感染防止 赤●の中心地で

 母は雛祭りが大好きである。毎年、徳川家の華やかな雛飾りを見に行く。3月は忙しいから、と2月のうちに早々と出掛けた。早咲きの緋寒桜がほころぶのも眺めた。

介護タクシーの運転手さんが、「外に出るときはお母さんにマスクしてもらったほうがいいですよ」と言ってくれた。

 

 すでに施設に入るときはマスク持参、つけていたマスクを捨て、新しいマスクを着用するルールになっていた。

母を病院に連れてゆくときは、施設までのマスク、病院でのマスク、母のマスク、施設に戻ってからのマスクと、使い捨てマスクを何枚も消費する。残り少ないが、3月になったら品薄は解消するといっているから、あと少しの辛抱だ、とそのときは思っていた。

 

 外出から施設に戻ると、受付が慌ただしい。「〇〇さん、自宅ゆきキャンセルだって。お昼ご飯、ここで食べるって。感染者が通っていたスポーツジムに、家族が行ってたんだって」

 それまで、どこかニュースの中の出来事だった感染症が、急にここまでやってきたのか、と意外な感じがした。

 

 暖かくなってきたから、次は名古屋城だ、と思っていた矢先の2月末、施設から電話があり、面会・外出制限となった。当面1か月。高齢の入居者が共同生活をする施設に、絶対にコロナウィルスを持ち込むわけにはいかない。当然の対策である。

しかし、認知症の母に、事態を理解できるとは思えない。急に誰も会いに来なくなり、見捨てられたという感情だけが残らないだろうか。1か月は長い。せめてどこかで1度、自宅へ連れてゆこう。そう考えて兄に相談した。兄はぼそぼそ言った。「施設がだめっていうんだから、やめといた方がいいんじゃない」。そうかもしれない。閉鎖空間である新幹線で帰省する間に私が感染したら、自分は発病しなくても母にウィルスをうつすリスクが高い。やはりここは見送ろう。

 

それから、予約していた新幹線をキャンセルした。介護タクシーもレストランもキャンセルした。いつもお世話になるタクシーの方は、電話のとき咳き込んでいて心配だった。レストランの方は、落胆するのが目にみえるようだった。能楽堂の公演は中止となった。

 通院している病院も、兄が代わりにゆき、処方箋をもらうことになった。兄に保険証と地図を郵送し、介護スタッフから母の症状を聞き取ってクリニックへFAXした。

 

 3月に入り、近隣の高齢者施設で感染者が出たと公表された。訪問施術の理学療法士さんも入館制限となった。高齢者は、腰の関節が固まると椅子に座ることができなくなり、寝たきりとなる。車椅子で外出することもできなくなる。それを予防するためのリハビリである。

 入館制限は必要な措置だが、ではどうしたらいいのか。理学療法士さんに電話で相談すると、ベッドに横になった時に膝を立てて左右に動かすように、と教えられた。

「え、たったそれだけ?」「それだけでも違うから。私たちが入館して施術できるようになるまで、なんとか頑張って持ちこたえてください」

 

 ただでさえ、感染症対応で負担が増えているスタッフに、母の体操をお願いするのは気がひけるが、ここはやむを得ない。電話で相談すると、ケアプランに記載してスタッフ全員で共有すると言う。

施設から外へ出ないかぎり、お年寄が自ら感染することはない。外部からのウィルス持ち込みを阻止するため、スタッフは献身的な努力を払っている。ラッシュを避けて通勤し、文字通り家と施設の往復のみである。遊びにもゆかないし、外食も一切しない。そのおかげで、施設では穏やかなふだんどおりの時が流れている。

 

感染症から入居者を守るため、日々膨大な努力をされているスタッフのみなさんに敬意を表します。

ともに見守ってくださっているすべてのみなさんに感謝します。     3月17日