ナガサワブログ PART3~この熱い魂を伝えたいんや~

D級草どインディー老舗クラブ"三宿Web"店長ナガサワの趣味や考え方や日常が垣間見れる独り長文炎上ブログの続々編。

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※10月25日木曜日のフルムーン。綺麗に撮れなかったので、月と夜景は別撮りで合成。でも目視では正にこんな感じ。大きくて綺麗な満月でした。








思えば5月中旬に不動産屋の担当の人からお話ししたい件があるということで行ってみたらまさかの「オーナーがご年配で今の物件を管理するのが面倒になってきて売りに出したいらしいんですよ…。ですので年末にある次の更新はしない方針なんですが、ご了承頂けないかと。」もはや寝耳に水とはこのこと的なビックリ仰天な展開にいささかビビってたじろぎましたが、出なきゃしょうがないのであれば探すしかないということで、突如として『NEVER ENDING 物件探し STORY 2018』がスタートした訳なんですが、まあでもあと半年あるしと気持ちを切り替えて物件探しを開始。もはやその日からほぼ毎日賃貸物件サイトを1日に2,3度はチェックしてましたかねえ。
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※知らない間に賃貸物件のサイトも多々増えてましたが、やっぱり今も昔も情報量ではSUUMOがダントツですね。







まあまあ「おっ」と思う物件はたまには出てはくるんですが、なにせ今の物件が非常に奇跡的な物件だったのもあって(最寄りが学芸大学という立地で奇跡的な値段で奇跡的な広さで且つ部屋から東京タワーと富士山が見えるというこれ以上ない眺望)、なかなか「コレだ!」という物件も出て来なくて。途中からはもはや「ギリギリまでは出来ればここに住みたいし、本気で探し出すのは10月ぐらいからでいいでしょ~」ぐらい思う様になって。勿論その間も変わらず毎日賃貸物件サイトを1日に2,3度はチェックしてましたけど。
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10月に入ってそろそろ尻に火が点き始めたので、いい加減本格的に重い腰を上げて気になる物件の内見スタート。思い立ったら吉日的に2日間で6軒ぐらい一気に見に行きましたかね~。でもどれもこれも値段が高過ぎたり(値下げ交渉も不発だったり)、どう考えても荷物が入らなかったりで(もはやビックリするぐらい無駄に荷物が多いので)、敢えなく断念。その後も勿論探してはみたんですがなかなかいいのが出て来なくて。
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※この時内見した中では場所・広さ・収納・設備的にほぼ完璧な物件でしたけど、如何せん家賃が今より1万2千円も高くて、値下げ交渉しても数千円だろうということで断念…。









10月下旬頃になって現状の不動産屋の担当の人も物件探しを手伝ってくれる様になって。元々オーナー側の都合での退去なので申し訳ないという気持ちから「うちは仲介手数料もいらないので気になる物件があったらこちらから仲介のお手伝いするので教えてください」ということで、お言葉に甘えて3軒ほど内見連れて行って貰って。担当の人も非常に感じのいい人だったんですが、車の中でずっと世間話とかしてたらかなり意気投合して結構色々と楽しく話す様になって。上記3軒のうち1軒は今のうちまではいかずともなっかなか出てこない高層階の分譲物件で。日当たりもめちゃ良かったしかなりいいなあ~とは思ったんですが、その後軽く値段交渉して貰ったら、どうやらもし交渉が上手く行ったとしても今よりも家賃が若干高くなっちゃうんですよ。あとキャパ的にも充分広いんですが、如何せん前述した様にうちのアホほどある荷物がちょっと入り切らないかな…ってのもあって結局断念して。
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※正直ここは見た中ではダントツに眺望と陽当たりが良かったですね~。でも家賃もそうですけど、最寄りが桜新町でR246通らないと三宿に行けないのと(とある理由で三茶を通りたくない)、スペース的にうちの荷物が納まり切らなそうってのと、周りに何もない(コンビニやらスーパーやら)のもあって断念。でも非常に魅力的な物件ではありましたね~。








10月下旬頃になると期限も迫ってきてるのに一向にコレという物件が出て来ないのもあって段々と部屋探しノイローゼ気味になってきて。いや、最初は結構深めで鬱の一歩手前ぐらいまでいっちゃって一時はほんとヤバかったですね~。もう時間も限られてるし、恐らくもう穴場物件が出るなんてことや今の部屋みたいに奇跡的な値下げしてくれる物件も出ないだろうしで、もうこれだけ散々アホほど物件も見てきたけど全然いいとこ無いしで日に日に絶望感が増してきて。物件探しにしてもこの頃はもはや「なんかいい物件無いかなあ~♪」的な感じは一切無く「全然興味も無いし惹かれない物件だけど、どうしても越さなきゃいけない状況になって敢えて選ばなきゃいけないとしたらココかなあ、、、」的にかなり悲壮感さえ漂ってて、もう夢も希望も無くなってきてました。
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※藁をも束みたい衝動からしょっちゅう神頼みに神社にお詣り行きました(苦笑)。







そうこうしてる内にハッと気付いて。「ダメだ最悪だ。完全に悲観的に探してる。全然住みたくも無い部屋へ致し方なく引っ越すなんてことだけは避けなければ!」という想いに駆られる様になって。元々上京して初めて住んだ蒲田から、夢にまで見たお洒落スポット・代官山へ、そして激狭だった代官山から広々としてまるで外国のアパートの様な雑だけど洒落た内装だった学大へ、そしてより広々として陽当たりと眺望がスーパーヤバい今のマンションへと、全ての引っ越しがワクワク感と夢と希望に満ち溢れてたんですよ。そういうのを顧みてもやっぱ少なからず何かしらテンションの上がる物件には住みたいという想いが強くなって。でも散々探して見付からないのにどうやって?家賃をこれ以上上げるのは正直かなりキツイし…。で、考えたのが、探す範囲をちょっと広げてみようと。とりあえずかなり広げた範囲でどれぐらいテンションの上がる物件が出てくるかやってみたんですよ。結構広げたのもあって、今までよりも「おっ」っていう物件もちょいちょい出てきて。でも思ったよりは出て来なかったのでビックリでしたけど。探せば探すほど「やっぱなんてうちの今の部屋は奇跡的な物件だったんだ!」って改めて実感したぐらい。ほんと、予算より2万ぐらいは積まないとやっぱ同等レベルの物件は出て来なかったですから。
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そんな中、もはや一瞬5度見したぐらい好みのどストライクな変わり種の物件が出てきて。なんとホワイトフローリングでさえ珍しいのに、壁も天井も扉も全部白で統一!しかも平米数もバッチリだし。リノベーションして間も無いので非常に綺麗そうだし。あとなんと言っても心を鷲掴みにされたのは正に外国のアパートみたいな作りの変則的なユニットバス!トイレもウォシュレット付きだし(ウォシュレットはまあどっちでも良かったけど)。いやあ~もう久々の一目惚れ物件でしたねココは。でも場所が東急池上線の雪が谷大塚が最寄りで。なんと大田区ですよ大田区。遠っ!!(苦笑)。まずチャリじゃ通えないだろうし、さすがにちょっと難しいかなあ~とは思いました。めちゃんこ可愛い部屋だけど。

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※写真で観るとマジでヤバくないですか??なっかなかここまで白を基調にした部屋も珍しいですよ。いや〜初めて写真見た時はマジで度肝抜かれました。








まあでも、距離的にちょっと遠いとは言え、なんか久々のトキメキを感じて「オレが忘れかけていたのはコレだ!この感覚だ!」じゃないですけど(笑)、それまでテンション激下がり気味だった部屋探しのモチベーションも若干上がって更に範囲を広げて探し続けて。そこで次に見付けたのが雪が谷大塚の隣の石川台って駅が最寄りの物件で。外観内観共に全然洒落てないんですけど、広さ的にも設備的にも条件的にはほぼ言うことない感じで。しかも3階建ての3階で1つの階に一戸しか入ってないし、全方向に窓も付いてるし陽当たりも風通しも収納もバッチリそうだし。とは言えここも充分距離的には遠いので、心の片隅には置いておきつつ他にも引き続き探してはいて。

でも範囲をかなり広げて探しても、予算内でトータル的にコレってのは予想外になっかなか出てこなくて。そうこうしてる内に、とりあえず1度上記の2つを内見させて貰おうかなあと思って。物件同士も近いし。っていうか雪が谷大塚の真っ白の物件がやっぱどうしても頭から離れなくて、1度実物見てみたいっていうのが1番強かったってのが正直なところ。それぐらいあんな内装の物件出て来ないので。もしほんとに実物見ていいなと思ったら、ちょっと遠いけど住んでもいいかなあとかも想う様にもなり。しょーもない何の魅力もない部屋に近場ってだけで住むぐらいなら、遠方でも住みたい、帰りたいって思える部屋の方がいいなあとも思う様になって。そう考えたら一刻も早くあの部屋を見てみたい衝動に駆られて。
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※このユニットバスなんてちょちょちょー可愛くないですか??正に外国のアパート的な感じというか。ちなみにトイレとバスはカーテンで仕切れんですよ。いやーこれはマジでビックラこきましたわ。








善は急げではあったんですが内見したいなあと思ったのが火曜の夜で、翌水曜は不動産屋が休みなので最速でも木曜日かな…とは思ってたんですが、何かもう1度気になり出すと止まらない性分も相まって、翌水曜日も気になって気になってしょうがなくなりちょっと時間もあったので、実際チャリ行くとどんだけ時間かかるんだろう??と思ってチャリで現地まで行ってみたんですよ。自転車でのルート検索だとだいたい24分ぐらいなんですけど、やっぱ出来れば坂が少ない方がいいじゃないですか?なのでまず都立大まで坂無しの裏ルートを通って緑が丘越えて石川台へ。なんと途中緑が丘のなかなかの坂を登るんですけどそれ以外はほぼ平坦。なので大して労力を感じなくて。時間も20分ぐらいでしたかね~。正直でも、坂1つしかないし石川台までは大してしんどくないなという印象でした。

そしてとりあえず石川台を越えてお目当ての雪が谷大塚の物件の方へ。隣の駅とは言え石川台から雪が谷大塚まではこれまたなかなかの坂を登ることになります。そしてようやくお目当ての物件まで。物件自体が結構大通りから池上線を越えて更にちょっと下り坂の麓の辺りにあるんですよ…。あと自転車も停めれそうな所もパッと見なくて。周りの環境自体は閑静でいいですけど安易に路駐も出来なそうな雰囲気で若干難アリな印象。あと更には池上線の線路越えなきゃいけないんですよ…。忙しい時とかだと結構無駄なタイムロスになるなあと…。で、そのあと多摩川の手前辺りまでチャリで周辺を散策して、せっかくなので雪が谷大塚の名店『らぁめん葉月』でラーメン食って、一応石川台の物件の方にも行って帰宅。
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予定通り翌日不動産屋の人と共に内見を。まず最初になにはともあれ雪が谷大塚の白い方に行きたかったところですが、うちから行くと手前にあるってことで石川台の方から先に行って。内見してみると写真で見るより非常に印象が良くて。窓も多く全方向に付いてて大半が二重サッシで網戸も完備してるし、3階建ての3階ワンフロアなんですが、どうやら2階と1階が大家さんの親戚が事務所で使ってるらしいんですけど現状ほとんど稼働してないんですよ。なのでもし借りたらほぼ建物自体で一世帯のみっていう贅沢さ。更には周りは幹線道路と駐車場だし二重サッシだしと、ほぼ騒音の心配とかがいらないのは非常に安心感強いなあと。まあ元々大音量出す方じゃないんですけど無駄な心配がいらないというのはやっぱいいもんで。広さも充分だし綺麗だし風呂は追い焚き付きだし窓も多くて明るいし。あとチャリは勿論置けるんですけど、更にもしかしたら原チャリぐらいなら置けるかも!?的な感じもあって。もう10年バイクは乗ってないですが、またバイクに乗れる可能性が出たっていうのはなにげにテンション上がる要素でもあり。大通り沿いだからアクセスもいいし石川台までは緑が丘の坂1個だけで行けるし。正直かなりの好印象でした。

さて続いて肝心のお目当ての雪が谷大塚へ。やっぱ車停めるのもひと苦労な立地。改めて坂も多いなあという印象。自転車置き場も一応入口の奥の横にあったんですが、合計でも詰めて3台置けるかなあ…?ってぐらいの激狭なスペースで。6世帯入ってるのにほんとに置けるの??って感じでした。勿論原チャリなんかはもってのほかで。階段を登って4階のその物件へ。やっぱ写真通りのイメージと全く遜色ない素晴らしい内観。やっぱこれだけ白で統一された物件はほんとうに圧巻というか。ユニットバスもやっぱめちゃ可愛かったし窓からの眺望もいいし。まあでもその前の石川台の物件が非常に好印象だけあって、窓がガタついてたので「これ絶対台風とか来たら雨漏りするな…」とか、壁もよく見るとかなり雑な塗りだし壁紙貼ってないしで、これもまあ考え方によっては外国のアパートっぽいけど(笑)、やっぱ窓もそうだけど冬は隙間風も入るだろうし寒そうだな…という印象。あと収納も普通に広いんですけど、やっぱ石川台の物件に比べると小さいな…とか思ったり。更にはエアコンが一基だけなんですけど室外機を置くスペースの問題でキッチン側にしか付いてないんですよ。居室の方にエアコン回すにはファンかなんかで送らなければならないというか。これは結構致命的だなあ…とは思って。あと1階には大家さんが住んでるっぽくて、作り的にしょっちゅう会いそうだったし無駄に気を遣うだろうなあっていう。なので2軒見た印象としては予想外に石川台の物件の方が若干好印象という結果でした。

とは言え石川台の方は広くて綺麗ですけどまあ普通の内装なんですよね。今住んでるところもそうなんですけど、いわゆる15年前ぐらいによくある内装というか。それとは打って変わって雪が谷大塚の方はまず出て来ないであろう外国のアパートチックなスーパー洒落た内装な訳で。やっぱめちゃ悩みましたよ。それぐらいやっぱあんな物件はまず出て来ないので。とは言え生活する上での利便性を考えると圧倒的に石川台だよなあとは思っていて。でもほんと、最後の最後まで悩みましたかねえ。
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※作りだけ見ると何のことないよくありがちな内装の部屋なんですけどね〜。特に今まで載せて来た写真見た後だと余計にそう見えますよね…(苦笑)。ちなみに前は女の子2人がシェアしてたらしく全体的には非常に綺麗です。あとその子たちがなんとまだまだ全然綺麗な新品同様のウォシュレットと二口のガスコンロも置いてってくれたので非常にラッキー的な。特にガスコンロはどっちみち必要だから買わなきゃだったしなにげに買うと高いしで、無駄な出費も抑えられますからね。








今の不動産屋の担当の人も非常に協力的で「ギリギリまで諦めずに探しましょう!」って3日に1回ぐらいはお薦めの物件を送ってくれたりして(この頃になるともはやプロよりこの辺の物件には詳しくて全部既に調査済みでしたけど・笑)、ボクも諦めずにそれ以上にビビビとくる物件は無いか?日夜探してはいたんですが、仕事も立て込んだりしたのもあって気が付くと2週間ぐらい経っちゃってて。そうこうしてる間に、前述の2軒も他に決まっちゃったらまずいな…ってのもあっていい加減決めなければってことで、再度熟考した挙げ句やっぱ色々踏まえた結果、今から探してももしいいのが出て来てもまず家賃が今よりも高い物件ばかりだろうし値下げもなかなか難しいだろうし、そう考えると多少遠くても住みやすい部屋で更に家賃が下がるってのはなにげにポイント高いかも?と思う様になり、やっぱ石川台と雪が谷大塚のどっちかにしよう!と思って。ちなみに石川台は今よりも6千円、雪が谷大塚は今よりも1万1千円も安くなるんですよ。

でもそれから再度熟考しましたけど、やっぱ雪が谷大塚の方は、可愛いユニットバスも追い焚きが付いてないのは勿論のこと、軽くシャワー浴びる時もスペース的に結構大きめのバスタブをいちいち跨いで入ってバスタブの中で浴びなきゃならないのは意外と結構面倒だな…とか、前述したエアコンの位置も然り窓もカッチリ閉まるタイプじゃないしで、冬場の居室は相当寒いだろうからやっぱ寒いのが大の苦手だし厳しいかなと…。他にも収納の狭さとか家の周りの環境とか諸々。

で、2つのどちらかの結論は出た訳なんですけど、石川台の方も完璧な物件では決してないので。洗濯機はベランダだしキッチン上部収納も無かったり。なのでなかなか決め倦ねてたんですけど、踏ん切り付ける為にも再度内見させて貰うことにして。ちなみに前日また時間があったので再度陽当たりチェックしに自転車で行ってみたんですが、うちから環七沿いで行くとまあまあ飛ばせば16分ぐらいで着いちゃって。まあ勾配がキツイのでちょっと逆向きだとしんどいかなあ…とは思いましたけど。あと帰りに都立大経由の平坦ルートで行ってみたんですが、どうにか緑が丘の唯一の坂を回避するルートは無いかな…?と思って探してみたんですよ。至近に遊歩道があったので「遊歩道って基本平坦なところに作るよね?」と思って沿いに進んでみたらなんと!ほぼ坂の無い平坦なルートを発見!しかも大して遠回りする訳でもなく。なのでゆっくり漕いで20分ぐらいでうちまで着いちゃって。恐らく信号さえ捕まらなくてそこそこのスピード出せば15分ぐらいで今のうちに着きそうな感じで。Webまで考えても30分ちょいで着く公算ですよ。しかもうちまではほぼ坂が無い平坦なルートなので全然疲れた感が無いんですよ、ビックリするぐらい。うちからWebまで15分ぐらいですけど比べても圧倒的にしんどくないというか(Webまでは結構傾斜多いので)。いや、正直これは世紀の大発見だ!ぐらい思いましたね(笑)。

そんなこんなで翌日また内見させて貰って。今回はメジャーで色々細かく計ってみると、狭いからアレは置けないかなあ…と思ってたモノとかも意外と広くて置けそうだったり、やっぱ改めて好感触。もはやここに決めようかなあとは思いましたが、念の為再度1日熟考し直して決めようと。その夜は更に範囲も広げて物件チェックしたりもしたんですが、これがもうビックリというか、かなり範囲広げても全然コレってのがほとんど出て来なくて。幾つかは出て来ましたが、間違いなくチャリで通える範囲は優に越えてる物件ばかりで。しかも石川台の物件と比べて圧倒的にいいかと言われればそこまででもなく。もはや内心「ここまで広げてもコレってのが出ないんだから、いい加減腹を決めて石川台に決めよう!」とは思いましたかね~。やっぱ心のどこかにどうしても「やっぱ出来ればもうちょっと近場の方がいいな…」とか「もっと洒落たところがいいな…」的な部分もあったんですが、さすがに踏ん切り着いたというか。
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※やっぱなにげに風呂好きなボクには溜まらなかった追い焚き付きバス。窓も付いてるし。今の部屋の唯一の難点が風呂場だったんですよ。無駄に広いけど追い焚きは付いて無いし蛇口から赤錆は出るしボロいしで。なので今回の物件探しではなにげに風呂場のヴィジュアルと使い勝手と快適さはかなり重要視してました。まあ願わくば最近よくある新しめのバスタブと新しめの二口蛇口と新しめのシャワー且つ追い焚き付きの綺麗なバスが良かったですけど(苦笑)。ま、普通に綺麗だし追い焚き付きだしで充分ですけど。ちなみに前の部屋が追い焚き付きだったんですが、365日中350日ぐらい風呂入ってましたよ(笑)。冬場とか1日3回とか入ってたし。実はなにげにそれぐらいの風呂好き。いやーマジで追い焚き付きの風呂はめちゃんこテンション上がります。







心は決まった!という訳で翌日(先週木曜日に)現状の不動産屋へ行って正式に申込書を。同時に家賃の値下げ交渉とバイクを置けるかどうかの確認をして貰うことに。独自に調査した結果、石川台の物件てどうやら2ヶ月も前から出てた物件だったので交渉したら多少は下がるんじゃないかなあ…?という目測から。実際ちょっとでも下がればかなり嬉しいし。あと前述した様にバイクが無料で置けるのであれば将来的にバイクもまた買って乗りたいなあとは思っていて。この2点が通ればかなりテンション上がるなあ〜とは思ってました。

後日すぐに連絡があり、なんと家賃は3千円下がったんですが、バイクの方はもし置くのであれば月5千円取られるとのことで、だったらとりあえずバイクはやめとこうかな…と断念。すわ10年振りにバイクがまた乗れるかも!?という淡い夢は儚く消えました…(まあ金払えば置けるっちゃあ置けるので完全に無くなった訳じゃ無いけど)。でもまあ家賃下がったのはなによりでかかったですね~。元々の値段でも今の家賃よりも6千円安くなるんですが、更になので今よりも9千円安くなることに。これは非常にでかいですよ。年間10万8千円、2年間で21万6千円にもなりますからね~。これだけ考えるとやっぱ遠くても引っ越す価値はあったかなあとは想ったり。

で、今日の午後にまた担当の人から連絡があり、保証会社の審査も無事通ったとのこと。明後日までに諸々の契約金、来週月曜日に地元の物件を抱えてる不動産屋へ行って正式に契約しに行く予定です。そんな訳で無事決まった訳ですが、これ読んだ人の中には「えー!?ナガサワさんまさかの大田区??石川台??そんな遠いとこ住んで三宿まで通うのとか大丈夫??」って思った人も多々いると思います。いや、実際の所ボク自身がギリギリまで同じこと思ってましたから無理もないです(笑)。まあなかなか思い切りましたよね〜。勿論今までに比べると勿論遠くはなるんですが前述した様に『近場で狭くてイマイチなとこに住むのであれば、やっぱある程度気に入ったところに住みたい』というのがどうしても強くて。勿論色々と不便なことは出てくるんだろうとは思いますけど。大量のフード運ぶ時とか、家からレコード持ち出す時とか、雨の日とか。
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※もし無料で駐車可能で次バイク買うんだったらコレだなあ~と思っていたクロスカブ110カスタムカラーのベージュ。前に乗ってたSW-1的感もあって、これ買って乗る夢描いてたんですが…。









当初は「次住むのは何区かなあ?やっぱ世田谷区かなあ…。でも理想的にはまた目黒区がいいなあ〜」とか考えてましたがまさかの大田区的な(笑)。思えば来年3月で実に上京してちょうど30年なんですよ。上京してまずスタートの地でもあった大田区にまさかのまた戻って来ようとは何の因果か的な。でもなんかある意味初心に還れ的な意味合いもあるんじゃないかとも勝手に思ったり。とりあえずどうにか無事物件は決まりましたけどこれからがまた色々と大変ですよ…。大量の荷物の引っ越しやら諸々の手続き変更やら…。ベタな内装の部屋ですけどせっかくなので多少は変えれそうなところは洒落た作りにしたいし。

そんな訳で紆余曲折あった今回の『NEVER ENDING 物件探し STORY 2018』もどうにか無事完結。ほんと今回はマジで深いノイローゼに入って気が狂いそうになりましたね…。一時は本気でどうなるんだろう…と不安とプレッシャーで何度も頭おかしくなりかけたし…。そんな中とりあえずは住みたいと思える部屋が見付かってそこに住めることになって、安堵と共にほんとに良かったと思います。ま、遠いけど(笑)。早くも色々と部屋をどうしようか暇さえあれば模索中。まあ6年前もそうでしたけど恐らく1月末ぐらいまでは色々と落ち着かないでしょうねえ…。ま、出来るだけ楽しみながら地道にやっていこうかと。

しかし学芸大学は前の所から数えると実にのべ10年半住んだんですけど、今まで住んだ街で言うと、山形の寒河江8年、兵庫の高砂10年、蒲田5年ちょい、代官山14年、学芸大学10年半と、実に人生の中で代官山に次ぐ長く住んだ街でした。やっぱそれだけ住んだので学大には非常に想い入れも強いし、この街を離れるのかと想うと一抹の淋しさもありますけどね…。
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※ちなみにこれは前に4年半住んだ学大の部屋。この部屋も独特なリノベーションされた部屋で、外国のアパートみたいな洒落た作りで非常に気に入ってたんですけどね。風呂も1人暮らしで初めての追い焚き付きで、追い焚き付きの素晴らしさを嫌というほど実感したし。

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※現状の部屋。借りる前の写真。ここはなんせ圧倒的な収納力と広さとなんと言ってもの素晴らし過ぎる眺望。











そんな訳で今回もいつも以上に無駄に超長文ブログにお付き合いくださった恐らく少数の皆さま(笑)、ご精読誠にありがとうございました。まさみじゃない方のナガサワは、12月から学芸大から石川台へ。一旦大田区に戻って人生出直して来ます(まあ職場は変わらず世田谷だけど)。グッバイ学芸大!そしてよろしく石川台!
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ここ5年ぐらいでしょうかねえ?三宿ニャンニャンタイガースが新メンバーになってからは勿論のこと、一昨年のTOKYO大リーグ発足以降は勝手に審判部長扱いにしてたぐらい大変お世話になっていた、外苑審判倶楽部の審判の伊東さんが8月5日頃(推定)急逝されて。詳しい原因はわかりませんが、熱中症で直前に1度倒れて病院に行ったという情報もあり、熱中症が原因だったのではないかと。なんせ今年の夏はアホみたいに暑かったですからね…。とは言え余りにも唐突のことだったのでほんとに最初は信じられないぐらいビックリして。ボクもそうでしたけど、うちのメンバーも然りリーグ内の人らも然り早朝のリーグの人らも然り、ほんとにみんな驚きと悲しみを隠せなくて。予想以上と言ったら失礼ですけど、ほんとにビックリするぐらいみんな哀しんでいて。亡くなってからで遅いですけど「え〜伊東さんめちゃくちゃみんなに愛されてるじゃん…」とは内心想ったぐらい。
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お通夜とかお葬式とかどうなるのか?なかなかどうなるかわからない状況が続いて。伊東さんて確か淡島と三宿の間辺りに住んでいて、一人住まいで身内もいないみたいで、警察が入って今後のことは決まる様子らしく、軽く調べてみたら身寄りのない孤独死の場合火葬のみ自治体が行うみたいで、いわゆる通夜とか葬儀という宗教儀式は一切行われないみたいなんですよ。え〜何も無いのはなんか可哀想だなあ…とか思っていたある日の深夜に郷太くんから電話掛かってきて、しばしその件に関して色々と情報交換したり話し込んだんですが、もはやボクらだけで偲ぶ会的なのをやろうと。郷太くんの「伊東さん、Webでの納会にも毎回来てたしやるならWebでやりましょうよ。」との推しもあり三宿Webでやることに。でも一応ギリギリまで様子を見て、何も他に催す気配がなければ8/16木に伊東さんを想う有志だけ集まって地味にやろうということになって。で、今週火曜日に行政により荼毘にふされたという情報が入り、予定通り8/16木に偲ぶ会をやることに。
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そんなこんなで開催された昨夜の『伊東さんを偲ぶ会』でしたが、お盆明けのど平日にも関わらず、のべ50人近くの大勢の人に来て頂いて。終始和気あいあいとした雰囲気の中での伊東さんを偲ぶムード。みな各々泣いたり笑ったりと、ほんと最高の会でしたね〜。
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最後3回目の献杯の音頭取る前にもちょこっと話させて貰ったんですけど、伊東さんて享年69だったらしいんですけど、独身で、亡くなった時も自宅で倒れて孤独死の様な状況で見付かって。どうやらお兄さんと妹がいるらしいんですが、どうも疎遠な仲みたいで。実際お通夜もお葬式も無く、火葬のみ行政に委ねる形で近親者のみで執り行われたみたいだし。勝手な想像ですけどきっと伊東さんは「オレの人生なんだったんだろうなあ…。独身で1人でぽっくり逝っちゃって…。通夜も葬式もやって貰えなくて…。なんか、しょーもない人生だったなあ…。」とか自暴自棄に想いながら逝ってしまったんじゃないかと思うんですよ、きっと。
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でも亡くなった知らせが回ってきた時もみんな一様に驚いて哀しんで、実際偲ぶ会やったら50人近くも伊東さんを偲ぶ為にわざわざ集まって。お盆明けとかじゃなかったらもしかしたらもっと来たかも知れないし。言ってしまえば一介の野球の審判ですよ?ボクは勿論審判依頼のやり取りとかあったので連絡先は知ってましたけど、ほとんどの人が連絡先は勿論、亡くなるまで誰1人として伊東さんの下の名前(三男)を知らないぐらいでしたから(笑)。いくら長年しょっちゅう審判で来て貰ってるとはいえ、プライベートの付き合いとかあった人もほとんどいない訳で。
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遺影的なモノも一応ボクが祭壇に飾る用に用意しといたんですが、色んな人が各々写真コピーして持ってきたり、遺影代わりにと額縁に伊東さんの写真入れて持ってきてくれて。もうそこら中遺影だらけですよ(苦笑)。きっと伊東さんもあの世でビックリしたんじゃないですかね??と同時に非常に喜んでくれたと思うんですよね。「オレこんなに大勢の人に愛されてると思いませんでしたよ。いやあ〜ビックリした!」って。そして「オレ野球好きでいて良かったなあ〜。」とかも思ったかも知れないですね。
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伊東さんて絶対自分のことを『何の取り柄もない野球好きのおっさん』ぐらい思ってただろうし、もしかしたら実際そうなのかも知れないけど(伊東さんすみません・笑)、でもそんな”何の取り柄もない野球好きのおっさん”の死に対してこんなにみんな哀しんで、お通夜も葬式も無いんだったらみんなで偲ぶ会やろう!ってこんなに大勢の人が集まって。建前やおべっかや付き合いとか一切抜きに正にこれこそがリアルだし、いやもうほんとグッとくるどころじゃないですよ。なんかちょっと心揺さぶられたというか。いやほんと凄いことですよ。逝ってしまった伊東さんに「伊東さん!こんな沢山の人に想われて、あんたの人生全然しょーもなくないですよ!最高の人生でしたよ!」って言ってあげたいし、きっとこの想いは伝わったんじゃないかと思います。
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営業中は終始仕事に集中してドタバタで動きまくってたので、正直感慨に浸る暇はなかったんですが、営業終わって一息ついて1人で黙々と片付けてる時に、前述した様なことが頭を巡ってきて感極まりながら泣きながら片付けしてました。同時に「オレが死んだらこんなにみんな哀しんでくれるかなあ…」って伊東さんのこと正直羨ましくも思ったり。。いやでも実際ボクもこんな歳で独身で彼女も居ないし、明日は我が身ですよ…。
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無駄に凝り性なところが無駄に爆発してしまい、一昨日から皆さんに配る用に追加分の喪章作ったり祭壇用のグッズ買い出し行ったり店内で流す用の伊東さん追悼DVD編集したり、昨日も昼からおむすび作ってたらあっという間に出勤時間で大急ぎで店行ったものの、祭壇作ったりなんだりしてたら予想以上に準備が大変でもう汗だっくだくかきながらで終始店内1人走り回ってギリギリなんとかオープン間に合わせたり、最初は入りもゆっくりでしたけど途中からガンガン入ってきて酒作ったりグラス洗ったり(マッシュくん働いてくれたからめちゃ助かったけど)、終わってからの1人片付けも2時間半掛かったりと、もはや昨日の昼からさっきまでずっとてんやわんや状態でしたが、なんか不思議と心地良い疲れというか。絶対伊東さん喜んでくれたはずだと思うと気分が悪いはずもなく。ま、疲れましたけど(苦笑)。
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いやーでもほんと色んな想いに駆られたいい夜でした。伊東さん居なくなっちゃったのはほんとに残念ですけど。まあ伊東さんはこの先もボクらの間で生き続けますよ。遺影の1つも店内トイレ上のTOKYO大リーグのポスターの横にしれっと貼ったし(意外と同化してる・笑)。
伊東さん、ありがとうございました!あんた、最高の審判でしたよ!!
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14日でお陰様で47歳になりまして。おそロシア…。先週末に隔月開催中の『ウィークエンダー』では思いのほか皆さんに祝って頂き感謝感謝です…。いやほんと、みんないい奴らでみんな大好きだ。お陰で金土は飲み過ぎて胃と肝臓の調子がイマイチですけど(苦笑)。でもほんと、ありがたやありがたやです。
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※日曜日に作った、米と水とセブンのサラダチキンとサラダチキン用の参鶏湯で作った激旨参鶏湯粥。簡単で優しくてめちゃ旨なので是非ともお薦めです。





前回のブログでは24回目のバレンタインキッスを2月11日にやる予定と書きましたが、その後急転直下なんとあのThe xxのアフターパーティーをやることになって。Vo/GのRomyがDJを演ったんですが、The xxって全英1位なのは勿論ですが、全米でも2位までいったらしいですね…。いや、もはやロンドンでは街中歩けないぐらいらしいです。そんな世界的に有名なアーティストのアフターパーティーですから一般不可のシークレットとは言えもうアホみたいに混みましたよ…。いつ以来か憶えてない振りの入場制限までいきましたし。いやあ、おそロシア…。まあでも無理してバレンタインキッスやらなくて良かった的な(苦笑)。最初話し来た時は外タレってしか聞いてなかったんですけどね。まさかのThe xxだった的な。









ちなみになんでまたそんな世界的に有名な、当日も幕張メッセぱんぱんにする様なアーティストのアフターパーティーをあんなアホほど狭い三宿Webで??って思うじゃないですか?何も知らない関係者の人達も一様に言ってたし(笑)。実はThe xxのマネージャーが随分昔にうちでライブを演ったことがあったらしいんですよ。その時に非常に気に入ってくれたらしく、BIG LOVEのハルカちゃん伝えにあそこでやれないか?的に話しが来た的な。いやあ、たまたまとは言えなんか凄い縁というか。
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※ナガサワ撮影によるハルカちゃんとRomy。






さて話しを本題に戻しますが、まあそんな訳でオープン以来24年続いたバレンタインキッスはやらなくなったんですが、元々やるんだったらこんな感じでやろうと思ってたのが90’S縛り的なイベントで。まあでも2月はなんだかんだで全部埋まりそうな感じもあったので、まあいずれやろうかなあぐらいの感じではいたんですけど。そしたらちょうどたまたま2月23日の金曜日がぽっかり空いて。で、せっかくだからちょっとそこでやれるか探ってみようかなと思って色んな人にスケジュール聞いてみたら結構皆さんOKで。そんな訳で急遽開催決定した的な。
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※ちょうど20年前の98年2月13日金曜日開催のバレンタインキッスにて。ゲストDJの1人、瀧見さんと。






誘った人のほとんどが「わ!それオモロそう!」っていうリアクションの人ばかりで(笑)。まあそういう感性ある人ばっかに送ったってのもありますけど。いやもう企画したボク自身も、想像しただけで誰がどの辺の何掛けるんだろ!?っていう興味でちょー楽しみで。90’Sってもはやボクにとってはある意味第2の青春時代というか。この業界に入ったのが91年3月で、それ以降は毎日の様に週末はほぼ毎週末現場でDJがプレイするクラブミュージックを聴いてきた訳で。それ以降レコードもちょいちょい買い始めて、DJを本格的に始めたのも93年頃だし、95年頃からは毎週末ゲストのサポートでDJもやる様になってたので、もう一番レコード買ってた頃ですよ90年代は。給料の大半買ってたんじゃないですかね~??ほんとアホみたいに買ってました。なんせ当時は試聴とかも滅多に出来ない様な時代だったし、言うまでもなくネットもSNSも無い時代なので情報源もほとんど現場でしか得られませんでしたからね~。

※suzi kim / try me (extended version)。もはや90年代の三宿Webクラシックとも言える大名曲。90年代でこの曲1番掛けたのボクじゃないか??と思ってるぐらい掛けましたね〜。この曲オープン初期の土曜日にDJしてたパピーさんて女性DJがいたんですが、その人が掛けててすぐにブース行って「この曲誰ですか!?」って聞いたら「これ私が働いてるスタジオで録ったのよ〜」って言って12インチくれて。その後の再発やREMIX盤も買いましたかね〜。プロデュースはモンチ田中さん。歴史に残る90年代和製グラウンドビート大名曲。






ボクにとっては80’Sはキラキラって感じですけど、90’Sはギラギラって感じでしょうか。やっぱ本格的に東京におけるクラブブームが巻き起こったのも95年頃だったし、沢山クラブミュージックのヒット曲が量産され出した時代だったし。なので個人的にはやっぱ90’Sは熟練のDJ陣によるDJ MIXで聴かせたいなあってのはあって。今回のDJ陣は皆DJ歴20年以上の40オーバーの現役ばかり。みんな大好きな酸いも甘いも知り尽くした信頼出来るDJ陣なんですが、中でも最近ラーナーズで大忙しのチャーベくんが入ってくれたのはほんとに嬉しかったなあ~。WebでのDJ歴も一番長いし、個人的にも一番長い付き合いですしね。チャーベくんてWebでやり出した頃とかは(ESCAPE前)、当時のUKソウルとかをガンガン掛けてたので、まさにボク的には今回絶対演って欲しいDJの1人ではあったんですよね。


※先日お誘い頂いて20年振りぐらいに観たNEIL&IRAIZA。久々に観ると、当然だけど2人の演奏スキルが昔とは格段に比較にならないぐらい上がっててカッコ良かったなあ〜。前回観たのは全面改装前の三宿Webでクローバーズのイベントだった気がしてたけど違った。19年前のエスカレーターレコーズのライブイベントで観てるわ。だってボクが司会でしたから(笑)。まあ司会でめちゃ忙しくてライブとかちゃんと観る余裕なかったですけど。







あとはもはや安定の、ロックさん・K姐さんの夜ヒッターズ(勝手に命名)のお二人を始め、年始にある意味ナイスな話題を提供してくれたNONちゃんや、あとチャーベくん並みに長い付き合いの陽一郎くんには、オファーと同時に「アシッドジャズ縛り」をお願いしててめっちゃくちゃ楽しみ過ぎます(笑)。夜ヒット風や80’S!!!!!!!!でもお馴染みのスペシャルゲスト・RGさんも「90’Sめっちゃ得意です!」って返って来たし(笑)。まあRGさんは今回の大元の主旨とは若干違う方向性かも知れませんが(笑)、いつもの如くライブ的DJ的に楽しんで貰えれば。あとほんとは23B主催のエイジくんと、夜ヒッターズの1人・CHINTAMくんも誘ってたんですが、諸事情により今回は参加出来なかったのは非常に残念ですが、最低限いい布陣が揃ったかと。

※Caron Wheeler / Livin' In The Light。これCAVEで働き出した頃B1フロアでよく掛かってたので、この曲聴くだけで当時のこと想い出しますね〜。未だに全然飽きないし色褪せないUK Soul/グラウンドビート大名曲。







やっぱ前述した様に、90’Sと言えばCLUB CLASSIC、そしてやっぱ絶対的にレコードでのDJ MIXでしょ!ってことで、今回のDJ陣は全員オールバイナルで演って貰います。最近はもっぱらセラートで演ってるNONちゃんも快くOKしてくれたし。いやあ、これぞ90’Sですよ。マジでスーパー楽しみなんですけど。アラフォーの方は間違い無いですけど、是非とも若い人たちにも来て欲しいですね~。聴いたことないけどめちゃくちゃいい曲バンバン掛かる可能性大だし。いやほんと、人さえ入れば絶対的に盛り上がること間違いナシですから。なので是非とも沢山の人に来て盛り上がって欲しいなあ~と思ってます。いやあ~~~マジで楽しみ。

※Lisa Stansfield / All Around the World。これはもはや未だにしょっちゅう掛けてます。上京して初めて買ったCDは確かLisa Stansfieldの『Affection』。このアルバムはほんとよく聴きましたね〜。3rdぐらいまでの初期のリサは好きでしたね〜。ちなみにコレ厳密に言うと発売は89年なんですけど、11月発売で本格的にクラブでもガンガン掛かる様になったのは90年代に入ってからってことで(笑)。








※Tom Browne / funkin' for jamaica (1991 extended rmx)。これもDJ時によく掛けましたね〜。非常に高揚感と躍動感を増したナイスリミックス。








※Crystal Waters / Gypsy Woman (She's Homeless)。これも当時のクラブではスーパーヒット。ある日CAVEで働いてたらB1フロアで掛かってて、直後に下に行ったらB2フロアでも掛かってたってぐらい。90年代初期のニューヨークハウスも非常に名曲いっぱいあるんですけどね〜。








※Touch Of Soul / We Got The Love。これも未だに大好きな曲。クラブの前にディスコに行き始めた頃によく聴きましたね〜。10年ぐらい前(?)にEMMA HOUSEに収録されて以来リバイバルで人気曲になったみたいですが。メローなピアノのリフが非常に印象的な大ヒットイタロハウス。







※Frankie Knuckles / The Whistle Song。これも永遠のハウスクラシック。MIXX BEAUTY@オルガンバーでもたまに掛かってます。この辺はチャーベくんが掛けそうな予感(多分)。さっきも言いましたがほんと90年代初期のニューヨークハウスは名曲揃い!








※Lisette Melendez ft. Greg Nice / Goody Goody。これはもはや(笑)。最初はクラブヒットだったんですが、後に確かヴェルファーレ的なディスコやチャラめな箱とかでも掛かるぐらいヒットした記憶。これもある意味90'Sと言えば的な印象深い曲ですかね〜。








※ The Brand New Heavies / You Are The Universe。90'Sと言えば『アシッドジャズムーブメント』。その代表格の1つとも言えるブランニューへビーズは外せません。ほんとは初期のアシッドジャズ的な名曲にしたかったんですが、やはりブランニューへビーズと言えばコレが最大のクラブヒット曲じゃないでしょうかね〜。もはや歴史に残る大クラシック名曲。








※Incognito / Don't You Worry 'Bout A Thing。ブランニューへビーズと共にアシッドジャズムーブメントを代表するバンドによるナイスカバー。『Always there』のカバーも非常に好きだったし、初期のインコグニートはほんと好きでしたね〜。これも思わず当時を想い出してしまう想い出の曲。








※Jamiroquai / Virtual Insanity。やっぱ90年代と言えばジャミロクワイは外せませんね。個人的には、アシッドジャズムーブメント期のデビューしたての頃の『When You Gonna Learn?』や『TOO YOUNG TO DIE』とかも印象深いですけど。ちなみに三宿Webって1度ジャミロクワイナイトをやったことあったんですよ。いや、ジャミロクワイ好きのオフ会的なのじゃないですよ?(笑)。前述のThe xxのアフターパーティー的に、当日渋谷公会堂かどっかでライブがあってその後に的な。が、バンドメンバーはみんな来たんですが、肝心のジェイ・ケイはライブで疲れて来なかった的な(苦笑)。でも話しを聞き付けた関係者で満タンになった記憶。








※Courtney Pine feat.Carroll Thompson / I'm Still Waiting。コレも実に個人的にはアーリー90’Sを感じますね〜。数あるカバーの中でも未だに絶大な人気を誇るUKラヴァーズ・ロックの大名曲。これ当時探しに探したけど全然売ってなくて、CAVE時代のDJの大先輩・上石さんから頂いて未だに大事に使ってます。







まだまだ貼り付けたい名曲いっぱいありますが、続きはTwitterとかでも。ていうかマジで絶対楽しいですから2月23日金曜日は三宿Webへ!是非大音量のDJ MIXで聴いてください〜♪
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皆さまあけましておめでとうございます。気が付けば7月以来半年振りの更新(汗)。まあ下半期はほんとイレギュラーなことが多々ありましたからね〜。これももうちょっと早く書く予定だったんですが、まあなんせ年明けてからもずーっとドタバタと色々ありましたから。そんな訳で久々の記録的な大雪の夜中にアップ!

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さてもはや気が付けば毎年明け恒例となった新春ブログでのナガサワ的10大ニュースですが、例年は10個挙げるの結構大変なぐらいなのに、去年は色々挙げてったらどえらい数になったので、今年はなんと無駄に20大ニュースとしてカウントダウン。ただでさえどえらい長いのに既におそロシア!って訳で早速サクサクいってみましょう。

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第20位「枝豆ブーム」
元々は大して好きではなかったんですが、なぜか突如として沸き起こった枝豆マイブーム。しかもずっと続いてます。寒い季節になった今もたまに食べたくなるし。最近も冷凍庫には常備食として常にまいばすけっとで売ってる『冷凍茶豆』も(これ結構リーズナブルだし美味しい)。好きが講じてたまたま作ってみたらビックリの激旨だった枝豆おむすびも非常に大人気でしたね〜。アレほんと食ってみないとあの美味さはなかなか伝わりずらいんですが、ほんと想像してる斜め上の美味さです。ただの豆ごはんと思ったら大間違いです。1口頬張ったらすぐゴーンとくる香ばしい香りがマジでハンパないです。作った自分でもビックリ的な(笑)。今年も市場に枝豆が出回るシーズンになってきたらまた作ろうとは思ってます。

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第19位「薔薇ブーム」
春先頃突如として起こった薔薇ブーム。まあ元々薔薇自体は好きだったんですけどね~イギリスのイメージも強いし。確かなんかの拍子にビビビと来たんですけど、それが何かは忘れました…(笑)。そんな訳で薔薇を求めに代々木公園や新宿御苑のバラ園まで観に行ったり。横浜イングリッシュガーデンは良かったですね~。タイミング合えば今年も薔薇の季節にまた行きたいです。勢い余ってTシャツも製作。実は前々から1度薔薇Tは作りたくて、結構前にも薔薇のデザインとかやってはいたんですけどね。1から根詰めてデザインし直した渾身の作。まあ全然売れませんでしたけど(苦笑)。でも個人的には非常に気に入ってます。特にバッジはもうほんとに気に入って帽子や服に付けたりと多用しましたね~。

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第18位「続・ユニオンジャックブーム」
一昨年数年振りに再燃したユニオンジャックマイブームですが、今年も引き続きちょこちょこ集めましたね〜。しかも、これまでかなり掘り起こしてもはやイケてるの無いと思ってたのに、諦めずに細かく小まめに色んなルートで掘ってみたらまだまだイケてるのがいっぱいあって。いやほんと探せばあるもんですね〜。最近はもはやなんでもかんでもじゃなくかなり厳選して掘ってるんですけど、去年掘ったユニオンジャックグッズはかなりレア且つハイセンスなモノばかりだった気がしますね〜。まあこの良さや嬉しさは興味の無い人にはイマイチっていうか全く伝わらないとは思いますが(苦笑)。

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第17位「黒回帰」
二十歳になる手前ぐらいから黒が好きになって。この業界に入ったのもかなりデカかったと思いますけど。やっぱ黒ってアンダーグラウンドやモードの象徴的な色だし。なので20代前半は黒い服ばっか好んで買ってました。が、20代後半ぐらいでしたかねえ?ふとした時に母親から「あんたあんまり暗い色の服とかばっか着ない方がいいよ?色って結構気分を引っ張ったりするから精神的にも暗くなっちゃうよ?」的なことを言われて、勿論その時は若気の至りで言い返したり否定したりしたんですが、なぜかずっと頭の片隅に残ってて、まあそういやそういう傾向ってなにげにあるかも…と徐々に思う様になり。当時のボクはなんせ根暗な人間でしたからね〜(苦笑)。あ、今も根暗ですが(笑)。あとはやっぱ黒ってみんな好きだし逆に個性がないなあってのもあり、それから色々模索した結果、オレのテーマカラーはネイビーだ!とばかりにネイビー系の服ばっか買う様になり。勿論黒い服も嫌いになった訳ではなかったのでちょっとは買って着てはいましたけど。それからはもうずーっとネイビーが主流だった訳ですが、今年の後半になって急に黒回帰が始まって。これはもうはっきりしてるんですが、たまたまロンドンのデザイナーユニット・Art Comes FirstとFred Perryのコラボした写真を見てから、やべ〜ちょーカッコいい!!と見惚れてしまって。1番好みだったトラックジャケットはソッコー探してイタリアの某サイトで格安で買ったり。未だに暇を見付けてはヤフオクとかでArt Comes First関連の古着チェックしてたりします。他にも黒でクールなタイプの洋服が急に欲しくなって古着で探したり。いやもう今年は更に黒回帰が加速しそうな勢いです。まあ勿論、黒ならなんでもいいって訳じゃあないけど(笑)。

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第16位「大赤字のバレンタインキッス」
バレンタインが誕生日なのをいいことに毎年開催しているバレンタインキッス、去年は前週に朝本さんのトリビュートイベントを開催したのもあって、ギリギリまで開催するかどうか迷ったんですが、ミッツィーさんの協力もあって結局開催。いや、イベント自体は結構集客もあって盛り上がったんで、一見大成功ではあったんですが、入場料1,000円ぽっきりという格安でやった割りには全然ドリンクが出なかったので、収支的には大赤字だったっていう…。まあ完全にオレのミスなんですけどね。とは言え大変な思いでブッキングして当日も切り盛りも大変で結果大赤字だったってのはさすがに堪えましたね〜(涙)。ちょっと1週間ぐらい立ち直れなかったぐらい(笑)。まあでも、人も入らず盛り上がらずで大赤字よりは、来て頂いた皆さまには楽しんで頂けたとは思うので全然良かったですけどね。まあでもイベントやる以上は、プラスは無くともマイナスにはしちゃまずいですね…。あと出演者の皆さまにはもうちょっとギャラ払いたかったなあというのが本音のところ…。終わった直後はもう2度とやらないと決めたバレンタインキッスですが、なんと今年も2月11日に開催予定。まだ概要全然決まってませんが。さて今年はどうなることやら…。おそロシア!

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第15位「撮影中に満月の中を飛行機」
これ年明けてすぐのタイミングだったので、既に昨年の新春ブログにも写真載せちゃってますけど、今考えても凄い確率のタイミングだったなあ~と。年明けすぐに望遠レンズを買ったんですけど、それの練習も兼ねて満月の写真を一眼レフで撮ってたんですよ。色んなパターン試しながら。30分ぐらいは撮ってましたかねえ。そしたらちょうどタイミング良く飛行機が飛んで来て。うわっ!と思いながら思わずシャッターばしゃばしゃ切ったんですが、まんまと2枚ほど満月の中を通過する飛行機が撮れて。うち1枚はちょうど真ん中上辺りを飛んでる時で。ほんとこんなの奇跡的ですよね??いやほんと年始早々無駄に運使ったんじゃないか!?ってぐらいのスーパー奇跡的な写真でした。合成とちゃうからね!(笑)。

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第14位「ウィークエンダースタート」
前々からヒップホップ系のイベントをやりたかったんですが、去年の4月から遂に隔月開催スタート。隔月開催と言ってもコケたらすぐしれっとやめる予定だったんですが(笑)、なにげにギリギリのところで大コケとかしなくて、っていうかむしろ回を重ねるごとにいい感じになってきていて。もうほんとうに毎回(及び単発でも)快く出演してくれる皆さんのお陰でしかないんですけど。今年は春から毎月開催にしようかなあとかも考え中。今年も新・福善よる(episode2)と、いい塩梅の関係でやれたらなあと思ってます。チェックやエイホウくんのソロとかもそうだし、ナイスくんとジミーちゃんのコラボとかもそうだけど、ウィークエンダーの出演者の中での出逢いとかコラボとか、なんか新しい何かが少しでも生まれたらいいなあとか、そういうイベントにしていければ本望だなあと思ってます。



※個人的にめっちゃハマってる今のところ毎回レギュラー出演してくれているSANGAくん。先月のマンスリーでは表紙に大抜擢。彼の音源はマジでしょっちゅう好んで聴いてます。彼はまだまだ若いし荒削りな部分も多々あるとは思うけど、非常にオリジナリティー且つ癖が強くて非常に今後が楽しみ。アートワークも彼が自分でやってるんだけど絵もめっちゃポップ且つシンプルでいいのよなあ〜。まあどういう反応かは好みもあるので人それぞれでしょうけど、是非色んな人に聴かせてみたいです。ボクがもしレコード会社の人間だったら、売れる売れないは別としても、間違い無くどんな手を使っても絶対メジャーデビューさせたいと思うけどなあってぐらい(笑)。






第13位「大口のフードケータリング」
去年も定番のおむすびを始めアホほどフード類を作りまくりましたが、ダントツに1番の難関だったのが50人分のケータリング。しかもその日は毎月恒例のMIXX BEAUTY@オルガンバーの日だったので、プラスおむすびという過酷さ。本格的なケータリング自体もなにげに初めてだったので、要領がイマイチ掴めなくてまあなんせ大変でしたね~。前日から仕込み始めて当日もほぼ半日掛けて1人で製作。現場付いてもペンネ作ったりホイップ立てたりと大忙しで汗だく。まあなんせ初めてだわ1人だわでほんと色々と大変でした。多々至らぬ点もあり反省しきりでしたが、とりあえずはどうにか無事に終わり、召し上がった皆さんからも美味しい美味しいと好評だったので安堵。そして3日後には店内撮影時のスタッフの皆さま用のおむすびを頼まれて。計62個。勿論過去最多数。予想通りノンストップで7時間掛かりました…(苦笑)。朝からの撮影だったので深夜から寝ないで製作。珍しく計算ミスで炊き直したり、いやはやほんと鬼の作業でしたね~。てか実に4日間の間に物凄い量のフード作りましたよ。いやほんと、クラブ店長の仕事は思てるよりも大変やからね!

※ちなみに50人分のケータリングメニューはこちら。
🔵バジル風味トマトソースペンネ
🔵ミニスパムおむすび
🔵和風ピクルス
🔵生ハムとアボカドとクリームチーズの和風うずらの卵入りソースがけ
🔵林檎のシナモン煮生クリームがけ

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第12位「貴乃花親方の仮装が大ウケ」
昨年もまた世間のクレイジーな大ハロウィンブームに嫌気が差して、ハロウィンパーティーもしなければ仮装もしなかったんですが、今や恒例となってしまっている年末にまたもや無駄にやってしまいましたアホ仮装。年末には5年前から突如やり始めて、毎年無駄に好評なので(多分)つい毎年毎年やってはいたんですが、当初今年はやらないつもりだったんですよ。まあ仮装するっつっても無駄に金も掛かりますしね。しかもオレの場合凝り性なんで、ハンズのバラエティーコーナーで揃えて適当にとかやりたくないタイプなので余計に。年齢的にももう仮装とかしてる歳でもないし(苦笑)。て訳でやらないつもりだったんですが、当日営業前におむすびを作ってる最中にふと、やっぱ仮装した方が絶対盛り上がるしみんな喜ぶよな…とか考えて、まあもしやるんだったら今年だったら貴乃花かな…とは思ってたので、とりあえず家のヅラボックス漁って1番近そうなヅラを探したんですよ。で、試しに被ってみたら「わ!貴やん!(笑)」ってなって(笑)。でもスーツとか小物類がなあ…とか思って一応近そうなの探して着てみたら、勿論完コピ派のボク的には全然違うとは思うんですけど、まあ暗いし大目に見れば全然イケるかも!と思い(笑)。スカーフやマフラーとかも奇跡的にそれっぽいのがあったので、急遽やることに。出勤1時間前の出来事ですよ(笑)。その日は勿論大ウケで、勢い余って翌日のウィークエンダーSPでもやって(笑)。その日の写真を後日インスタに上げたらなんとボク史上2度目の200いいねに到達と同時に、ダントツで最多いいねを獲得(笑)。いやほんと、急遽やっといて良かったなあ〜とつくづく。まあ有りモノでやっただけに細部を見たら全然貴乃花ではないんですけど(苦笑)。とは言えボクの無駄に燦然と輝く仮装史に、また1つ強烈に刻まれる結果となりました(笑)。

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第11位「ハンソデポリス復活ライブ」
1997年12月末にデビューしたナガサワプロデュースの草コスプレ大喜利ユニット・ハンソデポリスが20周年ということで記念に開催したハンソデポリスデビュー20周年記念イベント。解散して以来約10年振りに復活ライブも演ったんですが、まあなんせ仕込みが大変で大変で。ネタとかも正直全然やる気なくて(苦笑)、考えるの大変でしたね〜。しかも前週が前述のケータリングの週だったので一切時間もなかったし。イベント開催4日前ぐらいじゃなかったですかね〜本格的に本気でネタとか考え出したのは。まあライブ的には今までで1番緊張もしなかったし、久々の割りにはまあまあ良かったんじゃないかとは思うんですが、まあなんせ集客が全然ダメで。個人的にはかなり誘いはしたんですが、他のメンバー誰も友達誘ってないわ告知もしてないわっていう…(苦笑)。いやもう前述のバレンタインキッスじゃないですけど、しこたま労力だけ使って大赤字という大変なイベントでしたよ…。いやあ〜ほんとかなりのパワー吸い取られたな…。20年前のデビューライブには100人越えるお客さん来たんですけどね〜。もうみんな歳取って足取り重くなっちゃいましたね、、、。ま、もう2度とやらんけどな!(多分)。

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さあ中休憩が終わったところでようやくこれから10大ニュースですよ(笑)。てか20位から11位までは簡潔にサクッと書くつもりだったのに気が付いたらいつものごとく(苦笑)。まあこれでもだいぶ端折ってサクッと書いてるつもりではいるんですけどね…。これからは更に若干長くなりますのでご注意を。それではサクサクいきましょう10大ニュース。

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第10位「マッサンのライブで号泣事件」
事件ってほどでもないですけど(笑)。まあでも人前であんなに泣いたのはここ20年ぐらいはほんと記憶にないんで、ある意味ボク的には事件かも知れませんけど。詳しくは珍しく興奮して書き殴ったブログにも書いてますが、要約すると『MASSAN×BASHIRY“阿吽”リリースパーティー』に行って大感動して思わず号泣したってことなんですけどね。思えば去年はほんとここから波乱の1年がスタートしたと言っても過言ではないぐらい、非常に印象深く感慨も深い事件でしたね〜。当時余りにも聴き過ぎたのもあって、今では完全に印象深い想い出の曲になってしまった『Close My Eyes』は未だにふと聴くとぐっときてしまうちょー大好きな曲。いやあ、マッサンのライブはほんとお薦めなのでちょっとでも興味ある人は是非1度行ってみて欲しいなあ。歌(ラップ)も人柄も演奏もほんとに耳障りのいい唯一無二と言っていいぐらいオリジナリティーを感じるグルーヴィーで心地いいライブです。またマッサンのライブ行きたいとは思ってるんだけど、毎回なっかなかタイミングが合わずこれ以降行けてないんですよね〜。まあでもまた泣いてしまいそうだから若干怖いんですけど…(笑)。まあもう余程のことじゃ人前じゃ泣かんけどな…。おそロシア!

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第9位「高反発マットレス導入」
昨年ふとした切っ掛けで高反発のマットレスを試す機会があって。しかも試したのが巷では高反発マットレスの最高峰とも言われる『モットン』で。まあ寝心地がいいこといいこと。ちょっとした衝撃でしたよ。それまでってスポットコイルのスプリングマットレスの上に薄めの低反発のマットレスを敷いて寝てたんですが、たまにめちゃくちゃ腰が痛くなることもあったりしてたので、コレを機に下に敷いてる低反発の代わりに高反発に替えてみるか〜と色々調べまくって。モットンはいいんですけどまあなんせ高価なんで下に気軽に敷くにはちょっとなあと思って、リーズナブルで良さげなのを調べまくったんですよ。ちなみにボクが何かを調べるって、ほんとその辺のマットレス取り扱い店の店員並みいやそれ以上ぐらいの知識を得るまで調べ上げる訳なんですが、時間を掛けて調べまくった結果行き着いたのがとあるマットレスで。値段も1万ちょいだったので、万が一合わなくてもまあ諦めが付く値段だったのもアリ早速購入したところ、まあスーパー大当たりで。今やモットンよりも個人的には寝心地は好きです。いやほんとにコレを購入してから寝起きも調子いいし、なんせ睡眠に入るのが早いというか。それまではしょっちゅうなかなか寝れないとかもあったんですが、結構減った気がしますね〜。ほんとにコレはいい買い物だったしいい発見だったかと。まあなんせ1日の3分の1は睡眠に使ってる訳ですからね〜。睡眠大事!

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※マットレスの写真撮ってなかったので同時に買った掛け布団カバーでご容赦ください(苦笑)。







第8位「TOKYO大リーグで猫虎惜しくも2位」
一昨年は4位という不本意な成績に終わった我が猫虎でしたが、昨年は前半戦はなんと無傷の8連勝という快挙でダントツの首位を走ってたので、このまま行けば今年は念願の初優勝だ!!という機運も高かったんですが、まあ人生そんなに甘くはないとは思ってましたが、まさかその通りになろうとは…。とりあえず10月5日のサンキングとの昨季1番の天王山決戦に敗れたのが全てだった気が。まあとりあえず惜しくも優勝は逃しましたが、今年も怪我なく最後まで楽しく野球出来たのは良かったですけど。

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あと個人的には昨年からずっと打撃不振にあえいでいて、6月29日の時点でなんと.076、前半戦終了時で.166という有り様で。正直かなりモチベーションも下がりまくってましたが、今年ダメならもう野球辞めようってぐらいの一念発起してまたバッティングセンターに通い詰めて。まあ昨年とかは途中から全然通わなくなってましたし。週に1度は必ず行く様にして。試合前は2,3回は通ってましたかね〜。フォームも色々と試行錯誤して1から調整し直して。その甲斐あって、なんと後半戦の打撃成績は.354という好成績でした。まあやっぱり下手くそはマメに練習しないとダメだってことですな…。まあ今年こそは久々の3割目指して頑張りたいと思ってます。まあ勿論個人成績よりもチームの優勝ですけども。今の猫虎はほんといいチームなので、どうにか今のメンバーで優勝したいなあとは思ってます。優勝したら間違い無く泣きますね(笑)。いやもう号泣じゃないでしょうか。それぐらい猫虎に関しては長年多々苦労もしてきたし愛着も持ってますので。だってうちぐらいですからね、ほぼ毎回固定メンバーで戦ってるのなんて。相手チームにもビックリされるぐらい(笑)。なんせ平日の朝なんて仕事の関係上毎回同じメンバーでなんてなかなか大変だったりしますから。そういう意味でも凄いチームですよ猫虎は。ほんとに日々感謝だしみんな大好きだ猫虎ナイン。なので今のメンバーでいつかは優勝したいなあっていうのがちょっとした小さな夢です。

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第7位「41.9度の高熱」
これも年明け早々でしたね〜。朝本さんを偲ぶ会の直後から熱が出だして。当日も最後まで働かないといけなくわ、翌日も休めず無理して働いたのが災いしてか、翌々日からグングンと高熱になり。気が付くとあっという間に40度超えて。でも癌細胞って40度超えると死滅するってのをいいことに、ナチュラルデトックスや〜!とばかりに医者も薬も使わず丸一日耐えてどうにか事無きを得て終息したんですが、その間の最高が41.9度で。確か中学1年の時の夏休みに出した42度ってのが過去最高だったんですが、それに次ぐ高熱でした。

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マジで万が一の孤独死に備えて玄関のドアの鍵開けときましたからね(笑)。いやでもマジで冗談抜きに40度を超えるとほんとちょっと怖くなりますよ。意識もぼーっとしてくるし立つのもしんどかったりするし歳も歳だし。まあ40度は過去に5,6回あるんですけどね。なのでそういう観点からいくと今までで考えるとそこまで辛くなかったというか。まあなんせ過去のはどれも下手すりゃ死を意識するほど辛かったりもしたんで。まあ今回も決して楽ではなかったですけどね(苦笑)。ちなみにこりゃ間違くインフルだと思ってましたけど、後日調べて貰ったらなんとインフルではないとのこと。えー!普通の風邪でこんな高熱なんか出んの!?ってビックリしましたけど(笑)。いやあほんとにおそロシア!

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第6位「ナガタツ9度の出演」
一昨年5回(ほんとは申し訳でプラスもう1回の予定)の出演で「ナガタツ遂にブレイクか!?」と騒いでましたが、なんと昨年はそれを大幅に上回る9度の出演。ナガタツ演り始めて以来ずっと着ていたネイビーのドレスシャツだったんですが、昨年の達郎さんのライブポスター同様似た様なワインレッドのシャツを某海外の格安サイトでオーダーで作って。イベントのフライヤーも昨年同様ライブポスターと似せて作ったのもこれまた好評で(笑)。

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達郎さんが愛着しているエドウィンの402も探して日暮里の直営店まで行って買ったり、年末には最近達郎さんがよく着ているクリームイエローのシャツをこれまた格安オーダーサイトで作って。これで更に無駄に達郎感が増したかも知れませんね〜(笑)。夏にはCAYでのイックバルのワンマンで永井博さんとご一緒にDJさせて頂いたり、年末にはなんと古巣とも言えるJUNグループのパーティーにもお呼ばれして。いやはやほんとにありがたいです。まあ今年はそこまで出番多くはない気もしてますけど。てか昨年がたまたま多過ぎたってだけで。今年も6月には毎年恒例の1人会は絶対やるつもりですし、他にもちょいちょいマイペースにやろうとは思ってます。

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あ、あと今年は時間があれば達郎MIXを録ってみようかと。1時間ぐらい。出来たらMixcloudにでもアップしたいなあと思ってます。先日巷で噂になった某達郎MIX聴いて、かなりある意味刺激を受けたというか。まあ詳しいコメントは差し控えときますけど(笑)。でも達郎関連音源のSoundCloudは、色々事情があってご本人の音源を全て非公開にしちゃったんですが、MIXだったら丸々1曲アップする訳じゃないので、こんなバージョンもあるんですよ〜的にちょこちょこお披露目も出来るしいいかなと。あと昨年末にMP3に録音できるラジカセも買ったので、気軽にRECは出来る様にはなったんですよね。まあ自分のMIXを録るなんてもはや20年近くやってないですけど。年内中に1回ぐらいは録ってみたいと思ってます。

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第5位「ボンゴレ25周年」
ほんとはこのネタで時間があったらブログ書こうと思ってたんですけどね。個人的趣味でボンゴレを作り始めてなんと昨年末で25周年でした。凄いですよね〜四半世紀ですよ(笑)。思えば、CAVEを辞めた後に知り合いの紹介で恵比寿の某イタ飯屋で働き出したのが切っ掛けでした。働く前はパスタとか全然好きじゃなくて「毎日の賄い絶対パスタだよなあ…大丈夫かな…」って不安がってたぐらいだったんですが、その店のコックがめちゃくちゃ腕が良くて。食うモノ食うモノ全部美味くて。勿論パスタもあっという間に好きになり、暇を見付けてはコックの人に色々作り方とか教わったりして。昼は賄いでパスタ食って帰宅してまた自作してパスタとかもしょっちゅうになりました。

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何でも美味かったですが、賄いでダントツに美味かったのがボンゴレでした。もう突出して美味くて。勿論あさりは高いので賞味期限が切れそうになった時とかたまにしか出てはきませんでしたけど。それからというもの、スーパーであさりを見付けたら即買ってボンゴレを作るってのを繰り返して。もはや憶えてないですけど、最初の頃は恐らく酷かったとは思いますけどね〜。今考えるとアレも入れてないしアレも入れてないしとか。

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確か2000年初頭ぐらいまではラボエムのボンゴレが好きでほんとしょっちゅう食いに行ってたんですけど、ある時から自分のボンゴレがラボエムのボンゴレを超える様になって。まあちょっとしたコツを得たってところでしょうか。それ以来はほとんど外ではボンゴレ食ってないかもですね〜。ボンゴレ食いたくなったらいくら疲れてても自分で作るみたいな(笑)。まあなんせ大量に作れるし自分の1番好みの味に作れますからね。

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憶えてないですけど過去にはほんと色んな人に作りましたね〜。「え?作ったことあったっけ??」って人も多々いますが逆に「えー!1回も作ったことなかったっけ??」って人も。ほんとタイミングだったりしますからね〜。SNSで多投しまくってるのもあって、今や巷ではありがたいことに「1度は食べたいナガサワボンゴレ」と言われてます(笑)。先々月にやった完全招待制での『ナガサワボンゴレナイト』ではオープンから続々と友人達が来て満席になりましたからね〜。いやはやボンゴレ人気凄かったです。まあ今後も懲りずにボンゴレ作り続けるでしょうし、ナガサワ的ボンゴレ道を地道に極めていきたいと思ってます。

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第4位「46歳で23周年」
詳しくは過去のブログで書いてますのでそちらを。いやもうほんと、この件に関してはもはやこの一言に尽きますよ…。おそロシア!!

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第3位「海で無くしたiPhoneが奇跡的に見付かる」
今年も1度だけ"たけSEA軍団"で夏の葉山・一色海岸に遊びに行ったんですけど、東側の海岸付近の浅瀬でぷかぷかと背泳ぎの状態でしばらく浮いて遊んでたんですよ。あ〜気持ちいいなあ〜とか思いながら。で、海パンの右の横のポケットに入れてた防水ケースに入れたiPhoneを取ろうと思ったらなんと!あるハズのiPhoneが無いじゃ、あ〜りませんか!!(大汗)

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もうスーパー焦って周囲を足でまさぐってはみるものの全く無くて。波の流れに乗って数分浮いてたし、結構な範囲で落とした可能性があるし、浅瀬とは言えそこまで透明でも無いから潜らないとわからないし、流されちゃったり砂に埋もれちゃってる可能性もあるしと、とりあえずもうほんとに尋常じゃないぐらい焦りまくりましたよ。久々に取り返しの付かないやばいことやっちまった…と思って顔面蒼白になりながら必死に足でまさぐりながら探してたんですが一向に見付かる訳もなく…。

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異変に気付いた一緒に来てた女子たちが寄って来たので事情を話して一緒に探してくれることになったんですが、とりあえずボクは友達に水中眼鏡借りて潜って探そうと思ってざぷーんと潜って探してたんですが、なにやら外が騒がしいんですよ。で海中から顔を上げてみたらなんとボクのiPhoneをたまたま通りがかったお姉さんが拾ってくれていて!!いやもう奇跡としか言いようがないですよ。正直半分諦めかけてたし。こんなん絶対見付からないでしょ…って。最悪翌日の午前中の引き潮の時に再度来て探すしかないかな…でも翌日もわざわざ探しに来てなかったら最悪だな…まだ買って半年も経ってないのにまた買い替えないといけないのか…とか色々ネガティブなことが頭の中を駆け巡ってたのでほんっと良かったし嬉しかったし、なにより拾ってくれたお姉さんに感謝です。。。

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てか絶対相模湾に眠る朝本さんのお陰なんじゃないかと思いましたね〜。じゃなきゃあんなの絶対見付からないと思うし。ほんとそれぐらいの奇跡的な出来事でしたから。いやほんと、すぐ見付かったから事無きを得たけど、やっぱ振り返ってみるとほんとに凄い出来事だったと思いますし、非常にラッキーなことだったと思います。まあ元を返せばポケットなんかにiPhone入れて泳ぐな!って話しですけど(苦笑)。ほんとにスーパー焦ったしそんな余裕全く無かったけど今だから敢えて言わせてください。おそロシア!!

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第2位「朝本さんの散骨式〜TRIBUTE TO ASAMOTO」
やっぱり非常に印象的でしたね〜朝本さんの散骨式は。こちらも詳しくはブログに書いてますのでそちらをご覧のほど。あの船から見た景色は恐らく一生忘れないなあ。それぐらい美しい景色でしたね〜。一周忌の日には1人でボケーッとしに朝本さんが眠る相模湾に献杯しに逗子海岸へ。ほんとは一色海岸に行きたかったんですが、逗子に着いたらもう陽が暮れかけてて。寒かったしすぐ暗くなっちゃったけど、行って良かったなあと思います。まあ逗子はボクにとっては元々聖地みたいなモンですしね。しかしふとした時に想いますけど、朝本さんはもうこの世に居ないって未だに不思議な感覚ですね。人がこの世から居なくなるって、なんか凄いことだなあとか考えたり。

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第1位「6年振りに彼女が出来る」
さて栄えある昨年の第1位はなんとまさかの(笑)。まあプライベート過ぎることだし正直書くかどうしようかで非常に迷いましたが(苦笑)。まあでもやっぱ昨年と言えばやっぱコレに触れない訳にはいかないというか、それぐらい個人的には非常に大きかったかも知れないですね〜。ここ数年とかは、正直もう歳も歳だし、もしや男としての賞味期限終わったんちゃうか…??と思うこともしばしばあったので、もはや彼女なんて出来ないんじゃないか…?とかも思ったりもしていて。まあ元々1人が好きで1人で居ても全然楽しめる人なんですよ。特に年々そうなってきてもいて。なので無理に彼女とか作らなくてもいいかなあ的にも思ってのもありましたかね〜。なのでほんとにある意味寝耳に水というか、自分でもビックリでしたよ。元々今まで付き合ったタイプとは色んな部分で違ったタイプだったのもあって、最初は全然合うとも思わなかったし付き合うとも思ってなかったし、万が一付き合ってもすぐ別れるだろうなあとも思ってたし(苦笑)。今や凄く日々の癒しになってます。こんな初老間近のおっさんなのに…ありがたい話しですよ(笑)。いやはやほんと、何から始まってどうなるかなんて全くわからないというか、人生とは予期せぬことが唐突に起きる、不思議なモンだなあ〜とは改めて。。。

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まあ訳あってクリスマスは一緒に居れませんでしたが、大晦日と元旦は久々に彼女と一緒に過ごして。なんか変な感じでしたけどね〜(笑)。てか過去を遡ってみても、ずっと営業があったのもあったし、なにげに大晦日と元旦に彼女と一緒だったなんて3度目ぐらいですよ(多分)。まあとは言え、正直言って何を隠そう今まで付き合って1年経ったこと未だ1回しか無いんですよ。過去唯一結婚を考えた彼女。前にブログでも書いた1番影響を受けた子です。それ以外は結構太く短くというか、濃密だけど結構早く終わることが多くて。まあすぐ同棲しちゃったりもしてましたから余計になんですけど(苦笑)。なのでまだ付き合って半年も経ってないのでこの先どうなるかはわかりませんけどね(笑)。まあでもあんまりその辺は意識しないでマイペースにやっていこうと思ってますけど。なのでそっとしといてくださいね(笑)。くれぐれもSNSとかでこの件に関してコメントかしない様に(笑)。「彼女出来たみたいでおめでとうございます!」とか誰かしら書きそうだからなあ…。もしそんなの書いてるの見付けたらソッコー削除しますのでひとつよろしくお願い致します(笑)。

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そんな訳で長々とアホみたいに書きましたが、他にも初の海外旅行から20年経ったり、7月は久々に軽く鬱っぽくなるぐらい最悪だったり、マンションの入口にオートロック付いたり、昨年も一昨年同様沢山映画も観たし、吉祥寺SPCの20周年でスカパラライブ観たり、THE ROOMの25周年やら他にも多々ほんと色々とあった印象深い1年でしたね〜。まあ総括すると、彼女も出来て幸せな年だったかの様にも見えるかも知れませんが、例年通り、いや例年以上に大変なことや嫌なことや辛いことも多かったし、ほんとどうにか一生懸命生き抜いたって感じの1年でしたけどね。全てが薔薇色だったって訳では決して無かったですよ。まあでもなんだかんだ言って、数年前からいつ潰れてもおかしくない様なWebもなんとか奇跡的に続いてるし、2017年も色んな人に助かられた年であったことは間違いないですし、ここ数年のことを考えると、幾分マシな方だったのかもとかも思えたり。

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2018年の目標は、特に無いですけど、まあ変わらずなにごとも『一所懸命』にやるってことですかね〜。あと今年もTシャツとかも作りたいし。実は既に昨日からデザイン考えていて、2型作る予定のうち1型は早くもほぼほぼ出来たので、もう1型のデザインも早めに完成させて早く製品化したいなあとは思ってます。これもなにげにここ数年の個人的なひとつの楽しみだったりもします。まあ相変わらず全然売れてないし売る気も大してないんですけど(苦笑)。そういういわゆるオナニーブランドなので全然いいんですけど。でも今年はもうちょっとは売れそうなデザインにするつもりですけど。多分(笑)。まあ売れる売れないよりも自分が如何に着たいと思うデザインか否かっていうのが最重要ポイントなので、今年も自分がしょっちゅう着たいと思う様なモノを作りたいとは思ってます。

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さて年が明けて店の大掃除も終わり新春ブログも書き終えてようやく1年が始まった感。今年はどんな年になるんでしょうかね~。まあ余りいい予感はしませんけど(苦笑)。今年も大変なことが多々色々待ってるんだろうなあ…とは思いますが、なるべく楽しいことを見出してストレスを溜めない様にして、ちょっとでも楽しく生きていければなあとは思ってます。そして支えてくださっている色んな皆さまへの感謝の念も忘れず。まあ嫌が応にも日々色々考えますよ。考え過ぎて頭おかしくなりそうになることもありますけど。一昨日とかも来月のブッキングがスーパー難航しまくってて若干おかしくなりかけたし(苦笑)。2018年がボクや皆さまにとっていい年であります様に。本年もナガサワブログを懲りずに何卒よろしくお願い申し上げます!

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ちょうど20年前の今頃、1997年7月13日~19日までの6日間、初の海外旅行でニューヨークへ。当時のボクにとってはそれはそれは物凄い衝撃を受けた出来事でした。今回はその時の話しを。が、20年前のことで更には写真も1枚も撮ってないので記憶がかなり曖昧で。当時の持ち帰って現存してる資料などを見てのうろ覚えの記憶ではありますけど。

当時のボクは正直言ってこれっぽっちも海外旅行というモノに一切興味がなくて。勿論お金や時間も必要だし、全く英語も喋れないしで余計に。なので前年ぐらいまでは、いや確か本気で行こうと決めた6月ぐらいまでは、海外に行こう、しかもそんなに好きでもないアメリカ・ニューヨークへ行こうなんて思いもしなかったというか。

そんな当時のボクがなぜ急に一念発起して初の海外旅行でアメリカ・ニューヨークへ行こうと思ったのか?まず第一の要因として、当時付き合ってた彼女が仕事でニューヨークに住んでたんですよ。あ、厳密に言うと1回別れた後に正式には寄りを戻してなかったと思うので、彼氏彼女ではなかったかも知れませんが、まあ奴の荷物はうちに置いてあったり、日本に帰国した時はうちに泊まってたりと、形式上では彼氏彼女ではなかったかも知れませんが、ほぼ付き合ってるのと何ら変わりはない様な関係でした。

その彼女に逢いに行くというのが大きな1つの要因だったのは間違いありません。しかも色々と案内してくれるだろうし、住んでたぐらいだったので最低限の英語も話せるしと、こんなに心強いことはありませんでしたから。あともう1つは、少し前に確かテレビで「せっかく地球に生まれたんだから、国境を越えてみるべきだ。」的な言葉を目にして、それが異様に心に残ったというか。その言葉を目にしてからなぜだか一気に海外というモノに興味を持ち始めたんですよね。
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The Roomのバーチーフ時代、オープン当初の火曜日の毎週レギュラーがCrue-L Recordsの瀧見さんで。当初は”JAZZ CLUB”的なテーマでやっていた1週間の中では、異質とされる向きもあった火曜日の瀧見さんの日が選曲的に1番好みなのもあって「今掛けてるのって誰の何て曲ですか??」とかよく聞くことも多くて、段々と仲良くさせて貰う様になったんですが、そんなとある火曜日の夜に瀧見さんとカウンター越しに喋ってたら、確か海外の話しになってこんな会話になり。

ボク「オレまだ海外旅行って行ったことないんですよねえ。まあ今のところあんまり海外に興味もないのもあるんですけど。」
瀧見さん「え?海外行ったことないの??だったらなるべく早めに行った方がいいよ。おまえみたいな感受性の強い奴は絶対早めに行った方がいいよ。」
ボク「へ~そうなんですか?まあでも休みも取れないし金もないしでなかなか当分難しいでしょうけどね…。」
瀧見さん「金が無いなら借金してでも行った方がいいよ。それぐらい海外行くって価値があることだから。」


みたいなことを言われたことがずーっと心の片隅にあって。まあ元々何でもそうなんですけど、興味の無いことには一切見向きもしない性格なので(笑)、当時はへえ~そうなのかあ~ぐらいな軽い捉え方ではありましたけど。当時のボクって26になったばかりで「今のままじゃダメだ。何かを変えたい。」的な願望が強い時期でしたから、そういう思想とも相まって、上記の昔瀧見さんに言われた言葉が相乗効果となって、海外に行きたい欲に繋がったというのも1つの要因になったかも知れないですね。
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※人生初のパスポート用に撮った証明写真。ほぼ国籍不明…(苦笑)。










日程を見たら7月11日12日に開催した3周年アニバーサリーパーティーの準備もあっただろうし、勿論パスポートもスーツケースも持ってないしで、6月はかなりドタバタだったんじゃないでしょうかねえ。ちなみにチケットは格安航空チケットを当時の格安航空券比較検討雑誌のエイビーロード的なやつを隈無くチェックして1番安い直行便のチケットを買いました。一番安いので確か11万か12万ぐらいでしたかねえ(多分)。
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※月刊ウェブ1997年7月号。裏面には3周年アニバーサリーイベントの告知も。
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※1997年7月11日金曜日。三宿Web3周年アニバーサリーイベントにて。左から仲くん、"渋谷系"というムーブメントを作ったと言われるHMV渋谷店の名物店員だった太田さん、三宿Webの看板スタッフ・マービン、小西さん、チャーベくん。全面改装前の三宿Webブース内にて。昔のDJブースは今のダンスフロア入ってすぐ左角辺りにあったんですよね。いやぁ、今やかなりレアな写真です。









当時は毎日営業してたのもあってあまり休みも取れなかったので、アニバーサリー2DAYSの最終日終わった朝にそのまま寝ないで成田行って11時ぐらいの便に乗ってというかなりの強行日程。昔のWebはそういうお祭りイベントはかなり遅くまでやっていて、その日もボクが最後にDJやって6時半ぐらいまでやってた様な。で、終わって掃除や片付け免除して貰って一旦代官山のアパートに戻ってスーツケース持って恵比寿のウエスティンから出てたリムジンバスで成田へ。

もはや疲労困憊でしたが無事成田へ着いて受付のカウンターにいたらあの"KING OF DIGGIN'"MUROくんの姿が。当時の彼女さんでしょうか?女性と一緒にたまたま同じ飛行機でニューヨークへ行くところでした。多分買い付けとかでしょうかね?MUROくんはその2ヶ月前に出た『Bar-f-out!』という雑誌の”場を作ってる12人”的な特集で、ボクは三宿Webで、MUROくんはSAVAGEで(当時MUROくんが経営していた洋服屋)出ていたので、なんとも縁があるなあ~とは思いましたかねえ。まあ未だにちゃんとした面識は無いので話したことも無いんですけども(笑)。
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※前述のBar-f-out!1997年5月号。ボクやMUROくん以外には、エスカレーターの仲くんや、マニュアルオブエラーズの店長だった水本さん、エンジョイハウスのゴウさんなども。ちなみに後ろに写ってるスタッフは左から、バーチーフだった中川 a.k.a. DJ COMP、初代店長だったマービン、今やトランジットのエガジマサブローと化したエガちゃん。手前はオレなんですが、余りに見苦しいのでモザイクかけてます…。








そんなこんなで14時間後ぐらいに無事ニューヨークへ到着。JFケネディ空港まで彼女が迎えに来てくれて。あんまり憶えてないけどよくすぐ無事に逢えたなあと。だって携帯も無い時代だし、初の海外旅行で英語も喋れないしで、万が一にも逢えなかったら大変なことになってましたよきっと(笑)。で彼女と一緒にイエローキャブに乗ってマンハッタンへ。マンハッタンまでは一律30ドルぐらいの料金だった様な。

マンハッタンへ着いてとりあえずホテル探し。黒人が経営してて如何にも治安の悪そうな一番安いボロいホテルを借りて。彼女も一緒に泊まるってことで探したんですが、確かシングルしか空いてなくてダブルベッドが2つもある無駄にだだっ広い部屋しか無くて、1泊80ドルぐらいだった気が。5泊で400ドル。場所はどこだったかなあ~~~???色々当時持って帰ったレシートとかを色々見たり記憶を辿ってみると、恐らくグリニッジヴィレッジ辺りだったんじゃないかと。

ホテルに荷物置いてまずはその日が日曜日でまだ午前中だったので、近くのだだっ広いガレージでフリーマーケットやってるからって誘われて行って。イマイチ好みのモノがなかったんですが、唯一買ったのが写真のE.T.のTシャツ。10ドルぐらいだった様な。ニューヨークに着いての初めての買い物でした(笑)。その後は何したっけかなあ?確か街に繰り出してショップ回りとか行った様な。
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※絶対まだ持ってるハズ!とわざわざ押し入れ引っ繰り返して見付けました(笑)。大して着なかったので状態も綺麗。ちなみに未だに映画も観たことないんですが(苦笑)。









ちなみに何も考えてなくて余り金も持って行かなかったのであっという間に初日で一気に金が無くなって(笑)。当時は確かクレジットカードも持って無かったし、今みたいにどこでも簡単にATMで金おろせたりもしなかったんですよね。なのでえらい彼女に怒られましたよ(笑)。「えー!それしかお金持って来なかったの??私もお金全然持ってないよ!?もう~~~こんなんじゃどこにも行けないし何も出来ないぢゃん!!」ってなって。ボク自身もせっかくニューヨーク来てテンション上がってんのに、コレはマジで何も出来ないヤバい!ってことになり、苦肉の策で国際電話で実家へ電話して送金して貰うことに。とりあえず帰国したら返すってことで10万だったか20万だったか忘れましたが住友銀行だったかシティーバンクだったかに送金して貰って。当時は送金するのも海外だと結構大変だった気が。色々調べてどうにか翌日には送金されたんで、とりあえずそれでなんとか金無い問題は解決した訳なんですけど。

とりあえず毎日どこかへ連れてって貰いましたかねえ。元々余り観光地とかは興味なかったので、ほぼ洋服屋などのショップとかをリクエストした気が。当時買い漁ってた古着屋とか。でもやっぱり色々連れてって貰いましたけど、どうもアメリカ物の古着は全然興味が持てなくて(っていうかいいと思うモノが余り無くて)、お土産用に買った以外は確かほとんど買い物しませんでしたけど。

あと当時では非常に珍しかった男性物の下着の専門店とかも調べて連れて行って貰って。今時の大多数の男子たちはみんな穿いているであろう、当時まだまだ日本での認知度は極めて低かったボクサーパンツを買いたくて。そこで2,3枚日本では売ってない珍しいボクサーパンツ買いましたかねえ。実は当時ボクサーパンツのコレクターで、イケてるボクサーパンツ買い漁ってた時期だったんですよ。たまたま当時住んでた代官山のアパートの近くに、日本初のメンズ下着専門のショップが出来たこともあって、そこでしょっちゅう買ってました。でもまだ日本ではそこ以外でボクサーパンツが売ってる店は全然ありませんでしたけど。
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※恐らく当時ニューヨーク滞在中に使ってたメトロカード。









ちょうどニューヨーク滞在中に『New York MUSIC FESTIVAL』なるちょっとした回遊フェスみたいなのをやっていて。幾つかライブ観に行ったりしたんですけど、17日の木曜日にUNITED FEATURE ORGANIZATION(U.F.O.)のお三方がDJするっていうので行ってみようってことになり。しかも会場がステイ先のホテルから歩いて20分ぐらいのところで。当時のU.F.O.って人気絶頂の頃で、主催のパーティーの『JAZZIN’』は毎回1,000人近く入ってたと思います。とは言え日本ではそれだけ絶大な人気があっても、ロンドンならまだしもさすがにニューヨークではどうなんだろう…?という不安感は若干あって。しかもど平日の木曜日だし。

会場着いたらもうビックリ。旧西麻布イエローぐらいの箱がパンパンなんですよ。しかもガンガン盛り上がってて。確か協賛でサッポロビールが付いてて、バーではサッポロのビールとかも出してましたかね~。確かまず最初に矢部さんがDJしてて、しかも当時じゃ珍しく日本人アーティストの楽曲オンリーでDJしてました。ニューヨーク仕様なのかもとは思いましたが、日本人のDJが日本人アーティストの楽曲だけを掛けてど平日のニューヨークのクラブでパンパンに入った外国人のお客をがんがん踊らせて盛り上げてるんですから、それはそれはテンション上がりましたし痛快でしたね~。で、ブース横でずっと松浦さんがガンガン踊ってて。ボクはお三方とも面識ありましたし、彼女も松浦さんとは知り合いだったので2人で挨拶しに行こうと思ったんですが、客席からステージまでちょっと距離があって。しかも松浦さんはガンガン踊ってるし(笑)。なので結局挨拶出来ずにその日は帰ったんですけど。ちなみに後日帰国後どこかで松浦さんとお逢いした時にそのことを話したら「えー!あの時居たの??なんだ~だったら声掛けてくれれば良かったのに~」とは言われましたけど(笑)。っていうかほんと物凄い衝撃でしたよ。U.F.O.の凄さをまざまざと再認識したというか。同時に同じ日本人として誇りにさえ感じましたね~。いやあ、ほんとにアレには度肝を抜かれました。
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初の海外・ニューヨーク旅行でとても印象的且つ衝撃を受けたのが、まずマンハッタンに着いてすぐに感じた「街の匂い」でした。ビックリするぐらい街中からいい匂いがするんですよ。乗り物や建物は元よりマンホールからも。日本じゃ絶対に有り得ないというか。逆に帰国して思ったのが「なんて日本て臭いんだろう…」ってこと。雨降って湿気の強い日とかは特に。勿論外国人は日本人の様に毎日お風呂に入ったりしないこともあって、それを隠す為に香水の文化が栄えたという民族性の違いは根底にはあるとは思いますが、それにしてもですよ。そういう意味では五感でいうと1番衝撃を受けたのは嗅覚だったかも知れないですね~。それぐらいのカルチャーショックだったというか。勿論視覚的にも日本には無い建物の造りや、圧倒的な世界の中心都市・ニューヨークという街の雰囲気、言うまでもなく周りはほぼみんな外国人で聞こえてくるのは英語ばかりというのも、実際に体感してみると百分は一見にしかずとはよく言ったモノで、ほんとうに物凄い衝撃でしたけど。

あとニューヨークで感じたのは非常に人に優しい街だなあということ。これは後に行ったロンドンやパリでもそうでしたけど、ショップに入ったらまずお客も店員も笑顔で「ハーイ」から始まって帰る時も笑顔で「センキュー」「シーユー」「バーイ」というのが常識的で。いや、それも非常に衝撃的でしたね~。日本では勿論ショップに入ると店員が「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」などの常套句は言いますが、大抵の場合は真顔で業務的なモノじゃないですか?向こうではそんな感じは全く無いんですよね。通常のナチュラルな挨拶的な感じというか。そしてみんな自然と笑顔だし。いや、ショップ店員のみならず、街行く人がみんなそんな感じですよ。ちょっと目が合ってもスマイル的な。いやもうそのオープンマインドな人種性というものに非常にカルチャーショックを受けました。まあ総じて日本人はシャイですからそういう人種性が至る所に出てるんだとは思うんですけど。でもやっぱり、最初はさすがに戸惑いましたけどそういうのに慣れてしまうととても気持ちのいいもんで。だから帰国直後とかもショップに入ったら思わず癖で笑顔作って「ハーイ」とかやってしまいそうに何度もなって1人焦ったりしましたけど(笑)。あと街中で困ってる人がいたらみんなすぐ助けたり。車いすの人とかがバスに乗ろうとしたらもう誰かれともなくみんなでサポートしてあげたり。でもそれが全く普通の感覚でみんなやってるんですよ。なんかそういうのも多々目にして、ニューヨークって何て人に優しい街なんだ!凄くいい!って思いましたね~。

旅行に行った時期が7月中旬ってのもありましたけど、まあ~なんせ暑かったですね夏のニューヨーク。時折スコールもありましたけどほぼ連日快晴で。しかもビックリするぐらい暑いんですよ。長時間外に居れないぐらい。確か平気で38度ぐらいいってましたかね~。え!?ニューヨークってこんなに暑いの??ってビックリしたぐらい。なのですぐ喉渇くんですよ。外なんか出てたらほんとすぐに。なのでずーっとコーラ飲んでた記憶。当時そんなコーラ好きじゃなかったんですけど、ニューヨーク行ってからコーラ好きになったというか。特にペプシ。当時のニューヨークではコカ・コーラよりペプシの方が確かシェアが高かった様な。ほんとニューヨーク滞在中はしょっちゅうペプシコーラ飲んでました。

ご飯は全然美味しくなかった記憶。SOHOのイタ飯屋とかカフェ飯とかも食ったけど大して美味くなかった印象でしたかね〜。量だけはとんでもなく多かった気がするけど(笑)。ほとんどホテルの近くにあったテイクアウト専門のチャイニーズで適当に何か買ってホテルに持って帰って食ってたかも。リーズナブルで美味かったし、昔からそこまで食に拘ってなかったので。あとデリ(日本でいうところのコンビニみたいな店)で色々買ってましたね〜。ホテルにキッチンも付いてたので、ほうれん草とインスタントの味噌汁(当時日本では既に生味噌インスタントが全盛期でしたが売ってたのは昔の粉のやつでした・笑)買ってほうれん草の味噌汁作って飲んだりした記憶。

あとやっぱクラブ業界に居たもんで、ニューヨークのクラブにも行ってみたくて。前述のU.F.O.がDJしたクラブに行った翌日が金曜日で、日曜朝には帰国のフライトだったので、遊べるとしたらあと金曜夜しか無いってことで彼女の薦めで某クラブへ。名前は忘れましたがロックがガンガン掛かるクラブだった様な気が。ほんとはニューヨークだしハウスのクラブに行きたかったんですけど。でも凄くアヴァンギャルドな洒落たクラブだった記憶。人も凄い入ってましたね〜。ゲイのカップルもいっぱいいたけど(笑)。

ちなみにそのクラブに行く前にバスの中で彼女と大喧嘩して。確かしょーもない理由だったと思いますが、なんかの拍子に彼女が怒り出して。最初はなだめてたんですが、なんか段々ボクもめんどくさくなって「もうオレ1人で行く!」とか言いだして(笑)。でも彼女も「英語も喋れないのに1人で行ける訳ないぢゃん!!しかも地理もわかってないんだから帰れないでしょ!!」とかなって(笑)。で、結局2人で行くことになったんですが。当時はよく2人で出掛けると、彼女がボクの態度とかに急にキレて喧嘩するってことが多かったんですが、まさかニューヨークに来てまで喧嘩するとは思いもしませんでしたけど(苦笑)。
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※当時は勿論のことネットで情報得たりなんてする時代じゃなかったので、有力な情報源はフリーペーパーやフリーマガジンなどで。暇さえあれば隈無くチェックして調べてましたね〜。









ちなみにニューヨークのクラブへ行ってビックリしたのが料金体系でした。当時の日本では2,000円(もしくは2,500円)で2ドリンク(もしくは1ドリンク)的なのがどこのクラブでも主流だったんですが、海外のクラブでは例えば入場料5~10ドルとか(そのクラブは確か7ドルぐらい)で、ドリンクチケットは付かずに飲み物はキャッシュオンっていうシステムがほぼ主流だったんですよ。むしろドリンクチケットが付くというのはまず見掛けないシステムで。それって例えば試しに入ってみたけどイマイチ面白くなかったら他のクラブにしれっと流れやすいシステムというか。なんか凄い合理的且つお客にとっては良心的なシステムだなあ~と思ったんですよね。これは帰国してWebでもいち早く取り入れたい!とは本気で思いましたが、当時人気イベントだった仲くんとチャーベくんがやっていた『ESCAPE』や小西さんがやっていた『PORNO!』は若くてお洒落な女の子が平日にも関わらず毎回200人近く遊びに来てたんですが、なんせ酒飲まなかったんですよ(苦笑)。なのでそのシステムを採用してしまっては、店的に全然売上げが出ないという自体になりかねなかったのもあって、考えに考えた末に採用しなかったんですけど。
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※当時持って帰ったフライヤーやらステッカーやら色々。










前述したクラブへ行った金曜日の昼間は、彼女の薦めでニューヨークでも知る人ぞ知る的なマニアックなストリートへ。確かバワリーストリートの近くだったと思いますが、ショップも数少なく点在してたんですが、どこもイケてるショップばかりで。そのショップの1つで小洒落たバッグを見付けて。当時はまだ恐らく言葉さえもまだ日本に伝わってきてなかった今で言う洒落た"メッセンジャーバッグ"が陳列してあって。彼女曰く「今ニューヨークでオシャレさんはみんなこれ持ってるよ」って言ってて、色んな柄があったんですが、珍しく1個だけモノトーンで無地1色の柄があったので気に入って購入して。価格は200ドルぐらいだったんじゃないでしょうかねえ?そしてそれが数年後日本にも輸入されて爆発的ヒット商品となり、一時は猫も杓子もって感さえあった『FREITAG』ですよ。

恐らくですけど、日本人でコレ最初に使ったの、もしかしてオレじゃないの??とは未だに思ってます(笑)。1番最初じゃなくとも少なくともベスト3には入るでしょ??ってぐらいは確実に思ってます。それぐらい当時は激レアでしたから。当時ファッション誌の類は漏れなく見てましたけど、1度も見たことなかったし。ちなみに数年後爆発的にヒットしてその後もずっと使ってましたが、さすがにヒットし過ぎて後追いに思われるのが嫌で使わなくなったんですけど、使わなくなる直前ぐらいにWebに持って行ってキャッシャーの中の目に付くところに置いてたら、長らくアパレル業界にいる知り合いの子から「えー!あのFREITAGってどうしたんですか!?あのタグってめちゃくちゃ旧式のタグじゃないですか!!てかボク初めて見ましたよ!めちゃくちゃレアですよ!!」って言われたぐらい。
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※今は災害などの非常時用の懐中電灯やら電池やらラジオやらアレやコレやを入れて、なんかあったらサクッと持ち出せる用にうちの玄関の横に置いてます(笑)。








正味6日間のニューヨーク旅行はそんなこんなであっという間に終わり。帰りも空港まで彼女が見送ってくれて。てか6日間ずっと一緒に居てくれて。めちゃくちゃ楽しかったしちょー感謝でしたよ。っていうか彼女が居なかったら間違い無くニューヨークなんて、いや海外旅行なんて行ってなかっただろうし。ニューヨークに行ったからこそ翌年翌々年のロンドンとパリ旅行にも繋がったのは間違いないし。そう考えるともしニューヨークに行ってなかったら、もしかしたら今の今まで1度も海外に行ってない可能性すらあるというか。そう考えたらほんとうに彼女には感謝ですね~。それぐらい掛け替えの無い、一生忘れられない貴重な経験でしたよ、ニューヨーク旅行は。物凄い衝撃とカルチャーショック受けたし。死ぬまでにもう一度ぐらいはニューヨーク行ってみたいなあとは思いますかね〜。アメリカだったらL.Aも1度は行ってみたいですけど。まあでも今となって想えば、ほんとに初めて行った海外旅行がニューヨークで良かったと思いますし、その後のボクの人生に於いて非常に重要且つ貴重な体験だったことは間違いありません。I ♡NY!
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※当時持ち帰って両替せずにずっと持ってたドル紙幣及び硬貨。

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数年前から今にも潰れそうでなかなか潰れない三宿Webも、6月11日を持ちましてお陰様でどうにか無事23周年を迎えました。いやあ、毎回言ってますけどほんと奇跡ですよ。まあ奇跡って言葉簡単に使ってますけど、この奇跡感は恐らく誰にも伝わらないだろうなあ。ほんとそれぐらい細かい部分で奇跡的なことが数珠繋ぎ的に多いというか。いやそういうのが奇跡的に重ならないとあり得ませんもんやっぱ。この前もバーチーフの博之と話してたんですが、オレと博之の2人ともここ10年ぐらいで病欠で店休んだことってほとんど無いんですよ。オレがインフルエンザで致し方なく休んだのが1回ぐらいで。あとは暇な日に体調悪いから早上がりしたってのはお互いに数回あったぐらいで。2人のうちどっちか病気か怪我かしちゃったら、バーテン不足な昨今はクラブ営業はちょっと難しい現状なのに。いやあ、やっぱ東北人の根性はハンパないですよ(2人とも山形出身)。
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そういうのを始めほんと色々と奇跡的なことが多いです。まあとは言えほんとうに沢山の皆様のお陰です。もはやそれ以外にございませんよ。今月のスケジュールなんてほんと凄過ぎだし。大箱で演っててもおかしくないイベントや出演者の方々も多々。三宿のあんな狭い場所で(苦笑)。去年も結構いいブッキング出来た感はありましたけど、それ以上のここ数年の周年記念月間でも一番のラインナップかと。ある意味もはや今月で閉店すんじゃないの!?(笑)ってぐらいの勢いの、初日から最終日まで最高のラインナップですよ。いやもうほんとうにうちみたいな店の為にありがたいの一言です。これもまた奇跡的と言えますね〜。本当にありがとうございます。


※先々週金曜日周年記念月間初日の【ウィークエンダー】から、midnight Camp a.k.a.ナイス橋本 feat. Gimmieのナイスなコラボ曲🎤ナイスくんとジミーちゃんはWebで知り合って意気投合して結構前からから曲作ってたんですが、なかなか完成しなくて。ようやくこのたび初めて人前で披露して。予想通りめっちゃカッコ良かったなあ〜。周年のタイミングで演ってくれたのも嬉しかったなあ。







毎年思うんですが、今となっては自分の誕生日よりも全然嬉しいもんですねえ。もはや我が子の誕生日みたいな感覚でしょうかね〜(子供いませんけど・苦笑)。沢山の色んな人達に「おめでとうございます」って言われるのがほんとうにありがたく思います。まあ中にはお祝いどころか水を差す人もいなくもないですが、最近はあんまりそういうのも気にならなくなってきたというか。昔は結構いちいち悲しくなったり落ち込んだりしてましたけど。いい意味での開き直り感というか。まあ世の中には色んな人がいますから。


※先々週の土曜日の【元・申し訳ないと】での嶋野百恵ちゃんの『恋は流星』🎤







数日間の濃厚なアニバーサリーイベントをやらなくなったのは2009年から。マンスリー化したのは2010年からなんですが、まあなんせ1ヶ月間という長丁場なのもあって、最初の頃とかは全くアニバーサリー感とかも薄くて、当日の出演者の誰からもお祝いの言葉もなくマイクもなくいつも通り淡々と営業終わったとかも結構あってズッコケてた想い出も多々(苦笑)。20周年を機にイベント全ての冠に【MISHUKU GOLDRUSH ○○】という風に付ける様にしたんですが、それだけでだいぶアニバーサリー感が出る様になりましたかねえ。去年から一夜限りのリバイバルイベントを増やしたこともあって更に助長された感はあります。
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※先々週の土曜日の【元・申し訳ないと】にて。DJ GEE a.k.a.浅川さんがボクと自撮りした写真を拝借。元はと言えば三宿Webのオープン当時は、浅川さんが社長を務める"アーティマージュ"が音楽担当のプロデュースだったんですよ。なので超オープン初期からの間柄でもある浅川さんとは、三宿Webの23周年というのは他の誰よりも感慨一塩だったりします。







ちなみに今年はリアルアニバーサリーの6月11日が日曜日だったんですが、また緩くバー営業でもしようかとも考えたんですけど今年は敢えて開催せず。って訳でリアルアニバーサリー前夜がリアルアニバーサリーみたいなモンだった訳なんですが、過去の人気イベント『Two,Three,Breaks!』のリバイバルで。最初はスケジュールの成り行きでたまたま6月10日土曜日になったんですが、リアル23周年前夜に『Two,Three,Breaks!』(23B)の一夜限りの復活って、もう色んな意味で最高でしたね〜。
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23周年と23Bの23繋がり的な意味でも勿論ですが、主催のエイジくんは最近はもうイベントとかはやってはいませんけど、ほんとに三宿Web愛を非常に強く感じる1人で。重要なポイントポイントで未だ顔出したりしてくれるし。今やうちのスタッフでさえ1人として読んでいないこのアホみたいに長文のブログも毎回読んでくれてるし(笑)。いやもう恐らくナガサワブログ以前のホームページでのコラムページ『しゃべるでえしかし!』や『EXPLOSION!』の頃からほぼ毎回欠かさず読んでくれてるんじゃないですかね??(多分)。いやほんとボクにとっては非常に稀少な存在です。
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※これ2003年3月号のマンスリーの表紙の写真なんですが、昔の写真が余りにも稚拙な加工だったので、さっき改めて繊細に加工し直しました(笑)。








しかもちょうど20年前の6月10日もエイジくんDJ演ってたんですよね〜。しかも20年前はスカパラ・谷中さんのサポートで。20周年の時にも書いたかもですが、エイジくんは元々京都に住んでいて、当時スカパラチームがDJツアーとかで関西回る時とかにサポート付いたりしてたんですよ。その縁で最初は冷牟田さんがDJの時にうちにもサポートで来る様になって、初っ端ボクがDJやってて交代する時とかに、ボクが掛けてた曲のこととかで色々話し掛けられたのが切っ掛けで(多分)、その後も会う度に話す様になって徐々に仲良くなった気が。
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※これちょうど20年前の97年6月のマンスリーのスケジュール。当時はDJ KIRINとしてやってました。









これまた20周年の時に書いたかもですが、エイジくんは今の奥さん(スーパー美人)とも一番最初に出逢ったのが三宿Webだったんですよね。それもあって結婚パーティーの司会もボクがやったり(まだまだ司会やりたての頃で今考えると酷い司会振りで未だにたまに思い出して反省且つ凹みますけど・苦笑)。あと一時代を築いた伝説のイベント『申し訳ないと』もうちでレギュラー始まったのは『Two,Three,Breaks!』に宇多丸さんがゲスト出演する時に告知フライヤーに誤って”申し訳ナイト”って入れちゃったのが切っ掛けで急遽ミッツィーさんも宇都宮からDJしに来ることになり、その時に仲良くなったのが切っ掛けで、まさかのレギュラー化に繋がったっていう縁もあったり。その辺の詳しくは非常に読み応えのあるこちら(【第4章】ウッカリ進出? <申し訳ナイト>が遂に東京へ!text by ミッツィー申し訳)で(笑)。
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まあそんな公私共々非常に縁の深いエイジくん主催の『Two,Three,Breaks!』がリアル前夜ってのはほんとに感慨深いというかなんというか。結果ほんとに最高でした。しかしビックリしたのが、当日昔よく出入りしてた人がわんさか来たんですが、みんな全然変わりないというか。あれからもう20年近く経ってるのに(笑)。レッキンクルーのMCのシュンタにそんな話しをバー横でしたら(奴も全然変わってなかったけど)、「いやいや、ナガサワさんが一番変わってないですよ!(笑)」って言われましたけど(苦笑)。いやいやさすがにボクもだいぶ老けましたけどね…。しかしまあ出演者も含め当時の常連チームとかみんな30代後半から40代後半ぐらいまでだと思うんですが、みんな若い若い。見た目もそうだけど感覚が更に。いやでも感覚は前よりもいい意味で円熟味を増してたかも。みんないい味出してましたね〜。


※MASSAN feat.タケウチカズタケくんによる『We Get Up!!』🎤以前ブログでも書いた今年の1月末のリリパ以来のマッサン。早い時間の出演でしたが一瞬にしてマッサンワールドに染めてましたね〜。ほんとマッサンのライブは観出すとずっと観ていたくなるライブ。短い時間でしたけどやっぱ今回も非常に良かったです。







Dさんとかも写真とかで見たら結構老けたなあとかたまに思うことありましたけど、久々に逢ったけど全然老けてなかったし。まあでもDJ演る時に今回初のSERATOでのDJだったんですが、まるで初心者DJの様にあれこれどうすんだろ状態で(笑)。しかもようやくスタンバイ出来たと思ったら今度はヘッドホンから音出ない!ってなって周りは慌ててたんですが、よく見たらヘッドホンのスピーカー側のジャックを自分で足で踏んでて抜けてたっていうオチで(笑)。いやあ〜昔はDJの時もあんだけダンディーでカッコ良かったのに、自分でもマイクで言ってましたけどほんとお爺ちゃんかと思いましたよ(笑)。その後もだらだらとマイクで喋ってたら昔からDさんとは旧知の仲でボクも代官山時代ご近所だった大前さんから「早くやれよ!(笑)」って野次られたり(笑)。いやあ〜トラブルも含めアレはみんな笑ってたしなかなかホッコリしましたけど(笑)。

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※なんと検索したらそのシーンのインスタ動画出てきました(笑)。kuuchoさん勝手に貼っちゃってすみません!🙇


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なんかでも終始みんな笑顔で楽しそうでほんとにいいパーティーでしたね〜。最高にハッピー感あったなあ。まあしかしなんせ23周年に23Bですからね〜当時はこんな日が来るとは誰も夢にも思わなかっただろうし(笑)。いやでも営業最後の方にエイジくんとも話してたんですが、ボク的には20周年もやって貰ったし今回は半ばダメ元のオファーだったんですよ。受けたエイジくん的にも今回は難しいかもなあ〜と思いながらブッキング開始した的な。そしたら予想外にやれることになった的な。そしたらたまたま開催出来そうな日がリアル前夜だった的な。そういうたまたまの偶然が重なった的な。でもなんかそういうのもちょっとした運命というか縁を感じたりもしたりして。いやあ、ほんとに良かったなあ。



※仕事が入っちゃってたので今回は大自然抜きで代わりにDJ大都会(?)とkazukiくんがサポートDJでのトリカブトによる『CHUBBY』🎤バケラッタは久し振りでしたけど、スモーレストやシノはたまにソロで出てくれてるんですが、相変わらず3人ともちょーいい奴ら。久々に大自然とも逢いたかったけど。






ちなみに音止まった後にブース内でDさん・タイチマスター・エイジくんで喋ってたんですが『Two,Three,Breaks!』って来年でちょうど20周年なんですよ。なので来年もやろう!みたいな話しもあって(笑)。しかも更に再来年はうちの25周年なんでそこはやっぱどうしてもまたやって欲しい!って話しもあり(笑)。っていうか『申し訳』同様もはや年一ペースでもいいんじゃないか論まで出る始末(笑)。まあどうなることやら。その前に来年再来年までうちが無事続いてるかどうかが最大の問題ですけども(苦笑)。
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※Dさんがクリスペプラーのモノマネをやってたらしいんだけど全然似てなくて爆笑しているタイチマスターとエイジくん。ナガタツもわろてる(笑)。






まあそんなこんなで最高の形で23周年を迎えた訳なんですけど、表題にも付いてる「そして・・・」なんですが。実は遂に個人的に非常に怖ろしいことが起こってしまったんですよ…。三宿Webが23周年でオレ46歳、そう!なんと遂に人生の半分を三宿Webに費やしてしまったという…。もはや頭おかしいとしか言いようがないですよ…マジで。オレの人生こんな予定じゃ決してなかったのになあ…(遠い目且つ涙目)。いやあ冷静に考えるとマジで怖ろしいわ。若い頃の自分には口が裂けても言えませんよ。夢も希望もあったもんじゃない…。嗚呼、人生とはほんとうにわからないもんです…。おそロシア!
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※月刊ウェブ97年7月号の表紙用に撮った写真。コレ撮ってからちょうど20年経ってしまった…。おそロシア!







いやまあでも、これまたクラブ業界的に言えば世界的に見ても(見る必要もないけど)恐らくこんなことって世界初の快挙(?)だと思うんで(多分)、まあどんなことでも世界初なんてことは早々出来ることじゃないですから、っていう言い訳を自分に言い聞かせてますけど(苦笑)。こうなりゃなんならネタとして何かしらギネスでも申請したろかしら!とかも思ったんですが、ギネスって調べてみると意外と金が掛かるので無駄なことは止めときましたけど(笑)。
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とまあそんな訳で約半分消化した【MISHUKU GOLDRUSH 23】ですがまだまだ続きます。オモロイベントもまだまだ目白押しですので、是非とも今月どれか1日でも遊び来て頂ければ嬉しいです。いやほんとうに色んなことに感謝でございます。あんなへんぴな場所まで遊びに来てくれるお客様を始め、出演者の皆様や関係者の皆様は勿論ですが、新旧歴代のスタッフたちにも多大なる感謝を。正直な話し結局のところオレ1人じゃ何も出来ませんからね。いやあ、しょっちゅう頭に過ぎりますけどほんとうに心から感謝でございます。この感謝の気持ちを胸にあと2週間気合い入れて頑張ります。なので週末頼むし雨降らないで!そして皆さん遊びキテキテ!三宿Web23周年、皆さんのお陰です!いつもほんとうにありがとうございます!
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先週土曜日に開催しました朝本さんを偲ぶ『TRIBUTE TO ASAMOTO』にご来場頂いた皆さま、誠にありがとうございました。お陰でとてもいい夜になったと思います。元々は先月の『朝本さんを送る会』の後に「やっぱ朝本さんを送る会は一般の人も誘って改めて三宿Webでやりたいなあ〜」という想いに駆られ、急遽ダダダと関係者各位の皆様に相談させて頂いたところ、これまたダダダと電撃的に決まって。まあでも急遽決まったとはいえ、朝本さんトリビュートって謳う以上絶対コケれないっていう責任感や使命感は尋常じゃなくありました。そしてパンパンになった三宿Webを朝本さんに見せたいなあという強い想いもありました。

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元々2月2日が散骨式だったので、翌々日だし4日に出来ればタイミング的に1番いいかもとは思ってたんですが、恒例のバレンタインお祭りイベントの予定日だった翌11日も当初候補には入れていて。もし11日の方が出演者の皆さんのご都合がいいのであれば、オープン以来毎年やってるバレンタインイベントでしたが、今年は無しでもいいかなあぐらい思ってました。結局4日にご都合いい人が多かったので、第一候補日でもあった4日を朝本さんトリビュート、11日はバレンタイン企画をやることになったんですけど。

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今回出演して頂いた皆さんは勿論朝本さんと縁の深い方々ばかりでしたが、ほぼ15年~20年ぐらい前にうちでレギュラーでやって頂いてたDJの人がほとんどで(MAGUMIさん以外)。急なお誘いにも関わらずほんとに昔のWebを彷彿させるいいメンバーが揃ったなあ~と思いましたね。強いて言うならあとZEPPETのYANAさんが演ってくれたらもう完璧でしたけど。ちなみに、特に川上さんには朝本さんが事故直後にお会いした際にわざわざ「朝本さんにはほんとに感謝してるんで。なんかあったらいつでも声掛けてください。」的なことを言って頂いていて。なんかスカパラのデビュー当時に川上さんが「まだまだ演奏も未熟なのにこの先ほんとにプロとしてずっとやっていけるんだろうか…?」的に悩んだ時期があったらしいんですよ。その時にたまたま朝本さんにそういう悩みを吐露したら「全然大丈夫だよ~(笑)」的に一笑されたらしいんですが、それでなんか凄く気が楽になって頑張ろうって思えたらしく「いやほんとにあの時にああ言って貰えたのに凄く救われて。」っておっしゃっていて、ボク的にも凄くその話が印象に残ってたんですよ。なので川上さんには今回是非とも出て頂きたいなあとは思ってました。

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あとSILENT POETSの下田さんも亡くなった直後のInstagramで、
「このポスト何度も書き直して、何を書いてもしっくりきませんでした。言いたい事は朝本さんの曲で一番好きなのは”After the Rain”で、この曲が無ければSILENT POETSも無かったかもしれないと言う事。とても影響を受けました。何度聴いた事か、何度DJでプレイした事か…昔、三宿Webで深夜によくお会いしました。あのヘアースタイルと笑顔は忘れません。事故に遭われる少し前にインスタでフォローしていただきとても嬉しく思っていたのに…本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。朝本さんのメロディは永遠です。」
ってコメントされていて非常にグッときていたので、先月の送る会にも来られてたし、下田さんにも是非とも演って頂きたいなあとは思ってました。

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今月の表紙はMAGUMIさんだったんですが、毎回表紙ってある程度ブッキングが終わってからバーッとマンスリースケジュールを見渡して「よし、来月はこの人にお願いしよう!」って諸々の意味合いも含めインスピレーションで決めてるんですが、2月分のブッキングがもう難航しまくってギリギリまで決まらなくて。翌日はもう2月ってとこまできてようやくほぼほぼブッキングが終わったんですが、さて来月の表紙は誰にお願いしよう…?って考えた時に、2月は結構お祭りイベントも多いこともあり珍しく候補も何人かいて、実はギリギリまで違う人にお願いしようと思ってたんですよ。でも直前になって「やっぱ2月と言えば朝本さんの日でしょ!朝本さんの日に出る人にしよう!」と思ってのMAGUMIさんだったんですよ。今まで1度も表紙をやって頂いたこともなかったですし、いずれ機会があったら是非お願いしたいなあと思ってたのもあって。元々MAGUMIさんは朝本さんに紹介して頂いたってのもあったし。でもその翌日夜撮影させて頂いて翌々朝11時までに入稿しないとイベントがある土曜日に間に合わなかったので、それはもうスーパードタバタでしたけど。急遽期限30分前に表紙写真作り直しての差し替えとかもありましたし(大汗)。結果なんとかギリギリ間に合ったから良かったですけど、なんと入稿完了したのが期限の2分前の朝10時58分。もはや『西部警察』大門軍団の時限爆弾処理並みのギリギリっぷりでしたよ(苦笑)。

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当日は記念品として今や朝本さんのアー写か!ってぐらい色んなところで使われている、生前の朝本さんも非常に気に入ってくれていたボクの写真をステッカーにして配って。正直なところ作るかどうかギリギリまで迷ったんですけどね~。故人を偲ぶ会で故人の写真のステッカー配るってどうなの!?的な自問自答もあって。でもうっすら素の笑顔の朝本さんのあの写真観たら、ちょっとなんか幸せな気分になるというか。朝本さん関連のレコードやCDとかに貼るとか考えたらやっぱいいかも!と思って。あと朝本さんだったら絶対「えー!オレのステッカー作るの!?(笑)」って恥ずかしそうにしながらも爆笑して喜んでくれるだろうなあとも想像したんですよね。いや、正直めっちゃ迷ったけどやっぱ作って良かったなあ~と思いますね。みんな凄い喜んでくれてたし。

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2月2日の散骨式は、前述した様に前日から夜通し午前中まで入稿作業してたので、体力的には正直もうヘロッヘロだったんですが、誘って頂いた有り難さを胸に午後から葉山へ。葉山マリーナってなにげに逗子駅から歩いて行けそうな距離だったので(つっても30分ぐらいは掛かりますが)、逗子海岸沿いを歩きながら向かいました。いやあ、ものの10分ぐらいしか居れませんでしたけど今年初逗子海岸最高でしたね〜。

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葉山マリーナから小さい船を借りてのクルージングだったんですが、もうほんとに天気も良くて最高過ぎて。人生初のクルージングってこともあるわ大好きな葉山から出発だわ相模湾だわ景色ちょー綺麗だわでもうテンション上がりまくってずっと写真撮りながら船上で飲んでたんですが「いやあ~マジで天気いいなあ!もう~~~朝本さんも来れば良かったのに~(笑)」とか言ってバカ話したりして。富士山は見えるしサンセットは綺麗だし大して寒さも感じなかったしで、ほんと天気良くてラッキーだったなあ~とは思ってましたが、添乗員さんも言ってましたが実際ほんと珍しいぐらい最高の天候だったらしいです(余りに綺麗過ぎて添乗員さんも個人的にわざわざ景観の写メ撮ってたぐらい)。いやあマジで最高でした。まあ朝本さんの散骨式ってのもあったし、間違い無く一生忘れられない想い出になりましたよ。まあでも、ただでさえ大好きな鎌倉・逗子・葉山辺りに対する想いが更に強くなっちゃったけど(苦笑)。お誘い頂いた由美さんほんとにありがとう!

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先月にあった『朝本さんを送る会』同様、当日は朝本さんの想い出の写真を店内中に貼ろうと画策してたんですが、まあなんせお付き合いの年月が長いのもあって大量の写真の中から朝本さんが写ってる写真を探すのがなかなかのひと苦労で。とりあえずどうにか大量にあるデジタル以降の写真は先週のうちに抜き出しておいたんですが、これまた大量にある紙の写真からの抜き出しがなかなかやる暇がなくて。先週は入稿前の時期とも重なって、しかもブッキングの方が難航しまくってたのもあって(他のイベントですが)、もう頭を抱えまくってたので正直写真の抜き出し作業をやってる余裕もなく、しかも仮に抜き出し終わっても、それをスキャンして取り込んで更にプリントアウトするのがなにげにめちゃくちゃ時間が掛かるので、どう考えても現実的に難しい状況だったので、これはもう機転を利かしてスライドショー形式のDVDを製作しよう!ってことにしたんですよ。それならどうにか間に合うかもと思って。あとイベント当日は仕切りの壁外しちゃうから貼る場所も少ないし暗いと見にくいしで、むしろ一石二鳥かもとも思い。

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金曜営業後の土曜の朝帰宅後に2時間ぐらいやって午後一で起きてまたやってと、ようやく朝本さんが写ってる写真全部を抜き出し終えてスキャンして取り込み作業が終わりスライドショーの製作に移った訳なんですが、スライドショーのDVDなんて6年ぐらい前に結婚パーティーの司会やった時に急遽作った以来で、全然やり方とか覚えてなくて。せっかく作ったのに操作間違えてて5、6回ぐらい失敗して1からやり直しとかを経て、どうにかこうにかようやく完成してあとは焼くだけの状況まで来たんですが、ここからが悪夢の始まりだったというか。

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なんか焼いてる途中にどうしても固まっちゃうんですよ。しかも同じ所じゃなくて毎回違うところで。メディアを変えたり再起動したり色んな手法でやってみたものの全然ダメで。当日は早めに行って色々と多々準備もあったので、オープンの2時間前ぐらいには店行くつもりだったんですよ。それがそのDVDが焼けない問題がずっと続いて、気が付けばもう通常の出勤時間のオープン1時間前とかになっていて。「えー!でもここまで頑張ったのにまさかのお蔵入り!?ウソやろ~~!!(涙)」状態でしたが、ただでさえ店行っても色々やることあるのにこれ以上はもう粘れないと思い、気持ちを切り替えて致し方なく泣く泣く出勤準備をしたんですよ。

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でもやっぱ、睡眠時間削ってまでもここまで頑張ってきて映像流せないなんてどうしても諦め切れなかったので、再度集中して色々設定を変えたり無駄なチェック項目外したりして最後にもう一回だけチャレンジしたんですよ。そしたらなんと!!最後まで固まらずに焼けて!!!マジで奇跡だと想いましたよ!(笑)。いやあ~コレ絶対朝本さんが助けてくれたでしょ!!!とか想いながらも焼けたDVDと大量の荷物を持って大急ぎで出勤したんですけど、とりあえずマジで眠気吹っ飛びましたね~。正直疲労と眠さと絶望感で今にも倒れそうでしたけど(笑)。マジであの時ばかりはほんと奇跡だと思いましたよ。

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イベント自体は最初の方は予想外に結構人もまばらで内心かなり不安でしたが、1時過ぎたぐらいからだいぶ入ってきていい感じに混んできて。まあ激混みのパンパンまではいきませんでしたが、でもある意味丁度いいぐらいの混み具合じゃなかったでしょうか?個人的には昔の常連チームがアポ無しで多数遊びに来てくれたのは嬉しかったですね~。特にお誘いもしてなかっただけに余計に。けいこちゃん・国玉・尚哉他多数。ほんと”昔のWeb”っぽさを非常に助長してくれたというか。あともうオープン当初からの長い付き合いのDJのエイジくんや小原くんが来てくれたのもなにげに嬉しかったなあ。やっぱこの2人はほんと昔からココぞ!っていう時には顔を出してくれて、やっぱ生粋の三宿Webファミリーだなあ~と再確認したというか。終始ドタバタで全然接客出来ませんでしたけど、他にも多々色んな人が来てくれて、いやあほんとに嬉しかったです。あと前述の奇跡的に焼けた『懐かしの朝本さんスライドショーDVD』もずっと流してたんですけど、みんな興味深く談笑しながら見入ってくれて、いやあ〜やっぱ苦労して作って良かったなあ〜とか、それ以前にほんと最後の最後で焼けて良かった〜〜〜と思いましたよ(泣)。

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営業中はもう自分の分身あと2人欲しい!って思うぐらい、あれもこれもそれもやらないといけなくてスーパードタバタで、本来なら敢えてしんみりした空気にしたくなかったので、ちょくちょくマイクでMC入れて盛り上げようと思ってたんですがもうそれどころの余裕もなく…。やっぱ今回みたいな自分企画のお祭りイベントだと、バーテン1人じゃなかなか厳しいですね…。他に色々とやることあるのにバーテンやったりバーのサポートとかもしないといけない状況ってのはなかなかしんどかったです…。特にバーテンの子を休憩回す間とかは1人でバーに立たなければいけなくて、その時間はもう何も出来ない状態になるというか。やれ機材の調子がおかしいからブースに行かないと!とか、DJの人が帰るから精算しないと!とか、急な何かがあってもバーから一切離れられないので全く何も出来ないんですよね。久々に頭が追い付かないぐらいテンパりましたよ。マジで分身2人とは言わないまでも、最低限もう1人ぐらいは欲しいって思いながら働いてましたね…。ちなみに今週も明後日また自分企画のお祭りイベントがあるんですが、今週はライブも3本あるし(ライブ時は基本PAで付いてる)、また絶対アレもコレもでテンパりそうで今から戦々恐々です…。

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まあ営業前も営業後もそんなスーパードタバタ喜劇だったこともあり、翌日は心身共に超絶グッタリしてたんですが、イベントに来られた朝本さんファンの方からメールが来てて。ぶっちゃけ最初は「え!もしや苦情メールだったらどうしよ…」と思って内心ビビったんですが、恐る恐る読んでみるとそれはそれはもうこれ以上ないぐらい有り難くも嬉しい内容のメールで。すみません了承得てないんですが(汗)、せっかくなので掲載させて頂きますね。

「朝本さん関連のwebでのイベントは今回が最後、ということでしたので、今後2度とクラブなど大音量で聴くことができない、と思い23時半ころからラストまで堪能させていただきました。長澤さんの、100%朝本さん音源djは本当に素晴らしかったです。ジャンル幅が広くて繋ぐのが難しいと仰っていましたが、選曲、曲順、繋ぎ方も完璧だったように思います。何度も泣いてしまいました。低料金のうえに準備も大変だったことと拝察致します。本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。」



「ナガサワさんへ。土曜日の朝本さんトリビュートにお邪魔させていただいた者です。朝本さんの音楽がとても好きで聴いていました。事故からというもの、詳細がなかなか出ない中、ツイッターで検索するとよくナガサワさんのツイートがHITして、少し状況を知ることができていました。何もわからないでいる中でいつもありがたく読ませていただいていました。先日、レッドシューズでお別れ会があったというのを知りましたが、多分あれは奥様へ直接メールをくださいとFBに書かれていたものなのだろうと想像していて、さすがにそこまではできずに、あぁお別れ会も終わってしまったんだなぁと寂しく思っていました。そこに、三宿での企画があると知り、初めてですがお店に行かせていただきました。ちょっとドキドキしましたが、入ってしまうとそれぞれ自由に楽しんでいる様子で私も楽しみました。カシスオレンジがすごくおいしかったです!あとおにぎりも頂きました。めちゃくちゃおいしかったです。DJ聴きながらおにぎりは初でした(笑)。朝本さんの曲で盛り上がるという事が初めてだったので、感動して少し泣きました。最後のナガサワさんのDJ、愛があふれていて嬉しすぎました。照明を消した場面がもう、なんて言っていいのかわからず、ちょっと寂しさと今日のイベントが終わるなぁとか頭が混乱して、なぜか帰り支度をしてみたりと、もっと浸れば良かったのに・・と反省してみたりしました。思いがとても伝わってきて、どうしようもなかったのかも知れないです。終わってお店を出て、駅までの帰り道に号泣しました。寂しいというのもそうなんですが、朝本さんを好きな人が他にもいて、こうやって一緒に楽しめたという気持ちでよくわからないけど泣けてしまいました。本当に開催していただけて良かったです。本当に、ありがとうございました!」


いやもうね、尋常じゃなかった労力が報われた想いでしたよ。ほんとに心から有り難い2通のメールでした。まあぶっちゃけ言うとDJの方は、個人的には完全にぶっつけ本番で行き当たりばったりな感じで、最低限の繋ぎは出来てたかも知れませんが、DJ的にいうと「この曲とこの曲繋ぐんだったらここが1番気持ちいいポイント」的なのは多々ミスりまくりましたし、グルーヴ的にももうちょっといい感じでやれたかとは思うんですけどね。まあ当初は30分の予定だったし(結果的には1時間ちょいやりましたが汗)、何度も朝本さんMIXはやってるので30分ぐらいならどうにかなるでしょ~ぐらい思ってたんですけど。っていうかDJの仕込みする時間が全く無かったというのが正直なところだったんですが。まあでも上記の様にそういう風に受け取って貰えたのなら、個人的な反省点とかは抜きにほんとうに良かったと思いますけど。わざわざメールをくださったお2人の方々、ほんとうにありがとうございました。むしろボクの方がお2人のメールに感動しましたよ。

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あ、あとDJの時に1番印象的だったのがこの曲掛けて大盛り上がりだった時ですかね〜。グルーヴ的にはなかなか繋いで掛けれないので敢えて1度止めてMC入れてからドーンとぶっ込んだんですが、それまでまばらだったフロアにみんな集まってきて、やっぱみんなこの曲好きなんだなあ〜!と改めて想ったというか。ちなみに朝本さんがよくカラオケで歌ってたナンバーでもあります(笑)。昔、朝本さんとカラオケ行った時によくこの曲を歌ってて「え!朝本さんイエモンすか!?」ってビックリして聞いたら「これオレがプロデュースしたんだよね〜(笑)」って言ってて当時はとてもビックリしました。ちなみにこの曲、THE YELLOW MONKEYが2013年に発売したベストアルバムに収録する曲のファン投票で約2万5000票に及ぶ中、栄えある1位を獲得。朝本さんらしいナイスアレンジ。今やボクのカラオケのレパートリー曲でもあります(笑)。











という訳でとりあえず大成功に終わってほんとに安堵というか肩の荷が降りたというか。でも突発的に思い付きで急遽開催した訳ですけど、終わってみればほんとやって良かったと思いますし、やれて良かったなあと思いますね〜。無論今回出演して頂いた素晴らしいDJ陣の皆様のお陰以外にないんですが。いやでもほんと、出演して頂いた皆様には心から感謝してます。ど頭とかケツに演ってくれた真介くんや服部くんやCOMPにも、凄く朝本さんに対しての感謝や愛を感じて、個人的には凄く誘って良かったなあ〜と想ったというか。出演してくれた皆さんにはほんとに感謝ですよ。間違い無く朝本さんも同じこと想ってるハズだし。まあそんな恐らく今後も記憶に残るであろう素晴らしい夜でした。朝本さんが当日降りてきてたかは忙し過ぎて考える暇もありませんでしたけど、やっぱ絶対覗きに降りてきてたとは思いますね~。きっと朝本さんも喜んでくれてたんじゃないかなあとも思ってます。もうそれだけで本望ですよ。朝本さんにはもう本当に多大なるご恩を頂きましたけど、今回ほんのちょっとだけ返せたかなあとも思ったり。まあほんのちょっとですけどね。

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個人的には、朝本さん関係のイベントは今回が最後かなあという感はありますが、周りからは「またやろう!」とか「毎年やろう!」とか言われてもいます(苦笑)。まあ機運とタイミング次第でしょうかねえ。あとやるのは簡単ですけど、やるからにはやっぱ今回ぐらい沢山お客さんに来て頂きたいし盛り上げたいというのもあるし。出演して頂く方々のご都合もあるし。そういうのが諸々タイミング合って自然と機運も高まったらまたやりたいなあとは思いますけど。

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だいぶ話は逸れるんですけど、未だにたまに想い出して1人でにやけちゃうことがあるんですが、ちょうど20年前の1997年5月から朝本さんと吉沢(dynamite.jp)を組ませて金曜帯(毎週)でやって貰うことになって。色々考えた挙げ句『REAL10%』ってタイトルで。そのイベントの初回時にキャッシャーで朝本さんに「ナガサワくんさあ~またシュールなタイトル考えたよね~!REAL10%って10%の真実ってことでしょ?90%は嘘っていう。いやあ~なんか深いよね~!如何にもナガサワくんらしいシュールなタイトルだなあって思ったよ~」って言われてオレがすかさず「あ、朝本さん違うんですよ。いや、朝本さんと吉沢の共通点をオレなりにめちゃくちゃ考えたんですけど、あ!2人とも天パ(天然パーマ)だ!と思って。REAL10%って「実は天パ」って意味なんですよ!(笑)」って言ったらもうキャッシャーの辺りを転げ回りそうな勢いで目えひんむいて大爆笑して!(笑)。「えー!!いやオレ凄いシュールなタイトルだと思ってナガサワくん流石だなあ~!って思ってたのに実は天パって意味なの!!(笑)。ちょっと!!(笑)」って。いや今考えるとオレはなんて大失礼なことをしたんだ!と反省するんですが(苦笑)、でも朝本さんの人柄を非常によく表すエピソードというか。だってヘタしたら「おまえふざけんな!!」って怒り出す人とか絶対いてもおかしくないですもん。しかも当時の朝本さんなんて『情熱』の大ヒット直後で稀代の名プロデューサーとして名を馳せまくってた時期だし。怒るどころかむしろ大喜びで大爆笑してましたからね(笑)。いやでもほんと、そういう非常にシャレが利くというか、わかる人だったんですよね~。

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あともう1つ余談を。朝本さんが事故直後でまだ公になってない時期に、余りのショックにちょっと頭おかしくなりそうになって半ば引き籠もってた時期があったんですが、その時たまたま観た『ツナグ』っていう邦画があって。生きている者がもう一度だけ会いたいと強く願うと、既に亡くなってしまった者との再会の機会を設けることができる、"ツナグ"と呼ばれる使者の見習いをする高校生の物語なんですが、それ観てボロボロ泣きながら「オレも朝本さんともう1回だけでいいから再会したい!」って思ったんですが(まあまだ事故直後で朝本さん自体は生きてはいましたけども汗)、未だたまにその映画のこと想い出して「なんとかもう1回だけ逢わせてくれんかしら…?」って思ったりもします(苦笑)。ちなみにその映画観ててビックリしたのが、最後の方のシーンで朝本さんとよく行ってた葉山・一色海岸の丘の上のシーンが出てくるんですよ!マジで一瞬鳥肌立ったぐらいビックリしました。

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個人的には、ある意味朝本さん関連の最後の大きなイベント(行事)だった様な気もしますし、それがようやく終わって、2014年9月から延々と続いてきた朝本さん物語もひとまず1つの区切りがついた様な気もしないでもないんですが、まあでもそういうイベントや行事ごとは終わりましたが、これからも死ぬまで朝本さんのことは想い続けますけどね。毎年夏には葉山にも行くし。それ以外にもたまに逗子にも行くし。てかいつの日かその周辺に住もうと思ってるし。朝本さんの音楽聴いたら瞬時に感情移入しちゃうし。いやあでもやっぱほんと、しつこいですけどもう1回だけでいいから朝本さんと喋りたかったなあ。朝本さん、とりあえず葉山の海で安らかに。いつかまた何処かで逢いましょうね!

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昨日は17時からiLLCHANTiのチェック中村の結婚Pだったんですが(これはコレでちょーハッピーだったし非常に感慨深いモノもあったけど)、前日にマッサンから「急で申し訳ないですが明日リリパなんで良かったら是非!」っていう連絡を頂き、時間帯も結婚P終わった後に渋谷→青山だしギリギリ行ける!と思って「伺います!」と返信したんですが、これはもうね、Facebookでの長文では絶対書き足りない!むしろブログで書かないとダメでしょ!ってぐらいの感銘を受けての緊急投稿。ここ数年観たライブで一番感動した!マジで!

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直前にマッサンがSNSでワンマンに対しての自曲の告知的コメントで、リリースしたアルバムの1曲に対してのコメントをブログに書いていて。Facebookではタグ付けされてたので内心「え!なんだろ!?」って思ってそのブログ見てみたらいきなりオレの写真出てきてビックリしたんですが、ほんとに有り難い様な嬉しい文章で。そんなこともあり、内心行きたいなあと思ってたし凄く嬉しいお誘いではあったんですよ。

前述の結婚Pが19時半過ぎに終わって急いでタクシーで青山CAYへ向かったら、ちょうど2部制の2部が始まった直後で。会場はテーブルに着席して観るスタイルでしたが満卓でした。一番聞きたかった、ブログでも書いてくれてた『Close My Eyes』の始まる前で。絶対この曲は聴きたい!と思ってたから良かった〜という安堵感から、やっぱ曲調も相まって即座に感極まってしまって。










オレ実は22、3の頃は容赦の無い大人にしょっちゅう人前で泣かされてたりしたんですが、ある日唐突に「男たるモノよっぽどのことがあっても人前で泣いたらあかん!」と決意して、その日以来どんな悲しいことがあってもどんな感動的なことがあっても人前では泣かなくなったんですよ。もうどんな状況でもグッと堪える様にして。元々人一倍涙脆いとこあったんですけど。あ、ぶっちゃけ三宿Web10周年アニバーサリー終了直後の終礼(いわゆる反省会)ではもう感極まり過ぎて我慢しきれずスタッフの前で号泣してしまいましたが)。

もうね、珍しく終始涙脆かったんですけど、マッサンが初のレギュラーを演った『Two,Three,Breakes』という三宿Webでのパーティーの主催のエイジくんと一緒のユニット「World Supreme Funky Fellows 2102」で当時一緒に演ってたヴォーカルのテツヤくんと久し振りに逢ってずっと昔話に花を咲かせてたんですけど、マッサンが気の利いたMCで会場全体が爆笑になってる時も、もう1人で涙を堪えるのがほんとに大変で大変で。いやぶっちゃけ言うけどちょっと何度か我慢し切れず泣いちゃったわ(笑)。もうほんとに感情を抑えるのに大変でした。ふとした瞬間にちょろっと見たら後ろにいたテツヤくんも泣いてましたね。いやそら昔から知ってる身としたら感情移入がハンパじゃないからそら涙も自然に出ますよ。

マッサンは元々ブログでも書いてくれてますけど更に詳しく言うと(間違ってたらすみません)、元々は青森出身で東北のとある大会で優勝して(準優勝はGAGLE)、鳴り物入りして上京した訳ですよ。でも準優勝したGAGLEは評価されてる一方でマッサンはイマイチ評価が低くて。やっぱ20歳そこらでそんな大会で優勝して、実際実力もあったらそれ相当の自信もあっての上京だったと思うんですよ。でも実際は想像してた以上に東京というレベルは高くて。

意気揚々と上京してきたもののニッチモサッチもいかず、それはそれはもう心折れ掛けてたと思いますよ(本人も言ってますけど)。だってまだまだ若輩者だったと思いますし、そんな東北の大会で優勝しちゃうぐらいだし、それまでそこまでの挫折感ってもしかしたら感じたこともなかったかも知れないですし。

そんな「なんか東京では思ってたよりも全然鳴かず飛ばずだしもう田舎帰ろうかな…でも意気揚々として上京したのにこんなすぐに田舎に帰りずらいな…」と悶々とした折り、当時Mummy-Dがやってたパーティー(前述した『Two,Three,Breakes』)がうちの第2水曜日にやっていて、そこにちょっと遊びに行こうと思ったらしいんですよ。でも当時の三宿なんてなっかなかのどインディー地域で。案の定場所がわからなくて迷いまくってたらしいんですが「三宿Webっていうクラブ知らないですか?」ってたまたま聞いた相手が、実は当時のオレの非常に親しい女の子で。ぶっちゃけ言うと付き合ってはなかったけど当時ほぼ付き合ってる様なぐらいの親密な感じの女の子だったんですよ(だいぶぶっちゃけたけど)。今考えると奇跡的な確率ですよ。そらもう彼女は「知ってるもなにも!」ぐらいの勢いでマッサンをWebに連れてきて即紹介されて。「え!?ラップやってるの??」ってことで主催のエイジくんに紹介して。エイジ君も非常にフランクな人なので、確かその時マッサンにデモテープ貰って直後からレギュラー出演することになった流れだったかと。

当時のマッサンは、やっぱ東北のそういう大会で優勝するぐらいのズバ抜けたポテンシャルはあったとは思うんですが、正直言って上手いけどそこまでの個性を感じられないなあ…っていうのが率直な感想だったんですよ。同じく準優勝したGAGLEは、所属してるJAZZY SPORTと当時のうちとの関係もあって実はデビュー前(直後?)のインタビュー撮影とかもうちでやったりしたんですけど、やっぱちょっと誰っぽくもない独特の個性を感じていて。もしかしたらラップ自体はマッサンの方が上手かったのかも知れないど、個性的には圧倒的にGAGLEのハンガーくんの方が上かもなあという印象ではありました。

でもそういう厳しい状況の中、最初はいわゆるHIP HOPのトラックでラップするっていう手法から、トラック+生サックスにラップを乗せるっていう手法を経由して、紆余曲折して今の生バンド+歌とラップを混ぜた様な独自の形態に至ったというか。リリックもライムもフロウも当初とは比べ物にならないぐらいちょースキルアップしてるし歌もめっちゃ上手いしオリジナリティーだし。いや、1回観たら聴いたら絶対インプットされるでしょ!っていうぐらいのインパクトを感じると思いますよ。でもそれって本人的にはもう尋常じゃないぐらいの努力や思考の賜物だったとは思います。やっぱね、人と違ったことをするってのは正直簡単だと思うんですよ。でもそこに如何に説得力や個性を体現するっていうのが非常に大変な作業だったりして。それを構築するってのは想像してるよりも凄く大変だったろうなあと思うんですよね。

相方のバシリーくんとの出逢いも非常に大きかったと思いますね〜。3年前にうちの20周年記念で前述した今や伝説のイベント『Two,Three,Breakes』のリバイバルをやって、その一環でマッサンにも演って貰ったんですが、初めてバシリーくんとのデュオを観たんですが、もうほんとにビックリしましたよ。え!?マッサンいつの間にか今こんな感じなの!?なんか凄いいいじゃん!って素直に思ったというか。出音もちょー良かったし。出たばかりの音源のタイトルじゃないけどほんとに2人の『阿吽』を感じましたよ。今回は更に感じましたけど。

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なんかもうねえ、CAYに居た時間の8割方ぐらい泣くの我慢してたかも。っていうかもう終わった後マッサンと喋ってたら堪えきれず涙が止まりませんでしたよ。っていうかコレ書いてる今も号泣しながら書いてるし(笑)。それぐらいの感動を貰いましたよ。ここ数年観たライブで一番感動した。マジで。正直達郎先生のライブより感動したかも。勿論そういう個人的な長年の積年の関係性とかもあるとは思うけど、オレ正直言ってそれぐらいの関係性じゃここまで感動しないから、マジで。お世辞とか言うの大嫌いだし。なんかもうそれ以上のモノを与えられたというか。

ライブで感動するとかって誰しもあるとは思うんですが、それってやっぱ好きな曲でとかヒット曲でとか思い入れの強い曲で、とかがほとんどだと思うんですよ。全くインプットされてない初見の曲でそういうモノを感じるってほんとに本物だと思うんですよね。でもそんなのってなかなか無いじゃないですか?マッサンとバシリーくんのライブには正にそれを感じるというか。勿論オレは事前に音源頂いてたし、予備知識もあったはあったんですが、全体的にはめちゃめちゃ泣きのメロディーって訳でも無いし、どちらかというと"淡々としてるけどカッコいい音楽"的な部類に入ると思うんですけど(前述の『Close My Eyes』は非常にメロディの強い曲ですが)、それ以上にグングン感じるモノがあるというか。恐らく全然存在自体知らない人でも、絶対何かしら感じるモノがあると思うんですよ。それぐらいの”ソウル”を感じるし、いやもうオレ的には”ブルース”を感じる。もうほんとにね、心に響く音楽って正にコレだ!って思いましたよ。

実際売れてない(評価もされてない)時代に早くに結婚してしまって子供も出来て、ましてやそこそこいい年齢でって、それはもう周りの色んなプレッシャーや自問自答も相当なモンだったと思いますよ。やっぱ家族の為に大好きな音楽もやめなきゃいけないのかな…っていう部分も多々あっただろうし。そんなのみんなそうだと思うし。そんな状況の中支え続けた奥さんにもちょーリスペクトだし、もうね、そんなん全部考えたらそらもう涙腺崩壊しますよ。マジで今も大号泣してるし(笑)。

やっぱね、一番底を見た男が、長い年月を経て沢山の人に感動を与えたり評価されたりするっていうのは、もうほんとになによりもとてつもなく感動的ですよ。なんせノンフィクションですから。マッサン自体はどっちかというと天然なタイプだし(笑)、非常にマイペースな方だと思うし(見せてるだけかも知れないけど)、そういう暗い部分は一切見せないタイプだけど、だから余計にもうね、そういうを引っくるめてめっちゃくちゃグッとくるというか。しかもそれに、たまたまかも知れないけどちょっとでも自分が関われたっていうのがもう更に感情移入してしまう要因というか。もうマジで感動した。ここ最近でここまで感動して大号泣したのって記憶にないぐらい(現場ではだいぶ我慢したけど)。

マッサンにはもっともっと色んな人に認知して貰って名実共に売れて貰いたいという反面、これ以上ポピュラリティーに特化せず、わかる人だけに凄く響く音楽を続けていって欲しいなあという気持ちもあります。とは言えある程度セールスに繋がらないと音楽だけでは食ってはいけないだろうし、家族も養っていけないとは思うので難しいところだとは思いますが。

ああ、もうね、これ書いてる間ずっと号泣してますよ。なんでこんな泣いてんだろ?オレ(笑)。でもなんか上京した当時の自分に重ね合わせてる部分も若干あるかも。オレなんて何の自信もなくコネもなく知り合いも1人も無く全く0の状態で上京してきて、話す相手も1年半ぐらいは誰1人もいなくて、猛烈な孤独感に何度も押し潰されそうになって頭おかしくなりかけたことも多々あったし、マッサンと同じく上京して数ヶ月でもう絶望感の余り田舎帰ろうとも思ったけど、どうにか歯を食いしばって色んなことにひたすら耐えてきて今があるといういうか。だから人一倍感情移入しちゃうのかも。いや、言うのは簡単だけど、それはそれはほんとに物凄い忍耐力だし、言葉では言い難い辛い思いもあったハズだし。オレも元々は東北出身だし、そういう意味で東北の人間特有の"我慢強さ"や"忍耐強さ"みたいなのは共感する部分もなにげにあるのかも。やっぱねえ、みんながみんなそうじゃないとは思うけど、東北人の根性や忍耐力って、やっぱハンパじゃないですよ。

いやもう最近も体調は悪いし色んな事が大変なことばっかりで、今年も大変な年になりそうだな…って思ってた矢先の一服の清涼剤というか。マジで凄い癒されましたよ。マッサン自体はいつも通り飄々としてたけども(笑)。いやあ〜マジで凄い良かったわ。凄いパワー貰った。今後もマッサン応援したい。微力だけど。てか一生応援するわ。あ、まかり間違って「なんかマッサン知らぬ間にカッコ悪くなったな…」って思ったらしれっとフェードアウトするかも知れないけど(笑)。その辺はシビアにジャッジするけども(笑)。まあ奴のポテンシャルや性分からしてまず無いとは思いますけどね。

嗚呼、久々に思いの丈をダダダと書き殴った感。でも興味持った人は是非1度聴いて欲しいなあ。でも音源よりもライブの方が何倍もいい。ほんとにちょー実感した。まあ相方のバシリーくん始め、昨夜のバンドのグルーヴ感が非常に素晴らしく良かったのもあるだろうけど。ライブ観て毎回思うけど、ずっとこのまま観て聞いていたいって思うライブというか。マッサンの歌や声と、音数が少なくタイトでグルーヴィーな演奏とのハーモニーが、聞いていて非常に耳障りがいいというか心地いいというか。あとマッサンが歌ってるところも凄い気持ち入ってて観ててグッとくるし。ほんとうに"気持ちがいい"ライブなんですよ。

なので音源聴いてみて「あ、好きかも」ってちょっとでも思った人は是非1度ライブへ行って生で聴いて欲しいですね。ぜっっったい的に更に好きになること必至ですよ。これほぼ間違い無く。マッサンってなにげにめっっっちゃフリースタイルも素晴らしく上手いしMCもオモロいし。まあフリースタイルばっちり決まって拍手喝采されてる時も、面白いMCで場内が笑ってる時も、オレは終始号泣我慢してたけども(笑)。

いやあ、マジで昨夜はいい夜だったな…。何も無ければ絶対悶々と家で色々と頭抱えてたハズだったけど。冒頭のチェ中の結婚Pも素晴らしく非常に良かったけど、誘ってくれたマッサンにほんとにちょー感謝。いやあ、正直言ってあの場に居なかった人にはどんだけ熱く語っても絶対なかなか伝わらないとは思うけど、マジで凄い感動した。まあオレが緊急にこんな長文ブログ書くぐらいだから相当なモンだと思って貰って結構です(笑)。このブログのサブタイトル『この熱い魂を伝えたいんや』とは正に今回のブログですよ。衝動的に書いたとは言え何度か誤字脱字ないかチェックはしたんですが、その度に『Close My Eyes』聴いて思わず大号泣してるっていうね(笑)。またナガサワさん涙脆いなあ〜って思ってるかも知れないですが、言っとくけどそうそうないからねこんなこと!マジで!とだけ最後に言っときます。

いい曲、いい音楽は洋邦問わず沢山あると思いますけど、心の深い奥底の芯に響く音楽ってそうそう無いと思うんですよね。まあ個人的主観ですが。ダメだマジで今後この曲聴いたら瞬時に泣いてしまうかも。それぐらい聴くだけで涙ボロボロ出てくる。まあこんだけ熱く語っても響かない人には響かないとは思うけど。でもほんと1回生でライブ観て欲しいなあ。それでも何も感じなかったらこのブログ今後一切読まなくてもいいしオレのこと嘘付き呼ばわりしてもいいわ(笑)。マジでそのぐらい大プッシュ。いやあMASSAN×BASHIRY、ほんとに最高だ!!


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今更ですが新年あけましておめでとうございます。気が付けば昨年3月以来の更新。しかも昨年は結局3回しか更新してない。何度か書こうとは思ったんですけどねえ…。正直なところ、いまいちブログを書く気分になれなかった1年だったでしょうか、2016年という年は。

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オレの星って2016年は大凶だったらしいんですよ。意外とそういうの気にしちゃうタイプで。元々色々と状況的に大変なことばっかでしたし、年齢的にもいつ何が起こっても全く不思議ではなかったのもあって、去年はほんとにどんな災いが起こるんだろう…?って年明けてからずっと戦々恐々だったというか。

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実際のところ、勿論嫌なことは多々ありましたし試練も続きっ放しだったし、まあ〜大変な年ではありましたけど、とりあえず五体満足に健康体でいられていることや、どうなっちゃうんだろうか?って思ってた三宿Webもどうにかこうにか続いてることなどを考えると、想像してた凶感よりはマシな様な気もしましたけど。まあ生きてりゃ毎年の様に嫌なことなんて多々あるもんですし。とはいえ、ほんとによくもまあ色々あったなあ〜という印象の1年だったでしょうか。ベスト10では書き切れなくて結果若干ハミ出てるぐらい(苦笑)。いやほんと、これだけ色々あった年もなかなか珍しいんじゃないか?ってぐらい。さてそんな激動の1年を、もはや毎年恒例となりつつある個人的出来事ベスト10と共に振り返っていこうと思います。

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第10位 ※同率10位「放映から35年の時を経て『北の国から』を初鑑賞」
実はなにげに今まで1度も見たことがなかった『北の国から』が、一昨年の秋ぐらいからスカパーの「日本映画専門チャンネル」で一挙放送されていて、これはせっかくだしいい機会かもとマメに録り溜めて、年明けた正月ぐらいからちょっとづつ観始めて。最初のドラマのシリーズが長くて若干心が折れそうになりましたが、最後の方から一気に動き出して面白さもアップと同時に引き込まれていって。スペシャル版になった途中ぐらいからはようやく録画も追い付いたんですが、更に面白味が増して回を重ねていくごとに放映されるのが毎回楽しみになっていって。

あとなにげに番組の最後に毎回、八木亜希子さんによる倉本聰さんへのインタビューもおまけで小刻みに付いていて、それが裏話満載で面白かったんですよね〜。当初五郎役の候補には、高倉健、緒形拳、藤達也、西田敏行、中村雅俊、と多数候補がいて、最終的に一番情けなく見えるっていう理由で田中邦衛に決まったとか、岩城滉一の後楽園ホールでのボクシングの試合は実はガチンコだった(勿論KOシーンもガチ)とか、さだまさしの主題歌の話しとか、非常に興味深い話ばかりでした。

全部観た感想としては、やっぱ月並みな言い方ですけど良かったですね〜。長年に渡っての撮影及び放映ということもあり、回を重ねていくごとに主人公も同じ様に歳を取っていく様が非常にリアリティーを醸し出してるというか嘘くさくないというか。まあしかし出てくる美女たちが一様に不幸になっていくのと、登場人物がほんとよく亡くなるのはちょっと哀しくなりましたけど…(苦笑)。ちなみに登場する歴代の美女の中では竹下景子が1番好きですね〜。五郎さんと結ばれるの期待してたんですけど(笑)。ちなみに前述のおまけの裏話で倉本聰さんが言ってましたけど『冬のソナタ』の監督が『北の国から』をリメイクしたいって言ってたらしいんですけど、韓国のテレビの放送局とはだいぶ前に契約が成されてるらしいのにいつになっても放送してくれないっていう話しをしたら『北の国から』っていうタイトルが原因じゃないかと(笑)。あと、五郎さんが元妻の妹の雪子さんと一緒に同居するっていうシチュエーションが、韓国人からすると全く理解に苦しむ設定で付いていけないとも言われたらしいです。

ちなみに昔から周りの人に「ナガサワさん泣けるドラマや映画好きだし、絶対『北の国から』好きですよ!」とは言われてたんですが、いや、勿論好きなタイプのドラマではありましたけど、オレが昔から猛烈に大好きな『ふぞろいの林檎たち』と比べたらやはりふぞろいの方が好きですかね〜。これもほんとうに素晴らしいドラマだとは思いますし、沢山のファンがいるのも非常に頷けますけど、やっぱ好きなドラマナンバーワンは変わらず『ふぞろいの林檎たち(1&2)』です。

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第10位 ※同率10位「ユニオンジャックブーム再び」
3年半前にロンドンに行ってから一気に醒めてしまった感があったユニオンジャックブームですが、また唐突にちょっと好きになって。とは言っても昔ほどではないですけど。暇さえあれば久々にユニオンジャックグッズ掘りまくりました。まあ昔散々掘ったのですぐ掘り尽くしちゃいましたけど。でもなんかやっぱりイケてるユニオンジャックグッズをゲットしてコレクションに足すだけでなんだか嬉しいというかストレス発散になるというか。正直言ってユニオンジャックグッズっていうか、ユニオンジャックのデザインに何も興味を持たない人やイギリス好きでもない人にとっては、何でそんなにユニオンジャックがいいの?って「???」かも知れませんが。いやあ、3年半前に行ってちょっと嫌いになった感もあったイギリス及びユニオンジャックでしたが、最近又「オレやっぱイギリス好きだわ、ユニオンジャック好きだわ。」と改めて思うことが多くて。なので今後もほんとにマイペースで厳選してユニオンジャックグッズは掘っていこうかと。あとまたいつか、ロンドンに行きたいなあと思ってます。

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第10位 ※同率10位「一色海岸15周年」
2001年に初めて来訪してから去年でちょうど15周年でした。それ以降はもう毎夏唯一の楽しみと言ってもいいぐらいの恒例行事になってます。勿論一色海岸という場所もそうですが、そこにある行き付けの海の家『さざ波』も込みでですけど。去年は結局1度しか行けませんでしたけど、その1回がほんとにちょー楽しくて。去年の夏はここ数年でも1番イマイチ感の強い夏でしたけど、唯一の楽しい想い出だったかもってぐらい。朝から終電までほんとに楽しかったなあ〜。さざ波も一色海岸も最高だったし、その後行った三浦海岸の花火大会も。ほんとにあの1日にだいぶ救われたかもってぐらい癒されましたね〜。一緒に遊んでくれたたけSEA軍団のみんなにはほんとに感謝でございます。

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第9位「業界25周年&Web22周年&表紙15周年」
二十歳に成り立ててこの業界に入って去年でちょうど25周年でした。まあ詳しくはこちらの記事を。そして三宿Webもめでたく22周年を迎えて。去年も周年月の6月にマンスリーで開催したんですが、ここ数年でも1番のブッキングが出来たのもあって、非常に素晴らしい6月となりました。ご協力及びご来店くださった皆様、誠にありがとうございました。そして気が付けば今のマンスリーの形式になってからちょうど15周年でした。ほんとは記念に表紙だけを纏めた冊子でも作ろうかと思ったんですけどね〜。数が数だけにどう考えても労力がハンパないのもあって、残念ながらちょっと難しいんじゃないかとは思ってます。あと昔のデザインとか写真とか、今見ると酷いのいっぱいありますしね〜(苦笑)。それも一因としては大きいかも。自分の本当に気に入った納得のいく写真及びデザインのモノは何かしらで残したいってのは正直あるんですけど。まあでもわかりやすくマンスリーの表紙だけ纏めた方が一般的には興味はそそるんでしょうけど。

SNS及びネット全盛のこのご時世に、もはや今スケジュールをマンスリーフライヤーで調べる人なんてほとんどいないでしょうし、正直マンスリーとかも作ってない店が大半だし、正直毎月作るのもなにげに結構大変だったりもするんですが、やっぱもう三宿Webのマンスリーと言えばコレ!的な、名物というか風物詩的な感じにもなってますし、未だに表紙モデルになりたい!って人も多々いてくれてますし、まあWebが続く限りは可能な限り続けようかとは思ってますけど。

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第8位「タケザップで激痩せ成功」
去年の3月頃にMAX太ってたんですが、知り合いたちから立て続けに「ナガサワさんお腹やばくない??大丈夫??(笑)」と心配されたことが発端として本気ダイエットを一大決意。なんと3ヶ月で最大8キロ減(72キロ→64キロ)、ウエストも9㎝減(92→83)という見事な大成果を遂げました。その時に冗談半分で付けたダイエットのネーミングが『タケザップ』で(笑)。どうやって痩せたのか色々聞かれましたが、まあバカみたいに食ってたのを止めて食を減らし、ほんとにお腹が空くまで食べない様にして。あと寝る前は絶対食わない様にしました。炭水化物も大盛りだったのを小盛りに変え、大好物のパスタもなるべく少なめに。最初の3ヶ月ぐらいはかなり自重しましたね〜。酒は辞められなかったんで酒飲んだあとの空腹感がなかなか大変でしたけど、塩舐めて我慢したりしてましたよ(笑)。その時の塩の旨いこと旨いこと(笑)。なので必然的にもご飯が美味しく感じる様にもなり。最近は若干67キロまで増えたりとかもありましたが、ギリギリなんとか65キロ台はキープしてます。まあダイエットって1番最初は大変ですけど、1度痩せてしまえば余程の暴飲暴食しない限りはある程度普通に食って生活しててもそこまで増えたりしないというか。今となってはよくぞあの時一大決心したと思いますし、結果程よく痩せて良かったなあと思いますね。

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第7位「猫虎15周年&TOKYO大リーグ開幕」
遡れば07年にもリーグ構想はあって一瞬話しも盛り上がったりしたことがあったんですが、内心「待てよ、リーグとかやったら絶対オレが仕切るハメになりそうだしただでさえチームの運営だけでもしんどいのに更に無駄に仕事が増えるじゃん!」ってことに気付き躊躇して。そうこうしてるうちに当時よくやってた三茶タイガースとヤノテクノポリスは名門・茜リーグに参加と、自然とリーグ話は立ち消えてたんですよ。2014年終わり頃にピエール学園の大桶さんから「来年からリーグやりませんか?」という話しは頂いたんですが、その時も結局リーグやったらオレに色々負担が増えるだろうな…という思いもあって余り積極的には動かなかったんですよ。勿論やるなら全面協力するつもりではいましたけど。まあこういうのって言い出しっぺが仕切るハメになることが多いので静観を装ってた部分もあります(笑)。で、その時も気付けば結局立ち消えになってて。

で、結構個人的には非常に悩んだんですが、いっちょうやったるか!と2015年11月に意を決して、具体的なリーグ構想案をどえらい長文に纏めて(笑)、逆に大桶さん(及び瀧さん)に提案してみたんですよ。そっからはトントン拍子でしたかね〜。昔から元々よく対戦してたサンキングとレピッシュドンドンは即参加の意向を示してくれて、更にここ数年うちがよく対戦してたマキタ学級野球部を紹介して全5チームによる新・リーグ構想がスタートした訳ですよ。最初のミーティングがなかなか足並み揃わなくて大変で先行きの不安も感じさせましたが(笑)、3月7日にようやく5チーム首脳によるミーティングも開催し色々具体的な取り決めも。瀧さんが近年提唱していたということで、リーグ名も『TOKYO大リーグ』に即時決定して。ロゴもピエール学園所属のプロの書道家の方に書いて頂いたんですが、これがまたカッコいいのなんのって。これで更にリーグ熱が加熱したんじゃないでしょうかね〜。

まあそんなこんなで始まったTOKYO大リーグ、初年度ってこともあって色々とドタバタでしたが(汗)、最後の最後まで手に汗握る好勝負続きで、今までとはビックリするぐらい全然違いましたね〜。リーグ公式戦ってだけで各チームの目の色が違うこと違うこと(笑)。勿論勝ったらめっちゃ嬉しいけど負けたらめっちゃ悔しいっていう。いや、正直言って想像してた通り仕切りも雑務も結局オレがやることになり、いつも以上に色々と大変なこともありましたが(苦笑)、まあでもやっぱ結果やって良かったなあとは思いますね〜。

ちなみに我が三宿ニャンニャンタイガースは、創設15周年を迎えるという節目の記念イヤーだったので、ユニフォームにキャプテンマークの"C"まで嬉しそうに着けて是が非でも優勝を!とは思ってましたが結果4位という残念な成績に。しかも個人成績も草野球始めて以来ワーストの.158という低打率。いやもう個人的には今まで類を見ない最悪なシーズンでしたよ。チームも一昨年の成績からすれば(勝率.857)圧倒的にうちが優勝候補だったんですけどね〜。ほんとわからんもんです。まあでも去年はある意味TOKYO大リーグに捧げた1年だったかも知れないですね。ま、若干言い訳ですけど。そう考えればちょっと溜飲を下げれるので(笑)。

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第6位「堀辺師範逝去」
これも詳しくはこちらで。っていうか余りに更新なかったからこれが1年近くトップページに鎮座したままでしたけど(苦笑)。まあしかしこれもほんと当時はビックリしたもんです。あれからもう10ヶ月ですか。去年1年が濃密過ぎて、もっと前の話の様な気もしないでもないですけど。

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第5位「ナガタツ大ブレイク」
まあブレイクしたかどうかはわかりませんが(笑)、昨年だけでなんと出番5回も。しかも本来なら年末の『申し訳ナイト20周年SP』でもう一回演る予定でしたからね。その中でもとにかく凄かったのが6月の三宿Web22周年記念月間の一環として開催した『YAMA-TATSU NIGHT vol.6 PERFORMANCE 2016』。なんと月間成績が第3位。1位と2位は大人気イベント且つ豪華キャストの『80’sナイト』と『申し訳ナイト』ですから。低料金なのもありましたけどなんと100人超えましたからね。凄いことですよ。なんせ出演が店長のオレたったの1人だけですから(笑)。一昨年も結構混んでビックリしたんですが、それを遙かに超えましたね〜。もう最初から最後まで常にフロアは賑わってたし、2時前後ぐらいの時間はどこもかしこもパンパンだったんじゃないですかね??でも開催当日4日前ぐらいから体調崩して発熱、一時は最大39度4分まで上がり開催すら危ぶまれましたがどうにか最後まで倒れずに完遂。一昨年はめっちゃくちゃ楽しかった記憶ですが、去年はもう最後までどうにか無事に倒れずに、来てくれた沢山のお客さんに出来るだけ楽しんで帰って貰うという使命感の方が強かったですね。ちなみに翌日はまた発熱しましたけど(苦笑)。

思えば最初はノリで『YAMA-TATSU NIGHT』を始めたのが2011年4月、それ以降ちょっとづつ所持してるレア音源をアップした達郎関連音源サンクラも今や色んな人に認知される様になり、無駄な「最近のライブ時の達郎」コスプレも、やり出した当初は全然認知度も低くてほとんど伝わりませんでしたけど、もはや最近は出落ち効果すらあるぐらい定着した感さえあります。あと達郎コスプレをしてる写真をデカデカと載せた久々に作った紙フライヤー及びポスターも、今回はかなり効果があった気がしますね〜。去年だけでだいぶ達郎DJ=ナガサワ的なイメージは付いたんじゃないでしょうかね??いやはや好きなことは地道に長く続けていくモンだなあ〜とつくづく思いましたよ。ほんと有り難い話しです。ちなみに早くも来月、去年夏にも誘って頂いた鈴木雅尭さんのイベント(2.19.SUN@渋谷スタジオ)にナガタツ出演致します。達郎って昔はリゾートミュージックって言われたぐらい夏のイメージの曲が多いんで、若干選曲に迷いそうですけど。あと今年も6月まで三宿Webが無事続いてたらまた『YAMA-TATSU NIGHT vol.8 PERFORMANCE 2017』をやろうかなあと思ってます。勿論今年もオールナイトを1人で(笑)。

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第4位「洋画ブーム」
敢えて洋画を避けてた部分もあったんですが、ほんとに今までほとんど名作と言われるモノまで全然洋画を観てこなくて。まあでも散々邦画を観まくったのもあってもうほとんど興味のあるのは見尽くした感もあって、そろそろ洋画も観てみようかなあと思ってた矢先、夏に話題の青春映画『Sing Street』を観て。これがもうほんとに良くて。感動して号泣しまくりましたよ。その直後からスカパーで「プロ野球セット」の一環でたまたま契約してる「FOX MOVIE」でやってる映画をちょくちょく観る様になるんですが、このチャンネルっていわゆるわかりやすいドンパチ物やアクション物とかしかやってなくて1ヶ月ぐらいしたら飽きちゃって。久々に近所のTSUTAYAとかにレンタルDVD借りに行ったりもしましたね〜。でもレンタルDVDの字幕がどれも一様に見づらくて非常にストレスに感じてからは借りに行かなくなりましたけど。

そんなこともあって、それまで契約してた「日本映画専門チャンネル」を解約して「イマジカBS」っていう洋画のチャンネルを1つ契約して。12月になるとオフシーズンてこともあって「プロ野球セット」を解約して、代わりに洋画のチャンネルを更に2つ契約したんですが(今は洋画専門計4チャンネル契約中)、それが更に洋画熱に拍車を掛けることになりました。

気が付けばもうほんとに暇さえあれば洋画観まくって。夏から半年間で約100本強観ましたよ。まあ〜観ましたねほんと。ピンからキリまでですけど。洋画全く観なかったので完全に無知でしたけど、クリント・イーストウッドが監督した映画がことごとく素晴らしいことにビックリしました。洋画って邦画に比べると良くも悪くも描写が雑なイメージがあったんですが、クリント・イーストウッドの作品は非常に深いというか繊細というか、とても心に響く映画が多いですね。「トゥルー・クライム」「ミスティック・リバー」「チェンジリング」「ミリオンダラー・ベイビー」「許されざる者」「パーフェクト・ワールド」「グラン・トリノ」など、完全に彼の作品のファンになってしまいました。

とは言えなんと言っても『Sing Street』繋がりで観たジョンカーニー監督作品にハマりましたね〜。特に2作目の『はじまりのうた』はもうどハマりで。今のところ1番好きな洋画かもってぐらいです。最初はレンタルで借りたんですけど、返す前にもう一回観ましたからね。映画でそんなことしたの初めてでしたよ。時間がだいぶ経ってからとかならありますけどこんな短期間でなんて。12月に目黒シネマでやってた『Sing Street』と『はじまりのうた』の2本立ても観に行ったし。『Sing Street』は改めて素晴らしい青春映画だなあと終始大号泣しまくりましたけど、初めて劇場で観た『はじまりのうた』はやはり素晴らしく良かったです。もうサントラもずっと聴きまくりましたしね。昨年下半期は『はじまりのうた』の印象がなにげに強いんですよね。完全に主題歌のこの曲が2016年下半期の想い出の曲になってしまった。リリースは2014年だけど(笑)。ほんとに大好きだわこの映画。




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第3位「とある殺人事件・・・」
まあFacebookで繋がってる方はご存知の、例のあの事件をやはり2016年はスルー出来ません。6月の周年月間中にうちのすぐ近所でおぞましい殺人事件があって「嫌だなあ…犯人早く捕まらないかなあ…」と思ってたらまさかの被害者が同じマンションの住人だったことが発覚。もう連日新聞テレビ等のマスコミや警察官など、それはそれは物々しい1ヶ月間でした。ただでさえ見た目的にも職種的にもなんか疑われそうだし、もうほんとに嫌でしたね…。世の中冤罪で捕まるとか平気であるご時世だし。当分の間は警察官がマンション内に常備配置されてスーパーに買い物行って帰ってくるのにも身分証提示しなきゃいけなかったり、事件直後とかはテレビ局のカメラが待ち構えてて、外に出たら群がって色々聞かれたりとかちょっとした外出も気を遣う様な感じで、もうほんっとにめんどくさかったですね…。

しかも今回の一件で1番腹立ったのが、まあ一般的に疑われるのは致し方ないとは思うんですよ、こんな体(てい)だし。でも知り合いの何人からかに「内心ナガサワさんが犯人かと思った」とか、(話しのネタ的に)「おいしい」とか「楽しそう」とか言われたことですかね…。本気でそう思ってた人は勿論、冗談半分で言ってた人もいたとは思いますが、もうほんとに心の中では言われるたびに憤りまくってましたよ。まあ大人げないと思って敢えて相手にはしませんでしたし時には笑って過ごしましたけど、内心では「死ね!!(保育園落ちた日本死ね!風に)」ってマジで思いましたよ。全くおいしくもなければ楽しくもねえし!!もうほんとにショックでしたよ。しかもなにげに結構言われましたからね。嬉しそうに。職質とか昔からたまにされるんですが、毎回ほんとに屈辱感しかないというか。でもそれも見ず知らずの警察官にされてる訳だし前述した様に身なりがこんなだししょうがないか…的に納得せざるを得ない部分もあるんですけど、知り合いに疑われて「ちょっといい?」って持ち物検査される様なもんですよ。それぐらい結構ショックというか。え〜オレってやっぱ友達や知り合いにもそんな風に見られてるんだ…と愕然としましたよ。未だに平気でいますからね「ほんとはナガサワさんじゃないかと思ってましたよ(笑)」とかヘラヘラして言ってくる奴。もうマジで死ね!って思う。汚い言葉使うのあまり好きじゃないけど。でもそれぐらいの屈辱感を感じたのは確かです。

あと逆に心配してくれた人とか、わざわざ連絡までくれたりした人にはほんとに感謝の気持ちでいっぱいでしたよ。いやあ、あの事件で色んな人間性見た気がしましたね〜。自分にとってのほんとの味方は誰なのか?とか、味方のフリして実はそういう風にオレのこと見てるのか??とか。こんな風に見えて1度も切れたことも無ければ人殴ったことすらないぐらい平和主義ですからね。そんなのってちょっと仲のいい人には伝わってるとばかり思ってたんですけどね…。ほんとに残念です。


とりあえず早めに犯人も捕まって無事解決したから良かったですけど、事件があったという事実は消えない訳で。勿論やっぱ相変わらず未だに気持ち悪い感はあるし。とまあ色んな意味で大きな事件でしたね。ちょっと一生忘れられないぐらいの衝撃というか。てかこんなことってあんの!?ってぐらいの確率ですよね、ほんと。

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第2位「朝本さん逝去」
去年の3月中旬に急に心肺停止状態になって。蘇生処置でどうにか延命したモノの次あったらもう蘇生処置は行わないということになって。癌の様に余命的なモノってないらしいんですが、敢えて言うのであれば長くて1ヶ月という宣告も受け、周りの近親者はある程度の心の準備はしてたんですよ。が、1ヶ月経てども3ヶ月経てども特に何もなく容体的には安定はしてたんですよ。とは言え1度心臓止まってからはそれまで目で追ったりしてた動作やちょっとした反応など無くなってしまって。11月の頭にはもう腕の血管が硬くなって栄養分を送る為に打つ注射を打つ場所がないらしく、もう長くはないというのは知らされてました。

最後にお見舞い行って逢ったのは亡くなる2週間前でしたかねえ。亡くなった当日も直前に連絡貰ったんですが、運の悪いことにちょうどその日が部屋の更新日で、前回の契約書類がどこにも見当たらなくて押し入れ引っ繰り返してた真っ最中で敢えなく伺えず。亡くなったことが公になったのは密葬を執り行った日の夕方頃で、当日の夜中に『申し訳ナイト20周年SP』が代官山ユニットであって、当初は達郎オンリーDJのナガタツで出る予定だったんですが、主催のミッツィーさんに急遽相談して朝本さん音源のみで追悼MIXをやることになり。その時の告知ツイートがなんと91リツイートの78いいね。朝本さん逝去による世間の皆様の衝撃の大きさを改めてまざまざと感じましたよ…。

個人的には一番最初の事故直後の衝撃が余りにも大き過ぎて、アレを経験してしまってからはちょっとやそっとのことでは動じたりしなくなった部分もあるんですが、やはりいざ亡くなってしまうと色々と思うところや感じる部分は多々ありましたね…。ちょっとぽっかり大きな穴が開いた感というか。まあでもほんと頑張りましたよ。余命1ヶ月を宣告されてから7ヶ月も生きたんですからね。あとこれでようやく朝本さんも、苦しまずゆっくり安眠出来るんじゃないか…っていう想いもありましたかねえ。

朝本さんてオレからすると”凄い音楽家”っていう存在よりも、歳が離れた非常に仲のいい人っていうイメージの方がどうしても強いんですよね。途中からは音楽家として以外のお付き合いの方が多かったですし。なのでふとした瞬間に世間一般的な「朝本浩文という偉大な音楽家が亡くなってしまった」感を一連のことでひしひしと感じて、オレはなんてどえらい凄い人と仲良くさせて貰ってたんだろう…って思うこともしばしばありましたねえ。密葬の立ち会いを始め、四十九日に開催した『朝本浩文を送る会』でもDJさせて頂いたり(勝手に司会と進行のお手伝いも)、散骨式にもお誘い頂いたりと、ほんとに光栄と同時に、有り難いことだなあと思います。

ちなみに2月4日土曜日深夜に急遽朝本さんのトリビュートイベントをやることにしました。前述の送る会が関係者のみだったのもありますし、やっぱ朝本さんが愛した三宿Webで、三宿Webなりの朝本さんトリビュートをやりたいなあって想いが強くなって。もしかしたら三宿Webでの朝本さん関連でのイベントごとはこれが最後になるかも知れないですねえ。今週中には詳細も発表出来るかと。有り難いことに沢山の方々のご協力もあって"これぞ三宿Web"っていう朝本さんトリビュートを開催出来るのではないかと思ってます。お時間ある方は是非2月4日三宿Webへ朝本さんを感じにいらしてください。

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第1位「スタッフが増えました」
色々あった2016年ですが、なんだかんだ言って最終的にはコレに尽きるんじゃないかと。もう今や若干当たり前的な感覚にもなったりしてる節もあるし、一気にドーンと増えた訳でも無いし、他のニュースに比べるとインパクト的には薄いっちゃ薄いのもあって、ぶっちゃけ1ヶ月前に2016年の10大ニュース挙げた時には出て来なかったんですけど。でも最終的によくよく考えたらやっぱコレが一番でかかったんじゃないかと。

一昨年の秋頃はほんとにスタッフ不足末期で、このままいくとマジで春まで持たないだろうとは本気で思ってました。なんせ毎週末の様に友人・知人掻き集めてた様な状況で、ほんと毎週末が来るのが内心怖かったというか。ほんと頭おかしくなりそうでしたよ。それぐらい苦痛でした。それが無くなったってだけでもだいぶ気持ち的には余裕が出来たというか。いやなにげにでかかったと思うんですよね〜。オレって目の前の細かいことぐじぐじと考えるタイプではあるんですが、その反面どんな大変なことも無事終わってしまえば意外とケロッと忘れたりもするタイプで。まあなので長年色んな苦痛にも耐えられてるんだとも思いますけど(笑)。じゃなかったらとっくに猛烈なストレスに押し潰されてますよ。

とは言え人数は増えましたけど未だバーテンは博之とオレだけなので、万が一の状況を考えると博之が舞台ある時は怖くてクラブ営業は出来ないし、通常も休憩回す時もオレがバー立たないといけないという厳しい状況は変わりないんですけど。まあでもその日の最低限の頭数揃ってるだけでも全然有り難いですけどね。いやあ〜もうね、マジで辛かったですから一昨年とかは。ヘルプが多いとはいえよくもまあ1年でこれだけ増えたもんですよ。ほんとにありがたいですね。いい奴らばっかだし。オレにしてみれば皆家族だし、ちょーLOVEですよ。

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さてそんな2016年でした。去年は全然GrandBleuのことが出来なかったのはちょっと残念でしたけど、まあなんせ前述した通り下半期は暇さえあれば洋画ばっか観てましたからね〜。昔から興味を持ったことはトコトンまでっていう性分なんで。あと一昨年はちょっとでも余裕があれば洋服作りの方に予算を充てていて服とかは全然買ったりしなかったんですけど、逆に去年はなるべく欲しい服は買うようにしてましたかね〜。つってもそんな大して買ってないけど。でも前から欲しかったアイテムを古着で探して格安でゲットしたり、ここ数年では一番洋服に金使ったかも。なので自分の洋服作りは全然出来ませんでしたけど、その分違うところでは確実に自分の実にはなってると思うので、結果的にはOKだとは思ってます。元々GrandBleuに関しては気合い入れてブランドやります!っていうスタンスではなく、いいデザインが思い付いて作れる時に作るっていうぐらいの緩いスタンスでやるつもりでしたし。まあでも今年も一型でも二型でもいいので、マイペースに何かしら自分が着たいなあと思える様な服を作りたいなあとは思ってますけど。

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他にも敢えてここに書いてないことも多々ありましたけどね。いいことも悪いことも。年末に仲の良かった知り合いが急に蒸発しちゃったりとかもあったし…。そんな怖ろし過ぎた2016年もどうにか無事終わり。さて来たるべき2017年は一体どんな年になるんでしょうかねえ。まあいきなり先週40度の高熱が12時間以上も続くという修羅場がありましたけど。最高で41.9度まで上がりましたからね。てっきりインフルエンザだと思ったらただの風邪だったらしいんですけど、ただの風邪でそんな高熱出るんだ!?って逆にビックリというか。まあ1年の区切りを節分で考えると、最後に纏めて嫌な膿出したと思えばいいんですけど。あと現時点で、オープン以来長らく続いたバレンタイン企画がいつも以上に難航していて、最悪開催しないなんてこともあるかもっていう状況なんですが、それもまた大凶年の最後の膿的な感じなのかとも思ったり。まあバレンタイン企画は面白く出来る可能性がある限りギリギリまで試行錯誤考えようとは思ってますけど、中途半端に無理してやろうとまではもう思ってはないんですけどね。

あと年始にふと20年前の1997年の流行や出来事を調べてみたら、なんかビックリするぐらいパッとしたニュースが無かった年だったというか。大抵どの年も「えー!コレってこの年だっけ??」っていう大きな出来事が幾つかあるもんなんですけど。個人的には1997年は色々あったんですけどね〜。初の海外旅行でニューヨークへ行ったり、ほんとはこの年いっぱいでWeb辞める予定だったり(笑)。あ、あと当時住んでた代官山の部屋に『王様のブランチ』が撮影に来たり(映像残ってないけど)。あとそれから、年末にはオレがプロデュースした草お笑いユニット『ハンソデポリス』のデビューライブも(笑)。もし年末まで三宿Webが続いてたらデビュー20周年を記念して一夜限りのハンソデポリス再結成ライブでもしようかなあとは思ってます。まああんまり需要ないとは思われますが(笑)。

2017年の目標は、今のところ取り立てて特にはないんですが、1つは一眼レフをもうちょっと使いこなせる様になることと(その為に年始早々格安の中古の望遠レンズも購入)、あとは時間とお金の余裕がある時にまたGrandBleuの商品を作ることと、昨年の下半期ほどとはいかないまでも映画も沢山観たいし、まあ三宿Webも猫虎もTOKYO大リーグも色んなことが大変で今後一体どうなるかは全くわかりませんが、やる以上は出来るだけ一生懸命やりたいしと、まあそんな感じでしょうかね。今年もなるべく自然体で「時の流れに身を任せ」的にマイペースにやっていこうかと。もうほんと何があるかわかりませんからね、人の人生。状況的にも変わらず色々と大変だし。でもなるべく悔いの無い様に、なるべくストレスを溜めない様にして、なるべく色んなことを楽しみながら生きていこうとは思ってます。あ、ブログもなるべく今年は更新したいなあと思ってますので(笑)、本年もこの無駄に超長文ブログをご愛読の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

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先週の水曜日の午後にふと見たTwitterで、日本武道傳骨法創始師範・堀辺正史先生が昨年12月26日に亡くなられていたというツイートを見て。もうビックリしましたよ。しかも3ヶ月も前なんて。74歳だったそう。余りにも唐突過ぎて最初はちょっと実感も沸きませんでしたけど、やっぱじわじわくるものがあって。これは書かない訳にはいかないだろう!ってことでの緊急起稿です。っていうか実は翌日には想い立ってダダダと書いてたんですが、余りにも纏まりが悪かったり、アップするのも若干ためらった部分もあったりして。いや、もしも堀辺先生が存在しなくて骨法の道場が無ければ、恐らくオレは今東京に居ないと想うんですよね。このブログでたびたび出てくる「昔通ってた格闘技の道場」とは紛れもない東中野にある骨法道場だったんですよ。
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※恐らくオレが通っていた頃にほど近い頃の先生。まさにオレにとってはこういうイメージのまま残ってます。当時の先生はほんとにオーラというか、尋常じゃない緊張感放ってましたね。









小学校時代、兄貴の影響で当時金曜夜8時にやっていた"ワールドプロレスリング(新日本プロレス中継)"を観たら凱旋帰国して華麗な技を繰り出すまだジュニアヘビー級の頃の藤波辰巳(現・辰爾)や、烈風の如く現れたスーパースター・タイガーマスクに魅了されて毎週楽しみに観る様になって。その後はもう抜群のカリスマ性を誇っていたアントニオ猪木を始め、長州vs藤波の名勝負数え歌、UWFの一時帰還での対抗戦など、どっぷりとプロレス(特に新日本プロレス)に傾倒することになるんですが、中学生の頃になると本屋で週刊プロレスや週刊ゴングを立ち読みする様にもなっていて。でも時の名物編集長・ターザン山本率いる週刊プロレスが圧倒的に面白くて、いつの日か週プロしか読まなくなりました。高校3年の一学期で部活が終えた後からはもう毎週買う様になって毎回隅々まで読んでました。

その週プロでちょくちょく連載をしていたのが堀辺先生でした。堀辺先生はたまに『たけしのスーパージョッキー』とかにも出てたりしていて存在は知ってましたけど、まだ整体や古武術の先生っていう印象でした。それが、アントニオ猪木が先生のところに通う様になってからプロレス界でも一躍有名になった的な。直後に山田さん(獣神サンダーライガー)や船木さんも通う様になって"浴びせ蹴り"や"掌打(よく掌底と言われるんですが厳密に言うと掌打と掌底は似て非なるモノなんですけど)"がプロレス界でもポピュラーな技にもなっていったり(ちなみにドラゴンスリーパーも元々は骨法の技)。週プロに連載されていた先生の記事は、非常に論理的且つ独特の見解の文章で毎回非常に興味深くて、読んでいるうちにあっという間に引き込まれていきました。本嫌いなオレには珍しく、先生の著書を取り寄せて買って読んだりもして。
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※本棚の奥探しまくってみたらなんと当時の先生の連載の切り抜きまだ持ってました!左の方はなんと28年前のモノ。毎週楽しみに見てたなあ〜。








男って誰しもきっと心のどこかに"強くなりたい願望"ってあると想うんですが、まさに高校生のオレも非常に強く想う部分があって。最初は空手の本とか立ち読みしてビール瓶でスネとか殴って無駄に鍛えたりしてましたかね~(苦笑)。あとは拳(こぶし)鍛えたりとか腕立てや腹筋したりとか。でもなんせ当時は華奢だし体力も無いしで、剛に対して剛でいっても間違い無く勝てないな…というのは実感してて。なんかそれを補える格闘技でも習いたいなあ~とはずっと想ってたんですよ。そんな中での先生の著書を読んで一気に「骨法習ってみたい!」っていう欲が強くなって。でも道場は東京の東中野にしかなくて。
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※当時のプロレスファンで先生が出されていた著書を買って読んだ人って結構多いんじゃないですかね〜。週プロの連載も然りですけど、実際非常に論理的で興味深いことばかりが書かれていたし、これによって骨法の最強幻想が膨らんだ人も多かったハズ。








当時母親の知り合いが東京の羽田の近くの糀谷ってとこで油の濾過器の工場やってたんですよ。高校卒業したらそこで働かないか?って言われて。学生の頃から技術家庭の時間は大の苦手だったのもあって工場で働くなんて最初は絶対嫌だったんですけど、なんせ華の都・大東京に行ける訳で。やっぱ当時の田舎者のオレからしたら夢の街でしたからね~東京は。色んな意味で今よりももっとずーっと遠い存在でしたよ、東京って街は。だからそこに行けば、もしかしたら何かチャンスがあるんじゃないか??という期待感もあって。そしてそう、あの骨法道場にも通えるじゃないか!とも想いました。

そして高校卒業後の1989年3月、満を持して上京してその工場に就職する訳ですが、自宅があった蒲田から東中野までは電車で1時間ぐらいは掛かる訳ですよ。しかも結構残業も多くて、どう頑張ってみても道場の稽古が始まる19時にはまず間に合わないんですよ。そんなこんなでせっかく上京したのに全然入門出来なくて。

工場ではだいたい40前後のおじさんたち(今時の40とは比べ物にならないぐらいおじさん)ばかりでしたし、オレと一緒に4月から入った一番若い人でも28の既婚者の人で。若干18歳のオレはもう全く上の人たちばかりで、皆いい人たちだったから良かったですけど、プライベートでも仲良くは到底出来る感じではなく。全く単身上京してきたので、周りに友達や知り合いも皆無。当時は東京ー兵庫間で一番安い格安長距離電話会社を選択してもかなりの高額な電話代だったのもあって、滅多なことでは地元の友達にも電話も出来ず。平日は元より唯一の休みも誰とも逢わず、誰とも話さず、なんてことがずーっと続きました。

給料も手取り確か11万ぐらいだったんじゃないかと。そんな給料なのにロフト付きの洒落たとこ借りちゃって6万7千円の家賃で引くと4万3千円ぐらいしか残らなくて。でも部屋のインテリアや洋服代とかに毎月無理して2万ぐらいは使ってて。光熱費と電話代とか引くと残った1ヶ月の食費がなんと1万5千円。米買って、昼間は工場で弁当出たので、朝夕2食で1日当たり4百円。朝はほとんど食わなかったかなあ。勿論毎日自炊。今のように100均みたいなのも無く物価も高かったし、それまで自炊なんてほとんどしたことなかったしで安くあがる簡単な料理ばかりでしたかね~。晩飯に目玉焼きとご飯と即席のわかめの味噌汁とか。月末は大抵金が無くてご飯にふりかけだけとか。近くに吉野家あったんですけど通る度に「たまにはこんなご馳走食いたいなあ…」って思ってたぐらい。それぐらい貧相な食生活でした。

そんな生活が2ヶ月経って結構精神的に参ってて。元々やりたい仕事でもないし道場にも通えないし給料は安いし、とにかく話し相手が1人も居ないっていう状況がなかなかの苦痛で。もう田舎帰ろうかな…とかも思う様になって。いやほんと、3ヶ月ぐらい誰とも喋れないとかって尋常じゃない孤独感から結構精神的に病んでくるんですよ。恐らく今のようなネットも携帯もある生活が当たり前の生活をしてたら到底想像も出来ないと想います。でもせっかく上京してきたんだし、どうせ帰るんだったら東中野の骨法道場に通ってからにしようとは思っていて。それもあって上京したようなもんだし。そこでまた絶望感を感じたら潔くもう田舎へ帰ろうと決意したんです。ほんと、当時のオレにとっては最後の砦的な感じでしたね。

6月末でそこの工場を辞めてとりあえず近所に出来たばかりのサンクスでバイトを始めて。深夜勤にしたのは時給が良かったのもありましたけど、道場に通うのにも都合がいいからでした。同時に勇気を出して道場に電話して。忘れもしない1989年7月4日。ガッチガチに緊張したなか無事入門を果たし、とりあえず入ったからには同期(同日入門生)の誰にも負けない覚悟で通い詰めよう!と心に誓ったんですが、翌日道場行ったら前日いた入門生が誰も来てなくて。え?みんな毎日通う気ないの??だったら楽勝でしょ!とは思いましたかね~。当時の道場生は週6回の稽古日中だいたい平均週3ペースぐらいで、それよりも少ない人も全然いて。オレは毎日週6で通い詰めましたよ、蒲田から東中野まで。それが結局1年半続くことになるんですけど。最初のうちはもう道場に通うことが東京に居ることの、いや生きることのモチベーションになってたかも知れません。

当時同世代の人も沢山通ってましたが、稽古が終わった直後にすぐ深夜のコンビニバイトがあったので免除して貰ってすぐ帰ったのもあり、他の道場生との交流もほとんどなくて。コンビニのバイトがない土曜日ぐらいですかね~終わったあと近くのコンビニで他の道場生の人たちとくっちゃべったりしたのは。その中で1ヶ月先輩の人でなんと学年1個上でオレと同郷で、共通の知り合いまでいた山本さんて人がいて。その人とはウマがあって凄く仲良くなりましたね~。頭もキレてたし格好も良かったしシャレもわかるしなんせ同郷だしと、プライベートでも遊ぶ様にもなって。家は町田と蒲田だったんで結構離れてましたけど、よく長電話で喋った記憶があります。いやあ、あの頃はほんとにあの人の存在は大きかったですね~。特にその人は骨法の前にボクシングもやっていて、しかも結構冷静に物事を見れる人で、骨法とボクシングの打撃に関しての対比論的なのや、今教わってるのはこうだけど実際の喧嘩になったらこうなるとかも色々聞いたり。東京で初めて出来た、唯一何でも話せる存在でしたね〜山本さんは。

当時はマジで、いつかはプロの格闘家になって試合に出て勝って、当時近い将来大会をやる予定だった後楽園ホールのリングのコーナーポストに駆け上って、ガッツポーズをするのが夢でした。週6ロペ・週6道場で稽古・週5コンビニで1時までバイト(稽古後は東中野駅まで猛ダッシュで電車乗って蒲田駅着いたらまた猛ダッシュで帰宅してソッコーシャワー浴びてまたコンビニまで猛ダッシュという過密スケジュール)と、日々寝る暇もなく金も無く身近に友達とよべる人もいず、食べるモノもろくに食べずにひたすら頑張ってましたけど、道場から自宅のあった蒲田までの山手線の中はもういつもフラッフラで。毎日吊り輪にしがみつき意識朦朧としながらも常に頭の中には、前述したコーナーポストに駆け上がってのガッツポーズの画を想い浮かべてモチベーションを保ってました。

初めて人前で漫才(及びお笑い)やったのは先生の誕生会でした。1990年10月14日の日曜日。東中野の日本閣でやったんですが、当時の道場生の主力20名ぐらいだけ招待されて。光栄なことにその中にオレも招待して頂いて。で、道場生で何でもいいから出し物やるってことになって、後輩で歳上の京都出身の人と漫才しようってことになって。ネタは確か、当時まだまだ無名だったダウンタウンのネタのカバーとかに色付けしたネタだったと想います。ただでさえ日々忙しいのに、寝る間も惜しんで稽古しましたね~。なんせ人前でお笑いなんかするのは全くの初めてだったし。不安をよそに蓋を開けてみるとめっちゃ大ウケして。正直ネタ的にシュール過ぎて先生にはウケないだろうな…とは想ってたんですが、もうビックリするぐらい「ガッハッハッハッハ」と豪快に大笑いしてウケてたことを未だに憶えてます。で、調子に乗ってその年の道場での忘年会でもまた漫才やったら大コケしましたけど…(笑)。
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※なんと奇跡的に残っていた日本閣での初漫才の写真。記憶的にはほとんど残ってないんですけど。とにかく猛烈な不安をよそに、先生も含め、爆笑に次ぐ爆笑で大ウケだったことだけは記憶に残ってます(笑)。この日以降の道場内でのオレの印象も随分変わりましたからね〜。なんせそれまでは、お笑いのおの字もイメージ出来ない様な、根暗で寡黙で真面目な、華奢で気の弱そうな青年だったでしょうから。終わった後に内弟子の人から「おまえ格闘技の才能よりお笑いの才能の方があるんじゃないか??(笑)」って言われたぐらい。









数年に1回は道場に通っていた頃の夢を見ます。しかも辞める直前とかは集中力も欠けるようになっていて、稽古中にぼーっとして話し聞いてなくて1人だけ違うことしててしょっちゅう怒られたりしててちょっとしたトラウマ的になってるのかも知れないですね(苦笑)。骨法の道場って1度退会するともう2度と再入門出来ないことになってるんですが、夢の中ではなぜかいきなり再入門していて、久々過ぎて全く稽古についていけなくて「ヤバいどうしよう!怒られる!」って終始ビビってるっていう感じの夢ばかりで冷や汗かいて起きて「夢で良かった~」ってホッとするパターンがほとんどなんですけど(笑)。


想えば先週たまたま久し振りに東中野に行くことがあって、ホームから道場の風景を観たり、日本閣まだあるんだなあ~懐かしいなあ~とかノスタルジーに浸ったばかりなんですよね。その日はたまたまとあるバーで飲んだんですが、そこが道場から至近だったことや、想えば東中野で飲んだのなんて恐らく初めてだったんですよね。その時は勿論先生が亡くなられていたなんて夢にも想いませんでしたが、いやあ、何の因果かとは勝手に想ったり。
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※当時の帰宅時にホームで電車が来るのを待ってる時に毎度目にした風景。毎回東中野に来るたびに瞬時に猛烈なノスタルジーに浸ってしまいます。








まあ格闘技に詳しい人ならご存知でしょうけど、骨法については色々とああだこうだと悪口言う人も多々いて。今回先生の訃報を聞いた後も久々にちょいちょいネットで色んな心無い書き込みとかも見ましたし。まあね~色々言いたいことはわからなくもないんですけど。実際はそうなのかも知れないし。事実骨法自体大口叩いてた割りに全然結果出してないし。若干宗教的な部分も無いと言ったら嘘になるし。なんせ理論詰めの言葉の力というか、卓越した話術に秀でてた人でしたからね~先生は。当時のオレもそうでしたけど、その気にさせられた部分は確かにでかかったですね。とは言え実際やってた者として言わせて貰うと、今改めて考えてもやっぱり素晴らしい理論や凄い発想もいっぱいあったし、色んな人も言ってますが、先生が80年代後期から90年代初期頃までにプロレス・格闘技界に与えた影響に関しては誰も否定できないぐらい絶大な事実だったとは想いますけどね。

オレが入った頃はまだ、UFCの第1回大会後に来る物凄い勢いの総合格闘技ブーム前夜の頃で、当時の骨法は基本的には一般の道場生には手足の打撃しか教えてなかったです。一応立ち関節とかもあって内弟子の人には教えていた様ですけど。まだ持ってますけどUWFの影響からかレガースやニーパッドとかも着けてましたね。それが、もうとっくにオレが辞めた後ですけど、グレイシー一族の台頭とともに寝技を重視する様になり柔道着の様な白い胴着に変わり、後から知ったんですが武者相撲とかっていうテーマの時代もあったんですかね?その後ヴァンダレイシウバを筆頭としたシュートボクセの台頭があると今度は"ジャパボク"というテーマで打撃重視に戻ったり、その後はナイフ術とか?という迷走を続けることになるんですけど。
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※去年のとある夜中に、ふと想い立って押入の奥から引っ張り出して骨法時代のレガースとニーパッドを着けてみた時の写真。青春。








96年のUVFで、満を持して送り出した骨法最強戦士・大原さん(オレが辞めた後に入ったので面識は無い)がペドロ・オタービオに惨敗してから一気に急降下したんじゃないでしょうかね~。同時にナンバー2の小柳津さんもカーロス・ダニーロに惨敗しちゃったし。それまではベールに包まれて神秘的に想われてた部分も多々あって各所で持ち上げられてましたけど、それ以降骨法株が急降下的な。オレもこの頃ぐらいまでは雑誌とかで骨法の動向は常にチェックしてたかも。最大の支援者でもあったターザン山本さんの失脚も骨法失墜に拍車をかけたかも知れないですね。その後は小柳津さんが捕まったり、かつての弟子だった矢野卓見氏との確執から言いたい放題言われたりと散々でしたからね…。ちなみに小柳津さんやナンバー3の北條さんとは当時一緒にやってました。確か北條さんとは入門も2ヶ月ぐらいしか変わらなかったんじゃなかったかな?内弟子に入る前から知ってますから。今回色々検索してたら北條さんの最近の動画が出てきて全然変わってなくて懐かしかったですね~。某インタビューも読んで、元道場生としてなんかちょっと嬉しかったし。今は地元の栃木の小山の方で活動してるみたいですけどね。北條さんは昔からほんといつも元気で実直でユーモアもあったいい人だったなあ。

オレが想うに、元々は『喧嘩に使える格闘技』としてやっていたモノが、後の総合格闘技ブームの波に乗り、まんまとその潮流に飲まれて沈んでしまった的な。当時から「いつかは格闘技界を制覇する」っていうことはよくおっしゃっていましたし、週プロや格闘技通信などメディアに多々持ち上げられる様になり、自身(及び骨法)が注目されたことによって更にその野心が強くなり過ぎてしまったのかも知れませんね…。先生の立場になって考えたら気持ちはわからなくはないですけど。総合格闘技を意識する様になってからですもんね、なんかおかしくなり始めたのは。骨法って路上の喧嘩には有効な技術は沢山あるとは想いますが、ことバーリトゥードってことになると技術的に若干難があったのかもと想ってみたり。
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※これ恐らく90年の新年会かなんかに撮った写真。6、7月入門生の写真だったかな?まだ若干18歳のすっとぼけた顔したオレや、後に選手になった霄(おおぞら)くん、1番右の奥で横向いてるのは恐らく北條さん。







今回骨法で検索してよく出てきた漫画家で元骨法家の中川カ〜ルさんて、恐らくオレと若干時期被ってるなあ。中川さんの方がオレより全然入門したのは早いけど。写真見てすぐ「あ!なんかこの人見憶えある!絶対一緒に稽古してた!」って想いましたもん。その中川さんのインタビューでもそうですけど、船木さんのインタビューでも「初期の頃に廣戸聡一さんと最上晴朗さんという指導員の方がいて、あのふたりが本当に強かったんですよ。自分もあのふたりがいたから骨法に通うことを決めたんですよね。見学したときにあのふたりがバシバシやりあってるのを見てこれは凄い!と。」っていうのを見たけどそのお2人の存在は知らなかったなあ。時期的にはオレが入るちょっと前の頃だろうなあ。でも色々調べてみると、師範代のこのお2人こそが喧嘩芸の体現者だったらしく、彼らの離脱で骨法は終わったとのこと…。その2人が居た頃と居なくなった後ではレベルが全然違ったって。見てみたかったなあ。ちなみに船木さんとは、船木さんが辞める直前に何度か一緒の日に道場で稽古したことがあります。オレの後ろで素振りしてたりとかもあったり。凱旋帰国して第2次UWFに参加して破竹の勢いで勝ち続けて高田延彦と横浜アリーナでやる前日とかも道場に来てて稽古後の総括の時に「明日は骨法の看板背負うつもりで絶対勝ちます!」って言っててめちゃくちゃ興奮したのを憶えてます。ちなみにその日を境にに道場で船木さんを見ることはなくなりましたけど。
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※1989年10月10日発売の増刊号『FRIDAY SPECIAL 秋号』。プロレスラーの北尾光司、橋本真也、船木優治(現・誠勝)の3人の特集ページでの船木さんのページ。稽古中に撮影があったので見学してたんですが、たまたまカメラのレンズ方向に立ってたので「コレ絶対オレ写ってんちゃうん!!!」と発売日に心躍らせて本屋行ってドキドキしながら見てみたら、余りにもレンズの方向過ぎてまんまと顔半分しか写ってなくて心底ガックシきた記憶(笑)。ちなみにオレの左隣に立ってるのが前述の同郷の先輩・山本さん。







先生が亡くなった後に色んな人のコメント(いいのも悪いのも)を見ましたけど、柔術家であり総合格闘家の中井祐樹さんの追悼コメントは良かったなあ。『骨法の堀辺正史先生の訃報を今日昼に知りました。1995年のジャンジャック・マシャードとの本邦初の柔術マッチ前、東中野の道場で稽古をさせて頂きましたが、当時道着有りでの何でもあり、つまり「柔術」の練習ができる場は日本で骨法だけでした。先生には自分の若さゆえの熱い思いをいつも穏やかに受けとめて頂きました。理路整然とした形で格闘技を世に広めた、類を見ない方だったと思います。その後もパラエストラの10周年パーティにも出席して下さったり、公私ともに良くして頂きました。感謝しています。ご冥福をお祈りします。』
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※こんなのもまだ持ってました。94年12月発売の格闘技通信増刊号の骨法特集。まだまだ世間で骨法が注目されていた時代。









骨法を学んだことによって精神的にもめちゃめちゃ強くなったと想います。それまではほんとに小心者でどうしようもないしょーもない男でしたけど、若干ですがほんのちょっとだけ自分に自信が付いたというか。武士道の精神を叩き込まれたのも堀辺先生の教えの影響だったのは間違い無いし。先生がよく言ってたのは「オレは喧嘩に使える技を教えてるけど、喧嘩を奨励してる訳じゃない。その時の喧嘩で勝っても、万が一相手が打ち所が悪くて死んでしまったり失明したりなんて重症を負ったら一生を棒に振ることになる。その逆も然り。むしろ逃げれる状況なら逃げた方がいい。がしかし、男にはどうしてもやらなきゃいけない時がある。負けるとわかってても買わなきゃいけない喧嘩がある。その時の為にオレは教えてるんだ。」とおっしゃっていて。例えば彼女(もしくは大事な人)と一緒に居るときに輩に彼女が絡まれたら逃げる訳にいかないじゃないですか?負けそうなぐらい強そうな相手でも命懸けで彼女(もしくは大事な人)を守るのが男の務めだっていうのが先生の教えで。似て非なる例えで言うと忠臣蔵の世界ですよ。とは言えやはり守れなければ意味がない訳で。あとは1人でもヤクザや暴漢に囲まれてどうしても逃げれない状況、もしくはこのままいくと命が危ないっていう絶体絶命時の抵抗策というか。そういう万が一の時に使う為に教えてると。でもそんな窮地って生きてても早々あるもんじゃないんですけど。でもそんな滅多にない様な状況の為に日々鍛錬するというのが男のロマンであったり。武士道とは正にそういうもんだと想うんですよね。昔の侍は時代劇の様にすぐキレて斬ったりなんてしなかったそうだし、余程のことがない限り刀は抜かなかったそうなんですよね。でもいざという時の為に日々刀を研いで剣術を磨いて的な。なんかそういう精神的な部分で非常に影響受けたかも知れないですね~。

以前ブログで『オレの人生に影響を与えた3人』という記事を書きましたけど、アレは身近な人の中での3人でしたけど、影響受けた著名な人という枠では間違い無く先生は入りますね。当時は余りにも上の存在過ぎて、日頃の挨拶以外ちゃんと会話したとかっていう記憶が全然無いし。いやもうね、色んな人たちがああだこうだと悪口言ったり、先生の経歴がどうのとか、骨法がインチキだとかなんとか、正直オレにとってはどうでもいいんですよ。一年半という短くも濃密な骨法人生でしたが、誰が何と言おうとも、オレの中では今でも先生から教わった技術や精神は脈々と息づいてるし、色んな事を踏まえた上でも、やっぱりオレは堀辺先生の弟子で良かったと本気で想ってますから。冒頭にも書きましたけど、実際骨法道場がなかったら上京して3ヶ月でおめおめと実家帰ってたと想うし。オレにとってはほんとに感謝しかないし、間違い無く骨法は10代最後のオレの青春そのものでしたよ。先生、本当にお疲れさまでした。安らかに。押忍!ありがとうございました!
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※骨法会員番号は849番。当時使ってたマウスピースも探したんですが捨てちゃったのか無くなってた…。実はこのレガースとニーパッドって、ロペの更衣室で盗難にあって、同日入門してすぐ辞めちゃった子に無理無理お願いして貸して貰ってそのままずっと返してないという…。でもあの時はマジで助かったんだよなあ…。ほんとにごめんなさい!!

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