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ちょうど20年前の今頃、1997年7月13日~19日までの6日間、初の海外旅行でニューヨークへ。当時のボクにとってはそれはそれは物凄い衝撃を受けた出来事でした。今回はその時の話しを。が、20年前のことで更には写真も1枚も撮ってないので記憶がかなり曖昧で。当時の持ち帰って現存してる資料などを見てのうろ覚えの記憶ではありますけど。

当時のボクは正直言ってこれっぽっちも海外旅行というモノに一切興味がなくて。勿論お金や時間も必要だし、全く英語も喋れないしで余計に。なので前年ぐらいまでは、いや確か本気で行こうと決めた6月ぐらいまでは、海外に行こう、しかもそんなに好きでもないアメリカ・ニューヨークへ行こうなんて思いもしなかったというか。

そんな当時のボクがなぜ急に一念発起して初の海外旅行でアメリカ・ニューヨークへ行こうと思ったのか?まず第一の要因として、当時付き合ってた彼女が仕事でニューヨークに住んでたんですよ。あ、厳密に言うと1回別れた後に正式には寄りを戻してなかったと思うので、彼氏彼女ではなかったかも知れませんが、まあ奴の荷物はうちに置いてあったり、日本に帰国した時はうちに泊まってたりと、形式上では彼氏彼女ではなかったかも知れませんが、ほぼ付き合ってるのと何ら変わりはない様な関係でした。

その彼女に逢いに行くというのが大きな1つの要因だったのは間違いありません。しかも色々と案内してくれるだろうし、住んでたぐらいだったので最低限の英語も話せるしと、こんなに心強いことはありませんでしたから。あともう1つは、少し前に確かテレビで「せっかく地球に生まれたんだから、国境を越えてみるべきだ。」的な言葉を目にして、それが異様に心に残ったというか。その言葉を目にしてからなぜだか一気に海外というモノに興味を持ち始めたんですよね。
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The Roomのバーチーフ時代、オープン当初の火曜日の毎週レギュラーがCrue-L Recordsの瀧見さんで。当初は”JAZZ CLUB”的なテーマでやっていた1週間の中では、異質とされる向きもあった火曜日の瀧見さんの日が選曲的に1番好みなのもあって「今掛けてるのって誰の何て曲ですか??」とかよく聞くことも多くて、段々と仲良くさせて貰う様になったんですが、そんなとある火曜日の夜に瀧見さんとカウンター越しに喋ってたら、確か海外の話しになってこんな会話になり。

ボク「オレまだ海外旅行って行ったことないんですよねえ。まあ今のところあんまり海外に興味もないのもあるんですけど。」
瀧見さん「え?海外行ったことないの??だったらなるべく早めに行った方がいいよ。おまえみたいな感受性の強い奴は絶対早めに行った方がいいよ。」
ボク「へ~そうなんですか?まあでも休みも取れないし金もないしでなかなか当分難しいでしょうけどね…。」
瀧見さん「金が無いなら借金してでも行った方がいいよ。それぐらい海外行くって価値があることだから。」


みたいなことを言われたことがずーっと心の片隅にあって。まあ元々何でもそうなんですけど、興味の無いことには一切見向きもしない性格なので(笑)、当時はへえ~そうなのかあ~ぐらいな軽い捉え方ではありましたけど。当時のボクって26になったばかりで「今のままじゃダメだ。何かを変えたい。」的な願望が強い時期でしたから、そういう思想とも相まって、上記の昔瀧見さんに言われた言葉が相乗効果となって、海外に行きたい欲に繋がったというのも1つの要因になったかも知れないですね。
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※人生初のパスポート用に撮った証明写真。ほぼ国籍不明…(苦笑)。










日程を見たら7月11日12日に開催した3周年アニバーサリーパーティーの準備もあっただろうし、勿論パスポートもスーツケースも持ってないしで、6月はかなりドタバタだったんじゃないでしょうかねえ。ちなみにチケットは格安航空チケットを当時の格安航空券比較検討雑誌のエイビーロード的なやつを隈無くチェックして1番安い直行便のチケットを買いました。一番安いので確か11万か12万ぐらいでしたかねえ(多分)。
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※月刊ウェブ1997年7月号。裏面には3周年アニバーサリーイベントの告知も。
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※1997年7月11日金曜日。三宿Web3周年アニバーサリーイベントにて。左から仲くん、"渋谷系"というムーブメントを作ったと言われるHMV渋谷店の名物店員だった太田さん、三宿Webの看板スタッフ・マービン、小西さん、チャーベくん。全面改装前の三宿Webブース内にて。昔のDJブースは今のダンスフロア入ってすぐ左角辺りにあったんですよね。いやぁ、今やかなりレアな写真です。









当時は毎日営業してたのもあってあまり休みも取れなかったので、アニバーサリー2DAYSの最終日終わった朝にそのまま寝ないで成田行って11時ぐらいの便に乗ってというかなりの強行日程。昔のWebはそういうお祭りイベントはかなり遅くまでやっていて、その日もボクが最後にDJやって6時半ぐらいまでやってた様な。で、終わって掃除や片付け免除して貰って一旦代官山のアパートに戻ってスーツケース持って恵比寿のウエスティンから出てたリムジンバスで成田へ。

もはや疲労困憊でしたが無事成田へ着いて受付のカウンターにいたらあの"KING OF DIGGIN'"MUROくんの姿が。当時の彼女さんでしょうか?女性と一緒にたまたま同じ飛行機でニューヨークへ行くところでした。多分買い付けとかでしょうかね?MUROくんはその2ヶ月前に出た『Bar-f-out!』という雑誌の”場を作ってる12人”的な特集で、ボクは三宿Webで、MUROくんはSAVAGEで(当時MUROくんが経営していた洋服屋)出ていたので、なんとも縁があるなあ~とは思いましたかねえ。まあ未だにちゃんとした面識は無いので話したことも無いんですけども(笑)。
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※前述のBar-f-out!1997年5月号。ボクやMUROくん以外には、エスカレーターの仲くんや、マニュアルオブエラーズの店長だった水本さん、エンジョイハウスのゴウさんなども。ちなみに後ろに写ってるスタッフは左から、バーチーフだった中川 a.k.a. DJ COMP、初代店長だったマービン、今やトランジットのエガジマサブローと化したエガちゃん。手前はオレなんですが、余りに見苦しいのでモザイクかけてます…。








そんなこんなで14時間後ぐらいに無事ニューヨークへ到着。JFケネディ空港まで彼女が迎えに来てくれて。あんまり憶えてないけどよくすぐ無事に逢えたなあと。だって携帯も無い時代だし、初の海外旅行で英語も喋れないしで、万が一にも逢えなかったら大変なことになってましたよきっと(笑)。で彼女と一緒にイエローキャブに乗ってマンハッタンへ。マンハッタンまでは一律30ドルぐらいの料金だった様な。

マンハッタンへ着いてとりあえずホテル探し。黒人が経営してて如何にも治安の悪そうな一番安いボロいホテルを借りて。彼女も一緒に泊まるってことで探したんですが、確かシングルしか空いてなくてダブルベッドが2つもある無駄にだだっ広い部屋しか無くて、1泊80ドルぐらいだった気が。5泊で400ドル。場所はどこだったかなあ~~~???色々当時持って帰ったレシートとかを色々見たり記憶を辿ってみると、恐らくグリニッジヴィレッジ辺りだったんじゃないかと。

ホテルに荷物置いてまずはその日が日曜日でまだ午前中だったので、近くのだだっ広いガレージでフリーマーケットやってるからって誘われて行って。イマイチ好みのモノがなかったんですが、唯一買ったのが写真のE.T.のTシャツ。10ドルぐらいだった様な。ニューヨークに着いての初めての買い物でした(笑)。その後は何したっけかなあ?確か街に繰り出してショップ回りとか行った様な。
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※絶対まだ持ってるハズ!とわざわざ押し入れ引っ繰り返して見付けました(笑)。大して着なかったので状態も綺麗。ちなみに未だに映画も観たことないんですが(苦笑)。









ちなみに何も考えてなくて余り金も持って行かなかったのであっという間に初日で一気に金が無くなって(笑)。当時は確かクレジットカードも持って無かったし、今みたいにどこでも簡単にATMで金おろせたりもしなかったんですよね。なのでえらい彼女に怒られましたよ(笑)。「えー!それしかお金持って来なかったの??私もお金全然持ってないよ!?もう~~~こんなんじゃどこにも行けないし何も出来ないぢゃん!!」ってなって。ボク自身もせっかくニューヨーク来てテンション上がってんのに、コレはマジで何も出来ないヤバい!ってことになり、苦肉の策で国際電話で実家へ電話して送金して貰うことに。とりあえず帰国したら返すってことで10万だったか20万だったか忘れましたが住友銀行だったかシティーバンクだったかに送金して貰って。当時は送金するのも海外だと結構大変だった気が。色々調べてどうにか翌日には送金されたんで、とりあえずそれでなんとか金無い問題は解決した訳なんですけど。

とりあえず毎日どこかへ連れてって貰いましたかねえ。元々余り観光地とかは興味なかったので、ほぼ洋服屋などのショップとかをリクエストした気が。当時買い漁ってた古着屋とか。でもやっぱり色々連れてって貰いましたけど、どうもアメリカ物の古着は全然興味が持てなくて(っていうかいいと思うモノが余り無くて)、お土産用に買った以外は確かほとんど買い物しませんでしたけど。

あと当時では非常に珍しかった男性物の下着の専門店とかも調べて連れて行って貰って。今時の大多数の男子たちはみんな穿いているであろう、当時まだまだ日本での認知度は極めて低かったボクサーパンツを買いたくて。そこで2,3枚日本では売ってない珍しいボクサーパンツ買いましたかねえ。実は当時ボクサーパンツのコレクターで、イケてるボクサーパンツ買い漁ってた時期だったんですよ。たまたま当時住んでた代官山のアパートの近くに、日本初のメンズ下着専門のショップが出来たこともあって、そこでしょっちゅう買ってました。でもまだ日本ではそこ以外でボクサーパンツが売ってる店は全然ありませんでしたけど。
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※恐らく当時ニューヨーク滞在中に使ってたメトロカード。









ちょうどニューヨーク滞在中に『New York MUSIC FESTIVAL』なるちょっとした回遊フェスみたいなのをやっていて。幾つかライブ観に行ったりしたんですけど、17日の木曜日にUNITED FEATURE ORGANIZATION(U.F.O.)のお三方がDJするっていうので行ってみようってことになり。しかも会場がステイ先のホテルから歩いて20分ぐらいのところで。当時のU.F.O.って人気絶頂の頃で、主催のパーティーの『JAZZIN’』は毎回1,000人近く入ってたと思います。とは言え日本ではそれだけ絶大な人気があっても、ロンドンならまだしもさすがにニューヨークではどうなんだろう…?という不安感は若干あって。しかもど平日の木曜日だし。

会場着いたらもうビックリ。旧西麻布イエローぐらいの箱がパンパンなんですよ。しかもガンガン盛り上がってて。確か協賛でサッポロビールが付いてて、バーではサッポロのビールとかも出してましたかね~。確かまず最初に矢部さんがDJしてて、しかも当時じゃ珍しく日本人アーティストの楽曲オンリーでDJしてました。ニューヨーク仕様なのかもとは思いましたが、日本人のDJが日本人アーティストの楽曲だけを掛けてど平日のニューヨークのクラブでパンパンに入った外国人のお客をがんがん踊らせて盛り上げてるんですから、それはそれはテンション上がりましたし痛快でしたね~。で、ブース横でずっと松浦さんがガンガン踊ってて。ボクはお三方とも面識ありましたし、彼女も松浦さんとは知り合いだったので2人で挨拶しに行こうと思ったんですが、客席からステージまでちょっと距離があって。しかも松浦さんはガンガン踊ってるし(笑)。なので結局挨拶出来ずにその日は帰ったんですけど。ちなみに後日帰国後どこかで松浦さんとお逢いした時にそのことを話したら「えー!あの時居たの??なんだ~だったら声掛けてくれれば良かったのに~」とは言われましたけど(笑)。っていうかほんと物凄い衝撃でしたよ。U.F.O.の凄さをまざまざと再認識したというか。同時に同じ日本人として誇りにさえ感じましたね~。いやあ、ほんとにアレには度肝を抜かれました。
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初の海外・ニューヨーク旅行でとても印象的且つ衝撃を受けたのが、まずマンハッタンに着いてすぐに感じた「街の匂い」でした。ビックリするぐらい街中からいい匂いがするんですよ。乗り物や建物は元よりマンホールからも。日本じゃ絶対に有り得ないというか。逆に帰国して思ったのが「なんて日本て臭いんだろう…」ってこと。雨降って湿気の強い日とかは特に。勿論外国人は日本人の様に毎日お風呂に入ったりしないこともあって、それを隠す為に香水の文化が栄えたという民族性の違いは根底にはあるとは思いますが、それにしてもですよ。そういう意味では五感でいうと1番衝撃を受けたのは嗅覚だったかも知れないですね~。それぐらいのカルチャーショックだったというか。勿論視覚的にも日本には無い建物の造りや、圧倒的な世界の中心都市・ニューヨークという街の雰囲気、言うまでもなく周りはほぼみんな外国人で聞こえてくるのは英語ばかりというのも、実際に体感してみると百分は一見にしかずとはよく言ったモノで、ほんとうに物凄い衝撃でしたけど。

あとニューヨークで感じたのは非常に人に優しい街だなあということ。これは後に行ったロンドンやパリでもそうでしたけど、ショップに入ったらまずお客も店員も笑顔で「ハーイ」から始まって帰る時も笑顔で「センキュー」「シーユー」「バーイ」というのが常識的で。いや、それも非常に衝撃的でしたね~。日本では勿論ショップに入ると店員が「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」などの常套句は言いますが、大抵の場合は真顔で業務的なモノじゃないですか?向こうではそんな感じは全く無いんですよね。通常のナチュラルな挨拶的な感じというか。そしてみんな自然と笑顔だし。いや、ショップ店員のみならず、街行く人がみんなそんな感じですよ。ちょっと目が合ってもスマイル的な。いやもうそのオープンマインドな人種性というものに非常にカルチャーショックを受けました。まあ総じて日本人はシャイですからそういう人種性が至る所に出てるんだとは思うんですけど。でもやっぱり、最初はさすがに戸惑いましたけどそういうのに慣れてしまうととても気持ちのいいもんで。だから帰国直後とかもショップに入ったら思わず癖で笑顔作って「ハーイ」とかやってしまいそうに何度もなって1人焦ったりしましたけど(笑)。あと街中で困ってる人がいたらみんなすぐ助けたり。車いすの人とかがバスに乗ろうとしたらもう誰かれともなくみんなでサポートしてあげたり。でもそれが全く普通の感覚でみんなやってるんですよ。なんかそういうのも多々目にして、ニューヨークって何て人に優しい街なんだ!凄くいい!って思いましたね~。

旅行に行った時期が7月中旬ってのもありましたけど、まあ~なんせ暑かったですね夏のニューヨーク。時折スコールもありましたけどほぼ連日快晴で。しかもビックリするぐらい暑いんですよ。長時間外に居れないぐらい。確か平気で38度ぐらいいってましたかね~。え!?ニューヨークってこんなに暑いの??ってビックリしたぐらい。なのですぐ喉渇くんですよ。外なんか出てたらほんとすぐに。なのでずーっとコーラ飲んでた記憶。当時そんなコーラ好きじゃなかったんですけど、ニューヨーク行ってからコーラ好きになったというか。特にペプシ。当時のニューヨークではコカ・コーラよりペプシの方が確かシェアが高かった様な。ほんとニューヨーク滞在中はしょっちゅうペプシコーラ飲んでました。

ご飯は全然美味しくなかった記憶。SOHOのイタ飯屋とかカフェ飯とかも食ったけど大して美味くなかった印象でしたかね〜。量だけはとんでもなく多かった気がするけど(笑)。ほとんどホテルの近くにあったテイクアウト専門のチャイニーズで適当に何か買ってホテルに持って帰って食ってたかも。リーズナブルで美味かったし、昔からそこまで食に拘ってなかったので。あとデリ(日本でいうところのコンビニみたいな店)で色々買ってましたね〜。ホテルにキッチンも付いてたので、ほうれん草とインスタントの味噌汁(当時日本では既に生味噌インスタントが全盛期でしたが売ってたのは昔の粉のやつでした・笑)買ってほうれん草の味噌汁作って飲んだりした記憶。

あとやっぱクラブ業界に居たもんで、ニューヨークのクラブにも行ってみたくて。前述のU.F.O.がDJしたクラブに行った翌日が金曜日で、日曜朝には帰国のフライトだったので、遊べるとしたらあと金曜夜しか無いってことで彼女の薦めで某クラブへ。名前は忘れましたがロックがガンガン掛かるクラブだった様な気が。ほんとはニューヨークだしハウスのクラブに行きたかったんですけど。でも凄くアヴァンギャルドな洒落たクラブだった記憶。人も凄い入ってましたね〜。ゲイのカップルもいっぱいいたけど(笑)。

ちなみにそのクラブに行く前にバスの中で彼女と大喧嘩して。確かしょーもない理由だったと思いますが、なんかの拍子に彼女が怒り出して。最初はなだめてたんですが、なんか段々ボクもめんどくさくなって「もうオレ1人で行く!」とか言いだして(笑)。でも彼女も「英語も喋れないのに1人で行ける訳ないぢゃん!!しかも地理もわかってないんだから帰れないでしょ!!」とかなって(笑)。で、結局2人で行くことになったんですが。当時はよく2人で出掛けると、彼女がボクの態度とかに急にキレて喧嘩するってことが多かったんですが、まさかニューヨークに来てまで喧嘩するとは思いもしませんでしたけど(苦笑)。
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※当時は勿論のことネットで情報得たりなんてする時代じゃなかったので、有力な情報源はフリーペーパーやフリーマガジンなどで。暇さえあれば隈無くチェックして調べてましたね〜。









ちなみにニューヨークのクラブへ行ってビックリしたのが料金体系でした。当時の日本では2,000円(もしくは2,500円)で2ドリンク(もしくは1ドリンク)的なのがどこのクラブでも主流だったんですが、海外のクラブでは例えば入場料5~10ドルとか(そのクラブは確か7ドルぐらい)で、ドリンクチケットは付かずに飲み物はキャッシュオンっていうシステムがほぼ主流だったんですよ。むしろドリンクチケットが付くというのはまず見掛けないシステムで。それって例えば試しに入ってみたけどイマイチ面白くなかったら他のクラブにしれっと流れやすいシステムというか。なんか凄い合理的且つお客にとっては良心的なシステムだなあ~と思ったんですよね。これは帰国してWebでもいち早く取り入れたい!とは本気で思いましたが、当時人気イベントだった仲くんとチャーベくんがやっていた『ESCAPE』や小西さんがやっていた『PORNO!』は若くてお洒落な女の子が平日にも関わらず毎回200人近く遊びに来てたんですが、なんせ酒飲まなかったんですよ(苦笑)。なのでそのシステムを採用してしまっては、店的に全然売上げが出ないという自体になりかねなかったのもあって、考えに考えた末に採用しなかったんですけど。
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※当時持って帰ったフライヤーやらステッカーやら色々。










前述したクラブへ行った金曜日の昼間は、彼女の薦めでニューヨークでも知る人ぞ知る的なマニアックなストリートへ。確かバワリーストリートの近くだったと思いますが、ショップも数少なく点在してたんですが、どこもイケてるショップばかりで。そのショップの1つで小洒落たバッグを見付けて。当時はまだ恐らく言葉さえもまだ日本に伝わってきてなかった今で言う洒落た"メッセンジャーバッグ"が陳列してあって。彼女曰く「今ニューヨークでオシャレさんはみんなこれ持ってるよ」って言ってて、色んな柄があったんですが、珍しく1個だけモノトーンで無地1色の柄があったので気に入って購入して。価格は200ドルぐらいだったんじゃないでしょうかねえ?そしてそれが数年後日本にも輸入されて爆発的ヒット商品となり、一時は猫も杓子もって感さえあった『FREITAG』ですよ。

恐らくですけど、日本人でコレ最初に使ったの、もしかしてオレじゃないの??とは未だに思ってます(笑)。1番最初じゃなくとも少なくともベスト3には入るでしょ??ってぐらいは確実に思ってます。それぐらい当時は激レアでしたから。当時ファッション誌の類は漏れなく見てましたけど、1度も見たことなかったし。ちなみに数年後爆発的にヒットしてその後もずっと使ってましたが、さすがにヒットし過ぎて後追いに思われるのが嫌で使わなくなったんですけど、使わなくなる直前ぐらいにWebに持って行ってキャッシャーの中の目に付くところに置いてたら、長らくアパレル業界にいる知り合いの子から「えー!あのFREITAGってどうしたんですか!?あのタグってめちゃくちゃ旧式のタグじゃないですか!!てかボク初めて見ましたよ!めちゃくちゃレアですよ!!」って言われたぐらい。
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※今は災害などの非常時用の懐中電灯やら電池やらラジオやらアレやコレやを入れて、なんかあったらサクッと持ち出せる用にうちの玄関の横に置いてます(笑)。








正味6日間のニューヨーク旅行はそんなこんなであっという間に終わり。帰りも空港まで彼女が見送ってくれて。てか6日間ずっと一緒に居てくれて。めちゃくちゃ楽しかったしちょー感謝でしたよ。っていうか彼女が居なかったら間違い無くニューヨークなんて、いや海外旅行なんて行ってなかっただろうし。ニューヨークに行ったからこそ翌年翌々年のロンドンとパリ旅行にも繋がったのは間違いないし。そう考えるともしニューヨークに行ってなかったら、もしかしたら今の今まで1度も海外に行ってない可能性すらあるというか。そう考えたらほんとうに彼女には感謝ですね~。それぐらい掛け替えの無い、一生忘れられない貴重な経験でしたよ、ニューヨーク旅行は。物凄い衝撃とカルチャーショック受けたし。死ぬまでにもう一度ぐらいはニューヨーク行ってみたいなあとは思いますかね〜。アメリカだったらL.Aも1度は行ってみたいですけど。まあでも今となって想えば、ほんとに初めて行った海外旅行がニューヨークで良かったと思いますし、その後のボクの人生に於いて非常に重要且つ貴重な体験だったことは間違いありません。I ♡NY!
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※当時持ち帰って両替せずにずっと持ってたドル紙幣及び硬貨。