ナガサワブログ PART3~この熱い魂を伝えたいんや~

D級草どインディー老舗クラブ"三宿Web"店長ナガサワの趣味や考え方や日常が垣間見れる独り長文炎上ブログの続々編。

今年になってようやく、
長年探し続けていた"自分がほんとうにやりたいこと"が見付かって。
単刀直入に言ってしまうと、ちょっとしたブランド的なことをやろうかと。
とは言ってもシーズン毎に展示会して…みたいなちゃんとしたのではなく、
思い付いたモノを作れる時に作って売っていくみたいな、
非常に緩い感じで考えてますけど。
「あ〜なんだ、ブランドやるんだ〜」って軽く思うかも知れませんが、
いや、実はコレってオレにとっては、もうかれこれ構想10年近かったんですよ。
それがようやく今年になって本気でやりたいモードに変わったというか。


IMG_3803



2000年1月、うちのお爺が亡くなった時に、
さすがに休みとって急遽帰省したんですが、
お通夜が土曜日の夜で、その日確か『ロケットマンデラックス』の日で、
もう激混みの時代だったので、
いざなんかトラブルあった時にいつでも電話対応出来る様に、
朝までずっと起きてたんですよ。
で、誰もいないお通夜の会場の席に1人座って、
お爺の遺影見ながらずっと考えていて。
1ヶ月後には29歳になる頃で、
その年いっぱいでWebを辞めようかどうしようかずっと迷ってたんですよ。
30歳になるまでに人生変えたいと思って。
もう今のこの業界もその年で10年目でしたし、
当時三宿Webは日曜以外は毎日営業してましたし、
なんせ休みがなかったというか、忙しなく働きまくっていて、
自分の余暇的なものが全然なくて。
そもそも興味本位で入ったクラブ業界でしたが、
あれやこれやと長居してしまっていて。


で、ボーッと遺影見ながらお爺に、
「オレ、今年いっぱいでWeb辞めていいかなあ…?」って尋ねたらお爺が、
「おまえは一体何がやりたいの?」って聞いてきた気がして。
考えてみて、え~なんだろ??って即答出来ないところで再度お爺が、
「じゃあ例えばもし、神様が何でも叶えてくれるとしたら何になりたい?」
って聞いてきて。あ、気がして(笑)。
で、考えてみて出てきた答えが、
「もし何でも叶えてくれるんだったら……洋服のデザイナーかなあ。」とふと。
そしたらお爺が、
「じゃあまずそれを目指せ。(Web)辞める辞めないはそれから考えろ。」
って言われた気がして。
いやもう目から鱗が落ちたというかなんというか。
でもその時初めて、もしかしたら無理かも知れないけど、
やってみたいんだったらとりあえずやるだけやってみよう、
目指してみようって気になったんですよね。


後々は自分のブランドも持ってって目標も考えた時に、
洋服の知識も全然無いのにデザイナーだとか言うのもナンセンスだと思い、
翌年には夜間の服飾の専門学校にも通いました。
色々調べて考えた結果、エスモード・ジャポンのパターン科に1年ほど。
余りに難しすぎて途中で挫折しましたけど…(苦笑)。
ちなみにその時に、夜間の生徒が一堂に会しての課題作品の発表会みたいなのがあって、
なぜかオレがクラスの代表に選ばれて。
自分が作ったレディースのスカートの展示してあれやこれやと前に出て説明したんですが、
作品がなぜか上のクラスの女生徒の人たちから大好評でした。
夜間とは言えみんな20代前半の若い子が多くて、
やはりみんな派手で奇抜なのをデザインする人が多かったんですよね。
オレは当時30になりたてで、元々奇抜過ぎるのは好きじゃなかったので、
シンプルで大人っぽいスカートにしたくて。
イメージとしてはヘルムート・ラング的な巻きスカート。
押入の奥にずっと入れっ放しだったので、
わざわざアイロン掛けたんですが、全然シワが取れませんでしたけど(汗)。


IMG_4841*2



前述した、その年いっぱいでWeb辞めるって話しも、
これまたオーナーから引き留められて、その時出した条件が、
「来年から夜間の学校に通うので、毎日営業するのはちょっと難しいので、
木金土の3日間のみの営業だったら続けます。」
っていうものでしたが、オーナーも2つ返事で「じゃあそれで!」ってなって(笑)。
まあ当時はまだまだWebの勢いも凄かったですし、
とりあえずオレに辞められたら困るってのはあったかも知れないですが、
まんまとそれを利用させて貰った的な(笑)。
実はそこから三宿Webの営業が減って、今に至るんですけども。


2001年に初めてWeb-T(三宿Webの周年Tシャツ)を作ってから、
2008年までは毎年作ってましたし、なんせ初年度が爆発的に売れて。
ひと型でなんと合計800枚ぐらいは売れたんですよ。
工場の人にもビックリされたぐらい。
翌年には『EUROHOLE』というブランド名で、ネームタグやワッペン作ったり。
当時のイメージとしては、ヨーロッパ古着のTシャツ的なイメージでした。
でも基本的にWeb-Tのデザインって、
何かのサンプリング(パクリ)ネタを使ってのデザインが多くて、
オリジナルのデザイン的なのはほぼやらなかったんですよね。
あ、唯一キャップは作りましたね~。
あとオリジナルのTシャツも作ろうと思って、当時デザインはしてたんですが、
結局作らずお蔵入りになった的な。
ちなみにでもそのデザイン、最近また改めて見たんですが、
全然アリだと思っちゃいましたね〜。だいぶ前に考えたデザインなのに。
やっぱオレって長年好み変わってないんだなあ〜って再確認したというか。


Web-T



初年度に爆発的にTシャツが売れて、当時は金も潤沢だったのと、
エスモードに通い出して課題の製作をやるのにも必要だったのもあって、
思い切って、職業用ミシンと職業用ロックミシン、
イタリア製の業務用アイロンとバキューム付きのアイロン台も購入。
エスモードの1年間の学費も合わせたら、
その年だけで50万ぐらいは使ったんじゃないですかね~。
まあ上記のモノは買うだけ買ったものの、
エスモード辞めてからは一切使わなかったですけど(汗)。
でもたまにハロウィンの仮装用の衣装をミシンで縫ったり(笑)、
オレのSNS見てくれてる人はご存知だと思いますが、
最近はまた上記のモノを押入から引っ張り出して、
専用の安いテーブルまで買って、部屋の場所も大きくとって、
工業用のミシン糸も多数取り揃えたりして、また改めて使い始めてますけど。


10389003_932589663436016_8051883514408519039_n


10333383_920728414622141_2103403813829123897_o



夜間の専門まで通ったのに、その後は毎年Web-Tこそは作りましたが、
本格的に何かを始めるまでには全然至らなくて。
でも2006年頃には、また本気でブランドやろうと思う様になってきて。
ちゃんとした、新しいブランド名とか必死に考えたり、
デザイン画考えて書いたりしてましたね~。
でもやっぱなかなかブランド始めれるぐらいの纏まった金が貯まらなくて断念して。
国民金融公庫から金借りようと思って、説明受けにも行ったんですけどね。
その後もうだうだとしたまま時間が流れて。
結局コレだってブランド名も決まらなかったのもありましたかね~。


そうこうしてるうちにまさかの40越えて、
いい加減将来的なことも本気で考えないと…と思った時にやっぱどうしても、
元々やりたかったアパレルをやりたいなあとは考えていて。
でも相変わらず金も貯まらないし、第1になぜ今まで本気でやれなかったかというと、
自分の中でイマイチこれだ!ってのが決まらなかったのもあったんですよね。
元々多趣味なのもあって、何かに限定するのも嫌だったのもあったんですが、
でもそれって曖昧なことにも繋がったり。
どうせやるからにはオレにしか出来ない(やれない)ことをしないと意味がない訳で。
そういう感じでずっと悶々としてました。


IMG_4193-2



2008年から本格的に、ユニオンジャックグッズのコレクションを始めて、
色んなイケてるユニオンジャックグッズを集め出したんですが、
SNSの流行も相まって、気が付けばオレの周りでは、
"ユニオンジャック=ナガサワ"的なイメージが着々と付いていって。
「もうなんかユニオンジャック見るとナガサワさん思い出す。」
って言われることも多々。
勿論好きだったから集めてましたし、奇しくもそんなイメージ付いたのなら、
やっぱそういうイメージのブランドやる方がやっぱいいよなあ、
みたいなのはありました。
ブランドもそうですけど、当時、実はのちのちは、
ユニオンジャックグッズのセレクトショップみたいなのもやりたかったんですよね。


CA3I0345



でもちょうど1年前に、
そういう将来的なことも踏まえて、実際にロンドンに行ってみて、
そこら中にある土産物屋で売ってるダサいユニオンジャックグッズを多々見て、
なんか一気に醒めてしまって。
勿論その中にはイケてるのもあったんですが、余りにもイメージ的にダサくて。
なので、将来的にユニオンジャックグッズのセレクトショップをやるっていう目標は、
それで一気に吹き飛びましたね~。
まあ実際ロンドンに行かないとそんなのはわからないかも知れないですけど、
やっぱ自分がダサいと思ったモノはしたくないってのがあって。
まあダサくしない方法論もあるとは思いましたけど。


5fd0cb6b



あとロンドンに行って衝撃だったのが、
モッズカルチャーがとっくに終わっていたこと。
オレは元々モッドでは無いですけど、
ロンドン的なファッションは若い頃からずっと好きでしたし、
18の頃に働いたカフェドロペの近くにSWITCHというモッズショップがあったり、
当時通ってた原宿の美容室の担当の人がたまたまモッズ好きな人だったのもあったり、
成人式には原宿にあったモッズショップ・カサブランカで買った、
エンジ玉虫の三つボタンのスーツ着て行ったりと、
少なからずモッズカルチャーに影響受けてはいたんですよね。
なので、まさかモッズの聖地として名高い"カーナビーストリート"や、
『さらば青春の光』で有名な"ブライトン"にでさえ、
モッズショップが無くなってる事実や、
スキンズっぽい人はたまには見ましたけど、
モッズっぽい格好した人なんて全然見ることがなくて。
それは個人的に結構な衝撃でしたね~。
勿論世界的に流行しているファストファッションの影響も多々あるとは思いますけど…。
なんかそういうことを見ても、
懐古主義的なモノは現代ではイマイチ受けが悪いというか、
今の時代感からずれてるというか、そういうのを非常に感じたというか。
そういうカルチャーはカルチャーで勿論ありだとは思いますけど、
オレが求めていることややりたいこととも違うのかもと思う様になって。
いや、実際今のロンドンを肌で感じて、
丸太で頭をガーンと殴られたぐらいのカルチャーショックは、
正直ありましたね〜。


IMG_0833



去年ロンドン行くまでは、
それまでちょこちょこ考えていた自分のブランドのイメージのデザインも、
実はそういう感じのモノが多くて。
なんか昔のモノを昇華させたモノというか。
もしくは如何にもロンドン的なモノとか。
でもそういうのもロンドンに行ったお陰で一掃する様になりましたね~。
昔のロンドンのイメージは1度リセットして、
自分が実際行って感じた、なにげに自分が昔から好きな、
ニューモダンな"ロンドン・ポップ"のイメージというか、
そういう発想でやった方がいいんじゃないかと思う様になって。
で、なにげにずーっと考えてもなかなか決まらなかったブランド名が、
今年の3月末の某日、ようやく決まって。
オレにとってコレってなにげに非常に重要なことで。
ほんとはやっぱり、もしブランドやるならやっぱりそういうわかりやすい名前
(ロンドンを連想する様な)にした方がいいんじゃないか?とか思いながらも、
「やっぱコテコテのロンドンぽいのはなんかちょっと違うな…」ってのもあったり。
あと自分の中で、色んなこういうことがやりたいっていう要素が、
自分の中でうまく混ぜられなかったってのもあったんですよね。
それとそれやっちゃうと辻褄が合わないからファジーな印象になっちゃうなあ…的な。
そういうのが全部自分の中でバッチリはまって。
今までブランド名考えた中で初めての感覚でした。
閃いた時はほんとにアホみたいにテンション上がりましたね~。
長年探してたモノがようやく遂に見付かった的な。


IMG_0592



で、肝心のそのブランドネームですが、
『GrandBleu』と言います。そう、略してGB(笑)。
いや、やっぱTwitterとかでもTKC_GBでやったりしてますし、
略してGBだったら1番バッチリなのになあ~とはずっと思っていて。
グレートブリテンの略語なので、イギリスのイメージも強いし。
でもそこまで考えたものの、
なかなかGBにバチッとはまる言葉が思い付かなくて。
で、色々考えまくった挙げ句着地したのが『GrandBleu』で。
いや、元々青って凄い好きな色で、
昔から買う洋服も圧倒的にネイビー系の色が多いし。
今持ってる服って8割方ぐらいネイビーじゃないですかね?ってぐらい。
ご存知だと思いますが、海も大好きだし。
ちなみに、まず連想したであろう、
同名の映画が好きで…とかの理由では全くないです(笑)。
あとビックリしたのが、朝本さんが好きな色も青らしいんですよ。
お見舞い行った時に由美さんと話してビックリしたんですが。
それ聞いた時もちょっと、
GrandBleuって名前にしてやっぱ良かったって思いましたかね~。
あとなんせシンプルでわかりやすいし憶えやすいし。


FullSizeRender



ちなみにGrand Bleuって、フランス語表記です。
ほんとは、正式には冠詞でLeを付けるんですけど。
英語だとスペルも、ブルーのuとeが入れ違って、Grand Blueになるんですが、
フランス語でLe Grand Bleuって言葉は「雄大な青」っていう意味なんですが、
英語にすると実はThe Big Blueになるんですよ。
Grand Blueって表現は、英語では基本的に使わないそうです。
なので必然的にフランス語のGrand Bleuにしたんですが、
え?イギリスじゃないの?なんでまたフランス語??って思うじゃないですか?
いや、元々オレって98年頃からフランス古着にハマって、
わざわざパリまで買い付けに行ったりしたり、
当時はフレンチハウスにもどっぷりハマって、
dj.truquéとしてフレンチハウスのDJやってたり、
ご存知の方も多いと思いますが、オレの腕と脚に入ってるでかいタトゥーは、
腕は98年7月14日のパリ祭の日にパリで、
脚は翌99年7月14日のパリ祭の日にパリで入れたんですよ。
なので元々パリには非常に思い入れが強いのもありますし、
第1に過去に1番好きだったというか、1番影響を受けたブランドが、
フランス人のデザイナーのクリストフ・ルメールだったんですよ。
彼の98年~01年辺りのコレクションはほんとに大好きで、
当時はいっぱい買ってたんですよね。
そういうこともあって、敢えてフランス語表記にしたというか。
あと、ルメールのモチーフにしてたメインアイコンがクローバーだったんですよ(今も)。
それのオマージュ的な意味もあって、実はずっとやりたかったんですが、
GrandBleuの当面のモチーフはダイヤ柄にしました。
それも赤のダイヤではなくブルーダイヤ。
勿論GrandBleuのネーミングともかけてるんですが、
通常赤のところを青にしたのは、
セオリーじゃないモノをやりたいというちょっとした意思表示でもあります。


IMG_4877



まあイギリスなのかフランスなのか、
どっちつかずで中途半端な、格好のいい訳ブランド的にも思えるかも知れませんが、
オレ的に納得してるから全然いいんです(笑)。
てかまさにそんな感じだし。
あと更に、最近好きなLA的な要素も入れちゃおうと思ってるぐらい。
でも最終的な着地点は、国云々じゃなくて、オレが好きなポップ感。
これに尽きるんですけども。


e3957c9a


d7740fdb



最初はネームタグはいらないかなあ~と思って作らない予定だったんですが、
サンプルのTシャツが出来てから、急遽思い直して作ることにしたんですが、
なんだかんだで進まなくて結果的に3ヶ月も掛かっちゃて。
えらい時間掛かっちゃいましたけど、やっぱあると全然違いますね~。
これまた初期ルメールの影響で縦型タグ&数字のサイズタグ。
でもやっぱ縦型使いずれえぇぇぇぇ(苦笑)。
見ての通り、緑の地に青のダイヤマークなんですが、
ほんとはネイビー地に青ダイヤにする予定だったんですが、
RGB的な青が出せないので、メリハリがつけづらかったのと、
あと元々緑って結構好きな色なんですよ。
で、緑って時折青で表現したりするじゃないですか?
例えば青リンゴとか。英語ではGreen Appleなのに。
青汁もそう。青々と茂るとか。実際は緑なのに。
これって日本独特の表現方法らしいんですよね。
ロンドンだパリだとか言っても、所詮はトウキョウ発な訳で。
なんかそういう意味でも地の色は緑にしよう!って思ったんですよね。


IMG_4865



実は去年からの目標が、服買う金あったら、
自分で着たい服をデザインして作っちゃおうということで。
デザインして既製のボディにプリントするぐらいなら、全然気軽に作れるし。
そう思って色んな種類のTシャツのボディとかをいっぱい集めて、
サイズ感や生地の感じやシルエットを自分なりに研究したりして。
今年に入ってもめっちゃ集めましたね~。
とりあえず気になったボディは全部集めました。
去年は結局ブランド名は勿論のこと、
コレってデザインも出来なかったのもあって全然作れなかったんですが、
今年はブランド名が決まったのもあって、
上半期はもうそれこそ20周年の準備で奔走しまくってる最中、
なんとか暇な時間を見付けてはああでもないこうでもないと、
色々やってましたね〜。で、遂に今年の7月頭に念願の初サンプルが届いて。
とりあえずデザインは2型だけなんですが、
色違い・プリント色違いのTシャツやパーカー、バッグなど多数。
あ、その前に缶バッジも作りましたけど。
なんせ記念すべき初めてのオリジナルデザインの商品でしたから、
現物見た時はなんかもうめちゃくちゃアガありましたね~。


IMG_4867


IMG_4870


IMG_4872


IMG_4873


IMG_4838



正直言って今や猫も杓子もブランドブームで、
ちょっと前に話題になったユニクロのアレも然り、
誰でも簡単にオリジナルのモノを作れる時代ですし、
その中でって考えるとなかなか難しいモノもあるんですが、
でも基本的にこのブランドのコンセプトは、
なるべく自分が着たい物を作るってことなので、
もし売れなくても自分のワードローブが増えるしいいか、ぐらいのスタンスというか(笑)。
いやもう、ブランド云々とかは置いといて、
現時点では趣味の延長線上的な部分は非常に強いです。
だからコレいいなと思ったモノを、
作れる時に作るという緩いスタイルでいこうと思ってます。
一番最初にも書きましたけど、
やっぱプリント物だけじゃなく、いずれはボディからオリジナルで作りたいですけどね~。
今1番作りたいのはオリジナルボディのパーカー。
それはほんとにちょっとした昔からの小さな夢でもあります。


身近でいうと、チャーベくんがやってるスタンスは非常に羨ましいですね~。
思い付いたモノをパーッと作るだけ作って、作った分だけ売り切るというか。
NOT展示会受注スタイルというか。
作ってるモノも然りですけど、昔から好みとか考え方や感覚が、
細かく言うと勿論微妙に違うんですが、大筋でいうと非常に近い人なので、
凄く影響受けてます。うわ~先にやられた~!っていうのも幾つか(笑)。
でもチャーベくんは長年お洒落な音楽をやってきて、
それにリンクした形でアパレルもやっているので成功してますが、
オレの場合、そういう下地(イメージも込みで)が全然無いので、
同じやり方でやってもダメだろうなあ…とは思ってますけど。
でも色々と話し聞いたり相談したり、凄く参考にさせて貰ってます。
チャーベくんも言ってましたが、
「やっぱ買ってくれるのは断然男の子よりも女の子が多いから、
なるべく女の子が買ってくれそうなアイテム作りはしてる。」
ってのはなるほどなあ~って思って、
GrandBleuでもなるべくユニセックス的なのを作ろうとは思ってます。
男女問わずどっちでも着れそう、使えそうなモノというか。


KIT



ご存知の方も多いと思いますが、最近ふと思い立って、
時間のある時にマフラー及びストール作りをしていて。
元々はエスモード時代に、スクールマフラーが欲しくなって色々物色してたら、
当時いまいちピンとくるモノがなくて。
だったらミシンもあるし、作っちゃおうか!?
って思って勢いで作ったことがあるんですが、
当時作ったオリジナルのワッペンも付けて、
完全にオリジナル仕様にしたことも手伝って、
以降毎年寒い時期になると愛用してるんですが、
久々にオリジナルのマフラー作りたくなって。
で、日暮里とか何度か通って好みの生地探して作ったりしてたんですが、
これがなかなか悪くないんですよ(笑)。
間違い無く真冬に活躍しそうなモフモフのフリースマフラーもかなりいいし、
ダブルガーゼで作ったストールも、フリンジ作りがかなり大変でしたが、
コレもかなり出来が良くて。まあ縫製はまだまだ下手くそですけど…(汗)。
でもワッペンとネームタグ付けてるのもあって、
パッと見はちょっとした売り物みたいですよ(笑)。
いや、実は近日中にこれらのモノは販売しようかと思っていて。
全部受注が入ってからのオレの手作りですけど(笑)。
いつかはオリジナルの・・・とか書きましたが、まさかの展開で、
GrandBleu初の完全オリジナル商品は、マフラー及びストールになりそうな予感大です。

IMG_4726


10458484_931433666884949_6067957971058321855_n


IMG_4759


10421379_937693702925612_8205986774606154668_n


IMG_4739


FullSizeRender



なんか正直、今更ブランドなんかやってもしょうがないだろ…
とか思っちゃったりもしたこともあったんですが、
やっぱWebが20周年迎えたのは意外とでかくて。
前回のブログでも書きましたけど、
三宿Webが20周年迎えて色んな人に改めて認めて頂いたことを始め、
オレが20年前にやったバーのこともそうですけど、
ど素人から始めた写真然り、1から始めたおむすび作り然り、
未経験で始めた草野球も、守備は相変わらずヘタクソですけど(苦笑)、
打撃に関してはチーム内首位打者取ったり去年も3位入賞したり、
DJとかにしても、昔から結構誰かに褒められることも多くて。
身内は勿論のこと、知らない人とかにも。
Web-Tにしても、ユニオンジャックにしても、ヤマタツ関連にしても、ボンゴレにしても。
そういうのが蓄積されて自信になったのはありますね~。
オレがコレだ!って思って一生懸命やったことって、
時間はかかっても、少なからずいつかは認めて貰える、という確信というか。
なのでブランドに関しても、真剣に取り組めば、いつかは芽が出るんじゃないか??
みたいな甘い考えに至って(笑)。まあ世の中早々甘くはないとは思ってますけどね。
まあでもほんとに緩くマイペースに考えてるのもあって、
気分的に非常に楽に考えてますけど。
前までは、生計出来る様にならないと…とか、ちゃんとしたブランド展開しないと…とか、
無駄に堅く考え過ぎてた部分があって。
もっと自由に、趣味の延長線上ぐらいの感じでいこうと思った途端に、
肩の力が抜けてやる気にも繋がった的な。
いやもう正直、今は暇な時間を使ってミシンいじったり、
デザイン考えてる時が一番楽しくて。
ちょっとした新しい生き甲斐になってます。
ほんとにそれって幸せなことだなあとつくづく思います。
やりたいことがあるって、見付かるって、それって凄い幸せなことです。
しかもこの歳になって。
人生とは往々にしてストレスとの戦いみたいな部分があって、
それにはやっぱ、発散出来る様な好きなことが沢山あった方が、人生楽に生きられますから。
まあ見付かるのがちょっと遅い気もしないでもないですが(苦笑)。


10485925_928623383832644_7244811864275873472_n


6283_932353356792980_6654808630447707529_n


1271268_935150733179909_7889457214022824295_o



でもちょっとだけ考えてしまうのは、
本格的にファッションに興味を持ち始めた高校時代から今までずっと、
なるべく人が着ない(しない)様な洒落てる服を探して、
人とは違う、自分なりのオリジナルのファッションとして構築することに、
生き甲斐というか、命懸けてた部分あったのに、
自分が着たいと思う服をデザインして作って売るってことは、
ある意味今までと逆行する形になるというか。
オレが最も嫌がっていた、誰かと服が被ることだってあり得る訳で。
余りお洒落じゃないなあ…って人にも着られることもある訳で。
それってどうなんだろうか?って考えたりもしてます。
まあ好きなことを商売にするというのは、
どの畑でもそういう問題は常にはらんでるものなんでしょうけど。
一切売らないで、自分の着る分だけ作るオナニーブランドでもいいんじゃないかなあ?
とかも思ったり(笑)。
つっていざ売ってみたら全然売れなくて、
結局自分しか着ないオナニーブランドになったりして(苦笑)。
いや、まあでもその場合は、
自分が納得してるデザインであれば全然売れなくてもいいんですけどね。
なんかファッションに関しては好き過ぎるので、
そんな無駄なことも考えたりもしますね〜。


IMG_0744



でも思えば、去年無理してロンドン行ってほんと良かったなあ〜。
行ってなかったら、長年自分がほんとに好きなモノが何なのか気付かなかっただろうし、
イコール今の感覚にはまず行き着かなかったと思うし、
なんちゃっての古臭いお寒いブランド始めてたかも知れないですね、、、。
そう考えるとほんとゾッとしますけど…(苦笑)。
でもほんとに今考えると色んな意味で行って良かったです。
いやもう掛け替えのない経験というか、財産ですよ。
なんかまたいつか行きたくなってきちゃったな。
やっぱなんだかんだ言って好きだなあ、ロンドン。


IMG_0603


IMG_0609



そんな感じで。今回も漏れなく超長文ですみません……。
まだ全然何も手を付けてないんですけど、数ヶ月前に既にドメインは取ってあります。
http://grandbleu.club です。
たまたまドメイン作る時に、
新しく出来たばかりの"club"ってドメインが1番興味を惹いて(笑)。
なんか響きもいいしコレでいっか~的に。またクラブかよ!とも思いましたが(苦笑)。
今後は諸々整い次第、こちらの方で色々とお知らせや展開したいなあと思ってます。
でも今回のこれ、ほとんど誰にも話してなくて、いつ公表しようかずっと迷っていて。
なんかこれでようやく本格的にスタート出来そうな気がしてます。
他にもサンプル作りたいデザインも幾つかあるし。
実は最近ずっと、もう20周年到達したし、ブッキングも大変だし、
人手不足でシフト組むのも大変だし、全然儲からないし、心労多いし、
もうなるべく早くWeb辞めたいわ…って正直思ってましたけど(苦笑)、
洋服やる為にもうちょっとだけ、気合い入れ直して頑張ろうと思い直してます(笑)。
そんな訳で、"GrandBleu"を、何卒宜しくお願い申し上げます!


10734074_924095614285421_3552097770097750527_n

00300



今日は朝本さんの51歳の誕生日です。
ご存知の方がほとんどだと思いますが、
朝本さんは9月11日の夜に自転車の転倒で頭部を強打されて、
大変な重症を負ってしまいました。
未だ療養中で意識は回復してはおりませんが、先日ようやく諸々のオペも無事終わり、
今後は意識が回復する為のリハビリに入る予定です。



事故の知らせが来たのは9月15日の夕方頃で。
奥さんの由美さんから唐突にメッセージが来て。
え!?事故から4日も経ってるのに未だ意識戻らないって・・・
と、もう頭真っ白になったというか。
その日はデイでイベントが入っていて、
営業の為のおむすびを作ろうと思ってた矢先のことでした。
余りの衝撃で頭が混乱したままとりあえずおむすび作ったんですが、
もう考え出すと涙が止まらなくて。
ずっと涙流しながらおむすび作ってましたねえ。

由美さんがFacebookで公表するまでは、
1人で抱え込むのが辛くて辛くて、営業ない日の夜は毎晩泣いてたかも。
もうなんか、ふと想い出すと自然と涙が止まらないというか。
完全に塞ぎ込んじゃってちょっとした鬱状態にもなって、
何日かはほんとヤバい日もありましたねえ。
SNSの類も2週間ぐらいは一切見る気にならず。
あ、未だインスタはそれ以降離脱中のままですけど。
まあまだ先月ぐらいまではなんか、絶望感から抜け出せずにいましたけど。
いやあ、とりあえず9月と10月は、朝本さん夫妻のことしか頭になかったかも。
それ以外は全てに関して無気力でどうしようもなかったですね。
もうほんとにダメ人間全開でした…。
あ、唯一のモチベーションは、過去の朝本さんワークの音源掘りと、
皆さんにちょっとでも朝本さんのことを想って貰える様にと新しく作った、
朝本さん関連音源のサウンドクラウドのプレイ数が上がることでしたかねえ。

朝本さんとはWebオープン以来のお付き合いです。
最初は土曜日のゲストDJとして来て頂いて。
アーティマージュの社長・GEEさんからご紹介頂きました。
凄い気さくで腰が低い人で、かつ音楽の幅も広いし、
酒も笑いも好きなのも相まって、気が付けばすぐ仲良くなって。
朝本さん自身も、凄くWebのことを気に入ってくれて。
Webの土曜日って徐々にロック寄りになっていくんですが、
朝本さんてそっちの方もめちゃめちゃ強くて大好きで。
同時にUAちゃんの『情熱』のヒットで、一躍朝本さんの名前が世に轟いて。
当時はそんなにうち以外ではDJやってなかったのもあったし、
オープン当初の三宿Webの看板DJ的な存在にはなってました。

97年末でオレが辞めて、同時に三宿Webも閉店するという流れがあったんですが、
オーナーからの引き留めもあって、「全面改装してくれたら続けます。」
っていう条件を出して、それを飲んでくれることになった時に、
見積もったら一千万ぐらい掛かるってなって、オーナーがちょっと渋って、
一時改装案が暗礁に乗り上げたことがあって。
それを聞いた朝本さんがある人に、
「Web大丈夫なの?なんだったらその改装の金オレが出してもいいよ。
やっぱWeb無くなるのは嫌だから。」
って言ってくれてたらしいんですよね。
結局オーナーが第三者の介入を嫌がって朝本さんの出資という話しはなくなったんですが、
当時それを聞いた時は凄い嬉しかったのを憶えてます。
いや、オレの中では、結局出資はして頂いてはないですけど、
その熱いご厚意に対して、一宿一飯の恩義的なのはずっと感じてましたかねえ。
いつかしようとは思いつつ、この話しは未だ朝本さん本人にはしたことないんですけど。

朝本さんには個人的にも非常に気に入って頂いて。
まあ未だに爆笑して話されるんですけど、
恐らく96年のハロウィンの時にオレ、trfのSAMやったんですよ。
ちょうどその年のハロウィンの1週間前に、
安室ちゃんとSAMが電撃結婚したのをいいことに。
今でこそって感じですけど、当時そういうお笑い仮装する人なんてほとんどいなくて。
で、当日早い時間にオレがSAMの格好(勿論メイクも衣装もバッチリで完コピ)でDJしてて、
その後のDJだった朝本さんが遠めに見えたので挨拶したら、
最初めちゃくちゃ真顔で困惑してキョトンとした顔してて。
え!オレ滑った!?もしかして朝本さんこういう笑いわからない人かな…どうしよ…
って一瞬焦りましたが、近付いて来て、
「あ〜!なんだナガサワくんかあ!一瞬誰かと思ったよ〜(笑)」って言ったあとに、
胸に貼ってあった名札に『SAM』って書いてあるのを見たらもう爆笑し出して。
もうそれからずっとその日は笑ってたかも知れないですね〜。
それ以降もそういう笑いのわかる部分も相まって、
ハロウィンは毎回ゲストでやって貰ったりしてました。
勿論毎年オレのアホな仮装も喜んで頂いて(笑)。
いやもうハロウィンのみならず、お笑いのイベントとか、もうなんかあったら朝本さん!
ってぐらいちょいちょいDJお願いしてましたね〜。
いや、間違い無く朝本さんとチャーベくんは、
三宿Webの20年間を陰で支えてきたDJの二大巨頭ですね。

97、98年に開催された朝本さんが所属してたアロハプロダクションの一大イベント、
『aloha festival』の転換DJにも2年連続で誘って頂いたりもしました。
恐らく今までで1番多いお客さんの前でDJしたのがその時でしたかね〜。
未だに憶えてますけど、ブースがステージの端にあって、
ブースに立って見渡すともう赤坂ブリッツがもうパンパンに入ってて、
めっちゃくちゃ緊張して、手がブルブル震えて針をレコードの溝に落とせないんですよ。
何度やっても。で、ヤバい!もうこの曲終わっちゃう!ってことで、
適当に針落としてめっちゃグルングルンに逆回転させて頭出ししたぐらい(笑)。
当時のオレって、ロックっぽいHIP HOPや、
ドラムがブレイクビーツを叩いてるロックとかを、うまくMIXさせてDJやってました。
いわゆるわかりやすいミクスチャー的なのとはちょっと違うんですが。
HIP HOPはロックっぽく聞かせて、ロックはHIP HOPっぽく聞かせる様なMIXというか。
そういう独特なDJスタイルも当時凄く朝本さんには気に入って貰えましたね〜。
朝本さんがドラムンベースに移行するまでは、結構よく一緒にDJしたりもしてました。
あ、そうだ、朝本さんの結婚パーティーの時にもDJに誘って頂いたし。


FullSizeRender



当時DJ時によく掛けてたジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンの、
シークレットライブにも誘って貰ったり。なんと渋谷の屋根裏ですよ!
当日いきなり電話掛かって来て、
「ナガサワくん今日の夜って暇してない?
渋谷でジョンスペのシークレットライブあるんだけど一緒に行かない?」
ってきて2つ返事で「行きますっ!!」って答えて2人で観に行ったんですけど、
終わった後の帰り道に2人で、
「いやあ〜カッコ良かったですね〜。あんな男に生まれたかったですよ〜。」
「カッコ良かったよねえ〜!あんな男に生まれたかったよね〜(笑)」
みたいな会話しましたかね〜。
あと発売後秒殺でソールドアウトになった、
2008年のMUTE BEATの一夜限りの復活ライブの時も、
特別にゲストで誘って頂いたり。あのライブもほんとに圧巻でしたね〜。
っていうかあんな貴重なライブに誘って頂いて、
ほんとに有り難いやら嬉しいやらというか…。


2009年にSugar SoulのAIKOちゃんと、
ドラムンベースのMCとして活動してるCARDZくん(実はうちの元スタッフの旦那)
との3人で、『KAM』というユニットを始動させる時に、
当初はインディーズでやる予定で、予算がないからと、アー写も頼まれました。
前々から朝本さんはオレの写真をとても気に入ってくれていて、
「ナガサワくんの写真てさあ、メリハリがあってパキッとしてて好きなんだよね〜」
って言ってくれていて。
で、某日Webで撮ったんですが、
これが当時のオレの素人写真家としての腕の無さを思いっ切り露呈することになって…。
出来がほんとにイマイチ過ぎて…。
個人的には全然ちゃんと撮れなくて本当に申し訳ない気持ちでしたね〜、、、。
一応撮った中から朝本さんに「これ使わせて貰います!」って言われたんですが、
結局その後KAMはメジャーデビューすることになって、
この写真はお蔵入りになったんですが、結果良かった的な…(苦笑)。
まあでも、このKAMの写真は全然ダメですけど、
冒頭のヘッドフォンしてるやつと、
『AID FOR ASAMOTO』の告知フライヤーで使ったギネス持ってるやつは、
個人的には非常に気に入ってます。
朝本さんも由美さんもとても気に入ってくれていて。
いや、ヘッドフォンしてるやつは、個人アー写としても全然いけるでしょ!
ってぐらいクオリティー高いとは思ってます。


CIMG0044



そんなこんなで、朝本さんには公私共々非常に良くして頂いたんですが、
しょっちゅうプライベートで遊んでた訳ではなく、
まあ年末・年始に忘年会・新年会とか、花見のシーズンに花見会とか、
当時原宿にあった朝本家の屋上での花火大会鑑賞会とか、
年に数回程度ぐらいだったんですけどね。
でも節目節目では必ず誘い誘われみたいな感じは長年続いてました。
10年前ぐらいからはオレが毎年よく行ってる海(及び海の家)
を1度招待したら凄く気に入ってくれて、
それ以降ほぼ毎年一緒に行ったり、ご夫婦だけでも行かれたりとかしていて、
毎年夏には海で1、2度遊んだりするのが恒例になってました。
でも個人的には、去年ぐらいから一気に親密度が加速した感はありましたかね〜。
もう海に関して言えば、
まず朝本さん夫妻のスケジュールに合わせて行ってたのもありますし。
あとやはりというか、たったの1日だけですけど、
ロンドンで遊んだのはでかかったというか。
オレも朝本さんも由美さんもロンドン好きなんですけど、
3人でロンドンで遊んだっていう事実は、今考えると凄いことだなあ〜とふと。

しかもほんとに偶然にも、
オレのステイ先と朝本さん夫妻のステイ先が隣の駅だったんですよ。
やっぱ離れてると終電とか気になったりもしましたし、
逢うのも結構大変だったと思いますけど、もうまさかというか。
そういうのにも結構縁を感じたりもしましたかね〜。
渡英する前に朝本さんには、
「携帯のアドレス使えなくなるので、G-MAILの方に連絡ください!」
って伝えておいたのにすっかり見逃してたらしく、
ずっと携帯にメールくれてたみたいで(苦笑)、最初全然連絡取れなかったんですよ。
で、唯一滞在が被ってた日の夜にオレがホテルに帰宅してWi-Fi繋いだら、
ちょうど朝本さんからダイレクトメッセージか何かで、
「今ベイズウォーターの駅前いるんすけど良かったらどうすか〜?」って来て。
わ!ようやく連絡来た!しかも凄いタイミング!
と思って即「3分で行きます!」って返して(笑)。
朝本さんとロンドンで逢うなんてヤバいなあ〜、
想像しただけで興奮するなあ〜って思ってたんですが、
実際逢ってみるともうなんか拍子抜けするぐらい違和感なくて(笑)。
しかも同じ時期に元スタッフのユキもロンドンにいて、
しかもコレがまた偶然にもステイ先が徒歩圏内だったので、誘ってみたら友達と来て。
「え?ここ三宿すか??(笑)」みたいな感じで、
ちょっとした"リトルミシュク"的な感じになってました(笑)。


IMG_0630


IMG_0636



そのあと去年の夏は、朝本夫妻と一緒に2度海にも行きましたし。
もうその2回とも素晴らしく楽しくて。
今年の夏も夫妻と一緒に海に2度行ったんですが、
1回目はたまたま誘った人たちみんなダメで、初めて3人だけで行って。
逗子で待ち合わせて小坪で魚食って、材木座〜由比ヶ浜行ってぶらぶらして、
逗子に戻って駅前で3人で立ち飲み屋で飲んで。最後に立ち食いのお寿司屋さんにも。
3人とも呑兵衛なんで、昼から終電までずっと呑んでました(笑)。
いや、もうその日もほんとにめっちゃくちゃ楽しくて。
とにかく朝本さんと由美さんのバランス感が素晴らしくいいんですよ。
交互にボケとツッコミが逆転したりして(笑)。
いやもう3人で飲みながら喋ってるとほんとに常に何かで爆笑してる感じというか。
なんかその日はふと、オレの人生この先どうなるかわからないけど、
朝本さん夫妻とはきっと、
一生の付き合いになるんだろうなあ〜的なのは漠然とですがふと感じましたかねえ。


IMG_3944


IMG_3945



その立ち飲みの時にも朝本さんに言われたんですが、
「いやあ、由美とよく話すんだけど、
ナガサワくん毎年色んな知らない人を海に誘って連れてくるけど、
もうみんな漏れなくいい人ばっかだよね〜!
毎回人選のチョイスが素晴らし過ぎるよ!(笑)」
って言ってくれて。いやあ〜もうほんとに嬉しかったですね〜。
結果的にオレのことも褒めてくれてはいるんでしょうけど、
やっぱ友達のことを褒めてくれてるというか、気に入ってくれたというのは、
オレからすると凄い嬉しくて。
いや実際、毎年海に連れて行くメンツも、凄い気を遣って選んでるのもあって。
その人たちがどうとかもよりも、相性とかもありますから。
だから毎年誘う朝本さん夫妻と相性が合わなさそうな人はまず誘わなかったり。
そういう話しをしたら由美さんに、
「じゃあもし今後ナガサワさんの結婚相手が、
私たち夫婦と合わないタイプだったらどうすんの??」
って聞かれて即、
「あ、大丈夫です。まあ実際どんな嫁貰うかはわかりませんけど、
これだけは断言しときますけど、
朝本さん夫妻と合わない様な嫁は絶対貰いませんから!(笑)」
って言って3人で爆笑したり。
あ、あと朝本さんが事故に遭ってから、
Capppaのシゲにも心配されて朝本さんのこと聞かれた時に、
「いや、朝本さんとWebのカウンターの前でお話しさせて貰った時に、
『ナガサワくんが紹介してくれる人って、みんないい人なんだよね〜』
って言ってたのが凄い印象的で…。」って言ってて。
それ聞いた時も凄い嬉しかったですね〜。

CIMG0054


IMG_4274



今年海行って逗子で3人で立ち飲みした時に、まあ色んな話しをしたんですが、
その中でふとオレが、
「オレいつかはこっちの方(逗子・鎌倉)に住みたいんですよね〜。
Webさえなかったらすぐにでもってぐらい。
いや、朝本さんらもいつかは一緒にこっちに越して住みませんか??
まあ渋谷まで1本で1時間ぐらいで行けるし、
ちょっとしたDJとかは受けれなくなるかも知れませんけど、
まあ楽曲製作に関して言えばむしろ海も近いし環境的にはいいでしょうし。
美味しい魚食いながら一緒にのんびり暮らしましょうよ!」
みたいな話しをしたら、朝本さんも、「それいいねえ〜」みたいな感じでノってくれて。
「いやもうマジで数年以内に実現させましょう!」みたいな話しで盛り上がって。

朝本さんとウマが合う部分って、考えてみると色々あるんですが、
すごくシャレがわかる人というか。
音楽性にしても、めっちゃくちゃマニアックな音楽からメジャーな音楽まで、
振り幅が凄いじゃないですか?
やっぱオレの周りの音楽人はどっちかなことが多いんですよ。
マニアックなのが好きで、メジャーな音楽をバカにしてたり、もしくはその逆とか。
個人的には凄くそれがストレスを感じる部分だったりもして。
どっちもいい部分あるじゃん…的な。
朝本さんて、メジャーな曲やるにしても、
昔からどこかマニアックな要素(クラブサウンド的な要素)を取り入れたり、
ポピュラリティーの部分の良さも凄くわかってる人だと思うんですよね。
オレ的な感覚でいうと、ポピュラリティーというのは、
言い換えれば"シャレ"の部分とも言えると思うんですよ。
なんかそういう部分も非常に共感出来たというか。
この話しも今年の逗子の立ち飲み時に本人にしましたけど(笑)。
いやでも、ここ数ヶ月朝本さん関連音源掘りまくって、
更にその念は強くなったかも知れないですね〜。

オレとは8つも違うし、地位も名誉も全てに於いて全然比べ物にならないんですけど、
朝本さんてそういうのを一切出さないんですよ。
気さくで庶民的というか。凄い優しい人だし。
最近よく言われてたのが、
「全然Webに貢献出来てなくてほんとごめんね〜。
なんとか頑張ってWebに貢献出来る様にしたいと思ってるから。」
みたいなことを言う人なんですよ。
勿論オレ的には「いやいやいや、とんでもないですよ〜!」って返すんですが。
だから遊んでても、大先輩と遊んでるというよりも、
凄い歳上で凄い気の合う人と遊んでるっていう感覚が強いというか。
いや、非常に失礼な言い方をさせて貰えば、
もう極めて友達的な感覚に近かったかも知れないですね〜。
それぐらい気を遣わないでいられる人というか。
オレにとっては年齢差とかを外しても余りいないタイプの人なんですよね。
しかも更に凄いのが、奥さんの由美さんもまた一緒に居て凄い楽な人という。
ほんとになかなかいない組み合わせの夫婦というか。
オレにとってはある意味理想的にすら見えてましたね〜。
いや、朝本さん夫妻を知ってる人は、
結構そういう風に見てた人も多かったんじゃないでしょうか?
特に今回の事故があって、由美さんの献身的な行動や、
朝本さんに対するとてもとても深い愛情に触れて、余計にそう思いましたねえ。


IMG_4189


1082417_670115999683385_1725854807_n




長くなったので、朝本さんへの愛に満ち溢れた最高に感動的で素晴らしかった先月末の、
朝本さん支援イベント『AID FOR ASAMOTO』のことや、
その他諸々は割愛しましたけど、まあ詳しくはオレのFacebookをご覧ください(笑)。
あ、あと今月30日にもノーチャージのバー営業で、
『ASAMOTO-KAI』という緩いイベントやります。
20時から終電までの時間帯ですし、この前来れなかった人とかも、
朝本さんを想いつつ語らいの場所になればと。
あと『AID FOR ASAMOTO』でほんとに感動的で素晴らしいライブを演ってくれた、
今月のマンスリーの表紙にもなってる、
ユラリちゃんのライブをまた演ります。前回と同じ2曲だけですけど。
ユラリちゃんは元BAHASHISHIのヴォーカルで、
2011年の震災以降ずっと朝本さんと一緒に楽曲製作してる女の子です。
ちなみにこの前の『AID FOR ASAMOTO』でのライブ、
元bonobosの松井くん曰く「今年観たライブの中で1番良かった…。」らしいです。
いやマジで彼女のライブは素晴らしいので是非一度観て聞いて頂きたいです。


AIDFORASAMOTOPOS


yurari_0057



もうなんか考え過ぎて頭おかしくなってたまに考えるのが、
「神さま、三宿Webの20周年とか一切無かったことにしてくれてええから、
朝本さんの事故もなんとか無かったことにしてくれへんかな……」とか。
いや、そんなトレード可能だったら即しますよ。
朝本さんの事故が帳消しになるならオレのこの20年なんて無駄になっても全然いいし。
まあそんな映画みたいなことは現実的に不可能ですけど…。
今回の事故があってほんとに深い悲しみに襲われたし、
お先真っ暗にもなって鬱っぽくもなったし、
未だ心のどこかでやり切れない気持ちも多々ありますけど、
最近ふと考えるのは、この先朝本さんが意識戻った時って、
もうそれこそ今まで生きてきた中で感じたこともないぐらいの、
とてつもない凄い感動を得られるんじゃないかと思うんですよね。
だってちょっと想像しただけで涙出て来ますもん。
今後はその瞬間を楽しみにして待ちたいと思ってます。
まあまだもうちょっと時間は掛かりそうですけど。
朝本さん、誕生日おめでとうございます!
いつまでも、待ってますよ!

IMG_4210

なんと昨夜、2010年5月頃から突如としてオレらの前から行方をくらまし、失踪を続けていたあの岡本学が、遂に、遂に、オレの前に姿を現しました。


1461146_926363524058630_6623618518103758346_n



学は2001年頭からスタッフとしてWebに入店して以来、辞めた後もずっとしょっちゅう顔を出し、バカ正直でバカ丸出しなキャラとそのフットワークの軽さから、色んな人から可愛がって貰う様になって。オレも実の弟の様に可愛がってました。奴は結構本気でラッパーを目指していたんですが、その傍ら就職で、1度は落ちたモノのなんとWebで働いてたお陰で拾って貰ったポニーキャニオンも、大阪への転勤を断わる為に潔く辞めて、東京に残って本格的にラッパーの道を目指してたんですよ。それが突如としてオレらの前から消えて。

オレはいち早く奴の異変に気付き、結果的に最後となるメールのやり取りで、「おまえ最近どう考えても様子がおかしいけど、なんかあったの?ヤクザとか出会い系とか変な女に捕まったとかじゃないよね?もしなんかあるんだったら水くさい、何でも相談しろよ?」って送った切り奴からの返信は無く。その後も変えたばかりの番号も更に変え、以降誰も連絡が取れない状況になり。知らぬ間に中目黒の家も引っ越していて。

色々調べて見ると、どうやら仲のいい友達の彼女にめっぽう惚れてしまい、結果寝取ってしまったらしく、それが原因じゃないかと。めちゃくちゃピュアな奴だったので、そのことで過剰に自己嫌悪に陥り、もう消えるしかないぐらい思ったんじゃないかと。その後は一切姿を消したモノの、色んな所からは多少情報が入って来ていて。都内にいて、カプコンで働いていて、結局その彼女と一緒に暮らしているとか。展示会やライブ会場での目撃情報も多々。

実際、強引に連絡取ろうと思えば取れた状況にはあったんですが、奴にも色んな覚悟があっての失踪劇だったと思い、こちらから無理無理連絡取るのはちょっと違うかなと思って取らなかったんですよね。想像通りの理由であれば、奴の性格を考えたら、まずけじめとしてその彼女と別れるまでは出て来ないんじゃないか?とかも考えてました。でもその間も、盛大に祝ってやろうと思っていた奴の30歳の誕生日や、オレの40歳の誕生日や、三宿Webの20周年や、同期スタッフの結婚式など、幾らでも出てくるタイミングはあったものの、結果姿を現さず、連絡すら一切なかったので、もしかしたらもう2度と出て来ないんじゃないか…?奴と逢うことも2度とないのかも…とかも考えたりもしました。まあでも、どこで何をしようが、連絡が無かろうが、2度と姿を現さなかろうが、奴が元気で幸せにさえ暮らしているのであれば、それでもいいのかなあとは思ってました。もうほんとに家族みたいでしたから。家族ってそうじゃないですか?長年連絡しなかろうが、逢わなかろうが、元気で幸せにやってるならまあいいか的な。どういう状況でも家族は死ぬまで家族だし。実際オレも実の兄貴と気付くとかれこれ9年ぐらい逢ってもなければ口もきいてないですけど、兄弟には変わりないというか。まさにそんな心境でしたかねえ。


mabb



そんな中、昨夜約4年振りに突如としてWebに現れて。酔った状態で、今にも泣き出しそうな感じでひたすら謝られましたけど(笑)。余りにも突然のことだったので、オレも当然の如く驚きましたが、とりあえず何も言わずに熱くハグして。奴は半分泣いてましたかね…。で、落ち着いたところで、「言いたくなかったら無理には聞かないけど、結局おまえなんで消えたの?」って奴に聞いてみたら、やはりというか、全くの前述した想像通りの理由でした。まあ被害者の彼とその友達からは結構な追い込み掛けられてたみたいですけど。で、その2人ともクラブ業界の人間だったのもあって、こんな不義理をしたらもうこの業界には顔向け出来ない…消えるしかない…という理由からだったらしいです。1番世話になったであろうオレにも一切連絡しなかったのは、オレに迷惑が掛からない様にという奴なりの配慮だったらしいです。まあ友達だと思ってた奴に彼女にちょっかい出されたら誰だって激高するし、友達の彼女を寝取ったっていう事実は勿論良くないことですが、強姦したとかならともかく、言わば相手も同意の上なので、被害者の彼には非常に申し訳ないですが、まあ男と女なんてそら色々あるじゃないですか?っていうか一言相談してくれたら、一緒に土下座でもしに行ったし、ていうかなんなら一緒にボコられてもいいと思ってたし、万が一ヤクザとか出て来て指詰めろって言われたら、ぶっちゃけ当時は詰める覚悟もあったぐらい(結構マジで)。でもそういうのも見越してオレには一切迷惑を掛けたくないって考えるのも、また学らしいというか。で、失踪するっていう訳のわからない選択をしたのも奴らしいというか(笑)。


IMG_4704



なぜこのタイミングで出て来たのかと言うと、やはりその彼女と別れたタイミングらしく(苦笑)。てか、今度は違う友達にその彼女を寝取られたらしく(爆笑)。奴にも言ったんですけど、ほんと人生って因果応報だよなあ〜って改めて思いましたよ。奴も「ほんっとその通りです!」ってめっちゃ納得してましたけど(笑)。なんかもう色んな事が想像通りだったし、失踪前となんら変わってない奴を見て、もうなんというか、ほんっとにどうしようもないバカだな…と思ったり。失踪中も、こっそりオレのTwitterとかはたまにチェックしてたらしいです(笑)。オレの影響でヤマタツにもハマって、日曜日のラジオ『サンデーソングブック』も毎週聴いてるらしく(笑)。

もうなんというかオレからしたら、戦争行って戦死したハズの弟が、4年経って突如として無傷で帰って来たぐらいのサプライズはありましたかね〜。朝本さんの事故以来もう頭の中真っ白になって、何も考えられないぐらい、深い悲しみに包まれていましたが、なんというか久々の光明が見えた様な"事件"でした。連絡先も聞いたし、恐らくもう2度と消えないと思います(多分)。っていうか奴にはまだ何にも予定もなにも聞いてないけど今決めた!12月に三宿Webで伝説のイベント『MABB FES』やります!(予定)。学に関わっていた全ての皆さん、是非とも12月某日は三宿Webへ。バカな学を盛大に潰しに来てください。


mabb2



っていうか今回、ブログなんて更新するつもりなんて全くなかったし、書きかけのブログや他にも書きたいことも多々あったんですけど。まあほんと、朝本さんのことで頭がいっぱいでブログどころではなかったですから…。昨夜のことをFacebook用に文章書いてたら余りにも長くなったので、もうだったらブログでいいかと思って。でもほんとに、それぐらいオレにとっては物凄いサプライズでしたね〜。なんかもうビックリすることが起こり過ぎて、頭が付いていかないですよ、2014年という年は……。でもほんと、学が帰って来て、良かったなあ。ほんのちょっとだけ、楽しくなりそうです。


IMG_4705

まずは前回のブログもまた色んな方にシェア及びリツイート頂き、
またまさかの1日で1,000PV越え。
いや、1,000PV越えるなんてもう2度と無いと思ってたので、
この短い期間に2度もなんて、正直マジでビックリでした。
ほんとうにありがとうございました。


10510170_850027308358919_1308582819_n




いやあ~もう1週間経ちましたが、
とりあえず三宿Web20周年記念月間の6月が無事終わりました。
色々な不安もよそに、終わってみれば大成功と言っていい連日の大入りで、
毎営業日に色んな方々から沢山お祝いして頂き、
心から感謝・感激しました。ほんとうにありがとうございました。
個人的には、今年の上半期はほぼコレに全精力を傾けていた部分もありましたし、
「もう今年のオレの運気全部捧げてもいいから頼むから大成功で終わります様に!!」
と思ったぐらい、何としても成功させなければいけないという、
使命感にも似た強い想いがありました。
それこそが三宿Webという店に対しての最大の恩返しと考えてました。
それがどうにかこうにかではありますが、なんとか完遂出来て、
とりあえず猛烈な安堵感と共に、得も言われぬ達成感に、
1週間経った今も尚未だ浸っております。

いやほんとうに、20周年という頂きから見る景色は、
もうなんというか、想像を遙かに超えた絶景でしたね~。
正直、19年も20年も大した違いないやろ!ぐらい思ってましたが、
もう全く、雲泥の差でした。
プロ野球で言うところの、2,000本安打と1,900本安打の違いというか、
200勝投手と190勝投手の違いというか。
どちらも素晴らしい成績に変わりないですし、
そこまでの差は感じなくもないんですが、
そのちょっとの差はやっぱり全然違うというか。
それは勿論自分自身の感覚的にもそうですけど、
周りの目というか捉え方がそれ以上に違うということも実感しました。
19周年の時は大して祝われなかったですけど(苦笑)、
やっぱ20周年はそれこそ色んな人に盛大に祝って貰いましたからね~。
これはまた、20年という頂きに立たないと、
絶対わからないことだったかも知れないですね。
やっぱ似た様なモンでも、
頂上から見る景色と、8合目と9合目とは全然違いましたもん。
個人的にはそこまでの感慨は正直言ってなかったりもしたんですが、
いやいやいや、やっぱ20年って凄いことだわと改めて再認識させられたというか。
まあ自分自身というよりも、ほんとに周りの反応が全く違いましたから。
それも含めてやっぱ20年という重みを感じましたね~。
いや、改めてほんとうにありがとうございました。
ほんとに沢山沢山祝って頂いて有り難かったですし、
心の底から嬉しかったです。



10418632_837671406261176_1623200524_o

10445774_841725569189093_1222134541_o

10424031_842316089130041_1004686834_o

10488972_846630232031960_820001338_n




なんとか20周年ムードを盛り上げようと、
自分が出来る範囲のことは出来るだけやろう!と思い、
諸々の準備等で忙しいさなか、滅多に更新しないブログをコンスタントに更新、
余りの長文で時間掛かり過ぎて体調崩してまでも書いたり(笑)、
一晩かかって1人で店内のインスタレーション的に、
過去のマンスリーを使ってポップアート的に装飾したり、
123人にも及ぶ方々から20周年記念のお祝いコメント頂いたりと、
他にもやれることは色々やったつもりでしたが、
それらの全てが想像以上に効果があった様で、かなり面倒でしたし無理もしましたし、
前半は特にドタバタだったお陰で体調も壊しましたけど、
やっぱやっといて良かったなあ~!ってほんと思いましたね~。
お客さんからもよく「ブログ読んでWebのお酒飲みたくなりました!」とか、
「ブログ読んで今月は絶対来なきゃって思いました!」って言われましたし。
店内に無数に貼ったマンスリーとかも、やはりどれも歴史を感じさせるというか、
出演者の人やお客さんに結構見られてましたし。
多方面の沢山の方々から頂いたお祝いコメントも、
面白いのから泣けるのまで、個性的なコメントを多数頂いて、
あれもかなり20周年ムードを盛り上げてくれましたし。
いや、ほんとうに全てが効果てきめんだったと思います。



10417182_837051259656524_908388684_n

10432213_837172022977781_1401919669_n





6月に入ったと同時にどんぴしゃで梅雨突入しちゃうわ、
途中から思いっ切りワールドカップとどん被りしてるわで、
色んな不安要素はあったものの、初日の【Two Three Breaks!】は、
大雨じゃなかったら恐らく入場制限してたんじゃないか??ってぐらいの大入りでしたし、
翌日の【ALL O.K.】も大入りだったし。
いや、入りもそうでしたけど、両日とも色々と感慨深かったというか、
どちらもパーティーとして完璧で、素晴らし過ぎるスタートダッシュの2DAYSでした。
まあせっかくだしやっとこう的なリアルアニバーサリーの11日も、
小雨パラつく中、初代店長のマービンを始め、
3代目バーチーフの中川や初期スタッフのエガちゃん、
長年生粋のWeb愛を感じる朝本さん夫妻・23Bのエイジくん・小原くん夫妻、
初期常連だったアキラさん・コマキ・奈美ちゃん・ネスコくん・おばちゃん・小松さん、
他にもツカサくん・山田くん・カーズくん・福田さん・裕之くん、
みんなほんとに来てくれて嬉しかったなあ。
あとなにげにシフト入ってなかったのにお花持ってお祝いに来てくれた、
まだ入って1年も経ってないスタッフの愛が来てくれたのも嬉しかったなあ。
バー営業の予定だったのに、めっちゃ盛り上がったし。
いや、ほんとにこの日は非常に感慨も深く、幸せな夜でしたね~。
ワンナイト限定復活の【元・申し訳ナイト】も予想通りの大入りでしたし、
次の日ライブがあったので出番も早めで、
2時半ぐらいには帰っちゃった郷太くんも帰り際にお礼言ったら、
「いや、次の日ライブだったし、最初一瞬断ろうかと思ったんですけど、
ぶっちゃけナガサワさんだから受けましたよ。」って言ってくれて。
いやあ、グッときましたね~。
頂いたお祝いコメントもそうですけど、
郷太くんはたまにそういうグッとくる様なことをストレートに言ってくれるんですよね。
ほんとに嬉しかったなあ。
営業終わった後に、朝8時ぐらいでしたけど(笑)、
士郎さん(宇多丸さん)とその日だけ復活した旧スタッフの紗綾と3人で、
渋谷のすし三昧に行ったんですけど、そこでも士郎さんに色々と褒めて頂いて。
勿論20周年のこともそうですけど、スタッフのこととかも然り。
いや、士郎さんてほんとに人一倍ストイックな人だし、
オレなんかよりずっと拘りの強い人なので、
そういう人に褒められるのは非常に嬉しいというか。
過去に多々お説教はされましたけど(苦笑)、
そんな絶賛されるほど褒められたことってそうそうなかったので、
余計に嬉しかったですね~。
そして個人的クライマックスはなんと言っても、
最後の金曜日の【グルービー和物サミット】でのタイジさんのライブでしたね~。
10周年の時は泣いちゃったけど、20周年はどうだろ??って思ってたものの、
意外と全然大丈夫で、こりゃ泣くようなことはないかなあ~って思ってたので、
かなり油断してたのもありましたけど、タイジさんのライブ始まって、
2曲目に当時のシングルの『ドレッドライダー』を演ったんですが、
もうなんか一気に感情移入しまくってしまって。
しかもブースから周りを見渡すと、オープン直後当時に来てたメンツがいっぱい居て。
20年経っても同じようにみんな集まってくれて祝ってくれて盛り上がってくれてって、
なんて素晴らしいんだろう、なんて有り難いんだろう、なんて凄いことなんだろう、
とか想い始めたらもう一気に込み上げて来て。
何度か我慢してたんですがもう途中でほんとにヤバくなって。
よっぽどブースの中でしゃがんで見えなくなる様にして、
泣いちゃおうかとも思ったんですが、泣き出したら絶対涙止まらない!
って思ったのでもう必至に堪えて。10回ぐらいはマジで泣きそうでしたね~。
いやあ~アレはほんとにヤバかったな…。
でもほんと、これまた次の日ライブあったのに受けてくれたタイジさんも然り、
今や滅多に来ない昔の常連チームや、20年振りに来たって人も何人も居て、
1番ノスタルジーを掻き立てられた夜でしたね~。
その日の熟女ホステスをやってくれた3人も昔の常連で、
「Webの20周年だから引き受けた。」って言ってくれてたし。
そのうちの1人の国玉が帰り際に「20年続けてくれてほんとにありがとう。」
って言ってくれたのも凄くグッときたというか。
いや、まさにその言葉に色んなことが集約されてると思うんですよね。
ほんとに嬉しかったです。



10437117_838008169560833_492382540_n

10428881_838183712876612_869351398_n

10439630_840433715984945_1415160392_n

10503719_850091355019181_431664526_o





不安要素や心配事が大き過ぎて鬱になったりもしましたし、
もうめんどくさいから20周年迎える前に終わった方がいいんじゃないか??
とかも正直思ったこともありましたけど、
終わってみれば、もう得も言われぬ感動を頂いたというか。
いやもう一生忘れられないぐらいの尊いモノを頂きましたよ。
この想いや経験は、間違い無く一生の財産になったと思います。
それぐらい貴重でしたし大きかったですね~、6月の1ヶ月間は。
ほんっっっとに、幾多の苦しみや辛さに耐え続けて、
20年やってきて良かったなあ~って心から思えましたから。
この達成感や感動は絶対にお金では換えられない掛け替えのないモノですし、
これを経験出来たオレは、なんて幸せ者なんだろうとさえも思えましたよ。
いやもういくらどんな言葉を並べても形容出来ないぐらいの、
非常に貴重なモノでした。

いや正直言って、20周年までいけたらもういつ終わってもいい、
なんなら6月いっぱいで終わりでもいいぐらいに思ってた部分はありましたけど、
色んな人の色んな想いを頂いて、なんか逆に、そういう人たちの為にも、
出来る限りなるべく長く続けないとなあと思わされた部分はありましたね~。
と言ってもいつまでやるかはわかりませんけど(笑)。
いや、ほんとぶっちゃけ目的は果たしたのである意味肩の荷が下りたというか、
これからはもう失うモノは何もない的な部分もあって、
逆になんかもっとフラットにというか、
今までよりも気楽にリラックスして出来そうな感もあるんですけどね。
ま、先のことはわからないですけど。

今年最大のミッションをなんとか無事完遂出来て、
前のブログでも書いてた通り、
20周年燃え尽き症候群に突入しそうな気配も若干あったんですが、
非常に個人的にですけど、新しい目標というか、やり甲斐を見付けて。
今はそれに向けて暇さえあれば時間を費やしていて、
実は引き続き充実した日々を送ってます。
いや、実は春ぐらいからずっと暇を見付けては色々やってたことだったんですが、
さすがに5月と6月は20周年に集中してたというか、
全てを捧げてた部分もあったので一時休止してたんですが、
無事20周年も終えてようやくまた再開したというか。
え?それがなにかって??それは次のブログででも書こうかなあと思ってます。
あ、でもちょー個人的なことですし、
全然大したことではないので余り期待の無いように(苦笑)。

とりあえず6月の三宿Web20周年記念月間【MISHUKU GOLDRUSH 20TH】
にご出演くださった皆さま、ご来店頂いたお客さま、
お花やお祝いの品をくださった皆さま、ほんとうにありがとうございました。
改めて三宿Webという店は、沢山の人に愛され、
色んな人のお陰で活かされているんだなあと実感致しました。
いや個人的には、マジでこの世に生まれてきた意味すら感じてしまいましたよ。
それぐらい尊くも掛け替えのない素晴らしい感動を頂きました。
これはもうほんとに一生の宝です。ほんとうに、心からの感謝を申し上げます。
はてさて今後はいつまで続けるかはわかりませんが、
続ける限りは変わらず一生懸命やろうと思ってますので、
今後とも三宿Webを引き続きご愛顧のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。
いやあほんとうに、ありがとうございました!

10432159_840340412660942_447018864_n
10437302_841577309203919_1974236670_n

1743213_841605035867813_1042234065_n

10487126_845957685432548_263436538_n

10490319_846839005344416_1046643781_n

本日を持ちまして、三宿Webが遂に奇跡の20周年を迎えてしまいました。
いやもうとりあえず、本当にありがとうございますという言葉しか見当たりません。
せっかくなのでこの20年間のことを振り返ろうかと思ったんですが、
お題が壮大過ぎて、もう何から、どこから、書けばいいのやらというか。
なんせ20年ですからね~。色んなことがあり過ぎましたから。
ちょっと、恐らく前にも書いたことと被ってることが多いと思いますが改めて。



img018

        ※第一次三宿Web黄金期。



PICF0126

        ※第二次三宿Web黄金期。


バーテンが居ないということでひょんなことからバーチーフとして入店、
オレ以外みんな未経験だったのもあって、1ヶ月後からは副店長も兼任。
1周年のアニバーサリー終わったらバーチーフを退いて店長に。
98年からはプロデューサーも兼任。今の態勢に。
カフェドロペも1年半、CAVEも1年半、ROOMも1年半やって、
Webもそれぐらいで辞めるんだろうとは内心思ってました。
期間云々よりもある程度流行ったら、
もしくは自分の中である程度やり切ったら辞めるんだろうなあと思ってました。
Webがオープンした頃はまだまだ都内でも『三宿』という地名すらどマイナーで、
色んな人に「今度三宿に出来る新しい店で働くんですよ。」って言っても、
「三宿??どこそこ??」って言われたりすることも多々、っていうかほとんど。
オープン直後に色んな知り合いが遊びに来てくれましたが、
ある業界の先輩に「おまえここはいつまでやんの?」って聞かれ、
「とりあえず流行るまでは居ようかなとは思ってますけど。」って言うと、
「流行んの…?(苦笑)」って言われたり、
某大手レコードショップの知り合いの人にフライヤー持って行ったら、
「う~ん、ちょっとうちでは置けないなあ。
え?だって知らないDJばっかなんだもん(苦笑)。」って断られたり、
某大物DJの人には何度も「こんな店で・・・」って面と向かって言われたり。
最初にプロデューサーが立てた、当初予定してたノルマの数字には全然届かず、
4ヶ月後には給料も半月遅れて、翌月には最低の売上げを記録。
初代店長のマービンは「オレ給料1ヶ月遅れたらもう辞めるから。」
って言い出すし、秋頃には正直もう風前の灯火状態でした。

このままいけば間違い無く近いうちに店が潰れそうな気配はぷんぷんで、
入店前の面接時には「僕らはメジャーを目指してますから!」
って言ってた当時のプロデューサーの威勢もどこ吹く風状態で、
その頃には「社長、なんとかパーティー入れて貰えませんかね…?」
とか言いだしていて、もう働いてるオレは夢も希望もありませんでした。
で、11月の土曜日終わったあとに、当時の主力スタッフである
マービン・オレ・ガリバーの3人でミーティングして。
このままいってもどうせ潰れるんだから、
最後にオレらでもう勝手にやっちゃおうよって話しになって。
オレはラウンジ要素の強かった店を、
もっとクラブ的な感じにしようって言ったんですが、
マービンとガリバーの2人はバンドマンだったので、
「この辺ライブハウス無いからライブハウスにしようよ!」
って言いだして。
でもオレはライブハウスで働く気はなかったので、
あ〜だったらオレは引こうかなあって言って。
多数決じゃないですけど、まあ2対1だししょうがないか…的に、
そういう話しでその日は終わって。
確かその後、六本木でやってる某アフターアワーズに3人で遊びに行ったと思います。
でもそこでも翌日もオレは1人悶々と考えていて。
やっぱ、流行りもせずに結果も出せてない店を辞めるっていうのがなんか悔しくて。
ちなみに翌日の日曜日にたまたまパーティーが入ってて、
パーティー中も黙々と仕事しながらも、色々考えてました。
で、終わったあとにマービンと2人になって、
「昨日の話しなんですけど…」って切り出したらマービンが、
「あ、オレらも今日の営業中ガリバーと話してたんだけどさあ、
やっぱライブハウスにするのはやめるわ。
てかまず社長がライブハウスにするなんて言ってもOK出さないよ。
それにオレとガリバーじゃこのバーを扱いきれないし(苦笑)。
たけっしー好きにやんなよ。それでダメだったらライブハウスにするわ(笑)。」
って言ってくれて。
そこからオレのクラブ人生を懸けた戦いが始まったんです。
いや、マジでこれでダメならこの業界からきっぱりと足を洗おうと思ってました。


写真




とりあえず12月からのスケジュールを全てオレが担当することになって、
それまでのプログラムを一新。
まずその前に手始めにやったのが、当時のWebはなっかなか踊らなかったんですよ。
なんせ当時あったパーテーションが段差があって、
ちょうど洗い場の方が低くて、
踊ってる人と洗い物してるスタッフと目が合ったりしてたんですよ。
それを防ぐ為にそのパーテーションの木を勝手に引っこ抜いて、
洗い場側に付けて高くして見えない様にして。
あとスタッフ全員で土曜日終わったあとに昼過ぎまで掛かって、
当時真っ白だったダンスフロアの壁をペンキで真っ黒に塗って。
たったそれだけで踊るお客さんが一気に増えて。
12月のプログラムも、とりあえず土曜日はDJ経費もかなり少なかったので、
オレがホストDJやって、オレの今までの人脈や人伝えに色んな人紹介して貰って、
当時の著名なゲストを週替わりで呼ぶことにして。
でも当時のクラブシーンってほとんどの店が帯だったんですよ。
毎週金曜日は誰々、毎週土曜日は誰々みたいな。
なのでやはり金曜日ぐらいは帯で誰かをブッキングしたいなあ、
でも大抵の人気DJはどこかでレギュラーを持っていたので、
そういう人じゃなくて、うちのオリジナルに成り得る様な人はいないか??
とめちゃくちゃ考えました。でもなかなかアイディアが浮かばなくて。
で、11月のある日、平日で暇だったので、そろそろ時期的にも押し迫ってきてたし、
キャッシャーに1人こもって悶々と考えてたんですよ。
集中してああでもないこうでもないと考えてたら、その内ビビビと雷が走って。
当時シアターブルックのDJだったELPASO BROTHERS(吉沢dynamite.jp&与西)
でいこう!って思ったんですよ。
当時はまだまだ全然若手の部類でしたし、知名度もほとんど無かったですが、
吉沢と与西は何回かDJやって貰ってたんですが、選曲もめっちゃ良かったし、
ちょうどシアターブルックがメジャーデビュー直前だったのもあって、
絶対これから露出も多くなるだろうし、先物買いじゃないですけど、
よそでもそんなにまだやってないし、いいんじゃないかと思って。
第一タイジさんもちょくちょく遊びに来てたし、オレもROOMの頃から知ってたし、
タイジさん自身が当時から凄く華のある人だったので、
これからの三宿Webを盛り上げていく上で、むしろコレしかない!ぐらい思いましたね。
いわゆるネ申が降りるとはこういうことだぐらいのビビビ感でした。


写真




当時社長には、
「来年の夏ぐらいまでにはなんとか当初のノルマの数字にいきたいと思ってますので、
もし達成したらギャラの方も弾んでください(笑)。」的なことは言ってたんですが、
年が明けてちょっとした三宿ブームみたいなのが起こって。
2月にはなんとそれまで1度も超えたことがなかったノルマの売上げは超えて。
4月には初めて大きなイベントとして、金土2日間スペシャルイベントを打って。
どちらも盛況でしたが、土曜日に遂に念願だった有料のお客さんが100人超えて。
オレがオーガナイズしたパーティー【MISHUKU GOLDRUSH】でした。
金曜は吉沢・与西・豪くん+ゲストに荏開津さん、土曜はオレ+ゲストに瀧見さんと二見さん。
初めてWebがパンパンになって、ブースまで行くのもひと苦労なほどでした。
突如起こったクラブブーム、三宿ブームとも相まって、
もう週末は軒並み人が入る様になって。毎週金土ともに200人近く入ってました。
その夏の売上げなんて、その目標額の2.5倍にもなって。
もうあのキャパで有り得ない数字でした。
恐らく95,6年のWebの売上げは年商1億近かったと思います(多分)。
信じられないですよね?(笑)。これマジな話しですよ。



写真 のコピー




でも元々はオレが作った店でも無いし、何度も辞めようとしたことはあって。
97年に本気で辞めるつもりで、年始頃には、
「今年一杯で辞めさせてください」ってオーナーには言ってたんですよ。
で、まず次の店長問題が勃発。
普通に考えると前店長のマービンが店長復帰の線が濃厚だったんですが、
マービンはやりたくないと。
しかもちょうどそのタイミングで、
マービンの地元・吉祥寺にライブハウスの曼荼羅系列の大きなライブハウスが出来て、
週末はクラブスタイルにするらしく、マービンにその週末だけの店長の話しが来て。
地元を盛り上げたい気持ちと、週末だけの契約でかなり給料も保証されてたので、
マービンもその店(現・吉祥寺STAR PINE'S)に行くことになり。
で、店長の後釜もいないし、もうWebは年内で閉店しようって話しになってたんですよ。
でも当時のDJ陣や関係者や常連客たちには閉店を惜しむ声が多くて。
勿論オーナーにもどうにか続けられないか?とはずっと言われてて。
オレ自身も、せっかくここまで築き上げてきたモノを無くしてしまう残念さと、
あとまたどことは言いませんけど、うちが閉店なんてしたら、
泥棒猫の様にうちでやってたイベント根こそぎ持ってかれるのもシャクだったのもあって、
オーナーに条件付きで続けてもいいですよって言って。
それが店内の全面改装だったんです。

やはり元々ラウンジ要素の強い設定だったので、
100人近く人が入っちゃうと、非常に使い勝手が悪い作りだったんですよ。
今のDJブース辺りにだだっ広いソファースペースがあって、
それが店の3分の1ぐらいを占めてたり、DJブースもめっちゃ狭かったし、
トイレも1個しか無かったし。
店内階段上のロッカー、っていうかあのスペース自体無かったし。
あとバーカウンターのボトルを飾る壁の部分も光らせる様にしたくて。
オーナーからの返答は2つ返事でOKで、98年1月に全面改装することになって。
設計から工事までドタバタでしたけどね~。大雪も降ったりで大変だったし。
オーナーが工事費ケチってかなり安上がりに作られちゃったんですけど(苦笑)。
それ以降はずっと今のスタイルというか。
まあテレビ付いたり細かい部分の変化はありますけど。
下の写真は改装直後の店内の様子。
昔の写真引っ張り出して探しまくってようやく見付けました(笑)。


020

022

021

023




オレがブッキングを担当する様になってからの店のイメージは、
とにかく『個性』と『華』という部分でした。
雨後の竹の子状態でどんどんクラブというモノが出来ていた時代で、
それらのクラブと対等に渡り合う、もしくはそれらの中で存在感を出すには、
一刻も早い"三宿Webにしかない個性"の確立でしたが、
その部分に更に"華"という部分は必要不可欠だと考えてました。
ただでさえ三宿っていうマイナーな場所だったので、
そこで全然知らない様なイベントやDJが列挙されていても、
よくありがちな地域密着型のインディーなクラブになってしまうと思ったんですよね。
三宿という場所だからこそ絶対にそういう店にはしたくなくて、
「え!三宿でこんな人やってる!!」とか、「なんで三宿でこんな人が!?」とか、
お客さんがビックリする様な、そういう店にしたかったんですよね。
でもそんなのはあくまでも理想論であって、
なかなか最初はそういうイメージには出来なくて四苦八苦してましたが、
うちの場合、色んな人がイベントのゲストでDJしに来たり遊びに来たりした際に、
凄い確率で気に入って頂いて。
「ちょっと良かったら今度イベントやりたいんですけど。」
的なことを言って貰えることが非常に多くて。
で、オレが「いやあ〜是非!って言いたいところですけど、
ギャラの方があんまり払えないので・・・」みたいなことを言うと、
「あ〜全然いいですよ!」みたいなことがほんとに多かったんですよ、
ありがたいことに。
昔からよく色んな人に「どうやったらあんな派手なブッキングが出来るの?」
みたいなことを聞かれたりもしたんですが、実際のところはそういうことというか。
これもほんとに奇跡的ですよ。
だって普通にこっちからブッキングしたら3倍〜5倍近くギャラのかかる人たちが、
向こうからやりたいって言ってくれて、
ほんとに微々たる額で快くやってくれたんですから。
何と言ってもズバ抜けた酒の美味さっていうのは絶対あったと思うんですよね。
やっぱり初めて来た人には大抵褒められましたし。
あとなにげに近辺に住んでる人が多かったのもありましたかね〜。
やっぱ家から近いというのもかなりポイントでかかったかも知れないです。
あと時間が経つに連れて、色んな著名な人がやってる箱というイメージが付いて、
そういう相乗効果でやりたいって言ってくれる人も多かったですし。
「実は○○ってクラブにも誘われたんだけど、
やっぱDJの並び的にWebでやらせて貰った方がイメージいいかと思って(笑)。」
って正直に言ってくれた人もいましたし(笑)。
あとは常に誠意を持って接した部分が伝わったのかなあとは勝手に思ってます。
ある意味無欲の勝利というか。
有名だからとかの理由でゴマすってよいしょ的なことは全然しなかったんですよ。
無理強いも一切しなかったし。オレが逆の立場だったら絶対嫌だったので。
もしかしたら、そういうところも多少は好感持って貰えたのかも?
とは思ったりもします。
なんかほんと、そういう意味では色んな要素が重なりまくって、
奇跡的な化学反応を起こした的な。

ちなみに『Web』っていう店名ですが、
今でこそベタな名前だと思う人もいるかも知れませんが、
94年当時、日本ではまだまだ全然インターネットなど普及しておらず、
パソコンすら持ってる人が稀少な時代で。
勿論Webなんて言葉も一般的にはほぼ使われていない頃。
オレが招集された頃はまだ店名が決まって無くて、
第1候補が確か『LAVA』だったんですよね。
なんか素材の名称だったって聞いた気が。
正直「え~LAVAかあ~」ってのはあったんですが、
オープン直前になって結局『web』になったと。
どうやら社長がLAVAを気に入らなかったらしく、
webにしようって当時のプロデューサーにゴリ押ししたらしいんです。
社長はもう16年も前に亡くなっちゃったんですが、
若い頃からアメリカとかしょっちゅう行っていて、
そういう流行にはなにげに敏感な人で、
あっちではインターネットっていうのが流行り出してるのを知っていて、
"蜘蛛の巣の様に情報を張り巡らす"っていう意味合いが気に入って、
「web」にしようって推したんだそうです。
今考えると素晴らしい先見の明というか、凄いセンスですよね~。
てかLAVAじゃなくて良かったですよ(苦笑)。
ちなみに未だによく間違えられるんですけど、
98年から正式名称は『三宿Web』ですからね!
頭文字のWだけ大文字です!お間違えのない様にひとつ!

正直言って三宿という立地は皆さんが思っている以上に大変な場所でした。
前述したオープン直後の三宿ブームやクラブブームで勢いは付いたものの、
やはり元々は渋谷などの繁華街から離れたマイナーな地でしたし。
しかも駅からも遠いという。
なので他のクラブよりも危機感的なモノは常にかなり早かったです。
実際どのクラブも帯でやっていた頃から、
率先して毎日イベントのスタイルにしましたし。
通常のクラブのスタイルだけではやっていけないと思い、
ライブ入れたりお笑いやったり料金設定下げたりそれはそれは色々と。

15周年も相当しんどかったですけど、正直この5年はほんとにしんどかったですね〜。
まさかの大地震もありましたし…。
クラブ業界というか音楽業界全般的に落ち込みましたしね。
あとはスタッフ不足も深刻的だったし。いや、今もですけど。
そう考えると、ほんとよくもまあ続いたというか。
マジでちょっとなにかあったらアウトな状況がずーーーっと続いてましたからね。
綱渡りとはまさにこういうことというか。
まずオレが大怪我とか大病とかわずらったらその時点でアウトだったし。
だから個人的にはほんとに20周年なんて迎えられると思ってなかったというか。
いや、振り返るとほんとによくもまあ無事続いたよなあって思いますよ。
まさに奇跡的なことですよ。

まあ20年間色々なことがありましたし、
辛かったことや大変なこともいっぱいありましたし、
とんでもない様な苦境や、絶体絶命感も何度味わったことか。
色んな犠牲も払ってきましたし、ここでは書けない様な大変なことも多々ありましたし。
正直きっとこのしんどさは、絶対オレにしかわからない部分だよなあってのもあります。
まさに孤独との戦いでもありましたかねえ。
でも20年という領域に達してみると、
それらがもうどうでも良くなるぐらいの境地にも達しました。
考えてみると43年生きてるうちの20年もWebに費やしてる訳で。
アホですよ。オレの人生返してくれ!って本気で思うときもあります。
やりたい仕事でもないのに、なんでこんな無駄に長くやってんだろう?
とかも何度も思ったりもしましたけど。
でもこのWebの20年間が無ければ、DJもやってなかっただろうし、
IllustratorやPhotoshopを使ってデザインなんかも出来なかっただろうし、
ホームページとかも作ったり出来なかっただろうし、
機材とかも疎かっただろうし、カメラもやってなかったろうし、
おむすびも作ってなかったろうし、草野球もやってなかったろうし。
まあどれもまだまだ全然中途半端っちゃあ中途半端ですけど。
でも、野球以外はほぼWebの経費削減の為に始めたモノやコトばかりですから。
恵まれてない環境だったからこそ得られたモノというか。

ちなみに、Webで知り合って結婚したカップルってなにげに多いんですよ。
今月の1発目にやった『23B』の出演及び関係者だけでも、
なにげに5組もいたぐらい。
出演者や関係者も非常に多いんですが、お客さんとかからもたまに、
帰る時とかに「実は私たち5,6年前ぐらいによく遊びに来てて、
その時ここで知り合ったんですよ。ありがとうございます(笑)。」
とか言われたり。ほんとに昔から多いんですよね〜。
それってほんとに凄いことというか。
だってある意味、人の人生変えちゃってる訳ですからね。
Webが続いてなければ間違い無くその人たちは全く違う人と結婚して、
全く違う人生歩んでた訳で。
そういうこと考えると、無駄に20年もやった意味はあったのかなあ、
多少は色んな人の為になったのかなあとかも思ったり。

あとは何と言っても歴代スタッフたちとの数々の出逢いというか。
もうほんとに色んなタイプがいましたし、
悩まされることや落ち込まされることも多々ありましたけど、
その都度オレ自身が成長させられたというか。
あと前にも書きましたけど、巣立っていったOB及びOGのほとんどが、
「Webで働いてほんとに良かった」とか
「今の私があるのはWebのお陰です」とか、
言ってくれるのは、ほんとに冥利に尽きます。
なんでしょう?先生と生徒の様な関係性に近いというか。
もしくは兄と弟や妹的な。
在籍時はほんと、それこそ濃密な時間を過ごしましたからね~。
厳しくもあり、楽しくもあり的な。
辞めた後に結婚して、
式とかパーティーとかに呼ばれたりしたことも何度かありますけど、
毎回もうめちゃめちゃ泣けますもん。あ、勿論人前では泣くの我慢しますけど(笑)。
教え子の結婚式に出席する先生、もしくは弟や妹の結婚式に出席する兄、
的な感覚になって、なんかグッと込み上げてくるモノがあるというか。
でもそういう感覚というか関係性は、非常に稀少であり貴重だと思うんですよね。
それもWebがあったからこそというか。ちょっと他の職場では想像出来ないですもん。
いや、ほんとにオレにとっては掛け替えのない一生の財産とも言えます。
自分の人生の半分近くも費やして、挙げ句富も得られず、
日々大変な思いをして、未だこの歳で独身という、人生間違えたかな…
って思えてしまう様な酷い現状ではありますが、
前述したこの20年で得られたモノを考えると、
金では絶対に換えられない様な、非常に貴重な時間や経験でしたし、
正解だったとは間違い無く言えませんが(苦笑)、
間違いでもなかったのかもとも思えるというか。


DEMO




20周年記念のお祝いコメントも、元々はちょっとした企画的にやりましたけど、
あれもほんとに嬉しかったですね~。
120人分のコメント頂くのもやり取りもなにげに大変でしたけど、
終わってみればほんとやって良かったです。
もう色んなコメントにめっちゃ癒されたというか励まされたというか。
アレ貰えただけでだいぶこの20年の労をねぎらえた部分ありましたもん、マジで。
それぐらい嬉しいコメントやグッときたコメントが多かったですね。
仲くんからのコメント届いた時はなんか、
読んで感極まって号泣しちゃいましたからね。

ちょっと前の尋常じゃないアクセス数を記録した酒のブログもそうですけど、
なんか20年やってきてようやく評価される様になったのかなあとかもふと(笑)。
だってオレの中では一貫してブレずにやってきたことでしたけど、
そこまで評価されてはきませんでしたからね〜。
勿論内情とかも知ってる関係者の一部の人には理解はされてはいましたけど。
でも正直言って、オレみたいな特にスバ抜けて何か才能がある訳ではない人間でも、
コツコツと一生懸命やってれば、
いつかは認められるという良いお手本になったんじゃないでしょうか?(苦笑)
それにしても20年は長過ぎましたけどね(笑)。
でもほんとにど素人のレベルから致し方なく始めた写真にしても、
ここ数年は非常に気に入って貰えることが多くて、
アー写に使ってくれたり、SNSでのアイコンに使ってくれたりしてくれる人が多くて。
先日もRGさんからメールが来て、
「以前フライヤーで撮って貰ったのが余りにもいい写真なので、
今度イベントのフライヤーで使わして貰っていいですか?」
とか連絡来たり、郷太くんからも電話で、
「今度出る小説のプロフィールの写真、
ナガサワさんが撮った写真使わせて貰っていいですか?
なんか適当に50枚ぐらい渡したら、ナガサワさんの写真がいいって言われて。」
って連絡貰ったり。ほんとに嬉し過ぎますよ。
アレもねえ、ほんとになにげに毎月撮るのとか結構大変で、
何度も心折れ掛けたこともあるんですけど、
やっぱ先週も店のインスタレーション的に、
過去のマンスリーで店内をポップアートしたんですが、
貼りながら内心「あ〜毎月めんどくさかったけど、これも長年継続して良かったなあ〜。」
って思いましたもん。あのマンスリーには歴史が詰まってますからね。
あと色んな人に「Webのマンスリーの表紙になるのが夢だったんですよ!」とか、
「いつかWebのマンスリーの表紙になるのが夢なんですよね〜!」
って言われることが非常に多くて。
それもほんとに有り難いというか、とても嬉しく思います。



DEMO2




ちなみに今年のアニバーサリーのメインアイコンは、
ご存知『Dr.Martens』のサンプリングにしたんですが、
最初はもっとわかりやすいのにした方がいいのかなあとかも思ったんですよ。
特にマーチンのイメージって音楽でいうと、
SKA・ROCK・PUNKとかのイメージの方が強いと思いますし、
うちでもそういうジャンルも勿論かかりますけど、
今のメインストリームでいうと、HOUSEとかHIP HOPの方が断然多いし。
ちょっとマニアック過ぎるかなあ?とかも思ったんですが、
なんか逆にいいかと思って。うちの20周年だからこそ敢えてコレでしょ!って思って。
たまたま奇遇にも今年の春先に人生初のマーチンを買ったのもあったし、
そもそもマーチンのブランドテーマが『反骨精神』のイメージが強いので、
そこがバチッと一致したというか。まさに反骨精神の20年でしたから。
クラブ界のタブー的なのをいっぱい破ってきましたからね~。
散々悪口言われたり、陰でディスられたりもしましたし。
あと今月の表紙を僭越ながらオレがやってるんですけど、
これって年始の裏表紙用に撮った写真だったんですが、
20周年を迎える年だったのもあって、
着物でイギリス流"FUCK YOU"ポーズを両手でという。
まあ2本の指が20周年を表してるのもありますけど、
「絶対に、どんなことをしても、オレの人生に換えてでも、
20周年までは行ってやる!!」っていう意味合いもあったというか。
なのでまあちょうどいいかなと思って。
ほんとは未だに大人気中の、
"LINEのジェームズ"の撮り下ろしでいこうかとも思ったんですが、
さすがに入稿前になって、色々と感傷的になってきて、
いくらなんでもふざけ過ぎやろ(苦笑)と思い断念。
昔からたまに色んな人に「ナガサワさんは表紙やんないの??」
って言われることがあってその度に、
「オレは裏方だから表紙とかやるのは寒いからやらないよ~。
まあでも万が一にも20周年まで続いたらそん時はさすがにやろうかな(笑)。」
みたいなことは言っていて。
まああの"FUCK YOU"ポーズはある意味、今までバカにしてきた奴らや、
見下してきた奴らに対する意味合いもあったりもしたんですが、
20周年迎えた今としては、もうなんかどうでもいいですけどね(笑)。
なんかそれぐらいの得も言われぬ達成感というか。
いやむしろそういう人たちに対しても感謝というか。
まあだって、そういうのがなにげにパワーに変わった感はありますからね~。
「絶対見返してやる!!」ってのはディスられる度に心に強く思ってましたよ。



20





Web辞めてたら何やってたのかも、どういう人生歩んでたのかも、
さっぱり想像出来ませんが、もしかしたらWebで良かったのかも、
とかも20周年迎えてようやく思える様になったというか。
いやほんとに今となっては全てが宝であり財産ですよ。
まず普通の人が経験出来ない様なことをいっぱい経験させて貰いましたから。
色々思い返すとほんとに感無量です。
とりあえず、正直今月終わったら間違いなく20周年燃え尽き症候群で、
かなりモチベーションの維持に自信がありませんけど(苦笑)。
よく20周年はまだまだ通過点だとか言われますけど、
正直言ってオレにとってはひとつの到達点です。
本音を言えば来年Webがあるかどうかもわかりません。これはマジで。
でもいつまで続くか、いつまでやるかはわかりませんが、
とりあえず続ける以上は、これからもWebらしさを忘れずに、
最低限のやるべこきことはしっかりとやりつつ、
色んな人への感謝や謙虚の心を忘れずに、
アホなことやとんでもなくすっとぼけたことを、
これからも臆することなくガンガンやっていこうと思ってます。
この20年間三宿Webに関わった全ての皆さん、
本当に、本当に、ありがとうございます。
心から、ただ、ただ、最上級にして、最大限の感謝を。
最低ですけど、最高ですよ、三宿Web。

nagasawa_0204

MISHUKIU-GOLDRUSH-20THPOSOUT


さて遂にいよいよ明日から三宿Web20周年記念月間
『MISHUKU GOLDRUSH 20TH』が始まります!
もうここ最近はずっとこれの準備に奔走しまくってます。
今日も恐らく朝までやること山積みだし。
っていうかもう年明けてからずっと頭の中はこれでいっぱいだったかも。
もはやオレの今年の上半期はWebの20周年に捧げたってぐらいです。
まあなんせ20周年ですからね〜。
なるべく悔いの無いようにと自分追い込んで頑張ってます。

当初は6年前までやっていた数日間開催の
『MISHUKU GOLDRUSH』をやろうかとも思ったんですけど、
やっぱどう考えても今の色んなジャンルの多数の出演者を、
数日間に振り分けて収めるのは難しいってことで、
今年も例年通りの月間開催にしたんですが、
それを決めた時は、正直まだ全然不安要素の方も多かったんですが、
気が付けばもうほんと有り難いことに、
まさにうちの20周年記念に相応しい1ヶ月のプログラムになったというか。

まず6月6日金曜日、1発目の『Two Three Breaks!』。
これが決まったのがなんと言っても大きかったですかね〜。
正直俄然やる気出ましたもん。
主催のエイジくんとはなにげにもう長くて、
Webオープン当初からの付き合いです。
しかも一番最初って、
実は当時スカパラだった冷牟田さんのサポートDJとしてWebに来たんですよ。
確か彼がちょうど京都から上京したての頃だったでしょうか。
当時スカパラメンバーが関西でDJする時は、
エイジくんがよくサポートしてたらしく、
そういう流れでうちでの冷牟田さんのイベントでもDJ頼まれたみたいで。
確か当時は毎月ぐらいの勢いで冷牟田さんのイベントがあったので、
そのうちエイジくんとも仲良くなって。
で、ある日「今度空きがあったらイベントやりたいんですよね。」
って言われて。
どんなイベントか聞いてみたら、
「RhymesterのMummy-Dさんとか誘ってみようかと。」
って言って。
当時彼はDさんにネタ提供とかしてた間柄で
(ちなみにB-BOYイズムのネタ提供はエイジくん)。
Dさん自体は実はその前に、
うちのちょーオープン当初の某HIP HOPのイベントで、
主催の人の誕生日に遊びに来てフリースタイルやったりしてくれたことがあって。
確かその時のトラックは、
急遽オレのレコ棚にあるHIP HOPのレコード使ってやったと思います(笑)。
その後も、確か当時近所に住んでいて週末ふらっと遊びに来て、
オレが入口で気付いて「あれ?Mummy-Dさんですよね?」
Dさん「あ〜そうです。」
オレ「今日誰か知り合いでもやってんですか?」
Dさん「あ、いや普通に遊びに来たんすよ。」
オレ「今日ロックのイベントですけどいいですか?(笑)」
Dさん「あ〜全然。ジャンルとか関係無く遊び来たんで。」
みたいな会話して「あ、だったらどうぞどうぞ!」
って入れてあげたんですけど。
その後は全然遊び来てなかったと思いますけど。
話しを戻しますと、直後にちょうど空きがあって、
平日の月曜日にやって貰ったんですよ。
で、それ以降は毎月第2木曜日にずっとやって貰うことになって。
当時はまだRhymesterもブレイク前だったので、
平日だったし入りとかはそんな大入りって感じではなかったですけど。

ちなみにこのイベントって当時出演してた人たちが凄いんですよ。
Rhymesterは勿論のこと、KOHEIくんやキえるマキュウ、アルファやRIP SLYME、
GAGLEや全裸ROCK(現ZEN-LA-ROCK)、
サイプレス上野とロベルト吉野にG.リナちゃんなど、
今思えばほんと色んな人が毎回ゲストで演ってましたね〜。
しかものちにうちの看板イベントの1つとなった『申し訳ナイト』も、
元々はこのイベントで士郎さん(宇多丸さん)がゲストDJで、
サブタイトルに「申し訳ナイト in WEB」と付いて、
ミッツィーさん(現ミッシェルさんw)も遊びに来て知り合って、
意気投合してその2ヶ月後の木曜日からスタートすることになったという。
だから『23B』がなければ『申し訳ナイト』は間違い無く始まってないんですよ。
そういう意味では、エイジくんと知り合ってなかったら、
うちの歴史も相当変わってたことは間違い無いですね。
エイジくん自体も今の奥さんと初めて逢ったのがWebだったし、
そういうのもあって結婚パーティーもオレが司会させて貰ったしと、
非常に関わりが深いんですよね。
だから色んな意味でも三宿Webの20周年を語る上で、
『23B』というイベントは非常に重要なイベントだった訳で。
なので10年振りの開催が決まった時はほんとに嬉しかったですね〜。

元々Dさんは「オレはもうDJする暇があったら、
DJに掛けて貰う名曲を作ることに集中したいんだよね。」
的なことを言ってDJするのをやめちゃったんですが、
それ以降はほんと全然DJ自体をやらなくなって。
絶対色んな誘いはあるハズなのに。
なので今回も、まずエイジくんに相談した時に、
「とりあえず23BはDさんあってなんぼなので、
Dさんにまずスケジュール空いてるか聞いてみますね。」
って返事が返って来て。
オレ的にも一番心配だったのがそこだったりもして。
モチベーションもそうだけど、普通に忙しそうだし、
スケジュールも空いてるかどうか…とは思ってたんです。
が、予想外にすぐ返事があって。
当初2日ほど候補日があったんですが、
「Dさんどっちも大丈夫だそうです!」って。
もうそこからはトントン拍子で進んで。
いや〜やっぱ、Mummy-Dって人は男気ある人だなあと改めて思いましたよ。
随分前の周年でDJやって貰った時も、
終わった後に泥酔したDさんを外に見送り行ってたんですが、
「Dさんすいませんギャラ少なくて…」みたいなこと言ったら、
「関係ねえよそんなもん。オレはさ、
おまえが周年だからDさんDJやってくれって言うから来てんだよ。
ギャラとか関係ねえんだよ。」
みたいなことを言う人で。あ、ちょー泥酔してましたけど(笑)。
確かエイジくんから聞いたんですけど、
当時の23Bの時もギャラをDさんに払おうとしたら、
「オレはいいからさ、若い奴らにちょっとでもあげてよ。」
みたいなことを言ってたらしいんですよね。
カッコ良過ぎでしょ!Mummy-D!(笑)。
あ、あとちなみに、
ライブ用に照明付ける様になったのもDさんに言われてなんですよ。
ある日の23Bのライブ中に横で見てたDさんから、
「ナガサワさんさあ、真っ暗でライブやらせるのちょっと可哀想だからさあ、
なんか簡単なのでいいから照明的なの付けらんないかなあ?
なんだったらオレ金出してもいいから。」
って言われて。
ほぼ毎月23Bはライブやってましたし、
確かにそうだなあとは思ってたので、直後にクリップライトに赤い電球付けたのを、
ライブ用に2つぐらい天井に付けたんですかねえ。
今やパーライト4発あるし、オレが作った簡易ステージもあるしで、
23Bのメンバーには是非当時との違いも体感して欲しいですね〜。

あとちなみにこの日、当時のスタッフの真理&弥生も限定復帰します(笑)。
ほんとは当時のバーチーフだった華奈子も来れたらバッチリだったんですが、
結局仕事で出張が入って来れないみたいで。いやー残念です。
気が付くと23Bだけでえれー長くなってますけど大丈夫でしょうか?(笑)。
まあでもそれぐらいやっぱ思い入れの強いイベントと言えるかも知れないですね。
しかもその23Bが6月の1発目っていうのも何の因果か偶然かってぐらい。
もうまさに20周年記念月間の1発目に相応しいイベントですよ。


10253925_10201010012972756_368191381794778851_n




さて23Bの翌日7日の土曜日は、
6月はたまたまインディー系のイベントが全然やる予定がなくて。
だったらオレがオーガナイズして纏めて出て貰おうかなあ!
ということで水面下で動き回って開催決定した『ALL O.K.』。
イベントタイトルはチャーベくんに考えて貰いました。
このイベントも23BのDさんじゃないですけど、
仲くんが演ってくれるかどうかがオレの中では非常にポイントで。
やっぱ三宿Webの20周年を語る上で間違い無く、
エスカレーター(現BIG LOVE)及び仲くんは絶対外せない訳ですよ。
なので絶対仲くんには出て欲しかったんですよね。
これまた不安をよそに、Dさんと同じで仲くんも快くOKしてくれて。
ほんとに嬉しかったと同時にホッとしたというか。
っていうか元々は約4年DJをやめていた仲くんが、
うちの20周年の今年からまたDJを再開してくれたのも嬉しかったんですよね。
やっぱ仲くんの影響力は未だにそっち方面では絶大なモノがあって。
仲くんがDJしなくなってからも、やっぱ若い子たちの間では、
「インディー系の聖地と言えばWeb」みたいイメージが根強くあるみたいなんですが、
やっぱそれって間違い無く、仲くんが長年うちでやってくれてたのが、
非常に大きかったと思うんですよね。
やっぱそっちのシーンではカリスマ的な存在ですからね〜仲くんて。

今や伝説のイベント『ESCAPE』とかもほんと凄かったし。
火曜日のど平日に月2回やって毎回150人以上は入ってましたからね。
しかもインディーのレーベルのイベントで。
有り得なかったですよ、あのムーブメントは。
ファイナルも伝説の記録作ってるし。
ちなみに仲くんと一緒にESCAPEをやってたチャーベくんとは、
オレはもうROOMの頃からの付き合いで。
ESCAPE始める前も岩城くん(健太郎)と一緒にイベントやって貰ってたし、
もうずーっと長年コンスタントな付き合いさせて貰ってる最重要人物です。
いやーほんとに色んな意味でチャーベくんにはお世話になってます。
今回お祭りイベントとは言え、
チャーベくんと仲くんが同じブースに並び立つって言うのも、
オレもそうですけど、昔からのファンからすると、
感慨深いモノがあるんじゃないでしょうかね~。
それも今回ほんとに嬉しいというか。
今は2人ともやってるDJの方向性が全然違うので、
時間割りもちょっと離した方がお互いにやりやすいかとも思ったんですが、
やっぱどうしても同じブースに2人が並ぶのを見たいというわがままから、
仲くん→チャーベくんというタイムテーブルを組ませて貰って(笑)。
その2人とも旧知の仲のカジくんを始め、
他のメンバーもほんとにみんなクリエイティブ且ついい子たちばかりで、
新旧インディー系DJオールスターズの様相で(笑)、
ほんとにいいブッキング出来たと思ってます。
お客さんいっぱい入って盛り上がればいいなあ。
非常に楽しみ。



ALLOK3OUT




23Bの時にもちょっと出ましたけど、
『申し訳ナイト』の一夜限りの復活も非常に大きかったですね〜。
やっぱこれまたうちの20周年を語る上で絶対外せない最重要イベントでしたから。
間違い無く今のJ-POP DJブームの先駆け的イベントだったでしょうね。
まあそれがクラブ界にとって良かったのか悪かったのかは置いといて(笑)。
ぶっちゃけ始める時はさすがに「一晩J-POPとか大丈夫かな…?」
的なのはありましたからね〜色んな無茶なことやってきたうちでさえ(笑)。
でもそんな不安とはよそに、初回のインパクトが凄くて。
うちもゲストに宅八郎さん呼んで歌謡曲ナイトとかやったり、
他にもお笑いライブをやったりとか、
当時のクラブ界のタブー的なのは大抵やってきた自負もあったんですよ。
でもいわゆるよくある歌謡曲ナイト的な類では全然無くて。
DJもそうですけど、来てるお客さんも然り、出演者も然り、全てが斬新で。
正直これはやられた!って思いましたね〜。
で、即ミッツィーさん(現ミッシェルさん※もう書きませんw)に
「宇都宮からだと大変だとは思いますけど、良かったら毎月とかどうですか?」
って打診したら2つ返事でOK貰って。
そこからなんと13年もやって頂くことになろうとは(笑)。
噂が噂を呼んで大ブレイクした2008年頃なんて、
もう毎回パンパンに入ってましたからね。
200人近く入ってた時もありましたかね〜。
まあその後の猫も杓子もJ-POP DJブームもあって、
残念ながら昨年末に終わっちゃったんですが。
話しを戻しますが、終わってまだ半年しか経ってないし、
さすがにちょっと早過ぎるかなあ…とは思ったんですが、
流石シャレがわかるミッツィーさんというか。
『元・申し訳ナイト』として1夜限りの限定復活して貰うことになって。
他の皆さんも「えー!ちょっとまだ早過ぎでしょ!」とか一切無かった様で
(まあ内心はあったとは思いますけどw)。
ギュウゾウさんとGEEさんが出れないのは残念でしたけどね〜。
でも代わりに、これまた三宿Webの20周年を語る上で絶対外せない、
NONA REEVESの顔・郷太くんもゲストで出てくれることになったのも嬉しかったし。
いつも元気なハイパーヨーヨの2人のライブも決まって嬉しかったなあ。
あ、あとこの日も当時のスタッフの紗綾とめぐみが限定復帰します(笑)。
士郎さんには「イベントと一緒に当時のスタッフも限定復活ってどんなクラブだよ!」
とは言われましたけど(笑)。
まあ間違い無く大盛り上がり必至でしょうね~。
てか年に1回ぐらい復活すればいいのに!(笑)。


申し訳OUT




その前日にはMELLOW YELLOWのK.I.Nちゃんのイベントで、
これまた今や滅多にやらないMELLOW YELLOWのライブも。
今回残念ながらISOくんは出れないんですが。
やっぱうちの元スタッフと結婚したKOHEIくんには是非とも出て欲しかったし、
しかもK.I.NちゃんとのMELLOWで演ってくれるのはほんとに嬉しいです。
実はこの日、EASTENDにライブ演って欲しいなあと思って、
なにげに水面下で画策してたりもしたんですが、
GAKUさんがワールドカップ関連で仕事が入っちゃって、
出演自体がNGになったのでダメになったのが非常に残念でしたけどね〜。
EASTENDは3人とも同じ年だし(ちなみに前述のDさんも仲くんも同い年)、
長年『ダサパ』もやって貰ってたし、
あのDA・YO・NE発売からもちょうど20周年なんですよ。
だから是非とも演って欲しかったんですけどね〜。
まあ年内中にタイミング合う時にでも、
ダメもとで別にオファーしてみようかな(笑)。

いやー軽くダダダと書くつもりが既にえれー長くなってしまったので、
ここからはサクサクッといきます。
後半は全部レギュラーイベントなんですが、
『福善よる』にはSMOKIN'も出るし、Capppaのシゲと鶯くんも出るし、
『SWING CHOP』にはバクドキもライブ演ってくれるし、
なんと言っても嬉しかったのが『グルービー和物サミット』で、
タイジさんのライブが決まったこと。
オープン当初のWebって、金曜帯でシアターブルックのDJチーム・
ELPASO BROTHERS(吉沢dynamite.jp&与西)+山崎豪
だったので、タイジさんは勿論のこと、
シアター周りの人たちは毎週金曜日によく遊びに来てて。
タイジさんとは元々ROOMの頃からの知り合いで、
ROOMの1周年イベントをGOLDでやった時もシアターにライブ演って貰ったり。
最近はめっきり遊びに来なくなっちゃいましたけど、
やっぱタイジさんはどうしてもうちのオープン当初のイメージが強くて。
なのでうちの20周年記念月間の吉沢の日に、
タイジさんがライブ演ってくれるっていうのは、
非常に感慨深いモノがあるんですよね〜。
いや、これもほんとに"THE20周年"を感じる非常に嬉しいことでしたね〜。


2014-6-1c-2OUTPOS




個人的に心配なのはふとした時に営業中うっかり泣いちゃうんじゃないかということ。
いや、オレ若い頃のある日、人前では絶対泣かないって決めたんですよ。
「男たる者、どんな時でも人前で涙なんか見せたらあかん!」って思って。
それ以降どんな時でも人前では泣かなくなって。
誰の葬式だろうと結婚式だろうとぐっと堪えてきて。
人前以外だと実は人一倍涙脆いんですけど(笑)。
でも実は前にも書きましたけど、それから1度だけ人前で泣いたことがあって。
10周年のアニバーサリーイベント『MISHUKU GOLDRUSH』の最終日です。
終礼(毎営業後にやる軽い反省会みたいなのモノ)の一番最後に、
オレが総括して締めるってのがいつものパターンなんですが、
オレの番になるちょっと前から急に涙が止め処なく溢れ出てきて。
なんか急に10年間の辛かった事や、
新旧スタッフや出演者の方々に対する感謝の念が、
急激に一気にぐわ~って出てきて。
まあ10周年の準備もそれはそれは大変だったし、
疲れもピークだったところに最終日にちょっとした揉め事もあったりで、
心身ともに弱ってたのもありましたけど。
正直終礼始まる前までは、
「10周年だから泣くとか寒すぎやろ!」ぐらい思ってましたし、
泣くなんてこれっぽっちも想像もしなかったんですけどね〜。
いやぶっちゃけこの前もある営業日のふとした時に、
めっちゃ込み上げてきて泣きそうになって。
ヤバい!今誰かキャッシャー来たらまずい!って必死に堪えましたけど(笑)。
いや、やっぱちょっとこの20年のこととか考えると、ぶっちゃけいつでも涙出てきますもん。
それぐらい濃厚でしたし、やっぱ三宿で20年なんて奇跡的なことですから。
そういう諸々考えちゃうとやっぱヤバいですよ。いやーほんとに怖い。絶対泣きませんけど(笑)。
なので皆さんくれぐれも泣かす様なことはやめてください(笑)。

去年の夏以降ぐらいからしょっちゅう鬱になってた要因の1つでもあったんですが、
やっぱ20周年ってオレにとっては結構プレッシャーで。
周りはでかいことやろう!って言うけど、オレ自身は全然そんなでかいことはやる気もなく、
身の丈に合ったことで充分ってのはあったんですけど、
やっぱ20周年なのに地味にやるのもなあ…みたいな葛藤もあったり。
あとオレってほんとに外交しないクラブ店長というか、
他の店に顔出して友好を深めるとかって全然しなかったんですよ。
こんなに引き籠もってるクラブ店長も珍しいでしょ!ってぐらい。
昔はたまに遊びに行ったりもしてましたけど、最近はもうめっきり。
あとうちがここ5年ほどアニバーサリーイベント的なのをやらなかったのもあって、
あんまりよそのアニバーサリーイベントにも花とか贈ってなかったので、
20周年とかなのに花とか全然来ないだろうなあ…カッコつかないよなあ…
みたいなのも正直あって。
なんかそういうのも凄く20周年に対して嫌なイメージに繋がったというか、
プレッシャーに繋がったというか。
でももうここまで来たら全然開き直ってますけどね。
そんなのはもうオレの力不足や付き合い不足だった訳で。
そういうのも全部引っくるめて三宿Webの20周年なんじゃないかと思う様になって。
いや、ダメなところも全部さらけ出していこうってぐらいの勢いです。
なのでもう最初に言っときますけど、他の店のアニバーサリーの様に、
入口とかにバーッとスタンド花が羅列されてとか全然ないと思いますが、
まあそういうことですのでひとつご了承のほど(苦笑)。
あと逆に言うと、開催期間が何日間とかじゃなく、
1ヶ月間とかだと花とかも贈りづらいんですよね。
まず花自体も持っても1週間だし。
と、いい訳もしておきます(笑)。

そんな訳で簡単にサクッと書くつもりがいつも以上に長々と失礼致しました。
ここ最近はほんとにイベント準備のため怒濤の様な忙しさでしたが、
もうオレがやれることはほぼやったので悔いはないです。
あ、まだ明日の朝まで色々と準備に動き回る予定ですけど。
あとはもうどのイベントも、来てくれたお客さんも出演者の皆さんも、
楽しんでくれればいいですね〜。もうそれだけで本望ですよ。
20周年に全てを注ぎ込んできたので、
間違い無く6月終わったら20周年燃え尽き症候群に陥るのは必至ですが、
無事6月終わったらもうどうなってもいいですこの際(笑)。
でもほんと、今月1回でもいいので、
いや1回でも多く色んな人に遊びに来て欲しいですね~。
是非とも。心からお待ち申し上げます。
あ、いや、やっぱ最後はコレで。
舞ってますっっっ!!(踊りながら待つという意※特許出願中)


URA

※三宿Web20周年記念オリジナルTシャツは近日中にネット販売開始します!少量ですのでおはやめに!

長年生きてると色んな人に色んな影響を受けたりしますが、
今までの自分の人生の中で影響を与えた人を3人だけ挙げろと言われたら、
皆さんは誰を挙げますか?
勿論好きなアーティストや尊敬する偉人などの、
著名な人から影響を受けたということも多々あると思いますが、
例えばそういう人は除いて、肉親以外の身近な周りの人からの場合。
オレの場合は真っ先に3人の顔が思い浮かびます。
1人はCAVE時代の店長だった藤原さん。
1人は三宿Web初代店長だったマービン。
1人は1番長く付き合った彼女の3人です。

藤原さんは元々は原宿にあったCLUB Bで働いていて、
CAVEの後も新宿のWIREの店長をされたりした人で、
Webにも確か1度か2度ほど遊びに来てくれました。
非常に厳格な人で、当時のCAVEスタッフはみんなビビってましたが(笑)、
その反面めちゃめちゃ兄貴肌というか、リーダーシップに長けた人でした。
オレが入ったCAVEはちょうど人手不足で、入って間もなくすぐにバーに立たされたので、
当時ほとんど酒の知識が無かったオレは、それこそ必死に独学で勉強したんですが、
藤原さんには早くから褒められたりしました。
「おまえ、若い割りに酒作んの上手いな。」とか。
いやあ、やっぱ自信になりましたね~。
時給も10円単位ででしたけど、結構早くに上げて貰ったりとか。
オレの後に同い年の後輩がどんどん入ってきたんですが、
そいつらはもう毎日の様に怒られてるんですよ。いやもう怒鳴られまくりというか。
オレはほとんど怒られることがなかったんですよね。
まあ自分で言うのもなんですが、めちゃめちゃ仕事出来ましたからね(笑)。
っていうかまあ、人一倍真面目にやってたので。
ある日スタッフの意見アンケートかなんかを書く時に、
当時CAVEの新しいスタッフTシャツが出来た頃で、
スタッフはみんな当分コレを着て働け!って言われてたんですが、
そのTシャツがどうにもこうにもカッコ良く無くて。
で、そのアンケート用紙に確か、
「毎日の営業で何を着て行くか?という楽しみが無くなってしまうので、
出来ればスタッフTシャツは着たくありません。」
みたいなことを書いたんですけど、今考えると生意気ですよね~(笑)。
で、次の日でしたかねえ、キャッシャーに呼び出されて。
そしたら藤原さんに「わかったよ。おまえは着なくていいよ。」
って言われて(笑)。いやー嬉しかったですね~。
スタッフTシャツを着なくていいということよりも、
自分のファッションに対する拘りが伝わったんだと思って、それが1番嬉しかったです。
いや、当時のオレは若干20歳という若さながら、
自分で言うのもなんですが、今考えるとプロ意識の固まりで、
例えば当時持ってる服で6通りの格好があったとして、週6で働いてたんですけど、
スケジュールを見ながら、月曜日はハウスっぽいイベントだからコレ、
木曜日はUKなイベントだからコレとか、
常に考えて、しかも忘れないようにその日にどんな格好したか、
わざわざカレンダーに書いてたんですよ(笑)。
それでなるべく同じ曜日に同じ格好をしない様にとか気を付けてました。
当時のクラブって同じ曜日は帯でやってることが多くて、
常連さんも、その曜日にしか来ないってことも非常に多かったんですよ。
なので、毎日違う格好をしても、同じ曜日に同じ格好をしていたら、
その曜日に来るお客さんにはその格好しか印象残らないじゃないですか?
それじゃあクラブスタッフとしてダメだ!
あの人は今日はどんな格好してるだろう??って興味持たすぐらいじゃないと、
クラブスタッフとして失格だ!ぐらい思ってました(笑)。
いや、マジでそれぐらい格好には拘ってたんですよ。
20歳でですよ!?我ながら凄くないすか??
今なんかめっちゃ適当なのに…(笑)。
そんな訳で、そういう部分が伝わって嬉しかったんですよね。

話がえらい逸れましたが、藤原さんは基本的には厳しい人でしたが、
いきなり日曜日の夜に「今日は暇だから早めに店閉めて今からみんなで山中湖行くぞ!」
とか言ってレンタカー借りて連れてってくれたりとか、
スタッフ全員及び箱DJ連れて泊まりでキャンプ連れてってくれたりとか、
そういう遊び心もある兄貴分的な存在でした。
飯もほとんど奢ってくれてましたし。
土曜日激混みだった時とか、営業終了後にスタッフ全員に鰻重セット奢ってくれたりとかも。
当時は全然美味いモンとか食えなかったので、
「やったー!ラッキー♪」ぐらいにしか思いませんでしたが、
逆の立場になって、人に奢るってどれだけ大変なことかってことを思い知ってから、
余計に昔のことを思い出して。
いやあ~マジで大変だったろうなあ…とか、ほんとに有り難かったなあ…とか思います。

プロはお金を貰ってなんぼっていう意識を根付かせてくれたのも藤原さんでした。
当時のCAVEの主力だったオレ含めた5人組が居たんですが、
ほとんどのメンバーが辞めた直後の某日、キャッシャーに呼ばれて、
「おまえ、今月から時給1,000円にしてやるから。その代わり、誰にも言うなよ。」
ってそれだけ言われて。
当時のCAVEって750円スタートで、すぐ800円にはなりましたけど、
その時のオレの時給が830円ぐらいで、
オレより1番古い先輩のスタッフで840円ぐらいでしたかね~。
いや、当時ではクラブスタッフの時給が1,000円なんて、
もう有り得ないというか、かなり破格だったんですよ。
いやあ、口で色々言われるよりも、粋に感じたというか、グッと来ましたよ。
そこまで期待されてるんだったら、
時給1,200円ぐらいの働きをしよう!って思いましたもん。
当時は若かったですし、経験も浅かったのでそこまで実感は無かったですけど、
その後色々と職場を転々として、やっぱプロは金だなあってことを実感しました。
いくら言葉で「よくやってる!」とか「ほんとに頑張ってる!」とか言われても、
それに見合った報酬がないんじゃ全く評価されてないのと一緒ですもん。
口ではいくらでも色々言えますしね。

あと藤原さんに1番心を鷲づかみにされたのは、
何と言ってもコレでした。
どうしても後ろに女の子乗っけて2人乗りしたいが為に(笑)、
初めてローンで新車の125ccのVESPA買ったんですよ。
確か38万ぐらい出して1年半のローン組んで。
車の普通免許は持ってたので、50ccのVESPAなら乗れたんですが、
前述した様に女の子と2人乗りしたいのでわざわざ中型の免許まで取りに行って(笑)。
で、無事中免も取って念願のVESPAを乗り回してたんですが、
ある日の営業後、VESPAでの帰り道、深夜4時半頃だったでしょうか?
雨降っててゴーグルがちょっと曇ってたのもあったんですが、
ボケーッと考え事してたらうっかり赤信号に気付かずに交差点突入してて、
思いっ切り横から車に轢かれたんですよ、環8で!
30メートルぐらい飛ばされましたかね~。
中央分離帯にぶつかって止まったぐらいの勢いでした。
で、倒れながら朦朧とした意識の中、
買ったばかりのVESPAが無茶苦茶になって遠めに倒れてるのが目に入って。
思わずオレの頭の中には「あぁ、オレの人生終わったな、、、。」と思いました。
当時は勿論携帯とか皆無な頃だったんですが、
たまたま逆車線でパトカーが信号待ちしてたという奇跡もあって、
すぐに救急車呼んでくれて。
怪我も左目尻を切って大流血したものの、左脚甲を骨折したぐらいで、
大事には至りませんでしたが、一年半のローン組んで買ったばかりのバイクはパー、
全治も2ヶ月と診断されて、心は折れまくってました。
すぐに親にバレて、母親と兄貴が田舎から飛んできて。
ちょうど初めてど金髪(っていうかほぼ白に近い金髪)にした直後で、
しかも夜のバイトもずっと反対されてたし、
買ったばかりのバイクでこんな事故も起こしてしまい、
ソッコー美容師の兄貴によって髪は博多人形の様に真っ黒に染められ、
母親からは強制送還を言い渡されてました。
勿論田舎になんて戻りたくは無かったんですが、ただでさえ肉体的ダメージは勿論のこと、
バイクのローンもあるのに2ヶ月も働けないなんて、もう完全に無理だ…
って精神的にもめちゃくちゃ落ちまくってたのもあって、
「こうなった以上はもうしょうがないか・・・」と内心諦めてた部分もありました。
そんな折り、藤原さんから電話があって。確かこんな会話だったと思います。


藤原さん「おう、その後具合はどうだ?」
オレ「具合の方はだいぶいいんですけど…。
母親にバレてソッコー上京してきて『もう田舎に帰りなさい!』って言われちゃいまして…。
強制送還されそうなんです…。」

藤原さん「おまえはそれでいいのか?」
オレ「勿論嫌ですけど、こうなった以上はしょうがないかと。。。」
藤原さん「帰っても何もすることないだろ?」
オレ「まあ、機を見て大阪にでも出ようとは思ってますけど…。」
藤原さん「大阪か。大阪は大都市だけど所詮地方都市だぞ。やっぱり東京とは違うぞ。」
オレ「そうですよね…。でも一旦帰っちゃうとなかなか東京には出してくれないと思うんですよね…。」
藤原さん「だったらオレがお母さんに直接会って言ってやろうか?」
オレ「え?何てですか??」
藤原さん「ナガサワくんはほんとに一生懸命働いてくれていて、今のうちの欠かせない大事な戦力なので、私が責任持って面倒見ますから、なんとかこのまま東京に残させて貰えないでしょうか?って、オレが言ってやるよ。」


いやー、もうそれ言われた瞬間に、心鷲づかみにされましたよ。
そこまで言って貰って、有り難いやら嬉しいやらもありましたけど、
オレは何を女々しく凹んでいるんだと思い知らされたというか…。
男なら己の道は己で切り開かんかい!とばかり、
直後どうにか母親を説得して、執行猶予付きではありましたが、
とりあえず強制送還は免れましたし、
1ヶ月後には根性で松葉杖つきながらバイトも復帰して(笑)、
どうにかこうにか乗り越えたんですが、
藤原さんのあの一言が無かったら、もしかしたらおめおめと帰ってたかも知れないですね~。
それぐらい心身ともに憔悴しきってましたし。
いや、恐らく実家帰ってただろうなあ。
オレにとっては一生に残る名台詞の1つでしたよ。

藤原さんには、そういう男気というか、人を引っ張っていく為の術というか、
そういうものを非常に強く影響受けたかも知れないですね。
いや、今まで色んな職場で色んな上司いましたけど、
結構いい人が多かったですし、どちらかというと上司には恵まれた方だとは思いますけど、
元々どの職場でも真面目に一生懸命やってはいましたけど、
「この人の為に頑張ろう!」みたいに思えた人って、ほとんどいなかったですからね。
いや、そういうパワーってとてつもないですから、逆の立場になってみると。
ほんとにオレの指導者としての礎というか、根幹になってると思います。
ぶっちゃけ藤原さんには、
厳密に何かを教えて貰ったとかっていうのはほとんど無いんですけどね。
背中を見て学んだ的な。
若かったですし、当時はそういうのはわからなかったですけど、
時間が経ってからめちゃくちゃ影響受けてたのを実感したというか。
星野仙一的な部分に似てるのかも。アメとムチの使い方というか。
うちの死んだお爺もそういう人だったし。
あ、肉親でいうとうちの死んだお爺にもなにげに影響受けたんですけど、
藤原さんと似たタイプの人でしたね~。
いや、オレにとってうちのお爺も、なにげに偉大な人だったんですよ。
あ、長くなるのでご興味ある方はこちらを(笑)。

ちなみに藤原さんには悪いこともいっぱい教えて貰いましたけどね~(苦笑)。
気性も激しかったし、結構問題も多かった人だったので、
これを読んでる人の中にはもしかしたら、
「え??あの藤原さん??」って人も多いかも知れませんが(笑)。
まあでも、オレにとっては非常に影響を受けたいいボスでしたね~。
当時は若かったのでそこまでわかりませんでしたけど、
時間が経ってからひしひしと、
オレにとっては凄くいい上司だったなあ~って痛感したというか。
いや、藤原さんから学んだことは非常に大きかったですし、
間違い無くオレの恩師の1人ですよ、藤原さんは。



fujiwara





さて2人目は三宿Web初代店長のマービンです。
この人はその昔『ムスタングA.K.A』というバンドをやっていて、
ツインヴォーカルの1人で、バンドの顔的な役割もしてた人です。
『ムスタングA.K.A』はその昔SONYからメジャーデビューもしていて、
CMソングに使われた曲は上京前にテレビで聴いたことがあって、
知り合ってから「え!あの曲ですか!」的に驚いたりもしました。
ちなみに凄い映像を見付けたのでどうぞ。
知る人ぞ知る伝説の深夜番組『夢で逢えたら』にムスタングA.K.Aがゲストで出た映像です。
恐らく毎週欠かさずオンタイムで見てたとは思うんですけど、
コレは全然憶えてないですけどね(笑)。
ちなみに1番目立ってるモヒカンの人がマービンで、左で歌ってるセニョールさんは、
後にWebでオレと意気投合して伝説の草お笑いユニット『ハンソデポリス』
を長年やることになるんですけど(笑)。







話しを戻しますが、マービンとオレは別々のルートでWebに招集されたんですが、
初顔合わせの時に、上の映像を見て頂けたら一目瞭然ですが(笑)、
モヒカンで土着的な格好のマービンを見て、
「この人が店長か…悪い人じゃ無さそうだけど、見た目も内面もオレと真逆そうだなあ…
絶対ぶつかりそうだなあ…一緒にやっていけんのかな…?」
と内心不安になったりもしましたが、
後で聞くとマービンもオレを見て全く同じ印象だったらしいです(笑)。
初顔合わせはWebのビルの3階の酒屋だったんですが、
1人1人自己紹介していってて、
マービンの番になったら急に頭ガーンとパイプ椅子にぶつけてぶっ倒れて!
見たら白目剥いて泡吹いてるんですよ!そらあ隣にいたオレもビビリましたよ。
そんで急いで救急車呼んだんですが、救急隊員が来た瞬間に目が覚めて、
「あ!大丈夫です。オレ4年に1回こういうのあるんすよ。
ワールドカップ並みの周期で(笑)。」
って周りのオレらは笑うに笑えない様なこと言って(笑)、
とりあえずほんとにその後は大丈夫で、救急隊員の人たちは帰ってったんですが、
初対面はそれはそれは衝撃的なデビューでした(笑)。

この人ってほんとに音楽が好きなんですよ。
いやそういう人って勿論沢山見て来てますけど、
ほんとのMUSIC LOVERってこういう人のことを言うんだろうなって思います。
よく「NO MUSIC,NO LIFE」とかを座右の銘にしてる人とかいますけど、
大抵の場合、その"MUSIC"って、かなり限定されたモノでしょ?って思う事がほとんどで。
この音楽は好きだけどこの音楽は絶対無理!嫌い!乗れない!とかある訳じゃないですか?
マービンの凄いところは、勿論多少はそういうのはあっても、
基本的には音が鳴ってれば、リズムがあれば全然オッケーっていうか。
常に口でズンチャズンチャと口ずさみながら、リズム取って踊ってる様な人なんですよ(笑)。
いや、勿論好き嫌いは絶対あるんですが、それでも基本、全然分け隔て無く乗れるんですよ。
そんな人今まで見たことなくて。
だってやっぱ、誰だって好き嫌いは絶対あるじゃないですか?
っていうか音楽好きな人はむしろ、拘りの大きさからアリとナシが顕著だったりもしますし。
しかも常にハイテンションだし。素面でも全然ですけど、酒入ると更に。
その場に居る人を強制的にハッピーにさせる力が尋常じゃないというか。
だからWebオープン当初にDJやってる時はほんとに助けられましたね~。
ちょっとづつグルーヴ上げてってもなっかなかダンスフロアに呼び込めない時とか、
マービンがちょっと踊りながら盛り上げると、すぐみんな火が点いて踊り出したりとか。
いやもうマービンがいるだけで一気にフロアの雰囲気が変わるんですよ。
音楽に対してもそうでしたけど、人に対してもそうだったかも知れないですね。
基本苦手な人ってほとんどいないって言ってたし。
誰に対しても、初対面であろうと、全然臆することが無いというか。
圧倒的なウェルカム感というか。

しかもそんな感じの割りに、凄い穏和だし冷静だし客観的な部分もあって。
勿論当時の三宿Webに於いては、
フロントマン的な役割やムードメイカー的な部分は非常にでかかったんですが、
個人的にはそれ以外にも、数少ない色々な相談が出来る人だったんですよ。
そこが実は若かりし頃のオレからしたら非常に助かった部分で。
だいたいのことはオレ1人で考えてたんですが、
若輩者でしたしやっぱ迷うことも多々あって。
そういう時は営業終わった後とかに、酒飲みながらマービンに相談したりしてました。
そうすると目から鱗が落ちる様な冷静なことを結構言ってくれることがあって。
いや、若い頃からなるべく物事を客観的に見ようとしてたこともあって、
例えば相談ごととかを誰かにしても、大抵は予想通りのことしか返って来ないことが多くて。
もしくは「あ~その考えはもうとっくに行き着いてからの今のこの悩みなんだけど…」
みたいなレベルの返しとか。
結構相談乗って貰って凄い良かったなあ~って思えた人ってほとんどいなくて。
なので、当時では数少ない何でも相談出来る人だったんですよ、マービンは。
居なくなって痛感しましたが、そういう人がいるのといないのとでは、精神的に全然違って。
マービンが居た3年半はそういうところでも助かった部分は凄く大きかったですね~。

ちなみにマービンの昔のエピソード聞いてビックリしたんですが、
高校の頃に全国模試で1番取ったらしいんですよ。全国で1番ですよ!?(笑)。
勿論のこと「君は間違い無く東大受かるから」って言われて、
「そうか~オレ東大受かるのか~!」って思って油断して、
それから一切勉強しなかったらしいんですよ。
そしたら東大すべって結果早稲田に行ったらしいんですけど(笑)。
っていうか、全国で1番って凄くないですか??
この人やっぱなんか持ってるなあ~とは思いましたね。
しかもその後はメジャーデビューしてるし。

このブログを昔からチェックしてくれてる人なら既にご存知だと思いますが、
オレって逗子海岸が大好きで、聖地だと思ってるんですよ。
いや、これもマービンの影響なんですよね。
当時のマービンの彼女の実家がたまたま逗子海岸の近くで。
1周年のアニバーサリー終わった後に色々事件もあり、
疲れ果てたオレらは店に夕方まで店泊したんですが、
起きてからなんと三宿からタクシーで逗子行って(笑)。
水着も無いのに海開き前の海でひと泳ぎした後、
当時はまだ海岸沿いにあったロイヤルホストでミーティングして。
1周年のアニバーサリーでスタッフサイドが、
当時のプロデューサーと一悶着あったのもあって、
マービンは開口一番「オレもう辞めるわ。とりあえず店長とかもうやってらんない。」って。
ミーティングの結果は「じゃあもうみんなでWeb辞めよう!」って結論になって。
まあ1周年後の事件の詳細はこちらで(笑)。
その時のインパクトが余りにも強くて、
それ以来毎年1度は夏以外の季節に行ってるんですよね~。
でもほんと、毎回逗子に行くと初心に還れるというか。
それもマービンと出逢ってなかったらまず無かったことだし。
いや、オレにとってはなにげに大きいことなんですよ、コレって。

若かりし頃のオレはそれは堅物の仕事の鬼状態だったので、
同じスタッフで仕事もしないでワイワイやってる奴とか絶対許せなくて(笑)。
だから最初はマービンのことも忙しい時とかはよく怒ってましたけど、段々怒らなくなって。
ある日激混みの中で酒作ってて、ふとフロアの方見たらまた上半身裸になって、
仕事もしないでワッショイワッショイしてるから、半ば呆れながら、
「いいよなあ~オレは休憩も無しでひっきりなしで酒作り続けてんのに、
仕事もしないで酒飲んで遊んでて…」と思ったんですが、同時に心の中で、
「だったらマービンの変わり出来る?出来ないだろ?あんなに盛り上げられないだろ?
だったらおまえは美味い酒作れ!それが店の中の役目ってもんだろ!」
ってもう1人の自分に言われて納得したというか(笑)。
いや、ほんとに盛り上げるとか場の空気を作るっていう意味で、
唯一無二ぐらいのプロでしたから、マービンは。
クラブでのキャリアが当時のWebでは誰よりもありましたし、
元々のタイプも違ったのもあって、オレの方が3つも歳下なのに、
仕事のことではしょっちゅう怒ったりしてたんですが、
マービン自身も実はオレのことはとても認めてくれてたみたいで。
後に彼は吉祥寺のスターパインツカフェのクラブ部門の店長をやることになって、
たまにSPCのスタッフとか連れて来たりしたんですが、
みんな一様に、
「ナガサワさんのことはマービンからもうしょっちゅう聞かされてますよ!」
って言われて。
「あいつはほんとに叩き上げでここまで一生懸命やってきた奴だ。」とか、
「もうほんとにプロ中のプロだから。」とか、
めちゃめちゃ褒めちぎってくれてるらしいんですよ。
しかも色々話し聞くと、オレがWeb時代に散々マービンにお説教したこととかを、
SPCのスタッフにそのままお説教してたりとか(笑)、
なんかそういうのも凄い嬉しかったですね~。
いや、あの人とオレって、言わばもう全く趣味趣向も真逆のタイプなんですが、
逆にそれがお互いに、
自分には持ってない突出した部分へのリスペクトに繋がったんじゃないかと思います。
いや、ほんとにかなりおかしな店だったと思いますよ、当時のWebって。
だってオレが小綺麗な格好して、
眉間にシワを寄せて一生懸命妥協無く酒作ってる横で、
チョンマゲで上半身裸の奴が酔っ払ってワッショイワッショイしてる絵って、
何だこの店は!?ってよく言われましたもん(笑)。
やっぱどっちかに偏った店はありましたけど、
あのコントラストはかなり異質だったと思います。

マービンのWeb在籍期間って、店長自体はオープンしてからちょうど1年、
在籍自体は全面改装するまでのたったの3年半なんですが、間違い無く言えることは、
マービンが居なかったら三宿Webの20周年は無かったということです。
いや、これ全然大袈裟ではなくお世辞抜きに。
あの人居なかったら恐らく最初の半年で潰れてたかも知れないし。
そしたら勿論その後も無かった訳で。
あとあの人と出会ったことによって、
オレの価値観や考え方がめちゃくちゃ変わりましたから。
それも非常にでかかったというか。
それまでCAVE→ROOMと、ガチンコのクラブで3年働いてきて、
頭の中は勿論そういう色で洗脳されてた訳ですよ。
ある意味アンダーグラウンドこそクラブだ!的な。
勿論クラブの本質はそこにあるとは思うんですけど、
マービンを見ていると、
「面白かったらメジャーだろうがアンダーグラウンドだろうがどうだっていいじゃん(笑)」
的なのをひしひしと感じて。
それはクラブ的な部分以外にも、全てに於いて、
カッコ付けないカッコ良さ的な部分を非常に学びましたね~。
当時のオレはアホみたいにカッコ付けてましたし。
サービス業の本質とは?エンターテイメントの本質とは?
という部分にも繋がる部分かも知れませんけど。
本当に未だにマービンのことはめちゃくちゃリスペクトしてますし、
最大の功労者と言ってはばかりません。
いや、あの人になんかあったらオレは真っ先に飛んで行く!
ってぐらいの恩義を感じてますよ。マジで。
三宿Webの20周年を語る上で、何を於いてもまずマービン!ってぐらい、
オレにとっては本当に貴重且つ重要な存在であると同時に、
あの人との出逢いは、その後のオレの人生に於いて非常に大きなモノだったと言えます。



541929_607245199303799_138751879_n




さ、気が付くといつも以上にえらいことになってますけど大丈夫でしょうか?(笑)。
まあ最後はそんなに長くはならないとは思いますけど。
そんな訳で最後の影響を受けた人は、ちょうど20年前に付き合ってた彼女です。
前にブログで書いた『ちょうど20年前の』シリーズの彼女とは違う子です。
『ちょうど20年前の』シリーズの彼女と別れて、
実に3ヶ月後に出逢い、半年後に付き合ったんですけど。
今思えば信じられない運命ですよ。
別れた当時は、もしかしたらもうこんな大恋愛は出来ないんじゃないか…?
ぐらい思ってましたし。
それがなんと半年後にそれ以上、いや人生最大の大恋愛をすることになるんですから。
実はぶっちゃけ、未だにこのブログもマメにチェックしてくれてるみたいなので、
ちょっとこっ恥ずかしくて余り深くは書けないんですよ(苦笑)。
なので今回は軽く触りだけぐらいですけど。
まあでもこのブログが続く限りは、死ぬまでにいつかは深く語らなければいけないであろう、
オレの人生の中で、1番影響を与えた人ですけどね。
とりあえずオレの20代と30代は、彼女からの影響はそれはそれは計り知れないです。
奴を語らずしてオレの人生も語れず、ぐらいな勢いです。

元々三宿Webに入る切っ掛けも彼女経由だったんですよ。
ROOMを辞めることは決めていたものの、次何やるかは全然決めてなくて。
そんな頃にちょうど、
彼女が当時バイトしていた恵比寿のPEDROっていうバーの常連だった、
前々回のブログでも登場したWebの初期バー部門のプロデューサーの稲葉さんが、
とある日に酔っぱらいながら、
「今度三宿でクラブやるんだけど、いいバーテンが居ないんだよね…。」
ってぼやいているのを聞いてすかさず「あ、いいバーテンなら知ってますよ!」
って言って紹介して貰うことになったっていう。
それがなかったら間違い無くオレはWebに入ってない訳で。
そんなほんのちょっとしたタイミングから生まれた結果が、
後に20年もやることになった訳ですから、ほんとに凄いことだなあと改めて。
だからある意味彼女と出逢ってなかったら、付き合ってなかったら、
もしかしたら三宿Webの20周年もなかったかも知れないですねえ。
いや、多分恐らく無かったと思います(笑)。

1997年に初めてニューヨークに海外旅行に行ったんですが、それも彼女の影響でした。
それまで全くと言っていいほど海外というモノに興味を持たなかったんですが、
当時彼女はニューヨークに住んでたんですよ。
その頃ふとした瞬間に海外というモノにちょっとだけ興味を持ち始めた頃で、
ちょうど彼女も住んでるしということで、彼女に逢いに、
当時は大嫌いだったアメリカ・ニューヨークに行ったんです。
1週間の滞在でしたが、ずーっと一緒に居てくれてニューヨークの街を案内してくれて。
勿論のこと、初めての海外ともあって、全てに度肝抜かれたのを未だに憶えてます。
同時に人に優しいニューヨークの街が一気に好きになって。
元々はヨーロッパ指向だったんですが、
やっぱニューヨークの方が好きかも!ぐらい思いましたね~。
でも「いや、行ったこともないのに、
ヨーロッパよりニューヨークの方が好きだとかいうのはナンセンスだ!」と思い、
翌年と翌々年にロンドンとパリに行くことにも繋がったというか。
それもニューヨークに行ってなかったらまず行ってなかったでしょうね~。
てことは腕と脚のでかいタトゥーも入れてなかったってことにもなります(笑)。
そう考えると、それだけでもやっぱオレの人生をかなり変えた出来事でしたね~。
いや、それ以上にオレの人生にとってとてつもなく大きかったですよ、
初の海外及びニューヨークへの旅行は。

ファッション的な部分も凄く影響を受けました。
彼女は付き合った当時から職業柄もあって物凄くお洒落で、
よくダメ出しとかされてました(笑)。
それでよくむかっともしましたけど、なんせ全てに於いて早いんですよ。
感性というか感覚が。なので、ダメ出しされても何も言い返せないというか。
むしろ彼女にダメ出しされない様に服買う様になったり(苦笑)。
当時はかなりの方向転換がありましたね~。
最初はそういう風に彼女がいいと言うモノを買ったり、
彼女がダメ出ししない様なモノを買ったりしてましたが、
ある時にやっぱ「コレはお洒落かも知れないけど、オレがしたいお洒落じゃない!」
ってことに気付いて。でもやっぱダメ出しはされたくなかったので、
そこからめちゃくちゃ自分の個性とは??
みたいなのを本気で考えるようになって。
それまではまだ全然ファッション的な部分でも青くて、
全く自分に自信がなかった頃だったので、
いち早く自分なりに自分の個性を模索したというか。
結構時間は掛かりましたけどね〜。
でも後に確立される自分のファッション像の構築に、
非常に大きく影響を及ぼしたと言えます。
いや、まあファッションもそうですけど、考え方や生き方や価値観とか、
もう全てに於いて影響受けまくりましたけどね(苦笑)。
それぐらい、今まで出逢ってきた人間の中でも、
もうほんとに突出した唯一無二の個性及び感性の持ち主でした。

ソウルメイトって言葉がありますけど、
今まで生きてきた中で、男女問わず、唯一そういうモノを感じたのが彼女です。
いやぶっちゃけそういうチープな言葉で括りたくないぐらいの感覚というか。
ほぼ家族に極めて近い感覚はありましたかねえ。
いや、付き合ってる時は勿論ですけど、別れた後とかもずっとだったんですよ。
お互いになんかあったらすぐ連絡取り合ってたし、
なんかあったらすぐお互いのところに飛んで行ってたし。
それはもうどっちかに彼氏彼女がいる時でもですよ。
なんでしょうね?唯一無二の大親友的な感覚というか。
いや、それともちょっと違うというか。なんとも形容しがたい様な感覚でした。
ああいう感覚を経験出来たというのは、オレにとって非常に大きかったですね。
人間的な深みの部分に非常に繋がったと思います。
いや、むしろ非常にラッキーだったとも言えるかも知れません。
あんな感覚、経験しないで一生を終える人っていっぱいいると思いますもん。

最後に、彼女とのことはそれはそれは色んなエピソードがあるんですが、
その中でも突出して衝撃的だったのが、確か12,3年前のことです。
ある夜たわいのないメールのやり取りをしてたんですよ。
で、話しの流れでオレが
「おまえはオレがもし死んだらきっとめっちゃ哀しんでくれるんやろなあ~。」
みたいなことを冗談半分で送ったら、
「ちょっとやめてよ!想像しただけで頭がおかしくなる。たけしが死んだら私も死ぬ!」
って返ってきて。もうビックリして。
だって付き合っててラブラブな頃とかならわかりますけど、
当時彼女には彼氏がいた頃だったんですよね(確か)。
「え?なんなん??それどういう感覚??」って返したら、
「私にもわからんわ。もうなんか自分自身(自分の分身)って感じやわ。」って。
最初はビックリしましたけど、段々放心状態になってきて。
いやもうなんて言ったらいいのやらって言うか。
そこまで赤の他人が思ってくれることって、なかなか無いと思うんですよね。
しかも彼女でもなければ嫁でもないのに。
若い頃オレって大バカだったので、
「オレは何かをしにこの世に生まれてきた!」とか勝手に思ってて、
「もしなんかあっても、まだ何もしてないからまだ絶対死なないハズだ!」
ぐらい思ってて(苦笑)。
「もし乗ってた飛行機墜落しても、オレは絶対助かるハズだ!」とか(笑)。
ほんとにアホでしたから…。
でも彼女にそのメールを貰ってからもう急にめっちゃ怖くなって。
なにがって、
「オレが生まれてきた意味ってもしかしたらコレだったのかも!」って思っちゃって。
「ヤバい!オレまだなんもしてないと思ってたけど、もう既に任務終わってる!
どうしよ!もういつ死んでもおかしない!!」ってマジで焦りましたね〜。
本気で、なにかあったらマジですぐ死ぬと思いましたもん(笑)。
いやでも、それぐらい凄いことだと思ったんですよね。
あのメールは、未だにっていうか、絶対一生忘れないでしょうね。
オレにとってはそれぐらいの大きなモノでしたね〜。
ちなみに「え?じゃあなんでそんな彼女と結婚しなかったの??」
っていう愚問はくれぐれもご容赦ください(笑)。
まあ、色々あったんですよ。

もう彼女とは5,6年は逢ってないですし、今は結婚して子供もいるので、
最近は滅多に連絡も取り合わなくなりましたが、
彼女にはほんとに幸せに暮らして欲しいなあと心から思います。
この先オレが結婚したとしても、この先もう2度と逢うことがないとしても、
大事に思う気持ちは死ぬまで変わらないでしょうね〜。
それってもうほんとに血の繋がった家族に近い様な感覚というか。
まあそれぐらいのかけがえのないモノを与えられましたからね、奴には。


※写真掲載してたらソッコー消してって連絡来たので敢えなく削除しました(笑)


さてそんな訳でいつも以上に長くなってしまいましたが、
その人のそれまでの生き方や考え方や価値観を変えてしまうほど影響を与えるって、
ほんとに凄いことだと思うんですよね~。
それってなかなか出来ることではないと思いますし。
メジャーなアーティストの様に、
何千人、何万人に影響を与えるということも勿論凄いことだと思いますが、
それがたった1人だったとしても、それって充分凄いことだと思うんですよね。
いや単純に誰かの『人生の中で影響を与えた3人』に入ってたら、
男として、いや人として、そんなに嬉しいことはないですよ。
あぁ、しょうもない人生だったけど、生きてきて良かったなあ、生まれてきて良かったなあ、
って心底思えると思うんですよね。
個人的にはなんか、人の為になるとか、人の役に立つというのは、
自分が得ることよりも大きな喜びを感じてしまうとこがあって。
いやむしろ、それこそがもしかしたら自分が得られる真の喜びなんじゃないか??
とか思ったりもするぐらい。
オレもこの先死ぬまでに、1人でも多く、いや、
たった1人でも誰かにそんな風に思って貰える様に、そんな存在になれる様に、
これからもただただ精進していくのみです。

実は、全く違うネタで書き掛けのやつがあって、これまた長編大作なんですが(笑)、
それを次はアップしようと思ってせっせと書いてたんですが、
さすがに尋常じゃない前回のブログのアクセス数や反響に、
これはちょっと触れないとダメでしょ…と思い急遽路線変更。
書き掛けのネタはまた後日アップします(多分)。



第一部 「前回のブログについて」

前回のブログがなんとアップしてから2日で1,600以上のPV数。
ライブドアブログのレベルが2から3に1つ上がり、
普段はレベル2の中でも1万台のアクセス数の順位が、
なんとレベル3の中で全国7位という快挙でした(笑)。
いやもうビックリというかなんというか。
Twitterで25リツイート、Facebookで15シェアと、
全ては過去最大の皆さまのご厚意によるお陰でした。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。ありがとうございました!
まああんな長文、最初から最後まで読んでくれた方は、
10分の1〜20分の1ぐらいかも知れませんが(笑)。
まあでも、アップした直後は勿論のこと、未だになんですけど、
ほぼ毎営業日に誰かから直接言われたり、もしくはメール等などでも、
「え?オレのブログなんて読んでくれてんですか??」って人までほんとに色んな人から、
「ブログ読みましたよ!」とか「ブログ良かったよ!」とか
「ブログ感動しました!」とか「ブログやばかったっす!」とか、
色々とめちゃくちゃご好評頂きまして。
しかもどうやらクラブ業界のみならず、各所で話題にして頂いてるらしく、
予想を遥かに上回る余りの反響の多さに、正直若干戸惑いすら感じましたが、
でも沢山の人に読んで頂いた様で(多分)、少なからず共感を得て頂けたというのは、
非常に嬉しくも有り難いことだなあと思います。
ほんとうにありがとうございます!


10264465_807994565895527_522265008_n



っていうかこんなに読まれるんだったら、
もうちょっと書きたいこともあったなあ~ということで、今回ほんのちょっと補足を。
いや実際、今のところ矢は飛んで来たりはしてませんし、
好評の声しか耳には入って来てないですけども、
恐らく心中穏やかじゃない人とかも、中にはいたんじゃないかと思うんですよね。
例えば同業者の人とかで、
「そんなのたまたまいい環境にいたから出来たんでしょ~」
的な風に思った人もいたかも知れないし。
いや、実際その通りというか。ほんとにいい環境に恵まれたと思ってます。
だって事実、オーナーの方々の理解力や協力が無ければ、
グラスの件もそうですけど、氷にしたってフルーツの手絞りにしたって、
その他諸々絶対に実現出来ないことでしたから。
理想論だけ掲げても、そんなの金掛かるからダメって言われれば終わる話しですからね。
そういう意味ではほんとにラッキーだったとは思ってます。
コスト的な問題は勿論のこと、どの店にも色んな事情があるのは当然ですから。

でもです。オレ1番最初のCAVEの頃から、
常にその店で作れる最高のモノを出そうと思って、日夜努力してきたんですね。
当時のCAVEは割りモノの炭酸類とかは全てシャーってやるガン式のディスペンサーでしたし、
氷も勿論製氷機のモノ使ってたし。
でもその中でもやれることはあって。
もっと言えば、CAVEの前に働いてた原宿のカフェ・ド・ロペ時代からそうでした。
女の子の他のバイトからは「ナガサワくんがアイスティーが1番美味しい!」
とか言われてましたし。勿論マニュアルはあったんですけど、
ほぼ学生バイトが多くて、他のみんなが適当にやってたのもありましたけど、
基本はマニュアルに従いながらも、どうしたら更に美味しくなるか?
を研究しながら作ってました。恐らくその成果が如実に出たんじゃないかと思います。

オレが1番言いたいことはそういうことというか。
現状のシステム・環境の中で出来る最高のことをやって、最高のモノを出していれば、
最低限美味しいモノは出せると思うんですよね。
実際、500円でプラカップで出すお酒でも、
全然美味しいと思ってついついお代わりしたくなる店はありますから。
味的な部分以外に、感じの良さとかも勿論関わってくる部分でもありますけど。
まあ結局最終的には、システムや環境もさることながら、
それらを生かすも殺すも全てはバーテンダー次第なんですよね。

ちなみに昔、今は無き富士そばの並木橋店にしょっちゅう行ってたんですが、
そこって数ある富士そばの中で1番ちゃんとマニュアル通りに作ってたんですよ。
しかもほぼ24時間ずっと。
作り置きせず注文入ってから茹でて、ちゃんと冷水で締めてたので、
めっちゃ蕎麦にコシがあって美味しかったし、
蕎麦つゆの鮮度も良かったし、天ぷらやその他の惣菜も。
勿論バイト何人かで1日を回してるんですが、
いつ行ってもちゃんと皆さんしっかり作ってくれるんですよ。
もうそこの富士そば行ってからは、他の富士そば行けなくて。
だって余りにも他の店舗は適当に作ってますから。作り置きなんてザラですし。
いやほんとそういうことだと思うんですよね。
例え一般的にシステムや環境のレベルが低いとされているお店でも、
そこでやれる最高のモノを出せば、わかる人にはやっぱり伝わると思うんですよ。


2f20b04e745305a11fed5bf54acdfc1a


余談ですが、よくオレがよその店に遊びに行ったりすると、
誘ってくれた人とかは気を遣って事前に、
「Webの酒に比べると全然酒は美味しくないと思うんですけど…。」
的なことを言ってくれたりするんですが、実は意外とそういうのは気にしない方で。
こう見えて郷には入れば郷に従えタイプなので(笑)。
どこでも美味い酒しか求めないなんてことは決してなく。
まあ元々小難しいカクテルよりも、ウーロンハイとかビールとか、
シンプル且つ簡単なモノで充分だったりもしますし。
まあでも、ドラフトのビールがまずかった時のガッカリ度はハンパじゃないですけど(笑)。
勿論ドリンクやメニュー云々も職業柄どうしてもチェックしてしまいますが、
やっぱバーテンの作り方や所作には、どうしても目がいってしまいますね。
パッと見ただけで、不思議とだいたいその人の持ってる知識や技術力もわかりますし。
それによってオーダーするモノも変わってきたり。
でも往々にしてよく見受けられるのが、
そのお店のバーのシステムや環境に比例したレベルのバーテンしかいないということ。
そういうのを見ると非常に残念に思ってしまったりもします。
「少年よ、大志を抱け!」じゃないですけど、
どんなシチュエーションでも、常にちょっとでも上を目指して欲しいなあとは思います。

話しが逸れましたが最後にもう1つだけ。
三宿Webの酒が美味しい理由の隠された最大の要因として、
前回のブログではグラスを凍らしているということを書きましたが、
誤解して欲しくないのは、正直言って他にも多々ありますから(笑)。
ほんとにわかりずらい部分や細かい部分等、随所に拘りや労力を注ぎ込んでます。
それはさすがに全部言っちゃうとアレなので企業秘密ですけど。
でもそれらのほとんどは、まず他の店では絶対にやってないことだと思ってます(多分)。
まあほんとちっちゃなことや細かい部分が多いですけど。
単にグラスが冷えてるとか、ドリンクが冷えてるとかだけでは決してないんですよ。
ただ全てに共通して言えることは、前述したことにも繋がりますが、
「現状の中で少しでも美味しいモノを提供したい」
というちょっとした情熱やサービス精神とも言えるかも知れません。
更に付随したことを言わせて頂ければ、
前回のブログ(今回のも含め)が多少なりとも切っ掛けや触発となって、
色んなお店のお酒のレベル及びバーテンダーのレベルが、少しでも上がればいいなあとも、
非常にお節介な様で大変恐縮ではありますが、
いちバーテンダーとして切に願うところでもあります。


961047_806938762667774_906074221_n



第二部 「NOT MASAMIブーム」

さてこれから第二部。すでになかなかの長文ですが(苦笑)。
第一部の真面目でかしこまった内容とは一転して、
タイトルからしてわかる様に、どうでもいいかなりくだらない内容なので、
事前に頭の切替の方をお願い致します(笑)。
TwitterやFacebook等をご覧になっている方は既にご存知だとは思いますが、
気が付けば「まさみじゃない方の」及び「NOT MASAMI」が巷で大ブーム中で(笑)。
いやほんと、正直まさかの大ブームです(笑)。

実はオレって昔から自分の長澤という苗字が大嫌いで。字面も響きも嫌いでしたね〜。
上京してからは、字面のいい簡単な方の沢にして、長らく長沢って書いてました。
それが今からちょうど10年前の2004年公開の映画
『世界の中心で、愛をさけぶ』に出演してる彼女を観て以来、
一発で大ファンになってしまい(笑)。それ以降は即"長澤"に戻し、今に至る的な。
いや、まさみちゃんの出現によって、初めて長澤姓で良かったと思えたというか(笑)。
オレからしたらある意味ちょっとした救世主ですよ。
だって男ならほぼ一生背負って生きていかなきゃいけない自分の苗字が嫌いって、
ちょっとした致命傷ですから。
2011年公開の映画『モテキ』によってまさみちゃんの人気も絶頂を極め、
世の男性のほとんどが、長澤まさみちゃん可愛い!!って思ったんじゃないでしょうか。
いやほんと、それぐらいの影響力はあったかも知れませんね〜。
まあその絶大なる人気度や知名度があったからこその、
今回の巷の大ブームに繋がったんでしょうけど(笑)。
ありがとう!まさみちゃん!(勝手に)

さて色々調べてみると、1番最初に「まさみじゃない方の」って発信したのが、
2011年の大晦日だった様です。テレビで紅白観ながらTwitterで。
これが記念すべき「まさみじゃない方の」が生まれた瞬間と断定(笑)。

「余りにも眠いのでうっかり棚の掃除とかしちゃった。GAGAって歌上手いなあ~。
あ、GAGA澤です(まさみじゃない方の)。」


調べてみるとそれから余程気に入ってしまったのか、
Twitterでことあるごとに(まさみじゃない方の)を無駄に多投ツイート(笑)。
2012年春頃には、徐々に浸透してきたのか周りのレスポンスにも、
たまに名前の後に「まさみじゃない方の」って入れられる様になって(笑)。
その後も無駄に多投に多投を重ねたのもあって、以降スマッシュヒットを記録(多分)。
Twitterでのオレ的2012年流行語大賞を受賞(勝手に)。

2013年2月に、それまで長らく使っていたガラケーからiPhoneに変えたんですが、
iPhoneからのメールってよく、
「●●がiPhoneから送信」って付いてたりするじゃないですか?
それに着目したオレはわざわざ、
「まさみじゃないホーオ!がiPhoneから送信」に無駄に書き換えたりと、
無駄な努力は惜しまず発揮。
その後も無駄に多投を重ねてはきたものの、
さすがにだいぶ落ち着き始めたそんな頃、ちょっとした転機が訪れます。
2013年6月末に開催した、三宿Web19周年アニバーサリー月間の最終日を、
レイザーラモンRGさんと共同企画したんですが、
そのフライヤーをデザインしてる時に、
フォントの関係でその日の出演者名を全て英語表記にしたんですが、
オレのところをどうしよう??って考えた時にふと、
あ、語呂いいし「NOT MASAMI」にしよう(笑)って、
冗談半分で名前の後にカッコ書きで付けたんですが、
これが結果、若干翳りが見え始めていた「まさみじゃない方」ブームを、
まさか助長することになろうとは!(笑)。


jpg-large



ちなみにその後も無駄に気に入ってしまい、
オレがDJする時はことあるごとに名前の後に(NOT MASAMI)を無駄に入れてたんですが、
今年の3月頭にふと思い付いた名パンチライン
「立ち上がれ!全国のまさみさん!」
によりくすぶっていた人気が遂にブレイク(笑)。
これまた気に入ってしまい、ことあるごとに
「さあ立ち上がれ!全国のまさみさん!」と呼び掛けまくった成果もあってか、
気が付くと先月頃からブームが顕著に加熱。
今やオレの周りの人はもうなにかとあれば、
「まさみじゃない方の」及び「NOT MASAMI」を使う様になっていて(笑)。
その2つ書きたくてわざわざ名前出したりするぐらい。
最近はもう知り合いに誰かを紹介とかされたりすると、
「あ、あなたがNOT MASAMIさんですか〜!」とか、
「まさみじゃない方の長澤さんですよね?」とか言われる始末(笑)。
もはやオレの手の届く範囲を遙かに超えつつあります…(苦笑)。
いやはやまさかの展開にこれまた若干戸惑いを隠せませんが、
まあこんなくだらないことでも、皆さんに楽しんで貰えているというのは、
非常に嬉しいことだなあとは思ってます(笑)。


10342615_818804841481166_1859589774_n



てかもう最近は、こんだけ流行っちゃった暁には、皆さんに更に喜んで頂ける様に、
マジで「まさみさん」って名前の人見付けて付き合おうかなと思ったり(笑)。
まあ言うてもそんなにまさみさんいないけども(笑)。
でもたまに周りの友達たちと話して爆笑したりしてるんですけど、
万が一にももしそんなことがあったらマジでヤバいでしょうね〜(笑)。
間違い無く更なる一大ブレイク必至ですよ(笑)。
っていうかどんだけサービス精神旺盛やねん!って感じですが(苦笑)。
ま、そんなうまい話しはまず無いとは思いますけど…。
さて今後のNOT MASAMIブームの行く末はどうなることやら。
とりあえずもうしばらく、当分ちょっとしたブームは続きそうですけど(笑)。
でもマジな話し、今なら漏れなく無条件に長澤まさみになれるチャンスですよ!
さあ今こそ立ち上がれ!全国のまさみさん!


10287979_806939289334388_445647285_o


これほんとは、実に2007年から更新してないオレのカクテルコラム、
『COCK-TAIL ELEMENTARY SCHOOL』で書こうかと思ったんですが、
悩みに悩んだ挙げ句、結局こちらで書くことにしました。
ちなみに前述のコラム、非常に有り難いことに、
今までなにげに色んな人から共感して頂いていて、
全然面識も無い人なのに、
「お酒のコラム、プリントアウトしてうちのスタッフに読ませてます!」とか言われたり、
バーテン経験のある人にも非常に理解して頂いているのは、
ある意味書き始めた当初から考えると予想外というか、いやはや非常に嬉しい限りです。
もうかなり前ですけど、ノーナの郷太くんからも夜中にいきなり電話掛かってきて、
なんだろう??と思ったら、
「ナガサワさんのカクテルコラム見たらめっちゃ共感することがあって!
この想いは今伝えたいと思って思わず電話してしまいました(笑)。」
的なことをわざわざ伝えてくれたり。
正直言って生粋のバーのバーテンダーからすると、
かなりナンセンスなことも書いてあるので、
いつかどっかから矢が飛んで来そうだなあ…とは思ってましたが、
直接的間接的問わず、未だ1度も批判的なことは言われたことなくて、
内心ホッとしてます(苦笑)。
まあ興味のある人は、時間のある時でもそちらの方も是非。


911906_614053858622933_1492932257_n



さて本題に入りますが、『三宿Webの酒が美味しい理由』。
オープンして以来有り難いことに、
「三宿Webの酒は抜群に美味しい!」とか、
「ここで慣れたら他の店で飲めない!」とか、
「クラブではダントツに1番美味しいでしょ!」とか、
未だにしょっちゅう言って貰ってます。ありがとうございます!
自画自賛で恐縮ですが、オレ自身も、正直言ってクラブのバーでは、
ナンバーワンのクオリティーのモノを出している自負もあります。
いやいやいや、ちょっと待った!とおっしゃる方もいらっしゃるかと思います。
勿論どの店も各々プライド持ってやってると思いますから、そらそうです。
でも、それにはちゃんとした理由があるんです。
ある意味オレの中では企業秘密だと思ってたので、
今までは敢えて声を大にして言いませんでしたけど、
もうすぐ20周年という節目を目前とした今、もう言ってもいいかなと思ってきて。
とはいえまあ、そんな大したことのない様にも思えることかも知れませんけど。

以前のブログでも書きましたが、
21年前に渋谷THE ROOMのバーチーフ及びバーのプロデュースを任された時、
当時のクラブではダントツに1番酒が美味いと評判だった"青山MIX"を超えないと、
当時のクラブのバーでナンバーワンになれないと思い、
沖野さんを始めとしたオーナーの方々のご理解・ご協力もあり、
氷は製氷機ではなく一貫氷を使い、フルーツジュースは全て手絞りに変え、
プラカップからグラスに変えました。
当時のMIXは既に上記のことはやっていたので、
それだけではMIXを超えられないと思い、酒の種類を増やしました。
当時のMIXは、非常に繁盛店だったこともあり、
陳列されている酒の酒類は最低限で、種類は多くなかったんですよ。
更にROOMでは通常使うホワイトスピリッツ(ジン・ウォッカ・ラム・テキーラ等)
はわざわざ冷凍庫で凍らせたのを常に出してました。
当時のROOMのバーは、
コールドテーブル(業務用のテーブル型の冷蔵庫及び冷凍庫)とかも無かったので、
アイスクリーム用の縦型の長細い冷凍庫を買って貰って、バーの真横に置いて使ってました。
正直言って、当時のクラブのバーでそこまでやっている店はまずありませんでした。
勿論テキーラやズブロッカなど、
限られた酒を凍らせたりした店はあったかも知れませんけど。
オレが働いてた頃のCAVEも幾つかは冷凍庫に入れてはいましたし。
でもそれは"とっておきの何か"を凍らせたレベルであって、
通常ハウスで使うモノを凍らせておくのとは訳が違いました。
ROOMはまだオープンしたての頃でしたので、
店自体の認知度はMIXに比べると全然比べ物になりませんでしたが、
バーのクオリティーに関しては、当時は間違い無くクラブで1番だと思ってました。
酒のことをわかる人にも徐々にそれは伝わっていきました。

1年半後にROOMを辞めることを決めたと同時にひょんな縁から、
Webのオープニングスタッフ且つバーチーフとして働くことになったんですが、
ROOMを辞める間際に悶々と考えてたことがあったんですよ。
今度働くWebって店は、バーカウンターもでかくて酒の揃えも本格的な品揃えで、
材料やレシピのクオリティーも勿論本格的だったので、普通に考えたら、
当時のクラブでは間違い無くナンバーワンのバーではあったとは思うんですが、
例えばジントニックやスクリュードライバーなどの、
シンプルでポピュラーなカクテルしか飲まない人にとっては、
ROOMのクオリティーとさほど違いを感じないと思ったんですよね。
だって使用する材料はさほど変わりない訳ですから。グラスや氷も含め。
勿論どちらもジュースは生搾りだったし。
ハウスの酒も当時のROOMよりもワンランク上のモノを使う予定でしたが、
例えばハウスのジンをビーフィーターじゃなくタンカレーを使ったとしても、
その差をわかる人なんてごく僅かでしょうし。
それでWebの酒が1番だ!とか言っても、勿論バーカウンターのでかさや酒の揃えをみたら、
ある程度納得してくれるかも知れないですけど、
なんかいまいち説得力無いなあ…とは思っていて。
そういうシンプルでポピュラーなカクテルひとつとっても、
他店舗とは圧倒的な差を感じさせる何かがないかなあ…って考えていて。
大袈裟に言えば、他店舗とジントニックを作って並べて、お客さんに目隠しして飲ませても、
圧倒的にこの(Webの)ジントニックが美味い!!
って言って貰える様な何かはないのか?と思って。
とは言え当時まだ23歳になり立ての頃で、
当時の自分としてはやれるだけ最高のことをやった結果が当時のROOMのバーだったので、
それを超えるモノのイメージが全然思い付かなくて。
っていうか正直、やれること全部やってるし無理でしょ??ぐらい思ってました。

そんなある日、オレは衝撃的なことを経験することになるんですよ。
ROOM勤務中の平日の某日、オレの休憩の番がそろそろ回ってくる頃だったので、
当時いつもよく飲んでたオレ考案のオリジナルカクテル
(ちなみにコレってWebオープン以来未だに大人気の"オリジナルグレープフルーツカクテル"
というカクテル)を、喉が渇いてたのもあって、氷以外の材料を作り置きして、
そのまま冷蔵庫に入れてたんですよ。キンキンにして飲もうと思って。
で、休憩時に裏で休みながら飲んでたんですが、やっぱキンキンに冷やしてたのもあって、
いやあ~いつも以上に美味いなあ~!と思って。
その時です。体中を雷の様な電気が走った様な衝撃を憶えて。
グラスを冷やすだけで、いつも飲んでるカクテルがこんなに味の印象が違うんだ!!と。
もうコレだ!!ROOMのバーを超えるにはコレだ!!コレしかない!!と思いましたね。


10261838_806939576001026_386147265_n



Webには元々バーのプロデューサーの稲葉さんという人が居て、
その人はちゃんとした正統派のバーのバーテンダー上がりの人で、
歳も4つ上だったのもあり、最初はクラブのバーテンダー上がりで、
独特の考え方のオレと果たして意見が合うかなあ…と、内心不安だったんですが、
その人はめちゃくちゃフレキシブルでフレンドリー且つシャレのわかる人だったので、
すぐに意気投合して、オレもわからないことは教えて貰ったり、
オレの独特のバーに対する哲学も、非常に興味を持って聞いてくれて、
その人がプロデュースしたWebのバーに関しても、生意気にも現場の意見として、
コレはこうしませんか?とか、コレはこうした方が現実的だと思います!的に、
色々と助言させて貰ってたんですが、
唯一グラスを冷凍庫に冷やすのは難色を示したんですよね。
やはりオープン当時は冷凍庫や冷蔵庫のスペースも今よりも全然少なかったですし、
他にも冷やすべきモノが沢山ありましたし、
あとやはり労力的にも、グラスを冷凍庫で冷やすという行為は、
なかなかしんどいモノがあったので。
当時は(っていうか未だにですが)、
クラブは勿論バーでもグラスを凍らせて出すところなんて滅多に無く、
あったとしてもビール用のタンブラーやショットグラスがせいぜいでした。
まあなんせまずデカ目の冷凍庫が必要ですし、
現実的にはなかなか難しかったりもするんですけど。
最初はそこに関してだけは、その人もなかなか折れてくれなかったんですが、前述した様に、
うちのバーはクラブのバーでダントツに1番だ!
それはもうジントニックのレベルでも圧倒的に!
って胸を張ってアピールするには、何を犠牲にしてもそれは絶対やるべきだと思います!!
いや、お願いですからそれは絶対やらせてください!!
と熱く力説し、最終的には「よしわかった、おまえがそれほど言うならいいよ。」
って納得して了承してくれました。

それ以降はオープン以来ずっと現在までグラスは冷凍庫で冷やして提供してます。
勿論未だにジュースは生搾りのフレッシュ、
氷もちゃんと一貫氷を丁寧に割って提供してます。ロック用のは丸氷に削ってますし。
勿論グラスだけ冷やしてても意味が無いので、割りモノのソフトドリンクもマメに冷やして。
忙しくて冷えるのが間に合わないモノは、バケツに氷と水張って冷やしたり。
言うまでもなくジン・ウォッカ・ラム・テキーラ等のホワイトスピリッツは全て冷凍庫に。
出すドリンクの温度にはなるべく気を付ける様にしてます。
ぶっちゃけ上記の諸々は、ほんとにやっぱ結構な面倒な作業なんですよ。
グラス冷やすのにしても、ジュースの絞りにしても味の管理にしても、
氷を割るにしても、他の諸々冷やすのにしても。混んでる時とかは特に。
でもうちの歴代のバーチーフを始めとしたスタッフたちが、オープン以来長きに渡り、
自分が楽しむ部分を多少犠牲にしてでも、真面目に一生懸命やり続けてくれているお陰で、
なんとかそのオペレーションのままでやってこれてますし、
その結果有り難いことに、オープン以来20年に渡り、
『三宿Webのお酒はずば抜けて美味しい!』とご好評頂いております。
まさに歴代のスタッフたちの、長きに渡っての努力の賜物とでも言えるでしょう。


10266859_806939159334401_849289333_o



まあ正直なことを言えばちょっと前から、
「クオリティーをもうちょっと下げてもいいのかなあ…」とかも思ってはいます。
もしくは種類を少なくするとか。その分お酒の値段も安くして。
勿論最低限のクオリティーは維持しつつですけど。
えええ!?そんなことするのは絶対やめて欲しい!!って思う人も多そうですけど(笑)。
いや、勿論気持ちは重々わかるんですけど、
ぶっちゃけうちのクオリティーで今の酒の値段は、はっきり言って安過ぎるとは思ってます。
勿論メニューによっては適正なのもありますけど。
あと正直言って、本格的過ぎるが故に、バーテンを育てるのが容易じゃないんですよ。
どんなに頑張っても、ちゃんと1人で立たせられる様になるには最低2ヶ月以上は掛かるし。
いや、ぶっちゃけもっと掛かります。1年経ってもちゃんと出来ない子とかも全然いるし。
なんせ覚えることが多過ぎますから。本気で覚える気がないとまず無理ですから。
なのでうちの場合、バーテンが1人抜けただけでもう大変なんですよ。
職人が1人抜ける様なもんですから。
なぜ未だにオレがいざという時はバーに立たなければいけないか?って言ったら、
やはりそういう理由があるんですよ。
でもそれって、クラブレベルで言うとある意味非常に難しいことをやってるというか。
だから常に人手不足で嘆いてたりするんですが。
そう考えると、もうちょっと簡素で簡潔なバーにして、
ある程度誰でもバーに立てる様な環境にすべきなんじゃないか??
とはちょっと前からずっと思ってます。

とは言え、うちみたいなしょーもない店が、
三宿なんてどインディーな場所で20年もやってこれたのは(あと2ヶ月ありますけど笑)、
やはり群を抜いた酒のクオリティーというのは絶対的な要素ではあったと思いますし、
とりあえず20周年までは現状のままでいこう、というのはあって。
つってもあのバーを諸々変えるのも結構大変なのもあって、
20周年後にどうするかとかはまだ具体的には考えてないですけど。
そのままでいくかも知れないし。
でもどう変えたとしても、今よりもクオリティー下げたとしても、
オレが不味いと思うモノは絶対出しませんから安心してください(笑)。
どこをどうするにしても、まず大前提にそこを基準にしてますから。
いや、やっぱ歳を重ねたせいか、
昔とはちょっと酒に対する見方や考え方や捉え方が違ってきてるのはありますけどね。
今の三宿Webで考えると、こんなに酒の種類もいらないし、
作れるカクテルの種類も必要ないんじゃないか??とかも思ったり。
もしオレが完全に現役でバーテンに復帰して、
1つのバーを1からプロデュースするとかなったら、
恐らく全く違った形のバーにするとは思います。
いや、もう今や色んな部分で多様化や細分化されてきてますし、
今あるバーのほとんどの形態が、脈々と伝わってきてるクラシック且つ伝統的なモノを、
そのまま引き継いでるだけってことがほとんどだと思うんですよね。
なんかそれってどうなんだろ??とは結構前から思っていて。
勿論そういうクラシックな正統派のバーも絶対必要だとは思いますけど、
もっともっと新しいことが出来るとは思うんですけどね~。
まあ恐らくそれはWebでも今後やらないでしょうし、
Web以外の店のバーをプロデュースするなんてことも無いでしょうけど(苦笑)。
あ、Webが全面改装するとかなったら、一掃してもいいかな。
まあそれもまずないでしょうけど(笑)。


10175779_806938829334434_834344278_o



ふとした瞬間に思うのが、オレほんとにバーテン上がりで良かったなあって思います。
前述した様に、バーテンのスーパーサブとして、
いざって時はバーにも立てるっていうのはやっぱでかいし、
普段結構大変なこととかもスタッフたちには指示したりもしてますけど、
オレが出来ないことはひとつも言ってないんですよ。
バーの大変な業務にしても、いざとなれば全部出来ますし、
実際過去にはやってきてることがほとんどなので。
やっぱそれって全然説得力が違うというか。
何でもそうですけど、ただ上から頭ごなしに理論上だけでああだこうだ言っても、
下の者からしたら内心、「じゃあおまえがやれよ!」とか「じゃあおまえ出来んのかよ!」
とかになったりしがちじゃないですか?
現場上がりか否かでは言う事も全く変わってくるし。
実際バーテンとして現役だったのは、4年ぐらいのキャリアしか無いんですけど、
CAVE、チェントコーゼ、ROOM、Webでバーテンをやった経験は、
非常に貴重で大きかったですし、一生の財産となってます。
でもそれもやっぱ、常に一生懸命やった結果が全て残ってるとも思ってますけど。
適当にやってたらなんてことないただの経験だったと思うし。
当時はどこの店でもほんとに必死にやりましたからね~。
まだまだ若輩者でしたし、酒も今ほど好きでも無かったし、
別にバーテン目指してた訳でも無かったんですが(笑)。
でもたまたま早くから色んな人に褒められたり、認められることが多かったので、
あれ?もしかしてオレってバーテンのセンスあんのかな??
って勝手にその気になったこともデカかったでしょうかね(笑)。

三宿Webももうすぐ20周年ですし、業界歴にしても非常に長い方だとは思いますが、
正直言って大したことは全然やってきてないんですよ、オレ。
ただ単に無駄にキャリアが長いだけで。いや、マジで。
でも、こと東京のクラブシーンの歴史に於いて、
"酒"という部分に関してだけは、間違い無く爪痕は残してきたとは思ってます。
この20年間、結構めちゃくちゃなことも三宿Webはやってきてますけど、
ギリギリのところで一目置かれてるのは、その部分なのかなとかも思いますね。
それ無かったら完全に色んなとこから、
あからさまにボコボコに叩かれてると思いますもん(笑)。

そんな訳で、今回も長々とご愛読誠にありがとうございました。
今後はどうなるかはわかりませんが、
とりあえず20周年までは今のままでいきますので、
それまではコレまで通り従来の三宿Web's BARを堪能してください。
今回もあほみたいな長文だったので、ここまで行き着いた人も少ないかも知れませんが、
もしかしたら読んだ人の中で、
「え??理由ってそんなこと??」って思った人もいるかも知れません。
そう、まさにそんなことなんです。
でもオレも大好きなラーメン食う時に毎回思うんですが、
スープが熱々かそうでないかでは味以前に全然印象が変わってきます。
オレがラーメン屋だったら間違い無く器も出す前に温めますから。
実際に、ラーメン自体は美味しいのに、
スープも器もぬる過ぎて行かなくなった店とかもありますし。
そういうちょっとしたところで大きく味の印象って変わるし、
そういうちょっとしたところにも拘りを持つ店が好きです。
三宿Webのバーは、今後もそういうバーであり続けたいと思ってます。
いや、オレがやってる限りは、間違い無くそうあり続けることを約束します。


10252904_806938926001091_364799051_o

500


全然油断してたんですが、今回でなんと500回目みたいなんですよ。
前回アップした後ぐらいに気が付いて。表示されてる記事数見たら、
え!次で500回目じゃん!みたいな。
実は珍しく書きたいことが幾つかあって、
途中まで書いてる記事とかも幾つもあったりするんですが、
今まで節目の回(100、200、300、400回目)ってなにげに
毎回『○○回目のナガサワブログ』ってタイトルで、感謝の弁を述べたり、
CDプレゼントしたりしてるんですよ(懐かしい笑)。
なので書きかけのはとりあえず置いといて、
今回用に別に書こうかなあどうしようかなあと、ずーっと迷ったまま放置してた的な。
あとはなんだかんだとドタバタで、精神状態も常にギリギリで心休まる暇がなくて、
時間があってもブログを書く気分にならなかったのもありましたかねえ。

元々このブログは、最初は巷のブログブームに乗って、
思い付いたことを適当に書いてたりしてたんですが、
途中から段々と趣向がコロコロ変わっていって、同時に文字数も大幅にアップ。
いつしか、超長文こそがナガサワブログの無駄な醍醐味みたいになっていって。
でもTwitterの出現とともに、長文を書くのが一時は面倒になったこともありましたし、
それに比例して更新率もかな~り減りましたけど(汗)、
最近はまた逆に、"長文でないと伝えられないこと"を、
沢山の言葉や文章を使って、繊細に伝えるのも嫌いじゃなくなってきました。
まああんまり長過ぎて最後まで読んでない人も多いとは思いますけど…(苦笑)。

ちなみに今回、っていうか節目の時に毎回使ってる冒頭のトップ画像は、
知る人ぞ知る、オレが昔から大好きなテレビドラマ、
『ふぞろいの林檎たち』のオープニングの画像をサンプリングしてます(笑)。
そういえば、ここ数年久しく観てないんですが、最近また"ふぞろい"のDVD観たくなってて。
勿論パート1と2。一気に観たい気分です。まあ、もう何十回観たかわかりませんけど(笑)。
これももう何度も書いてますけど、オレにとっては原点とでも言える、
若かりし頃の人生のバイブルの様な、非常に重要なドラマです。
観たことない方は是非一度お時間あったら観て頂きたいですね~。

FUZOROI




実はブログを書いて以来ずっと内心ビビってるのが、
どっかから変な矢が飛んで来ないか…?ってことです(笑)。
今のご時世、ちょっと意見を述べようものなら、
色んな方向から矢が飛んで来たりしますからね~。
しかも投げてくるだけじゃなくて、ヤリ逃げ的な卑劣なのが多いじゃないですか?
そういうのが飛んで来たら嫌だなあ…ってのはずっとあって。
でも500回書いた中で、そういう類なコメントは2回だけでしたかね~。
しかも2回とも訳のわからない知ったかぶりのレベルの低すぎるコメントだったので、
全然ダメージも無く華麗にスルーしときましたけど。
ちなみにTwitterやFacebookとかでも同じ様に、
内心どっかから矢が飛んで来たらどうしよう…?的なのはあるんですが、
未だに1度もそういった類のは無いですね。昔やってたWebの掲示板とかでも無かったし。
そういう意味ではある意味無駄に嫌な思いとかはしてないので、
有り難いなあ~というか、良かったなあ~とは思ってます(笑)。
っていうかドリコムからライブドアに移行してから、
めっきりコメントが減ったのはちょっと淋しいです!(泣)。
皆さん、以前の様に遠慮無くコメント欲しいです!
あ、でもディスるのは勘弁してください!(笑)。


さて若干本題とは外れますが、4月突入してだいぶ暖かくなってきて、
めっきり春ですね~。待ちに待った季節の到来です。
プロ野球も開幕したし、草野球の方も今週から開幕だしと、
だいぶ楽しみは増えてはきてるんですけど、
気が付けば20周年まであと2ヶ月と迫って来てしまっていて…。
いや、ぶっちゃけまだ何も決めてなければ構想すらほとんど出来てません。
昨日からようやくちょっとづつ考え始めた段階というか。
前回のブログではなんとしても素晴らしい20周年を!とか書きましたけど、
正直、ある意味もう半ば諦めてます。
いや、もうでもしょうがないとも思ってます。
やっぱ1人じゃなかなか難しいし、
第一に相変わらずの人手不足で日々の営業のシフト組むのが精一杯で、
流暢に20周年のことなんて考えてられないというのが正直なところでしたし。
万が一オレが大怪我したとか、大病わずらったりしたらアウトな状況は変わらずだし。
まあでもしょうがないんですけどね。
ぶっちゃけスタッフの応募も何度かあったんですよ。
でも採用しなかったのはオレなんで。
こんだけ人手足りないのに、応募来ても採用しないなんて店、まず無いですよ。
でもやっぱ、オレの中ではこの20年、ずっとスタッフに関しては拘ってきたので、
それを中途半端に崩したくは無いんですよ。
だから、もしそれで人手がほんとに足りなくなって閉店とかなっても、
それはそれでしょうがないと思ってます。もしそれが20周年手前でも。
でも実際人手不足で大変な状況も含め、全てはオレの力不足だとは思ってます。
前述した20周年のことも含め。いや、悔しいですけどそれが全てですよ。

ほんと、ようやく後厄も抜けてひと安心と思ったら、
2月はまさかの2度の大雪で大赤字になるわ、
通算3度目のインフルエンザにはかかるわ、相変わらずの人手不足だわ、
ある程度は盛大にやろうと思ってた20周年も難しそうだわと、
ある意味災難や苦悩続きではありますが、
なぜか昨年下半期とは違ってそこまで凹んでは無いというか。
いや、ぶっちゃけ充分日々凹んでますけどね(笑)。
でも不思議なもんで、鬱っぽくなったりとかまではいってないというか。
まあある種の開き直り感もあったりもするんですが。
昨年7月末にあったマンションの水漏れ事故が、
半年経ってようやく保険金が下りたんですけど、
当初は数万円出れば良い方だと思ってたらなんと合計で40万近くも出て!
もう九死に一生を得るとはまさにこのことでしたよ!
マジで上京当時以来じゃないか??ってぐらい金尽きまくっててヤバかったですから。
それはなにげにかなりでかかったかも知れないですね~。
やっぱ蓄えあるのと無いのとでは、精神的な余裕が全然違うというか。

あとなにげに嬉しかったのは、
長年探し続けていた激レア盤であるマニア垂涎の山下達郎のJOYのアナログ3LPを、
遂にゲット出来たのはかなりテンション上がりましたね~。
いい加減そろそろ出るであろうライブ盤"JOY2"発売時に、
なんとJOYアナログ20年振りの再発の噂もある中で、
盤にキズも多くて状態もイマイチだったしで、
敢えて今高額出してまで買う必要性も無かったっちゃあ無かったんですが、
初めてモノホンのジャケット見たら鳥肌立って思わず常軌を逸した的な…(笑)。
試聴しながらめっちゃ迷いましたけどね~。まあマニアとしての意地もありましたかね…。
でもやっぱ出音も全然違うし、なんと言ってもDJの時に断然使い易くて!
勿論やっててテンションもめっちゃアガるし(笑)。
なので今となってはいい買い物出来たし、ほんとに良かったですね~。
とは言えまあ、高い買い物でしたけど!(苦笑)。

JOY




もうひとつ個人的にテンション上がることがあって。
ずっと前から考えていた長年の構想というか、当面の現実的な目標がようやく見付かって。
あ、全然個人的なことですけど、それはかなりでかかったですね~。
まあそれ書くと更に長くなっちゃうので、それに関してはまた改めて書こうとは思ってます。
とは言えオレって今年運勢大吉なハズなんですよ。
今のところ全然大吉感ないんですけど…(苦笑)。
これからちょっとづつでも運気上がるといいですけどね~。
ま、あんまり期待もしてませんけど。
とりあえず当面は6月の20周年の諸々に奔走する日々になりそうな気配です。
もはや如何にも20周年的な盛大な感じには出来ないとは思いますし、
かなり地味な感じにはなるかも知れませんが、
今からやれるだけのことは精一杯やりたいとは思ってますので、
これを読んでくれている数少ない関係者各位の皆さま、
何卒、何卒、お力添え、ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
既に昨日Twitterやfacebookで軽く書いたら、
何人かの人からわざわざ有り難いメッセージ頂いたりして。
いやあ、ほんとに有り難い限りです…。
とりあえず早急に、16周年→フリスク、17周年→ミシュラン、
18周年→エビアン、19周年→ヴィヴィアンときて、
記念すべき20周年は何をメインモチーフにするか、
6月の営業時に付けるノベルティにも関わることなので、
集中してなるべく早く考えないとなあとは思ってます。

ANV




本題に戻りますが、とりあえず長きに渡りご愛読して頂いている数少ない皆さん!(笑)、
誠にありがとうございます!
こんなだらだらとした超長文を読んで頂き、感謝しかございません!
ちなみに既にもうちょっとで書き終わる記事もあるし、他にも書きかけの記事もあるので、
近日中に、いや、ヘタしたら今日中に新たに更新しちゃうかも知れません!
そして次回はまたちょっと興味深い話かも!(多分)
そんな微妙な期待を持たせつつ、今回はこの辺で。
今後ともひとつ、たまにでいいので、ナガサワブログをご愛顧のほど。
何卒宜しくお願い申し上げます!

このページのトップヘ