようになった結果、つまりバンドとして可能性が広がって選択枠が増えたポジティヴな結果から生じた流動的な変化である事は否定しようもない事実で、本作においても(過去作では楽器的に詩的に詠っていたイメージのあった)ヨナスは完全にボーカリストとして「歌」を歌っている。要するに、ヨナスの「自由に歌いたいねん」という自我と、アンダースの「自由にギター弾きたいねん」というエゴにも近い自我に板ばみされた形での元ダニエル脱退(いや、オメーは引きこもってVRバイオ7でもしてろクソゲーマー!)。

『The Great Cold Distance』以降に生み出されたBサイドを象徴する“Unfurl”“Sold Heart”の直系にあたるミニマルなトリップ系の#3“Lacquer”、傑作の一つとされる6thアルバム『Viva Emptiness』の情緒不安定で不協和音的な禍が襲いかかる#4“Rein”、そして本作のハイライトを飾る#5“The Winter Of Our Passing”は、まるで『死の王』において唯一の救いだった“The Racing Heart”をもっとBサイド寄りに振って再構築したような、むしろこの曲が“The Racing Heart”“真の姿”“真の完成系”なんじゃないかって、するとここでも“Heart”という過去2作へと繋がる重要な伏線を回収すると、そして同郷の女性ボーカル=Anni Bernhardを迎えたBサイドの王道を展開する#6“Vanishers”は、否が応でも『死の王』“The One You Are Looking For Is Not Here”の残像を脳裏に浮かび上がらせる。この時、自分の背後に『死の王』の黒い影が忍び寄っていたことを、あの日の僕たちはまだ知らない。

既にこの時点で、前作より『死の王』をモチーフ=イコンとしているのは明らかだった。誰しもが「死」という運命から逃れることはできない人類と同じように、皇帝カタトニアも『死の王』から逃れられぬ運命にあるのかもしれない。鴉は『死の王』という死線を潜り抜けたのではなかった。それは『真実』が示す答えとは真逆の考えで、むしろ『死の王』から全ての生命が始まっていたんだ。冒頭の「イントロすっ飛ばして直ヨナス」という名の伏線からメタルサイドとBサイドを交互に繰り返し描いてきたのは意図した演出で、その真の目的は『死の王』の運命を再現し、再びこの世に降臨させる事だった。Bサイド路線の一つの終着点である『Dethroned & Uncrowned』、それは皮肉な事に『死の王』の存在が可能にした再構築アルバムであり、誠に皮肉な事にメタル界屈指の駄作だったはずの『死の王』がカタトニアの未来とその可能性を切り拓いていた事に、彼らに降りかかる全ての物事や運命は『死の王』を起因として未来へと繋がっている事に、その『真実』にたどり着いてしまった僕は未だかつて経験したことのない未曽有の恐怖に襲われた。「鴉」「死」は、いつだって常に隣り合わせにいた。あの「鴉」「死」から息を吹き返したわけではなかった。当時の『死の王』の姿で地上に蘇り、そして今なお皇帝は鴉から八咫烏へと姿を変え腐海という絶望の淵を彷徨っているんだ(死の無間地獄)。

方や『Night Is The New Day』時代のモダンなリフや北欧ならではの寂寥感溢れる内省的な歌メロを記録した#7“City Glaciers”や#10“Neon Epitaph”を筆頭に、アルバム後半に差しかかってもリフの焼き回しや過去作を連想させるメロディが頻繁に見受けられ、それすらも意図して引用することで『死の王』が持つ「記憶」を半ば強制的に現世に蘇らせるためだと解釈すれば、ちょっとソレっぽい話のネタになるけど、本音を言っちゃうと結局こいつら自分たちの全盛期が今も忘れられないでいるんですね。とは言え、ただ脳死状態でメタルサイドとBサイドを交互に繰り返しているのではなくて、アルバム後半からは一曲一曲の中でメタルサイドとBサイドの融合を試みており、つまり『死の王』が根差した真の目的であるメタルサイド=『死の王』=皇帝Bサイド=『Dethroned & Uncrowned』=鴉という「二つの顔」「二つの精神」、その二面性を兼ね備えた心技体の表裏一体化は前作を大きな糧とする事で著しく加速し、ここにきて成熟期を迎えたのである。鴉は「過去」から「現在」へ、そして「現在」から「未来」へと時空を超えて、不死鳥としてその心臓の鼓動を刹那に焦がす。そう、全ては『死の王』が思い描いた「計画通り」に・・・。

『死の王』は全盛期カタトニア、そのイメージと概念をぶっ壊すために計画された必要悪だった。“対外的”な視点を持ったカタトニアはあの時に一度死んで、チリチリに細切れになった死の灰を“対内的”な視点をもって一から再構築したのがこの『City Burials』だ。完全な言い訳だけど、結果的に前作のレビューはスルーして正解だったのかもしれない。何故なら、前作と本作は全く同じ“対内的”な視点で描かれているから。違いといえば、大まかに分けて前作が『TGCD』の姿に化けた『死の王』なら、本作が『NITND』の姿に化けた『死の王』であるというだけで、根っこは同じ『死の王』なんですね。よって本作には“対外的”な要素は微塵もない。全てが“対内的”に収まり、全てが身内の世界だけで完結している。悪くいえば保守的になった(これは一度死にかけたからしょうがない面もある)。よってTOOLだとか、メシュゴジラだとか、その辺の“対外的”な面影は皆無に等しい。

本作ではイェンス・ボグレン界隈のエンジニアを全て排除し(しかしイェンスと入れ替わるようにして、前作に不参加のフランク・デフォルトが復帰している)(イェンスはマブダチのテイラーが新譜の『Folklore』を出したから家に引きこもって聴き込んでるらしい)(知らんけど)、イェンス時代のセレブな匂いのするテイラー・スウィフト色もといイェンス色を無くしたのは徹底して潔いと思った。しかし、その代役があの知る人ぞ知るヤコブ・ハンセンとか流石に想定外過ぎたけど(結果的に良かったけど)。確かに、そういった面では未だに「イェンス時代のカタトニア」のイメージが拭いきれなくて、どうしても同じカタトニアとして見れない自分がいるのも確かで、それが時折りもどかしくもある。

結論を述べると、KATATONIAというバンドの歴史的な転換点となった『死の王』を対内的な視点から肯定することで、鴉は本当の意味で不死鳥となった。そう考察してみるとめちゃくちゃ泣けるし、一周回って『死の王』が愛おしく思えてきた(これも「計画通り」)。なまじ久々に、それこそウン年ぶりに皇帝について書いたから普通に緊張した。というか、前作の“幻のレビュー”という黒歴史の存在が俄然緊張させた。正直、このレビューを書く前は「全部クソゲーマーのせいw」「全部ゲースロ最終章のせい」の一言二言で終わらせようかと思ったけど、蓋を開けてみたら想像した以上に根深い所に繋がっていた作品。でもゲーマーじゃないメタラーはメタラーじゃないからね、しょうがないね(クソゲーマーのやつ、今頃『ラスアス2』やってそう)(それももうクリアして今は『ゴーストオブツシマ』やってそうw)。もはやクソゲーマーの正体=俺だった・・・?

Draconian 『Sovran』

Artist Draconian
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Producer David Castillo
David Castillo
Mixing/Mastering Jens Bogren
Jens Bogren

Album 『Sovran』
_SL1500_

Tracklist

01. Heavy Lies The Crown
02. The Wretched Tide
03. Pale Tortured Blue
04. Stellar Tombs
05. No Lonelier Star
06. Dusk Mariner
07. Dishearten
08. Rivers Between Us
09. The Marriage Of Attaris
10. With Love And Defiance

実質プロデューサー ・・・ゴシック・ドゥーム界を代表するスウェーデンのDraconianも、他に漏れず「イェンスと組んだ一作目は名作になる」という"メタル界の迷信"を、いわゆる"実質プロデューサー"現象を4thアルバムTurning Season Withinという傑作の中で既に証明していて、続く2011年作の5thアルバムA Rose for the Apocalypseでは、念願叶ってイェンス・ボグレンを本当の"プロデューサー"として迎え入れる事に成功していた。しかし、まさかそれが紅一点ボーカルLisa Johanssonの遺作になるなんて想像もしてなかった。正直、このドラコニアンのセールス・ポイントと言ったら、男Voのアンダース・ヤコブソンのデス声とリサ・ヨハンソンの美しすぎる歌声が織りなす、この世の儚くも美しい部分と破滅的な醜い部分の絶妙なコントラスト/コンビネーションで、そのバンドのキモであるリサが脱退したというニュースを聞いた時は、それはもうガチで終わったというか、それこそドラコニアン解散すんじゃねーかくらいの衝撃だった。しかし、新しくドラコニアンの記事を書いているということは、つまりはそういうことで、バンドの希望であったリサを失った彼らは、直ぐさま新しい嬢として南アフリカ出身のSSWで知られるHeike Langhansを迎え入れ、目出度く約4年ぶりとなる6thアルバム『Sovran』をリリースした。

【勝ち確】 ・・・今のメタル界隈には、イェンス・ボグレンという優勝間違いなしの名将だけじゃあ飽きたらず、その相棒であるデイビッド・カスティロも同時に指名して、いわゆる【勝利の方程式】を解き明かそうと必死で、このドラコニアンもこのビッグウェーブを追従するようにプロデューサーとしてデイビッド・カスティロ、録音エンジニアとしてイェンス・ボグレンを起用するという、まさしく【勝ち確】なメンツで制作されている。だけあって、今作は【勝ち確】と評する以外ナニモノでもない模様。それはイントロからEarthらUSドローン/ドゥーム界隈を彷彿とさせる#1”Heavy Lies The Crown”のメロドゥーム然とした慟哭不可避のメロディから、その#1とシームレスで繋がる#2”The Wretched Tide”のストリングスによる耽美的なメロディと紅一点ヘイケによるWithin Temptationのシャロン顔負けの慈悲なる歌声を聴けば分かるように、ウリである泣きのメロディ・センス、バンドの中心人物であるヨハン・エリクソンのライティング能力は4年経っても不変で、もはやリサ脱退の影響を微塵も感じさせない、むしろ冒頭の三曲でリサの存在を忘れさせるくらいの凄みがある。

【KATATONIA feat.】 ・・・そして今作のハイライトを飾る#7”Dishearten”は、リズムやアレンジ、リフから曲調まで、いわゆる【勝利の方程式】の基礎である『The Great Cold Distance』以降のKATATONIA、中でも『死の王』”Hypnone”リスペクトな一曲で、あの頃のKATATONIAを知り尽くしているデイビッドだからこそ『説得力』が生まれる曲でもあるし、もうなんか【KATATONIA feat. シャロン】みたいになっててウケる。ともあれ、一度は誰もが妄想したであろうこのコラボを擬似的ながらもやってのけた彼らの度胸に僕は敬意を表したい。その流れで本当にUKバンドCrippled Black Phoenixのスウェーデン人シンガーDaniel Änghedeとフィーチャリングしてしまう#9”Rivers Between Us”では、ダニエルの色気ムンムンな男性ボーカルとヘイケの美声がアンニュイなハーモニーを聴かせる。新ボーカルのヘイケは、前任者リサのようなオペラティックなソプラノ歌唱ではなくて、その声質やメロディの作り方からも往年のシャロン・デン・アデルを意識したようにクリソツで、それにより俄然ゴシック℃マシマシな印象を受けるし、より大衆的というか、往年のWTに通じる今のWTが失ったいわゆる"female fronted"なメインストリーム系のメタルへとバンドを昇華させている。少なくとも、いわゆるドゥーム・メタルやゴシック・メタルとかいうサブジャンル以前に、バンドのメタルとしての能力を限界まで引き出すイェンス・プロデュースによる特性が(良くも悪くも)顕著に出ていた前作よりは、まるで教科書通りと言わんばかり、これまでの"ゴシック/ドゥーム・メタル"として本来のドラコニアンらしさへ回帰した佳作だと。
 
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KATATONIA 『サンクティテュード』

Artist KATATONIA
KATATONIA

Live 『サンクティテュード』
サンクティテュード

Tracklist
01. In The White
02. Ambitions
03. Teargas
04. Gone
05. A Darkness Coming
06. One Year From Now
07. The Racing Heart
08. Tonight's Music
09. Sleeper
10. Undo You
11. Lethean
12. Day
13. Idle Blood
14. Unfurl
15. Omerta
16. Evidence
17. The One You Are Looking For Is Not Here

電撃加入 ・・・最近のKATATONIA関連のニュースで驚いた事といえば→昨年、「ギャラの取り分少ねーよ(家族との時間を優先したい)」という理由のため、惜しまれつつKATATONIAを脱退したドラマーのDaniel Liljekvistが、以前から僕が贔屓にしている同郷のIn Mourningに電撃加入!?という今世紀最大のビッグニュースで、てっきりもう二度と彼のドラムを聴くことはないと失望してたもんだから、この衝撃ニュースが飛び込んできた時は大喜びしたと同時にクソ笑った。そんな古参メンバーであるダニエルノーマン兄弟が脱退した後のKATATONIAは、Bloodbathで知られるギタリストのペル・エリクソンとベースのニクラス・サンディンを新メンバーとして迎え入れたが、ダニエルが脱退すると間もなくペルも脱退する事となり、現時点のメンバーはアンダースヨナス、そしてニクラスの三人体制となっている。その三人体制で、昨年にロンドンの歴史的な教会として知られるユニオン・チャペルで行われた、アコースティック・ライブの様子を収めた映像作品『サンクティテュード』が発表された。

KATATONIA第二章 ・・・良くも悪くもKATATONIAに大きな変化をもたらした問題作『死の王』こと『Dead End Kings』を発表した事で、KATATONIA第一章は終わりを告げ、その『死の王』を再解釈/再構築し、新たにKATATONIA第二章として産声を上げた『Dethroned & Uncrowned』に伴うツアーを収めたライブ作品で、その『D&U』の楽曲を中心に、歴代アルバムの名曲がアコースティック・アレンジで甦る、それこそKATATONIAファンが待ち望んだ夢のようなライブとなっている。サポート・メンバーには、ヨナスとのコラボ(Wisdom of Crowds)でも知られ、先日初来日を果たしたThe Pineapple Thiefブルース・ソードとアルバム『D&U』でもお馴染みのJPがパーカッションとして参加している。結果論ではあるが、もしギタリストのペルが脱退していなかったら、今回のブルースとカタトニアによる夢のコラボは実現する事はなかったと思うとアレ。

雰囲気ライブ ・・・まるで聖者(死の王)の復活を祝う信者の集いの如く、リーダーのアンダースはバリトン・アコースティック・ギターを、ヨナスはエレキ・ギターを抱えて椅子に腰掛けながら演奏し、そのメンバーと対等に観客も着席スタイルのライブとなっている。それ即ち、ギターを弾くヨナスの姿がまじまじと見ることができる大変貴重なライブとも言える。ヨナスはMCで「緊張している」と連呼する割には、体形的な意味でも歌声的な意味でも共にベスト・コンディションで、そこにアンダースとブルースのコーラスが重なって、あまりにも贅沢過ぎる絵面が生まれている。で、さすがにユニオン・チャペルという伝統的な教会だけあって、そのステージ上には淡色に揺蕩うキャンドルの灯火と暗闇の中を射すひとひらの光の如しライトアップによって、まるで『ブラッドボーン』の世界の如し荘厳かつ耽美的な世界観をシンプルに演出してみせる。その神聖な会場から醸し出される独特の空気感とアコースティックな楽器の音が繊細かつ優美に、そして生々しく会場に響きわたる。とはいえ、やっぱり基本的に映像は暗いです。それこそ『LIFE!』女優の石橋杏奈ちゃんが嬉し泣きしそうな最高の"雰囲気音楽"、すなわち"雰囲気ライブ"の極みで、しかしその雰囲気をブチ壊すような観客のガヤが時たま入るのが、海外ライブらしいというかフリーダムな感じで嫌いじゃないですw

Unplugged ・・・おいら、何度でも言うけど『死の王』は元々"アンプラグド化"する事を前提に制作されたアルバムだと信じてやまなくて、実際このライブ音源を聴いてしまうと、もうアンプラグド版の方が"オリジナル"にしか聴こえない。それくらい、KATATONIAの楽曲と"Unplugged"の相性はバツグンである事を証明している。そもそもKATATONIAといえば、メタリックなヘヴィネスと儚くも美しいメロディが絶妙なバランスで共存した音楽をウリとするバンドだが、このライブではバンドの一番のウリと言っても過言じゃあない天性のメロディセンス、そしてヨナスによる魅惑的なボーカル・メロディがより鮮明かつ表面的に、より繊細かつ濃厚に堪能することができる。ライブ・アレンジが加えられたヨナスのボーカルをはじめ、五感に沁み渡るようなメロディの洪水に、まるで割礼の儀を受けているかの如し『清らか』な音空間が静かに拡がっていく。あらためて、元々フォーキーで情緒的なメロディを持ち味とするKATATONIAが、このようなアコースティック・ライブを敢行するなんて事は、意外でもない想定内の出来事だった。特に”The Racing Heart”から”Tonight's Music”の流れは本公演のハイライトだし、涙なしには見れない初期の名曲”Day””Idle Blood”→本編ラストを飾る”Unfurl”までの終盤は実に感動的。アンコールの”The One You Are Looking For Is Not Here”では、アルバムにも参加したThe Gatheringのシリエが登場してヨナスとのディエットを披露する。いわゆる"Bサイド"と呼ばれる近年の楽曲や過去の名曲のアコギ・アレンジ、プロフェッショナルな他アーティストとのコラボレーション、そしてカタトニアの"音響"に対する"こだわり"を垣間見せるような、文字どおり"スペシャル"なライブとなっている。それこそ過去のKATATONIA今のKATATONIAを繋ぎ合わせるような、カタトニアの"オルタナティブ"な音楽性に何一つのブレもない、揺るぎない信念が貫かれた音楽であることを証明するかのようなライブだった。アコースティック・ライブとしては十分な曲数と演奏時間だと思うし、何よりもヨナスきゅんのパーカッション姿が見られるのはこのライブだけ!平成ヨナス合戦ぽんぽこ!

ANATONIA ・・・ANATHEMA『Universal』というライブ作品をリリースしているが、音楽的にもバンドイメージ的にも陰と陽を象徴する対極であり対等なバンドが、一方のANATHEMAが大仰なオーケストラを擁し、一方でKATATONIAが静かなアコースティックをフューチャーするという、このようにライブでも対極的な景色を描き出しているのはとても興味深いし、本当に面白いと思う。ANATHEMA『Universal』がロックバンドとしてのダイナミクスを全面に押し出した、圧倒的な多幸感と激情的なエモーションに溢れた世界的なショーなら、このKATATONIAは絶望の中に希望を見出すような、地域密着型の庶民的で温かいアトモスフィアを形成していく。ライブでも双方の違いを証明すると同時に、互いに引かれ合う存在=ANATONIAとして確かに"リンク"する場面が見えてくる。流石に映像の質やカメラワークの演出的な部分ではANATHEMAに劣るが、チョイと酒を引っ掛けながら作業用BGMに近い感覚で気軽に観られるのは断然KATATONIAの方だ。しかし、まさか『Damnation』みたいな作品を出している盟友のOpethより先にアコースティック・ライブを映像化するなんて、10年前じゃまず考えられなかった事だろう。

ドキュメンタリー ・・・ライブ本編以外には、ヨナスとアンダースがインタビューに質問形式で答える、約60分に及ぶドキュメンタリーが収録されている。 今回のアコースティック・ライブについての質問が大半を占める中、数多くある質問の中で、僕が特に興味深いと思ったのは→「ライブが音楽業界の主な収入源となっていること」に対する答えと、「フランク・デフォルトがカタトニアに与えた影響と賛否両論」という鋭い質問で、以前から近年KATATONIAに与えたフランクの影響、その大きさに言及してきた僕としては非常に興味深い話だった。今は関係良好のまま互いに別の道を行くことに決めたらしく、今後はフランクとのコラボの可能性はないとも答えている。確かに、このライブにフランクが参加していない時点でナニか違和感あるし、そのことについてもアンダースは残念だと嘆いている。そして古参メンバーの脱退、特にダニエルの脱退を非常に残念がっていて、あらためてフランクとダニエルがバンドに与えた影響、その存在の大きさが見て取れる。そんな中、既に新作のアイデアを集めているという嬉しい情報もあり、そして作曲における"色"の大事さや、「作曲しながらアニメーションを作っている感覚」というアンダースの創作技術を暴露する回答もあったりして、ファンとしてはとても面白い話ばかりだった。あと「余計なものを削ぎ落した」というヨナスとアンダースの言葉で思い出すのは、昨年リリースされたDIR EN GREY(一巡)の9thアルバム『ARCHE』の存在で、お互いに表現方法こそ明確な違いはあるものの、やはりKATATONIADIR EN GREYは血縁関係にある事を再認識させた。ライブ本編はMCらしいMCはなくテンポよく進むので、ライブ本編だけ観られればいいという人は無理に字幕付きの国内盤を買う必要はないです。でもドキュメンタリーまでジックリ見たいって人は、字幕付きの国内盤をオススメします。本作、本当に素晴らしいライブ作品なのだけど、やはりダニエルがこの夢のような絵面の中に存在しないのが唯一の残念だ。なお、ダニエルはIn Mourningで先輩風吹かせながら音楽活動をエンジョイしている模様w

Ghost Brigade 『IV – One With the Storm』

Artist Ghost Brigade
Ghost Brigade

Album 『IV – One With the Storm』
IV – One With the Storm

Tracklist
01. Wretched Blues
02. Departures
03. Aurora
04. Disembodied Voices
05. Electra Complex
06. Stones And Pillars
07. Anchored
08. The Knife
09. Long Way To The Graves
10. Elämä On Tulta

北欧フィンランドの音楽といえば→Sonata ArcticaStratovariusなどのコッテコテなヘヴィメタルバンドを数多く輩出している国というイメージが強いが、この2005年にフィンランドはユヴァスキュラで結成された6人組のGhost Brigadeは、その名をシーンに知らしめた2ndアルバムIsolation Songsでは、全盛期Opethに匹敵するリフ回しを中心とした幽玄かつ荒涼感のある音使いをもって、同郷のCallistoの影響下にある”静と動”のコントラストで聴かせる美しくも儚い”覇道のPost-Metal”を展開していた。続く3rdアルバムUntil Fear No Longer Defines Usでは、Insomnium直系のエピカルな叙情性やAlcestKATATONIA流れのオルタナ感を高めつつ、ポストメタルはポストメタルでも隣国のCult of LunaNeurosisを連想させる、よりモダンでドゥーミーに洗練された”進撃のPost-Metal”を繰り広げていた。つまり、伝統的なフィニッシュ・メタルと現代的なポストメタルがクロスオーバーした、言うなれば”メロデスラッジ”みたいな面白い立ち位置にいる、自分の中では新世代メタルの一つとして認識しているバンドで、個人的にもフィンランドでは一番お気に入りのバンドだ。そんな前フリがあって、前作の『UFNLDU』から約二年ぶりの4thアルバム『IV - One With The Storm』は、傑作だった『Isolation Songs』を彷彿とさせるアートワークで、その内容も2ndの再来を期待させる。

リッピング失敗したかと思った→オリジナルメンバーのベーシストが脱退し、新しくベーシストとキーボーディストを迎えて6人組体勢になったことが、バンドサウンドに大いに影響している。オープニングナンバーの#1”Wretched Blues”を聴けばわかるように、確かに雪国フィンランドの情緒漂うInsomnium譲りのエピカルな叙情性は不変だが、以前までのスラッジーな重さというより硬くてソリッドな低音リフに、そして高音がキツ過ぎる音質の悪さに嫌な予感が頭をよぎる。なんだろう、次の#2”Departures”を聴いたら納得した。Opeth?Insomnium?Cult of Luna?Neurosis?・・・コイツら一体誰の後継者なんだ?って、この曲でわかった気がする。コイツらKATATONIAの後継者だわ。この高音のシャリシャリ感は『Last Fair Deal Gone Down』リスペクトだと半ば強引に考えれば納得できるし、そうかコイツら”オルタナティブ・ヘヴィ”だったんだな・・・って思い知らされた気分だ。確かに、2ndや3rdの時点でフィンランドらしからぬ”オルタナティブ”なセンスを垣間みせていたし、今作ではそれが表面化してきている。あえりえなくもなかったけど、でも少し意外な方向転換をしてきた。新しくキーボーディストを迎えたことで、音響的(ATMS)なアレンジ面での確かな成長は伺えるし、いい意味でも悪い意味でも音を含めて全ての音がモダンに洗練されている。でもボク思うんスよ、この手の音楽やりたいんならさっさとイェンス・ボグレン引っ張ってこいやって、ボク思うんスよ。いや、僕が言いたいのはただ一つで→隣国Dark TranquillityConstruct聴いてから出直してこい、っつーわけです。なんだろう、フィンランド人って深いところで”オルタナティブ・ヘヴィ”をナメてる気がする。なんだろう、田舎もんの大学生が都会に出てきて大学デビューに失敗したみたいな、こっ恥ずかしいノリすらある。ボートラにドヤ顔でリミックス入れちゃうあたりもうホントにスベってる。なんだろう、全体的に無理しちゃってる感じ。

  「GBよ、お前はANATONIAにはなれない...」


とにかく音の悪さ→それと相性の悪さも相まって、第一印象は過去最悪だった。当然、これは意図的にやってるんだろうけど、いかんせん音が致命的過ぎる。少なくとも、僕にとっては何回も聴きたいと思う音ではなかった。是非ともフィンランドのエンジニアには【オルタナティブ・ヘヴィ 音作り】で検索してほしいって思っちゃったんだからしょうがない。しかし、楽曲自体は前作からスラッジーなヘヴィネスを取り払って、中期ANATHEMAあたりのオルタナ方面へと大きく舵を切ってて、それはむしろ個人的に大好きな方向性ではあるし、メロディの充実度や完成度という点では前作を軽く凌駕しているのは確かだ。でも自分は前々作や前作ほど俺の感性に響かなかった。これはただ音の”進化”からなる音の”変化”に僕が順応できなかっただけかもしれない。それともガチでリッピング失敗しただけなのかもしれない。それでもやっぱり、この手の音楽の最上級はKATATONIAの最高傑作『Last Fair Deal Gone Down』ANATHEMA『Judgement』だと信じてやまない自分としては、頼むからこの手の”オルタナティブ”がやりたかったらイェンス連れてきてくれって、本当にただそれだけなんですね。もしイェンスがミックスしてたらまた違った結果になったのかな~とか、考えるだけ無駄だけど。

IV: One With the Storm
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