Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

Kscope

ana_thema 『The Optimist』

Artist ana_thema
anathema

Album 『The Optimist』

_SL1000_

Tracklist
01. 32.63N 117.14W
02. Leaving It Behind
03. Endless Ways
04. The Optimist
05. San Francisco
07. Ghosts
08. Can't Let Go
09. Close Your Eyes
10. Wildfires
11. Back To The Start

2015年の夏に奇跡の初来日公演を果たしたアナセマことANATHEMA。バンド結成から27年目を迎えたアナセマは、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦の作品遍歴と同じく、音楽遍歴が「流動的」なことでも有名なバンドで、その音楽性の移り変わりはザックリと大きく3つに分類することができる。

1990年にリヴァプールで結成された当初はPagan Angelという名で活動していたANATHEMAは、その憂鬱で破滅的かつ絶望的な世界と隣接した音楽性から、同じPeaceville一派であるMy Dying BrideParadise Lostと並んでUKゴシックメタルの「御三家」としてその名を馳せると、バンドは00年代に差し掛かると大きな転換期を迎える。それこそアナセマの長い音楽史の中でも「最も幸福だった日々」すなわち『Fine Days』とも呼ばれる黄金期」で、それは1999年作の『Judgement』を皮切りに、2001年作の『A Fine Day to Exit』と2003年作の『A Natural Disaster』では「90年代」のオルタナやグランジからの影響を感じさせる作品を立て続けに発表し、その『Fine Days』の時期に培った彼らの「オルタナティブ」に対する意識は、その後のana_themaの音楽性にも大きな影響を与える事となる。

その『Fine Days』の頃に世話になった所属レーベルのMusic For Nationsが買収されるとバンドはしばらく小休止となるが、バンドは2008年にスティーヴン・ウィルソンが主宰する新興レーベルのKscopeから過去作の名曲をリメイクした『Hindsight』をリリースし、「生まれ変わったアナセマ」を宣言すると、2010年に同じKscopeから奇跡の復活作となる『We're Here Because We're Here』を発表し、SWが掲げる「Post-Progressive」の右腕としてその存在感を誇示し始める。2012年にはプロデューサーにChrister André Cederbergを迎え、最高傑作と名高い『Weather Systems』というまるで「世界を一巡」させるような作品をリリースし、2014年には自身のバンド名であるANATHEMAという「呪い」を解く物語のような『Distant Satellites』をドロップすると、その翌年には奇跡の初来日公演を実現させる。

その初来日公演でアナセマは、それこそ漫画『デビルマン』のラストシーン(神VSサタン)の「その後」を新説書ならぬ新説音として描き出すような、それこそ「神堕ろしのアナセマ」となって、そして最終的には「神殺しのアナセマ」として空前絶後の壮絶的なライブを繰り広げた。その後、Netflix資本で湯浅政明監督の手によって漫画史上最高とも言える衝撃的な展開と壮大なラストシーンを描く『デビルマン』の新作アニメが制作発表されたのは、もはや全てが何かと繋がっているような、もはや何かの因果としか思えなかった。そして、その「神殺しのアナセマ」は今度はana_themaへと姿を変え、約3年ぶりに通算11作目となるオリジナルアルバム、その名も『The Optimist』を世に放つ。

「The Optimist」
意味:楽観主義者

今作のタイトル「The Optimist」の意味が「楽観主義者(オプティミスト)であると知った時、「え、それ俺じゃん」ってなった人も少なくないかもしれない。それはともかく、今作の『The Optimist』は、2001年作の『A Fine Day to Exit』のアートワークにインスパイアされた、言ってしまえば実質続編と解釈できる自身初となるコンセプト・アルバムで、その「旅」をテーマとした『A Fine Day to Exit』の中で、絶望の淵に追いやられたペシミスト(悲観主義者)の主人公が最後に行き着いた先、それがこの『The Optimist』「始まり」となる浜辺で、つまりこの物語は、それまでネガティブで後ろ向きな思考を持つペシミスト(悲観主義者)だった主人公が、一転して前向きでポジティブな思考を持つオプティミスト(楽観主義者)へと心変わりしていく「人生の旅」、その話の続きを描き出している。確かに、アナ_セマって元々コンセプチュアルなバンドではあるけれど(その中でも『A Fine Day to Exit』は特に)、はなっから「コンセプト・アルバム」を明言した作品は今作が初めてだ。

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改めて、今のアナ_セマって理論物理学の最高権威で知られるスティーヴン・ホーキング博士が主宰するStarmus Festivalに招待されて映画音楽界の巨匠ハンス・ジマーや歌姫サラ・ブライトマンと共演しちゃうくらい、今やあのU2と肩を並べるくらい「意識高い系バンド」の一つで、そもそもバンドの中心人物であるダニー・キャヴァナーの「意識の高さ」っつーのは過去のラジオ出演などからも明白であり、当然その「意識の高さ」は音楽面にも強く反映されていて、いつ何時だってアナ_セマはその時代その時代の音楽シーンの流行りを的確に捉え、そして自分たちの音楽に昇華してきた。決して二番煎じに陥らない確固たるオリジナリティをもって。

そんな、20年以上にも及ぶ彼らの音楽人生の中で一番の転機となったのは、アナ_セマ『Fine Days』すなわち黄金期」の真っ只中にいた2001年の『A Fine Day to Exit』だと断言していいだろう。少し前に「ノストラダムスの大予言」が世間を騒がせたかと思えば、今度は「2000年問題」が騒がれ始めた時代に発表されたこのアルバムは、「90年代」のロックを象徴するオルタナ/グランジの影響下にある作風で、それまでは広義の意味で言うとまだ「ゴシックメタル」の枠組みにいたアナ_セマが初めて「脱メタル」をアナウンスした瞬間でもあった。面白いのは、その「脱メタル」した先がオルタナ/グランジというメタルを「メタルの暗黒期」と呼ばれる時代に追いやった、言うなればメタル界の「敵」と呼ばれる音楽に寝返ったことだ。しかし、その一つの枠に囚われない貪欲な姿勢、その「したたかさ」こそアナ_セマの魅力の一つと言える。

 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「こんばんは、稲川VR淳二です。」

 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「実は私ねぇ、こう見えて怖い話の他にも音楽がひと一倍好きな人間で、特に最近はイマドキのプログレにハマっていましてねぇ、そんなイマドキのプログレの中でも特にお気に入りなのがアナセマというイギリスのバンドでしてねぇ、まずその”アナセマ”とかいうギリシャ語で”呪い”を意味するバンド名からしてホラー要素に溢れているわけなんですが、まぁ、それはともかく、実は今回そのアナセマが約3年ぶりに新作を発表したっていうんでね、早速聴いてみたわけなんですよ」

 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「恐る恐る一曲目を再生してみると、何やら浜辺に打ち付けるような波の音と息の荒い男の気配がする。その”Panic”状態に陥った「謎の男」は車に乗り込むと、大きく深い溜め息をついてからエンジンをかけ、そしてカーステレオをオンにして車を走らせる。ラジオからの情報によると、どうやら(サンフランシスコ・)ベイエリアが氾濫するほどの異常気象(Weather Systems)が起こっているらしい。私はそれを聴いた瞬間、うわぁ~嫌だなぁ~怖いなぁ~って。するとねぇ、今度はラジオから音楽が聴こえてくる。そしたら次の瞬間・・・」


ティキドゥンドゥン


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 稲川VR淳二
new_スクリーンショット (34)「なんだなんだなんだなんだなんだ、ダメだダメだダメだダメだ、だっておかしいじゃない。私の知ってるアナセマはロックバンドなのに、まるでEDM顔負けの打ち込みが聴こてくるんだもん。妙に変だなぁと思って、怖いもの見たさもあって我慢して聴き続けてみた。すると私ねぇ、気づいちゃったんですよ・・・」

「あぁ、これシン_ブンブンサテライツだって」
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「32.63N 117.14W」
32.63N 117.14W

この物語は、”32.63N 117.14W”という「とある場所」を示した曲から始まる。この「北緯32.63度 西経117.14度」をグーグルマップで調べてみると、そこはカリフォルニア州サンディエゴ郊外にあるシルバー・ストランド・ステート・ビーチの位置を示していた。ご存知、この場所はトラヴィス・スミスが手がけた『A Fine Day to Exit』のアートワークが撮影された場所だ。つまり、主人公のペシミストが『A Fine Day to Exit』の最後の曲である”Temporary Peace”の中で辿り着いた浜辺である。主人公のペシミストは、この場所から新しい人生の一歩を踏み出していく。そう、何度でも新しく生まれ変わるように・・・。

アナ_セマが2014年作の『Distant Satellites』について語っていたのは、これまでにない「インプロヴィゼーション」だったり、「エレクトロニック」な要素をはじめとした「実験的」なアプローチで、その「実験的」な要素を最も象徴していたのが表題曲の”Distant Satellites”だった。この曲は、いわゆるEDMにも精通するダンサブルなビートを刻み込む、20年にも及ぶ音楽の「旅」でアナ_セマが辿り着いた「ロックの未来形」であり、それはまさしく日本のBoom Boom Satellitesが示した「全く新しいロックの形」だった。それらの「伏線」を全て飲み込んだのが、実質オープニングナンバーと言える”Leaving It Behind”だ。

まずイントロから「あれ?俺ってEDMの音源なんて持ってたっけ」状態になる。その鳴り止まないダンサブルな電子音を皮切りに、いつにもなくエッジに尖った、それこそ『A Fine Day to Exit』を彷彿させるグラ_ンジ譲りのダーティでザラザラしたギターの音作りを、『We're Here Because We're Here』の立ち位置から再解釈したような、それはまるで赤い公園”ボール”のようなミニマルなリフ回し、それに覆いかぶさるように今度はAlice in Chains顔負けのボーカルが聴こえてきて、遂にはダンスフロアという名の宇宙に放り込まれるような場面もあって、正直ここまでどれだけの情報が詰め込まれているのかと、とにかくその情報量の多さに何をどう理解していいのか戸惑う。

「アナ_セマ」=「シン_ブンブンサテライツ」

まず足元から激しく打ち上げるような重低音が、本気と書いてマジでEDMなイントロからド肝を抜かれる。そして、2分50秒からのクラブのダンスフロアにタイムリープしたような、自然と体が踊りだすようなダンサブルなパートを耳にした瞬間、過去に僕はこの音に出会ったことがあると思った。それこそ、2015年に観たBoom Boom Satellitesと2017年に観たねごとのライブで体感したダンスフロアと全く同じビート感だった。この大胆不敵なエレクトリック・ロック、本当にBoom Boom Satellitesが蘇ったかと錯覚するほどだった。とにかく、これで全てが繋がった。僕は過去にBoom Boom Satellites「アナ_セマの未来である」と説いたことがある。しかし、アナ_セマよりひと足先にBBSの「意志」を受け継いだのが、日本のガールズバンドねごとだった。ねごとBBS中野雅之氏をプロデュースに迎えた『ETERNALBEAT』は、まさに「シン・ブンブンサテライツ」と呼ぶに相応しいアルバムだった。この”Leaving It Behind”は、まさに「アナ_セマの未来」を示すものであり、同時にねごとが示した「シン・ブンブンサテライツ」に対する彼らなりの答えでもある。

この曲の、言うなれば「90年代」のオルタナ/グランジ回帰は全て意図的なものである。カリフォルニアのビーチサイドから始まった人生の再起を図る旅は、まだ旅の序盤も序盤で、主人公のペシミストは未だ『A Fine Day to Exit』の頃の破滅主義者のような憂鬱な気分に後ろ髪を引かれている。フロントマンであるヴィンセント・カヴァナーの無感情で倦怠感溢れるボーカルは、まさにアリチェンニルヴァーナに代表される「90年代」のグランジ全盛を彷彿とさせ、主人公のペシミストが置かれた状況、その感情のままに歌っている。『A Fine Day to Exit』”Underworld”は、それこそグランジを象徴するダークで退廃的なヘヴィネスを忠実に再現していたが、この”Leaving It Behind”では『We're Here Because We're Here』のウェットに富んだクリーンなギターを、意図的にグランジ的な歪みを効かせたような乾いた音作りからも、これはファッション業界や映画界が中心となって世界的にあらゆる業界で囁かれている「90年代リバイバル」を、流行に敏感なアナ_セマなりにそのリバイバルブームに乗っかったと解釈できるし、改めてアナ_セマとかいうバンドがいかに「したたか」なバンドであるのかを再確認させる。

物語の主人公であるペシミストは、とりあえず太平洋沿岸を沿って車を走らせるも、未だに「90年代」の記憶の中に取り残されている。開幕から優しく包み込むようなピアノをバックに、「現代プログレ界のサッチャー」ことリー・ダグラスHold Onというラブリィな歌詞を繰り返すバラードの”Endless Ways”は、未だ鳴り止まない打ち込みと優美なストリングスで静寂的に幕を開け、そしてバンド・サウンドとともにU2顔負けのソリッドなカッティング・ギターで超絶epicッ!!に展開していく。全く新しいロックナンバーの”Leaving It Behind”と「バラードでツーバスドコドコして何が悪いの?」と一種の開き直りすら感じる究極のロック・バラードの”Endless Ways”、この対になるような曲楽曲の流れは、ここ最近の『We're~』から『Distant~』までの「三部作」を素直に踏襲している。しかし、その三部作と決定的に違うのは「90年代」「過去」「現在」「ana_thema」が邂逅した歴史的な「引かれ合い」が存在すること。今作における新しい名義となるana_thema「_」は、まさに「過去(ana)」「未来(thema)」を繋ぐ架け橋(あるいは境界線)となる「現在地(_)」で、SF的な表現に言い換えるとワームホール的な役割とその意味を果たしている。


それらのEDM的な要素をはじめ、Hold OnDreamを含んだバラードを歌う上で必要不可欠なエモい歌詞とU2やOG産のオル_タナバンドにも通じるカッティングを駆使した、まさに超絶epic!!「オルタナティブ・バラード」を聴いて思い出す事と言えば、他でもないBAND-MAID”Daydreaming”だったりするんだけど、これ聴いたらKATATONIAANATHEMA=ANATONIAの「オルタナティブ」にも精通するBAND-MAIDって実は凄いバンドなんじゃねーかって思ったりして、なんだろう、自分がBAND-MAIDに惹かれた理由が分かったというか、なんというか「音楽」即ち「引力」だなって改めて思ったりして、なんか本当に面白かったというか、何よりもPost-Progressiveとかいうジャンルがいかに「女性的」なジャンルなのかを思い知らされたような気がする。ハッ、もしかしてana_thema「_」BAND-MAID「-」をリスペクトしていた・・・?

改めて、アナ_セマスティーヴン・ウィルソン主宰のKscopeに移籍してから発表した『We're Here Because We're Here』『Weather Systems』、そして『Distant Satellites』までの俗にいう「三部作」というのは、まず始めに「地上」から、次に「空」から、そして最後は「宇宙」からという、ある意味で「神」すなわち「人類の創造者」からの視点で描かれていた。しかし、それまでの壮大なシチュエーションから一区切りするように、ここにきて再び「車の中」という現実的な世界に回帰したのが今作の『The Optimist』だ。名義の変更をはじめ、「90年代リバイバル」を目論んだサウンドから「コンセプト・アルバム」という点からも、間違いなく「三部作」とは一線を画した、少なくとも過去最高に挑戦的な作風と断言できる。決してただのリバイバル音楽ではなくて、常にその先にある「未来」を見据えているのがアナ_セマで、そういった面でも彼らは本当の意味で「オルタナティブ」な存在と言える。

再び主人公のペシミストは、「ある目的」を胸にサンフランシスコに向かって4時間ほど走らせるが、先ほどの予報どおり雨脚は更に酷くなるばかりだ。すると、この嵐に近い大雨の中、たった1人でヒッチハイクしている人を見かけた。主人公は「なんて不幸な人なんだ。彼は僕と同じペシミストかもしれない。」と少し同情した様子で、そのヒッチハイカーを車に乗せた。主人公が「your name.(君の名前は。)」と聞くと、そのヒッチハイカーはこう答えた。「I, Optimist(わたしは、オプティミスト)」であると。これが、それぞれの「過去」と「宿命」を背負った二人の「運命の出会い」だった。思えば、それはまるで映画『テルマ&ルイーズ』のような刹那的な逃避行だった。まさに、その二人の「過去」からの「この素晴らしき逃避行」を歌った曲が表題曲の”The Optimist”である。それはまるで、同じ目的同士で引かれ合った二人の行末を優しく見守るような、茨の道だった「過去」と決別して輝かしい「未来」を切り拓こうとする二人の道筋を黄金色に染め上げるような、二人の主人公に待ち受ける過酷な「運命」を映し出すような曲である。

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二人は更に4時間ほど走らせと、遂に旅の目的地である”San Francisco”に辿り着く。すると主人公のペシミストは、何かに取り憑かれるようにして強くハンドルを握ると、その勢いのままサンフランシスコの観光名所で知られるゴールデン・ゲート・ブリッジに向かって更に車を加速させる。まるで金門橋から眺める美しい夜景のように、疾走感溢れる晴れ晴れとしたキーボードの音色と、無数に建ち並ぶ高層ビル群の灯りが色めき立つ大都市を描き映すような、それこそ65daysofstatic直系の綺羅びやなエレクトロが、この凍えるように冷え込んだ闇夜のハイウェイに差し込む「希望」の光となって主人公の二人を暖かく出迎える。ついさっきまで口々に「死にたい」と自殺をほのめかしていた主人公のペシミストは、旅の途中で出会ったもう一人の主人公オプティミストの存在によって、少しずつであるが「前向き」な気持ちが芽生えつつあった。主人公のペシミストは、当初はこのサンフランシスコで自らの人生を終わらせるつもりだった。美しい夜景が楽しめる名所である一方で、自殺の名所でもあるこの金門橋から身を投げ出そうと覚悟を決めていたのだ。しかし、その「人生の終着点」に向かう途中で出会ったオプティミストの存在が、不思議と主人公のペシミストを「もう少しだけ」という考えにさせた。



なんでこんなとてつもない才能がアナ_セマに隠れとんねん笑うって。お前一体ナニモノやねんと。とにかく、まずは前作の『Distant Satellites』はエレクトロやドラムンベースなどの電子音楽の要素を大胆に取り入れるという「変化」があった。それと同時に、アナ_セマというバンドにも大きな「変化」があった事を思い出してほしい。言わずもがな、それこそ新しいドラマーとしてダニエル・カルドーゾを迎えたことだ。僕は前作のレビューにも書いたように、次作では彼の影響が表面化するだろうと予測した。その結果はどうだったのか?それは今作『The Optimist』Boom Boom Satellites顔負けの本格志向のエレクトロニカを耳にすれば納得するだろうし、それこそ彼が手がけたCardhouseによるエモいニカチューンを聴けば否応なしに分かる。しっかし、ドラムできて曲も書けるって天才かよ。最近はめっきり隠居状態のジョン・ダグラスもメインコンポーザーとして曲が書けるドラマーだし、なんかもうドラム叩けてピアノも弾けて曲も書けるとかYOSHIKIかな?とにかく、そういった面でも、ダニエル・カルドーゾの存在はアナ_セマをNEXT-ステージに押し上げた張本人と言っていい。

今作を語る上で欠かせない大きなポイントの一つとしてあるのが、今作のプロデュースを担当したトニー・ドゥーガンの存在だ。ご存知、彼はポストロック界のレジェンドであるモグワイをはじめ、国内ではART-SCHOOLくるりの作品を手がけた事でも知られるスコットランドを代表するエンジニアだ。この『The Optimist』は、プロデューサーのトニー・ドゥーガンモグワイが所有するグラスゴーのCastle Of Doom Studiosで制作され、マスタリングにはそのモグワイをはじめ、ニューオーダーアーケイド・ファイアなどの作品でも知られるFrank Arkwrightを迎えている。

いわゆる「ポストロック」とかいう90年代後半に誕生した音楽ジャンルは、現在のアナ_セマにとって、少なくともKscopeに移籍してからのアナ_セマにとって切っても切れない関係にある。そのアナ_セマがポストロックを意識し始めたのが、Kscopeに移籍して一発目にリリースされた、過去のアルバムをポストロック風に再解釈した2008年作の『Hindsight』で、そのPost-的な解釈とモダンな方向性をオリジナルアルバムに落とし込んだのが復活作の『We're Here Because We're Here』である。一方で、ポストロックは「現代のプログレッシブ・ロック」だと言う人もいるのも事実で、まさにその問に対する答えを示したのが、他ならぬ現代プログレッシブ・ロックの旗手とされるアナ_セマだったのは、やはり何かの因果としか思えなかった。

事実、Kscopeに移籍してからのアナ_セマは、そのポストロックに精通する「繰り返しの美学」に目覚めると、「究極のミニマリズム」とは何かを探るべく、1人のミニマリストとしてミニマリズムの極意を追い求めていた。曲を例に出すと、「三部作」の一部となる『We're Here Because We're Here』では”Thin Air”、二部となる『Weather Systems』では”Untouchable Part”、三部となる『Distant Satellites』では”The Lost Song Part”、これらの(組)曲に共通するのは、執拗に同じ音をミニマルに繰り返し繰り返し、その繰り返す「努力」を積み重ねていくことで曲の「未来」を切り拓いていく、まるで人の人生その一生を見ているような錯覚を憶えるほど、彼らは音楽人生を賭けてその哲学的とも呼べるテーマを自身の楽曲に込めてきた。その「繰り返しの美学」を貪欲に追い求めてきたアナ_セマが、この『The Optimist』でたどり着いたのは、「全く新しいロックの未来形」であり、そして「全く新しいポストロックの形」だった。

ところで、君たちは「細胞が裏返る」という経験をしたことがあるか?僕はある。それは2015年の夏に行われたアナ_セマの初来日公演での出来事だった。今でも思い出深いのは、2DAYS公演の二日目の日に拠点の品川から恵比寿駅に降りた瞬間に大雨が降ってきて、「おいおい、『Weather Systems』の演出にしてはえらい粋な演出だな」と思ったんだけど、この日のライブでその『Weather Systems』から「嵐の前の静けさ」ならぬ「静けさの前の嵐」でお馴染みの”The Storm Before The Calm”を演ったのは偶然にしては面白かった。でもライブで初めて”The Lost Song Part 1”を聴いた時は本当に細胞が裏返ったかと思った。その”The Lost Song Part 1”は、まさに彼らが語るような「インプロヴィゼーション」を強く感じさせる曲で、そのシンプルな音の積み重ねによるイキ過ぎを抑制しつつ、あくまでも段階的に絶頂へのリミッターを解除していく寸止めプレイみたいな曲構成である。この『The Optimist』は、その方向性を更に推し進めた俄然生々しくオーガニックなサウンドを突き詰めており、そして「三部作」の中で一貫して貫かれてきた「繰り返しの美学」、それらに対する答えが一つに集約されたのが今作のリード曲となる”Springfield”だ。



初期モグワイ直系のおセンチな寂寥感を伴うオーガニックで乾いたギター・プロダクションから、ピアノ→プログラミング→キーボード、そしてドラム&ベースのリズム隊の順に合流していく様は、それこそスタジオセッションの延長線上にある生々しいライブ感に溢れていて、そこへリー・ダグラスHow did I get here? I don’t belong hereという歌詞を、もはや「歌」というより「声」という名の楽器を繰り返し、その「繰り返しの美学」を追求した音の繰り返しが幾倍もの回転エネルギーへと姿を変え、そのエネルギーの蓄積が臨界点を超えて遂にビッグバンを引き起こすと、幾重にも折り重なったトレモロが天をも貫く稲妻となり、ただひたすらにかき鳴らされる轟音が大地を揺るがし、それと共鳴するようにとめどない感情が溢れ出すキーボード、そしてリー・ダグラスのまるで喜劇女優の如し狼狽を合図に、それは「怒り」か、あるいは「激情」か、はたまた「衝動」か、それらの抑えきれない感情が全てを破壊し尽くすようなAlcest直系の轟音ノイズとなって、未だかつて誰も辿り着けなかった「轟音の先にある轟音」のシン・世界へと旅の者を導いていく。

なんだこの超絶epicッ!!な高揚感と恍惚感、なんだこのカタルシス・・・。冗談じゃなしにリアルにメスイキしたわ。まずはリー・ダグラスのボイスと同じ旋律を奏でるトレモロから、そこから更にキュルキュルキュルキュルキュルキュルと唸りを上げるギター、過去の名曲”A Simple Mistake”直系のエモいキーボード、そしてリー・ダグラスによる2回の狼狽から鬼の形相で迫りくる轟音・・・それはまるでモノリスという文明に触れたことで「感情」や「知性」や「痛み」を繰り返し学習した猿がヒトとして進化する瞬間のような、それこそ宇宙の誕生、そして人類の進化の過程を見ているかのような、その生物学における「進化論」と全く同じように「音」がシン化していくような、ヒトが持つ五感のリミッターを段階的に解除していく。なんかもう5回はメスイキしたわ。それこそ「イケ!イッちゃえ!」とばかり、過去の「三部作」で自らが早漏だと知ってしまったアナ_セマは、早漏のウィークポイントである「イキスギ」を抑制するため、新たに「スローセックス」を会得したのである。

確かに、Kscopeへとレーベルを移してからのアナ_セマは、いわゆるポストロックの影響下にあるバンドへと様変わりした。しかし、それはあくまでも「テイスト」レベルの話で、決して本場本職のソレとは一線を画するものだった。だが遂に、このアルバムでは本場本職のモグワイ界隈のエンジニアとスタジオを借りて、ある種の『夢』を実現させている。いま思えば、この新作に伴うツアーのサポートにAlcestを指名したのが答えだったのかもしれない。ご存知、いわゆる「ポストブラック」の第一人者であるAlcestは、シガーロス界隈の人材を迎えた4thアルバム『Shelter』の中で、ずっと憧れだったSlowdiveニール・ハルステッドとの共演という子供の頃からの『夢』を実現させている。今回の件は、Alcest『Shelter』でやった事と全く同じで、本場本職の景色を知らなかったアナ_セマが初めて本場の景色から音楽と向き合っている。この曲は「Post-の世界」をよく知る彼らだからこそできた、それこそ「ポストロック」と「ポストブラック」の邂逅である。これは、ポストロックは「現代のプログレッシブ・ロック」という一つの解釈に対する彼らなりの答えでもあるんだ。

表題曲の”The Optimist”から”Springfield”に至るまでの流れを見ても分かるように、今作の「ボーカル」というのはあってないようなもので、要するに「歌モノ」として聴くのではなく、極端な話「インストモノ」として解釈すべき作品で、そういった面でも過去の「三部作」とは一線を画しているし、それにより俄然コンセプチュアルな世界を構築する上でとても大事なギミックとして働いている。特に”Springfield”でのリー・ダグラスなんて、それこそJulianna Barwickばりに環境ボイス化している。「三部作」の最終部で自らに降り掛かった「呪い」から解き放たれたアナ_セマは、「三部作」ではメインパートを担っていた「ボーカル」の要素すら徹底した「繰り返し美学」を強要しているのだ。

そのシンプルな音の積み重ねを、日々繰り返される何気ない日常のように繰り返し繰り返し、そこから更に執拗に繰り返しエンドレスにループし、その無限に繰り返した先で「黄金長方形」を描き出し、そして遂に「過去」から「未来」へと次元を超えていくような、それこそ「無音」から「轟音」へと姿を変えていく様は、まさに主人公のペシミストがもう一人の主人公であるオプティミストに生まれ変わっていく、ある種の輪廻転生を暗喩している。いや、主人公のペシミストは自分の中に眠るオプティミストの姿を夢見ていたのかもしれない。

サンフランシスコの名所であるゴールデン・ゲートブリッジを車で渡りきろうとした瞬間、この闇夜のハイウェイを切り裂くような雷鳴とともに降り注ぐ、それはまるでブラック・ホールの如しけたたかしい轟音を直に浴びた主人公のペシミストは車の中で気を失ってしまう。これは一種の臨死体験なのかもしれない。しばらくして目覚めると、助手席に居たはずのオプティミストの姿がない。ペシミストは車を降りて周囲を見渡すが、それでも彼の姿は見当たらない。近くにあった標識に目をやると、そこには「スプリングフィールド」と書かれていた。しかし轟音を浴びたせいで未だに記憶が少し曖昧で、意識も朦朧としたままだ。さっきまで助手席に居たはずのオプティミストが本当に実在した人物なのかすら怪しくなってきた。この世界の何が「夢」で何が「現実」なのか、自分が誰で一体何者なのか、もはや生きているのか死んでいるのか、この世界が三次元なのか二次元なのかすら正確に判別できない。とにかく、ペシミストは憔悴しきった今の自分を落ち着かせるため、その場から目と鼻の先にある表札に「モー・タバーン」と書かれた案内に吸い寄せられるようにして扉を開いた。

Moes-tavern

  ペシミスト
new_018「ガチャ」


(そこは、やけに年季の入った少し寂れたバーだった)


  店主モー
new_o035002911341988472963「へいっ!いらっしゃい!何にする?」

  ペシミスト
new_018「とりあえずビールで」

  店主モー
new_o035002911341988472963「あいよっ!ダフビールねっ!」


(ダフビール・・・初めて聞く銘柄だ)


  ペシミスト
new_018「(ゴクゴクゴク)」


(それはカラッカラの喉を潤した)


  店主モー
new_o035002911341988472963「お客さん新顔だねぇ、どっからこの街へ?」


(どうやら普段は常連客を相手にしているらしい)


  ペシミスト
new_018「いや、サンディエゴから金門橋を渡ってここへ」

  店主モー
new_o035002911341988472963「へ~、ってことは旅の人か。わざわざご苦労なこって」


(すると、ここで店に新たな客人が現れた)


  ホーマー
beb8d593f4db1a17371da429c6c66261--article-html「よぉ~、モ~元気かぁ~?」


(その小太りの中年男は、どうやらこの店の常連のようだ)


  店主モー
new_o035002911341988472963「よぉホーマー、今日はレニーとカールは一緒じゃないのか」

  ホーマー
beb8d593f4db1a17371da429c6c66261--article-html「おう、今日は一人だ・・・ん?隣の奴、ここらで見ない顔だなぁ?」

  店主モー
new_o035002911341988472963「あぁ、彼はサンディエゴからの客人さ」

  ペシミスト
new_018「どうも」

  ホーマー
new_f04d8f8625e48e7ea61ac81993241cc6「まっ、ここには原発とダフビールとドーナツしかないけど、楽しんでってくれ」

  店主モー
new_o035002911341988472963「それよりホーマー、今日は平日だってのに仕事の方はいいのかい?」

  ホーマー
new_9724b2c637ff896b96fa4be9060b2b93「D'oh!!でも別にいっか」

  店主モー
new_o035002911341988472963「相変わらずの楽観主義者だなぁお前さんは」


(わたしは、その”楽観主義者”という言葉に妙な引っかかりを憶えた)


  ペシミスト
new_018「そうだ、オプティミストを探さなきゃ」


(ペシミストは、そそくさと店を後にする)


  店主モー
new_o035002911341988472963「もう行っちまうのかい?またな」

  楽観主義者
new_ba7d70cca458777e2945bba9a21528de「じゃね~」

「しかし、さっきの店は一体何だったんだ・・・?まるでテレビアニメのような・・・そうだ、あれは確か『シンプソンズ』のキャラクターじゃないか?」ペシミストは、酒の酔も相まって著しく頭の中が混乱した。ということは、これは『夢』なのか?これは悪夢だ、そうに違いない。ここは三次元ではなく、二次元の「アンダーワールド」なのか?確かに、『シンプソンズ』ホーマー・シンプソンはアニメ界最大の「楽観主義者」かもしれない。しかし、さっきまで助手席にいたオプティミストではない。それは確かだ。ペシミストは再びオプティミストの行方を追って、この周囲をくまなく探すことにした。

主人公のペシミストは、未だに「過去」の亡霊(Ghost)に取り憑かれている。7曲目の”Ghost”では、アルバム『We're Here Because We're Here』”Angels Walk Among Us”のメロディを引用したリー・ダグラスのボーカル曲で、続く#8”Can't Let Go”でも同アルバムから”Get Off Get Out”を彷彿させるクラップを交えたポップなビート感とニューエイジ風のコミカルなアレンジが施されている。面白いのは、7曲目以降は気のせいかデヴィン・タウンゼンドのアルバム『Ghost』に精通するスピリチュアルな、それこそニューエイジっぽい雰囲気もあって、俄然そのコンセプトの理解を深める大きな要素になっている。

改めて、この『The Optimist』はアメリカ西海岸を舞台に繰り広げられるコンセプト・アルバムだ。このアルバムには、「90年代」のオルタナ/グランジをはじめ、ポスト・ロックやインストゥルメンタル、今流行りのEDMやエレクトロ、そしてジャズに至るまで、とりあえずエレクトロからのジャズって聞くと「おいおい、映画『ラ・ラ・ランド』かよ」ってなるんだけど、とにかく「過去」と「現在」の様々な要素が入り交じった闇鍋に近い音楽やってて、確かに「ソングライティング」の面では過去の「三部作」に劣るかもしれないし、そこは否定しない。なんだろう、どんなギミックよりも「ソングライティング」を創作活動における最重要課題として自由にライティングしてきた彼らが、初めて「コンセプト」に注視してライティングしてきた印象。それは曲間にSEの演出を挟んでアルバムの物語を構築している事からも、つまり「アルバム」のフォーマットを最大限に活かしたアルバムと言える。思ったのは、プロデューサーにトニー・ドゥーガンを迎えたことでガラッと作風が変わるかと思いきや、「過去」のanathemaと「現在」のana_themaがやってきた事を素直に踏襲しつつ、そこに新解釈を加えた結果でしかなくて、目に見えてトニー要素を感じる曲といえば”San Francisco””Springfield”、そして”Wildfires”だけなのが逆に功を奏していると思った。

俺は一体誰なんだ?!

周囲を探せど探せど、一向にオプティミストの姿は見当たらない。ペシミストは、長旅の疲れもあって、この日は近くのモーテルで一夜を過ごすことにした。憔悴しきった彼は、ベッドに横になると2秒で深い眠りについた。9曲目の”Close your eyes”は、これまでの奇妙な旅路の疲れを癒やすような歌詞とともに、リー・ダグラスの歌とトロンボーンとコントラバスがジャズバーのムードを醸し出し、それが心地よい子守唄となって彼を一層深い眠りへと誘う。すると再び「悪夢」がペシミストに襲いかかる。たちまち山火事の如し轟音ノイズが彼に襲いかかり、またしても「過去」のトラウマがフラッシュバックする。「もう手遅れだ...」・・・彼は「悪夢」にうなされる中でWho am I?(俺は一体誰なんだ?!)」と自問自答する。すると、ここで見覚えのある部屋と聴き覚えのある音に目が覚める。

そこには聴き覚えのある砂浜に波が打ち付ける音とともに、アコースティック・ギターを手にして弾き語る男が現れる。そして、「Back to the Start」というかけ声と鳴り止まない拍手喝采をバックに、この物語は大団円を迎える。すると目の前にいた謎の男は急に立ち上がり、ペシミストが泊まっている部屋の扉を開き、そしてこう呟いた。

How are you?

そして、物語が幕を閉じた後のシークレットトラックには、アコギを靡かせる中年の男とその子供の幼女が楽しそうに話す姿が映し出される。その男の顔はボヤケて分からない。そこにいるのは前世の自分か、それとも未来の自分か、はたまた平行世界の自分か、しかしそんなことはどうでもよかった。何故なら、目の前にいる彼はペシミストではなく、オプティミストとして「幸福」だったあの頃へと立ち返り、再び人生のスタート_ラインに立って人生の再出発という名の新しい旅路につこうとしているのだから。

再び人生のスタートラインに立った主人公は気づく。これまでの自分はペシミストの仮面を被ったオプティミストだったという真実に。後ろ向きの性格だったペシミストが、前向きな性格のオプティミストへと姿を変える。それはまるで繰り返しながら無限ループする「運命」のように、「終わりのないのが終わり」・・・主人公はオプティミストとして再び人生のスタートラインに立ったんだ。それはまるで約138億年前に起こったビッグバンから宇宙が始まったように。

今作の大きなキーワードとしてあるのが「線(_)」である。「線(_)」、それは「境界線」を意味している。この『The Optimist』における「境界線」は、あらゆる物事に対するメタファーであり、その一方で「光と闇」、「善と悪」、「絶望と希望」、「ana_thema」、「神とサタン」、「空条仗世文と吉良吉影」、「アルファとオメガ」、「黄金の精神と漆黒の意志」、「無と有」、「過去と未来」、そして「楽観主義者(オプティミスト)と悲観主義者(ペシミスト)」、それらのあらゆる「境界線」を繋ぎ合わせる意味での「_」でもあったんだ。つまり、ana_themaにおける境界線(_)の意味というのは、「過去」anathemaとの決別を表しており、それこそスティーヴン・ウィルソンが自らの半生を自伝化したようなメジャーデビュー作を発表したように、これはオプティミスト(ana_thema)ペシミスト(anathema)という過去と決別した事を示す一種の比喩的表現でもある。今作のアナ_セマの何が凄いって、まず2曲目の”Leaving It Behind”で「過去のアナセマ」と「現在のアナセマ」を曲単位で表現したかと思えば、アルバム単位ではペシミスト(悲観主義者)とオプティミスト(楽観主義者)という対比を用いてそのコンセプトを高めつつ、そして新しいバンド表記であるana_thema「_」で「過去との決別」と同時に「過去との結合」を図っているところで、実はこういったミステリー小説みたいな「謎」のギミックが好きなバンドなんですね彼ら。

確かに、この『The Optimist』『A Fine Day to Exit』にインスパイアされたアルバムだが、僕の解釈はちょっと違った。僕は今作を”Temporary Peace”における5分の無音部分から生まれた作品だと理解した。ご存知、『A Fine Day to Exit』のラストを飾るこの曲は、約18分のうち実質初めの5,6分が曲と呼べるもので、その後は浜辺(シルバー・ストランド・ステート・ビーチ)のさざなみのSEと病んだ男の声、それ以降は5分間の無音部分、そして最後には「隠しトラック(Hidden Track)」として”In the Dog's House”が収録されている。

「無」から何も生まれない。しかし、138億年前に起きたビッグバンにより宇宙が誕生した。このアルバムは、”Temporary Peace”の約5分間の空白部分を補完して未完成品を完成品にするように、つまりビッグバンと同じ原理で例えると「0から1」になる瞬間、「0」から生まれた「1の音楽」である。つまり、”Temporary Peace”の無音部分が「境界線(_)」であり、その「境界線(_)」の空白を埋めるのがこの『The Optimist』である。決して『A Fine Day to Exit』のパート2ではないという事から、この『The Optimist』はそれを補完する一つの「サイドストーリー」として解釈すべきかもしれない。

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アナ_セマはいつだってこの僕を「日本一のジョジョヲタ」へと押し上げてくれる。僕は以前からアナ_セマのフレキシブルな音楽遍歴と漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の「フレキシブルさ」は全く同じであると、上記の相関図を使って説明してきた。例に漏れず、今作の『The Optimist』『ジョジョの奇妙な冒険』と大きな関わりを見せている。

まず、数年ぶりにアップデイトした上記の相関図を見てほしい。面白いのは、前作の『Distant Satellites』『A Natural Disaster』の世界を「一巡」させたアルバムだとすると、今作の『The Optimist』は言わずもがな『A Fine Day to Exit』の世界を「一巡」させたアルバムと解釈できる。これをジョジョの各部に当てはめてみると、ジョジョ4部が『A Fine Day to Exit』であり、そして『The Optimist』が現在連載中のジョジョ8部『ジョジョリオン』だ。ご存知、ジョジョ4部とジョジョ8部『ジョジョリオン』は世界の「一巡前」と「一巡後」のパラレルワールドで、設定としては同じ杜王町を舞台にしている。もっとも面白いのは、ジョジョ7部『スティール・ボール・ラン』ではアメリカ大陸レースとかいうスケールのデカい物語だった反面、次作となる『ジョジョリオン』では一つの家族というスケールの小さいミニマムな世界観を展開しており、一方のアナ_セマも前作の『Distant Satellites』で宇宙規模の話をやった後、次作の『The Optimist』では「車の中」という超絶ミニマムなスケールで話を展開していて、これも『ジョジョリオン』の世界設定と密接関係にある。そして、歌詞の中にあるWho am I?(俺は一体誰なんだ?!)という物語の核心を突くような言葉も、まさに『ジョジョリオン』の主人公である東方定助が放った叫びとリンクしている。そして最後のHow are you?に関して、僕は『ジョジョリオン』のラストシーンを見ているような気がしてならなかった。

ご存知、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』は7部の途中で週刊ジャンプからウルトラジャンプに連載を移した。今回のana_themaにおける「境界線(_)」をジョジョに当てはめてみると、週刊少年ジャンプで連載していた「過去のジョジョ」と完全に決別したのが、この『ジョジョリオン』である。しかし、その『ジョジョリオン』は巷で駄作だと嘆かれている。それには同意するし、同意もしない。僕は『ジョジョリオン』のことを面白い駄作と評価している。確かに、『ジョジョリオン』はこれまでのジョジョシリーズとは全く異なる描かれ方をした全く新しいジョ_ジョだ。だから「これまでのジョジョ」と同じ読み方をしている人には駄作と感じてしまうのも仕方がない。

それでは、「呪いを解く物語」として2011年の3.11をキッカケに始まった『ジョジョリオン』における「境界線(_)」は一体どこにあるのか?それこそ「3.11以前の日本」と「3.11以降の日本」を繋ぐ、そして「3.11以降の日本」と「2020年までの日本」を繋ぐメタファーとして物語を紡いでいるんじゃあないか、ということ。よく映画の感想などで「メタ的な」とか「メタ発言」とか耳にするけど、この『ジョジョリオン』はまさに「3.11以降の日本」を「メタ的な物語」として描いた漫画なのだ。事実、3.11以降に浮き彫りとなったのは、SNSが関係した10代のイジメ問題、自殺問題、幼児虐待、ネグレクト、薬物問題、仮想通貨など、3.11以降の日本に降り掛かった一種の「呪い」を解く物語、そのメタファーとしての『ジョジョリオン』である。今の荒木飛呂彦というのは、まさにスティーヴン・ウィルソンダニー・キャヴァナーばりに「意識高い系」の漫画家なのだ。そして「日本一のジョジョヲタ」である僕は「意識高い系インターネットレビューマン」なのである!

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TesseracT 『Polaris』

Artist TesseracT
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Album 『Polaris』
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Tracklist

01. Dystopia
02. Hexes
04. Tourniquet
05. Utopia
06. Phoenix
08. Cages
09. Seven Names
 
『十二支ん会議』
十二支ん会議

十二支ん会議 ・・・TesseracTKscopeの運命の引かれ合い、その伏線というのは過去にあって、それは当ブログの2013年度の年間BEST記事でも紹介したように、その年のイギリスの著名なプログレ専門雑誌『Prog Magazine』の年間BESTアルバムに、Kscopeの最高責任者兼CEOことスティーヴン・ウィルソン『The Raven That Refused To Sing』に次いで、TesseracTAltered Stateが二位に選出されたのだが、この時SWの号令によりKscopeおよびPost-Progressive界隈を取り仕切る幹部勢が緊急召集され、いわゆる現代プログレ界の『十二支ん会議』が秘密裏に執り行われた結果、満場一致でTesseracTKscope入りが『許可』された、そんな嘘のような本当の話がある(ネーよ)。

シックリ ・・・話は変わるけど→おいら、子供の頃から『MGS』ことメタルギアシリーズのフアンで、しかし新作が発売される度に「そういえばMGSってコナミのゲームなんだよな」みたいな、違和感というほどじゃあないけど妙なモヤモヤ感は無きにしもあらずで、とはいえ「コナミ以外から発売されるMGS」なんて想像もつかなかったし、なんだかんだ「MGSはコナミのゲーム」という認識は揺るぎなかったし、それについてこれ以上深く考えることはなかった。何を隠そう、このTesseracTCentury Mediaから華々しいデビューを飾り、これまで複数の作品を発表し続けていたのだけど、先ほどのコナミとMGSの関係性じゃあないが、やっぱり「妙な違和感」というのを感じていて、そして2ndアルバムAltered Stateを聴いた時にその違和感というのが自分の中で不快感に変わるくらい大きくなっていた。しかし、3作目となる『Polaris』Kscopeからリリースされると聞いた時は、驚きとともにこれまでの「妙な違和感」は完全に払拭され、なんだろう、パズルの最後のピースがハマった時のように物凄く「シックリ」きた。それはメタルギアシリーズの生みの親である小島秀夫監督がコナミを退社し、新しいプロジェクトをソニーの元で制作することを発表した時と全く同じで、どうだろう、思いのほか「シックリ」くるじゃあないか。

雇われ ・・・何も「シックリくる」のはそれだけじゃあない。おいら、過去の記事で「ジェントは雇われボーカルで、アルバムを出す度にボーカルが脱退するのがジェント界のオキテ」的な事を書いたような気がするのだけど、その伏線を回収するかのように、2012年に実質五代目ボーカリストとしてテッセラクトに加入したFF系イケメンデブことアッシュ・オハラ君が、いわゆる「音楽性の違い」を理由に2014年に脱退。その後任としてバンドに招き入れられた人物こそ、他でもないテッセラクトの三代目ボーカリストダニエル・トンプキンス君が奇跡的な復帰を果たしてる。ダニエルくんといえば、メタルシーンに衝撃を与えたデビュー作のEP『Concealing Fate』、その組曲で構成された1stフルアルバム『One』のボーカリストで知られ、しかし長年の夢だったボーカル講師に専念するため2011年に脱退、彼の脱退はジェントシーンに大きな衝撃を与え、これからジェントムーブメントを起こすぜ!って時に、始まる前から早くもジェントの終わりを告げたかのように見えた。しかし、テッセラクトはアッシュ君を迎えて2ndアルバムの『Altered State』を発表し、絶対的な存在だったダニエル君が不在でもやっていけることを証明した。そして彼らは、再びジェント界のアイドル「スパイス・ボーイズ」あるいは「ジェント界のワンダイレクション」としての地位を確立したのだった。



三年後 ・・・目出度くダニエル君がバンドに復帰したのは良いとして、じゃあ実際のところ、アッシュ君の持ち味である高域中心のパフォーマンスに焦点を合わせた、ドチャクソエピカルなサウンド・スケープを形成していた『Altered State』の楽曲を、果たしてダン君は歌いこなせるのか・・・?という疑問にぶち当たる。しかし「安心してください、歌えますよ」とばかり、ダン君が復帰して間もなくテッセラクトは初のライブ作品『Odyssey/Scala』を発表し、そのライブの中でダン君は2ndアルバムの曲を完璧に自分のモノにすると同時に、まるで某漫画の『二年後』ならぬ『三年後』にパワーアップして「帰ってきたダニエル・トンプキンス」を新旧のフアンに復帰報告がてら堂々披露している。こうしてライブ映像およびダン君のライブ・アレンジ能力の高さと圧倒的なナルシー系ボイス・パフォーマンスを観ても、伊達に三年間ボーカル講師として修行積んでこなかったなというか、やはりテッセラクトのボーカルにはダニエル君が歴代の中でも一番「シックリ」くる、その事を再確認させる。要するに、いくらFF系のイケメンでもデブにはテッセのボーカルは務まらない、というわけだ。

惑星ポラリス ・・・そんな流れがあって発表された、3rdアルバムの『Polaris』を一言で表すなら、やはりダニエルの復帰およびKscopeに移籍した影響はあまりにも大きかった、ということ。彼らは盟友ペリフェリーとは違った形で、テッセラクトなりにジェントとかいうアンダーグラウンドな新興ジャンルをメインストリームにブチ上げようとしている。まず幕開けを飾る#1の”Dystopia”からして、前作の”Of Matter – Proxy”のポストジェント路線を素直に踏襲した、まるで機械都市を形成するかの如し無機的かつ理知的な変拍子サウンドとダニエル君の多彩なボイス&コーラス・ワーク、そして1stアルバムを彷彿とさせるアンビエント感マシマシな神秘的なサウンド・スケープに、俺たちのテッセラクトが帰ってきたと歓喜するのもつかの間、アウトロのアンビエーションな音響空間を引き継いで始まり、まるで映画『インターステラー』のメインテーマである”Cornfield Chase”の主旋律に通じる、まるでガルガンチュアの中を独りで彷徨うマシュー・マコノヒーのように猛烈な孤独感に苛まれる、トリップ・ホップ/アンビエンスなアトモスフィアを全域に噴出する始まりから、ゲストに迎えられたマーティン・グレッチの憂愁な歌声をフューチャーした曲で、そのマーティンとダン君による無慈悲なハーモニーが織りなす「存在の耐えられないエモさ」に、まるで時空の歪みのように胸が締め付けられる#2”Hexes”、UKポストハードコアあるいはOGのKarnivoolを彷彿とさせるダン君の潤いのあるボーカル・メロディを中心に、彼らが完全に歌モノ化したことを証明するかのような#3”Survival”、そして本作のハイライトを飾る#4”Tourniquet”では、彼らがPost-Progressive化したことを裏付けるポストロック然としたミニマルなリフ、そしてCynicポール・マスヴィダルあるいはUKのガールズ・グループが偶に歌ってそうなフェミニズムをまとった、女性ボーカル顔負けの繊細で美しすぎるダニエル君のボイス&コーラスでアンビエント・ポップ的な静寂を奏でる始まりから、「I Promise You.」とかいう無垢で真っ直ぐなリリックとともに、『ポラリス』=「こぐま座で最も明るい恒星」であるという物理学的な事実に基づいた、地上の暗闇を切り拓き星空を突き抜け、そして地平線を超えて『北極星』として煌めき放つかのような、これまでの全てのディストピアから解放するダニエル君の超絶ハイトーン・ボイスへと繋がった瞬間、人類は「エモさ」の限界点を超える。

本棚の裏 ・・・オープニングから続いたディストピアの世界から開放された彼らテッセラクトは、それと対になる楽園都市”Utopia”に辿り着く。ダニエル君の歌い始めから「ジェント界のメイナード・ジェームス・キーナン」を襲名するこの曲は、Destiny Potato顔負けの軽快なリフやラップ調のボイス・パフォーマンスを垣間見せたりと、それこそToolSikthというテッセの”ルーツ”を音楽という名の宇宙空間の中で紡ぎだすかのような一曲だ。そして、ライブ作品の『Odyssey/Scala』でも垣間見せた、ダン君の超絶ファルセットボイスが不死鳥のように銀河を駆け巡る"6”Phoenix”、今作の中では最も異色ながら最も普遍的なジェントでもある#7”Messenger”、それはワームホールさながら、それはアンビエンスな音の粒子が降り注ぐガルガンチュアを彷徨うマシュー・マコノヒーさながらの#8”Cages”、ガルガンチュアの底すらない暗闇(本棚の裏)に堕ちたテッセラクト(四次元立方体)は、彼ら(五次元)の意思を三次元の人類に伝えるメッセンジャーとして、本棚の裏から2進数を用いて超絶epicッ!!な感情を爆発させる#9”Seven Names”、そのアウトロの余韻あるいはカタルシスは映画『インターステラー』を観終えた時、あるいは漫画『ジョジョ6部』を読み終えた時と全く同じものだった。

new_new_1280x720「やっぱ俺ら、お前がいないとダメだわ。復帰してくれないか?」

new_new_1280x720kkm「・・・いいけど、一つだけ条件がある」

new_new_1280x720「・・・条件って?」

new_new_1280x720kkm「お前ら今日から俺のバックバンドな?」

new_new_1280x720「えっ」

new_new_1280x720kkm「バックバンドな?」

new_new_1280x720「は、はい・・・」 

new_new_1280x720kkm「ククク...(計画通り)」 

したたかな関係 ・・・賛否は間違いなくある。そう言い切れるほど、もはやダニエル君がバンド復帰する条件として→「自分中心のバンドになれ」という要求を提示し、その条件にリーダーのアクルが屈した、そんなダニエル復帰の裏取引があったんじゃあないかと邪推してしまうほど、その光景が容易に浮かんでくるくらい「ダニエル推し」のアルバムとなっている。これまでは、ボーカルは人工知能ロボットのように感情を制御された一つの楽器、一つの音みたいな役割を担い、その音の一つ一つの緻密な作業の積み重ねによって、バンドのコンセプトでもあるテッセラクト(四次元超立方体)を構築していく音楽性が彼らの特徴で、その点では前作はバンドとアッシュ君のエモ・ボイスのバランスは理想的だったが、今作では「絶対的なフロントマン」すなわち「ジェント界の夜神月」になりたいダニエル君側の思惑と、テッセラクトがKscope入りしてPost-Progressive化したことを界隈の幹部に認めさせたいアクル率いるバンド側の利害が一致した形と言える。つまり、これまで音の根幹を担っていたバンド側が、今作ではダニエル君のボイスという名のリード楽器に逆に引っ張られる形となっている。なんつうか、この一種の「したたかな関係」というかビジネスライクな関係って、まさしく「ジェント界のDream Theater」と呼ぶに相応しいというか、皮肉だがその「したたかな関係」が明るみになった所が、今作一番の面白さに繋がっているのも事実。しっかし・・・いいね~この関係性、ゾクゾクしちゃう。

答え ・・・これまでのジェント然としたポリカルなリフ/グルーヴ主体というより、ハンス・ジマーが手がけた映画『インターステラー』のサントラあるいはPost-P界の元祖であるピンク・フロイドリスペクトなアンビエンス/プログラミングを筆頭に、まさしくポスト-系特有のリリカルな展開力だったり、ラップやファルセットを駆使したダニエル君の実に"オルタナティブ"なボイス・パフォーマンスだったり、そして唯一のゲストがジェント界隈からではなくオルタナ界隈からという人選的にも、確信的にPost-Progressive界隈の音に直結したオルタナ/アート・ロック風のアレンジを軸に楽曲を組み立てている。当然、ジェントの特性である「音で聴かせるジャンル」として考えると、その「音で聴かせる」イメージは皆無に等しいし、もはやこれまでのテッセラクトとは別バンドとして捉えることも決して不可能ではない。もはやジェントというより"ポスト系"のバンドという認識を持つべきかもしれない。なぜなら、今作をジェントとして聴くと過去作と比べて数段格落ちしてしまうからだ。今作は、あくまでもポスト系のサウンドを主体に、そにへ調味料としてジェント成分を小さじいっぱいまぶしている形で、だからPost-Djentという呼び方がこれ以上「シックリ」くるものはない。それこそ、Leprousみたいなボーカル主導のポストジェントとして聴けば俄然「シックリ」くるハズだ。しかし、「歌えるボーカリスト」がフロントマンにいると必然的にこうなってしまうのは、もはや仕方のないことなのかなというか、これがテッセラクトなりの「ジェントをメインストリームにブチ上げる」ことへの答えなんだって。作品を重ねる毎に、初期の普遍的なジェントとはかけ離れていくという意味では、前作からのポストジェント化が著しく進行した結果、という風に納得できなくもない。でもまさか、先行公開時は地味に聴こえた”Messenger”が今作で最もギョントしてるなんて思いもしなかった。

黄金の距離感 ・・・極端な話、今作に対する評価って、『傑作』か『駄作』の真っ二つに別れると思う。勿論、Century Media在籍時のテッセラクトと比べると→「音がスカスカじゃねーか」とか「バンドのインストクソじゃねーか」とか、復帰したダニエル君に対しては「ボーカル講師の技能検定試験かな?」とか「オメーはニコニコ動画のインターネットカラオケマンかよ」とか「自慰行為はSkyharborでやれ」とか「バンドを私物化するな」とか、皮肉交じりにディスる輩も少なくないだろう。事実、それくらいボーカルアゲ↑↑からのバンドサゲ↓↓が顕著に出た作品だ。しかし、「Kscope所属のテッセラクト」であると考えれば、今作における変化は全て想定内の出来事でしかなくて、勿論Kscopeに移ったことで「音がスカスカ」になるという懸念は現実のものとなったが、アルバムを聴きこんでいく中で実は「スカスカじゃなかった」という結論に辿り着いた。それというのも→過去最高のボイス・パフォーマンスを披露しているダニエル君とバンドの距離感、パッと見「スカスカ」に思えた音の空間や隙間を埋めるアンビエンス/音響の今作における役割と存在感を考えれば、これ以上の音を入れる余地や空間はゼロに等しかったと『理解』できる。要するに→「最小の音数であることが最大の音数である」と言わんばかり、そのバンドの音とボーカルの音と粒子の音という名の無数の小さな四次元立方体が点と点で繋がって一つの大きな『惑星ポラリス』を創造し、その音と音の距離感は他でもない黄金比』で描き出された距離感であり、これは「欠けた鉄球は楕円球になり、完璧な無限の回転ではなくなる」という『ジョジョ7部』の主人公ジャイロ・ツェペリの鉄球理論と同じで、これ以上音数が増えたり減ったりしたらその時点で完璧な四次元立方体は完成しない、それぐらい極限まで研ぎ澄まされたサウンド・スケープは、まさしく「音のワームホール」としか他に例えようがない。自分も初め聴いた時は「もしかして駄作なんじゃねーかこれ」って思った。けど、どうだろう、これが黄金比』の距離感で形成された黄金の音』だと、この音の重力方程式を解明することに成功した瞬間、『駄作』が『傑作』に化け、そして気づくと僕はマシュー・マコノヒーばりに咽び泣いていた。

選ばれし者 ・・・この重力方程式を解き明かした結果→『彼ら』=???『意思』本棚の裏という【テッセラクト=四次元立方体】を介して、三次元の現代人に伝えるMessengerとして五次元の『彼ら』「選ばれた」のがTesseracTだったんだ。まさにProgressiveに『進歩』した「プログレの未来」を象徴するかのような一枚であり、そして何よりも「やっぱテッセのボーカルはダニエル君がナンバーワン!」だと確信させた一枚でもあり、そして「シックリ」とは『納得』することでもあるんだと思い知らされた作品でもあった。ちなみに、国内盤はANATHEMA『Distant Satellites』でもお馴染みのワードレコーズからという事で、昨年ANATHEMAの来日公演を実現させたセーソクとも信頼関係のあるレーベルなんでワンチャン来日を期待したいし、欲を言うならこのテッセラクトと同じく新作のLove, Fear and the Time Machineでポスト界入りを果たしたRiversideとのカップリングで来日したらリアルにマシュー・マコノヒー以上に咽び泣く自信あります。だからセーソク頼む!
 
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KATATONIA 『サンクティテュード』

Artist KATATONIA
KATATONIA

Live 『サンクティテュード』
サンクティテュード

Tracklist
01. In The White
02. Ambitions
03. Teargas
04. Gone
05. A Darkness Coming
06. One Year From Now
07. The Racing Heart
08. Tonight's Music
09. Sleeper
10. Undo You
11. Lethean
12. Day
13. Idle Blood
14. Unfurl
15. Omerta
16. Evidence
17. The One You Are Looking For Is Not Here

電撃加入 ・・・最近のKATATONIA関連のニュースで驚いた事といえば→昨年、「ギャラの取り分少ねーよ(家族との時間を優先したい)」という理由のため、惜しまれつつKATATONIAを脱退したドラマーのDaniel Liljekvistが、以前から僕が贔屓にしている同郷のIn Mourningに電撃加入!?という今世紀最大のビッグニュースで、てっきりもう二度と彼のドラムを聴くことはないと失望してたもんだから、この衝撃ニュースが飛び込んできた時は大喜びしたと同時にクソ笑った。そんな古参メンバーであるダニエルノーマン兄弟が脱退した後のKATATONIAは、Bloodbathで知られるギタリストのペル・エリクソンとベースのニクラス・サンディンを新メンバーとして迎え入れたが、ダニエルが脱退すると間もなくペルも脱退する事となり、現時点のメンバーはアンダースヨナス、そしてニクラスの三人体制となっている。その三人体制で、昨年にロンドンの歴史的な教会として知られるユニオン・チャペルで行われた、アコースティック・ライブの様子を収めた映像作品『サンクティテュード』が発表された。

KATATONIA第二章 ・・・良くも悪くもKATATONIAに大きな変化をもたらした問題作『死の王』こと『Dead End Kings』を発表した事で、KATATONIA第一章は終わりを告げ、その『死の王』を再解釈/再構築し、新たにKATATONIA第二章として産声を上げた『Dethroned & Uncrowned』に伴うツアーを収めたライブ作品で、その『D&U』の楽曲を中心に、歴代アルバムの名曲がアコースティック・アレンジで甦る、それこそKATATONIAファンが待ち望んだ夢のようなライブとなっている。サポート・メンバーには、ヨナスとのコラボ(Wisdom of Crowds)でも知られ、先日初来日を果たしたThe Pineapple Thiefブルース・ソードとアルバム『D&U』でもお馴染みのJPがパーカッションとして参加している。結果論ではあるが、もしギタリストのペルが脱退していなかったら、今回のブルースとカタトニアによる夢のコラボは実現する事はなかったと思うとアレ。

雰囲気ライブ ・・・まるで聖者(死の王)の復活を祝う信者の集いの如く、リーダーのアンダースはバリトン・アコースティック・ギターを、ヨナスはエレキ・ギターを抱えて椅子に腰掛けながら演奏し、そのメンバーと対等に観客も着席スタイルのライブとなっている。それ即ち、ギターを弾くヨナスの姿がまじまじと見ることができる大変貴重なライブとも言える。ヨナスはMCで「緊張している」と連呼する割には、体形的な意味でも歌声的な意味でも共にベスト・コンディションで、そこにアンダースとブルースのコーラスが重なって、あまりにも贅沢過ぎる絵面が生まれている。で、さすがにユニオン・チャペルという伝統的な教会だけあって、そのステージ上には淡色に揺蕩うキャンドルの灯火と暗闇の中を射すひとひらの光の如しライトアップによって、まるで『ブラッドボーン』の世界の如し荘厳かつ耽美的な世界観をシンプルに演出してみせる。その神聖な会場から醸し出される独特の空気感とアコースティックな楽器の音が繊細かつ優美に、そして生々しく会場に響きわたる。とはいえ、やっぱり基本的に映像は暗いです。それこそ『LIFE!』女優の石橋杏奈ちゃんが嬉し泣きしそうな最高の"雰囲気音楽"、すなわち"雰囲気ライブ"の極みで、しかしその雰囲気をブチ壊すような観客のガヤが時たま入るのが、海外ライブらしいというかフリーダムな感じで嫌いじゃないですw

Unplugged ・・・おいら、何度でも言うけど『死の王』は元々"アンプラグド化"する事を前提に制作されたアルバムだと信じてやまなくて、実際このライブ音源を聴いてしまうと、もうアンプラグド版の方が"オリジナル"にしか聴こえない。それくらい、KATATONIAの楽曲と"Unplugged"の相性はバツグンである事を証明している。そもそもKATATONIAといえば、メタリックなヘヴィネスと儚くも美しいメロディが絶妙なバランスで共存した音楽をウリとするバンドだが、このライブではバンドの一番のウリと言っても過言じゃあない天性のメロディセンス、そしてヨナスによる魅惑的なボーカル・メロディがより鮮明かつ表面的に、より繊細かつ濃厚に堪能することができる。ライブ・アレンジが加えられたヨナスのボーカルをはじめ、五感に沁み渡るようなメロディの洪水に、まるで割礼の儀を受けているかの如し『清らか』な音空間が静かに拡がっていく。あらためて、元々フォーキーで情緒的なメロディを持ち味とするKATATONIAが、このようなアコースティック・ライブを敢行するなんて事は、意外でもない想定内の出来事だった。特に”The Racing Heart”から”Tonight's Music”の流れは本公演のハイライトだし、涙なしには見れない初期の名曲”Day””Idle Blood”→本編ラストを飾る”Unfurl”までの終盤は実に感動的。アンコールの”The One You Are Looking For Is Not Here”では、アルバムにも参加したThe Gatheringのシリエが登場してヨナスとのディエットを披露する。いわゆる"Bサイド"と呼ばれる近年の楽曲や過去の名曲のアコギ・アレンジ、プロフェッショナルな他アーティストとのコラボレーション、そしてカタトニアの"音響"に対する"こだわり"を垣間見せるような、文字どおり"スペシャル"なライブとなっている。それこそ過去のKATATONIA今のKATATONIAを繋ぎ合わせるような、カタトニアの"オルタナティブ"な音楽性に何一つのブレもない、揺るぎない信念が貫かれた音楽であることを証明するかのようなライブだった。アコースティック・ライブとしては十分な曲数と演奏時間だと思うし、何よりもヨナスきゅんのパーカッション姿が見られるのはこのライブだけ!平成ヨナス合戦ぽんぽこ!

ANATONIA ・・・ANATHEMA『Universal』というライブ作品をリリースしているが、音楽的にもバンドイメージ的にも陰と陽を象徴する対極であり対等なバンドが、一方のANATHEMAが大仰なオーケストラを擁し、一方でKATATONIAが静かなアコースティックをフューチャーするという、このようにライブでも対極的な景色を描き出しているのはとても興味深いし、本当に面白いと思う。ANATHEMA『Universal』がロックバンドとしてのダイナミクスを全面に押し出した、圧倒的な多幸感と激情的なエモーションに溢れた世界的なショーなら、このKATATONIAは絶望の中に希望を見出すような、地域密着型の庶民的で温かいアトモスフィアを形成していく。ライブでも双方の違いを証明すると同時に、互いに引かれ合う存在=ANATONIAとして確かに"リンク"する場面が見えてくる。流石に映像の質やカメラワークの演出的な部分ではANATHEMAに劣るが、チョイと酒を引っ掛けながら作業用BGMに近い感覚で気軽に観られるのは断然KATATONIAの方だ。しかし、まさか『Damnation』みたいな作品を出している盟友のOpethより先にアコースティック・ライブを映像化するなんて、10年前じゃまず考えられなかった事だろう。

ドキュメンタリー ・・・ライブ本編以外には、ヨナスとアンダースがインタビューに質問形式で答える、約60分に及ぶドキュメンタリーが収録されている。 今回のアコースティック・ライブについての質問が大半を占める中、数多くある質問の中で、僕が特に興味深いと思ったのは→「ライブが音楽業界の主な収入源となっていること」に対する答えと、「フランク・デフォルトがカタトニアに与えた影響と賛否両論」という鋭い質問で、以前から近年KATATONIAに与えたフランクの影響、その大きさに言及してきた僕としては非常に興味深い話だった。今は関係良好のまま互いに別の道を行くことに決めたらしく、今後はフランクとのコラボの可能性はないとも答えている。確かに、このライブにフランクが参加していない時点でナニか違和感あるし、そのことについてもアンダースは残念だと嘆いている。そして古参メンバーの脱退、特にダニエルの脱退を非常に残念がっていて、あらためてフランクとダニエルがバンドに与えた影響、その存在の大きさが見て取れる。そんな中、既に新作のアイデアを集めているという嬉しい情報もあり、そして作曲における"色"の大事さや、「作曲しながらアニメーションを作っている感覚」というアンダースの創作技術を暴露する回答もあったりして、ファンとしてはとても面白い話ばかりだった。あと「余計なものを削ぎ落した」というヨナスとアンダースの言葉で思い出すのは、昨年リリースされたDIR EN GREY(一巡)の9thアルバム『ARCHE』の存在で、お互いに表現方法こそ明確な違いはあるものの、やはりKATATONIADIR EN GREYは血縁関係にある事を再認識させた。ライブ本編はMCらしいMCはなくテンポよく進むので、ライブ本編だけ観られればいいという人は無理に字幕付きの国内盤を買う必要はないです。でもドキュメンタリーまでジックリ見たいって人は、字幕付きの国内盤をオススメします。本作、本当に素晴らしいライブ作品なのだけど、やはりダニエルがこの夢のような絵面の中に存在しないのが唯一の残念だ。なお、ダニエルはIn Mourningで先輩風吹かせながら音楽活動をエンジョイしている模様w

Lunatic Soul 『Walking on a Flashlight Beam』

Artist Lunatic Soul
Lunatic Soul

Album 『Walking on a Flashlight Beam』
Walking on a Flashlight Beam

Tracklist
01. Shutting Out The Sun
02. Cold
03. Gutter
04. Stars Sellotaped
05. The Fear Within
06. Treehouse
07. Pygmalion's Ladder
08. Sky Drawn In Crayon
09. Walking On A Flashlight Beam

マリウス・デューダ≒京 ・・・おいら、DIR EN GREY”サVカル系男子”こと率いるsukekiyoに最も親和性のあるバンドって、実はRiversideのフロントマンマリウス・デューダ君のソロ・プロジェクト、Lunatic Soulなんじゃねーかと思ってるんだが、例えばsukekiyoの1stアルバム『IMMORTALIS』の一曲目”elisabeth addict”Lunatic Soulの1stアルバム『S/T』だとするなら、二曲目の”destrudo”Lunatic Soulの2ndアルバム『Lunatic Soul II』みたいなイメージを持っていて、このLunatic Soulといえば→初期こそアコギ/パーカッション/ピアノを中心に、フルート/カホン/カリンバ/古筝などのオリエンタルな楽器を擁して多彩なアレンジを効かせた、いわゆる”Post-Progressive”然とした音響意識の高いアンビエント・ロックやってて、しかし3rdの『Impressions』からは初期二作のロック色は薄まって、俄然アンビエント寄りのモダンでアトモスフェリックなミニマル・ミュージックへと変化していった。そして、前作から約二年ぶりとなるこの4thアルバム『Walking on a Flashlight Beam』では、まさしくマリウス・デューダという人間のPorcupine Tree愛、すなわちスティーヴン・ウィルソン愛がバクハツするかのような、それこそSWの一番弟子としてのポテンシャルが宇宙の如く無限大に広がるような、前作のアンビエント路線が更に極まって、俄然スケール感が増した力作となっている。

SW愛 ・・・彼マリウス・デューダSW愛というのは、本家のRiversideを聴けば嫌ってほど分かるし、当然これまでのソロ作品にもその影響はあった。しかし、ここまで露骨なSW愛が込められたアルバムはなかったように思う。そんな彼の異常なまでのSW愛は、この『Walking on a Flashlight Beam』の幕開けを飾る”Shutting Out the Sun”を聴けば顕著で、それこそ彼が敬愛しているPTの1stアルバム『The Sky Moves Sideways』や2nd『Signify』を連想させる、さざ波のSEをバックにモダンなエレクトロが荘厳かつ神秘的な雰囲気を醸し出し、聴き手を誘惑するかのようなマリウスの深みのある歌声と実験音楽的な音使いをもって、それらを全て飲み込んで宇宙規模のATMSフィールを広域に展開していく。次の#2”Cold”では、より仏教的な音響やレーベルメイトの某TesseracTの名曲を彷彿とさせるアルペジオを駆使した、トリップ感あふれるミニマルなエレクトロニカ/アンビエント・ミュージックを繰り広げ、独特の”ウネり”を効かせた持ち前のグルーヴィなギター・ベースを軸に、マラカスなどのエスニックな楽器や胸に染みわたるマリウスの叙情的な歌声が妖艶に絡み合い、それこそTool直系の妖しい呪術を唱えるかのような#3”Gutter”、まるで気分は宇宙空間を彷徨うサンドラ・ブロックなATMS系インストの#4”Stars Sellotaped”、いくつもの狂気的な音響が重なりあって小さなブラックホールを形成するかのような、まるで地下鉄に一人取り残されたような不安感に苛まれる#5”The Fear Within”、レーベルメイトの中期ANATHEMAやレディへを連想させるUKミュージック的なモダンな音使いとレトロフューチャー感のあるオルガンが織りなす#6”Treehouse”は、初期椎名林檎†††に通じるフェミニンでアンニュイなムードを纏った、それこそ薄暗い雲に覆われた始まりから徐々に優美な光が差し込むような、これぞPost-Progressiveな、まさしくK-Scopeサウンドを垣間みせる。その流れを継いで、艶美なエレクトロとOpethあるいはStorm Corrosion譲りのダーティなアコギが暗黒街主催のエレクトリカルパレードを奇しく彩る行進曲のような#7”Pygmalion's Ladder”への流れは今作のハイライトで、そのままアルペジオ主体の#8”Sky Drawn In Crayon”から、再びIsisばりの”Post-感”あふれるモダンな音響主体の表題曲の#9”Walking On A Flashlight Beam”を最後に、この物語『SW♥LOVE♥ビーム!』は幕を閉じる。

マリウス×SW ・・・今思うと、本家Riversideの5thアルバム『Shrine of New Generation Slaves』のボートラとして収録された、実験的なインストナンバーの”Night Session”が今作への伏線だったのかもしれない。UKミュージック風のモダンなエレクトロを大胆に取り込むことで、大幅な音の洗練とスケール・アップが図られ、1stアルバムの”Out on a Limb”をルーツとしたLunatic Soulらしいダーティなオリエンタリズムと、その首謀者マリウス・デューダとかいう人物に宿る深い闇がクロスオーバーした末に産み落とされた、それこそトラヴィス・スミスが手がけたアートワークのように、無数の音がクロスしてパノラマの如く眩い光を放つイメージが直に伝わってくるかのような、まるでスティーヴン・ウィルソンに対するマリウス君の歪んだ愛情がそのまま歪んだAtmosphereへと変貌したかのような一作だ。その長年のSW愛が認められたのか、遂にマリウス君とスティーヴン・ウィルソンのコラボが実現するに至った。これは26歳の若さで亡くなったアレックという青年(ファン)のリクエストがキッカケで、アレックが歌詞をマリウスが曲を書いて、それをSWに持ち寄って実現したコラボだ。しかし残念ながら、このコラボ曲が完成する前にアレックは他界。。。ともあれ→このLunatic Soulは1st以降右肩下がりな感じが否めなかったが、このアルバムでまた挽回してきた感じする。それくらい、かなりのSW愛即ちLOVEが込められた力作なんです。

Walking on a Flashlight..
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Lunatic Soul
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ANATHEMA 『Distant Satellites』

Artist ANATHEMA
ANATHEMA

Album 『Distant Satellites』
Distant Satellites

Tracklist
01. THE LOST SONG part 1
02. THE LOST SONG part 2
03. DUSK (dark is descending)
04. ARIEL
05. THE LOST SONG part 3
06. ANATHEMA
07. YOU'RE NOT ALONE
08. FIRELIGHT
09. DISTANT SATELLITES
10. TAKE SHELTER

    -これは呪い(ANATHEMA)を解く物語-

【解散願望】・・・解散して欲しかった。約二年前、2012年にリリースされた9thアルバムWeather Systemsを数千回聴き込んだ末、遂に”俺の感性”が導き出した答えこそ→ANATHEMAは『ジョジョ』だということ、つまりANATHEMAの『Weather Systems』黄金の精神』であり、『Weather Systems』X JAPANのバラード・コレクションだということ、そして”俺の感性”一巡させた事である。そんな、10年に一度の歴史的名盤となった『Weather Systems』を超えるなんて事はもはや不可能、万が一の可能性を見い出すとすれば→それは”俺の界隈”代表取締役社長兼CEOであり8thアルバムWe're Here Because We're Hereを手がけたスティーヴン・ウィルソン氏、あの『Weather Systems』をプロデュースした張本人であるChrister André Cederberg、そして俺の界隈の裏方で知られるイェンス・ボグレンという、いわゆる”俺の界隈の三銃士”の力が必要不可欠、でもそんなこと・・・「できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!できるわけがない!」と四回叫び、半ば諦めかけていたその時ッ!今作『Distant Satellites』のエンジニアとしてSW氏がミックス(2曲)を、前作同様にノルウェイ人のChrister André Cederbergがプロデュース&ミックスを、そして5.1chサラウンドのミキシングに俺たちのイェンス・ボグレンが参加しているとの情報を得た僕は→あの『Weather Systems』『神の領域』すなわち『メイド・イン・ヘブン』に到達し、名実ともに”アンタッチャブル”な存在となったANATHEMAは、この『Distant Satellites』で自分自身を乗り超える、つまり【神殺しのANATHEMA】を襲名する覚悟ッを決めたんだ...そんなダイアモンドのように硬い意志を感じ取った。要するに→「神を超える」ための条件は全て整った、というわけだ。

               『ザ・ロスト・ソング パート1』

                       今夜
                   僕は解放された
                    とても自由だ

                   生まれて初めて
                     僕は目にした
                     新たな人生を
                     新たな人生を

                    呼吸を始めよう

                    そして君が現れた
                    どこからともなく
                     僕の人生は
                 すっかり変わってしまった

    (いつの日か、あなたは私を感じるわ 微風に運ばれる囁きの中に)

                   そして、あの夜
                    僕は夢の中で
                   静かに立ち去った

                  もう一つの場所へと
               そこで君は僕に話をしてくれた
                    この日のこと
                    この日のこと

                    そして君が現れた
                    どこからともなく
                      僕の人生は
                 すっかり変わってしまった

               というのも、君は僕のものであり
                   僕は君のものだから
                     死ぬまでずっと
                     死ぬまでずっと
                恐怖なんて幻想に過ぎないんだ


【THE LOST SONG=THE LAST SONG】・・・僕は涙した。まるで僕が『Weather Systems』はX JAPANのバラード・コレクションだと言った事を証明するかのような、今作『Distant Satellites』の心臓部を担う”THE LOST SONG”、その幕開けを飾る”THE LOST SONG part 1”に涙した。ハッと息を呑む壮麗かつ荘厳なストリングスから、まるで英国貴族の社交界のようにエレガンスなピアノの旋律と新メンバーのダニエル・カルドーゾによる5拍子を効かせたドラミングが織りなす、それこそソフト&ウェット(柔らかくて、そして濡れている)な黄金のリズム&血液のビートが、鼓動が魂が、山吹き色の輝きを放ちながら激しく高らかにオーバードライブしていき、前作の『Weather Systems』を堺に”ボーカリスト”としてのリミッターが解除された暴走モードのヴィンセント・カヴァナーリー・ダグラス姐さんが織りなす、まるで『幸福』についてを語り合うかのような黄金のハーモニー、そしてこの歌詞に涙したんだ。驚いた、まるでジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助の壮絶な運命を歌っているようではないか。そう、この歌詞に登場する”僕”とは東方定助であり、”そして君が現れた”の”君”とは広瀬康穂ではなかろうか。それこそ『ジョジョリオン』の一話と同じように、どこからともなく現れた康穂と出会った定助の人生、その運命は”すっかり変わってしまった”わけだ。では、”解放された”や”新たな人生を”は一体何を意味し、”もう一つの場所”とは一体何処なのだろうか。そして、広瀬康穂役のリー・ダグラス姐さんによる(いつの日か、あなたは私を感じるわ 微風に運ばれる囁きの中に)という意味深な歌詞は一体何を意味しているのだろうか?これらは壁の目で目覚めたジョジョリオン一話の東方定助なのか、はたまたジョジョリオン最終話での”帰るべき場所”を見つけた東方定助=Xなのか、とにかく複数の解釈が持てる謎に満ち溢れた歌詞だが、少なくともこの曲で流した僕の涙は、『ジョジョリオン』の最終話を読んで流す涙と全く同じ涙であると確信した。そもそも、この”THE LOST SONG”というタイトルは、自分の記憶を”失った”東方定助自身であり、これこそ『ジョジョリオン』のテーマソングと呼べるだろう。

jojo1

【プログレ界のART OF LIFE】・・・それはまるで『ジョジョの奇妙な冒険』の初代主人公ジョナサン・ジョースターエリナ・ペンドルトン、もしくはジョジョ8部『ジョジョリオン』の主人公東方定助広瀬康穂黄金の関係性、その関係性を黄金のハーモニーへと変えて、血液のビートを刻みながら雄大な抒情詩を宇宙という名の無限∞に広がるキャンパスに静かに、しかし深裂に描き映し、そして瞬く間に天空を駆け巡るストリングスや艶美なキーボードとニュータイプ的なプログラミング、音圧(ダイナミズム)重視のギターの轟音ヘヴィネス、俄然タイトなリズムを刻みこむドラム&ベースが互いに高め合い狂喜乱舞しながら、それら全ての音をハリケーンの如く巻き込んでいき、遂には黄金の回転エネルギー』の力が働いた巨大な音の塊、すなわち宇宙規模のサウンドスケープとなって全人類をカタルシスの渦に飲み込んでいく。その曲調としては、前作の名曲”Untouchable, Part 1”を踏襲した超絶epicッ!!ナンバーと言っていいが、当然のようにドラマティックでありながらも崇高かつ荘厳、そして神妙な雰囲気を漂わせながら、一定のリズムからなるシンプルなミニマリズムによって体内に蓄積された小さな音エネルギーを一気に爆発させるような、2012年の『ウェザー・リポート』のスタンド能力により生じた暗雲たち込める空模様に太陽の光が差しこむような、まるで【3.11】を堺に漆黒に染まった日出づる国に『愛(Love)』『勇気(Pluck)』『希望(Hope)』という生命エネルギーをズキュウウウン!!と注入するかのような、クライマックスを飾る終盤のオーケストラが解き放つ『清らかさ』は鳥肌モノってレベルじゃないし、それと同時にthe fear is just an illusionという歌詞に込められた、まるで「勇気とは怖さを知ることッ!恐怖を我が物とすることじゃあッ!」と言い放ったウィル・A・ツェペリの如く、それこそ『人間の魂』をアツく焦がすような『灼熱の魂』に、もはや”感情の限界突破”に限りなく近い胸の昂ぶりを抑止することが出来なかった。そして僕は、今にも張り裂けそうな胸の高鳴りを沈めながら閃いた→「もはやTHE LOST SONG part 1はプログレ界のART OF LIFEだッ!」ってね。

                『ザ・ロスト・ソング パート2』

                     人生には
                     必ず訪れる
                   目覚める瞬間が

                    着実に刻まれる
             あなたの心臓の鼓動の音を耳にして

                 今やあなたは解放された
                   そして私はこのまま
                   ずっと夢見ていよう 

                生きている、気づいている
                  かつて信じていた愛

             いつの日か、あなたは私を感じるわ
                微風に運ばれる囁きの中に
               そして私はあたなを見つめる
                堂々と立っているあなたを

                      戻ってきて
                    どうか信じて

                 こんな気持ちは初めてよ

            あれが幻想だったんなんて信じられない 

【東方定助×広瀬康穂】・・・幕開けを飾る”THE LOST SONG part 1”東方定助視点で描かれた曲ならば、この”THE LOST SONG part 2”はヒロインである広瀬康穂視点で描かれた曲だ。この曲は、恋人を想うあまりにも純粋なキモチが込められた歌詞を、いい意味でポップに歌い上げるリー・ダグラス姐さんの母性あふれる歌声と壮麗優美なストリングスをフューチャーした、と同時に艶かしいまでのL O V E!L O V E!L O V E!なエモーションがとめどなく溢れ出す、真珠のドローン系バラードだ。これは前作の”Untouchable Part 2”に相当する楽曲と言っていいだろう。まるで”あの頃”の思い出を懐かしむかのような、ある種のフェチズムを刺激する息遣いにブヒれるリー姐さんのコーラスと情緒感あふれる繊麗なサウンドが織りなす、儚くも美しいダイナミズムと切ないラブストーリー性には”感動”という二文字以外の他に例えようがない。そして、この歌詞にも『ジョジョリオン』の謎を紐解く鍵が隠されている気がして→まず一体何が誰が”目覚める瞬間”なのか、それは東方定助を司るもう一人の人物=Xなのか、ここでも”解放された”という意味深なフレーズをはじめ、パート1と同じ”and one day you'll feel me a whisper upon the breeze(いつの日か、あなたは私を感じるわ 微風に運ばれる囁きの中に)”という”THE LOST SONG”の核心部分に触れるような黄金のフレーズが、そして”戻ってきて”とは?”あれが幻想だった”とは?こんな風にこの歌詞を考察していたら、気づくと僕は涙を流していた。『ジョジョリオン』の東方定助と広瀬康穂が巡る数奇な運命、その黄金の軌跡』を辿るかのような歌詞に涙したんだ。

                『ザ・ロスト・ソング パート3』

                  君を見つけたからには
                   もう放すつもりはない
                    世界は回り続ける
                    魂が映し出される
              僕の心臓は君のために鼓動を鳴らす
                  身体の外へと伝えるんだ
                    今夜、心の中では
                 君に頑張って欲しいと願う

                     なぜなら愛とは
                     我々そのもの
                    どんなに近くても
                    どんなに遠くても
                       そして命は
                     真実をもたらす
                       夢の中に

【THE LOST SONG=『黄金の精神・・・ここまで、フロントマンのヴィンセントがメインのパート1とリー・ダグラスがメインのパート2の流れを見れば、前作の名曲”Untouchable”の再来、少なくともそれを素直に踏襲している事がわかる。しかし、前作の”アンタッチャブル”なANATHEMA=自分自身の存在を超えるためには、最後のワンピースが必要だ・・・でもその前に→ギラついたアルペジオ・ギターに合わせてヴィンセント&リーが大胆な掛け合いを披露する”Dusk (Dark Is Descending)”、この曲の歌詞は今作の中で最も『ジョジョリオン』の物語にリンクする歌詞で、初めてこの歌詞を読んだ時は少し恐怖を覚えるくらい、前半部の歌詞には『ジョジョリオン』第一話を、そして後半部には、まるで『ジョジョリオン』最終話を予知するかのような歌詞が記されている。続く”Ariel”は、パーカッションや電子ドラムなどのチルアウト効果を織り交ぜながら、まるでアリエールで洗った洋服のように柔らかな肌触りで優しく包み込むピアノと壮大なオーケストラをバックに、リー姐さんの天使の囁きの如しウィスパーボイスとヴィンセントの情熱的なゴッドボイスが劇的に交錯する、この世の全てのカタストロフィを浄化する黄金のハーモニーが至高の感動を呼び起こすラヴバラードで、アウトロではカヴァナー三兄弟の長兄ダニエルがその優しい歌声を披露している。この”人間愛”に満ち溢れた歌詞は、”THE LOST SONG”のフィーリングを感じさせるし、曲としてはデヴィン・タウンゼンド総裁『Ghost』を思わせるほどの透明感がある。そして遂に来たる、今作の核を担う”THE LOST SONG”の最後のワンピースこと”THE LOST SONG part 3”は、序盤のパート1&2の中で描いてきたそれぞれの想いが運命的に引かれ合い、そしてその想いが一つに重なる瞬間だ。8thアルバム『We're Here Because We're Here』”Get Off, Get Out”を彷彿とさせると同時に、着実に”THE LOST SONG part 1”の流れを汲んだ、まるで波紋使いの呼吸法のように俄然タイトなリズム&ビートからなるミニマリズムが極上のグルーヴ感およびトリップ感を生成し、まるで夜空を見上げた星の煌めきと淡い揺らめきがこだまする静寂の中で、しなやかな恍惚感を発しながら”永遠の美”を求めて優雅に舞い踊る、東方定助役のヴィンセント・カヴァナーの想いと広瀬康穂役のリー・ダグラスの想いがシャボン玉のように融け合って共鳴し合うその瞬間ッ、シルクのように繊細な焦燥感と激情的なエモーションを解き放つハーモニーが、静かに、しかし美しく魂を揺さぶる。この組曲”THE LOST SONG”を構成する3つのピースに共通するのは→まさしくLovePeaceの精神すなわち黄金の精神』であり、それこそパート3の”My Haert Beats for You (僕の灼熱のビートを君にッ!)”や”なぜなら愛とは 我々そのもの”とかいう一種の聖書的なリリックが示すように、Love即ち『愛』こそ、Love即ち『引力こそ我々人類が憧憬し崇拝すべき唯一『神』であり、それこそ『天国への階段』を登った先に啓かれた『メイド・イン・ヘヴン』なのである。これはもう恐ろしいほど純粋なラブストーリーであり、それこそ究極の『愛』の物語すなわち『愛のむきだし』、もはや音楽界の『失楽園』と言っていいレベルのセカイだ。

jojorion


-これは「呪いを解く物語-
この呪いを解くためには、ANATHEMAという過去の自分自身を乗り超えなければならない。そんな願いが込められた曲が、このバンド名を冠した”ANATHEMA”だ。感情を押し殺したヴィンセントの無慈悲な歌声と荘厳かつ重厚なオーケストラ、そして流麗なピアノがクラシカルかつシアトリカルに交錯する、それこそ初期ANATHEMAの荒寥たる世界観を持った、まさに「人間の尊厳とはナニかを具現化したような楽曲だ。音楽性の変化に伴うメンバーとの対立そして別れ、しかしその幾多の試練を乗り越えて新たなる境地に辿り着いたANATHEMA、そんな今のANATHEMAと過去のANATHEMAを約20年の時を経て再び繋ぎ合わせるかのような、それこそ今作の裏テーマである”ANATHEMA”という名の”呪い”を解く大きな鍵であり、そして導き出されたその答えこそ→『LOVE』...即ち『愛』だった・・・。その呪縛(ANATHEMA)から自らを”解放する”かのような、過去のANATHEMAとの決別を宣言するかのようなヴィンセントの魂の叫びから、まるで映画のクライマックスを飾るようなギター・ソロという名のレクイエム(鎮魂歌)を奏でる時、真の意味でANATHEMAは呪縛(ANATHEMA)から解放され、晴れて究極のカタルシスを得たのである。ちなみに、ヴィンセントのインタビューによると→自らの意志で”ANATHEMA”という曲を書こうとしたのではなくて、完成した楽曲が自然と”ANATHEMA”そのものになったらしい。そう言われると確かに、曲全体を支配する荘厳かつ無慈悲な雰囲気をはじめ一種の破滅的な、この地球この大地を轟かす”DOOM”なギターの重厚感は初期ANATHEMAをフラッシュバック!!させる。しかし、こうやっていともたやすく過去の自分自身と向き合えるのは、(音そのものは違えど)やっぱりアナセマの音の根幹にある音楽的理念がデビュー当時から現在まで一貫しているからであって、それはデビューから今まで一貫して『人間賛歌』をテーマとして描いている荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』だって同じだ。しかも、過去にANATHEMA=呪いというバンド名を改めようとしたが、かのスティーヴン・ウィルソン氏の助言によって結局改名しなかった所も、ジョジョ7部『スティール・ボール・ラン』でジョジョをやめようとしたけど、なんだかんだで結局『ジョジョ』になってしまうという、そんな荒木飛呂彦が歩んできた漫画人生とまるで同じではないか。そういった意味では、近年ANATHEMAの楽曲の中では最も特異な曲であり、過去の自分自身を乗り超えるために必然的、いや運命的に生まれた楽曲と言えるのかもしれない。こうして、ANATHEMAは”ANATHEMAの中にある、もう一人のANATHEMA”を自らの手で葬ったが、はたして『ジョジョリオン』の主人公東方定助は”もう一人の自分”を解放し、そして自らを『祝福』する事ができるのか?

アナセマ×ジョジョ

【アナセマ≒荒木飛呂彦】・・・スウェーデンの重鎮OPETHや皇帝KATATONIA、そしてフランスの貴公子ALCESTでも、それなりの地位に位置するバンドが音楽的な”変化”を起こすと、大抵は従来のファンから批判される。初期のデス/ドゥームやってた頃から今まで、音楽史上最も大きな音楽遍歴を巡りしこのANATHEMAも決して例外ではない。まず、一つ目の大きな”変化”が起こったのは4thアルバムの『Alternative 4』だろう。その”オルタナティブ”というタイトルをはじめ、これまでのスタイルと違って呪術感あふれる通称ゴシック・メタルと呼ばれるサウンドへと”変化”したのだ。続く5th『Judgement』こそ4thと差ほど変わりはしないが、しかし21世紀にさしかかると6th『A Fine Day to Exit』と7th『A Natural Disaster』を立て続けにリリースし、それこそ今のANATHEMAの”原点”と言えなくもないような、レディへリスペクトなATMOS系の浮遊感やポスト-感を内包した、実にUKミュージック然とした路線へとシフトしていった。しかし驚いたのは、いずれも批判より賞賛の声の方が大きかった事だ。これはヴィンセントがインタビューで→「”テクニック”ではなく、あくまでも”ソングライティング”に重きを置いている」と語っているが、まさに彼らの曲作りに対する信念や執念を裏付けるような話だ。同じく海外のインタビューで→ヴィンセント「批判を恐れていては真のクリエイティブな音楽は生まれない」と答えているが、まさしくそのとおりだと思う。このように”変化”に対する”批判”を恐れず、常に”変化”と”進化”を求めて前進し続ける通称クリエイティヴ・ヒューマンとしての意識の高さ、そのまさしく”オルタナティブ”な精神性こそ、現在連載中の『ジョジョリオン』で絵柄をはじめ本格派サスペンスを謳ったストーリーやコマ割りなど...今や大ベテランであるにも関わらず新たなる境地に挑み続けている漫画家荒木飛呂彦という名の吸血鬼に直結する、とどまることを知らない創作意欲およびクリエイティブ精神と言えるのではないか。僕はこれまでに”アナセマとジョジョ”の親和性、その類似点をクドイくらいに説いてきたつもりだが、その双方に対する漠然とした考察は、この『Distant Satellites』で遂に確信へと変わった。それと同時に、僕はスティーヴン・ウィルソン氏が提唱する創作精神こそ、荒木飛呂彦が持つ創作精神だと確信していて、やはり、こうやって今のANATHEMAが存在していられるのも、Kscope主宰のスティーヴン・ウィルソン氏による功績が大きいのかもしれない。ご存知のとおり、SW氏は7th以降スヤァ...っと深い眠りについていたアナセマを覚醒させるキッカケとなった8thアルバム『We're Here Because We're Here』を手がけた人物である。そんな彼は、今作でも2曲ミキシングで参加している。それが”You're Not Alone””Take Shelter”だ。

                  『ディスタント・サテライツ』

                君は自分自身を売り払った
             それでいいんだと自分に言い聞かせた
                 状態が状態を生み出し
                 高水準を乗り越えていく

                 そして僕は泣きたくなる
                  漂いながら君を捕まえた
                 そして僕は泣きたくなる
             遠く離れた人工衛星に過ぎないんだ

                だから僕を救い出しておくれ
                  僕は生きているんだ
                  僕は生きているんだ
                 この中で生きているんだ


【新境地】・・・確かに、中期アナセマの『A Natural Disaster』に収録された”Closer”ではレディへリスペクトなエレクトロニカを、前作の『Weather Systems』に収録された”The Storm Before The Calm”では、今はなき同郷のPure Reason Revolutionを彷彿とさせるダンサンブルな電子音を積極的に取り入れ、かつアナセマの音へと巧みに昇華していた。では、本作『Distant Satellites』における”新機軸”と呼べる楽曲を挙げるとすれば、それはSW氏が手がけた”You're Not Alone”や表題曲の”Distant Satellites”だろう。まず、前者の”You're Not Alone”では、遂にダニエル・カヴァナースティーヴン・ウィルソンの奇跡の共演が実現ッ!・・・と言いたい所だが、SWじゃなくてヴィンセントの声だった。初めて聴いた時はヴィンセントの声がSWに聴こえたくらい、SWを意識した少年風の歌い方だ。とにかく、そのSWとも交流のあるPendulumばりにバッキバキな打ち込みを擁したインダストリアルなドラムンベースを展開している。で、先述の”Closer””The Storm Before The Calm”における”新機軸”は、あくまでも数ある要素の一つとして取り入れられたものだったが、しかし今回ばかりは”ガチ”な感じで、完全に向こう側のジャンルの立ち位置からモダンな音を鳴らしている。これは先ほどの”批判”に繋がることだが→当然「別にアナセマがやらなくてもいい」なんて思う人も居るだろうけど、むしろ今のアナセマだからこそというか、それよか単純に曲がカッコイイというか、批判という恐怖を克服し、自らの手で未来を切り拓き、そして遂に辿り着いた”アナセマなりの新境地”に直に触れているような気がして、もはや批判とか賛否両論とかどーでもよくなるくらい、素直に楽しい気分にさせてくれた。なんつーかこの曲、ほとばしるスティーヴン・ウィルソンの影が一種の”免罪符”となってる気がしないでもない。もう次作でダブステップやり始めても全然驚かないくらいにはなってる。

ゼロ・グラビティ

【ANATHEMA=輪廻転生説】
・・・その”You're Not Alone”だけじゃあない、それ以上に”実験的”な要素を感じさせる曲こそ、ゴースト名ソングライターことジョン・ダグラスとヴィンセントが共同プロデュースした曲であり、今作のコンセプトを担う表題曲の”Distant Satellites”だ。まるで大聖堂が目の前に立ちはだかるような、”Firelight”とかいうインストの神聖なる『清らか』な風を受け継いで始まるこの曲も、打ち込み系のエレクトロニカを大胆に取り入れた、言うなれば65daysofstatic meet ANATHEMA的な楽曲で、まるで人工衛星から地球を見下ろしたような無限大の世界が目の前に広がり、その壮観さは北欧ノルウェイの上空に現れる色鮮やかなオーロラのように『清らか』で神秘的だ。しかし、一言で”エレクトロニカ”と言ってみても、あくまでも繊細で浮遊感のあるヴィンセント・カヴァナーの歌声を軸としながら、その夢心地なボーカルのメロディと心躍る上品なピアノが極楽なトリップ感を生成しながら、高鳴る心臓の鼓動のように小気味よいダンサンブルなビートを打ち込んでいく、まるで子守唄の如くフロイド感あふれるアトモスフェリックな曲調なので、逆に驚くほど違和感というものはなかった。まるで気分は映画『ゼロ・グラビティ』「あたしサンドラ・ブロック、ガチで宇宙空間を漂流中」だ。ここで、その映画『ゼロ・グラビティ』を例に出すと→前々作の8th『We're Here Because We're Here』が地上(浜辺)からの目線で地球を描いた作品ならば、リメイク作品のFalling Deeperが水中から地球を描いた作品で、前作の9th『Weather Systems』が『空から地球を見てみよう』的な作品だとすると、本作の10th『Distant Satellites』では更に遠く離れた大気圏外にある宇宙衛星の視点から地球を描いた作品だという風に解釈すると、ある一つの流れが出来上がっているのがわかる。まさか、その映画『ゼロ・グラビティ』の物語に隠された『輪廻転生』を音楽という手法を使って描き出しているんだとしたら...このアナセマというバンドは、実はとんでもない事をやろうとしてるんじゃあないか?って、そう思うと僕は少し恐怖した。事実、前々作の8th『We're Here Because We're Here』では臨死体験という名の黄金体験』を音で表現しているし、あながちそれは間違いじゃないかもしれない。もしそうだとしたら、それこそ『人間賛歌』の極みだと思うし、ジョジョ6部でプッチ神父のスタンド能力『メイド・イン・ヘヴン』によって生じた一巡した世界、すなわちパラレルワールドもある種の『輪廻転生』と言えるのではないか、それこそ初期の『破滅の音楽』から現在の『幸福の音楽』に至るまでのアナセマの音楽遍歴ですら、『ジョジョの奇妙な冒険』の初期(暗黒面)~中期(オルタナ期)~後期(黄金期)の作風および時代背景、その精神性と全く同じ道を辿っているようではないか。つまり、全てにおいて『アナセマ』と『ジョジョ』は一心同体となったのだ。このように、【ANATHEMA=輪廻転生】という説から考察してみれば、現在のアナセマは初期のアナセマが”一巡”しただけの存在すなわち同一人物でしかないと理解ッできるし、初期から現在までの音楽性の変化すらも必然的、いや運命的な出来事だったのかもしれない。

「あたしサンドラ・ブロック、ガチで宇宙空間を漂流中」

【アートとは「光るウンコ」だ】・・・そして、SW氏がミックスを手がけた”Take Shelter”のレディへ(Kid A)ライクな音響や、まるで生まれたての赤子のように生命エネルギーに満ち溢れた、シガーロス直系の神々しく純粋無垢なストリングスを耳にすれば分かるように、その90年代と00年代のオルタナティブシーンを牽引してきた二組のレジェンドを融け合わせ、それぞれの時代と時代を繋ぎ合わせるかのような、それこそ”キング・オブ・オルタナティブ”と呼べる曲であり、それすなわち”オルタナティブ・ミュージック”に傾倒していた頃の『A Natural Disaster』をはじめとした中期アナセマと、前作の『Weather Systems』を筆頭とした近年の黄金アナセマを引き合わせるかのような、もはやアナセマ自身の約20年にも及ぶ音楽人生を総括するかのような楽曲だ。それらを踏まえて→前作の『Weather Systems』が5thの『Judgement』”一巡”した結果だとすると、今作の『Distant Satellites』は7thの『A Natural Disaster』”一巡”した先のパラレルワールドなんだって、僕はそう解釈し、そう結論づけた。そして、この聖なる遺体が眠るとされる地下シェルターの扉を開くと、そこには新たなる黄金の輝きを放ちながら元気に走り回るアナセマの姿が・・・ッ! 話を戻して→要するに、常に”変化”と”深化”を求めてきたアナセマが本格的なエレクトロニカを擁する必然性、常に自らの手で過酷な未来を切り拓いていく創造者としての飽くなき探究心、そのクリエイティヴ!!に対する貪欲な姿勢こそ正真正銘の”オルタナティブ・バンド”と呼べるんじゃあないか、その創作精神こそ真の意味で”Progressive”と呼べるんじゃあないか、ってね。また、ニューヨークで活動する新星コリアン・メディア・アーティストの作品を本作のアートワーク/デザインに採用している所からも、フロントマンヴィンセント・カヴァナーの視覚面に対するアンテナの鋭さ、異文化に対する寛容の精神、懐の広さを伺わせる。それこそアレハンドロ・ホドロフスキーの名言で知られる→「アートとは「光るウンコ」だ」と言わんばかりの創作精神、その覚悟に僕は一人の音楽好きとして敬意を表したい。

                     『テイク・シェルター』
 
                     僕らは永遠
                      子どもたちが
                    駆け抜けていく...

                 君を思って自分を見失った
                 真実の中に自分を見出した
                    僕らはこの先道に迷う

                 君を思って自分を見失った
                 真実の中に自分を見出した
                 僕らはこの先自分を見失う
              そして再び時の中に自分を見い出す

 
【至ってシンプルな答え】・・・再びッ話は振り出しに戻るが→ある種の”解散願望”を持っていた僕は、アナセマの次のアルバムがどうなるかなんて全く考えてなかったし、想像すらしてなかった、というかできなかった。確かに、「最高に『ハイ!』ってやつだ!」とかいう”人間をやめちゃった人”みたいなハイテンションで、まるでドカーン!バーン!キャー!を特徴としたB級ハリウッド映画の如く、つまり”バンドサウンド”を全面に押し出した大仰かつ大胆かつド派手な展開力の高さを一番の魅力としていた前作『Weather Systems』のような、いわゆるガッシャンガッシャンしたギター・ミュージックではなくて、この『Distant Satellites』におけるギターの役割といえば、それは主に組曲”THE LOST SONG”で聴けるような極限までエッジを削ぎ落したギター・サウンドからして明白で、持ち味とする耽美なクリーン・ギターも大きく影を潜め、あくまでも重厚感(ドローン系ヘヴィネス)やポストメタリックなスケール感および重低音(ダイナミズム)を加えるだけの一つのオトでしかなくて、そういった意味では今作はかなり”メタルっぽい”と言えるのかもしれない。要するに→かのデイヴ・スチュワートがアレンジを施したオーケストラのストリングスを中心としながら、ドラムとキーボードによる”ある一定のリズム感”を大事にしたシンプルなリズム&ビート、そして英国貴族のように気高い歌詞を繊細かつ大胆に歌い上げるボーカルの反復運動に意識を向けた、ある種の”ミニマル・ミュージック”的な側面が強い作風となっている。そしてヴィンセントがインタビューで→「これまで以上にインプロヴィゼーションの要素を取り入れている」と語るように、その即興演奏で生まれた結果であろう至ってシンプルなリズム&ビートに対する感覚を研ぎ澄ますことで、より音の生々しさというか、より古風のProgressive-Rock感や独特のライヴ感が生まれている。これは彼らが”ライヴバンド”であるからこそ、なのかもしれない。同時にその”シンプルさ”は、ギター&ドラムのミニマルなリズム主導の”THE LOST SONG Part 3”をはじめ、それはアルバム後半の”新機軸”と呼べる曲に対しても「複雑になることを嫌った」と語るように、実際に複雑なことは何一つなくて、あくまでもボーカルやピアノやストリングスによる”メロディ”の反復運動を軸としており、最初から最後まで一貫して”シンプル”な分かりやすさが貫かれている。一見、音が複雑に重なり合っているように見えて、それらを一つとして聴くと驚くほど”シンプル”な音である事がわかるハズ。その俄然タイトでシンプルなリズムが、”イキ過ぎ”を抑制するために絶妙な”寸止め感”を作品に与えている。そして、これはアルバム前半の楽曲の全てに共通することだが、気のせいかポップな歌いまわしというか、”歌う”ことに対して本能の赴くまま自由に楽しんでいるヴィンセント・カヴァナーとリー・ダグラスの力強い歌にも、先ほどのインプロヴィゼーションやライブ感というのが発揮されている。この一貫した”シンプルさ”を理解ッすると、「二週間でレコーディングを終えた」というのにも納得せざるを得なかった。

    ※訴えないでください!

【Distant Satellites=内田真礼説】・・・2008年作のアコースティク作品『Hindsight』に始まって、2011年作の『Falling Deeper』からの流れを引き継いで、本格的なオーケストラとの共演を果たした昨年のライブ映像作品Universal、それらの経験から得た影響を伺わせる”THE LOST SONG”を心臓部としたクラシカルな前半部、初期のANATHEMAと現在のANATHEMAを継ぎ合わせるかのような”ANATHEMA”を挟んで、正真正銘の”オルタナティブ・バンド”としてあるべき姿...その信念を貫いた現代的かつ実験的な後半部、このように大きく2つのテーマに分かれている。この2つのテーマの狭間で生じるギャップ...それはまるで声優内田真礼「この顔からこの足」という一種のギャップ萌えのようだ。この『Distant Satellites』という名のシェルターを紐解く鍵、そのヒントはこの”まれーたそ”が握っていると言っても決して過言じゃあない。もはや俺レベルになると→黄金比』で形成された内田真礼の体型から、アナセマの壮絶なる音楽遍歴を紐解くことができる。そして僕は、あらためて”アナセマ””アイドル(2.5次元)”の親和性を再確認するのであった。まぁ、それは冗談として→ここ最近の作品の中ではキャッチーなツカミや作品の統一感は希薄だが、逆にその決して完璧ではない粗さやいい意味でアンバランスな感覚が絶妙な味となっている気がしないでもなくて、少なくとも即効性の高いここ最近の二作とは違って妙なスルメ感はある。確かに、前二作のように豊富な音数を繊細かつ緻密にリリカルに積み重ね、クライマックスに解放感のあるド派手な展開を見せるわけでもなく、(ミックス&マスターの影響もあるのか)いい意味でも悪い意味でも平坦で起伏の乏しい展開とシンプルな音使いをもって、比較的緩やかなバラード風の展開を主体にシットリと聴かせる印象。その辺りは、ギンギラギンにさり気なかった『Weather Systems』とは確実に一線を画していて、蒼天のようにカラッとした空気感ではなく、どちらかと言えばアートワークのイメージを含めて7thの頃の妖艶なオーラ、それこそ英国の変わりやすい空模様のように少し湿り気のある陰鬱な色気を纏った音で、その静謐さ溢れるアトモスフェリックな音響空間の中で、静かなる叙情と激情を冷静と情熱の狭間で爆発させている。結論からすれば→なんだかんだ、歴史的名盤だった前作に勝るとも劣らない、音楽的な面でも20年を越えるキャリア的な面でも、本当の意味で集大成と呼べる名作なんじゃあないかって。しっかし、これを聴く直前まで”解散願望”を持っていた自分が恥ずかしい。アナセマだけに...セマいアナがあったら今すぐにでも入りたい気分だ(テヘペロ///)

『ダスク(ダーク・イズ・ディセンディング)』

僕の心を光の方へと引き上げておくれ、凍えそうなんだ
僕の目を大空へと引き上げておくれ、探し物をしているんだ

自分の望む気分になろう
自分の望む姿になろう
なぜなら僕は
自分の愛を試しているんだ

僕の手を取って
連れ去っておくれ

この場所から
だってここは僕の居るべき場所じゃないんだ

この場所から、ところで、一体どうやってここに来たんだ?

この場所から
だってここは僕の居るべき場所じゃないんだ

僕の心に語りかけ
連れ去っておくれ

なんとか勇気を振り絞ろうとする
だけど、この場所で凍えるばかり
とても寒いんだ

もはや希望は捨ててしまった

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あの痛みと共にここに連れ戻されたんだ
どうか家に帰しておくれ

だけど、全て心の中にしまっておこう
心の中に
心の中に
心の中に

涙の向こうに飛び立つ君を見た
飛び立つ君を
飛び立つ君を
遥か遠くへと
遥か遠くへと
遥か遠くへと

歲月を経るにつれ
僕は時の中に微笑む自分を見出した

僕は夢に明かりを灯した
だけど君のことは決して忘れない
ずっと君のために生きる
全ての愛を捧げ

君はそんなに遠く離れていない 

【アナセマ×イェンス・ボグレン=引かれ合い】・・・本作は一言でいうと大人しい 、一言でいうとシンプルな作品であると同時に、過去最高にあざとくてエモくてクサくてダサくてラブい...でも最高にカッコイイ作品だ。そもそも、近年のアナセマが高く評価されている一番の理由って、ポストロックなどのモダンなオルタナティヴ・ミュージックを自身の音に昇華しているからだと思うんだけれど、でも本作にはその”モダン”なイメージは極めて薄くて、これはいい意味でも悪い意味でもオッサンが好きそうなクラシック・ミュージック(クラシカルという意味で)とクラシック音楽(古典的という意味で)に大きく歩み寄っているからなのか、それともマイナーキー主体の楽曲によるものなのか・・・いずれにせよ、ここ最近の作風を嫌味なく素直に踏襲しながらも、シンプルでありながらも実験的な新境地を切り拓くことに成功した作品である事には違いない。確かに、作品としては正直”地味”かもしれないが、しかし今回のエモーショナルな歌詞をどのように解釈するかによって、その評価がガラッと変わってきそう。そして、思春期における感情の暴走によって誕生した、ある種の”キッズ・ミュージック”とも言えなくもなかった『Weather Systems』とは違い、この『Distant Satellites』ではクラシックな大人のプログレ感を著しく強めている。それは”至ってシンプル”という概念に取り憑かれたようなリズムや音使いをはじめ、かのイェンス・ボグレンを迎えた5.1chサラウンドやハイレゾ音源(48kHz/24bit)での配信など、それら音質に対するアナセマの考え方(ポリシー)からも明白な事だ。要するに→この【アナセマ×イェンス・ボグレン】という一種の”引かれ合い”も、過去に俺の界隈の裏方として紹介したのが全ての伏線()だった、というわけです。ちなみに、自分はハイレゾ(48kHz/24bit)と5.1chサラウンド両方とも手に入れたんだけど、さすがに5.1chだけあって、特にストリングスの立ち上がりや音が収束していく部分をはじめとした、ボーカルの細かな息遣いからドラムの正確な再現力、上下左右の空間の広がりや奥行き、音の分離感、とにかく作品全体の生々しさと繊細さを併せ持った表現力とスケール感が段違いな気がする、気がする...。残念ながら、5.1chをまともに鳴らせる再生環境を持ち合わせていないので説得力は皆無だが、ともあれ自分にとってはイェンス・ボグレンアナセマの音源をミックスした、その事実だけで十分です。でも、こうやって高音質と謳われた音源で聴くとCDより音が良いってのが、もはやCDの存在意義とは何ぞや?ってくらいによく分かる。そう遠くない未来(いや、既にか)、CDという媒体はアニメ業界における円盤と同じ扱いになっていくのかなと思うと、少し寂しい気持ちになった。まぁ、そんな話は今更でしかなくて、要するに→アナセマの音楽、特にここ最近の作品は”いい音”で聴けば聴くほど、それ相応の恩恵と感動がジカに得られるハズなんで、できる限り”いい音”で楽しんで欲しい。そうすることが、アナセマの音楽に対する最大の敬意になると思うから。しっかし、『13年ぶりにリリースされた国内盤も買う』『ハイレゾ&5.1chも買う』、更には『メイキング映像付きの限定版も買う』・・・「全部」やらなくっちゃあならないってのが「幹部」のつらいところだな。『破産』の覚悟はいいか? オレはできてる。

【Distant Satellites=『ジョジョリオン最終話説】・・・正直、各音楽メディアが挙って10点中8点つけそうな『無難』な感じは否めない。しかし、僕にとっては『無難』という言葉は間違いだった。『ジョジョ』史上初となる駄作への道を歩んでいるなんて巷で囁かれているジョジョ8部『ジョジョリオン』だが...でも僕はこの『Distant Satellites』という名の『2014年宇宙の旅』が描き映す「音のイリュージョン!愛のレボリューション!」を体験し・・・再びーッ!”俺の感性””一巡”したことによって、『ジョジョリオン』最終話を読んで号泣している未来の自分が予測できた。これらは全て”日本一のジョジョヲタ”であり、”日本一のアナセマヲタ”を自称している僕だから辿りつけた唯一無二の解釈、および考察なのかもしれない。当然、東方定助広瀬康穂の運命をどのように導き定めるかは、それは作者の飛呂彦しか知る由もないこと・・・。しかし飛呂彦よ、俺は『ジョジョリオン』最終話をこの耳で...しかと目撃したぞッ!

(このレビューは、国内盤の解説を担当した鮎沢氏と歌詞・対訳の石川氏に捧げる)
 
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