ナガサワブログ PART3~この熱い魂を伝えたいんや~

D級草どインディー老舗クラブ"三宿Web"店長ナガサワの趣味や考え方や日常が垣間見れる独り長文炎上ブログの続々編。

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ちょうど20年前の今頃、1997年7月13日~19日までの6日間、初の海外旅行でニューヨークへ。当時のボクにとってはそれはそれは物凄い衝撃を受けた出来事でした。今回はその時の話しを。が、20年前のことで更には写真も1枚も撮ってないので記憶がかなり曖昧で。当時の持ち帰って現存してる資料などを見てのうろ覚えの記憶ではありますけど。

当時のボクは正直言ってこれっぽっちも海外旅行というモノに一切興味がなくて。勿論お金や時間も必要だし、全く英語も喋れないしで余計に。なので前年ぐらいまでは、いや確か本気で行こうと決めた6月ぐらいまでは、海外に行こう、しかもそんなに好きでもないアメリカ・ニューヨークへ行こうなんて思いもしなかったというか。

そんな当時のボクがなぜ急に一念発起して初の海外旅行でアメリカ・ニューヨークへ行こうと思ったのか?まず第一の要因として、当時付き合ってた彼女が仕事でニューヨークに住んでたんですよ。あ、厳密に言うと1回別れた後に正式には寄りを戻してなかったと思うので、彼氏彼女ではなかったかも知れませんが、まあ奴の荷物はうちに置いてあったり、日本に帰国した時はうちに泊まってたりと、形式上では彼氏彼女ではなかったかも知れませんが、ほぼ付き合ってるのと何ら変わりはない様な関係でした。

その彼女に逢いに行くというのが大きな1つの要因だったのは間違いありません。しかも色々と案内してくれるだろうし、住んでたぐらいだったので最低限の英語も話せるしと、こんなに心強いことはありませんでしたから。あともう1つは、少し前に確かテレビで「せっかく地球に生まれたんだから、国境を越えてみるべきだ。」的な言葉を目にして、それが異様に心に残ったというか。その言葉を目にしてからなぜだか一気に海外というモノに興味を持ち始めたんですよね。
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The Roomのバーチーフ時代、オープン当初の火曜日の毎週レギュラーがCrue-L Recordsの瀧見さんで。当初は”JAZZ CLUB”的なテーマでやっていた1週間の中では、異質とされる向きもあった火曜日の瀧見さんの日が選曲的に1番好みなのもあって「今掛けてるのって誰の何て曲ですか??」とかよく聞くことも多くて、段々と仲良くさせて貰う様になったんですが、そんなとある火曜日の夜に瀧見さんとカウンター越しに喋ってたら、確か海外の話しになってこんな会話になり。

ボク「オレまだ海外旅行って行ったことないんですよねえ。まあ今のところあんまり海外に興味もないのもあるんですけど。」
瀧見さん「え?海外行ったことないの??だったらなるべく早めに行った方がいいよ。おまえみたいな感受性の強い奴は絶対早めに行った方がいいよ。」
ボク「へ~そうなんですか?まあでも休みも取れないし金もないしでなかなか当分難しいでしょうけどね…。」
瀧見さん「金が無いなら借金してでも行った方がいいよ。それぐらい海外行くって価値があることだから。」


みたいなことを言われたことがずーっと心の片隅にあって。まあ元々何でもそうなんですけど、興味の無いことには一切見向きもしない性格なので(笑)、当時はへえ~そうなのかあ~ぐらいな軽い捉え方ではありましたけど。当時のボクって26になったばかりで「今のままじゃダメだ。何かを変えたい。」的な願望が強い時期でしたから、そういう思想とも相まって、上記の昔瀧見さんに言われた言葉が相乗効果となって、海外に行きたい欲に繋がったというのも1つの要因になったかも知れないですね。
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※人生初のパスポート用に撮った証明写真。ほぼ国籍不明…(苦笑)。










日程を見たら7月11日12日に開催した3周年アニバーサリーパーティーの準備もあっただろうし、勿論パスポートもスーツケースも持ってないしで、6月はかなりドタバタだったんじゃないでしょうかねえ。ちなみにチケットは格安航空チケットを当時の格安航空券比較検討雑誌のエイビーロード的なやつを隈無くチェックして1番安い直行便のチケットを買いました。一番安いので確か11万か12万ぐらいでしたかねえ(多分)。
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※月刊ウェブ1997年7月号。裏面には3周年アニバーサリーイベントの告知も。
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※1997年7月11日金曜日。三宿Web3周年アニバーサリーイベントにて。左から仲くん、"渋谷系"というムーブメントを作ったと言われるHMV渋谷店の名物店員だった太田さん、三宿Webの看板スタッフ・マービン、小西さん、チャーベくん。全面改装前の三宿Webブース内にて。昔のDJブースは今のダンスフロア入ってすぐ左角辺りにあったんですよね。いやぁ、今やかなりレアな写真です。









当時は毎日営業してたのもあってあまり休みも取れなかったので、アニバーサリー2DAYSの最終日終わった朝にそのまま寝ないで成田行って11時ぐらいの便に乗ってというかなりの強行日程。昔のWebはそういうお祭りイベントはかなり遅くまでやっていて、その日もボクが最後にDJやって6時半ぐらいまでやってた様な。で、終わって掃除や片付け免除して貰って一旦代官山のアパートに戻ってスーツケース持って恵比寿のウエスティンから出てたリムジンバスで成田へ。

もはや疲労困憊でしたが無事成田へ着いて受付のカウンターにいたらあの"KING OF DIGGIN'"MUROくんの姿が。当時の彼女さんでしょうか?女性と一緒にたまたま同じ飛行機でニューヨークへ行くところでした。多分買い付けとかでしょうかね?MUROくんはその2ヶ月前に出た『Bar-f-out!』という雑誌の”場を作ってる12人”的な特集で、ボクは三宿Webで、MUROくんはSAVAGEで(当時MUROくんが経営していた洋服屋)出ていたので、なんとも縁があるなあ~とは思いましたかねえ。まあ未だにちゃんとした面識は無いので話したことも無いんですけども(笑)。
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※前述のBar-f-out!1997年5月号。ボクやMUROくん以外には、エスカレーターの仲くんや、マニュアルオブエラーズの店長だった水本さん、エンジョイハウスのゴウさんなども。ちなみに後ろに写ってるスタッフは左から、バーチーフだった中川 a.k.a. DJ COMP、初代店長だったマービン、今やトランジットのエガジマサブローと化したエガちゃん。手前はオレなんですが、余りに見苦しいのでモザイクかけてます…。








そんなこんなで14時間後ぐらいに無事ニューヨークへ到着。JFケネディ空港まで彼女が迎えに来てくれて。あんまり憶えてないけどよくすぐ無事に逢えたなあと。だって携帯も無い時代だし、初の海外旅行で英語も喋れないしで、万が一にも逢えなかったら大変なことになってましたよきっと(笑)。で彼女と一緒にイエローキャブに乗ってマンハッタンへ。マンハッタンまでは一律30ドルぐらいの料金だった様な。

マンハッタンへ着いてとりあえずホテル探し。黒人が経営してて如何にも治安の悪そうな一番安いボロいホテルを借りて。彼女も一緒に泊まるってことで探したんですが、確かシングルしか空いてなくてダブルベッドが2つもある無駄にだだっ広い部屋しか無くて、1泊80ドルぐらいだった気が。5泊で400ドル。場所はどこだったかなあ~~~???色々当時持って帰ったレシートとかを色々見たり記憶を辿ってみると、恐らくグリニッジヴィレッジ辺りだったんじゃないかと。

ホテルに荷物置いてまずはその日が日曜日でまだ午前中だったので、近くのだだっ広いガレージでフリーマーケットやってるからって誘われて行って。イマイチ好みのモノがなかったんですが、唯一買ったのが写真のE.T.のTシャツ。10ドルぐらいだった様な。ニューヨークに着いての初めての買い物でした(笑)。その後は何したっけかなあ?確か街に繰り出してショップ回りとか行った様な。
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※絶対まだ持ってるハズ!とわざわざ押し入れ引っ繰り返して見付けました(笑)。大して着なかったので状態も綺麗。ちなみに未だに映画も観たことないんですが(苦笑)。









ちなみに何も考えてなくて余り金も持って行かなかったのであっという間に初日で一気に金が無くなって(笑)。当時は確かクレジットカードも持って無かったし、今みたいにどこでも簡単にATMで金おろせたりもしなかったんですよね。なのでえらい彼女に怒られましたよ(笑)。「えー!それしかお金持って来なかったの??私もお金全然持ってないよ!?もう~~~こんなんじゃどこにも行けないし何も出来ないぢゃん!!」ってなって。ボク自身もせっかくニューヨーク来てテンション上がってんのに、コレはマジで何も出来ないヤバい!ってことになり、苦肉の策で国際電話で実家へ電話して送金して貰うことに。とりあえず帰国したら返すってことで10万だったか20万だったか忘れましたが住友銀行だったかシティーバンクだったかに送金して貰って。当時は送金するのも海外だと結構大変だった気が。色々調べてどうにか翌日には送金されたんで、とりあえずそれでなんとか金無い問題は解決した訳なんですけど。

とりあえず毎日どこかへ連れてって貰いましたかねえ。元々余り観光地とかは興味なかったので、ほぼ洋服屋などのショップとかをリクエストした気が。当時買い漁ってた古着屋とか。でもやっぱり色々連れてって貰いましたけど、どうもアメリカ物の古着は全然興味が持てなくて(っていうかいいと思うモノが余り無くて)、お土産用に買った以外は確かほとんど買い物しませんでしたけど。

あと当時では非常に珍しかった男性物の下着の専門店とかも調べて連れて行って貰って。今時の大多数の男子たちはみんな穿いているであろう、当時まだまだ日本での認知度は極めて低かったボクサーパンツを買いたくて。そこで2,3枚日本では売ってない珍しいボクサーパンツ買いましたかねえ。実は当時ボクサーパンツのコレクターで、イケてるボクサーパンツ買い漁ってた時期だったんですよ。たまたま当時住んでた代官山のアパートの近くに、日本初のメンズ下着専門のショップが出来たこともあって、そこでしょっちゅう買ってました。でもまだ日本ではそこ以外でボクサーパンツが売ってる店は全然ありませんでしたけど。
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※恐らく当時ニューヨーク滞在中に使ってたメトロカード。









ちょうどニューヨーク滞在中に『New York MUSIC FESTIVAL』なるちょっとした回遊フェスみたいなのをやっていて。幾つかライブ観に行ったりしたんですけど、17日の木曜日にUNITED FEATURE ORGANIZATION(U.F.O.)のお三方がDJするっていうので行ってみようってことになり。しかも会場がステイ先のホテルから歩いて20分ぐらいのところで。当時のU.F.O.って人気絶頂の頃で、主催のパーティーの『JAZZIN’』は毎回1,000人近く入ってたと思います。とは言え日本ではそれだけ絶大な人気があっても、ロンドンならまだしもさすがにニューヨークではどうなんだろう…?という不安感は若干あって。しかもど平日の木曜日だし。

会場着いたらもうビックリ。旧西麻布イエローぐらいの箱がパンパンなんですよ。しかもガンガン盛り上がってて。確か協賛でサッポロビールが付いてて、バーではサッポロのビールとかも出してましたかね~。確かまず最初に矢部さんがDJしてて、しかも当時じゃ珍しく日本人アーティストの楽曲オンリーでDJしてました。ニューヨーク仕様なのかもとは思いましたが、日本人のDJが日本人アーティストの楽曲だけを掛けてど平日のニューヨークのクラブでパンパンに入った外国人のお客をがんがん踊らせて盛り上げてるんですから、それはそれはテンション上がりましたし痛快でしたね~。で、ブース横でずっと松浦さんがガンガン踊ってて。ボクはお三方とも面識ありましたし、彼女も松浦さんとは知り合いだったので2人で挨拶しに行こうと思ったんですが、客席からステージまでちょっと距離があって。しかも松浦さんはガンガン踊ってるし(笑)。なので結局挨拶出来ずにその日は帰ったんですけど。ちなみに後日帰国後どこかで松浦さんとお逢いした時にそのことを話したら「えー!あの時居たの??なんだ~だったら声掛けてくれれば良かったのに~」とは言われましたけど(笑)。っていうかほんと物凄い衝撃でしたよ。U.F.O.の凄さをまざまざと再認識したというか。同時に同じ日本人として誇りにさえ感じましたね~。いやあ、ほんとにアレには度肝を抜かれました。
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初の海外・ニューヨーク旅行でとても印象的且つ衝撃を受けたのが、まずマンハッタンに着いてすぐに感じた「街の匂い」でした。ビックリするぐらい街中からいい匂いがするんですよ。乗り物や建物は元よりマンホールからも。日本じゃ絶対に有り得ないというか。逆に帰国して思ったのが「なんて日本て臭いんだろう…」ってこと。雨降って湿気の強い日とかは特に。勿論外国人は日本人の様に毎日お風呂に入ったりしないこともあって、それを隠す為に香水の文化が栄えたという民族性の違いは根底にはあるとは思いますが、それにしてもですよ。そういう意味では五感でいうと1番衝撃を受けたのは嗅覚だったかも知れないですね~。それぐらいのカルチャーショックだったというか。勿論視覚的にも日本には無い建物の造りや、圧倒的な世界の中心都市・ニューヨークという街の雰囲気、言うまでもなく周りはほぼみんな外国人で聞こえてくるのは英語ばかりというのも、実際に体感してみると百分は一見にしかずとはよく言ったモノで、ほんとうに物凄い衝撃でしたけど。

あとニューヨークで感じたのは非常に人に優しい街だなあということ。これは後に行ったロンドンやパリでもそうでしたけど、ショップに入ったらまずお客も店員も笑顔で「ハーイ」から始まって帰る時も笑顔で「センキュー」「シーユー」「バーイ」というのが常識的で。いや、それも非常に衝撃的でしたね~。日本では勿論ショップに入ると店員が「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」などの常套句は言いますが、大抵の場合は真顔で業務的なモノじゃないですか?向こうではそんな感じは全く無いんですよね。通常のナチュラルな挨拶的な感じというか。そしてみんな自然と笑顔だし。いや、ショップ店員のみならず、街行く人がみんなそんな感じですよ。ちょっと目が合ってもスマイル的な。いやもうそのオープンマインドな人種性というものに非常にカルチャーショックを受けました。まあ総じて日本人はシャイですからそういう人種性が至る所に出てるんだとは思うんですけど。でもやっぱり、最初はさすがに戸惑いましたけどそういうのに慣れてしまうととても気持ちのいいもんで。だから帰国直後とかもショップに入ったら思わず癖で笑顔作って「ハーイ」とかやってしまいそうに何度もなって1人焦ったりしましたけど(笑)。あと街中で困ってる人がいたらみんなすぐ助けたり。車いすの人とかがバスに乗ろうとしたらもう誰かれともなくみんなでサポートしてあげたり。でもそれが全く普通の感覚でみんなやってるんですよ。なんかそういうのも多々目にして、ニューヨークって何て人に優しい街なんだ!凄くいい!って思いましたね~。

旅行に行った時期が7月中旬ってのもありましたけど、まあ~なんせ暑かったですね夏のニューヨーク。時折スコールもありましたけどほぼ連日快晴で。しかもビックリするぐらい暑いんですよ。長時間外に居れないぐらい。確か平気で38度ぐらいいってましたかね~。え!?ニューヨークってこんなに暑いの??ってビックリしたぐらい。なのですぐ喉渇くんですよ。外なんか出てたらほんとすぐに。なのでずーっとコーラ飲んでた記憶。当時そんなコーラ好きじゃなかったんですけど、ニューヨーク行ってからコーラ好きになったというか。特にペプシ。当時のニューヨークではコカ・コーラよりペプシの方が確かシェアが高かった様な。ほんとニューヨーク滞在中はしょっちゅうペプシコーラ飲んでました。

ご飯は全然美味しくなかった記憶。SOHOのイタ飯屋とかカフェ飯とかも食ったけど大して美味くなかった印象でしたかね〜。量だけはとんでもなく多かった気がするけど(笑)。ほとんどホテルの近くにあったテイクアウト専門のチャイニーズで適当に何か買ってホテルに持って帰って食ってたかも。リーズナブルで美味かったし、昔からそこまで食に拘ってなかったので。あとデリ(日本でいうところのコンビニみたいな店)で色々買ってましたね〜。ホテルにキッチンも付いてたので、ほうれん草とインスタントの味噌汁(当時日本では既に生味噌インスタントが全盛期でしたが売ってたのは昔の粉のやつでした・笑)買ってほうれん草の味噌汁作って飲んだりした記憶。

あとやっぱクラブ業界に居たもんで、ニューヨークのクラブにも行ってみたくて。前述のU.F.O.がDJしたクラブに行った翌日が金曜日で、日曜朝には帰国のフライトだったので、遊べるとしたらあと金曜夜しか無いってことで彼女の薦めで某クラブへ。名前は忘れましたがロックがガンガン掛かるクラブだった様な気が。ほんとはニューヨークだしハウスのクラブに行きたかったんですけど。でも凄くアヴァンギャルドな洒落たクラブだった記憶。人も凄い入ってましたね〜。ゲイのカップルもいっぱいいたけど(笑)。

ちなみにそのクラブに行く前にバスの中で彼女と大喧嘩して。確かしょーもない理由だったと思いますが、なんかの拍子に彼女が怒り出して。最初はなだめてたんですが、なんか段々ボクもめんどくさくなって「もうオレ1人で行く!」とか言いだして(笑)。でも彼女も「英語も喋れないのに1人で行ける訳ないぢゃん!!しかも地理もわかってないんだから帰れないでしょ!!」とかなって(笑)。で、結局2人で行くことになったんですが。当時はよく2人で出掛けると、彼女がボクの態度とかに急にキレて喧嘩するってことが多かったんですが、まさかニューヨークに来てまで喧嘩するとは思いもしませんでしたけど(苦笑)。
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※当時は勿論のことネットで情報得たりなんてする時代じゃなかったので、有力な情報源はフリーペーパーやフリーマガジンなどで。暇さえあれば隈無くチェックして調べてましたね〜。









ちなみにニューヨークのクラブへ行ってビックリしたのが料金体系でした。当時の日本では2,000円(もしくは2,500円)で2ドリンク(もしくは1ドリンク)的なのがどこのクラブでも主流だったんですが、海外のクラブでは例えば入場料5~10ドルとか(そのクラブは確か7ドルぐらい)で、ドリンクチケットは付かずに飲み物はキャッシュオンっていうシステムがほぼ主流だったんですよ。むしろドリンクチケットが付くというのはまず見掛けないシステムで。それって例えば試しに入ってみたけどイマイチ面白くなかったら他のクラブにしれっと流れやすいシステムというか。なんか凄い合理的且つお客にとっては良心的なシステムだなあ~と思ったんですよね。これは帰国してWebでもいち早く取り入れたい!とは本気で思いましたが、当時人気イベントだった仲くんとチャーベくんがやっていた『ESCAPE』や小西さんがやっていた『PORNO!』は若くてお洒落な女の子が平日にも関わらず毎回200人近く遊びに来てたんですが、なんせ酒飲まなかったんですよ(苦笑)。なのでそのシステムを採用してしまっては、店的に全然売上げが出ないという自体になりかねなかったのもあって、考えに考えた末に採用しなかったんですけど。
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※当時持って帰ったフライヤーやらステッカーやら色々。










前述したクラブへ行った金曜日の昼間は、彼女の薦めでニューヨークでも知る人ぞ知る的なマニアックなストリートへ。確かバワリーストリートの近くだったと思いますが、ショップも数少なく点在してたんですが、どこもイケてるショップばかりで。そのショップの1つで小洒落たバッグを見付けて。当時はまだ恐らく言葉さえもまだ日本に伝わってきてなかった今で言う洒落た"メッセンジャーバッグ"が陳列してあって。彼女曰く「今ニューヨークでオシャレさんはみんなこれ持ってるよ」って言ってて、色んな柄があったんですが、珍しく1個だけモノトーンで無地1色の柄があったので気に入って購入して。価格は200ドルぐらいだったんじゃないでしょうかねえ?そしてそれが数年後日本にも輸入されて爆発的ヒット商品となり、一時は猫も杓子もって感さえあった『FREITAG』ですよ。

恐らくですけど、日本人でコレ最初に使ったの、もしかしてオレじゃないの??とは未だに思ってます(笑)。1番最初じゃなくとも少なくともベスト3には入るでしょ??ってぐらいは確実に思ってます。それぐらい当時は激レアでしたから。当時ファッション誌の類は漏れなく見てましたけど、1度も見たことなかったし。ちなみに数年後爆発的にヒットしてその後もずっと使ってましたが、さすがにヒットし過ぎて後追いに思われるのが嫌で使わなくなったんですけど、使わなくなる直前ぐらいにWebに持って行ってキャッシャーの中の目に付くところに置いてたら、長らくアパレル業界にいる知り合いの子から「えー!あのFREITAGってどうしたんですか!?あのタグってめちゃくちゃ旧式のタグじゃないですか!!てかボク初めて見ましたよ!めちゃくちゃレアですよ!!」って言われたぐらい。
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※今は災害などの非常時用の懐中電灯やら電池やらラジオやらアレやコレやを入れて、なんかあったらサクッと持ち出せる用にうちの玄関の横に置いてます(笑)。








正味6日間のニューヨーク旅行はそんなこんなであっという間に終わり。帰りも空港まで彼女が見送ってくれて。てか6日間ずっと一緒に居てくれて。めちゃくちゃ楽しかったしちょー感謝でしたよ。っていうか彼女が居なかったら間違い無くニューヨークなんて、いや海外旅行なんて行ってなかっただろうし。ニューヨークに行ったからこそ翌年翌々年のロンドンとパリ旅行にも繋がったのは間違いないし。そう考えるともしニューヨークに行ってなかったら、もしかしたら今の今まで1度も海外に行ってない可能性すらあるというか。そう考えたらほんとうに彼女には感謝ですね~。それぐらい掛け替えの無い、一生忘れられない貴重な経験でしたよ、ニューヨーク旅行は。物凄い衝撃とカルチャーショック受けたし。死ぬまでにもう一度ぐらいはニューヨーク行ってみたいなあとは思いますかね〜。アメリカだったらL.Aも1度は行ってみたいですけど。まあでも今となって想えば、ほんとに初めて行った海外旅行がニューヨークで良かったと思いますし、その後のボクの人生に於いて非常に重要且つ貴重な体験だったことは間違いありません。I ♡NY!
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※当時持ち帰って両替せずにずっと持ってたドル紙幣及び硬貨。

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数年前から今にも潰れそうでなかなか潰れない三宿Webも、6月11日を持ちましてお陰様でどうにか無事23周年を迎えました。いやあ、毎回言ってますけどほんと奇跡ですよ。まあ奇跡って言葉簡単に使ってますけど、この奇跡感は恐らく誰にも伝わらないだろうなあ。ほんとそれぐらい細かい部分で奇跡的なことが数珠繋ぎ的に多いというか。いやそういうのが奇跡的に重ならないとあり得ませんもんやっぱ。この前もバーチーフの博之と話してたんですが、オレと博之の2人ともここ10年ぐらいで病欠で店休んだことってほとんど無いんですよ。オレがインフルエンザで致し方なく休んだのが1回ぐらいで。あとは暇な日に体調悪いから早上がりしたってのはお互いに数回あったぐらいで。2人のうちどっちか病気か怪我かしちゃったら、バーテン不足な昨今はクラブ営業はちょっと難しい現状なのに。いやあ、やっぱ東北人の根性はハンパないですよ(2人とも山形出身)。
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そういうのを始めほんと色々と奇跡的なことが多いです。まあとは言えほんとうに沢山の皆様のお陰です。もはやそれ以外にございませんよ。今月のスケジュールなんてほんと凄過ぎだし。大箱で演っててもおかしくないイベントや出演者の方々も多々。三宿のあんな狭い場所で(苦笑)。去年も結構いいブッキング出来た感はありましたけど、それ以上のここ数年の周年記念月間でも一番のラインナップかと。ある意味もはや今月で閉店すんじゃないの!?(笑)ってぐらいの勢いの、初日から最終日まで最高のラインナップですよ。いやもうほんとうにうちみたいな店の為にありがたいの一言です。これもまた奇跡的と言えますね〜。本当にありがとうございます。


※先々週金曜日周年記念月間初日の【ウィークエンダー】から、midnight Camp a.k.a.ナイス橋本 feat. Gimmieのナイスなコラボ曲🎤ナイスくんとジミーちゃんはWebで知り合って意気投合して結構前からから曲作ってたんですが、なかなか完成しなくて。ようやくこのたび初めて人前で披露して。予想通りめっちゃカッコ良かったなあ〜。周年のタイミングで演ってくれたのも嬉しかったなあ。







毎年思うんですが、今となっては自分の誕生日よりも全然嬉しいもんですねえ。もはや我が子の誕生日みたいな感覚でしょうかね〜(子供いませんけど・苦笑)。沢山の色んな人達に「おめでとうございます」って言われるのがほんとうにありがたく思います。まあ中にはお祝いどころか水を差す人もいなくもないですが、最近はあんまりそういうのも気にならなくなってきたというか。昔は結構いちいち悲しくなったり落ち込んだりしてましたけど。いい意味での開き直り感というか。まあ世の中には色んな人がいますから。


※先々週の土曜日の【元・申し訳ないと】での嶋野百恵ちゃんの『恋は流星』🎤







数日間の濃厚なアニバーサリーイベントをやらなくなったのは2009年から。マンスリー化したのは2010年からなんですが、まあなんせ1ヶ月間という長丁場なのもあって、最初の頃とかは全くアニバーサリー感とかも薄くて、当日の出演者の誰からもお祝いの言葉もなくマイクもなくいつも通り淡々と営業終わったとかも結構あってズッコケてた想い出も多々(苦笑)。20周年を機にイベント全ての冠に【MISHUKU GOLDRUSH ○○】という風に付ける様にしたんですが、それだけでだいぶアニバーサリー感が出る様になりましたかねえ。去年から一夜限りのリバイバルイベントを増やしたこともあって更に助長された感はあります。
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※先々週の土曜日の【元・申し訳ないと】にて。DJ GEE a.k.a.浅川さんがボクと自撮りした写真を拝借。元はと言えば三宿Webのオープン当時は、浅川さんが社長を務める"アーティマージュ"が音楽担当のプロデュースだったんですよ。なので超オープン初期からの間柄でもある浅川さんとは、三宿Webの23周年というのは他の誰よりも感慨一塩だったりします。







ちなみに今年はリアルアニバーサリーの6月11日が日曜日だったんですが、また緩くバー営業でもしようかとも考えたんですけど今年は敢えて開催せず。って訳でリアルアニバーサリー前夜がリアルアニバーサリーみたいなモンだった訳なんですが、過去の人気イベント『Two,Three,Breaks!』のリバイバルで。最初はスケジュールの成り行きでたまたま6月10日土曜日になったんですが、リアル23周年前夜に『Two,Three,Breaks!』(23B)の一夜限りの復活って、もう色んな意味で最高でしたね〜。
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23周年と23Bの23繋がり的な意味でも勿論ですが、主催のエイジくんは最近はもうイベントとかはやってはいませんけど、ほんとに三宿Web愛を非常に強く感じる1人で。重要なポイントポイントで未だ顔出したりしてくれるし。今やうちのスタッフでさえ1人として読んでいないこのアホみたいに長文のブログも毎回読んでくれてるし(笑)。いやもう恐らくナガサワブログ以前のホームページでのコラムページ『しゃべるでえしかし!』や『EXPLOSION!』の頃からほぼ毎回欠かさず読んでくれてるんじゃないですかね??(多分)。いやほんとボクにとっては非常に稀少な存在です。
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※これ2003年3月号のマンスリーの表紙の写真なんですが、昔の写真が余りにも稚拙な加工だったので、さっき改めて繊細に加工し直しました(笑)。








しかもちょうど20年前の6月10日もエイジくんDJ演ってたんですよね〜。しかも20年前はスカパラ・谷中さんのサポートで。20周年の時にも書いたかもですが、エイジくんは元々京都に住んでいて、当時スカパラチームがDJツアーとかで関西回る時とかにサポート付いたりしてたんですよ。その縁で最初は冷牟田さんがDJの時にうちにもサポートで来る様になって、初っ端ボクがDJやってて交代する時とかに、ボクが掛けてた曲のこととかで色々話し掛けられたのが切っ掛けで(多分)、その後も会う度に話す様になって徐々に仲良くなった気が。
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※これちょうど20年前の97年6月のマンスリーのスケジュール。当時はDJ KIRINとしてやってました。









これまた20周年の時に書いたかもですが、エイジくんは今の奥さん(スーパー美人)とも一番最初に出逢ったのが三宿Webだったんですよね。それもあって結婚パーティーの司会もボクがやったり(まだまだ司会やりたての頃で今考えると酷い司会振りで未だにたまに思い出して反省且つ凹みますけど・苦笑)。あと一時代を築いた伝説のイベント『申し訳ないと』もうちでレギュラー始まったのは『Two,Three,Breaks!』に宇多丸さんがゲスト出演する時に告知フライヤーに誤って”申し訳ナイト”って入れちゃったのが切っ掛けで急遽ミッツィーさんも宇都宮からDJしに来ることになり、その時に仲良くなったのが切っ掛けで、まさかのレギュラー化に繋がったっていう縁もあったり。その辺の詳しくは非常に読み応えのあるこちら(【第4章】ウッカリ進出? <申し訳ナイト>が遂に東京へ!text by ミッツィー申し訳)で(笑)。
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まあそんな公私共々非常に縁の深いエイジくん主催の『Two,Three,Breaks!』がリアル前夜ってのはほんとに感慨深いというかなんというか。結果ほんとに最高でした。しかしビックリしたのが、当日昔よく出入りしてた人がわんさか来たんですが、みんな全然変わりないというか。あれからもう20年近く経ってるのに(笑)。レッキンクルーのMCのシュンタにそんな話しをバー横でしたら(奴も全然変わってなかったけど)、「いやいや、ナガサワさんが一番変わってないですよ!(笑)」って言われましたけど(苦笑)。いやいやさすがにボクもだいぶ老けましたけどね…。しかしまあ出演者も含め当時の常連チームとかみんな30代後半から40代後半ぐらいまでだと思うんですが、みんな若い若い。見た目もそうだけど感覚が更に。いやでも感覚は前よりもいい意味で円熟味を増してたかも。みんないい味出してましたね〜。


※MASSAN feat.タケウチカズタケくんによる『We Get Up!!』🎤以前ブログでも書いた今年の1月末のリリパ以来のマッサン。早い時間の出演でしたが一瞬にしてマッサンワールドに染めてましたね〜。ほんとマッサンのライブは観出すとずっと観ていたくなるライブ。短い時間でしたけどやっぱ今回も非常に良かったです。







Dさんとかも写真とかで見たら結構老けたなあとかたまに思うことありましたけど、久々に逢ったけど全然老けてなかったし。まあでもDJ演る時に今回初のSERATOでのDJだったんですが、まるで初心者DJの様にあれこれどうすんだろ状態で(笑)。しかもようやくスタンバイ出来たと思ったら今度はヘッドホンから音出ない!ってなって周りは慌ててたんですが、よく見たらヘッドホンのスピーカー側のジャックを自分で足で踏んでて抜けてたっていうオチで(笑)。いやあ〜昔はDJの時もあんだけダンディーでカッコ良かったのに、自分でもマイクで言ってましたけどほんとお爺ちゃんかと思いましたよ(笑)。その後もだらだらとマイクで喋ってたら昔からDさんとは旧知の仲でボクも代官山時代ご近所だった大前さんから「早くやれよ!(笑)」って野次られたり(笑)。いやあ〜トラブルも含めアレはみんな笑ってたしなかなかホッコリしましたけど(笑)。

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※なんと検索したらそのシーンのインスタ動画出てきました(笑)。kuuchoさん勝手に貼っちゃってすみません!🙇


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なんかでも終始みんな笑顔で楽しそうでほんとにいいパーティーでしたね〜。最高にハッピー感あったなあ。まあしかしなんせ23周年に23Bですからね〜当時はこんな日が来るとは誰も夢にも思わなかっただろうし(笑)。いやでも営業最後の方にエイジくんとも話してたんですが、ボク的には20周年もやって貰ったし今回は半ばダメ元のオファーだったんですよ。受けたエイジくん的にも今回は難しいかもなあ〜と思いながらブッキング開始した的な。そしたら予想外にやれることになった的な。そしたらたまたま開催出来そうな日がリアル前夜だった的な。そういうたまたまの偶然が重なった的な。でもなんかそういうのもちょっとした運命というか縁を感じたりもしたりして。いやあ、ほんとに良かったなあ。



※仕事が入っちゃってたので今回は大自然抜きで代わりにDJ大都会(?)とkazukiくんがサポートDJでのトリカブトによる『CHUBBY』🎤バケラッタは久し振りでしたけど、スモーレストやシノはたまにソロで出てくれてるんですが、相変わらず3人ともちょーいい奴ら。久々に大自然とも逢いたかったけど。






ちなみに音止まった後にブース内でDさん・タイチマスター・エイジくんで喋ってたんですが『Two,Three,Breaks!』って来年でちょうど20周年なんですよ。なので来年もやろう!みたいな話しもあって(笑)。しかも更に再来年はうちの25周年なんでそこはやっぱどうしてもまたやって欲しい!って話しもあり(笑)。っていうか『申し訳』同様もはや年一ペースでもいいんじゃないか論まで出る始末(笑)。まあどうなることやら。その前に来年再来年までうちが無事続いてるかどうかが最大の問題ですけども(苦笑)。
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※Dさんがクリスペプラーのモノマネをやってたらしいんだけど全然似てなくて爆笑しているタイチマスターとエイジくん。ナガタツもわろてる(笑)。






まあそんなこんなで最高の形で23周年を迎えた訳なんですけど、表題にも付いてる「そして・・・」なんですが。実は遂に個人的に非常に怖ろしいことが起こってしまったんですよ…。三宿Webが23周年でオレ46歳、そう!なんと遂に人生の半分を三宿Webに費やしてしまったという…。もはや頭おかしいとしか言いようがないですよ…マジで。オレの人生こんな予定じゃ決してなかったのになあ…(遠い目且つ涙目)。いやあ冷静に考えるとマジで怖ろしいわ。若い頃の自分には口が裂けても言えませんよ。夢も希望もあったもんじゃない…。嗚呼、人生とはほんとうにわからないもんです…。おそロシア!
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※月刊ウェブ97年7月号の表紙用に撮った写真。コレ撮ってからちょうど20年経ってしまった…。おそロシア!







いやまあでも、これまたクラブ業界的に言えば世界的に見ても(見る必要もないけど)恐らくこんなことって世界初の快挙(?)だと思うんで(多分)、まあどんなことでも世界初なんてことは早々出来ることじゃないですから、っていう言い訳を自分に言い聞かせてますけど(苦笑)。こうなりゃなんならネタとして何かしらギネスでも申請したろかしら!とかも思ったんですが、ギネスって調べてみると意外と金が掛かるので無駄なことは止めときましたけど(笑)。
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とまあそんな訳で約半分消化した【MISHUKU GOLDRUSH 23】ですがまだまだ続きます。オモロイベントもまだまだ目白押しですので、是非とも今月どれか1日でも遊び来て頂ければ嬉しいです。いやほんとうに色んなことに感謝でございます。あんなへんぴな場所まで遊びに来てくれるお客様を始め、出演者の皆様や関係者の皆様は勿論ですが、新旧歴代のスタッフたちにも多大なる感謝を。正直な話し結局のところオレ1人じゃ何も出来ませんからね。いやあ、しょっちゅう頭に過ぎりますけどほんとうに心から感謝でございます。この感謝の気持ちを胸にあと2週間気合い入れて頑張ります。なので週末頼むし雨降らないで!そして皆さん遊びキテキテ!三宿Web23周年、皆さんのお陰です!いつもほんとうにありがとうございます!
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先週土曜日に開催しました朝本さんを偲ぶ『TRIBUTE TO ASAMOTO』にご来場頂いた皆さま、誠にありがとうございました。お陰でとてもいい夜になったと思います。元々は先月の『朝本さんを送る会』の後に「やっぱ朝本さんを送る会は一般の人も誘って改めて三宿Webでやりたいなあ〜」という想いに駆られ、急遽ダダダと関係者各位の皆様に相談させて頂いたところ、これまたダダダと電撃的に決まって。まあでも急遽決まったとはいえ、朝本さんトリビュートって謳う以上絶対コケれないっていう責任感や使命感は尋常じゃなくありました。そしてパンパンになった三宿Webを朝本さんに見せたいなあという強い想いもありました。

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元々2月2日が散骨式だったので、翌々日だし4日に出来ればタイミング的に1番いいかもとは思ってたんですが、恒例のバレンタインお祭りイベントの予定日だった翌11日も当初候補には入れていて。もし11日の方が出演者の皆さんのご都合がいいのであれば、オープン以来毎年やってるバレンタインイベントでしたが、今年は無しでもいいかなあぐらい思ってました。結局4日にご都合いい人が多かったので、第一候補日でもあった4日を朝本さんトリビュート、11日はバレンタイン企画をやることになったんですけど。

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今回出演して頂いた皆さんは勿論朝本さんと縁の深い方々ばかりでしたが、ほぼ15年~20年ぐらい前にうちでレギュラーでやって頂いてたDJの人がほとんどで(MAGUMIさん以外)。急なお誘いにも関わらずほんとに昔のWebを彷彿させるいいメンバーが揃ったなあ~と思いましたね。強いて言うならあとZEPPETのYANAさんが演ってくれたらもう完璧でしたけど。ちなみに、特に川上さんには朝本さんが事故直後にお会いした際にわざわざ「朝本さんにはほんとに感謝してるんで。なんかあったらいつでも声掛けてください。」的なことを言って頂いていて。なんかスカパラのデビュー当時に川上さんが「まだまだ演奏も未熟なのにこの先ほんとにプロとしてずっとやっていけるんだろうか…?」的に悩んだ時期があったらしいんですよ。その時にたまたま朝本さんにそういう悩みを吐露したら「全然大丈夫だよ~(笑)」的に一笑されたらしいんですが、それでなんか凄く気が楽になって頑張ろうって思えたらしく「いやほんとにあの時にああ言って貰えたのに凄く救われて。」っておっしゃっていて、ボク的にも凄くその話が印象に残ってたんですよ。なので川上さんには今回是非とも出て頂きたいなあとは思ってました。

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あとSILENT POETSの下田さんも亡くなった直後のInstagramで、
「このポスト何度も書き直して、何を書いてもしっくりきませんでした。言いたい事は朝本さんの曲で一番好きなのは”After the Rain”で、この曲が無ければSILENT POETSも無かったかもしれないと言う事。とても影響を受けました。何度聴いた事か、何度DJでプレイした事か…昔、三宿Webで深夜によくお会いしました。あのヘアースタイルと笑顔は忘れません。事故に遭われる少し前にインスタでフォローしていただきとても嬉しく思っていたのに…本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。朝本さんのメロディは永遠です。」
ってコメントされていて非常にグッときていたので、先月の送る会にも来られてたし、下田さんにも是非とも演って頂きたいなあとは思ってました。

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今月の表紙はMAGUMIさんだったんですが、毎回表紙ってある程度ブッキングが終わってからバーッとマンスリースケジュールを見渡して「よし、来月はこの人にお願いしよう!」って諸々の意味合いも含めインスピレーションで決めてるんですが、2月分のブッキングがもう難航しまくってギリギリまで決まらなくて。翌日はもう2月ってとこまできてようやくほぼほぼブッキングが終わったんですが、さて来月の表紙は誰にお願いしよう…?って考えた時に、2月は結構お祭りイベントも多いこともあり珍しく候補も何人かいて、実はギリギリまで違う人にお願いしようと思ってたんですよ。でも直前になって「やっぱ2月と言えば朝本さんの日でしょ!朝本さんの日に出る人にしよう!」と思ってのMAGUMIさんだったんですよ。今まで1度も表紙をやって頂いたこともなかったですし、いずれ機会があったら是非お願いしたいなあと思ってたのもあって。元々MAGUMIさんは朝本さんに紹介して頂いたってのもあったし。でもその翌日夜撮影させて頂いて翌々朝11時までに入稿しないとイベントがある土曜日に間に合わなかったので、それはもうスーパードタバタでしたけど。急遽期限30分前に表紙写真作り直しての差し替えとかもありましたし(大汗)。結果なんとかギリギリ間に合ったから良かったですけど、なんと入稿完了したのが期限の2分前の朝10時58分。もはや『西部警察』大門軍団の時限爆弾処理並みのギリギリっぷりでしたよ(苦笑)。

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当日は記念品として今や朝本さんのアー写か!ってぐらい色んなところで使われている、生前の朝本さんも非常に気に入ってくれていたボクの写真をステッカーにして配って。正直なところ作るかどうかギリギリまで迷ったんですけどね~。故人を偲ぶ会で故人の写真のステッカー配るってどうなの!?的な自問自答もあって。でもうっすら素の笑顔の朝本さんのあの写真観たら、ちょっとなんか幸せな気分になるというか。朝本さん関連のレコードやCDとかに貼るとか考えたらやっぱいいかも!と思って。あと朝本さんだったら絶対「えー!オレのステッカー作るの!?(笑)」って恥ずかしそうにしながらも爆笑して喜んでくれるだろうなあとも想像したんですよね。いや、正直めっちゃ迷ったけどやっぱ作って良かったなあ~と思いますね。みんな凄い喜んでくれてたし。

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2月2日の散骨式は、前述した様に前日から夜通し午前中まで入稿作業してたので、体力的には正直もうヘロッヘロだったんですが、誘って頂いた有り難さを胸に午後から葉山へ。葉山マリーナってなにげに逗子駅から歩いて行けそうな距離だったので(つっても30分ぐらいは掛かりますが)、逗子海岸沿いを歩きながら向かいました。いやあ、ものの10分ぐらいしか居れませんでしたけど今年初逗子海岸最高でしたね〜。

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葉山マリーナから小さい船を借りてのクルージングだったんですが、もうほんとに天気も良くて最高過ぎて。人生初のクルージングってこともあるわ大好きな葉山から出発だわ相模湾だわ景色ちょー綺麗だわでもうテンション上がりまくってずっと写真撮りながら船上で飲んでたんですが「いやあ~マジで天気いいなあ!もう~~~朝本さんも来れば良かったのに~(笑)」とか言ってバカ話したりして。富士山は見えるしサンセットは綺麗だし大して寒さも感じなかったしで、ほんと天気良くてラッキーだったなあ~とは思ってましたが、添乗員さんも言ってましたが実際ほんと珍しいぐらい最高の天候だったらしいです(余りに綺麗過ぎて添乗員さんも個人的にわざわざ景観の写メ撮ってたぐらい)。いやあマジで最高でした。まあ朝本さんの散骨式ってのもあったし、間違い無く一生忘れられない想い出になりましたよ。まあでも、ただでさえ大好きな鎌倉・逗子・葉山辺りに対する想いが更に強くなっちゃったけど(苦笑)。お誘い頂いた由美さんほんとにありがとう!

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先月にあった『朝本さんを送る会』同様、当日は朝本さんの想い出の写真を店内中に貼ろうと画策してたんですが、まあなんせお付き合いの年月が長いのもあって大量の写真の中から朝本さんが写ってる写真を探すのがなかなかのひと苦労で。とりあえずどうにか大量にあるデジタル以降の写真は先週のうちに抜き出しておいたんですが、これまた大量にある紙の写真からの抜き出しがなかなかやる暇がなくて。先週は入稿前の時期とも重なって、しかもブッキングの方が難航しまくってたのもあって(他のイベントですが)、もう頭を抱えまくってたので正直写真の抜き出し作業をやってる余裕もなく、しかも仮に抜き出し終わっても、それをスキャンして取り込んで更にプリントアウトするのがなにげにめちゃくちゃ時間が掛かるので、どう考えても現実的に難しい状況だったので、これはもう機転を利かしてスライドショー形式のDVDを製作しよう!ってことにしたんですよ。それならどうにか間に合うかもと思って。あとイベント当日は仕切りの壁外しちゃうから貼る場所も少ないし暗いと見にくいしで、むしろ一石二鳥かもとも思い。

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金曜営業後の土曜の朝帰宅後に2時間ぐらいやって午後一で起きてまたやってと、ようやく朝本さんが写ってる写真全部を抜き出し終えてスキャンして取り込み作業が終わりスライドショーの製作に移った訳なんですが、スライドショーのDVDなんて6年ぐらい前に結婚パーティーの司会やった時に急遽作った以来で、全然やり方とか覚えてなくて。せっかく作ったのに操作間違えてて5、6回ぐらい失敗して1からやり直しとかを経て、どうにかこうにかようやく完成してあとは焼くだけの状況まで来たんですが、ここからが悪夢の始まりだったというか。

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なんか焼いてる途中にどうしても固まっちゃうんですよ。しかも同じ所じゃなくて毎回違うところで。メディアを変えたり再起動したり色んな手法でやってみたものの全然ダメで。当日は早めに行って色々と多々準備もあったので、オープンの2時間前ぐらいには店行くつもりだったんですよ。それがそのDVDが焼けない問題がずっと続いて、気が付けばもう通常の出勤時間のオープン1時間前とかになっていて。「えー!でもここまで頑張ったのにまさかのお蔵入り!?ウソやろ~~!!(涙)」状態でしたが、ただでさえ店行っても色々やることあるのにこれ以上はもう粘れないと思い、気持ちを切り替えて致し方なく泣く泣く出勤準備をしたんですよ。

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でもやっぱ、睡眠時間削ってまでもここまで頑張ってきて映像流せないなんてどうしても諦め切れなかったので、再度集中して色々設定を変えたり無駄なチェック項目外したりして最後にもう一回だけチャレンジしたんですよ。そしたらなんと!!最後まで固まらずに焼けて!!!マジで奇跡だと想いましたよ!(笑)。いやあ~コレ絶対朝本さんが助けてくれたでしょ!!!とか想いながらも焼けたDVDと大量の荷物を持って大急ぎで出勤したんですけど、とりあえずマジで眠気吹っ飛びましたね~。正直疲労と眠さと絶望感で今にも倒れそうでしたけど(笑)。マジであの時ばかりはほんと奇跡だと思いましたよ。

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イベント自体は最初の方は予想外に結構人もまばらで内心かなり不安でしたが、1時過ぎたぐらいからだいぶ入ってきていい感じに混んできて。まあ激混みのパンパンまではいきませんでしたが、でもある意味丁度いいぐらいの混み具合じゃなかったでしょうか?個人的には昔の常連チームがアポ無しで多数遊びに来てくれたのは嬉しかったですね~。特にお誘いもしてなかっただけに余計に。けいこちゃん・国玉・尚哉他多数。ほんと”昔のWeb”っぽさを非常に助長してくれたというか。あともうオープン当初からの長い付き合いのDJのエイジくんや小原くんが来てくれたのもなにげに嬉しかったなあ。やっぱこの2人はほんと昔からココぞ!っていう時には顔を出してくれて、やっぱ生粋の三宿Webファミリーだなあ~と再確認したというか。終始ドタバタで全然接客出来ませんでしたけど、他にも多々色んな人が来てくれて、いやあほんとに嬉しかったです。あと前述の奇跡的に焼けた『懐かしの朝本さんスライドショーDVD』もずっと流してたんですけど、みんな興味深く談笑しながら見入ってくれて、いやあ〜やっぱ苦労して作って良かったなあ〜とか、それ以前にほんと最後の最後で焼けて良かった〜〜〜と思いましたよ(泣)。

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営業中はもう自分の分身あと2人欲しい!って思うぐらい、あれもこれもそれもやらないといけなくてスーパードタバタで、本来なら敢えてしんみりした空気にしたくなかったので、ちょくちょくマイクでMC入れて盛り上げようと思ってたんですがもうそれどころの余裕もなく…。やっぱ今回みたいな自分企画のお祭りイベントだと、バーテン1人じゃなかなか厳しいですね…。他に色々とやることあるのにバーテンやったりバーのサポートとかもしないといけない状況ってのはなかなかしんどかったです…。特にバーテンの子を休憩回す間とかは1人でバーに立たなければいけなくて、その時間はもう何も出来ない状態になるというか。やれ機材の調子がおかしいからブースに行かないと!とか、DJの人が帰るから精算しないと!とか、急な何かがあってもバーから一切離れられないので全く何も出来ないんですよね。久々に頭が追い付かないぐらいテンパりましたよ。マジで分身2人とは言わないまでも、最低限もう1人ぐらいは欲しいって思いながら働いてましたね…。ちなみに今週も明後日また自分企画のお祭りイベントがあるんですが、今週はライブも3本あるし(ライブ時は基本PAで付いてる)、また絶対アレもコレもでテンパりそうで今から戦々恐々です…。

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まあ営業前も営業後もそんなスーパードタバタ喜劇だったこともあり、翌日は心身共に超絶グッタリしてたんですが、イベントに来られた朝本さんファンの方からメールが来てて。ぶっちゃけ最初は「え!もしや苦情メールだったらどうしよ…」と思って内心ビビったんですが、恐る恐る読んでみるとそれはそれはもうこれ以上ないぐらい有り難くも嬉しい内容のメールで。すみません了承得てないんですが(汗)、せっかくなので掲載させて頂きますね。

「朝本さん関連のwebでのイベントは今回が最後、ということでしたので、今後2度とクラブなど大音量で聴くことができない、と思い23時半ころからラストまで堪能させていただきました。長澤さんの、100%朝本さん音源djは本当に素晴らしかったです。ジャンル幅が広くて繋ぐのが難しいと仰っていましたが、選曲、曲順、繋ぎ方も完璧だったように思います。何度も泣いてしまいました。低料金のうえに準備も大変だったことと拝察致します。本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。」



「ナガサワさんへ。土曜日の朝本さんトリビュートにお邪魔させていただいた者です。朝本さんの音楽がとても好きで聴いていました。事故からというもの、詳細がなかなか出ない中、ツイッターで検索するとよくナガサワさんのツイートがHITして、少し状況を知ることができていました。何もわからないでいる中でいつもありがたく読ませていただいていました。先日、レッドシューズでお別れ会があったというのを知りましたが、多分あれは奥様へ直接メールをくださいとFBに書かれていたものなのだろうと想像していて、さすがにそこまではできずに、あぁお別れ会も終わってしまったんだなぁと寂しく思っていました。そこに、三宿での企画があると知り、初めてですがお店に行かせていただきました。ちょっとドキドキしましたが、入ってしまうとそれぞれ自由に楽しんでいる様子で私も楽しみました。カシスオレンジがすごくおいしかったです!あとおにぎりも頂きました。めちゃくちゃおいしかったです。DJ聴きながらおにぎりは初でした(笑)。朝本さんの曲で盛り上がるという事が初めてだったので、感動して少し泣きました。最後のナガサワさんのDJ、愛があふれていて嬉しすぎました。照明を消した場面がもう、なんて言っていいのかわからず、ちょっと寂しさと今日のイベントが終わるなぁとか頭が混乱して、なぜか帰り支度をしてみたりと、もっと浸れば良かったのに・・と反省してみたりしました。思いがとても伝わってきて、どうしようもなかったのかも知れないです。終わってお店を出て、駅までの帰り道に号泣しました。寂しいというのもそうなんですが、朝本さんを好きな人が他にもいて、こうやって一緒に楽しめたという気持ちでよくわからないけど泣けてしまいました。本当に開催していただけて良かったです。本当に、ありがとうございました!」


いやもうね、尋常じゃなかった労力が報われた想いでしたよ。ほんとに心から有り難い2通のメールでした。まあぶっちゃけ言うとDJの方は、個人的には完全にぶっつけ本番で行き当たりばったりな感じで、最低限の繋ぎは出来てたかも知れませんが、DJ的にいうと「この曲とこの曲繋ぐんだったらここが1番気持ちいいポイント」的なのは多々ミスりまくりましたし、グルーヴ的にももうちょっといい感じでやれたかとは思うんですけどね。まあ当初は30分の予定だったし(結果的には1時間ちょいやりましたが汗)、何度も朝本さんMIXはやってるので30分ぐらいならどうにかなるでしょ~ぐらい思ってたんですけど。っていうかDJの仕込みする時間が全く無かったというのが正直なところだったんですが。まあでも上記の様にそういう風に受け取って貰えたのなら、個人的な反省点とかは抜きにほんとうに良かったと思いますけど。わざわざメールをくださったお2人の方々、ほんとうにありがとうございました。むしろボクの方がお2人のメールに感動しましたよ。

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あ、あとDJの時に1番印象的だったのがこの曲掛けて大盛り上がりだった時ですかね〜。グルーヴ的にはなかなか繋いで掛けれないので敢えて1度止めてMC入れてからドーンとぶっ込んだんですが、それまでまばらだったフロアにみんな集まってきて、やっぱみんなこの曲好きなんだなあ〜!と改めて想ったというか。ちなみに朝本さんがよくカラオケで歌ってたナンバーでもあります(笑)。昔、朝本さんとカラオケ行った時によくこの曲を歌ってて「え!朝本さんイエモンすか!?」ってビックリして聞いたら「これオレがプロデュースしたんだよね〜(笑)」って言ってて当時はとてもビックリしました。ちなみにこの曲、THE YELLOW MONKEYが2013年に発売したベストアルバムに収録する曲のファン投票で約2万5000票に及ぶ中、栄えある1位を獲得。朝本さんらしいナイスアレンジ。今やボクのカラオケのレパートリー曲でもあります(笑)。











という訳でとりあえず大成功に終わってほんとに安堵というか肩の荷が降りたというか。でも突発的に思い付きで急遽開催した訳ですけど、終わってみればほんとやって良かったと思いますし、やれて良かったなあと思いますね〜。無論今回出演して頂いた素晴らしいDJ陣の皆様のお陰以外にないんですが。いやでもほんと、出演して頂いた皆様には心から感謝してます。ど頭とかケツに演ってくれた真介くんや服部くんやCOMPにも、凄く朝本さんに対しての感謝や愛を感じて、個人的には凄く誘って良かったなあ〜と想ったというか。出演してくれた皆さんにはほんとに感謝ですよ。間違い無く朝本さんも同じこと想ってるハズだし。まあそんな恐らく今後も記憶に残るであろう素晴らしい夜でした。朝本さんが当日降りてきてたかは忙し過ぎて考える暇もありませんでしたけど、やっぱ絶対覗きに降りてきてたとは思いますね~。きっと朝本さんも喜んでくれてたんじゃないかなあとも思ってます。もうそれだけで本望ですよ。朝本さんにはもう本当に多大なるご恩を頂きましたけど、今回ほんのちょっとだけ返せたかなあとも思ったり。まあほんのちょっとですけどね。

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個人的には、朝本さん関係のイベントは今回が最後かなあという感はありますが、周りからは「またやろう!」とか「毎年やろう!」とか言われてもいます(苦笑)。まあ機運とタイミング次第でしょうかねえ。あとやるのは簡単ですけど、やるからにはやっぱ今回ぐらい沢山お客さんに来て頂きたいし盛り上げたいというのもあるし。出演して頂く方々のご都合もあるし。そういうのが諸々タイミング合って自然と機運も高まったらまたやりたいなあとは思いますけど。

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だいぶ話は逸れるんですけど、未だにたまに想い出して1人でにやけちゃうことがあるんですが、ちょうど20年前の1997年5月から朝本さんと吉沢(dynamite.jp)を組ませて金曜帯(毎週)でやって貰うことになって。色々考えた挙げ句『REAL10%』ってタイトルで。そのイベントの初回時にキャッシャーで朝本さんに「ナガサワくんさあ~またシュールなタイトル考えたよね~!REAL10%って10%の真実ってことでしょ?90%は嘘っていう。いやあ~なんか深いよね~!如何にもナガサワくんらしいシュールなタイトルだなあって思ったよ~」って言われてオレがすかさず「あ、朝本さん違うんですよ。いや、朝本さんと吉沢の共通点をオレなりにめちゃくちゃ考えたんですけど、あ!2人とも天パ(天然パーマ)だ!と思って。REAL10%って「実は天パ」って意味なんですよ!(笑)」って言ったらもうキャッシャーの辺りを転げ回りそうな勢いで目えひんむいて大爆笑して!(笑)。「えー!!いやオレ凄いシュールなタイトルだと思ってナガサワくん流石だなあ~!って思ってたのに実は天パって意味なの!!(笑)。ちょっと!!(笑)」って。いや今考えるとオレはなんて大失礼なことをしたんだ!と反省するんですが(苦笑)、でも朝本さんの人柄を非常によく表すエピソードというか。だってヘタしたら「おまえふざけんな!!」って怒り出す人とか絶対いてもおかしくないですもん。しかも当時の朝本さんなんて『情熱』の大ヒット直後で稀代の名プロデューサーとして名を馳せまくってた時期だし。怒るどころかむしろ大喜びで大爆笑してましたからね(笑)。いやでもほんと、そういう非常にシャレが利くというか、わかる人だったんですよね~。

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あともう1つ余談を。朝本さんが事故直後でまだ公になってない時期に、余りのショックにちょっと頭おかしくなりそうになって半ば引き籠もってた時期があったんですが、その時たまたま観た『ツナグ』っていう邦画があって。生きている者がもう一度だけ会いたいと強く願うと、既に亡くなってしまった者との再会の機会を設けることができる、"ツナグ"と呼ばれる使者の見習いをする高校生の物語なんですが、それ観てボロボロ泣きながら「オレも朝本さんともう1回だけでいいから再会したい!」って思ったんですが(まあまだ事故直後で朝本さん自体は生きてはいましたけども汗)、未だたまにその映画のこと想い出して「なんとかもう1回だけ逢わせてくれんかしら…?」って思ったりもします(苦笑)。ちなみにその映画観ててビックリしたのが、最後の方のシーンで朝本さんとよく行ってた葉山・一色海岸の丘の上のシーンが出てくるんですよ!マジで一瞬鳥肌立ったぐらいビックリしました。

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個人的には、ある意味朝本さん関連の最後の大きなイベント(行事)だった様な気もしますし、それがようやく終わって、2014年9月から延々と続いてきた朝本さん物語もひとまず1つの区切りがついた様な気もしないでもないんですが、まあでもそういうイベントや行事ごとは終わりましたが、これからも死ぬまで朝本さんのことは想い続けますけどね。毎年夏には葉山にも行くし。それ以外にもたまに逗子にも行くし。てかいつの日かその周辺に住もうと思ってるし。朝本さんの音楽聴いたら瞬時に感情移入しちゃうし。いやあでもやっぱほんと、しつこいですけどもう1回だけでいいから朝本さんと喋りたかったなあ。朝本さん、とりあえず葉山の海で安らかに。いつかまた何処かで逢いましょうね!

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昨日は17時からiLLCHANTiのチェック中村の結婚Pだったんですが(これはコレでちょーハッピーだったし非常に感慨深いモノもあったけど)、前日にマッサンから「急で申し訳ないですが明日リリパなんで良かったら是非!」っていう連絡を頂き、時間帯も結婚P終わった後に渋谷→青山だしギリギリ行ける!と思って「伺います!」と返信したんですが、これはもうね、Facebookでの長文では絶対書き足りない!むしろブログで書かないとダメでしょ!ってぐらいの感銘を受けての緊急投稿。ここ数年観たライブで一番感動した!マジで!

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直前にマッサンがSNSでワンマンに対しての自曲の告知的コメントで、リリースしたアルバムの1曲に対してのコメントをブログに書いていて。Facebookではタグ付けされてたので内心「え!なんだろ!?」って思ってそのブログ見てみたらいきなりオレの写真出てきてビックリしたんですが、ほんとに有り難い様な嬉しい文章で。そんなこともあり、内心行きたいなあと思ってたし凄く嬉しいお誘いではあったんですよ。

前述の結婚Pが19時半過ぎに終わって急いでタクシーで青山CAYへ向かったら、ちょうど2部制の2部が始まった直後で。会場はテーブルに着席して観るスタイルでしたが満卓でした。一番聞きたかった、ブログでも書いてくれてた『Close My Eyes』の始まる前で。絶対この曲は聴きたい!と思ってたから良かった〜という安堵感から、やっぱ曲調も相まって即座に感極まってしまって。










オレ実は22、3の頃は容赦の無い大人にしょっちゅう人前で泣かされてたりしたんですが、ある日唐突に「男たるモノよっぽどのことがあっても人前で泣いたらあかん!」と決意して、その日以来どんな悲しいことがあってもどんな感動的なことがあっても人前では泣かなくなったんですよ。もうどんな状況でもグッと堪える様にして。元々人一倍涙脆いとこあったんですけど。あ、ぶっちゃけ三宿Web10周年アニバーサリー終了直後の終礼(いわゆる反省会)ではもう感極まり過ぎて我慢しきれずスタッフの前で号泣してしまいましたが)。

もうね、珍しく終始涙脆かったんですけど、マッサンが初のレギュラーを演った『Two,Three,Breakes』という三宿Webでのパーティーの主催のエイジくんと一緒のユニット「World Supreme Funky Fellows 2102」で当時一緒に演ってたヴォーカルのテツヤくんと久し振りに逢ってずっと昔話に花を咲かせてたんですけど、マッサンが気の利いたMCで会場全体が爆笑になってる時も、もう1人で涙を堪えるのがほんとに大変で大変で。いやぶっちゃけ言うけどちょっと何度か我慢し切れず泣いちゃったわ(笑)。もうほんとに感情を抑えるのに大変でした。ふとした瞬間にちょろっと見たら後ろにいたテツヤくんも泣いてましたね。いやそら昔から知ってる身としたら感情移入がハンパじゃないからそら涙も自然に出ますよ。

マッサンは元々ブログでも書いてくれてますけど更に詳しく言うと(間違ってたらすみません)、元々は青森出身で東北のとある大会で優勝して(準優勝はGAGLE)、鳴り物入りして上京した訳ですよ。でも準優勝したGAGLEは評価されてる一方でマッサンはイマイチ評価が低くて。やっぱ20歳そこらでそんな大会で優勝して、実際実力もあったらそれ相当の自信もあっての上京だったと思うんですよ。でも実際は想像してた以上に東京というレベルは高くて。

意気揚々と上京してきたもののニッチモサッチもいかず、それはそれはもう心折れ掛けてたと思いますよ(本人も言ってますけど)。だってまだまだ若輩者だったと思いますし、そんな東北の大会で優勝しちゃうぐらいだし、それまでそこまでの挫折感ってもしかしたら感じたこともなかったかも知れないですし。

そんな「なんか東京では思ってたよりも全然鳴かず飛ばずだしもう田舎帰ろうかな…でも意気揚々として上京したのにこんなすぐに田舎に帰りずらいな…」と悶々とした折り、当時Mummy-Dがやってたパーティー(前述した『Two,Three,Breakes』)がうちの第2水曜日にやっていて、そこにちょっと遊びに行こうと思ったらしいんですよ。でも当時の三宿なんてなっかなかのどインディー地域で。案の定場所がわからなくて迷いまくってたらしいんですが「三宿Webっていうクラブ知らないですか?」ってたまたま聞いた相手が、実は当時のオレの非常に親しい女の子で。ぶっちゃけ言うと付き合ってはなかったけど当時ほぼ付き合ってる様なぐらいの親密な感じの女の子だったんですよ(だいぶぶっちゃけたけど)。今考えると奇跡的な確率ですよ。そらもう彼女は「知ってるもなにも!」ぐらいの勢いでマッサンをWebに連れてきて即紹介されて。「え!?ラップやってるの??」ってことで主催のエイジくんに紹介して。エイジ君も非常にフランクな人なので、確かその時マッサンにデモテープ貰って直後からレギュラー出演することになった流れだったかと。

当時のマッサンは、やっぱ東北のそういう大会で優勝するぐらいのズバ抜けたポテンシャルはあったとは思うんですが、正直言って上手いけどそこまでの個性を感じられないなあ…っていうのが率直な感想だったんですよ。同じく準優勝したGAGLEは、所属してるJAZZY SPORTと当時のうちとの関係もあって実はデビュー前(直後?)のインタビュー撮影とかもうちでやったりしたんですけど、やっぱちょっと誰っぽくもない独特の個性を感じていて。もしかしたらラップ自体はマッサンの方が上手かったのかも知れないど、個性的には圧倒的にGAGLEのハンガーくんの方が上かもなあという印象ではありました。

でもそういう厳しい状況の中、最初はいわゆるHIP HOPのトラックでラップするっていう手法から、トラック+生サックスにラップを乗せるっていう手法を経由して、紆余曲折して今の生バンド+歌とラップを混ぜた様な独自の形態に至ったというか。リリックもライムもフロウも当初とは比べ物にならないぐらいちょースキルアップしてるし歌もめっちゃ上手いしオリジナリティーだし。いや、1回観たら聴いたら絶対インプットされるでしょ!っていうぐらいのインパクトを感じると思いますよ。でもそれって本人的にはもう尋常じゃないぐらいの努力や思考の賜物だったとは思います。やっぱね、人と違ったことをするってのは正直簡単だと思うんですよ。でもそこに如何に説得力や個性を体現するっていうのが非常に大変な作業だったりして。それを構築するってのは想像してるよりも凄く大変だったろうなあと思うんですよね。

相方のバシリーくんとの出逢いも非常に大きかったと思いますね〜。3年前にうちの20周年記念で前述した今や伝説のイベント『Two,Three,Breakes』のリバイバルをやって、その一環でマッサンにも演って貰ったんですが、初めてバシリーくんとのデュオを観たんですが、もうほんとにビックリしましたよ。え!?マッサンいつの間にか今こんな感じなの!?なんか凄いいいじゃん!って素直に思ったというか。出音もちょー良かったし。出たばかりの音源のタイトルじゃないけどほんとに2人の『阿吽』を感じましたよ。今回は更に感じましたけど。

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なんかもうねえ、CAYに居た時間の8割方ぐらい泣くの我慢してたかも。っていうかもう終わった後マッサンと喋ってたら堪えきれず涙が止まりませんでしたよ。っていうかコレ書いてる今も号泣しながら書いてるし(笑)。それぐらいの感動を貰いましたよ。ここ数年観たライブで一番感動した。マジで。正直達郎先生のライブより感動したかも。勿論そういう個人的な長年の積年の関係性とかもあるとは思うけど、オレ正直言ってそれぐらいの関係性じゃここまで感動しないから、マジで。お世辞とか言うの大嫌いだし。なんかもうそれ以上のモノを与えられたというか。

ライブで感動するとかって誰しもあるとは思うんですが、それってやっぱ好きな曲でとかヒット曲でとか思い入れの強い曲で、とかがほとんどだと思うんですよ。全くインプットされてない初見の曲でそういうモノを感じるってほんとに本物だと思うんですよね。でもそんなのってなかなか無いじゃないですか?マッサンとバシリーくんのライブには正にそれを感じるというか。勿論オレは事前に音源頂いてたし、予備知識もあったはあったんですが、全体的にはめちゃめちゃ泣きのメロディーって訳でも無いし、どちらかというと"淡々としてるけどカッコいい音楽"的な部類に入ると思うんですけど(前述の『Close My Eyes』は非常にメロディの強い曲ですが)、それ以上にグングン感じるモノがあるというか。恐らく全然存在自体知らない人でも、絶対何かしら感じるモノがあると思うんですよ。それぐらいの”ソウル”を感じるし、いやもうオレ的には”ブルース”を感じる。もうほんとにね、心に響く音楽って正にコレだ!って思いましたよ。

実際売れてない(評価もされてない)時代に早くに結婚してしまって子供も出来て、ましてやそこそこいい年齢でって、それはもう周りの色んなプレッシャーや自問自答も相当なモンだったと思いますよ。やっぱ家族の為に大好きな音楽もやめなきゃいけないのかな…っていう部分も多々あっただろうし。そんなのみんなそうだと思うし。そんな状況の中支え続けた奥さんにもちょーリスペクトだし、もうね、そんなん全部考えたらそらもう涙腺崩壊しますよ。マジで今も大号泣してるし(笑)。

やっぱね、一番底を見た男が、長い年月を経て沢山の人に感動を与えたり評価されたりするっていうのは、もうほんとになによりもとてつもなく感動的ですよ。なんせノンフィクションですから。マッサン自体はどっちかというと天然なタイプだし(笑)、非常にマイペースな方だと思うし(見せてるだけかも知れないけど)、そういう暗い部分は一切見せないタイプだけど、だから余計にもうね、そういうを引っくるめてめっちゃくちゃグッとくるというか。しかもそれに、たまたまかも知れないけどちょっとでも自分が関われたっていうのがもう更に感情移入してしまう要因というか。もうマジで感動した。ここ最近でここまで感動して大号泣したのって記憶にないぐらい(現場ではだいぶ我慢したけど)。

マッサンにはもっともっと色んな人に認知して貰って名実共に売れて貰いたいという反面、これ以上ポピュラリティーに特化せず、わかる人だけに凄く響く音楽を続けていって欲しいなあという気持ちもあります。とは言えある程度セールスに繋がらないと音楽だけでは食ってはいけないだろうし、家族も養っていけないとは思うので難しいところだとは思いますが。

ああ、もうね、これ書いてる間ずっと号泣してますよ。なんでこんな泣いてんだろ?オレ(笑)。でもなんか上京した当時の自分に重ね合わせてる部分も若干あるかも。オレなんて何の自信もなくコネもなく知り合いも1人も無く全く0の状態で上京してきて、話す相手も1年半ぐらいは誰1人もいなくて、猛烈な孤独感に何度も押し潰されそうになって頭おかしくなりかけたことも多々あったし、マッサンと同じく上京して数ヶ月でもう絶望感の余り田舎帰ろうとも思ったけど、どうにか歯を食いしばって色んなことにひたすら耐えてきて今があるといういうか。だから人一倍感情移入しちゃうのかも。いや、言うのは簡単だけど、それはそれはほんとに物凄い忍耐力だし、言葉では言い難い辛い思いもあったハズだし。オレも元々は東北出身だし、そういう意味で東北の人間特有の"我慢強さ"や"忍耐強さ"みたいなのは共感する部分もなにげにあるのかも。やっぱねえ、みんながみんなそうじゃないとは思うけど、東北人の根性や忍耐力って、やっぱハンパじゃないですよ。

いやもう最近も体調は悪いし色んな事が大変なことばっかりで、今年も大変な年になりそうだな…って思ってた矢先の一服の清涼剤というか。マジで凄い癒されましたよ。マッサン自体はいつも通り飄々としてたけども(笑)。いやあ〜マジで凄い良かったわ。凄いパワー貰った。今後もマッサン応援したい。微力だけど。てか一生応援するわ。あ、まかり間違って「なんかマッサン知らぬ間にカッコ悪くなったな…」って思ったらしれっとフェードアウトするかも知れないけど(笑)。その辺はシビアにジャッジするけども(笑)。まあ奴のポテンシャルや性分からしてまず無いとは思いますけどね。

嗚呼、久々に思いの丈をダダダと書き殴った感。でも興味持った人は是非1度聴いて欲しいなあ。でも音源よりもライブの方が何倍もいい。ほんとにちょー実感した。まあ相方のバシリーくん始め、昨夜のバンドのグルーヴ感が非常に素晴らしく良かったのもあるだろうけど。ライブ観て毎回思うけど、ずっとこのまま観て聞いていたいって思うライブというか。マッサンの歌や声と、音数が少なくタイトでグルーヴィーな演奏とのハーモニーが、聞いていて非常に耳障りがいいというか心地いいというか。あとマッサンが歌ってるところも凄い気持ち入ってて観ててグッとくるし。ほんとうに"気持ちがいい"ライブなんですよ。

なので音源聴いてみて「あ、好きかも」ってちょっとでも思った人は是非1度ライブへ行って生で聴いて欲しいですね。ぜっっったい的に更に好きになること必至ですよ。これほぼ間違い無く。マッサンってなにげにめっっっちゃフリースタイルも素晴らしく上手いしMCもオモロいし。まあフリースタイルばっちり決まって拍手喝采されてる時も、面白いMCで場内が笑ってる時も、オレは終始号泣我慢してたけども(笑)。

いやあ、マジで昨夜はいい夜だったな…。何も無ければ絶対悶々と家で色々と頭抱えてたハズだったけど。冒頭のチェ中の結婚Pも素晴らしく非常に良かったけど、誘ってくれたマッサンにほんとにちょー感謝。いやあ、正直言ってあの場に居なかった人にはどんだけ熱く語っても絶対なかなか伝わらないとは思うけど、マジで凄い感動した。まあオレが緊急にこんな長文ブログ書くぐらいだから相当なモンだと思って貰って結構です(笑)。このブログのサブタイトル『この熱い魂を伝えたいんや』とは正に今回のブログですよ。衝動的に書いたとは言え何度か誤字脱字ないかチェックはしたんですが、その度に『Close My Eyes』聴いて思わず大号泣してるっていうね(笑)。またナガサワさん涙脆いなあ〜って思ってるかも知れないですが、言っとくけどそうそうないからねこんなこと!マジで!とだけ最後に言っときます。

いい曲、いい音楽は洋邦問わず沢山あると思いますけど、心の深い奥底の芯に響く音楽ってそうそう無いと思うんですよね。まあ個人的主観ですが。ダメだマジで今後この曲聴いたら瞬時に泣いてしまうかも。それぐらい聴くだけで涙ボロボロ出てくる。まあこんだけ熱く語っても響かない人には響かないとは思うけど。でもほんと1回生でライブ観て欲しいなあ。それでも何も感じなかったらこのブログ今後一切読まなくてもいいしオレのこと嘘付き呼ばわりしてもいいわ(笑)。マジでそのぐらい大プッシュ。いやあMASSAN×BASHIRY、ほんとに最高だ!!


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今更ですが新年あけましておめでとうございます。気が付けば昨年3月以来の更新。しかも昨年は結局3回しか更新してない。何度か書こうとは思ったんですけどねえ…。正直なところ、いまいちブログを書く気分になれなかった1年だったでしょうか、2016年という年は。

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オレの星って2016年は大凶だったらしいんですよ。意外とそういうの気にしちゃうタイプで。元々色々と状況的に大変なことばっかでしたし、年齢的にもいつ何が起こっても全く不思議ではなかったのもあって、去年はほんとにどんな災いが起こるんだろう…?って年明けてからずっと戦々恐々だったというか。

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実際のところ、勿論嫌なことは多々ありましたし試練も続きっ放しだったし、まあ〜大変な年ではありましたけど、とりあえず五体満足に健康体でいられていることや、どうなっちゃうんだろうか?って思ってた三宿Webもどうにかこうにか続いてることなどを考えると、想像してた凶感よりはマシな様な気もしましたけど。まあ生きてりゃ毎年の様に嫌なことなんて多々あるもんですし。とはいえ、ほんとによくもまあ色々あったなあ〜という印象の1年だったでしょうか。ベスト10では書き切れなくて結果若干ハミ出てるぐらい(苦笑)。いやほんと、これだけ色々あった年もなかなか珍しいんじゃないか?ってぐらい。さてそんな激動の1年を、もはや毎年恒例となりつつある個人的出来事ベスト10と共に振り返っていこうと思います。

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第10位 ※同率10位「放映から35年の時を経て『北の国から』を初鑑賞」
実はなにげに今まで1度も見たことがなかった『北の国から』が、一昨年の秋ぐらいからスカパーの「日本映画専門チャンネル」で一挙放送されていて、これはせっかくだしいい機会かもとマメに録り溜めて、年明けた正月ぐらいからちょっとづつ観始めて。最初のドラマのシリーズが長くて若干心が折れそうになりましたが、最後の方から一気に動き出して面白さもアップと同時に引き込まれていって。スペシャル版になった途中ぐらいからはようやく録画も追い付いたんですが、更に面白味が増して回を重ねていくごとに放映されるのが毎回楽しみになっていって。

あとなにげに番組の最後に毎回、八木亜希子さんによる倉本聰さんへのインタビューもおまけで小刻みに付いていて、それが裏話満載で面白かったんですよね〜。当初五郎役の候補には、高倉健、緒形拳、藤達也、西田敏行、中村雅俊、と多数候補がいて、最終的に一番情けなく見えるっていう理由で田中邦衛に決まったとか、岩城滉一の後楽園ホールでのボクシングの試合は実はガチンコだった(勿論KOシーンもガチ)とか、さだまさしの主題歌の話しとか、非常に興味深い話ばかりでした。

全部観た感想としては、やっぱ月並みな言い方ですけど良かったですね〜。長年に渡っての撮影及び放映ということもあり、回を重ねていくごとに主人公も同じ様に歳を取っていく様が非常にリアリティーを醸し出してるというか嘘くさくないというか。まあしかし出てくる美女たちが一様に不幸になっていくのと、登場人物がほんとよく亡くなるのはちょっと哀しくなりましたけど…(苦笑)。ちなみに登場する歴代の美女の中では竹下景子が1番好きですね〜。五郎さんと結ばれるの期待してたんですけど(笑)。ちなみに前述のおまけの裏話で倉本聰さんが言ってましたけど『冬のソナタ』の監督が『北の国から』をリメイクしたいって言ってたらしいんですけど、韓国のテレビの放送局とはだいぶ前に契約が成されてるらしいのにいつになっても放送してくれないっていう話しをしたら『北の国から』っていうタイトルが原因じゃないかと(笑)。あと、五郎さんが元妻の妹の雪子さんと一緒に同居するっていうシチュエーションが、韓国人からすると全く理解に苦しむ設定で付いていけないとも言われたらしいです。

ちなみに昔から周りの人に「ナガサワさん泣けるドラマや映画好きだし、絶対『北の国から』好きですよ!」とは言われてたんですが、いや、勿論好きなタイプのドラマではありましたけど、オレが昔から猛烈に大好きな『ふぞろいの林檎たち』と比べたらやはりふぞろいの方が好きですかね〜。これもほんとうに素晴らしいドラマだとは思いますし、沢山のファンがいるのも非常に頷けますけど、やっぱ好きなドラマナンバーワンは変わらず『ふぞろいの林檎たち(1&2)』です。

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第10位 ※同率10位「ユニオンジャックブーム再び」
3年半前にロンドンに行ってから一気に醒めてしまった感があったユニオンジャックブームですが、また唐突にちょっと好きになって。とは言っても昔ほどではないですけど。暇さえあれば久々にユニオンジャックグッズ掘りまくりました。まあ昔散々掘ったのですぐ掘り尽くしちゃいましたけど。でもなんかやっぱりイケてるユニオンジャックグッズをゲットしてコレクションに足すだけでなんだか嬉しいというかストレス発散になるというか。正直言ってユニオンジャックグッズっていうか、ユニオンジャックのデザインに何も興味を持たない人やイギリス好きでもない人にとっては、何でそんなにユニオンジャックがいいの?って「???」かも知れませんが。いやあ、3年半前に行ってちょっと嫌いになった感もあったイギリス及びユニオンジャックでしたが、最近又「オレやっぱイギリス好きだわ、ユニオンジャック好きだわ。」と改めて思うことが多くて。なので今後もほんとにマイペースで厳選してユニオンジャックグッズは掘っていこうかと。あとまたいつか、ロンドンに行きたいなあと思ってます。

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第10位 ※同率10位「一色海岸15周年」
2001年に初めて来訪してから去年でちょうど15周年でした。それ以降はもう毎夏唯一の楽しみと言ってもいいぐらいの恒例行事になってます。勿論一色海岸という場所もそうですが、そこにある行き付けの海の家『さざ波』も込みでですけど。去年は結局1度しか行けませんでしたけど、その1回がほんとにちょー楽しくて。去年の夏はここ数年でも1番イマイチ感の強い夏でしたけど、唯一の楽しい想い出だったかもってぐらい。朝から終電までほんとに楽しかったなあ〜。さざ波も一色海岸も最高だったし、その後行った三浦海岸の花火大会も。ほんとにあの1日にだいぶ救われたかもってぐらい癒されましたね〜。一緒に遊んでくれたたけSEA軍団のみんなにはほんとに感謝でございます。

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第9位「業界25周年&Web22周年&表紙15周年」
二十歳に成り立ててこの業界に入って去年でちょうど25周年でした。まあ詳しくはこちらの記事を。そして三宿Webもめでたく22周年を迎えて。去年も周年月の6月にマンスリーで開催したんですが、ここ数年でも1番のブッキングが出来たのもあって、非常に素晴らしい6月となりました。ご協力及びご来店くださった皆様、誠にありがとうございました。そして気が付けば今のマンスリーの形式になってからちょうど15周年でした。ほんとは記念に表紙だけを纏めた冊子でも作ろうかと思ったんですけどね〜。数が数だけにどう考えても労力がハンパないのもあって、残念ながらちょっと難しいんじゃないかとは思ってます。あと昔のデザインとか写真とか、今見ると酷いのいっぱいありますしね〜(苦笑)。それも一因としては大きいかも。自分の本当に気に入った納得のいく写真及びデザインのモノは何かしらで残したいってのは正直あるんですけど。まあでもわかりやすくマンスリーの表紙だけ纏めた方が一般的には興味はそそるんでしょうけど。

SNS及びネット全盛のこのご時世に、もはや今スケジュールをマンスリーフライヤーで調べる人なんてほとんどいないでしょうし、正直マンスリーとかも作ってない店が大半だし、正直毎月作るのもなにげに結構大変だったりもするんですが、やっぱもう三宿Webのマンスリーと言えばコレ!的な、名物というか風物詩的な感じにもなってますし、未だに表紙モデルになりたい!って人も多々いてくれてますし、まあWebが続く限りは可能な限り続けようかとは思ってますけど。

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第8位「タケザップで激痩せ成功」
去年の3月頃にMAX太ってたんですが、知り合いたちから立て続けに「ナガサワさんお腹やばくない??大丈夫??(笑)」と心配されたことが発端として本気ダイエットを一大決意。なんと3ヶ月で最大8キロ減(72キロ→64キロ)、ウエストも9㎝減(92→83)という見事な大成果を遂げました。その時に冗談半分で付けたダイエットのネーミングが『タケザップ』で(笑)。どうやって痩せたのか色々聞かれましたが、まあバカみたいに食ってたのを止めて食を減らし、ほんとにお腹が空くまで食べない様にして。あと寝る前は絶対食わない様にしました。炭水化物も大盛りだったのを小盛りに変え、大好物のパスタもなるべく少なめに。最初の3ヶ月ぐらいはかなり自重しましたね〜。酒は辞められなかったんで酒飲んだあとの空腹感がなかなか大変でしたけど、塩舐めて我慢したりしてましたよ(笑)。その時の塩の旨いこと旨いこと(笑)。なので必然的にもご飯が美味しく感じる様にもなり。最近は若干67キロまで増えたりとかもありましたが、ギリギリなんとか65キロ台はキープしてます。まあダイエットって1番最初は大変ですけど、1度痩せてしまえば余程の暴飲暴食しない限りはある程度普通に食って生活しててもそこまで増えたりしないというか。今となってはよくぞあの時一大決心したと思いますし、結果程よく痩せて良かったなあと思いますね。

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第7位「猫虎15周年&TOKYO大リーグ開幕」
遡れば07年にもリーグ構想はあって一瞬話しも盛り上がったりしたことがあったんですが、内心「待てよ、リーグとかやったら絶対オレが仕切るハメになりそうだしただでさえチームの運営だけでもしんどいのに更に無駄に仕事が増えるじゃん!」ってことに気付き躊躇して。そうこうしてるうちに当時よくやってた三茶タイガースとヤノテクノポリスは名門・茜リーグに参加と、自然とリーグ話は立ち消えてたんですよ。2014年終わり頃にピエール学園の大桶さんから「来年からリーグやりませんか?」という話しは頂いたんですが、その時も結局リーグやったらオレに色々負担が増えるだろうな…という思いもあって余り積極的には動かなかったんですよ。勿論やるなら全面協力するつもりではいましたけど。まあこういうのって言い出しっぺが仕切るハメになることが多いので静観を装ってた部分もあります(笑)。で、その時も気付けば結局立ち消えになってて。

で、結構個人的には非常に悩んだんですが、いっちょうやったるか!と2015年11月に意を決して、具体的なリーグ構想案をどえらい長文に纏めて(笑)、逆に大桶さん(及び瀧さん)に提案してみたんですよ。そっからはトントン拍子でしたかね〜。昔から元々よく対戦してたサンキングとレピッシュドンドンは即参加の意向を示してくれて、更にここ数年うちがよく対戦してたマキタ学級野球部を紹介して全5チームによる新・リーグ構想がスタートした訳ですよ。最初のミーティングがなかなか足並み揃わなくて大変で先行きの不安も感じさせましたが(笑)、3月7日にようやく5チーム首脳によるミーティングも開催し色々具体的な取り決めも。瀧さんが近年提唱していたということで、リーグ名も『TOKYO大リーグ』に即時決定して。ロゴもピエール学園所属のプロの書道家の方に書いて頂いたんですが、これがまたカッコいいのなんのって。これで更にリーグ熱が加熱したんじゃないでしょうかね〜。

まあそんなこんなで始まったTOKYO大リーグ、初年度ってこともあって色々とドタバタでしたが(汗)、最後の最後まで手に汗握る好勝負続きで、今までとはビックリするぐらい全然違いましたね〜。リーグ公式戦ってだけで各チームの目の色が違うこと違うこと(笑)。勿論勝ったらめっちゃ嬉しいけど負けたらめっちゃ悔しいっていう。いや、正直言って想像してた通り仕切りも雑務も結局オレがやることになり、いつも以上に色々と大変なこともありましたが(苦笑)、まあでもやっぱ結果やって良かったなあとは思いますね〜。

ちなみに我が三宿ニャンニャンタイガースは、創設15周年を迎えるという節目の記念イヤーだったので、ユニフォームにキャプテンマークの"C"まで嬉しそうに着けて是が非でも優勝を!とは思ってましたが結果4位という残念な成績に。しかも個人成績も草野球始めて以来ワーストの.158という低打率。いやもう個人的には今まで類を見ない最悪なシーズンでしたよ。チームも一昨年の成績からすれば(勝率.857)圧倒的にうちが優勝候補だったんですけどね〜。ほんとわからんもんです。まあでも去年はある意味TOKYO大リーグに捧げた1年だったかも知れないですね。ま、若干言い訳ですけど。そう考えればちょっと溜飲を下げれるので(笑)。

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第6位「堀辺師範逝去」
これも詳しくはこちらで。っていうか余りに更新なかったからこれが1年近くトップページに鎮座したままでしたけど(苦笑)。まあしかしこれもほんと当時はビックリしたもんです。あれからもう10ヶ月ですか。去年1年が濃密過ぎて、もっと前の話の様な気もしないでもないですけど。

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第5位「ナガタツ大ブレイク」
まあブレイクしたかどうかはわかりませんが(笑)、昨年だけでなんと出番5回も。しかも本来なら年末の『申し訳ナイト20周年SP』でもう一回演る予定でしたからね。その中でもとにかく凄かったのが6月の三宿Web22周年記念月間の一環として開催した『YAMA-TATSU NIGHT vol.6 PERFORMANCE 2016』。なんと月間成績が第3位。1位と2位は大人気イベント且つ豪華キャストの『80’sナイト』と『申し訳ナイト』ですから。低料金なのもありましたけどなんと100人超えましたからね。凄いことですよ。なんせ出演が店長のオレたったの1人だけですから(笑)。一昨年も結構混んでビックリしたんですが、それを遙かに超えましたね〜。もう最初から最後まで常にフロアは賑わってたし、2時前後ぐらいの時間はどこもかしこもパンパンだったんじゃないですかね??でも開催当日4日前ぐらいから体調崩して発熱、一時は最大39度4分まで上がり開催すら危ぶまれましたがどうにか最後まで倒れずに完遂。一昨年はめっちゃくちゃ楽しかった記憶ですが、去年はもう最後までどうにか無事に倒れずに、来てくれた沢山のお客さんに出来るだけ楽しんで帰って貰うという使命感の方が強かったですね。ちなみに翌日はまた発熱しましたけど(苦笑)。

思えば最初はノリで『YAMA-TATSU NIGHT』を始めたのが2011年4月、それ以降ちょっとづつ所持してるレア音源をアップした達郎関連音源サンクラも今や色んな人に認知される様になり、無駄な「最近のライブ時の達郎」コスプレも、やり出した当初は全然認知度も低くてほとんど伝わりませんでしたけど、もはや最近は出落ち効果すらあるぐらい定着した感さえあります。あと達郎コスプレをしてる写真をデカデカと載せた久々に作った紙フライヤー及びポスターも、今回はかなり効果があった気がしますね〜。去年だけでだいぶ達郎DJ=ナガサワ的なイメージは付いたんじゃないでしょうかね??いやはや好きなことは地道に長く続けていくモンだなあ〜とつくづく思いましたよ。ほんと有り難い話しです。ちなみに早くも来月、去年夏にも誘って頂いた鈴木雅尭さんのイベント(2.19.SUN@渋谷スタジオ)にナガタツ出演致します。達郎って昔はリゾートミュージックって言われたぐらい夏のイメージの曲が多いんで、若干選曲に迷いそうですけど。あと今年も6月まで三宿Webが無事続いてたらまた『YAMA-TATSU NIGHT vol.8 PERFORMANCE 2017』をやろうかなあと思ってます。勿論今年もオールナイトを1人で(笑)。

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第4位「洋画ブーム」
敢えて洋画を避けてた部分もあったんですが、ほんとに今までほとんど名作と言われるモノまで全然洋画を観てこなくて。まあでも散々邦画を観まくったのもあってもうほとんど興味のあるのは見尽くした感もあって、そろそろ洋画も観てみようかなあと思ってた矢先、夏に話題の青春映画『Sing Street』を観て。これがもうほんとに良くて。感動して号泣しまくりましたよ。その直後からスカパーで「プロ野球セット」の一環でたまたま契約してる「FOX MOVIE」でやってる映画をちょくちょく観る様になるんですが、このチャンネルっていわゆるわかりやすいドンパチ物やアクション物とかしかやってなくて1ヶ月ぐらいしたら飽きちゃって。久々に近所のTSUTAYAとかにレンタルDVD借りに行ったりもしましたね〜。でもレンタルDVDの字幕がどれも一様に見づらくて非常にストレスに感じてからは借りに行かなくなりましたけど。

そんなこともあって、それまで契約してた「日本映画専門チャンネル」を解約して「イマジカBS」っていう洋画のチャンネルを1つ契約して。12月になるとオフシーズンてこともあって「プロ野球セット」を解約して、代わりに洋画のチャンネルを更に2つ契約したんですが(今は洋画専門計4チャンネル契約中)、それが更に洋画熱に拍車を掛けることになりました。

気が付けばもうほんとに暇さえあれば洋画観まくって。夏から半年間で約100本強観ましたよ。まあ〜観ましたねほんと。ピンからキリまでですけど。洋画全く観なかったので完全に無知でしたけど、クリント・イーストウッドが監督した映画がことごとく素晴らしいことにビックリしました。洋画って邦画に比べると良くも悪くも描写が雑なイメージがあったんですが、クリント・イーストウッドの作品は非常に深いというか繊細というか、とても心に響く映画が多いですね。「トゥルー・クライム」「ミスティック・リバー」「チェンジリング」「ミリオンダラー・ベイビー」「許されざる者」「パーフェクト・ワールド」「グラン・トリノ」など、完全に彼の作品のファンになってしまいました。

とは言えなんと言っても『Sing Street』繋がりで観たジョンカーニー監督作品にハマりましたね〜。特に2作目の『はじまりのうた』はもうどハマりで。今のところ1番好きな洋画かもってぐらいです。最初はレンタルで借りたんですけど、返す前にもう一回観ましたからね。映画でそんなことしたの初めてでしたよ。時間がだいぶ経ってからとかならありますけどこんな短期間でなんて。12月に目黒シネマでやってた『Sing Street』と『はじまりのうた』の2本立ても観に行ったし。『Sing Street』は改めて素晴らしい青春映画だなあと終始大号泣しまくりましたけど、初めて劇場で観た『はじまりのうた』はやはり素晴らしく良かったです。もうサントラもずっと聴きまくりましたしね。昨年下半期は『はじまりのうた』の印象がなにげに強いんですよね。完全に主題歌のこの曲が2016年下半期の想い出の曲になってしまった。リリースは2014年だけど(笑)。ほんとに大好きだわこの映画。




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第3位「とある殺人事件・・・」
まあFacebookで繋がってる方はご存知の、例のあの事件をやはり2016年はスルー出来ません。6月の周年月間中にうちのすぐ近所でおぞましい殺人事件があって「嫌だなあ…犯人早く捕まらないかなあ…」と思ってたらまさかの被害者が同じマンションの住人だったことが発覚。もう連日新聞テレビ等のマスコミや警察官など、それはそれは物々しい1ヶ月間でした。ただでさえ見た目的にも職種的にもなんか疑われそうだし、もうほんとに嫌でしたね…。世の中冤罪で捕まるとか平気であるご時世だし。当分の間は警察官がマンション内に常備配置されてスーパーに買い物行って帰ってくるのにも身分証提示しなきゃいけなかったり、事件直後とかはテレビ局のカメラが待ち構えてて、外に出たら群がって色々聞かれたりとかちょっとした外出も気を遣う様な感じで、もうほんっとにめんどくさかったですね…。

しかも今回の一件で1番腹立ったのが、まあ一般的に疑われるのは致し方ないとは思うんですよ、こんな体(てい)だし。でも知り合いの何人からかに「内心ナガサワさんが犯人かと思った」とか、(話しのネタ的に)「おいしい」とか「楽しそう」とか言われたことですかね…。本気でそう思ってた人は勿論、冗談半分で言ってた人もいたとは思いますが、もうほんとに心の中では言われるたびに憤りまくってましたよ。まあ大人げないと思って敢えて相手にはしませんでしたし時には笑って過ごしましたけど、内心では「死ね!!(保育園落ちた日本死ね!風に)」ってマジで思いましたよ。全くおいしくもなければ楽しくもねえし!!もうほんとにショックでしたよ。しかもなにげに結構言われましたからね。嬉しそうに。職質とか昔からたまにされるんですが、毎回ほんとに屈辱感しかないというか。でもそれも見ず知らずの警察官にされてる訳だし前述した様に身なりがこんなだししょうがないか…的に納得せざるを得ない部分もあるんですけど、知り合いに疑われて「ちょっといい?」って持ち物検査される様なもんですよ。それぐらい結構ショックというか。え〜オレってやっぱ友達や知り合いにもそんな風に見られてるんだ…と愕然としましたよ。未だに平気でいますからね「ほんとはナガサワさんじゃないかと思ってましたよ(笑)」とかヘラヘラして言ってくる奴。もうマジで死ね!って思う。汚い言葉使うのあまり好きじゃないけど。でもそれぐらいの屈辱感を感じたのは確かです。

あと逆に心配してくれた人とか、わざわざ連絡までくれたりした人にはほんとに感謝の気持ちでいっぱいでしたよ。いやあ、あの事件で色んな人間性見た気がしましたね〜。自分にとってのほんとの味方は誰なのか?とか、味方のフリして実はそういう風にオレのこと見てるのか??とか。こんな風に見えて1度も切れたことも無ければ人殴ったことすらないぐらい平和主義ですからね。そんなのってちょっと仲のいい人には伝わってるとばかり思ってたんですけどね…。ほんとに残念です。


とりあえず早めに犯人も捕まって無事解決したから良かったですけど、事件があったという事実は消えない訳で。勿論やっぱ相変わらず未だに気持ち悪い感はあるし。とまあ色んな意味で大きな事件でしたね。ちょっと一生忘れられないぐらいの衝撃というか。てかこんなことってあんの!?ってぐらいの確率ですよね、ほんと。

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第2位「朝本さん逝去」
去年の3月中旬に急に心肺停止状態になって。蘇生処置でどうにか延命したモノの次あったらもう蘇生処置は行わないということになって。癌の様に余命的なモノってないらしいんですが、敢えて言うのであれば長くて1ヶ月という宣告も受け、周りの近親者はある程度の心の準備はしてたんですよ。が、1ヶ月経てども3ヶ月経てども特に何もなく容体的には安定はしてたんですよ。とは言え1度心臓止まってからはそれまで目で追ったりしてた動作やちょっとした反応など無くなってしまって。11月の頭にはもう腕の血管が硬くなって栄養分を送る為に打つ注射を打つ場所がないらしく、もう長くはないというのは知らされてました。

最後にお見舞い行って逢ったのは亡くなる2週間前でしたかねえ。亡くなった当日も直前に連絡貰ったんですが、運の悪いことにちょうどその日が部屋の更新日で、前回の契約書類がどこにも見当たらなくて押し入れ引っ繰り返してた真っ最中で敢えなく伺えず。亡くなったことが公になったのは密葬を執り行った日の夕方頃で、当日の夜中に『申し訳ナイト20周年SP』が代官山ユニットであって、当初は達郎オンリーDJのナガタツで出る予定だったんですが、主催のミッツィーさんに急遽相談して朝本さん音源のみで追悼MIXをやることになり。その時の告知ツイートがなんと91リツイートの78いいね。朝本さん逝去による世間の皆様の衝撃の大きさを改めてまざまざと感じましたよ…。

個人的には一番最初の事故直後の衝撃が余りにも大き過ぎて、アレを経験してしまってからはちょっとやそっとのことでは動じたりしなくなった部分もあるんですが、やはりいざ亡くなってしまうと色々と思うところや感じる部分は多々ありましたね…。ちょっとぽっかり大きな穴が開いた感というか。まあでもほんと頑張りましたよ。余命1ヶ月を宣告されてから7ヶ月も生きたんですからね。あとこれでようやく朝本さんも、苦しまずゆっくり安眠出来るんじゃないか…っていう想いもありましたかねえ。

朝本さんてオレからすると”凄い音楽家”っていう存在よりも、歳が離れた非常に仲のいい人っていうイメージの方がどうしても強いんですよね。途中からは音楽家として以外のお付き合いの方が多かったですし。なのでふとした瞬間に世間一般的な「朝本浩文という偉大な音楽家が亡くなってしまった」感を一連のことでひしひしと感じて、オレはなんてどえらい凄い人と仲良くさせて貰ってたんだろう…って思うこともしばしばありましたねえ。密葬の立ち会いを始め、四十九日に開催した『朝本浩文を送る会』でもDJさせて頂いたり(勝手に司会と進行のお手伝いも)、散骨式にもお誘い頂いたりと、ほんとに光栄と同時に、有り難いことだなあと思います。

ちなみに2月4日土曜日深夜に急遽朝本さんのトリビュートイベントをやることにしました。前述の送る会が関係者のみだったのもありますし、やっぱ朝本さんが愛した三宿Webで、三宿Webなりの朝本さんトリビュートをやりたいなあって想いが強くなって。もしかしたら三宿Webでの朝本さん関連でのイベントごとはこれが最後になるかも知れないですねえ。今週中には詳細も発表出来るかと。有り難いことに沢山の方々のご協力もあって"これぞ三宿Web"っていう朝本さんトリビュートを開催出来るのではないかと思ってます。お時間ある方は是非2月4日三宿Webへ朝本さんを感じにいらしてください。

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第1位「スタッフが増えました」
色々あった2016年ですが、なんだかんだ言って最終的にはコレに尽きるんじゃないかと。もう今や若干当たり前的な感覚にもなったりしてる節もあるし、一気にドーンと増えた訳でも無いし、他のニュースに比べるとインパクト的には薄いっちゃ薄いのもあって、ぶっちゃけ1ヶ月前に2016年の10大ニュース挙げた時には出て来なかったんですけど。でも最終的によくよく考えたらやっぱコレが一番でかかったんじゃないかと。

一昨年の秋頃はほんとにスタッフ不足末期で、このままいくとマジで春まで持たないだろうとは本気で思ってました。なんせ毎週末の様に友人・知人掻き集めてた様な状況で、ほんと毎週末が来るのが内心怖かったというか。ほんと頭おかしくなりそうでしたよ。それぐらい苦痛でした。それが無くなったってだけでもだいぶ気持ち的には余裕が出来たというか。いやなにげにでかかったと思うんですよね〜。オレって目の前の細かいことぐじぐじと考えるタイプではあるんですが、その反面どんな大変なことも無事終わってしまえば意外とケロッと忘れたりもするタイプで。まあなので長年色んな苦痛にも耐えられてるんだとも思いますけど(笑)。じゃなかったらとっくに猛烈なストレスに押し潰されてますよ。

とは言え人数は増えましたけど未だバーテンは博之とオレだけなので、万が一の状況を考えると博之が舞台ある時は怖くてクラブ営業は出来ないし、通常も休憩回す時もオレがバー立たないといけないという厳しい状況は変わりないんですけど。まあでもその日の最低限の頭数揃ってるだけでも全然有り難いですけどね。いやあ〜もうね、マジで辛かったですから一昨年とかは。ヘルプが多いとはいえよくもまあ1年でこれだけ増えたもんですよ。ほんとにありがたいですね。いい奴らばっかだし。オレにしてみれば皆家族だし、ちょーLOVEですよ。

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さてそんな2016年でした。去年は全然GrandBleuのことが出来なかったのはちょっと残念でしたけど、まあなんせ前述した通り下半期は暇さえあれば洋画ばっか観てましたからね〜。昔から興味を持ったことはトコトンまでっていう性分なんで。あと一昨年はちょっとでも余裕があれば洋服作りの方に予算を充てていて服とかは全然買ったりしなかったんですけど、逆に去年はなるべく欲しい服は買うようにしてましたかね〜。つってもそんな大して買ってないけど。でも前から欲しかったアイテムを古着で探して格安でゲットしたり、ここ数年では一番洋服に金使ったかも。なので自分の洋服作りは全然出来ませんでしたけど、その分違うところでは確実に自分の実にはなってると思うので、結果的にはOKだとは思ってます。元々GrandBleuに関しては気合い入れてブランドやります!っていうスタンスではなく、いいデザインが思い付いて作れる時に作るっていうぐらいの緩いスタンスでやるつもりでしたし。まあでも今年も一型でも二型でもいいので、マイペースに何かしら自分が着たいなあと思える様な服を作りたいなあとは思ってますけど。

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他にも敢えてここに書いてないことも多々ありましたけどね。いいことも悪いことも。年末に仲の良かった知り合いが急に蒸発しちゃったりとかもあったし…。そんな怖ろし過ぎた2016年もどうにか無事終わり。さて来たるべき2017年は一体どんな年になるんでしょうかねえ。まあいきなり先週40度の高熱が12時間以上も続くという修羅場がありましたけど。最高で41.9度まで上がりましたからね。てっきりインフルエンザだと思ったらただの風邪だったらしいんですけど、ただの風邪でそんな高熱出るんだ!?って逆にビックリというか。まあ1年の区切りを節分で考えると、最後に纏めて嫌な膿出したと思えばいいんですけど。あと現時点で、オープン以来長らく続いたバレンタイン企画がいつも以上に難航していて、最悪開催しないなんてこともあるかもっていう状況なんですが、それもまた大凶年の最後の膿的な感じなのかとも思ったり。まあバレンタイン企画は面白く出来る可能性がある限りギリギリまで試行錯誤考えようとは思ってますけど、中途半端に無理してやろうとまではもう思ってはないんですけどね。

あと年始にふと20年前の1997年の流行や出来事を調べてみたら、なんかビックリするぐらいパッとしたニュースが無かった年だったというか。大抵どの年も「えー!コレってこの年だっけ??」っていう大きな出来事が幾つかあるもんなんですけど。個人的には1997年は色々あったんですけどね〜。初の海外旅行でニューヨークへ行ったり、ほんとはこの年いっぱいでWeb辞める予定だったり(笑)。あ、あと当時住んでた代官山の部屋に『王様のブランチ』が撮影に来たり(映像残ってないけど)。あとそれから、年末にはオレがプロデュースした草お笑いユニット『ハンソデポリス』のデビューライブも(笑)。もし年末まで三宿Webが続いてたらデビュー20周年を記念して一夜限りのハンソデポリス再結成ライブでもしようかなあとは思ってます。まああんまり需要ないとは思われますが(笑)。

2017年の目標は、今のところ取り立てて特にはないんですが、1つは一眼レフをもうちょっと使いこなせる様になることと(その為に年始早々格安の中古の望遠レンズも購入)、あとは時間とお金の余裕がある時にまたGrandBleuの商品を作ることと、昨年の下半期ほどとはいかないまでも映画も沢山観たいし、まあ三宿Webも猫虎もTOKYO大リーグも色んなことが大変で今後一体どうなるかは全くわかりませんが、やる以上は出来るだけ一生懸命やりたいしと、まあそんな感じでしょうかね。今年もなるべく自然体で「時の流れに身を任せ」的にマイペースにやっていこうかと。もうほんと何があるかわかりませんからね、人の人生。状況的にも変わらず色々と大変だし。でもなるべく悔いの無い様に、なるべくストレスを溜めない様にして、なるべく色んなことを楽しみながら生きていこうとは思ってます。あ、ブログもなるべく今年は更新したいなあと思ってますので(笑)、本年もこの無駄に超長文ブログをご愛読の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

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先週の水曜日の午後にふと見たTwitterで、日本武道傳骨法創始師範・堀辺正史先生が昨年12月26日に亡くなられていたというツイートを見て。もうビックリしましたよ。しかも3ヶ月も前なんて。74歳だったそう。余りにも唐突過ぎて最初はちょっと実感も沸きませんでしたけど、やっぱじわじわくるものがあって。これは書かない訳にはいかないだろう!ってことでの緊急起稿です。っていうか実は翌日には想い立ってダダダと書いてたんですが、余りにも纏まりが悪かったり、アップするのも若干ためらった部分もあったりして。いや、もしも堀辺先生が存在しなくて骨法の道場が無ければ、恐らくオレは今東京に居ないと想うんですよね。このブログでたびたび出てくる「昔通ってた格闘技の道場」とは紛れもない東中野にある骨法道場だったんですよ。
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※恐らくオレが通っていた頃にほど近い頃の先生。まさにオレにとってはこういうイメージのまま残ってます。当時の先生はほんとにオーラというか、尋常じゃない緊張感放ってましたね。









小学校時代、兄貴の影響で当時金曜夜8時にやっていた"ワールドプロレスリング(新日本プロレス中継)"を観たら凱旋帰国して華麗な技を繰り出すまだジュニアヘビー級の頃の藤波辰巳(現・辰爾)や、烈風の如く現れたスーパースター・タイガーマスクに魅了されて毎週楽しみに観る様になって。その後はもう抜群のカリスマ性を誇っていたアントニオ猪木を始め、長州vs藤波の名勝負数え歌、UWFの一時帰還での対抗戦など、どっぷりとプロレス(特に新日本プロレス)に傾倒することになるんですが、中学生の頃になると本屋で週刊プロレスや週刊ゴングを立ち読みする様にもなっていて。でも時の名物編集長・ターザン山本率いる週刊プロレスが圧倒的に面白くて、いつの日か週プロしか読まなくなりました。高校3年の一学期で部活が終えた後からはもう毎週買う様になって毎回隅々まで読んでました。

その週プロでちょくちょく連載をしていたのが堀辺先生でした。堀辺先生はたまに『たけしのスーパージョッキー』とかにも出てたりしていて存在は知ってましたけど、まだ整体や古武術の先生っていう印象でした。それが、アントニオ猪木が先生のところに通う様になってからプロレス界でも一躍有名になった的な。直後に山田さん(獣神サンダーライガー)や船木さんも通う様になって"浴びせ蹴り"や"掌打(よく掌底と言われるんですが厳密に言うと掌打と掌底は似て非なるモノなんですけど)"がプロレス界でもポピュラーな技にもなっていったり(ちなみにドラゴンスリーパーも元々は骨法の技)。週プロに連載されていた先生の記事は、非常に論理的且つ独特の見解の文章で毎回非常に興味深くて、読んでいるうちにあっという間に引き込まれていきました。本嫌いなオレには珍しく、先生の著書を取り寄せて買って読んだりもして。
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※本棚の奥探しまくってみたらなんと当時の先生の連載の切り抜きまだ持ってました!左の方はなんと28年前のモノ。毎週楽しみに見てたなあ〜。








男って誰しもきっと心のどこかに"強くなりたい願望"ってあると想うんですが、まさに高校生のオレも非常に強く想う部分があって。最初は空手の本とか立ち読みしてビール瓶でスネとか殴って無駄に鍛えたりしてましたかね~(苦笑)。あとは拳(こぶし)鍛えたりとか腕立てや腹筋したりとか。でもなんせ当時は華奢だし体力も無いしで、剛に対して剛でいっても間違い無く勝てないな…というのは実感してて。なんかそれを補える格闘技でも習いたいなあ~とはずっと想ってたんですよ。そんな中での先生の著書を読んで一気に「骨法習ってみたい!」っていう欲が強くなって。でも道場は東京の東中野にしかなくて。
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※当時のプロレスファンで先生が出されていた著書を買って読んだ人って結構多いんじゃないですかね〜。週プロの連載も然りですけど、実際非常に論理的で興味深いことばかりが書かれていたし、これによって骨法の最強幻想が膨らんだ人も多かったハズ。








当時母親の知り合いが東京の羽田の近くの糀谷ってとこで油の濾過器の工場やってたんですよ。高校卒業したらそこで働かないか?って言われて。学生の頃から技術家庭の時間は大の苦手だったのもあって工場で働くなんて最初は絶対嫌だったんですけど、なんせ華の都・大東京に行ける訳で。やっぱ当時の田舎者のオレからしたら夢の街でしたからね~東京は。色んな意味で今よりももっとずーっと遠い存在でしたよ、東京って街は。だからそこに行けば、もしかしたら何かチャンスがあるんじゃないか??という期待感もあって。そしてそう、あの骨法道場にも通えるじゃないか!とも想いました。

そして高校卒業後の1989年3月、満を持して上京してその工場に就職する訳ですが、自宅があった蒲田から東中野までは電車で1時間ぐらいは掛かる訳ですよ。しかも結構残業も多くて、どう頑張ってみても道場の稽古が始まる19時にはまず間に合わないんですよ。そんなこんなでせっかく上京したのに全然入門出来なくて。

工場ではだいたい40前後のおじさんたち(今時の40とは比べ物にならないぐらいおじさん)ばかりでしたし、オレと一緒に4月から入った一番若い人でも28の既婚者の人で。若干18歳のオレはもう全く上の人たちばかりで、皆いい人たちだったから良かったですけど、プライベートでも仲良くは到底出来る感じではなく。全く単身上京してきたので、周りに友達や知り合いも皆無。当時は東京ー兵庫間で一番安い格安長距離電話会社を選択してもかなりの高額な電話代だったのもあって、滅多なことでは地元の友達にも電話も出来ず。平日は元より唯一の休みも誰とも逢わず、誰とも話さず、なんてことがずーっと続きました。

給料も手取り確か11万ぐらいだったんじゃないかと。そんな給料なのにロフト付きの洒落たとこ借りちゃって6万7千円の家賃で引くと4万3千円ぐらいしか残らなくて。でも部屋のインテリアや洋服代とかに毎月無理して2万ぐらいは使ってて。光熱費と電話代とか引くと残った1ヶ月の食費がなんと1万5千円。米買って、昼間は工場で弁当出たので、朝夕2食で1日当たり4百円。朝はほとんど食わなかったかなあ。勿論毎日自炊。今のように100均みたいなのも無く物価も高かったし、それまで自炊なんてほとんどしたことなかったしで安くあがる簡単な料理ばかりでしたかね~。晩飯に目玉焼きとご飯と即席のわかめの味噌汁とか。月末は大抵金が無くてご飯にふりかけだけとか。近くに吉野家あったんですけど通る度に「たまにはこんなご馳走食いたいなあ…」って思ってたぐらい。それぐらい貧相な食生活でした。

そんな生活が2ヶ月経って結構精神的に参ってて。元々やりたい仕事でもないし道場にも通えないし給料は安いし、とにかく話し相手が1人も居ないっていう状況がなかなかの苦痛で。もう田舎帰ろうかな…とかも思う様になって。いやほんと、3ヶ月ぐらい誰とも喋れないとかって尋常じゃない孤独感から結構精神的に病んでくるんですよ。恐らく今のようなネットも携帯もある生活が当たり前の生活をしてたら到底想像も出来ないと想います。でもせっかく上京してきたんだし、どうせ帰るんだったら東中野の骨法道場に通ってからにしようとは思っていて。それもあって上京したようなもんだし。そこでまた絶望感を感じたら潔くもう田舎へ帰ろうと決意したんです。ほんと、当時のオレにとっては最後の砦的な感じでしたね。

6月末でそこの工場を辞めてとりあえず近所に出来たばかりのサンクスでバイトを始めて。深夜勤にしたのは時給が良かったのもありましたけど、道場に通うのにも都合がいいからでした。同時に勇気を出して道場に電話して。忘れもしない1989年7月4日。ガッチガチに緊張したなか無事入門を果たし、とりあえず入ったからには同期(同日入門生)の誰にも負けない覚悟で通い詰めよう!と心に誓ったんですが、翌日道場行ったら前日いた入門生が誰も来てなくて。え?みんな毎日通う気ないの??だったら楽勝でしょ!とは思いましたかね~。当時の道場生は週6回の稽古日中だいたい平均週3ペースぐらいで、それよりも少ない人も全然いて。オレは毎日週6で通い詰めましたよ、蒲田から東中野まで。それが結局1年半続くことになるんですけど。最初のうちはもう道場に通うことが東京に居ることの、いや生きることのモチベーションになってたかも知れません。

当時同世代の人も沢山通ってましたが、稽古が終わった直後にすぐ深夜のコンビニバイトがあったので免除して貰ってすぐ帰ったのもあり、他の道場生との交流もほとんどなくて。コンビニのバイトがない土曜日ぐらいですかね~終わったあと近くのコンビニで他の道場生の人たちとくっちゃべったりしたのは。その中で1ヶ月先輩の人でなんと学年1個上でオレと同郷で、共通の知り合いまでいた山本さんて人がいて。その人とはウマがあって凄く仲良くなりましたね~。頭もキレてたし格好も良かったしシャレもわかるしなんせ同郷だしと、プライベートでも遊ぶ様にもなって。家は町田と蒲田だったんで結構離れてましたけど、よく長電話で喋った記憶があります。いやあ、あの頃はほんとにあの人の存在は大きかったですね~。特にその人は骨法の前にボクシングもやっていて、しかも結構冷静に物事を見れる人で、骨法とボクシングの打撃に関しての対比論的なのや、今教わってるのはこうだけど実際の喧嘩になったらこうなるとかも色々聞いたり。東京で初めて出来た、唯一何でも話せる存在でしたね〜山本さんは。

当時はマジで、いつかはプロの格闘家になって試合に出て勝って、当時近い将来大会をやる予定だった後楽園ホールのリングのコーナーポストに駆け上って、ガッツポーズをするのが夢でした。週6ロペ・週6道場で稽古・週5コンビニで1時までバイト(稽古後は東中野駅まで猛ダッシュで電車乗って蒲田駅着いたらまた猛ダッシュで帰宅してソッコーシャワー浴びてまたコンビニまで猛ダッシュという過密スケジュール)と、日々寝る暇もなく金も無く身近に友達とよべる人もいず、食べるモノもろくに食べずにひたすら頑張ってましたけど、道場から自宅のあった蒲田までの山手線の中はもういつもフラッフラで。毎日吊り輪にしがみつき意識朦朧としながらも常に頭の中には、前述したコーナーポストに駆け上がってのガッツポーズの画を想い浮かべてモチベーションを保ってました。

初めて人前で漫才(及びお笑い)やったのは先生の誕生会でした。1990年10月14日の日曜日。東中野の日本閣でやったんですが、当時の道場生の主力20名ぐらいだけ招待されて。光栄なことにその中にオレも招待して頂いて。で、道場生で何でもいいから出し物やるってことになって、後輩で歳上の京都出身の人と漫才しようってことになって。ネタは確か、当時まだまだ無名だったダウンタウンのネタのカバーとかに色付けしたネタだったと想います。ただでさえ日々忙しいのに、寝る間も惜しんで稽古しましたね~。なんせ人前でお笑いなんかするのは全くの初めてだったし。不安をよそに蓋を開けてみるとめっちゃ大ウケして。正直ネタ的にシュール過ぎて先生にはウケないだろうな…とは想ってたんですが、もうビックリするぐらい「ガッハッハッハッハ」と豪快に大笑いしてウケてたことを未だに憶えてます。で、調子に乗ってその年の道場での忘年会でもまた漫才やったら大コケしましたけど…(笑)。
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※なんと奇跡的に残っていた日本閣での初漫才の写真。記憶的にはほとんど残ってないんですけど。とにかく猛烈な不安をよそに、先生も含め、爆笑に次ぐ爆笑で大ウケだったことだけは記憶に残ってます(笑)。この日以降の道場内でのオレの印象も随分変わりましたからね〜。なんせそれまでは、お笑いのおの字もイメージ出来ない様な、根暗で寡黙で真面目な、華奢で気の弱そうな青年だったでしょうから。終わった後に内弟子の人から「おまえ格闘技の才能よりお笑いの才能の方があるんじゃないか??(笑)」って言われたぐらい。









数年に1回は道場に通っていた頃の夢を見ます。しかも辞める直前とかは集中力も欠けるようになっていて、稽古中にぼーっとして話し聞いてなくて1人だけ違うことしててしょっちゅう怒られたりしててちょっとしたトラウマ的になってるのかも知れないですね(苦笑)。骨法の道場って1度退会するともう2度と再入門出来ないことになってるんですが、夢の中ではなぜかいきなり再入門していて、久々過ぎて全く稽古についていけなくて「ヤバいどうしよう!怒られる!」って終始ビビってるっていう感じの夢ばかりで冷や汗かいて起きて「夢で良かった~」ってホッとするパターンがほとんどなんですけど(笑)。


想えば先週たまたま久し振りに東中野に行くことがあって、ホームから道場の風景を観たり、日本閣まだあるんだなあ~懐かしいなあ~とかノスタルジーに浸ったばかりなんですよね。その日はたまたまとあるバーで飲んだんですが、そこが道場から至近だったことや、想えば東中野で飲んだのなんて恐らく初めてだったんですよね。その時は勿論先生が亡くなられていたなんて夢にも想いませんでしたが、いやあ、何の因果かとは勝手に想ったり。
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※当時の帰宅時にホームで電車が来るのを待ってる時に毎度目にした風景。毎回東中野に来るたびに瞬時に猛烈なノスタルジーに浸ってしまいます。








まあ格闘技に詳しい人ならご存知でしょうけど、骨法については色々とああだこうだと悪口言う人も多々いて。今回先生の訃報を聞いた後も久々にちょいちょいネットで色んな心無い書き込みとかも見ましたし。まあね~色々言いたいことはわからなくもないんですけど。実際はそうなのかも知れないし。事実骨法自体大口叩いてた割りに全然結果出してないし。若干宗教的な部分も無いと言ったら嘘になるし。なんせ理論詰めの言葉の力というか、卓越した話術に秀でてた人でしたからね~先生は。当時のオレもそうでしたけど、その気にさせられた部分は確かにでかかったですね。とは言え実際やってた者として言わせて貰うと、今改めて考えてもやっぱり素晴らしい理論や凄い発想もいっぱいあったし、色んな人も言ってますが、先生が80年代後期から90年代初期頃までにプロレス・格闘技界に与えた影響に関しては誰も否定できないぐらい絶大な事実だったとは想いますけどね。

オレが入った頃はまだ、UFCの第1回大会後に来る物凄い勢いの総合格闘技ブーム前夜の頃で、当時の骨法は基本的には一般の道場生には手足の打撃しか教えてなかったです。一応立ち関節とかもあって内弟子の人には教えていた様ですけど。まだ持ってますけどUWFの影響からかレガースやニーパッドとかも着けてましたね。それが、もうとっくにオレが辞めた後ですけど、グレイシー一族の台頭とともに寝技を重視する様になり柔道着の様な白い胴着に変わり、後から知ったんですが武者相撲とかっていうテーマの時代もあったんですかね?その後ヴァンダレイシウバを筆頭としたシュートボクセの台頭があると今度は"ジャパボク"というテーマで打撃重視に戻ったり、その後はナイフ術とか?という迷走を続けることになるんですけど。
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※去年のとある夜中に、ふと想い立って押入の奥から引っ張り出して骨法時代のレガースとニーパッドを着けてみた時の写真。青春。








96年のUVFで、満を持して送り出した骨法最強戦士・大原さん(オレが辞めた後に入ったので面識は無い)がペドロ・オタービオに惨敗してから一気に急降下したんじゃないでしょうかね~。同時にナンバー2の小柳津さんもカーロス・ダニーロに惨敗しちゃったし。それまではベールに包まれて神秘的に想われてた部分も多々あって各所で持ち上げられてましたけど、それ以降骨法株が急降下的な。オレもこの頃ぐらいまでは雑誌とかで骨法の動向は常にチェックしてたかも。最大の支援者でもあったターザン山本さんの失脚も骨法失墜に拍車をかけたかも知れないですね。その後は小柳津さんが捕まったり、かつての弟子だった矢野卓見氏との確執から言いたい放題言われたりと散々でしたからね…。ちなみに小柳津さんやナンバー3の北條さんとは当時一緒にやってました。確か北條さんとは入門も2ヶ月ぐらいしか変わらなかったんじゃなかったかな?内弟子に入る前から知ってますから。今回色々検索してたら北條さんの最近の動画が出てきて全然変わってなくて懐かしかったですね~。某インタビューも読んで、元道場生としてなんかちょっと嬉しかったし。今は地元の栃木の小山の方で活動してるみたいですけどね。北條さんは昔からほんといつも元気で実直でユーモアもあったいい人だったなあ。

オレが想うに、元々は『喧嘩に使える格闘技』としてやっていたモノが、後の総合格闘技ブームの波に乗り、まんまとその潮流に飲まれて沈んでしまった的な。当時から「いつかは格闘技界を制覇する」っていうことはよくおっしゃっていましたし、週プロや格闘技通信などメディアに多々持ち上げられる様になり、自身(及び骨法)が注目されたことによって更にその野心が強くなり過ぎてしまったのかも知れませんね…。先生の立場になって考えたら気持ちはわからなくはないですけど。総合格闘技を意識する様になってからですもんね、なんかおかしくなり始めたのは。骨法って路上の喧嘩には有効な技術は沢山あるとは想いますが、ことバーリトゥードってことになると技術的に若干難があったのかもと想ってみたり。
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※これ恐らく90年の新年会かなんかに撮った写真。6、7月入門生の写真だったかな?まだ若干18歳のすっとぼけた顔したオレや、後に選手になった霄(おおぞら)くん、1番右の奥で横向いてるのは恐らく北條さん。







今回骨法で検索してよく出てきた漫画家で元骨法家の中川カ〜ルさんて、恐らくオレと若干時期被ってるなあ。中川さんの方がオレより全然入門したのは早いけど。写真見てすぐ「あ!なんかこの人見憶えある!絶対一緒に稽古してた!」って想いましたもん。その中川さんのインタビューでもそうですけど、船木さんのインタビューでも「初期の頃に廣戸聡一さんと最上晴朗さんという指導員の方がいて、あのふたりが本当に強かったんですよ。自分もあのふたりがいたから骨法に通うことを決めたんですよね。見学したときにあのふたりがバシバシやりあってるのを見てこれは凄い!と。」っていうのを見たけどそのお2人の存在は知らなかったなあ。時期的にはオレが入るちょっと前の頃だろうなあ。でも色々調べてみると、師範代のこのお2人こそが喧嘩芸の体現者だったらしく、彼らの離脱で骨法は終わったとのこと…。その2人が居た頃と居なくなった後ではレベルが全然違ったって。見てみたかったなあ。ちなみに船木さんとは、船木さんが辞める直前に何度か一緒の日に道場で稽古したことがあります。オレの後ろで素振りしてたりとかもあったり。凱旋帰国して第2次UWFに参加して破竹の勢いで勝ち続けて高田延彦と横浜アリーナでやる前日とかも道場に来てて稽古後の総括の時に「明日は骨法の看板背負うつもりで絶対勝ちます!」って言っててめちゃくちゃ興奮したのを憶えてます。ちなみにその日を境にに道場で船木さんを見ることはなくなりましたけど。
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※1989年10月10日発売の増刊号『FRIDAY SPECIAL 秋号』。プロレスラーの北尾光司、橋本真也、船木優治(現・誠勝)の3人の特集ページでの船木さんのページ。稽古中に撮影があったので見学してたんですが、たまたまカメラのレンズ方向に立ってたので「コレ絶対オレ写ってんちゃうん!!!」と発売日に心躍らせて本屋行ってドキドキしながら見てみたら、余りにもレンズの方向過ぎてまんまと顔半分しか写ってなくて心底ガックシきた記憶(笑)。ちなみにオレの左隣に立ってるのが前述の同郷の先輩・山本さん。







先生が亡くなった後に色んな人のコメント(いいのも悪いのも)を見ましたけど、柔術家であり総合格闘家の中井祐樹さんの追悼コメントは良かったなあ。『骨法の堀辺正史先生の訃報を今日昼に知りました。1995年のジャンジャック・マシャードとの本邦初の柔術マッチ前、東中野の道場で稽古をさせて頂きましたが、当時道着有りでの何でもあり、つまり「柔術」の練習ができる場は日本で骨法だけでした。先生には自分の若さゆえの熱い思いをいつも穏やかに受けとめて頂きました。理路整然とした形で格闘技を世に広めた、類を見ない方だったと思います。その後もパラエストラの10周年パーティにも出席して下さったり、公私ともに良くして頂きました。感謝しています。ご冥福をお祈りします。』
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※こんなのもまだ持ってました。94年12月発売の格闘技通信増刊号の骨法特集。まだまだ世間で骨法が注目されていた時代。









骨法を学んだことによって精神的にもめちゃめちゃ強くなったと想います。それまではほんとに小心者でどうしようもないしょーもない男でしたけど、若干ですがほんのちょっとだけ自分に自信が付いたというか。武士道の精神を叩き込まれたのも堀辺先生の教えの影響だったのは間違い無いし。先生がよく言ってたのは「オレは喧嘩に使える技を教えてるけど、喧嘩を奨励してる訳じゃない。その時の喧嘩で勝っても、万が一相手が打ち所が悪くて死んでしまったり失明したりなんて重症を負ったら一生を棒に振ることになる。その逆も然り。むしろ逃げれる状況なら逃げた方がいい。がしかし、男にはどうしてもやらなきゃいけない時がある。負けるとわかってても買わなきゃいけない喧嘩がある。その時の為にオレは教えてるんだ。」とおっしゃっていて。例えば彼女(もしくは大事な人)と一緒に居るときに輩に彼女が絡まれたら逃げる訳にいかないじゃないですか?負けそうなぐらい強そうな相手でも命懸けで彼女(もしくは大事な人)を守るのが男の務めだっていうのが先生の教えで。似て非なる例えで言うと忠臣蔵の世界ですよ。とは言えやはり守れなければ意味がない訳で。あとは1人でもヤクザや暴漢に囲まれてどうしても逃げれない状況、もしくはこのままいくと命が危ないっていう絶体絶命時の抵抗策というか。そういう万が一の時に使う為に教えてると。でもそんな窮地って生きてても早々あるもんじゃないんですけど。でもそんな滅多にない様な状況の為に日々鍛錬するというのが男のロマンであったり。武士道とは正にそういうもんだと想うんですよね。昔の侍は時代劇の様にすぐキレて斬ったりなんてしなかったそうだし、余程のことがない限り刀は抜かなかったそうなんですよね。でもいざという時の為に日々刀を研いで剣術を磨いて的な。なんかそういう精神的な部分で非常に影響受けたかも知れないですね~。

以前ブログで『オレの人生に影響を与えた3人』という記事を書きましたけど、アレは身近な人の中での3人でしたけど、影響受けた著名な人という枠では間違い無く先生は入りますね。当時は余りにも上の存在過ぎて、日頃の挨拶以外ちゃんと会話したとかっていう記憶が全然無いし。いやもうね、色んな人たちがああだこうだと悪口言ったり、先生の経歴がどうのとか、骨法がインチキだとかなんとか、正直オレにとってはどうでもいいんですよ。一年半という短くも濃密な骨法人生でしたが、誰が何と言おうとも、オレの中では今でも先生から教わった技術や精神は脈々と息づいてるし、色んな事を踏まえた上でも、やっぱりオレは堀辺先生の弟子で良かったと本気で想ってますから。冒頭にも書きましたけど、実際骨法道場がなかったら上京して3ヶ月でおめおめと実家帰ってたと想うし。オレにとってはほんとに感謝しかないし、間違い無く骨法は10代最後のオレの青春そのものでしたよ。先生、本当にお疲れさまでした。安らかに。押忍!ありがとうございました!
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※骨法会員番号は849番。当時使ってたマウスピースも探したんですが捨てちゃったのか無くなってた…。実はこのレガースとニーパッドって、ロペの更衣室で盗難にあって、同日入門してすぐ辞めちゃった子に無理無理お願いして貸して貰ってそのままずっと返してないという…。でもあの時はマジで助かったんだよなあ…。ほんとにごめんなさい!!

お陰様で先日で45になりまして。まあ44から45になったってだけで、取り立てて特別な感情はないんですけども。二十歳になりたてでこの世界に入って、気が付けば今月末で業界歴25周年です。25年つったら四半世紀ですよ(苦笑)。ビックリですよね~。ちょっとした業界だったらもう殿堂入りで表彰されてもいい様なレベルでしょ?誰か表彰して!(笑)。ま、そんな訳で今回は25年前の話しを。

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※恐らく24年前。21歳。渋谷CAVEのバーフロアにて。25年前の写真探したんですけど全然なくて…。昔は極度の写真嫌いだったのもあって(まあ今もですが)見事なまでに全く残って無いんですよね…。






25年前の1991年1月に、それまで1年半ほぼ休みなく週6で通い詰めていた某格闘技の道場を辞めたんですが、それには2つ理由があって。1つは、当時の道場生の中では結構上の立場になってしまったのに加え、日々の生活が余りにも忙し過ぎたのもあって集中力も欠く様になって、スランプやプレッシャーもあってなかなか上手くならなくなってたこと。もう1つは、89年秋頃から働き出した原宿カフェドロペの同い年の社員が非常にディスコ好きな人で、当時では稀少な、ユーロビートのレコードとか買いまくってMIX TAPEとか作ってたぐらいのオタクな人で、その人によく仕事終わった後にディスコに誘われてたんですが、それまで全く遊びというモノを知らなかったオレは、段々と遊びの味を憶えてきていて、徐々に道場での稽古に身が入らなくなってきていた、というのも大きな理由の1つでした。

連れられてとは言えディスコには行ってたものの、元々ロンドンっぽいファッションが好きだったのにも加え、カフェドロペのすぐ数軒先に、当時THE COLLECTORSの加藤さんがやっていた今や伝説のモッズショップ『SWITCH』があったんですよ。なので出勤前後は必ずそこをチェックしたりしていて。その影響もあって非常にモッズファッションに傾倒していた頃で。しかも当時髪の毛を切って貰っていた原宿にあった『BAUHAUS』っていう美容室の担当の石丸さんて人がたまたまオシャレなモッズテイストの男前の人で。意気投合して仲良くなって毎回お任せで切って貰ってたんですけど、自ずとオレの好みとその人の好みが合致して気が付けば毎回モッズテイストな髪型や、当時の一般の人はあまりしない様なマニアックな今風の髪型にされていて。なのでわかりやすく言うと、モッズっぽい格好や当時の原宿的なアヴァンギャルドな格好でディスコに遊びに行っていたという、今考えると非常にナンセンスなことをしていたんですよ。とは言え当時はそういうのも全然よくわからずに遊んでましたけどね。
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※これはその伝説のモッズショップ・SWITCHの閉店お知らせハガキ。よくこんなの捨てずに取ってたなあ〜とは我ながら。







91年1月頃にカフェドロペのキッチンの人で福田さんてドレッドでレゲエ好きな、格好も見るからにラスタな人がいて。その人の彼女が当時東京モード学園に通っていて、ある日「東京モードの学生のイベントあるんだけどナガサワくん好きそうだから良かったら一緒に行かない?」って誘われて行ったんですよ。当時原宿にあったもう1つのモッズショップ・カサブランカで買ったスリムな三つボタンのエンジ玉虫色のスーツを着て、SWITCHで買ったLOAKEのタッセルローファー履いて、ラメ入りの別珍のハンチング被って。

福田さんが所有してた中古のミニクーパーで確か4人ぐらいで行って。真冬の寒い日でしたね~。確かちょうど25年前の今頃じゃなかったですかね??場所は新宿の地下の箱だったと思いますが、どこだったかイマイチ憶えてないんですよね。店に着くと、DJの男の子が全身ヴィヴィアンでキメててめちゃくちゃオシャレでカッコ良かったのを未だに憶えてます。選曲は当時流行っていた歌謡曲ナイト的な感じで山本リンダとか掛かって凄い盛り上がってて。あとはスカとか2トーンとか掛かってたり。東京モードのパーティーだけあって、来てる客はみんなめちゃくちゃアバンギャルド且つオシャレで。そんな中、盛り上がる曲でモッシュとか始まったり。それまでディスコでしか遊んでなかったオレは見るモノ聴くモノ全てが非常に衝撃的で。と同時に、オレが求めていた世界はコレだ!って思いましたね。

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※SWITCHの閉店お知らせハガキの表面。SWITCHはほんと好きでしょっちゅう通ってたなあ。お金無かったからあんまり買えなかったけど。当時ここまでストイックでブリティッシュな店は非常に少なかったですからね〜。






色々と調べてみると、そういう人たちが集まっているのはディスコではなくクラブだっていうのをようやく認識する様になって。それから一気にクラブというモノに興味を持ち始めました。ちなみに今考えると偶然と言うには余りにも奇遇ですが、二十歳の誕生日はたまたま青山MIXに遊びに行ったんですよね。その日は早番でロペでバイトした後、前述したディスコ好きの社員の人がお祝いしてくれるって言って原宿でご飯ご馳走になって。その後で確かMIXに行った流れだったかと。当時HEYTAさんがやってる木曜日がめちゃくちゃ盛り上がってるっていう噂を耳にしての初MIXでした。でも翌日もロペでのバイトがあったので泣く泣く終電で帰ったんですが、当時のクラブやディスコでは考えられない、グラスで氷も製氷機の氷ではなく割った氷を使ってて、しかもジュースも目の前で生搾りという、それまで遊んでいたディスコでは到底考えられない様な、非常にクオリティーの高いバーを擁するクラブでした。早い時間だったのでまだ人もまばらだったし、選曲も全然ダンサブルな感じではなく非常にラウンジ的要素の強い緩い感じではありましたが、それもまたディスコには無いカッコ良さを感じましたかね~。確かオレも未だにたまに掛けるバグダッドカフェのサントラとかも掛かってたんじゃないかなあ。あとその日、めちゃくちゃ雰囲気があってカッコいい人が遠目の向いの席に座ってたんですが、恐らくですが、後に仲良くさせて貰うことになる山口さん(JAZZ BROTHERSのYAMAさん)でした。ちなみに当時の山口さんはめっちゃくちゃカッコ良かったんですよね〜。雰囲気というかオーラというか、もう別格でした。なのでその時も、誰かわからないけど絶対あの人はタダ者じゃない!って思いましたもんね。ちなみに初めてDJってカッコいいなあ〜!って思ったのも後に山口さんの選曲及びDJ姿見てから。あ、勿論若干ファットになった今もカッコいいですけど!(笑)。

そんな流れもあって、せっかく道場も辞めて時間も出来たし、これはもう勇気を出してクラブで働いてみよう!いや、働きたい!という激しい衝動から、たまたま某雑誌で当時では非常に珍しかったディスコ・クラブ特集をやっていたので、そこに載っていた当時の都内の主要クラブに、善は急げで片っ端からバイト募集してないか電話して聞いてみよう!って思って。10軒ぐらいは電話したんじゃなかったでしょうかねえ??今想えば、二十歳になり立てのまだまだど田舎モンのオレにしてはなかなかの行動力です(笑)。まず始めに、1度も行ったことはなかったんですけど、なんか興味をそそる店だった下北沢ZOOに電話してみたら、非常に無愛想な応対で「バイトは募集してるけど…うちって遊び来たことあんの?うちは常連からしかスタッフ取ってないから。」ってあっさり断られ(苦笑)。その時点で「やっぱクラブって怖いな…」って心折れ掛けましたが気を取り直して、二十歳の誕生日にも行って衝撃を受けた青山MIXへ電話を。そしたら「今はスタッフいっぱいだから取れないけど、欠員が出たら入れたげるからとりあえず1度面接においでよ。」って言われて。とりあえずその時は確か「是非お願いしたいので、後日改めて連絡させて頂きます!」って言って切ったんですけど。でも欠員が出るっていつだろうなあ…随分先になっちゃうのかなあ?みたいな若干の不安もあり、直後に渋谷CAVEに電話してみたんですよ。

CAVEは数ヶ月前にカフェドロペのみんなで1度遊びに行ったことがあって。2フロアに別れてたのや、ちょー真っ暗なフロアにディープなハウスミュージックが掛かってるB2、ソファーもあってオールジャンルで色んな曲が流れるアットホームな感じのB1、当時としては非常に珍しかった上部に3つもモニターが設置してあったバーフロアと、内装も非常にオシャレで洞窟をイメージした近未来的な作りだったし、全てに於いてとても印象的な店だったんですよね。て訳でダメ元で電話してみたら「とりあえず面接来て貰えますか?なるべく早い方がいいんですけど。」って言われて。その後も何軒かは電話したんですが、誰も出なかったり募集してなかったり。そうこうしてるうちに、まあCAVEが面接してくれるって言うし、とりあえず今日のところはもういいかと。で確か翌日か翌々日ぐらいには面接に行った気が。

非常に緊張した面持ちで当時の主任の前野さんて人にB1フロアのソファで面接されて。恐らくガッチガチに緊張してたのもあって面接の内容は全く憶えてないんですけど、色々聞かれた最後に唐突に「じゃあ採用で。今週末から早速入って貰いたいんだけど。」みたいな具体的な話しされて。ビックリしましたよ~。え!?今週からですか??みたいな(笑)。面接中の感じも、採用か不採用かは後日改めて連絡する様な感じもあったし。え?もう採用でいいの??的な(笑)。とは言え念願だったクラブでのバイトがそんなこんなであっさり決まった訳ですよ。確か当時の採用時の時給は750円スタートというビックリするぐらい安値だった気がしますが、お金を稼ぐとかっていうのは二の次でしたから特に何も思わなかったですかね。いやむしろ、これで憧れのクラブで働ける!やった!っていう方が圧倒的に強かったですかね~。

生粋の田舎モンで若干二十歳。まだまだ全く右も左もわからないオレにとっては当時のクラブという職場は何もかもが新鮮且つ刺激的で。勿論今みたいに事前の情報とかも一切無い訳で。一体どんな世界が待っているんだろう??っていう恍惚と不安が入り交じりまくってましたかね〜。いざ入店してみると、スタッフの人もみな雰囲気あってオシャレでカッコいいし。お客さんなんてもうアバンギャルドでオシャレな人ばっかりでビックリでしたよ。当時のクラブなんてほんとにかっ飛んだクリエイティブな人しか来なかった時代でしたから。当時クラブ情報誌的なのって全く無かったんですが、その辺に近い人たちがよく載ってた雑誌で『CUTIE』ってファッション誌があって。基本レディース誌でしたがそういう雑誌がなかったので当時よく買っていて。そのCUTIEに載ってた人とかが普通に遊びに来る訳ですよ。モデルやミュージシャン、DJやショップの店員さんから街角スナップとかに出てる人も。田舎モンのオレにとってはもうそれはそれは衝撃的過ぎて。

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※ちょうど25年前のCUTIE1991年2月号。表紙には若かりし頃のOIちゃん・DRAGONさん・ヒカルさん・ジョニオくん・ホテイくん・小池さん・チエコビューティーさん。中を開くとNIGOさん・ガスボーイズ・俊美さん・ファンキーエイリアン・Lady-Kさん・ ガルトデップのヒサシくん・藤原ヒロシさんなど多数掲載の、非常にヤバめな内容。







初出勤日は確か金曜日で、海外からDJを招いての『WORLD CONNECTION』っていうイベントでした(多分)。後にCAVE無き後は西麻布YELLOWでも同パーティーはやってました。DJ誰だったかイマイチ憶えてないんですけど、確かROBERT OWENSじゃなかったかと。なんせもうびっくりするぐらい混んで。300人近くは入ってたんじゃないですかね??もう狭い店内はどこのフロアも軒並みギュウギュウで激混みでした。そんな状況に困惑しつつも、とりあえず初日ってこともあって一生懸命働いて。ギュウギュウ詰めの中、片手にトレンチ担いでその上にグラスを山ほど回収して来て。それをもう何時間もずーーーっとノンストップで往復ですよ。途中から先輩たちがグラス回収するたびに待ち構える洗い場で笑ってて。「うわまた来たよ!キミ凄いな~(笑)。ちょっと休み休みやっていいよ!」的に逆に気を遣われたほど。どうやら当時のクラブで真面目に一生懸命働く様な奴なんて全然いなかった様で、カフェドロペで散々鍛えられ上げられたオレの尋常じゃない働きっぷりが、先輩達にはかなり衝撃的だったみたいでした。てか他にもスタッフ何人かいたはずでしたけど、その日ホールでまともに働いてたのオレ1人でしたしね(苦笑)。

初日がそんな激混みの日だったのもあって、それ以降は仕事にもすんなり溶け込んで。とは言え超が付く程の人見知りでかなりの内向的だったんで、他のスタッフの人たちと仲良くなるまでには3ヶ月ぐらい掛かりましたけどね。それまではめっちゃ真面目で内気で寡黙なイメージだったらしいです。当時はほとんど酒も飲まなかったですしね。営業終わったら下向いて「お疲れさまでした〜!」って早足で帰るっていうイメージだったって(笑)。でも3ヶ月ぐらい経ったある日、早く終わった平日でみんなで店で始発待ちしてる時にちょっとアホみたいなこと喋ったら「えー!ナガサワくん暗いと思ってたのにちょー面白い!(笑)」ってキャッシャーの女の人とかに大ウケして。それを機に一気に饒舌になりましたかね(笑)。

ちなみに当時は週6でカフェドロペの10時~17時の早番バイト、月・水・金と週3でCAVEで21時~朝までのバイトと、なかなかのハードスケジュールでした。当時はほんとメシも食ってなくて痩せこけてたし(今より15キロぐらい痩せてた)、必然的に睡眠時間も少なかったし、常に青白い顔して目の下に真っ黒な隈作ってましたね~。まあでもそんなハードな日々でしたが、出勤するのがもう楽しみで楽しみで全然苦には感じませんでしたね~。まあ時折猛烈に眠さと戦いながらCAVEでは働いてましたけど(笑)。でもほんと、当時のオレにとっては全てが衝撃的過ぎた日々でした。

当時スタッフは元よりバーテンが足りなかったので、大して酒の知識もなかったのに白羽の矢が止まり、急いでバー憶えろって言われて。当時のCAVEのバーカウンターって段差もあったしとにかく目立つ様な作りでめっちゃカッコ良くて。ディスコとかに比べると結構ちゃんとしてた方だったし。なのでもう必死に憶えましたよ。オレが粗相をしたらCAVEの名前に傷が付く!ぐらいのプレッシャーを持って。暇さえあればベーシックなレシピを憶えることに時間費やしてましたかね~ほとんど寝る暇も無かったけど(苦笑)。あとオレの前に居た同い年のバーチーフの人の華麗なバー捌きを、暇さえあれば横目で見て勉強したり。オレが入った直後にバイトが一気に増えることになるんですが、そんな一生懸命さを評価されたのと、早くからオレのバーテンセンスを上の人に高く評価して頂き、7月頃から第3代目のバーチーフに抜擢されて。と同時に掛け持ちでやってたロペも辞めて、CAVE1本で週6で働く様になった訳です。もうそこからはどっぷりって感じでしたかね~。ていうかたまに想うんですが、もしも業界デビューがCAVEじゃなくてMIXだったらどうなってたんでしょうかね〜?間違いなく全く違ったクラブ人生歩んでたでしょうし。もしかしたら東京のナイトクラブの歴史もほんのちょっとだけ変わっていたのかもとかも想ったり。

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※当時作って貰った名刺。左が1番最初に作って貰ったやつで、なんと名前間違え(苦笑)。てかそういやバーチーフになってから作って貰ってなかったかも。作って貰ったけど残ってないだけだったかなあ…??







余談ですが、オレってこの世界のデビューって実はCAVEじゃないんですよ。実はその前にディスコで3ヶ月ほど働いたことがあって。CAVEに入る前の90年秋頃、ロペの新しく入った社員で昔ディスコでぶいぶい言わしてたやんちゃな人がいて、その人からある日「ナガサワってさあ、今蒲田住んでんだよね?オレの知り合いの人が蒲田でディスコやってて人手が足りないって言ってんだけど、ナガサワ働いてみない?」って言われて。当時のオレは昼間はロペ(週6)、終わったら道場で稽古(週6)、終わったらすぐ蒲田の近所のコンビニで1時頃までバイト(週5)っていうアホみたいにスーパーハードな生活だったんですけど、コンビニの仕事ももう1年半ぐらいやって飽きてきてたし、とりあえずコンビニで働くよりディスコで働いた方がちょっとは楽しいでしょ!ってこともあってコンビニ辞めて代わりに働くことになって。蒲田駅の近くにあったGIGっていうディスコでした。元々は三軒茶屋にもあって名前は知ってたんですけど、まさか蒲田にも支店があったとはつゆ知らず。内装はなんかバブリーな作りの近未来的な感じだった様な。長いトンネル抜けるとダンスフロアに行き着く的な感じで。制服は宇宙服みたいなシルバーのツナギ着せられて。

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※凄い!押入の中ひっくり返して探してみたら当時のGIGのドリンクチケットとメンバーズカードが出て来た!(笑)。









前述した様に、当時モッズファッション的な装いのオレはよく上の人に「ナガサワさあ、前髪上げておでこ出そうよ!」って言われて無理矢理整髪料で前髪上げさせられたり(苦笑)、1時ぐらいに上がって店出ようと思ったら入口に高校生の先輩スタッフが居て「お先に失礼しまーす」って言って帰ろうとしたら呼び止められて「ナガサワくん、君の格好はディスカーのする格好じゃないね。」って注意されたり(笑)。まあ浮きまくってたと思います。でもいわゆるディスコの簡素なバーでしたけど、定番的なカクテルとかはまずそこで憶えたし、当時のユーロビートやハイエナジーに詳しいのはその時のお陰だし、あとはなんせディスコって超体育会系なんですよ。礼儀や言葉遣いには厳しいというか。あとは仕事もかなりキッチリやらされましたかね~。そういうのも後々考えてみると非常にいい経験にはなったんですけどね。10月~12月までのたったの3ヶ月間でしたけど。当時まだ19の頃ですよ。ちなみに奇跡的に当時の写真が1枚だけ残ってました。恥ずかし過ぎて完全にお蔵にしてたんですが、25年の時を経て本邦初公開(笑)。恥ずかしっ!!

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※恐らく90年12月頃だったかと。前述した様に、整髪料で前髪上げさせられて撮られた様な記憶。しかし19とは言えすっとぼけた顔してますね〜。いやあ、まさかこの写真をブログに載せる日が来ることになろうとは!







まあそんなこんなで、クラブで働きたい!という初期衝動から早25年。時代は大きく変わり、当時はアンダーグラウンドであったが故に刺激的だったモノが、限り無くオーバーグラウンドになり一般化され、その刺激的な部分は大きく削がれ、もはや当時のディスコの様なクラブが多々台頭している状況には、非常に複雑な胸中ではありますけど。まあでも右往左往と移り行く時代の流れの中で、四半世紀もの長い間に渡り同じ世界を観て来れたというのは、ある意味ひとつの財産でもあるのかなあとも想ってみたり。ちょっとした生き字引みたいなモンですからね(笑)。

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※これも冒頭に載せた写真と同じ日。多分92年の12月頃じゃないかなあ。隣にいる人は当時のCAVEのチーフDJで後にYELLOWのチーフDJもやった藤本さん。なんか必死に考えて書いてるとこ見ると、確かROOMのバーチーフなりたてでメニューとかを考えにCAVE来たんじゃなかったかと。だとすると初めて名前を付けたオリジナルカクテルにして最高傑作の1つ『京都』のレシピを思い付いた日だ!確かこの日、当時日本で4人しかいないと言われていたバーテンダーのB級ライセンスを持ってる人が来てて、その人に「このレシピ(京都の)を思い付いたんですけどどうですかね…?」って聞いてみたら、「日本酒を使ったカクテルでそのレシピは世界的に見ても非常に珍しいレシピだけど、なにげに相性のいい材料ばかりだし、なかなかいいんじゃないかな。きっと美味しいと思うよ。」って太鼓判押されたんでした。後日実際に作ってみてもめちゃめちゃ美味くて即採用的な。それから24年経った今も尚ROOMで愛飲されてるなんて!オレって天才!(笑)








なんかでも最近ふと想うのは、やっぱもう25年もやってたらどんな世界でも大ベテランの域じゃないですか?本心ではもうはよ辞めたいとは想うけど、もはやここまで来たらオレの生きる道はこの世界しか無いんじゃないか…?とかも想う様になってはいて。まあ若干諦めにも近い感覚ですけど(苦笑)。三宿Web20周年のお祝いコメントでTAICHI MASTERが『今後ナガサワさんはクラブ業界のタモさんとなって、笑っていいともの記録を抜いていただきたいと思います。』っていうシャレの利いた粋なコメントをくれたんですが、なんかそういうのもいいのかな…とかも想ったりもしたり(どういうのだよ笑)。とは言えやっぱ内心ではほんともうこの世界に未練はないんですけどね。Webの20周年も完遂出来たしいつ辞めても本望!なんですけど…まあ今後のことはもうわからないですね~。時の流れに身を任せ的な。他のことでブレイクしてもう夜の世界はこれ以上続けられない~ってことになるのが1番ベストですけどね。他のことが洋服のことだったら尚のことベストですけど。ま、当分無いかな…(苦笑)。その前にスタッフ不足で閉店も有り得ますけど。いや現状それが1番可能性高いかも。とまあ、とりあえずいつまでこの世界に居るかはわかりませんが、25年前の初期衝動をいつまでも胸に、居る間は今後も変わらず一生懸命頑張りたいと想ってます。押忍。

DT

※おまけに今となっては激レアな、昔の都内主要ナイトクラブのドリンクチケットコレクション。だいぶ前にFacebookとかで上げたりしたんですが、今回改めて掘り返したら更にヤバいの幾つか見付けましたので改めて(笑)。
1.恵比寿MILK
2.渋谷THE ROOM ※オープン当時。
3.青山MIX
4.渋谷CAVE ※HIP HOP化する前の後期。
5.渋谷CAVE ※オープン当時。
6.渋谷DJ BAR INKSTICK
7.三宿Web ※オープン当時。
8.西麻布P.Picasso
9.下北沢ナイヤビンギ
10.下北沢ZOO ※時期不明。
11.下北沢ZOO ※時期不明。
12.芝浦GOLD ※プリペイドカード。
13.渋谷J TRIP BAR ※フードチケット。
14.西麻布YELLOW ※恐らく超オープン当時。
15.西麻布YELLOW ※時期不明。
16.西麻布YELLOW ※時期不明。
17.西麻布YELLOW ※時期不明。

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皆様あけましておめでとうございます!ようやくしんどかった2015年も終わり、更にしんどくなりそうな2016年がスタートしてしまった…という感の強い年明けだった訳ですが、まあなんせ12月がほんとになんだかんだと忙しかったというか大変だったというか。ギリギリまで枠が埋まらなかったこともあって自前でイベント3本ブッキングしたり、他にもサポートや仕切りのイベントも2本あったりと、ほんとに師走感味わった12月でしたね…。まあなんとかどうにか色んな人たちのお陰もあって、無事に年越せたから良かったですけど。年末も気が付けばクリスマス前からずっと休みが無くて。28で営業は終了したんですが、年末年始はマンスリーの入稿作業ひたすらやってたし、4日は毎年恒例の店内大掃除、5日はMIXX BEAUTY@オルガンバーでおむすび売り、6日はマンスリーの発送作業、7日は店の備品の買い出しに奔走したり。気が付けば元旦以外は10日までずっと休みなかったですからね~。しかも元旦も疲労が溜まってたのか具合悪くてずっと寝てたし(苦笑)。って訳で先週になってようやく一段落付いた的な。とまあそんな感じで早速もはや毎年恒例となってるオレ的2015年10大ニュースを勝手に発表しましょうかね。

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10位.肉ブーム
夏のある日、最近異性に対していまいちモチベーションが低いのは、全然肉食ってないせいだって話しになって。実際避けてた訳じゃないけどそういや食ってないかもと思い、当時話題になっててずっと気になってた巷で話題の『いきなりステーキ』に行ってから本格的に肉ブーム爆発。ちょいちょいランチタイムに通う様になったり、スーパーでも肉買うようになったりと、一気に肉食化。とは言え肝心の異性に対してのモチベーションは微妙な気もしましたが、でもやっぱ肉食うと不思議と元気になるというかパワー出るというか。やっぱ気のせいか滾る気がしますね~。イヤァオッ!

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9位.着物ブーム
去年の初め頃に実に19年振りに着物を購入。非常に珍しいブラックウォッチ柄の。これを機に一気に着物ブームが開花。数ヶ月前からまたミシン使う様になってたのもあって突如として「練習代わりに浴衣でも作ってみようかな!」と思い立って型紙買って生地買って製作。まあ切って縫うだけでしょと思いきや最終的には、型紙切り2時間、生地探し5時間、生地裁断5時間半、縫製18時間の合計30時間半…。まあ初めての割りには着てても全然違和感ないモノが出来たし(縫製は酷いもんですが・汗)、ネイビーのギンガムチェックの浴衣なんて滅多にないから結果作って良かったけど、安くていいのがあれば絶対作るより買った方がいい!とは思いましたかね~。あと秋頃にもたまたま一目惚れしてどうしても諦め切れず新しい羽織と着物のアンサンブルを購入。年末にもセールでポリエステルの安いやつですけど羽織を単品で購入と、滅多に着る機会もないのに何故だか急に着物ブームが到来した1年でした。とは言え元々着物と羽織は持っていて、年1ぐらいのペースではイベントとかで着てたんですけどね〜。個人的には、着物は如何にも和っぽく着るんじゃなく、ベレーやバッジ・ワッペンとか付けて、和洋ミックス的な着こなしが好きです。まあ滅多に着る機会はないですけど、やっぱ着物はいいなあ~。

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8位.バレンタインキッス20周年
95年のバレンタインに、自分がバレンタイン生まれだってことをいいことに、ノリで始めたバレンタインキッスが昨年でちょうど20周年。最初はほんとに平日にノリでやったんですが、年を重ねるごとに規模がでかくなり、気が付くと三宿Webの上半期一大イベントに。2004年のVOL.10~おチョコ祭り~にはなんと200人超!売り上げも歴代売り上げベスト10に入るんじゃないか??ってぐらいの有り得ない数字でした。それ以降も毎年開催、勿論懲りずに昨年もやったんですが、入りも売り上げも豪華な出演者の皆さんのお陰で大成功だったんですが、まーなんせ人手不足もあって営業終了後1人で残って売り上げ計算して1人で店内の掃除して帰ったという…。いやあ~さすがにちょっと心身ともに堪えたというか…。昔は有無を言わず当時のスタッフ全員集合だったし、片付けも4、5人居て終わったあともみんなで飲みに行ってとかもあったり。まあ今の自分の人望の無さを如実に表した結果にさすがに哀しくなりましたよ…。毎年そうなんですが、昨年はいつも以上にブッキングも苦労したし、告知も準備もなかなかの労力を費やして、当日は誰よりも早く出勤して準備して営業中も色々と仕切って、誕生日ってこともあっていつもより酒も飲んで酔っ払った上にですからね…(泣)。大雪で無理して営業して出演者の皆様に大変ご無理させてしまった上に、お客さん全然入らなくて大赤字、更には大荷物抱えたまま着物+雪駄で流氷の中にズボズボ足突っ込んで、徒歩で2時間掛けて帰宅した地獄の様な一昨年のバレンタインもなかなかのキツさでしたが、昨年のバレンタインもなかなか心身共に堪えた1日でしたね〜。そういう意味では、多分今年も一応やる予定なんですけど内心恐怖ですわ…。いやあ~もう正直いい加減自分の誕生日に自分でイベントなんてやりたくない~(泣)

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7位.ハロウィンノイローゼ
これはブログでも書いてるので詳しくはこちらをご参照のほど。まあ毎年ハロウィンは余りの重圧にちょっとしたノイローゼになるんですが、昨年に関してはまずやるかやらないかでの葛藤が凄くて。最終的にやらないことを選択したんですが、そこまで行き着くまでに本当に迷いましたね~。まあどうでもいいっちゃどうでもいいことだし、終わってみればやっぱり去年はやらなくて正解だった気もしてますけど。いやあ~でも結論に行き着くまでにほんとに神経すり減らしましたね…。ちなみにハロウィンは仮装しなかったけど、年内最終営業日に無駄に仮装して。オレの仮装史上恐らく1番マニアックだったであろうカールラガーフェルド。最初予想以上に全然みんな知らなくて凹みかけましたが、その後続々と来たファッショニスタの皆様からは圧倒的支持頂きました(笑)。

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6位.猫虎で3年連続3割ならず
前半絶不調で一時は打率が.142まで落ち込んだ時は、さすがにもう今季は諦めようかと思いましたけど、なんとか思い留まって気合い入れ直して。ドンキで買った安物のスポーツサングラスを買ったのがガチャ目の矯正になったのか否かは定かじゃないですが、気が付けば購入直後からなんと10試合連続安打を記録。マメなバッティングセンター通いや素振り等、地道な努力で最終戦を残して.285まで上げてきてて、最終戦で3打数2安打以上打てばギリギリ3年連続3割達成。滅多に2安打以上なんて打って無いしで状況的にはなかなか厳しいものの、バッティング自体は当時去年で1番の状態且つ、最終戦までの数日間は連日、素振り・階段ダッシュ・筋トレ・バッティングセンター・神社にお参り等(笑)、もうやれることは全部やって準備万端で臨んだものの結果はまさかの4打数ノーヒットで幕。まあこれが実力だと言えばそうなんですがほんとに悔しかったですね…。とは言え去年は自分の中でバッティングフォームの大幅な改造をした1年で。それが後半になってきてだいぶ形になってきたというか。っていうか毎年そうなんですけど、上半期は店の周年があるので正直野球どころじゃないんですよ〜。だからいっつも周年終わったあとぐらいから調子が上がってくるんですよね。まあこればかりはしょうがないんですけど…。まあ残念ながら昨年は結果は出ませんでしたけど、今後に繋がる1年だった様な気もしてるので、今年も時間の許す限り素振りやバッティングセンター通いまくって精進あるのみ!

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5位.逗子海岸20周年+店長になって20周年
これも詳しくはこちらこちらに書いてますので良かったら。逗子海岸に初めて行ったあの日から20年も経ってしまったなんて。その直後から店長になった訳ですが、まさかそれから20年も店長をやり続けてるなんて。いやはやビックリです。そしてそのちょうど20年後の記念日に逗子海岸に行けたのはほんとにいい記念になりましたね〜。20年前のあの日のことは一生忘れられないぐらい衝撃的だった訳で。いや、オレの人生観や価値観を若干変えたって言ってもいいぐらい。ちなみに奇しくも先週また行って来たばかりなんですけどね。もうほんと行くたびに毎回思うんですけど、いつかはここで家族のんびり暮らしたいなあと思ってます。ある意味今のちょっとした夢かも知れないですね〜。

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4位. PERFORMANCE 2015
これも前に書いてますのでこちらをご参照の程。21周年月間の一環として開催したスペシャルナイトってのは結果的にで、当初は別のスペシャルお祭りイベントを企画してたんですが、ギリギリまで頑張ったもののイマイチいいブッキングが出来なくて断念。翌月やる予定だったこのイベントを致し方なく前倒しで急遽開催に至ったという超ドタバタぶりでした。それがまさかの月間売上げ4位を記録。もうね、今改めて思いますけど、2015年で1番楽しかった日だったかも。ほんとそれぐらい終わってみれば楽しかった想い出ですね~。あんなに頭がおかしくなるぐらい「心の底から楽しい!!!」って思う瞬間てそうそうないんじゃないかと思いますもん。未だにたまに想い出しますけど、終わり直前、最後の最後で取って置きの『SPARKLE』掛けて、その時残ってた人みんなフロアに集まって楽しそうに歌いながら踊ってる景色が、未だに目に焼き付いてますもん。あ、いや、正確には興奮し過ぎてそんなに憶えてないんですけど(笑)。アレはもうほんとに失禁するぐらいのエクスタシー感じたかも。長年ヤマタツ好きで良かったな、長年DJやってきて良かったな、長年夜の商売やってきて良かったな、当日マイクで何度も言いましたけど、21年もWeb続けて来て良かったなって心から思わせてくれた一晩でしたね~。まあ一晩中1人で6時間近くも達郎関連音源だけでノンストップでMIXしてグルーヴも作ってって、早々容易なことではないので、尋常じゃないぐらい疲れましたけど(苦笑)。今回は周年と絡めたのもあって、色んな人が沢山来てくれたってのもあったでしょうし、終わった後も「楽しかった~」とか「行きたかった~」とか評判も結構あったので、今年も6月の22周年月間にまたやろうかと。今年去年ほどみんな来てくれるか不安ですが(苦笑)。あ、っていうか6月までWebが続いてればの話しですけど!

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3位.三茶事件
ちょうど1年前に三茶のとある店での事件があったんですが、その日のこともかなりショッキングでしたけど、その後も予想外に色々と波紋が広がり、しかも完全に終息するまでになんだかんだで半年ぐらい掛かって。しかも結果色々な人間関係も壊れまくりと、人生一寸先は闇だなあってことを痛切に感じた事件でしたね~。これもう終わったことだし、正直想い出したくもないし、詳しく書くことも出来ないんで、ここに入れるのもどうかとも思ったんですが、去年を振り返った時にちょっと余りにも大きい事件だったし、2015年を語る上では絶対外せない事件だったので。若干防備録的な部分もありますけど。ほんと、詳しくも書けないし全然面白くも何ともないネタですみません…。まあでも、結果色々なものが見えたし、生きていく上でのいい教訓になった出来事だったかも知れないですねえ。

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2位.GrandBleuのオリジナル商品をネットショップ開設で販売開始
念願のネットショップを開設で遂にオリジナルの商品を販売。無料のBASE.INのサイトを使ってですけど。一昨年に既にドメインは取ってたんですけど、販売サイトは作ってなくて。最初のオリジナル商品はまさかのハンドメイドマフラー(笑)。オリジナルのTシャツ販売出来たのもなにげに嬉しかったですね~。しかも販売開始したのが、何の因果か前述した逗子20周年の日という。なにげにちょっと感慨深かったり。他にも昨年は色々とやりましたね~。売り用じゃないけど自分用のブラックウォッチの2WAYトート作ったり。自分用にサンプルで色々作ったり。現状全然売れてないし経理的には完全に赤字で、予定通りほぼオナニーブランドに近い状態ではあるんですが、当初のコンセプト通り自分で着たいと思うモノは作れてることには非常に満足してます。いや実際作った商品自分でめっちゃ着てるし。Tシャツとか週2、3回は着てたんじゃないですかね??他にもパーカーやマフラーやトートバッグとかも頻繁に使ってるし。そう考えると売れなくても赤字という概念は余りないんですよね。あと全然売れてはないんですけど、付き合いとか抜きに少なからず知り合いの人たちが普通に気に入って買ってくれたりとか、オレが作ったのとか知らないのに「カッコいいの着てますね~それってどこのですか??」とか聞かれたりとかも非常に嬉しかったですね〜。まあでも冷静に考えると、オレが好むデザインってやっぱそんな売れる様なモノではないんだろうなあとも実感してますけどね…。まあでも今年も出来る限り地道にマイペースに色々とやれたらいいなあとは思ってます。もう正直最近それぐらいしか楽しみがないですから(笑)。

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1位.スタッフ不足
まあなんだかんだ言っても2015年はこれに尽きるんじゃないでしょうか。もうほんとに人手が足りなくて、毎月毎月頭抱えまくりました。毎週末の営業が来るのが怖くなってた時期もあったし。10月末のツイートがなんと341リツイートもして頂いて(三宿Webアカウントの募集ツイートのリツイート数も含めるともっと)。えー!まだこんな沢山Webを応援してくれてる人いるんだ??って感謝と共に正直ビックリしたと同時にちょっと勇気づけられましたかね〜。もう数年前から慢性のスタッフ不足ではありましたけど、去年はもうほんとに酷かったかも。9月には実に3人の面接をして2人採用も、1人は働く前にバックレ、1人は初日働いて間もなく急に倒れて入院、重病発覚でそのまま退店、11月にも待望の採用もこれまた1週間だけ働いてその後音信不通という始末。ちなみに全部女の子。11月末にチャーベくんからの紹介で入った男の子は今のところ週一ペースで入ってくれてるので良かったですけど。とりあえず去年はほんと、沢山の友人・知人たちが代わる代わる手伝ってくれたお陰でギリギリどうにか回せましたけど、マジでよく無事1年回せたなあってぐらい。いやもう毎週末の様に足りなかったですからね…。常に崖っぷちの状態だったというか。いや、ほんとに奇跡的だったかも。

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とまあそんな2015年でした。結果的には3年連続で1位が悪い方という結果に。まあ去年はほんとにいいことよりも嫌なこと、大変なことや辛かったことの方が多かった印象ですかねえ。さてそんな2015年もようやく明けた訳ですが、冒頭にも書いた通りもう今年が恐怖で仕方が無いというか。まずスタッフ不足問題は相変わらずだし、バーチーフの博之が既に上半期だけでも結構舞台とか映画の仕事が入っていて、更に人手不足に拍車がかかってる現状然り、今Webって毎月のレギュラーイベントがなんと『ロケットマンデラックス』だけなんですよ。なので言うまでもなく毎月のブッキングもそれはそれは大変で。もう毎月毎月頭を悩ませてますよ…。でも逆に言うと、今のところは奇跡的にオモロいイベントが毎月イレギュラーでどうにかブッキング出来てるし、大コケしたりするイベントも減ったので、集客や売り上げ的には一昨年とかよりも安定してたりもするんですけど。とは言えもうほんと大変ですよ…。なんでもかんでも適当なイベント入れりゃいいってもんでもないし、やっぱ最低限うちっぽいイメージのイベントを、しかもある程度の集客も見込めてって考えるとなかなかどうして大変です。

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猛烈なスタッフ不足+ブッキング難を考えると、ほんとよくもまあ去年1年間無事にやってこれたよなあ〜ってほんと思います。マジで奇跡的ですよ。でもそんな奇跡はそんな長くは続かないだろうなあとも思っていて。いずれはどうしようもない状況というか、限界を感じる潮時も近々やって来るんじゃないかとも思っていて。ぶっちゃけもう若干感じつつもあるんですけど。10月末のツイートも正に本心及び紛れもない現実ですし。非常に弱気なことを言えば、現状を考えると今年1年やり切れる自信は全く無いですよ。年明け早々こんな弱気なことを考えるのは実はオレ的にも非常に珍しいことで、年明けぐらいはさすがに「今年はきっといいことあるハズ!」ぐらいの期待感は持ったりもするんですが、今年に限っては全くそんな空元気や希望的観測も持てないというか。とは言えそんな非常に厳しい現状ではありますけど、勿論限界まではオレがやれることはやるつもりではいますよ。つってもやっぱオレが急病とか怪我とかしたらもうアウトですけどね。あと精神的にどこまで持つかですかね。いやあ、去年からなかなかいっぱいいっぱいの精神状況でやってる部分あるし。まあ心身共に限界までは頑張りますよ。でも急にアウトになっちゃった際は何卒ご容赦のほどですけど。

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去年ってオレの運勢大吉のハズだったんですが、これっぽっちも大吉感も無く。そして今年のオレの運勢は大凶らしいですよね。去年が大吉だったら今年はもうどうなっちゃうの??とは思いますし、何かしら起こりそうな気もしないではないですし、実際10年前の2006年も20年前の1996年も30年前の1986年も結構しんどい年だったんですよね…。そういうのを引っくるめて考えると、2016年という年がもう恐怖でしかなくて。年明けた早々ビビってたぐらい(笑)。でもなんか今となってはある意味開き直ってる部分もありますかねえ。もう辛いことや嫌なことが起こる心の準備は出来た的な(笑)。どんだけネガティブなんだよ!って思う人もいるかも知れませんが、オレからすると最大のポジティブな心構えでもあるんですけどね。なにげに結構打たれ弱いので、心の準備もなく急にでかい悪波が来るともう耐えられないんですよ。

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まあそんな末恐ろしい2016年もまだ始まったばかり。てか年の切り替えは旧正月でいつも考えてるので、2月の節分辺りからって認識ですけど。そんな訳で今年はいつも以上に諸々大変なことが起きそうな予感大ですが、まあ楽しいことも考えていかないとストレスで押し潰されちゃいますから。精神的及び金銭的に余裕と時間のある時にまた洋服でも作ったり、今年もまた一生懸命草野球もやったり、夏には海行ったりと、なるべくストレスを逃がしつつこの大変な2016年をなんとか乗り切ろうと思ってます。まあほんと開き直ってる感は結構あるので、もう結果は後から付いてくる的な、そんな心境でしょうか。時の流れに身を任せ的な。とは言え勿論全てのことは一生懸命やりますけど。あと最近ふと思うのは、現状かなり最悪な状況ではあるけど、へりくだって考えると、まだまだ全然幸せな方だろとかも思ったり。なんだかんだ言いながら五体満足に生かされてること、ギリギリでも東京で生活出来てること、収入は酷いもんだけど最低限好きに仕事させて貰ってること、毎週の様に仲間達と草野球やれてること、売れてないし赤字だけど好きな洋服作れてること、考えたらいっぱいありますよ。理想高く持ってると常に現状に不満で、目の前のちょっとした幸せがわからなくなるもんですけど。そんな風に謙虚と感謝をいつも以上に感じつつ今年は生きていこうかと。でも今年は良くも悪くもオレの人生大きく変えそうな気がしてならないんですよね。とりあえずどんな形であれ最悪なことにだけならない様に祈りつつ…。いやあマジで、どうにか2016年無事で乗り切れます様に!

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昨年は急遽朝本さんのチャリティーイベントを開催したのでハロウィンパーティーはやりませんでしたが、例年だったら今頃の時期はもう『今年の仮装どうしよ……』とハロウィンノイローゼになってる時期で。もしかしたら皆さんもそうかも知れませんが、オレの場合はほんとにもう命削るぐらいのプレッシャーで(苦笑)。まーなんせ周囲の期待感が無駄にハンパないですからね…。なんとかそれに応えたいという一心で毎年毎年無い知恵絞って色々と試行錯誤してはいたんですが、今年はつい1週間前ぐらいにようやく「やっぱ今年のハロウィンはやめよう」と決めたのもあって、ある意味清々しい気分です(笑)。とは言えそこにいきつくまでにはほんとに長い道のりで…。特に今月は他にも頭を抱える様なことが多々あって、ちょっとしたプチノイローゼになってましたかねえ。

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勿論当初は、今年は2年振りにハロウィンパーティーをやる予定では考えてはいたんですが、まず第一にうちのバーチーフの博之がちょうどハロウィンの時期に舞台があって出れなくて。普通のイベントならいつもの様にオレが代わりに酒作ればなんとかなるんですが、ハロウィンの場合はそういう訳にもいかなくて。頭とケツはDJもしなきゃいけないし。それにも増してただでさえ常にスタッフ不足なのもあって、やっぱちょっと通常のハロウィンパーティーはやれないなあ…と思い、月初めの頃には三宿WebのTwitterやFacebookページでは「今年はハロウィンパーティーは開催致しません」的なのは軽く告知してたんですが、でもどうにか開催出来ないか??と模索して、とりあえずスタッフの頭数は掻き集めたりはしていて、どうにか営業出来る手筈は整えてはいたんですよ。

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でもヘルプのスタッフにも仮装を強制することにもなるし、やっぱオレが1人で営業するDJバー営業でやるのがいいんじゃないかとも思えてずっと悩んでて。どういう形にしろ、やっぱ何かしらハロウィン的なのはやるべきだろうということをまず念頭に、もう9月中旬頃からずっと悩み考えてましたかねえ。でもなんか正直言って自分の中で、ハロウィンに対するモチベーションが全然上がらないのもあって。いや、去年のハロウィンに、朝本さんの募金箱を買いに営業前にハンズに行ったんですが、渋谷はもう物凄いことになっていて。スクランブル交差点やセンター街はもうマジで溢れんばかりの人たちが仮装しまくっていて。いやアレはマジでビックリしましたよ。てかハロウィンてこんな盛り上がってたっけ??ってぐらい。ハンズ行くのもWeb戻るのもひと苦労でしたね〜。でもアレはほんとに度肝抜かれたんですけど、逆に冷静になってみると「うわ〜今年は(去年の話)ハロウィンやらなくて逆に正解だったかも…。」とは思っていて。ちょっとある意味どん引きした感もあったというか。

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そういうこともあったので、なかなかいいアイディアが浮かばないというか、コレ!って閃きがなかなかなかったんですが、でもやっぱアレだけ世間がハロウィンで盛り上がってる訳だし、やっぱ素直に乗っかるべきだよなあ、ハロウィンパーティーはどういう形にしろやるべきだよなあ、みたいな責任感的なのは立場上ずっと働いていて。でもオレって昔からそうなんですけど、ほんと乗り気じゃないことには全く頭が働かないというか…。気が付けば月末のマンスリーの入稿時期も迫ってきて、それでも考えが纏まらず、とりあえず"NOW BOOKING"表記にしてたんですが、それ以降もずっと考えては閃かずの繰り返しで。ちょっとしたプチノイローゼでしたよ…。例年の仮装を考えるハロウィン仮装ノイローゼとは別の意味で頭抱えてました(苦笑)。

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そうこうしてる間に、何も決まらないまま今月中旬まで来ちゃって。こんな時期まで決まらないなんてことは滅多にっていうかまず無いっていうか異常事態でもあったんですけど、ここまで切羽詰まった時期に来ても全然コレって考えが浮かばなくて…。まあでもやっぱ心のどこかで「正直今年はハロウィンやりたくない…」ってのが働いてたんですけど。で、そんな悶々とした中、先週BIG LOVEのパーティーがあったんですが、オープン前に当日DJやるCHIROちゃんに「ねえ、BIG LOVEって毎年ハロウィンどうしてんの??」って聞いたら、「あ〜一昨年ぐらいまではちょっとしたハロウィン的なのはやってたんですけど、最近はもう全然やってなくて。なんか一昨年ぐらいまではよそでもやったりやらなかったり的な感じだったのに、今ってどこでもやってるじゃないですか?しかも去年とか凄かったし。たまたま去年ハロウィンの日に渋谷行ったんですけどアレはほんとビックリしましたよ〜。。。」的なことを言っていて。うわ〜まさにオレと一緒じゃん!とか思って同調して。そうなんですよ、数年前までは他のクラブとかでもハロウィンやらない店の方が多かったのに(小箱ではうちしかやってない年とかもあったぐらい)、今年のスケジュールチェックしたらどこでもやっぱやってますからね〜。ビックリというかやはりこれが時代の流れなのか。CHIROちゃんと話して、なんかその時に迷い悩み続けてた背中をポンと押された気がしたというか、よっしゃやっぱり今年はハロウィンは一切止めとこう!って踏ん切りが付いたんですよね。

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いやなんかねえ、普通に考えたらこんだけ盛り上がってるんだから小難しく考えずにしれっと乗っかるべきだし、てか絶対やるべきなんですけどね〜。あ、いや、これからハロウィンで盛り上がろうとしてる人たちに水を差すつもりは一切無いですし(結果そうなっちゃってたらすみません…)、盛り上がりたい人は大いに盛り上がって頂きたいと思ってますよ、いや本気で。楽しいのが1番だし。ただオレが偏屈な性格なだけの話というか。あともうやっぱ歳なのかも知れないですね〜。。。てか、今まで散々毎年嬉しそうに仮装しといてどの口が言うかあ~!ってツッコまれそうですけど(苦笑)。クラブの店長としての立場的にも絶対ハロウィンはやるべきだと思うんですが、でもなんかワールドカップの時の渋谷もそうですけど、去年のハロウィンの渋谷も然り、あの輪の中にはちょっとオレはどうしても入りたくないわ〜って思っちゃったんですよね…。まあ仮装して渋谷行く訳じゃないですけど、仮装することイコールそれに近いモノを感じてしまったというか…(勝手に)。

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まあそんな訳で今年はハロウィンはやりません。つってまだ代わりにどういう営業するか決めてないけど…。まあ何かしら地味にNOTハロウィン的に営業しようかと。あとハロウィンはやりません!仮装はしません!とか言っといて、年末の忘年会でまたしれっと1人で仮装するかも知れませんけど!(笑)。まあ来年のハロウィンはわかりませんけど、ひとまずとりあえず今年は無しで。オレの今年のアホ仮装を密かに心のどこかで期待してくれていた皆様すみません!また違う機会にしれっとやりますんで!ほんとに偏屈ですみません!(汗)。皆さんはどうぞ素敵なハロウィンを〜♪

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気が付けばだいぶ過ぎてしまいましたが、先頃7月を持ちまして三宿Webの店長になって20周年を迎えてました。まあ取り立てて特に何がめでたい訳でもないんですけど(苦笑)。今年は店的に21周年という中途半端な数字ですが、個人的には店長になって20周年だったのでなにげにちょっと感慨も深かったり。

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※anan1994年12月16日号の特別綴じ込みのSMAP特集での香取慎吾くんのページ。三宿Webオープン当時のダンスフロアにて。後ろのDJは若き日のオレ…。









前にも書きましたが、元々はバーチーフとして入店、クラブ経験者が1人もいなかったこともあり、CAVE・ROOMと既に3年のキャリアがあったのもあって1ヶ月後から副店長も兼任。1周年アニバーサリー後のドタバタで初代店長のマーヴィンの代わりにある意味致し方なく店長に就任。それが1995年7月だったんですよね。確か辞める辞めないでの慰留ミーティングが7月8日だった気がするので、確かその日から店長になった記憶。なのでもううっかり2ヶ月遅れですけど…(汗)。まあまさか当時はその後Webが20年も続くとは思ってもみなかったし、まかさ20年間もずっと店長やるとは思ってもみませんでしたけど(苦笑)。

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※1995年2月14日月曜日開催の記念すべき第1回目のバレンタインキッスにて。三宿Web旧DJブースでDJ中の24歳なりたてのオレと、次のDJスタンバイ中の薫 (現・DJ KAWASAKI)。







正直当時は店長なんかやりたくなかったし、やるつもりもなかったんですけどね〜。ほんと当時は、店を存続させてマーヴィンを慰留させる為に致し方なく変わった的な。まあ元々副店長の頃から諸々のことはしてたんで、マーヴィンが居た97年末までは大してやることは変わりませんでしたけど、やっぱ一気に大変になったのはマーヴィン退店後以降の98年からですかね〜。なんせ何から何まで全部やらなきゃいけなくなりましたから。一気に責任もドーンと押し掛かってきましたし、それまでは完全に裏方だったのが、何かあったら表舞台出てマイクで喋ったりとかしなきゃいけなくなったりとか、最初はほんとに戸惑いましたね…(苦笑)。例えるならフロントマンが抜けた後のバンドで、致し方なくリズム隊がフロントマンも兼任でやり始めた的な…。まあバンドやったことないけども!

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※恐らく96年頃でしょうか?某結婚パーティーでの、これまた改装前のブースにて。







これちょっと前にFacebookにも書いたんですけど、オレが知ってる限り、東京のナイトクラブで同一店舗で20年店長やった人っていないと思うんですよね。勿論オレより業界の先輩の人は何人か知ってますけど、その中でこと店長って役職をずっと続けてるって人はイマイチ思い当たらないというか。まず第1に、東京で20年以上続いたクラブってうち以外では、328・Club Jamaica・THE ROOMしか無い訳で、ROOMは途中で4回店長変わってるし(多分)、328も確か何度か店長変わってたし、恐らくクラジャマも店長はずっと同じ人じゃなかったんじゃないかと思うんですよね(多分)。東京以外だと京都のMETROも20年以上やってる訳ですけど、店長は何度か変わってるみたいだし。っていうかそう考えると、日本どころか世界的に見ても同一店舗のクラブで20年店長やった人ってそうそういないんじゃないですかね??ってことは更に考えると、恐らくですけど前人未踏の業界史上世界初の快挙という偉業をなにげに成し遂げたと言ってもいいんじゃないでしょうか!(笑)。

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※これ99年頃のなんかの雑誌。まだマンスリーが表2色刷りでサイズも今より一回り大きかった時代。ちなみにオレが持ってるマンスリーの表紙は井上さん(Chari Chari)の号。







夜の商売って体力的にもですけど結構メンタルやられることが多くて。過去にも、どこそこのクラブの店長が急に消えた!とか幾つか聞いたりしましたし。オレが働いてた頃のCAVEでも店長じゃなかったですけど、上司の何人かは急に消えたりしてたし…。いやでもそういうのってある意味凄くわかるんですよね。だってオレもそれはそれは何度も何度も消えたくなりましたし(苦笑)。やっぱ夜の商売って、ある意味お客さんのストレス発散の場所であって、色んな人たちのストレスを受け止めて、酔っ払ったタチの悪いお客さんの相手をずっとしてると、たまに頭おかしくなる時ありますから(苦笑)。ただでさえ夜中って誰でもナーバスになりがちな時間帯だし、自分自身の将来の不安や悩みとかもあったりする時期だと余計に。そういう意味ではそういうのが急に嫌になって消えたくなるという衝動は痛いほどよくわかります(笑)。

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※2009年のハロウィンパーティでの草間彌生…。







オレって幼少の頃は有名になりたい願望が強いだけのアホな奴で。未だに憶えてますけど、中1の頃に後ろの席の女の子から「長澤くんて将来なになりたいの?」って聞かれて「有名になりたい」って漠然と答えてましたかね~。アホでしょ?(笑)。なんで有名になりたかったかっていうと、幼少の頃からなんせモテたい願望が強くて。とは言えコンプレックスだらけで自分に自信が無くて。でも世の中ってみんながみんなイケメンの王子様タイプが好きかというとそうでもなかったりするじゃないですか?だから、オレみたいな奴でもいいって言ってくれる女の子は少なからずはいるとは思うけど、有名になればその少なからずの絶対数が増えるじゃないですか?(笑)。通常100人中1人しかオレのことをいいと思わなくても、1万人に知られれば100人にいいと思ってくれる人が増える訳で(笑)。そんなアホなことを考えてましたね~。

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※2013年8月開催の某ドゥーラグナイトにて…。







前にブログでも書きましたけど、1988年の10月19日のロッテvs近鉄の優勝を懸けた最終戦Wヘッダーを観て物凄く心を揺さぶられて。なんかアレを観てから、それまでの"有名になりたい願望"というものがちょっと失せたというか矛先が変わったというか。なんでしょうね?有名になるということよりも、人を感動させるということの方に魅力を感じる様になったというか。勿論有名になった方が、同じことをしても大勢の人を感動させられる訳なんですけど、1人でも心の底から感動させられれば、それって物凄いことなんじゃないかと思う様になって。なんかある日、感動して号泣してる時にふと思ったんですよね「感動して自然と涙が出るってなんて神秘的なんだ!そしてなんて素晴らしいことなんだ!」と(笑)。そしてそれを自分が与えたことによってだったらこんなに素晴らしいことはないんじゃないかとも。いや、ほんとにそう想うんですよね。

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※2013年の大忘年会にて。同年ハロウィンでやったLINEのジェームズ再び…。








話しが脱線しましたが、とは言え心のどこかには一貫して「男たるもの、生まれてきたからには何かしら死ぬまでにこの世に名前を残したい!」的な願望も強くあって。それは有名無名問わず。男ってなにげに誰しも大なり小なりそういう願望ってあるんじゃないですかね?まあでも何も人より抜きん出た才能が無いオレは一体何が出来るんだろうか…?ってずっと思い悩んでましたかねえ。なにげに器用なイメージが強いとは思しますし、実際一般的に見れば器用な方かも知れませんが、逆にある意味器用貧乏というか。ある程度のことはある程度は出来るんですが、ある程度出来るとすぐ飽きちゃうんですよね。なので何もいっぱしにならないというか。早くから色んな人から認められたりしたし、もしかしたら1番可能性があったのはバーテンだったのかも?とかも思いましたが、これもすぐ辞めちゃったし。興味のあることは色々チャレンジしてきましたけど、どれも中途半端で終わってしまって…。まあ今は洋服のことを最終目標として日夜頑張ってますけど、これもゴールが果てしなさ過ぎていつになることやら、てかまずいつ芽が出ることやらってレベルですし。

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※2014年の病み上がり&大雪の悪夢のバレンタインイベントにて。








まあそう考えると、非常にちっちゃいちっちゃいスモールワールドな世界ではありますけど、ほんのちょっとだけこの世に名は残したのかもとか(笑)。だって普通に考えたら、もしこの先東京のナイトクラブ史を語る本とか出たとしたら、絶対何かしらの形でオレの名前がちょっとでも出ないとおかしいでしょってぐらいの快挙(?)ですからね〜。た、多分…。まあでもオレの場合、業界初の同一店舗で店長20年とかよりもむしろ、東京のクラブの酒の項で書かれる可能性の方がでかいかも知れませんけどね〜(そんな項があれば)。まあはっきり言ってこの業界でもオレのこと知らない人なんて全然いっぱいいるだろうし、クラブ業界自体も正直今は昔で言うとこのディスコみたいな店もクラブって同一線上になっちゃってるし、今やどこからどこまでがクラブなのかも何がクラブなのかも曖昧過ぎてわからない状況だしで、もはや語られない可能性もありますけど…(苦笑)。なので結論から言えば、恐らく業界史上初であろう同一店舗で20年店長やったとは言え、特に自慢にもならなければ、特に偉業とかにもならないかも知れませんけど。とは言えまあ言葉尻だけでも、"業界初"という響きはちょっと嬉しいもんですよ。どんだけちっちゃな世界でも。まあ誰も褒めてくれなくても称えられなくてもいいんです。とりあえず1人で嬉しそうに「業界初の快挙や!」とか「ヘタしたら世界的にも類をみない世界的な偉業やで!」とか大袈裟に言って身内の中での話しのネタとして今後も当分使っていこうと思ってますから(笑)。そんな訳で、店長20周年おめでとう!オレ!業界初の偉業達成おめでとう!オレ!恐らく世界初の快挙おめでとう!オレ!てかもう2ヶ月も経ったからいまいちタイムリー感に欠けてて若干残念!オレ!

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※今年6月の21周年のリアルアニバーサリーにて。

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