Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

Post-Progressive

【次回予告】ゴジラゴジラゴジラがやってきた♪

赤い公園 『純情ランドセル』

Artist 赤い公園
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Album 『純情ランドセル』
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Tracklist

01. ボール
02. 東京
03. Canvas
04. 西東京
05. ショートホープ
06. デイドリーム
07. あなたのあのこ、いけないわたし
08. 喧嘩
09. 14
10. ハンバーグ!
11. ナルコレプシー
12. KOIKI
14. おやすみ

aaaa

最近は、いわゆる「超えちゃいけないラインを超えちゃったゲスの極みZ女男子」『一本』で満足しちゃった事で世間を賑わせているが、この音楽業界でも「超えちゃいけないラインを超えちゃった系ゲスの極み乙女」が話題を呼んでいる。ガールズ・ロックバンドの赤い公園が2014年に発表した2ndアルバム『猛烈リトミック』は、その「超えちゃいけないライン」の線上に立った傑作で、つまり「アンダーグラウンド(クソ)」「メジャー(ポップ)」「境界線」、すなわちボーダーラインの上を津野米咲が命がけで綱渡りするかのようなアルバムだった。

前は『闇
一色だったが、今は『光
が優勢だ

その境界線という言葉に関して最近考え事をしていて、それというのは→荒木飛呂彦の漫画ジョジョ8部ジョジョリオン』でも、主人公の東方定助『誰か』『誰か』が融合した、言うなれば「ハーフ」という人物設定がなされていて、その定助の身体の中心には『ナニか』『ナニか』を繋ぎとめる「つなぎ目(境界線)」がある。話は変わるが→俺たちのマシュー・マコノヒー主演の『トゥルー・ディテクティブ』という海外ドラマは、一見硬派な刑事モノと見せかけた、人間の『善(人)』『悪(人)』の境界線(ボーダーライン)を問う複雑かつ濃厚な人間描写に惹き込まれるサスペンスドラマの傑作だ。おいら、このドラマを見て東方定助の身体の中心に刻まれた「つなぎ目」が意図する本当の意味って、一方で『誰か』『誰か』が混ざり合ったという一般的な意味合いの他に、一方で『光』すなわち黄金の精神』『闇』すなわち『漆黒の意志』の境界線(ボーダーライン)でもあるんじゃあないか、という解釈が生まれた。この『TRUE DETECTIVE』、タイトルを直訳すると『本当の刑事』なんだが、改めてこのドラマは刑事という本来は『善意』の象徴とされる存在、その心にもドス黒い『闇』すなわち『漆黒の意志』が潜んでいる事を、シリーズ(1,2)を通して登場人物のキャラクター像が重厚な物語の根幹として至極丁寧に描き出されている。当然、日本一のジョジョヲタである僕からすれば、飛呂彦も観ている海外ドラマだと断言できる作品で、特にマシュー・マコノヒーウディ・ハレルソンをバディに迎えたシーズン1は、『過去』に起こった事件の『謎』と月日が経過した『現在』の供述を緻密に交錯させた演出をはじめ、マコノヒーとハレルソンの少し歪で奇妙なバディコンビという点からも、より現在進行形で展開する『ジョジョリオン』空条仗世文吉良吉影の少し歪で奇妙な相棒関係を描き出す『過去』を演出として盛り込んだ、それこそミステリー/サスペンス然とした複雑怪奇なストーリーからも、むしろ逆に飛呂彦がこのドラマを観ていないと考える事の方が難しい。しかし、『ジョジョリオン』『トゥルー・ディテクティブ』の影響がある...とは流石に断言こそできないが、要するに先ほどの「アンダーグラウンド」「メジャー」境界線は一体どこにあるのか?刑事(人間)の『光』『闇』、東方定助の『善』『悪』境界線は一体どこにあるのか?に注目して、あるいは考察しながら音楽/漫画/ドラマ/映画をはじめとしたクリエイティブな創作物に触れると、よりその作品の世界観に入り込むことが出来るのではないか、ということ。

境界線

そもそも『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズというのは、『人間』を超越しちゃった吸血鬼とか、一般的に『悪』の象徴とされるギャングがマフィアのボスという『悪』にトラウマを植え付けたり、ヤンキーという反社会的なイメージを持つ人間が街のリーマンと言う名の『悪』を倒したり、歩けないクズが某トランプ大統領候補にソックリな奴を倒したりする漫画で、一貫して『トゥルー・ディテクティブ』と同じように、人間の「境界線」を問いかけるようなキャラクター像を描き出している。もはや『トゥルー・ディテクティブ』のマコノヒーは、映画『インターステラー』『本棚の裏』という『四次元空間』に導かれたマコノヒーが時空を超越してパラレルワールドで刑事に輪廻転生したマコノヒーみたいな奴で、要するに、これはもう『ジョジョドラマ』と言い切っても過言じゃあないし、もはやマコノヒーはジョジョ俳優の一人として認識すべき役者だ。

十二支ん会議

俺は一体ナニを書いているんだ!?・・・というわけで、話を元に戻して→前作の猛烈リトミックでその境界線上に立った赤い公園は、約二年ぶりとなる3rdアルバムの『純情ランドセル』でどうなったか?果たして超えちゃいけないライン(境界線)を超えてしまったのか?結局のところ、「ネットにはじかれたテニスボールはどっち側に落ちるのか誰にもわからない」、それこそ『神』のみぞ知る世界だ。まずアルバムの幕開けを飾る”ボール”からして、上記のプログレ界の「十二支ん会議」を見れば分かるように、津野米咲椎名林檎と並んで秘密結社KことKscope主宰のPost-Proguressive界を取り仕切る幹部であることを裏付けるような、本格的に赤い公園がPost-Pの世界に入門してきた事を意味するような、言うなればANATHEMAWe're Here Because We're Hereから”Get off, Get Out”を彷彿とさせる、いわゆるミニマルな「繰り返し」を駆使したオルタナティブらしいリフ回しや津野米咲スティーヴン・ウィルソンの傀儡化したことを暗示する間奏部のギター・フレーズ、初期のねごとをフラッシュバックさせる近未来感あふれるファンタジックなキーボード、赤い公園のバックグラウンドの一つである歌謡曲を経由したフロントマン佐藤千明の情感あふれる歌メロ、ヘヴィな重みを乗せたうたこすのどすこいドラミング、そして転調を織り込んだPost-Progressive然とした展開力、この一曲だけで津野のズバ抜けたライティングセンスと彼女たちが如何に才能に溢れたバンドなのかを証明している。面白いのは、前作の一曲目を飾った名曲”NOW ON AIR”の「これぞメジャー」なイメージとは一転して、初期を彷彿とさせる「アンダーグラウンド」な懐メロ風の、それこそ「意外性」のある展開とメロディに良い意味で期待を裏切られたと同時に、俄然アルバムに対する期待度を押し上げているし、只々この”ボール”を一曲目に持ってきた赤い公園『勇気』と確かな『成長』に僕は敬意を表したい。

僕に「東京コワイ」というトラウマを植え付けた某きのこ帝国YUIのように、『東京』の名を冠した名曲は世にたくさん溢れていて、津野米咲は「真の”じぇいぽっぱー”を名乗るなら”東京”を書かなきゃ説得力がない」とばかり、まるで某ネコ型ロボット映画の主題歌に使われてそうなくらいの力強いエネルギーと前向きなメッセージが込められた”東京”は、良くも悪くも赤い公園というバンドにしては、一曲目の”ボール”みたいな奇をてらった『意外性』は皆無で、想像した以上に『平凡』で『普通』だった。その謎というか違和感の答えは、2ndシングルの”Canvas”を挟んだ三曲目の”西東京”にあった。ご存じ、赤い公園は東京は東京でも”西東京”は多摩地域に位置する立川が地元のバンドで、某政治家の「友達の友達は~」の迷言をモジッた歌詞をはじめ、田舎のクッソブサイクなカッペJKが雨の日に学校まで鼻水撒き散らしながら自転車でかっ飛ばす様子が浮かんでくるような、それこそ立川の象徴である赤い公園メンバー自身を投影したかのような、こいつらにしか書けない説得力に溢れたユニークな歌詞を、”東京”という大衆的(メジャー)なイメージからかけ離れた、赤い公園の本性を表したようなファンキーかつヤンキーな、ノイズ/インダストリアルなサウンドに乗せたハードコア・パンクチューン。それにしても、この曲の佐藤千明はなんだ...おめーは「平成のカルメン・マキ」かよw

初期の黒盤こと『透明なのか黒なのか』”潤いの人”を彷彿とさせるスローなファッキン・テンポで始まり、90年代のJ-POPを彷彿とさせるキーボードとジャジーなピアノが織りなす、さっきまでのクソカッペJKから一転してオシャンティなアレンジで聴かせる”ショートホープ”は、前作の”TOKYO HARBOR”で培った「オトナ女子」的な素直にアップデイトしたかのようなシティ・ポップ風の演出がポイント。6曲目の”デイドリーム”は、その名の通り津野米咲のシューゲイザーに対する嗜好が著しいドリーミーな音響と、前作の”私”を彷彿とさせる佐藤千明のエモーショナルな歌声と”ドライフラワー”を想起させるストリングス・アレンジ、そして一種のカタルシスを呼び起こすアウトロの演出まで、もはや今作のハイライトと言っても過言じゃあない名曲だ。この手の儚さ満開、エモさ爆発の曲を書かせたらこいつらの右に出るバンドはいないこと改めて証明している。

そのの中で目覚めた四人のクソカッペJKは、気づくとハロプロ・アイドルと化していた”あなたのあのこ、いけないわたし”は、それこそ赤い公園のラジオで何故℃-ute心の叫びを歌にしてみたがジングルで使用されていたのか?その伏線を回収するような、90年代のシンセ・ポップ風のキーボード・アレンジを効かせたkawaii系ポップ・チューンで、まるで佐藤千明「#ガールズ・ロック界の矢島舞美なの私だ」とハッシュタグ付けてツイッターに連投してそうな、それこそ津野がこの度モーニング娘。に楽曲提供したことに対する理解と納得が得られる曲でもある。遂にアイドルという『夢』から目覚め、自らの素性がマイルドヤンキーであることを自覚したクソカッペJKは、他校の女ヤンキーに対して「かかって来いやオラァ!」と威勢のいいメンチを切って、”カウンター”を交えながら素っ頓狂な”喧嘩”を始める。その”喧嘩”の後に、お互いに爽やかな友情が目覚めていた”14”は、前作の”サイダー”を彷彿とさせるシンプルなメロコアチューン。10曲目はキテレツ大百科ばりの”ハンバーグ”を作るような、名曲”め組のひと”を津野流に料理したポップチューンから、5曲目の”デイドリーム”の系譜にあるドリーミーなサウンドにクリック音と藤本ひかりのあざといコーラスがひかる”ナルコレプシー”、そして1stシングルの”KOIKI”は、去年の『ま~んま~んツアー』で初めて聴いた時は「モー娘。っぽい」って漠然と思ったけど、実際にスタジオ音源で聴いてみたら大して似てなくて笑った。けど、津野がモー娘。に楽曲提供することを予測していたと考えたらセーフ(なにが)。

本作を象徴する一曲と言っていい”黄色い花”を初めて聴いた時、厳密にはJ-POPの常用手段であるストリングスを聴いた時、僕は「あ、津野変わったな」って思った。自分の記憶が正しければ、津野って過去にインタビューか何かで「J-POPにありがちなチープなストリングス」を否定してた憶えがあって、だからこの曲を聴いた時は本当に「あ、赤い公園が目指すところってそこなんだ」って思った。けれど、きのこ帝国が新作でJ-POPの常用手段であるストリングスとピアノを擁してメジャー行きを宣言したたように、現代の流行りのJ-POPを象徴するような曲調に、この手のJ-POP特有のストリングスを入れるのは至極当然というか、この曲で遂に赤い公園「超えちゃいけないライン」「境界線」を超えてしまったんだと、そう僕は理解した。僕は「境界線」を超えるのと破るのは違うと思ってて、赤い公園はこのアルバムで「アンダーグラウンド(クソ)」「メジャー(ポップ)」「境界線」を超えたんじゃあない、その「境界線」を破って「アンダーグラウンド(クソ)」でも「メジャー(ポップ)」でもない、それこそ「ローカル」なクソカッペJKへと変身する事に成功したんだってね。

ぼくフレッチャー
jii「ゴラァァァァァァァァあああ!!津野おおおオオお!!」

津野米咲
津野米咲「・・・は?」

ぼくフレッチャー
new_d923ad829cdaa748bc2f3beaaeb15c16「なーに楽しそうにキーボード弾いてんだコラァァァァ!!」

津野米咲
津野米咲「うるせぇシネ」

ぼく元℃ヲタフレッチャー
new_session2-e1426367009736「なんで℃-uteに楽曲提供しねぇんだゴラァァァぁああ!!」 

津野米咲
津野米咲「知らねぇよハゲ」

ぼくフレッチャー
new_CPD904lUkAA4Otz「なーに超えちゃいけないライン超えてんだゴラぁぁぁ!!」 

津野米咲
津野米咲「うるせぇシネ」 

極端な話、今作は赤い公園バンドというより「津野プロデュース」感がハンパない。なんだろう、某深っちゃんの「今時、まだギター使ってんの?」という例の発言に触発されたのか、なんて知る由もないが、とにかく今作は虹のようにカラフルなキーボード・アレンジが際立っていて、それは津野米咲が楽しそうに鍵盤を弾き鳴らしている様子が浮かんでくるほどで、あまりにもノリノリに弾き倒す津野に対して、僕は映画『セッション』のフレッチャー先生ばりに鬼のような形相で「オメー楽しそうにキーボードなんか弾いてんじゃねーよ」とツッコミを入れたほどだ。それこそ80年代の歌謡曲や90年代のJ-POPやシンセ・ポップなどの懐メロ風アレンジ、そして現代風の鍵盤アレンジに注力しているのが分かるし、前作以上に津野米咲が自由に好き放題やってる。しかし、一方のアレンジに重きを置きすぎて、肝心のメロディが蔑ろになっているんじゃあないか?いくら凝ったアレンジでも肝心なメロディが貧弱じゃあ本末転倒なんじゃあないか?という疑問が残る。おいら、津野米咲をリスペクトできると思ったキッカケの一つに、某インタビューで津野が「大事なのは力強いメロディとソングライティング」と発言した所にあって、その「メロディとソングライティング」を大事にする姿勢というのは、奇しくも僕が大好きなANATHEMAのヴィンセント兄弟も全く同じことを言っている。この言葉は、DIR EN GREYのリーダー薫にも通じる話でもあるのだが、結局のところ一体ナニが言いたいって、要するにこの『純情ランドセル』でその発言の信憑性および説得力というのが少し揺らいだんじゃあないかって。その点で前作の『猛烈リトミック』は、アレンジやメロディ、そしてソングライティングの全てが両立した奇跡のアルバムだったんだと再確認させられた。

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なんやかんや、初期や前作に通じる”らしさ”のあるリズムやメロディ、そして強力なアレンジを巧みな技術で「ローカル」なポップスに落とし込んでいるのは実に小粋な演出だし、その辺のセンスは初期の頃から不変だ。その中でも、完全にメジャーのポップスに振り切ったアレンジは過去最高にバラエティ豊か、前作以上にバラエティ豊かと言い切れるかもしれないが、如何せんアルバムの流れが悪すぎる。いや、始まりこそキライじゃあない、むしろ【ラジオネーム スティーヴン・ウィルソン】こと某レビューブログの管理人が嬉しさのあまり咽び泣き出しそうなくらい大好きな始まりなんだが、その始まりの”ボール”と終わりの”黄色い花”だけは共存してはならない、つまり一つにパッケージングしてはならない、その曲と曲の間にはそれこそ「超えちゃいけないライン」という明確な「境界線」が存在する。つまり「バラエティ豊か」という表現は、曲と曲に「境界線」が存在しないクリーンな状態で、一つにパッケージングされた状態で初めてその言葉の意味を成すんだってね。

超えちゃいけないラインああ

このアンチ「バラエティ豊か」は、今作の曲を多人数にプロデュースさせた弊害でもあって、面白いのは、本当に面白いのは、昨年にガールズ・バンドのねごとが発表した3rdアルバム『VISION』は年間BEST入り間違いなしの傑作で、奇しくもねごと赤い公園も世界的なマスタリングスタジオSTERLING SOUNDを率いる(ねごとは)Ted Jensenと(赤い公園は)Tom Coyneという二大エンジニアにマスタリングを依頼して、双方ともに『音』に対する”こだわり”を伺わせるばかりでなく、一方のねごとはセルフプロデュースで新作を、一方で赤い公園は五人のプロデューサーを迎えて新作を発表するに至ったこと。もう一つ面白いのは、昨年にきのこ帝国が発表したメジャー1stアルバム猫とアレルギーも年間BEST行きの傑作で、おいら、きのこ帝国に関する記事の中で「きのこ帝国に足りないのは津野米咲だから津野米咲をプロデューサーに迎えろ!」みたいな戯れ言を書いてて、本当に面白いのは、きのこ帝国は『猫とアレルギー』の中で佐藤千亜妃「#椎名林檎の後継者なの私だ」宣言をはじめ、エンジニアに井上うに氏を迎えることで「超えちゃいけないライン」の境界線上に立って、つまり津野米咲の生首を片手に佐藤千亜妃なりの『勝訴ストリップ』あるいは『猛烈リトミック』を描き出していたこと。その『猛烈リトミック』でやられた事の仕返しとばかり、新作で赤い公園がやりたかったことを一足先にやり返されて、今では綺麗に立場が逆転してしまったこと。

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赤い公園
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TesseracT 『Polaris』

Artist TesseracT
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Album 『Polaris』
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Tracklist

01. Dystopia
02. Hexes
04. Tourniquet
05. Utopia
06. Phoenix
08. Cages
09. Seven Names
 
『十二支ん会議』
十二支ん会議

十二支ん会議 ・・・TesseracTKscopeの運命の引かれ合い、その伏線というのは過去にあって、それは当ブログの2013年度の年間BEST記事でも紹介したように、その年のイギリスの著名なプログレ専門雑誌『Prog Magazine』の年間BESTアルバムに、Kscopeの最高責任者兼CEOことスティーヴン・ウィルソン『The Raven That Refused To Sing』に次いで、TesseracTAltered Stateが二位に選出されたのだが、この時SWの号令によりKscopeおよびPost-Progressive界隈を取り仕切る幹部勢が緊急召集され、いわゆる現代プログレ界の『十二支ん会議』が秘密裏に執り行われた結果、満場一致でTesseracTKscope入りが『許可』された、そんな嘘のような本当の話がある(ネーよ)。

シックリ ・・・話は変わるけど→おいら、子供の頃から『MGS』ことメタルギアシリーズのフアンで、しかし新作が発売される度に「そういえばMGSってコナミのゲームなんだよな」みたいな、違和感というほどじゃあないけど妙なモヤモヤ感は無きにしもあらずで、とはいえ「コナミ以外から発売されるMGS」なんて想像もつかなかったし、なんだかんだ「MGSはコナミのゲーム」という認識は揺るぎなかったし、それについてこれ以上深く考えることはなかった。何を隠そう、このTesseracTCentury Mediaから華々しいデビューを飾り、これまで複数の作品を発表し続けていたのだけど、先ほどのコナミとMGSの関係性じゃあないが、やっぱり「妙な違和感」というのを感じていて、そして2ndアルバムAltered Stateを聴いた時にその違和感というのが自分の中で不快感に変わるくらい大きくなっていた。しかし、3作目となる『Polaris』Kscopeからリリースされると聞いた時は、驚きとともにこれまでの「妙な違和感」は完全に払拭され、なんだろう、パズルの最後のピースがハマった時のように物凄く「シックリ」きた。それはメタルギアシリーズの生みの親である小島秀夫監督がコナミを退社し、新しいプロジェクトをソニーの元で制作することを発表した時と全く同じで、どうだろう、思いのほか「シックリ」くるじゃあないか。

雇われ ・・・何も「シックリくる」のはそれだけじゃあない。おいら、過去の記事で「ジェントは雇われボーカルで、アルバムを出す度にボーカルが脱退するのがジェント界のオキテ」的な事を書いたような気がするのだけど、その伏線を回収するかのように、2012年に実質五代目ボーカリストとしてテッセラクトに加入したFF系イケメンデブことアッシュ・オハラ君が、いわゆる「音楽性の違い」を理由に2014年に脱退。その後任としてバンドに招き入れられた人物こそ、他でもないテッセラクトの三代目ボーカリストダニエル・トンプキンス君が奇跡的な復帰を果たしてる。ダニエルくんといえば、メタルシーンに衝撃を与えたデビュー作のEP『Concealing Fate』、その組曲で構成された1stフルアルバム『One』のボーカリストで知られ、しかし長年の夢だったボーカル講師に専念するため2011年に脱退、彼の脱退はジェントシーンに大きな衝撃を与え、これからジェントムーブメントを起こすぜ!って時に、始まる前から早くもジェントの終わりを告げたかのように見えた。しかし、テッセラクトはアッシュ君を迎えて2ndアルバムの『Altered State』を発表し、絶対的な存在だったダニエル君が不在でもやっていけることを証明した。そして彼らは、再びジェント界のアイドル「スパイス・ボーイズ」あるいは「ジェント界のワンダイレクション」としての地位を確立したのだった。



三年後 ・・・目出度くダニエル君がバンドに復帰したのは良いとして、じゃあ実際のところ、アッシュ君の持ち味である高域中心のパフォーマンスに焦点を合わせた、ドチャクソエピカルなサウンド・スケープを形成していた『Altered State』の楽曲を、果たしてダン君は歌いこなせるのか・・・?という疑問にぶち当たる。しかし「安心してください、歌えますよ」とばかり、ダン君が復帰して間もなくテッセラクトは初のライブ作品『Odyssey/Scala』を発表し、そのライブの中でダン君は2ndアルバムの曲を完璧に自分のモノにすると同時に、まるで某漫画の『二年後』ならぬ『三年後』にパワーアップして「帰ってきたダニエル・トンプキンス」を新旧のフアンに復帰報告がてら堂々披露している。こうしてライブ映像およびダン君のライブ・アレンジ能力の高さと圧倒的なナルシー系ボイス・パフォーマンスを観ても、伊達に三年間ボーカル講師として修行積んでこなかったなというか、やはりテッセラクトのボーカルにはダニエル君が歴代の中でも一番「シックリ」くる、その事を再確認させる。要するに、いくらFF系のイケメンでもデブにはテッセのボーカルは務まらない、というわけだ。

惑星ポラリス ・・・そんな流れがあって発表された、3rdアルバムの『Polaris』を一言で表すなら、やはりダニエルの復帰およびKscopeに移籍した影響はあまりにも大きかった、ということ。彼らは盟友ペリフェリーとは違った形で、テッセラクトなりにジェントとかいうアンダーグラウンドな新興ジャンルをメインストリームにブチ上げようとしている。まず幕開けを飾る#1の”Dystopia”からして、前作の”Of Matter – Proxy”のポストジェント路線を素直に踏襲した、まるで機械都市を形成するかの如し無機的かつ理知的な変拍子サウンドとダニエル君の多彩なボイス&コーラス・ワーク、そして1stアルバムを彷彿とさせるアンビエント感マシマシな神秘的なサウンド・スケープに、俺たちのテッセラクトが帰ってきたと歓喜するのもつかの間、アウトロのアンビエーションな音響空間を引き継いで始まり、まるで映画『インターステラー』のメインテーマである”Cornfield Chase”の主旋律に通じる、まるでガルガンチュアの中を独りで彷徨うマシュー・マコノヒーのように猛烈な孤独感に苛まれる、トリップ・ホップ/アンビエンスなアトモスフィアを全域に噴出する始まりから、ゲストに迎えられたマーティン・グレッチの憂愁な歌声をフューチャーした曲で、そのマーティンとダン君による無慈悲なハーモニーが織りなす「存在の耐えられないエモさ」に、まるで時空の歪みのように胸が締め付けられる#2”Hexes”、UKポストハードコアあるいはOGのKarnivoolを彷彿とさせるダン君の潤いのあるボーカル・メロディを中心に、彼らが完全に歌モノ化したことを証明するかのような#3”Survival”、そして本作のハイライトを飾る#4”Tourniquet”では、彼らがPost-Progressive化したことを裏付けるポストロック然としたミニマルなリフ、そしてCynicポール・マスヴィダルあるいはUKのガールズ・グループが偶に歌ってそうなフェミニズムをまとった、女性ボーカル顔負けの繊細で美しすぎるダニエル君のボイス&コーラスでアンビエント・ポップ的な静寂を奏でる始まりから、「I Promise You.」とかいう無垢で真っ直ぐなリリックとともに、『ポラリス』=「こぐま座で最も明るい恒星」であるという物理学的な事実に基づいた、地上の暗闇を切り拓き星空を突き抜け、そして地平線を超えて『北極星』として煌めき放つかのような、これまでの全てのディストピアから解放するダニエル君の超絶ハイトーン・ボイスへと繋がった瞬間、人類は「エモさ」の限界点を超える。

本棚の裏 ・・・オープニングから続いたディストピアの世界から開放された彼らテッセラクトは、それと対になる楽園都市”Utopia”に辿り着く。ダニエル君の歌い始めから「ジェント界のメイナード・ジェームス・キーナン」を襲名するこの曲は、Destiny Potato顔負けの軽快なリフやラップ調のボイス・パフォーマンスを垣間見せたりと、それこそToolSikthというテッセの”ルーツ”を音楽という名の宇宙空間の中で紡ぎだすかのような一曲だ。そして、ライブ作品の『Odyssey/Scala』でも垣間見せた、ダン君の超絶ファルセットボイスが不死鳥のように銀河を駆け巡る"6”Phoenix”、今作の中では最も異色ながら最も普遍的なジェントでもある#7”Messenger”、それはワームホールさながら、それはアンビエンスな音の粒子が降り注ぐガルガンチュアを彷徨うマシュー・マコノヒーさながらの#8”Cages”、ガルガンチュアの底すらない暗闇(本棚の裏)に堕ちたテッセラクト(四次元立方体)は、彼ら(五次元)の意思を三次元の人類に伝えるメッセンジャーとして、本棚の裏から2進数を用いて超絶epicッ!!な感情を爆発させる#9”Seven Names”、そのアウトロの余韻あるいはカタルシスは映画『インターステラー』を観終えた時、あるいは漫画『ジョジョ6部』を読み終えた時と全く同じものだった。

new_new_1280x720「やっぱ俺ら、お前がいないとダメだわ。復帰してくれないか?」

new_new_1280x720kkm「・・・いいけど、一つだけ条件がある」

new_new_1280x720「・・・条件って?」

new_new_1280x720kkm「お前ら今日から俺のバックバンドな?」

new_new_1280x720「えっ」

new_new_1280x720kkm「バックバンドな?」

new_new_1280x720「は、はい・・・」 

new_new_1280x720kkm「ククク...(計画通り)」 

したたかな関係 ・・・賛否は間違いなくある。そう言い切れるほど、もはやダニエル君がバンド復帰する条件として→「自分中心のバンドになれ」という要求を提示し、その条件にリーダーのアクルが屈した、そんなダニエル復帰の裏取引があったんじゃあないかと邪推してしまうほど、その光景が容易に浮かんでくるくらい「ダニエル推し」のアルバムとなっている。これまでは、ボーカルは人工知能ロボットのように感情を制御された一つの楽器、一つの音みたいな役割を担い、その音の一つ一つの緻密な作業の積み重ねによって、バンドのコンセプトでもあるテッセラクト(四次元超立方体)を構築していく音楽性が彼らの特徴で、その点では前作はバンドとアッシュ君のエモ・ボイスのバランスは理想的だったが、今作では「絶対的なフロントマン」すなわち「ジェント界の夜神月」になりたいダニエル君側の思惑と、テッセラクトがKscope入りしてPost-Progressive化したことを界隈の幹部に認めさせたいアクル率いるバンド側の利害が一致した形と言える。つまり、これまで音の根幹を担っていたバンド側が、今作ではダニエル君のボイスという名のリード楽器に逆に引っ張られる形となっている。なんつうか、この一種の「したたかな関係」というかビジネスライクな関係って、まさしく「ジェント界のDream Theater」と呼ぶに相応しいというか、皮肉だがその「したたかな関係」が明るみになった所が、今作一番の面白さに繋がっているのも事実。しっかし・・・いいね~この関係性、ゾクゾクしちゃう。

答え ・・・これまでのジェント然としたポリカルなリフ/グルーヴ主体というより、ハンス・ジマーが手がけた映画『インターステラー』のサントラあるいはPost-P界の元祖であるピンク・フロイドリスペクトなアンビエンス/プログラミングを筆頭に、まさしくポスト-系特有のリリカルな展開力だったり、ラップやファルセットを駆使したダニエル君の実に"オルタナティブ"なボイス・パフォーマンスだったり、そして唯一のゲストがジェント界隈からではなくオルタナ界隈からという人選的にも、確信的にPost-Progressive界隈の音に直結したオルタナ/アート・ロック風のアレンジを軸に楽曲を組み立てている。当然、ジェントの特性である「音で聴かせるジャンル」として考えると、その「音で聴かせる」イメージは皆無に等しいし、もはやこれまでのテッセラクトとは別バンドとして捉えることも決して不可能ではない。もはやジェントというより"ポスト系"のバンドという認識を持つべきかもしれない。なぜなら、今作をジェントとして聴くと過去作と比べて数段格落ちしてしまうからだ。今作は、あくまでもポスト系のサウンドを主体に、そにへ調味料としてジェント成分を小さじいっぱいまぶしている形で、だからPost-Djentという呼び方がこれ以上「シックリ」くるものはない。それこそ、Leprousみたいなボーカル主導のポストジェントとして聴けば俄然「シックリ」くるハズだ。しかし、「歌えるボーカリスト」がフロントマンにいると必然的にこうなってしまうのは、もはや仕方のないことなのかなというか、これがテッセラクトなりの「ジェントをメインストリームにブチ上げる」ことへの答えなんだって。作品を重ねる毎に、初期の普遍的なジェントとはかけ離れていくという意味では、前作からのポストジェント化が著しく進行した結果、という風に納得できなくもない。でもまさか、先行公開時は地味に聴こえた”Messenger”が今作で最もギョントしてるなんて思いもしなかった。

黄金の距離感 ・・・極端な話、今作に対する評価って、『傑作』か『駄作』の真っ二つに別れると思う。勿論、Century Media在籍時のテッセラクトと比べると→「音がスカスカじゃねーか」とか「バンドのインストクソじゃねーか」とか、復帰したダニエル君に対しては「ボーカル講師の技能検定試験かな?」とか「オメーはニコニコ動画のインターネットカラオケマンかよ」とか「自慰行為はSkyharborでやれ」とか「バンドを私物化するな」とか、皮肉交じりにディスる輩も少なくないだろう。事実、それくらいボーカルアゲ↑↑からのバンドサゲ↓↓が顕著に出た作品だ。しかし、「Kscope所属のテッセラクト」であると考えれば、今作における変化は全て想定内の出来事でしかなくて、勿論Kscopeに移ったことで「音がスカスカ」になるという懸念は現実のものとなったが、アルバムを聴きこんでいく中で実は「スカスカじゃなかった」という結論に辿り着いた。それというのも→過去最高のボイス・パフォーマンスを披露しているダニエル君とバンドの距離感、パッと見「スカスカ」に思えた音の空間や隙間を埋めるアンビエンス/音響の今作における役割と存在感を考えれば、これ以上の音を入れる余地や空間はゼロに等しかったと『理解』できる。要するに→「最小の音数であることが最大の音数である」と言わんばかり、そのバンドの音とボーカルの音と粒子の音という名の無数の小さな四次元立方体が点と点で繋がって一つの大きな『惑星ポラリス』を創造し、その音と音の距離感は他でもない黄金比』で描き出された距離感であり、これは「欠けた鉄球は楕円球になり、完璧な無限の回転ではなくなる」という『ジョジョ7部』の主人公ジャイロ・ツェペリの鉄球理論と同じで、これ以上音数が増えたり減ったりしたらその時点で完璧な四次元立方体は完成しない、それぐらい極限まで研ぎ澄まされたサウンド・スケープは、まさしく「音のワームホール」としか他に例えようがない。自分も初め聴いた時は「もしかして駄作なんじゃねーかこれ」って思った。けど、どうだろう、これが黄金比』の距離感で形成された黄金の音』だと、この音の重力方程式を解明することに成功した瞬間、『駄作』が『傑作』に化け、そして気づくと僕はマシュー・マコノヒーばりに咽び泣いていた。

選ばれし者 ・・・この重力方程式を解き明かした結果→『彼ら』=???『意思』本棚の裏という【テッセラクト=四次元立方体】を介して、三次元の現代人に伝えるMessengerとして五次元の『彼ら』「選ばれた」のがTesseracTだったんだ。まさにProgressiveに『進歩』した「プログレの未来」を象徴するかのような一枚であり、そして何よりも「やっぱテッセのボーカルはダニエル君がナンバーワン!」だと確信させた一枚でもあり、そして「シックリ」とは『納得』することでもあるんだと思い知らされた作品でもあった。ちなみに、国内盤はANATHEMA『Distant Satellites』でもお馴染みのワードレコーズからという事で、昨年ANATHEMAの来日公演を実現させたセーソクとも信頼関係のあるレーベルなんでワンチャン来日を期待したいし、欲を言うならこのテッセラクトと同じく新作のLove, Fear and the Time Machineでポスト界入りを果たしたRiversideとのカップリングで来日したらリアルにマシュー・マコノヒー以上に咽び泣く自信あります。だからセーソク頼む!
 
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Riverside 『Love, Fear and the Time Machine』

Artist Riverside
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Album 『Love, Fear and the Time Machine』
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Tracklist
01. Lost (Why Should I Be Frightened By A Hat?)
02. Under The Pillow
03. #Addicted
04. Caterpillar And The Barbed Wire
05. Saturate Me
06. Afloat
08. Towards The Blue Horizon
09. Time Travellers

R.I.P. ・・・イギリスの奇才、デヴィッド・ボウイが亡くなった。80年代の音楽シーンに多大なる影響を与え、音楽面は元よりビジュアル面から思想に至る所まで、いわゆるPost-Progressive界隈並びに現代プログレ界の第一人者であるスティーヴン・ウィルソンに計り知れないほどの影響を及ぼし、そして"日本のスティーヴン・ウィルソン"こと漫画家荒木飛呂彦の感性および『ジョジョの奇妙な冒険』に絶大なる影響を与えた、その最もたる偉人が亡くなった。この時間旅行は、そのデヴィッド・ボウイに対する壮大な鎮魂曲なのかもしれない。

プログレ回帰 ・・・このポーランド出身のRiversideというのは、かのスティーヴン・ウィルソン主宰の新興レーベルKscopeが提唱する、いわゆる"Post-Progressive"とかいう流行りのシーンに決して流されることなく、個性あふれる独自のプログレッシブ・ロックを構築していることから世界的に高い評価を得ているバンドで、2013年に発表された5thアルバムShrine of New Generation Slavesは、現代に蔓延るブラック企業の社畜という名の『新世界の奴隷』をテーマに、それこそ新世代のスーパーヒーロー『アイアム・ア・ノマド・フリーマン』が現代の行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らすような一枚だった。一方で、その音楽的には往年のクラシック・ロックに対する理解を著しく深めていた彼らだが、前作から約二年ぶりとなる6thアルバム『Love, Fear and the Time Machine』では、そのクラシック・ロックを基にしたサウンドを着実に踏襲しつつも、しかしこれ以上懐古路線に傾倒することなく、いわゆる「超えちゃいけないライン」を超えない程度に、あくまでも"プログレ"として成立させている。正確には"プログレ回帰"した作風となっていて、しかし一言で"プログレ回帰"と言ってみても、これまでとは一味違ったプログレであることは確かで、何を隠そう、これまで意図的にPost-Progressiveという新興ジャンルから一定の距離を保ってきた彼らが遂に、というか、ここに来てようやくPost-Progressiveの世界に介入してきたのである。

(Love) ・・・ここ最近のPost-Progressive界隈では、イギリスのANATHEMAやフランスのAlcestが新しく立ち上げた新興勢力、その名も黄金界隈』が幅を利かせている状況で、この事態を受け、Post-P(ポスト-ピー)界隈の代表取締役社長兼CEOで知られるスティーヴン・ウィルソンも、2015年に発表した自身のソロアルバムHand. Cannot. Erase.の中で、SWなりの黄金の音』というのを黄金界隈』に掲示してみせた。その異常事態を察知した、SWのクローンことマリウス・デューダきゅん率いるRiversideも、敬愛するSWの後を追従するように黄金界隈』からRiversideなりのPost-Progressiveを展開している。まず、今作のタイトルに含まれたLove(愛)」Fear(恐怖)」という2つのワードからして、いわゆる"LovePeace"を最大のテーマとして掲げる黄金界隈』に、彼らRiversideが入門してきたことを意味する。何を隠そう、その『Love(愛)』『Fear(恐怖)』というキーワードは、荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』にも深い関わりを持つ。例えば→引力、即ち愛(Love)であることや、おれは「恐怖(Fear)」を克服することが「生きる」ことだと思う。世界の頂点に立つ者は!ほんのちっぽけな「恐怖(Fear)」をも持たぬ者ッ!という三部DIOや、『勇気』とはいったい何か!? 『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖(Fear)』を我が物とすることじゃあッ!と言い放ったツェペリ男爵の名言を筆頭に、ジョジョに登場するキャラクターの言動および行動原理には、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』という二大概念が存在している。人間は『恐怖』を乗り超えることで『勇気』を得ることができる、その言葉どおり、Riversideはこの6thアルバム『愛・おぼえていますか』の中で、これまで見て見ぬふりをし続けてきたPost-Progressiveと真正面から向かい合い、その『恐怖(Fear)』という名の時空を超えて真実の『愛(Love)』を掴みとっている。

恐怖(Fear)  ・・・人は誰しもが【変わる】ことに恐怖(Fear)し、世界的に【新しい】異分子となるものを排除する潮流にあり、その【新しい】異分子が原因で起こる問題に人々は恐怖(Fear)する。おいら、以前からPost-Progressive界の第一人者スティーヴン・ウィルソン荒木飛呂彦は限りなく近い、【≒】の存在であると考えていて、なお且つ黄金界隈』の創始者でありPost-P界の幹部でもあるANATHEMA"オルタナティブ"な音楽遍歴と黄金の精神』を提唱する『ジョジョ』の"オルタナティブ"な冒険遍歴も【≒】の存在であるという独自解釈を持っている。そもそも、『ジョジョの奇妙な冒険』というのは音楽漫画でありプログレ漫画でもある、という前置きはさておき、【ANATHEMA≒ジョジョ】であるという根拠の一つに、ANATHEMAが2014年に発表したDistant Satellitesを象徴する”The Lost Song”という組曲にも、他でもない『Love(愛)』『Fear(恐怖)』の二大概念がテーマに組み込まれていて、中でも”The Lost Song Part 1”のラストシーンにあるThe Fear is Just an Illusionつまり恐怖なんて幻想に過ぎないんだという『ジョジョ』然とした人間讃歌あふれる歌詞(セリフ)を筆頭に、ジョジョ8部『ジョジョリオン』「呪い(ANATHEMA)を解く物語」であること、バンド名を冠した"ANATHEMA"即ち"呪い"の中には『Love(愛)』が込められていること、そのANATHEMAがまさかの来日公演を果たしたこと、そして今回満を持してRiverside"LovePeace"即ち黄金の精神』を描き始めたこと、全てが糸のように繋がっている気がしてならないんだ。現代日本の"リアル"を暴き出していくジョジョ8部『ジョジョリオン』の中で、全く【新しいジョジョ】を切り拓かんとする荒木飛呂彦恐怖(Fear)は想像を絶するものがあるが、しかしその恐怖(Fear)を乗り超えられたならば、歴代最低の評価を受けている『ジョジョリオン』は晴れて傑作の評価を得ることになるだろう。
 

Love:12g⇄Fear:11g ・・・愛(Love)恐怖(Fear)よりも重いのだろうか・・・?人は恐怖(Fear)を乗り超えることで愛(Love)を知るのだろうか・・・?この『愛・おぼえていますか』を司る『Fear(恐怖)』『Love(愛)』、そして『Peace』という3つのワードが一つに集約され、リリックビデオとして先行公開された”Discard Your Fear”からして、アンニュイでメロマンティックな世界観やThe Cure”Fascination Street”をオマージュしたベースラインをはじめ、"オルタナティブ"なクリーン・トーン中心のフレーズやバッキング・ギターに魅了される。そして何よりも→Fear of new life Fear of days of the unknown No more fear of loveという、今作のコンセプトその本質を表した歌詞が全てを物語っている。その80年代のUK音楽リスペクトな耽美的なムードは、オープニングを飾る#1”Lost”から惜しげもなく発揮されていて、前作のリード・トラックである”Celebrity Touch”を彷彿とさせるクラシック・ロック譲りのリフ回し、今作のアートワークの如しどこまでも続く地平線に淡色に揺らめく夕焼けを映し出すようなリヴァーヴィでドリーミーなメロディ、そしてデビュー作『Out Of Myself』の頃にファスト・トラベルさせる抒情的かつ幽玄な旋律を奏でるギター・ワークまで、まさに彼らの『過去』へとタイムトラベルするかのような、今作の幕開けを飾るに相応しい一曲だ。で、ANATHEMAがPost-P界隈の仲間入りを果たし、いわゆる黄金界隈』創設に至る大きなキッカケとなった傑作『We're Here Because We're Here』直系のクリーン・ギターを擁したミニマルなリフで始まり、中盤からエキセントリックなハモンド・オルガンやメロトロンを駆使してグッと場を盛り上げてから、後半にかけて「キング・オブ・プログレ」としか例えようがないPost-然とした展開力を発揮する#2”Under The Pillow”、そして【新しい】ことに対する『Fear(恐怖)』と対峙する#3”#Addicted”は、イントロからPorcupine Tree”Fear of a Blank Planet”を彷彿とさせるポップなビート感に度肝を抜かれ、そのリズムからギター・フレーズ、そしてマリウスきゅんのフェミニンなボーカルを筆頭に、ニュー・ウェーブ/ゴシック・ロックが一世を風靡した80年代のイギリス音楽愛即ちLoveに溢れた、それこそ「ロマンスがありあまる」ような名曲だ。そして、この曲のアルペジオが入ってくるアウトロの場面転換というか、それこそ"イェンス・マジック"により化けたMoonspell”Medusalem”を彷彿とさせる、要するに80年代のUK音楽と現代的プログレを邂逅させたこの瞬間というのは、このRiversideがPost-Progressive界入りを宣言した歴史的瞬間でもあった。
 


タイムトラベル ・・・自らの原点である『過去』や自らの音楽的なルーツでもある80年代の音楽シーンに回帰した彼らは、今度は2ndアルバム『Second Life Syndrome』と3rdアルバム『Rapid Eye Movement』の頃にタイムトラベルする。暗鬱で内省的な世界観やポスト系のキザミで構成されたリフ回しをはじめ、中期のPorcupine TreeあるいはThe Pineapple Thiefを連想させる、それこそイギリスの空模様のようにソフト&ウェットな、それこそPost-Progressive然としたアコギを織り込みながら、ラストは一種の小宇宙を形成するようなエピカルなバンド・アンサンブルでキメる。次はそのメタリックな側面を更に追い求めるかのように、すなわち4thアルバムAnno Domini High Definitionへとタイムトラベルする#5”Saturate Me”は、プログレ・メタル然としたアクティヴでテクニカルなインストをはじめ、マリウスきゅんによるミカエル・オーカーフェルト顔負けの抒情的なボーカル・メロディとキーボードのエピカルでスペイシーな演出とともに、カタルシスを誘うアウトロのアルペジオまで揺るぎない音のスケールで繰り広げる。悪夢を見ているかのようなダーティで物哀しいマリウスきゅんのボーカルをメインに聴かせる#6”Afloat”Alcest顔負けの美しいアルペジオとアート・ロック志向のピアノ、そしてマリウスきゅんのヨンシーばりの繊細な歌声をもって恍惚感に溢れた幕開けを飾る#8”Towards The Blue Horizon”は、そのアルプスの遊牧民と化す幕開けから一転して、Opethの名曲”Bleak”Riversideなりに再解釈した猟奇的なギター・フレーズから徐々に暗黒面に堕ちていく曲で、というより、Pale Communion”River”をイントロから見せ場のスリラーなインストパートまで丸々オマージュしたような曲調で、あらためてOpethがマリウスきゅんおよびRiversideに与えた影響、その大きさを物語っている。そのタイトルどおり、それこそLet's go back to the world That was 30 years ago And let's believe this is our timeと繰り返される歌詞にあるように、『現在』から30年前の『過去』へとタイムトラベルした長旅の疲れを癒やすような、その思い出話に花を咲かせるようなフォーキーなアコギ中心の#9”Time Travellers”、そしてPink Floyd”High Hopes”をオマージュしたようなMVの映像美が見所の#10”Found”を最後に、デヴィッド・ボウイと並びPost-Progressiveの一つのルーツであるフロイドに敬意を表することで、これにてRiversideのPost-P界入りが正式に『許可』される。



再構築 ・・・「僕たちが愛した音楽、そのルーツがどこにあるのか?」を過去30年まで遡って彼らが導き出した答え、「僕たちの音楽」がこの『Love, Fear and the Time Machine』なのだ。マリウスが子供の頃に夢中になった80年代のイギリス音楽、大人になったマリウスが夢中になったPorcupine Treeおよびスティーヴン・ウィルソンOpethおよびミカエル・オーカーフェルト、それらを含むマリウス・デューダが愛した世界中の音楽との再会、つまりタイムトラベルの後遺症により"Lost"した記憶(思い出)をトリモロス(再構築)する音の時間旅行なのだ。子供の頃の記憶を取り戻し、大人になって成長した今の自分を紡ぎ出すことに成功した主人公マリウスは、右手には愛(Love)を左手には勇気(Pluck)を持って、Post-Progressiveという未知なる恐怖(Fear)に立ち向かい、その恐怖(Fear)を乗り超えた先で掴みとった【新しいRiverside】の姿が今作に刻み込まれている。そもそも、往年のクラシック・ロックの音作りでガチのプログレやるパティーンというのは、最近ではMastodon『Crack the Skye』CynicKindly Bent to Free Us、そしてOpethPale Communionが記憶に新しいが、紛れもなくこの『Love, Fear and the Time Machine』もそれらの作品と同じ系譜にあるアルバムと言える。中でも、スティーヴン・ウィルソンが手がけた『Pale Communion』は、今作に多大な影響を及ぼした一枚なのは確かで、Opeth自身もそのアルバムの中で自らの『過去』を再解釈/再構築していたが、このRiversideの場合は自らの『過去』を経由して、更にそこから30年前の音楽を再構築するという、それはまるでスティーヴン・ウィルソンミカエル・オーカーフェルトの間に生まれたマリウス・デューダという名の子供が、親の離婚という『未来』を変えるために『過去』へタイムトラベルして再構築を目指すような、それはまるで未知なる惑星へと向かう途中、ガルガンチュア内部に突入する恐怖(Fear)時空(Spacetime)を超えて究極の親子愛(Love)に辿り着いた、映画『インターステラー』マシュー・マコノヒーばりに前代未聞の事を成し遂げている。そして子(マリウス)が親(SW&MO)という絶対的な存在を超越した瞬間、気がつくと僕はマシュー・マコノヒーばりに咽び泣いていた。

繋ぎの意識 ・・・今作、とにかく曲展開の"繋ぎ"とアウトロに対する意識の高さが尋常じゃない。その繋ぎやアウトロといえば→デフヘヴンの新しいバミューダ海峡が一種のプログレに通じていたのは、他でもない展開の繋ぎとアウトロの意識の高さにあって、今作のRiversideも例外はなく、繋ぎのメリハリを強調することによりプログレという名の様式美/構成美が刻まれていく。そして、いかに今作がOpeth『Pale Communion』をお手本にしてるのかが分かる。特に、#2,#3,#4のクライマックスで垣間見せる、四人の個が互いに高め合いながら一つになり、ナニモノも立ち入ることを許さない"四人だけのセカイ"を構築する孤高のバンド・アンサンブル、それは現代のプログレと称されるポストロック的ですらある、まさにポストでモダン、リリカルでエピカルなPost-Progressive然とした展開力、ある種の「静寂の中にある狂気」は息を呑むほどに「ロマンスがありあまる」。もはやバンドとしての一体感は、ポスト界隈の幹部勢を優に超えたものがあるかもしれない。

変わる ・・・初期二作のクサメロ全開の辺境プログレっぷりから、一転して3rdアルバムではTool直系のモダン/オルタナ化したと思えば、次の4thアルバムではメタリックなモダン・ヘヴィネス化したりと、元々Riversideって【変わる】ことを決して恐れないバンドではあるのだけど、この『Love, Fear and the Time Machine』における【変わる】の意味は、これまでの【変わる】とは意味合いがまるで違う。ピョートル(兄)のギター・ワークからアコギおよびアルペジオをはじめ、それに伴う曲作り/曲構成、そしてリリック面に至るまで、全ての音のトーンが完全にポスト化へとシフトしている。いわゆる洗練されたとかモダン化したとか、そんなベクトルの話とは違くて、ただただ「これがプログレなんだ」感しかない。マリウス&ミシャのインテリコンビとガチムチ系ピョートル兄弟からなる、この凸凹過ぎるギャッピーなビジュアルからは想像つかないほどの、音楽に対する柔軟性や器用さを過去最高レベルで発揮している。中心人物であるマリウスきゅんはマリウスきゅんで、クリエイターとしての才能とソングライターとしての才能を過去最高に高い次元で爆発させている。そして過去最高にSW愛に満ち溢れた作品でもあって、ソロプロジェクトのLunatic Soulで垣間見せたSW愛をそのままバンドに持ち込んだような形とも言える。僕は今作における【変わる】の意味に対して、「軸がブレた」とか、「オリジナリティが薄れた」とは微塵も思わない。むしろSWの正統なクローンだからこそ実現可能にした、紛れもなく真のオリジナリティだ。
 
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Susanne Sundfør 『Ten Love Songs』

Artist Susanne Sundfør
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Album 『Ten Love Songs』
Ten Love Songs

Tracklist
01. Darlings
02. Accelerate
04. Silencer
05. Kamikaze
06. Memorial
07. Delirious
08. Slowly
09. Trust Me
10. Insects

北欧のスティーヴン・ウィルソン ・・・個人的に、海外のシンガー・ソングライターの中で新作がリリースされる度に欠かさず追い続けてるアーティストが、北欧ノルウェーはオスロを拠点に活動するノルウェイの森の不思議ちゃんこと、このSusanne Sundførだ。彼女の名を世に知らしめる大きなキッカケとなった、2010年作の2ndアルバム『The Brothel』を聴いた時の衝撃は今でも記憶の中に強くあって、ジャズ/エレクトロ/シンセ/アート/ドリーム/バロック・ポップやオルタナやエクスペリメンタルやアコースティックやフォークやトリップ・ホップやアンビエントやモダン・クラシカルやアトモスフェリックやインストゥルメンタルなど...ありとあらゆるジャンルと多種多様な楽器を変幻自在に操るマルチな音使いをもって、一種のおとぎ話のようなミュージカルさながらメルヘンチックに演出していく姿は、それこそPost-Progressiveと表現する以外他に例えようがなくて、あわやRiversideマリウス・デューダ君のソロ・プロジェクトをはじめとしたPost-Progressive界隈にも地味に影響を与えてるんじゃあないかってくらい、もはや日本の椎名林檎邦楽界のスティーヴン・ウィルソンだとするなら、このSusanne Sundfør北欧のスティーヴン・ウィルソンあるいは欧州のGrimesと言っても過言じゃあないくらい(グライムスよりも年上だが)、とにかくマジでスンゲーSSWというわけ。で、その傑作『The Brothel』が本国ノルウェーのチャートで一位を飾ると、続く3rdアルバムThe Silicone Veilも本国のチャートで一位を、そして約三年ぶりとなる4thアルバム『Ten Love Songs』も当然のように初登場一位を記録し、このように三作連続でチャートトップを飾っている所からも、母国では既に絶大な人気を博しており、名実ともに北欧いや欧州を代表するアーティストにまで上り詰めている。そんな彼女を人々はこう呼ぶ...北欧のケイト・ブッシュと! 最近では、フランスの英雄M83がトム・クルーズ主演の映画『オブリビオン』に書き下ろしたED曲でフューチャリングしてたりと、その知名度は着実に世界へと拡散中だ。

北欧の西野カナ ・・・この『Ten Love Songs』は、前作から顕著に浮かび上がってっきた"ボーカル重視"の流れを素直に踏襲しつつも、一方でソングライター以前に一人のシンガーとしてのポテンシャルを爆発させている。傑作『The Brothel』で提示したオルタナというかエクスペリメンタルというか、あらゆるジャンルを内包した「なんじゃこいつ!?」感や持ち前のPost-感というのは少し薄まって、あのM83とコラボした事で彼女の中でナニかが感化されたのか、よりメインストリームを意識した80年代リバイバル感溢れる俄然ポップでロリキュートなボーカル、そして北欧の西野カナを襲名するかのようなLOVE♥い歌詞を全面にフューチャーした、俄然レトロフューチャーなシンセ・ポップ色の濃い作風となっていて、それこそ『Ten Love Songs』という至ってシンプルなタイトルが示すように、10曲のラブソングとしてサクッと気軽に聴けちゃう、過去最高にkawaii-スイーツ感と大衆性に満ち溢れた作品となっている。



永遠のØ ・・・まさに今作最大のテーマである"ボーカリストとしてのSusanne Sundfør"を強く打ち出していくような、オープニングを飾る#1”Darlings”から、まるで小さな丘の上に佇む教会の中で、コーラス合唱隊という名の神の使いを引き連れたスザンヌが、USの歌姫Julianna Barwickばりの神聖な歌声を天上へと高らかに響かせる。その神々しい幕開けから一転して、それこそChelsea Wolfe直系の黒魔術を詠唱するかのようなスザンヌのゴシカルな歌声とダーティなエレクトロと妖艶かつ幽玄にユラリ揺らめくシンセ、俄然その密教的というかエスニックなムードを濃厚に演出するパーカッションが妖しくネットリと絡み合うダンス・ロックチューンの#2”Accelerate”、そのダークな雰囲気からギャップレスで繋がる#3”Fade Away”は、それこそABBAをはじめとした往年の北欧ポップ・ミュージックを継承するかのような、どこか懐かしくもあり史上最高にポップでもありフォーキーでもある情緒に満ち溢れたメロディ、その洗練された『王道』のポップスからは、もはや映画『サウンド・オブ・ミュージック』を観ているかのような、老若男女の郷愁心に訴えかける普遍的なキャッチーさすら感じ取れる。この#2#3【裏と表】あるいはと黒】のように対極的な曲調をギャップレスで繋ぐ演出は見事としか言いようがなくて、彼女のシンガー以前にソングライターとしての異常なポテンシャルを伺わせる。プロデューサーにJaga JazzistLars Horntvethを迎えた#4”Silencer”は、序盤はアコギとオートハープが織りなす遊牧的な音とスザンヌのウィスパーボイスが、そのタイトルどおり静かに、そして安らかに聴き手を黄泉の国へと誘い、しかし中盤からはストリングスを使って壮麗かつPost-的な展開力を発揮していく。・・・そして”カミカゼ”とかいう、もはや説明不要のタイトルを冠した”Kamikaze”は本作最大の目玉で、過去最高にエモーショナルな...誤解を恐れずに言うと媚びたような甘酸っぱいスザンヌの胸キュンボーカルッ!それはまるで神風特攻隊である主人公とヒロインの『愛』が込められた『魂』のリリックッ!そして零戦が飛び交うSEを使ったガチな演出とともにッ!特攻隊員の刹那的かつ激情的な想いと「最高にハイ!」ってヤツの狂気的な感情が一気に爆発し、まるで一寸法師の如くカオティックに踊り狂うかのようなシンセの音色が今世紀最大の感動を呼び起こすッ!これはもはやッ、Susanne SundfØrが音楽の世界で描き出す...スザンヌなりの『永遠のØ』だッ!

北欧の荻野目洋子 ・・・名曲”Kamikaze”のチェンバロを使ったアウトロのカタルシスと感動の余韻を残したまま、プロデューサーにM83アンソニー・ゴンザレスを迎えた#6”Memorial”へと繋がる。それこそ”Kamikaze”により儚く散っていった、永久に帰らぬ君を想うリリックを聖者に代わって神々しく歌い上げるスザンヌとM83直系の80年代リバイバルなシンセをフューチャーしながら、中盤からは映画音楽さながらの重厚なストリングスにより俄然ドラマティックに、音のスケール感をマシマシに演出していく、それこそ映画『オブリビオン』で共演した事の延長線上にある約10分を超える長編大作だ。で、まるで同郷のUlverの近作を彷彿とさせる狂気的なイントロから、引き続き壮麗なストリングスをフューチャーしたエレクトロ・ポップ調で展開する曲で、中でもCome into my arms, come into my armsという、まるで気分は『ダンシング・ヒーロー』荻野目洋子とばかりのリリックを繰り返し、愛する人の腕を力強く引き寄せるような#7”Delirious”、初っ端のPlease go slowly...とかいうスローセックス推奨のリリックからしてエロ過ぎる...もといエモ過ぎる曲で、「おいおいテレサ・テンか」ってくらい哀愁ダダ漏れの歌声と日本のムード歌謡を思わせるRøyksopp譲りのシンセ・サウンドに→「懐かしくて涙が出ちゃう、だって女の子だもん!」ってなることウケアイな#8”Slowly”、この#7→#8のいわゆる"歌モノ系"の流れを聴けば、このアルバムがいかに日本人向けと呼ぶに相応しいアルバムなのかが分かる。そしてシンプルな#9”Trust Me”から、まるで椎名林檎”尖った手口”に対するスザンヌからの回答であるかのような#10”Insects”まで、まるで百某の『永遠の0』はマガイモノだと言わんばかりの、僕たち日本人にこれが本物の『永遠のØ』だと説き明かさんとする傑作だ。

日本人好み ・・・このアルバム、まず何よりもボーカリストとしてのSusanne Sundfør、そのポテンシャルが過去最高に発揮されている。最高傑作と名高い2ndアルバム『The Brothel』と比較すると、M83リスペクトな音使いや80年代を意識した音作りは勿論のこと、スザンヌの感情的なボーカルワークやフィンランド映画『アナとオットー』をイメージさせる刹那的なリリックまで、全ての音の嗜好がメインストリーム市場向けに著しく変化しているのが分かる。その変化が最も大きな部分は他でもないスザンヌのボーカルで、2ndアルバムの頃はボーカルが一つの楽器として機能していたが、今作では日本の荻野目洋子をはじめ、80年代の昭和歌謡にも通じる情感溢れるエモーショナルな歌声と持ち前の高域の美しさと低域の妖艶さを自在に操るボーカルワーク、その魅力が余すことなく堪能できる今作は、もはや"歌モノ"として聴くべきアルバムなのかもしれない。そのサウンドも同様、意図的にチープというか80年代を意識したレトロフューチャーなシンセをはじめ、ドラム・アレンジまでも徹底して80年代を再現した音作りになっており、細部まで緻密に計算し尽くされた80sリバイバル・サウンド、そのクリエイターとしての徹底したガチっぷりにリスペクト不可避だ。そのアレンジに関しても、まるでテレサ・テン『愛人』を彷彿とさせる昭和歌謡っぽさあって、とにかくメロディからアレンジまで日本人の心に違和感なく溶け込む音色で埋め尽くされていて、これはもう完全に日本人向けの作風と言い切っちゃっていいレベルだ。元々、これまでの作品にも共通する遊牧的な音の温かさだったり叙情的な曲の雰囲気は"日本人好み"だと思ってて、今作ではそのいわゆる"日本人好み"のステータスがカンストを超えてゲージを振り切っている。だからGrimesよりも日本で人気が出ても全くおかしくないというか、むしろ日本人が聴かなきゃいけないアーティストだと心から思う(なお、日本での知名度...)。同時に、”Fade Away”みたいなABBAリスペクトな楽曲を書いたお陰か、初めてスウェーデンのランキングにチャートインした事実を見ても、今作は意図的にスウェーデン市場を狙った確信的な一枚でもあるのだ。少なくとも"歌モノ"として聴けば2ndに匹敵する完成度だし、"歌モノ"に限って聴くなら間違いなく最高傑作だと思う。それこそ初めて彼女の作品を聴くって人には、これ以上ないほど打って付けの一枚と言える。なんつーか、前作の一皮剥けきれないハンパなイメージや唯一のネックだった作品の尻すぼみ感は一切なくて、最後の最後までノリノリdeアゲアゲなダンス・ミュージック的さながらのテンションで振り切った末の傑作だ。これは余談だけど、今作屈指の名曲”Kamikaze”を初めて聴いた時は→「よし!"カミカゼ"って単語は歌詞に入ってないな!」って安心して聴いてたけど、後で歌詞カードを見たら普通に「カミカゼ」って言葉が歌詞にあって、それが外国人特有の「カミカズィ~」的な発音だったから全然気づかなかったみたいで、でもこれ気づかないほうが名曲に聴こえるヤツなんで「カミカズィ~」は忘れちゃてください。

SSW三姉妹 ・・・結論として言うなら→「もうなんか完全に椎名林檎の『日出処』とリンクしてて面白いってレベルじゃねぇわもう」です。そもそも、ナゼ僕が【椎名林檎が日本におけるPost-Progressiveの先駆け、第一人者】だと考察しているのかと言うと、ハッキリ言っちゃえば椎名林檎という存在にこのSusanne Sundførと同じフィーリングを感じているからで、例えばこの『Ten Love Songs』にもあるような曲間のギャップレスな繋ぎから、ボーカル・メロディの作り方やチェンバロ及び映画音楽顔負けのストリングスを大胆に取り入れたアレンジ面もどことなしか似ている。当然、それは彼女たちが"オルタナティブ"な存在だと理解した上での話なのだけど、アルバムの中盤あたりからストリングスを押し出していく演出も『日出処』と共振するかのよう。そして何よりも、最近では「もう王道のことしかしたくない」と語っている椎名林檎だが、他でもないこの『Ten Love Songs』も紛れもなく『王道』の音楽と呼べるソレで、事実、椎名林檎で言うところの毒素というか不思議ちゃんみたいな取っ付きにくそうなオーラ、これまでの少し奇をてらった"アンダーグラウンド"なイメージを完全に払拭しきっている。音的にも、細部まで緻密に練りこまれたというより驚くほど大胆かつシンプルで、音使いや音数(音色)も過去最高にシンプルかつ最小限に抑えられているし、小難しいことは何一つない大衆性に溢れたアルバム・コンセプト的にも、もはや必然的に『日出処』と同列に語りたくなるのが男の性ってもんだ。つまり、今作で彼女も椎名林檎と同じ"ある境地"に達したと認識していいだろう。同時に、これはもはや『日出処』に対する北欧ノルウェーからの回答である、という事も。しかしもう既にスザンヌは椎名林檎グライムスにも影響を与えているのかもしれない。というより、日本におけるPost-Progressive界の第一人者として、同じ"オルタナティブ"なSSWとして彼女の存在を意識していないわけがない。つうか、椎名林檎が長女(37歳)で、このスザンヌが次女(29歳)で、グライムスが三女(27歳)でSSW三姉妹的な解釈を持ってみると、また違ったナニかが見えてくるかもしれない。アジア文化に関心がある、この三人に共通するオリエンタリズム的な意味でもね。特にスザンヌは本国ノルウェーだとEMIに所属しているってのが何よりも面白い。ともあれ、もし椎名林檎『林檎フェス』なるものを開催しようもんなら、是非とも外タレ枠で呼んで欲しい最もたるアーティストだ。

SW×SSW ・・・しっかし、約三年ぶりのフルアルバムという事で若干心配したが、蓋を開けてみると著しい変化とともに確かなスザンヌ節も要所にあって安心した。あらためて、海外のSSWで一番好きなアーティストだと再確認した次第だ。と同時に、これは最近のANATHEMAにも同じことが言えるのだけど、ノルウェーとUKミュージックとの親和性の高さって一体何なんだろうなって。まぁ、それは割りとどーでもいいのだけど、そんな事よりいつかマジでスティーヴン・ウィルソンとコラボして欲しいっつー話w

Ten Love Songs
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ねごと 『DESTINY』

Artist ねごと
negotoaaa

Single 『DESTINY』
15

Tracklist
01. DESTINY
02. 夜風とポラリス
03. シンクロマニカ -Mizuki Masuda Remix-

『深夜の馬鹿力』 ・・・ねごとの3rdアルバムVISIONは、まさにねごとの『未来を確信的かつ核心的に捉えた、今年の邦楽界を象徴するかのような傑作だったが、そのアルバム『VISION』から約三ヶ月ぶりとなる新曲『DESTINY』が早くも発表された。自分の中で→「ねごとはシングルよりもアルバム曲のが面白い」というイメージと、今回のシングルはアニメ『銀魂゜』のアニソンタイアップだという点から、正直過度な期待はしていなかったし、実際に伊集院光のラジオ『深夜の馬鹿力』で流れた時にサラッと聴いても→「まぁ、シングルだしこんなもんか」みたいな漠然とした印象しか持てなくて、でもこのMVがアップされて初めてフルで聴いてみたら一転、それまでの評価が180度ガラッと変わってしまった。



裏VISION ・・・そんな事よりも、曲がどうとか以前に、この横スクロールアクションみたいなMVの沙田瑞紀がメチャクチャ可愛い。特にラスト演奏パート。もうなんかこれ以外の感想は必要ないくらい、俄然瑞紀推せるやん?というわけ。で、話を戻して→伊集院光のラジオでほぼ寝ながら聴いた時は、ありがちなアニソンみたいなイメージしかなかったが、前述の通りこの”DESTINY”はフル音源で聴いて初めてその真価を発揮するのだ。まるでデヴィン・タウンゼント総裁『Addicted』を彷彿とさせるピュンピュンしたkawaii系エレクトロニカとガールズ・ロック界のYMOを襲名するかの如し俄然レトロフューチャーなキーボードの音色、つまり新しさと懐かしさ、それこそレトロとモダンがクロスオーバーした"レトロモダン"なイントロから、瑞紀らしいミニマルなフレーズで曲のシュール感を演出しつつ、”シンクロマニカ””GREAT CITY KIDS”を連想させる最高にハイ!ならぬ最高にデッ↑デッ↑ってヤツな蒼山幸子のボーカルが冴え渡るポスト-グリッチ・ポップ的なサビへと繋ぎ、そしてこのシングルがただのポップ・ソングじゃあないことを証明する中盤からの、それはまるでANATHEMA”Thin Air”顔負けのPost-Progressiveなパートでは、ベースの藤咲佑とドラムの澤村小夜子によるリズム隊のジャズミュージシャンばりに大人びたグルーヴを形成し、その強靭な土台の上で星空を見上げるような幸子の哀愁を帯びたボーカル・メロディが確かな存在感を発揮、来たるクリマックスではこれぞ"日本のオリアンティ"あるいは"ガールズ・ロック界のダニー・カヴァナー"と呼ぶに相応しい瑞紀の天上を貫くようなギター・ソロから大サビへと繋がる”endless”顔負けの展開力・・・そして遂に一つの結論に行き着く→「チョトマテチョトマテ...これって『VISION』の原型じゃ~ん!」って。事実、この曲は二年前から既にストックされていた曲との事で、どおりで所々にアルバム『VISION』の鍵を握る楽曲アレンジが顔を覗かせたりするし、と言っても『VISION』のどの曲とも一線を画した雰囲気や世界観を持っているのも確かで、これはもう言わば『裏ビデオ』もとい『裏VISION』と命名したくなるほどの名曲だ。あらゆる音がせめぎ合っているのにも関わらず、全く窮屈に感じない無駄のないソングライティング、その著しい洗練が進んだねごとワールドが宇宙さながら無限に広がっていく中で、その音のワームホールを抜けた先にねごとが辿り着いた一つの境地、これまでの集大成であると同時にねごとが降り立った新種の惑星がこの『DESTINY』なのかもしれない。

【成長性A ・・・傑作『VISION』で培ったバンドのアンサンブルはより強固に、より靭やかさが増し、持ち前のメジャー感溢れるポップさと『VISION』という傑作を作り上げたことで芽生えた自信、そしてバンドの成熟感に裏打ちされたアンサンブルが絶妙なバランスで保たれた、そのサウンドスケールが突如としてサウンドスケープと化す音のダイナミズムに只々圧倒される。アルバム『VISION』から数ヶ月という短期間で、自らのサウンドを著しくアップデイトし続けるねごとの音楽に対するひたむきな姿勢、優等生過ぎるほど貪欲な探究心にリスペクト不可避だ。なんだろう、ジョジョの身上調査書的に例えると、ねごとメンバーの成長性は間違いなくAランクだ。もはや今のANATHEMAに肩を並べる成長スピードだわ。なんかもうこいつらスゲーわ。こいつら本当に後ろ(過去)を振り返る気ねーわ。今はもう前しか見えてない、それこそ『VISION』で指し示した未来へと突き進んでいる感、無敵感がハンパねーわ。同時に、もうなんか『5』は意地でも聴かねーわと決意した瞬間だった。もうなんか公園に引き篭もって"椎名林檎ごっこ"してるどっかのメンヘラクソ女に聴かせてやりたい気分だ。

邦楽界のANATHEMA ・・・ねごとの成長性、それ即ちバンドメンバーの成長性に繋がっている。その実力はGLAY界隈でも折り紙つきの小夜子のドラムは、いつものように足の裏から変な汁が出るくらいテクいリズムを刻むというわけではなくて、今回はむしろ過去最高に派手さや手数を抑えた、パッと見地味に聴こえるようでいて、しかし随所で小夜子らしいというか小夜子にしか叩けないセンスフルなドラミングを披露していて、同時にドラムの音も過去最高にオーガニックかつナチュラルな音像で、俄然タイトかつヘヴィに聴かせる。佑との絶妙なコンビネーションも相まって、俄然リズム隊の骨太感マシマシだ。幸子は幸子で、一曲の中で哀愁と激情の間で最高にハイ↑から最高にロー↓まで(ハンティン↑ハイアンロー↓的な)、繊細に聴かせる所はシッカリとメロディを聴かせ、ブチアゲ↑る所ではシッカリとエピカルにブチアゲ↑る、まるでANATHEMAヴィンセント・カヴァナーの如く変幻自在に歌いこなし、一人のボーカリストとして着実なステップアップを感じさせる。瑞紀は瑞紀で、カップリング曲の”夜風とポラリス”の中で、海外ノイズ・ポップ/ギター・ポップ風のオルタナ然としたギターを主体に、夏っぽいカラッとした雰囲気で軽快かつ爽やかなテンポで聴かせる曲で、これまでのねごとにはなかったような、しかし随所にねごとらしさを強く感じさせる今風の新感覚サウンドを展開していく。そして三曲目の”シンクロマニカ -Mizuki Masuda Remix-”は、初期Porcupine Treeをはじめとした今のPost-Progressive勢にも通じる、言うなればSF映画『メトロポリス』の世界観にも通じるアトモスフィアーでダークな雰囲気を持ったミニマル/ダブ・テクノ風のリミックスとなっている。目指すはJ-POP界のChvrchesといった所か。そしてアルバムに引き続き、かのテッド・ジェンセンをマスタリングとして起用しており、俄然プロフェッショナルな音を提供してくれている。特に今回の小夜子のドラムの音は理想的と言える。ちなみに、歌詞カードはきのこ帝国『桜が咲く前に』と同じく一枚づつのカード仕様で、初回限定盤のDVDには先日大団円を飾った『お口ポカーン?!初の全国ワンマンツアー2015』の初日密着ドキュメンタリー編が収録されている。

今最も評価されるべきバンド ・・・ともあれ、"今最も評価されるべきバンド"という俺的評価に俄然説得力を持たせるような、一方で【なぜ日本におけるPost-Progressiveが女性的なジャンルであるのか?】という昨今の疑問に対する答えのようなシングルだった。つうか、シングル曲でこれだけハイレベルな一種の実験的な曲が書けちゃう今のねごとに怖いものなしだろう。マジでもうねごとがNEXT-ステージにステップアップするには、ANATHEMA”Distant Satellites”みたいな究極のミニマル・ミュージックが書けるか否かにかかってるんじゃあないか。それができなきゃねごとはそれまでのバンドだったというだけの話で、それ以上でもそれ以下でもない。なぜならそれができるのは、少なくとも今の邦楽界ではねごとしかいないからだ。しかし現に、三曲目の”シンクロマニカ -Mizuki Masuda Remix-”はその伏線()だと確信しているので、俺たちの瑞紀なら、俺たちの瑞紀ならきっとやってくれるハズだ・・・ッ!

DESTINY(初回生産限定盤)(DVD付)
ねごと
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