ナガサワブログ PART3~この熱い魂を伝えたいんや~

D級草どインディー老舗クラブ"三宿Web"店長ナガサワの趣味や考え方や日常が垣間見れる独り長文炎上ブログの続々編。

2015年07月

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ちょうど20年前の1995年は、先日書いたこととかは非常に記憶に残ってるんですが、それ以外はあんまり印象に残って無くて。もうなんせ毎日が忙し過ぎましたからね…。当時は勿論今の様にSNSも無かったし、日記とかもつけてもなかったしで余計に。ちなみにこの頃のヒット曲(邦楽の)ってオンタイムで聞いた記憶がほとんど無いんですよね。ちょーテレビっ子だったのに。当時は全然休みなかったからなあ。んなこともあって、今年に限って言えば20年前よりもちょうど30年前のことをよく想い出していて。最近はもっぱら当時の曲とか聴いてますね〜。iTunesでも1985フォルダ作ったり。そう、ちょうど30年前の1985年は非常に想い出深い年だったんですよ。



今だから / 松任谷由実・小田和正・財津和夫





1985年 (昭和60年) はちょうど中学3年の頃。年齢的には早生まれなので14歳の時(周りのみんなは15歳)。中3のクラスはめちゃくちゃいいクラスで。ウマが合う友達がクラスに沢山いて(っていうかほとんどみんなだったかも)、毎日学校行くのが楽しかったですね〜。高校進学で別れ別れになって一旦は疎遠になった後も、高3の冬休みって地元のヤツはみんなこぞって近所の教習所へ行って免許取り行ったんですが、その時に久々に当時の仲良かったメンバーと再会して。それからオレが上京するまでの期間はしょっちゅうその辺のメンバーで集まって遊んでましたかね〜。その後オレが上京した直後数年間ぐらいは、オレが帰省するたびに集まってくれて。いわゆるクラスの中って尖ってるワル組と穏和な一般庶民組で分かれたりするじゃないですか?オレの立ち位置ってちょうど中間というか、どっちのグループとも仲良かったんですよ。だからオレが帰ると1度にみんなが集まりやすいらしく、年に1度の帰省時には結構同窓会的に中3クラスのメンバーで集まったりしてたんですよね。オレが夜の世界に入ってからはあんまり帰らなくなったり、徐々に生きている世界の違いに戸惑いを感じてあんまり連絡取り合わなくなったりしてしまいましたけど。なんせ田舎でしたからね…。まあでも、中高通して個人的に最高のクラスだったことは確かですね〜。



Romanticが止まらない / C-C-B





修学旅行はバスで伊勢とか富士急とか巡りつつ東京へ。もうめちゃめちゃ楽しかったですね~。バスの席がたまたま仲が良くて普段からよく喋る女子2人と前後だったのもあって、もうひたすらアホみたいな話しして笑かしまくってました(笑)。もうバス乗ってる間はずっと爆笑してた記憶しか無いぐらい。夜中に寝ないで野郎だけでぶっちゃけトーク的なのをひたすらしてたのもオモロかったし。せっかく行った富士急ハイランドはあいにくの雨で全然楽しくなかったけど(苦笑)。


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1985年というとやはり阪神の21年振りのリーグ優勝+初の日本一です。関西にいたのもあって、ほんとにあのフィーバー振りは凄かったですね~って正直なところ昔過ぎてあんまり憶えてないんですけど(笑)。でも優勝を決めた日は未だに憶えてますね~。神宮で9回土壇場で追い付いて引き分けで優勝決めたんですが、1人応接間のテレビの前に1人掛けのソファーを置いて陣取り、吉田監督の挨拶の時に感動してボロボロ号泣したのを未だに憶えてます(笑)。翌日のスポーツ新聞も最寄りの駅まで行って全部買いました。勿論のこと、クラスでもしょっちゅう阪神の話題で盛り上がったし。無駄にちょっとぽっちゃりしてるってだけで、全然似てないのにバースってあだ名の友達もいたし(笑)。いや、当時の関西圏では外人見るたびに「あ、バースやバース!」ってベタなボケ言うぐらいのフィーバー振りだったと思います(笑)。


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当時は新日本プロレスにどっぷりハマってた頃でもありましたね〜。80年代初期のアントニオ猪木と初代タイガーマスク、藤波対長州の名勝負数え歌に古舘伊知郎の名調子解説などによる空前のプロレスブームの頃で、毎週金曜日夜8時はテレビの前に釘付けになって興奮して観てましたね~。週に1度の楽しみってぐらいだったかも。85年は既に長州力率いる維新軍は全日本プロレスへ移籍してましたが、ちょうどブルーザーブロディが全日本からの引き抜きで新日本に上がって猪木としょっちゅうシングルでやってた頃で、年末には電撃の前田日明率いるUWF勢がUターン参戦したり。学校の休み時間はプロレス好きな友達と大抵しょーもないプロレスごっこばっかしてましたね〜(笑)。


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中3ですから勿論受験戦争真っ只中。オレはもうほんとにアホだったので、いやマジでびっくりするぐらいアホ過ぎたので、最初の進路相談の時点では担任にまず公立は無理って言われて。行けるとしても1番下のヤンキーだらけの男子校の工業高校しか無理と。なんやったらそこもギリギリ通るかどうか、みたいな。それより下の私立のアホ高校だとなんせ月謝がバカ高いから、頼むからどこでもいいから公立行ってくれと親にも言われ、しょーがなく必死に勉強して。とりあえず私立・公立問わず、ヤンキーだらけでしかも男子校なんて死んでも嫌でしたからね(笑)。つってもほんとにアホ過ぎたので、勉強って言っても初歩の初歩ぐらいのところから(苦笑)。公文式とか通いましたもんね。まあその甲斐あって、担任には当初「おまえの頭でそんなとこ行けると思ってんのか!?滑っても責任持てへんぞ!」とまで言われていた、それでも当時下から2番目の男女共学の公立高校になんとかギリギリ合格したんですけど。とにかく中3の時期はずっと勉強したり、勉強してる風を装ったりと、なにかと大変でしたね〜(苦笑)。



あの娘とスキャンダル / チェッカーズ





受験勉強の時には当時流行っていた、レベッカの『REBECCAⅣ』をよく聴いてましたね~。冬ぐらいの時期かなあ。確か兄貴の影響だったかと思いますけど。あとなぜか未だに非常に印象に残っているのが中村あゆみのアルバム『Midnight Kids』。確かクラスの仲の良かった女の子が「これめっちゃええから聴いてみて〜」ってテープ貸してくれたのを切っ掛けによく聴いてたからだと思うんですが、未だに聴くと一瞬にしてあの頃にフィードバックするというか。調べてみるとこのアルバムって実は前年に出ていて、85年に爆発的ヒットを記録した彼女の代表曲である『翼の折れたエンジェル』が入ってる訳でもないんですが、なぜか当時気に入ってずっと夜中に聴いてた記憶。特に、恐らくシンディーローパーの『TIME AFTER TIME』を意識して作られたであろうこの曲のイントロを聴くと毎回胸がキュンキュンします(笑)。



悲しみのセンセイション / 中村あゆみ





1985年は、もうこのブログでは何度も出てくる『ふぞろいの林檎たち』にどっぷりハマり始めた年でもあります。前にも書いたと思いますが、修学旅行の確か初日の夜にちょうど『ふぞろいの林檎たちⅡ』の最終話があって、男部屋はお決まりの枕投げが始まってわいのわいのの大騒ぎの中、オレ1人だけテレビの前に陣取ってテレビにかじり付いて見入ってたという(笑)。女子部屋は全員集まってその時間ばかりは静かに見入ってたらしく、翌日のバスはもう、前述の仲のいい女友達とはふぞろいの話しで持ち切りでしたね~(笑)。これも前に書きましたけど、当時人気絶頂のキョンキョンがいいともの『テレフォンショッキング』にゲストで出てタモさんに「もう最近はふぞろいの林檎たちの放送が毎週凄い楽しみで。ほんとに毎回生き方とか考え方とか色々考えさせられるんですよね〜。」的なことを言ってたのが非常に印象に残ってますね〜。ちなみにふぞろい観始めたのがパート2からで、85年の年末に関西地区では夕方にパート1の再放送が始まって。それはそれはもう毎夕を楽しみにして観てましたね〜。まだビデオとか無くて、仕方ないのでテレコのマイク部分をテレビのスピーカーの前に設置して録音するという、ラインアウトでもないライブRECという荒技で録音したテープをずっと聴いてました(笑)。録音中部屋に急に入って来たうちのおばあちゃんの声入ってたり(苦笑)。特にパート1の最終回は何十回聴いたかわからないぐらい。てかそのテープまだ持ってますよ(笑)。もうほんとに、初めて観た時からふぞろいの世界観が凄く好きでしたね~。お陰で全編流れるサザンも大好きになったし。オレこの先どういう人生送るかわからないけど、しょーもない学校行ってしょーもない就職先に勤めてもいいから、こんな人生だったらいいなあ~って幼心に漠然と思ったというか。そうか、そう考えたらふぞろいⅡ放映からちょうど30年か。なんかこれはこれでまた感慨も一塩ですね〜。。。

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1985年という年は、初めて女の子と付き合った年でもあります。つっても今考えると、もう全然付き合ったとは言えないレベルですが…(苦笑)。中1の頃に同じクラスにちょータイプの子がいて。背が高くて色白で色素薄くてそばかすのある薄茶色のショートカットの、陸上部で運動神経良さそうなスポーツマンタイプのボーイッシュな女の子でした。あだち充の漫画で言うと『若松みゆき』みたいな感じの子(笑)。オレって当時は相当ちっちゃかったので、身長的にはオレより高かったと思います。喋りやすい子で、笑い上戸なのもあり、最初の席がまあまあ近かったのもあってすぐ仲良くなって。で、なんかの拍子ですぐプライベートで遊んだんですよ。同じクラスのもう1人男の子とその子とその子の友達の女の子と4人で。つっても確かうちでレコード聴いてくっちゃべって、それからチャリで近所のジャスコ行ってソフトクリーム食ったぐらいだったと思いますけど(笑)。でもそのジャスコ行くまでにたまたま同じクラスのバレー部の奴に遭遇して、翌日にはすぐクラスで噂されて。あいつら4人で遊んでたって。今時ならよくある話しでしょうけど、当時のど田舎のうちの地元では、あんまり男女が仲良く遊ぶとかって無かったんですよ。年頃的にちょっとまだ恥ずかしいっていうのもありましたけど。しかもまだ中1だったし。で、結構噂されて遊びずらくなってしまって。それ以降はプライベートで遊ぶことはなくなってしまって。



YOUNG BLOODS / 佐野元春





実は一目見た時からずっとその子のことが好きで。あ、名前はKってことにしておきます。第一印象から可愛い子だなあという印象でした。中2になってクラスは変わってバラバラになったんですが、やっぱずっと好きで。中3になっても違うクラスだったんですが、同じクラスのNって女の子と理科の時間がたまたま隣の席になったことでちょー仲良くなるんですが、毎回理科の時間は隣の席のそいつと授業中ずっと喋る様になって。Nはオレがずっと好きなそのKとたまたまとても仲良かったんですよ。なのでしょっちゅうKの話しが出てくることもあり、ある日勢いでNにKへの思いを話したら、N曰く「えー!長澤くんのことオモロい子やし可愛い可愛い言うてるし(当時はオレ可愛かったらしい笑)、いけるんちゃう??」って言いだして、仲を取り持ってくれると言いだして。正に、恐らくちょうど30年前の7月頭ぐらいの時期ですよ。そこからは結構早かったですかね~。確かもう翌日にはN越しにKから手紙が来て。「えー!そんな思っててくれたなんてビックリや~!」的な内容でしたが、全然満更でも無さそうな感じで。で、オレも手紙書いてNに渡して。何書いたか全然憶えてないけど(笑)。それを何度も繰り返してましたかね~。文通ですよ文通!(爆笑)。話しの流れ的にはもう付き合う的なていで話しが進んでいて。クラスも違うし外でもなかなか逢いずらかったので、1時間ぐらい早く学校に行って逢ったりしてましたかね~。つっても周りの目が気になって、Nも交えてほんの数分話して終わり的な感じでしたけど。なんせ田舎だったし、今みたいな男女関係がオープンな雰囲気は校内には無かったし、そういう噂が立つのが早かったですからね〜、、、。とは言えとりあえず、生まれて初めて意中の女の子と付き合えて(まあまだちょっとした初両思い的な感じですが)、当時のオレは宙にも浮くぐらい舞い上がってたと思います。いや、多分ちょっと宙に浮いてたかもってぐらい。



恋に落ちて -Fall in love- / 小林明子





夏休み入る前に1回だけ夜に逢ったこともありましたね〜。土曜日の夜。ちょうど30年前の今ぐらいの時期じゃないすかね??『オレたちひょうきん族』観終わった後に出掛けた記憶。お互いの家の中間辺りにある小学校の近くの売店で待ち合わせして。逢ったはいいけどどこ行く?って話しになって、当時Kが通ってる寺子屋みたいな(笑)ボロい建物の塾かなんかで、鍵空いてるから入れるとかで、狭い入口に横並びに2人座って話しただけなんですけど、1時間半ぐらいでしたかね~。ほんとに話しただけっていうか、緊張して何も話せなかった様な記憶(笑)。可愛いっちゃあ可愛いですけど、如何にオレがウブで奥手で度胸もない小心者の田舎モンだったか…(苦笑)。でも当時のオレからしたら、それだけで幸せ絶頂だったと思います。



土曜日の恋人 / 山下達郎





そうこうしてる間に夏休みが来て。とは言え毎日の様に塾に通ったり試験勉強はしてたんですが、もう常に彼女のことは考えていて。でも全然電話出来なかったんですよ。ほんとにチキンだったので…。親が出たらどうしよ…?みたいなのにビビっちゃってて。アホみたいにKから電話してくれるのをひたすら待ってたんですが、一向に掛かってこなくて。業を煮やして1回だけ勇気を出して電話しましたかね~。そしたら案の定おかんが出て。ちなみにKのおかんは学食のパン屋で働いていて、たまに喋ったりして仲も良かったんですけど(笑)。1回だけ塾に行く途中に渡る橋の上で反対側の歩道をお互いチャリで走ってるところで遭遇して。ほんとに一瞬でしたけど、お互いに気付いて。オレはもうそれだけで嬉しかったですね~。そんなこんなで悶々としてる間にどんどんと夏休みは過ぎ、夏休みが終わる前の1週間前辺りに登校日があったんですが、内心また逢えるかもってドキドキしてたんですが、そしたらまた手紙貰ったんですよ。でも帰ってから読んでって前置きがあったので嫌な予感はしてたんですが、帰宅して読んでみると案の定別れの手紙でした。明白なことは書いてませんでしたけど、簡潔な文脈からは"さよなら"的な意味は読み取れました。いやあ~~~もうほんとにショックでしたね。。。勿論せっかくの夏休み中たったの1度も連絡しなかったオレがアホ過ぎだし完全に悪いんですけど。相当立ち直れなかったぐらいショックでした。てか今考えるとほんとにアホ過ぎですよね~。フラれて当然です。とは言え間違い無く異性とのことでは、当時生まれてきて1番ショックでしたね。当分立ち直れなかった記憶。あ〜30年前に戻って当時のオレを慰めてあげたい(笑)。



シャイニン・オン君が哀しい / LOOK






あれから30年かあ〜と思うと、なんというか非常に微妙な感覚にも陥ります。長い様な短い様な。言うまでもなく色々あったし。現状の自分と当時の自分を照らし合わせてみたり。勿論当時の自分からしたら今の現状は想像も出来ないし、タイムスリップして説明しても理解に苦しむぐらいかも。人の人生ってほんとわからないもんですよねえ。いやあ、感慨深いです。

ちなみに1985年というと一般的には、
●『夕やけニャンニャン』放送開始、おニャン子クラブが社会現象
●松田聖子と神田正輝が『聖輝の結婚』
●LIVE AID開催
●日航ジャンボ墜落
●夏の甲子園で桑田・清原擁するPL学園が優勝
●ロス疑惑の三浦和義逮捕
●夏目雅子さんが急性骨髄性白血病により死去
●任天堂『スーパーマリオブラザーズ』発売
●『8時だョ!全員集合』が放送終了
●『ニュースステーション』放送開始
●淡路島と徳島の鳴門市を結ぶ東洋一のつり橋「大鳴門橋」が開通
●西武・森祇晶監督就任
●両国国技館オープン
●他、テレビでは『毎度おさわがせします』『金曜日の妻たちへⅢ 恋におちて』
『スケバン刑事』『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』
『アッコにおまかせ!』『さんまのまんま』『夜のヒットスタジオDELUXE』
●映画では『ビルマの竪琴』『乱』『Wの悲劇』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
『ランボー怒りの脱出』『ロッキーⅣ炎の友情』『ネバーエンディング・ストーリー』

など。
アラフォーの方にとってはこの上なく懐かしいんじゃないでしょうか(笑)。


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We-Are-The-World







たまによく思うんですが、80年代が青春時代であり思春期で良かったなあって。古き良き時代というか。今考えると何も無かった時代ですからね。勿論携帯もパソコンも。ヘタしたらビデオも留守電も無かった家庭とかザラだったし。ほんとに不便でしたよ~。でもそのお陰で色んなことを考えたり労力を使ったりしたことって、今となってみればいい経験であり想い出でもあるというか。今のとても便利な生活も慣れてしまうと手放せなくなるぐらい素晴らしいモンですが、それもこれも何も無くて散々苦労してきたからこそ有り難みもわかるって部分も非常にあるし。なんかアレはアレで良かったなあ~って思うし、アレを実際に経験出来たっていうのは、ある意味人生に於いて非常に財産だとも思ってます。あの80年代の、テクノロジーが一気に進化して一気に世界観が変わった様な独特な空気感が、未だにほんとに好きです。音楽的にも、シンセサイザーを駆使したコンピューターサウンドが導入されて、80年代特有の雰囲気が漂う曲が非常に多いし。洋邦問わず、明るく軽快でカラフルで煌びやかなポップスの名曲も沢山あるし。一種独特の雰囲気を持っていた時代だと思います。かの松本隆さんがインタビューで「とくに80年代はバブルと重なったことで付加価値が付き、音楽の質が高くなった。文化はお金がかかるものだから、バブルでみんなが潤沢にお金をもっていたことが文化を豊かにしたんだと思う。景気のいいときには面白い文化が生まれるし、景気が悪いと文化もしぼんで廉価ものが多くなってきてしまう。」っておっしゃってましたけど、なるほどなあ〜的な。

まあそんな訳で、既にここ数日序曲的に暑いですけど、これから梅雨が明けて本格的に暑い夏がやってくる訳なんですけど、暑くなると余計に、特に夜中とかは、ちょうど30年前のことを色々と想い出してキュンキュンしそうですね~。ミッドナイト・キュンキュン・インサマーですよ!ま、今年は30年前とは違ってどうか楽しい夏になります様に……(苦笑)。




ミ・アモーレ / 中森明菜


天使のウインク / 松田聖子


BOYのテーマ / 菊地桃子


ふたりの夏物語 / 杉山清貴&オメガトライブ


Bye Bye My Love (U are the one) / サザンオールスターズ


Easy Lover / Philip Bailey, Phil Collins


Everybody Wants To Rule The World / Tears For Fears


Careless Whisper / George Michael


Say You, Say Me / Lionel Richie


We are the World / USA for Africa


1985年CM集

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前にも何度かブログで書いてますけど改めて。三宿Web1周年記念アニバーサリーイベントの最終日が終わって、当時の主要スタッフの3人のオレ・マーヴィン・ガリバーはソファー席(今で言うとこのDJブースから前辺り)で疲れ果てて寝てた訳ですよ。夕方になって起きて、腹減ったので3人で世田谷公園付近にあった焼肉屋へ。食った後に店戻って帰ろうと思った矢先にマーヴィンが、「天気いいなあ~今から海行かない??」とか言いだして。間髪入れずガリバーが「いいねえ~海行っちゃおうか!」って言って。当時は日曜日以外は毎日営業してたんですが、さすがに アニバーサリー後は週末前まで休みにしてたんですよ。なので、特に予定も無いしオレも別に行ってもいいかなあぐらいの感じでしたが、オレが「でも1回家帰るの面倒臭くないすか?」って言ったらマーヴィンが「今からタクシーで行っちゃおうよ!」って言いだして。勿論ガリバーもいいねいいね状態。でもオレは1人「え!?ここから海までタクシーって幾らかかんのよ!?」って感じで???状態。てか内心まさか冗談でしょ???とか思ってたら本気でタクシー乗り込んで「逗子までお願いします~」って!うわマジだとか思いながらも言われるがままにとりあえずそのままタクシーで逗子へ。たまたまタクシーの運ちゃんがとても感じのいい人で、談笑しながら逗子へ。ちなみにその時のレシート確かどっかにあるハズだよなあ~と思って家中探したんですが見付からず…。確かどっかにあったハズなんだけどなあ…。

なんで逗子だったかって言うと、当時マーヴィンが長年付き合ってた彼女の実家が逗子だったんですよ。そんな訳での逗子だったんですが、結構道も空いてて約1時間ぐらいで着きましたかね~。気になる料金は1万5千円でした。とりあえず逗子海岸へ行くと海開き前で海の家とかもまだ作ってる最中で。凄くいい天気だったのもあって、マーヴィンとガリバーはなんとパンツ一丁で海に入って行って。オレはそれを羨ましそうに遠目に眺めてたんですが、余りにも気持ち良さそうで、着ていたスーツを脱ぎ捨ててオレもパンイチで海へ。海開き前で誰も泳いで無かったし、最高に気持ち良かったのを憶えてます。

勿論誰もバスタオルも持って来てないし、海の家もやってないから売ってもないしで、海から上がったら自然乾燥待ち(笑)。でも陽も落ちてきて風も出て来てちょっと寒くなってきて、ある程度乾いたら当時海沿いにあったロイヤルホストへ。メシ食ったらミーティングっぽくなって。まずマーヴィンが「オレはマジでもう店長は辞めるから。元々オレはミュージシャンだしさあ、店長なんかやってらんねえよ。っていうか店長がどうとか言うより○○さん(当時のプロデューサー)とは仕事してらんねえよ。」って言いだして。そしたらガリバーが、「じゃあもうみんなで辞めちゃおうか(笑)」って言いだして、オレも元々はマーヴィン前に色々散々悶着があったのもあって、もう充分Webも流行ったし、辞めましょ辞めましょ!(笑)みたいになって。で、そのミーティングではとりあえず、もうオレら3人はWebを辞めようってことで終わって。ちなみにこの件は後のミーティングで当時の社長に全力で慰留されて、せっかく潰れかけた店がようやく流行ったのにここでオレらが辞めたら勿体ないって話しになり、オレがマーヴィンの代わりに店長をやるってことでマーヴィンも納得してそのまま3人は続けることになったんですけど。

話しは戻って、ロイホでそんなミーティングをしてたら当時のマーヴィンの彼女がやって来て。で、その後その彼女の実家にお邪魔してお風呂を借りて汗流して。で、リビングで3人でこの先どうする??みたいな話しになって、マーヴィンかガリバーが「せっかく休みだしさあ、たけっしー(当時のオレの呼び名)の実家行こうよ!ヒッチハイクで!(笑)」とか言いだして。またまた「はあ??ヒッチハイク??オレの実家関西ですよ!??(笑)」とか思いながらも、どうやら本気だったようで直後に出発。3人で海岸通り沿いの道で車止まって貰う様に親指突き立てて「ヘイッ!」ってやって。1人はチョンマゲ、1人は上半身裸のオーバーオール着た大男、1人は人相の悪い全身黒尽くめのスーツ野郎。そんな3人の為に夜中の1時に車が止まる訳もなく(笑)。小一時間ぐらいそんな調子で頑張ったモノの結局一台も止まってくれなくて(当然)、仕方ないからとりあえずどこか泊まれるところ探そうってことでタクシー捕まえようとしたら、当時の逗子は終電終わったらビックリすることにタクシーなんて一台も走ってなくて(笑)。駅前まで行ってもいないんですよ。で、フラッフラで歩きまくってたらようやく一台見付けて飛び乗って。タクシーの運ちゃんにどこか泊まれるところないか聞いたら、24時間営業のサウナが横須賀駅前にあって、そこなら仮眠も出来るっていうんでそこまで乗せてって貰って。結局そこのサウナに朝まで泊まって、横須賀駅前のデニーズで朝食とって、そこから電車とモノレールと船使って浅草まで行って。浅草ではもんじゃ食って花やしきで遊んで。

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いや、当時のオレって真面目だけが取り柄の様な面白味のない野郎で。あ、喋りの方は当時から面白かったですけど(笑)。なのでタクシーで三宿から逗子まで行くとか、海開きもしてなけりゃ海パンもタオルも何も持って来てないのにパンイチで海入るとか、もうほんとうにカルチャーショックで。もう頭たたき割られた様な衝撃はあったかも。でもそういう無茶苦茶さ加減がどこか心地良かったりもして。なんかあの日の出来事って、当時のオレにとっては人生観や価値観を大きく書き換えられた様な、一生忘れられない劇的な1日だった訳ですよ。なのでそれ以降も何かとあれば逗子海岸に行く様になって。もうほんとうに数え切れないぐらいの想い出がありますよ。夏は若者たちで盛り盛りでうっとうしいのでまず行かないんですけど、夏以外の季節とかによく行きましたね~。正月とか春先とか。デートで行ったり、勿論歴代の彼女とかとも行きましたし(笑)、1人っきりでもよく。早朝から行って波打ち際でひたすらボーッとするのが好きで。何時間でも居れるというか。ロイホがあった時はロイホと海辺を行ったり来たりしてたんですが、ロイホは2007年に閉店してしまって。他には海岸の端にデニーズがあったんですが、そこも2009年に閉店。閉店する日は惜しむ人が多くて、オレもその日(確か平日)デニーズ行きたかったんですが行けなくて、お客さんの中でUstreamで中継してる人が居て、それ家でずっと観てたり(笑)。ちなみに当初デニーズ跡にはマンションが建つって噂だったんですが、結局『なぎさ橋珈琲』というレストランカフェになって、とりあえず海辺の休息所は辛うじてまだあるんですけど。

その初めて逗子に行った日が20年前の1995年6月25日の日曜日で。なのでちょっと前から、今年の6月25日はたまたま営業も無い日だし、天気良かったら記念にちょっとでもいいから逗子海岸に行きたいなあとはずっと思っていて。当日は朝から三宿ニャンニャンタイガースの試合があったんですが終わって1度帰宅して、夕方から長年切って貰ってる金沢文庫の『KOKUA』に髪切りに行って。18時頃に終わって逗子へ。前日試しに「明日の夜逗子で海呑みしない?」って誘ってみたら、うちの野球部の中家くんとその彼女で長年の友達の富士子ちゃんが乗ってきて落ち合うことに。逗子駅前で待ち合わせて3人で歩いて逗子海岸へ。途中コンビニで缶ビール買って行って。

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記念すべきジャスト20周年となる逗子海岸。サンセットにギリギリ間に合った的な。あれからちょうど20年かあと思うと、いやあ~なんかやっぱ感慨深かったですね~。翌々日に迫った海開き直前だったので海の家もさすがにもう組んではありましたけど、思ったよりはごちゃごちゃしてなかったし。あと人も思ったより全然居なくて穏やかで。気温も高かったので水温もちょうど良くて、3人で足だけ海に入ったりして気持ち良かったです。余りの気持ち良さに20年前同様パンイチで入ろうかとも思いましたけど、翌日も営業あるし風邪でも引いたらまずいということで自重。陽が沈んだら一気に肌寒くなったので内心勢いで海入らなくて良かった…とは思いましたが(笑)。途中ビール足りなくなってコンビニ買い行ったり、せっかくなのでと持って来た一眼レフとiPhoneで写真も撮りまくりました(暗くなってからのはほとんどピンボケでしたけど汗)。陽が暮れかけた辺りで、もう1人増えて4人でご飯食いに海岸沿いを移動してたんですが、ふと「わ!ここちょうど20年前に3人でヒッチハイクしようとした場所だ!」ってとこを通って。思えばその道はあの時以来20年振りに通った道でした。たまたまとは言えなんか感慨深かったですね~。そういやあれ以来ここって通ったことなかったわと思って。っていうかあの時ほんとにヒッチハイク出来てたらどうなってたんだろう?とかも思ったり(笑)。

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定食屋で美味しい魚食って飲んでたらもう1人増えて、計5人で駅前の立ち飲み屋へ。平日なのにめちゃくちゃ賑わってましたね~。軽く呑むつもりが延々盛り上がって呑んでて、気が付いたら終電ギリギリまで。いやあ~思い掛けずめちゃくちゃ楽しい1日でした。ぶっちゃけ当日までまだ迷ってましたけどね。天気や体調次第なところもあったし。思えば朝の野球も凄い盛り上がったナイスゲームだったし、まんまと天気も良く記念日に逗子海岸行けたし、急に誘ったにも関わらず4人も来てくれて賑やかに遊べたしと、朝から晩まで久々に楽しい1日でしたね~。ほんとはやることも幾つかあったんですが、半ば無理して行って良かったです。なにげに逗子海岸へ行ったのは約2年振りでした。逗子駅には何度も行ってはいるんですけど、なにげに逗子海岸まで行ったのは久々で。やっぱ人が居ない逗子海岸は最高ですね~。いや、やっぱここはいつ来ても心が洗われるというか。

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もうここ数年ずっと思ってることですし、前にも何度か書いたことあると思いますけど、いつかは逗子・鎌倉に住みたいと思ってます。職さえあればすぐにでもってぐらい(笑)。もうほんとはとっととWeb辞めてあっちに引っ越したい気持ちは満々なんですが、辞めた後の職ってことを考えるとおいそれとはいかず…。逗子・鎌倉でなんかいい仕事あったらなあ。なんか無いですかね??そこそこいい仕事しますよ!(笑)。でもその反面、たまに来るからいいのかなあとかも思ったり。ただでさえ暗い性格なのに、Web辞めて海のそばとかに越しちゃったら、友達もほとんど居ないし、絶対更に根暗な人間になりそうだし(苦笑)。ずっと住むのは嫌だけど、たまに帰る田舎が良く思える的な。でも結婚して子供とか出来たらやっぱ海の近くがいいなあとかは思いますかね~。健康的だし治安もいい気もするし。いつかは嫁と子供と逗子・鎌倉周辺でのんびり暮らしたいなあ。それが最近のちょっとした小さな夢でもあります。とりあえずそれまでは、今後も思い立ったら訪れようと思ってます。20年前、ここの海と出逢えて、ほんとに良かった。オレの究極の癒しスポットです。いやほんとうに、大好きです、逗子海岸。逗子最高!

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まずは6月の三宿Web21周年記念月間【MISHUKU GOLDRUSH 21】にご出演くださった皆様、ご来店くださった皆様、お気遣い頂いた皆さま、本当にありがとうございました!ただでさえやること多いのに、ソファーや椅子のカバー張り替えしたり、ミキサーの修理出ししたりと、なんだかんだと猛烈に大変過ぎた1ヶ月間でしたが、終わってみれば概ねほぼ大成功と言っていいんじゃないでしょうか。本当に沢山の皆様のお陰以外にございません。最高でした!ありがとうございました!

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本題の前にひとつ。去年のブログでも書いたし前からずっと考えていたことではあるんですが、そろそろバーの諸々を大幅に変えようかと思ってます。なんせうちの場合、圧倒的に美味いのは勿論、圧倒的に安いと思うんですよね、どう考えても。20周年記念サービスで、なにげに先月末まで1年1ヶ月も実施した『烏龍ハイとビール500円サービス』も然り。いや、やせ我慢して21年辛抱してやってきましたけど、クオリティーは現状維持でモノによっては値段を若干上げるか、クオリティーを若干下げて値段は現状維持かモノによっては若干下げるか、いい加減変えようかと。ほんとは20周年後に変えようとは思ってたんですけど。早ければ来週中、遅くとも今月中には決めようかと思ってます。まあ前にブログでも書きましたけど、例えばもしどんだけクオリティー下げたとしても、絶対的にまずいモノは出しませんからそこだけはご安心を。少なくともオレがまずいと思うモノは絶対出しませんから。

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あ、あと実は今珍しくブログで書きたいことが山積みで、既にちょこっと書き掛けのやつも幾つかあるぐらい。ほんとは今回纏めて何本立てかで書こうと思ったんですが、まず1つ書いたところで例の如く無駄に長文になってしまい断念…(苦笑)。って訳で今月、怒濤のブログアップの予感大!ですが、余り期待はしないでください(笑)。


前置きが長くなりましたがさて本題です。先々週のヤマタツナイト、前回のブログでも書きましたけど、元々は穴埋めイベントとして1ヶ月前倒しの急遽開催だった訳ですが、無理無理決めたのもあって、なかなかモチベーションも上がらず、ただでさえ周年月間で小忙しいのに準備期間も全然無く、まー不安で不安で。6月のイベントの中で1番不安だったというか。周年月間にコケたくないなあ…しかも自分企画のイベントで…とは思っていて。そんなこともあって勿論告知やお誘いもいつになくめちゃくちゃ頑張ったのもありましたけど。まあそれでも不安でしたね~。でもそんな不安をよそに終わってみれば、なんと月間成績まさかの第4位!(笑)。いやービックリです。まあそんなこともあって、最っっっ高に楽しかったです!間違い無く過去4回のヤマタツナイトでダントツに1番楽しかったですね~。マジでDJしながらトリップしそうになったぐらい。あんな感覚は滅多にないですからね~。

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下準備始めたのは1週間ぐらい前で。膨大な量の音源の聴き直しから。意外と「わ、この曲久しく聴いてなかったわ」とか「わ、この曲今ならなにげに使えるな」とかもあったりして。2日前には当日流す用のDVD製作を。映像の編集はなんせやたらと時間が掛かります。前日は営業あったので、ほんとは営業の無かった2日前の木曜日に店行って、色々試したいこと(この曲とこの曲繋いだらどうなるかとか音の混ざり具合のチェックとかBPM的に合うかとか音圧のチェック等諸々)とかあったんですけど、DVD製作が予想外に5時間ぐらい掛かって終わったのが深夜2時半とかでくたくたで結局諦めて。前日も営業終わった後にちょっと前述の感じを小一時間ぐらい確かめて帰ったんですが、3時間ぐらい寝たら目が覚めちゃって。そこからは思い立って当日なのに特設サイト作ったり、諸々告知やお誘いの追い込みしたり、おむすび作ったりで、結局それ以降寝る暇無くて。あ、あと、猛烈に告知・お誘いした甲斐もあってか、珍しくオレの友人関係が最低でも20人近くは間違い無く遊び来てくれるらしく、これはちょっとキャッシャー無しで松屋側のドア開けっ放し営業じゃなく、通常営業じゃないとまずいんじゃないか??と思い、急遽通常営業に変更したんですが、それの告知や、それによってのスタッフの人員確保とかも奔走したり。出勤も人手不足もあって2時間ぐらい早めに行きましたかね~。演者なのに1人で営業前のセッティング!(苦笑)。なんせ1人で一晩中なので、当日は体調万全で!とは思ってたんですが始まる前から目の下隈状態。

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オープンしても寝てないのもあって最初はイマイチ頭がぼーっとしちゃってなかなかテンション上がらなくて。ちょっとづつちょっとづつお客さんは入っては来てましたけど、最初はまあまばらな感じで。オレも淡々と回してて。ふと「このままなんか淡々と一晩過ぎたらどうしよう…」みたいな一抹の不安も過ぎりましたかねえ。とろいのからちょっとづつ上げていったんですが、最初は久々のDJもあって繋ぎの勘もイマイチで。ほんと、最初はなかなかテンション上がらなかったですね~。ようやくミドルテンポのグルーヴになった辺りからフロアに人が増えてきて。超が付くほどの達郎マニアで、毎年山下達郎ナイト@Newportにゲストで呼んでくれる、YUGEデザイナーで一十三十一ちゃんのアートディレクションとかもやったりしてる、うちの野球部の4番でもある弓削匠くんがフロア中央でゆらゆらと踊ってくれてるのが見えて。気が付くともうずーっと踊ってくれてましたね~(笑)。それもあってオレも段々と調子に乗ってきて。ちょっとづつちょっとづつグルーヴ上げていって。1時前後ぐらいでしたかねえ?匠くんがブースに来て「そろそろ帰ります!」って言ってきたので、うわ~まだ帰したくないなあ~と思い暗黙の抵抗的に匠くんが好きなキラーチューンを立て続けにボムして。繋ぐたびにフロア見たらやっぱまだ匠くん帰らずに踊ってて(笑)。3曲目ぐらい繋いだ辺りで「帰らないね~!」「帰さないッスね~!」的にブースとフロアからお互い笑いながら指刺しあって。あそこでまず一気にテンション上がりましたかね~。いや、一抹の不安も抱えながらとりあえずFacebookのイベント告知ページ作った時に、1番最初に"参加する"ボタン押してくれたのも匠くんだったし、DVDでも差し込んだ映像頂いたり、今回オレの中ではなにげに彼には色々と陰で助けて貰った部分は大きかったですね~。マジで感謝!

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一山超えてしまったら後はもう結構トントン拍子でやれて。なにげにお客さんも入れ替わり立ち替わりずっと居たし。あとほんとにビックリするぐらい新旧の友人達が沢山来てくれたのは嬉しかったですね~。ずっとDJだったのでせっかく来てくれたのに全く接客出来なかったのは残念ですけど。お客さんも、達郎マニアから恐らくにわかの人までいたと思うんですが、常にフロアには居た印象ですかね~。いやあ、マジで途中からめっちゃくちゃ楽しくなってきて。勿論友人達はいっぱい来てくれてるし、一般のお客さんもいっぱい来てくれてるし、お酒も結構出てるっぽいのはあきらかだったので、ある程度イベントとしての成功したという店長として且つ主催者としての安堵感も更に気分を助長したのはありましたけど。気が付いたらテンションも上がりまくっていて、疲れや眠さとかは全く感じ無くなってましたね~。あとトイレ行かなくていい様に一切水分の多い物は飲まず、ひたすらアイリッシュウイスキーのストレートばっかをずっと飲んでたんですが、友人がおごりでしょっちゅうお代わり持って来てくれて、それガンガン飲んで酔っ払ったのもありましたかね~(笑)。最初イメージしてたよりも早くグルーヴを上げたのもあって、やってる途中、最後までネタが持つか若干不安になったりもしましたが(同じ曲は掛けない体だったので)、あっという間に時は流れ。うちのバーチーフの博之が舞台の稽古があるので上がる時間が決まってたのもあって4時半終了設定にしてたんですが、4時の時点でまだ全然人も残ってて盛り上がってる状態で終われる気配もなく。バーはラストオーダーにしたんですがそれでもまだ酒が出てるっぽかったんですが、とりあえず奴は5時で強制で帰してその後もだらだらと結局5時半ぐらいまではやってましたかねえ。スタッフ不足じゃなくていつもの感じだったら恐らく6時ぐらいまではやってた様な勢いでしたね〜。最後はマイクで無駄に喋り出したり(笑)。昔『申し訳ないと』で営業終わった後にミッツィーさん(現ミッシェルさん)と士郎さん(宇多丸さん)が延々とマイクで喋ってたりしたんですが、なんとなくだらだらと喋りたくなる気持ちがちょっとわかりました(笑)。

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もう楽し過ぎて、猛烈なエクスタシーというか、ぶっ飛びそうな感覚になりそうな瞬間が何度かあって、マイクでも「いやあ~21年間やってきて良かったなあ~!(笑)」ってシャウトを何度か差し込んだんですが、その中でも最後の最後でここぞとばかりに繋いで掛けた『SPARKLE』の時はヤバかったですね~。まあ勿論言うまでもなくただでさえ盛り上がる曲ではあるんですが、あれは今まで感じたことがない盛り上がりっぷりだったというか。なにげに1番人もフロアに集まったんじゃないですかね~?後ろの後ろまで人がいるの見えましたし。一晩中もう次から次へと選曲するのと繋ぐのにいっぱいいっぱいだわ、なにげに酔っ払ってたわで、所々記憶も曖昧だったりもするんですが、あの瞬間のあの盛り上がりっぷりだけははっきりと憶えてますね~。恐らく一生忘れないであろう光景だったというか。いや~マジで最高でした!

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でもやっぱ周年にヤマタツナイトはやるべきじゃないですね…。プレッシャーは凄いし時間も無いし、立場的にそれだけに集中も出来ないし。とは言え逆に言えば周年のお祝いもあってあんなにいっぱい来てくれたのもあったでしょうけどね〜。いや、なにげにそれがでかいかも。でもほんと、演者はたった1人、しかも店長のオレ1人のイベントであんなに沢山入って最後まで盛り上がってって、もう奇跡的ですよ。いやービックリだし、ほんとうにありがたかったですね~。あと来てくれた友人で、大して達郎の曲とかも知らなかったけど「あんなにタツローさんの曲でノリノリで踊れるなんて知らなかった!!最高に楽しかった!!」って言って貰えたのは、達郎伝道師として(自称)ほんとに冥利に尽きるというか。もうほんとうに、あの日来てくれた人たち皆さんに心の底から感謝です。あと面識とか一切無いけど達郎先生にも勝手に感謝です(笑)。

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なんだかんだで2008年5月に初めて演った以来、今回で通算17回目の達郎オンリーDJだったんですが、思えば最初はお遊び的に始めましたけど、もうここまで来たらとことんやってやろうかと思ってます。Lady-Kさんの角松敏生公認DJじゃないですけど、山下達郎公認DJ目指す勢いで(笑)。まあご本人の性格的にまず無理でしょうけど(苦笑)。まあでもそれぐらいの気概を持って。でも正直、オレより達郎音源持ってる人はいると思いますし、勿論オレよりDJ上手い人も多々いるんですけども、オレぐらい達郎関連音源持っててオレぐらいちゃんとDJ出来る人はそうそう居ないでしょう??とは思ってます(勝手に)。あと特にこれは自信ありますけど、曲被らずに一晩中1人で達郎関連音源だけでグルーヴ作ってMIXし続けられる人なんて、まあまず居ないでしょ??っていう勝手な自負と共に今後も地味に頑張っていこうと思ってます(笑)。

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何はともあれ間違い無く上半期で1番楽しかった日ですね、オレにとって。マジで失禁しそうでしたもん。あ、ちなみに今回はトイレ1回だけ行きました。知り合いの人がブースに烏龍ハイ2杯持ってきてくれて、喉が渇いてたのもあってうっかりご馳走になってしまい、最後の最後、4時過ぎぐらいでしたかね〜?もう我慢出来なくなり(苦笑)。あの2杯飲んでなかったら恐らく今回もノートイレでいけたかも。思えば開催決めるまでも二転三転四転して猛烈に大変だったし、開催決めてからもドタバタで告知や準備も大変だったし、当日も終わった後は猛烈に疲れ果てましたけど、その全てが報われた感はありましたね〜。冗談じゃなく本当に「21年間やってて良かった~!」と心の底から思えた一夜でありました。あんな日があるからオレこの商売なかなか辞めれないのかもって思ったぐらい(苦笑)。いやもうほんとに最高でした。しつこいですけど最後に改めて。わざわざ来てくれた皆さん、マジでちょー嬉しかったし、ほんとうにありがとうございました〜!!



※なぜか今回1番印象深い曲だったので達郎関連音源サンクラに1曲アップ。でもこの曲、恐らく選曲と繋ぐのに必死&泥酔でイマイチ掛けた記憶があんまり残ってないんですが…(苦笑)。でも恐らく最後の方に多分掛けたかと。

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