お陰様で先日で45になりまして。まあ44から45になったってだけで、取り立てて特別な感情はないんですけども。二十歳になりたてでこの世界に入って、気が付けば今月末で業界歴25周年です。25年つったら四半世紀ですよ(苦笑)。ビックリですよね~。ちょっとした業界だったらもう殿堂入りで表彰されてもいい様なレベルでしょ?誰か表彰して!(笑)。ま、そんな訳で今回は25年前の話しを。

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※恐らく24年前。21歳。渋谷CAVEのバーフロアにて。25年前の写真探したんですけど全然なくて…。昔は極度の写真嫌いだったのもあって(まあ今もですが)見事なまでに全く残って無いんですよね…。






25年前の1991年1月に、それまで1年半ほぼ休みなく週6で通い詰めていた某格闘技の道場を辞めたんですが、それには2つ理由があって。1つは、当時の道場生の中では結構上の立場になってしまったのに加え、日々の生活が余りにも忙し過ぎたのもあって集中力も欠く様になって、スランプやプレッシャーもあってなかなか上手くならなくなってたこと。もう1つは、89年秋頃から働き出した原宿カフェドロペの同い年の社員が非常にディスコ好きな人で、当時では稀少な、ユーロビートのレコードとか買いまくってMIX TAPEとか作ってたぐらいのオタクな人で、その人によく仕事終わった後にディスコに誘われてたんですが、それまで全く遊びというモノを知らなかったオレは、段々と遊びの味を憶えてきていて、徐々に道場での稽古に身が入らなくなってきていた、というのも大きな理由の1つでした。

連れられてとは言えディスコには行ってたものの、元々ロンドンっぽいファッションが好きだったのにも加え、カフェドロペのすぐ数軒先に、当時THE COLLECTORSの加藤さんがやっていた今や伝説のモッズショップ『SWITCH』があったんですよ。なので出勤前後は必ずそこをチェックしたりしていて。その影響もあって非常にモッズファッションに傾倒していた頃で。しかも当時髪の毛を切って貰っていた原宿にあった『BAUHAUS』っていう美容室の担当の石丸さんて人がたまたまオシャレなモッズテイストの男前の人で。意気投合して仲良くなって毎回お任せで切って貰ってたんですけど、自ずとオレの好みとその人の好みが合致して気が付けば毎回モッズテイストな髪型や、当時の一般の人はあまりしない様なマニアックな今風の髪型にされていて。なのでわかりやすく言うと、モッズっぽい格好や当時の原宿的なアヴァンギャルドな格好でディスコに遊びに行っていたという、今考えると非常にナンセンスなことをしていたんですよ。とは言え当時はそういうのも全然よくわからずに遊んでましたけどね。
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※これはその伝説のモッズショップ・SWITCHの閉店お知らせハガキ。よくこんなの捨てずに取ってたなあ〜とは我ながら。







91年1月頃にカフェドロペのキッチンの人で福田さんてドレッドでレゲエ好きな、格好も見るからにラスタな人がいて。その人の彼女が当時東京モード学園に通っていて、ある日「東京モードの学生のイベントあるんだけどナガサワくん好きそうだから良かったら一緒に行かない?」って誘われて行ったんですよ。当時原宿にあったもう1つのモッズショップ・カサブランカで買ったスリムな三つボタンのエンジ玉虫色のスーツを着て、SWITCHで買ったLOAKEのタッセルローファー履いて、ラメ入りの別珍のハンチング被って。

福田さんが所有してた中古のミニクーパーで確か4人ぐらいで行って。真冬の寒い日でしたね~。確かちょうど25年前の今頃じゃなかったですかね??場所は新宿の地下の箱だったと思いますが、どこだったかイマイチ憶えてないんですよね。店に着くと、DJの男の子が全身ヴィヴィアンでキメててめちゃくちゃオシャレでカッコ良かったのを未だに憶えてます。選曲は当時流行っていた歌謡曲ナイト的な感じで山本リンダとか掛かって凄い盛り上がってて。あとはスカとか2トーンとか掛かってたり。東京モードのパーティーだけあって、来てる客はみんなめちゃくちゃアバンギャルド且つオシャレで。そんな中、盛り上がる曲でモッシュとか始まったり。それまでディスコでしか遊んでなかったオレは見るモノ聴くモノ全てが非常に衝撃的で。と同時に、オレが求めていた世界はコレだ!って思いましたね。

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※SWITCHの閉店お知らせハガキの表面。SWITCHはほんと好きでしょっちゅう通ってたなあ。お金無かったからあんまり買えなかったけど。当時ここまでストイックでブリティッシュな店は非常に少なかったですからね〜。






色々と調べてみると、そういう人たちが集まっているのはディスコではなくクラブだっていうのをようやく認識する様になって。それから一気にクラブというモノに興味を持ち始めました。ちなみに今考えると偶然と言うには余りにも奇遇ですが、二十歳の誕生日はたまたま青山MIXに遊びに行ったんですよね。その日は早番でロペでバイトした後、前述したディスコ好きの社員の人がお祝いしてくれるって言って原宿でご飯ご馳走になって。その後で確かMIXに行った流れだったかと。当時HEYTAさんがやってる木曜日がめちゃくちゃ盛り上がってるっていう噂を耳にしての初MIXでした。でも翌日もロペでのバイトがあったので泣く泣く終電で帰ったんですが、当時のクラブやディスコでは考えられない、グラスで氷も製氷機の氷ではなく割った氷を使ってて、しかもジュースも目の前で生搾りという、それまで遊んでいたディスコでは到底考えられない様な、非常にクオリティーの高いバーを擁するクラブでした。早い時間だったのでまだ人もまばらだったし、選曲も全然ダンサブルな感じではなく非常にラウンジ的要素の強い緩い感じではありましたが、それもまたディスコには無いカッコ良さを感じましたかね~。確かオレも未だにたまに掛けるバグダッドカフェのサントラとかも掛かってたんじゃないかなあ。あとその日、めちゃくちゃ雰囲気があってカッコいい人が遠目の向いの席に座ってたんですが、恐らくですが、後に仲良くさせて貰うことになる山口さん(JAZZ BROTHERSのYAMAさん)でした。ちなみに当時の山口さんはめっちゃくちゃカッコ良かったんですよね〜。雰囲気というかオーラというか、もう別格でした。なのでその時も、誰かわからないけど絶対あの人はタダ者じゃない!って思いましたもんね。ちなみに初めてDJってカッコいいなあ〜!って思ったのも後に山口さんの選曲及びDJ姿見てから。あ、勿論若干ファットになった今もカッコいいですけど!(笑)。

そんな流れもあって、せっかく道場も辞めて時間も出来たし、これはもう勇気を出してクラブで働いてみよう!いや、働きたい!という激しい衝動から、たまたま某雑誌で当時では非常に珍しかったディスコ・クラブ特集をやっていたので、そこに載っていた当時の都内の主要クラブに、善は急げで片っ端からバイト募集してないか電話して聞いてみよう!って思って。10軒ぐらいは電話したんじゃなかったでしょうかねえ??今想えば、二十歳になり立てのまだまだど田舎モンのオレにしてはなかなかの行動力です(笑)。まず始めに、1度も行ったことはなかったんですけど、なんか興味をそそる店だった下北沢ZOOに電話してみたら、非常に無愛想な応対で「バイトは募集してるけど…うちって遊び来たことあんの?うちは常連からしかスタッフ取ってないから。」ってあっさり断られ(苦笑)。その時点で「やっぱクラブって怖いな…」って心折れ掛けましたが気を取り直して、二十歳の誕生日にも行って衝撃を受けた青山MIXへ電話を。そしたら「今はスタッフいっぱいだから取れないけど、欠員が出たら入れたげるからとりあえず1度面接においでよ。」って言われて。とりあえずその時は確か「是非お願いしたいので、後日改めて連絡させて頂きます!」って言って切ったんですけど。でも欠員が出るっていつだろうなあ…随分先になっちゃうのかなあ?みたいな若干の不安もあり、直後に渋谷CAVEに電話してみたんですよ。
※追記:コレ違いますね。1番最初に電話したのがMIXで、2番目がZOOだった気が。そして3番目にCAVE的な。多分。再追記:いや、やっぱりZOOが先だったかな…。すみません忘れました…(泣)。

CAVEは数ヶ月前にカフェドロペのみんなで1度遊びに行ったことがあって。2フロアに別れてたのや、ちょー真っ暗なフロアにディープなハウスミュージックが掛かってるB2、ソファーもあってオールジャンルで色んな曲が流れるアットホームな感じのB1、当時としては非常に珍しかった上部に3つもモニターが設置してあったバーフロアと、内装も非常にオシャレで洞窟をイメージした近未来的な作りだったし、全てに於いてとても印象的な店だったんですよね。て訳でダメ元で電話してみたら「とりあえず面接来て貰えますか?なるべく早い方がいいんですけど。」って言われて。その後も何軒かは電話したんですが、誰も出なかったり募集してなかったり。そうこうしてるうちに、まあCAVEが面接してくれるって言うし、とりあえず今日のところはもういいかと。で確か翌日か翌々日ぐらいには面接に行った気が。

非常に緊張した面持ちで当時の主任の前野さんて人にB1フロアのソファで面接されて。恐らくガッチガチに緊張してたのもあって面接の内容は全く憶えてないんですけど、色々聞かれた最後に唐突に「じゃあ採用で。今週末から早速入って貰いたいんだけど。」みたいな具体的な話しされて。ビックリしましたよ~。え!?今週からですか??みたいな(笑)。面接中の感じも、採用か不採用かは後日改めて連絡する様な感じもあったし。え?もう採用でいいの??的な(笑)。とは言え念願だったクラブでのバイトがそんなこんなであっさり決まった訳ですよ。確か当時の採用時の時給は750円スタートというビックリするぐらい安値だった気がしますが、お金を稼ぐとかっていうのは二の次でしたから特に何も思わなかったですかね。いやむしろ、これで憧れのクラブで働ける!やった!っていう方が圧倒的に強かったですかね~。

生粋の田舎モンで若干二十歳。まだまだ全く右も左もわからないオレにとっては当時のクラブという職場は何もかもが新鮮且つ刺激的で。勿論今みたいに事前の情報とかも一切無い訳で。一体どんな世界が待っているんだろう??っていう恍惚と不安が入り交じりまくってましたかね〜。いざ入店してみると、スタッフの人もみな雰囲気あってオシャレでカッコいいし。お客さんなんてもうアバンギャルドでオシャレな人ばっかりでビックリでしたよ。当時のクラブなんてほんとにかっ飛んだクリエイティブな人しか来なかった時代でしたから。当時クラブ情報誌的なのって全く無かったんですが、その辺に近い人たちがよく載ってた雑誌で『CUTIE』ってファッション誌があって。基本レディース誌でしたがそういう雑誌がなかったので当時よく買っていて。そのCUTIEに載ってた人とかが普通に遊びに来る訳ですよ。モデルやミュージシャン、DJやショップの店員さんから街角スナップとかに出てる人も。田舎モンのオレにとってはもうそれはそれは衝撃的過ぎて。

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※ちょうど25年前のCUTIE1991年2月号。表紙には若かりし頃のOIちゃん・DRAGONさん・ヒカルさん・ジョニオくん・ホテイくん・小池さん・チエコビューティーさん。中を開くとNIGOさん・ガスボーイズ・俊美さん・ファンキーエイリアン・Lady-Kさん・ ガルトデップのヒサシくん・藤原ヒロシさんなど多数掲載の、非常にヤバめな内容。







初出勤日は確か金曜日で、海外からDJを招いての『WORLD CONNECTION』っていうイベントでした(多分)。後にCAVE無き後は西麻布YELLOWでも同パーティーはやってました。DJ誰だったかイマイチ憶えてないんですけど、確かROBERT OWENSじゃなかったかと。なんせもうびっくりするぐらい混んで。300人近くは入ってたんじゃないですかね??もう狭い店内はどこのフロアも軒並みギュウギュウで激混みでした。そんな状況に困惑しつつも、とりあえず初日ってこともあって一生懸命働いて。ギュウギュウ詰めの中、片手にトレンチ担いでその上にグラスを山ほど回収して来て。それをもう何時間もずーーーっとノンストップで往復ですよ。途中から先輩たちがグラス回収するたびに待ち構える洗い場で笑ってて。「うわまた来たよ!キミ凄いな~(笑)。ちょっと休み休みやっていいよ!」的に逆に気を遣われたほど。どうやら当時のクラブで真面目に一生懸命働く様な奴なんて全然いなかった様で、カフェドロペで散々鍛えられ上げられたオレの尋常じゃない働きっぷりが、先輩達にはかなり衝撃的だったみたいでした。てか他にもスタッフ何人かいたはずでしたけど、その日ホールでまともに働いてたのオレ1人でしたしね(苦笑)。

初日がそんな激混みの日だったのもあって、それ以降は仕事にもすんなり溶け込んで。とは言え超が付く程の人見知りでかなりの内向的だったんで、他のスタッフの人たちと仲良くなるまでには3ヶ月ぐらい掛かりましたけどね。それまではめっちゃ真面目で内気で寡黙なイメージだったらしいです。当時はほとんど酒も飲まなかったですしね。営業終わったら下向いて「お疲れさまでした〜!」って早足で帰るっていうイメージだったって(笑)。でも3ヶ月ぐらい経ったある日、早く終わった平日でみんなで店で始発待ちしてる時にちょっとアホみたいなこと喋ったら「えー!ナガサワくん暗いと思ってたのにちょー面白い!(笑)」ってキャッシャーの女の人とかに大ウケして。それを機に一気に饒舌になりましたかね(笑)。

ちなみに当時は週6でカフェドロペの10時~17時の早番バイト、月・水・金と週3でCAVEで21時~朝までのバイトと、なかなかのハードスケジュールでした。当時はほんとメシも食ってなくて痩せこけてたし(今より15キロぐらい痩せてた)、必然的に睡眠時間も少なかったし、常に青白い顔して目の下に真っ黒な隈作ってましたね~。まあでもそんなハードな日々でしたが、出勤するのがもう楽しみで楽しみで全然苦には感じませんでしたね~。まあ時折猛烈に眠さと戦いながらCAVEでは働いてましたけど(笑)。でもほんと、当時のオレにとっては全てが衝撃的過ぎた日々でした。

当時スタッフは元よりバーテンが足りなかったので、大して酒の知識もなかったのに白羽の矢が止まり、急いでバー憶えろって言われて。当時のCAVEのバーカウンターって段差もあったしとにかく目立つ様な作りでめっちゃカッコ良くて。ディスコとかに比べると結構ちゃんとしてた方だったし。なのでもう必死に憶えましたよ。オレが粗相をしたらCAVEの名前に傷が付く!ぐらいのプレッシャーを持って。暇さえあればベーシックなレシピを憶えることに時間費やしてましたかね~ほとんど寝る暇も無かったけど(苦笑)。あとオレの前に居た同い年のバーチーフの人の華麗なバー捌きを、暇さえあれば横目で見て勉強したり。オレが入った直後にバイトが一気に増えることになるんですが、そんな一生懸命さを評価されたのと、早くからオレのバーテンセンスを上の人に高く評価して頂き、7月頃から第3代目のバーチーフに抜擢されて。と同時に掛け持ちでやってたロペも辞めて、CAVE1本で週6で働く様になった訳です。もうそこからはどっぷりって感じでしたかね~。ていうかたまに想うんですが、もしも業界デビューがCAVEじゃなくてMIXだったらどうなってたんでしょうかね〜?間違いなく全く違ったクラブ人生歩んでたでしょうし。もしかしたら東京のナイトクラブの歴史もほんのちょっとだけ変わっていたのかもとかも想ったり。

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※当時作って貰った名刺。左が1番最初に作って貰ったやつで、なんと名前間違え(苦笑)。てかそういやバーチーフになってから作って貰ってなかったかも。作って貰ったけど残ってないだけだったかなあ…??







余談ですが、オレってこの世界のデビューって実はCAVEじゃないんですよ。実はその前にディスコで3ヶ月ほど働いたことがあって。CAVEに入る前の90年秋頃、ロペの新しく入った社員で昔ディスコでぶいぶい言わしてたやんちゃな人がいて、その人からある日「ナガサワってさあ、今蒲田住んでんだよね?オレの知り合いの人が蒲田でディスコやってて人手が足りないって言ってんだけど、ナガサワ働いてみない?」って言われて。当時のオレは昼間はロペ(週6)、終わったら道場で稽古(週6)、終わったらすぐ蒲田の近所のコンビニで1時頃までバイト(週5)っていうアホみたいにスーパーハードな生活だったんですけど、コンビニの仕事ももう1年半ぐらいやって飽きてきてたし、とりあえずコンビニで働くよりディスコで働いた方がちょっとは楽しいでしょ!ってこともあってコンビニ辞めて代わりに働くことになって。蒲田駅の近くにあったGIGっていうディスコでした。元々は三軒茶屋にもあって名前は知ってたんですけど、まさか蒲田にも支店があったとはつゆ知らず。内装はなんかバブリーな作りの近未来的な感じだった様な。長いトンネル抜けるとダンスフロアに行き着く的な感じで。制服は宇宙服みたいなシルバーのツナギ着せられて。

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※凄い!押入の中ひっくり返して探してみたら当時のGIGのドリンクチケットとメンバーズカードが出て来た!(笑)。









前述した様に、当時モッズファッション的な装いのオレはよく上の人に「ナガサワさあ、前髪上げておでこ出そうよ!」って言われて無理矢理整髪料で前髪上げさせられたり(苦笑)、1時ぐらいに上がって店出ようと思ったら入口に高校生の先輩スタッフが居て「お先に失礼しまーす」って言って帰ろうとしたら呼び止められて「ナガサワくん、君の格好はディスカーのする格好じゃないね。」って注意されたり(笑)。まあ浮きまくってたと思います。でもいわゆるディスコの簡素なバーでしたけど、定番的なカクテルとかはまずそこで憶えたし、当時のユーロビートやハイエナジーに詳しいのはその時のお陰だし、あとはなんせディスコって超体育会系なんですよ。礼儀や言葉遣いには厳しいというか。あとは仕事もかなりキッチリやらされましたかね~。そういうのも後々考えてみると非常にいい経験にはなったんですけどね。10月~12月までのたったの3ヶ月間でしたけど。当時まだ19の頃ですよ。ちなみに奇跡的に当時の写真が1枚だけ残ってました。恥ずかし過ぎて完全にお蔵にしてたんですが、25年の時を経て本邦初公開(笑)。恥ずかしっ!!

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※恐らく90年12月頃だったかと。前述した様に、整髪料で前髪上げさせられて撮られた様な記憶。しかし19とは言えすっとぼけた顔してますね〜。いやあ、まさかこの写真をブログに載せる日が来ることになろうとは!







まあそんなこんなで、クラブで働きたい!という初期衝動から早25年。時代は大きく変わり、当時はアンダーグラウンドであったが故に刺激的だったモノが、限り無くオーバーグラウンドになり一般化され、その刺激的な部分は大きく削がれ、もはや当時のディスコの様なクラブが多々台頭している状況には、非常に複雑な胸中ではありますけど。まあでも右往左往と移り行く時代の流れの中で、四半世紀もの長い間に渡り同じ世界を観て来れたというのは、ある意味ひとつの財産でもあるのかなあとも想ってみたり。ちょっとした生き字引みたいなモンですからね(笑)。

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※これも冒頭に載せた写真と同じ日。多分92年の12月頃じゃないかなあ。隣にいる人は当時のCAVEのチーフDJで後にYELLOWのチーフDJもやった藤本さん。なんか必死に考えて書いてるとこ見ると、確かROOMのバーチーフなりたてでメニューとかを考えにCAVE来たんじゃなかったかと。だとすると初めて名前を付けたオリジナルカクテルにして最高傑作の1つ『京都』のレシピを思い付いた日だ!確かこの日、当時日本で4人しかいないと言われていたバーテンダーのB級ライセンスを持ってる人が来てて、その人に「このレシピ(京都の)を思い付いたんですけどどうですかね…?」って聞いてみたら、「日本酒を使ったカクテルでそのレシピは世界的に見ても非常に珍しいレシピだけど、なにげに相性のいい材料ばかりだし、なかなかいいんじゃないかな。きっと美味しいと思うよ。」って太鼓判押されたんでした。後日実際に作ってみてもめちゃめちゃ美味くて即採用的な。それから24年経った今も尚ROOMで愛飲されてるなんて!オレって天才!(笑)








なんかでも最近ふと想うのは、やっぱもう25年もやってたらどんな世界でも大ベテランの域じゃないですか?本心ではもうはよ辞めたいとは想うけど、もはやここまで来たらオレの生きる道はこの世界しか無いんじゃないか…?とかも想う様になってはいて。まあ若干諦めにも近い感覚ですけど(苦笑)。三宿Web20周年のお祝いコメントでTAICHI MASTERが『今後ナガサワさんはクラブ業界のタモさんとなって、笑っていいともの記録を抜いていただきたいと思います。』っていうシャレの利いた粋なコメントをくれたんですが、なんかそういうのもいいのかな…とかも想ったりもしたり(どういうのだよ笑)。とは言えやっぱ内心ではほんともうこの世界に未練はないんですけどね。Webの20周年も完遂出来たしいつ辞めても本望!なんですけど…まあ今後のことはもうわからないですね~。時の流れに身を任せ的な。他のことでブレイクしてもう夜の世界はこれ以上続けられない~ってことになるのが1番ベストですけどね。他のことが洋服のことだったら尚のことベストですけど。ま、当分無いかな…(苦笑)。その前にスタッフ不足で閉店も有り得ますけど。いや現状それが1番可能性高いかも。とまあ、とりあえずいつまでこの世界に居るかはわかりませんが、25年前の初期衝動をいつまでも胸に、居る間は今後も変わらず一生懸命頑張りたいと想ってます。押忍。

DT

※おまけに今となっては激レアな、昔の都内主要ナイトクラブのドリンクチケットコレクション。だいぶ前にFacebookとかで上げたりしたんですが、今回改めて掘り返したら更にヤバいの幾つか見付けましたので改めて(笑)。
1.恵比寿MILK
2.渋谷THE ROOM ※オープン当時。
3.青山MIX
4.渋谷CAVE ※HIP HOP化する前の後期。
5.渋谷CAVE ※オープン当時。
6.渋谷DJ BAR INKSTICK
7.三宿Web ※オープン当時。
8.西麻布P.Picasso
9.下北沢ナイヤビンギ
10.下北沢ZOO ※時期不明。
11.下北沢ZOO ※時期不明。
12.芝浦GOLD ※プリペイドカード。
13.渋谷J TRIP BAR ※フードチケット。
14.西麻布YELLOW ※恐らく超オープン当時。
15.西麻布YELLOW ※時期不明。
16.西麻布YELLOW ※時期不明。
17.西麻布YELLOW ※時期不明。