ナガサワブログ PART3~この熱い魂を伝えたいんや~

D級草どインディー老舗クラブ"三宿Web"店長ナガサワの趣味や考え方や日常が垣間見れる独り長文炎上ブログの続々編。

2014年06月

本日を持ちまして、三宿Webが遂に奇跡の20周年を迎えてしまいました。
いやもうとりあえず、本当にありがとうございますという言葉しか見当たりません。
せっかくなのでこの20年間のことを振り返ろうかと思ったんですが、
お題が壮大過ぎて、もう何から、どこから、書けばいいのやらというか。
なんせ20年ですからね~。色んなことがあり過ぎましたから。
ちょっと、恐らく前にも書いたことと被ってることが多いと思いますが改めて。



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        ※第一次三宿Web黄金期。



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        ※第二次三宿Web黄金期。


バーテンが居ないということでひょんなことからバーチーフとして入店、
オレ以外みんな未経験だったのもあって、1ヶ月後からは副店長も兼任。
1周年のアニバーサリー終わったらバーチーフを退いて店長に。
98年からはプロデューサーも兼任。今の態勢に。
カフェドロペも1年半、CAVEも1年半、ROOMも1年半やって、
Webもそれぐらいで辞めるんだろうとは内心思ってました。
期間云々よりもある程度流行ったら、
もしくは自分の中である程度やり切ったら辞めるんだろうなあと思ってました。
Webがオープンした頃はまだまだ都内でも『三宿』という地名すらどマイナーで、
色んな人に「今度三宿に出来る新しい店で働くんですよ。」って言っても、
「三宿??どこそこ??」って言われたりすることも多々、っていうかほとんど。
オープン直後に色んな知り合いが遊びに来てくれましたが、
ある業界の先輩に「おまえここはいつまでやんの?」って聞かれ、
「とりあえず流行るまでは居ようかなとは思ってますけど。」って言うと、
「流行んの…?(苦笑)」って言われたり、
某大手レコードショップの知り合いの人にフライヤー持って行ったら、
「う~ん、ちょっとうちでは置けないなあ。
え?だって知らないDJばっかなんだもん(苦笑)。」って断られたり、
某大物DJの人には何度も「こんな店で・・・」って面と向かって言われたり。
最初にプロデューサーが立てた、当初予定してたノルマの数字には全然届かず、
4ヶ月後には給料も半月遅れて、翌月には最低の売上げを記録。
初代店長のマービンは「オレ給料1ヶ月遅れたらもう辞めるから。」
って言い出すし、秋頃には正直もう風前の灯火状態でした。

このままいけば間違い無く近いうちに店が潰れそうな気配はぷんぷんで、
入店前の面接時には「僕らはメジャーを目指してますから!」
って言ってた当時のプロデューサーの威勢もどこ吹く風状態で、
その頃には「社長、なんとかパーティー入れて貰えませんかね…?」
とか言いだしていて、もう働いてるオレは夢も希望もありませんでした。
で、11月の土曜日終わったあとに、当時の主力スタッフである
マービン・オレ・ガリバーの3人でミーティングして。
このままいってもどうせ潰れるんだから、
最後にオレらでもう勝手にやっちゃおうよって話しになって。
オレはラウンジ要素の強かった店を、
もっとクラブ的な感じにしようって言ったんですが、
マービンとガリバーの2人はバンドマンだったので、
「この辺ライブハウス無いからライブハウスにしようよ!」
って言いだして。
でもオレはライブハウスで働く気はなかったので、
あ〜だったらオレは引こうかなあって言って。
多数決じゃないですけど、まあ2対1だししょうがないか…的に、
そういう話しでその日は終わって。
確かその後、六本木でやってる某アフターアワーズに3人で遊びに行ったと思います。
でもそこでも翌日もオレは1人悶々と考えていて。
やっぱ、流行りもせずに結果も出せてない店を辞めるっていうのがなんか悔しくて。
ちなみに翌日の日曜日にたまたまパーティーが入ってて、
パーティー中も黙々と仕事しながらも、色々考えてました。
で、終わったあとにマービンと2人になって、
「昨日の話しなんですけど…」って切り出したらマービンが、
「あ、オレらも今日の営業中ガリバーと話してたんだけどさあ、
やっぱライブハウスにするのはやめるわ。
てかまず社長がライブハウスにするなんて言ってもOK出さないよ。
それにオレとガリバーじゃこのバーを扱いきれないし(苦笑)。
たけっしー好きにやんなよ。それでダメだったらライブハウスにするわ(笑)。」
って言ってくれて。
そこからオレのクラブ人生を懸けた戦いが始まったんです。
いや、マジでこれでダメならこの業界からきっぱりと足を洗おうと思ってました。


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とりあえず12月からのスケジュールを全てオレが担当することになって、
それまでのプログラムを一新。
まずその前に手始めにやったのが、当時のWebはなっかなか踊らなかったんですよ。
なんせ当時あったパーテーションが段差があって、
ちょうど洗い場の方が低くて、
踊ってる人と洗い物してるスタッフと目が合ったりしてたんですよ。
それを防ぐ為にそのパーテーションの木を勝手に引っこ抜いて、
洗い場側に付けて高くして見えない様にして。
あとスタッフ全員で土曜日終わったあとに昼過ぎまで掛かって、
当時真っ白だったダンスフロアの壁をペンキで真っ黒に塗って。
たったそれだけで踊るお客さんが一気に増えて。
12月のプログラムも、とりあえず土曜日はDJ経費もかなり少なかったので、
オレがホストDJやって、オレの今までの人脈や人伝えに色んな人紹介して貰って、
当時の著名なゲストを週替わりで呼ぶことにして。
でも当時のクラブシーンってほとんどの店が帯だったんですよ。
毎週金曜日は誰々、毎週土曜日は誰々みたいな。
なのでやはり金曜日ぐらいは帯で誰かをブッキングしたいなあ、
でも大抵の人気DJはどこかでレギュラーを持っていたので、
そういう人じゃなくて、うちのオリジナルに成り得る様な人はいないか??
とめちゃくちゃ考えました。でもなかなかアイディアが浮かばなくて。
で、11月のある日、平日で暇だったので、そろそろ時期的にも押し迫ってきてたし、
キャッシャーに1人こもって悶々と考えてたんですよ。
集中してああでもないこうでもないと考えてたら、その内ビビビと雷が走って。
当時シアターブルックのDJだったELPASO BROTHERS(吉沢dynamite.jp&与西)
でいこう!って思ったんですよ。
当時はまだまだ全然若手の部類でしたし、知名度もほとんど無かったですが、
吉沢と与西は何回かDJやって貰ってたんですが、選曲もめっちゃ良かったし、
ちょうどシアターブルックがメジャーデビュー直前だったのもあって、
絶対これから露出も多くなるだろうし、先物買いじゃないですけど、
よそでもそんなにまだやってないし、いいんじゃないかと思って。
第一タイジさんもちょくちょく遊びに来てたし、オレもROOMの頃から知ってたし、
タイジさん自身が当時から凄く華のある人だったので、
これからの三宿Webを盛り上げていく上で、むしろコレしかない!ぐらい思いましたね。
いわゆるネ申が降りるとはこういうことだぐらいのビビビ感でした。


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当時社長には、
「来年の夏ぐらいまでにはなんとか当初のノルマの数字にいきたいと思ってますので、
もし達成したらギャラの方も弾んでください(笑)。」的なことは言ってたんですが、
年が明けてちょっとした三宿ブームみたいなのが起こって。
2月にはなんとそれまで1度も超えたことがなかったノルマの売上げは超えて。
4月には初めて大きなイベントとして、金土2日間スペシャルイベントを打って。
どちらも盛況でしたが、土曜日に遂に念願だった有料のお客さんが100人超えて。
オレがオーガナイズしたパーティー【MISHUKU GOLDRUSH】でした。
金曜は吉沢・与西・豪くん+ゲストに荏開津さん、土曜はオレ+ゲストに瀧見さんと二見さん。
初めてWebがパンパンになって、ブースまで行くのもひと苦労なほどでした。
突如起こったクラブブーム、三宿ブームとも相まって、
もう週末は軒並み人が入る様になって。毎週金土ともに200人近く入ってました。
その夏の売上げなんて、その目標額の2.5倍にもなって。
もうあのキャパで有り得ない数字でした。
恐らく95,6年のWebの売上げは年商1億近かったと思います(多分)。
信じられないですよね?(笑)。これマジな話しですよ。



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でも元々はオレが作った店でも無いし、何度も辞めようとしたことはあって。
97年に本気で辞めるつもりで、年始頃には、
「今年一杯で辞めさせてください」ってオーナーには言ってたんですよ。
で、まず次の店長問題が勃発。
普通に考えると前店長のマービンが店長復帰の線が濃厚だったんですが、
マービンはやりたくないと。
しかもちょうどそのタイミングで、
マービンの地元・吉祥寺にライブハウスの曼荼羅系列の大きなライブハウスが出来て、
週末はクラブスタイルにするらしく、マービンにその週末だけの店長の話しが来て。
地元を盛り上げたい気持ちと、週末だけの契約でかなり給料も保証されてたので、
マービンもその店(現・吉祥寺STAR PINE'S)に行くことになり。
で、店長の後釜もいないし、もうWebは年内で閉店しようって話しになってたんですよ。
でも当時のDJ陣や関係者や常連客たちには閉店を惜しむ声が多くて。
勿論オーナーにもどうにか続けられないか?とはずっと言われてて。
オレ自身も、せっかくここまで築き上げてきたモノを無くしてしまう残念さと、
あとまたどことは言いませんけど、うちが閉店なんてしたら、
泥棒猫の様にうちでやってたイベント根こそぎ持ってかれるのもシャクだったのもあって、
オーナーに条件付きで続けてもいいですよって言って。
それが店内の全面改装だったんです。

やはり元々ラウンジ要素の強い設定だったので、
100人近く人が入っちゃうと、非常に使い勝手が悪い作りだったんですよ。
今のDJブース辺りにだだっ広いソファースペースがあって、
それが店の3分の1ぐらいを占めてたり、DJブースもめっちゃ狭かったし、
トイレも1個しか無かったし。
店内階段上のロッカー、っていうかあのスペース自体無かったし。
あとバーカウンターのボトルを飾る壁の部分も光らせる様にしたくて。
オーナーからの返答は2つ返事でOKで、98年1月に全面改装することになって。
設計から工事までドタバタでしたけどね~。大雪も降ったりで大変だったし。
オーナーが工事費ケチってかなり安上がりに作られちゃったんですけど(苦笑)。
それ以降はずっと今のスタイルというか。
まあテレビ付いたり細かい部分の変化はありますけど。
下の写真は改装直後の店内の様子。
昔の写真引っ張り出して探しまくってようやく見付けました(笑)。


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オレがブッキングを担当する様になってからの店のイメージは、
とにかく『個性』と『華』という部分でした。
雨後の竹の子状態でどんどんクラブというモノが出来ていた時代で、
それらのクラブと対等に渡り合う、もしくはそれらの中で存在感を出すには、
一刻も早い"三宿Webにしかない個性"の確立でしたが、
その部分に更に"華"という部分は必要不可欠だと考えてました。
ただでさえ三宿っていうマイナーな場所だったので、
そこで全然知らない様なイベントやDJが列挙されていても、
よくありがちな地域密着型のインディーなクラブになってしまうと思ったんですよね。
三宿という場所だからこそ絶対にそういう店にはしたくなくて、
「え!三宿でこんな人やってる!!」とか、「なんで三宿でこんな人が!?」とか、
お客さんがビックリする様な、そういう店にしたかったんですよね。
でもそんなのはあくまでも理想論であって、
なかなか最初はそういうイメージには出来なくて四苦八苦してましたが、
うちの場合、色んな人がイベントのゲストでDJしに来たり遊びに来たりした際に、
凄い確率で気に入って頂いて。
「ちょっと良かったら今度イベントやりたいんですけど。」
的なことを言って貰えることが非常に多くて。
で、オレが「いやあ〜是非!って言いたいところですけど、
ギャラの方があんまり払えないので・・・」みたいなことを言うと、
「あ〜全然いいですよ!」みたいなことがほんとに多かったんですよ、
ありがたいことに。
昔からよく色んな人に「どうやったらあんな派手なブッキングが出来るの?」
みたいなことを聞かれたりもしたんですが、実際のところはそういうことというか。
これもほんとに奇跡的ですよ。
だって普通にこっちからブッキングしたら3倍〜5倍近くギャラのかかる人たちが、
向こうからやりたいって言ってくれて、
ほんとに微々たる額で快くやってくれたんですから。
何と言ってもズバ抜けた酒の美味さっていうのは絶対あったと思うんですよね。
やっぱり初めて来た人には大抵褒められましたし。
あとなにげに近辺に住んでる人が多かったのもありましたかね〜。
やっぱ家から近いというのもかなりポイントでかかったかも知れないです。
あと時間が経つに連れて、色んな著名な人がやってる箱というイメージが付いて、
そういう相乗効果でやりたいって言ってくれる人も多かったですし。
「実は○○ってクラブにも誘われたんだけど、
やっぱDJの並び的にWebでやらせて貰った方がイメージいいかと思って(笑)。」
って正直に言ってくれた人もいましたし(笑)。
あとは常に誠意を持って接した部分が伝わったのかなあとは勝手に思ってます。
ある意味無欲の勝利というか。
有名だからとかの理由でゴマすってよいしょ的なことは全然しなかったんですよ。
無理強いも一切しなかったし。オレが逆の立場だったら絶対嫌だったので。
もしかしたら、そういうところも多少は好感持って貰えたのかも?
とは思ったりもします。
なんかほんと、そういう意味では色んな要素が重なりまくって、
奇跡的な化学反応を起こした的な。

ちなみに『Web』っていう店名ですが、
今でこそベタな名前だと思う人もいるかも知れませんが、
94年当時、日本ではまだまだ全然インターネットなど普及しておらず、
パソコンすら持ってる人が稀少な時代で。
勿論Webなんて言葉も一般的にはほぼ使われていない頃。
オレが招集された頃はまだ店名が決まって無くて、
第1候補が確か『LAVA』だったんですよね。
なんか素材の名称だったって聞いた気が。
正直「え~LAVAかあ~」ってのはあったんですが、
オープン直前になって結局『web』になったと。
どうやら社長がLAVAを気に入らなかったらしく、
webにしようって当時のプロデューサーにゴリ押ししたらしいんです。
社長はもう16年も前に亡くなっちゃったんですが、
若い頃からアメリカとかしょっちゅう行っていて、
そういう流行にはなにげに敏感な人で、
あっちではインターネットっていうのが流行り出してるのを知っていて、
"蜘蛛の巣の様に情報を張り巡らす"っていう意味合いが気に入って、
「web」にしようって推したんだそうです。
今考えると素晴らしい先見の明というか、凄いセンスですよね~。
てかLAVAじゃなくて良かったですよ(苦笑)。
ちなみに未だによく間違えられるんですけど、
98年から正式名称は『三宿Web』ですからね!
頭文字のWだけ大文字です!お間違えのない様にひとつ!

正直言って三宿という立地は皆さんが思っている以上に大変な場所でした。
前述したオープン直後の三宿ブームやクラブブームで勢いは付いたものの、
やはり元々は渋谷などの繁華街から離れたマイナーな地でしたし。
しかも駅からも遠いという。
なので他のクラブよりも危機感的なモノは常にかなり早かったです。
実際どのクラブも帯でやっていた頃から、
率先して毎日イベントのスタイルにしましたし。
通常のクラブのスタイルだけではやっていけないと思い、
ライブ入れたりお笑いやったり料金設定下げたりそれはそれは色々と。

15周年も相当しんどかったですけど、正直この5年はほんとにしんどかったですね〜。
まさかの大地震もありましたし…。
クラブ業界というか音楽業界全般的に落ち込みましたしね。
あとはスタッフ不足も深刻的だったし。いや、今もですけど。
そう考えると、ほんとよくもまあ続いたというか。
マジでちょっとなにかあったらアウトな状況がずーーーっと続いてましたからね。
綱渡りとはまさにこういうことというか。
まずオレが大怪我とか大病とかわずらったらその時点でアウトだったし。
だから個人的にはほんとに20周年なんて迎えられると思ってなかったというか。
いや、振り返るとほんとによくもまあ無事続いたよなあって思いますよ。
まさに奇跡的なことですよ。

まあ20年間色々なことがありましたし、
辛かったことや大変なこともいっぱいありましたし、
とんでもない様な苦境や、絶体絶命感も何度味わったことか。
色んな犠牲も払ってきましたし、ここでは書けない様な大変なことも多々ありましたし。
正直きっとこのしんどさは、絶対オレにしかわからない部分だよなあってのもあります。
まさに孤独との戦いでもありましたかねえ。
でも20年という領域に達してみると、
それらがもうどうでも良くなるぐらいの境地にも達しました。
考えてみると43年生きてるうちの20年もWebに費やしてる訳で。
アホですよ。オレの人生返してくれ!って本気で思うときもあります。
やりたい仕事でもないのに、なんでこんな無駄に長くやってんだろう?
とかも何度も思ったりもしましたけど。
でもこのWebの20年間が無ければ、DJもやってなかっただろうし、
IllustratorやPhotoshopを使ってデザインなんかも出来なかっただろうし、
ホームページとかも作ったり出来なかっただろうし、
機材とかも疎かっただろうし、カメラもやってなかったろうし、
おむすびも作ってなかったろうし、草野球もやってなかったろうし。
まあどれもまだまだ全然中途半端っちゃあ中途半端ですけど。
でも、野球以外はほぼWebの経費削減の為に始めたモノやコトばかりですから。
恵まれてない環境だったからこそ得られたモノというか。

ちなみに、Webで知り合って結婚したカップルってなにげに多いんですよ。
今月の1発目にやった『23B』の出演及び関係者だけでも、
なにげに5組もいたぐらい。
出演者や関係者も非常に多いんですが、お客さんとかからもたまに、
帰る時とかに「実は私たち5,6年前ぐらいによく遊びに来てて、
その時ここで知り合ったんですよ。ありがとうございます(笑)。」
とか言われたり。ほんとに昔から多いんですよね〜。
それってほんとに凄いことというか。
だってある意味、人の人生変えちゃってる訳ですからね。
Webが続いてなければ間違い無くその人たちは全く違う人と結婚して、
全く違う人生歩んでた訳で。
そういうこと考えると、無駄に20年もやった意味はあったのかなあ、
多少は色んな人の為になったのかなあとかも思ったり。

あとは何と言っても歴代スタッフたちとの数々の出逢いというか。
もうほんとに色んなタイプがいましたし、
悩まされることや落ち込まされることも多々ありましたけど、
その都度オレ自身が成長させられたというか。
あと前にも書きましたけど、巣立っていったOB及びOGのほとんどが、
「Webで働いてほんとに良かった」とか
「今の私があるのはWebのお陰です」とか、
言ってくれるのは、ほんとに冥利に尽きます。
なんでしょう?先生と生徒の様な関係性に近いというか。
もしくは兄と弟や妹的な。
在籍時はほんと、それこそ濃密な時間を過ごしましたからね~。
厳しくもあり、楽しくもあり的な。
辞めた後に結婚して、
式とかパーティーとかに呼ばれたりしたことも何度かありますけど、
毎回もうめちゃめちゃ泣けますもん。あ、勿論人前では泣くの我慢しますけど(笑)。
教え子の結婚式に出席する先生、もしくは弟や妹の結婚式に出席する兄、
的な感覚になって、なんかグッと込み上げてくるモノがあるというか。
でもそういう感覚というか関係性は、非常に稀少であり貴重だと思うんですよね。
それもWebがあったからこそというか。ちょっと他の職場では想像出来ないですもん。
いや、ほんとにオレにとっては掛け替えのない一生の財産とも言えます。
自分の人生の半分近くも費やして、挙げ句富も得られず、
日々大変な思いをして、未だこの歳で独身という、人生間違えたかな…
って思えてしまう様な酷い現状ではありますが、
前述したこの20年で得られたモノを考えると、
金では絶対に換えられない様な、非常に貴重な時間や経験でしたし、
正解だったとは間違い無く言えませんが(苦笑)、
間違いでもなかったのかもとも思えるというか。


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20周年記念のお祝いコメントも、元々はちょっとした企画的にやりましたけど、
あれもほんとに嬉しかったですね~。
120人分のコメント頂くのもやり取りもなにげに大変でしたけど、
終わってみればほんとやって良かったです。
もう色んなコメントにめっちゃ癒されたというか励まされたというか。
アレ貰えただけでだいぶこの20年の労をねぎらえた部分ありましたもん、マジで。
それぐらい嬉しいコメントやグッときたコメントが多かったですね。
仲くんからのコメント届いた時はなんか、
読んで感極まって号泣しちゃいましたからね。

ちょっと前の尋常じゃないアクセス数を記録した酒のブログもそうですけど、
なんか20年やってきてようやく評価される様になったのかなあとかもふと(笑)。
だってオレの中では一貫してブレずにやってきたことでしたけど、
そこまで評価されてはきませんでしたからね〜。
勿論内情とかも知ってる関係者の一部の人には理解はされてはいましたけど。
でも正直言って、オレみたいな特にスバ抜けて何か才能がある訳ではない人間でも、
コツコツと一生懸命やってれば、
いつかは認められるという良いお手本になったんじゃないでしょうか?(苦笑)
それにしても20年は長過ぎましたけどね(笑)。
でもほんとにど素人のレベルから致し方なく始めた写真にしても、
ここ数年は非常に気に入って貰えることが多くて、
アー写に使ってくれたり、SNSでのアイコンに使ってくれたりしてくれる人が多くて。
先日もRGさんからメールが来て、
「以前フライヤーで撮って貰ったのが余りにもいい写真なので、
今度イベントのフライヤーで使わして貰っていいですか?」
とか連絡来たり、郷太くんからも電話で、
「今度出る小説のプロフィールの写真、
ナガサワさんが撮った写真使わせて貰っていいですか?
なんか適当に50枚ぐらい渡したら、ナガサワさんの写真がいいって言われて。」
って連絡貰ったり。ほんとに嬉し過ぎますよ。
アレもねえ、ほんとになにげに毎月撮るのとか結構大変で、
何度も心折れ掛けたこともあるんですけど、
やっぱ先週も店のインスタレーション的に、
過去のマンスリーで店内をポップアートしたんですが、
貼りながら内心「あ〜毎月めんどくさかったけど、これも長年継続して良かったなあ〜。」
って思いましたもん。あのマンスリーには歴史が詰まってますからね。
あと色んな人に「Webのマンスリーの表紙になるのが夢だったんですよ!」とか、
「いつかWebのマンスリーの表紙になるのが夢なんですよね〜!」
って言われることが非常に多くて。
それもほんとに有り難いというか、とても嬉しく思います。



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ちなみに今年のアニバーサリーのメインアイコンは、
ご存知『Dr.Martens』のサンプリングにしたんですが、
最初はもっとわかりやすいのにした方がいいのかなあとかも思ったんですよ。
特にマーチンのイメージって音楽でいうと、
SKA・ROCK・PUNKとかのイメージの方が強いと思いますし、
うちでもそういうジャンルも勿論かかりますけど、
今のメインストリームでいうと、HOUSEとかHIP HOPの方が断然多いし。
ちょっとマニアック過ぎるかなあ?とかも思ったんですが、
なんか逆にいいかと思って。うちの20周年だからこそ敢えてコレでしょ!って思って。
たまたま奇遇にも今年の春先に人生初のマーチンを買ったのもあったし、
そもそもマーチンのブランドテーマが『反骨精神』のイメージが強いので、
そこがバチッと一致したというか。まさに反骨精神の20年でしたから。
クラブ界のタブー的なのをいっぱい破ってきましたからね~。
散々悪口言われたり、陰でディスられたりもしましたし。
あと今月の表紙を僭越ながらオレがやってるんですけど、
これって年始の裏表紙用に撮った写真だったんですが、
20周年を迎える年だったのもあって、
着物でイギリス流"FUCK YOU"ポーズを両手でという。
まあ2本の指が20周年を表してるのもありますけど、
「絶対に、どんなことをしても、オレの人生に換えてでも、
20周年までは行ってやる!!」っていう意味合いもあったというか。
なのでまあちょうどいいかなと思って。
ほんとは未だに大人気中の、
"LINEのジェームズ"の撮り下ろしでいこうかとも思ったんですが、
さすがに入稿前になって、色々と感傷的になってきて、
いくらなんでもふざけ過ぎやろ(苦笑)と思い断念。
昔からたまに色んな人に「ナガサワさんは表紙やんないの??」
って言われることがあってその度に、
「オレは裏方だから表紙とかやるのは寒いからやらないよ~。
まあでも万が一にも20周年まで続いたらそん時はさすがにやろうかな(笑)。」
みたいなことは言っていて。
まああの"FUCK YOU"ポーズはある意味、今までバカにしてきた奴らや、
見下してきた奴らに対する意味合いもあったりもしたんですが、
20周年迎えた今としては、もうなんかどうでもいいですけどね(笑)。
なんかそれぐらいの得も言われぬ達成感というか。
いやむしろそういう人たちに対しても感謝というか。
まあだって、そういうのがなにげにパワーに変わった感はありますからね~。
「絶対見返してやる!!」ってのはディスられる度に心に強く思ってましたよ。



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Web辞めてたら何やってたのかも、どういう人生歩んでたのかも、
さっぱり想像出来ませんが、もしかしたらWebで良かったのかも、
とかも20周年迎えてようやく思える様になったというか。
いやほんとに今となっては全てが宝であり財産ですよ。
まず普通の人が経験出来ない様なことをいっぱい経験させて貰いましたから。
色々思い返すとほんとに感無量です。
とりあえず、正直今月終わったら間違いなく20周年燃え尽き症候群で、
かなりモチベーションの維持に自信がありませんけど(苦笑)。
よく20周年はまだまだ通過点だとか言われますけど、
正直言ってオレにとってはひとつの到達点です。
本音を言えば来年Webがあるかどうかもわかりません。これはマジで。
でもいつまで続くか、いつまでやるかはわかりませんが、
とりあえず続ける以上は、これからもWebらしさを忘れずに、
最低限のやるべこきことはしっかりとやりつつ、
色んな人への感謝や謙虚の心を忘れずに、
アホなことやとんでもなくすっとぼけたことを、
これからも臆することなくガンガンやっていこうと思ってます。
この20年間三宿Webに関わった全ての皆さん、
本当に、本当に、ありがとうございます。
心から、ただ、ただ、最上級にして、最大限の感謝を。
最低ですけど、最高ですよ、三宿Web。

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MISHUKIU-GOLDRUSH-20THPOSOUT


さて遂にいよいよ明日から三宿Web20周年記念月間
『MISHUKU GOLDRUSH 20TH』が始まります!
もうここ最近はずっとこれの準備に奔走しまくってます。
今日も恐らく朝までやること山積みだし。
っていうかもう年明けてからずっと頭の中はこれでいっぱいだったかも。
もはやオレの今年の上半期はWebの20周年に捧げたってぐらいです。
まあなんせ20周年ですからね〜。
なるべく悔いの無いようにと自分追い込んで頑張ってます。

当初は6年前までやっていた数日間開催の
『MISHUKU GOLDRUSH』をやろうかとも思ったんですけど、
やっぱどう考えても今の色んなジャンルの多数の出演者を、
数日間に振り分けて収めるのは難しいってことで、
今年も例年通りの月間開催にしたんですが、
それを決めた時は、正直まだ全然不安要素の方も多かったんですが、
気が付けばもうほんと有り難いことに、
まさにうちの20周年記念に相応しい1ヶ月のプログラムになったというか。

まず6月6日金曜日、1発目の『Two Three Breaks!』。
これが決まったのがなんと言っても大きかったですかね〜。
正直俄然やる気出ましたもん。
主催のエイジくんとはなにげにもう長くて、
Webオープン当初からの付き合いです。
しかも一番最初って、
実は当時スカパラだった冷牟田さんのサポートDJとしてWebに来たんですよ。
確か彼がちょうど京都から上京したての頃だったでしょうか。
当時スカパラメンバーが関西でDJする時は、
エイジくんがよくサポートしてたらしく、
そういう流れでうちでの冷牟田さんのイベントでもDJ頼まれたみたいで。
確か当時は毎月ぐらいの勢いで冷牟田さんのイベントがあったので、
そのうちエイジくんとも仲良くなって。
で、ある日「今度空きがあったらイベントやりたいんですよね。」
って言われて。
どんなイベントか聞いてみたら、
「RhymesterのMummy-Dさんとか誘ってみようかと。」
って言って。
当時彼はDさんにネタ提供とかしてた間柄で
(ちなみにB-BOYイズムのネタ提供はエイジくん)。
Dさん自体は実はその前に、
うちのちょーオープン当初の某HIP HOPのイベントで、
主催の人の誕生日に遊びに来てフリースタイルやったりしてくれたことがあって。
確かその時のトラックは、
急遽オレのレコ棚にあるHIP HOPのレコード使ってやったと思います(笑)。
その後も、確か当時近所に住んでいて週末ふらっと遊びに来て、
オレが入口で気付いて「あれ?Mummy-Dさんですよね?」
Dさん「あ〜そうです。」
オレ「今日誰か知り合いでもやってんですか?」
Dさん「あ、いや普通に遊びに来たんすよ。」
オレ「今日ロックのイベントですけどいいですか?(笑)」
Dさん「あ〜全然。ジャンルとか関係無く遊び来たんで。」
みたいな会話して「あ、だったらどうぞどうぞ!」
って入れてあげたんですけど。
その後は全然遊び来てなかったと思いますけど。
話しを戻しますと、直後にちょうど空きがあって、
平日の月曜日にやって貰ったんですよ。
で、それ以降は毎月第2木曜日にずっとやって貰うことになって。
当時はまだRhymesterもブレイク前だったので、
平日だったし入りとかはそんな大入りって感じではなかったですけど。

ちなみにこのイベントって当時出演してた人たちが凄いんですよ。
Rhymesterは勿論のこと、KOHEIくんやキえるマキュウ、アルファやRIP SLYME、
GAGLEや全裸ROCK(現ZEN-LA-ROCK)、
サイプレス上野とロベルト吉野にG.リナちゃんなど、
今思えばほんと色んな人が毎回ゲストで演ってましたね〜。
しかものちにうちの看板イベントの1つとなった『申し訳ナイト』も、
元々はこのイベントで士郎さん(宇多丸さん)がゲストDJで、
サブタイトルに「申し訳ナイト in WEB」と付いて、
ミッツィーさん(現ミッシェルさんw)も遊びに来て知り合って、
意気投合してその2ヶ月後の木曜日からスタートすることになったという。
だから『23B』がなければ『申し訳ナイト』は間違い無く始まってないんですよ。
そういう意味では、エイジくんと知り合ってなかったら、
うちの歴史も相当変わってたことは間違い無いですね。
エイジくん自体も今の奥さんと初めて逢ったのがWebだったし、
そういうのもあって結婚パーティーもオレが司会させて貰ったしと、
非常に関わりが深いんですよね。
だから色んな意味でも三宿Webの20周年を語る上で、
『23B』というイベントは非常に重要なイベントだった訳で。
なので10年振りの開催が決まった時はほんとに嬉しかったですね〜。

元々Dさんは「オレはもうDJする暇があったら、
DJに掛けて貰う名曲を作ることに集中したいんだよね。」
的なことを言ってDJするのをやめちゃったんですが、
それ以降はほんと全然DJ自体をやらなくなって。
絶対色んな誘いはあるハズなのに。
なので今回も、まずエイジくんに相談した時に、
「とりあえず23BはDさんあってなんぼなので、
Dさんにまずスケジュール空いてるか聞いてみますね。」
って返事が返って来て。
オレ的にも一番心配だったのがそこだったりもして。
モチベーションもそうだけど、普通に忙しそうだし、
スケジュールも空いてるかどうか…とは思ってたんです。
が、予想外にすぐ返事があって。
当初2日ほど候補日があったんですが、
「Dさんどっちも大丈夫だそうです!」って。
もうそこからはトントン拍子で進んで。
いや〜やっぱ、Mummy-Dって人は男気ある人だなあと改めて思いましたよ。
随分前の周年でDJやって貰った時も、
終わった後に泥酔したDさんを外に見送り行ってたんですが、
「Dさんすいませんギャラ少なくて…」みたいなこと言ったら、
「関係ねえよそんなもん。オレはさ、
おまえが周年だからDさんDJやってくれって言うから来てんだよ。
ギャラとか関係ねえんだよ。」
みたいなことを言う人で。あ、ちょー泥酔してましたけど(笑)。
確かエイジくんから聞いたんですけど、
当時の23Bの時もギャラをDさんに払おうとしたら、
「オレはいいからさ、若い奴らにちょっとでもあげてよ。」
みたいなことを言ってたらしいんですよね。
カッコ良過ぎでしょ!Mummy-D!(笑)。
あ、あとちなみに、
ライブ用に照明付ける様になったのもDさんに言われてなんですよ。
ある日の23Bのライブ中に横で見てたDさんから、
「ナガサワさんさあ、真っ暗でライブやらせるのちょっと可哀想だからさあ、
なんか簡単なのでいいから照明的なの付けらんないかなあ?
なんだったらオレ金出してもいいから。」
って言われて。
ほぼ毎月23Bはライブやってましたし、
確かにそうだなあとは思ってたので、直後にクリップライトに赤い電球付けたのを、
ライブ用に2つぐらい天井に付けたんですかねえ。
今やパーライト4発あるし、オレが作った簡易ステージもあるしで、
23Bのメンバーには是非当時との違いも体感して欲しいですね〜。

あとちなみにこの日、当時のスタッフの真理&弥生も限定復帰します(笑)。
ほんとは当時のバーチーフだった華奈子も来れたらバッチリだったんですが、
結局仕事で出張が入って来れないみたいで。いやー残念です。
気が付くと23Bだけでえれー長くなってますけど大丈夫でしょうか?(笑)。
まあでもそれぐらいやっぱ思い入れの強いイベントと言えるかも知れないですね。
しかもその23Bが6月の1発目っていうのも何の因果か偶然かってぐらい。
もうまさに20周年記念月間の1発目に相応しいイベントですよ。


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さて23Bの翌日7日の土曜日は、
6月はたまたまインディー系のイベントが全然やる予定がなくて。
だったらオレがオーガナイズして纏めて出て貰おうかなあ!
ということで水面下で動き回って開催決定した『ALL O.K.』。
イベントタイトルはチャーベくんに考えて貰いました。
このイベントも23BのDさんじゃないですけど、
仲くんが演ってくれるかどうかがオレの中では非常にポイントで。
やっぱ三宿Webの20周年を語る上で間違い無く、
エスカレーター(現BIG LOVE)及び仲くんは絶対外せない訳ですよ。
なので絶対仲くんには出て欲しかったんですよね。
これまた不安をよそに、Dさんと同じで仲くんも快くOKしてくれて。
ほんとに嬉しかったと同時にホッとしたというか。
っていうか元々は約4年DJをやめていた仲くんが、
うちの20周年の今年からまたDJを再開してくれたのも嬉しかったんですよね。
やっぱ仲くんの影響力は未だにそっち方面では絶大なモノがあって。
仲くんがDJしなくなってからも、やっぱ若い子たちの間では、
「インディー系の聖地と言えばWeb」みたいイメージが根強くあるみたいなんですが、
やっぱそれって間違い無く、仲くんが長年うちでやってくれてたのが、
非常に大きかったと思うんですよね。
やっぱそっちのシーンではカリスマ的な存在ですからね〜仲くんて。

今や伝説のイベント『ESCAPE』とかもほんと凄かったし。
火曜日のど平日に月2回やって毎回150人以上は入ってましたからね。
しかもインディーのレーベルのイベントで。
有り得なかったですよ、あのムーブメントは。
ファイナルも伝説の記録作ってるし。
ちなみに仲くんと一緒にESCAPEをやってたチャーベくんとは、
オレはもうROOMの頃からの付き合いで。
ESCAPE始める前も岩城くん(健太郎)と一緒にイベントやって貰ってたし、
もうずーっと長年コンスタントな付き合いさせて貰ってる最重要人物です。
いやーほんとに色んな意味でチャーベくんにはお世話になってます。
今回お祭りイベントとは言え、
チャーベくんと仲くんが同じブースに並び立つって言うのも、
オレもそうですけど、昔からのファンからすると、
感慨深いモノがあるんじゃないでしょうかね~。
それも今回ほんとに嬉しいというか。
今は2人ともやってるDJの方向性が全然違うので、
時間割りもちょっと離した方がお互いにやりやすいかとも思ったんですが、
やっぱどうしても同じブースに2人が並ぶのを見たいというわがままから、
仲くん→チャーベくんというタイムテーブルを組ませて貰って(笑)。
その2人とも旧知の仲のカジくんを始め、
他のメンバーもほんとにみんなクリエイティブ且ついい子たちばかりで、
新旧インディー系DJオールスターズの様相で(笑)、
ほんとにいいブッキング出来たと思ってます。
お客さんいっぱい入って盛り上がればいいなあ。
非常に楽しみ。



ALLOK3OUT




23Bの時にもちょっと出ましたけど、
『申し訳ナイト』の一夜限りの復活も非常に大きかったですね〜。
やっぱこれまたうちの20周年を語る上で絶対外せない最重要イベントでしたから。
間違い無く今のJ-POP DJブームの先駆け的イベントだったでしょうね。
まあそれがクラブ界にとって良かったのか悪かったのかは置いといて(笑)。
ぶっちゃけ始める時はさすがに「一晩J-POPとか大丈夫かな…?」
的なのはありましたからね〜色んな無茶なことやってきたうちでさえ(笑)。
でもそんな不安とはよそに、初回のインパクトが凄くて。
うちもゲストに宅八郎さん呼んで歌謡曲ナイトとかやったり、
他にもお笑いライブをやったりとか、
当時のクラブ界のタブー的なのは大抵やってきた自負もあったんですよ。
でもいわゆるよくある歌謡曲ナイト的な類では全然無くて。
DJもそうですけど、来てるお客さんも然り、出演者も然り、全てが斬新で。
正直これはやられた!って思いましたね〜。
で、即ミッツィーさん(現ミッシェルさん※もう書きませんw)に
「宇都宮からだと大変だとは思いますけど、良かったら毎月とかどうですか?」
って打診したら2つ返事でOK貰って。
そこからなんと13年もやって頂くことになろうとは(笑)。
噂が噂を呼んで大ブレイクした2008年頃なんて、
もう毎回パンパンに入ってましたからね。
200人近く入ってた時もありましたかね〜。
まあその後の猫も杓子もJ-POP DJブームもあって、
残念ながら昨年末に終わっちゃったんですが。
話しを戻しますが、終わってまだ半年しか経ってないし、
さすがにちょっと早過ぎるかなあ…とは思ったんですが、
流石シャレがわかるミッツィーさんというか。
『元・申し訳ナイト』として1夜限りの限定復活して貰うことになって。
他の皆さんも「えー!ちょっとまだ早過ぎでしょ!」とか一切無かった様で
(まあ内心はあったとは思いますけどw)。
ギュウゾウさんとGEEさんが出れないのは残念でしたけどね〜。
でも代わりに、これまた三宿Webの20周年を語る上で絶対外せない、
NONA REEVESの顔・郷太くんもゲストで出てくれることになったのも嬉しかったし。
いつも元気なハイパーヨーヨの2人のライブも決まって嬉しかったなあ。
あ、あとこの日も当時のスタッフの紗綾とめぐみが限定復帰します(笑)。
士郎さんには「イベントと一緒に当時のスタッフも限定復活ってどんなクラブだよ!」
とは言われましたけど(笑)。
まあ間違い無く大盛り上がり必至でしょうね~。
てか年に1回ぐらい復活すればいいのに!(笑)。


申し訳OUT




その前日にはMELLOW YELLOWのK.I.Nちゃんのイベントで、
これまた今や滅多にやらないMELLOW YELLOWのライブも。
今回残念ながらISOくんは出れないんですが。
やっぱうちの元スタッフと結婚したKOHEIくんには是非とも出て欲しかったし、
しかもK.I.NちゃんとのMELLOWで演ってくれるのはほんとに嬉しいです。
実はこの日、EASTENDにライブ演って欲しいなあと思って、
なにげに水面下で画策してたりもしたんですが、
GAKUさんがワールドカップ関連で仕事が入っちゃって、
出演自体がNGになったのでダメになったのが非常に残念でしたけどね〜。
EASTENDは3人とも同じ年だし(ちなみに前述のDさんも仲くんも同い年)、
長年『ダサパ』もやって貰ってたし、
あのDA・YO・NE発売からもちょうど20周年なんですよ。
だから是非とも演って欲しかったんですけどね〜。
まあ年内中にタイミング合う時にでも、
ダメもとで別にオファーしてみようかな(笑)。

いやー軽くダダダと書くつもりが既にえれー長くなってしまったので、
ここからはサクサクッといきます。
後半は全部レギュラーイベントなんですが、
『福善よる』にはSMOKIN'も出るし、Capppaのシゲと鶯くんも出るし、
『SWING CHOP』にはバクドキもライブ演ってくれるし、
なんと言っても嬉しかったのが『グルービー和物サミット』で、
タイジさんのライブが決まったこと。
オープン当初のWebって、金曜帯でシアターブルックのDJチーム・
ELPASO BROTHERS(吉沢dynamite.jp&与西)+山崎豪
だったので、タイジさんは勿論のこと、
シアター周りの人たちは毎週金曜日によく遊びに来てて。
タイジさんとは元々ROOMの頃からの知り合いで、
ROOMの1周年イベントをGOLDでやった時もシアターにライブ演って貰ったり。
最近はめっきり遊びに来なくなっちゃいましたけど、
やっぱタイジさんはどうしてもうちのオープン当初のイメージが強くて。
なのでうちの20周年記念月間の吉沢の日に、
タイジさんがライブ演ってくれるっていうのは、
非常に感慨深いモノがあるんですよね〜。
いや、これもほんとに"THE20周年"を感じる非常に嬉しいことでしたね〜。


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個人的に心配なのはふとした時に営業中うっかり泣いちゃうんじゃないかということ。
いや、オレ若い頃のある日、人前では絶対泣かないって決めたんですよ。
「男たる者、どんな時でも人前で涙なんか見せたらあかん!」って思って。
それ以降どんな時でも人前では泣かなくなって。
誰の葬式だろうと結婚式だろうとぐっと堪えてきて。
人前以外だと実は人一倍涙脆いんですけど(笑)。
でも実は前にも書きましたけど、それから1度だけ人前で泣いたことがあって。
10周年のアニバーサリーイベント『MISHUKU GOLDRUSH』の最終日です。
終礼(毎営業後にやる軽い反省会みたいなのモノ)の一番最後に、
オレが総括して締めるってのがいつものパターンなんですが、
オレの番になるちょっと前から急に涙が止め処なく溢れ出てきて。
なんか急に10年間の辛かった事や、
新旧スタッフや出演者の方々に対する感謝の念が、
急激に一気にぐわ~って出てきて。
まあ10周年の準備もそれはそれは大変だったし、
疲れもピークだったところに最終日にちょっとした揉め事もあったりで、
心身ともに弱ってたのもありましたけど。
正直終礼始まる前までは、
「10周年だから泣くとか寒すぎやろ!」ぐらい思ってましたし、
泣くなんてこれっぽっちも想像もしなかったんですけどね〜。
いやぶっちゃけこの前もある営業日のふとした時に、
めっちゃ込み上げてきて泣きそうになって。
ヤバい!今誰かキャッシャー来たらまずい!って必死に堪えましたけど(笑)。
いや、やっぱちょっとこの20年のこととか考えると、ぶっちゃけいつでも涙出てきますもん。
それぐらい濃厚でしたし、やっぱ三宿で20年なんて奇跡的なことですから。
そういう諸々考えちゃうとやっぱヤバいですよ。いやーほんとに怖い。絶対泣きませんけど(笑)。
なので皆さんくれぐれも泣かす様なことはやめてください(笑)。

去年の夏以降ぐらいからしょっちゅう鬱になってた要因の1つでもあったんですが、
やっぱ20周年ってオレにとっては結構プレッシャーで。
周りはでかいことやろう!って言うけど、オレ自身は全然そんなでかいことはやる気もなく、
身の丈に合ったことで充分ってのはあったんですけど、
やっぱ20周年なのに地味にやるのもなあ…みたいな葛藤もあったり。
あとオレってほんとに外交しないクラブ店長というか、
他の店に顔出して友好を深めるとかって全然しなかったんですよ。
こんなに引き籠もってるクラブ店長も珍しいでしょ!ってぐらい。
昔はたまに遊びに行ったりもしてましたけど、最近はもうめっきり。
あとうちがここ5年ほどアニバーサリーイベント的なのをやらなかったのもあって、
あんまりよそのアニバーサリーイベントにも花とか贈ってなかったので、
20周年とかなのに花とか全然来ないだろうなあ…カッコつかないよなあ…
みたいなのも正直あって。
なんかそういうのも凄く20周年に対して嫌なイメージに繋がったというか、
プレッシャーに繋がったというか。
でももうここまで来たら全然開き直ってますけどね。
そんなのはもうオレの力不足や付き合い不足だった訳で。
そういうのも全部引っくるめて三宿Webの20周年なんじゃないかと思う様になって。
いや、ダメなところも全部さらけ出していこうってぐらいの勢いです。
なのでもう最初に言っときますけど、他の店のアニバーサリーの様に、
入口とかにバーッとスタンド花が羅列されてとか全然ないと思いますが、
まあそういうことですのでひとつご了承のほど(苦笑)。
あと逆に言うと、開催期間が何日間とかじゃなく、
1ヶ月間とかだと花とかも贈りづらいんですよね。
まず花自体も持っても1週間だし。
と、いい訳もしておきます(笑)。

そんな訳で簡単にサクッと書くつもりがいつも以上に長々と失礼致しました。
ここ最近はほんとにイベント準備のため怒濤の様な忙しさでしたが、
もうオレがやれることはほぼやったので悔いはないです。
あ、まだ明日の朝まで色々と準備に動き回る予定ですけど。
あとはもうどのイベントも、来てくれたお客さんも出演者の皆さんも、
楽しんでくれればいいですね〜。もうそれだけで本望ですよ。
20周年に全てを注ぎ込んできたので、
間違い無く6月終わったら20周年燃え尽き症候群に陥るのは必至ですが、
無事6月終わったらもうどうなってもいいですこの際(笑)。
でもほんと、今月1回でもいいので、
いや1回でも多く色んな人に遊びに来て欲しいですね~。
是非とも。心からお待ち申し上げます。
あ、いや、やっぱ最後はコレで。
舞ってますっっっ!!(踊りながら待つという意※特許出願中)


URA

※三宿Web20周年記念オリジナルTシャツは近日中にネット販売開始します!少量ですのでおはやめに!

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