ナガサワブログ PART3~この熱い魂を伝えたいんや~

D級草どインディー老舗クラブ"三宿Web"店長ナガサワの趣味や考え方や日常が垣間見れる独り長文炎上ブログの続々編。

本日を持ちまして、三宿Webが遂に奇跡の20周年を迎えてしまいました。
いやもうとりあえず、本当にありがとうございますという言葉しか見当たりません。
せっかくなのでこの20年間のことを振り返ろうかと思ったんですが、
お題が壮大過ぎて、もう何から、どこから、書けばいいのやらというか。
なんせ20年ですからね~。色んなことがあり過ぎましたから。
ちょっと、恐らく前にも書いたことと被ってることが多いと思いますが改めて。



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        ※第一次三宿Web黄金期。



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        ※第二次三宿Web黄金期。


バーテンが居ないということでひょんなことからバーチーフとして入店、
オレ以外みんな未経験だったのもあって、1ヶ月後からは副店長も兼任。
1周年のアニバーサリー終わったらバーチーフを退いて店長に。
98年からはプロデューサーも兼任。今の態勢に。
カフェドロペも1年半、CAVEも1年半、ROOMも1年半やって、
Webもそれぐらいで辞めるんだろうとは内心思ってました。
期間云々よりもある程度流行ったら、
もしくは自分の中である程度やり切ったら辞めるんだろうなあと思ってました。
Webがオープンした頃はまだまだ都内でも『三宿』という地名すらどマイナーで、
色んな人に「今度三宿に出来る新しい店で働くんですよ。」って言っても、
「三宿??どこそこ??」って言われたりすることも多々、っていうかほとんど。
オープン直後に色んな知り合いが遊びに来てくれましたが、
ある業界の先輩に「おまえここはいつまでやんの?」って聞かれ、
「とりあえず流行るまでは居ようかなとは思ってますけど。」って言うと、
「流行んの…?(苦笑)」って言われたり、
某大手レコードショップの知り合いの人にフライヤー持って行ったら、
「う~ん、ちょっとうちでは置けないなあ。
え?だって知らないDJばっかなんだもん(苦笑)。」って断られたり、
某大物DJの人には何度も「こんな店で・・・」って面と向かって言われたり。
最初にプロデューサーが立てた、当初予定してたノルマの数字には全然届かず、
4ヶ月後には給料も半月遅れて、翌月には最低の売上げを記録。
初代店長のマービンは「オレ給料1ヶ月遅れたらもう辞めるから。」
って言い出すし、秋頃には正直もう風前の灯火状態でした。

このままいけば間違い無く近いうちに店が潰れそうな気配はぷんぷんで、
入店前の面接時には「僕らはメジャーを目指してますから!」
って言ってた当時のプロデューサーの威勢もどこ吹く風状態で、
その頃には「社長、なんとかパーティー入れて貰えませんかね…?」
とか言いだしていて、もう働いてるオレは夢も希望もありませんでした。
で、11月の土曜日終わったあとに、当時の主力スタッフである
マービン・オレ・ガリバーの3人でミーティングして。
このままいってもどうせ潰れるんだから、
最後にオレらでもう勝手にやっちゃおうよって話しになって。
オレはラウンジ要素の強かった店を、
もっとクラブ的な感じにしようって言ったんですが、
マービンとガリバーの2人はバンドマンだったので、
「この辺ライブハウス無いからライブハウスにしようよ!」
って言いだして。
でもオレはライブハウスで働く気はなかったので、
あ〜だったらオレは引こうかなあって言って。
多数決じゃないですけど、まあ2対1だししょうがないか…的に、
そういう話しでその日は終わって。
確かその後、六本木でやってる某アフターアワーズに3人で遊びに行ったと思います。
でもそこでも翌日もオレは1人悶々と考えていて。
やっぱ、流行りもせずに結果も出せてない店を辞めるっていうのがなんか悔しくて。
ちなみに翌日の日曜日にたまたまパーティーが入ってて、
パーティー中も黙々と仕事しながらも、色々考えてました。
で、終わったあとにマービンと2人になって、
「昨日の話しなんですけど…」って切り出したらマービンが、
「あ、オレらも今日の営業中ガリバーと話してたんだけどさあ、
やっぱライブハウスにするのはやめるわ。
てかまず社長がライブハウスにするなんて言ってもOK出さないよ。
それにオレとガリバーじゃこのバーを扱いきれないし(苦笑)。
たけっしー好きにやんなよ。それでダメだったらライブハウスにするわ(笑)。」
って言ってくれて。
そこからオレのクラブ人生を懸けた戦いが始まったんです。
いや、マジでこれでダメならこの業界からきっぱりと足を洗おうと思ってました。


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とりあえず12月からのスケジュールを全てオレが担当することになって、
それまでのプログラムを一新。
まずその前に手始めにやったのが、当時のWebはなっかなか踊らなかったんですよ。
なんせ当時あったパーテーションが段差があって、
ちょうど洗い場の方が低くて、
踊ってる人と洗い物してるスタッフと目が合ったりしてたんですよ。
それを防ぐ為にそのパーテーションの木を勝手に引っこ抜いて、
洗い場側に付けて高くして見えない様にして。
あとスタッフ全員で土曜日終わったあとに昼過ぎまで掛かって、
当時真っ白だったダンスフロアの壁をペンキで真っ黒に塗って。
たったそれだけで踊るお客さんが一気に増えて。
12月のプログラムも、とりあえず土曜日はDJ経費もかなり少なかったので、
オレがホストDJやって、オレの今までの人脈や人伝えに色んな人紹介して貰って、
当時の著名なゲストを週替わりで呼ぶことにして。
でも当時のクラブシーンってほとんどの店が帯だったんですよ。
毎週金曜日は誰々、毎週土曜日は誰々みたいな。
なのでやはり金曜日ぐらいは帯で誰かをブッキングしたいなあ、
でも大抵の人気DJはどこかでレギュラーを持っていたので、
そういう人じゃなくて、うちのオリジナルに成り得る様な人はいないか??
とめちゃくちゃ考えました。でもなかなかアイディアが浮かばなくて。
で、11月のある日、平日で暇だったので、そろそろ時期的にも押し迫ってきてたし、
キャッシャーに1人こもって悶々と考えてたんですよ。
集中してああでもないこうでもないと考えてたら、その内ビビビと雷が走って。
当時シアターブルックのDJだったELPASO BROTHERS(吉沢dynamite.jp&与西)
でいこう!って思ったんですよ。
当時はまだまだ全然若手の部類でしたし、知名度もほとんど無かったですが、
吉沢と与西は何回かDJやって貰ってたんですが、選曲もめっちゃ良かったし、
ちょうどシアターブルックがメジャーデビュー直前だったのもあって、
絶対これから露出も多くなるだろうし、先物買いじゃないですけど、
よそでもそんなにまだやってないし、いいんじゃないかと思って。
第一タイジさんもちょくちょく遊びに来てたし、オレもROOMの頃から知ってたし、
タイジさん自身が当時から凄く華のある人だったので、
これからの三宿Webを盛り上げていく上で、むしろコレしかない!ぐらい思いましたね。
いわゆるネ申が降りるとはこういうことだぐらいのビビビ感でした。


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当時社長には、
「来年の夏ぐらいまでにはなんとか当初のノルマの数字にいきたいと思ってますので、
もし達成したらギャラの方も弾んでください(笑)。」的なことは言ってたんですが、
年が明けてちょっとした三宿ブームみたいなのが起こって。
2月にはなんとそれまで1度も超えたことがなかったノルマの売上げは超えて。
4月には初めて大きなイベントとして、金土2日間スペシャルイベントを打って。
どちらも盛況でしたが、土曜日に遂に念願だった有料のお客さんが100人超えて。
オレがオーガナイズしたパーティー【MISHUKU GOLDRUSH】でした。
金曜は吉沢・与西・豪くん+ゲストに荏開津さん、土曜はオレ+ゲストに瀧見さんと二見さん。
初めてWebがパンパンになって、ブースまで行くのもひと苦労なほどでした。
突如起こったクラブブーム、三宿ブームとも相まって、
もう週末は軒並み人が入る様になって。毎週金土ともに200人近く入ってました。
その夏の売上げなんて、その目標額の2.5倍にもなって。
もうあのキャパで有り得ない数字でした。
恐らく95,6年のWebの売上げは年商1億近かったと思います(多分)。
信じられないですよね?(笑)。これマジな話しですよ。



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でも元々はオレが作った店でも無いし、何度も辞めようとしたことはあって。
97年に本気で辞めるつもりで、年始頃には、
「今年一杯で辞めさせてください」ってオーナーには言ってたんですよ。
で、まず次の店長問題が勃発。
普通に考えると前店長のマービンが店長復帰の線が濃厚だったんですが、
マービンはやりたくないと。
しかもちょうどそのタイミングで、
マービンの地元・吉祥寺にライブハウスの曼荼羅系列の大きなライブハウスが出来て、
週末はクラブスタイルにするらしく、マービンにその週末だけの店長の話しが来て。
地元を盛り上げたい気持ちと、週末だけの契約でかなり給料も保証されてたので、
マービンもその店(現・吉祥寺STAR PINE'S)に行くことになり。
で、店長の後釜もいないし、もうWebは年内で閉店しようって話しになってたんですよ。
でも当時のDJ陣や関係者や常連客たちには閉店を惜しむ声が多くて。
勿論オーナーにもどうにか続けられないか?とはずっと言われてて。
オレ自身も、せっかくここまで築き上げてきたモノを無くしてしまう残念さと、
あとまたどことは言いませんけど、うちが閉店なんてしたら、
泥棒猫の様にうちでやってたイベント根こそぎ持ってかれるのもシャクだったのもあって、
オーナーに条件付きで続けてもいいですよって言って。
それが店内の全面改装だったんです。

やはり元々ラウンジ要素の強い設定だったので、
100人近く人が入っちゃうと、非常に使い勝手が悪い作りだったんですよ。
今のDJブース辺りにだだっ広いソファースペースがあって、
それが店の3分の1ぐらいを占めてたり、DJブースもめっちゃ狭かったし、
トイレも1個しか無かったし。
店内階段上のロッカー、っていうかあのスペース自体無かったし。
あとバーカウンターのボトルを飾る壁の部分も光らせる様にしたくて。
オーナーからの返答は2つ返事でOKで、98年1月に全面改装することになって。
設計から工事までドタバタでしたけどね~。大雪も降ったりで大変だったし。
オーナーが工事費ケチってかなり安上がりに作られちゃったんですけど(苦笑)。
それ以降はずっと今のスタイルというか。
まあテレビ付いたり細かい部分の変化はありますけど。
下の写真は改装直後の店内の様子。
昔の写真引っ張り出して探しまくってようやく見付けました(笑)。


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オレがブッキングを担当する様になってからの店のイメージは、
とにかく『個性』と『華』という部分でした。
雨後の竹の子状態でどんどんクラブというモノが出来ていた時代で、
それらのクラブと対等に渡り合う、もしくはそれらの中で存在感を出すには、
一刻も早い"三宿Webにしかない個性"の確立でしたが、
その部分に更に"華"という部分は必要不可欠だと考えてました。
ただでさえ三宿っていうマイナーな場所だったので、
そこで全然知らない様なイベントやDJが列挙されていても、
よくありがちな地域密着型のインディーなクラブになってしまうと思ったんですよね。
三宿という場所だからこそ絶対にそういう店にはしたくなくて、
「え!三宿でこんな人やってる!!」とか、「なんで三宿でこんな人が!?」とか、
お客さんがビックリする様な、そういう店にしたかったんですよね。
でもそんなのはあくまでも理想論であって、
なかなか最初はそういうイメージには出来なくて四苦八苦してましたが、
うちの場合、色んな人がイベントのゲストでDJしに来たり遊びに来たりした際に、
凄い確率で気に入って頂いて。
「ちょっと良かったら今度イベントやりたいんですけど。」
的なことを言って貰えることが非常に多くて。
で、オレが「いやあ〜是非!って言いたいところですけど、
ギャラの方があんまり払えないので・・・」みたいなことを言うと、
「あ〜全然いいですよ!」みたいなことがほんとに多かったんですよ、
ありがたいことに。
昔からよく色んな人に「どうやったらあんな派手なブッキングが出来るの?」
みたいなことを聞かれたりもしたんですが、実際のところはそういうことというか。
これもほんとに奇跡的ですよ。
だって普通にこっちからブッキングしたら3倍〜5倍近くギャラのかかる人たちが、
向こうからやりたいって言ってくれて、
ほんとに微々たる額で快くやってくれたんですから。
何と言ってもズバ抜けた酒の美味さっていうのは絶対あったと思うんですよね。
やっぱり初めて来た人には大抵褒められましたし。
あとなにげに近辺に住んでる人が多かったのもありましたかね〜。
やっぱ家から近いというのもかなりポイントでかかったかも知れないです。
あと時間が経つに連れて、色んな著名な人がやってる箱というイメージが付いて、
そういう相乗効果でやりたいって言ってくれる人も多かったですし。
「実は○○ってクラブにも誘われたんだけど、
やっぱDJの並び的にWebでやらせて貰った方がイメージいいかと思って(笑)。」
って正直に言ってくれた人もいましたし(笑)。
あとは常に誠意を持って接した部分が伝わったのかなあとは勝手に思ってます。
ある意味無欲の勝利というか。
有名だからとかの理由でゴマすってよいしょ的なことは全然しなかったんですよ。
無理強いも一切しなかったし。オレが逆の立場だったら絶対嫌だったので。
もしかしたら、そういうところも多少は好感持って貰えたのかも?
とは思ったりもします。
なんかほんと、そういう意味では色んな要素が重なりまくって、
奇跡的な化学反応を起こした的な。

ちなみに『Web』っていう店名ですが、
今でこそベタな名前だと思う人もいるかも知れませんが、
94年当時、日本ではまだまだ全然インターネットなど普及しておらず、
パソコンすら持ってる人が稀少な時代で。
勿論Webなんて言葉も一般的にはほぼ使われていない頃。
オレが招集された頃はまだ店名が決まって無くて、
第1候補が確か『LAVA』だったんですよね。
なんか素材の名称だったって聞いた気が。
正直「え~LAVAかあ~」ってのはあったんですが、
オープン直前になって結局『web』になったと。
どうやら社長がLAVAを気に入らなかったらしく、
webにしようって当時のプロデューサーにゴリ押ししたらしいんです。
社長はもう16年も前に亡くなっちゃったんですが、
若い頃からアメリカとかしょっちゅう行っていて、
そういう流行にはなにげに敏感な人で、
あっちではインターネットっていうのが流行り出してるのを知っていて、
"蜘蛛の巣の様に情報を張り巡らす"っていう意味合いが気に入って、
「web」にしようって推したんだそうです。
今考えると素晴らしい先見の明というか、凄いセンスですよね~。
てかLAVAじゃなくて良かったですよ(苦笑)。
ちなみに未だによく間違えられるんですけど、
98年から正式名称は『三宿Web』ですからね!
頭文字のWだけ大文字です!お間違えのない様にひとつ!

正直言って三宿という立地は皆さんが思っている以上に大変な場所でした。
前述したオープン直後の三宿ブームやクラブブームで勢いは付いたものの、
やはり元々は渋谷などの繁華街から離れたマイナーな地でしたし。
しかも駅からも遠いという。
なので他のクラブよりも危機感的なモノは常にかなり早かったです。
実際どのクラブも帯でやっていた頃から、
率先して毎日イベントのスタイルにしましたし。
通常のクラブのスタイルだけではやっていけないと思い、
ライブ入れたりお笑いやったり料金設定下げたりそれはそれは色々と。

15周年も相当しんどかったですけど、正直この5年はほんとにしんどかったですね〜。
まさかの大地震もありましたし…。
クラブ業界というか音楽業界全般的に落ち込みましたしね。
あとはスタッフ不足も深刻的だったし。いや、今もですけど。
そう考えると、ほんとよくもまあ続いたというか。
マジでちょっとなにかあったらアウトな状況がずーーーっと続いてましたからね。
綱渡りとはまさにこういうことというか。
まずオレが大怪我とか大病とかわずらったらその時点でアウトだったし。
だから個人的にはほんとに20周年なんて迎えられると思ってなかったというか。
いや、振り返るとほんとによくもまあ無事続いたよなあって思いますよ。
まさに奇跡的なことですよ。

まあ20年間色々なことがありましたし、
辛かったことや大変なこともいっぱいありましたし、
とんでもない様な苦境や、絶体絶命感も何度味わったことか。
色んな犠牲も払ってきましたし、ここでは書けない様な大変なことも多々ありましたし。
正直きっとこのしんどさは、絶対オレにしかわからない部分だよなあってのもあります。
まさに孤独との戦いでもありましたかねえ。
でも20年という領域に達してみると、
それらがもうどうでも良くなるぐらいの境地にも達しました。
考えてみると43年生きてるうちの20年もWebに費やしてる訳で。
アホですよ。オレの人生返してくれ!って本気で思うときもあります。
やりたい仕事でもないのに、なんでこんな無駄に長くやってんだろう?
とかも何度も思ったりもしましたけど。
でもこのWebの20年間が無ければ、DJもやってなかっただろうし、
IllustratorやPhotoshopを使ってデザインなんかも出来なかっただろうし、
ホームページとかも作ったり出来なかっただろうし、
機材とかも疎かっただろうし、カメラもやってなかったろうし、
おむすびも作ってなかったろうし、草野球もやってなかったろうし。
まあどれもまだまだ全然中途半端っちゃあ中途半端ですけど。
でも、野球以外はほぼWebの経費削減の為に始めたモノやコトばかりですから。
恵まれてない環境だったからこそ得られたモノというか。

ちなみに、Webで知り合って結婚したカップルってなにげに多いんですよ。
今月の1発目にやった『23B』の出演及び関係者だけでも、
なにげに5組もいたぐらい。
出演者や関係者も非常に多いんですが、お客さんとかからもたまに、
帰る時とかに「実は私たち5,6年前ぐらいによく遊びに来てて、
その時ここで知り合ったんですよ。ありがとうございます(笑)。」
とか言われたり。ほんとに昔から多いんですよね〜。
それってほんとに凄いことというか。
だってある意味、人の人生変えちゃってる訳ですからね。
Webが続いてなければ間違い無くその人たちは全く違う人と結婚して、
全く違う人生歩んでた訳で。
そういうこと考えると、無駄に20年もやった意味はあったのかなあ、
多少は色んな人の為になったのかなあとかも思ったり。

あとは何と言っても歴代スタッフたちとの数々の出逢いというか。
もうほんとに色んなタイプがいましたし、
悩まされることや落ち込まされることも多々ありましたけど、
その都度オレ自身が成長させられたというか。
あと前にも書きましたけど、巣立っていったOB及びOGのほとんどが、
「Webで働いてほんとに良かった」とか
「今の私があるのはWebのお陰です」とか、
言ってくれるのは、ほんとに冥利に尽きます。
なんでしょう?先生と生徒の様な関係性に近いというか。
もしくは兄と弟や妹的な。
在籍時はほんと、それこそ濃密な時間を過ごしましたからね~。
厳しくもあり、楽しくもあり的な。
辞めた後に結婚して、
式とかパーティーとかに呼ばれたりしたことも何度かありますけど、
毎回もうめちゃめちゃ泣けますもん。あ、勿論人前では泣くの我慢しますけど(笑)。
教え子の結婚式に出席する先生、もしくは弟や妹の結婚式に出席する兄、
的な感覚になって、なんかグッと込み上げてくるモノがあるというか。
でもそういう感覚というか関係性は、非常に稀少であり貴重だと思うんですよね。
それもWebがあったからこそというか。ちょっと他の職場では想像出来ないですもん。
いや、ほんとにオレにとっては掛け替えのない一生の財産とも言えます。
自分の人生の半分近くも費やして、挙げ句富も得られず、
日々大変な思いをして、未だこの歳で独身という、人生間違えたかな…
って思えてしまう様な酷い現状ではありますが、
前述したこの20年で得られたモノを考えると、
金では絶対に換えられない様な、非常に貴重な時間や経験でしたし、
正解だったとは間違い無く言えませんが(苦笑)、
間違いでもなかったのかもとも思えるというか。


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20周年記念のお祝いコメントも、元々はちょっとした企画的にやりましたけど、
あれもほんとに嬉しかったですね~。
120人分のコメント頂くのもやり取りもなにげに大変でしたけど、
終わってみればほんとやって良かったです。
もう色んなコメントにめっちゃ癒されたというか励まされたというか。
アレ貰えただけでだいぶこの20年の労をねぎらえた部分ありましたもん、マジで。
それぐらい嬉しいコメントやグッときたコメントが多かったですね。
仲くんからのコメント届いた時はなんか、
読んで感極まって号泣しちゃいましたからね。

ちょっと前の尋常じゃないアクセス数を記録した酒のブログもそうですけど、
なんか20年やってきてようやく評価される様になったのかなあとかもふと(笑)。
だってオレの中では一貫してブレずにやってきたことでしたけど、
そこまで評価されてはきませんでしたからね〜。
勿論内情とかも知ってる関係者の一部の人には理解はされてはいましたけど。
でも正直言って、オレみたいな特にスバ抜けて何か才能がある訳ではない人間でも、
コツコツと一生懸命やってれば、
いつかは認められるという良いお手本になったんじゃないでしょうか?(苦笑)
それにしても20年は長過ぎましたけどね(笑)。
でもほんとにど素人のレベルから致し方なく始めた写真にしても、
ここ数年は非常に気に入って貰えることが多くて、
アー写に使ってくれたり、SNSでのアイコンに使ってくれたりしてくれる人が多くて。
先日もRGさんからメールが来て、
「以前フライヤーで撮って貰ったのが余りにもいい写真なので、
今度イベントのフライヤーで使わして貰っていいですか?」
とか連絡来たり、郷太くんからも電話で、
「今度出る小説のプロフィールの写真、
ナガサワさんが撮った写真使わせて貰っていいですか?
なんか適当に50枚ぐらい渡したら、ナガサワさんの写真がいいって言われて。」
って連絡貰ったり。ほんとに嬉し過ぎますよ。
アレもねえ、ほんとになにげに毎月撮るのとか結構大変で、
何度も心折れ掛けたこともあるんですけど、
やっぱ先週も店のインスタレーション的に、
過去のマンスリーで店内をポップアートしたんですが、
貼りながら内心「あ〜毎月めんどくさかったけど、これも長年継続して良かったなあ〜。」
って思いましたもん。あのマンスリーには歴史が詰まってますからね。
あと色んな人に「Webのマンスリーの表紙になるのが夢だったんですよ!」とか、
「いつかWebのマンスリーの表紙になるのが夢なんですよね〜!」
って言われることが非常に多くて。
それもほんとに有り難いというか、とても嬉しく思います。



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ちなみに今年のアニバーサリーのメインアイコンは、
ご存知『Dr.Martens』のサンプリングにしたんですが、
最初はもっとわかりやすいのにした方がいいのかなあとかも思ったんですよ。
特にマーチンのイメージって音楽でいうと、
SKA・ROCK・PUNKとかのイメージの方が強いと思いますし、
うちでもそういうジャンルも勿論かかりますけど、
今のメインストリームでいうと、HOUSEとかHIP HOPの方が断然多いし。
ちょっとマニアック過ぎるかなあ?とかも思ったんですが、
なんか逆にいいかと思って。うちの20周年だからこそ敢えてコレでしょ!って思って。
たまたま奇遇にも今年の春先に人生初のマーチンを買ったのもあったし、
そもそもマーチンのブランドテーマが『反骨精神』のイメージが強いので、
そこがバチッと一致したというか。まさに反骨精神の20年でしたから。
クラブ界のタブー的なのをいっぱい破ってきましたからね~。
散々悪口言われたり、陰でディスられたりもしましたし。
あと今月の表紙を僭越ながらオレがやってるんですけど、
これって年始の裏表紙用に撮った写真だったんですが、
20周年を迎える年だったのもあって、
着物でイギリス流"FUCK YOU"ポーズを両手でという。
まあ2本の指が20周年を表してるのもありますけど、
「絶対に、どんなことをしても、オレの人生に換えてでも、
20周年までは行ってやる!!」っていう意味合いもあったというか。
なのでまあちょうどいいかなと思って。
ほんとは未だに大人気中の、
"LINEのジェームズ"の撮り下ろしでいこうかとも思ったんですが、
さすがに入稿前になって、色々と感傷的になってきて、
いくらなんでもふざけ過ぎやろ(苦笑)と思い断念。
昔からたまに色んな人に「ナガサワさんは表紙やんないの??」
って言われることがあってその度に、
「オレは裏方だから表紙とかやるのは寒いからやらないよ~。
まあでも万が一にも20周年まで続いたらそん時はさすがにやろうかな(笑)。」
みたいなことは言っていて。
まああの"FUCK YOU"ポーズはある意味、今までバカにしてきた奴らや、
見下してきた奴らに対する意味合いもあったりもしたんですが、
20周年迎えた今としては、もうなんかどうでもいいですけどね(笑)。
なんかそれぐらいの得も言われぬ達成感というか。
いやむしろそういう人たちに対しても感謝というか。
まあだって、そういうのがなにげにパワーに変わった感はありますからね~。
「絶対見返してやる!!」ってのはディスられる度に心に強く思ってましたよ。



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Web辞めてたら何やってたのかも、どういう人生歩んでたのかも、
さっぱり想像出来ませんが、もしかしたらWebで良かったのかも、
とかも20周年迎えてようやく思える様になったというか。
いやほんとに今となっては全てが宝であり財産ですよ。
まず普通の人が経験出来ない様なことをいっぱい経験させて貰いましたから。
色々思い返すとほんとに感無量です。
とりあえず、正直今月終わったら間違いなく20周年燃え尽き症候群で、
かなりモチベーションの維持に自信がありませんけど(苦笑)。
よく20周年はまだまだ通過点だとか言われますけど、
正直言ってオレにとってはひとつの到達点です。
本音を言えば来年Webがあるかどうかもわかりません。これはマジで。
でもいつまで続くか、いつまでやるかはわかりませんが、
とりあえず続ける以上は、これからもWebらしさを忘れずに、
最低限のやるべこきことはしっかりとやりつつ、
色んな人への感謝や謙虚の心を忘れずに、
アホなことやとんでもなくすっとぼけたことを、
これからも臆することなくガンガンやっていこうと思ってます。
この20年間三宿Webに関わった全ての皆さん、
本当に、本当に、ありがとうございます。
心から、ただ、ただ、最上級にして、最大限の感謝を。
最低ですけど、最高ですよ、三宿Web。

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MISHUKIU-GOLDRUSH-20THPOSOUT


さて遂にいよいよ明日から三宿Web20周年記念月間
『MISHUKU GOLDRUSH 20TH』が始まります!
もうここ最近はずっとこれの準備に奔走しまくってます。
今日も恐らく朝までやること山積みだし。
っていうかもう年明けてからずっと頭の中はこれでいっぱいだったかも。
もはやオレの今年の上半期はWebの20周年に捧げたってぐらいです。
まあなんせ20周年ですからね〜。
なるべく悔いの無いようにと自分追い込んで頑張ってます。

当初は6年前までやっていた数日間開催の
『MISHUKU GOLDRUSH』をやろうかとも思ったんですけど、
やっぱどう考えても今の色んなジャンルの多数の出演者を、
数日間に振り分けて収めるのは難しいってことで、
今年も例年通りの月間開催にしたんですが、
それを決めた時は、正直まだ全然不安要素の方も多かったんですが、
気が付けばもうほんと有り難いことに、
まさにうちの20周年記念に相応しい1ヶ月のプログラムになったというか。

まず6月6日金曜日、1発目の『Two Three Breaks!』。
これが決まったのがなんと言っても大きかったですかね〜。
正直俄然やる気出ましたもん。
主催のエイジくんとはなにげにもう長くて、
Webオープン当初からの付き合いです。
しかも一番最初って、
実は当時スカパラだった冷牟田さんのサポートDJとしてWebに来たんですよ。
確か彼がちょうど京都から上京したての頃だったでしょうか。
当時スカパラメンバーが関西でDJする時は、
エイジくんがよくサポートしてたらしく、
そういう流れでうちでの冷牟田さんのイベントでもDJ頼まれたみたいで。
確か当時は毎月ぐらいの勢いで冷牟田さんのイベントがあったので、
そのうちエイジくんとも仲良くなって。
で、ある日「今度空きがあったらイベントやりたいんですよね。」
って言われて。
どんなイベントか聞いてみたら、
「RhymesterのMummy-Dさんとか誘ってみようかと。」
って言って。
当時彼はDさんにネタ提供とかしてた間柄で
(ちなみにB-BOYイズムのネタ提供はエイジくん)。
Dさん自体は実はその前に、
うちのちょーオープン当初の某HIP HOPのイベントで、
主催の人の誕生日に遊びに来てフリースタイルやったりしてくれたことがあって。
確かその時のトラックは、
急遽オレのレコ棚にあるHIP HOPのレコード使ってやったと思います(笑)。
その後も、確か当時近所に住んでいて週末ふらっと遊びに来て、
オレが入口で気付いて「あれ?Mummy-Dさんですよね?」
Dさん「あ〜そうです。」
オレ「今日誰か知り合いでもやってんですか?」
Dさん「あ、いや普通に遊びに来たんすよ。」
オレ「今日ロックのイベントですけどいいですか?(笑)」
Dさん「あ〜全然。ジャンルとか関係無く遊び来たんで。」
みたいな会話して「あ、だったらどうぞどうぞ!」
って入れてあげたんですけど。
その後は全然遊び来てなかったと思いますけど。
話しを戻しますと、直後にちょうど空きがあって、
平日の月曜日にやって貰ったんですよ。
で、それ以降は毎月第2木曜日にずっとやって貰うことになって。
当時はまだRhymesterもブレイク前だったので、
平日だったし入りとかはそんな大入りって感じではなかったですけど。

ちなみにこのイベントって当時出演してた人たちが凄いんですよ。
Rhymesterは勿論のこと、KOHEIくんやキえるマキュウ、アルファやRIP SLYME、
GAGLEや全裸ROCK(現ZEN-LA-ROCK)、
サイプレス上野とロベルト吉野にG.リナちゃんなど、
今思えばほんと色んな人が毎回ゲストで演ってましたね〜。
しかものちにうちの看板イベントの1つとなった『申し訳ナイト』も、
元々はこのイベントで士郎さん(宇多丸さん)がゲストDJで、
サブタイトルに「申し訳ナイト in WEB」と付いて、
ミッツィーさん(現ミッシェルさんw)も遊びに来て知り合って、
意気投合してその2ヶ月後の木曜日からスタートすることになったという。
だから『23B』がなければ『申し訳ナイト』は間違い無く始まってないんですよ。
そういう意味では、エイジくんと知り合ってなかったら、
うちの歴史も相当変わってたことは間違い無いですね。
エイジくん自体も今の奥さんと初めて逢ったのがWebだったし、
そういうのもあって結婚パーティーもオレが司会させて貰ったしと、
非常に関わりが深いんですよね。
だから色んな意味でも三宿Webの20周年を語る上で、
『23B』というイベントは非常に重要なイベントだった訳で。
なので10年振りの開催が決まった時はほんとに嬉しかったですね〜。

元々Dさんは「オレはもうDJする暇があったら、
DJに掛けて貰う名曲を作ることに集中したいんだよね。」
的なことを言ってDJするのをやめちゃったんですが、
それ以降はほんと全然DJ自体をやらなくなって。
絶対色んな誘いはあるハズなのに。
なので今回も、まずエイジくんに相談した時に、
「とりあえず23BはDさんあってなんぼなので、
Dさんにまずスケジュール空いてるか聞いてみますね。」
って返事が返って来て。
オレ的にも一番心配だったのがそこだったりもして。
モチベーションもそうだけど、普通に忙しそうだし、
スケジュールも空いてるかどうか…とは思ってたんです。
が、予想外にすぐ返事があって。
当初2日ほど候補日があったんですが、
「Dさんどっちも大丈夫だそうです!」って。
もうそこからはトントン拍子で進んで。
いや〜やっぱ、Mummy-Dって人は男気ある人だなあと改めて思いましたよ。
随分前の周年でDJやって貰った時も、
終わった後に泥酔したDさんを外に見送り行ってたんですが、
「Dさんすいませんギャラ少なくて…」みたいなこと言ったら、
「関係ねえよそんなもん。オレはさ、
おまえが周年だからDさんDJやってくれって言うから来てんだよ。
ギャラとか関係ねえんだよ。」
みたいなことを言う人で。あ、ちょー泥酔してましたけど(笑)。
確かエイジくんから聞いたんですけど、
当時の23Bの時もギャラをDさんに払おうとしたら、
「オレはいいからさ、若い奴らにちょっとでもあげてよ。」
みたいなことを言ってたらしいんですよね。
カッコ良過ぎでしょ!Mummy-D!(笑)。
あ、あとちなみに、
ライブ用に照明付ける様になったのもDさんに言われてなんですよ。
ある日の23Bのライブ中に横で見てたDさんから、
「ナガサワさんさあ、真っ暗でライブやらせるのちょっと可哀想だからさあ、
なんか簡単なのでいいから照明的なの付けらんないかなあ?
なんだったらオレ金出してもいいから。」
って言われて。
ほぼ毎月23Bはライブやってましたし、
確かにそうだなあとは思ってたので、直後にクリップライトに赤い電球付けたのを、
ライブ用に2つぐらい天井に付けたんですかねえ。
今やパーライト4発あるし、オレが作った簡易ステージもあるしで、
23Bのメンバーには是非当時との違いも体感して欲しいですね〜。

あとちなみにこの日、当時のスタッフの真理&弥生も限定復帰します(笑)。
ほんとは当時のバーチーフだった華奈子も来れたらバッチリだったんですが、
結局仕事で出張が入って来れないみたいで。いやー残念です。
気が付くと23Bだけでえれー長くなってますけど大丈夫でしょうか?(笑)。
まあでもそれぐらいやっぱ思い入れの強いイベントと言えるかも知れないですね。
しかもその23Bが6月の1発目っていうのも何の因果か偶然かってぐらい。
もうまさに20周年記念月間の1発目に相応しいイベントですよ。


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さて23Bの翌日7日の土曜日は、
6月はたまたまインディー系のイベントが全然やる予定がなくて。
だったらオレがオーガナイズして纏めて出て貰おうかなあ!
ということで水面下で動き回って開催決定した『ALL O.K.』。
イベントタイトルはチャーベくんに考えて貰いました。
このイベントも23BのDさんじゃないですけど、
仲くんが演ってくれるかどうかがオレの中では非常にポイントで。
やっぱ三宿Webの20周年を語る上で間違い無く、
エスカレーター(現BIG LOVE)及び仲くんは絶対外せない訳ですよ。
なので絶対仲くんには出て欲しかったんですよね。
これまた不安をよそに、Dさんと同じで仲くんも快くOKしてくれて。
ほんとに嬉しかったと同時にホッとしたというか。
っていうか元々は約4年DJをやめていた仲くんが、
うちの20周年の今年からまたDJを再開してくれたのも嬉しかったんですよね。
やっぱ仲くんの影響力は未だにそっち方面では絶大なモノがあって。
仲くんがDJしなくなってからも、やっぱ若い子たちの間では、
「インディー系の聖地と言えばWeb」みたいイメージが根強くあるみたいなんですが、
やっぱそれって間違い無く、仲くんが長年うちでやってくれてたのが、
非常に大きかったと思うんですよね。
やっぱそっちのシーンではカリスマ的な存在ですからね〜仲くんて。

今や伝説のイベント『ESCAPE』とかもほんと凄かったし。
火曜日のど平日に月2回やって毎回150人以上は入ってましたからね。
しかもインディーのレーベルのイベントで。
有り得なかったですよ、あのムーブメントは。
ファイナルも伝説の記録作ってるし。
ちなみに仲くんと一緒にESCAPEをやってたチャーベくんとは、
オレはもうROOMの頃からの付き合いで。
ESCAPE始める前も岩城くん(健太郎)と一緒にイベントやって貰ってたし、
もうずーっと長年コンスタントな付き合いさせて貰ってる最重要人物です。
いやーほんとに色んな意味でチャーベくんにはお世話になってます。
今回お祭りイベントとは言え、
チャーベくんと仲くんが同じブースに並び立つって言うのも、
オレもそうですけど、昔からのファンからすると、
感慨深いモノがあるんじゃないでしょうかね~。
それも今回ほんとに嬉しいというか。
今は2人ともやってるDJの方向性が全然違うので、
時間割りもちょっと離した方がお互いにやりやすいかとも思ったんですが、
やっぱどうしても同じブースに2人が並ぶのを見たいというわがままから、
仲くん→チャーベくんというタイムテーブルを組ませて貰って(笑)。
その2人とも旧知の仲のカジくんを始め、
他のメンバーもほんとにみんなクリエイティブ且ついい子たちばかりで、
新旧インディー系DJオールスターズの様相で(笑)、
ほんとにいいブッキング出来たと思ってます。
お客さんいっぱい入って盛り上がればいいなあ。
非常に楽しみ。



ALLOK3OUT




23Bの時にもちょっと出ましたけど、
『申し訳ナイト』の一夜限りの復活も非常に大きかったですね〜。
やっぱこれまたうちの20周年を語る上で絶対外せない最重要イベントでしたから。
間違い無く今のJ-POP DJブームの先駆け的イベントだったでしょうね。
まあそれがクラブ界にとって良かったのか悪かったのかは置いといて(笑)。
ぶっちゃけ始める時はさすがに「一晩J-POPとか大丈夫かな…?」
的なのはありましたからね〜色んな無茶なことやってきたうちでさえ(笑)。
でもそんな不安とはよそに、初回のインパクトが凄くて。
うちもゲストに宅八郎さん呼んで歌謡曲ナイトとかやったり、
他にもお笑いライブをやったりとか、
当時のクラブ界のタブー的なのは大抵やってきた自負もあったんですよ。
でもいわゆるよくある歌謡曲ナイト的な類では全然無くて。
DJもそうですけど、来てるお客さんも然り、出演者も然り、全てが斬新で。
正直これはやられた!って思いましたね〜。
で、即ミッツィーさん(現ミッシェルさん※もう書きませんw)に
「宇都宮からだと大変だとは思いますけど、良かったら毎月とかどうですか?」
って打診したら2つ返事でOK貰って。
そこからなんと13年もやって頂くことになろうとは(笑)。
噂が噂を呼んで大ブレイクした2008年頃なんて、
もう毎回パンパンに入ってましたからね。
200人近く入ってた時もありましたかね〜。
まあその後の猫も杓子もJ-POP DJブームもあって、
残念ながら昨年末に終わっちゃったんですが。
話しを戻しますが、終わってまだ半年しか経ってないし、
さすがにちょっと早過ぎるかなあ…とは思ったんですが、
流石シャレがわかるミッツィーさんというか。
『元・申し訳ナイト』として1夜限りの限定復活して貰うことになって。
他の皆さんも「えー!ちょっとまだ早過ぎでしょ!」とか一切無かった様で
(まあ内心はあったとは思いますけどw)。
ギュウゾウさんとGEEさんが出れないのは残念でしたけどね〜。
でも代わりに、これまた三宿Webの20周年を語る上で絶対外せない、
NONA REEVESの顔・郷太くんもゲストで出てくれることになったのも嬉しかったし。
いつも元気なハイパーヨーヨの2人のライブも決まって嬉しかったなあ。
あ、あとこの日も当時のスタッフの紗綾とめぐみが限定復帰します(笑)。
士郎さんには「イベントと一緒に当時のスタッフも限定復活ってどんなクラブだよ!」
とは言われましたけど(笑)。
まあ間違い無く大盛り上がり必至でしょうね~。
てか年に1回ぐらい復活すればいいのに!(笑)。


申し訳OUT




その前日にはMELLOW YELLOWのK.I.Nちゃんのイベントで、
これまた今や滅多にやらないMELLOW YELLOWのライブも。
今回残念ながらISOくんは出れないんですが。
やっぱうちの元スタッフと結婚したKOHEIくんには是非とも出て欲しかったし、
しかもK.I.NちゃんとのMELLOWで演ってくれるのはほんとに嬉しいです。
実はこの日、EASTENDにライブ演って欲しいなあと思って、
なにげに水面下で画策してたりもしたんですが、
GAKUさんがワールドカップ関連で仕事が入っちゃって、
出演自体がNGになったのでダメになったのが非常に残念でしたけどね〜。
EASTENDは3人とも同じ年だし(ちなみに前述のDさんも仲くんも同い年)、
長年『ダサパ』もやって貰ってたし、
あのDA・YO・NE発売からもちょうど20周年なんですよ。
だから是非とも演って欲しかったんですけどね〜。
まあ年内中にタイミング合う時にでも、
ダメもとで別にオファーしてみようかな(笑)。

いやー軽くダダダと書くつもりが既にえれー長くなってしまったので、
ここからはサクサクッといきます。
後半は全部レギュラーイベントなんですが、
『福善よる』にはSMOKIN'も出るし、Capppaのシゲと鶯くんも出るし、
『SWING CHOP』にはバクドキもライブ演ってくれるし、
なんと言っても嬉しかったのが『グルービー和物サミット』で、
タイジさんのライブが決まったこと。
オープン当初のWebって、金曜帯でシアターブルックのDJチーム・
ELPASO BROTHERS(吉沢dynamite.jp&与西)+山崎豪
だったので、タイジさんは勿論のこと、
シアター周りの人たちは毎週金曜日によく遊びに来てて。
タイジさんとは元々ROOMの頃からの知り合いで、
ROOMの1周年イベントをGOLDでやった時もシアターにライブ演って貰ったり。
最近はめっきり遊びに来なくなっちゃいましたけど、
やっぱタイジさんはどうしてもうちのオープン当初のイメージが強くて。
なのでうちの20周年記念月間の吉沢の日に、
タイジさんがライブ演ってくれるっていうのは、
非常に感慨深いモノがあるんですよね〜。
いや、これもほんとに"THE20周年"を感じる非常に嬉しいことでしたね〜。


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個人的に心配なのはふとした時に営業中うっかり泣いちゃうんじゃないかということ。
いや、オレ若い頃のある日、人前では絶対泣かないって決めたんですよ。
「男たる者、どんな時でも人前で涙なんか見せたらあかん!」って思って。
それ以降どんな時でも人前では泣かなくなって。
誰の葬式だろうと結婚式だろうとぐっと堪えてきて。
人前以外だと実は人一倍涙脆いんですけど(笑)。
でも実は前にも書きましたけど、それから1度だけ人前で泣いたことがあって。
10周年のアニバーサリーイベント『MISHUKU GOLDRUSH』の最終日です。
終礼(毎営業後にやる軽い反省会みたいなのモノ)の一番最後に、
オレが総括して締めるってのがいつものパターンなんですが、
オレの番になるちょっと前から急に涙が止め処なく溢れ出てきて。
なんか急に10年間の辛かった事や、
新旧スタッフや出演者の方々に対する感謝の念が、
急激に一気にぐわ~って出てきて。
まあ10周年の準備もそれはそれは大変だったし、
疲れもピークだったところに最終日にちょっとした揉め事もあったりで、
心身ともに弱ってたのもありましたけど。
正直終礼始まる前までは、
「10周年だから泣くとか寒すぎやろ!」ぐらい思ってましたし、
泣くなんてこれっぽっちも想像もしなかったんですけどね〜。
いやぶっちゃけこの前もある営業日のふとした時に、
めっちゃ込み上げてきて泣きそうになって。
ヤバい!今誰かキャッシャー来たらまずい!って必死に堪えましたけど(笑)。
いや、やっぱちょっとこの20年のこととか考えると、ぶっちゃけいつでも涙出てきますもん。
それぐらい濃厚でしたし、やっぱ三宿で20年なんて奇跡的なことですから。
そういう諸々考えちゃうとやっぱヤバいですよ。いやーほんとに怖い。絶対泣きませんけど(笑)。
なので皆さんくれぐれも泣かす様なことはやめてください(笑)。

去年の夏以降ぐらいからしょっちゅう鬱になってた要因の1つでもあったんですが、
やっぱ20周年ってオレにとっては結構プレッシャーで。
周りはでかいことやろう!って言うけど、オレ自身は全然そんなでかいことはやる気もなく、
身の丈に合ったことで充分ってのはあったんですけど、
やっぱ20周年なのに地味にやるのもなあ…みたいな葛藤もあったり。
あとオレってほんとに外交しないクラブ店長というか、
他の店に顔出して友好を深めるとかって全然しなかったんですよ。
こんなに引き籠もってるクラブ店長も珍しいでしょ!ってぐらい。
昔はたまに遊びに行ったりもしてましたけど、最近はもうめっきり。
あとうちがここ5年ほどアニバーサリーイベント的なのをやらなかったのもあって、
あんまりよそのアニバーサリーイベントにも花とか贈ってなかったので、
20周年とかなのに花とか全然来ないだろうなあ…カッコつかないよなあ…
みたいなのも正直あって。
なんかそういうのも凄く20周年に対して嫌なイメージに繋がったというか、
プレッシャーに繋がったというか。
でももうここまで来たら全然開き直ってますけどね。
そんなのはもうオレの力不足や付き合い不足だった訳で。
そういうのも全部引っくるめて三宿Webの20周年なんじゃないかと思う様になって。
いや、ダメなところも全部さらけ出していこうってぐらいの勢いです。
なのでもう最初に言っときますけど、他の店のアニバーサリーの様に、
入口とかにバーッとスタンド花が羅列されてとか全然ないと思いますが、
まあそういうことですのでひとつご了承のほど(苦笑)。
あと逆に言うと、開催期間が何日間とかじゃなく、
1ヶ月間とかだと花とかも贈りづらいんですよね。
まず花自体も持っても1週間だし。
と、いい訳もしておきます(笑)。

そんな訳で簡単にサクッと書くつもりがいつも以上に長々と失礼致しました。
ここ最近はほんとにイベント準備のため怒濤の様な忙しさでしたが、
もうオレがやれることはほぼやったので悔いはないです。
あ、まだ明日の朝まで色々と準備に動き回る予定ですけど。
あとはもうどのイベントも、来てくれたお客さんも出演者の皆さんも、
楽しんでくれればいいですね〜。もうそれだけで本望ですよ。
20周年に全てを注ぎ込んできたので、
間違い無く6月終わったら20周年燃え尽き症候群に陥るのは必至ですが、
無事6月終わったらもうどうなってもいいですこの際(笑)。
でもほんと、今月1回でもいいので、
いや1回でも多く色んな人に遊びに来て欲しいですね~。
是非とも。心からお待ち申し上げます。
あ、いや、やっぱ最後はコレで。
舞ってますっっっ!!(踊りながら待つという意※特許出願中)


URA

※三宿Web20周年記念オリジナルTシャツは近日中にネット販売開始します!少量ですのでおはやめに!

長年生きてると色んな人に色んな影響を受けたりしますが、
今までの自分の人生の中で影響を与えた人を3人だけ挙げろと言われたら、
皆さんは誰を挙げますか?
勿論好きなアーティストや尊敬する偉人などの、
著名な人から影響を受けたということも多々あると思いますが、
例えばそういう人は除いて、肉親以外の身近な周りの人からの場合。
オレの場合は真っ先に3人の顔が思い浮かびます。
1人はCAVE時代の店長だった藤原さん。
1人は三宿Web初代店長だったマービン。
1人は1番長く付き合った彼女の3人です。

藤原さんは元々は原宿にあったCLUB Bで働いていて、
CAVEの後も新宿のWIREの店長をされたりした人で、
Webにも確か1度か2度ほど遊びに来てくれました。
非常に厳格な人で、当時のCAVEスタッフはみんなビビってましたが(笑)、
その反面めちゃめちゃ兄貴肌というか、リーダーシップに長けた人でした。
オレが入ったCAVEはちょうど人手不足で、入って間もなくすぐにバーに立たされたので、
当時ほとんど酒の知識が無かったオレは、それこそ必死に独学で勉強したんですが、
藤原さんには早くから褒められたりしました。
「おまえ、若い割りに酒作んの上手いな。」とか。
いやあ、やっぱ自信になりましたね~。
時給も10円単位ででしたけど、結構早くに上げて貰ったりとか。
オレの後に同い年の後輩がどんどん入ってきたんですが、
そいつらはもう毎日の様に怒られてるんですよ。いやもう怒鳴られまくりというか。
オレはほとんど怒られることがなかったんですよね。
まあ自分で言うのもなんですが、めちゃめちゃ仕事出来ましたからね(笑)。
っていうかまあ、人一倍真面目にやってたので。
ある日スタッフの意見アンケートかなんかを書く時に、
当時CAVEの新しいスタッフTシャツが出来た頃で、
スタッフはみんな当分コレを着て働け!って言われてたんですが、
そのTシャツがどうにもこうにもカッコ良く無くて。
で、そのアンケート用紙に確か、
「毎日の営業で何を着て行くか?という楽しみが無くなってしまうので、
出来ればスタッフTシャツは着たくありません。」
みたいなことを書いたんですけど、今考えると生意気ですよね~(笑)。
で、次の日でしたかねえ、キャッシャーに呼び出されて。
そしたら藤原さんに「わかったよ。おまえは着なくていいよ。」
って言われて(笑)。いやー嬉しかったですね~。
スタッフTシャツを着なくていいということよりも、
自分のファッションに対する拘りが伝わったんだと思って、それが1番嬉しかったです。
いや、当時のオレは若干20歳という若さながら、
自分で言うのもなんですが、今考えるとプロ意識の固まりで、
例えば当時持ってる服で6通りの格好があったとして、週6で働いてたんですけど、
スケジュールを見ながら、月曜日はハウスっぽいイベントだからコレ、
木曜日はUKなイベントだからコレとか、
常に考えて、しかも忘れないようにその日にどんな格好したか、
わざわざカレンダーに書いてたんですよ(笑)。
それでなるべく同じ曜日に同じ格好をしない様にとか気を付けてました。
当時のクラブって同じ曜日は帯でやってることが多くて、
常連さんも、その曜日にしか来ないってことも非常に多かったんですよ。
なので、毎日違う格好をしても、同じ曜日に同じ格好をしていたら、
その曜日に来るお客さんにはその格好しか印象残らないじゃないですか?
それじゃあクラブスタッフとしてダメだ!
あの人は今日はどんな格好してるだろう??って興味持たすぐらいじゃないと、
クラブスタッフとして失格だ!ぐらい思ってました(笑)。
いや、マジでそれぐらい格好には拘ってたんですよ。
20歳でですよ!?我ながら凄くないすか??
今なんかめっちゃ適当なのに…(笑)。
そんな訳で、そういう部分が伝わって嬉しかったんですよね。

話がえらい逸れましたが、藤原さんは基本的には厳しい人でしたが、
いきなり日曜日の夜に「今日は暇だから早めに店閉めて今からみんなで山中湖行くぞ!」
とか言ってレンタカー借りて連れてってくれたりとか、
スタッフ全員及び箱DJ連れて泊まりでキャンプ連れてってくれたりとか、
そういう遊び心もある兄貴分的な存在でした。
飯もほとんど奢ってくれてましたし。
土曜日激混みだった時とか、営業終了後にスタッフ全員に鰻重セット奢ってくれたりとかも。
当時は全然美味いモンとか食えなかったので、
「やったー!ラッキー♪」ぐらいにしか思いませんでしたが、
逆の立場になって、人に奢るってどれだけ大変なことかってことを思い知ってから、
余計に昔のことを思い出して。
いやあ~マジで大変だったろうなあ…とか、ほんとに有り難かったなあ…とか思います。

プロはお金を貰ってなんぼっていう意識を根付かせてくれたのも藤原さんでした。
当時のCAVEの主力だったオレ含めた5人組が居たんですが、
ほとんどのメンバーが辞めた直後の某日、キャッシャーに呼ばれて、
「おまえ、今月から時給1,000円にしてやるから。その代わり、誰にも言うなよ。」
ってそれだけ言われて。
当時のCAVEって750円スタートで、すぐ800円にはなりましたけど、
その時のオレの時給が830円ぐらいで、
オレより1番古い先輩のスタッフで840円ぐらいでしたかね~。
いや、当時ではクラブスタッフの時給が1,000円なんて、
もう有り得ないというか、かなり破格だったんですよ。
いやあ、口で色々言われるよりも、粋に感じたというか、グッと来ましたよ。
そこまで期待されてるんだったら、
時給1,200円ぐらいの働きをしよう!って思いましたもん。
当時は若かったですし、経験も浅かったのでそこまで実感は無かったですけど、
その後色々と職場を転々として、やっぱプロは金だなあってことを実感しました。
いくら言葉で「よくやってる!」とか「ほんとに頑張ってる!」とか言われても、
それに見合った報酬がないんじゃ全く評価されてないのと一緒ですもん。
口ではいくらでも色々言えますしね。

あと藤原さんに1番心を鷲づかみにされたのは、
何と言ってもコレでした。
どうしても後ろに女の子乗っけて2人乗りしたいが為に(笑)、
初めてローンで新車の125ccのVESPA買ったんですよ。
確か38万ぐらい出して1年半のローン組んで。
車の普通免許は持ってたので、50ccのVESPAなら乗れたんですが、
前述した様に女の子と2人乗りしたいのでわざわざ中型の免許まで取りに行って(笑)。
で、無事中免も取って念願のVESPAを乗り回してたんですが、
ある日の営業後、VESPAでの帰り道、深夜4時半頃だったでしょうか?
雨降っててゴーグルがちょっと曇ってたのもあったんですが、
ボケーッと考え事してたらうっかり赤信号に気付かずに交差点突入してて、
思いっ切り横から車に轢かれたんですよ、環8で!
30メートルぐらい飛ばされましたかね~。
中央分離帯にぶつかって止まったぐらいの勢いでした。
で、倒れながら朦朧とした意識の中、
買ったばかりのVESPAが無茶苦茶になって遠めに倒れてるのが目に入って。
思わずオレの頭の中には「あぁ、オレの人生終わったな、、、。」と思いました。
当時は勿論携帯とか皆無な頃だったんですが、
たまたま逆車線でパトカーが信号待ちしてたという奇跡もあって、
すぐに救急車呼んでくれて。
怪我も左目尻を切って大流血したものの、左脚甲を骨折したぐらいで、
大事には至りませんでしたが、一年半のローン組んで買ったばかりのバイクはパー、
全治も2ヶ月と診断されて、心は折れまくってました。
すぐに親にバレて、母親と兄貴が田舎から飛んできて。
ちょうど初めてど金髪(っていうかほぼ白に近い金髪)にした直後で、
しかも夜のバイトもずっと反対されてたし、
買ったばかりのバイクでこんな事故も起こしてしまい、
ソッコー美容師の兄貴によって髪は博多人形の様に真っ黒に染められ、
母親からは強制送還を言い渡されてました。
勿論田舎になんて戻りたくは無かったんですが、ただでさえ肉体的ダメージは勿論のこと、
バイクのローンもあるのに2ヶ月も働けないなんて、もう完全に無理だ…
って精神的にもめちゃくちゃ落ちまくってたのもあって、
「こうなった以上はもうしょうがないか・・・」と内心諦めてた部分もありました。
そんな折り、藤原さんから電話があって。確かこんな会話だったと思います。


藤原さん「おう、その後具合はどうだ?」
オレ「具合の方はだいぶいいんですけど…。
母親にバレてソッコー上京してきて『もう田舎に帰りなさい!』って言われちゃいまして…。
強制送還されそうなんです…。」

藤原さん「おまえはそれでいいのか?」
オレ「勿論嫌ですけど、こうなった以上はしょうがないかと。。。」
藤原さん「帰っても何もすることないだろ?」
オレ「まあ、機を見て大阪にでも出ようとは思ってますけど…。」
藤原さん「大阪か。大阪は大都市だけど所詮地方都市だぞ。やっぱり東京とは違うぞ。」
オレ「そうですよね…。でも一旦帰っちゃうとなかなか東京には出してくれないと思うんですよね…。」
藤原さん「だったらオレがお母さんに直接会って言ってやろうか?」
オレ「え?何てですか??」
藤原さん「ナガサワくんはほんとに一生懸命働いてくれていて、今のうちの欠かせない大事な戦力なので、私が責任持って面倒見ますから、なんとかこのまま東京に残させて貰えないでしょうか?って、オレが言ってやるよ。」


いやー、もうそれ言われた瞬間に、心鷲づかみにされましたよ。
そこまで言って貰って、有り難いやら嬉しいやらもありましたけど、
オレは何を女々しく凹んでいるんだと思い知らされたというか…。
男なら己の道は己で切り開かんかい!とばかり、
直後どうにか母親を説得して、執行猶予付きではありましたが、
とりあえず強制送還は免れましたし、
1ヶ月後には根性で松葉杖つきながらバイトも復帰して(笑)、
どうにかこうにか乗り越えたんですが、
藤原さんのあの一言が無かったら、もしかしたらおめおめと帰ってたかも知れないですね~。
それぐらい心身ともに憔悴しきってましたし。
いや、恐らく実家帰ってただろうなあ。
オレにとっては一生に残る名台詞の1つでしたよ。

藤原さんには、そういう男気というか、人を引っ張っていく為の術というか、
そういうものを非常に強く影響受けたかも知れないですね。
いや、今まで色んな職場で色んな上司いましたけど、
結構いい人が多かったですし、どちらかというと上司には恵まれた方だとは思いますけど、
元々どの職場でも真面目に一生懸命やってはいましたけど、
「この人の為に頑張ろう!」みたいに思えた人って、ほとんどいなかったですからね。
いや、そういうパワーってとてつもないですから、逆の立場になってみると。
ほんとにオレの指導者としての礎というか、根幹になってると思います。
ぶっちゃけ藤原さんには、
厳密に何かを教えて貰ったとかっていうのはほとんど無いんですけどね。
背中を見て学んだ的な。
若かったですし、当時はそういうのはわからなかったですけど、
時間が経ってからめちゃくちゃ影響受けてたのを実感したというか。
星野仙一的な部分に似てるのかも。アメとムチの使い方というか。
うちの死んだお爺もそういう人だったし。
あ、肉親でいうとうちの死んだお爺にもなにげに影響受けたんですけど、
藤原さんと似たタイプの人でしたね~。
いや、オレにとってうちのお爺も、なにげに偉大な人だったんですよ。
あ、長くなるのでご興味ある方はこちらを(笑)。

ちなみに藤原さんには悪いこともいっぱい教えて貰いましたけどね~(苦笑)。
気性も激しかったし、結構問題も多かった人だったので、
これを読んでる人の中にはもしかしたら、
「え??あの藤原さん??」って人も多いかも知れませんが(笑)。
まあでも、オレにとっては非常に影響を受けたいいボスでしたね~。
当時は若かったのでそこまでわかりませんでしたけど、
時間が経ってからひしひしと、
オレにとっては凄くいい上司だったなあ~って痛感したというか。
いや、藤原さんから学んだことは非常に大きかったですし、
間違い無くオレの恩師の1人ですよ、藤原さんは。



fujiwara





さて2人目は三宿Web初代店長のマービンです。
この人はその昔『ムスタングA.K.A』というバンドをやっていて、
ツインヴォーカルの1人で、バンドの顔的な役割もしてた人です。
『ムスタングA.K.A』はその昔SONYからメジャーデビューもしていて、
CMソングに使われた曲は上京前にテレビで聴いたことがあって、
知り合ってから「え!あの曲ですか!」的に驚いたりもしました。
ちなみに凄い映像を見付けたのでどうぞ。
知る人ぞ知る伝説の深夜番組『夢で逢えたら』にムスタングA.K.Aがゲストで出た映像です。
恐らく毎週欠かさずオンタイムで見てたとは思うんですけど、
コレは全然憶えてないですけどね(笑)。
ちなみに1番目立ってるモヒカンの人がマービンで、左で歌ってるセニョールさんは、
後にWebでオレと意気投合して伝説の草お笑いユニット『ハンソデポリス』
を長年やることになるんですけど(笑)。







話しを戻しますが、マービンとオレは別々のルートでWebに招集されたんですが、
初顔合わせの時に、上の映像を見て頂けたら一目瞭然ですが(笑)、
モヒカンで土着的な格好のマービンを見て、
「この人が店長か…悪い人じゃ無さそうだけど、見た目も内面もオレと真逆そうだなあ…
絶対ぶつかりそうだなあ…一緒にやっていけんのかな…?」
と内心不安になったりもしましたが、
後で聞くとマービンもオレを見て全く同じ印象だったらしいです(笑)。
初顔合わせはWebのビルの3階の酒屋だったんですが、
1人1人自己紹介していってて、
マービンの番になったら急に頭ガーンとパイプ椅子にぶつけてぶっ倒れて!
見たら白目剥いて泡吹いてるんですよ!そらあ隣にいたオレもビビリましたよ。
そんで急いで救急車呼んだんですが、救急隊員が来た瞬間に目が覚めて、
「あ!大丈夫です。オレ4年に1回こういうのあるんすよ。
ワールドカップ並みの周期で(笑)。」
って周りのオレらは笑うに笑えない様なこと言って(笑)、
とりあえずほんとにその後は大丈夫で、救急隊員の人たちは帰ってったんですが、
初対面はそれはそれは衝撃的なデビューでした(笑)。

この人ってほんとに音楽が好きなんですよ。
いやそういう人って勿論沢山見て来てますけど、
ほんとのMUSIC LOVERってこういう人のことを言うんだろうなって思います。
よく「NO MUSIC,NO LIFE」とかを座右の銘にしてる人とかいますけど、
大抵の場合、その"MUSIC"って、かなり限定されたモノでしょ?って思う事がほとんどで。
この音楽は好きだけどこの音楽は絶対無理!嫌い!乗れない!とかある訳じゃないですか?
マービンの凄いところは、勿論多少はそういうのはあっても、
基本的には音が鳴ってれば、リズムがあれば全然オッケーっていうか。
常に口でズンチャズンチャと口ずさみながら、リズム取って踊ってる様な人なんですよ(笑)。
いや、勿論好き嫌いは絶対あるんですが、それでも基本、全然分け隔て無く乗れるんですよ。
そんな人今まで見たことなくて。
だってやっぱ、誰だって好き嫌いは絶対あるじゃないですか?
っていうか音楽好きな人はむしろ、拘りの大きさからアリとナシが顕著だったりもしますし。
しかも常にハイテンションだし。素面でも全然ですけど、酒入ると更に。
その場に居る人を強制的にハッピーにさせる力が尋常じゃないというか。
だからWebオープン当初にDJやってる時はほんとに助けられましたね~。
ちょっとづつグルーヴ上げてってもなっかなかダンスフロアに呼び込めない時とか、
マービンがちょっと踊りながら盛り上げると、すぐみんな火が点いて踊り出したりとか。
いやもうマービンがいるだけで一気にフロアの雰囲気が変わるんですよ。
音楽に対してもそうでしたけど、人に対してもそうだったかも知れないですね。
基本苦手な人ってほとんどいないって言ってたし。
誰に対しても、初対面であろうと、全然臆することが無いというか。
圧倒的なウェルカム感というか。

しかもそんな感じの割りに、凄い穏和だし冷静だし客観的な部分もあって。
勿論当時の三宿Webに於いては、
フロントマン的な役割やムードメイカー的な部分は非常にでかかったんですが、
個人的にはそれ以外にも、数少ない色々な相談が出来る人だったんですよ。
そこが実は若かりし頃のオレからしたら非常に助かった部分で。
だいたいのことはオレ1人で考えてたんですが、
若輩者でしたしやっぱ迷うことも多々あって。
そういう時は営業終わった後とかに、酒飲みながらマービンに相談したりしてました。
そうすると目から鱗が落ちる様な冷静なことを結構言ってくれることがあって。
いや、若い頃からなるべく物事を客観的に見ようとしてたこともあって、
例えば相談ごととかを誰かにしても、大抵は予想通りのことしか返って来ないことが多くて。
もしくは「あ~その考えはもうとっくに行き着いてからの今のこの悩みなんだけど…」
みたいなレベルの返しとか。
結構相談乗って貰って凄い良かったなあ~って思えた人ってほとんどいなくて。
なので、当時では数少ない何でも相談出来る人だったんですよ、マービンは。
居なくなって痛感しましたが、そういう人がいるのといないのとでは、精神的に全然違って。
マービンが居た3年半はそういうところでも助かった部分は凄く大きかったですね~。

ちなみにマービンの昔のエピソード聞いてビックリしたんですが、
高校の頃に全国模試で1番取ったらしいんですよ。全国で1番ですよ!?(笑)。
勿論のこと「君は間違い無く東大受かるから」って言われて、
「そうか~オレ東大受かるのか~!」って思って油断して、
それから一切勉強しなかったらしいんですよ。
そしたら東大すべって結果早稲田に行ったらしいんですけど(笑)。
っていうか、全国で1番って凄くないですか??
この人やっぱなんか持ってるなあ~とは思いましたね。
しかもその後はメジャーデビューしてるし。

このブログを昔からチェックしてくれてる人なら既にご存知だと思いますが、
オレって逗子海岸が大好きで、聖地だと思ってるんですよ。
いや、これもマービンの影響なんですよね。
当時のマービンの彼女の実家がたまたま逗子海岸の近くで。
1周年のアニバーサリー終わった後に色々事件もあり、
疲れ果てたオレらは店に夕方まで店泊したんですが、
起きてからなんと三宿からタクシーで逗子行って(笑)。
水着も無いのに海開き前の海でひと泳ぎした後、
当時はまだ海岸沿いにあったロイヤルホストでミーティングして。
1周年のアニバーサリーでスタッフサイドが、
当時のプロデューサーと一悶着あったのもあって、
マービンは開口一番「オレもう辞めるわ。とりあえず店長とかもうやってらんない。」って。
ミーティングの結果は「じゃあもうみんなでWeb辞めよう!」って結論になって。
まあ1周年後の事件の詳細はこちらで(笑)。
その時のインパクトが余りにも強くて、
それ以来毎年1度は夏以外の季節に行ってるんですよね~。
でもほんと、毎回逗子に行くと初心に還れるというか。
それもマービンと出逢ってなかったらまず無かったことだし。
いや、オレにとってはなにげに大きいことなんですよ、コレって。

若かりし頃のオレはそれは堅物の仕事の鬼状態だったので、
同じスタッフで仕事もしないでワイワイやってる奴とか絶対許せなくて(笑)。
だから最初はマービンのことも忙しい時とかはよく怒ってましたけど、段々怒らなくなって。
ある日激混みの中で酒作ってて、ふとフロアの方見たらまた上半身裸になって、
仕事もしないでワッショイワッショイしてるから、半ば呆れながら、
「いいよなあ~オレは休憩も無しでひっきりなしで酒作り続けてんのに、
仕事もしないで酒飲んで遊んでて…」と思ったんですが、同時に心の中で、
「だったらマービンの変わり出来る?出来ないだろ?あんなに盛り上げられないだろ?
だったらおまえは美味い酒作れ!それが店の中の役目ってもんだろ!」
ってもう1人の自分に言われて納得したというか(笑)。
いや、ほんとに盛り上げるとか場の空気を作るっていう意味で、
唯一無二ぐらいのプロでしたから、マービンは。
クラブでのキャリアが当時のWebでは誰よりもありましたし、
元々のタイプも違ったのもあって、オレの方が3つも歳下なのに、
仕事のことではしょっちゅう怒ったりしてたんですが、
マービン自身も実はオレのことはとても認めてくれてたみたいで。
後に彼は吉祥寺のスターパインツカフェのクラブ部門の店長をやることになって、
たまにSPCのスタッフとか連れて来たりしたんですが、
みんな一様に、
「ナガサワさんのことはマービンからもうしょっちゅう聞かされてますよ!」
って言われて。
「あいつはほんとに叩き上げでここまで一生懸命やってきた奴だ。」とか、
「もうほんとにプロ中のプロだから。」とか、
めちゃめちゃ褒めちぎってくれてるらしいんですよ。
しかも色々話し聞くと、オレがWeb時代に散々マービンにお説教したこととかを、
SPCのスタッフにそのままお説教してたりとか(笑)、
なんかそういうのも凄い嬉しかったですね~。
いや、あの人とオレって、言わばもう全く趣味趣向も真逆のタイプなんですが、
逆にそれがお互いに、
自分には持ってない突出した部分へのリスペクトに繋がったんじゃないかと思います。
いや、ほんとにかなりおかしな店だったと思いますよ、当時のWebって。
だってオレが小綺麗な格好して、
眉間にシワを寄せて一生懸命妥協無く酒作ってる横で、
チョンマゲで上半身裸の奴が酔っ払ってワッショイワッショイしてる絵って、
何だこの店は!?ってよく言われましたもん(笑)。
やっぱどっちかに偏った店はありましたけど、
あのコントラストはかなり異質だったと思います。

マービンのWeb在籍期間って、店長自体はオープンしてからちょうど1年、
在籍自体は全面改装するまでのたったの3年半なんですが、間違い無く言えることは、
マービンが居なかったら三宿Webの20周年は無かったということです。
いや、これ全然大袈裟ではなくお世辞抜きに。
あの人居なかったら恐らく最初の半年で潰れてたかも知れないし。
そしたら勿論その後も無かった訳で。
あとあの人と出会ったことによって、
オレの価値観や考え方がめちゃくちゃ変わりましたから。
それも非常にでかかったというか。
それまでCAVE→ROOMと、ガチンコのクラブで3年働いてきて、
頭の中は勿論そういう色で洗脳されてた訳ですよ。
ある意味アンダーグラウンドこそクラブだ!的な。
勿論クラブの本質はそこにあるとは思うんですけど、
マービンを見ていると、
「面白かったらメジャーだろうがアンダーグラウンドだろうがどうだっていいじゃん(笑)」
的なのをひしひしと感じて。
それはクラブ的な部分以外にも、全てに於いて、
カッコ付けないカッコ良さ的な部分を非常に学びましたね~。
当時のオレはアホみたいにカッコ付けてましたし。
サービス業の本質とは?エンターテイメントの本質とは?
という部分にも繋がる部分かも知れませんけど。
本当に未だにマービンのことはめちゃくちゃリスペクトしてますし、
最大の功労者と言ってはばかりません。
いや、あの人になんかあったらオレは真っ先に飛んで行く!
ってぐらいの恩義を感じてますよ。マジで。
三宿Webの20周年を語る上で、何を於いてもまずマービン!ってぐらい、
オレにとっては本当に貴重且つ重要な存在であると同時に、
あの人との出逢いは、その後のオレの人生に於いて非常に大きなモノだったと言えます。



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さ、気が付くといつも以上にえらいことになってますけど大丈夫でしょうか?(笑)。
まあ最後はそんなに長くはならないとは思いますけど。
そんな訳で最後の影響を受けた人は、ちょうど20年前に付き合ってた彼女です。
前にブログで書いた『ちょうど20年前の』シリーズの彼女とは違う子です。
『ちょうど20年前の』シリーズの彼女と別れて、
実に3ヶ月後に出逢い、半年後に付き合ったんですけど。
今思えば信じられない運命ですよ。
別れた当時は、もしかしたらもうこんな大恋愛は出来ないんじゃないか…?
ぐらい思ってましたし。
それがなんと半年後にそれ以上、いや人生最大の大恋愛をすることになるんですから。
実はぶっちゃけ、未だにこのブログもマメにチェックしてくれてるみたいなので、
ちょっとこっ恥ずかしくて余り深くは書けないんですよ(苦笑)。
なので今回は軽く触りだけぐらいですけど。
まあでもこのブログが続く限りは、死ぬまでにいつかは深く語らなければいけないであろう、
オレの人生の中で、1番影響を与えた人ですけどね。
とりあえずオレの20代と30代は、彼女からの影響はそれはそれは計り知れないです。
奴を語らずしてオレの人生も語れず、ぐらいな勢いです。

元々三宿Webに入る切っ掛けも彼女経由だったんですよ。
ROOMを辞めることは決めていたものの、次何やるかは全然決めてなくて。
そんな頃にちょうど、
彼女が当時バイトしていた恵比寿のPEDROっていうバーの常連だった、
前々回のブログでも登場したWebの初期バー部門のプロデューサーの稲葉さんが、
とある日に酔っぱらいながら、
「今度三宿でクラブやるんだけど、いいバーテンが居ないんだよね…。」
ってぼやいているのを聞いてすかさず「あ、いいバーテンなら知ってますよ!」
って言って紹介して貰うことになったっていう。
それがなかったら間違い無くオレはWebに入ってない訳で。
そんなほんのちょっとしたタイミングから生まれた結果が、
後に20年もやることになった訳ですから、ほんとに凄いことだなあと改めて。
だからある意味彼女と出逢ってなかったら、付き合ってなかったら、
もしかしたら三宿Webの20周年もなかったかも知れないですねえ。
いや、多分恐らく無かったと思います(笑)。

1997年に初めてニューヨークに海外旅行に行ったんですが、それも彼女の影響でした。
それまで全くと言っていいほど海外というモノに興味を持たなかったんですが、
当時彼女はニューヨークに住んでたんですよ。
その頃ふとした瞬間に海外というモノにちょっとだけ興味を持ち始めた頃で、
ちょうど彼女も住んでるしということで、彼女に逢いに、
当時は大嫌いだったアメリカ・ニューヨークに行ったんです。
1週間の滞在でしたが、ずーっと一緒に居てくれてニューヨークの街を案内してくれて。
勿論のこと、初めての海外ともあって、全てに度肝抜かれたのを未だに憶えてます。
同時に人に優しいニューヨークの街が一気に好きになって。
元々はヨーロッパ指向だったんですが、
やっぱニューヨークの方が好きかも!ぐらい思いましたね~。
でも「いや、行ったこともないのに、
ヨーロッパよりニューヨークの方が好きだとかいうのはナンセンスだ!」と思い、
翌年と翌々年にロンドンとパリに行くことにも繋がったというか。
それもニューヨークに行ってなかったらまず行ってなかったでしょうね~。
てことは腕と脚のでかいタトゥーも入れてなかったってことにもなります(笑)。
そう考えると、それだけでもやっぱオレの人生をかなり変えた出来事でしたね~。
いや、それ以上にオレの人生にとってとてつもなく大きかったですよ、
初の海外及びニューヨークへの旅行は。

ファッション的な部分も凄く影響を受けました。
彼女は付き合った当時から職業柄もあって物凄くお洒落で、
よくダメ出しとかされてました(笑)。
それでよくむかっともしましたけど、なんせ全てに於いて早いんですよ。
感性というか感覚が。なので、ダメ出しされても何も言い返せないというか。
むしろ彼女にダメ出しされない様に服買う様になったり(苦笑)。
当時はかなりの方向転換がありましたね~。
最初はそういう風に彼女がいいと言うモノを買ったり、
彼女がダメ出ししない様なモノを買ったりしてましたが、
ある時にやっぱ「コレはお洒落かも知れないけど、オレがしたいお洒落じゃない!」
ってことに気付いて。でもやっぱダメ出しはされたくなかったので、
そこからめちゃくちゃ自分の個性とは??
みたいなのを本気で考えるようになって。
それまではまだ全然ファッション的な部分でも青くて、
全く自分に自信がなかった頃だったので、
いち早く自分なりに自分の個性を模索したというか。
結構時間は掛かりましたけどね〜。
でも後に確立される自分のファッション像の構築に、
非常に大きく影響を及ぼしたと言えます。
いや、まあファッションもそうですけど、考え方や生き方や価値観とか、
もう全てに於いて影響受けまくりましたけどね(苦笑)。
それぐらい、今まで出逢ってきた人間の中でも、
もうほんとに突出した唯一無二の個性及び感性の持ち主でした。

ソウルメイトって言葉がありますけど、
今まで生きてきた中で、男女問わず、唯一そういうモノを感じたのが彼女です。
いやぶっちゃけそういうチープな言葉で括りたくないぐらいの感覚というか。
ほぼ家族に極めて近い感覚はありましたかねえ。
いや、付き合ってる時は勿論ですけど、別れた後とかもずっとだったんですよ。
お互いになんかあったらすぐ連絡取り合ってたし、
なんかあったらすぐお互いのところに飛んで行ってたし。
それはもうどっちかに彼氏彼女がいる時でもですよ。
なんでしょうね?唯一無二の大親友的な感覚というか。
いや、それともちょっと違うというか。なんとも形容しがたい様な感覚でした。
ああいう感覚を経験出来たというのは、オレにとって非常に大きかったですね。
人間的な深みの部分に非常に繋がったと思います。
いや、むしろ非常にラッキーだったとも言えるかも知れません。
あんな感覚、経験しないで一生を終える人っていっぱいいると思いますもん。

最後に、彼女とのことはそれはそれは色んなエピソードがあるんですが、
その中でも突出して衝撃的だったのが、確か12,3年前のことです。
ある夜たわいのないメールのやり取りをしてたんですよ。
で、話しの流れでオレが
「おまえはオレがもし死んだらきっとめっちゃ哀しんでくれるんやろなあ~。」
みたいなことを冗談半分で送ったら、
「ちょっとやめてよ!想像しただけで頭がおかしくなる。たけしが死んだら私も死ぬ!」
って返ってきて。もうビックリして。
だって付き合っててラブラブな頃とかならわかりますけど、
当時彼女には彼氏がいた頃だったんですよね(確か)。
「え?なんなん??それどういう感覚??」って返したら、
「私にもわからんわ。もうなんか自分自身(自分の分身)って感じやわ。」って。
最初はビックリしましたけど、段々放心状態になってきて。
いやもうなんて言ったらいいのやらって言うか。
そこまで赤の他人が思ってくれることって、なかなか無いと思うんですよね。
しかも彼女でもなければ嫁でもないのに。
若い頃オレって大バカだったので、
「オレは何かをしにこの世に生まれてきた!」とか勝手に思ってて、
「もしなんかあっても、まだ何もしてないからまだ絶対死なないハズだ!」
ぐらい思ってて(苦笑)。
「もし乗ってた飛行機墜落しても、オレは絶対助かるハズだ!」とか(笑)。
ほんとにアホでしたから…。
でも彼女にそのメールを貰ってからもう急にめっちゃ怖くなって。
なにがって、
「オレが生まれてきた意味ってもしかしたらコレだったのかも!」って思っちゃって。
「ヤバい!オレまだなんもしてないと思ってたけど、もう既に任務終わってる!
どうしよ!もういつ死んでもおかしない!!」ってマジで焦りましたね〜。
本気で、なにかあったらマジですぐ死ぬと思いましたもん(笑)。
いやでも、それぐらい凄いことだと思ったんですよね。
あのメールは、未だにっていうか、絶対一生忘れないでしょうね。
オレにとってはそれぐらいの大きなモノでしたね〜。
ちなみに「え?じゃあなんでそんな彼女と結婚しなかったの??」
っていう愚問はくれぐれもご容赦ください(笑)。
まあ、色々あったんですよ。

もう彼女とは5,6年は逢ってないですし、今は結婚して子供もいるので、
最近は滅多に連絡も取り合わなくなりましたが、
彼女にはほんとに幸せに暮らして欲しいなあと心から思います。
この先オレが結婚したとしても、この先もう2度と逢うことがないとしても、
大事に思う気持ちは死ぬまで変わらないでしょうね〜。
それってもうほんとに血の繋がった家族に近い様な感覚というか。
まあそれぐらいのかけがえのないモノを与えられましたからね、奴には。


※写真掲載してたらソッコー消してって連絡来たので敢えなく削除しました(笑)


さてそんな訳でいつも以上に長くなってしまいましたが、
その人のそれまでの生き方や考え方や価値観を変えてしまうほど影響を与えるって、
ほんとに凄いことだと思うんですよね~。
それってなかなか出来ることではないと思いますし。
メジャーなアーティストの様に、
何千人、何万人に影響を与えるということも勿論凄いことだと思いますが、
それがたった1人だったとしても、それって充分凄いことだと思うんですよね。
いや単純に誰かの『人生の中で影響を与えた3人』に入ってたら、
男として、いや人として、そんなに嬉しいことはないですよ。
あぁ、しょうもない人生だったけど、生きてきて良かったなあ、生まれてきて良かったなあ、
って心底思えると思うんですよね。
個人的にはなんか、人の為になるとか、人の役に立つというのは、
自分が得ることよりも大きな喜びを感じてしまうとこがあって。
いやむしろ、それこそがもしかしたら自分が得られる真の喜びなんじゃないか??
とか思ったりもするぐらい。
オレもこの先死ぬまでに、1人でも多く、いや、
たった1人でも誰かにそんな風に思って貰える様に、そんな存在になれる様に、
これからもただただ精進していくのみです。

実は、全く違うネタで書き掛けのやつがあって、これまた長編大作なんですが(笑)、
それを次はアップしようと思ってせっせと書いてたんですが、
さすがに尋常じゃない前回のブログのアクセス数や反響に、
これはちょっと触れないとダメでしょ…と思い急遽路線変更。
書き掛けのネタはまた後日アップします(多分)。



第一部 「前回のブログについて」

前回のブログがなんとアップしてから2日で1,600以上のPV数。
ライブドアブログのレベルが2から3に1つ上がり、
普段はレベル2の中でも1万台のアクセス数の順位が、
なんとレベル3の中で全国7位という快挙でした(笑)。
いやもうビックリというかなんというか。
Twitterで25リツイート、Facebookで15シェアと、
全ては過去最大の皆さまのご厚意によるお陰でした。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。ありがとうございました!
まああんな長文、最初から最後まで読んでくれた方は、
10分の1〜20分の1ぐらいかも知れませんが(笑)。
まあでも、アップした直後は勿論のこと、未だになんですけど、
ほぼ毎営業日に誰かから直接言われたり、もしくはメール等などでも、
「え?オレのブログなんて読んでくれてんですか??」って人までほんとに色んな人から、
「ブログ読みましたよ!」とか「ブログ良かったよ!」とか
「ブログ感動しました!」とか「ブログやばかったっす!」とか、
色々とめちゃくちゃご好評頂きまして。
しかもどうやらクラブ業界のみならず、各所で話題にして頂いてるらしく、
予想を遥かに上回る余りの反響の多さに、正直若干戸惑いすら感じましたが、
でも沢山の人に読んで頂いた様で(多分)、少なからず共感を得て頂けたというのは、
非常に嬉しくも有り難いことだなあと思います。
ほんとうにありがとうございます!


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っていうかこんなに読まれるんだったら、
もうちょっと書きたいこともあったなあ~ということで、今回ほんのちょっと補足を。
いや実際、今のところ矢は飛んで来たりはしてませんし、
好評の声しか耳には入って来てないですけども、
恐らく心中穏やかじゃない人とかも、中にはいたんじゃないかと思うんですよね。
例えば同業者の人とかで、
「そんなのたまたまいい環境にいたから出来たんでしょ~」
的な風に思った人もいたかも知れないし。
いや、実際その通りというか。ほんとにいい環境に恵まれたと思ってます。
だって事実、オーナーの方々の理解力や協力が無ければ、
グラスの件もそうですけど、氷にしたってフルーツの手絞りにしたって、
その他諸々絶対に実現出来ないことでしたから。
理想論だけ掲げても、そんなの金掛かるからダメって言われれば終わる話しですからね。
そういう意味ではほんとにラッキーだったとは思ってます。
コスト的な問題は勿論のこと、どの店にも色んな事情があるのは当然ですから。

でもです。オレ1番最初のCAVEの頃から、
常にその店で作れる最高のモノを出そうと思って、日夜努力してきたんですね。
当時のCAVEは割りモノの炭酸類とかは全てシャーってやるガン式のディスペンサーでしたし、
氷も勿論製氷機のモノ使ってたし。
でもその中でもやれることはあって。
もっと言えば、CAVEの前に働いてた原宿のカフェ・ド・ロペ時代からそうでした。
女の子の他のバイトからは「ナガサワくんがアイスティーが1番美味しい!」
とか言われてましたし。勿論マニュアルはあったんですけど、
ほぼ学生バイトが多くて、他のみんなが適当にやってたのもありましたけど、
基本はマニュアルに従いながらも、どうしたら更に美味しくなるか?
を研究しながら作ってました。恐らくその成果が如実に出たんじゃないかと思います。

オレが1番言いたいことはそういうことというか。
現状のシステム・環境の中で出来る最高のことをやって、最高のモノを出していれば、
最低限美味しいモノは出せると思うんですよね。
実際、500円でプラカップで出すお酒でも、
全然美味しいと思ってついついお代わりしたくなる店はありますから。
味的な部分以外に、感じの良さとかも勿論関わってくる部分でもありますけど。
まあ結局最終的には、システムや環境もさることながら、
それらを生かすも殺すも全てはバーテンダー次第なんですよね。

ちなみに昔、今は無き富士そばの並木橋店にしょっちゅう行ってたんですが、
そこって数ある富士そばの中で1番ちゃんとマニュアル通りに作ってたんですよ。
しかもほぼ24時間ずっと。
作り置きせず注文入ってから茹でて、ちゃんと冷水で締めてたので、
めっちゃ蕎麦にコシがあって美味しかったし、
蕎麦つゆの鮮度も良かったし、天ぷらやその他の惣菜も。
勿論バイト何人かで1日を回してるんですが、
いつ行ってもちゃんと皆さんしっかり作ってくれるんですよ。
もうそこの富士そば行ってからは、他の富士そば行けなくて。
だって余りにも他の店舗は適当に作ってますから。作り置きなんてザラですし。
いやほんとそういうことだと思うんですよね。
例え一般的にシステムや環境のレベルが低いとされているお店でも、
そこでやれる最高のモノを出せば、わかる人にはやっぱり伝わると思うんですよ。


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余談ですが、よくオレがよその店に遊びに行ったりすると、
誘ってくれた人とかは気を遣って事前に、
「Webの酒に比べると全然酒は美味しくないと思うんですけど…。」
的なことを言ってくれたりするんですが、実は意外とそういうのは気にしない方で。
こう見えて郷には入れば郷に従えタイプなので(笑)。
どこでも美味い酒しか求めないなんてことは決してなく。
まあ元々小難しいカクテルよりも、ウーロンハイとかビールとか、
シンプル且つ簡単なモノで充分だったりもしますし。
まあでも、ドラフトのビールがまずかった時のガッカリ度はハンパじゃないですけど(笑)。
勿論ドリンクやメニュー云々も職業柄どうしてもチェックしてしまいますが、
やっぱバーテンの作り方や所作には、どうしても目がいってしまいますね。
パッと見ただけで、不思議とだいたいその人の持ってる知識や技術力もわかりますし。
それによってオーダーするモノも変わってきたり。
でも往々にしてよく見受けられるのが、
そのお店のバーのシステムや環境に比例したレベルのバーテンしかいないということ。
そういうのを見ると非常に残念に思ってしまったりもします。
「少年よ、大志を抱け!」じゃないですけど、
どんなシチュエーションでも、常にちょっとでも上を目指して欲しいなあとは思います。

話しが逸れましたが最後にもう1つだけ。
三宿Webの酒が美味しい理由の隠された最大の要因として、
前回のブログではグラスを凍らしているということを書きましたが、
誤解して欲しくないのは、正直言って他にも多々ありますから(笑)。
ほんとにわかりずらい部分や細かい部分等、随所に拘りや労力を注ぎ込んでます。
それはさすがに全部言っちゃうとアレなので企業秘密ですけど。
でもそれらのほとんどは、まず他の店では絶対にやってないことだと思ってます(多分)。
まあほんとちっちゃなことや細かい部分が多いですけど。
単にグラスが冷えてるとか、ドリンクが冷えてるとかだけでは決してないんですよ。
ただ全てに共通して言えることは、前述したことにも繋がりますが、
「現状の中で少しでも美味しいモノを提供したい」
というちょっとした情熱やサービス精神とも言えるかも知れません。
更に付随したことを言わせて頂ければ、
前回のブログ(今回のも含め)が多少なりとも切っ掛けや触発となって、
色んなお店のお酒のレベル及びバーテンダーのレベルが、少しでも上がればいいなあとも、
非常にお節介な様で大変恐縮ではありますが、
いちバーテンダーとして切に願うところでもあります。


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第二部 「NOT MASAMIブーム」

さてこれから第二部。すでになかなかの長文ですが(苦笑)。
第一部の真面目でかしこまった内容とは一転して、
タイトルからしてわかる様に、どうでもいいかなりくだらない内容なので、
事前に頭の切替の方をお願い致します(笑)。
TwitterやFacebook等をご覧になっている方は既にご存知だとは思いますが、
気が付けば「まさみじゃない方の」及び「NOT MASAMI」が巷で大ブーム中で(笑)。
いやほんと、正直まさかの大ブームです(笑)。

実はオレって昔から自分の長澤という苗字が大嫌いで。字面も響きも嫌いでしたね〜。
上京してからは、字面のいい簡単な方の沢にして、長らく長沢って書いてました。
それが今からちょうど10年前の2004年公開の映画
『世界の中心で、愛をさけぶ』に出演してる彼女を観て以来、
一発で大ファンになってしまい(笑)。それ以降は即"長澤"に戻し、今に至る的な。
いや、まさみちゃんの出現によって、初めて長澤姓で良かったと思えたというか(笑)。
オレからしたらある意味ちょっとした救世主ですよ。
だって男ならほぼ一生背負って生きていかなきゃいけない自分の苗字が嫌いって、
ちょっとした致命傷ですから。
2011年公開の映画『モテキ』によってまさみちゃんの人気も絶頂を極め、
世の男性のほとんどが、長澤まさみちゃん可愛い!!って思ったんじゃないでしょうか。
いやほんと、それぐらいの影響力はあったかも知れませんね〜。
まあその絶大なる人気度や知名度があったからこその、
今回の巷の大ブームに繋がったんでしょうけど(笑)。
ありがとう!まさみちゃん!(勝手に)

さて色々調べてみると、1番最初に「まさみじゃない方の」って発信したのが、
2011年の大晦日だった様です。テレビで紅白観ながらTwitterで。
これが記念すべき「まさみじゃない方の」が生まれた瞬間と断定(笑)。

「余りにも眠いのでうっかり棚の掃除とかしちゃった。GAGAって歌上手いなあ~。
あ、GAGA澤です(まさみじゃない方の)。」


調べてみるとそれから余程気に入ってしまったのか、
Twitterでことあるごとに(まさみじゃない方の)を無駄に多投ツイート(笑)。
2012年春頃には、徐々に浸透してきたのか周りのレスポンスにも、
たまに名前の後に「まさみじゃない方の」って入れられる様になって(笑)。
その後も無駄に多投に多投を重ねたのもあって、以降スマッシュヒットを記録(多分)。
Twitterでのオレ的2012年流行語大賞を受賞(勝手に)。

2013年2月に、それまで長らく使っていたガラケーからiPhoneに変えたんですが、
iPhoneからのメールってよく、
「●●がiPhoneから送信」って付いてたりするじゃないですか?
それに着目したオレはわざわざ、
「まさみじゃないホーオ!がiPhoneから送信」に無駄に書き換えたりと、
無駄な努力は惜しまず発揮。
その後も無駄に多投を重ねてはきたものの、
さすがにだいぶ落ち着き始めたそんな頃、ちょっとした転機が訪れます。
2013年6月末に開催した、三宿Web19周年アニバーサリー月間の最終日を、
レイザーラモンRGさんと共同企画したんですが、
そのフライヤーをデザインしてる時に、
フォントの関係でその日の出演者名を全て英語表記にしたんですが、
オレのところをどうしよう??って考えた時にふと、
あ、語呂いいし「NOT MASAMI」にしよう(笑)って、
冗談半分で名前の後にカッコ書きで付けたんですが、
これが結果、若干翳りが見え始めていた「まさみじゃない方」ブームを、
まさか助長することになろうとは!(笑)。


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ちなみにその後も無駄に気に入ってしまい、
オレがDJする時はことあるごとに名前の後に(NOT MASAMI)を無駄に入れてたんですが、
今年の3月頭にふと思い付いた名パンチライン
「立ち上がれ!全国のまさみさん!」
によりくすぶっていた人気が遂にブレイク(笑)。
これまた気に入ってしまい、ことあるごとに
「さあ立ち上がれ!全国のまさみさん!」と呼び掛けまくった成果もあってか、
気が付くと先月頃からブームが顕著に加熱。
今やオレの周りの人はもうなにかとあれば、
「まさみじゃない方の」及び「NOT MASAMI」を使う様になっていて(笑)。
その2つ書きたくてわざわざ名前出したりするぐらい。
最近はもう知り合いに誰かを紹介とかされたりすると、
「あ、あなたがNOT MASAMIさんですか〜!」とか、
「まさみじゃない方の長澤さんですよね?」とか言われる始末(笑)。
もはやオレの手の届く範囲を遙かに超えつつあります…(苦笑)。
いやはやまさかの展開にこれまた若干戸惑いを隠せませんが、
まあこんなくだらないことでも、皆さんに楽しんで貰えているというのは、
非常に嬉しいことだなあとは思ってます(笑)。


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てかもう最近は、こんだけ流行っちゃった暁には、皆さんに更に喜んで頂ける様に、
マジで「まさみさん」って名前の人見付けて付き合おうかなと思ったり(笑)。
まあ言うてもそんなにまさみさんいないけども(笑)。
でもたまに周りの友達たちと話して爆笑したりしてるんですけど、
万が一にももしそんなことがあったらマジでヤバいでしょうね〜(笑)。
間違い無く更なる一大ブレイク必至ですよ(笑)。
っていうかどんだけサービス精神旺盛やねん!って感じですが(苦笑)。
ま、そんなうまい話しはまず無いとは思いますけど…。
さて今後のNOT MASAMIブームの行く末はどうなることやら。
とりあえずもうしばらく、当分ちょっとしたブームは続きそうですけど(笑)。
でもマジな話し、今なら漏れなく無条件に長澤まさみになれるチャンスですよ!
さあ今こそ立ち上がれ!全国のまさみさん!


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これほんとは、実に2007年から更新してないオレのカクテルコラム、
『COCK-TAIL ELEMENTARY SCHOOL』で書こうかと思ったんですが、
悩みに悩んだ挙げ句、結局こちらで書くことにしました。
ちなみに前述のコラム、非常に有り難いことに、
今までなにげに色んな人から共感して頂いていて、
全然面識も無い人なのに、
「お酒のコラム、プリントアウトしてうちのスタッフに読ませてます!」とか言われたり、
バーテン経験のある人にも非常に理解して頂いているのは、
ある意味書き始めた当初から考えると予想外というか、いやはや非常に嬉しい限りです。
もうかなり前ですけど、ノーナの郷太くんからも夜中にいきなり電話掛かってきて、
なんだろう??と思ったら、
「ナガサワさんのカクテルコラム見たらめっちゃ共感することがあって!
この想いは今伝えたいと思って思わず電話してしまいました(笑)。」
的なことをわざわざ伝えてくれたり。
正直言って生粋のバーのバーテンダーからすると、
かなりナンセンスなことも書いてあるので、
いつかどっかから矢が飛んで来そうだなあ…とは思ってましたが、
直接的間接的問わず、未だ1度も批判的なことは言われたことなくて、
内心ホッとしてます(苦笑)。
まあ興味のある人は、時間のある時でもそちらの方も是非。


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さて本題に入りますが、『三宿Webの酒が美味しい理由』。
オープンして以来有り難いことに、
「三宿Webの酒は抜群に美味しい!」とか、
「ここで慣れたら他の店で飲めない!」とか、
「クラブではダントツに1番美味しいでしょ!」とか、
未だにしょっちゅう言って貰ってます。ありがとうございます!
自画自賛で恐縮ですが、オレ自身も、正直言ってクラブのバーでは、
ナンバーワンのクオリティーのモノを出している自負もあります。
いやいやいや、ちょっと待った!とおっしゃる方もいらっしゃるかと思います。
勿論どの店も各々プライド持ってやってると思いますから、そらそうです。
でも、それにはちゃんとした理由があるんです。
ある意味オレの中では企業秘密だと思ってたので、
今までは敢えて声を大にして言いませんでしたけど、
もうすぐ20周年という節目を目前とした今、もう言ってもいいかなと思ってきて。
とはいえまあ、そんな大したことのない様にも思えることかも知れませんけど。

以前のブログでも書きましたが、
21年前に渋谷THE ROOMのバーチーフ及びバーのプロデュースを任された時、
当時のクラブではダントツに1番酒が美味いと評判だった"青山MIX"を超えないと、
当時のクラブのバーでナンバーワンになれないと思い、
沖野さんを始めとしたオーナーの方々のご理解・ご協力もあり、
氷は製氷機ではなく一貫氷を使い、フルーツジュースは全て手絞りに変え、
プラカップからグラスに変えました。
当時のMIXは既に上記のことはやっていたので、
それだけではMIXを超えられないと思い、酒の種類を増やしました。
当時のMIXは、非常に繁盛店だったこともあり、
陳列されている酒の酒類は最低限で、種類は多くなかったんですよ。
更にROOMでは通常使うホワイトスピリッツ(ジン・ウォッカ・ラム・テキーラ等)
はわざわざ冷凍庫で凍らせたのを常に出してました。
当時のROOMのバーは、
コールドテーブル(業務用のテーブル型の冷蔵庫及び冷凍庫)とかも無かったので、
アイスクリーム用の縦型の長細い冷凍庫を買って貰って、バーの真横に置いて使ってました。
正直言って、当時のクラブのバーでそこまでやっている店はまずありませんでした。
勿論テキーラやズブロッカなど、
限られた酒を凍らせたりした店はあったかも知れませんけど。
オレが働いてた頃のCAVEも幾つかは冷凍庫に入れてはいましたし。
でもそれは"とっておきの何か"を凍らせたレベルであって、
通常ハウスで使うモノを凍らせておくのとは訳が違いました。
ROOMはまだオープンしたての頃でしたので、
店自体の認知度はMIXに比べると全然比べ物になりませんでしたが、
バーのクオリティーに関しては、当時は間違い無くクラブで1番だと思ってました。
酒のことをわかる人にも徐々にそれは伝わっていきました。

1年半後にROOMを辞めることを決めたと同時にひょんな縁から、
Webのオープニングスタッフ且つバーチーフとして働くことになったんですが、
ROOMを辞める間際に悶々と考えてたことがあったんですよ。
今度働くWebって店は、バーカウンターもでかくて酒の揃えも本格的な品揃えで、
材料やレシピのクオリティーも勿論本格的だったので、普通に考えたら、
当時のクラブでは間違い無くナンバーワンのバーではあったとは思うんですが、
例えばジントニックやスクリュードライバーなどの、
シンプルでポピュラーなカクテルしか飲まない人にとっては、
ROOMのクオリティーとさほど違いを感じないと思ったんですよね。
だって使用する材料はさほど変わりない訳ですから。グラスや氷も含め。
勿論どちらもジュースは生搾りだったし。
ハウスの酒も当時のROOMよりもワンランク上のモノを使う予定でしたが、
例えばハウスのジンをビーフィーターじゃなくタンカレーを使ったとしても、
その差をわかる人なんてごく僅かでしょうし。
それでWebの酒が1番だ!とか言っても、勿論バーカウンターのでかさや酒の揃えをみたら、
ある程度納得してくれるかも知れないですけど、
なんかいまいち説得力無いなあ…とは思っていて。
そういうシンプルでポピュラーなカクテルひとつとっても、
他店舗とは圧倒的な差を感じさせる何かがないかなあ…って考えていて。
大袈裟に言えば、他店舗とジントニックを作って並べて、お客さんに目隠しして飲ませても、
圧倒的にこの(Webの)ジントニックが美味い!!
って言って貰える様な何かはないのか?と思って。
とは言え当時まだ23歳になり立ての頃で、
当時の自分としてはやれるだけ最高のことをやった結果が当時のROOMのバーだったので、
それを超えるモノのイメージが全然思い付かなくて。
っていうか正直、やれること全部やってるし無理でしょ??ぐらい思ってました。

そんなある日、オレは衝撃的なことを経験することになるんですよ。
ROOM勤務中の平日の某日、オレの休憩の番がそろそろ回ってくる頃だったので、
当時いつもよく飲んでたオレ考案のオリジナルカクテル
(ちなみにコレってWebオープン以来未だに大人気の"オリジナルグレープフルーツカクテル"
というカクテル)を、喉が渇いてたのもあって、氷以外の材料を作り置きして、
そのまま冷蔵庫に入れてたんですよ。キンキンにして飲もうと思って。
で、休憩時に裏で休みながら飲んでたんですが、やっぱキンキンに冷やしてたのもあって、
いやあ~いつも以上に美味いなあ~!と思って。
その時です。体中を雷の様な電気が走った様な衝撃を憶えて。
グラスを冷やすだけで、いつも飲んでるカクテルがこんなに味の印象が違うんだ!!と。
もうコレだ!!ROOMのバーを超えるにはコレだ!!コレしかない!!と思いましたね。


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Webには元々バーのプロデューサーの稲葉さんという人が居て、
その人はちゃんとした正統派のバーのバーテンダー上がりの人で、
歳も4つ上だったのもあり、最初はクラブのバーテンダー上がりで、
独特の考え方のオレと果たして意見が合うかなあ…と、内心不安だったんですが、
その人はめちゃくちゃフレキシブルでフレンドリー且つシャレのわかる人だったので、
すぐに意気投合して、オレもわからないことは教えて貰ったり、
オレの独特のバーに対する哲学も、非常に興味を持って聞いてくれて、
その人がプロデュースしたWebのバーに関しても、生意気にも現場の意見として、
コレはこうしませんか?とか、コレはこうした方が現実的だと思います!的に、
色々と助言させて貰ってたんですが、
唯一グラスを冷凍庫に冷やすのは難色を示したんですよね。
やはりオープン当時は冷凍庫や冷蔵庫のスペースも今よりも全然少なかったですし、
他にも冷やすべきモノが沢山ありましたし、
あとやはり労力的にも、グラスを冷凍庫で冷やすという行為は、
なかなかしんどいモノがあったので。
当時は(っていうか未だにですが)、
クラブは勿論バーでもグラスを凍らせて出すところなんて滅多に無く、
あったとしてもビール用のタンブラーやショットグラスがせいぜいでした。
まあなんせまずデカ目の冷凍庫が必要ですし、
現実的にはなかなか難しかったりもするんですけど。
最初はそこに関してだけは、その人もなかなか折れてくれなかったんですが、前述した様に、
うちのバーはクラブのバーでダントツに1番だ!
それはもうジントニックのレベルでも圧倒的に!
って胸を張ってアピールするには、何を犠牲にしてもそれは絶対やるべきだと思います!!
いや、お願いですからそれは絶対やらせてください!!
と熱く力説し、最終的には「よしわかった、おまえがそれほど言うならいいよ。」
って納得して了承してくれました。

それ以降はオープン以来ずっと現在までグラスは冷凍庫で冷やして提供してます。
勿論未だにジュースは生搾りのフレッシュ、
氷もちゃんと一貫氷を丁寧に割って提供してます。ロック用のは丸氷に削ってますし。
勿論グラスだけ冷やしてても意味が無いので、割りモノのソフトドリンクもマメに冷やして。
忙しくて冷えるのが間に合わないモノは、バケツに氷と水張って冷やしたり。
言うまでもなくジン・ウォッカ・ラム・テキーラ等のホワイトスピリッツは全て冷凍庫に。
出すドリンクの温度にはなるべく気を付ける様にしてます。
ぶっちゃけ上記の諸々は、ほんとにやっぱ結構な面倒な作業なんですよ。
グラス冷やすのにしても、ジュースの絞りにしても味の管理にしても、
氷を割るにしても、他の諸々冷やすのにしても。混んでる時とかは特に。
でもうちの歴代のバーチーフを始めとしたスタッフたちが、オープン以来長きに渡り、
自分が楽しむ部分を多少犠牲にしてでも、真面目に一生懸命やり続けてくれているお陰で、
なんとかそのオペレーションのままでやってこれてますし、
その結果有り難いことに、オープン以来20年に渡り、
『三宿Webのお酒はずば抜けて美味しい!』とご好評頂いております。
まさに歴代のスタッフたちの、長きに渡っての努力の賜物とでも言えるでしょう。


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まあ正直なことを言えばちょっと前から、
「クオリティーをもうちょっと下げてもいいのかなあ…」とかも思ってはいます。
もしくは種類を少なくするとか。その分お酒の値段も安くして。
勿論最低限のクオリティーは維持しつつですけど。
えええ!?そんなことするのは絶対やめて欲しい!!って思う人も多そうですけど(笑)。
いや、勿論気持ちは重々わかるんですけど、
ぶっちゃけうちのクオリティーで今の酒の値段は、はっきり言って安過ぎるとは思ってます。
勿論メニューによっては適正なのもありますけど。
あと正直言って、本格的過ぎるが故に、バーテンを育てるのが容易じゃないんですよ。
どんなに頑張っても、ちゃんと1人で立たせられる様になるには最低2ヶ月以上は掛かるし。
いや、ぶっちゃけもっと掛かります。1年経ってもちゃんと出来ない子とかも全然いるし。
なんせ覚えることが多過ぎますから。本気で覚える気がないとまず無理ですから。
なのでうちの場合、バーテンが1人抜けただけでもう大変なんですよ。
職人が1人抜ける様なもんですから。
なぜ未だにオレがいざという時はバーに立たなければいけないか?って言ったら、
やはりそういう理由があるんですよ。
でもそれって、クラブレベルで言うとある意味非常に難しいことをやってるというか。
だから常に人手不足で嘆いてたりするんですが。
そう考えると、もうちょっと簡素で簡潔なバーにして、
ある程度誰でもバーに立てる様な環境にすべきなんじゃないか??
とはちょっと前からずっと思ってます。

とは言え、うちみたいなしょーもない店が、
三宿なんてどインディーな場所で20年もやってこれたのは(あと2ヶ月ありますけど笑)、
やはり群を抜いた酒のクオリティーというのは絶対的な要素ではあったと思いますし、
とりあえず20周年までは現状のままでいこう、というのはあって。
つってもあのバーを諸々変えるのも結構大変なのもあって、
20周年後にどうするかとかはまだ具体的には考えてないですけど。
そのままでいくかも知れないし。
でもどう変えたとしても、今よりもクオリティー下げたとしても、
オレが不味いと思うモノは絶対出しませんから安心してください(笑)。
どこをどうするにしても、まず大前提にそこを基準にしてますから。
いや、やっぱ歳を重ねたせいか、
昔とはちょっと酒に対する見方や考え方や捉え方が違ってきてるのはありますけどね。
今の三宿Webで考えると、こんなに酒の種類もいらないし、
作れるカクテルの種類も必要ないんじゃないか??とかも思ったり。
もしオレが完全に現役でバーテンに復帰して、
1つのバーを1からプロデュースするとかなったら、
恐らく全く違った形のバーにするとは思います。
いや、もう今や色んな部分で多様化や細分化されてきてますし、
今あるバーのほとんどの形態が、脈々と伝わってきてるクラシック且つ伝統的なモノを、
そのまま引き継いでるだけってことがほとんどだと思うんですよね。
なんかそれってどうなんだろ??とは結構前から思っていて。
勿論そういうクラシックな正統派のバーも絶対必要だとは思いますけど、
もっともっと新しいことが出来るとは思うんですけどね~。
まあ恐らくそれはWebでも今後やらないでしょうし、
Web以外の店のバーをプロデュースするなんてことも無いでしょうけど(苦笑)。
あ、Webが全面改装するとかなったら、一掃してもいいかな。
まあそれもまずないでしょうけど(笑)。


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ふとした瞬間に思うのが、オレほんとにバーテン上がりで良かったなあって思います。
前述した様に、バーテンのスーパーサブとして、
いざって時はバーにも立てるっていうのはやっぱでかいし、
普段結構大変なこととかもスタッフたちには指示したりもしてますけど、
オレが出来ないことはひとつも言ってないんですよ。
バーの大変な業務にしても、いざとなれば全部出来ますし、
実際過去にはやってきてることがほとんどなので。
やっぱそれって全然説得力が違うというか。
何でもそうですけど、ただ上から頭ごなしに理論上だけでああだこうだ言っても、
下の者からしたら内心、「じゃあおまえがやれよ!」とか「じゃあおまえ出来んのかよ!」
とかになったりしがちじゃないですか?
現場上がりか否かでは言う事も全く変わってくるし。
実際バーテンとして現役だったのは、4年ぐらいのキャリアしか無いんですけど、
CAVE、チェントコーゼ、ROOM、Webでバーテンをやった経験は、
非常に貴重で大きかったですし、一生の財産となってます。
でもそれもやっぱ、常に一生懸命やった結果が全て残ってるとも思ってますけど。
適当にやってたらなんてことないただの経験だったと思うし。
当時はどこの店でもほんとに必死にやりましたからね~。
まだまだ若輩者でしたし、酒も今ほど好きでも無かったし、
別にバーテン目指してた訳でも無かったんですが(笑)。
でもたまたま早くから色んな人に褒められたり、認められることが多かったので、
あれ?もしかしてオレってバーテンのセンスあんのかな??
って勝手にその気になったこともデカかったでしょうかね(笑)。

三宿Webももうすぐ20周年ですし、業界歴にしても非常に長い方だとは思いますが、
正直言って大したことは全然やってきてないんですよ、オレ。
ただ単に無駄にキャリアが長いだけで。いや、マジで。
でも、こと東京のクラブシーンの歴史に於いて、
"酒"という部分に関してだけは、間違い無く爪痕は残してきたとは思ってます。
この20年間、結構めちゃくちゃなことも三宿Webはやってきてますけど、
ギリギリのところで一目置かれてるのは、その部分なのかなとかも思いますね。
それ無かったら完全に色んなとこから、
あからさまにボコボコに叩かれてると思いますもん(笑)。

そんな訳で、今回も長々とご愛読誠にありがとうございました。
今後はどうなるかはわかりませんが、
とりあえず20周年までは今のままでいきますので、
それまではコレまで通り従来の三宿Web's BARを堪能してください。
今回もあほみたいな長文だったので、ここまで行き着いた人も少ないかも知れませんが、
もしかしたら読んだ人の中で、
「え??理由ってそんなこと??」って思った人もいるかも知れません。
そう、まさにそんなことなんです。
でもオレも大好きなラーメン食う時に毎回思うんですが、
スープが熱々かそうでないかでは味以前に全然印象が変わってきます。
オレがラーメン屋だったら間違い無く器も出す前に温めますから。
実際に、ラーメン自体は美味しいのに、
スープも器もぬる過ぎて行かなくなった店とかもありますし。
そういうちょっとしたところで大きく味の印象って変わるし、
そういうちょっとしたところにも拘りを持つ店が好きです。
三宿Webのバーは、今後もそういうバーであり続けたいと思ってます。
いや、オレがやってる限りは、間違い無くそうあり続けることを約束します。


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500


全然油断してたんですが、今回でなんと500回目みたいなんですよ。
前回アップした後ぐらいに気が付いて。表示されてる記事数見たら、
え!次で500回目じゃん!みたいな。
実は珍しく書きたいことが幾つかあって、
途中まで書いてる記事とかも幾つもあったりするんですが、
今まで節目の回(100、200、300、400回目)ってなにげに
毎回『○○回目のナガサワブログ』ってタイトルで、感謝の弁を述べたり、
CDプレゼントしたりしてるんですよ(懐かしい笑)。
なので書きかけのはとりあえず置いといて、
今回用に別に書こうかなあどうしようかなあと、ずーっと迷ったまま放置してた的な。
あとはなんだかんだとドタバタで、精神状態も常にギリギリで心休まる暇がなくて、
時間があってもブログを書く気分にならなかったのもありましたかねえ。

元々このブログは、最初は巷のブログブームに乗って、
思い付いたことを適当に書いてたりしてたんですが、
途中から段々と趣向がコロコロ変わっていって、同時に文字数も大幅にアップ。
いつしか、超長文こそがナガサワブログの無駄な醍醐味みたいになっていって。
でもTwitterの出現とともに、長文を書くのが一時は面倒になったこともありましたし、
それに比例して更新率もかな~り減りましたけど(汗)、
最近はまた逆に、"長文でないと伝えられないこと"を、
沢山の言葉や文章を使って、繊細に伝えるのも嫌いじゃなくなってきました。
まああんまり長過ぎて最後まで読んでない人も多いとは思いますけど…(苦笑)。

ちなみに今回、っていうか節目の時に毎回使ってる冒頭のトップ画像は、
知る人ぞ知る、オレが昔から大好きなテレビドラマ、
『ふぞろいの林檎たち』のオープニングの画像をサンプリングしてます(笑)。
そういえば、ここ数年久しく観てないんですが、最近また"ふぞろい"のDVD観たくなってて。
勿論パート1と2。一気に観たい気分です。まあ、もう何十回観たかわかりませんけど(笑)。
これももう何度も書いてますけど、オレにとっては原点とでも言える、
若かりし頃の人生のバイブルの様な、非常に重要なドラマです。
観たことない方は是非一度お時間あったら観て頂きたいですね~。

FUZOROI




実はブログを書いて以来ずっと内心ビビってるのが、
どっかから変な矢が飛んで来ないか…?ってことです(笑)。
今のご時世、ちょっと意見を述べようものなら、
色んな方向から矢が飛んで来たりしますからね~。
しかも投げてくるだけじゃなくて、ヤリ逃げ的な卑劣なのが多いじゃないですか?
そういうのが飛んで来たら嫌だなあ…ってのはずっとあって。
でも500回書いた中で、そういう類なコメントは2回だけでしたかね~。
しかも2回とも訳のわからない知ったかぶりのレベルの低すぎるコメントだったので、
全然ダメージも無く華麗にスルーしときましたけど。
ちなみにTwitterやFacebookとかでも同じ様に、
内心どっかから矢が飛んで来たらどうしよう…?的なのはあるんですが、
未だに1度もそういった類のは無いですね。昔やってたWebの掲示板とかでも無かったし。
そういう意味ではある意味無駄に嫌な思いとかはしてないので、
有り難いなあ~というか、良かったなあ~とは思ってます(笑)。
っていうかドリコムからライブドアに移行してから、
めっきりコメントが減ったのはちょっと淋しいです!(泣)。
皆さん、以前の様に遠慮無くコメント欲しいです!
あ、でもディスるのは勘弁してください!(笑)。


さて若干本題とは外れますが、4月突入してだいぶ暖かくなってきて、
めっきり春ですね~。待ちに待った季節の到来です。
プロ野球も開幕したし、草野球の方も今週から開幕だしと、
だいぶ楽しみは増えてはきてるんですけど、
気が付けば20周年まであと2ヶ月と迫って来てしまっていて…。
いや、ぶっちゃけまだ何も決めてなければ構想すらほとんど出来てません。
昨日からようやくちょっとづつ考え始めた段階というか。
前回のブログではなんとしても素晴らしい20周年を!とか書きましたけど、
正直、ある意味もう半ば諦めてます。
いや、もうでもしょうがないとも思ってます。
やっぱ1人じゃなかなか難しいし、
第一に相変わらずの人手不足で日々の営業のシフト組むのが精一杯で、
流暢に20周年のことなんて考えてられないというのが正直なところでしたし。
万が一オレが大怪我したとか、大病わずらったりしたらアウトな状況は変わらずだし。
まあでもしょうがないんですけどね。
ぶっちゃけスタッフの応募も何度かあったんですよ。
でも採用しなかったのはオレなんで。
こんだけ人手足りないのに、応募来ても採用しないなんて店、まず無いですよ。
でもやっぱ、オレの中ではこの20年、ずっとスタッフに関しては拘ってきたので、
それを中途半端に崩したくは無いんですよ。
だから、もしそれで人手がほんとに足りなくなって閉店とかなっても、
それはそれでしょうがないと思ってます。もしそれが20周年手前でも。
でも実際人手不足で大変な状況も含め、全てはオレの力不足だとは思ってます。
前述した20周年のことも含め。いや、悔しいですけどそれが全てですよ。

ほんと、ようやく後厄も抜けてひと安心と思ったら、
2月はまさかの2度の大雪で大赤字になるわ、
通算3度目のインフルエンザにはかかるわ、相変わらずの人手不足だわ、
ある程度は盛大にやろうと思ってた20周年も難しそうだわと、
ある意味災難や苦悩続きではありますが、
なぜか昨年下半期とは違ってそこまで凹んでは無いというか。
いや、ぶっちゃけ充分日々凹んでますけどね(笑)。
でも不思議なもんで、鬱っぽくなったりとかまではいってないというか。
まあある種の開き直り感もあったりもするんですが。
昨年7月末にあったマンションの水漏れ事故が、
半年経ってようやく保険金が下りたんですけど、
当初は数万円出れば良い方だと思ってたらなんと合計で40万近くも出て!
もう九死に一生を得るとはまさにこのことでしたよ!
マジで上京当時以来じゃないか??ってぐらい金尽きまくっててヤバかったですから。
それはなにげにかなりでかかったかも知れないですね~。
やっぱ蓄えあるのと無いのとでは、精神的な余裕が全然違うというか。

あとなにげに嬉しかったのは、
長年探し続けていた激レア盤であるマニア垂涎の山下達郎のJOYのアナログ3LPを、
遂にゲット出来たのはかなりテンション上がりましたね~。
いい加減そろそろ出るであろうライブ盤"JOY2"発売時に、
なんとJOYアナログ20年振りの再発の噂もある中で、
盤にキズも多くて状態もイマイチだったしで、
敢えて今高額出してまで買う必要性も無かったっちゃあ無かったんですが、
初めてモノホンのジャケット見たら鳥肌立って思わず常軌を逸した的な…(笑)。
試聴しながらめっちゃ迷いましたけどね~。まあマニアとしての意地もありましたかね…。
でもやっぱ出音も全然違うし、なんと言ってもDJの時に断然使い易くて!
勿論やっててテンションもめっちゃアガるし(笑)。
なので今となってはいい買い物出来たし、ほんとに良かったですね~。
とは言えまあ、高い買い物でしたけど!(苦笑)。

JOY




もうひとつ個人的にテンション上がることがあって。
ずっと前から考えていた長年の構想というか、当面の現実的な目標がようやく見付かって。
あ、全然個人的なことですけど、それはかなりでかかったですね~。
まあそれ書くと更に長くなっちゃうので、それに関してはまた改めて書こうとは思ってます。
とは言えオレって今年運勢大吉なハズなんですよ。
今のところ全然大吉感ないんですけど…(苦笑)。
これからちょっとづつでも運気上がるといいですけどね~。
ま、あんまり期待もしてませんけど。
とりあえず当面は6月の20周年の諸々に奔走する日々になりそうな気配です。
もはや如何にも20周年的な盛大な感じには出来ないとは思いますし、
かなり地味な感じにはなるかも知れませんが、
今からやれるだけのことは精一杯やりたいとは思ってますので、
これを読んでくれている数少ない関係者各位の皆さま、
何卒、何卒、お力添え、ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
既に昨日Twitterやfacebookで軽く書いたら、
何人かの人からわざわざ有り難いメッセージ頂いたりして。
いやあ、ほんとに有り難い限りです…。
とりあえず早急に、16周年→フリスク、17周年→ミシュラン、
18周年→エビアン、19周年→ヴィヴィアンときて、
記念すべき20周年は何をメインモチーフにするか、
6月の営業時に付けるノベルティにも関わることなので、
集中してなるべく早く考えないとなあとは思ってます。

ANV




本題に戻りますが、とりあえず長きに渡りご愛読して頂いている数少ない皆さん!(笑)、
誠にありがとうございます!
こんなだらだらとした超長文を読んで頂き、感謝しかございません!
ちなみに既にもうちょっとで書き終わる記事もあるし、他にも書きかけの記事もあるので、
近日中に、いや、ヘタしたら今日中に新たに更新しちゃうかも知れません!
そして次回はまたちょっと興味深い話かも!(多分)
そんな微妙な期待を持たせつつ、今回はこの辺で。
今後ともひとつ、たまにでいいので、ナガサワブログをご愛顧のほど。
何卒宜しくお願い申し上げます!

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2011年1月末から三宿Webで手作りおむすびの販売を開始したんですが、
気が付くとこの度3周年を迎えました。
まあ厳密に言うと来週末でなんですけど、来週はちょっと入稿前とかで忙しそうなんで、
ほぼ3周年ということでひとつ(笑)。
最初はほんとにノリで始めた様なもんだったんですが、
まさかこんなに続くとは思ってませんでした。

2011年の正月辺りに実家からお米が届いて。
それが山形の新しいブランド米として出来たばかりの"つや姫"でした。
実家は兵庫ですが、生まれが山形なので、親戚もまだ居たりするので、
山形の林檎とか米とかさくらんぼとか、時折実家から送られてくることがあるんですが、
勿論当時はつや姫の存在は知りませんでした。
で、1月の某日にご飯が食いたくなって、そのつや姫を炊いてみたんですよ。
そしたらもうご飯のツヤから味から全然違って!
なんだコレ!?めちゃめちゃ美味いな…と思って。
つや姫のファーストインパクトは、それはもう凄かったです。
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結構前から実は、Webで何か簡単なフードとか出したいなあ…とは思ってました。
やっぱ酒飲むと小腹減るもんだし、
ちょっとしたフードとかあるといいよなあ~とは思ってました。
でも仕込むのも大変だし、何がいいんだろう…?とは思っていて。
でもその1つのメニューの候補として、おむすびってのはあって。
とは言え普通に素人がおむすび作って出しても、
なんか味気ないなあ…ってのもあって。
どうせ出すならおむすび屋で出してるレベルの、
めちゃくちゃ美味しいの出したいじゃないですか。
つや姫を食べた瞬間、こんだけお米のポテンシャルが高いなら、
本気で頑張れば美味いの作れるかも!ってふと思ってしまって。
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ちなみに昔から炊き立てのご飯が大好きでした。
上京したての頃とか、勿論全然金も無かったので、
毎日の様にご飯は炊いてましたが、全然美味しく炊けなくて。
確か当時ではそこそこいい炊飯器無理して買ったハズなのに…。
色々試行錯誤しても全然美味しく炊けなかったですね。
2004年にそれまで使ってた炊飯器から、IHの炊飯器に変えたんですが、
前のよりは美味しく炊ける様にはなりましたが、
自分が求めてるレベルまででは無かったんですよね。
どうやったら美味く炊けるのかな…??とはずっと思ってました。
ちなみにお米は安めなのじゃなくて、
基本的にはコシヒカリをずっと使ってたんですけど、毎回炊きあがるご飯は、
全然自分が描いてるコシヒカリのポテンシャルには程遠かったですね〜。
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今まで我流というか適当にやってたけど、これを機にお米の炊き方を1から勉強しよう!
そしてどうやったら美味しくおむすびが出来るかも併せて勉強してみよう!
と思い、思い立ったが吉日、それらに関するサイトとかを見まくって、
めちゃくちゃ勉強しました。
そしたら、あぁ、やっぱ今までのやり方は如何に愚かだったかを思い知って。
当時はずっとめんどくさがって無洗米使ってましたし。

ご飯の炊き方に関しても、微妙な勘違いとか無知が多かったんですが、
驚いたのはおむすびの作り方でした。
おむすび作りに精通していないほとんどの人は、
『おむすびの極意とは、如何に握るか』とか、
いわゆる握り方にあると思うじゃないですか?
いや、勿論オレも例外なくそうでしたし。
じゃなかったんですよ、それが。
もうズバリ言いますけど、

究極のおむすびとは、握っちゃいけないんですよ。


わかりやすく言うと、美味しいおむすびの最大のポイントって、
如何に米と米の間に空気を入れるか?が非常に重要なんですよ。
よく美味しいおむすびって、
口の中に入れた途端にお米がパラッとばらけたりするじゃないですか?
逆に、美味しくないおむすびって、米同士がくっついてニチャッとしたり。
なので、出来るだけ握らない方がいいんですよ。
握力の数値で言うと、限りなく0で握った方がいいんです。
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前に久し振りに食べてビックリしたんですが、
今やコンビニのおにぎりって結構美味しいじゃないですか?
特にセブンイレブンやローソンのおむすびとかってかなりレベル高いんですが、
実は両社とも前述した米と米の間に空気を入れるという技術を、
各社独自に開発したらしいんです。それから格段と美味しくなったという。
道理で!とは思いましたね〜。
実際セブンやローソンのおにぎりって、
一口食べた瞬間にお米がパラッとばらけますもんね。
でも前に、最近のコンビニのおにぎりも進化したなあ〜と感心して、
うっかり某マイナーなコンビニでおむすびを買って食べたら、全然美味しくなくて。
いわゆる米同士がくっつき過ぎてるぐちゃっとしたおにぎりで。
あ~!昔のコンビニのおにぎりって確かにどこもこんな感じだった!!
と再確認しました。

握力0のおむすびがどういうモノか?どれだけ美味しく感じるか?
是非1度下記の方法で試して頂きたいんですが、
まずご飯を硬めに炊きます。
そのご飯を軽く冷ましたら、お茶碗かお椀に適量のご飯を入れて、
適量の塩を振るなりしてから、その器をトントントンと軽く上下してみてください。
すると重力の関係でご飯がどら焼き型になっていきますので、
裏返して同じ様にやってください。これで出来上がりです。
このままではまだおむすびとしては形が形成されていないので、
それをラップでくるんでください。
そのままの形でもいいですし、三角にしてもまん丸にしてもいいです。
でもその時気を付けて欲しいのは、極力無駄な力は入れないということ。
お米が潰れない程度にそっと形付けます。
ちょっと時間を置けば完全なおむすびの出来上がりです。
出来上がり時にはばらけ過ぎてたおむすびも、
お米の持ってる粘着力により、冷めると綺麗にくっついてます。
それを食べてみてください。ビックリするぐらい美味しいハズです(多分)。

いや、同じ事を自分もやったんですよ。一番最初に。
そしたら笑っちゃうぐらいに美味しく出来て(笑)。
その時に「よっしゃ!コレなら売り物として人前に出せる!」
って確信したというか。
まだまだ当初は全然精度は低かったですけどね。
勿論おむすびの作り方の大まかなコツは『握らない』でしたけど、
それ以前に、まず美味しいご飯を炊かないと正直意味が無いのも事実です。
そこも自分なりに色々と試行錯誤して研究しましたけどね~。
研ぎ方も全然間違ってたし、使う水とか、水加減とか、
炊く前にお米に水を吸わせることも面倒でほとんどしなかったし。
炊きあがったらすぐに水分飛ばすとかも全然知らなかったし。

ちなみにWebで販売してるおむすびって、
ミネラルウォーターを使って炊いてるんですが、
3.11の地震直後って、水がちょーーー不足したじゃないですか??
どこ行っても売り切れ状態が1ヶ月以上は続いたと思うんですが、
当時は数少ないミネラルウォーターの2Lペットを見付ける度に、
自分の飲料用ではなくて、おむすび用に使ってました。
それぐらい気合い入れてましたね〜。
写真2



気が付くとおむすびのご飯の話しに終始してしまいましたが、
おむすびを出そうと思った時に、具をどうしようかと。
最初はやっぱ肉っけあった方がいいだろうということと、
以前Webの近所のローソンが『新鮮組』というコンビニで、
"スパムおむすび"を売ってて、好きでたまに買ってたことと、
ありきたりな具だとオリジナリティも無いしということで、スパムにしました。
スパムも普通に買うとなにげに結構な値段するので、
わざわざ沖縄のショップからケースで買ったりしてました。
スパムの臭いが嫌いで、途中からチューリップに変更して(沖縄ではスパムよりポピュラー)、
味もとろけるチーズを挟んだり照り焼きソースにしたりと、色々と試行錯誤しました。
チューリップ以外では、うずらのベーコンエッグを始め、
生姜焼きとか、明太子の醤油漬けとか色々やりましたね〜。
でも結局最終的には、チューリップを看板メニューにしてましたが、
前から個人的にはいまいちチューリップは好きでは無くて。
いつも店で売れ残ったら持って帰って食べるんですが、
正直重くて1個ぐらいで充分というか…(苦笑)。
そんなこともあり、去年の6月にスパムスライサーが壊れたタイミングで販売を終了。
それ以降は元々個人的に大好きだった"うずら3玉のベーコンエッグおむすび"を、
ノーマルとハバネロソース入りとに分けて、看板メニューとして販売してます。
これは昔からほんとに好きで、3つぐらい平気で食えるぐらい好きです。
でもこれを看板にしてからというもの、まあ当然と言えば当然なんですが、
うずらの卵の消費量が尋常じゃなくて。
っていうか基本的に普通に生活してて、うずらなんか滅多に買わないじゃないですか??
大型店舗の碑文谷ダイエーでよく買ってるので多分大丈夫だと思いますが、
ちっちゃい規模のスーパーだったら間違い無く店員同士の間で、
「うずらくん」とかあだ名付いてるレベルですよ(笑)。
もしかしたらもうとっくに付いてたりして!
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2008年まで長年住んでた代官山には、
当時おむすびの専門店が2軒ほどあってどっちもほんとに美味しくて。
20代の頃とかは、いつかはおむすび屋とかやりたいなあ~とかも、
うっすら考えたことがありました。
でも美味しいおむすび作るのって、相当な技術が必要なんだろうなあ~って思ってました。
まあ今となっては大して難しくはなく、実に簡単なことでしたけど(笑)。
とは言えやっぱり、微妙に奥が深いですけどね。
ちなみに最近勉強がてらに色んなところの手作りおむすび食ってみてるんですけど、
正直言って全然美味しくなくて。
なんちゃってなおむすび専門店とか、
近所に出来たスーパーの惣菜コーナーの手作りおむすびとか、
ちゃんとした和食の店のおむすびとかも、
一見美味そうに見えるんですが、一口食ってみるとその差は歴然で、
「え??全然オレのおむすびの方が美味いやん…(苦笑)」
って思ってしまうことが多々。
オレのおむすびの精度が上がったのか?、
ちょっと前までは美味いと感じてたセブンやローソンのおむすびとかも、
前ほど美味しく思わなくなったんですよね。
いや、自画自賛で恐縮ですが、自分が作るおむすびが、今は何を隠そう1番好きです。
それも塩味だけの銀シャリとか、醤油垂らしただけとか、シンプルなやつ。
もうちょっとしたご馳走ですよ。
まあなにげに作るの時間掛かるので、面倒なので滅多に作りませんけど。
でもアホみたいに安上がりだし、自分のおむすびが好物とかって、
ある意味どんだけ幸せなんだろうと思いますけどね(笑)。
でもやっぱ、美味しいおむすびってちょっとした幸せを感じたりしますよね~。
ほんとにシンプルな食べ物ですけど。
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余談ですが、"おむすび"と"おにぎり"の言い方の違いに関しては、諸説あるみたいですが、
コレ!っていう厳格な決まりみたいなのは無いみたいです。
基本的に現代の共通語としては、意味の違いも地域の違いもほとんど無いと言えるそうです。
でも個人的にはなんか、"おむすび"っていう響きが上品な感じがして好きなので、
おむすびって呼ぶ様にしてますけど(笑)。

そんな訳で、まだまだおむすび作りは地道に探究していこうとは思ってます。
今回ブログを書くに当たって改めて3年振りに色々と調べてみたら、
こんな説もある!とか、こんな方法もある!とか、こんな意見もある!とか、
色んな文献もかなり参考になりましたし。
そんな訳で、販売用のは特にですけど、一切妥協せず、丁寧に且つ拘りをもって、
美味しいおむすびを作っていきたいと思ってます。
今後も慢心なく精進して参りますので、
何卒ご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます!

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あけましておめでとうございます!
三が日明けてからというもの、
マンスリーの入稿→店内大掃除→店内プチDIY→作品展示→営業開始と、
もうずーーーっとドタバタてんやわんやで、ようやくやっと昨日落ち着いた的な。
さて、遂に2014年突入です。
2014年という年は、なんと三宿Webが20周年を迎えてしまう年です。
まあ6月まで続けばの話しですが…(笑)。
そんなこともあり個人的には、
非常に感慨の深い年が遂に始まってしまったという感が強いです。
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いつもは年末ってなんか、あぁ今年ももうすぐ終わるのか…
的な一抹の淋しさも感じたりするんですが、なんせ下半期が最悪だったのもあり、
一刻も早く年が変わって欲しい!!の一念だったというか。
最後はなんか怒濤の様でしたね~。
2001年8月から始まった【申し訳ないと】のファイナルも、
予想以上の伝説的な終幕だったし…。
入りも凄かったのもありましたけど、終わったのが朝9時ぐらい。
次の日も営業あったので、10時には残ってたスタッフも上げちゃって、
オレ1人で片付けてたんですが、店出たのが11時…。
まあとりあえず無事に終わって良かったですけど。
それにしてもうちの伝説のパーティーである
【ESCAPE】や【VEGAS】もそうですけど、
一時代を築いたモンスターパーティーの最後はかくも壮絶なり…。
しかもよりにもよって当日スタッフが足りなくて、もうそれはそれは大変で。
更には翌日早いので最後まで働けないスタッフも多い日で、
もうほんとに色んな意味でギリギリな営業でした。
色んな人たちの協力でなんとか助かりましたけど。
いやーマジで感謝。危機一髪。ほんとにギリギリだったな…。
さてそんな訳で、2013年という年を総括する前に、
まずは去年に引き続き、2013年オレ的10大ニュースを勝手に発表します。



10位.半年の間に2度も高熱でダウン
思えば昨年末最終営業日終了直後に高熱→翌日ノロ発症で、
1人ベッドの上でうなされながら年越しという史上最悪な大晦日と元日を迎え、
大厄の年越しの怖ろしさを身をもって経験したんですが、
6月末にも疲労からくる夏風邪こじらせて40度の熱出しちゃって。
翌週からロンドンへ行く予定だったので、通常の倍の量の仕事を片付けてたのもあって、
疲労がピークに達したんでしょうが、それにしても半年の間に2度も高熱出すとかって、
過去には余り記憶にないというか。
あ、3年前には夏に2度ってのはありましたけど、常に気が張ってるせいか、
なにげに高熱とか滅多に出ないんで。
ちなみに今年の元日も突如発熱して、2年連続での元日発熱寝正月と、
本厄&後厄の怖さをまざまざと体感しました。
しかしオレって、過去に40度の熱出したことが通算4度あるんですが、
オレの中の精子がちゃんと生きているのか心配でなりません…。
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9位.遂にガラケーからスマートフォンへ
タッチパネルなんか嫌いだ!的に、
ずーっと毛嫌いしていたスマホに、去年の2月遂に機種変しました。
しかもこれまた毛嫌いしていたiPhoneに。
まあ詳しくは過去の【ここ3ヶ月ぐらい総ざらいブログ】をご参照の程。
いや、やっぱなんだかんだ言って世界が変わったというか。
言うまでもないですけどとにかく便利。
やっぱ電池の持ちはガラケー時代に比べるとビックリするぐらい消耗早いですけど、
ほんとにちっちゃいMac持ち歩いてる様な感じですね。
iPhone購入を後押しした感もあった、
同時に併せて購入した防水・防塵・耐衝撃のiPhoneケースも、
見事なまでに活躍してくれていて。
長らく使っていたガラケーのG-SHOCK時代に比べても、
落とそうが濡らそうが全く問題無くて、全然ストレス溜まらないし非常に快適です。
しかしもうiPhoneあったらいくらでも長風呂出来ますね~。ほんとに便利。
これとか9位という低位置にランクインしてますが、
上位が濃すぎるので仕方なく下位にしてますけど、
日々肌身離さずほんとに重宝してるし、
ある意味全然もっと上位でもいいぐらいの変化はあったかも知れないですね~。
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8位.夏の海
オレの中では夏に海に何回行けるか?どれぐらい楽しかったか?で、
その年の夏が決まるってぐらい、なにげに非常に重要なポジションを占めているんですが、
去年は夏に4度も海に行けました。
初海はまさかのロンドンのブライトンビーチを皮切りに、
久し振りに鎌倉の花火大会も行けたし、
2001年から毎年必ず行ってる大好きな一色海岸も2回も行けたし、
しかも2回ともちょー楽しかったし、
ひょんなことから材木座海岸目前の素敵なおうちに泊まらせて貰ったりとかもあったし、
もうほんとに言うことないぐらい、これも上位でもおかしくないぐらい、
充実した最高に楽しい夏でしたね~。
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7位.簡易ステージ作り
これも以前のブログで詳しく書いてますけど、ほんとに大変でしたね~。
元々は数年前から構想はあったんですが、
なっかなか行動に移せないでいたんですが、一念発起して重い腰を上げた的な。
設計から製作まで色々ああでもないこうでもないと、
シミュレーションしながら1人でやったんですけど、
マジでこう見えてこういうの大の苦手なんで、ほんとに疲れ果てました…。
でもお陰で今やちょっとしたライブの時には欠かせないですし、
頑張って作って良かったなあ~って毎回ライブある度に思います。
いやーほんとに大変だったけど、作って良かったです。
これも上位でもおかしくないぐらいの大変な一大行事でした。
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6位.三宿Webが19周年を迎えました
いやー毎年毎年がもうほんとに大変なんですが、
お陰様でどうにかこうにかなんとか19周年を迎えました。
19周年のテーマロゴは言わずと知れたヴィヴィアンのサンプリング。
いつもはパッとネ申が降りてくるんですが、去年は全く最初はアイディアが思い付かなくて。
いやあ~マジで今までで1番難産だったかも知れないですね~時間もめっちゃ掛かったし。
でも最後の最後まで妥協しないで納得いくまで考え抜いた甲斐もあって、
結果的になかなか評判も良かったですし、
オレの中でも2013年の19周年にばっちりフィットした、
想い出深いデザインとなりました。
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5位.猫虎今季最終試合Wヘッダーで3割確定+最多安打奪取!
これも過去のブログで書きましたので詳しくはそちらで。
いや、でもほんとに嬉しかったなあ、これは。
特に最悪な時期だったので、自分のテンション上げる為にも、
是が非でも3割はキープしたかったんですよね。
それが蓋を開けてみれば、まさかの最多安打奪取も勿論嬉しかったんですが、
なにげに打率と出塁率で3位入賞したのがとても嬉しかったです。
今年も最低限の結果を残せる様に、自分に負けずに日々精進です。
去年は猫虎結成12周年。個人成績もそうですが、初のナイター開催もめっちゃ良かったし、
再スタートを切ってから、ようやくチームメイト同士が仲良くなってきて、
いいチームになってきてるのを実感出来たのも、個人的には非常に嬉しかったです。
いや、ふとした時に思いますけど、綺麗な野球場で、平日の朝に、
気の合う仲間たちと、楽しく野球が出来ているというのは、
ほんとうに有り難く、そしてとても幸せなことだなあとつくづく思います。
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4位.山下達郎"PERFORMANCE 2013"@中野サンプラザ 12/24火 千秋楽!
これ実は、わざわざこのことだけをブログで書こうと思って、
一旦は書き出してたんですが、直後あほみたいに忙しかったので結局お蔵入りしたんですが、
ほんと、もうそれぐらい興奮したというか。
TwitterやFacebookにはちょこっと書きましたけど、
ほんっっっとに今回セットリストが良かったんですよ。
2008年から再開したツアーは計4回、
友達の拓郎くんやノーナの郷太くんなどのご厚意もあって、
幸運なことに全て行けてるんですが、
正直言って今回のセットリストがダントツに1番好みでした。
ちょっとマニア向けのセレクトというか。
勿論後半とかはいつもの誰でも楽しめる様なセットリストではありましたけど。
達郎のライブ行って初めて泣きましたもん。しかも都合4回も。
いや、プラスあと3回ぐらいは泣きそうになってたかも。
まさか演ってくれると思ってなかった"FUTARI"はイントロのピアノで鳥肌立って涙出たし、
"DANCER"もほんとにまさかだったから感極まったし、
"メリーゴーランド"や"LOVE SPACE"もほんとに良かったなあ。
言うまでもなく定番の"SPARKLE"も素晴らしかったし、
いつも以上にグルーヴ感を感じた"PAPER DOLL"も最高だったし、
故・青山純さんを偲んでの"希望という名の光"〜"蒼氓"も涙出たし。
達郎に本格的にハマる結果となった2002年の想い出の曲、
"JOY"収録の"FUTARI"、"メリーゴーランド"、
アレンジは"JOY"のそれとは違いましたが、"GOD ONLY KNOWS"も演ってくれたのは、
ある意味ようやく重い重い一生忘れられない2002年の辛い想い出を、
まるで浄化させてくれている様な気がしました。
あとはなんだかんだ言って1番好きな"プラスティック・ラブ"も演ってくれたら、
もう何も言うことはなかったんですが、
さすがにそこまでは欲張り過ぎか…とは思いましたけど(苦笑)。
あと過去何度も観てはいるものの、クリスマスイブに観る生クリスマスイブは、
それはそれは何十倍もの破壊力でめちゃくちゃグッときたし、
もう充分お腹いっぱいの上に、最後の最後にまりやさんも出てきて2人でデュエット!
いやあ~やっぱツアー千秋楽ってこともあって、
通常のセットリストに加えて多めに曲やってくれたりで約4時間ですよ!
もうなんかほんとに、例えば料金後払いシステムのライブで、
終わったあとに出口で「2万円です」って言われても全然文句無く払うってぐらい、
素晴らしくたまらない濃い内容でした。
特に辛いことがずーっと続いた後だったのも手伝って、一服の清涼剤的な夜だったというか。
いやーほんとに癒されました。
なんかライブ以降更に達郎を好きになってしまって、最近家に居るときはもっぱら、
膨大な量を所有しているレアライブ音源を改めて聴き倒してます。
余談ですが翌日のクリスマスは、これまた毎年1年に1度の楽しみにしている、
TBSで放映の『小田和正のクリスマスの約束』を家で1人で観たんですが、
去年のも非常に良かったですね~。これまたちょー癒されました。
前にも書いたかも知れませんが、オレって実はクリスマスイブが1年の中で1番好きな日で。
勿論クリスマス当日も好きですけど。
ロマンティックフェチのオレからすると、
言わばこんなにロマンティックに浸れる日は無いんですよ(笑)。
いやなんか、こんな充実したイブとクリスマスなんか過去にあったっけ??
ってぐらい、とても素晴らしい、ロマンティックに浸れた2日間でした。
まあどっちも1人でしたけどね(笑)。
いや、オレからしたら、1人のクリスマスイブこそ最高の醍醐味なんですよ。
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3位.LINEのジェームズコスプレが大人気
毎年ハロウィンはプレッシャーがハンパじゃなく、
ほぼ毎回イベント前になるとノイローゼ気味になったりもするんですが、
去年も忙しかったのも手伝って全然モチベーションが上がらず
(っていうかもうええ歳やしぶっちゃけ仮装とかしたくないというのが本音)、
ギリギリまで何やるか考える暇すらなかったんですが、
3日前ぐらいからさすがに本域で考え出して、神経集中して考えまくったんですが、
当初は違うのをやる予定でついくつか候補を念頭に置きながら、
それらの衣装が当日まで揃うかどうかのリサーチも兼ねて、
渋谷の街をふらふらと歩き回ってたんですが、その時にふと思い付いて。
LINEのキャラってめちゃくちゃ認知はされてるけど、仮装となると意外と新鮮かも…って。
衣装の準備もシンプルだから簡単そうだったし、想像した段階で相当オモロかったので(笑)、
絶対いける自信はその時既にありました。
元々オレのハロウィンの仮装って、いわゆる流行モノとかは絶対嫌で、
『よく見ると(もしくはよく考えると)ぷっと吹き出す様なシュール性の強いキャラクター』
っていうのが毎回のテーマなんですが、
LINEのジェームズって、今時で言えばもう大半の人がLINEを使っていて、
ジェームズのキャラも何かしらで使ってたりインプットされているにも関わらず、
意外と記憶の中ではスルーされてる存在というか。
もう正にコレだ!!って思いましたね。
しかも毎回誰か他にやってる人いないか検索してチェックしたりするんですが、
全然やってる人とかいなくて(笑)。
ヅラも金髪じゃなくて黄色!っていう拘りから、探しまくったんですが意外と無くて。
しかも時間も無いということで、ほんとに焦りました。ヅラが命的な部分もありましたし。
とりあえず探しに探しまくってようやく前日に見付けて、
イベント当日の昼に届くというドタバタっぷりでした。
しかも届いて自分でイメージに近くなる様にハサミでカットして。
とは言え当日になると自信なくなってきて、
「思ってるよりちょっと微妙かも…」とかも思いましたが、
蓋を開けてみたら過去ハロウィン史上でも3本の指に入るぐらい大受けでした(笑)。
勢い余って年末の大忘年会でも再度やったんですが、
これまた大受けで非常に皆さんにも楽しんで頂けた様でなによりでした。
いやもうほんとに今回は発想の勝利だった気がしますね~。
ネ申さま、マジでありがとう~!!
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2位.14年振りのロンドン旅行
こちらも9時間も掛けてブログ書いてますので、詳しくはそちらを(笑)。
いやーでも、ほんとに一生の想い出になりましたね~。
正直言って、3月頃に今年はロンドン行く!宣言をしてから、
まさかほんとに行けることになろうとは思ってもみませんでしたけど。
でもある意味夢を抱いてロンドンへ行って、
思い掛けず愕然としたことや、愕然としてそこから気付いたこととかもあり、
良くも悪くもほんとに行って良かったと思ってます。
百聞は一見にしかずじゃないですけど、
ほんといい部分も悪い部分も、今のロンドンを肌で感じ取れて良かったですし、
色んな犠牲も払いましたけど、
終わってみればやっぱ何事にも代え難い貴重な経験だったと思ってます。
あと10日間の半分相手してくれた元スタッフのユキには改めてほんと感謝です。
ユキがアテンドしてくれた早朝から夜中まで丸一日遊んだブライトンへの小旅行は、
間違い無く去年1年で1番楽しかった1日だったと思います。
なんか行った直後は、もう行くことないかな…とかも思いましたけど、
やっぱまた行けるタイミングと余裕があれば、行ってみたいなあとは思います。
正直行く前ほどの情熱は無くなりましたけど、未だにやっぱユニオンジャックは好きだし、
ロンドンも好きな街には変わりません。
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1位.鬱の下半期
いやー正直ロンドン旅行とどっちを1位にするか迷いまくったんですけど。
でもやっぱほんとにきつかったので、結局こちらを1位に選びました。
詳しくはこれまた過去のブログをご参照の程。
ぶっちゃけ実は最悪なことばかりではなく、
とてもとても楽しかったことも多々あった下半期ではあったんですけど、
最後にドーンと最悪なことがあって全てが最悪な想い出に変わった的な。
終わり良ければ全て良しの逆のパターンとでも言いましょうか。
ちなみに、さすがにもう無いだろうと思ってブログで書いたのもあったんですが、
直後にもなんともう1回あって…。12月中旬頃でしょうか。
いや、今ってただでさえスタッフ不足でほんとに大変なんですが、
バーテン出来るスタッフの子が急に1月で辞めることになって。
知っての通りうちのバーはすぐに憶えられるレベルではなく、
ある程度でもちゃんと出来る様になるまでは非常に時間が掛かるんですよ。
そういうことも考えるともうなんか目の前まっ白になっちゃって。
ぶっちゃけ12月もバーチーフの博之が舞台があったので、
シフト組むのもてんやわんやだったのもあったんですけど、
それにも増して1人減る…もうダメかも…っていう絶望感が猛烈に押し寄せて来て。
落ちるだけ落ちたら逆に、完全に開き直りましたけど。
もうなるようになるとしか考えられないというか。
でも年末にバーに立ちながらふと思ったんですけど、
うちの最大のメリットって、オレがバーテン上がりってことだなあとつくづく。
いざとなったらオレが最強のスーパーサブになれるっていう。
もう最悪、オレがバーテン復帰すればどうにか出来なくはないか…とかも思って。
そんなこと言っても、病気や怪我とかしたら即アウトですけど。
思えばここ数年ずっとそんな綱渡りの状態が続いてますが、
去年も高熱出したりノロかかったり発熱したりしましたけど、
奇跡的に営業には差し支えない時なので良かったんですけどね。
まあ気合いが入ってる時はウイルスも体内に入って来れないのかも。
でもいつなにがあるかわからないですし、
ほんとに常に予断を許さないっていう状況には変わりないですけど。

ちょっと前のブログでは書きませんでしたが、
実は下半期の鬱に入りやすかった要因の1つとして、金運がもう最悪で。
滅多に行かないしとロンドンでは結構金使っちゃったんですが、
まあまた地道に貯めればいいやぐらいの気持ちでいたんですけど、
8月9月は旅行で使ったクレジットの返済が大変でしたし、
そんなこととは裏腹に、8月以降店の売上げがイマイチ良くなくて、オレの給料も激減。
もうなんとか日々の生活を節制してギリギリのレベルだったんですよ。
当然のごとく欲しいモノも買えないばかりか、外食も極力控えて自炊自炊の毎日。
おむすび売ってなんとか食い繋いだ感はありましたね〜。マジで。
でもなんとか耐えようにも売上げも上がらずというのがずっと続いて。
11月はもうほんと限界点まで達する直前でしたね。
生活するのもやっとの給料で、しかも出費がハンパじゃなくて。
なんとかその場凌ぎのクレジットで凌ぎましたけど、
11月の売上げがアウトだったらもうオレもアウトぐらいの感じでした。
いや、マジで11月と12月の中旬ぐらいまでは、
これだけ金が無いのって、上京した当時以来じゃないか??ってぐらい金が無かったです。
情けない話し、それぐらい切羽詰まってましたねえ。
でも11月はなんとか最低限の売上げはあったので、ギリギリ助かりましたし、
12月も、その返済に追われてこれまたギリギリの生活を余儀なくされてたんですけど、
中旬以降に、虎の子のブツをヤフオクで売ったら予想以上に高値が付いたり、
その他諸々ちょっとした臨時収入が続いて、
なんとか一命を取り留めたというか、最低限の年越しが出来たというか。
でも常に、この歳でこんだけお金が無いって、なんかもう自分が情けなくなっちゃって…。
そういうストレスも、鬱に入りやすかったベースにはなってましたね。
ただでさえそういうストレスが溜まりまくってた時期に、
非常にショックなことがたびたび起きて、
ドーンと一気に鬱突入というパターンがほとんどでした。

そんな訳で、9月以降は最後の最後まで鬱に悩まされた下半期でした。
なんか嫌な想い出がその年の1番っていうのは正直言って嫌ですけど、
やっぱ人生ってそういうのも受け入れていかないと前に進めない気がして。
そういう意味で、残念ながらこれを1位にしました。
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2013年という年は、もうほんとに喜怒哀楽が詰まりまくった、
最高なことと最悪なことが同居した劇的過ぎる1年でした。
上半期は昨年に引き続き仕事に明け暮れた様な半年間、
近年希にみるほど充実した夏を過ごして、
秋になり一転、何度も鬱に陥るという最悪な下半期。
97年の初海外となるニューヨーク旅行、
98年のロンドン・パリ旅行、99年のパリ・ロンドン旅行も然り、
やはり海外に行った時のインパクトは何物にも代えられないほどの大きなモノだったし、
去年のロンドン旅行も、例外なくインパクトの強い10日間でもあったし、
普通に考えたら間違い無くダントツに、去年1番の印象深い出来事であったハズなんですが、
ほんっっっとにきつかったんですよ。久し振りに感じた絶体絶命感というか。
精神的にもうどん底の状態で、
「もしかしてもうこのまま戻って来れないんじゃないか・・・?」
って思ったことも何度かあったぐらい。
マジであんな嫌な想いは出来ればもう2度と経験したくないですね。
ちょっとした一生消えない心の傷を負った様な、一生忘れられない下半期だったかも。
2013年という年を漢字1文字で表そうと思うと、
ほんとはイギリスを表す『英』にしたかったんですけど、
やっぱりというか『鬱』になっちゃいますかね…。
よく往年の大投手とかがこぞって、
「いいピッチングして抑えた時のことより、打たれたりガックリきた記憶の方が、
なぜか印象深いもんなんだよね~。」
って言ったりしてるのをよく耳にしますが、まさにそんな感じでしょうか。
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冒頭でも書きましたけど、
今年は6月で三宿Webが遂に20周年を迎えてしまうという、記念すべき年です。
いや、去年の修羅場をどうにか越えられたので、
もうここまで来たらなんとしてでも20周年までは続けたいなあとは思ってますけど。
まあ有り得ないハプニングさえなければですけどね。
20周年に対するちょっとした重圧みたいなものはずっとあって。
去年の夏を越えたぐらいから自分の中で意識が強くなってきて、
正直かなり憂鬱にもなってました。
いや、オレの中では、20周年だから何かでかいことやろうとか、元々全然無くて。
小箱は小箱なりに、地味に20周年迎えるのが1番いいと思ってて。
でもやはりというか、周りの声はそうではなく。
「20周年ですよ!でかいところででかいことやりましょうよ!」
的な声が圧倒的に多くて。勿論気持ちはわかりますけどね。
でも正直言って、一昨年末に20周年を迎えたROOMの様に、
うちにはああいうスタッフ一丸となって的なマッシブ感は無いんですよ。
勿論出演者の方々は少なくとも協力してくれるかも知れないんですけど、
基本的に諸々の細かいことはオレ1人で全部やらなきゃいけないし…。
とは言え、やりたくないけどなにかしらやらなきゃいけないのかな…
的なのが夏過ぎぐらいから凄く強くなって。
鬱に入りやすくなってたベースの要因として、1つはこれもありましたね。
常に心のどこかに重圧を感じてましたし。

しかも前述したスタッフ不足もあって、正直マジで6月までなにがあるかわからないし、
流暢に20周年がどうとか考える余裕も無いのも確かです。
まあでも勿論6月まで無事続きそうであれば、
5年振りにアニバーサリーイベントの【MISHUKU GOLDRUSH】は、
地味に三宿Webで何日間かはやろうとは思ってます。
さすがにそれぐらいはやらないと、とは思ってますけどね。
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最後になりますが、今年のテーマはずばり『感謝』です。
色んな人や色んなことへの感謝を胸に、日々生きたいと思ってます。
いや、長年あんな場所でやってこられたのは、出演者の方々を始め、歴代のスタッフも然り、
色んな人たちの協力無くしては絶対になかったことですから。
もうふと我に還ると色んな事に感謝しか無いですよ。
三宿Webがこんな長い間続けていけてるのもそうですけど、
長年東京で暮らしていけてることもそうですし、
なんとか日々健康に生活出来ていることも然り。
志半ばにして、色んな理由で田舎に帰った人とか、いっぱい見て来てますからね。
早くして亡くなった人とかも。
生きてることに、活かされてることに感謝ですよ。マジで。
ほんと、人間の人生なんて一歩間違うととんでもない方向に行くもんですから。
今の自分が幸せかどうかと言えば決して幸せとは言い難いですが、
とは言え不幸では決して無いとも言えます。
そう考えると、最高とは言えないけど、そんなに悪い人生でも無いのかなとも思ったり。
まあこの歳で金も無ければ嫁も子供もいませんけど…(苦笑)。
常に感謝の気持ちは忘れたらあかん!とは思ってますけど、
今年はいつも以上に強く想いたいと思ってます。
とりあえず6月まで三宿Webが無事続きます様に。
そして、素晴らしい20周年を迎えられます様に。
大袈裟に言えば、ここまで来たら、何としてでも、全精力を注いで、
オレの全てに代えてでも、絶対に完遂したいと思ってます。
ちっちゃいですけど、ちょっとした男の意地であり、ロマンですよ。
それが今年の最大にして、唯一のテーマです。
2014COVER

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昨日で我が草野球部・三宿ニャンニャンタイガースの今季全日程が終了しました。
最終戦に当たって、個人的には久々に高いモチベーションで臨みました。
自身2年振りとなる打率3割がかかっていたからです。
野球をちょっと知ってる方ならご存知だとは思いますが、
打率3割というのは、一般的に打者としておおむね優れた成績とされ、
打者にとってはひとつの勲章でもあります。
勿論たかだか草野球ではありますが、
3割という数字は、誰しもどうしても欲しい響きではあります。

2年前は神懸かり的な活躍で、
チーム内の記録を塗り替えまくる様な有り得ない成績を残したものの、
昨年は草野球を始めて史上ワーストだったであろう、
.175という最悪な成績に終わり、内心今季は期するモノがありました。
昨年も結果が出なかったとはいえ、
一昨年の好成績に驕っていた訳では決してなく、
雨の日も風の日も、一年通して試合前は必ずバッティングセンターには通いましたし、
努力という部分では、手を抜いていた訳ではなかったんですよね。
なので心の中では「もしかして年齢による動体視力も含め、肉体的な衰えなのか・・・?」
とか色々考えてしまい、
今年結果が出せなかったらクビ切られるベテラン選手の如く、
今季に懸ける意気込みは並々ならにモノがあったんですよ。
でも今季もイマイチ調子が上がらず、打率も上がったり下がったりの繰り返しで、
なかなか3割のラインまではいかなかったんですよね。
なので今年の3割は半ば諦めかけてはいました。

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実は去年の夏ぐらいから左肩にずっと違和感があって。
常に左肩が外れそうなってるというか、脱臼しそうな緩さがあって。
あと左腕だけ背中の後ろに手を回せなくなって。
激痛が走っちゃってダメなんですよ。
余りにおかしくて1度整形外科にも行ったぐらい。
なんせ打席に立って腕を上げて構えただけでも痛いぐらいだったので、
勿論スウィングすると痛みが走ってました。
ちょっとした引退前の阪神・金本みたいな。
それが今年の夏ぐらいまで、約一年ぐらい続いてたんですよ。
でも気が付けば夏以降はだいぶ痛みが無くなって。
秋ぐらいにはほぼ腕もある程度後ろに回る様にもなり、
以前の様な状態にまで戻りました。
それがバッティングに影響があったのか否かはわかりませんが
(振ったら痛いぐらいだったので恐らく多分にあったとは思いますが)、
10月後半から徐々に調子が上がっていくのを、
バッティングセンターの特訓においても実感する様になって。
結果もついてきて、気が付けば3割に乗せてました。
でもヒットが出ないとすぐに3割切りそうなポジションにはずっといたんで、
内心気が気ではなくて。
でもなんだかんだで残り1試合を残して、.311という微妙な打率。
当日の打数から計算すると、ヒット1本でも出たらほぼ3割確定。
逆に1本出ないとギリギリ3割下回るというなんともわかりやすい数字でした。

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※最終戦前の成績表。


勿論ここまで来たらなんとしても3割死守したいところ。
ヒット2本とかならかなりプレッシャーもキツいですけど、
1本ならなんとか打てるんじゃないか?っていうのもありましたし。
でも調べてみたら、最終戦の対戦相手のマキタ学級戦では、
今季過去2戦ともノーヒットだったんですよ、オレ。
あと前日グラウンドの空きをチェックしたら、11時からも空いてたので、
練習用に、もしくは他に対戦相手が見付かればWヘッダーしてもいい様にと、
急遽追加でグラウンドを押さえたんですよ。
9時からのグラウンドは、いつも恐らく誰よりも早く押さえてるので、
A面のグラウンドになることが多いんですが、
11時からのは勿論ギリギリになって押さえたので、
もしかしたら当初は9時からはA面の予定だったのに、
次の時間に合わせてどちらもB面になるんじゃないか…
と内心ずっと思ってたんですよ。
え?B面だと何がいけないの??って思いますよね?
いや、実は今季B面でのオレの打率が異常に悪いんですよ。相性悪いのかなんなのか。
前半もたったの2本。後半に入っては1本も打ってないという相性の悪さ。
勿論いつもはほぼA面が多いですし、B面は数えるほどしかないってのもありますけど、
今年の5月末には、
ファールフライを追ってフェンスへ激突して怪我するなんて事件もあったしで、
なんか個人的にはイマイチ縁起が良くないんですよね。
なので、未だノーヒットのマキタ学級戦で、尚かつ相性の良くないB面だったら、
ヒット1本打つのはなかなか難しいんじゃないかと思って…。
が、でも。余りの不安に事前に世田谷公園の管理事務所に電話して聞いてみたら、
明日はなんとどちらもA面だとのこと!!
ちょーテンション上がりましたよ!たったのそれだけで(笑)。
でもやっぱ、ジンクス的なのって精神的にもちょっと嫌だったし、内心ホッとはしました。
勿論ヒット1本打たなきゃ3割切るってのに変わりはないんですけど。

最近は週に1度のペースで通っていたバッティングセンターも、
さすがに今週は2回通いました。寒くて外出るのちょっと嫌でしたけど気合い入れて。
試合3日前には久々の筋トレも。
前日は飲みたいのをちょー我慢して酒を断ち、睡眠もバッチリ7時間ぐらいは取りました。
正直色々あって、本意ではなかったんですが、今季後半は朝まで飲んでたり、
ヘタしたら一睡もしないで試合に臨んだりしたことも多々あったんですが、
たまたまそういう日は運良くほぼ結果は出てて。
ノーヒットに終わったのは1試合だけだったと思います。
まあ勿論、逆にそういう日はいつも以上に気合い入れてやったのもありましたけど。
酒飲んでて遅刻とかしたらシャレにならん!ってことで、
ちゃんと時間通りに起きるのにまず必死でしたし。
でも結果はたまたま出てたんですが、朝まで酒飲んだりすると、
意外と元気で体は軽かったりもするんですが、
やっぱどうしてもスイングスピードはいつもより若干落ちるんですよ。
感覚も微妙にですけど鈍るというか。あと回を増すごとに疲れが出てきます。
実際今季猛打賞(1試合3安打)打った時は、前日禁酒した日でしたし。
なので、とりあえずどういう結果になっても悔いの無い様に、
最終戦に限っては万全の状態でいこうと思ってました。
前日バッティングセンター行った帰りには、地元の氏神様にもお詣りに行って来ました(笑)。
もうやれることは全部やっとこう的な。

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余談ですが、今日は4時間の長丁場だったので、
今季最終戦だし、今年一年の感謝を込めて、
ちょっと早起きしてチームメイト全員分のおむすび作ろうと思ってたんですけど、
予想外に7時までぐっすり寝てしまって実行出来ず…。
なんせオレのおむすびは作るのに時間が掛かるので、
最低でも逆算すると6時前には起きないと間に合わないんですよね。
みんな絶対お腹も空くだろうし、
1試合目終わった後にみんなに配ろうと画策してたんですけどね。
まあ「わしゃお母さんか!」とかも思いながらも(笑)、
作って持っていったら絶対みんな喜ぶだろうなあとは思いつつ。
まあ結局未遂に終わりましたけど。


写真


そんなこんなで1試合目スタート。オレは2番ファーストで先発出場。
勿論ヒット1本打って3割も目標ではあったんですが、
内心では、ヒット4本打ったらもしかしたら土壇場で打率3位入賞出来るかも!?
(最終戦始まる前まではチーム内打率5位)と思って、それもちょっとは狙ってました。
まあでも4安打なんてほぼ無理だと思いましたし、
まかり間違って打てたとしても、
上位にいるチームメイトがガンガン打てばどう頑張っても届かない差はあったので、
ほんのちょっとぐらいしか頭にはありませんでしたけど。
でも、ちょっとの可能性のそれを狙うにしても大事なのは1打席目だったんですよ。
そしてその1打席目・・・・
追い込まれてはいたんですが、なんとか外角のカーブに食らい付き、一塁横を襲う内野安打!!
いきなり1打席目で3割当確決定!!いや〜言うまでもなく激テンション上がりました!!

でも2打席目3打席目は本格派の相手ピッチャーに翻弄されて敢えなく凡退に終わり、
最終的には3打数1安打で最終戦を終了しました。
まあとりあえず当初の目標であった3割はなんとか死守出来ました。
チームも3ー1で辛勝!最終戦を有終の美で・・・
のハズが、当初は試合後に遊びで紅白戦でもやろうって話しだったんですが、
そんなに残れないって言ってた相手チームが、予想外にほぼ全員残れるらしく、
うちのチームメイトの大多数も、だったらもう1試合やりましょうよ!って話しになって。
11時から紅白戦の予定に合わせて、うちのメンバーだけでも13人も誘ってたし、
出場メンバーのやり繰りどうしよ??とか、2試合目の成績表も勿論用意なんてしてないし、
第一せっかく頑張ったオレの3割死守も、
もしかしたら2試合目凡退続いたらダメになっちゃかも知れないしで(泣)、
もうそれはそれは頭の中テンパりまくりましたよ(苦笑)。
でも、せっかくみんなもう1試合モードになってるし、
どうにかやり繰りするか!とばかりにそれからもう頭の中フル回転させて。
結局1人帰ったので12人で回すことになったんですが、
12人分の成績表も手書きで簡易に作成し始めたんですが、
もうこれがめんどくさいのなんのって!(笑)。
次はその12人をどう満遍なくコンスタントに守備機会を与えるかを考えて。
まあ実際これが1番めんどくさかったけど。
オレの3割に関しては、もうこの時点では内心、
「あぁ、一旦は3割死守出来て喜んでたけど、
恐らくこの試合で凡退積み重ねてギリギリ3割切りそうな気がするな…。
なんて酷いぬか喜びさすねん…。ネ申さま、意地悪過ぎまっせ!」
とか思いながらも、この頃にはほぼ内心「まあどうせオレの人生こんなもんや…」
ってある意味開き直ってましたねえ(苦笑)。
ぶっちゃけ人数が多かったので、敢えてオレは試合に出ないで、
打たないっていう選択肢もあったんですが(だと自動的に3割確定)、
そんなセコいことして3割確定しても、絶対心から喜べないと思って却下しました。
まあ人数多かったので、オレは守備には就きませんでしたが。

でも急遽ボーナストラックとして開催された2試合目も、
終わってみればなんと2打数2安打の大当たりで。
チームも最終回、1点差のビハインドをはねのけての劇的なサヨナラ勝ちで、
まさにこれ以上ない有終の美で最後を締め括りました。
監督としてもチームは連勝締めだわ、選手としても2年振りに3割超えれたわで、
言うことない最終戦となりました。激疲れましたけど…(笑)。
で、帰って早速2試合分の成績計算を。これがまためんどくさくて(笑)。
全部終わるまでなんだかんだで3時間半も掛かりましたからね。
仕事か!って自分でツッコミちょいちょい入れながら(泣)。
いやーマジで疲れました。

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全ての計算が終わり、チーム内主要打撃部門の結果が出たんですが、
ちなみにオレ、3割当確どころか、
終わってみればもう奇跡的としか言いようがない、
上位の2人がまさかの2試合ノーヒットだったのもあって、
最後の最後の土壇場での大逆転で、まさかの『最多安打』のタイトル獲得!
あとこれまた最後の最後でまさかの『打率』と『出塁率』の両部門3位入賞!
更には『本塁打』と『打点』も3位入賞!
と、急遽開催されたボーナストラックの試合が、
結果的にオレにとっては吉と働いた結末となりました。
いやー、全くの予想外だったので自分でもビックリでしたけど。
取れると思ってなかった最多安打も、打率と出塁率の3位入賞はほんとに嬉しい!
だって上位の2人はバリバリ高校までやってた本格派の2人なので、
その2人の次ぎに野球経験皆無のオレの名前が来るなんて、
オレにとってはこれ以上無い喜びですよ。まさに長年の地道な努力が報われた的な。
とは言え上位の2人とは、もう如何ともし難い差は歴然とありますけどね。
この先どんなに頑張っても埋めれなさそうなぐらいの差が…(笑)。
でもまあやはり、この結果に関しては単純に嬉しく思います。

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実は内心密かに狙ってたのは『打点王』でした。
試合数も残り少なくなってきて、
今年狙えるとしたら打点王ぐらいかなあ・・・ぐらい思ってました。
あと、神懸かり的な活躍をした2年前も、惜しくも1点差ではありましたが、
唯一取れなかったのが打点王だったし。
前にプロ野球ニュースで谷沢健一が言ってたんですが、
「やはりですね、チームにとっての貢献度という観点から言いますと、
やっぱり打点ですよ。如何に点に繋がるバッティングをしたかというのは、
チームにとっては非常に大事だと思うんですよねえ。」
って言ってたのを聞いてから、まさにそうだよなあ〜と共感してしまって。
それ以降、やっぱ打点王は狙いたい!とは常々思ってました。
なので3位に終わったのは残念でしたけど、
まあ後半チャンスで全然打てませんでしたからねえ、、、。
もっともっとチャンスに強い男になりたい。みんなの期待に応えられる男でありたい。
とは強く思います。それは野球だけではなく、人生においてもですけど。

さてそんなこんなで、終わってみれば今年はいいシーズンだったと思います。
出だしは雨で流れることも多くて、試合もなかなか序盤は消化出来なかったんですが、
後半はなんだかんだと試合数も増えて、昨年同様22試合も出来ましたし。
3年前に再結成して新たに再始動した猫虎なんですが、
ほんとにここにきていいチームになってきたなあと実感してます。
みんな真面目で協力的だし、やっててほんとに楽しいです。
いや、たかだか草野球なんて遊びでしか無いんですが、
せっかく遊ぶんなら一生懸命遊ぼうぜ!っていうのが猫虎に対するオレの中のテーマで。
今のチームメイトは、そういうのを充分に理解してくれていて、
ほんとうに気持ち良く野球をやらせて貰ってます。
誰かがミスとかしてもフォローしあえてるし。
いい仲間たちと楽しく日々コンスタントに野球が出来て、
ほんとに幸せだなあと実感してます。
野球チーム作るのは、勢いとかで意外と難しくはないかも知れませんが、
それをコンスタントに毎週の様に試合組んで運営していくって、
なかなか大変な作業なんですよ。むしろ遊びだから余計に。
でもそれって絶対に1人じゃ出来ることじゃなくて。
大勢のチームメイトの協力無くしては絶対に不可能なことです。
今のチームメイトには、もう本当に感謝しか無いですね。
勿論対戦相手の皆さんに対してもそうですけど。
そういう周りの人たちの為に、少しでも更に楽しく野球が出来る様に、
自分なりに色々と頭を使って、これからもいい環境作りが出来たらいいなあと思ってます。
そして来年も言うまでもなく、選手としてちょっとでも上を目指してまだまだ頑張ります。
いやほんとにねえ、こんな歳ですけど、ちょっとした男のロマンであり、青春ですよ。
野球のネ申さま、ありがとうー!!草野球最高!!


SANCHA


GAKUEN


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まさかの連日アップ!(笑)。
うっかり無駄に朝4時に目が覚めてしまい、思い立って無駄に書いてます。
いや、内心今回は見向きもされないんじゃないかと思ってた昨日のブログが、
予想外に共感して頂いた方も少なからずいた様で、書いて良かったなあと思ってます。
まあやっぱり女性の方がほとんどの様でしたけど。
鬱までいかなくとも、人間生きていたら多少なりとも落ち込むことは多々あると思いますし、
そういった時の自分と照らし合わせて、共感して頂いたんだろうなあと思ってます。
で、そう考えるとなんか沸々と補足で書き足したいことが頭の中に浮かんできて、
さすがにそんな大量な文章書けるほどでは無いとは思いますが、
思い立ったが吉日的に、だったら書いちゃおうということで。

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昔からほんとに落ち込みやすいタイプでした。
いやもう学生の頃とかはしょっちゅうだったかも。
まだ小学生の頃はかなり明るい少年だった様な気がしますが、
中1の時にバスケ部内での陰湿ないじめにあったのを切っ掛けに、
元々持ってた根暗の才能が開花(笑)、それからは常に色んなことを気にし過ぎたり、
考え過ぎて落ち込んでばかりの学校生活だった気がしますね〜。
まあほんとに今考えるとメンタル弱かったですからね。
華奢で身長も前から3番目ぐらいちっちゃかったし、
取り柄はオモロいことぐらいだったかも知れないですねえ〜(笑)。
そういうのもずっと自分の中でコンプレックスとしてあったので、
心身共に強い男になりたい!っていう願望から、
上京してすぐ、前々から興味のあった格闘技の道場に通い出すことになるんですけど。
そう考えると、大人になってからはだいぶマシになった方かも知れないですねえ。
まあ上京した当時もかなり落ち込みまくりましたけど。
このブログでもしょっちゅう書いてますが、
元々1人も知り合いも居ないのに単身上京してきましたし、
最初の頃はほんとに休みの日の話し相手すら全く居ませんでしたからね。
あの頃の孤独感たるや、現代の携帯やネットが常にある時代では、
到底想像も出来ないぐらい、今思い出してもゾッとするぐらいの、
怖ろしいほどの孤独感がありましたから。
あ、詳しくは過去のブログの『東中野』の記事をご参照ください(笑)。
でもほんと、上京した直後の修行の様なキツい1年半は、
間違い無くオレを心身共に強くさせてくれたとは思います。

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ちなみに未だにそうなんですが、嫌なことがあって落ち込んだり凹んだりすると、
無意識の様に口ずさんでしまうテーマソングみたいな曲があります。
アラフォー世代の方ならほぼ誰でも知っているであろう、
BaBeの「Give Me Up」です。
この曲は87年、オレが高2の時のドラマの主題歌でも使われて大ヒットした曲で、
原曲はマイケル・フォーチュナティー、当時流行っていたユーロビートの超有名曲のカバー。
この曲って1番が、

『もっと しっかりしてよ ロマンチックへ逃げ込まないで
もしHeart Breakしても 情けない瞳で 甘えちゃだめよ
君が強くなくちゃ私 キュートな娘に なれないでしょ?
「意気地なし」を直さないと ハート蹴飛ばしちゃうぞ』


っていう歌詞なんですが、
もう当時落ち込みやすいタイプのオレからしたら、
まるで架空の恋人がオレに対して叱咤激励してる様な錯覚を覚え(笑)、
以降ずーっと出てきますね。ちょっと落ち込むことがあると。
だってもう未だに出てくるってことは、
かれこれ26年ぐらい続いてるってことですからね〜。
勿論初めて聴いた時からかなりのインパクトはありましたけど、
まさかこんな長く自分の中に残る曲になろうとは、夢にも思いませんでした…(笑)。
でもやっぱ、自分のことだけ考えたら、なかなか気持ちって切り替えられませんけど、
この歌詞にある様に、誰かの為になら頑張れるかもっていう発想は、
個人的には非常に共感出来るというか。
まあ高2当時は彼女なんていませんでしたし、その後も実際に彼女がいる時とかは、
凹んだり落ち込んだりしても不思議とこの曲は出て来なかったと思うんですが、
なぜか独り身の時にやたらと出てくるんですよね〜。
勿論軽いレベルの凹みとか落ち込みの時ですけど。
いやでも、キャッチーでポップな曲調も、
自然とポジティブな思想へと向かえそうになるし、未だにいい歌詞だなあ〜って思ってます。
いや実はこの曲、思い出すたびにいつかは機会があったらブログで書きたいなあ〜
ってずっと思ってたので、ある意味ようやく長年の念願叶った的な(笑)。







落ち込んだ時の曲と言えばオレの中ではこの曲は絶対外せないです。
オレの初期人生のテーマソングと言っても過言では無いぐらい。
REBECCAの『Maybe Tomorrow』です。
この曲が入ったアルバムが出たのは85年、
オレが中3の頃で、受験勉強してる合間にそれはそれはよく聴いてたんですが、
1番最後のこの曲の歌詞が、聴けば聴くほどずっしりきちゃって。
特に高校時代は、部活で毎日の様に心身共に疲れ果てて、
しょっちゅう寝る前とかにぐったりしながら聴いてた記憶。
いや、上京して当分の間は、なんか上手くいかなかったこととか、
辛いことがあったりした時は、この曲を自然と口ずさんでた様な気がします。
まさに

『だけど明日は きっといいこと あると信じてたいの』

ですよ。







この曲は以前の『クリスマスの約束』の時にも書きましたけど、
初めてこの曲聴いてから、やっぱ落ち込んだ時とかにふと思い出しますねえ。
小田和正の「東京の空」です。

『自分の生き方で 自分を生きて
多くの間違いを 繰り返してきた』


とか、

『がんばっても がんばっても うまくいかない
でも 気づかない ところで 誰かが きっと 見てる』


っていう歌詞がグサッと胸に刺さります。
「東京の空」っていうタイトルも好きですね。
いや、ほんとに東京で生きていくって大変なことだと思いますもん。
しかも最低限好きなことをやってだと尚のこと。
ピアノソロという最小限の音数の少なさも歌詞を引き立たせていて、
非常にぐっとくるアレンジです。
っていうかこの曲、ドラマの主題歌でも使われてたんですね。
全然知りませんでした。







この曲は落ち込んだ時とかでは無いんですが、
高校時代、同じバスケ部に碓井って奴がいたんですが、
ある日この曲が体育館で流れてきた時に、
「なんかこの曲聴くと長澤思い出すねんなあ〜」って言われて、
思わず「え!?オレってこんな元気無いイメージなん??(笑)」って聞いたら、
「いや、いっつもあほみないなことばっかり言うてるし、全然そうでも無いねんけど、
なんか知らんけど長澤がパッと頭に出てくんねん。」
って言われて以来、この曲を聴くたびにこの会話を思い出します。
やっぱオレって周りにはそういう風に見えてんのやあ…
ってちょっと初めて自覚したというか…(笑)。
竹内まりやの「元気を出して」です。
ちなみに余談ですが、この同級生の碓井、
去年書いた「ちょうど20年前の・・・」シリーズでちょこっと出てきた、
コンビを組もうと思ってた相方候補というのは、何を隠そうこいつです(笑)。
いやー、オレとはちょっと、っていうかだいぶタイプが違ったんですが、
オモロい奴だったんですよねえ。
もしかしたら初めて周りの人間でお笑いカルチャーショックを受けた奴でした。
ぶっちゃけ中3の時には、今考えるとあほやったなあ〜オレ…って思うんですが、
この歳でこんなオモロい奴は、全国探してもそうそうおらんやろ!?
ってどや顔で思ってました(笑)。
ほんと、今考えると大勘違いもいいとこですが、若気の至りというか…(汗)。
で、高校入って同じクラスに碓井がいて席も近くて、
周りの女の子相手にガンガン笑いを取ってるのを間近で見て、
いきなり鼻っ柱折られた様な衝撃を受けたという…(笑)。
「こんな身近なところにこんなオモロい奴おった…。
オレが考えてるより世界はまだまだ広かった…。」って凹みましたからね。
いやあ〜、あほでしょ?(笑)。







そして最後に選んだのがなぜかこの曲。山下達郎の「プラスティック・ラブ」。
この曲は前にもブログでも書いたぐらい好きな曲で、元々は奥さんの竹内まりやの曲。
あ、詳しくは前のブログの記事をご参照ください(笑)。
この曲って別に前述した曲たちとは違って、落ち込んだ時に合う曲とかでは無いんですが、
この4ヶ月の間、なんか好んでよく聴いてたんですよね〜。
元々昔から落ち込んだ時とかってよりも、
心がドライな状態の時に好んで聴いてた様な気がするんですが、
なんか最近改めて、やっぱオレこの曲好きだわ〜って思ったっていうか。
勿論原曲のオリジナルver.の竹内まりやの「プラスティック・ラブ」も好きなんですが、
未だライブバージョンしか存在しませんが、この達郎の「プラスティック・ラブ」も、
力強い歌や演奏やアレンジが、哀愁漂う疾走感を助長していて、
ドライな歌詞の空虚感や虚無感と見事に相まって、非常に好きです。








ちなみに昔から落ち込みやすいタイプなのもあって、
落ち込んだり悩んだりしてる人の相談乗るのは結構嫌いじゃない方です。
ていうか昔から友達たちからしょっちゅう相談とかされたりします。
一旦自分が落ちちゃうとなかなかそうもいかなくなるんですが、
元々基本的にオレって人一倍冷めた考えというか、
自分なりに客観的に物事を捉える様にしようとしてるタイプなので、
そういうのには向いてるのかも?って昔から多少なりとも自覚もあって。
大人になっては勿論のこと、今考えると中学生の頃とかから、
女の子の友達とかに相談ごととかよくされてましたね〜。
相談に乗って、その人が少しでも元気になってくれたりすると、
我が事のように嬉しくなったりします。
これってある意味サービス業においての原点的な喜びの部分に近いのかもとか思ったり。
喋るのも嫌いじゃないし、最近たまにそういう仕事が1番適職なんじゃないか??
とかも思ったりしてます。例えば占い師とか。
昔占い師の知り合いに聞いたことがあるんですが、
占い師ってただその人の運勢を占うだけじゃなくて、もし悪い運勢の場合でも、
そうならない様にどう導いてあげるか?的な部分や、
ちょっとしたメンタルケア的な部分も併せ持った職業だって言ってたんですが、
なんか絶対向いてそうな気がするんですよね〜(笑)。
元々占いとかは余り信じないタイプでしたし、
内心今まではちょっと軽くみてた部分もありますけど、
ここ最近の自分もそうでしたけど、やっぱこんだけ世知辛い世の中、
悩んでる人や落ち込んでる人なんてそれこそ星の数ほどいる訳で。
そういう人たちは、自分の力ではもうどうしようもなく、
ちょっとした気晴らし的な感覚や、もしくは切羽詰まって藁をもすがるつもりで、
占いとかに頼っちゃうんだろうと思うんですけど、
そういう人たちにとってちょっとでも助けになれるとしたら、
そんな素晴らしい事は無いんじゃないか??とかも思ったりするんですよね。
まあ今から占い師を職業にするなんて、膨大な勉強量や莫大な時間も必要であって、
そんな簡単になれるモノではないとは思ってますし、
まだふと思い付いた願望の部分だけですけど。でも真面目にちょっと興味はあります。
まかり間違うと、
今まで三宿Webを長年"お笑い+ダンス"というテーマでやってきましたが、
そのうち"占い+ダンス"になるかも知れませんよ!
キャッシャー前に水晶玉とか置いたりして!

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あ、あと最後に、9月に1番重たい鬱に入った時に、
それまであまり無かった結婚願望が強く芽生えたんですよね〜。
いや、もうほんとにその時は深みにはまってたので、
真っ暗闇の中でひたすら独りもがき苦しむ様に、
オレは孤独だ…オレの味方なんて誰1人いない…オレは天涯孤独だ…
ぐらいの有り得ないぐらいの強烈且つ猛烈な孤独感に襲われていたのもあって、
こういう時に、嫁とかいたらなあ・・・って思う様になって(笑)。
ほんとにどんな時も裏切らない唯一のオレの味方になってくれる嫁が欲しい…
って心の底から思ってしまって。
そんな嫁1人いたらなんとか頑張れるかもって思ったり。
余談ですが、ここ数ヶ月スカパーの『日本映画専門チャンネル』で、
ビートたけしの映画の特集をやっていて、
過去の北野映画作品を一気に上映してるんですが、
その落ちまくった直後に初めて観た『アキレスと亀』が非常に良かったんですよ。
北野映画の中では恐らくキテレツ的な作品の部類に入るのかも知れませんが、
小さい頃から絵が好きで、
家族や周りの人たちに迷惑を掛け、更には全てのモノを犠牲にしてまで、
ずーっと好きな絵を描き続けてはいるものの、最後まで誰にも評価されず…
っていう芸術家としての哀しいストーリーも、
なんか好きなことをやっている人間の人生の顛末として、
とても非常にリアリティがあって考えさせられるし、
恐らくこの映画の主題的な部分では無いんでしょうけど、
そんなダメな芸術家の夫を助け、最後まで寄り添う妻という普遍的な夫婦愛が、
ラストシーンは勿論のこと、随所にほんとにしれっとですけど描かれていて、
なんかもうとてつもなくグッときてしまって。
いやあ、、、オレもこんな嫁欲しい!!って心の底から思いましたよ(笑)。
って訳で、オレももうとっくにいい歳だし、いい加減婚活でも始めようかとも思ってます。
つって勿論誰でもいい訳じゃないので、結婚なんてなかなか難しいとは思いますけど。
でもなんか、嫁と2人でしっぽり海のそばとかで、
地味な仕事でもしながらのんびり暮らすとかってのもなんかいいのかも…
とか思う様になってきて(笑)。
まあ今は彼女もいないので、まず嫁候補見付けないといけませんけど!
でもほんと、アキレスと亀の樋口可南子の様な献身的な奥さん欲しいなあ。欲しい!

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そんな訳でなんだかんだとうっかり今回も長文になってしまいました。
どこが補足じゃ〜!って感じですが(笑)。
っていうか、全然昨日の続編とか補足って感じじゃなく、
スピンオフ的な感じの内容になってしまいましたが。
まあでも今日のはだいぶ昨日のよりはサラッと読めるライトな内容かと。
なんか昨日久々に長文書いて、今回は内容も内容だしどうせほとんど読まれないかなあ…
って思ってただけに、予想外に沢山の人に読んで貰えて、且つ共感までして頂き、
なんか単純に嬉しくなっちゃったんですよね〜。
いやほんとに、こんなしょーもないあほみたいな長文を読んで貰えるなんて、
それだけで有り難いことだなあとは常々思ってます。
まあちゃんと全文読んで貰えてるかは非常に微妙ではありますが…。
だってたまに、ブログ読んでるって言う人にブログで書いたこと話しても、
「へ〜!そうなんですかあ〜!」って全然気付かなかったりすることも多々ありますし(苦笑)。
おまえ、ちゃんとブログ読んでないやろ!!って心の中で突っ込んでますけど(笑)。
まあでも、逆に言うとこんなあほみたいな長文をしっかり全部読んでくれてる人の方が、
変わってるのかも知れませんけど…。
そんな訳で、今回書いてる間にまたちょっと書きたいネタを1つ思い出したので、
気が向いたら近々書きたいなあと思ってます。
それでは今回も長々とお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました!

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