さて後編です。後編と言っても残すは1位のみなんですけど(苦笑)。でも本来は単独で投稿しようかと思ってたぐらいだったので必然的にボリュームが。そんな訳で前回からの続き、新年恒例ナガサワ的20大ニュースカウントダウン(結局25大ニュースでしたけど)、早速いってみましょう。

第1位「Sailin’ Shoesの店長に」
やっぱ2022年と言えばコレしか無いでしょう。ボクも周りもビックリの、8月からまさかの恵比寿の老舗ミュージックバー・Sailin’ Shoesの店長に。ほんとに驚かれましたね~。てか未だに。まあ正直自分でもビックリですけど(苦笑)。そもそもの経緯は、前回のブログを書いた直後の6月末ぐらいの某日に、ライターの佐野(郷子)さんから急に電話があって「私昔からSailin’ Shoesによく行ってるんですけど、この前寄ったらオーナーの原さんが、今の店長7月いっぱいまでらしいんですけど次の店長がなかなか見付からないって困ってたんで、Webのナガサワさんとかどうですか?って言ったら原さんが、面識は一応あるけどちゃんと話したことないから是非1度ちゃんと紹介してくださいって言われて。ご興味あればお話しだけでもどうですか?」的な感じの内容の電話だったかと。実はそれまでも幾つか仕事の話しはあったんですが、ボクみたいなもんにお声掛けして頂いて本当にありがたいとは思ったものの、正直ピンとくるのが無くて全てお断り(もしくはスルー)してたんですよ。でもSailin’ Shoesの話しを聞いて瞬間的に「お、ちょっと面白いかも。」って思ったんですよね。なので佐野さんにはその場で「あ、是非お話しお伺いしたいです~」と即答して。で、翌週ぐらいに佐野さんも交えてボクとオーナーの原さんの3人で会って話すことになって。

でも色々と条件等を聞いてみると、具体的な数字は出されなかったですけど、ニュアンス的に結構厳しめな感じを受けましたし、色々と真剣に考えてみると、正直なところなかなか難しいかなあ…とは思って。それでも一応前向きには考えてましたけど、熟考した挙げ句、最終的な話し合いの条件提示で最低限納得がいかない場合はやっぱりお断りしようかなあ…とは内心思ってました。まあでもほんとに人が居ないみたいで、ボクが断ったら下手したら誰も見付からなければ8月いっぱいで店閉めないといけないぐらいのこともおっしゃってたので、最悪の場合、人が見付かるまでの2,3ヶ月ぐらいはやってもいいかなあとも思ってました。でも最終的な話し合いで、条件提示が想像してたよりも全然良かったのと、もしやらせて貰う場合最低限コレはこうしたいですけどどうでしょうか?的な相談事をことごとくOKして頂いたのもあって、やる気にも拍車が掛かって正式にお請けすることに。とは言えその直前にブログで「自分の店やります!」宣言してたばっかでしたし、原さんもそれは知ってくれていたので、勿論長ければ長いほど助かるけど最低限半年でもいいからやって欲しい的な感じもあり、だいぶ気も楽だったのもあったでしょうか。まあそんなこんなの入店までの流れでした。

そもそもSailin’ Shoesは過去に1度だけ、匠(弓削)くんからの誘いで2018年11月に一緒にヤマタツナイトを演ったことがあって。2年前に亡くなられた初代オーナーの浪岡さんとはその時唯一お逢いしました。でも実はその前からも各所から、達郎ファンにとっては知る人ぞ知る的なお店だっていうのは知ってました。実際浪岡さんとの繋がりからご本人も昔2,3度来たことあるらしいですし。なので今回のお話しを頂いた時にふと思ったのは「ナガタツ(ボク)がSailin’ Shoesの店長って絶対オモロいじゃん!」と思って(笑)。いや実は次に何をやるにしても、出来ればボクを知る皆さんがニヤッと笑ってくれる(面白がってくれる)様なことをしたいなあとは思っていて。そういう意味ではある一定の人達にではありますが、確実にウケるだろうなあ〜とは思って。実際SNSでの『来月からSailin' Shoesの店長になります』宣言は、Instagramでは過去最多いいね付きましたし(笑)。勿論単純に「仕事見付かって良かったね~」的にいいね押してくれた人も多いとは思いますけど、やっぱSailin’ Shoesという存在と大のタツローマニアであるボクのことをわかってる人からすれば、Sailin’ Shoesの店長がまさかのナガタツ!!とは思いますよね(笑)。

とは言えそもそも店名の由来がLittle Feetのアルバム名のタイトルから取ったということもあり、達郎ファンの聖地的な部分はあくまでも側面的であり、そもそもは60年代~70年代辺りの主にUSロックがメインのお店であることもリサーチして知ってはいて。正直なところ昔はその辺のロックも好きでしたし、DJでもよく掛けてはいたのでレコードも結構持ってはいたんですが、近年の趣向的には昔の音楽よりも最近の音楽の方が興味ありましたし、まさか後にSailin’ Shoesで働くことになろうとは夢にも思ってなかったので、もういい加減必要無いだろうと思って一昨年の秋に大量にレコードも処分しちゃってたんですよ。なので正直そこまで好きなジャンルでも無いので大して詳しくも無いし、マニアなお客さん相手になかなか大変だろうなあ…という不安もありました。その辺のロック以外には勿論達郎さんを始めとしたシティーポップ的な邦楽にも強い店でもありましたが、正直ボク的には達郎さんとまりやさんが好きなだけでシティーポップのムーブメントがめちゃくちゃ好きかと言われたらそうでもなく。なので結構そういう意味では不安な部分も多々ありましたけど。そもそもボクの能力が1番発揮されるのって、ジャンルとか一切関係無く好き勝手にやらせて貰うことだと思っていて。趣向的にも人脈的にもそうですし。正に三宿Web的な何でもアリの世界観というか。そういう意味では、Sailin' Shoesはかなりジャンル的にいうとかなり制限された個性のお店ではあるんですが、ある意味この限られた制約の中でどれだけやれるのか??という自分の中でのチャレンジ的な意味合いは非常に強くありましたかね。

そんな訳でのまさかの久々のバーテン復帰になった訳ですが、そもそも正直バーテンとかはやるつもりは全然無かったんですよ。特にバカ高い値段で小難しいカクテルとか出す様なオーセンティックなバーのバーテンとかは全く興味が無く。でもSailin' Shoesの仕事をお請けしたのは、メニューも非常に簡素で置いてる酒も少なかったですし、値段も手頃で基本チャージも無くバーとしては非常にリーズナブルだと思いましたし、面接の後にジントニックを頂いたんですが普通に美味しかったんですよ。使ってる材料も最低限ちゃんとしたモノだったし。なのでなんかシンプルでいいなと思ったんですよね。勿論ボクの知識やノウハウを使えば確実にもっと美味しく出せるとも思いましたし。バーテン復帰には全く興味はありませんでしたけど、たまに神田の手と花でお酒を作る機会があったりすると、やっぱ嫌いじゃないんですよね〜単純にお酒を作ることに関しては。あと決め手になったのはなにげに営業時間。浪岡さん時代は深夜遅くまでやってたみたいですが、コロナ後はご存知の通り深夜はやれない時期もありましたし、緊急事態宣言明け以降も深夜はやらなくなって、遅くても終電ぐらいまでになってたのも結構ボクの中では大きかったですね。逆に言うと深夜もやってる店だったら恐らく請けてなかったかと。やっぱり深夜はまだまだ当分厳しいと思ってますし、住んでるところも遠いので帰るのも大変だしで。

まあそんなこんなで7月に3日間の引き継ぎ期間を経ていざ1人で任される訳ですけど、正直言っていざ入店してみると、飲食業界歴32年のボクからするともうビックリするぐらいナンセンスなことや足りないモノとかがめちゃくちゃ多くてビックリ。いやもういっぱいありましたけど、1番困惑したのはオープン時間と入店時間が同じなことでしたかね〜。基本18時オープンで18時入りだったんですよ。通常飲食店はオープン前のセッティング作業が結構あるので普通は1時間前、少なくとも30分前には来て掃除やら買い出しやら準備やらをする訳ですが、その時間が無い訳ですよ(苦笑)。オープン直後はほとんどお客さん来ないからということらしいんですが、とは言えもしオープン直後にお客さん来たら全く対応出来ないじゃないですか??実際たまに来たりするし。でも長年それでやってきてるのにいきなり変えるのも気が引けるしで、ぶっちゃけ最初の1ヶ月は最低30分前には来て開店準備してましたが、通常営業の日の入りは18時って書いてました(苦笑)。だいぶタダ働きしましたね〜。まあそれでもオープン直後にドタバタしたくないっていう方が強かったかも。あ、ちなみに今はちゃんとインした時間を正確に書いてますけど。いや、もう半年経ちますけどそもそもどう頑張ってもやること多過ぎて最低限30分前に来ないと余裕でオープン間に合わないですよ(苦笑)。結構混みそうなイベントの時は1時間前に来ても間に合わない時もあるし。とまあ最初はそういう無駄な気苦労や気遣いが多かったかも。やっぱどの店でもそうですが、その店にはその店の決まりやセオリーがありますし、郷には入れば郷に従え的なことは理解してるつもりですけど、どう考えてもナンセンスなモノは変えていこうとは思ってました。とは言え入っていきなり色々変えるのはなかなか気を遣う部分もあって。

最初の3ヶ月ぐらいはほんとに色々とストレスで気疲れが凄かったですね。ここはどういう店なのか?とか、どこまではOKでどこまではダメなのか?とか、ほんとにちょっとづつ手探りで探っていったというか。常連さんの顔や名前覚えるのも然り。あとグラスやらお酒の種類やら備品やら、ほんとに最低限足りないモノがめちゃくちゃ多かったので、そういうのも一気に増やすのも気が引けたので3ヶ月ぐらいに分けてちょっとづつ増やしていって。どうしても早急に必要なモノは三宿Webから譲り受けたモノ持って行ったり。グラスやら酒やらバー用品やらDJ用機材やら照明器具やら。未だに結構使ってますけど(苦笑)。なので3ヶ月ぐらい経つとようやく色々と揃ってきましたし、同時にお酒をなるべく敏速且つ美味しく作りやすい環境もちょっとづつ整ってきてだいぶ働きやすくもなりましたし、お店の感じというかルールというか、色々なことがようやく諸々把握出来て精神的にもだいぶ楽に働ける様になって。ぶっちゃけ働いて3日目でまだまだ右も左もわからない様な状態の時に大御所の常連さんにどえらい怒られて。いや、全然粗相とかではなく、ただ引き継ぎの時に教えて貰ってなかったことや無駄に気を遣っただけの様なことだったんですけど、もう何かとあれば怒鳴られて。あと最悪なことにその日もうひとつなかなかキツいことが重なって、マジでどえらい憔悴しましたよ…(苦笑)。いや、毎日こんな感じだったら流石にちょっと続けられないかも…って3日目にして早くも思ったぐらい。まあでもそんな不安はよそに、その後はそんな怒る人も居なかったですし(その方もそれ以降は特に怒ることもなく)、むしろSailin’ Shoesに来るお客さんは皆さん一様に優しくていい方達ばかりでほんと有り難い限りです。

働いてみてビックリしたことがもう1つ。一般の人から見るとどうやらボクは平均35歳ぐらいに見えるらしく(苦笑)。統計的に9割ぐらいの人に言われます。なので歳聞かれたりすると皆さん一様に目えひんむいてビックリします(笑)。話しのネタ的には確実に盛り上がるからいいんですけど、お客さんの中には稀に完全に若い兄ちゃんだと思い込んで舐めた態度で来る人も居て。あと同じ夜の商売とは言えお客さんの平均年齢が60前後ぐらいだし、ほとんどの人がクラブとか行ったことなければ知らない人だらけで、三宿Webのことも知らなければ勿論のことボクのクラブ業界でのキャリアや実績とかも知る由もなく。なのでそういう人からすれば単純に「若くて金髪でタトゥー入ったチャラい兄ちゃんが店長になった」的に見られたりも。人によっては小僧扱いですよ(苦笑)。いや〜結構衝撃でしたよ…。実際クラブ業界ではボクよりキャリアが長い人ってほんと何人かしかいないぐらい超ベテランではありましたし、特に以前のブログでも書きましたけど昨年の上半期とかは色んな人にやれ「クラブ業界のレジェンドだ」とか「界隈では有名人ですよ」とか持ち上げられて若干その気になってたのもあって、余計にカルチャーショックだったというか。いやもう正直最初の頃は内外問わず余りの扱いの低さにプライドも何もズタボロでしたよ…。まあでも逆に言うと神様からの「図に乗んなよ!」とか「勘違いすんなよ!」っていう強烈なメッセージにも取れましたけどね。いやほんと、一般的に見たらボクなんて鼻クソぐらいの存在でしか無いっていうことを嫌と言うほど思い知らされましたよ、、、。

最初はそんな感じでほんとに精神的に凹む日が多かったですが、浪岡さん時代からの常連さんの中で唯一なぜかボクのことをめちゃくちゃ高く評価してくれる方が居て。不動産関係のお仕事されてる方でボクより2つ上で、いつも仕事帰りなのでスーツなのもあって見た目は超普通のおじさんだし、クラブも行ったことなければそういうカルチャーのことも一切知らないハズなんですが、入店してすぐにいらっしゃってちょっと話したんですが、もうそれ以降なんかずっとやたらと評価が高くて。「あなたみたいな方が店長継いでくれてほんとに良かった。」とか「お酒も美味しいしちゃんと作ってるし、日々お店が進化してますね。」とか言ってめちゃくちゃ褒めてくれて。しかも表面上のおべっかとかじゃなくて、細かいなかなか気付かれにくいところもちゃんと見てくれてるので非常に嬉しくて。いやもうボクの周りで言うと団野さんやエイジくんかイットくんか?ってぐらいのフォロワーっぷりですよ(笑)。しかもその3人はもう長年の付き合いだからボクのこと深部までよくわかってくれてるのもあるとは思うんですけど、その人はもう会ったその日からだし、ほんとに内心「え?この人神様??」ってレベルですよ(笑)。1人で来られる時はよく話したりもしますけど、話しもいつも興味深くて面白いし、全く畑の違うボクの話しも興味深く聞いてくれるし。あとこの前なんてたまたま1人で来られて丁度酒作る場所の前に座られてたんですが、直後急に混み出したのでMAXのスピードでサクサク酒作ってたらまたもや大絶賛してくれて。「ボクはバー経験無いから詳しいことはわからないけど、無駄な動きが1つも無いし、更に速くて正確に作ってて思わず見入っちゃうぐらいビックリですよ。」って。いや、正に現役のバーテン時代はそれをテーマにやってましたし、昔は多数の同業者・お客さんにめちゃくちゃ褒められたもんですけど久々にそんなことを言われて。またもや細かい所作を指摘され「この人ほんとに洞察力凄いな…」と逆に感嘆しましたよ。同時に『どんだけ一生懸命やってても誰にも評価されなくてもやっぱ絶対手を抜いちゃダメだな…』と思いましたし『見てる人は見てるしわかる人にはわかるモンだなあ…』とも改めて思いましたね。いやしかし、この人に早くから評価して頂いたのはマジで結構精神的に救われましたよ。。

入店して数ヶ月ずっとそんな感じだったのもあり、最初は若干自暴自棄気味でしたが段々と感覚も麻痺してきて気にならなくなりましたし、でもそういうぞんざいな扱いの環境に3ヶ月も居るとふとした瞬間に「あれ?ほんとにオレ三宿Webってやったんだっけ…?もしかしてアレは幻だったんじゃ…?」とか考えたりすることも多々あって(結構マジで)。なのでそんな折り、日本テレビ『しゃべくり007』のコーナーで鬼奴と黒沢さんが三宿Webのことを話してくれて、ボクが撮った写真も使われたりしたので、それを旧三宿Webの各SNSアカウントで紹介したりしたんですが、やっぱ三宿Webフォロワーの皆さんはとても喜んでくれて物凄く反響があって。ほんとに嬉しかったのと同時に「あ!やっぱりオレの三宿Webのキャリアは幻じゃなかったんだ!」って我に還ったというか(笑)。いや、冗談とか大袈裟に聞こえるかも知れませんが、当時のボクの頭の中は結構マジでそんな風に思ったりしてました。それぐらいもう過去の実績とか無関係のところに居たというか。なのでコレはほんとにタイムリーだったし嬉しかったなあ。。



しかし思えば昔働いたイタ飯屋でも最初は、当時原宿カフェドロペや渋谷CAVEのバイトで1番上まで行ったという実績から自信満々意気揚々と入店したものの、コックの城内さんには小僧扱いで(まあ当時はほんとに小僧でしたけど・苦笑)毎日の様に怒鳴られまくって鼻をへし折られまくったのとなんだか似てるなあと。しかもちょうど30年前で場所も同じ恵比寿ってのも何の因果かと思ったり。やっぱほんと色んな意味で初心に還らされたことは確かですね~。マジで最初の3ヶ月ぐらいは辛かったですけど、むしろ気付かせて貰えてありがたいなあとも思ったり、色んな事を改めて学んだ気もしますし。クラブ業界という一般とはかけ離れたクレイジーな世界に長らく居たっていうことも改めて再認識しましたし。長い人生の中で考えると非常に貴重な経験になったんじゃないかと思いますね〜。

入店してまず、いや入店する前にやったことが、自腹で勝手に制服Tシャツの製作。働く直前になってふと「Sailin’ Shoesでは何着て働こう??」と思って。CAVE時代は毎回色違いのスカーフ巻いたり、ROOM時代は色んな古着のドレスシャツ着たりスーツ着たりと(Web時代は長過ぎて色々とあり過ぎるので割愛)、なにげに昔から無駄に働く時のスタイルには拘りがあるんですが、色々と早急に考えた結果「とりあえず自分だけの制服を作って当面はそれを着よう」という結論に至り。とは言え店のロゴが入ったベタなのも嫌なので、考えに考えた挙げ句思い付いたのが、アルバム『ARTISAN』のアンドレミルポルスキーの手書き部を拾って作ったオマージュロゴをワンポイントで胸に入れたTシャツで。が、余りにも急過ぎていつもお願いしてるプリント屋さんが「繁忙期で今月中は無理」って断られてしまい、急遽小原(優男)くんに紹介して貰ったところで超特急で(なのでシルクスクリーンじゃないんですが)製作。なにげに結構評判良くて何人かには「欲しい!」とか「買いたい!」とか言われましたね〜。10月にはデザインを一新して秋冬用第2弾も無駄に製作。長袖Tとパーカーを。今回は特にオマージュとかは無く店名ロゴも入れてませんが、左胸には1度でもご来店された方は思わず「あっ!」と思うであろうSailin' Shoesの看板のデザインを。背面にはハイヒールの自作イラストにSailin’ Shoesの頭文字の『S S』を。しかし第2弾は表裏プリント(3版)に無駄に合計22枚(22種類)も作ったのもあって、予想以上にどえらい金掛かりましたよ…。まあでも毎日着るモノには困らないし、1発目に続き評判も非常にいいのでほんと作っといて良かったですけど。






働く前に原さんから「別に歩合でもいいですよ」とは言われてはいたんですが、実際どんな店なのか働いてみないとわからないことも多々あったので、とりあえずは時給でやらせて貰うことになったんですが、実際働いてみるとまあほんとに暇な店で(苦笑)。イベントとか組むとある程度は入るんですが、通常営業だと基本結構暇です。もう業界人の隠れ家バー的なポジションというか。一見さんとかはまず入って来ないし。なので最初の頃は余りに激暇過ぎて焦りましたよ。いや、前述した様に時給なんで暇でも売り上げ無くてもボク的にはマイナスにはならないんですが、無駄に責任感強い方だし、なんせ長らくWebでは逆にバイトの給料払う側だったのもあって、やっぱ最低限人件費でマイナス出るって結構キツいのも痛いほど経験してるので、とりあえずどうにか赤字にならない様にと月間の売り上げとかその辺はめちゃくちゃ気を遣ってますね〜。なので入店と同時に始めた毎週月曜日の『MONDAY BLUE』(昨年までは毎週ヤマタツナイト)はほんとに組んどいて良かったですよ。アレ無かったら最初の3ヶ月ぐらいはどえらいことになってたかもです。

一応InstagramとFacebookにはSailin' Shoesのアカウントはあったんですが、ボクが入るまでは余り積極的に投稿してなくて、検索で調べても情報が錯綜してて、いつやってるのか?何時から何時までやってるのか?どういう営業してるのか?とか諸々わかりづらかったですし、入店と同時に毎週月曜日はイベントにしましたし、他にもイレギュラーでイベントや貸し切り等が入ったりもしてたので、やっぱマンスリーカレンダー的なモノはあった方がわかりやすくていいよなあと思い勝手に製作。ボク的にはなるべくシンプルでわかりやすく且つSailin’ Shoesっぽい感じのイメージのデザインで作ってたつもりだったんですが、三宿Web界隈の人たちからはしょっちゅう「このスケジュール見ると三宿Webっぽくてめちゃ懐かしくなりますよ〜!」とか言われてて。正直Webのスケジュールとは全然イメージ変えて作ってたつもりだったんですが(苦笑)。でも最近はもう開き直って余り意識せず作ってますけど。あとInstagramとFacebookのアカウントも10月中旬頃からは、イベント他諸々のお知らせは基本ボクがマメになるべくわかりやすく投稿することに。更に今年の1月末からはTwitterアカウントも新設と、正に八面六臂の活躍です(笑)。

入店した時はもうほんとに簡素なバーで、メニューも簡単なモノが数種あるだけでしたし、基本的にお客さんの平均年齢が60ぐらいでビールかハイボールしか出ないという理由もあったみたいでしたが、いずれボクのお客さんも多少来てくれるだろうし、流石に選択肢の幅が狭過ぎるのでちょっとづつお酒や材料も増やしていって。と同時にメニューもちょっとづつ増やしていってこれまで7回ぐらいはアップデートしましたかね〜。グラスやホワイトスピリッツは三宿Web時代同様凍らせる様にしたり。スペース的な問題もあったので大変でしたけど、他にも細かいところを知恵を絞って色々と工夫してやれる様にやりやすい様に考えて。いやもうほんとに細かい微妙なところを幾つも頭使って。あと、THE ROOMでは『KYOTO』、三宿Webでは『MISHUKU』『ヤバスタ』『オリジナルオレンジ(グレープフルーツ)カクテル』等々、長きに渡り愛される名作カクテルを多数考案してきたのもあって、Sailin' Shoesでもとオリジナルカクテルも数種考案。『BIG WAVE』『MONDAY BLUE』『SUMIRE』の3種。はっきり言ってバーに関して言えば、以前とはもう雲泥の差です。まあそれでも最低限のモノだけですが出してるモノに関しては、旧三宿Webクオリティーと大差ないレベルの確実に美味しいモノを提供してる自負はあります。



基本他にスタッフは居なくてボク1人の完全ワンオペなんですが、やっぱ混むとどえらい大変だし、トラブルがあった時とかも全部1人で対処しなきゃいけないのが結構心許ないんですが、やっぱ三宿Webの閉店数年前ぐらいから慢性の人手不足(つっても容易に雇わなかっただけだけど)に泣かされてほぼ毎週末ヘルプスタッフ探ししなきゃいけない気苦労がずっとあったので、それを考えると今はめちゃくちゃ精神的には楽ですね。いざとなれば自分だけしんどい思いすればどうにかなること多いし、他のスタッフに対する気苦労とかも全く無いし。正直Webの頃はみんなでメシ食うとなったら毎回ボクの奢りだし、誕生日には高価なプレゼント買ってあげてと、無駄にちょっとしたお父さん的な感じもありましたし(苦笑)、全盛期はまずまずの稼ぎがあったから良かったですけど、正直晩年は大して稼ぎもない月も結構ありましたからほんと大変でしたよ。厳しい時期とかはもはや「オレはスタッフにメシ食わす為に、プレゼント買ってあげる為に働いてるのか…?」とか錯覚したこともあったぐらい。まあでも店にとって1番大事なのは人材だと思ってたので致し方無かったんですけどね。あ、あと最近は、ちょっと怒ったり注意したりするのもアウトな時代じゃないですか?もうなんかあったらすぐパワハラとかになる訳でしょ?『怒っちゃダメ、注意もダメ。でも知識や技術は教えろ。しかも優しく。』なんかもうそういう今時の風潮も正直「なんだそれ??」とは思っていて。ていうことも引っくるめて考えると、全部1人でやるのはやっぱ孤独だし体力的には結構しんどいですけど、逆に言うと色々ストレスフリーだしめっちゃくちゃ気楽で心地良くもあります。

あと長らく小汚い店で働いてたこともあって「やっぱ綺麗な店で働くっていいなあ〜!」とはなにげに常々思ってます(笑)。トイレとか特に。元々あった有線のボロい掃除機が全然吸わなくて、原さんに「出来れば中古でいいので代わりの掃除機あるといいですね…」的なことを言ったらすぐに安いけど新品のコードレス買ってくれて。もうほぼ毎日ぐらいの勢いで掃除機掛けてますよ(笑)。やっぱボクみたいな根暗な人間は環境に引っ張られやすいので、汚い店で働くと心も汚れてくるし綺麗な店で働くと心も綺麗になるというか(笑)。いやでも人間って微妙にそういうのってあると思いますし。いや、半年働いて改めて思いますけど結構あるなあと。まあ店だけじゃ無く住んでる部屋とかも多分にあると思いますけど。


とまあそんな感じですかね。超出不精の人付き合いの悪いボクみたいなのは、やっぱこういう店で働いた方がきっといいんだろうなあとは思いますね。ほんとに何もないと引き籠もりがちなので。だいぶ慣れてきて要領もわかってきましたし、ちょっとづつ色んな細部を改善して当初よりかなりシステマティックになって働きやすくなりましたし。あと自宅以外に自分の居場所がもうひとつあるっていうのはやっぱなんかいいですね。なにげに合鍵で店の扉開ける時に毎回思いますけど。あの店の感じも結構好きだし。正直言ってテイスト的には個人的な好みでは無いんですけどね。自分の店作ろうと思ったら確実にああいう感じにはしないと思うし。でもなんか嫌いじゃ無いというか。なんでしょう?シンプルな内装なのがいいのかも。勿論半年働いて愛着も出て来てるのもあるとは思いますが。あとやっぱ半年働いて、オーナーの原さんや常連の皆さんを始め、浪岡さんの頃から来てる古株の常連の皆さんとも最近だいぶ仲良くなったのもあって、非常に働いてて居心地が良いってのもありますけど。でも気を付けないとボクの場合、居心地いいとうっかり長居しちゃうんですよ。Webなんてうっかり26年も働いてしまいましたし(苦笑)。なのでうっかりしない様に気を付けないと…とは思ってます。前述した様に自分の能力をフルに発揮するには、やっぱいずれ完全に自分の思った通りに出来る自分の店を持つべきだとは思いますし。まあでもいつまでやるかはわかりませんが、居る間は出来る限りのことを全力でやろうとは思ってますけど。

いつも以上に無駄に長々と、初の前後編に分けましたがそんな感じの2022年でした。今回なんか珍しくイマイチ気が乗らないのもあったし、ほぼ毎日仕事もあったしで書くのめちゃくちゃ時間が掛かりましたね~。振り返るとなんと3度の地獄を含む全体の3分の1がネガティブな出来事だったし。こんな嫌な想い出が多かった年も滅多に無かったかも?ってぐらい。でも2022年を改めて振り返って見ると、最終的には不思議なことに吉もしくは中吉的な年の様にも思えたり。大きな要因はやはり新しい自分の居場所が見付かって、且つ定期的な収入が得られる様になったのが1番デカかったでしょうね~。元々物欲強い方だし、ある程度欲しいモノが躊躇なく買える環境というのは有り難いことだし1番のストレス発散になるので。なにせこの2年は安定した収入が無かったので常に不安でしたしね。やっぱお金が無い、稼げないってのは精神的にも不安定になるし。なので昨年下半期とかは結構ちょっとした買い物したし。そんな高いモノは買ってませんけどね。そう考えると去年は結構買い物しましたね~。ここ数年で1番買い物した様な気も?毎日出掛けることになったのもあって服もちょこちょこ買ったし。でも何を買う時も毎回アホほど調べて探して買うので、安いモノでも自分的な満足度は高いんですよね。




とは言え今の稼ぎだけではなかなか金が貯まらないので、今年はもうひとつぐらいなんか仕事しようかなあとは思っていて。Sailin’ Shoes出勤前の昼の時間帯に週3とかで。まあ最初の3ヶ月ぐらいは気苦労が多かったし万全の体調でいかないと何があるかわからなかったので、到底他の仕事と併用なんて無理でしたけど、ようやく色んな事にも慣れてきたのでちょっと無理すればやれるかなと。でも今平均週に2度イベント組んでるし、イベントある日は営業前におむすび作ってるので時間や体力の余裕的に無理だし、そう考えるとプラス週3で他の仕事とかってのもかなりキツい気もしますけどね…。特にイベント無い日でもたま~にめちゃくちゃ混む日とかもあるし。なんせ完全ワンオペなんでちょっとでも混むとめちゃくちゃ疲れが溜まるんですよ。マジで2日混む日が続くと結構ダメージ残ります。なのでそう考えるとなかなか副業は難しいかなあ…とかも思ったり。なのでまた昔みたいにTシャツとか作って通販するとか、どこかの店のイベントのブッキングをするとか?そういうことなら片手間にでも出来そうかなあとか思ったり。まあちょっと色々と探ってみようかなとは思ってます。あ、もしなんかいい仕事の話しあったら振ってください(笑)。

さて2023年はどういう年になるんでしょうか?もうとっくに始まってますが(苦笑)。去年一昨年ほど不安や心配は無いですけど、でも正直言って何がどうなるかは本当にわからないというか。普通に考えればまだ今年いっぱいは恐らくSailin’ Shoesで働いてるとは思いますけど、ほんとに何がどうなるかはわからないですからね。途中で「やっぱ無理だ…」って思うことがあるかも知れないし「やっぱもう早く自分の店がやりたい!」って改めて強く思うかも知れないし。はたまた…。まあほんとわからないですね。とりあえず年齢も年齢だし、1年間健康でいられる様に、まずは何はなくともそれが1番かも。去年はコロナから始まって頚椎痛やら歯痛やらほんと災難続きでしたし、ほんと身体あっての物種ですからね。見た目35でも身体はもう初老なので(笑)。まあ何はともあれ今年も後先考えず、とりあえず目の前のことを一所懸命やるということですかね。まずはそれからな気もするし。でもなんか今年も大きなことが起こりそうな気もしてるんですよね〜。それが何かはわかりませんが。去年なかなかキツい年だったので今年はいい年になりそうな気もしてるんですけどね〜勝手に(笑)。あと最近うっかりミスが多いのでそういうのも重々注意して。心に余裕が出来るとそういうのも起こりやすくなりますし。そんな感じです。ボクの周りの優しくしてくれる皆さま、いつも大好きです(笑)。そして今年も懲りずに、ひとつよろしくお願いいたします!






第1位「Sailin’ Shoesの店長に」
やっぱ2022年と言えばコレしか無いでしょう。ボクも周りもビックリの、8月からまさかの恵比寿の老舗ミュージックバー・Sailin’ Shoesの店長に。ほんとに驚かれましたね~。てか未だに。まあ正直自分でもビックリですけど(苦笑)。そもそもの経緯は、前回のブログを書いた直後の6月末ぐらいの某日に、ライターの佐野(郷子)さんから急に電話があって「私昔からSailin’ Shoesによく行ってるんですけど、この前寄ったらオーナーの原さんが、今の店長7月いっぱいまでらしいんですけど次の店長がなかなか見付からないって困ってたんで、Webのナガサワさんとかどうですか?って言ったら原さんが、面識は一応あるけどちゃんと話したことないから是非1度ちゃんと紹介してくださいって言われて。ご興味あればお話しだけでもどうですか?」的な感じの内容の電話だったかと。実はそれまでも幾つか仕事の話しはあったんですが、ボクみたいなもんにお声掛けして頂いて本当にありがたいとは思ったものの、正直ピンとくるのが無くて全てお断り(もしくはスルー)してたんですよ。でもSailin’ Shoesの話しを聞いて瞬間的に「お、ちょっと面白いかも。」って思ったんですよね。なので佐野さんにはその場で「あ、是非お話しお伺いしたいです~」と即答して。で、翌週ぐらいに佐野さんも交えてボクとオーナーの原さんの3人で会って話すことになって。

でも色々と条件等を聞いてみると、具体的な数字は出されなかったですけど、ニュアンス的に結構厳しめな感じを受けましたし、色々と真剣に考えてみると、正直なところなかなか難しいかなあ…とは思って。それでも一応前向きには考えてましたけど、熟考した挙げ句、最終的な話し合いの条件提示で最低限納得がいかない場合はやっぱりお断りしようかなあ…とは内心思ってました。まあでもほんとに人が居ないみたいで、ボクが断ったら下手したら誰も見付からなければ8月いっぱいで店閉めないといけないぐらいのこともおっしゃってたので、最悪の場合、人が見付かるまでの2,3ヶ月ぐらいはやってもいいかなあとも思ってました。でも最終的な話し合いで、条件提示が想像してたよりも全然良かったのと、もしやらせて貰う場合最低限コレはこうしたいですけどどうでしょうか?的な相談事をことごとくOKして頂いたのもあって、やる気にも拍車が掛かって正式にお請けすることに。とは言えその直前にブログで「自分の店やります!」宣言してたばっかでしたし、原さんもそれは知ってくれていたので、勿論長ければ長いほど助かるけど最低限半年でもいいからやって欲しい的な感じもあり、だいぶ気も楽だったのもあったでしょうか。まあそんなこんなの入店までの流れでした。

そもそもSailin’ Shoesは過去に1度だけ、匠(弓削)くんからの誘いで2018年11月に一緒にヤマタツナイトを演ったことがあって。2年前に亡くなられた初代オーナーの浪岡さんとはその時唯一お逢いしました。でも実はその前からも各所から、達郎ファンにとっては知る人ぞ知る的なお店だっていうのは知ってました。実際浪岡さんとの繋がりからご本人も昔2,3度来たことあるらしいですし。なので今回のお話しを頂いた時にふと思ったのは「ナガタツ(ボク)がSailin’ Shoesの店長って絶対オモロいじゃん!」と思って(笑)。いや実は次に何をやるにしても、出来ればボクを知る皆さんがニヤッと笑ってくれる(面白がってくれる)様なことをしたいなあとは思っていて。そういう意味ではある一定の人達にではありますが、確実にウケるだろうなあ〜とは思って。実際SNSでの『来月からSailin' Shoesの店長になります』宣言は、Instagramでは過去最多いいね付きましたし(笑)。勿論単純に「仕事見付かって良かったね~」的にいいね押してくれた人も多いとは思いますけど、やっぱSailin’ Shoesという存在と大のタツローマニアであるボクのことをわかってる人からすれば、Sailin’ Shoesの店長がまさかのナガタツ!!とは思いますよね(笑)。

とは言えそもそも店名の由来がLittle Feetのアルバム名のタイトルから取ったということもあり、達郎ファンの聖地的な部分はあくまでも側面的であり、そもそもは60年代~70年代辺りの主にUSロックがメインのお店であることもリサーチして知ってはいて。正直なところ昔はその辺のロックも好きでしたし、DJでもよく掛けてはいたのでレコードも結構持ってはいたんですが、近年の趣向的には昔の音楽よりも最近の音楽の方が興味ありましたし、まさか後にSailin’ Shoesで働くことになろうとは夢にも思ってなかったので、もういい加減必要無いだろうと思って一昨年の秋に大量にレコードも処分しちゃってたんですよ。なので正直そこまで好きなジャンルでも無いので大して詳しくも無いし、マニアなお客さん相手になかなか大変だろうなあ…という不安もありました。その辺のロック以外には勿論達郎さんを始めとしたシティーポップ的な邦楽にも強い店でもありましたが、正直ボク的には達郎さんとまりやさんが好きなだけでシティーポップのムーブメントがめちゃくちゃ好きかと言われたらそうでもなく。なので結構そういう意味では不安な部分も多々ありましたけど。そもそもボクの能力が1番発揮されるのって、ジャンルとか一切関係無く好き勝手にやらせて貰うことだと思っていて。趣向的にも人脈的にもそうですし。正に三宿Web的な何でもアリの世界観というか。そういう意味では、Sailin' Shoesはかなりジャンル的にいうとかなり制限された個性のお店ではあるんですが、ある意味この限られた制約の中でどれだけやれるのか??という自分の中でのチャレンジ的な意味合いは非常に強くありましたかね。

そんな訳でのまさかの久々のバーテン復帰になった訳ですが、そもそも正直バーテンとかはやるつもりは全然無かったんですよ。特にバカ高い値段で小難しいカクテルとか出す様なオーセンティックなバーのバーテンとかは全く興味が無く。でもSailin' Shoesの仕事をお請けしたのは、メニューも非常に簡素で置いてる酒も少なかったですし、値段も手頃で基本チャージも無くバーとしては非常にリーズナブルだと思いましたし、面接の後にジントニックを頂いたんですが普通に美味しかったんですよ。使ってる材料も最低限ちゃんとしたモノだったし。なのでなんかシンプルでいいなと思ったんですよね。勿論ボクの知識やノウハウを使えば確実にもっと美味しく出せるとも思いましたし。バーテン復帰には全く興味はありませんでしたけど、たまに神田の手と花でお酒を作る機会があったりすると、やっぱ嫌いじゃないんですよね〜単純にお酒を作ることに関しては。あと決め手になったのはなにげに営業時間。浪岡さん時代は深夜遅くまでやってたみたいですが、コロナ後はご存知の通り深夜はやれない時期もありましたし、緊急事態宣言明け以降も深夜はやらなくなって、遅くても終電ぐらいまでになってたのも結構ボクの中では大きかったですね。逆に言うと深夜もやってる店だったら恐らく請けてなかったかと。やっぱり深夜はまだまだ当分厳しいと思ってますし、住んでるところも遠いので帰るのも大変だしで。

まあそんなこんなで7月に3日間の引き継ぎ期間を経ていざ1人で任される訳ですけど、正直言っていざ入店してみると、飲食業界歴32年のボクからするともうビックリするぐらいナンセンスなことや足りないモノとかがめちゃくちゃ多くてビックリ。いやもういっぱいありましたけど、1番困惑したのはオープン時間と入店時間が同じなことでしたかね〜。基本18時オープンで18時入りだったんですよ。通常飲食店はオープン前のセッティング作業が結構あるので普通は1時間前、少なくとも30分前には来て掃除やら買い出しやら準備やらをする訳ですが、その時間が無い訳ですよ(苦笑)。オープン直後はほとんどお客さん来ないからということらしいんですが、とは言えもしオープン直後にお客さん来たら全く対応出来ないじゃないですか??実際たまに来たりするし。でも長年それでやってきてるのにいきなり変えるのも気が引けるしで、ぶっちゃけ最初の1ヶ月は最低30分前には来て開店準備してましたが、通常営業の日の入りは18時って書いてました(苦笑)。だいぶタダ働きしましたね〜。まあそれでもオープン直後にドタバタしたくないっていう方が強かったかも。あ、ちなみに今はちゃんとインした時間を正確に書いてますけど。いや、もう半年経ちますけどそもそもどう頑張ってもやること多過ぎて最低限30分前に来ないと余裕でオープン間に合わないですよ(苦笑)。結構混みそうなイベントの時は1時間前に来ても間に合わない時もあるし。とまあ最初はそういう無駄な気苦労や気遣いが多かったかも。やっぱどの店でもそうですが、その店にはその店の決まりやセオリーがありますし、郷には入れば郷に従え的なことは理解してるつもりですけど、どう考えてもナンセンスなモノは変えていこうとは思ってました。とは言え入っていきなり色々変えるのはなかなか気を遣う部分もあって。

最初の3ヶ月ぐらいはほんとに色々とストレスで気疲れが凄かったですね。ここはどういう店なのか?とか、どこまではOKでどこまではダメなのか?とか、ほんとにちょっとづつ手探りで探っていったというか。常連さんの顔や名前覚えるのも然り。あとグラスやらお酒の種類やら備品やら、ほんとに最低限足りないモノがめちゃくちゃ多かったので、そういうのも一気に増やすのも気が引けたので3ヶ月ぐらいに分けてちょっとづつ増やしていって。どうしても早急に必要なモノは三宿Webから譲り受けたモノ持って行ったり。グラスやら酒やらバー用品やらDJ用機材やら照明器具やら。未だに結構使ってますけど(苦笑)。なので3ヶ月ぐらい経つとようやく色々と揃ってきましたし、同時にお酒をなるべく敏速且つ美味しく作りやすい環境もちょっとづつ整ってきてだいぶ働きやすくもなりましたし、お店の感じというかルールというか、色々なことがようやく諸々把握出来て精神的にもだいぶ楽に働ける様になって。ぶっちゃけ働いて3日目でまだまだ右も左もわからない様な状態の時に大御所の常連さんにどえらい怒られて。いや、全然粗相とかではなく、ただ引き継ぎの時に教えて貰ってなかったことや無駄に気を遣っただけの様なことだったんですけど、もう何かとあれば怒鳴られて。あと最悪なことにその日もうひとつなかなかキツいことが重なって、マジでどえらい憔悴しましたよ…(苦笑)。いや、毎日こんな感じだったら流石にちょっと続けられないかも…って3日目にして早くも思ったぐらい。まあでもそんな不安はよそに、その後はそんな怒る人も居なかったですし(その方もそれ以降は特に怒ることもなく)、むしろSailin’ Shoesに来るお客さんは皆さん一様に優しくていい方達ばかりでほんと有り難い限りです。

働いてみてビックリしたことがもう1つ。一般の人から見るとどうやらボクは平均35歳ぐらいに見えるらしく(苦笑)。統計的に9割ぐらいの人に言われます。なので歳聞かれたりすると皆さん一様に目えひんむいてビックリします(笑)。話しのネタ的には確実に盛り上がるからいいんですけど、お客さんの中には稀に完全に若い兄ちゃんだと思い込んで舐めた態度で来る人も居て。あと同じ夜の商売とは言えお客さんの平均年齢が60前後ぐらいだし、ほとんどの人がクラブとか行ったことなければ知らない人だらけで、三宿Webのことも知らなければ勿論のことボクのクラブ業界でのキャリアや実績とかも知る由もなく。なのでそういう人からすれば単純に「若くて金髪でタトゥー入ったチャラい兄ちゃんが店長になった」的に見られたりも。人によっては小僧扱いですよ(苦笑)。いや〜結構衝撃でしたよ…。実際クラブ業界ではボクよりキャリアが長い人ってほんと何人かしかいないぐらい超ベテランではありましたし、特に以前のブログでも書きましたけど昨年の上半期とかは色んな人にやれ「クラブ業界のレジェンドだ」とか「界隈では有名人ですよ」とか持ち上げられて若干その気になってたのもあって、余計にカルチャーショックだったというか。いやもう正直最初の頃は内外問わず余りの扱いの低さにプライドも何もズタボロでしたよ…。まあでも逆に言うと神様からの「図に乗んなよ!」とか「勘違いすんなよ!」っていう強烈なメッセージにも取れましたけどね。いやほんと、一般的に見たらボクなんて鼻クソぐらいの存在でしか無いっていうことを嫌と言うほど思い知らされましたよ、、、。

最初はそんな感じでほんとに精神的に凹む日が多かったですが、浪岡さん時代からの常連さんの中で唯一なぜかボクのことをめちゃくちゃ高く評価してくれる方が居て。不動産関係のお仕事されてる方でボクより2つ上で、いつも仕事帰りなのでスーツなのもあって見た目は超普通のおじさんだし、クラブも行ったことなければそういうカルチャーのことも一切知らないハズなんですが、入店してすぐにいらっしゃってちょっと話したんですが、もうそれ以降なんかずっとやたらと評価が高くて。「あなたみたいな方が店長継いでくれてほんとに良かった。」とか「お酒も美味しいしちゃんと作ってるし、日々お店が進化してますね。」とか言ってめちゃくちゃ褒めてくれて。しかも表面上のおべっかとかじゃなくて、細かいなかなか気付かれにくいところもちゃんと見てくれてるので非常に嬉しくて。いやもうボクの周りで言うと団野さんやエイジくんかイットくんか?ってぐらいのフォロワーっぷりですよ(笑)。しかもその3人はもう長年の付き合いだからボクのこと深部までよくわかってくれてるのもあるとは思うんですけど、その人はもう会ったその日からだし、ほんとに内心「え?この人神様??」ってレベルですよ(笑)。1人で来られる時はよく話したりもしますけど、話しもいつも興味深くて面白いし、全く畑の違うボクの話しも興味深く聞いてくれるし。あとこの前なんてたまたま1人で来られて丁度酒作る場所の前に座られてたんですが、直後急に混み出したのでMAXのスピードでサクサク酒作ってたらまたもや大絶賛してくれて。「ボクはバー経験無いから詳しいことはわからないけど、無駄な動きが1つも無いし、更に速くて正確に作ってて思わず見入っちゃうぐらいビックリですよ。」って。いや、正に現役のバーテン時代はそれをテーマにやってましたし、昔は多数の同業者・お客さんにめちゃくちゃ褒められたもんですけど久々にそんなことを言われて。またもや細かい所作を指摘され「この人ほんとに洞察力凄いな…」と逆に感嘆しましたよ。同時に『どんだけ一生懸命やってても誰にも評価されなくてもやっぱ絶対手を抜いちゃダメだな…』と思いましたし『見てる人は見てるしわかる人にはわかるモンだなあ…』とも改めて思いましたね。いやしかし、この人に早くから評価して頂いたのはマジで結構精神的に救われましたよ。。

入店して数ヶ月ずっとそんな感じだったのもあり、最初は若干自暴自棄気味でしたが段々と感覚も麻痺してきて気にならなくなりましたし、でもそういうぞんざいな扱いの環境に3ヶ月も居るとふとした瞬間に「あれ?ほんとにオレ三宿Webってやったんだっけ…?もしかしてアレは幻だったんじゃ…?」とか考えたりすることも多々あって(結構マジで)。なのでそんな折り、日本テレビ『しゃべくり007』のコーナーで鬼奴と黒沢さんが三宿Webのことを話してくれて、ボクが撮った写真も使われたりしたので、それを旧三宿Webの各SNSアカウントで紹介したりしたんですが、やっぱ三宿Webフォロワーの皆さんはとても喜んでくれて物凄く反響があって。ほんとに嬉しかったのと同時に「あ!やっぱりオレの三宿Webのキャリアは幻じゃなかったんだ!」って我に還ったというか(笑)。いや、冗談とか大袈裟に聞こえるかも知れませんが、当時のボクの頭の中は結構マジでそんな風に思ったりしてました。それぐらいもう過去の実績とか無関係のところに居たというか。なのでコレはほんとにタイムリーだったし嬉しかったなあ。。



しかし思えば昔働いたイタ飯屋でも最初は、当時原宿カフェドロペや渋谷CAVEのバイトで1番上まで行ったという実績から自信満々意気揚々と入店したものの、コックの城内さんには小僧扱いで(まあ当時はほんとに小僧でしたけど・苦笑)毎日の様に怒鳴られまくって鼻をへし折られまくったのとなんだか似てるなあと。しかもちょうど30年前で場所も同じ恵比寿ってのも何の因果かと思ったり。やっぱほんと色んな意味で初心に還らされたことは確かですね~。マジで最初の3ヶ月ぐらいは辛かったですけど、むしろ気付かせて貰えてありがたいなあとも思ったり、色んな事を改めて学んだ気もしますし。クラブ業界という一般とはかけ離れたクレイジーな世界に長らく居たっていうことも改めて再認識しましたし。長い人生の中で考えると非常に貴重な経験になったんじゃないかと思いますね〜。

入店してまず、いや入店する前にやったことが、自腹で勝手に制服Tシャツの製作。働く直前になってふと「Sailin’ Shoesでは何着て働こう??」と思って。CAVE時代は毎回色違いのスカーフ巻いたり、ROOM時代は色んな古着のドレスシャツ着たりスーツ着たりと(Web時代は長過ぎて色々とあり過ぎるので割愛)、なにげに昔から無駄に働く時のスタイルには拘りがあるんですが、色々と早急に考えた結果「とりあえず自分だけの制服を作って当面はそれを着よう」という結論に至り。とは言え店のロゴが入ったベタなのも嫌なので、考えに考えた挙げ句思い付いたのが、アルバム『ARTISAN』のアンドレミルポルスキーの手書き部を拾って作ったオマージュロゴをワンポイントで胸に入れたTシャツで。が、余りにも急過ぎていつもお願いしてるプリント屋さんが「繁忙期で今月中は無理」って断られてしまい、急遽小原(優男)くんに紹介して貰ったところで超特急で(なのでシルクスクリーンじゃないんですが)製作。なにげに結構評判良くて何人かには「欲しい!」とか「買いたい!」とか言われましたね〜。10月にはデザインを一新して秋冬用第2弾も無駄に製作。長袖Tとパーカーを。今回は特にオマージュとかは無く店名ロゴも入れてませんが、左胸には1度でもご来店された方は思わず「あっ!」と思うであろうSailin' Shoesの看板のデザインを。背面にはハイヒールの自作イラストにSailin’ Shoesの頭文字の『S S』を。しかし第2弾は表裏プリント(3版)に無駄に合計22枚(22種類)も作ったのもあって、予想以上にどえらい金掛かりましたよ…。まあでも毎日着るモノには困らないし、1発目に続き評判も非常にいいのでほんと作っといて良かったですけど。






働く前に原さんから「別に歩合でもいいですよ」とは言われてはいたんですが、実際どんな店なのか働いてみないとわからないことも多々あったので、とりあえずは時給でやらせて貰うことになったんですが、実際働いてみるとまあほんとに暇な店で(苦笑)。イベントとか組むとある程度は入るんですが、通常営業だと基本結構暇です。もう業界人の隠れ家バー的なポジションというか。一見さんとかはまず入って来ないし。なので最初の頃は余りに激暇過ぎて焦りましたよ。いや、前述した様に時給なんで暇でも売り上げ無くてもボク的にはマイナスにはならないんですが、無駄に責任感強い方だし、なんせ長らくWebでは逆にバイトの給料払う側だったのもあって、やっぱ最低限人件費でマイナス出るって結構キツいのも痛いほど経験してるので、とりあえずどうにか赤字にならない様にと月間の売り上げとかその辺はめちゃくちゃ気を遣ってますね〜。なので入店と同時に始めた毎週月曜日の『MONDAY BLUE』(昨年までは毎週ヤマタツナイト)はほんとに組んどいて良かったですよ。アレ無かったら最初の3ヶ月ぐらいはどえらいことになってたかもです。

一応InstagramとFacebookにはSailin' Shoesのアカウントはあったんですが、ボクが入るまでは余り積極的に投稿してなくて、検索で調べても情報が錯綜してて、いつやってるのか?何時から何時までやってるのか?どういう営業してるのか?とか諸々わかりづらかったですし、入店と同時に毎週月曜日はイベントにしましたし、他にもイレギュラーでイベントや貸し切り等が入ったりもしてたので、やっぱマンスリーカレンダー的なモノはあった方がわかりやすくていいよなあと思い勝手に製作。ボク的にはなるべくシンプルでわかりやすく且つSailin’ Shoesっぽい感じのイメージのデザインで作ってたつもりだったんですが、三宿Web界隈の人たちからはしょっちゅう「このスケジュール見ると三宿Webっぽくてめちゃ懐かしくなりますよ〜!」とか言われてて。正直Webのスケジュールとは全然イメージ変えて作ってたつもりだったんですが(苦笑)。でも最近はもう開き直って余り意識せず作ってますけど。あとInstagramとFacebookのアカウントも10月中旬頃からは、イベント他諸々のお知らせは基本ボクがマメになるべくわかりやすく投稿することに。更に今年の1月末からはTwitterアカウントも新設と、正に八面六臂の活躍です(笑)。

入店した時はもうほんとに簡素なバーで、メニューも簡単なモノが数種あるだけでしたし、基本的にお客さんの平均年齢が60ぐらいでビールかハイボールしか出ないという理由もあったみたいでしたが、いずれボクのお客さんも多少来てくれるだろうし、流石に選択肢の幅が狭過ぎるのでちょっとづつお酒や材料も増やしていって。と同時にメニューもちょっとづつ増やしていってこれまで7回ぐらいはアップデートしましたかね〜。グラスやホワイトスピリッツは三宿Web時代同様凍らせる様にしたり。スペース的な問題もあったので大変でしたけど、他にも細かいところを知恵を絞って色々と工夫してやれる様にやりやすい様に考えて。いやもうほんとに細かい微妙なところを幾つも頭使って。あと、THE ROOMでは『KYOTO』、三宿Webでは『MISHUKU』『ヤバスタ』『オリジナルオレンジ(グレープフルーツ)カクテル』等々、長きに渡り愛される名作カクテルを多数考案してきたのもあって、Sailin' Shoesでもとオリジナルカクテルも数種考案。『BIG WAVE』『MONDAY BLUE』『SUMIRE』の3種。はっきり言ってバーに関して言えば、以前とはもう雲泥の差です。まあそれでも最低限のモノだけですが出してるモノに関しては、旧三宿Webクオリティーと大差ないレベルの確実に美味しいモノを提供してる自負はあります。



基本他にスタッフは居なくてボク1人の完全ワンオペなんですが、やっぱ混むとどえらい大変だし、トラブルがあった時とかも全部1人で対処しなきゃいけないのが結構心許ないんですが、やっぱ三宿Webの閉店数年前ぐらいから慢性の人手不足(つっても容易に雇わなかっただけだけど)に泣かされてほぼ毎週末ヘルプスタッフ探ししなきゃいけない気苦労がずっとあったので、それを考えると今はめちゃくちゃ精神的には楽ですね。いざとなれば自分だけしんどい思いすればどうにかなること多いし、他のスタッフに対する気苦労とかも全く無いし。正直Webの頃はみんなでメシ食うとなったら毎回ボクの奢りだし、誕生日には高価なプレゼント買ってあげてと、無駄にちょっとしたお父さん的な感じもありましたし(苦笑)、全盛期はまずまずの稼ぎがあったから良かったですけど、正直晩年は大して稼ぎもない月も結構ありましたからほんと大変でしたよ。厳しい時期とかはもはや「オレはスタッフにメシ食わす為に、プレゼント買ってあげる為に働いてるのか…?」とか錯覚したこともあったぐらい。まあでも店にとって1番大事なのは人材だと思ってたので致し方無かったんですけどね。あ、あと最近は、ちょっと怒ったり注意したりするのもアウトな時代じゃないですか?もうなんかあったらすぐパワハラとかになる訳でしょ?『怒っちゃダメ、注意もダメ。でも知識や技術は教えろ。しかも優しく。』なんかもうそういう今時の風潮も正直「なんだそれ??」とは思っていて。ていうことも引っくるめて考えると、全部1人でやるのはやっぱ孤独だし体力的には結構しんどいですけど、逆に言うと色々ストレスフリーだしめっちゃくちゃ気楽で心地良くもあります。

あと長らく小汚い店で働いてたこともあって「やっぱ綺麗な店で働くっていいなあ〜!」とはなにげに常々思ってます(笑)。トイレとか特に。元々あった有線のボロい掃除機が全然吸わなくて、原さんに「出来れば中古でいいので代わりの掃除機あるといいですね…」的なことを言ったらすぐに安いけど新品のコードレス買ってくれて。もうほぼ毎日ぐらいの勢いで掃除機掛けてますよ(笑)。やっぱボクみたいな根暗な人間は環境に引っ張られやすいので、汚い店で働くと心も汚れてくるし綺麗な店で働くと心も綺麗になるというか(笑)。いやでも人間って微妙にそういうのってあると思いますし。いや、半年働いて改めて思いますけど結構あるなあと。まあ店だけじゃ無く住んでる部屋とかも多分にあると思いますけど。


とまあそんな感じですかね。超出不精の人付き合いの悪いボクみたいなのは、やっぱこういう店で働いた方がきっといいんだろうなあとは思いますね。ほんとに何もないと引き籠もりがちなので。だいぶ慣れてきて要領もわかってきましたし、ちょっとづつ色んな細部を改善して当初よりかなりシステマティックになって働きやすくなりましたし。あと自宅以外に自分の居場所がもうひとつあるっていうのはやっぱなんかいいですね。なにげに合鍵で店の扉開ける時に毎回思いますけど。あの店の感じも結構好きだし。正直言ってテイスト的には個人的な好みでは無いんですけどね。自分の店作ろうと思ったら確実にああいう感じにはしないと思うし。でもなんか嫌いじゃ無いというか。なんでしょう?シンプルな内装なのがいいのかも。勿論半年働いて愛着も出て来てるのもあるとは思いますが。あとやっぱ半年働いて、オーナーの原さんや常連の皆さんを始め、浪岡さんの頃から来てる古株の常連の皆さんとも最近だいぶ仲良くなったのもあって、非常に働いてて居心地が良いってのもありますけど。でも気を付けないとボクの場合、居心地いいとうっかり長居しちゃうんですよ。Webなんてうっかり26年も働いてしまいましたし(苦笑)。なのでうっかりしない様に気を付けないと…とは思ってます。前述した様に自分の能力をフルに発揮するには、やっぱいずれ完全に自分の思った通りに出来る自分の店を持つべきだとは思いますし。まあでもいつまでやるかはわかりませんが、居る間は出来る限りのことを全力でやろうとは思ってますけど。

いつも以上に無駄に長々と、初の前後編に分けましたがそんな感じの2022年でした。今回なんか珍しくイマイチ気が乗らないのもあったし、ほぼ毎日仕事もあったしで書くのめちゃくちゃ時間が掛かりましたね~。振り返るとなんと3度の地獄を含む全体の3分の1がネガティブな出来事だったし。こんな嫌な想い出が多かった年も滅多に無かったかも?ってぐらい。でも2022年を改めて振り返って見ると、最終的には不思議なことに吉もしくは中吉的な年の様にも思えたり。大きな要因はやはり新しい自分の居場所が見付かって、且つ定期的な収入が得られる様になったのが1番デカかったでしょうね~。元々物欲強い方だし、ある程度欲しいモノが躊躇なく買える環境というのは有り難いことだし1番のストレス発散になるので。なにせこの2年は安定した収入が無かったので常に不安でしたしね。やっぱお金が無い、稼げないってのは精神的にも不安定になるし。なので昨年下半期とかは結構ちょっとした買い物したし。そんな高いモノは買ってませんけどね。そう考えると去年は結構買い物しましたね~。ここ数年で1番買い物した様な気も?毎日出掛けることになったのもあって服もちょこちょこ買ったし。でも何を買う時も毎回アホほど調べて探して買うので、安いモノでも自分的な満足度は高いんですよね。




とは言え今の稼ぎだけではなかなか金が貯まらないので、今年はもうひとつぐらいなんか仕事しようかなあとは思っていて。Sailin’ Shoes出勤前の昼の時間帯に週3とかで。まあ最初の3ヶ月ぐらいは気苦労が多かったし万全の体調でいかないと何があるかわからなかったので、到底他の仕事と併用なんて無理でしたけど、ようやく色んな事にも慣れてきたのでちょっと無理すればやれるかなと。でも今平均週に2度イベント組んでるし、イベントある日は営業前におむすび作ってるので時間や体力の余裕的に無理だし、そう考えるとプラス週3で他の仕事とかってのもかなりキツい気もしますけどね…。特にイベント無い日でもたま~にめちゃくちゃ混む日とかもあるし。なんせ完全ワンオペなんでちょっとでも混むとめちゃくちゃ疲れが溜まるんですよ。マジで2日混む日が続くと結構ダメージ残ります。なのでそう考えるとなかなか副業は難しいかなあ…とかも思ったり。なのでまた昔みたいにTシャツとか作って通販するとか、どこかの店のイベントのブッキングをするとか?そういうことなら片手間にでも出来そうかなあとか思ったり。まあちょっと色々と探ってみようかなとは思ってます。あ、もしなんかいい仕事の話しあったら振ってください(笑)。

さて2023年はどういう年になるんでしょうか?もうとっくに始まってますが(苦笑)。去年一昨年ほど不安や心配は無いですけど、でも正直言って何がどうなるかは本当にわからないというか。普通に考えればまだ今年いっぱいは恐らくSailin’ Shoesで働いてるとは思いますけど、ほんとに何がどうなるかはわからないですからね。途中で「やっぱ無理だ…」って思うことがあるかも知れないし「やっぱもう早く自分の店がやりたい!」って改めて強く思うかも知れないし。はたまた…。まあほんとわからないですね。とりあえず年齢も年齢だし、1年間健康でいられる様に、まずは何はなくともそれが1番かも。去年はコロナから始まって頚椎痛やら歯痛やらほんと災難続きでしたし、ほんと身体あっての物種ですからね。見た目35でも身体はもう初老なので(笑)。まあ何はともあれ今年も後先考えず、とりあえず目の前のことを一所懸命やるということですかね。まずはそれからな気もするし。でもなんか今年も大きなことが起こりそうな気もしてるんですよね〜。それが何かはわかりませんが。去年なかなかキツい年だったので今年はいい年になりそうな気もしてるんですけどね〜勝手に(笑)。あと最近うっかりミスが多いのでそういうのも重々注意して。心に余裕が出来るとそういうのも起こりやすくなりますし。そんな感じです。ボクの周りの優しくしてくれる皆さま、いつも大好きです(笑)。そして今年も懲りずに、ひとつよろしくお願いいたします!




