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※ノッティングヒルのB&Bで記念に自撮りしたやつ。







ボクの人生観や価値観を非常に大きく変えた21年前の夏と20年前の夏の2年連続のロンドンとパリへの旅行。ほんとは98年の方はちょうど20年前ということもあって去年書くつもりだったんですが、ついついタイミングを逃してしまって。ほんとは今更感もあるしもういいかな…とかも思ったんですが、やっぱ改めて振り返ってみるとボクの人生を顧みると絶対に外せない出来事だったのでやっぱ書くことに。でも当初は2年分纏めて書こうかと思ったんですが、まずダダダと98年の分書いたら例の如く結構なボリュームになってしまったので別々にアップすることに(苦笑)。

前年の97年の初の海外旅行でもあるニューヨーク旅行がほんとに目から鱗というか、それまで感じたことがないぐらいの猛烈な刺激を貰ったんですが、人に優しいニューヨークの街がとても好きになって「ロンドン派だと思ってたけどニューヨークの方が好きかも」的に感化されてもいたんですが、その反面「いや待てよ、行ったこともないのにロンドンよりニューヨークが好きとかってそれもナンセンスでしょ」というのもあって。なので出来れば今年も夏辺りに海外旅行行きたいなあ。行くならやっぱロンドンに行ってみたいなあという気持ちが強くなって。

そんな折り、うちに居たバイトの女の子のマキちゃんて子が確か春先ぐらいにロンドンに留学することになって。前年のニューヨーク旅行も当時の彼女が住んでたってのは確実にでかいし、英語がほとんど話せないボクにとっては現地に誰か知り合いが居るってのは何よりもめちゃくちゃ心強いというか。大きい部屋で友達とシェアするから泊まってもいいですよとも言ってくれていて。これは今年はロンドンへ行くしかない!と思うようになっていき、5月過ぎぐらいでしたかねえ?初のロンドン旅行を決断。格安航空券の本を買って必死に安いチケット探しましたね〜。直行便で幾らだっけかなあ…?12万ぐらいだった様な気が。
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※当時の格安航空券のチケット。







前年のニューヨークと同じくアニバーサリーイベントの最終日終わった朝出発という強行軍。無事営業終わって帰って仕度して恵比寿のウエスティンから出てる成田直行のバスで成田へ。諸々終わって成田のロビーで搭乗を待ってたらなんとFPM田中さんとバッタリ。なんと同じ飛行機でロンドンへ行くという、前年たまたま同じ飛行機でMUROくんとニューヨークへに続く奇遇(笑)。田中さんは確かHOWIE B.のスタジオでマスタリングしに行くと仰ってましたかね〜。
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※三宿Web4周年記念アニバーサリーイベントとその模様。お陰様で連日ギュウギュウ詰めのダンスホール状態(写真はバー前ですが)。







ロンドンのヒースローに着いてまたバッタリ逢った田中さんとも別れて、マキちゃんが住んでる最寄りのベイズウォーターという駅へ。まあなんせ初のロンドンだし、もう何をどうすればいいのかさっぱり勝手がわからずてんやわんやしながらどうにかベイズウォーターへ行った記憶。夕方の5時頃でしたかねえ?ベイズウォーターの駅前で待ってたんですが内心不安で不安で。「もしマキちゃんが万が一来なかったらどうしよう…?オレ完全に路頭に迷うよねこれ…」とか思ってましたね〜。今みたいにサクッと携帯で電話してとか出来なかったですし、勿論電話番号は確か聞いてたけど、向こうでの電話の掛け方とかもよくわからなかったし。そうこうしてるうちにマキちゃんが来てくれてひと安心的な。
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※大変お世話になった元スタッフのマキちゃん。







そのままとりあえずマキちゃんのステイ先のアパートに荷物置いて、夜は近所にクラブがあるっていうのでそこに同居人の男の子と3人で一緒に行った気が。ノッティングヒルアーツクラブというクラブでした。そこで軽く飲んで帰った記憶。翌日は確か当時のロンドンで超話題のダミアン・ハーストがプロデュースした『Pharmacy』というやばいカフェに連れて行って貰いましたかね〜。
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※拾った画像。恐らく97年のオープン時の写真。圧巻でしょ?薬局を模したほんとぶっとんだアヴァンギャルドなカフェでした。ちなみに今年また新たに復活したらしいという噂。めちゃくちゃ行ってみたいぃぃぃぃ!








日中はほぼ1人でロンドン特集とかしてた沢山の雑誌抱えて服屋巡りを。蚤の市やら古着屋やらも行ってちょこちょこ買い物を。1日8時間ぐらいは平気で歩き回ってたかも。まあ何もかもが新鮮過ぎましたよ当時のロンドンは。どこ行っても興奮しまくってた記憶。3日目ぐらいになって「やっぱ同居人の子にも気を遣わせてるしなんか悪いな…」と思いマキちゃんのアパートから出ることにして。スーツケースガラガラ引きながら急遽宿探しを。これまた今みたいにネットでサクッと検索とか出来ない時代だったのでひたすら歩いて探しましたよ。確か2時間ぐらい歩き回ってようやくノッティングヒルの近くのB&B(BED&BREAK FASTの略)見付けて。5日間の契約で1日当たり5千円ぐらいにして貰った気が。3畳ぐらいの手狭なスペースにベッドとちっちゃいテレビとテーブルが置いてある様な部屋でしたが(トイレとシャワーは共同)、大きな通り沿いにあったので繁華街にもバスで1本で行けたし、利便は非常に良かったです。
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※MEN'S NON-NO99年1月号掲載の『東京・大阪ヘアスナップグランプリ』 にて。これ撮影したのは確か98年12月頃だったんじゃないかと。この時着てるジャージはロンドンの蚤の市で買った古着。如何にもロンドンぽいポップなカラーリングなラインが非常に印象的で気に入って当時はよく着てましたね〜。








98年3月のとある週末に、ヘアメイクの友達から「今日外タレの仕事しててみんなクラブに遊びに行きたいみたいなんだけど、ゲストで入れて貰えない??」って連絡が来てOKして。ナタリーインブルーリアという女の子で。スタッフも纏めて10人ぐらいで来たかなあ??で、なぜだかそのナタリーにめちゃくちゃ気に入られて(笑)。ほぼ逆ナン状態ぐらいの勢いでずっとキャッシャーに来て口説かれてました(笑)。「私は色んな国で色んな男性を見てきたけど貴方ほどセクシーな男性は見たことがない」的なことを言われて(爆笑)。その後ステイ先のウエスティンのスウィートにも招待されましたから。今考えると凄いですよね。でも当時のボクは不思議なことにやたらと外国人女性にモテたんですよね〜日本人には大してモテなかったのに(苦笑)。で、その時彼女がロンドンの自宅の電話番号まで教えてくれてたんですよ。なので宿泊してるB&Bの公衆電話から試しに1度だけ電話もしましたね〜。電話したらほんとに本人が出てちょっとだけ喋りましたけど、まあ全然英語も喋れないしでほとんど会話になりませんでしたけど(泣)。まあそんなこともあって彼女の代表曲でもあるこの曲はめちゃくちゃ想い出の曲になってます。

※UKシングルチャート1位にもなった曲。ちなみに彼女って後にレニークラヴィッツと付き合ったとかディカプリオの新恋人とかでも噂になった人。ほんとかどうかは知りませんが。なのである意味ボクもレニークラヴィッツとディカプリオと並んだと言っても過言ではないでしょう!(笑)。









マキちゃんとはその後もよく夜飲みに行ったりよく遊びました。ちょうどその頃フランスワールドカップの時期だったので、近くのパブに2人でイングランド戦を観に行ったり。凄かったですよ現地の応援っぷりは。日本は早々に予選で負けてたし、元々全然サッカー興味無かったのでポカーンと観てましたが、余りの大騒ぎっぷりに終始圧倒されてましたね〜。ほんと凄かったです。あと確か何度かナイトクラブにも遊びに行ったんですが、そこで親交のある京都・METROの林さんたちとまさかのバッタリ!とかもあって。確かサッカー観に来たとか言ってた様な。「昼間ロンドンで岡田監督が歩いてるの見ましたよ!」とかも言ってました(笑)。それにしてもロンドンのクラブで同じクラブ業界の知り合いに逢うかね〜とほんとビックリした記憶。

あとある日マキちゃんから「イケてる会員制のバーに入れるかも知れないから行きましょうよ」と誘われ行って。場所は憶えてないなあ。結構でかいホテルの地下だった気が。まんまと入れて2人で飲んでたんですが、結構広めの店で人も結構居て如何にも洒落た感じの人だった記憶。その中でもバーテンやスタッフの子が恐らく俳優やモデルの卵みたいな感じでみんなカッコ良くて。で、その子たちが皆統一して制服的に同じスリムめの黒無地ボディのモード且つシンプルなTシャツを着ててそれがまたカッコ良くて非常に印象に残ってて。そのインパクトの影響で後にスタッフ用のTシャツを作ることになるんですけど。
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※これアニバーサリーTじゃない唯一のスタッフT。2000年頃製作。コレって前述の黒無地スタッフTの印象がずっと残ってて強くインスパイアされて作った的な。でも当時は今みたいにスリムめで生地も薄くて柔らかいタイプのモノとかが全く無かった頃だったので、いわゆるノーマルなアメリカンなボディ使ったのでイマイチ雰囲気出ませんでしたね…。ちなみにフロントのロゴは当時好きだったファッション雑誌の『STREET』のロゴのオマージュ。








日々色んなところに行ってだいぶロンドンを満喫したんですが、ちょうどその頃ROOM時代に知り合ったサクラという女の子の友達がパリに住んでいて、確かロンドン旅行直前に一瞬だけ帰国して逢った時に「えー!ロンドン行くならパリ近いから遊びに来なよ。」とは言われていて連絡先も聞いていて。まあでも今回は折角ロンドンに来たんだし思う存分ロンドンを堪能しようと思ってたので、当初はパリには行かないつもりではあったんですが、滞在期間残り4日間ってなった時に、せっかくだしこんな機会も滅多にないからサクラの居るパリに行こうかなと思う様になって。

前日に電話して待ち合わせの約束して。忘れもしない7月12日の夕方にユーロスターでパリのターミナルの北駅に着いたらもう街中が凄いことになっていて。なにがって、その日はワールドカップの決勝の日でなんとフランス対ブラジル戦がある日だったんですよ!自国開催で決勝の相手がブラジルってもうそらあどえらい盛り上がりっぷりで。駅着いたらもう既に至るところから爆竹音が(笑)。そんな最中、駅で無事サクラと落ち合って。で、サクラと色々と話してたら唐突に「ねえタトゥーとか入れる気ない?私の日本人の友達がこっちではタトゥーマガジンの表紙とかなるぐらい有名な彫り師だから入れたいなら紹介するよ!」って言ってきて「えー!タトゥーはさすがに今のところ全然興味無いわ…(苦笑)」って返して。
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※ユーロスターのチケット。ユーロスターほんとに良かったなあ。ちなみにロンドンーパリ間ってちょうど東京ー大阪間ぐらいなんですよ、時間もチケット代も。







サクラが住んでるアパートはその北駅から徒歩10分ぐらいのところで、まずはそこに行って同居人で彼氏のダオを紹介されて。彼は確かダフトパンクのどっちかと幼なじみかなんかで、アルバムだったかシングルだったかにも確かスペシャルサンクスで名前が載ってるぐらい仲良しらしく、タイミングが合えば逢わせてくれるって言ってくれて「えー!マジで!?」状態。結局タイミング合わず逢えませんでしたが(泣)。
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※大変世話になったサクラとダオ。ダオは確かベトナム系のフランス人とかだったかな??とりあえずめちゃくちゃ男前でした。そして気さくないい奴だったなあ。








で、その夜はみんなでワールドカップの決勝をサクラの知り合いの人の家でテレビ観戦するらしく、ボクも一緒に招待されて。詳しい場所は忘れましたが、決勝戦が行われてるサッカー場からさほど遠くないとこでしたかね〜。点が入るたびに物凄い地鳴りの様な歓声が窓の外から聞こえてきてましたから。で、結局なんとまさかのフランス優勝というこれ以上ない幕切れ。試合後、国中の人が集まってるからみんなで凱旋門行こう!ってことになりみんなで凱旋門へ。シャンゼリゼ通りがもう人人人人。自国開催でブラジル破っての優勝ですから、そらもう街中大騒ぎどころじゃないですよ。渋谷のスクランブル交差点レベルじゃない大騒ぎ。行き交う車はみんな箱乗り。そのうちそこら中で喧嘩が始まったり、火炎瓶は飛び交うわ、人だかりに車が突っ込んだりとマジでやばい感じになってきて帰宅することに。電車ももう動いてなくて徒歩で30分ぐらい掛けて帰ったんですが、マジで帰る時も何度も危ない目に遭って、生きて帰れんのかこれ…ってちょっとビビリながら夜中に帰った記憶。

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※フランスワールドカップと言えばやはり2得点をあげたジダンが印象的。

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※非常に写り悪いですがフランス優勝直後に行った凱旋門。







翌日は早起きして古着屋中心で服屋回り。蚤の市とかも行きましたかね〜。物珍しい古着のジャージやらちょこちょこ買い物した気が。で、翌日はパリ祭の日で。サクラに聞くとパリ祭は日本で言うところの元旦みたいな日だからどこも店がやってないと。だからやることないから彫り師の友達の家遊び行こうよと誘われ。「え?オレでもマジでタトゥーは入れないよ??」とは念押ししてサクラも「勿論入れたくないならいいよ」とは言ってたんですが、着いたらもう「さあ柄何にする??(笑)」的なノリになってて…。「いやいやいや!マジで入れないって!(笑)」とは言ってたんですが、とりあえず柄だけ考えようよってことになり無駄にみんなで柄だけ考えることに(笑)。

タトゥー入れるなんてこれっぽっちも考えたことなかったし、柄なんてさっぱり思い付く訳もなく。万が一入れるとしても絵とかじゃない一色だけのシンプルなのがいいなあ。勿論小さい目のワンポイント的な。それを伝えると彫り師の女の子が「トライバル?トライバルなんて今時イケてないし私トライバルなら入れないよ」的に言われて。「いやいやいや、オレも元々入れる気ないんだけど…(苦笑)」とか思いながらもその後もボク・サクラ・彫り師の子・彫り師の子の彼氏のフランス人の4人で、多数のタトゥーマガジンとか見ながらアレやコレやと意見出し合って。でも色々薦められてもピンと来なくて。で、2時間ぐらい経って、あるタトゥーマガジンに女性の背中にでかでかとトライバル柄が入ってる写真があってなんかめちゃくちゃカッコ良くて。で、みんなに「これカッコ良くない??」って見せたらみんなも「うわこれはカッコいい!」ってなって。彫り師の子も「私トライバルは入れたくないけどこれだったらカッコいいから入れてもいいよ」とか言ってて。

で、サクラが「とりあえず腕に試し書きしてみようよ!」って言いだして。「いや、でもマジでオレやっぱタトゥーはちょっと・・・」とか言ってたんですが、とりあえずペンで試し書きすることに。で、腕一面に書き出して「えー!こんなでかく書くの??」って言ったら彫り師の子が「コレはでっかく書かないとカッコ良くないよ」って即却下され(苦笑)。まさかのでかでかと書かれて内心「万が一にも入れるとしてもいきなりこんなでかいのはちょっと・・・」とは思ってたんですが、みんな一様に「うわー!めちゃカッコいい!」って言いだして。で困り顔で鏡でボクも観てみたらなにげに意外とカッコ良くて(笑)。

でもなんせ何の心の準備もなくいきなりタトゥーを、しかもこんなでかいのをなんて考えてもみなかったので頭混乱して「いやあ〜やっぱちょっと待って!」的に地団駄踏んでたとは思うんですが、当時心のどこかに「自分のそういう考えてからじゃないと行動出来ない思い切ったことが出来ないちっちゃい弱気な部分を変えてみたい」的な願望があったと思うんですよね。そういうのもどこかで自分の背中を押したのか、気が付いたらもう掘り作業始まってて(笑)。まあ〜〜〜最初は痛かったですよ。しかもなんせ柄もでかいし。2時間経過してようやく半分終わったんですが、結構体力的にはかなりキテて。ほんとは体力的にもこのぐらいの大きさだと2日に分けてやった方がいいみたいなんですが、翌日にはロンドン戻らなきゃいけなかったので一気にやらないといけなくて。

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※入れられてる最中の画。だいぶ痛みがじわじわ身体を蝕んでる頃。








前半の2時間は彫り師の子と話したりしながら入れて貰ってましたけど、後半の2時間はさすがに痛みに耐えるのがなかなかきつくて、下向いて「あ〜〜〜」とか「う〜〜〜」とかしか出なかった記憶。よく聞かれるんですがボク的な感覚から言うと、長時間ブリーチされてる感覚にちょっと近かったですかね〜。長時間やってると段々痛みで意識が逆上せてくるというか。4時間後にどうにか終わったんですが、もう辛くてぶっ倒れましたもんね…。ちなみにタトゥー入れて痛みに耐えられずに泡吹いて失神する人も結構居るらしいですが、ほとんどが男性らしいです。女性はやっぱ出産に耐えられる耐性というのが生まれ付き持ってるんじゃないかと。

タトゥー入れた場所は触らない様にラップか包帯かなんかで巻いてたと思うんですが、なんせ傷なので血とかがちょっとづつダラダラと垂れてきて大変でした。翌日は発熱して具合悪くなって。やっぱ罪悪感もあったし超ネガティブになって「オレはなんて大変なことしてしまったんだ…」とか考えてちょっと落ちたりしましたね〜(笑)。

で、その日の夜にサクラと別れてロンドンに戻り。最後の夜はまたマキちゃんのアパートにお世話になって。さすがにマキちゃんもまさかボクがこんなデカいタトゥー入れて帰ってくるとは思わずビックリしてました(笑)。で、翌日の朝方日本へ帰国的な流れだったかと。とりあえず帰国してすぐ営業出たんですが、タトゥー入れたことに当時の主要スタッフたちはみんなビックリしてて。「ナガサワさんの性格考えたら柄考えるだけでも2ヶ月ぐらい掛かりそうなのによくもまあそんな勢いでそんなでかいの入れてきましたね!!!」って(笑)。ほんと正にですよ。まあ入れた自分が1番ビックリしてるのでそらそうですよね(苦笑)。
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※完成直後ダウンの画。マジで辛くてぶっ倒れました(苦笑)。







そんなこんなな初めての10日間に及ぶロンドン旅行&プチ・パリ旅行でした。初のロンドンとパリは、前年のニューヨーク旅行以上にワールドカップ開催時期もあって非常に超刺激的でしたし、それ以上になんと言っても前述の初タトゥーがボクにとっては大衝撃的な事件でしたかね〜。でもマキちゃんが当時ロンドンに留学してなかったら恐らくロンドンへ行くなんてことは考えなかっただろうし、同じくサクラがパリに住んでなかったらパリにも行ってなかっただろうし同時にタトゥーも入れてなかっただろうしと、ほんとに色んなタイミングが奇跡的に重なった感はありましたし、ある意味非常にラッキーだったとも言えます(タトゥーはラッキーだったのか否かはわかりませんが・笑)。

※いつか晴れた日に / 山下達郎
行きも帰りも飛行機の有線的なやつのリピート放送でずっと流れててインプットされちゃって、帰国してからこの短冊8㎝のシングル盤買った的な。まだまだ全然達郎にのめり込む前。思えば初めて達郎関連のCD買ったのこれだったかも?的な。







でも98年のロンドンーパリ旅行は間違いなくその年で1番の出来事でしたし、長い人生を振り返っても忘れられない非常に記憶に残る出来事だったことは間違いないですね〜。あとやっぱ、初めてロンドンに行ってみて「ニューヨークも良かったけど、やっぱオレはロンドンの方が好きかも。」とは思いましたかね〜。いや、厳密に言うとロンドンというよりヨーロッパかな。今回はパリだけでしたけど、電車で色んなカルチャーの違う国に行ける訳で。それって凄いことだなあと。いやあしかし改めて思い返してみるとやっぱ十二分に濃密な旅行でしたね〜。そして続く99年の旅行も近々に書いてアップする予定ですので、数少ないナガサワブログファン皆さま、どうぞ無駄にお楽しみに(笑)。※←これ恐らく飛ばします(汗)。
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