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音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

Post-Black

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Alcest 『Kodama』

Artist Alcest
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Album 『Kodama』
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Traclist

01. Kodama
02. Eclosion
03. Je Suis D'ailleurs
04. Untouched
05. Oiseaux De Proie
06. Onyx

先日、長編アニメーション作品への現役復帰宣言をした宮﨑駿の何が凄いって、国内外のアニメーター/クリエイターへの影響は元より、その「アニメ」という枠組み、垣根を超えて今や多岐の分野にわたって根強く影響を与え続けている所で、最近ではブリット・マーリング主演のNetflixオリジナルドラマ『The OA』の役作りにも『もののけ姫』の影響があったり、そして何そ隠そう、某NPBの加藤◯三氏のご厚意により、「Alcest」の正式名称が「アルセ」あらため「アルセスト」あらため「アルセ」あらため「ンアルセストゥ」に統一された、そのンアルセストゥの首謀者でありフランスの貴公子ンネージュゥも、宮﨑駿の最高傑作である『もののけ姫』をはじめ、80年代や90年代の日本のTVアニメシリーズやビデオゲームなどの日本のサブカルチャーからインスピレーションを受けたと語るほど日本贔屓な人で知られている。それらを含めて宮﨑駿作品の「影響力」というのは、歴代ジブリ作品の売上をブチ抜いた君の名は。新海誠監督にはない言わば「オリジナリティ」であり、そこがパヤオと誠の大きな差であり違いでもあった。

この「アルセ」あらため「アルセスト」あらため「アルセ」あらため「ンアルセストゥ」といえば、今から約10年前にリリースされた1stフルアルバム『Souvenirs d'un autre monde』で衝撃的なデビューを飾り、2010年にはその歴史的名盤と対になる2ndアルバムÉcailles de Luneを発表し、いわゆる【Post-Black/Blackgaze】の先駆者および元祖としてその名を世界中に轟かせる。しかし、その二年後に3rdアルバムの『Les voyages de l'âme』をドロップしたンネージュゥは、ポストブラック・メタルの『可能性』とその『未来』に対して一抹の不安と迷いを感じ始める。転機となったのは、他ならぬ新世代のポストブラック・メタルシーンを担うDEAFHEAVENの台頭で、彼らはピッチフォークをはじめインディ系の音楽メディアから祭り上げられる事となる2ndアルバムのサンベイザーを世に放ち、ンアルセストゥンネージュゥが見失いかけていたポストブラック・メタルの全く新しい形、すなわちポストブラック・メタルの『未来』をシーンに提示し、ンネージュゥが独りでに長年思いを馳せていたピッチフォーク・メディアへの強い『憧憬』『夢』、その想いをンアルセストゥの正統後継者であるデフヘヴンが受け継ぐ展開、それこそまさに世代交代の瞬間じゃあないが、ポストブラック・メタルの元祖および教祖のンネージュゥが叶えられなかった『夢』『ユメ』を次世代のデフヘヴンへと委ねていく、この一連の流れは、いま思い出すだけでも胸が熱くなるような出来事として記憶に残っている。

あの歴史を動かしたサンベイザーに触発されたのか、ンネージュゥの心の奥底(インサイド)に隠された秘密の扉が徐々に外側(アウトサイド)へと開かれていき、もはやポストブラック・メタルの先駆者および元祖としての立場から解放されたンネージュゥは、長年の自らの『夢』を叶えんと、2014年に4thアルバムとなるシェルターを発表する。まず一つめの『夢』は、アイスランドのレジェンドことシガーロスへの強い憧憬で、ビョークやシガロ作品でお馴染みのエンジニアBirgir Jón Birgisson「ヨンシー親衛隊」ことストリングスカルテットのAmiinaを迎えて、アイスランドのSundlaugin Studioで録音、そしてマスタリングには世界的な売れっ子エンジニアテッド・ジェンセンが所属するSterling Soundにて行われ、まるでフランスの片田舎出身の陰キャの陽キャの都会人に対するコンプレックスが暴発したかのような、これ以上ない万全の録音体制で挑まれている。そして2つめの『夢』は、他ならぬシューゲイザー界のレジェンドSlowdiveへの憧憬で、デフヘヴン『サンベイザー』に「ポストブラック界のレジェンド」として迎え入れられたンネージュゥは、今度は自身の作品に「シューゲイザー界のレジェンド」としてSlowdiveニール・ハルステッドを迎えてみせた。だけあって、その音世界もアイスランドの大自然と純白の雪景色を太陽のように眩い光が照らし出すかの如し、それこそ2013年にツアーを共にしたUKのANATHEMAが組織する黄金界隈」の仲間入りを果たすべく、その言うなれば黄金期のジャンプ漫画」ばりに前向きな「勇気」と「希望」に溢れた神々しい世界観を繰り広げ、まさに「日本人向け」と釘打てるほどの音楽だった。 

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このドラゴンボール顔負けの「元気玉」のような「太陽」すなわち「サン」が次作への伏線だったのかなんて知る由もないが、前作のシェルターから約二年ぶりとなる5thアルバム『Kodama』は、日本人イラストレーターの山本タカト氏の作品にインスパイヤされた、日本のエログロ大好きなフランスの二人組グラフィックデザイナーFørtifemが手がけた、『もののけ姫』のヒロインサンをモデルにしたアートワーク、そして「Spirit of the Tree」を意味する「コダマ(木霊)」を冠したそのタイトルが示すとおり、二度(三度目)の来日公演と圓能寺でのスペシャルなアコースティックライブを経験し、科学的技術が発達した日本社会ならびにクレイジーなオタク文化を目にして「日本人は時代の先を行ってるよ」と海外の反応シリーズばりに衝撃を受け、しかし文明が発達した現代社会の中にも日本人の「伝統」や「自然」、そして日本人の「美徳(おもてなしの心)」と「精神性」が共存している、それこそ『もののけ姫』の主題の一つである「神秘主義と合理主義の対立」すなわち「テクノロジーが発達した現代社会」と「そこに住む原始的かつ土着的な人々」と対比(コントラスト)に感銘を受けたと語る、そんなンネージュゥの創作イマジネーションが爆発した、過去最高にスピリチュアルな「ギミック」とコンセプティブな「ワード」が込められた、言い換えればこれはもう「キングオブ・ビッグ・イン・ジャパン」アルバムだ。

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『Kodama』の音楽的な方向性とサウンドプロダクションならびにアイデンティを象徴するキートラックとなる表題曲の”Kodama”は、まず何が驚いたって、兄弟分のLes Discretsを彷彿とさせる慟哭不可避なイントロに次いで、ボーカルの裏でなるバッキングのガリガリしたダーティなギターリフを耳にした時に、UKの女性デュオ2:54”Revolving”が脳裏に過ぎり、そこから更に遡ってThe Cureをはじめとした80年代のポストパンク/ニューウェーブ、そして90年代のオルタナ/グランジからの影響を伺わせるサウンド・アプローチを聞いて僕は→「なるどほ・・・そう来たか!」と、「アイスランドから離れて今度はUKに来ちゃったか!」と呟いた。その90年代のオルタナ然とした渇いたギターと過去最高に強靭なリズムを刻むドラム、そして北風小僧の寒太郎ばりに素朴な『和』を表現した、それこそ『もののけ姫』の豊かな森林に住む精霊コダマの合唱が大森林に反響するかのような神秘的なメロディや、まるで「シシ神様」の如しKathrine Shepardの聖なるコーラスをフィーチャーしながら、それらの80年代~90年代の音楽をルーツとする幅広い音楽的素養と「ええいああ 君からもらい泣き」と俄然民謡的なメロディを奏でるンネージュゥの歌とお馴染みのシューゲイズ要素をダイナミックかつプログレスに交錯させていく、それこそ『もののけ姫』のサントラとして聴けちゃう崇高かつ壮大な世界観と極上のサウンドスケープを展開していく。これまでのどのアルバムとも違う全く新しいンアルセストゥ、それこそシン・ンアルセストゥの幕開けを宣言するかのような一曲であり、この曲のアウトロまで徹底して「オルタナ」の意識を貫き通しているのは、今作のサウンド面のキーワードが「オルタナティブ」であることを暗に示唆しているからだ。

いわゆる「静と動」のコントラストを活かした、要するに往年のンアルセストゥ-スタイルへと回帰した”Kodama”に次ぐ2曲目の”Eclosion”は、「UKの相対性理論」ことEsben and the Witchを彷彿とさせる幻想的なメロディをフィーチャーしながら、徐々にギアチェンしていきブラストで粗暴に疾走するエモーショナルな展開を見せてからの、そしてもう何年も聴くことがなかったンネージュゥ「世界一エモーショナルな金切り声」が聞こえてきて、僕は泣きながら・・・

「ン゛ア゛ル゛セ゛ス゛ト゛ゥ゛ウ゛ウ゛ッ゛ッ゛!!」 

ン゛
イ゛ズッ゛ッ゛ッ゛」 

「ヴァ゛ア゛ア゛ア゛ッ゛ッ゛ッ゛ク゛ク゛ッ
!!」 

・・・と、ンネージュゥに負けじと絶叫した。

そんなンネージュゥ自身も「トラディショナル・ソング」と語る3曲目の”Je Suis D'ailleurs”は、1stアルバム『Souvenirs d'un autre monde』や2ndアルバム『Écailles de Lune』を連想させる刹那的に歪んだリフとンネージュゥのスクリームでシンプルに展開し、特に終盤の目玉となる間奏のラブリーなメロディは、ンネージュゥの「メロディスト」としての才能が垣間見れる。「短めの曲尺的にもポップな雰囲気的にも前作のイメージがまだ残っている曲」とンネージュゥは語る4曲目の”Untouched”、実質的に最後の曲となる5曲目の”Oiseaux de Proie”は、再び90年代のオルタナを彷彿とさせるリフと1stアルバム的なシューゲ・サウンド、より神秘主義的で民族的なアプローチを効かせた曲で、そしてここでもドラムのブラストとンネージュゥのスクリームで「痛み」を撒き散らしながら、俄然ブラック・メタル然とした粗暴な展開を見せる。色んな意味で表題曲の”Kodama”と対になる曲と言える。その流れのまま、物語のエンディングを迎える6曲目の”Onyx”へと繋がる。

作品を重ねる毎に初期のブラック・メタル的な要素が徐々に削がれていき、遂には前作の『シェルター』では正式に「ポストブラックやめる宣言」がアナウンスされた。と思いきや、この『Kodama』で初期のポストブラックメタルへの原点回帰、つまり「ンアルセストゥ is Back」を高らかに宣言する。確かに、いわゆる「二次元」的なアニメっぽい世界観から、いわゆる「静と動」のコントラストを効かせたメリハリのある往年のスタイル、Blackgaze然としたノイジーでダークなギターリフとンネージュゥの金切り声、長尺主体の全6曲(実質5曲)トータル約40分弱など、そういったギミック面の部分では、イメージ的に一番近いのは2ndアルバムの『Écailles de Lune』と言えるかもしれない。確かに、その表面的なガワだけを見れば往年のAlcestに回帰したような印象を受けるが、しかし中身の部分その細部では著しい「変化」が巻き起こっていた。

彼らは、より「スペシャル」で「エクスペリメンタル」なアルバムを生み出すために、これまでのAlcestにはない実験的なアプローチをもって今作に挑んでいる。まずギタボのンネージュゥは、これまでの作品ではギター主導で作曲していたが、今回はこれまでとは全く違うやり方で、ボーカルのリズミカルな面を押し出した歌主導で曲作りすることを決めた。それに対して、ドラマーのWinterhalterは、一種の民族的なあるいはポストパンク的なドラムパターンを多く取り入れたと語る。その言葉どおり、これまでの作品と比べて最も大きな「変化」を感じるのは、他ならぬWinterhalterのドラムパートと言っても過言じゃあなくて、とにかくドラムの音がオーガニックな響き方で、シューゲイザーやら何やらの音楽ジャンルの固定概念に囚われない、一人のドラマーとしてそのポテンシャルを遺憾なく発揮し、一つの「ロックバンド」としてのグルーヴ感が『Kodama』のサウンド、その生命の樹を司る根幹部として絶対的な存在感を示している。特に、#2”Eclosion”や#3”Je Suis D'ailleurs”は、完全に彼の跳躍感溢れるグルーヴィなドラミングありきの曲と言っていいくらい。正直、こんなにロックなドラムドラムした彼は今まで見たことがなかったから単に新鮮だし、Alcestって「ンネージュゥのバンド」だけじゃなくて「Winterhalterのバンド」でもあるんだなって、今更そんな当たり前のことを気付かされた。

ギターについては、より多くのリフを演奏する「Alcestらしさ」と「静と動」のコントラストを意識的に取り入れ、そして更なるギターの可能性を模索した。今作でンネージュゥが使用したギターは、『Kodama』のインフルエンサーとして名が挙げられたマイブラをはじめ、Dinosaur Jr.Sonic Youthなどの90年代のオルタナ系バンドのギタリストが愛用しているフェンダー・ジャズマスターのシングル・コイルで、そのクリーンなギターサウンドとノイジーな極上の歪み得る代わりに時々トリッキーな過剰反応を見せる、そんな可愛らしいジャズマスの特性を最大限に活かすことで、ギタープレイの幅を無限に広げることに成功し、今作では「シューゲイザー・ギタリスト」としてのンネージュゥは元より、「オルタナティブ・ギタリスト」としてのンネージュゥの才能が開花している。その80年代のポストパンク/ニューウェーブ愛や90年代のオルタナ愛に溢れた、ンネージュゥのギタリストとしてのパフォーマンス力は、この『Kodama』のサウンドを著しく高める大きな要因として存在している。彼は、今作におけるギターのプロダクション/音作りまで徹底した「オルタナ」の再現を果たすと同時に、持ち前の「メロディスト」としての側面や作品の世界観およびコンセプトの面まで、そしてプレイヤーとしてのパフォーマンス面にも細部にまで「こだわり」が行き渡った職人気質に脱帽する。

ンネージュゥ
のボーカルについては、往年の金切り声から森のせせらぎのような環境ボイス、そして山霧のように曇りがかったATMS系ボイスまで、前作のように自分を制御することなく、一人の「ボーカリスト」としての可能性を見極めている。ンネージュゥは、ボーカリストとしてもギタリストとしても自らのリミッターを解除して、自らが持つポテンシャルを超える勢いで覚醒している。正直、リズム&グルーヴ重視のAlcestがここまでカッコよくハマるなんて素直に驚いたし、それくらい今作は二人のプレイヤーに視点をフォーカスした、過去最高にAlcestの生々しいオーガニックな「バンド・サウンド」が著しく表面化したアルバムと言える。

この『Kodama』は、映画『もののけ姫』のヒロインサンという『人間』として生まれながらも、犬神である『モロの君』に娘として育てられ、そして自然豊かな森林が我が家である、そんなある種の「自然界と人間界の間の子」的なサンのルーツを探る音旅でもあるかのような、それすなわちAlcestというバンド自らの音楽的ルーツを巡る音旅でもあったのだ。サンのように自然や大地、野生動物と共存し、ありのままの姿で、つまり文明の利器=テクノロジーが発達した現代社会にはない原始的かつ土着的な、より人間的な尊厳と郷土愛、自然愛、オルタナ愛、伝統愛、日本愛、様々な『愛』すなわち『LOVE』に溢れた作品で、その『もののけ姫』の最大のテーマである「人間と自然」の関わりと「神秘主義と合理主義の対立」 、そして今現在なお絶えることのない、ウイルスのように増殖し続ける「人と人の争い」、から起こる「人間の憎悪の増幅作用」による「憎しみの連鎖」と「報復の連鎖」、つまり今作の「静と動」の対比(コントラスト)は、Alcestらしさへの回帰を意味するだけのものではなく、『もののけ姫』のテーマである自然界の安らぎと人間界の醜い争いの対比など、その他様々な対立構造を表現しているようにしか思えなかった。このアルバムには、そんなヒトと動物と自然が争うことのない優しい世界への強い憧憬が込められている。

昨年公開された新海誠監督の『君の名は。』「今だからこそ売れた作品」だが、だからといって必ずしも「今観なきゃいけない映画」というわけではなかった。しかし、今から約20年前に公開された宮﨑駿『もののけ姫』「今だからこそ観なきゃいけない映画」だって、そう気付かされたような作品だった。最近は、外国人から日本の良さを聞くみたいな、その手のTV番組が増えているとよく耳にするが、この『Kodama』は、まさしく『YOUは何しに日本へ?』の取材クルーから真っ先にインタビューされるレベルの、それこそ「外国から見た日本」を知ることが出来る、それこそ教育勅語に記すべき、国歌よりも子供の頃から聴かせるべき、超絶怒涛の日本愛に溢れた極上のビッグ・イン・ジャパン作品だ。 

話を戻すと、その国独自の文化やサブカルチャーというのは一方的にゴリ押したり、ましてや自分からドヤ顔で「クールジャパン!」などと言っていいものでは決してなくて、それこそンネージュゥのように子供の頃から日本のTVアニメを見て、生活の一部として根付いている環境や大人になって実際に来日して感じた実体験から、その国の人や文化に実際に触れてみて、その邂逅と結果が今回の『Kodama』に純粋な形となって音として具現化することが真の「影響力」と言えるのではないか。僕自身このアルバムを通して、昨今国が推し進めている「クールジャパン」のゴリ押しに対する懐疑心が確信へと変わり、そしてその日本人自身の日本文化に対する勘違いに気付かされた一人だ。
 
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Deafheaven 『新しいバミューダ海峡』

Artist Deafheaven
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Album 『New Bermuda』
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Tracklist

01. Brought To The Water
02. Luna
03. Baby Blue
04. Come Back
05. Gifts For The Earth

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BUKKAKE ・・・おいら、あのサンベイザーが発表された時に一つだけやり残したことがあって、それというのも、「日本のAVのジャンルで世界的に有名なBUKKAKE、そのコンピレーション(総集編)のBGMに”ドリーム・ハウス”を編集して某XV◯DEOSにアップする」という謎の背徳行為で、というのも、あの『サンベイザー』というのは、AVで【BUKKAKEられる側】のAV女優の激情的な感情と【BUKKAKEる側】の汁男優の「イカなきゃ」という一種の使命感と刹那的な焦燥感が複雑に混ざり合い、白濁色の音の粒がラブシャワーとなって聴き手を白濁汁の渦に引きずり込むような、それこそ男なら一度は妄想し羨んだであろうBUKKAKE願望、その『男の夢』を擬似的に叶えてくれる歴史的名盤であり、男が射精に至るまでのメカニズムを音楽の世界で解き明かした、言うなれば一種の"セックス・ミュージック"でもあった。その『サンベイザー』がPitchforkをはじめ大手音楽メディアから高く評価された彼らDeafheavenは、俺たち"ファッションホモ"のアイドル(アイコン)として崇められ、その勢いで遂にはiPhoneの広告塔にまで成り上がることに成功した。しかし、その一方で全方位から「Pitchforkに魂を売ったホモバンド」と蔑まれるようになってしまった。

『新しいバミューダ海峡』 ・・・しかし、その傑作『サンベイザー』の翌年にリリースしたシングルの”From the Kettle Onto the Coil”で、彼らは面白い変化を遂げていた。基本的には『サンベイザー』路線を踏襲しながらも、キザミリフをはじめとしたポストメタリックな要素を垣間見せつつあって、その微量な"変化"は伏線として今作の『New Bermuda』に大きく反映されている。シングルのアートワークと油彩画タッチで描かれた新作のアートワークがそれを示唆していると言っても過言じゃなくて、まるで【BUKKAKEられる側】のAV女優の恍惚な表情の裏に潜むドス黒い漆黒の闇、あるいはAV男優吉村卓に顔面を舐め回された後に行方をくらましたレジェンドAV女優桃谷エリカの心の闇を暴き出すッ!そんな彼女が飛んだ『謎』を解き明かしたのが、この『新しいバミューダ海峡』だ・・・ッ!

繋ぎの意識 ・・・彼らD F H V Nが今作で遂げた進化は、一曲目の”Brought To The Water”から顕著だ。荒廃した教会の鐘が神妙に鳴り響く、まるでDIR EN GREY”Un deux”をフラッシュバックさせるエキセントリックな幕開けから、まるでBUKKAKEられるAV女優の白濁色に染まった顔の裏に潜む闇、あるいはバミューダ海峡に引きずり込まれる瞬間の焦燥感と絶望感が込められた、ドロドロにまとわり付くドゥーミーなヘヴィネスとともに、シングルと同じBPMでブラストを刻み始め、スラッシュ・メタル然としたソリッドなリフをはじめMogwai直系の美メロ、サンバイザー日和の燦々とした陽射し照りつける西海岸の風を運んでくるGソロ、後半からはポスト・ハードコア然としたキッズライクなリフを主体に、あの恍惚感に満ち溢れた『サンベイザー』とは一線を画したドス黒い世界観を繰り広げていく。もはや粒状(シューゲイザー)と言うより固形状(メタリック)のリフ回し、もはやポスト・メタルというよりスラッシュ・メタル特有のキザミをメインリフに曲を構築している事実にまず驚かされる。とにかく、中盤のブルージーなGソロからMogwai譲りの美メロパートへと移行する"繋ぎ"のセンスが俄然増してるし、『サンベイザー』では一つの曲として独立していた”Irresistible”を彷彿とさせるアウトロのピアノも、今作では一曲の中に組み込まれている。この曲で明らかなのは、基本的なスタイルは『サンベイザー』以降の流れにありながも、一方で『サンベイザー』とは一線を画した暗黒的で対極的な要素を内包している、ということ。

「イカなきゃ(使命感)」 ・・・そんな汁男優のはやるキモチを表したかのような、Mastodonブラン・デイラー顔負けのドラミングとメタリカばりのキザミリフで始まる二曲目の”Luna”は、まるで子供が「オモチャ カッテ...カッテクレナキャ...イヤア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」と聖夜の夜に泣き叫ぶような、フロントマンジョージ・クラークによる『サンベイザー』譲りの通称ダダコネボイスを乗せて、随所にポスト・ハードコア的な要素を散りばめながらブラストで突っ走り、一旦フィニッシュしたと思ったら中盤から再びグラインドコア顔負けの破天荒な怒音を合図に、ドス黒い暗黒物質を周囲にBUKKAKEながら高速ピストン、終盤は徐々にBPMを落としてバンド・アンサンブルを活かしたポストメタリックな轟音を響かせる、という怒涛の展開を見せる。一曲目と同様に、この曲のポイントに"キザミ"ともう一つ”繋ぎ”の要素があって、この曲ではBPMの落差を最小限に抑えつつ、あくまでも段階的に激情パートから美メロパートへと"繋ぐ"意識、在りし日のマシンガン打線ばりに"繋ぐ"意識の高さを垣間見せる。例えるなら→あの『サンベイザー』が【急転直下型BPM】だとするなら、今作は【可変型BPM】というか、それこそのコントラストを効かせた油絵テイストのアートワークのような、もしくはアヘ顔デフヘヴン状態(動)からの賢者タイム(性)みたいな、とにかく【静()↔動(黒)】"繋ぎ"が自然体になったことで、より曲の世界観に入り込みやすくなった。

黄金のキザミ』 ・・・序盤の二曲とは一転して、ミニマルに揺らめくポストロッキンな美メロで始まる三曲目の”Baby Blue”は、持ち前のブラストは封印してBlackgaze然とした轟音とクライマックスへの伏線を忍ばせたエモーショナルなGソロで中盤を繋ぎ、そして今作のハイライトと言っても過言じゃあない、キザミ界の皇帝Toolが提唱する黄金比』で形成された黄金のキザミ』を継承するかのような、ある一定のBPMを保って刻まれる低速キザミリフをタメにタメてから、そしてBUKKAKEられたAV女優の恍惚な表情の裏に潜むドス黒い漆黒の狂気、あるいは吉村卓に顔面ベロチューされまくった桃谷エリカの心の叫びを代弁するかのようなジョージのスクリームと魑魅魍魎の如し悲痛に歪んだギターが今世紀最大のエモーションとなって聴き手に襲いかかり、その今にも胸が張り裂けそうな"存在の耐えられないエモさ"に、僕は「あゝ激情...あゝ激情...」という言葉とともに溢れだす涙を堪えることができなかった。これが、これがバミューダ海峡を超える人類最大の『謎』ッ!これが桃谷エリカが飛んだ真相ッ!これが桃谷エリカの漆黒の闇だッ!

 この”Baby Blue”には更に面白い伏線が仕込んであって、それというのは、終盤まで黄金のキザミ』のままフェードアウトさせてからCAのアナウンスを使ったSEがフェードインしてくるアウトロで、それこそ1stアルバムユダ王国への道の名曲”Violet”のイントロをはじめ、ex-Deafheavenニック・バセット君率いるWhirr桃尻女とシューゲイザーを連想させ、それはまるで高速道路から眺める街のネオンがホログラム状に映し出されるような、それこそトム・ハーディ主演の映画『オン・ザ・ハイウェイ』の世界観とリンクさせる、初期デッへ界隈のシューゲイザー然としたモノクロームでフェミニンなアンビエント空間を形成し、その懐かしい匂いを漂わせながら「あの頃のデフヘヴンが帰ってくる」をウリ文句に、ドラマの次回予告風に言うと→Episode#5「D F H V N is Come Back...」

「Come Back ・・・文字通りカムバック。あの『サンベイザー』のようなメジャー感は微塵も感じさせない、まさしくアンダーグランドな混沌と蠢く雰囲気をまとった、「グワアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」っと地獄の底から血肉が湧き上がるようなBlackgaze然としたサウンドと初期を彷彿とさせるジョージの極悪ボイス、この時点で在りし日のD F H V Nにカムバックした事を各界隈に知らしめる。と同時に、この曲にも今作のキーワードの一つである”キザミ”が取り入れられていて、ここまで【メタリカ→マストドン→トゥール】という黄金リレーでバトンを繋いできたが、この流れで最後のアンカーに任されたのがエクストリーム・メタル界の帝王ゴジラだ。そのゴジラばりのデッヘボン史上最も”ヘヴィ”なキザミを最大の見せ場にしつつ、後半からは一転して初期デフヘヴンを彷彿とさせるアコースティックな音使いをもって、まるで真夜中の淫夢を彷徨うかの如しドリーミーな音世界を繰り広げ、その淫夢から朝目覚めてふと鏡を見たら吉村卓の姿になっていた。他にカムバックした所では、全5曲トータル約46分という潔さも1stアルバムをフラッシュバックさせる。しかし「安心してください、どの曲も10分近くある長尺ですよ」とばかり、無駄な贅肉を削ぎ落とした隙のない展開や構成は過去最高にシンプルながらも、音のスケール感を損なわないダイナミクスと音の説得力に溢れている。

「ファッ◯ンピッチ!」 ・・・その昔、デフヘヴンの中心人物であるケリージョージには親友がいた。その友の名はニック・バセット。元デフヘヴンでもある彼は、WhirrNothingを率いてデフヘヴン包囲網を指揮する先駆者だ。親友だった三人の友情に大きな亀裂が生じる事となったのが、他でもないあの『サンベイザー』だ。ニックはアンダーグランド・シーンで地道に音楽を楽しみたかった。しかしケリーとジョージにはメインストリーム・シーンに自分たちの音楽を認めさせる大きな野望があった。念願叶って、2ndアルバムの『サンベイザー』は大手音楽メディアPitchforkから高い評価を得ることに成功した。【Deafheaven>>>Whirr,Nothing】という現実を突きつけられたニックは「ファッ◯ンピッチ!」と罵った。こうなると三人の関係はもう修復不可能だ。『野望』を叶えた一方で、全方位から「Pitchforkに魂を売ったホモバンド」と蔑まれたデッヘボンは、ただ独り孤独を叫んでいた。そのデブヘブンがカムバックしたのだ。カムバックした彼らが”原点”に立ち返って導き出した答え、それが五曲目の”Gifts For The Earth”だ。この曲では、まだ三人の友情に亀裂が生じる前、ジョージとケリー、そしてニックが夢見た「もう一つの未来」を描き出すような、「もしニックがダボヘブンを脱退していなかったら」という"もしも"すなわちifの世界を実現させている。現在のWhirrNothingを連想させるオルタナティブの感性と初期デッヘのサウンドがクロスオーバーしたような、それこそジョージとケリーが旧友ニックに贈る、紛れもなく"カムバック"した今のデフヘヴンの姿だった。あの『サンベイザー』で、第一次ポストブラックブームの仕掛け人であるAlcestのネージュを引き連れて、「安心してください、ブチ上げますよ」とばかりPost-Black/Blackgazeとかいう"アンダーグラウンド"なジャンルを"メインストリーム"に引き上げるという『野望』、その使命を果たした彼らは、今度はこの『新しいバミューダ海峡』の中で仲違いした旧友ニックの想いを表舞台に引き上げている。最高にエモい、エモすぎる・・・。まるで深い絆で結ばれた三人が長い年月を経て運命の再開を果たしたみたいな...それこそ『栄光と挫折』の物語みたいな...なんだこの漫画みたいな展開...こんなん映画化決定ですやん。なんつーか、まるでメタル界の『デビルマン』、あるいはメタル界のダークヒーローってくらいかっこ良すぎる。・・・で、まるで聖夜を彩るピアノやタンブリンやマラカスを交えた、Alcest顔負けのアコースティックなエンディングでは、遊牧民と化した吉村卓と桃谷エリカが、ニックとネージュが、ケリーとジョージが手を取り合って、一面に広がるお花畑の中で恍惚な表情を浮かべながら仲睦まじくピクニックを楽しむ様子が描かれる。まるで気分は「生きてるって素晴らしい」。

【ピッチ度高>>>>>>>>>>>>>ピッチ度低
【メタリカ>>>マストドン>>>トゥール>>>ゴジラ

媚び ・・・あの『サンベイザー』が、子供の頃にあらゆる煩悩を経て初めて精通に至った時の"ファースト・インパクト"だとするなら、この『新しいバミューダ海峡』は大人になって初めて童貞を卒業した時の"セカンド・インパクト"と言える。あらためて、今作のポイントには”繋ぎ””キザミ”の2つの要素があって、まず前者の"繋ぎ"は静(白)から動(黒)へのコントラスト(対比)と【可変型BPM】による緩急の操り方が格段に向上したことで、より音のギャップやメリハリが鮮明となり、ドラマティックな展開力が体感的に増したように感じる。それと同時に、曲構成が過去最高に様式的というか、メタル耳にも馴染みやすいザックリとしたメリハリのある展開美とでも言うのか、しかしそれによって必然的にシューゲっぽさやオシャンティな感覚は薄れている。一方で後者の"キザミ"は、アンダーグラウンド・シーンで名を馳せたLudicraなどのブラック・メタルをはじめ、スラッシュ・メタル界のレジェンドメタリカ、新世代メタル界の雄マストドン、キザミ界の皇帝トゥール、そしてポスト・スラッシュ界の破壊神ゴジラ、それらのキザミ界の頂点に君臨するモンスターバンドに決して引けを取らない圧倒的なキザミ意識、それすなわちスラッシュ・メタルへの意識、全編に渡って繰り広げられる"キザミ"に対する意識、"キザミ"に対する『愛』が込められている。俄然面白いと思ったのは、一言でキザミと言っても同じキザミは一つもないところで、#1ではオールド・スクール・スラッシュ・メタル流のソリッドな"キザミ"、#2ではポスト・スラッシュ流の"キザミ"、#3では黄金比』で形成された黄金のキザミ』、#4ではエクストリーム・スラッシュ流の"キザミ"まで、その"キザミ"のバリエーションの豊富さは元より、とにかく一つ一つの"キザミ"に感動させられる。この"キザミ"に関する要素から重大な情報を得ることができる。デフヘヴンというバンドは決して普通のいわゆる"メタルバンド"ではない。しかし、今作の"キザミ""メタル"と称する他に例えようがなくて、このアルバム自体過去最高にヘヴィでメタラーにも十分アピールできる要素を持っている。しかし、いわゆる"メタル"に歩み寄るにしてもピッチフォーク贔屓のメタルとでも言うのか、つまりピッチフォークの機嫌を損なわない程度のメタルとはナニか?を、オタクならではの審美眼で見極めている。その答えはピッチ度が最も低いバンドでもメタリカフォロワーのゴジラって時点で察し。その"キザミ"主導の中、時おり顔を覗かせるポップなポスト・ハードコアリフが今作を華やかに彩る絶妙な調味料となっているのも事実。つまり、ピッチフォークへの"媚び"とメタラーへの"媚び"、そしてコアキッズへの"媚び"を絶妙なバランスで均衡させており、あの『サンベイザー』で一気にキッズ・ミュージックに振り切って、つまりメタラーを切ってキッズやピッチ厨を引き寄せてから、このタイミングで一気にメタル路線に手のひら返しする彼らの勇気と度胸、音楽的な柔軟性と器用さは、まるで「大事なのはソングライティング」だけじゃあないとばかり、現代の音楽シーンで生き残るために必要な知恵と地頭の良さ、そして彼らの"したたかさ"を証明している。まるであの『サンベイザー』の次にどこへ行けばいいのか?その落とし所を熟知していたかのよう。いわゆる「分かる人だけに分かればいい」の方向性へと進んだLiturgyとは裏腹に、この『新しいバミューダ海峡』で全方位にあからさまな"媚び"を振りまいたデッヘ、僕は考える間もなくデッへを支持する。あの『サンベイザー』で全方位からディスられて日和った結果、とは僕は微塵も思わない。むしろ「ディスれるもんならディスってみろや」感っつーか、あの『サンベイザー』を批判したピッチ以外の全方位のシーンに真っ向から喧嘩売ってます。

『桃谷エリカと吉村卓』 ・・・楽曲の曲順からして、”From the Kettle Onto the Coil”『サンベイザー』『Roads to Judah』『桃尻女とシューゲイザー』へと、現在から過去へと徐々にカムバックしながら、最後は旧友ニックの想いまで全てを引っ括めた全デフヘヴンのダークヒーロー物語だ。言わばメインストリームからアンダーグラウンドへの橋渡し的な、アンダーグラウンドからメインストリームへ自由に行き来できるくらい、今の彼らはバンドとして成熟した余裕が音から感じ取れる。ブラストを使ったBPMゴリ押しだけに頼らない、グルーヴ感のあるバンド・サウンドも今作の大きなポイントだ。もはや今のデフヘヴンはケリージョージのツーマンバンドではなく、ダニエルシヴ、そしてステファンを含めた五人組のD F H V N、そのバンドとしてのポテンシャルが開花した結果が本作だ。一言で「いいとこ取り」と言ったら矮小化して聞こえるかもしれないが、でもそれ以外他にシックリくる表現が見当たらないからこれはもうしょうがない。初期のアングラ性と『サンベイザー』で確立したメジャー感溢れるメロディセンスとファッショナブルに垢抜けた展開力、アキバ系ギタリストケリー・マッコイのソングライターとしての才能は元より、『本物のオタク』すなわちクリエイターとしてのバランス感覚、そしてバンドのプロデュース能力に感服すること請け合いだ。あらためて、どこまでも型破りなバンドだと思い知らされた次第で、前作であれだけハードルをブチ上げたにも関わらず、こんなディスる隙間のないアルバム聴かされちゃあもう何も言えねぇ。確かに、衝撃度という点では過去作に分があるかもしれないが、バンドの生い立ちから現在までの歴史と濃厚な人間ドラマに溢れた、「もうイケませェん!」と咽び泣きながら上からも下からも涙ちょちょぎれ不可避な名盤だ。これを聴き終えたあと、何故か僕は吉村卓に「ありがとう...桃谷エリカの笑顔をトリ(レ)モロしてくれてありがとう...」と心から感謝していた。これはもはや『桃尻女とシューゲイザー』ならぬ『桃谷エリカと吉村卓』の物語なのかもしれない。そんなわけで、最後はとっておきの謎かけでお別れ→

「AV女優とかけまして、バミューダ海峡と解きます
その心は、どちらも闇が深いです

お後がよろしいようでw
 
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Deafheaven
Imports (2015-10-09)
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Swallow the Sun 『Songs From The North I, II & III』

Artist Swallow the Sun
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Album 『Songs From The North I, II & III』
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Disc I [Songs From The North I]
Cover

Tracklist 
01. With You Came The Whole Of The World's Tears
02. 10 Silver Bullets
04. Heartstrings Shattering
05. Silhouettes
06. The Memory Of Light
07. Lost & Catatonic
08. From Happiness To Dust

Disc II [Songs From The North II]
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Tracklist
01. The Womb Of Winter
02. The Heart Of A Cold White Land
03. Away
04. Pray For The Winds To Come
05. Songs From The North
06. 66°50´N,28°40´E
07. Autumn Fire
08. Before The Summer Dies

Disc III [Songs From The North III]
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Tracklist
01. The Gathering Of Black Moths
02. 7 Hours Late
03. Empires Of Loneliness
04. Abandoned By The Light
05. The Clouds Prepare For Battle

イェンス・ブーム ・・・スウェーデンのDraconianと並んでメロドゥーム界を牽引するフィンランドのSwallow the Sunも、00年代後半のメタルシーンに突如として巻き起こった【イェンス・ブーム】、そのビッグウェーブに乗ってイェンス・ボグレン【No 実質 Jens!! プロデューサー】に起用した2009年作の4thアルバムNew Moonで、いわゆるメタル界の迷信を説き明かす事に成功したバンドの一つだ。しかし、間もなくイェンスから離れ、再び地元フィンランド人中心の人選でレコーディングされた次作の5thアルバムEmerald Forest And The Blackbirdでは、従来のOpethリスペクトやシンフォブラックなどの他に、アコースティック/フォーク・ミュージックの要素を大胆に取り入れ始めていた。しかし、如何せんイェンス・マジックによって生まれた傑作『New Moon』と比べると、元Nightwishアネット・オルゾンとのフィーチャリング以外これと言って特に見所はなかった気がする。そんな彼らの約三年ぶりとなる6thアルバム『Songs From The North I, II & III』は、何を血迷ったのかCD三枚組トータル約二時間半、軽く映画越えしちゃう超特大ボリュームとなっている。



『Ⅰ』 ・・・まずは一枚目の『Songs From The North I』。幕開けを飾る#1”With You Came The Whole Of The World's Tears”は、まるでX JAPAN”Voiceless Screaming”を彷彿とさせる、寂寥感を煽る80年代のフォーク・ソング顔負けのしみったれたアルペジオから始まり、前作を踏襲したまるでオーロラの如くエメラルドグリーンに、いや瞳のように透き通ったエメラルドブルーに煌めくキーボード、デプレブラック流れのノイズ感というかモダンだが粗暴な轟音ヘヴィネスからはポストブラックとも取れるアプローチを垣間見せ、鬱屈かつ荒涼とした空間が支配する一種のドゥームゲイズが、フィンランドという名の極寒の地に蠢くカオティックな狂気を浮き彫りにする。一枚目のリード・トラックとなる#3”Rooms And Shadows”では、フロントマンであり"ニット帽おにいさん"ことミッコの寂寥感溢れるボーカル・メロディからは、フォーク・ミュージックや北欧民謡の名残を漂わせるし、アウトロのGソロではX JAPAN”THE LAST SONG”に匹敵する泣きメロっぷりを発揮。ex-KATATONIAのノーマン兄弟が加入した事でも知られる、バンドの中心人物であるギタリストJuha RaivioのサイドプロジェクトTrees of Eternityでお馴染みのAleahとフューチャリングした#4”Heartstrings Shattering”、ドイツ出身のSarah Elisabeth Wohlfahrtとフィーチャリングした#6”The Memory Of Light”と#7”Lost & Catatonic”などの女性ボーカルをフューチャーした楽曲は、氷上の女神を司った今作のフェミニンなアートワークを象徴するかのよう。そして、ケルティックな音色とストリングスが優美に氷上を舞い踊るイントロから、雪の結晶の如し繊細なメロディに魅了される”From Happiness To Dust”で、美しくも清らかなエンディングを迎える。

懐メロ ・・・この一枚目は、前作を踏襲したフォーキーなアプローチ、俄然アンビエントな音響空間を意識したより幅広いアレンジが施されたキーボード、LantlôsAlcestをはじめとしたフレンチ産ポスト・ブラック勢からの強い影響下にある轟音ヘヴィネス、そして昭和歌謡を経由したX JAPANばりの歪んだ泣きメロを全面にフューチャーした叙情性と極寒の地の厳しさや孤独感を露わにする暴虐性、その静と動のコントラストを強調した、要するにこれまでのSWSらしいゴシック・ドゥームの王道的な作風となっている。その持ち味とも呼べる静から動への転換がプログレ並にスムーズで、安直に「いつものSWS」とか言いながらも、音の細部には確かな進化を伺わせる。これはフィンランド映画の巨匠アキ・カウリスマキの映画に使われている音楽を聴いて思ったんだが、フィンランド人の音楽的嗜好って日本を含む東アジアの歌謡曲が持つ民謡的で情緒的なメロディに近い、極めて親和性が高いというか、少なくともこの『Ⅰ』の音には、このSWSもそのフィンランド人特有の"懐メロスキー"の継承者である事を証明する、と同時にスオミ人の知性と(気候とは裏腹に)心温かい情念が込められている。

『Ⅱ』 ・・・今時、メタルバンドがアコースティック路線に傾倒する例は決して珍しくない。この手のバンドで代表されるところでは、スウェーデンのKATATONIAやリヴァプールのANATHEMAがそうだ。その時代の流れに取り残されんとばかり、この『Ⅱ』の中でSWSはアコギやピアノ主体のフォーク・ミュージックを展開している。川のせせらぎと共に、真夜中の浜辺でただ独り佇むような悲しみの旋律を奏でるダークなピアノインストの#1”The Womb Of Winter”で幕を開け、アルペジオを駆使した優美でフォーキーなサウンドがフィンランドの雪景色のように純白の心を映し出すような#2”The Heart Of A Cold White Land”KATATONIAのヨナスきゅんや中期ANATHEMAのヴィンセントリスペクトなミッコのボーカル・メロディが俄然フォーキーに聴かせる”Away”、そしてフィンランドのSSWで知られるKaisa Valaとフューチャリングした表題曲の”Songs From The North”では、Kaisa『叙事詩カレワラ』に登場する『大気の処女イルマタル』となってフィン語で優しく歌い上げることで俄然民謡チックに聴かせ、この三部作のハイライトを飾るに相応しい一曲となっている。その後も、Alcestもビックリのリヴァーヴを効かせたデュリーミーな音響空間とトリップ・ホップ的なアレンジを施したオルタナ風のオープニングから、緯度"66°50´N,28°40´E"に位置する北国の幻想的な白夜の静けさを音(インスト)だけで描き出し、An Autumn for Crippled ChildrenHypomanie、そしてCold Body Radiationをはじめとしたダッチ産シューゲイザー・ブラック顔負けの吹雪くような美メロをフューチャーした#7”Autumn Fire”、そしてラストの”Before The Summer Dies”までの後半の流れは、決して「いつものSWS」ではない、言わば新機軸とも呼べるモダンなアプローチや音使いをもって情緒豊かに聴かせる。もはや「こいつらコッチ路線のがいい曲書くんじゃネーか?」ってくらい、モダンな要素と持ち前の懐メロ感を絶妙な具合にクロスオーバーさせている。

『Ⅲ』 ・・・一枚目の『Ⅰ』では「いつものSWS」を、二枚目の『Ⅱ』では「新しいSWS」を、そして三枚組の最終章に当たる三枚目の『Ⅲ』では、メロディを極力排除したフューネラル/デス・ドゥームメタルの王道を展開している。さっきまでの美メロ泣きメロの洪水とは打って変わって、アートワークの下等生物を見下すドSな女神に「もう許して...許してクレメンス・・・」と懺悔不可避な容赦ない破滅音楽っぷりを見せつけ、さっきまでの夢の世界から一転して惨憺たる絶望の淵へと追いやられる。曲の中にも静と動の緩急を織り交ぜるだけでなく、アルバム単位でも音の強弱やギャップを効かせた演出を織り交ぜた謎のスケール感を強調する。

大気の処女イルマタル ・・・やっぱり、この三枚組で最も面白いのは二枚目だ。隣国のスウェーデン人の音楽と比べると、どうしても不器用さが気になってしまうフィンランド人の音楽だが、この二枚目ではフィンランド人なりの器用さを垣間見せている。それこそ、今作のアートワークを冠した女神『大気の処女イルマタル』が身にまとった大気(Atmospheric)を体外に放出するかの如く、とにかく真珠が煌めくような音響空間に対する意識の高さが尋常じゃない。この二枚目で目指した理想像でもある、KATATONIA『Dead End Kings』をアコースティックに再構築したDethroned & Uncrownedとほぼ同じ作風とアレンジだが、Alcestリスペクトな音響/音像をはじめ民謡風のメロディだったり、フィンランド人の根幹にある民族的な土着性とフォーク/アコースティックなサウンドとの相性は抜群で、さすがにヨナスと比較するのはヨナスに失礼かもしれないが、ミッコのボーカル・メロディに関してもイモ臭さは程々によく練られているし、歌い手としてのポテンシャルを過去最高に発揮している。

臨界点 ・・・この手の界隈で比較対象にされるDraconianと同郷のAmorphisイェンス・ボグレンデイビッド・カスティロを起用した、いわゆる【勝利の方程式】を説き明かして今年2015年に勝ちに来た一方で、このSwallow the Sunはこの三枚組の中で、メロドゥームとしての王道路線で対抗すると共に、KATATONIAANATHEMAなどの先人たちにも決して引けを取らない、モダンでアコースティックな路線でも対等に勝負できることを証明した、どの方向性、どのジャンルにも一切の妥協を許さない攻めの姿勢に僕は敬意を表したい。失礼だが、フィンランド人だけでここまでの仕事ができるなんて思ってなかったし、新作が三枚組だと聞いた時は血迷ったなって全く期待してなかったから、いい意味で裏切られた。ある意味、未だ誰も超えたことがなかったスオミ人としての臨界点を超えたと言っていいかもしれない。正直スマンかった。
 
Songs From the North I & II & III
Swallow the Sun
Century Media (2015-11-13)
売り上げランキング: 6,741

Ne Obliviscaris 『Citadel』

Artist Ne Obliviscaris
Ne Obliviscaris
Mixing/Mastering Jens Bogren
Jens Bogren

Album 『Citadel』
Citadel

Tracklist
01. Painters Of The Tempest (Part I): Wyrmholes
02. Painters Of The Tempest (Part II): Triptych Lux
03. Painters Of The Tempest (Part III): Reveries From The Stained Glass Womb
04. Pyrrhic
05. Devour Me, Colossus (Part I): Blackholes
06. Devour Me, Colossus (Part II): Contortions

ネ・バブリシャス ・・・今やAC/DCに次いでOGを代表するバンドにまで成り上がったメルボルン出身の六人組、ネ・バブリシャスことNe Obliviscarisの2ndアルバム『Citadel』は、その成り上がりを実現させた陰の立役者であり、近年のメタル界では五本指に入るんじゃないかくらいの衝撃をシーンに与えた1stアルバムPortal of Iでもお馴染みの超売れっ子エンジニア、スウェーデン人のイェンス・ボグレンを迎えて制作されている。その前作の一曲目に収録された"Tapestry Of The Starless Abstract"は、近年のベストメタルアンセムと言っても過言じゃあない名曲で、言うなればOpeth『Ghost Reveries』がノルウェイゲン・ブラック化したようなプログ・スタイルに、まるで葉加瀬太郎が雄大な自然の中を満面の笑みで無邪気に走り回る姿が脳裏に浮かび上がるような、天空を駆け巡るJ-RPG顔負けのクラシカルなヴァイオリンを豪快にブッ込んだ、まさしく超絶epicッ!!なエクストリーム・メタルを繰り広げていた。そんなデビュー作がデビュー作だけに、期待と不安が入り混じりった2ndアルバムなんだけど・・・

ネ・BTBAM ・・・収録曲を見ればわかるように、#1~#3までの三部構成となる組曲"Painters of the Tempest"、#4の"Pyrrhic"、#5~#6の二部構成となる"Devour Me, Colossus"まで、実質3曲でトータル約48分という、前作とは少し構成が違った俄然コンセプティヴな作風となっている。で、聴く前にCDに【BTBAMファンにオススメ!】とかいうウリ文句が書いてあって、「おいおい、さすがにネ・バブリィBTBAMは全然スタイルが違うだろ・・・」って思ったけど、実際にこのアルバムを聴き終えた後には、呆然としながら「こ...これはもはやネ・BTBAMだ・・・」と呟いていた。まず、三部構成となる"Painters Of The Tempest"のパート1から、Vampillia"tasogare"を彷彿とさせる哀しげなピアノと舞台役者のように慟哭するヴァイオリンの歪みが織りなす、意表を突くような迫真のプロローグから聴き手をその世界へと引きずり込み、そして本作の目玉となる約17分の大作のパート2へと繋がる。まず驚くのが、初っ端からDeathObscuraを連想させる転調しまくりのテクデス然としたカオティックな展開だったり、低音デス主体のボーカル・パートだったりと、この時点で前作のようなOpeth系ノルウェイゲン・ブラック感は薄まって、それこそUSのBTBAMを想起させる"コア"なスタイルに変化しているのが分かる。前作に引き続き、相変わらず葉加瀬太郎の笑みが溢れるようなヴァイオリンの音色をフューチャーした曲ではあるが、特に7分以降から始まるDream Theaterの名盤『Images And Words』をリスペクトした美メロなクリーン・パート一つ取っても、先ほどの"US"あるいは"コア"っぽいイメージに拍車をかけている。この先が読めない目まぐるしい展開力や俄然リリカルでドラマティックな音のスケール感・・・とにかく、前作の弱点だった展開の乏しさやリフの単調さを克服してきている。そのパート2のエンディング的な役割を担うパート3では、葉加瀬太郎の情熱的なヴァイオリンとアコギが優雅に舞い踊る。デスラッシュ気味に突っ走るブルータルな前半から急激にポストブラック化する後半へと繋がる、実にツウ好みな展開を垣間みせる#4"Pyrrhic"、今作の中では最もOpe-Styleをベースにした曲で、かつAlcestっぽい癒し系アコギ・パートを盛り込んだ#5"Devour Me, Colossus (Part I): Blackholes"、そのエンディングを担うパート2では、悲劇のヒロインが泣き崩れるような歪んだ音色を奏でる葉加瀬太郎もといヴァイオリンに慟哭不可避だ。

ネ・葉加瀬太郎

ネ・葉加瀬太郎 ・・・今作、特にクリーン・パートのバリエーションが広がったのと音の表現力が格段に増したのが大きくて、それはAlcestDTリスペクトな美メロだったり、NeurosisIsisあるいはDEAFHEAVENを連想させる”Post-系”のモダンな空間能力を発揮する場面だったりと、なんだろう音のメリハリの効かせ方が実にUS的というか、様々な面でEU的というよりもUS的な音に歩み寄っているのは確かで、正直デビュー作だけの一発屋になるかと思っていた僕を真っ向から否定するかのような、めざましい進化を遂げている。まさかここまで柔軟性のある、ここまで器用で繊細なバンドだとは微塵も思ってなくて、USのバンドが出せないEUの音とEUのバンドが出せないUSの音を併せ持つ、それこそ新世代のメタル界を担う救世主こそ、このネ・バブリシャスなのかもしれない。また、バンドの生命線であるヴァイオリンからの脱却に成功した、バンドとしても確かな進化を感じさせる一枚でもあって、つまり"バンド・サウンド"が一段と高まったことで、よりヴァイオリンの音色が際立っているし、むしろ逆にヴァイオリンの存在が他の楽器を引き立てながら、互いに良い相乗効果を生んでいる。そして今作では全編を通してベースが活きているのが分かる。そんな様々な変化が巻き起こっている中でも、持ち前の葉加瀬太郎もといヴァイオリンが奏でる叙情的なメロディは不変で、しかし前作で言うところの”Tapestry Of The Starless Abstract””Forget Not”をはじめとした、あざと可愛いくらいの葉加瀬太郎の満面の笑顔ほとばしるエピカルなJ-RPG成分が少し薄まったのは賛否あるかもしれないし、大手のテクデス勢や流行りのポストブラック勢と似たようなスタイルになってバブリシャスらしさが消えたとも言われかねないが(もはや好みの世界)、それらのプラスマイ要素を引っ括めても、その完成度は前作に勝るとも劣らない傑作である事には違いない。とにかく、このアルバムを届けてくれた葉加瀬太郎には感謝の言葉しかない。ありがとう葉加瀬太郎、フォーエバー葉加瀬太郎

Citadel -Digi-
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Ne Obliviscaris
Season of Mist (2014-11-10)
売り上げランキング: 20,111

Sólstafir 『Ótta』

Artist Sólstafir
マイルドヤンキー

Album Ótta
Ótta

Tracklist
01. Lágnætti
02. Ótta
03. Rismál
04. Dagmál
05. Miðdegi
06. Nón
07. Miðaftann
08. Náttmál

ブラックメタル界のシガーロス・・・そんな異名を持つ、1994年にアイスランドは大レイキャヴィークで結成されたマイルドヤンキーこと、Sólstafirの約三年ぶりとなる5thアルバム『Ótta』がリリースされた。アヴァンギャルディでヤンキーなマイルド・ブラックメタルやってた初期から異質な存在としてマニアの間で話題を呼んでいた彼らだが、その名を一躍有名にしたのが2009年にリリースされた3rdアルバムの『Köld』で、轟音ポストロックやアトモスラッジやノイズやシューゲイザーやポストパンクなど、ありとあらゆる要素を持ち前のアヴァンギャリズムとクロスオーバーさせた、それこそ”アイスランドのAmesoeurs”かってくらい今流行りの激情系ポストブラックへとその姿を変えた。その二年後、かの霧の季節に移籍してリリースされた4thアルバムSvartir Sandarでは、着実に3rdのオルタナ路線を引き継ぎながら、同郷のシガーロスに対する想いの強さ、そして母国アイスランドに対する郷土愛に目覚めていた。そんな前フリがあっての本作『Ótta』は、これまでの流れからも予想できたように、もう完全にポストロック化していると言っても過言ではなくて、それはヨンシー親衛隊ことamiinaをはじめ、前作同様に数多くのシガロ作品で知られる重鎮Birgir Jón Birgissonをプロデュース/ミックスに迎えているのが、何よりの”答え”みたいなもんで→

Sigur Rós→Sólstafir→ANATHEMA ・・・今年、僕たちはamiinaBirgir Jón Birgissonという名前に見覚えがあるハズだ...そう、Alcestシェルターを手がけたアイスランド勢だ。まず、オープニングの#1”Lágnætti”の音使いを耳にすれば全てを理解することができる。それはシガーロス直系のストリングスとピアノの壮麗優美な音色が織りなす、それこそアイスランドの雄大な自然と大地をモノクロームに描き出すかのような、まるで深夜のドキュメンタリー映像集を観ているかのような力強いドラマティックな展開力に、その壮観な景色を目の前にして僕は只々唖然とするしかなかった。その流れを引き継いで、雄大な自然の育み(自然エネルギー)...生命の神秘(生命エネルギー)に満ち溢れた、アイスランドの歴史という名のホワイトシルクロードを、アイスランドという名の雪国が作り出す真っ白なキャンパスに描き映すかのような#2”Ótta”は、まさしく”ブラックメタル界のシガーロス”という異名を確かなものとする、セルフタイトルを冠するに相応しい名曲で、これはもうポストロック以外なにものでもない、ただひたすらに美しいリリカルで壮大な抒情詩に、ヴァイキングの末裔である俺たちの魂がアツく揺さぶられる...ッ!・・・あらためて、そのヴァイキンガーとしての民族性とアイスランディックな土着性を繰り返し煽るバンジョーのオリエンタルな音色をアクセントに、ここぞとばかりにフロントマンAðalbjörn Tryggvasonのヴァイキング魂が解放される魂の叫びから超絶epicッ!!なヴァイオリンへと繋がるクライマックスの展開に男泣き不可避な楽曲で、これこそアイスランドという小さな独立国家が歩んできた長年の歴史と文化、そのホワイトシルクロードとともに歩んできた音楽人生の中で、常に新しいモノへと”深化”してきた彼らが導き出した一つの”答え”であり一つの”終着点”だ。正確には”ポストロック化”というより”シガロ化”と言ったほうが的確で、あらためて今年のメタル界のトレンドはホモもといシュガーロス・ダイエットだなーなんて思いつつ、それはまるで現代の人間社会に生じる大きなヒズミのように、人間の闇を...人間の業を...人間の尊厳を深裂に抉りだすかのようなストリングスや音響意識の高いポピュラーなピアノ、そしてレディオヘッドばりにモダンな音使いを全面にフューチャーした、いわゆる”Art-Rock”に対する意識を高めてきたという点では、なぜ本作がANATHEMAファンなら間違いなし!みたいなウリ文句で大々的にプッシュされているのか?そのワケが実によーくわかる。・・・ん?ちょっと待てよ、これってつまり→ブラックメタル界隈からANATHEMASigur Rósを繋ぎ始めたってことか・・・?もうわけわからん...このマイルドヤンキー頭おかしいわ。その無人の荒野を彷徨う浮浪者ばりにダーティな姿は、さしずめデンマークの奇才ラース・フォン・トリアー黒澤明『七人の侍』をリメイクしたヤンキー映画『四人のSAMURAI』といった所か。

Vampilliaの上位互換 ・・・おいら、今年の初めに【Sigur Rós→Vampillia→Alcest】てな感じに、日本のサブカル左翼芸人ことVampilliaSigur RósAlcestを繋ぐ黄金の架け橋だ!なんーて例えたが、どうやら違ったみたいだ。アイスランドの至宝Sigur Rósとフランスの皇帝Alcestを繋ぐ真の架け橋こそ、このマイルドヤンキーSólstafirなんだって、この『Ótta』を聴いて確信することができた。近年で例えると→先ほどのVampilliaUlverあるいはKayo Dotにも精通する、experimentalismすなわち狂気イズムが込められた歪んだストリングス主体の”オルタナティブ”な音使いからは、なんつーかVampilliaが1stアルバムmy beautiful twisted nightmares in aurora rainbow darknessで本当に描きたかった音がこの『Ótta』に詰まっているような気がして、やはり”ニセモノ”の吉本芸人Vampilliaとはスケール感がまるで違うというか、単純に音の説得力が違いすぎる(自分の中で、Vampilliaといえば→the divine moveということもあって)。当然、その説得力はアイスランド生まれだからこそ成せる技みたいなもんで、邦楽のVampilliaにソレすなわち”ホンモノ”や”リアル”を求めること自体ナンセンスか。何にしても僕たちは今、”ホンモノ”を見極める真の審美眼が試されているのかもしれない。

アイスランド・サガ ・・・ここ最近の二作と比べてもかなり分かりやすい、まるでアイスランドの風土や匂いが漂ってくるようなシットリした音作りで、これまでの曲は大作志向が強く、収録時間も1時間越えが当たり前だったが、今回は従来の大作志向その傾向は少し弱まってトータル約57分という、あらゆる面で非常にシンプルかつコンパクトにまとめられている。しかし初期から一貫しているのは、アイスランド特有の静観な雪景色やその繊細な空気感を鮮明に、しかし幻想的に描写していくアトモスフェリックなセンスで、本作はそれがより顕著に表面化した実に”Post”な作風だ。その一貫した”らしさ”と多数の弦楽器を用いたamiinaによるストリングス・メロディが恐ろしいくらい自然に融け込んでいる。Sólstafirの総長もといフロントマンAðalbjörn Tryggvasonのパフォーマンスとしては→まるでアイスランド語を話す田舎のヤンキーが啖呵を切るような、粗暴なヤンデレ系ハイトーンボイスは少し抑えめになっていて、確かに初期や近作ほどの轟音や焦燥感や激情感を煽るエモーションは希薄だが、民謡テイストに溢れた抒情的なメロディを中心に、この北欧神話『アイスランド・サガ』のいち語り部となって聴き手を黄泉の国へと誘っていく。まるでスコットランド独立が叫ばれるこの時期に触発されたように、彼らの母国愛は極地に達した結果→彼らにしか成し得ない孤高の音世界、その唯一無二の世界観、その圧倒的な存在感は、それこそ北欧映画『孤島の王』との親和性を感じるほど気高い芸術性を放っている。こうしてアイスランドの音楽/映画/文化を一つの音に落とし込んで誕生したのが、この歴史的芸術作品『Ótta』であり、そして昨年36歳の若さで亡くなったフランスのブラックメタルバンド、Vorkreist他の女性ベーシストMarianne Séjournéに捧げる鎮魂歌(レクイエム)なのである。

Otta
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Solstafir
Season of Mist (2014-09-02)
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