蒲田駅

※上京して5年住んだ想い出の街・蒲田。






一番最初に借りたアパートの契約書を見ると3月16日で上京してからちょうど30年経った様です。確か前日の深夜姫路発の寝台特急で朝品川に着いた流れだったかと。それから朝イチで就職先の会社に挨拶に向かった様な気が。その後不動産屋行って本契約じゃなかったかなあ?諸々の荷物が翌日届く予定で当日は部屋には何も無かったので、その日は会社の寮に泊まっていい的な感じだったと思うんですが、寮には泊まらず何も無い部屋行って寝たのを憶えてます。テレビも布団も何もない部屋でやることなくてとりあえず寝るしかなくて、でも寒くて暖房つけながらロフトの地ベタのフローリングの上で寝た記憶。んで翌日の午前中にどっと荷物が届いた的な。
契約書

※こんなの未だに持ってるのって如何にもボクらしいでしょ?(笑)。






上京前はほんと楽しかったんですよ。学校もほぼほぼ終わって年変わったら田舎なもんでここぞとばかりにみんな自動車の教習所に通い出すんですが、高校で別れ別れになった中学時代の友達とかとも多々再会してまた遊ぶ様になったり。

あと教習所時代なにげにモテたんですよ。なんせ田舎だったので当時の同級生なんてみんなダサダサだった頃で。大半が上下ケミカルウォッシュのジージャンにジーパンだった様なイメージ。そんな中、メンズノンノの創刊号から毎月買って読んでたり学校サボって当時新しく出来たばかりの姫路のファッションビルのセールに朝7時に買い物行ったりしてたぐらいファッションには拘ってましたし、兄貴は美容師だったので当時ではかなり洒落た髪型もしてたし、当時の田舎レベルでは恐らくかなりのお洒落さんだったので(多分)結構目立ってたみたいで、他校の女の子から手紙とか貰ったりしましたからね~(笑)。高校時代とか女子の方が多い高校だったのに全然モテなかったのに(苦笑)。あと高校の同じクラスの可愛い子が急に接近してきたり。人間見た目じゃないとはよく言いますが、お洒落するだけでこんなにも異性へのウケが違うのか!と初めて痛感したもんでした。

まあそんなこともあり教習所時代の2ヶ月ぐらいはほんと楽しかったですね~。余りに楽し過ぎて上京する直前とか、上京に対する不安と友達と離れ離れになる淋しさが相まって結構ブルーになってきて。送別会的なのやってくれたりギリギリまで遊んでくれたりしましたけど、最後の3日間ぐらいはマジで内心「東京行きたくないな…」って想ってましたかねえ…。

証明写真

※上京直後に撮ったと思われる証明写真がたまたま昔のノートに挟まってて。このどこかのDCブランドのスウェットは上京前後よく着てましたね〜。







そんななか上京した訳なんですが、上京しての30年をざっくり振り返ってみると、修行の様な10代、激動且つ刺激的な20代、好きなことしまくって青春を謳歌した30代、運気急降下の40代って感じでしょうか(苦笑)。

蒲田

※つい最近撮った東急蒲田駅からのアーバンサンセット。








上京してからの1年半ぐらいはほんと辛かったですね~。前述した様に正に修行の様な期間でした。詳しくはこちらを。ほんと、上京して就職してた最初の3ヶ月間の唯一の休みは、渋谷の東急ハンズと西武ロフトとかへ部屋のモノ物色しに行ったり、当時流行ってたミニ缶のカクテル『ピーチツリーフィズ』を買って飲みながら録画した『ふぞろいの林檎たち』のビデオとか1人淋しく観て過ごしたりしてました。最初はまだ東京に住み始めたばかりの刺激があったので良かったですが、そのうち徐々に誰とも話せない、話す相手が居ない、地元の友達とも電話代が高くて滅多矢鱈と電話も出来ないっていう、正に初めて味わうこれ以上ない孤独感がじわじわと押し寄せてきました。なんせまだ10代でしたしね。

アップルハウス93

※上京して5年住んだ想い出のアパート。たったの5年だったけど、1番辛い時期や同棲した想い出もあって、やはり想い出ファクトリー。アパートの真隣に住んでた大家さんが非常にいい人でしたね〜。







前述のリンクのブログにもありますが、心が折れそうになってた直前に、思い切って勇気を出して会社を辞めて骨法道場に通い出してだいぶ生き甲斐みたいなモノが生まれてきましたし、同世代で話せる人も極少数ですが現れる様になって、孤独感もだいぶマシにはなりましたけど、未だに忘れもしないこういう日があって。

暦的に調べてみると恐らく90年の2月3日土曜日だと思うんですけど(多分)、その日っていつもの様に原宿のカフェドロペのバイトが終わり、山手線に乗って東中野の道場へ行く予定だったんですね。で、原宿駅まで行って、なんか急に孤独感というか何かが猛烈に襲いかかってきて、今日は道場行くの止めよう…と思っちゃったんですよ。ちなみに入門してから半年間1日も休まず通ってたんですが、もうなんか頭おかしくなっちゃって、山手線を道場とは逆の帰る方向の電車に乗っちゃった訳ですよ。で、当時住んでた蒲田まで来たものの今度は「このまま家帰りたくない…」とか思っちゃってそのまま降りずに1度も行った事も無い横浜方面へ向かったんですよ。

で、確か一旦横浜で降りたんですが「これからどうしよう?」と思った時にふと「港が見える丘公園に行きたい」と思い、地理もわからないまま石川町で降りて。でも前々日ぐらいが凄い大雪でまだ雪が積もってる様な道路状況の中、彷徨う様に探したんですが、なんせさっぱりわからなかったので案の定道に迷いまくり、看板に山下公園って出てきたのでとりあえず山下公園へ向かって歩いてたんですが、なにげに小一時間ぐらい歩いててヘトヘトで。道には雪がまだ積もってるし。本牧辺りのバイパス沿いかなんかを歩いてたんですが、遠目に当時話題になった有名なプールバーかなんかが見えた所で、寒いわ疲れたわで結局山下公園へさえも到着する前に挫折して帰ったんですが、あの日はほんとうに今まで味わってきたことのない物凄い孤独感に襲われた日でしたね…。当時のボクからすると、毎日通ってた道場を連絡もしないでサボって、無計画に横浜へ行くなんて考えられない行動だったんですが、なんかがふっと入ってきちゃったんでしょうねぇ。今考えると鬱状態に入っちゃってたんでしょうねえ。蒲田駅に着いて家まで歩いている道程で「オレってなんて孤独なんだ…。オレは孤独だ。世界一孤独だ…。」って絶望感に駆られてめちゃくちゃ落ち込んでたのを鮮明に憶えてます。

工学院通り

※この道を通って家路に着いてました。この看板もほんと懐かしい…。







ちなみに余談ですが、なぜ横浜へ?なぜ港が見える丘公園へ?という部分なんですが、実はボク当時岡村孝子にめちゃくちゃハマってまして。高2の頃に同じバスケ部のヤンキーの友達に「ナガサワ!これめちゃくちゃええからちょっと聴いてみて!」って薦められて(笑)。で、その時ちょこっとウォークマンで聴かされた曲が良さげだったので、ちょうど岡村さんのベスト盤も出たばかりの頃で買ったらどハマりして。もうそれまでの過去の作品とかも買ってもうずーっと聴いてましたね~。高3の1学期でバスケ部引退した後は結構色んな邦楽のCD買って聴いてたんですが(ニューミュージック系やバンド系が多かったです)、その中でも岡村さんは1番ハマりましたね~。当時の彼女の歌声や曲って、当時のボクには非常に癒されてたんですよ。じわ~と身体に染みこむ感じというか。初期の作品はかなり哀しい曲も多かったんですが、元々根暗なボクには非常にマッチした的な(笑)。なので上京前の感傷的な時期や、上京したての日々不安とストレスがいっぱいの頃はもう毎日聴いてたかもってぐらい。岡村さん聴かないと心が癒されなくて寝れないってぐらいだったかも(笑)。


※前述の友達に薦められたのは違う曲でしたが、個人的に岡村さんの曲で1番好きな曲。まあ90年代に入ってからの曲は知らないんですが(汗)。








話しを戻しますが、その岡村さんの曲の中で当時めちゃくちゃ好きだった『潮の香りの中で』っていう哀しい別れの曲があるんですが、その歌詞の一節に「今 港の見える丘には 海をみつめる忘れな草」っていう歌詞があって、確かそれで『港が見える丘公園』の存在を知ったんじゃなかったかと。それでふとそこに行きたいって思ったんでしょうね。


※当時はほんと根暗だったのでこういう暗くて哀しい曲が大好きでしたね〜。岡村さん自体も「デビュー当時は聴いてると死にたくなる様な暗い曲ばっかり書いてた(笑)」って言ってたぐらい。







でも逆に前述の『横浜逃亡事件』を経験したことで、逆に精神的にかなり強くなった感もあって。その後の人生で色々と大変なことは勿論多々ありましたけど、その都度「いやいや、あん時に比べりゃ全然マシだろ…」って思える様になったというか。それぐらいほんとにほんとに、当時のボクにとってはこの世の終わりぐらい思ったぐらい、めっちゃくちゃ辛い想い出でしたから。

池上本門寺

※つい最近撮った、なにげに初めて行った池上本門寺からのアーバンサンセット。






もしも願いが叶うなら、30年前にタイムトリップして、友達も話し相手もいず、金も無くて食うモノも食えない30年前の自分に逢って、話し相手になってあげたいしメシも奢ってあげたいですね~。なんとか励ましてあげたいし力になってあげたい。もうほんと、あんなキツい状況でよくもまあ耐えたよなあ~ってぐらい辛かったですから。あ、でもダメですね、そんな甘いことしたら大して精神的に強くはなれなかったかも(苦笑)。

まあ上京してからの2年間はほんとロクに友達も出来なかったし彼女なんてとんでもないって感じで、これまたなぜか鮮明に憶えてるんですが、19ぐらいの頃のとある日に原宿駅の中を歩きながらふと「このまま東京に居たらオレ一生結婚出来ないかも…」って真剣に悩んだのを憶えてます。それぐらい全然女っ気なかったんですよ。当時メモ帳に知り合いの連絡先とかを一覧で書いてたんですが、マジで全然女性の連絡先無かったですから。つって結局未だ結婚出来て無いから当時のボクの予感は結果当たってる訳ですけど(笑)。

15732082_1496215447073432_1512617464202646728_o









20代に突入してすぐにクラブ業界に入ったのはボクの人生にとって非常に大きな転機になりました。元々興味本位で入ったんですけど、半年前ぐらいには前述の様に全く女っ気なかったのに、クラブでバイトする様になってからは一気に女っ気が増えましたからね~。こっちから声掛けなくても逆に声掛けられる様になったり。ビックリでしたよ。勿論仕事も頑張りましたしオシャレにも必死に頑張りましたけどね。まあ詳しくはこれまたこちらを(笑)。

そして20代はやはり、20代に入ってすぐに経験した、各クラブで働いたことで知り合った2人の女性との大恋愛が非常にでかかったかも知れないですね。しかも立て続けにあった訳で。物凄く人間として、男として大きく成長させられたと思いますね。まあ気になる方は昔のブログを(笑)。

やっぱボクの上京してからの30年を振り返ると恋愛は非常にでかかったかも。まあ根がロマンチストの塊みたいな人間なんで(笑)。『カッコ付けないカッコ良さ』ということに気付いた28ぐらいの頃から一気にモテ始めたので、有り難いことに30代は沢山の女性と出逢いました。この30年で恋愛の記憶だけ消したらほんと何の味気も無くなりそうですよ(笑)。それぐらいなにげにボクのこの30年を振り返ると恋愛というのは無くてはならない重要な部分だったかも。

丸子橋

※最近よく通る多摩川の丸子橋。夜は夜景とライトアップが綺麗で非常にアーバンです。







のべ4度の1人で行った海外旅行はどれも非常に印象深く残ってますね~。間違いなく毎回その年での1番の想い出になってるぐらい。まあ行った街はニューヨーク1回、ロンドン3回、パリ2回の3都市のみなんですけど。外国に行くのって本当に「百聞は一見にしかず」を痛感しましたね。あの感覚はやはり実際に行ってみないとわからないと思いますもん、幾ら今や超情報社会とは言えど。ちなみにうち3度は20代後半に、3年連続で。

37081901_2128392653855705_6148781408379731968_n

※98年7月14日パリでまさかの初タトゥー。

IMG_0630

※2013年7月ロンドン・ベイズウォーターの激旨チャイニーズレストランで朝本さん夫妻と。







若かりし頃はほんとバカだったので、内心「オレは絶対何かを持ってるから何かしらで大成するハズだ!」とか「何かしらで有名になるハズだ!」とか無駄に思ってましたし、子供の頃に母親の知り合いの占い師からは「この子は大器晩成型だけど、下手すると救世主になれるぐらいの素質がある。」とか言われたり、Webのオープン当初の土曜日って占い師の人いれたりしたんですけど、その人からも「貴方はこんな小さな場所に落ち着く器の人じゃないから、もっと大きな場所に移った方がいい。」的なことを言われたり。まあ占い師なんていい事しか言わないのかも知れないけど、鵜呑みにしてその気になったもんでした(苦笑)。まあ残念ながら結局のところ何にも起こりませんでしたけど。もっと何かしら才能あると思ってたんですけどね〜(苦笑)。昔から何やらせてもある程度はやれる方だとは思いますけど、人より抜きん出た『突出した何か』は特に無かった的な。残念ながら。まあ器用貧乏的なのも多分にあったかも知れないですけど。

最近ふと思うのが、ボクに唯一何かしら可能性があったとしたら、もしかしたらバーテンダーの道だったかも知れないですね。周囲にはなぜか早くから才能を高く評価されてましたし。早くからって、二十歳から始めて数ヶ月後には既に上の人達には評価されてましたからね。半年後にバーチーフの人が辞めちゃって代わりにバーチーフに異例の抜擢された的な。勿論猛勉強したし先輩スタッフのを見て盗んだりと、ボクなりに努力もしてたのを上の人に買われてって感じでしたけど。

先日ROOM時代の同期である店長の佐藤くんが辞めるというので約16年振りぐらいにROOM行ったんですが、未だにボクがROOMバーチーフ時代に考案したオリジナルカクテルの『KYOTO』が大人気らしくて。これ考えたのなんてボク若干21でしたからね。客観的に考えたら天才でしょ?(笑)。Webバーチーフ時代に考えたオリジナルカクテルの『オリジナルオレンジカクテル』と『オリジナルグレープフルーツカクテル』も25年経った今も大人気だし。

kyoto

※ROOM着いたらすぐにお友達の祥子ちゃんがボク含めみんなにご馳走してくれたKYOTO。






昔はほんとバーテンやってると色んな人に褒められましたよ。ある日何かのイベントでフードで来てた歳上の女性の人が、真横からずっと酒作ってるのを見入ってて、後で話し掛けてきて。「私フード作りを生業にしてるのでお酒のことはわからないんですが、動きに寸分も無駄が無くて余りに所作が美しくてちょっと感動して思わず見入っちゃいました。」って言われたことが非常に印象に残ってますね~。勿論異性にそうやって褒められるのも嬉しかったですが、当時は同性や同業者によく褒められたんですよ。それがなにげに嬉しかったし自信にもなったというか。いや、自分で言うのもなんですが、ROOMとWebのバーチーフ時代のボクは、ちょっと神懸かってた部分ありましたから。マジで。ガンダム世代的に言うと、バーテンやってる時は完全に『ニュータイプ』状態でしたよ。頭の回転の速さと手先の器用さは尋常じゃなかったですからね~。たまに自分でも客観的にビビってたぐらい。

ROOM初期

※ROOMオープニングスタッフによる写真(綾子さんだけ居ないけど)。92年12月。21歳。







そのバーテンの道もすぐ辞めてしまいましたからね。やっぱ店ってトータルで見られる訳で。酒だけ美味くてもどうしようも無いんで。なのでトータル的に見れるポジションを選ぶようになったというか。酒作るのは得意でしたけど、お客さんとの応対は昔から苦手でしたし(笑)。まあ元々飽きっぽい性格でしたし、始めた経緯もたまたまだったし、そのままバーテンダーとしての道は、まあどのみち無かったでしょうけど。

もし高校卒業後すぐ上京してなかったらどういう人生歩んでたかちょっと想像してみたんですが、恐らくとりあえず地元で就職かバイトかは勿論してたとは思うんですが、二十歳ぐらいまでの間にきっと神戸辺りには出てた気が。実家から神戸までは結構離れてるんですが、1時間ぐらいでは行けるので。いきなり大阪には出なかったろうなあ。で、神戸でのバイト先にもよるんでしょうけど、普通に想像したらやはりお笑いの夢を捨てきれずにNSCにでも入りそうな気もしますねえ。あ、そしたら大阪までは出るかなあ。その後はNSCでの出逢いがあるかどうかでその後の人生も大きく変わりそうな気が。ピンでは絶対無理だと思うし、気の合う相方候補との出逢いがあればそのまま芸人の道へってことも。もしくは限界を感じて芸人の道は諦めてるかも知れないし。

64

※お笑いの夢諦め切れず三宿Webで地味に活動していた草お笑いユニット『ハンソデポリス』の20周年復活ライブ時の。もう2度とやらんけど(笑)。







あとはやっぱ非常にファッションには興味持ってたので、オシャレはしてただろうし、そしたらもしかしたら必然的にクラブとかにも行く様になってたかも知れないし、そしたらバイトしてみたい欲も生まれてたかも知れないし、そしたら似た様な道を歩んでたかも知れないし…(笑)。まあでも普通に考えたら上京することは考えなかったとは思いますねえ。なんせ知り合いもツテも全く無かったし。そんな超アウェイな場所へはそうそう勇気無くて行かなかったでしょうね。当時は今よりももっと遠くてでかい場所でしたから、東京って街は。

全ては運や縁で人生ってビックリするぐらい変わっていってしまうもんだとは思いますが、もしその運や縁が上手く繋がって芸人になってたらってたまに考えたりします(笑)。もし若い頃から本気でやってたらどうなってたんだろう…?って。もしかして今頃テレビとか出てるのかなあ…?とか(笑)。まあとっくに辞めてるような気もしないでもないですけど(苦笑)。どうなってたんでしょうね~?非常に興味があります。

でも総じて考えると、もし高校卒業後に上京してなかったら、かなりの確率でその後東京には出なかったでしょうね~恐らく。万が一にも芸人になって万が一にも売れて東京進出とかだったら考えられなくもないけど、まあそんなのは確率的にも非常に低いでしょうし。まあ全く違った人生になってたでしょうし、全く違った環境で全く違ったドラマが生まれてたんでしょうね~。想像も出来ないですけど。

若い頃は何も考えてなくて、とりあえず「普通の人生は歩みたくない」とか「サラリーマンにだけはなりたくない」とか「人とは変わった人生を歩んでみたい」とか考えてましたけど、まあそういう意味ではある意味その通りになった的な。まあでも今の年齢の頃にはもうちょっと地位も名誉も財産もあると思ってましたけど…(苦笑)。でも最近思うのが、ボクはやっぱ地位や名誉や財産よりも、自由だったりやり甲斐だったり、そういうのを重んじる傾向が強いような気がしますね。正直Web辞めてフリーエージェントで手を挙げたら、拾ってくれて尚かつ今よりも高給なお店とかありそうですけど(多分)、今って収入は全然低いですけど、まあなんせ最低限好きな様に出来るし、自由時間も多いし、制約が少ないんですよ。それってやっぱなにげに心地いいというか。まあ逆に言うと全部自分で背負い込まないといけないのでなかなか精神的にはキツい部分もありますけど。

20代はもうひっきりなしにアホほど働いて、その分お金も稼いでましたけど、全く余暇や自由な時間が無くて。このままポックリ逝っちゃったら後悔してもしきれんなあ…とか日々思ってました。今はほんと最低限の収入でどうにか色々切り詰めて生活してはいますけど、特に不満は無いんですよね。勿論もうちょっと収入あった方がいいですけど(苦笑)。でもその分余暇もあるし、その自由な時間で色んなこと出来るし。ボクの場合圧倒的にエンゲル係数低いのもかなり助かってますかね~。自分の作るメシが嫌いじゃないので、しょっちゅう自炊してますけどストレスも無いし。外で小洒落た店で無駄に高いご飯とか食わなくても全然OKな人なので。昔から食よりも物にお金掛けたがる傾向があるんですよね。完全に典型的な貧乏性ですね(笑)。

まさかこの歳で結婚してないのもビックリですけど、でもある意味コレはちょっとだけ想像してたかも。元々結婚願望とか家庭への憧れとかも特に無かったし。まあでも色んなこと経験させて貰って、唯一経験してないことは結婚であり子供を作ることなんで、死ぬまでに1度でも経験出来るといいですけど。まあでももし経験出来なくても後悔は無いかなあ。結婚したいと思える相手が現れれば勿論したいですけど、無理してとかは全く思わないので。

やっぱ人生とは日々ストレスとの戦いだと思うんですね。そのストレスの発散の仕方は人それぞれだとは思うんですが、ボクの場合、無駄に多趣味で本当に良かったなあ~とは思いますね。元々凝り性なタイプなので、好きなモノが見付かるとめちゃくちゃ没頭してしまう癖があって。逆に言うと懲りすぎて無駄に疲れるんですが(苦笑)。でもやっぱ好きなことに没頭してる時ってしんどくても楽しくて。ちょっとしたストレス発散にもなってるし。そう考えるとこの30年で沢山色んな趣味が見付かったのは本当に良かったなあと。

草野球やってるなんてのも夢にも思わなかったし。18年前にほんと勢いと思い付きで草野球チーム作ってまさか未だにやってるとは(笑)。てかほんと草野球なんて絶対的に1人じゃ出来ないもんだし、全く野球経験の無いボクみたいなのが監督やってるチームで、一緒に気持ち良くやってくれている現旧のチームメイトにも感謝だし、対戦相手の皆さんにも感謝しかありませんよ。いやほんと、未だにグラウンドでキャッチボールとかしてるレベルでも内心「いやあ、平日の朝からこんな綺麗なグラウンドでキャッチボール出来るってなんて幸せなんだ!」って思いますもん。

世田谷公園

※朝の世田谷公園。ほんと草野球やり始めたのもちょっとした運と縁というか。ある意味奇跡的だし、こんなに長くやるとは始めた頃は思いもしませんでしたよ。








元々飽きっぽい性格なので多趣味なのは好都合だったというか。そして色んな趣味を地道にコツコツと続けたお陰で、SNSブームの影響もあってお陰様でちょっとした色んなイメージも付いたというか。ユニオンジャックに達郎にボンゴレにおむすびに草野球にまさみじゃない方とかも(笑)。いや、そういうのもやっぱ有り難いと思いますよ。「なんかユニオンジャック見るとナガサワさん思い出しますよ!」とか「達郎聴くとナガサワさん思い出しますよ!」とか。まあボクの周りのごく少数だとは思いますけど。でもなんか、イメージ付けをする為に意図的にやった訳ではなく、ただ単に好きだからその趣味を一生懸命やっただけでそういう風にイメージして貰えるというのは、やっぱなんかちょっと嬉しくて。やっぱどんなことでも、金にならないことでも、趣味レベルのことでも、一生懸命やるもんだなあ~とは実感したというか。

49344513_2383589648336003_3969274694674153472_n

※ユニオンジャックグッズコレクションを飾っているショーケース。本格的に集め出したには2008年からですかね。

枝豆4

※数あるおむすびコレクションの中でも最高峰の呼び声高い『枝豆おむすび』。おむすびは2011年から。おむすびもこんなに長く作り続けてるとも、こんなに評判になることも思いもよらず。

Poster_B3_364x515OUT

※ナガタツも最初はほんとノリで始めたんですが今や的な。これもほんと、ただひたすら達郎が好きで突き詰めていったら的な感じですからね〜。本格的に達郎にハマり出したのは実は2002年から。

45685135_2306943672667268_863536027065647104_n

※ご存知ボンゴレ。これもただ単に好きで突き詰めながら作り続けてたら26年経ってた的な。不思議なモンです。







上京して30年、ほんとに楽しいことも悲しいことも酸いも甘いも沢山色々ありましたし、現状だけを見るとなかなか大変な状況ではありますけど、総じて言うと結果幸せだったなあとは思いますね。ほんと上京して良かったと思うし。まあなんせ30年経った今も東京で健康体で暮らせてるってのはでかいですけど。志半ばにして田舎帰っちゃった知り合いもいっぱいいるし見て来たし。東京に居られていることに感謝だし、東京に出してくれた母親にはほんと感謝ですよ。珍しくショートメールで感謝の言葉送ったし。滅多にそんなことしないのに(笑)。

両手鍋

片手ザル

親子鍋

※上京してすぐに買ったアルミの両手鍋、片手ザル。購入して遂に30年が経過。アルミの両手鍋はそんな頻繁には使ってないけど(親子鍋は言うまでもなくそれ以上に)、片手ザルは未だにデイリーユースでヘビーに使ってるというのに。我ながら物持ちの良さたるや。








昨年末にまさかの上京したて以来の大田区復帰も、最初は若干ネガティブに考えてたりもしましたが、5ヶ月住んで思うのは「ほんと引っ越して良かったなあ~」ってこと。ほんと最近ふとした時にしょっちゅう思いますよ。なんせ代官山に14年、学大に10年住んで、もうその辺の界隈は行き尽くした感あったというか。真新しさなんかほぼ皆無だったし。それが今は通る道や街が全て目新しい風景が広がってて。今住んでる石川台周辺の街もそうだし、最近よく行く多摩川沿いとかもそうだし、昔住んでた蒲田にもよく行く様になったし、ほんとノスタルジー且つ新鮮なことが沢山あって日々刺激を貰ってるというか。iPhone落としたお陰で(結果出て来たし)長年使ってきたAUを解約して格安SIMのUQモバイルにしたのも長期的に考えるとでかかったし、10年乗ったチャリ盗まれてある意味致し方なく急遽買ったニューチャリの乗り心地がもう最高で、お陰で荷物運びも超楽になったし漕ぐのが楽で気持ち良いのでちょっとした遠出にも出掛ける様になったりとか。家賃も前よりも9千円も安くなったし。勿論多少の不便もありますけど、それを有り余るぐらいの良かったことが沢山。もうほんと今となってはいいこと尽くめですよ。

ニューチャリ

※これマジで買って良かった。ほんとに移動が楽になりましたし乗り心地も最高。

掃除機

※調べに調べた悩みに悩んで買ったコードレス掃除機。これもめちゃくちゃいい買い物でした。特に先端がLEDで光るのが手元の細かいゴミが見えてめちゃくちゃ便利。絨毯とか無いフローリングの部屋の人には圧倒的にお薦めです。

坂

※近所にあるよくドラマやCMの撮影に使われているらしいまあまあ急な坂。

陸橋

※前述の坂の上にある陸橋。

洗足池

※洗足池。ゼペット・ヤナさんに薦められて初めてちゃんと行ったけどめちゃくちゃいいですココ!







なんかこの歳になると、ほんと色んなことが有り難いと思うし、幸せだなあとも思えるし、なんてラッキーなんだろうとも思えるし。てかもう生かされてるだけで有り難いというか。歳取って色んなことを経験したのもあって、色んなことに対しての感謝が増えた気がしますね。東京でやりたいことやりながら生きていくってほんと大変なことだし。

さてこれからの人生どうなっていくんでしょうね~。ボクにもさっぱりわかりませんよ。冗談抜きに急にWebが潰れるかも知れないし。っていうかちょっととある問題があって、もしかしたら恐らく来年はもうWeb無いんじゃないかなあ?とは思ってます(多分)。てかまあWebに限らず正直何が起こるかなんてさっぱりわかりませんよ。最近の瀧さんの一件もビックリだったし。でも常に何が起きても動じない様な心構えではいようとは思ってますけど。そしてその状況や環境にどうにか必死にフィットさせて生きていかないといけない訳で。まさに『時の流れに身を任せ』ですよ。そんな気構えで残りの余生を送ろうかと。そしてそんな中でちょっとでもなんか自分なりの何かを残せたらいいですけどね。まあ地位や名誉や収入は半ば諦めてるので(笑)。ちょっとしたことでもいいですけど。その為には日々ちょっとづつでもいいから何かしら地道に頑張らないといけないですけどね。

いやあしかし、知り合いも1人も居ず、右も左も前も後ろもわからない様な状況で上京して30年、この東京の荒波に揉まれながらよくぞ1人で頑張りましたよ。こんな無駄に偏屈で無駄に意固地で無駄に頑固な性格でよくも30年もやってこれましたよ。ほんとに。奇跡的ですよ。自分で自分を褒めてあげたい。そしてこの30年、出逢ってきた沢山の人達へ感謝です。こんな地位も名誉も無い偏屈で意固地で頑固なボクに良くしてくれて本当にありがとうございます。皆さん無くしてボクのこの30年の東京ライフは間違いなく無かった訳ですから。そしてこれからの東京ライフも、懲りずに何卒宜しくお願い致します。引き続き、もうちょっと東京ライフを楽しみたいと思ってます。好きです、東京。そしてありがとう、東京。

桜


東京タワー