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昨日、ウチのスタッフで、スケボーキングのメンバーでもあるmashくんの家で飲み会があり、mash家のある東中野に行きました。東中野に降り立ったのは約二年ぶりの事です。

前にもちょっとココでも書いたと思いますし、EXPLOSION!でも何度も書いたと思いますが、東中野にはそれはそれは深い思い入れがあります。18,19の頃は、当時住んでいた蒲田から、日曜日以外の毎日、ココに通ってました。

知らない人もナニげに多いんですが、上京した最大の目的は、コノ東中野にある某格闘技の道場に通いたかったからでした。でも最初に嫌々ながら働いていた親の知り合いの工場が、毎日残業があったのと、家が東中野まで遠かったのもあって、なかなか通えませんでした。

知り合いナンて一人もいないで単身上京したのと、当時はもうほんとに極度の人見知り。酒も煙草も遊びも知らず。職場には当時オレと一番歳が近い人で27の妻子持ち。あとはみんな30代から40代のおじさんばかり。当時は勿論携帯などもなく、留守電がようやく装備され始めたぐらいの頃で、まだまだ電話代も高くて、どうしても淋しくなって地元の友達に電話とかしてちょっと長電話になると、莫大な電話代になってた様な頃でした。ナノで、普段の日は勿論、唯一の休みの日でさえ、誰とも会話する事なく独り淋しく終わるナンて事は全然珍しくありませんでした。

三ヶ月ぐらいそういう日々が続き、余りの孤独感と余りの安月給(毎日残業あったんですが確か手取り13万ぐらい)に耐えられず、仕事を辞めて実家へ戻ろうと思ったんですが、せっかく上京したんだし、当初の目的であった道場へは通って、それでもダメだったら田舎へ帰ろうと決意しました。

という訳で、親と働いていた工場の社長からの大反対を押し切り、最後の賭けぐらいの覚悟で、勇気を出して東中野の道場に入門し、同時に、時給が良かった近所のコンビニの深夜勤を始めました。

その年の7月4日の入門組だったんですが、入門日に「よーし、この同期の中では誰よりも早く上にあがろう!」と決意し、その日以降約1年半ぐらいは、雨の日も風の日も雪の日も体調が悪い日でも、一日も休まずに黙々と通い続けました。

コンビニの深夜勤も、せっかく東京にいるんだし、ちょっとでも環境を変えたいという理由から、半年後からは原宿のカフェで働く事になったんですが、時給も安かった事もあり、月~土までは朝11時から5時までカフェのバイト。同じく月~土まで夜は道場で稽古。その後は前に働いてたコンビニで、月~金で10時半から深夜1時半ぐらいまでバイトする様な毎日でした。稽古の後って道場の清掃をしなきゃだったんですが、バイトがあるという事で免除して貰い、稽古が終わったら東中野駅までダッシュ。自宅があった蒲田の駅に着いたら家までダッシュ。そして急いでシャワーを浴びて着替えて、10分ぐらいでご飯を食って、又コンビニまでダッシュで即勤務みたいな、それはそれはほんとにハードな生活でした。

そんな毎日を送っていた事もあり、当時は激痩せで(体重約55キロぐらい)、常に顔も青白く、ほんと電車に乗ってる時は、半ば意識朦朧としてました。でも、当時のオレにとっては、道場に通う事が唯一の生きるモチベーションになってました。電車に乗ってる時とか、吊り輪に持たれながら、いつか絶対プロの格闘家になって、試合に出て勝って、後楽園ホールのリングのコーナーポストに登り、観衆に向かってガッツポーズするのが、当時の小さな夢でした。

でもその後も忙しかった事もあり、一年ちょいぐらいは相変わらず孤独な生活を送ってました。今まで生きてきた中で、一番孤独感を感じた時期だったカモ知れません。未だに孤独感を感じる事は少なくないですが、そういう時は当時を思い出し、「あの時に比べれば全然マシやろ?」という問い掛けを自分にするぐらいです。

カフェの早番担当の社員だった人が超夜遊び好きな人で、しょっちゅうディスコやらクラブやらに連れて行って貰う様になったんですが、それまで全くと言っていいほど遊びを知らなかったオレにとっては全てが新鮮で、おのずとそっちの世界にハマっていく様になりました。

同時に道場に通いだして一年が過ぎ、教えて貰う技がなかなか吸収出来ず、何度も壁にぶつかる様にもなり、立場も徐々に上になり、プレッシャーも強くなってきてました。あと、格闘技ってやっぱ技云々よりも闘争本能が大事ナンですよ。相手をぶっ倒してやろう!っていう本能。一瞬にして正気を狂気に変えるという感覚。そういう闘争本能が、自分にはないっていうのも段々と自覚してきていたのもあって、最後の方は結構道場に通うのが苦痛になる事が多く、無断で休む日とかも徐々に増えたりしてました。そして悩んだ挙げ句、ムリムリやっていても意味がないと判断し、入門して一年半後、志半ばして道場は退会しました。

初めて人前でお笑いをやったのも東中野です。道場の先生の誕生日会が東中野の日本閣であって、当時の道場の主流派になっていたオレも特別に招待されて、ナンでもいいからみんな一芸しようという企画で、京都出身の歳上の後輩の人とノリで、漫才しましょうよ!という事で二人で漫才をやったんですが、それがもうめちゃめちゃウケて。当時、道場に毎日通う様な奴はほんとに数少なく、真面目に寡黙にやっていたイメージが強く定着していた事もあり、そういうギャップも相まって予想以上にウケました。その時は、人前でちゃんと笑いをやってウケた時の喜びを初めて知り、今思えば、当時もう一つの夢だった、プロの芸人になりたいという衝動が、後に起こった切っ掛けにもなった気がします。

ナンか気が付けば"ナガサワ上京物語"になってしまいましたが(笑)、それぐらい東中野には、もうほんと上京した当時の一番辛かった想い出がいっぱい詰まってます。ほんと今考えれば修行でしたモン。昨日も終電の時間のちょっと前に一人で先にmash家を跡にして、通っていた道場の前や、終わった後に通っていた駅までのルートを感慨深げに歩きました。流石に17年も前ナノで、変わったところも多々ありますが、駅のホームで電車を待っていると、瞬時にあの頃の記憶が甦り、ノスタルジーな世界にトリップしてしまいました。オレにとって東中野は、一生忘れる事の出来ない、青春の想い出が沢山詰まった、特別な場所です。