ナガサワブログ PART3~この熱い魂を伝えたいんや~

D級草どインディー老舗クラブ"三宿Web"店長ナガサワの趣味や考え方や日常が垣間見れる独り長文炎上ブログの続々編。

カテゴリ: コラム

奇しくも28年前の今日は三宿Webのレセプションの日、そして28年前の明日は三宿Webのグランドオープンの日です。一昨年の5月15日にブログで三宿Webの閉店のお知らせをしてから2年経ちました。2年経ってまさか未だに無職だとは…(苦笑)。いや逆に2年も無職でいられたのは多数の物販を購入して頂いた皆さまのお陰ですけどね。本当にありがとうございます。
IMG_4258

CkmFxiYVAAAdlN3








閉店が決まってから、実はちょくちょくと仕事の話しは頂いてはいたんですけど、やっぱ大抵夜の仕事が多くて。コロナ禍真っ只中で絶対最低でも2年は掛かると思ってましたし、コロナ禍が始まってもうボクも皆さんの多くも早寝早起きの生活が普通になってしまったのもあって、このコロナ禍で夜中の商売は1番厳しいなあ…というのもあって全部お断りしてたんですよ。物販が売れて一応蓄えもありましたし、そのお陰でまだ色々と考える猶予もありましたし。まあボクなんかにお声掛けして頂いて本当にありがたい話しなんですけどね。とは言えもういい加減蓄えも尽きてきて、今年入ってずっと「さてこの先どうしよう…?」と焦りながら考えていて。まあちょっと前まではまだまだコロナ禍の影響もあって、なかなかどうしようもない雰囲気も色濃かったですけど、ようやくそのコロナも収まってきて(まだまだ収まってはいませんが世間の風潮的に)、現実的に色んなことが考えられる様になってきて。
IMG_4127








去年の夏に原宿のkit galleryで『マンスリー展』をやらせて貰って、予想以上の沢山の人に来て頂いてめちゃくちゃ嬉しくて。同時に「オレって接客業向いてないけどやっぱ好きなんだなあ」ということを再認識することになって。直後に「やっぱ何かしらの店をやりたい!」という願望に駆られる様になり、お店をやってる知り合いたちに、どうやって開業したのかとか、開業資金幾ら掛かったのかとか聞いて回ったりもして。でも思ってた以上に莫大なお金が掛かることを知って結構ビックリして打ち拉がれて。「え!こんなキャパでも1,000万も掛かったの??」的な。なのでもしやるとしても、最初は家賃が余り掛からないこじんまりとした手狭なところで、場所も繁華街的なところじゃなくてうちの近所のローカルなところでかなあ…とか考えたり。でもそんなところでやっても知り合いの多くは来てくれないだろうなあ…とかも思ったり。
E5WlsHpVoAUrNYb








去年の秋からほぼ毎週末フードをやらせて頂いてる神田の"手と花"の店主・千絵子さんは本当に神様みたいな人で。どんなお客さんに対してもウェルカムだし優しいし丁寧だし。もうちょっと接客業としてはある意味天才的なんですよ。なのにちょいちょい抜けてるとこもあってツッコミどころ満載っていう(笑)。タイプは全く違いますけど、三宿Web初代店長のマービンを彷彿させる様な。そういうこともあって、神田という不利な立地なのに手と花はめちゃくちゃ常連さんが多いんですよ。マジでビックリするぐらい。勿論ご近所に住んでる人も多いですけど、わざわざ遠方から神田まで来る人もほんとに多くて。いや、マジでそれぐらいの人を惹き付ける癒しパワーを持ってるんですよ、千絵子さんは。なので毎週の様に間近でそういうのを見てると「やっぱ人の好き嫌いが激しいオレなんかが店やってもダメだ…絶対人来ませんよ…」的なネガティブモードになったり(苦笑)。
IMG_1150








フード売ったり要らないモノ売ったりと色々と小銭稼いだりしてましたが、そろそろいい加減なんかバイトでもしないとヤバいな…とは最近思う様になってきて。何なら誰にも知られず気楽でいいし「ボールペン組み立てるバイトとかシール貼りのバイトでもしようかな…。元々単純作業を長時間やるのとかは頭使わなくていいから昔から苦にならないタイプだし。」とかも考える様にもなってたんですが、そういうのやっちゃうと惰性でずーっとやっちゃいそうで怖くて。やっぱなんとか頑張って店とかやろうかなあ…とかまた徐々に考える様になってきて。そんな折、ゴールデンウィークにたまたま色んなところでフード売りを誘われて。有り難いことに下北沢・渋谷・神田と結構連日休みなくフード売りしてて。で、そのGWの間に久し振りに逢ったり新たな出逢いもあったり、ほんとに沢山の人と話す機会が多々あって。で、色んな人からめちゃくちゃ背中を押されたというか、持ち上げられたというか。
43D11F24-8BC7-4AE3-8D08-17DDDAC37566

IMG_3392

93879327-DDAB-414C-A309-EC3056CD21F1








下北でのフード売り誘ってくれる前からも「ナガサワさんは絶対店やった方がいいすよ!」って言ってくれてたCHINTAMくんを始め、ボクがフードやってるのを知ってわざわざ逢いに来てくれたNONちゃんとかにも「絶対店やった方がいいですよ!マジでやってください!」とめちゃくちゃプッシュされて。NONちゃんから紹介された、フード販売をさせて頂いたお店・COUNTER CLUBのボス(他にも251やsolfaやBATICA等も)の安田弾くんにも「ナガサワさん、結構有名ですよ。ボクらの世代からしたらレジェンドですよ!」的なことを言われたり(苦笑)。あと去年からうちの野球部に入った2人にも各々「野球やってるって言ったらどこで?って聞かれてニャンニャンタイガースですって言うとみんなすぐ、え?ナガサワさんのとこ!?って言われること多いですよ!」とか「色んなとこで遊んでて話ししてると結構ナガサワさんの名前出て来ますよ!やっぱみんな昔Webで遊んでた人多いみたいですね〜」とか。内心「え?オレってそんな有名なの??(汗)」的な。勿論三宿Webがある程度知られてるのは承知してますけど、ボクがそんな知られてるとはちょっとビックリというか。まあ勿論言うても狭い範囲だとは思いますけども。でもやっぱそういうの聞くと単純に嬉しいですけどね。とまあ、なんかそういうのがめちゃくちゃ多かったんですよ、GW以降ずっーと。色んなところで色んな人に持ち上がられたというか。神田にまさかの3日連続で来てくれた旧友のイットくんからも「ナガサワさんなんで自分の店やらないんですか!ボクらはずっと待ってるんですよ!」的に熱くお説教されたり(笑)。いや、ほんとにありがたいというか。
IMG_4236

IMG_4063








まあそういうのはそもそも酒の席だし大袈裟だったりお世辞だったりも勿論承知はしてますけど、とは言えどう低く見積もっても一般の人に比べたら知り合いの数も多い方だろうし、狭い範囲とは言え少なからず知られた存在ではあるだろうし、あと結構周りの色んな人が「ナガサワさん店やるんだったらめちゃくちゃ協力しますよ!」とか「店やるんだったら働きますよ!」とか言ってくれたりもして。実際ほんとに店やったりしたら知り合いたちは勿論ですけど「もしかしたらあんな人からこんな人まで来てくれるかもなあ〜」とか想像しただけでテンション上がるし。 あとボクを古くから知ってる人からしたら過去の実績的に「ナガサワさんの店は酒が美味い!」って思ってくれてる人も多いでしょうし、実際店やったらどういうレベルでも酒は美味しく出せる自信もありますし、酒以外も最近手と花で場数を踏ませて貰ってるのもあってパスタの腕がメキメキと上がってきていて。勿論今年で作り始めて30年の『ナガサワボンゴレ』もありますし(笑)。パスタ以外にも約一年掛かりましたけどカスタードプリンもようやく「コレだ!」ってのが作れる様になりましたし、もはや11年作ってるおむすびも然り、飲食をやる上で色々と『ちょっとした武器』はあるんですよね。そう考えるとやっぱ折角そんな境遇に居るのに何もやらないのは勿体無いよなあと考える様になって。GW以降の怒濤の持ち上げ&背中押しもなんかちょっと運命的なモノも感じたし(勝手に)。1番問題の開業資金の調達に関しても「あんまり好きじゃ無いし出来ればやりたくないし、三宿Web閉店時にさえも使おうと思わなかったクラウドファンディングをやればなんとか集まるんじゃないか…」的な甘い思考にもなったりして。
IMG_3995

IMG_4378

IMG_3973

IMG_3884

FPvUWhNaUAURewM

E5VI7HbUYAQ4Eei

58









そんな訳で前置きが例の如く長くなりましたが、何かしらのお店をやろうと思ってます。実際やれるかどうかわかりませんが、やる方向で考えてます。勿論やりたい店はクラブじゃないですけど。基本的には終電ぐらいまでの営業時間で、カジュアルで大衆的だけど酒が美味い飲み屋、でも美味しいご飯も食べれる的なお店ですかね。あとは物件次第というか。場所や広さや物件の作りとかもそうだし。多少音出せる環境ならちょっとしたイベントとかもやれたらいいですし。でもやっぱりボクらしいというか、ちょっとヘンテコな店にはしたいですけどね。出すモノはちゃんとしてるし美味しいんだけど、やってることはちょっと独特で個性的な店というか。そう、正に三宿Web的な。
Ekbr6wzVkAApikl

ngb

IMG_4089








店の場所は色々考えたんですが、当初考えてたローカル地帯ではなくやっぱ繁華街じゃないとダメだなあと思う様になり。渋谷、学芸大学周辺、中目、ずっと嫌いな街だったけどGW以降いいなと思える様になってきた下北とかもいいなあ、いやいずれは住みたいと思ってる逗子で!とかも思ったんですが、ここにきてズバリ「出来ればここがいい!」って場所が見付かって。それは『世田谷公園付近、出来れば三宿通り沿い』です。 正直言って三宿にはもう全く未練もないし、むしろ三宿じゃないところがいいぐらい思ってたんですが、なんせ閉店後もほぼ毎週の様に草野球で世田谷公園には行ってて。やっぱ世田谷公園周辺のあの辺ってどこかのどかでいいんですよ。まあ駅からは遠いですけど…。でもそもそも「店やって一見さんもガンガン入れて繁盛させて儲けたい!」的な欲があんまり無いので、やっぱ渋谷とか下北とかは人も多いし性格的にしんどいし合わないかも…とかも思ったり。なので立地的にも『わかってる人だけが来る店』的になるだろうし、そっちの方が性に合ってるんじゃないかと思って。三宿は別に好きな街じゃないですけど、ボクを知ってる皆さんからしたら完全に『三宿の人』だろうし、ボクが新しくまた三宿に店出した!とかなったらわかりやすくてオモロいかなと思いますし(笑)。
696_0451_1_1400x1100

interview_11_14








そんな訳で、物件情報詳しい方など、世田谷公園付近でいい物件情報ありましたらご連絡頂けますとありがたいです。世田谷公園付近じゃなくても「ココ結構いいですよ!」的なのがあれば。例えば渋谷とかでもビルの上階とか、辺鄙な場所だったら一見さんも来ないでしょうしひっそりやれそうだし。でも基本的には見晴らしのいい物件がいいですね。それは結構重要ポイントかも。なんせのべ30年も地下に潜ってたので(笑)。あと家賃ですけど、まあ出来れば30万ぐらいまででしょうかねえ~やっぱ初めてだしまだまだ弱気なので(苦笑)。いくらいい物件でも余りに家賃高いのはちょっと…って感じです、正直なところ。
IMG_3797








あと、開業するに当たって「こうした方がいいよ!」とかの情報も頂けますとありがたいです。店の運営は長年やってきましたけど、開業するのはなんせ初めてなんで。全くど素人ですから。あと前述したクラウドファンディングもイットくん曰く「今は30%も取られるからやめた方がいいですよ!だったら知り合いに有志募って出資して貰う方がいいですよ!」とかも。ちなみに既に知り合い3人ぐらいには「ナガサワさん店やるなら○十万までなら出資しますよ!」とは言われてて。全くありがたい話しですよね…。て訳で無理のない範囲で出資してくださる方もしれっと募集しております(笑)。
IMG_3801









いや、ボクの場合なにげに精神的に浮き沈みが激しいので、敢えてこういう『店やります宣言』でもしないとまた時間が経ったら「やっぱオレなんて…」と悲観的に考え始めて「やめとこうかな…」ってなると思うので(笑)。あと気も変わりやすいし。もう宣言した以上引き下がれませんから。自分に対して逃げ道を塞ぐ意味合いも非常に強いというか。そんな訳でとりあえず全ては物件次第なところがありますので、いい物件情報ありましたらお願いします!あ、あとそれ以前にほんとに金がヤバいので何か仕事あったらください!(笑)。フード販売は勿論のこと「ちょっと人手足りないから手伝って!」的なことでも。もう洗い物でも面倒な事務作業でも何でもやりますので!(多分)。自分で言うのもなんですがなにげに結構色々と使えると思うので(笑)。最近はほんと仕事に飢えてます! いやしかしいい物件見付かるといいなあ〜。そしてほんとにお店出来るといいなあ〜。でも人生そんなに甘くないのも十分痛感してますので。まあ諸々無理だったらその時はボールペン組み立てるバイトでもします(笑)。ちなみに今日はなんと『一粒万倍日』らしいですよ!なんていうナイスタイミング!どうなるかわかりませんが今日から『NEVER ENDING お店開店 STORY』スタートです!数少ないナガサワファンの皆さん(笑)、どうか応援してください!何卒宜しくお願いします!!
IMG_3462

IMG_3440

IMG_4161

271017562_5263093233718949_1571435474027976142_n




あけましておめでとうございます。世の中もボクの人生も一体どうなっていくのか全く一寸先がわからない様な状態で始まった2021年でしたが、どうにか生き延びれてとりあえず安堵しております。一昨年ほどではありませんでしたが、去年もほんとになんだかんだと色々ありましたね~。て訳でもはや無駄に新春恒例のナガサワ的20大ニュースカウントダウン、例の如く無駄に長いので早速いってみましょう(笑)。
271017799_5263093227052283_3796402415471787479_n










第20位「素麺ブーム」
夏場は全然食わなかったのに、9月に入ってから唐突に起こった素麺ブーム。7月に頂いた高級三輪素麺をいい加減頂こうと思った時に「折角だし映え意識して巻いてみますか!」と初めて巻いてからまさかのどハマり。今まで素麺てそんな大して好きじゃ無かったんですけど、ちゃんと好きな薬味(小葱・大葉・茗荷・すだち・おろし生姜)も用意して更に巻いて食べたらコレが美味くて飽きなくて。巻くのって勿論見映えもいいんですけどめちゃくちゃ食べやすいんですよ。いやー写真見てたら久々に食いたくなってきました(笑)。
243659384_4934501809911428_4477624328085055398_n

E-6nYHiVIAEHhe2









第19位「デスクトップ用にミニサブウーファー導入」
一昨年の年末ぐらいから、デスクトップ用で長年使ってるパワーアンプ内蔵の小型スピーカーに合わせて小柄なサブウーファーでいいのないか色々調べまくってたんですが、サイズ的にも1番良さげなコレが、状態のいい美中古で年始にメルカリで半値で出てたのでゲット。机上での置き場所迷いましたけど自然と背筋も伸びるしと、思い切ってiMacの下に配置。実際音出してみたら想像してたぐらいの丁度いい塩梅の音圧で。やっぱ低音に厚み出るだけで全然音像変わってきますね~。もはや1年近く使ってるので、コレが普通になっちゃってるので感覚も麻痺気味ですが、作業中のBGMの音が格段とアップして非常にいい買い物をしました。
137267322_4145346265493657_2876882775353728074_n

137267325_4145346268826990_4886578587723373150_n








第18位「STREAMING YAMA-TATSU & KDMT NIGHT開催」
一昨年の夏に開催した『配信YAMA-TATSU NIGHT』をまたやろうと思ったんですが、昨年はちょっと趣向を変えて、なんと大田区のボクの家までわざわざLADY-Kさんに来て頂いて(汗)、イベントとしては2年振り3度目となる『STREAMING YAMA-TATSU & KDMT NIGHT』として開催。配信は一昨年同様ツイキャスプレミア配信で。一昨年はツイキャスのイベントと重なって、開催時間中ずっと繋がらないというまかさの悪夢だったので、去年は一週間前にボク1人で無料予行演習配信までやったんですが、同じ設定なのに当日になったらまた重くて一瞬繋がらなくなって。もうマジで悪夢再びでしたよ…。とりあえず今回は1人じゃなかったし、不幸中の幸いでLADY-Kさんの番の時だったので手が空いてるボクがその間色々あれこれ設定変えたり工夫出来たので、結果1時間ぐらいは繋がらない時間がありましたが、その後はなんとか最後まで固まらず。しかしまあほんと、一昨年ほどではなかったものの、今回も焦りまくったし大変でしたよ…。ちなみに6月頃に、ナガタツ用に都合4枚目のオーダーシャツも無駄に製作。さて今年は配信じゃなくて有観客での『ヤマタツナイト』はあるのか否か。
240456321_4814106968617580_4690647692135959202_n

Rc2JFpaOWQmjfySo








第17位「初のiPad購入」
前から寝床でAU時代に貰ったAndroidタブを閲覧用でよく使ってたんですが、昔からiOS慣れしてるのもあってレスポンスの遅さと使いづらさがずっとストレスで。6月頃ふと「中古でいいからiPadあるといいよなあ」と思い色々調べてみたらたまたまアップルの整備済製品に3年前の型落ちが出ててゲット。使ってなかったiPhone7も下取りに出して都合1万8千円ちょいで買えて。それ以降枕元に置いてしょっちゅう調べごととか閲覧用に使ってるんですが、やっぱいいですね~iPad。なんでもっと前から買わなかったんだってぐらい今やめちゃくちゃ重宝してます。
D9E6E1BF-20C2-4E32-9344-ECA7F8B83CBE

E36DZVYVoAYP8Nx








第16位「ニュー掃除機購入」
3年前に買ったばかりのコードレス掃除機が、昨年春ぐらいから徐々に稼働時間が短くなっていって、11月末頃には遂に充電すらしなくなっちゃって。調べてみるとそもそもコードレスのバッテリーの寿命ってそんなもんらしく、しかも買い換えると1万ぐらいするので、迷った挙げ句諦めてニュー掃除機を買うことに。アホほど調べて考えまくった結果、一周回ってまさかの有線キャニスター紙パック式に戻るという選択を。しかも更に調べに調べて1番ベストな機種だと確信した、敢えて2期前のパナソニックの上位機種をわざわざ探しまくって新古品をゲット。いや、実はこの代までヘッドの先にLEDが付いてるんですけど、壊れた日立のコードレスにも付いてたんですけど、コレほんと細かいゴミも照らして見えてめちゃ便利なんですよ。使ってみて2ヶ月経ちますが、やっぱまあ有線だと色々面倒なことも多いですが、吸引力は一般機種に比べると大してある方では無いんですが、それでもやっぱコードレスに比べたらもう雲泥の差だし(やっぱココが1番重要)、キャニスター型にしてはアホほど軽いしビジュアルもいいしで大満足で超お気に入り中です。頼むし今回はすぐ壊れません様に!
264296897_5159179870776953_7105389831708926002_n

FFgDN_0aAAAUxG0








第15位「4年振りに機種変してiPhone12に」
春頃に4年振りにiPhoneを7から12へ買い替え。しかもその足で2年使ったUQモバイルから楽天モバイルへMNPも。UQ全然不満無かったんですけど、なんせ絶賛無職だったので楽天の1年間無料に釣られた的な。事前に買っておいたネイビーの耐衝撃ケースも装着。まあなんせ、なんと言っても充電がパワーアップして非常に快適になったのと、カメラの性能も格段とアップしてて写真が綺麗!もうもはやコレも普通になっちゃってますが、やっぱ機種変して良かったし、楽天も最初はちょっと難儀しましたが慣れたら全然問題無いし、結果MNPもして良かったなと。とりあえず今回のiPhoneも向こう4年ぐらいは大事に使おうと思ってますので、どうか壊れたり無くしたりしません様に!
EwhlDoZVoAEjc7I

EwhlDofVcAAM7aq








第14位「蒸し器でのカスタードプリン作り」
5月頃にふと久々に作りたいという衝動に駆られ、色々買い揃えて28年半振りに作って。最初はどうしてもすが入っちゃって見た目も食感もイマイチでしたが、その後もレシピや作り方を色々変えて地道に試作を続けて。プリンってほんとに繊細な食べ物で、レシピは勿論のこと、蒸し加減ひとつでもすぐすが入っちゃったり食感が変わったりと、作れば作るほど奥の深さを痛感してます。レシピ的に色々と試してなかなか着地点が見付かりませんでしたが、最近になってようやく「やっぱなんだかんだいってシンプルなレシピ且つ柔らかめの食感が美味しいかも」と思う様になり、ようやくナガサワプリンのレシピが固まった的な。半年掛かりましたよ(苦笑)。まだまだ探求の余地ありですけどね~プリン道。あ、あと時を同じく『4種のベリーソースのレアチーズデザート』なるモノを作り始めたんですが、こちらはまあ最初は何度か失敗もしましたけど結構早めにレシピも固まり、食べた人の評判もなかなかいいので、なにげに得意料理の1つに。フードでもたまに出してますので、プリンもレアチーズも機会があれば是非一度ご賞味ください。
FHlVlctaMAYUEZD

FEsKM8GaAAAKPAt








第13位「エスモードジャポン夜間コース入学及び職業用ミシン購入して20周年」
2001年4月9日からエスモード夜間のパターン科初級クラスに1年間だけ入学。夜間と言っても周りはみんな10代や20代の若い子ばっかで、10個以上歳が違う子達の中で(当時30歳でクラブ店長)とかなり浮いてましたね~(苦笑)。いきなり入学式の説明会で、年間予定のテロップにうちの元スタッフのエガちゃん(江頭くん/実はエスモードOB)が出てきてビックリしたり、当時髪の毛切ってくれてた美容師の友達の親友とたまたま同じクラスの隣の席だったり。夏前に夜間クラスが一同に会しての発表会みたいなのがあって、喋り慣れしてると思われたのか?なぜかボクがクラスの代表に選ばれて、直前に初の課題製作で作ったヘルムートラングをイメージした、シンプルで大人っぽい感じのスカートを前に、壇上で色々と説明したり(ちなみに直後の休憩時間に中・上級クラスの女子たちからスカートが大評判でしたけど!)。

余談ですが、ちなみに実は三宿Webがちょうど20年前から一気に営業日減らしたのはコレが理由だったんですよ。それまで日曜日以外は毎日営業してたんですが、もう10年クラブ業界で働いてきて将来のことを考えた時に、やっぱアパレル業界に転職したいっていう願望が強くなって。でもやるからには最低限の知識や技術を得てからにしようと、色々考えた結果、翌年からエスモードの夜間のパターン科に通うことにして。なので2000年の頭ぐらいにオーナーには年末で辞める旨は伝えて了承も得ていたんですよ。でもやっぱ当時のWebは既に幾つも人気イベントやDJを抱えて売り上げも結構ありましたし、オーナーにもなんとか続けられないか??的な打診も受けていて。秋ぐらいからボクも段々と「せっかくここまで作り上げてきたのに全てを捨ててしまうのも勿体無いなあ…でもやっぱ来年から専門も通うし毎日営業してってのはちょっと無理だなあ…」とは思ってたんですが、色々考えた結果、営業日をぐっと減らしてだったら学校との両立も可能かも?と思って一応オーナーにはダメ元で打診してみたんですよ。そしたら間髪入れずに「あ、全然それでいいよ!」とあっさりOKが出て(笑)。結局学校は1年しか通わなかったんですが、それまでほぼ余暇も無かった生活から一気に時間に余裕が生まれ色んなことが出来る様になり、給料は勿論減りましたがその分色んな部分で人間らしさを実感出来る様になり、一旦減らした営業日は長年ずっとそのままにしたっていう(苦笑)。
EyiNRTrVEAAgwJB

B4AQSeyCMAA7pn_

IMG_0402

IMG_2895

246804767_4998193680208907_2806559900715585648_n







第12位「悪夢のバイク事故から30年」
1991年9月27日の朝4時半頃、当時働いていたCAVEの営業が終わって帰宅途中、小雨降ってて掛けてたゴーグルが曇ってたのもあって赤信号に気付かず直進してて、気が付いたら左から直進の車に思いっ切りはねられて30mぐらい吹っ飛んで。雨の中遠目に、3週間前に初のローン組んで買ったばかりのベスパがぐしゃぐしゃに倒れてるのを見ながら「嗚呼、オレの人生終わったな…」って思いましたよ(苦笑)。左目尻パックリ切って大流血&左脚甲骨折して全治3ヶ月も、奇跡的に致命傷には至らず。いや、運が悪くて打ち所も悪けりゃ死んでたかも知れないし、死んでなくても致命傷負ってたかも知れないし。事故後30年経って初めて事故現場へも。当時はまだ若かったから全然理解してませんでしたけど、大袈裟ではなく、もしかしたらその後のボクの人生30年が全く無かったかも??て考えるとほんとにゾッとしますし、生かされたことに改めて感謝ですよ…。
243100661_4931034736924802_5054267566454438561_n

FAQUhFrVcAMm8aN










第11位「業界歴30周年」
詳しくはNOTEに書きましたのでこちらを。ちなみに30周年直前には、渋谷のDJ BAR Bridgeでフード販売をさせて頂いたんですが、Bridgeは今や業界では数少ない大先輩の有泉さんがボスの店で。実はちょうど30年前に『クラブで働きたい!』欲に猛烈に駆られて都内の主要クラブに電話しまくって3軒目に掛けた渋谷CAVEに拾われてこの業界に入ったんですが、1軒目に電話したのが青山MIXで、電話応対して頂いたのが当時店長だった有泉さんだったっていう。なのでこのタイミングでBridgeでフードをやらせて貰うというのは、個人的に非常に感慨深かったというか。まあ正直去年の春から浪人中だし、業界歴30周年と言い切っていいのかどうかもわかりませんが(苦笑)。まあでもやっぱ、どうしても30年前にこの業界に入った頃とかを感慨深く思い出したりしましたね~。
157436925_4299194816775467_6951659336360825343_n

EW3MNXXUwAAWypS








第10位「遂に50歳に」
若い頃は漠然と「50になる頃には何かしらで大成してまあまあお金もあって…」とか思ってましたけど、まさか独身且つ無職で迎えるとは…(苦笑)。やっぱ結構重みありますよ、50代って。つってもじたばたしても仕方ないので変わらず頑張って生きるだけですけど。まあでもよくもまあこんな好きなことだけやって50年も生きてこれましたよ。しかも東京で。本当にボクの50年間を彩ってきた全ての皆さまに感謝です。記念すべき50の誕生日は、せっかくなので夜から無駄に記念に配信イベントも。ご参加くださった皆さま、観て頂いた皆さま、誠にありがとうございました。さして視聴者数多くもなかったけど、個人的には非常に楽しかったです。でもちなみに、もはや日付変わる数時間前からですけど、全く予想外にですけど、もうちょっと人生の中でも絶対一生忘れられないぐらいの「こんなの確率的に言うと何千万分の1ぐらいじゃないの??いやもはや何億分の1??」ってぐらい、極めて稀にみるロマンティックな事件が起こったんですけど。そういう意味でも、50回あった誕生日の中でも非常に濃厚でインパクトの強い日になりましたね~。
TKCGB_0269

EuLHKvjVIAEn70v

EuLHKw-VgAMv7H8








第9位「一色海岸に通って20周年」
もはや毎夏恒例、去年もたけSEA軍団で一色海岸へ。一昨年はコロナ禍の折り、残念ながら営業しませんでしたが、去年は2年振りに海の家・さざ波へも。思えば2001年8月に、たまたま訪れたここが超気に入ってしまい、毎夏色んなその年の仲のいい友達たちを連れて通って去年で記念すべき20年。さざ波のおばちゃん達始め、皆さんお元気そうだったし、勿論ボクのことも憶えててくれて嬉しかったですね~。去年は4人のたけSEA軍団と共に。結果変なメンバーだったけど(笑)、天気も最高だったし久々の鎌倉→小坪→一色コースとたけSEA軍団フルコースで最初から最後まで最高でしたね~。去年は20周年記念イヤーだったのでなるべく回数多く行きたいと思ってたんですが、直後から緊急事態宣言発令でその後は一度も行けず…。まあでも逆に考えると去年は早めに行っといて良かったし、結果1回でも夏の一色海岸及びさざ波に行けてほんとに幸せでしたね~。これまでもこの先も、間違い無くボクにとって毎夏で1番の最高の癒しスポットです。
223026737_4719286211432990_389826697490366644_n

223084387_4719286198099658_7274564352878614514_n

223037504_4719286204766324_3768861084039288976_n

223035045_4719286241432987_2156466630568126470_n

※「何ブルーハワイ舐めでオレ撮っとんねん!」とツッコミを入れているブルーハワイの様なオレ(笑)。昨年1番の爆笑ベストショット。






第8位「三宿ニャンニャンタイガース20周年」
2001年の8月に勢いで始めた我が草野球部『三宿ニャンニャンタイガース(通称:猫虎)』がまさかの創設20周年を迎えました。せっかくなので記念Tシャツやキャップも製作。創設記念日の8月27日には、特別試合として長年の好敵手・ピエール学園と対戦。半ばお祭り気分でスタートも、終わってみればまさかの2-1という公式戦さながらの白熱戦でした。しかし何度も言ってますが、野球経験ゼロのボクがほんとにノリと勢いだけで始めた草野球チームが、まさか20年も続くとはビックリですよ。でもほんとに野球は1人じゃ絶対に出来ませんからね~。歴代の猫虎メンバーと対戦チームの皆さんに超感謝ですよ。ちなみに今年は22年の寅年という、正にニャンニャンでタイガースな年なので(笑)、いつも以上に気合い入れてやりたいと思ってます。まあでもぶっちゃけ、色々と問題も多々抱えてるのでどうなるか正直わからない部分もあるんですけどね…。さて今年は色々とどうなることやら。
240456532_4836295046398772_1780797525481321863_n

E9mjULJVgAYVe7j

E4jsuoLVcAACRAb

EybAVJQVgAktYsV

FCLgyFPVgAAJY3x








第7位「おむすび作り10周年/ARIGATO OMUSUBI/17年振りの炊飯器買い換え」
2011年1月に、実家から送られてきた山形のブランド米『つや姫』の美味しさに驚愕したと同時に、試しに作り始めたおむすび作りがなんと去年で10周年でした。今やもうちょっとしたつや姫大使且つ草おむすび家としても活動中です(笑)。10月からはなんとフード販売する時の名称を、ボクのおむすびを一度でもご購入頂いたことがある方ならご存知だと思いますが、長年おむすびを包むラップに貼っている世界6カ国(日英仏伊葡独)の「ありがとう」がプリントされたテープから取って『ARIGATO OMUSUBI』として活動することに。しかしコレもほんとちょっとした思い付きで始めたものの、こんな長く且つ真面目にやることになろうとは…。人生とはわからないもんです。でも昔から「美味しいご飯炊ける様になりたいなあ…」とはずっと思ってましたし、自分でいつでも美味しいご飯が炊ける様になっただけでもほんとに幸せなことです。あとそれにも伴って実に17年振りにニュー炊飯器も購入。そちらの方はこちらに詳しく書いてますのでご覧ください。
260973053_5125587527469521_7691885240695175814_n

FEEC5ycaIAEtssL

E5VI7HbUYAQ4Eei
FullSizeRender







第6位「まさかの四十肩(五十肩)」
一昨年の年末ぐらい、ちょうど草野球のシーズンが終わってすぐぐらいの頃から急に右腕というか右肩周辺に激痛が走る様になって。最初は寝違えたかな…ぐらいの感じでしたが、徐々に痛みが尋常じゃ無いぐらいに増してきて、生活するレベルでも結構辛いことが多くなってきて。気が付けば右手がもう背中側に回らない様になっちゃって。トイレでおしり拭けないんですよ、痛くて。洋服着る時や脱ぐ時も大変だったり。いい加減これはヤバいと思い、春先頃に整形外科へ。真面目にリハビリ通ったんですがなかなか良くなる気配もなく。そんな話しを瀧さんにしたら、瀧さんも5,6年ぐらい前に四十肩患ったらしく漢方で治ったとのこと。そんな訳での藁をもすがる気持ちでの初漢方も。でも錠剤だったからか、残念ながら全然効きませんでしたけどね~。でも夏場海に行って泳いだ辺りから劇的に可動域が広がる様になって。それまではボールを下から投げるなんてことも出来なかったのに、それ以降徐々に痛みも減ってギリギリ短い距離なら投げれる様にはなって。とは言え腕は未だに真上には上がらない状態ですけどね…。でも正直最初が余りにも重症過ぎて「これもう一生治らないかも…」とか「最低でも2年ぐらいは掛かるだろうな…」とか思ってたので、予想してたよりもだいぶマシになってほんと良かったです。まあでも完全に治るのにはやっぱあと1年ぐらいはかかりそうな気もしてますけどね…。
Et2KBRSVIAEwWgg

EwQ_PxLUYAUOO7z

190467348_4543827825645497_1748980394426074620_n








第5位「毎週土曜日に神田・手と花でフード販売を」
一昨年の秋にふとしたことからちょいちょい顔を出す様になった神田のオアシスこと、オルタナティブアートスペースギャラリーカフェ『手と花』で、これまたふとしたことから11月の第2週から毎週土曜日にフード販売及びBGM担当させて頂くことになって。まあなんせ神田なんで、11月とかは結構人も少なかったし不安にもなりましたが、先月ぐらいから毎週誰かしらボクの知り合いもちょくちょく来てくれる様になったり、手と花の常連の人達とも多数顔見知りになったり仲良くなったりして、ほんとに楽しくやらせて貰ってます。そもそも店主の千絵子さん(共同オーナー且つ旦那の手塚さんも)とは25年来ぐらいの知り合いだったんですが、手と花に通う様になって更に仲良くなった的な。ほんと千絵子さんはネ申さまみたいな人なので毎度めちゃくちゃ癒されますし(笑)。

そもそも10月ぐらいに結構精神的に若干病んで「いい加減11月以降は毎月家賃分ぐらいは稼がないとヤバいな…」と決意した途端に手と花でのフードが決まったのもありましたし、ほんと色んな意味で助かりましたね~。経済的にも精神的にも。週に1度とはいえ、やっぱ日々の生活にも精神的にも張りが出来たというか。毎回結構な量作って持って行くので前日から仕込むことも多々ありますし、当日も早朝から6時間ぐらいノンストップで作り続けて、出来たら即神田まで行って終電まで売り子というなかなかのハードワークですけど、実際手と花でフード売り始めた11月から運気も上がった気がしますもん。やっぱ引き籠もってたらいいことないな…とは改めて思いましたね~。勿論世の中には色んなタイプの人がいるので、外に出ると嫌な思いやら辛い気持ちになったりすることもたまにあるんですが、それ以上に楽しいことやいいことの方が多かったりしますし。ほんとある意味去年末のボクにとっての救世主的な存在だったかも知れないですね~毎週土曜日の手と花でのフード販売は。マジで超感謝です。
1B47912E-0573-4429-9ED4-99E239D4F880

TETOKA

FC9NOq-agAAi4zG

IMG_9823







第4位「Kit Galleryでマンスリー展」
7月3日~11日までの9日間、チャーベ君のご厚意で原宿のKit Galleryで三宿Webのマンスリー展を開催させて貰って。ちょうど緊急事態宣言の合間だったのもあり、お酒も出させて貰って。それに伴い大人気カクテルだった『MISHUKU』も復刻販売。正直やる前は多々不安もありましたし、準備から含めて13日間ずっとドタバタ続きでしたけど、結果本当にやって良かったし楽しかったです。なにげに結構内心不安だった売り上げも予想より遙かにあって安心もしましたし金銭的にも非常に助かりましたけど、それ以上に「オレって接客業は全然向いてないと思うけど、とは言えやっぱ接客業好きなんだなあ~」と改めて今回自ら再確認出来たのが非常に大きかったですかね~。30年振りの毎日の原宿通勤もなんだか懐かしかったし。どえらい疲れましたけど、本当に最高の9日間でした。生憎の天気の中、よく見る顔から超久々な方まで、多数ご来場頂きまして心から感謝しております。何よりもこの機会を与えてくれて且つ自由に使わせてくれて且つ設営まで手伝ってくれたチャーべくん!マジでありがとうございました!
212356892_4660662530628692_6920582745981598590_n

217826814_4686730151355263_3520351780007562326_n

210510289_4657425194285759_4723001081310824475_n

E6G7PKMUYAAwhDp

E6G7PKMVkAEAVXs

E6G7PKPVIAAmy74

E5WlsHpVoAUrNYb









第3位「弘晃の披露宴で初の主賓」
4月末、元スタッフ・弘晃からのオファーで初の披露宴で主賓を。頼まれたのはもうだいぶ前だったんですが、タイミング悪く3月末に急遽4月いっぱいでの三宿Webの完全閉店が決まり、もうずーっとスーパードタバタしてる最中で。三宿Webのサヨナラ顔見せ営業も基本金土日しかやらない予定でしたし、披露宴出るとなるとその日(土曜日)は営業も出来なくなるし、とにかくもう本当に三宿Webのことで色々と頭がいっぱいで、弘晃の披露宴のことを考えてる余裕が全く無くて、正直言って内心「いやあ、タイミング悪かったとはいえ余計なこと引き受けちゃったかな…」ぐらい思ってました。もう何度かテンパり過ぎて「直前で申し訳ないけど断ろうかな…」ってことも頭を過ぎったぐらい。

とりあえずギリギリまでは考えない様にして三宿Webのことだけに全集中してたんですが、披露宴10日ぐらい前になって「さすがにちょっと色々と準備しないと…。そもそも主賓って何すんの??」って思って色々調べ始めたんですが、正直なところ主賓の意味も全然よく理解して無くて。「来客の代表的に壇上で挨拶とかすればいいんでしょ??」ぐらいな軽い捉え方でした。でも調べれば調べるほど、どえらい大役だということを痛感して。そして調べれば調べるほど自分が如何に結婚式(及び披露宴等)に於ける一般的な常識を知らないことを痛感して。過去何度も式や披露宴やパーティーには出席し、司会歴も過去14回もあるのに、まあ勿論大半が余り常識には当てはめなくてもいい様なカジュアルなパーティーではありましたが、格好ひとつ取っても今考えると本当に恥ずかしく思えるぐらい何もわかってなくて…。

しかも今回は場所もちゃんとした立派な会場で、新郎新婦の親族も出席する様な格式高い披露宴で、且つその主賓を務めなければならないという、マジでとんでもなくどえらい大役を軽い気持ちで受けてしまったことに正直悔いましたよ(苦笑)。しかもこんな大変な時期に。いやーマジでどうしよう…って何度も頭真っ白になりましたし、考え過ぎてもう頭がおかしくなり掛けたことも。マジでちょっとしたノイローゼ気味になったりもしました。もう完全に精神的に追い詰められて、もはや「もう色々諦めてあんまり難しく考えずに今まで通り軽い感じでやろうかな…。1回自分が恥かけばいいいだけだし。」とか無駄に開き直りかけた時もあったり。

が、色々調べていく内にこんな文献を読んでボクの中の考えが一変。『主賓とは新郎が指名する来賓客の代表的存在であり、その主賓が粗相をしたり落ち度があった場合、せっかく指名してくれた新郎の顔に泥を塗ることになるので、しっかりと務めなければいけません。』いや、ボクが恥をかけば済む話しなら全然我慢も出来ますが、新郎である弘晃の顔に泥を塗ることだけは断じてダメだ!とばかり、そこからはもう完全にスイッチ入りましたね~。

もう暇さえあれば色々と調べまくって。いやもう尋常じゃ無いぐらい調べまくりましたよ。粗相があると弘晃の顔に泥を塗ってしまう!と自分にめちゃくちゃプレッシャーをかけて(笑)。まず1番の問題でもあった格好は『普通のスーツでは無くなるべくタキシードが望ましい』ということで、いっそのこともうなんなら買ってしまおうかとも思いましたが、今後着る機会もほぼ無いしと思い、色々調べて考えて迷った挙げ句、なかなかいいショップを見付けたのでレンタルすることにして。

ここまででもだいぶ時間を費やしましたが(笑)、次は最重要課題でもある『主賓挨拶文』の作成ですよ。そしてここでも衝撃的な事実を知ることになります。正直なところ、ボクの得意分野でもある『ちょっとユーモアや面白エピソードとかも交えた挨拶文』的なモノをイメージしてたんですが、例えば昔はこうだったとか、笑いを誘う為に新郎をちょっとでも卑下したり貶める様なことは一切言っちゃダメらしいんですよ。あとNGワードも幾つもあって、縁起が悪い様な言葉は一切使っちゃいけないと。それがまあ〜〜〜結構多くて…。「こんなの全然面白くも何ともない真面目腐った文章にしかならないし、オレの良さが全然出せないじゃん…」と愕然としましたが、まあでもやっぱり「オレの挨拶がウケるウケないよりも、弘晃の顔に泥を塗れん…」ってことを尊重して、如何にも主賓的な真面目な文章を考えて。3日間ぐらい熟考して直しに直して完成させましたかね~。

まあそんな怒濤の1週間を過ごし披露宴当日を迎えた訳なんですが「今日ばかりは全てを忘れて弘晃夫妻を祝おう!」と思ってたのもありましたし、元々涙脆い性格なのもあって、披露宴の前の人前式で新婦の美里ちゃんが入場するところから早くもヤバくて…(苦笑)。新郎の弘晃は20歳からうちのスタッフになったんですが、甘いマスクに感性も豊かで、手先も器用で要領も良く、歴代のスタッフの中ではかなり仕事は出来る方だったんですが、如何せん当時は若さ故の人間的な甘さや未熟さが多々あって、正直ボクの中ではダメなスタッフの部類に入ってたんですよ。でも出来の悪い子ほど可愛いじゃないですけど、立派になった姿を見てもう最初から最後まで感極まり過ぎて、久々に涙腺崩壊しまくりましたね…。もはや最後は顔見るだけで泣いてたかも(苦笑)。間違い無く去年で1番泣いた日ですね。

ちなみに肝心の主賓挨拶は、めちゃくちゃ緊張しましたが、もう開き直ってカンペ読みながらだったのもありましたし、マイク慣れは普通の人よりもしてるし(笑)、幼少の頃から先生に本の読み方上手いってよく褒められるぐらいだったので、まずまずの出来だったんじゃないかと。まあでもやっぱ内容が固すぎて全然オモロくもなんともない文章でしたけどね…。一般常識ではそうなんだろうけど、場の空気的にも、もうちょっと砕けた文章でも良かったかなあ…とはちょっと思いましたね。前述した格好云々にしたって、会場に来てた人らの格好見たら、いわゆる一般常識的な部分から言えばナンセンスな格好してる人も多々いたし、むしろ結婚式の一般常識を知ってる人の方が圧倒的に少ないでしょ?感も多々感じましたし。

でも今回思ったのは、そもそも三宿Webで歴代のスタッフたちによく言ってたのは「どんなことでも、例えそれが好きなことじゃなくても、やりたくないことでも、一生懸命やりなさい。」ということで。それこそが三宿Webに於ける『ナガサワイズム』だし、在籍時の弘晃にも似たようなことでたびたび注意したりしたこともあったのに、最初忙しいことにかこつけて一瞬「何なら適当にやり過ごそうか…」としてた自分に対して「今まで偉そうにスタッフに言ってきて、オレは一体何をしてるんだ??」とめちゃくちゃ恥じましたよ。主賓に指名されなかったらもしかしたらこの先もずっと『主賓とは?』って部分も『結婚式の常識とは?』という部分も曖昧な理解のままで終わってたかも知れないし。やっぱなにごとも基本あっての応用ですし。あ、コレもまた三宿Webでボクがスタッフたちによく言ってたことですけど(苦笑)。いやあ、ほんとに今回は完全に結果的に弘晃に色々と逆に教わった感が強いですねえ。ほんとにお恥ずかしい話しですが。でもそういう意味でも非常に印象深く貴重な経験になったと同時に、お世辞抜きに全てに於いて本当に素晴らしい宴で非常に感動しましたし『親しい人間からこんな大きな感動を与えられるってなんて尊いことなんだ!』と改めて想いましたよ。本当にありがとうね、弘晃。
IMG_3855

178827822_4454980011196946_6206692687348767862_n

178235406_4454980014530279_8261861521147001302_n

IMG_3905

178335194_4454980017863612_8668183020115565868_n








第2位「三宿Web完全閉店とロゴ入りグラス販売」
詳しくはこちらのブログを。一昨年閉店することを発表したもののなかなか閉店しませんでしたが、遂に的な。しかも急に(笑)。お陰でこっちはスーパードタバタでしたが。まあでも数日間の顔見せ営業ではありましたが、沢山の方に来て頂いて有り難かったと同時に嬉しかったですね~。ゴールデンウイーク中は三宿Webでのさよなら配信も。色々トラブルも多かったしほんっとに疲れましたけど…。しかもただでさえ疲労の蓄積でヘロッヘロだったのに、最終日は4時間掛かって1人でDJブース内の撤去及び移動と、4月~5月のゴールデンウイーク終わるまではもうほんとに精も根も尽き果てましたよ。まあでも当時ボク1人でやれた最低限のことは出来たんじゃないかと思いますし、最低限の達成感はありましたけど。

一昨年閉店が決まったと同時に、最後に営業する時は長年使ってたロゴ入りのグラスを売ろうとは思ってたんですが、最後の営業が急に決まったこともあり、急遽大急ぎで大量に作って。あっという間に無くなって中古グラスまで販売することに。それもすぐ無くなって追加で更に作って。グラスはTシャツとかと違って発送するのがなかなか大変なのもあって、なるべく直で売りたいなあとは思ってたんですが、やはりというか通販希望の方も非常に多くて。でもどうやったら無理なく無駄なく発送出来るかめちゃくちゃ調べて、サイズに合いそうな段ボールやら緩衝材やらも大量に購入して。なんせ発送中に割れたり住所間違えたりしたらどえらい損失になるので、細心の注意を払って。いやーマジで最初はめちゃくちゃ難儀したし大変でしたよ。途中からは要領も得たのでだいぶ楽になりましたけど。

ちなみにお陰様で、グラスがもうほんとにビックリするぐらいの数売れて。マジで凄い数ですよ。そのお陰で去年1年どうにか定職にも就かずに生活出来たってぐらい。あ、勿論閉店記念TシャツやらKitでの展示やら他にも要因はありましたけど、グラスの販売はほんとに助かりましたよ。ちなみにボクが余りにも定職に就かないので、一部では『実家が金持ち説』とかもまことしやかに流れてたみたいですが(笑)、全くそんなことは無く。雇用形態が特殊だったこともあり失業保険も貰って無ければ勿論国からの助成金貰ってとかも無く、なんとか知恵を絞ってどうにか自力で小銭を稼いで生活してますので。まあそもそも独身で贅沢するタイプじゃないし、滅多に飲みに行ったり遊びに行ったりもしないし(コロナだったから余計に)、ほとんど自炊してるしで(コロナだったから余計に)、大してお金使わない生活してますし。いやほんと、この2年どうにか生活出来てるのは大雑把に言えば去年はTシャツ今年はグラスと、ほんとに皆さんのお陰としか言いようがありませんよ。この場を借りて改めてお礼を申し上げたいと思います。物販をご購入の皆さん、本当にありがとうございました!
182868114_4487023221325958_2108417243804530971_n

217511789_4686730118021933_6231098034588713866_n

184688732_4500157696679177_8153603646687924898_n

180849362_4466331346728479_8181515977230033708_n

IMG_E5114
IMG_3835








第1位「ちょうど1年前に起こった出来事」
すみません、1位なのに余り詳しくは書けないんですが…。まあだいぶ端折りますが、一昨年の秋頃、ボクが19~20歳ぐらいの頃大ファンだった人(女性)と、共通の知り合いがいたのも手伝ってまさかの某SNSで繋がって。で、正に1年前の今日の夜にその人から「ちょっと相談したいことがあるんですが」とメッセージが来てめちゃくちゃ緊張しながらも急遽電話で話すことになり。その相談事は残念ながら協力出来る様な案件ではなかったので、軽く話してすぐ切る感じかと思いきや、気付けば5時間ぐらい長話して仲良くなって。話しの流れで2日後に彼女が住む街まで出向いてランチして。その後近くの大きな神社まで初詣に行ったりしたんですが、気が付くとお互いが惹かれ合うというまさかの事態に(だいぶ端折りましたが)。いや、ボクは昔大ファンだったのでまだわかりますが、まさか昔大ファンだった人がボクみたいなもんに興味を持ってくれるとは夢にも思うハズもなく。マジでビックリして。しかも更に驚くべきことに、三宿Webに1度も来たことがないばかりか、三宿Webがどういう店だったかとか、ボクが今までクラブシーンでどういう実績があったかとか、全く知らなかったんですよ…(SNSで繋がってからは多少は認知したみたいですけど)。

初めて逢った日の帰り道、余りの急展開にちょっと頭の中も混乱してましたけど、ちょっとまさかの凄いことが起こってるとも思っていて。で、帰宅して家で飲みながらふと、なんか急に上京した当時のこととか色々想い出して。上京して間も無い頃はほんとに超田舎者だったし、友達と呼べる人もほとんどいず彼女なんて夢の夢ぐらい超孤独で、金も時間も無くて正に修行の様な辛い日々が2年ぐらい続いて。そんな頃彼女はキラキラと輝いてて、間違いなく手の届かない様な遠い遠い憧れの存在だった訳ですよ。それが30年の時を経て、奇跡的な縁もあって距離が縮まり、お互いが惹かれ合うなんて状況がまさか来るとは…。なんだか色々と感慨深過ぎて、上京直後辛かった頃が走馬燈の様に蘇ってきてボロボロ涙出てきて。「最初はほんとに辛かったけど、上京して良かったし、この30年間辛かったことも大変なことも多かったけど、一生懸命自分なりに頑張ってきて良かったな…」とかしみじみ思ってしまって(苦笑)。しかも今住んでるのも上京時と同じ大田区だし、こんな30年経った今、まさかの彼女とこうして繋がったのは「なんていう縁だしドラマなんだ!」と思って。

が、もうオチから先に言ってしまいますが、結局のところは最終的には色々と問題もあって彼女とは上手くいかずお別れすることになるんですが。その間実に2ヶ月半ぐらいの短い期間なんですが、でもほんとに色々あり過ぎたし濃密過ぎて、半年間ぐらいの感覚はありますかね~。家も結構離れてたので、実際逢ったのも数回だけですし。でも電話とメールのやり取りはかなり頻繁でしたし、結構お互いにかなり深いところまで話し合いましたけど。上辺だけの話しだったらキラキラした様な想い出に思えるかも知れませんが、実際のところはほんとに結構大変なことも多々あって。色々考え過ぎて何度もノイローゼ気味にもなったし。正直7割ぐらいはしんどい想い出の方が多かったんですけどね。

出逢ったのが奇しくも50歳の誕生日前だったし「コレはもはや運命だったんじゃないの!?」ぐらい思ったし、最初は2人とも燃え上がってた部分もあったので、内心「もしやコレ50歳の誕生日にまさかのSNSで電撃入籍発表も!?」っていう期待感も無きにしも非ずでしたけど、まあ結局ありませんでしたけどね(苦笑)。でも出逢ってすぐぐらいの頃は「コレまかり間違うとマジで勢いで入籍してたかも??」的な感じは実際あったんですけどね。まあ最終的には儚い妄想で終わりましたけど(笑)。

終わった直後は結構精神的にもヘビーでしたし、直後三宿Webの閉店が急に決まったのもあって、正直感慨に浸る暇もなかったんですけど、時間が経つに連れてふと振り返ると、やっぱ未だに信じられない様な出来事だったし「生きてると色んなサプライズな出来事は稀に起こったりするもんだけど、50手前にもなってまだこんなサプライズがあるのか~!」とも思いましたよ。同時に「ほんとオレって振り返るとラッキーで幸せな人生だよなあ」ともつくづく思いましたし。まあ現状50で定職にも就かず独身ですけど…(苦笑)。でもその分色んな貴重な経験させて貰ってると思ってますよ、ありがたいことに。まあでも、こんな奇跡的なことが起こっても、最終的には結局上手くいかないってのも、ほんと如何にもボクの人生らしいなあとかも思ったり(笑)。でもそもそも年々異性に対するモチベーションも無くなりつつありましたし、正直「もう我を忘れるぐらい女性を好きになるなんてことも無いかもな…」ぐらい内心思ってましたし、そう考えるとほんとにありがたいことだし、彼女には未だに超感謝ですよ。
IMG_1819
IMG_1933

IMG_1893

IMG_2545








そんなこんなな2021年でした。年が変わって「今年は一体どうなるんだろう…??」とマジで戦々恐々でしたが、終わってみれば定職にも就いてないのにどうにか1年生き延びれて安堵的な…。コロナもようやく納まりつつありましたが、またここに来て第6波来つつある中スタートした2022年ですが、正直言って2021年以上にもう一体ボクの人生どうなっていくかさっぱりわかりません(苦笑)。新年早々色々と波乱含みだし…。 IMG_9664X








前述した様にKit galleryでマンスリー展させて貰って、ボクってほんと「長年接客業とか絶対向いてない」と思ってたのになにげに好きなんだなあ〜」ってことを再確認して、だったらやっぱ今後も色んな面白い人が集まれる様な店(クラブ的な店じゃなくても)をやりたいなあという願望が生まれましたし、マジでちょっとやろうかなと思う様にもなったんですが、数ヶ月時間が経つとまた気持ちや考え方も変わるもんで。貯金もだいぶ減りましたし(苦笑)。いや、勿論チャンスがあれば自分の店をやってみたい気持ちもあることにはあるんですが。でもまた今はフラットな感じに戻ってますかね。
IMG_9449








いやーマジでどうなるんでしょうか?ボクの2022年。正直マジで現状不安しか無いし、今のところ全然いい年になりそうな予感は皆無です。とりあえず職を何とかしないと確実に今年は食ってけないでしょうし。やっぱ現状1番はソコでしょうけどね。でも他にも不安要素は多々ありますが…。まあでもある意味逆にそういうのも楽しんで生きていこうとは思ってますけどね〜元々逆境フェチなとこもあしますし(笑)。本当の逆境になった時に自分はどういう考えに至り、どういう選択をするのか?ってのも自分自身客観的にちょっと興味深いところもありますし。つってほんとに切羽詰まったらそんな流暢なことも言ってられないとは思いますけど。まあでもそういうのも含めて。まあ今までギリギリとは言えラッキーな人生だったので、そろそろ結構な苦境があってもおかしくもないですしね…。え?いや、でもまあまああったけどな…(苦笑)。
265083718_5166919110003029_7641553311104153763_n








あと個人的には、2022年は一生忘れないであろう地獄の様な悪夢の半年間だった2002年からちょうど20年が経つんですよ。もはや遂にというか。コレもまたボクの人生を語る上でどうしても語らなければいけない"哀しい事件"だったので、遂に語らなければいけない年になってしまったのか…的な感もあって。まあ別にわざわざ語らなくてもいいんですけど(笑)。あと年末にはボクの人生を大きく変えた渋谷・THE ROOMも30周年を迎える訳で。あと秋にはボンゴレ歴も30周年ですよ(笑)。いや〜今年もそういう意味では色々感慨深い年になりそうですよ。
271194894_5265602156801390_4083171117546595616_n







今回も漏れなく長くなりましたが、とりあえず今年も変わらず『時の流れに身をまかせ』的に地道に頑張ろうとは思ってます。ほんと全ては導かれてると思ってるので。それは最終的にいい方向に。その時は最悪だったとしても着地点は1番ベストな所に的な。ほんとここ数年はずっとそういう運命になってますしね~不思議なことに。なのでなるべくどんなことがあろうとも冷静且つ客観的に居ようとは思ってます。そして自分の気持ちになるべく嘘を付かないで、なるべく思うがママに行動した方がいいような気もしてます。勿論適当にとかはダメですけどね。迷った時はしっかりと熟考して。それが正に導かれてるというか流されるというか(結果いい方向に)。て訳で今年も、いや今年はほんとに色々と過渡期になりそうな気配が超濃厚ですが、最終的にはいい方向に着地出来ることを信じて、本能のままに流されて行こうと思っております。そして基本は引き続き『好きなことはとことん一生懸命に!好きじゃないことはまあ適当に!』をモットーに。って訳で今年は良くも悪くも何かが起こりそうな2022年、温かくお見守りください!何卒宜しくお願い致します!
152282851_4256914037670212_6987081737519295768_n
151748136_4254516347909981_3150288639878100104_n
184300226_4495683137126633_8893241459784734969_n
IMG_9560D
223646699_4722642017764076_9152384009591297522_n
231200579_4755308817830729_1573384176751999810_n
220791238_4709085272453084_6765031324340711637_n
IMG_8208
243157284_4926193520742257_8365380309739329085_n
255946956_5084946191533655_1473826201724349947_n
261997206_5135797683115172_8500506493717577243_n
270934737_5272359872792285_2961075832321443658_n

久々の投稿。なんと閉店発表以来実に7ヶ月振り。書くことなかった訳ではないんですけどね~この半年なにげにもうほんと色々あったし。いまいちモチベーションが上がらなかったというか。前回が無駄に5万PVもいってしまったので無駄なプレッシャーが無くもなかったですが(苦笑)。今はSNSがあるからちょっとしたことはサクッと書けちゃうってのもありますしね。あとはやっぱ無駄に超長文ってのが無駄にアイデンティティにもなってるのが無駄に足かせになってる部分もありますけど(苦笑)。
IMG_07742










元々自分が生粋の(異常な?)ロマンチストなのは自覚してましたし(笑)、恐らく過去のブログでも多々公言したとも思うんですが、なぜ今回このテーマで書こうかと思ったかと言うと、今年の夏のとある日に色々達郎関連のこと調べてたら、自身曰く「恋愛とは成就しない方が想像を掻き立てられるしそういう内容の歌詞の方が好きだ」的なことを仰っていて。そう言われてみれば達郎の曲って確かにそういう歌詞の曲多いんですよ。『クリスマス・イブ』なんて最たるもんだし。「きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ」的な。直後になんかそれを聞いてから、自分の中で微妙に引っかかってたことがなるほどそうか的に合点がいく感覚があって。

※ていうかどうにかクリスマスぐらいまでには書き上げようと思ってたらなんの因果か日にち的にはまさかのクリスマスイブになってしまったっていう(苦笑)。









2001年からほぼ毎年やっているTBSの『クリスマスの約束』という番組があって未だに毎年楽しみに観てるんですが(正直ここ最近のは内容的にイマイチですけど)、始まってすぐの2003年の年末に、当時その2年前から『申し訳ないと』がスタートして仲良くなっていたRhymesterの宇多丸さんに邦楽も聞くんだったら是非的に、01年と02年の同番組をDVDに焼いて「師匠コレめっちゃいいんで観てください!」って差し上げたんですが、観たあと宇多丸さんに「あんなの小田和正ファンしかいいと思わないでしょ。っていうかナガサワさん、めちゃめちゃロマンチストですね~トキメキ路線一直線って感じじゃないですか。っていうかあんなの好きなのある意味ど変態ですよ!」と言われて(笑)。どうやら当時の宇多丸さんの口には合わなかった様だったんですが、そん時に「え?オレってそんな変態レベルのロマンチストなのか…」って初めて自覚した的な…(苦笑)。それまでは自分のことを一般よりちょっとぐらい強めぐらいにしか思ってなかったというか。結構あの時に言われて意識する様になった部分はデカかったかも知れないですね。
91624973704
※今年はどうやらコロナ禍の影響で放映無しの様です…。










小学校の頃、当時はまだ部屋が一緒だった兄貴の影響でオフコースを聴く様になって。ベスト盤『YES-YES-YES』を買ったりして。『Yes-No』って曲が凄く好きでした。「君を抱いていいの 好きになっていいの 君を抱いていいの 心は今何処にあるの」というサビの歌詞に、幼少ながらキュンキュンしてたんですが、正直それって未だに変わらないんですよね~。未だにキュンキュンくるっていうか。さすがに勿論幼少の頃よりは感覚が微妙には違いますけども。メロディやコーラスワークも去ることながら、まあなんせ小田さんのあの唯一無二とも言える独特な透明感のある歌声が絶大です。











2001年の11月末にしし座流星群が見れるって日があったんですが、その日はちょうど店が休みで青山の某店でスタッフたちと朝まで飲んでたんですが、バイクでの帰り道でも頻繁に視界に入ってくるぐらい流れ星がほんとに凄くて。帰宅したのが朝4時ぐらいだったんですが、よく迷信で『流れ星に願い事を唱えると願い事が叶う』的なのあるじゃないですか?当時のボクはちゃんとした彼女が7年ぐらい居なかったので「これは一丁流れ星に"彼女出来ます様に!"ってお願いでもしてみますか!」的に流れ星を捕獲すべく当時住んでた代官山のアパートのベランダへ出て夜空を見上げて。



ボクの中には『流れ星が流れてる瞬間を捕まえて願い事を唱えないと無効』っていう無駄な決まりごとを設けてたんですが(笑)、コレがなっかなか捕まえられなくて。あ!今右の方で流れ星流れた!とか視界からちょっとずれたのは結構あったんですが、ドンピシャ捕まえるのはなかなか難しくて。そうこうしてるうちに30分ぐらい経ってて。なんせ11月も下旬の朝方ですからめちゃくちゃ冷えてきて。もういい加減諦めて寝ようかな…と思ってた矢先ドンピシャ流れ星捕まえて勿論瞬時に「彼女出来ます様に!!」って願いごとをして(笑)。とりあえずその時の満足感は半端なかったんですが、直後そんなことはすっかり忘れていて。
46132845_2314433721918263_4267284981941796864_n










その年の年末、12月30日の平日でしたかねえ~?スカパラのイベントがあったんですが、平日だしと余りスタッフ入れてなかったらなにげに結構混んで、ロッカーもいっぱいになって荷物をキャッシャーでも預かることになってボクはフロント立って荷物係してたんですよ。そしたら見たことがない2人組の女の子が普通に遊びに来て。そのうちの1人がもう絵に書いた様なめちゃくちゃタイプな子で。正直ここまで見た目がタイプな子も珍しいので、もうちょっと忙しさも収まったら中に入って声掛けたいなあぐらい思ってました。今まで見たことなかったしこの機を逃すと次いつ来るかわからないし。でも確か小1時間ぐらいでしれっと帰っちゃったんですよね。もう本当に残念で残念で。正直もはや2度と逢えないんじゃないかと思ってました。
IMG_1048
※昨夜今更観た『ALWAYS 三丁目の夕日』。三部作を一気に二部まで。共にスーパーロマンティック過ぎて大大大号泣。まさかこんな泣ける映画だったとは。思いっ切り油断してました。










そしたらなんと翌日の大晦日の営業にその子が来たんですよ!でも野郎4,5人と一緒に。しかも当時の大晦日ってボク、その年のハロウィンでやった仮装を無駄にして総合司会として演ってたんですが、その年は『ラーメンの佐野実』で(苦笑)。でも酒入ってた勢いもあったし前日もう2度と逢えないと思ってた子に翌日また逢えるなんてもうこんなチャンスを逃す訳にはいかない!と、バー前ですれ違う時に声掛けて。もういきなり告白ですよ。「お姉さんのこと一目惚れしちゃったから連絡先教えて貰えない?」ってどストレートに。ちなみに三宿Web26年半の歴史の中で無理からナンパしたのは2回だけ。ちなみにその時は2度目の時ですけど。
2036285_201404110310065001397209212c










仮装してたのもあってか好感触であっさり連絡先も教えてくれて。正月三が日明けぐらいに連絡してその日に逢った気が。ガンガン押してアタックしたんですが「貴方のことまだ何も知らないからもうちょっとだけ時間ちょうだい。」と即答は避けられたものの、その日以降ほぼ毎日夜は逢いに行ってご飯食ったり酒飲んだりしてるうちにボクの猛烈な押しに負けて結局1週間後には付き合うことになって。実に当時7年振りのちゃんとした彼女ですよ。で、付き合いだしてちょっとしてから前述の流れ星に願いごとしたのを思い出して!うわ~流れ星に願いごとの効果凄過ぎ!ってビックリしましたね~。ちなみに結局その彼女とは色々あって7ヶ月ぐらいしか続きませんでしたけど(苦笑)。まあでもたまたまとは言えなかなか凄いロマンティックな話しでしょ??
IMG_0997
※これまたナガサワブログでは何度も登場する大好きなドラマ『ふぞろいの林檎たち』の最終回のクライマックス。何十回観ても毎度号泣する最高にロマンティックな名シーン。










でもその彼女と付き合い出してすぐに自分の中で、幸せ絶頂なハズなのになぜか自分らしさを感じないというか、満たされない何かを感じ始めて。色々考えた結果、なんせ7年も彼女が居なかったので、しょっちゅう彼女が居ないという一抹の淋しさを抱えて悶々とすることも多かったんですが、でもそういう感覚こそボクらしいじゃないですけど、気が付くとどこかしらの心地良さを感じていたことに気付いてしまって。彼女が出来ちゃうとそれが無くなってしまう訳で。それがなんかイマイチしっくり来なくて。「オレって人間は無駄に彼女とか居るよりも居ない方が色々想像力も掻き立てられるしもっと頑張ろうって思えるのかも?」とか思う様になったり。でも今思えばそれこそが無意識にロマンチシズムを強く求める体質だった証拠だったんでしょうね。



ちなみに最近めちゃ共感したのが、ウッディ・アレン曰く「恋愛の最中、障害があってそれを乗り越えようとしている時はそれはもう素敵でロマンティック。そしてその問題が解決して一緒になるのもすごくいい人生だけど、そうするとロマンティックさは失われてしまう。肝心な恋愛の部分がなくなってしまうんだよ。」って。うわ〜正にコレだ!的な(笑)。
2E63A693-C93D-4989-992E-D7FB992D876D










未だに1年の中で1番好きな日はクリスマスイブです。1番ロマンティックに浸れる日というか。しかもやはり1人で過ごすクリスマスイブがもう最高なんですよ(笑)。基本クリスマスイブに1人って淋しい訳じゃないですか?「今年も1人かぁ…淋しいなぁ…哀しいなぁ……でも最高~!!」的な(笑)。なかなかわからないでしょうね~この感覚は。でもほんとそうなんです。勿論若い頃は淋しいなぁ…っていう感覚しか無かったんですが、15年ぐらい前からですかねえ?1人で過ごすクリスマスイブこそが最高にロマンティック!に価値観が変わったというか(笑)。
IMG_8568










ちなみにクリスマスってボクの中に深く強く衝撃的に印象に残ってるのは、幼少の頃にテレビで見た『フランダースの犬』の最終回。クリスマスに純粋無垢な主人公・ネロが全ての生きる望みを失って吹雪の中を彷徨い、最後に行き着いた街の教会に飾ってある憧れていたルーベンスの絵を見て「もう思い残すことはないよ」と床に倒れ込み、愛犬のパトラッシュを脇に笑顔のまま死んでいくんですが、その光景が未だに心の隅に焼き付いていて。幼過ぎて人生の悲しい部分や辛い部分なんて経験も知識も無く、しかも子供向けのアニメでの余りにも悲しい結末に幼心を切り裂かれる様な思いで言葉を失った記憶があります。でもコレにしても考え方や価値観が違う人見たら全く何も思わないし感じないと思うし。きっと元々持って生まれた感覚的なモノなんじゃないかとも思ったり。
ma_kyodai01_w490










さて今回ほんとはロマンティックとは?に付いて書こうと思ったんですが、書いている途中で「あれ?コレってロマンティック?センチメンタルなんじゃないの?ロマンティックとセンチメンタルって具体的にどう違うの?」と思う様になって。実際自分でもコレってほんとにロマンティックとして当てはまるのだろうか?とか思うこともあったし若干混同してる部分もあったし。色々調べてみると簡潔に言うとロマンティックとは『現実を離れ、情緒的で甘美なさま。また、そのような事柄を好むさま。空想的。』センチメンタルとは『感傷的、情に脆いの意味。悲哀、哀愁、寂しさ、切なさにひたるさま。』らしいです。全然違いますね(笑)。でもなんかちょっと混同しがちな部分もあるというか。
IMG_1315










リリース後30年以上経ってからの異例の爆発的ヒットとなった『プラスティック・ラブ』の世界観は正にセンチメンタリズムの骨頂というか。15年も前に書いたブログでも書いてますけど、ほんとにこの曲は昔から大好きで、未だにこの曲の世界観こそがボクという人間の世界観に1番近いんじゃないか??ってぐらいです。当時はロマンティックな曲だと思ってましたけど、完全にセンチメンタルですね。歌詞も曲調も最高にセンチメンタリズムの世界です。










ジョン・カーニー監督の映画で『SING STREET』と『はじまりのうた』っていうのがあって。ボク的にはもう『はじまりのうた』はもしかしたら洋画で1番好きなんじゃないか??ってぐらい好きで。なので大ヒットした『SING STREET』観て良かったって言ってる人には『はじまりのうた』を薦めたりするんですが「うわ~SING STREETも良かったけどはじまりのうたの方が好き!」って共感してくれる人と「え?正直SING STREETの方が全然良くないですか??はじまりのうたもいいけど泣けるとこあります??」とか言う人に結構別れてて。長らくなんだろうなあ~コレって?とは思ってたんですが、やはりコレもセンチメンタリズムという価値観がその人にとってどれぐらいあるか?強いか?の違いなんだろうなあと思って。ネタバレになっちゃうから余り詳しくは書きませんが、2つの映画を観れば違いがわかるんじゃないかと。正直一般的に圧倒的に泣けるし感動するのは『SING STREET』ですけど。堪らないセンチメンタリズムを感じるんですよね〜全然哀しいストーリーじゃないのに。『はじまりのうた』は。











これも昔のブログで書いてますが、大好きなドラマで『青い鳥』ってのがあるんですが、コレがもう本当にボク的には衝撃的なドラマで(詳しくはブログを)。もうなんかトリップする感覚さえ憶えるドラマなんですよね。これもロマンティックという言葉で表現してましたが違いますね。究極のロマンチシズムとセンチメンタリズムを感じるドラマです。いやでももう本当にこのドラマの世界観は最初観た時はそれはそれは衝撃で、もはや常軌を逸したレベルとでも言いましょうか。
lqip










半年前ぐらいに知り合いの女の子と久々に文字で会話してたら、実はちょっと前に結婚したと。しかもなんといわゆる『0日婚』的な。その理由が「もう今更付き合ってロマンティックしたくなくて即結婚を決めた」と。いやもうちょっと衝撃でしたよ。「やっぱどうしても男性はロマンティックしたいんですよ〜」って。いや勿論みんながみんなじゃないだろうけど、ボクなんて大袈裟に言っちゃえばある意味ロマンティックしたいが為に長年結婚しなかったってのもありましたから。いや改めて女性ってほんと男性に比べてハッキリしてるなあ〜と思ったし、やっぱ男性の方が女性よりロマンチストだよなあ〜とも改めて思わされたというか。勿論コレもみんながみんなじゃ無いでしょうけどね。
726D9EA3-414C-4EF7-9F8D-8441E7F4AF32










まだ山形に住んでた頃で、7歳(小学校一年生)にして確か初映画を近所のちっちゃな映画館で観たんですが、2階が確か座席とかないフリースペース的な感じで、一緒に観に来た友達たちは館内をわいのわいのと走り回って大騒ぎの中1人食い入る様に、ラストの生き残った数少ない乗組員をヤマトから退艦させ、地球を救うべく超巨大戦艦に向けヤマトごと突っ込ませようと、既に亡くなった婚約者・森雪と共に2人だけでヤマトを発進させ「雪、ボクたちはこの永遠の宇宙の中で、星になって結婚しよう。これが、2人の結婚式だ。」ジュリーの『ヤマトより愛をこめて』が流れる中、もう1人で大大大号泣したことがあったんですが、もしかすると初めてロマンチシズムな世界に触れた時だったのかも知れません(笑)。











雪国生まれなのもあって、雪が降る光景は堪らないものがあります。汚れた世界を真っ白な雪が覆い、静寂な風景に変えてしまう様はなんか見ているだけでトリップしてしまう感覚があります。海や高層階に居る時も同じ様な感覚がありますね。なので前住んでた10階の部屋からはほんとに眺めが良かったので、しょっちゅうロマンティックに浸り過ぎて大変でしたね~(苦笑)。ボクいつかは逗子・鎌倉辺りの海の近くに住むのがちょっとした夢なんですが、それもやはりまたロマンチストとしての願望なのかもとか思ったり。さすがにもういい歳なので、しょっちゅうロマンティックに浸りたいとは思いませんが、やはりいつでもロマンティックに浸れる環境にはいたい願望がどこかにある的な。
5D58F3F4-1ED8-4559-9FEA-3485895D78C0










今回色々と改めて検証した結果わかったんですが、前まではただの無駄に夢見がちなロマンチストだったのかも知れませんが、そこに更にセンチメンタリズムが加味したモノが1番好きな様ですね。近年は特に。クリスマスイブだって若い頃は毎年1人で淋しかったし「いつかは大好きな彼女と最高のクリスマスイブを体験出来るハズだ!」とか無駄に夢見てたし(笑)。若い頃まではロマンティックなモノが好きで、徐々に歳を重ねるごとにセンチメンタルなモノの方が好きになっていった、という感じでしょうか。
SID0025993_fwxga
※クリント・イーストウッド監督作品『マディソン郡の橋』も最高にロマンティックなストーリー(ネタバレになるので詳しくは書きませんが)。いやマジで「これぞ究極のロマンチシズム」を感じた映画。観た直後は物凄い余韻が残りましたね〜。









今回のテーマは、ロマンチストのボクにとっては結構壮大なテーマでもあったんですが、ロマンティックな世界観やセンチメンタルな世界観が嫌いな人にとっては全く持って興味無いテーマですよねきっと…。そして如何にボクが常軌を逸したレベルの変人かということを暗に示した結果になった気もしないでもないですが…(苦笑)。まあ、とにかく結局ボクが何を言いたいかって言うと……こんな性格だからこんな歳まで独身なんだってことっ!!(今年の春先のKENTA風に)

現在三宿Web店内壁面に大きく貼ってある『店長ナガサワが独断と偏見で選ぶベスト表紙20選』は、20周年イヤーの初頭に、2001年1月から2013年12月までの作品から選んだモノなんですが、もはや5年も貼り替えてないしいい加減飽きてきたので、25周年を前にそろそろ貼り替え様かと。そんな訳で、その後の2014年1月から2019年5月までの5年半から更に12作品を選出して新しく貼り出す予定です。本題に行く前にまずはそちらの選出作品をご紹介します。








★NEW PIC★
2015年1月号 表紙:SWING CHOP CREW
上段左からYOICHIさん/SOMAくん/RYO-Zくん、中段左からJUNGLE ROCKくん/NONちゃん/KiMJUNくん、下段SHUHIKOくん。人数的には表紙史上最多タイ。いや、大人数撮るのってほんとめちゃくちゃ大変なんですよ。他の人が幾ら良く写ってても1人がダメだともうNGになっちゃうし。古い一眼で撮ってるのでピント的にも難しいし。そういう意味では非常にバランス良く撮れたいい写真。ちなみにコレ、切れてないフルサイズもめちゃいいのでおまけで載せときます。
SWINGCHOP

SWINGCHOP_0110









★NEW PIC★
2015年12月号 表紙:ナイス橋本
ポージングもシンプルだし、こぢんまりしてて地味と言えば地味なんですが、逆にシュールでカッコいい、ギリギリまでベスト10に入れてもいいんじゃないか??って迷ったぐらい、なにげに作品としては非常に気に入ってる表紙。やっぱナイスくん個性強いし、格好もそれ用にちゃんと色々持って来てくれたのもなにげにアクセントになってますね〜。これもアー写としても充分使えそうなぐらい我ながらのいい写真だと思ってます。
2015-12









★NEW PIC★
2016年2月号 表紙:ド・ロドロシテル (掟ポルシェ)
ド・ロドロシテルの初ライブ記念で。しっかりメイクもしてるのでなかなかのインパクトの強い表紙(笑)。でもこれねえ、当時よく知り合いから「え!?ナガサワさんじゃないの??」ってよく間違えられたんですよね〜。いやマジで結構勘違いしてる人多かったなあ。もはやボクと言えば無駄にコスプレしてるイメージなんでしょうか…。もしくはデスメタル顔なのか…。ちなみに表紙のド・ロドロシテルのロゴは、掟さんが大好きなイングランド出身のエクストリームメタルバンド『CARCASS』のロゴ風にわざわざ寄せてどえらい時間掛けて作ったのに、読みづらいのか全く誰からもノーリアクションで若干淋しい思いをした想い出…(笑)。しかし掟さんは前の表紙の時もそうだったけど、ほんと表現力豊かだし撮られ方わかってるので短時間に沢山いいのが撮れます。非常にフォトジェニック。
2016-2










★NEW PIC★
2017年7月号 表紙:DE KIT DEE JAY’S
これも大人数なので撮影が大変でしたね〜。ちなみに実は最終的に候補が2枚まで絞られたんですが、ボクも含めた6人が3ー3で綺麗に意見が別れて。そこで思い付いたのが田上くんだけアイコラっていう必殺技(笑)。いや、やっぱどうしても田上くんの笑顔を入れたかったというか。でもこれ上手く合成させたのもありますけど、ほんといい作品になったというか。めっちゃ楽しげでしょ??ちなみにせっかくなのでその合成に使った候補写真2枚もおまけでどうぞ(笑)。
2017-7

DSC_0033

DSC_0029










★NEW PIC★
2017年10月号 表紙:hy4_4yh (ハイパーヨーヨ)
2人になってからは初の表紙。やっぱ2人とも言わずもがなのフォトジェニックなので、アー写やジャケやSNSでの写真も一様に可愛いんですが、これもなかなかのいい写真かと。当時からどハマリしてるロスインゴのベースボールシャツを着てのなかなかポップでキャッチーな1枚。
2017-10











★NEW PIC★
2018年3月号 表紙:DJ FUMIYA (RIPSLYME)
去年の誕生日bond開催記念で。過去の4度の表紙を持ちながらの。写真も勿論だけどアートワークも含めてお気に入りの1枚。
FUMIYA









★NEW PIC★
2019年3月号 表紙:SANGA SKYE
だいぶ最新号。最初候補の中でサンガくんが何枚か選んだ中では内心「これだけはオレ的に無しかなあ…」と思ってた写真が実はコレで。ちなみにサンガくん自身も結構ギリギリまで悩んで知り合いの女子たちに意見を求めたら「コレが1番いい!」という結果になったそうな。で、作ってみたらじわじわと良さが増してきた的な。そういう意味ではある意味目から鱗的な作品だったかも。ボクがチョイスしてたら絶対違う写真にしてたし、最初無しだと思ってたのが逆に1番いいと思えたってのもなかなか珍しいケース。今となってはなかなかシュールでクールないい写真。
2019-3










★NEW PIC★
2019年5月号 表紙:MELLOW YELLOW
もはやギリギリ今月号という超最新作。来月超久々にメローにライブ演って貰う宣伝も兼ねての初の3人での表紙。いわゆる令和初の表紙ですよ(笑)。これも非常にいい色出てるしいい写真。両サイドの2人の手も入ってる横が切れてないフルバージョンの写真はもっといいんですけど。観てない人は是非切り替わる前にホームページの方でご確認を。と思ったけどもうおまけで載せちゃいます(笑)。
2019-5

MELLOW_0063










さてそんな訳で新しく貼り出す8組の表紙をご紹介した訳ですが、残りの4組は本題にもなってるここからのスペシャル企画で。よく営業中にキャッシャー座ってると目の前に歴代のマンスリーがダーッと貼ってあるので嫌が応にも見ちゃうんですが、たまによく「この中でベスト10選ぶとしたらどれだろう??」ってのを考えたりして。まあ時間と共に変わってったりもするんですが。そんな訳で今回改めて自分の作品を客観的に見直して、初のランキング形式で『ベスト10』を選出しました。さてそれでは早速発表しちゃいましょうかね。








第10位
2010年12月号 表紙:IMALU
当時よくDJ演って貰ってた時に撮らせて貰った的な。IMALUちゃんてこの頃まだ多分今ほど露出も少なかったと思うんですが、当時のアー写が全然いいのがなくて(笑)。デザインする時かなんかの拍子で色々アー写とか検索したりしたんですが、ほんと全然イケてるのが無かったんですよね~。実物の可愛さが全然出てない写真ばっかじゃん!的な(苦笑)。なのでこの時の写真とかは当時の宣材写真の中では1番いいんじゃないの??とは思ってました。撮ってる後ろでディレクターの矢部くんに笑わせて貰っていい感じの素で笑ってるとこ撮れた的な。これもマジで非常にいい写真だし、関係者各位からの評判もめっぽう良かった想い入れも強いお気に入りの作品。
2010-12











第9位
2002年9月号 表紙:Mummy-D (RHYMESTER)
まあなんせまだまだ写真もやり始めたばかりだわフォトショップもようやく1人でいじり始めたばかりだわの、素人に毛が生えたぐらいの頃の作品なんですが、なんと言ってものDさんの表現力に助けられたというか。ちなみに表紙がこの今のサイズになる前の一回り大きいサイズで2色展開の頃の時(2000年6月号)も1度Dさんにやって貰ってるんですが、この時も抜群にいいんですよ(おまけで載せてます)。今観てもめちゃくちゃカッコ良くないですか??この頃は写真のそのまま使ってたし白黒だったしで、完全にモデル次第的な部分はあったんですが、マジで超初期の頃でさえこのクオリティー的な。いつかDさんはまた表紙撮りたいなあとは思ってます。今のボクなら過去の2作品よりももっと全然いいのが撮れるハズ。
2002-9

スキャン 0.26.21











第8位
2008年2月号 表紙:SHUN (ex:SBK)
この表紙も非常にカッコいいんですが、2004年2月号の表紙(2枚目)の時の写真も非常に良かったんですよね~。シュンくんはほんと、ポージングの妙もあるんだろうけど、なにげにフォトジェニック度強め。もう11年も前だし、これまたボクの写真テクニックもまだまだの頃でしたけど、なかなかのクール且つポップないい表紙。
2008-2

2004-2











第7位 ★NEW PIC★
2015年7月号 表紙:Keishi Tanaka
元々啓史くんは顔もちっちゃいしハンサムだしお洒落だしでいい写真撮れる要素は多分にあったんですが、ポージングも含めアートワークも含め非常にいい出来だったかと。本人も気に入ってくれて未だにinstagramでのアイコンで使ってくれてるし。この表紙出来た後に啓史くんが当時所属してたレーベルのディレクターのTKHRに逢って「ナガサワさん、表紙観ましたよ!」って言われたから「良くなかった??」って聞いたら「いや、ぶっちゃけ想像してたよりめちゃくちゃ良過ぎてビックリしたぐらいですよ(笑)」って言ってたぐらい関係者各位にも評判良かったナイス表紙でした。
2015-7










第6位 ★NEW PIC★
2016年12月号 表紙:西寺郷太 (NONA REEVES) & 宇多丸 (RHYMESTER)
『80’s!!!!!!!!』開催記念でメインキャストのお2人を。なにげにこういうスーパーセッション的なカップリングはマンスリー史上初の試みだった的な。そういう意味でも非常に印象深い表紙。元々華のある2人なのもあってインパクトは絶大でしたね~。こういうコラボ的な組み合わせ新しいから今後もちょくちょくやろうかな!とは思ってたのにその後全然やれてないっていう(笑)。まあ適当に組み合わせてもなんかイマイチだし、やっぱここまで説得力のあるコラボもなかなか難しいんですけども。
2016-12











第5位
2009年5月号 表紙:宇多丸 (RHYMESTER)
まさかの宇多丸さん続きですが(笑)。いやしかし、ほんとこの時も短時間でいい写真めっちゃ撮れたんですよね~。やっぱもう突出したフォトジェニックな人というか、自分をどう見せればカッコ良く見えるかとか、見栄えのいいポージングとか表現力とか、ほんとよくわかってるというか。この写真のポージングとか、ほんとシュールだしアートさえ感じさせますよ。この写真もほんとお気に入りの1枚。ちなみにTシャツの『SEX』の文字がギリギリ切れちゃって見えなくなりそうだったので、カットアップして見える位置に上手いことわざわざ移設したっていう(笑)。
2009-5










第4位
2013年4月号 表紙:レイザーラモンRG  ※2019年2月号 ★NEW PIC★
正直最新の2019年2月号の表紙の写真も抜群にいいので迷ったんですが(2枚目)、一応こちらで。でも前述のもベスト5に入れてもいいぐらいのクオリティなので今回の展示でも貼り出そうかと思ってます。撮る時わざわざ衣装とサックスも用意してくれたのもあって、抜群にいい写真が撮れたんですが、RGさん自身もめちゃくちゃ気に入ってくれて、アー写やFacebookのアイコンに使ってくれたりして。RGさん曰く「ボクがもし死んだら遺影に使う写真候補のナンバーワンですから!(当時)」らしいです(笑)。いや、RGさんもまた非常に撮られ方わかってる人というか、何も言わなくてもいっぱい色んなポーズや表情出してくれるので撮ってて非常に楽だし、ほんと毎回短時間でいっぱいいい写真が撮れます。
2013-4

2019-2









第3位
2013年2月号 表紙:バクバクドキン
この表紙もアートワーク含めめちゃくちゃお気に入り。てかこの写真はもうバクドキの2人がちゃんとわざわざ衣装も着物用意して且つメイクもわざわざ黒塗りしてという完全なるプロ意識から生まれた作品以外の何物でも無いってぐらい。ほんとお陰で非常にキュートでポップでアートな作品になりました。2人も非常に気に入ってくれたみたいで、その後この写真使ってグッズ作って売ったりしてた様です(笑)。いやあ、今回の企画考えた時にまず真っ先に想い浮かんだってぐらいの非常に優秀作品です。
2013-2










★第2位 ★NEW PIC★
2017年1月号 表紙:AYA GLOOMY
今や若い子の間ではちょっとしたカリスマ的な存在になってしまったAYAちゃんが表紙。Webに出入りし出した頃から突出したフォトジェニック感あったのでいつか撮りたいなあ〜とは思ってた矢先、ライブ出演があった月にいいタイミングだと思って撮らせて貰った的な。もうぶっちゃけ表紙のクオリティーだけだったらダントツに1位だったかも。それぐらいお気に入り。もはやちょっとしたファッション誌の表紙っぽくないですか??これまた今回この企画考えた時に「やっぱ1位はコレかなあ…?」って思ったぐらい、マジでボク的には非常にお気に入りの作品。ちなみにギリギリまで迷ったもう1枚の候補写真も載せておきます。ぶっちゃけ候補写真の方がAYAちゃんっぽさは出てるとは思ったんですが、抜群に写真が良かったのでこっちにした的な。
2017-1

AYA_0019










第1位
2014年10月号 表紙:朝本浩文
いやあ〜結構迷ったんですが、最終的にやっぱ何といってもこれになっちゃいますかねえ。この写真は元々は現ベスト20選にも入ってる『2009年11月号』の表紙の撮影時の表紙候補だったけど残念ながら落選した写真だったんですが、素で軽く微笑んだ朝本さんの表情が非常に良くて、朝本さんの人柄がとても良く出てるというか。ちょうど事故った直後に開催した朝本さんへのチャリティーイベント『AID FOR ASAMOTO』があったのもあってマンスリーの表紙にしたんですが、親しい人達からの評判も抜群に良かったし、やっぱ諸々そういうのも込みで1番印象深い表紙ではありますかねえ。
2014-10










圏外
2014年6月号 表紙:ナガサワ NOT MASAMI
手前味噌で誠にすみません(苦笑)。でもこの写真は我ながらなかなか気に入ってて。20周年の月ってのもあるので非常に印象深いし。これって元々年始の年賀状用に毎年撮るスタッフ写真の時の写真なんですが、一応シャッター押してるのはスタッフのマッシュくん(笑)。まあ構図とか照明のセッティングとかはボクがやってるんですけど。ほんとはもっとバカバカしく、当時巷で超話題になったハロウィンの仮装時にやった『LINEのジェームズ』の仮装して撮ろうかと思ったんですが、直前になってやっぱさすがにふざけ過ぎかな…と思って自重したっていう(笑)。着物着てるしイギリス流ファックユーポーズでもある裏ピースがある意味20周年に掛かってるしいいかなあと思ってこの写真にした的な。昔から周りに「ナガサワさんは表紙やらないの??」って聞かれるたびに「いやオレは裏方だからやらないよ。まあでももし万が一にもWebが20周年までいったらやろうかな。」と答えてた頃はまさかそんな奇跡の日が来ようとはこれっぽっちも思ってもいなかったんですが的な(笑)。でも写真の出来としては正直『ベスト10』に入れてもいいぐらいだとは思ってますけど。あ、でも、さすがに自分の写真でかでかと貼り出すのは小っ恥ずかしいので、これは店内には貼りませんけど(苦笑)。
2014-6











しかしふとした思い付きから始めたこのシリーズも、実に2001年初頭からだから18年半ですか。一回り大きいサイズで2色だった頃から数えると1996年7月からだからちょうど23年ですよ。元々カメラなんてさして興味も無かったスーパーど素人だったのに、よくもまあこんなに長くやってきたもんですよ。時間と共にかなり腕も上がったと思うし。今見ると撮り始めの頃とか酷いもんですけどね〜(笑)。あとカメラの腕もそうですけど、フォトショップ使いの腕も若干上がったかと。撮るの失敗して「ヤバいどうしよう…」っていう絶体絶命の時も何度かありましたからね〜。そんな絶体絶命の苦境もどうにかフォトショップでフォロー出来たというか。


ちなみに今時はもうスケジュールも皆さんネットでチェックするのが普通になってるので、マンスリーフライヤーの必要性なんてのはもはや無かったりもするんですが、ここまでくるとなかなか止めれないというか。若干伝統芸的な感じも無くは無いですからね〜。未だに『Webの表紙になるのが夢です!』とか言ってくれる人も多いし。


ちなみにフィルターを掛けて現在のスタイルになったのが2001年1月号から。同時に表面はカラーでB6サイズに。ちなみにこの独特のフィルターを掛けたスタイルは、後で考えると恐らく当時ヒロ杉山さん作のTBCのCMを観た印象が頭に残ってた様で、ヒロ杉山さんの存在とかも全然知らずに「なんか絵っぽい感じの写真の表紙にしたいんですけど、そういう感じに出来ませんかね??」って当時一緒に作って貰っていた知り合いのデザイナーの人に相談して試行錯誤してやって貰った的な。確かこのシリーズ始めて数ヶ月後ぐらいにFPM・田中さんから「表紙、ヒロ杉山っぽくていい感じですね〜」的なことを言われて、初めてヒロ杉山さんの存在を認知した的な(苦笑)。って訳でかなりヒロ杉山さんには影響受けてます。てか最初はほぼ模倣的な感じだったかと。

フィルター掛けも慣れるまではだいぶ時間掛かりましたけど、写真もほんとある程度思った様に撮れる様になるまではだいぶ時間掛かりましたね〜。未だに失敗も多いし(苦笑)。ちなみにボクの写真ってフィルター掛ける前の元の写真からいわゆる「Webの表紙っぽい写真」になってるんですよ。コレって実は強烈なライトを至近から当てて撮ってるので、思いっ切り明暗のメリハリが出来るんですよ。プロではまず余りやらない手法というか。前に1度とあるライブ会場まで出張で行ってリハ終わりに楽屋横で撮ってたら知り合いのプロのカメラマンから「へ〜!毎回独特な色味の写真だから一体どうやって撮ってるんだと思ってたけどこうやって撮ってんですね〜!」って言われたり。ど素人だったからこそ生まれた奇技とでも言いましょうか(笑)。
IMG_2070

※キャッシャー横に貼り詰めてるマンスリー一覧。もはやちょっとしたポップアート。キャッシャー前で気付いた人はうっかり見入っちゃう人多数。








まあ毎月なにげに大変な作業なんですけどね〜。でもやっぱ何でもそうですけど、コツコツと地道に何かを積み重ね続けることって、時間が経つと共に非常に貴重な宝物になってくるというか。マンスリーの作品なんて正にそうだし。ぶっちゃけもういい加減辞めようかな…とか思ったことも多々ありましたけど。まあでも流石にここまで来たら閉店するまで続けようかなあとは思ってますけど(多分)。

ちなみに表紙の写真って最近はもうずっとモデル側に好きなのを選んで貰っていて。勿論最初にボクが良さげなのを選んでその中からって感じですけど。昔はボクが選んだりもしてたんですが、何度か「えー!もっといい写真あったのになんでコレにしたの??」とか言われたりして面倒になって選んで貰う様になったというか。いや写真ってほんと撮り側と撮られ側では全然チョイスが違うんですよ。更に言えば第三者が選ぶとこれまた違ったり。やっぱ視点も見方も全然違いますからね。勿論たまに意見が合致する時もあったりはするんですが。あ、あと時間が経つとまた見え方が変わってきたりとかも。不思議なモンです。なので今回選ばれなかった表紙の中でも内心「ボクが選んだ写真使ってたらベスト10入ってたかもなあ~」ってのも多々あります。なんせ今回のチョイスはボクなので(笑)。
IMG_2072

※正直今回選んだ『ベスト10』を始め店内に貼ってる『ベスト20選』以外にもいい作品多数です。全て自分で撮って作ってるのもあって(超初期の方は手伝って貰ってますが)、言うまでもなく全ての作品に対して想い出もあるし思い入れも強いし。絶対他の人が選んだらもっと違うチョイスになってるだろうし、何年か経ったらチョイスが変わってくる可能性も。なので今回選ばれなかった人もほんとたまたまなチョイスなので、全然気にしないでください(笑)。









表紙用に撮った写真は基本、気に入ったのがあったら好きに使っていいとはモデルの人には言ってて、表紙になった写真や表紙にならなかった他の候補写真とかも含め、SNSでのアイコンで使ってくれたり、長年アー写で使ってくれてる人もなにげに多数居たりするんですが、ボク的には毎回その人のアー写を撮るぐらいのつもりで撮ってるので、そうやって気に入ってくれて使ってくれるのは非常に嬉しいです。いや、ある意味冥利に尽きるというか。やっぱ幾らボクが気に入ってる作品でも、モデルの人に気に入って貰えなければやっぱ淋しい気持ちになりますし、むしろ逆にボク的には余り気に入った作品ではなかったとしても、その人が非常に気に入ってくれてたりする方が全然嬉しいというか。


あと長年写真撮り続けてると思うのが、やっぱ気心知れた人とはいい写真が沢山撮れることが多いです。勿論前述したGAKUさんや掟さんや宇多丸さんみたいに、撮られ方わかってる人だったらそんなの関係なくいいのいっぱい撮れますけど。やっぱ撮られ慣れてない人はどうしても最初は硬くて。なので色々ああだこうだと喋りながら撮ったりするんですが、気心知れた人だとやっぱ会話も弾むし乗ってくるのも早かったり。個人的には、カッコ付けたり決めた写真も勿論シュールでいいんですが、その人のふとした素が出た写真って結構好きなんですよね。ある意味その人の1番良さが出たりするんじゃないかとも思っていて。それを引き出すのはやはりカメラマンの技術以外のテクニックなんじゃないかとも思ってます。ってこんなD級草エセカメラマンが偉そうに言ってますが(笑)。


あと今回の企画で改めて思ったのは、いい作品はやっぱ衣装的なこともちゃんと準備してるのもなにげにでかいですね〜。やっぱ普段のスナップとは違ったアー写感が出るというか。掟さん、ハイパヨちゃん、メローの3人、ナイスくん、RGさん、バクドキも然り。あ、あと着物のボクも(笑)。やっぱなにげに格好やメイクも重要だなあとは思いましたね〜。
IMG_2073

※もはや今年が終わったら貼るところがない問題。どうするんでしょうか?どうなるんでしょうか?来年も三宿Webは続くんでしょうか?正直ボクにもわかりません。ネ申のみぞ知る的な!もはや色んな意味で乞うご期待(笑)。







そんな訳で店内の新しい写真展示、どうぞお楽しみに。今週中にプリントアウトして新たに貼り替える予定です。写真変えるだけでだいぶ雰囲気変わるんじゃないかと。まあここで観ちゃったからもう既にお腹いっぱいかも知れませんが(苦笑)。今後もマンスリーの写真撮り続ける間は『ベスト10』に食い込むぐらいのいい作品が沢山撮れるといいですね〜。

23



数年前から今にも潰れそうでなかなか潰れない三宿Webも、6月11日を持ちましてお陰様でどうにか無事23周年を迎えました。いやあ、毎回言ってますけどほんと奇跡ですよ。まあ奇跡って言葉簡単に使ってますけど、この奇跡感は恐らく誰にも伝わらないだろうなあ。ほんとそれぐらい細かい部分で奇跡的なことが数珠繋ぎ的に多いというか。いやそういうのが奇跡的に重ならないとあり得ませんもんやっぱ。この前もバーチーフの博之と話してたんですが、オレと博之の2人ともここ10年ぐらいで病欠で店休んだことってほとんど無いんですよ。オレがインフルエンザで致し方なく休んだのが1回ぐらいで。あとは暇な日に体調悪いから早上がりしたってのはお互いに数回あったぐらいで。2人のうちどっちか病気か怪我かしちゃったら、バーテン不足な昨今はクラブ営業はちょっと難しい現状なのに。いやあ、やっぱ東北人の根性はハンパないですよ(2人とも山形出身)。
beastie-boysout








そういうのを始めほんと色々と奇跡的なことが多いです。まあとは言えほんとうに沢山の皆様のお陰です。もはやそれ以外にございませんよ。今月のスケジュールなんてほんと凄過ぎだし。大箱で演っててもおかしくないイベントや出演者の方々も多々。三宿のあんな狭い場所で(苦笑)。去年も結構いいブッキング出来た感はありましたけど、それ以上のここ数年の周年記念月間でも一番のラインナップかと。ある意味もはや今月で閉店すんじゃないの!?(笑)ってぐらいの勢いの、初日から最終日まで最高のラインナップですよ。いやもうほんとうにうちみたいな店の為にありがたいの一言です。これもまた奇跡的と言えますね〜。本当にありがとうございます。


※先々週金曜日周年記念月間初日の【ウィークエンダー】から、midnight Camp a.k.a.ナイス橋本 feat. Gimmieのナイスなコラボ曲🎤ナイスくんとジミーちゃんはWebで知り合って意気投合して結構前からから曲作ってたんですが、なかなか完成しなくて。ようやくこのたび初めて人前で披露して。予想通りめっちゃカッコ良かったなあ〜。周年のタイミングで演ってくれたのも嬉しかったなあ。







毎年思うんですが、今となっては自分の誕生日よりも全然嬉しいもんですねえ。もはや我が子の誕生日みたいな感覚でしょうかね〜(子供いませんけど・苦笑)。沢山の色んな人達に「おめでとうございます」って言われるのがほんとうにありがたく思います。まあ中にはお祝いどころか水を差す人もいなくもないですが、最近はあんまりそういうのも気にならなくなってきたというか。昔は結構いちいち悲しくなったり落ち込んだりしてましたけど。いい意味での開き直り感というか。まあ世の中には色んな人がいますから。


※先々週の土曜日の【元・申し訳ないと】での嶋野百恵ちゃんの『恋は流星』🎤







数日間の濃厚なアニバーサリーイベントをやらなくなったのは2009年から。マンスリー化したのは2010年からなんですが、まあなんせ1ヶ月間という長丁場なのもあって、最初の頃とかは全くアニバーサリー感とかも薄くて、当日の出演者の誰からもお祝いの言葉もなくマイクもなくいつも通り淡々と営業終わったとかも結構あってズッコケてた想い出も多々(苦笑)。20周年を機にイベント全ての冠に【MISHUKU GOLDRUSH ○○】という風に付ける様にしたんですが、それだけでだいぶアニバーサリー感が出る様になりましたかねえ。去年から一夜限りのリバイバルイベントを増やしたこともあって更に助長された感はあります。
18839216_1399503223475809_2522670200864795970_n

※先々週の土曜日の【元・申し訳ないと】にて。DJ GEE a.k.a.浅川さんがボクと自撮りした写真を拝借。元はと言えば三宿Webのオープン当時は、浅川さんが社長を務める"アーティマージュ"が音楽担当のプロデュースだったんですよ。なので超オープン初期からの間柄でもある浅川さんとは、三宿Webの23周年というのは他の誰よりも感慨一塩だったりします。







ちなみに今年はリアルアニバーサリーの6月11日が日曜日だったんですが、また緩くバー営業でもしようかとも考えたんですけど今年は敢えて開催せず。って訳でリアルアニバーサリー前夜がリアルアニバーサリーみたいなモンだった訳なんですが、過去の人気イベント『Two,Three,Breaks!』のリバイバルで。最初はスケジュールの成り行きでたまたま6月10日土曜日になったんですが、リアル23周年前夜に『Two,Three,Breaks!』(23B)の一夜限りの復活って、もう色んな意味で最高でしたね〜。
DB6oQjlUAAAF2OP








23周年と23Bの23繋がり的な意味でも勿論ですが、主催のエイジくんは最近はもうイベントとかはやってはいませんけど、ほんとに三宿Web愛を非常に強く感じる1人で。重要なポイントポイントで未だ顔出したりしてくれるし。今やうちのスタッフでさえ1人として読んでいないこのアホみたいに長文のブログも毎回読んでくれてるし(笑)。いやもう恐らくナガサワブログ以前のホームページでのコラムページ『しゃべるでえしかし!』や『EXPLOSION!』の頃からほぼ毎回欠かさず読んでくれてるんじゃないですかね??(多分)。いやほんとボクにとっては非常に稀少な存在です。
NEWEIJI_0054

※これ2003年3月号のマンスリーの表紙の写真なんですが、昔の写真が余りにも稚拙な加工だったので、さっき改めて繊細に加工し直しました(笑)。








しかもちょうど20年前の6月10日もエイジくんDJ演ってたんですよね〜。しかも20年前はスカパラ・谷中さんのサポートで。20周年の時にも書いたかもですが、エイジくんは元々京都に住んでいて、当時スカパラチームがDJツアーとかで関西回る時とかにサポート付いたりしてたんですよ。その縁で最初は冷牟田さんがDJの時にうちにもサポートで来る様になって、初っ端ボクがDJやってて交代する時とかに、ボクが掛けてた曲のこととかで色々話し掛けられたのが切っ掛けで(多分)、その後も会う度に話す様になって徐々に仲良くなった気が。
image

※これちょうど20年前の97年6月のマンスリーのスケジュール。当時はDJ KIRINとしてやってました。









これまた20周年の時に書いたかもですが、エイジくんは今の奥さん(スーパー美人)とも一番最初に出逢ったのが三宿Webだったんですよね。それもあって結婚パーティーの司会もボクがやったり(まだまだ司会やりたての頃で今考えると酷い司会振りで未だにたまに思い出して反省且つ凹みますけど・苦笑)。あと一時代を築いた伝説のイベント『申し訳ないと』もうちでレギュラー始まったのは『Two,Three,Breaks!』に宇多丸さんがゲスト出演する時に告知フライヤーに誤って”申し訳ナイト”って入れちゃったのが切っ掛けで急遽ミッツィーさんも宇都宮からDJしに来ることになり、その時に仲良くなったのが切っ掛けで、まさかのレギュラー化に繋がったっていう縁もあったり。その辺の詳しくは非常に読み応えのあるこちら(【第4章】ウッカリ進出? <申し訳ナイト>が遂に東京へ!text by ミッツィー申し訳)で(笑)。
music140611_moushiwake_sub1








まあそんな公私共々非常に縁の深いエイジくん主催の『Two,Three,Breaks!』がリアル前夜ってのはほんとに感慨深いというかなんというか。結果ほんとに最高でした。しかしビックリしたのが、当日昔よく出入りしてた人がわんさか来たんですが、みんな全然変わりないというか。あれからもう20年近く経ってるのに(笑)。レッキンクルーのMCのシュンタにそんな話しをバー横でしたら(奴も全然変わってなかったけど)、「いやいや、ナガサワさんが一番変わってないですよ!(笑)」って言われましたけど(苦笑)。いやいやさすがにボクもだいぶ老けましたけどね…。しかしまあ出演者も含め当時の常連チームとかみんな30代後半から40代後半ぐらいまでだと思うんですが、みんな若い若い。見た目もそうだけど感覚が更に。いやでも感覚は前よりもいい意味で円熟味を増してたかも。みんないい味出してましたね〜。


※MASSAN feat.タケウチカズタケくんによる『We Get Up!!』🎤以前ブログでも書いた今年の1月末のリリパ以来のマッサン。早い時間の出演でしたが一瞬にしてマッサンワールドに染めてましたね〜。ほんとマッサンのライブは観出すとずっと観ていたくなるライブ。短い時間でしたけどやっぱ今回も非常に良かったです。







Dさんとかも写真とかで見たら結構老けたなあとかたまに思うことありましたけど、久々に逢ったけど全然老けてなかったし。まあでもDJ演る時に今回初のSERATOでのDJだったんですが、まるで初心者DJの様にあれこれどうすんだろ状態で(笑)。しかもようやくスタンバイ出来たと思ったら今度はヘッドホンから音出ない!ってなって周りは慌ててたんですが、よく見たらヘッドホンのスピーカー側のジャックを自分で足で踏んでて抜けてたっていうオチで(笑)。いやあ〜昔はDJの時もあんだけダンディーでカッコ良かったのに、自分でもマイクで言ってましたけどほんとお爺ちゃんかと思いましたよ(笑)。その後もだらだらとマイクで喋ってたら昔からDさんとは旧知の仲でボクも代官山時代ご近所だった大前さんから「早くやれよ!(笑)」って野次られたり(笑)。いやあ〜トラブルも含めアレはみんな笑ってたしなかなかホッコリしましたけど(笑)。

kuuchoさん(@kuucho)がシェアした投稿 -



※なんと検索したらそのシーンのインスタ動画出てきました(笑)。kuuchoさん勝手に貼っちゃってすみません!🙇


IMG_1838








なんかでも終始みんな笑顔で楽しそうでほんとにいいパーティーでしたね〜。最高にハッピー感あったなあ。まあしかしなんせ23周年に23Bですからね〜当時はこんな日が来るとは誰も夢にも思わなかっただろうし(笑)。いやでも営業最後の方にエイジくんとも話してたんですが、ボク的には20周年もやって貰ったし今回は半ばダメ元のオファーだったんですよ。受けたエイジくん的にも今回は難しいかもなあ〜と思いながらブッキング開始した的な。そしたら予想外にやれることになった的な。そしたらたまたま開催出来そうな日がリアル前夜だった的な。そういうたまたまの偶然が重なった的な。でもなんかそういうのもちょっとした運命というか縁を感じたりもしたりして。いやあ、ほんとに良かったなあ。



※仕事が入っちゃってたので今回は大自然抜きで代わりにDJ大都会(?)とkazukiくんがサポートDJでのトリカブトによる『CHUBBY』🎤バケラッタは久し振りでしたけど、スモーレストやシノはたまにソロで出てくれてるんですが、相変わらず3人ともちょーいい奴ら。久々に大自然とも逢いたかったけど。






ちなみに音止まった後にブース内でDさん・タイチマスター・エイジくんで喋ってたんですが『Two,Three,Breaks!』って来年でちょうど20周年なんですよ。なので来年もやろう!みたいな話しもあって(笑)。しかも更に再来年はうちの25周年なんでそこはやっぱどうしてもまたやって欲しい!って話しもあり(笑)。っていうか『申し訳』同様もはや年一ペースでもいいんじゃないか論まで出る始末(笑)。まあどうなることやら。その前に来年再来年までうちが無事続いてるかどうかが最大の問題ですけども(苦笑)。
IMG_1853

※Dさんがクリスペプラーのモノマネをやってたらしいんだけど全然似てなくて爆笑しているタイチマスターとエイジくん。ナガタツもわろてる(笑)。






まあそんなこんなで最高の形で23周年を迎えた訳なんですけど、表題にも付いてる「そして・・・」なんですが。実は遂に個人的に非常に怖ろしいことが起こってしまったんですよ…。三宿Webが23周年でオレ46歳、そう!なんと遂に人生の半分を三宿Webに費やしてしまったという…。もはや頭おかしいとしか言いようがないですよ…マジで。オレの人生こんな予定じゃ決してなかったのになあ…(遠い目且つ涙目)。いやあ冷静に考えるとマジで怖ろしいわ。若い頃の自分には口が裂けても言えませんよ。夢も希望もあったもんじゃない…。嗚呼、人生とはほんとうにわからないもんです…。おそロシア!
img018

※月刊ウェブ97年7月号の表紙用に撮った写真。コレ撮ってからちょうど20年経ってしまった…。おそロシア!







いやまあでも、これまたクラブ業界的に言えば世界的に見ても(見る必要もないけど)恐らくこんなことって世界初の快挙(?)だと思うんで(多分)、まあどんなことでも世界初なんてことは早々出来ることじゃないですから、っていう言い訳を自分に言い聞かせてますけど(苦笑)。こうなりゃなんならネタとして何かしらギネスでも申請したろかしら!とかも思ったんですが、ギネスって調べてみると意外と金が掛かるので無駄なことは止めときましたけど(笑)。
18836979_1662250263803282_6097361613771152069_o







とまあそんな訳で約半分消化した【MISHUKU GOLDRUSH 23】ですがまだまだ続きます。オモロイベントもまだまだ目白押しですので、是非とも今月どれか1日でも遊び来て頂ければ嬉しいです。いやほんとうに色んなことに感謝でございます。あんなへんぴな場所まで遊びに来てくれるお客様を始め、出演者の皆様や関係者の皆様は勿論ですが、新旧歴代のスタッフたちにも多大なる感謝を。正直な話し結局のところオレ1人じゃ何も出来ませんからね。いやあ、しょっちゅう頭に過ぎりますけどほんとうに心から感謝でございます。この感謝の気持ちを胸にあと2週間気合い入れて頑張ります。なので週末頼むし雨降らないで!そして皆さん遊びキテキテ!三宿Web23周年、皆さんのお陰です!いつもほんとうにありがとうございます!
18768525_1097520963687139_1476682301148206739_o

先週の水曜日の午後にふと見たTwitterで、日本武道傳骨法創始師範・堀辺正史先生が昨年12月26日に亡くなられていたというツイートを見て。もうビックリしましたよ。しかも3ヶ月も前なんて。74歳だったそう。余りにも唐突過ぎて最初はちょっと実感も沸きませんでしたけど、やっぱじわじわくるものがあって。これは書かない訳にはいかないだろう!ってことでの緊急起稿です。っていうか実は翌日には想い立ってダダダと書いてたんですが、余りにも纏まりが悪かったり、アップするのも若干ためらった部分もあったりして。いや、もしも堀辺先生が存在しなくて骨法の道場が無ければ、恐らくオレは今東京に居ないと想うんですよね。このブログでたびたび出てくる「昔通ってた格闘技の道場」とは紛れもない東中野にある骨法道場だったんですよ。
hqdefault

※恐らくオレが通っていた頃にほど近い頃の先生。まさにオレにとってはこういうイメージのまま残ってます。当時の先生はほんとにオーラというか、尋常じゃない緊張感放ってましたね。









小学校時代、兄貴の影響で当時金曜夜8時にやっていた"ワールドプロレスリング(新日本プロレス中継)"を観たら凱旋帰国して華麗な技を繰り出すまだジュニアヘビー級の頃の藤波辰巳(現・辰爾)や、烈風の如く現れたスーパースター・タイガーマスクに魅了されて毎週楽しみに観る様になって。その後はもう抜群のカリスマ性を誇っていたアントニオ猪木を始め、長州vs藤波の名勝負数え歌、UWFの一時帰還での対抗戦など、どっぷりとプロレス(特に新日本プロレス)に傾倒することになるんですが、中学生の頃になると本屋で週刊プロレスや週刊ゴングを立ち読みする様にもなっていて。でも時の名物編集長・ターザン山本率いる週刊プロレスが圧倒的に面白くて、いつの日か週プロしか読まなくなりました。高校3年の一学期で部活が終えた後からはもう毎週買う様になって毎回隅々まで読んでました。

その週プロでちょくちょく連載をしていたのが堀辺先生でした。堀辺先生はたまに『たけしのスーパージョッキー』とかにも出てたりしていて存在は知ってましたけど、まだ整体や古武術の先生っていう印象でした。それが、アントニオ猪木が先生のところに通う様になってからプロレス界でも一躍有名になった的な。直後に山田さん(獣神サンダーライガー)や船木さんも通う様になって"浴びせ蹴り"や"掌打(よく掌底と言われるんですが厳密に言うと掌打と掌底は似て非なるモノなんですけど)"がプロレス界でもポピュラーな技にもなっていったり(ちなみにドラゴンスリーパーも元々は骨法の技)。週プロに連載されていた先生の記事は、非常に論理的且つ独特の見解の文章で毎回非常に興味深くて、読んでいるうちにあっという間に引き込まれていきました。本嫌いなオレには珍しく、先生の著書を取り寄せて買って読んだりもして。
FullSizeRender のコピー

※本棚の奥探しまくってみたらなんと当時の先生の連載の切り抜きまだ持ってました!左の方はなんと28年前のモノ。毎週楽しみに見てたなあ〜。








男って誰しもきっと心のどこかに"強くなりたい願望"ってあると想うんですが、まさに高校生のオレも非常に強く想う部分があって。最初は空手の本とか立ち読みしてビール瓶でスネとか殴って無駄に鍛えたりしてましたかね~(苦笑)。あとは拳(こぶし)鍛えたりとか腕立てや腹筋したりとか。でもなんせ当時は華奢だし体力も無いしで、剛に対して剛でいっても間違い無く勝てないな…というのは実感してて。なんかそれを補える格闘技でも習いたいなあ~とはずっと想ってたんですよ。そんな中での先生の著書を読んで一気に「骨法習ってみたい!」っていう欲が強くなって。でも道場は東京の東中野にしかなくて。
_SX373_BO1,204,203,200_

※当時のプロレスファンで先生が出されていた著書を買って読んだ人って結構多いんじゃないですかね〜。週プロの連載も然りですけど、実際非常に論理的で興味深いことばかりが書かれていたし、これによって骨法の最強幻想が膨らんだ人も多かったハズ。








当時母親の知り合いが東京の羽田の近くの糀谷ってとこで油の濾過器の工場やってたんですよ。高校卒業したらそこで働かないか?って言われて。学生の頃から技術家庭の時間は大の苦手だったのもあって工場で働くなんて最初は絶対嫌だったんですけど、なんせ華の都・大東京に行ける訳で。やっぱ当時の田舎者のオレからしたら夢の街でしたからね~東京は。色んな意味で今よりももっとずーっと遠い存在でしたよ、東京って街は。だからそこに行けば、もしかしたら何かチャンスがあるんじゃないか??という期待感もあって。そしてそう、あの骨法道場にも通えるじゃないか!とも想いました。

そして高校卒業後の1989年3月、満を持して上京してその工場に就職する訳ですが、自宅があった蒲田から東中野までは電車で1時間ぐらいは掛かる訳ですよ。しかも結構残業も多くて、どう頑張ってみても道場の稽古が始まる19時にはまず間に合わないんですよ。そんなこんなでせっかく上京したのに全然入門出来なくて。

工場ではだいたい40前後のおじさんたち(今時の40とは比べ物にならないぐらいおじさん)ばかりでしたし、オレと一緒に4月から入った一番若い人でも28の既婚者の人で。若干18歳のオレはもう全く上の人たちばかりで、皆いい人たちだったから良かったですけど、プライベートでも仲良くは到底出来る感じではなく。全く単身上京してきたので、周りに友達や知り合いも皆無。当時は東京ー兵庫間で一番安い格安長距離電話会社を選択してもかなりの高額な電話代だったのもあって、滅多なことでは地元の友達にも電話も出来ず。平日は元より唯一の休みも誰とも逢わず、誰とも話さず、なんてことがずーっと続きました。

給料も手取り確か11万ぐらいだったんじゃないかと。そんな給料なのにロフト付きの洒落たとこ借りちゃって6万7千円の家賃で引くと4万3千円ぐらいしか残らなくて。でも部屋のインテリアや洋服代とかに毎月無理して2万ぐらいは使ってて。光熱費と電話代とか引くと残った1ヶ月の食費がなんと1万5千円。米買って、昼間は工場で弁当出たので、朝夕2食で1日当たり4百円。朝はほとんど食わなかったかなあ。勿論毎日自炊。今のように100均みたいなのも無く物価も高かったし、それまで自炊なんてほとんどしたことなかったしで安くあがる簡単な料理ばかりでしたかね~。晩飯に目玉焼きとご飯と即席のわかめの味噌汁とか。月末は大抵金が無くてご飯にふりかけだけとか。近くに吉野家あったんですけど通る度に「たまにはこんなご馳走食いたいなあ…」って思ってたぐらい。それぐらい貧相な食生活でした。

そんな生活が2ヶ月経って結構精神的に参ってて。元々やりたい仕事でもないし道場にも通えないし給料は安いし、とにかく話し相手が1人も居ないっていう状況がなかなかの苦痛で。もう田舎帰ろうかな…とかも思う様になって。いやほんと、3ヶ月ぐらい誰とも喋れないとかって尋常じゃない孤独感から結構精神的に病んでくるんですよ。恐らく今のようなネットも携帯もある生活が当たり前の生活をしてたら到底想像も出来ないと想います。でもせっかく上京してきたんだし、どうせ帰るんだったら東中野の骨法道場に通ってからにしようとは思っていて。それもあって上京したようなもんだし。そこでまた絶望感を感じたら潔くもう田舎へ帰ろうと決意したんです。ほんと、当時のオレにとっては最後の砦的な感じでしたね。

6月末でそこの工場を辞めてとりあえず近所に出来たばかりのサンクスでバイトを始めて。深夜勤にしたのは時給が良かったのもありましたけど、道場に通うのにも都合がいいからでした。同時に勇気を出して道場に電話して。忘れもしない1989年7月4日。ガッチガチに緊張したなか無事入門を果たし、とりあえず入ったからには同期(同日入門生)の誰にも負けない覚悟で通い詰めよう!と心に誓ったんですが、翌日道場行ったら前日いた入門生が誰も来てなくて。え?みんな毎日通う気ないの??だったら楽勝でしょ!とは思いましたかね~。当時の道場生は週6回の稽古日中だいたい平均週3ペースぐらいで、それよりも少ない人も全然いて。オレは毎日週6で通い詰めましたよ、蒲田から東中野まで。それが結局1年半続くことになるんですけど。最初のうちはもう道場に通うことが東京に居ることの、いや生きることのモチベーションになってたかも知れません。

当時同世代の人も沢山通ってましたが、稽古が終わった直後にすぐ深夜のコンビニバイトがあったので稽古後の道場の掃除も免除して貰ってすぐ帰ったのもあり、他の道場生との交流もほとんどなくて。コンビニのバイトがない土曜日ぐらいですかね~終わったあと近くのコンビニで他の道場生の人たちとくっちゃべったりしたのは。その中で1ヶ月先輩の人でなんと学年1個上でオレと同郷で、共通の知り合いまでいた山本さんて人がいて。その人とはウマがあって凄く仲良くなりましたね~。頭もキレてたし格好も良かったしシャレもわかるしなんせ同郷だしと、プライベートでも遊ぶ様にもなって。家は町田と蒲田だったんで結構離れてましたけど、よく長電話で喋った記憶があります。いやあ、あの頃はほんとにあの人の存在は大きかったですね~。特にその人は骨法の前にボクシングもやっていて、しかも結構冷静に物事を見れる人で、骨法とボクシングの打撃に関しての対比論的なのや、今教わってるのはこうだけど実際の喧嘩になったらこうなるとかも色々聞いたり。東京で初めて出来た、唯一何でも話せる存在でしたね〜山本さんは。

当時はマジで、いつかはプロの格闘家になって試合に出て勝って、当時近い将来大会をやる予定だった後楽園ホールのリングのコーナーポストに試合に勝って、駆け上ってガッツポーズをするのが夢でした。週6ロペ・週6道場で稽古・週5コンビニで1時までバイト(稽古後は東中野駅まで猛ダッシュで電車乗って蒲田駅着いたらまた猛ダッシュで帰宅してソッコーシャワー浴びてまたコンビニまで猛ダッシュという過密スケジュール)と、日々寝る暇もなく金も無く身近に友達とよべる人もいず、食べるモノもろくに食べずにひたすら頑張ってましたけど、道場から自宅のあった蒲田までの山手線の中はもういつもフラッフラで。毎日吊り輪にしがみつき意識朦朧としながらも常に頭の中には、前述したコーナーポストに駆け上がってのガッツポーズの画を想い浮かべてモチベーションを保ってました。

初めて人前で漫才(及びお笑い)やったのは先生の誕生会でした。1990年10月14日の日曜日。東中野の日本閣でやったんですが、当時の道場生の主力20名ぐらいだけ招待されて。光栄なことにその中にオレも招待して頂いて。で、道場生で何でもいいから出し物やるってことになって、後輩で歳上の京都出身の人と漫才しようってことになって。ネタは確か、当時まだまだ無名だったダウンタウンのネタのカバーとかに色付けしたネタだったと想います。ただでさえ日々忙しいのに、寝る間も惜しんで稽古しましたね~。なんせ人前でお笑いなんかするのは全くの初めてだったし。不安をよそに蓋を開けてみるとめっちゃ大ウケして。正直ネタ的にシュール過ぎて先生にはウケないだろうな…とは想ってたんですが、もうビックリするぐらい「ガッハッハッハッハ」と豪快に大笑いしてウケてたことを未だに憶えてます。で、調子に乗ってその年の道場での忘年会でもまた漫才やったら大コケしましたけど…(笑)。
FullSizeRender のコピー 3

※なんと奇跡的に残っていた日本閣での初漫才の写真。記憶的にはほとんど残ってないんですけど。とにかく猛烈な不安をよそに、先生も含め、爆笑に次ぐ爆笑で大ウケだったことだけは記憶に残ってます(笑)。この日以降の道場内でのオレの印象も随分変わりましたからね〜。なんせそれまでは、お笑いのおの字もイメージ出来ない様な、根暗で寡黙で真面目な、華奢で気の弱そうな青年だったでしょうから。終わった後に内弟子の人から「おまえ格闘技の才能よりお笑いの才能の方があるんじゃないか??(笑)」って言われたぐらい。









数年に1回は道場に通っていた頃の夢を見ます。しかも辞める直前とかは集中力も欠けるようになっていて、稽古中にぼーっとして話し聞いてなくて1人だけ違うことしててしょっちゅう怒られたりしててちょっとしたトラウマ的になってるのかも知れないですね(苦笑)。骨法の道場って1度退会するともう2度と再入門出来ないことになってるんですが、夢の中ではなぜかいきなり再入門していて、久々過ぎて全く稽古についていけなくて「ヤバいどうしよう!怒られる!」って終始ビビってるっていう感じの夢ばかりで冷や汗かいて起きて「夢で良かった~」ってホッとするパターンがほとんどなんですけど(笑)。


想えば先週たまたま久し振りに東中野に行くことがあって、ホームから道場の風景を観たり、日本閣まだあるんだなあ~懐かしいなあ~とかノスタルジーに浸ったばかりなんですよね。その日はたまたまとあるバーで飲んだんですが、そこが道場から至近だったことや、想えば東中野で飲んだのなんて恐らく初めてだったんですよね。その時は勿論先生が亡くなられていたなんて夢にも想いませんでしたが、いやあ、何の因果かとは勝手に想ったり。
IMG_9404

※当時の帰宅時にホームで電車が来るのを待ってる時に毎度目にした風景。毎回東中野に来るたびに瞬時に猛烈なノスタルジーに浸ってしまいます。








まあ格闘技に詳しい人ならご存知でしょうけど、骨法については色々とああだこうだと悪口言う人も多々いて。今回先生の訃報を聞いた後も久々にちょいちょいネットで色んな心無い書き込みとかも見ましたし。まあね~色々言いたいことはわからなくもないんですけど。実際はそうなのかも知れないし。事実骨法自体大口叩いてた割りに全然結果出してないし。若干宗教的な部分も無いと言ったら嘘になるし。なんせ理論詰めの言葉の力というか、卓越した話術に秀でてた人でしたからね~先生は。当時のオレもそうでしたけど、その気にさせられた部分は確かにでかかったですね。とは言え実際やってた者として言わせて貰うと、今改めて考えてもやっぱり素晴らしい理論や凄い発想もいっぱいあったし、色んな人も言ってますが、先生が80年代後期から90年代初期頃までにプロレス・格闘技界に与えた影響に関しては誰も否定できないぐらい絶大な事実だったとは想いますけどね。

オレが入った頃はまだ、UFCの第1回大会後に来る物凄い勢いの総合格闘技ブーム前夜の頃で、当時の骨法は基本的には一般の道場生には手足の打撃しか教えてなかったです。一応立ち関節とかもあって内弟子の人には教えていた様ですけど。まだ持ってますけどUWFの影響からかレガースやニーパッドとかも着けてましたね。それが、もうとっくにオレが辞めた後ですけど、グレイシー一族の台頭とともに寝技を重視する様になり柔道着の様な白い胴着に変わり、後から知ったんですが武者相撲とかっていうテーマの時代もあったんですかね?その後ヴァンダレイシウバを筆頭としたシュートボクセの台頭があると今度は"ジャパボク"というテーマで打撃重視に戻ったり、その後はナイフ術とか?という迷走を続けることになるんですけど。
11081229_1011255318902783_8021314144838938678_n

※去年のとある夜中に、ふと想い立って押入の奥から引っ張り出して骨法時代のレガースとニーパッドを着けてみた時の写真。青春。








96年のUVFで、満を持して送り出した骨法最強戦士・大原さん(オレが辞めた後に入ったので面識は無い)がペドロ・オタービオに惨敗してから一気に急降下したんじゃないでしょうかね~。同時にナンバー2の小柳津さんもカーロス・ダニーロに惨敗しちゃったし。それまではベールに包まれて神秘的に想われてた部分も多々あって各所で持ち上げられてましたけど、それ以降骨法株が急降下的な。オレもこの頃ぐらいまでは雑誌とかで骨法の動向は常にチェックしてたかも。最大の支援者でもあったターザン山本さんの失脚も骨法失墜に拍車をかけたかも知れないですね。その後は小柳津さんが捕まったり、かつての弟子だった矢野卓見氏との確執から言いたい放題言われたりと散々でしたからね…。ちなみに小柳津さんやナンバー3の北條さんとは当時一緒にやってました。確か北條さんとは入門も2ヶ月ぐらいしか変わらなかったんじゃなかったかな?内弟子に入る前から知ってますから。今回色々検索してたら北條さんの最近の動画が出てきて全然変わってなくて懐かしかったですね~。某インタビューも読んで、元道場生としてなんかちょっと嬉しかったし。今は地元の栃木の小山の方で活動してるみたいですけどね。北條さんは昔からほんといつも元気で実直でユーモアもあったいい人だったなあ。

オレが想うに、元々は『喧嘩に使える格闘技』としてやっていたモノが、後の総合格闘技ブームの波に乗り、まんまとその潮流に飲まれて沈んでしまった的な。当時から「いつかは格闘技界を制覇する」っていうことはよくおっしゃっていましたし、週プロや格闘技通信などメディアに多々持ち上げられる様になり、自身(及び骨法)が注目されたことによって更にその野心が強くなり過ぎてしまったのかも知れませんね…。先生の立場になって考えたら気持ちはわからなくはないですけど。総合格闘技を意識する様になってからですもんね、なんかおかしくなり始めたのは。骨法って路上の喧嘩には有効な技術は沢山あるとは想いますが、ことバーリトゥードってことになると技術的に若干難があったのかもと想ってみたり。
FullSizeRender のコピー 4

※これ恐らく90年の新年会かなんかに撮った写真。6、7月入門生の写真だったかな?まだ若干18歳のすっとぼけた顔したオレや、後に選手になった霄(おおぞら)くん、1番右の奥で横向いてるのは恐らく北條さん。







今回骨法で検索してよく出てきた漫画家で元骨法家の中川カ〜ルさんて、恐らくオレと若干時期被ってるなあ。中川さんの方がオレより全然入門したのは早いけど。写真見てすぐ「あ!なんかこの人見憶えある!絶対一緒に稽古してた!」って想いましたもん。その中川さんのインタビューでもそうですけど、船木さんのインタビューでも「初期の頃に廣戸聡一さんと最上晴朗さんという指導員の方がいて、あのふたりが本当に強かったんですよ。自分もあのふたりがいたから骨法に通うことを決めたんですよね。見学したときにあのふたりがバシバシやりあってるのを見てこれは凄い!と。」っていうのを見たけどそのお2人の存在は知らなかったなあ。時期的にはオレが入るちょっと前の頃だろうなあ。でも色々調べてみると、師範代のこのお2人こそが喧嘩芸の体現者だったらしく、彼らの離脱で骨法は終わったとのこと…。その2人が居た頃と居なくなった後ではレベルが全然違ったって。見てみたかったなあ。ちなみに船木さんとは、船木さんが辞める直前に何度か一緒の日に道場で稽古したことがあります。オレの後ろで素振りしてたりとかもあったり。凱旋帰国して第2次UWFに参加して破竹の勢いで勝ち続けて高田延彦と横浜アリーナでやる前日とかも道場に来てて稽古後の総括の時に「明日は骨法の看板背負うつもりで絶対勝ちます!」って言っててめちゃくちゃ興奮したのを憶えてます。ちなみにその日を境にに道場で船木さんを見ることはなくなりましたけど。
843856_573794562648863_1734821739_o

※1989年10月10日発売の増刊号『FRIDAY SPECIAL 秋号』。プロレスラーの北尾光司、橋本真也、船木優治(現・誠勝)の3人の特集ページでの船木さんのページ。稽古中に撮影があったので見学してたんですが、たまたまカメラのレンズ方向に立ってたので「コレ絶対オレ写ってんちゃうん!!!」と発売日に心躍らせて本屋行ってドキドキしながら見てみたら、余りにもレンズの方向過ぎてまんまと顔半分しか写ってなくて心底ガックシきた記憶(笑)。ちなみにオレの左隣に立ってるのが前述の同郷の先輩・山本さん。







先生が亡くなった後に色んな人のコメント(いいのも悪いのも)を見ましたけど、柔術家であり総合格闘家の中井祐樹さんの追悼コメントは良かったなあ。『骨法の堀辺正史先生の訃報を今日昼に知りました。1995年のジャンジャック・マシャードとの本邦初の柔術マッチ前、東中野の道場で稽古をさせて頂きましたが、当時道着有りでの何でもあり、つまり「柔術」の練習ができる場は日本で骨法だけでした。先生には自分の若さゆえの熱い思いをいつも穏やかに受けとめて頂きました。理路整然とした形で格闘技を世に広めた、類を見ない方だったと思います。その後もパラエストラの10周年パーティにも出席して下さったり、公私ともに良くして頂きました。感謝しています。ご冥福をお祈りします。』
IMG_9501

※こんなのもまだ持ってました。94年12月発売の格闘技通信増刊号の骨法特集。まだまだ世間で骨法が注目されていた時代。









骨法を学んだことによって精神的にもめちゃめちゃ強くなったと想います。それまではほんとに小心者でどうしようもないしょーもない男でしたけど、若干ですがほんのちょっとだけ自分に自信が付いたというか。武士道の精神を叩き込まれたのも堀辺先生の教えの影響だったのは間違い無いし。先生がよく言ってたのは「オレは喧嘩に使える技を教えてるけど、喧嘩を奨励してる訳じゃない。その時の喧嘩で勝っても、万が一相手が打ち所が悪くて死んでしまったり失明したりなんて重症を負ったら一生を棒に振ることになる。その逆も然り。むしろ逃げれる状況なら逃げた方がいい。がしかし、男にはどうしてもやらなきゃいけない時がある。負けるとわかってても買わなきゃいけない喧嘩がある。その時の為にオレは教えてるんだ。」とおっしゃっていて。例えば彼女(もしくは大事な人)と一緒に居るときに輩に彼女が絡まれたら逃げる訳にいかないじゃないですか?負けそうなぐらい強そうな相手でも命懸けで彼女(もしくは大事な人)を守るのが男の務めだっていうのが先生の教えで。似て非なる例えで言うと忠臣蔵の世界ですよ。とは言えやはり守れなければ意味がない訳で。あとは1人でもヤクザや暴漢に囲まれてどうしても逃げれない状況、もしくはこのままいくと命が危ないっていう絶体絶命時の抵抗策というか。そういう万が一の時に使う為に教えてると。でもそんな窮地って生きてても早々あるもんじゃないんですけど。でもそんな滅多にない様な状況の為に日々鍛錬するというのが男のロマンであったり。武士道とは正にそういうもんだと想うんですよね。昔の侍は時代劇の様にすぐキレて斬ったりなんてしなかったそうだし、余程のことがない限り刀は抜かなかったそうなんですよね。でもいざという時の為に日々刀を研いで剣術を磨いて的な。なんかそういう精神的な部分で非常に影響受けたかも知れないですね~。

以前ブログで『オレの人生に影響を与えた3人』という記事を書きましたけど、アレは身近な人の中での3人でしたけど、影響受けた著名な人という枠では間違い無く先生は入りますね。当時は余りにも上の存在過ぎて、日頃の挨拶以外ちゃんと会話したとかっていう記憶が全然無いし。いやもうね、色んな人たちがああだこうだと悪口言ったり、先生の経歴がどうのとか、骨法がインチキだとかなんとか、正直オレにとってはどうでもいいんですよ。一年半という短くも濃密な骨法人生でしたが、誰が何と言おうとも、オレの中では今でも先生から教わった技術や精神は脈々と息づいてるし、色んな事を踏まえた上でも、やっぱりオレは堀辺先生の弟子で良かったと本気で想ってますから。冒頭にも書きましたけど、実際骨法道場がなかったら上京して3ヶ月でおめおめと実家帰ってたと想うし。オレにとってはほんとに感謝しかないし、間違い無く骨法は10代最後のオレの青春そのものでしたよ。先生、本当にお疲れさまでした。安らかに。押忍!ありがとうございました!
IMG_9499

※骨法会員番号は849番。当時使ってたマウスピースも探したんですが捨てちゃったのか無くなってた…。実はこのレガースとニーパッドって、ロペの更衣室で盗難にあって、同日入門してすぐ辞めちゃった子に無理無理お願いして貸して貰ってそのままずっと返してないという…。でもあの時はマジで助かったんだよなあ…。ほんとにごめんなさい!!

お陰様で先日で45になりまして。まあ44から45になったってだけで、取り立てて特別な感情はないんですけども。二十歳になりたてでこの世界に入って、気が付けば今月末で業界歴25周年です。25年つったら四半世紀ですよ(苦笑)。ビックリですよね~。ちょっとした業界だったらもう殿堂入りで表彰されてもいい様なレベルでしょ?誰か表彰して!(笑)。ま、そんな訳で今回は25年前の話しを。

12744132_1205311502830496_2684995582454734910_n

※恐らく24年前。21歳。渋谷CAVEのバーフロアにて。25年前の写真探したんですけど全然なくて…。昔は極度の写真嫌いだったのもあって(まあ今もですが)見事なまでに全く残って無いんですよね…。






25年前の1991年1月に、それまで1年半ほぼ休みなく週6で通い詰めていた某格闘技の道場を辞めたんですが、それには2つ理由があって。1つは、当時の道場生の中では結構上の立場になってしまったのに加え、日々の生活が余りにも忙し過ぎたのもあって集中力も欠く様になって、スランプやプレッシャーもあってなかなか上手くならなくなってたこと。もう1つは、89年秋頃から働き出した原宿カフェドロペの同い年の社員が非常にディスコ好きな人で、当時では稀少な、ユーロビートのレコードとか買いまくってMIX TAPEとか作ってたぐらいのオタクな人で、その人によく仕事終わった後にディスコに誘われてたんですが、それまで全く遊びというモノを知らなかったオレは、段々と遊びの味を憶えてきていて、徐々に道場での稽古に身が入らなくなってきていた、というのも大きな理由の1つでした。

連れられてとは言えディスコには行ってたものの、元々ロンドンっぽいファッションが好きだったのにも加え、カフェドロペのすぐ数軒先に、当時THE COLLECTORSの加藤さんがやっていた今や伝説のモッズショップ『SWITCH』があったんですよ。なので出勤前後は必ずそこをチェックしたりしていて。その影響もあって非常にモッズファッションに傾倒していた頃で。しかも当時髪の毛を切って貰っていた原宿にあった『BAUHAUS』っていう美容室の担当の石丸さんて人がたまたまオシャレなモッズテイストの男前の人で。意気投合して仲良くなって毎回お任せで切って貰ってたんですけど、自ずとオレの好みとその人の好みが合致して気が付けば毎回モッズテイストな髪型や、当時の一般の人はあまりしない様なマニアックな今風の髪型にされていて。なのでわかりやすく言うと、モッズっぽい格好や当時の原宿的なアヴァンギャルドな格好でディスコに遊びに行っていたという、今考えると非常にナンセンスなことをしていたんですよ。とは言え当時はそういうのも全然よくわからずに遊んでましたけどね。
IMG_9362

※これはその伝説のモッズショップ・SWITCHの閉店お知らせハガキ。よくこんなの捨てずに取ってたなあ〜とは我ながら。







91年1月頃にカフェドロペのキッチンの人で福田さんてドレッドでレゲエ好きな、格好も見るからにラスタな人がいて。その人の彼女が当時東京モード学園に通っていて、ある日「東京モードの学生のイベントあるんだけどナガサワくん好きそうだから良かったら一緒に行かない?」って誘われて行ったんですよ。当時原宿にあったもう1つのモッズショップ・カサブランカで買ったスリムな三つボタンのエンジ玉虫色のスーツを着て、SWITCHで買ったLOAKEのタッセルローファー履いて、ラメ入りの別珍のハンチング被って。

福田さんが所有してた中古のミニクーパーで確か4人ぐらいで行って。真冬の寒い日でしたね~。確かちょうど25年前の今頃じゃなかったですかね??場所は新宿の地下の箱だったと思いますが、どこだったかイマイチ憶えてないんですよね。店に着くと、DJの男の子が全身ヴィヴィアンでキメててめちゃくちゃオシャレでカッコ良かったのを未だに憶えてます。選曲は当時流行っていた歌謡曲ナイト的な感じで山本リンダとか掛かって凄い盛り上がってて。あとはスカとか2トーンとか掛かってたり。東京モードのパーティーだけあって、来てる客はみんなめちゃくちゃアバンギャルド且つオシャレで。そんな中、盛り上がる曲でモッシュとか始まったり。それまでディスコでしか遊んでなかったオレは見るモノ聴くモノ全てが非常に衝撃的で。と同時に、オレが求めていた世界はコレだ!って思いましたね。

IMG_9363

※SWITCHの閉店お知らせハガキの表面。SWITCHはほんと好きでしょっちゅう通ってたなあ。お金無かったからあんまり買えなかったけど。当時ここまでストイックでブリティッシュな店は非常に少なかったですからね〜。






色々と調べてみると、そういう人たちが集まっているのはディスコではなくクラブだっていうのをようやく認識する様になって。それから一気にクラブというモノに興味を持ち始めました。ちなみに今考えると偶然と言うには余りにも奇遇ですが、二十歳の誕生日はたまたま青山MIXに遊びに行ったんですよね。その日は早番でロペでバイトした後、前述したディスコ好きの社員の人がお祝いしてくれるって言って原宿でご飯ご馳走になって。その後で確かMIXに行った流れだったかと。当時HEYTAさんがやってる木曜日がめちゃくちゃ盛り上がってるっていう噂を耳にしての初MIXでした。でも翌日もロペでのバイトがあったので泣く泣く終電で帰ったんですが、当時のクラブやディスコでは考えられない、グラスで氷も製氷機の氷ではなく割った氷を使ってて、しかもジュースも目の前で生搾りという、それまで遊んでいたディスコでは到底考えられない様な、非常にクオリティーの高いバーを擁するクラブでした。早い時間だったのでまだ人もまばらだったし、選曲も全然ダンサブルな感じではなく非常にラウンジ的要素の強い緩い感じではありましたが、それもまたディスコには無いカッコ良さを感じましたかね~。確かオレも未だにたまに掛けるバグダッドカフェのサントラとかも掛かってたんじゃないかなあ。あとその日、めちゃくちゃ雰囲気があってカッコいい人が遠目の向いの席に座ってたんですが、恐らくですが、後に仲良くさせて貰うことになる山口さん(JAZZ BROTHERSのYAMAさん)でした。ちなみに当時の山口さんはめっちゃくちゃカッコ良かったんですよね〜。雰囲気というかオーラというか、もう別格でした。なのでその時も、誰かわからないけど絶対あの人はタダ者じゃない!って思いましたもんね。ちなみに初めてDJってカッコいいなあ〜!って思ったのも後に山口さんの選曲及びDJ姿見てから。あ、勿論若干ファットになった今もカッコいいですけど!(笑)。

そんな流れもあって、せっかく道場も辞めて時間も出来たし、これはもう勇気を出してクラブで働いてみよう!いや、働きたい!という激しい衝動から、たまたま某雑誌で当時では非常に珍しかったディスコ・クラブ特集をやっていたので、そこに載っていた当時の都内の主要クラブに、善は急げで片っ端からバイト募集してないか電話して聞いてみよう!って思って。10軒ぐらいは電話したんじゃなかったでしょうかねえ??今想えば、二十歳になり立てのまだまだど田舎モンのオレにしてはなかなかの行動力です(笑)。まず始めに、1度も行ったことはなかったんですけど、なんか興味をそそる店だった下北沢ZOOに電話してみたら、非常に無愛想な応対で「バイトは募集してるけど…うちって遊び来たことあんの?うちは常連からしかスタッフ取ってないから。」ってあっさり断られ(苦笑)。その時点で「やっぱクラブって怖いな…」って心折れ掛けましたが気を取り直して、二十歳の誕生日にも行って衝撃を受けた青山MIXへ電話を。そしたら「今はスタッフいっぱいだから取れないけど、欠員が出たら入れたげるからとりあえず1度面接においでよ。」って言われて。とりあえずその時は確か「是非お願いしたいので、後日改めて連絡させて頂きます!」って言って切ったんですけど。でも欠員が出るっていつだろうなあ…随分先になっちゃうのかなあ?みたいな若干の不安もあり、直後に渋谷CAVEに電話してみたんですよ。
※追記:コレ違いますね。1番最初に電話したのがMIXで、2番目がZOOだった気が。そして3番目にCAVE的な。多分。再追記:いや、やっぱりZOOが先だったかな…。すみません忘れました…(泣)。

CAVEは数ヶ月前にカフェドロペのみんなで1度遊びに行ったことがあって。2フロアに別れてたのや、ちょー真っ暗なフロアにディープなハウスミュージックが掛かってるB2、ソファーもあってオールジャンルで色んな曲が流れるアットホームな感じのB1、当時としては非常に珍しかった上部に3つもモニターが設置してあったバーフロアと、内装も非常にオシャレで洞窟をイメージした近未来的な作りだったし、全てに於いてとても印象的な店だったんですよね。て訳でダメ元で電話してみたら「とりあえず面接来て貰えますか?なるべく早い方がいいんですけど。」って言われて。その後も何軒かは電話したんですが、誰も出なかったり募集してなかったり。そうこうしてるうちに、まあCAVEが面接してくれるって言うし、とりあえず今日のところはもういいかと。で確か翌日か翌々日ぐらいには面接に行った気が。

非常に緊張した面持ちで当時の主任の前野さんて人にB1フロアのソファで面接されて。恐らくガッチガチに緊張してたのもあって面接の内容は全く憶えてないんですけど、色々聞かれた最後に唐突に「じゃあ採用で。今週末から早速入って貰いたいんだけど。」みたいな具体的な話しされて。ビックリしましたよ~。え!?今週からですか??みたいな(笑)。面接中の感じも、採用か不採用かは後日改めて連絡する様な感じもあったし。え?もう採用でいいの??的な(笑)。とは言え念願だったクラブでのバイトがそんなこんなであっさり決まった訳ですよ。確か当時の採用時の時給は750円スタートというビックリするぐらい安値だった気がしますが、お金を稼ぐとかっていうのは二の次でしたから特に何も思わなかったですかね。いやむしろ、これで憧れのクラブで働ける!やった!っていう方が圧倒的に強かったですかね~。

生粋の田舎モンで若干二十歳。まだまだ全く右も左もわからないオレにとっては当時のクラブという職場は何もかもが新鮮且つ刺激的で。勿論今みたいに事前の情報とかも一切無い訳で。一体どんな世界が待っているんだろう??っていう恍惚と不安が入り交じりまくってましたかね〜。いざ入店してみると、スタッフの人もみな雰囲気あってオシャレでカッコいいし。お客さんなんてもうアバンギャルドでオシャレな人ばっかりでビックリでしたよ。当時のクラブなんてほんとにかっ飛んだクリエイティブな人しか来なかった時代でしたから。当時クラブ情報誌的なのって全く無かったんですが、その辺に近い人たちがよく載ってた雑誌で『CUTIE』ってファッション誌があって。基本レディース誌でしたがそういう雑誌がなかったので当時よく買っていて。そのCUTIEに載ってた人とかが普通に遊びに来る訳ですよ。モデルやミュージシャン、DJやショップの店員さんから街角スナップとかに出てる人も。田舎モンのオレにとってはもうそれはそれは衝撃的過ぎて。

FullSizeRender

※ちょうど25年前のCUTIE1991年2月号。表紙には若かりし頃のOIちゃん・DRAGONさん・ヒカルさん・ジョニオくん・ホテイくん・小池さん・チエコビューティーさん。中を開くとNIGOさん・ガスボーイズ・俊美さん・ファンキーエイリアン・Lady-Kさん・ ガルトデップのヒサシくん・藤原ヒロシさんなど多数掲載の、非常にヤバめな内容。







初出勤日は確か金曜日で、海外からDJを招いての『WORLD CONNECTION』っていうイベントでした(多分)。後にCAVE無き後は西麻布YELLOWでも同パーティーはやってました。DJ誰だったかイマイチ憶えてないんですけど、確かROBERT OWENSじゃなかったかと。なんせもうびっくりするぐらい混んで。300人近くは入ってたんじゃないですかね??もう狭い店内はどこのフロアも軒並みギュウギュウで激混みでした。そんな状況に困惑しつつも、とりあえず初日ってこともあって一生懸命働いて。ギュウギュウ詰めの中、片手にトレンチ担いでその上にグラスを山ほど回収して来て。それをもう何時間もずーーーっとノンストップで往復ですよ。途中から先輩たちがグラス回収するたびに待ち構える洗い場で笑ってて。「うわまた来たよ!キミ凄いな~(笑)。ちょっと休み休みやっていいよ!」的に逆に気を遣われたほど。どうやら当時のクラブで真面目に一生懸命働く様な奴なんて全然いなかった様で、カフェドロペで散々鍛えられ上げられたオレの尋常じゃない働きっぷりが、先輩達にはかなり衝撃的だったみたいでした。てか他にもスタッフ何人かいたはずでしたけど、その日ホールでまともに働いてたのオレ1人でしたしね(苦笑)。

初日がそんな激混みの日だったのもあって、それ以降は仕事にもすんなり溶け込んで。とは言え超が付く程の人見知りでかなりの内向的だったんで、他のスタッフの人たちと仲良くなるまでには3ヶ月ぐらい掛かりましたけどね。それまではめっちゃ真面目で内気で寡黙なイメージだったらしいです。当時はほとんど酒も飲まなかったですしね。営業終わったら下向いて「お疲れさまでした〜!」って早足で帰るっていうイメージだったって(笑)。でも3ヶ月ぐらい経ったある日、早く終わった平日でみんなで店で始発待ちしてる時にちょっとアホみたいなこと喋ったら「えー!ナガサワくん暗いと思ってたのにちょー面白い!(笑)」ってキャッシャーの女の人とかに大ウケして。それを機に一気に饒舌になりましたかね(笑)。

ちなみに当時は週6でカフェドロペの10時~17時の早番バイト、月・水・金と週3でCAVEで21時~朝までのバイトと、なかなかのハードスケジュールでした。当時はほんとメシも食ってなくて痩せこけてたし(今より15キロぐらい痩せてた)、必然的に睡眠時間も少なかったし、常に青白い顔して目の下に真っ黒な隈作ってましたね~。まあでもそんなハードな日々でしたが、出勤するのがもう楽しみで楽しみで全然苦には感じませんでしたね~。まあ時折猛烈に眠さと戦いながらCAVEでは働いてましたけど(笑)。でもほんと、当時のオレにとっては全てが衝撃的過ぎた日々でした。

当時スタッフは元よりバーテンが足りなかったので、大して酒の知識もなかったのに白羽の矢が止まり、急いでバー憶えろって言われて。当時のCAVEのバーカウンターって段差もあったしとにかく目立つ様な作りでめっちゃカッコ良くて。ディスコとかに比べると結構ちゃんとしてた方だったし。なのでもう必死に憶えましたよ。オレが粗相をしたらCAVEの名前に傷が付く!ぐらいのプレッシャーを持って。暇さえあればベーシックなレシピを憶えることに時間費やしてましたかね~ほとんど寝る暇も無かったけど(苦笑)。あとオレの前に居た同い年のバーチーフの人の華麗なバー捌きを、暇さえあれば横目で見て勉強したり。オレが入った直後にバイトが一気に増えることになるんですが、そんな一生懸命さを評価されたのと、早くからオレのバーテンセンスを上の人に高く評価して頂き、7月頃から第3代目のバーチーフに抜擢されて。と同時に掛け持ちでやってたロペも辞めて、CAVE1本で週6で働く様になった訳です。もうそこからはどっぷりって感じでしたかね~。ていうかたまに想うんですが、もしも業界デビューがCAVEじゃなくてMIXだったらどうなってたんでしょうかね〜?間違いなく全く違ったクラブ人生歩んでたでしょうし。もしかしたら東京のナイトクラブの歴史もほんのちょっとだけ変わっていたのかもとかも想ったり。

12654294_1194562233905423_4582910325939457956_n

※当時作って貰った名刺。左が1番最初に作って貰ったやつで、なんと名前間違え(苦笑)。てかそういやバーチーフになってから作って貰ってなかったかも。作って貰ったけど残ってないだけだったかなあ…??







余談ですが、オレってこの世界のデビューって実はCAVEじゃないんですよ。実はその前にディスコで3ヶ月ほど働いたことがあって。CAVEに入る前の90年秋頃、ロペの新しく入った社員で昔ディスコでぶいぶい言わしてたやんちゃな人がいて、その人からある日「ナガサワってさあ、今蒲田住んでんだよね?オレの知り合いの人が蒲田でディスコやってて人手が足りないって言ってんだけど、ナガサワ働いてみない?」って言われて。当時のオレは昼間はロペ(週6)、終わったら道場で稽古(週6)、終わったらすぐ蒲田の近所のコンビニで1時頃までバイト(週5)っていうアホみたいにスーパーハードな生活だったんですけど、コンビニの仕事ももう1年半ぐらいやって飽きてきてたし、とりあえずコンビニで働くよりディスコで働いた方がちょっとは楽しいでしょ!ってこともあってコンビニ辞めて代わりに働くことになって。蒲田駅の近くにあったGIGっていうディスコでした。元々は三軒茶屋にもあって名前は知ってたんですけど、まさか蒲田にも支店があったとはつゆ知らず。内装はなんかバブリーな作りの近未来的な感じだった様な。長いトンネル抜けるとダンスフロアに行き着く的な感じで。制服は宇宙服みたいなシルバーのツナギ着せられて。

IMG_9378

※凄い!押入の中ひっくり返して探してみたら当時のGIGのドリンクチケットとメンバーズカードが出て来た!(笑)。









前述した様に、当時モッズファッション的な装いのオレはよく上の人に「ナガサワさあ、前髪上げておでこ出そうよ!」って言われて無理矢理整髪料で前髪上げさせられたり(苦笑)、1時ぐらいに上がって店出ようと思ったら入口に高校生の先輩スタッフが居て「お先に失礼しまーす」って言って帰ろうとしたら呼び止められて「ナガサワくん、君の格好はディスカーのする格好じゃないね。」って注意されたり(笑)。まあ浮きまくってたと思います。でもいわゆるディスコの簡素なバーでしたけど、定番的なカクテルとかはまずそこで憶えたし、当時のユーロビートやハイエナジーに詳しいのはその時のお陰だし、あとはなんせディスコって超体育会系なんですよ。礼儀や言葉遣いには厳しいというか。あとは仕事もかなりキッチリやらされましたかね~。そういうのも後々考えてみると非常にいい経験にはなったんですけどね。10月~12月までのたったの3ヶ月間でしたけど。当時まだ19の頃ですよ。ちなみに奇跡的に当時の写真が1枚だけ残ってました。恥ずかし過ぎて完全にお蔵にしてたんですが、25年の時を経て本邦初公開(笑)。恥ずかしっ!!

IMG_9364

※恐らく90年12月頃だったかと。前述した様に、整髪料で前髪上げさせられて撮られた様な記憶。しかし19とは言えすっとぼけた顔してますね〜。いやあ、まさかこの写真をブログに載せる日が来ることになろうとは!







まあそんなこんなで、クラブで働きたい!という初期衝動から早25年。時代は大きく変わり、当時はアンダーグラウンドであったが故に刺激的だったモノが、限り無くオーバーグラウンドになり一般化され、その刺激的な部分は大きく削がれ、もはや当時のディスコの様なクラブが多々台頭している状況には、非常に複雑な胸中ではありますけど。まあでも右往左往と移り行く時代の流れの中で、四半世紀もの長い間に渡り同じ世界を観て来れたというのは、ある意味ひとつの財産でもあるのかなあとも想ってみたり。ちょっとした生き字引みたいなモンですからね(笑)。

12744384_1205405186154461_7898535549273278027_n

※これも冒頭に載せた写真と同じ日。多分92年の12月頃じゃないかなあ。隣にいる人は当時のCAVEのチーフDJで後にYELLOWのチーフDJもやった藤本さん。なんか必死に考えて書いてるとこ見ると、確かROOMのバーチーフなりたてでメニューとかを考えにCAVE来たんじゃなかったかと。だとすると初めて名前を付けたオリジナルカクテルにして最高傑作の1つ『京都』のレシピを思い付いた日だ!確かこの日、当時日本で4人しかいないと言われていたバーテンダーのB級ライセンスを持ってる人が来てて、その人に「このレシピ(京都の)を思い付いたんですけどどうですかね…?」って聞いてみたら、「日本酒を使ったカクテルでそのレシピは世界的に見ても非常に珍しいレシピだけど、なにげに相性のいい材料ばかりだし、なかなかいいんじゃないかな。きっと美味しいと思うよ。」って太鼓判押されたんでした。後日実際に作ってみてもめちゃめちゃ美味くて即採用的な。それから24年経った今も尚ROOMで愛飲されてるなんて!オレって天才!(笑)








なんかでも最近ふと想うのは、やっぱもう25年もやってたらどんな世界でも大ベテランの域じゃないですか?本心ではもうはよ辞めたいとは想うけど、もはやここまで来たらオレの生きる道はこの世界しか無いんじゃないか…?とかも想う様になってはいて。まあ若干諦めにも近い感覚ですけど(苦笑)。三宿Web20周年のお祝いコメントでTAICHI MASTERが『今後ナガサワさんはクラブ業界のタモさんとなって、笑っていいともの記録を抜いていただきたいと思います。』っていうシャレの利いた粋なコメントをくれたんですが、なんかそういうのもいいのかな…とかも想ったりもしたり(どういうのだよ笑)。とは言えやっぱ内心ではほんともうこの世界に未練はないんですけどね。Webの20周年も完遂出来たしいつ辞めても本望!なんですけど…まあ今後のことはもうわからないですね~。時の流れに身を任せ的な。他のことでブレイクしてもう夜の世界はこれ以上続けられない~ってことになるのが1番ベストですけどね。他のことが洋服のことだったら尚のことベストですけど。ま、当分無いかな…(苦笑)。その前にスタッフ不足で閉店も有り得ますけど。いや現状それが1番可能性高いかも。とまあ、とりあえずいつまでこの世界に居るかはわかりませんが、25年前の初期衝動をいつまでも胸に、居る間は今後も変わらず一生懸命頑張りたいと想ってます。押忍。

DT

※おまけに今となっては激レアな、昔の都内主要ナイトクラブのドリンクチケットコレクション。だいぶ前にFacebookとかで上げたりしたんですが、今回改めて掘り返したら更にヤバいの幾つか見付けましたので改めて(笑)。
1.恵比寿MILK
2.渋谷THE ROOM ※オープン当時。
3.青山MIX
4.渋谷CAVE ※HIP HOP化する前の後期。
5.渋谷CAVE ※オープン当時。
6.渋谷DJ BAR INKSTICK
7.三宿Web ※オープン当時。
8.西麻布P.Picasso
9.下北沢ナイヤビンギ
10.下北沢ZOO ※時期不明。
11.下北沢ZOO ※時期不明。
12.芝浦GOLD ※プリペイドカード。
13.渋谷J TRIP BAR ※フードチケット。
14.西麻布YELLOW ※恐らく超オープン当時。
15.西麻布YELLOW ※時期不明。
16.西麻布YELLOW ※時期不明。
17.西麻布YELLOW ※時期不明。

015504







昨年は急遽朝本さんのチャリティーイベントを開催したのでハロウィンパーティーはやりませんでしたが、例年だったら今頃の時期はもう『今年の仮装どうしよ……』とハロウィンノイローゼになってる時期で。もしかしたら皆さんもそうかも知れませんが、オレの場合はほんとにもう命削るぐらいのプレッシャーで(苦笑)。まーなんせ周囲の期待感が無駄にハンパないですからね…。なんとかそれに応えたいという一心で毎年毎年無い知恵絞って色々と試行錯誤してはいたんですが、今年はつい1週間前ぐらいにようやく「やっぱ今年のハロウィンはやめよう」と決めたのもあって、ある意味清々しい気分です(笑)。とは言えそこにいきつくまでにはほんとに長い道のりで…。特に今月は他にも頭を抱える様なことが多々あって、ちょっとしたプチノイローゼになってましたかねえ。

20141030_halloween1








勿論当初は、今年は2年振りにハロウィンパーティーをやる予定では考えてはいたんですが、まず第一にうちのバーチーフの博之がちょうどハロウィンの時期に舞台があって出れなくて。普通のイベントならいつもの様にオレが代わりに酒作ればなんとかなるんですが、ハロウィンの場合はそういう訳にもいかなくて。頭とケツはDJもしなきゃいけないし。それにも増してただでさえ常にスタッフ不足なのもあって、やっぱちょっと通常のハロウィンパーティーはやれないなあ…と思い、月初めの頃には三宿WebのTwitterやFacebookページでは「今年はハロウィンパーティーは開催致しません」的なのは軽く告知してたんですが、でもどうにか開催出来ないか??と模索して、とりあえずスタッフの頭数は掻き集めたりはしていて、どうにか営業出来る手筈は整えてはいたんですよ。

-e1437490869486








でもヘルプのスタッフにも仮装を強制することにもなるし、やっぱオレが1人で営業するDJバー営業でやるのがいいんじゃないかとも思えてずっと悩んでて。どういう形にしろ、やっぱ何かしらハロウィン的なのはやるべきだろうということをまず念頭に、もう9月中旬頃からずっと悩み考えてましたかねえ。でもなんか正直言って自分の中で、ハロウィンに対するモチベーションが全然上がらないのもあって。いや、去年のハロウィンに、朝本さんの募金箱を買いに営業前にハンズに行ったんですが、渋谷はもう物凄いことになっていて。スクランブル交差点やセンター街はもうマジで溢れんばかりの人たちが仮装しまくっていて。いやアレはマジでビックリしましたよ。てかハロウィンてこんな盛り上がってたっけ??ってぐらい。ハンズ行くのもWeb戻るのもひと苦労でしたね〜。でもアレはほんとに度肝抜かれたんですけど、逆に冷静になってみると「うわ〜今年は(去年の話)ハロウィンやらなくて逆に正解だったかも…。」とは思っていて。ちょっとある意味どん引きした感もあったというか。

AS20141031005538_comm









そういうこともあったので、なかなかいいアイディアが浮かばないというか、コレ!って閃きがなかなかなかったんですが、でもやっぱアレだけ世間がハロウィンで盛り上がってる訳だし、やっぱ素直に乗っかるべきだよなあ、ハロウィンパーティーはどういう形にしろやるべきだよなあ、みたいな責任感的なのは立場上ずっと働いていて。でもオレって昔からそうなんですけど、ほんと乗り気じゃないことには全く頭が働かないというか…。気が付けば月末のマンスリーの入稿時期も迫ってきて、それでも考えが纏まらず、とりあえず"NOW BOOKING"表記にしてたんですが、それ以降もずっと考えては閃かずの繰り返しで。ちょっとしたプチノイローゼでしたよ…。例年の仮装を考えるハロウィン仮装ノイローゼとは別の意味で頭抱えてました(苦笑)。

1280o








そうこうしてる間に、何も決まらないまま今月中旬まで来ちゃって。こんな時期まで決まらないなんてことは滅多にっていうかまず無いっていうか異常事態でもあったんですけど、ここまで切羽詰まった時期に来ても全然コレって考えが浮かばなくて…。まあでもやっぱ心のどこかで「正直今年はハロウィンやりたくない…」ってのが働いてたんですけど。で、そんな悶々とした中、先週BIG LOVEのパーティーがあったんですが、オープン前に当日DJやるCHIROちゃんに「ねえ、BIG LOVEって毎年ハロウィンどうしてんの??」って聞いたら、「あ〜一昨年ぐらいまではちょっとしたハロウィン的なのはやってたんですけど、最近はもう全然やってなくて。なんか一昨年ぐらいまではよそでもやったりやらなかったり的な感じだったのに、今ってどこでもやってるじゃないですか?しかも去年とか凄かったし。たまたま去年ハロウィンの日に渋谷行ったんですけどアレはほんとビックリしましたよ〜。。。」的なことを言っていて。うわ〜まさにオレと一緒じゃん!とか思って同調して。そうなんですよ、数年前までは他のクラブとかでもハロウィンやらない店の方が多かったのに(小箱ではうちしかやってない年とかもあったぐらい)、今年のスケジュールチェックしたらどこでもやっぱやってますからね〜。ビックリというかやはりこれが時代の流れなのか。CHIROちゃんと話して、なんかその時に迷い悩み続けてた背中をポンと押された気がしたというか、よっしゃやっぱり今年はハロウィンは一切止めとこう!って踏ん切りが付いたんですよね。

halloween-2014-20141031_002-thumb-660xauto-332457








いやなんかねえ、普通に考えたらこんだけ盛り上がってるんだから小難しく考えずにしれっと乗っかるべきだし、てか絶対やるべきなんですけどね〜。あ、いや、これからハロウィンで盛り上がろうとしてる人たちに水を差すつもりは一切無いですし(結果そうなっちゃってたらすみません…)、盛り上がりたい人は大いに盛り上がって頂きたいと思ってますよ、いや本気で。楽しいのが1番だし。ただオレが偏屈な性格なだけの話というか。あともうやっぱ歳なのかも知れないですね〜。。。てか、今まで散々毎年嬉しそうに仮装しといてどの口が言うかあ~!ってツッコまれそうですけど(苦笑)。クラブの店長としての立場的にも絶対ハロウィンはやるべきだと思うんですが、でもなんかワールドカップの時の渋谷もそうですけど、去年のハロウィンの渋谷も然り、あの輪の中にはちょっとオレはどうしても入りたくないわ〜って思っちゃったんですよね…。まあ仮装して渋谷行く訳じゃないですけど、仮装することイコールそれに近いモノを感じてしまったというか…(勝手に)。

141031_shibuya







まあそんな訳で今年はハロウィンはやりません。つってまだ代わりにどういう営業するか決めてないけど…。まあ何かしら地味にNOTハロウィン的に営業しようかと。あとハロウィンはやりません!仮装はしません!とか言っといて、年末の忘年会でまたしれっと1人で仮装するかも知れませんけど!(笑)。まあ来年のハロウィンはわかりませんけど、ひとまずとりあえず今年は無しで。オレの今年のアホ仮装を密かに心のどこかで期待してくれていた皆様すみません!また違う機会にしれっとやりますんで!ほんとに偏屈ですみません!(汗)。皆さんはどうぞ素敵なハロウィンを〜♪

dcd99a5b

気が付けばだいぶ過ぎてしまいましたが、先頃7月を持ちまして三宿Webの店長になって20周年を迎えてました。まあ取り立てて特に何がめでたい訳でもないんですけど(苦笑)。今年は店的に21周年という中途半端な数字ですが、個人的には店長になって20周年だったのでなにげにちょっと感慨も深かったり。

10920912_977921715569477_4929102541432522191_n

※anan1994年12月16日号の特別綴じ込みのSMAP特集での香取慎吾くんのページ。三宿Webオープン当時のダンスフロアにて。後ろのDJは若き日のオレ…。









前にも書きましたが、元々はバーチーフとして入店、クラブ経験者が1人もいなかったこともあり、CAVE・ROOMと既に3年のキャリアがあったのもあって1ヶ月後から副店長も兼任。1周年アニバーサリー後のドタバタで初代店長のマーヴィンの代わりにある意味致し方なく店長に就任。それが1995年7月だったんですよね。確か辞める辞めないでの慰留ミーティングが7月8日だった気がするので、確かその日から店長になった記憶。なのでもううっかり2ヶ月遅れですけど…(汗)。まあまさか当時はその後Webが20年も続くとは思ってもみなかったし、まかさ20年間もずっと店長やるとは思ってもみませんでしたけど(苦笑)。

10177505_983024241725891_5436208208637862634_n

※1995年2月14日月曜日開催の記念すべき第1回目のバレンタインキッスにて。三宿Web旧DJブースでDJ中の24歳なりたてのオレと、次のDJスタンバイ中の薫 (現・DJ KAWASAKI)。







正直当時は店長なんかやりたくなかったし、やるつもりもなかったんですけどね〜。ほんと当時は、店を存続させてマーヴィンを慰留させる為に致し方なく変わった的な。まあ元々副店長の頃から諸々のことはしてたんで、マーヴィンが居た97年末までは大してやることは変わりませんでしたけど、やっぱ一気に大変になったのはマーヴィン退店後以降の98年からですかね〜。なんせ何から何まで全部やらなきゃいけなくなりましたから。一気に責任もドーンと押し掛かってきましたし、それまでは完全に裏方だったのが、何かあったら表舞台出てマイクで喋ったりとかしなきゃいけなくなったりとか、最初はほんとに戸惑いましたね…(苦笑)。例えるならフロントマンが抜けた後のバンドで、致し方なくリズム隊がフロントマンも兼任でやり始めた的な…。まあバンドやったことないけども!

812801_486274058081163_1937319493_o

※恐らく96年頃でしょうか?某結婚パーティーでの、これまた改装前のブースにて。







これちょっと前にFacebookにも書いたんですけど、オレが知ってる限り、東京のナイトクラブで同一店舗で20年店長やった人っていないと思うんですよね。勿論オレより業界の先輩の人は何人か知ってますけど、その中でこと店長って役職をずっと続けてるって人はイマイチ思い当たらないというか。まず第1に、東京で20年以上続いたクラブってうち以外では、328・Club Jamaica・THE ROOMしか無い訳で、ROOMは途中で4回店長変わってるし(多分)、328も確か何度か店長変わってたし、恐らくクラジャマも店長はずっと同じ人じゃなかったんじゃないかと思うんですよね(多分)。東京以外だと京都のMETROも20年以上やってる訳ですけど、店長は何度か変わってるみたいだし。っていうかそう考えると、日本どころか世界的に見ても同一店舗のクラブで20年店長やった人ってそうそういないんじゃないですかね??ってことは更に考えると、恐らくですけど前人未踏の業界史上世界初の快挙という偉業をなにげに成し遂げたと言ってもいいんじゃないでしょうか!(笑)。

10985315_984055431622772_5491024086290954824_n

※これ99年頃のなんかの雑誌。まだマンスリーが表2色刷りでサイズも今より一回り大きかった時代。ちなみにオレが持ってるマンスリーの表紙は井上さん(Chari Chari)の号。







夜の商売って体力的にもですけど結構メンタルやられることが多くて。過去にも、どこそこのクラブの店長が急に消えた!とか幾つか聞いたりしましたし。オレが働いてた頃のCAVEでも店長じゃなかったですけど、上司の何人かは急に消えたりしてたし…。いやでもそういうのってある意味凄くわかるんですよね。だってオレもそれはそれは何度も何度も消えたくなりましたし(苦笑)。やっぱ夜の商売って、ある意味お客さんのストレス発散の場所であって、色んな人たちのストレスを受け止めて、酔っ払ったタチの悪いお客さんの相手をずっとしてると、たまに頭おかしくなる時ありますから(苦笑)。ただでさえ夜中って誰でもナーバスになりがちな時間帯だし、自分自身の将来の不安や悩みとかもあったりする時期だと余計に。そういう意味ではそういうのが急に嫌になって消えたくなるという衝動は痛いほどよくわかります(笑)。

11902470_1106207089407605_3640346646214519611_n

※2009年のハロウィンパーティでの草間彌生…。







オレって幼少の頃は有名になりたい願望が強いだけのアホな奴で。未だに憶えてますけど、中1の頃に後ろの席の女の子から「長澤くんて将来なになりたいの?」って聞かれて「有名になりたい」って漠然と答えてましたかね~。アホでしょ?(笑)。なんで有名になりたかったかっていうと、幼少の頃からなんせモテたい願望が強くて。とは言えコンプレックスだらけで自分に自信が無くて。でも世の中ってみんながみんなイケメンの王子様タイプが好きかというとそうでもなかったりするじゃないですか?だから、オレみたいな奴でもいいって言ってくれる女の子は少なからずはいるとは思うけど、有名になればその少なからずの絶対数が増えるじゃないですか?(笑)。通常100人中1人しかオレのことをいいと思わなくても、1万人に知られれば100人にいいと思ってくれる人が増える訳で(笑)。そんなアホなことを考えてましたね~。

996596_663483117013340_1831400322_n

※2013年8月開催の某ドゥーラグナイトにて…。







前にブログでも書きましたけど、1988年の10月19日のロッテvs近鉄の優勝を懸けた最終戦Wヘッダーを観て物凄く心を揺さぶられて。なんかアレを観てから、それまでの"有名になりたい願望"というものがちょっと失せたというか矛先が変わったというか。なんでしょうね?有名になるということよりも、人を感動させるということの方に魅力を感じる様になったというか。勿論有名になった方が、同じことをしても大勢の人を感動させられる訳なんですけど、1人でも心の底から感動させられれば、それって物凄いことなんじゃないかと思う様になって。なんかある日、感動して号泣してる時にふと思ったんですよね「感動して自然と涙が出るってなんて神秘的なんだ!そしてなんて素晴らしいことなんだ!」と(笑)。そしてそれを自分が与えたことによってだったらこんなに素晴らしいことはないんじゃないかとも。いや、ほんとにそう想うんですよね。

10888794_956614311033551_8243349422681379781_n

※2013年の大忘年会にて。同年ハロウィンでやったLINEのジェームズ再び…。








話しが脱線しましたが、とは言え心のどこかには一貫して「男たるもの、生まれてきたからには何かしら死ぬまでにこの世に名前を残したい!」的な願望も強くあって。それは有名無名問わず。男ってなにげに誰しも大なり小なりそういう願望ってあるんじゃないですかね?まあでも何も人より抜きん出た才能が無いオレは一体何が出来るんだろうか…?ってずっと思い悩んでましたかねえ。なにげに器用なイメージが強いとは思しますし、実際一般的に見れば器用な方かも知れませんが、逆にある意味器用貧乏というか。ある程度のことはある程度は出来るんですが、ある程度出来るとすぐ飽きちゃうんですよね。なので何もいっぱしにならないというか。早くから色んな人から認められたりしたし、もしかしたら1番可能性があったのはバーテンだったのかも?とかも思いましたが、これもすぐ辞めちゃったし。興味のあることは色々チャレンジしてきましたけど、どれも中途半端で終わってしまって…。まあ今は洋服のことを最終目標として日夜頑張ってますけど、これもゴールが果てしなさ過ぎていつになることやら、てかまずいつ芽が出ることやらってレベルですし。

1796689_512959012149978_1063853993_n

※2014年の病み上がり&大雪の悪夢のバレンタインイベントにて。








まあそう考えると、非常にちっちゃいちっちゃいスモールワールドな世界ではありますけど、ほんのちょっとだけこの世に名は残したのかもとか(笑)。だって普通に考えたら、もしこの先東京のナイトクラブ史を語る本とか出たとしたら、絶対何かしらの形でオレの名前がちょっとでも出ないとおかしいでしょってぐらいの快挙(?)ですからね〜。た、多分…。まあでもオレの場合、業界初の同一店舗で店長20年とかよりもむしろ、東京のクラブの酒の項で書かれる可能性の方がでかいかも知れませんけどね〜(そんな項があれば)。まあはっきり言ってこの業界でもオレのこと知らない人なんて全然いっぱいいるだろうし、クラブ業界自体も正直今は昔で言うとこのディスコみたいな店もクラブって同一線上になっちゃってるし、今やどこからどこまでがクラブなのかも何がクラブなのかも曖昧過ぎてわからない状況だしで、もはや語られない可能性もありますけど…(苦笑)。なので結論から言えば、恐らく業界史上初であろう同一店舗で20年店長やったとは言え、特に自慢にもならなければ、特に偉業とかにもならないかも知れませんけど。とは言えまあ言葉尻だけでも、"業界初"という響きはちょっと嬉しいもんですよ。どんだけちっちゃな世界でも。まあ誰も褒めてくれなくても称えられなくてもいいんです。とりあえず1人で嬉しそうに「業界初の快挙や!」とか「ヘタしたら世界的にも類をみない世界的な偉業やで!」とか大袈裟に言って身内の中での話しのネタとして今後も当分使っていこうと思ってますから(笑)。そんな訳で、店長20周年おめでとう!オレ!業界初の偉業達成おめでとう!オレ!恐らく世界初の快挙おめでとう!オレ!てかもう2ヶ月も経ったからいまいちタイムリー感に欠けてて若干残念!オレ!

11425234_10154072776183438_6364433931176033825_n

※今年6月の21周年のリアルアニバーサリーにて。

IMG_7120



ちょうど20年前の1995年は、先日書いたこととかは非常に記憶に残ってるんですが、それ以外はあんまり印象に残って無くて。もうなんせ毎日が忙し過ぎましたからね…。当時は勿論今の様にSNSも無かったし、日記とかもつけてもなかったしで余計に。ちなみにこの頃のヒット曲(邦楽の)ってオンタイムで聞いた記憶がほとんど無いんですよね。ちょーテレビっ子だったのに。当時は全然休みなかったからなあ。んなこともあって、今年に限って言えば20年前よりもちょうど30年前のことをよく想い出していて。最近はもっぱら当時の曲とか聴いてますね〜。iTunesでも1985フォルダ作ったり。そう、ちょうど30年前の1985年は非常に想い出深い年だったんですよ。



今だから / 松任谷由実・小田和正・財津和夫





1985年 (昭和60年) はちょうど中学3年の頃。年齢的には早生まれなので14歳の時(周りのみんなは15歳)。中3のクラスはめちゃくちゃいいクラスで。ウマが合う友達がクラスに沢山いて(っていうかほとんどみんなだったかも)、毎日学校行くのが楽しかったですね〜。高校進学で別れ別れになって一旦は疎遠になった後も、高3の冬休みって地元のヤツはみんなこぞって近所の教習所へ行って免許取り行ったんですが、その時に久々に当時の仲良かったメンバーと再会して。それからオレが上京するまでの期間はしょっちゅうその辺のメンバーで集まって遊んでましたかね〜。その後オレが上京した直後数年間ぐらいは、オレが帰省するたびに集まってくれて。いわゆるクラスの中って尖ってるワル組と穏和な一般庶民組で分かれたりするじゃないですか?オレの立ち位置ってちょうど中間というか、どっちのグループとも仲良かったんですよ。だからオレが帰ると1度にみんなが集まりやすいらしく、年に1度の帰省時には結構同窓会的に中3クラスのメンバーで集まったりしてたんですよね。オレが夜の世界に入ってからはあんまり帰らなくなったり、徐々に生きている世界の違いに戸惑いを感じてあんまり連絡取り合わなくなったりしてしまいましたけど。なんせ田舎でしたからね…。まあでも、中高通して個人的に最高のクラスだったことは確かですね〜。



Romanticが止まらない / C-C-B





修学旅行はバスで伊勢とか富士急とか巡りつつ東京へ。もうめちゃめちゃ楽しかったですね~。バスの席がたまたま仲が良くて普段からよく喋る女子2人と前後だったのもあって、もうひたすらアホみたいな話しして笑かしまくってました(笑)。もうバス乗ってる間はずっと爆笑してた記憶しか無いぐらい。夜中に寝ないで野郎だけでぶっちゃけトーク的なのをひたすらしてたのもオモロかったし。せっかく行った富士急ハイランドはあいにくの雨で全然楽しくなかったけど(苦笑)。


IMG_7121






1985年というとやはり阪神の21年振りのリーグ優勝+初の日本一です。関西にいたのもあって、ほんとにあのフィーバー振りは凄かったですね~って正直なところ昔過ぎてあんまり憶えてないんですけど(笑)。でも優勝を決めた日は未だに憶えてますね~。神宮で9回土壇場で追い付いて引き分けで優勝決めたんですが、1人応接間のテレビの前に1人掛けのソファーを置いて陣取り、吉田監督の挨拶の時に感動してボロボロ号泣したのを未だに憶えてます(笑)。翌日のスポーツ新聞も最寄りの駅まで行って全部買いました。勿論のこと、クラスでもしょっちゅう阪神の話題で盛り上がったし。無駄にちょっとぽっちゃりしてるってだけで、全然似てないのにバースってあだ名の友達もいたし(笑)。いや、当時の関西圏では外人見るたびに「あ、バースやバース!」ってベタなボケ言うぐらいのフィーバー振りだったと思います(笑)。


yoshida







当時は新日本プロレスにどっぷりハマってた頃でもありましたね〜。80年代初期のアントニオ猪木と初代タイガーマスク、藤波対長州の名勝負数え歌に古舘伊知郎の名調子解説などによる空前のプロレスブームの頃で、毎週金曜日夜8時はテレビの前に釘付けになって興奮して観てましたね~。週に1度の楽しみってぐらいだったかも。85年は既に長州力率いる維新軍は全日本プロレスへ移籍してましたが、ちょうどブルーザーブロディが全日本からの引き抜きで新日本に上がって猪木としょっちゅうシングルでやってた頃で、年末には電撃の前田日明率いるUWF勢がUターン参戦したり。学校の休み時間はプロレス好きな友達と大抵しょーもないプロレスごっこばっかしてましたね〜(笑)。


20140430njpw92







中3ですから勿論受験戦争真っ只中。オレはもうほんとにアホだったので、いやマジでびっくりするぐらいアホ過ぎたので、最初の進路相談の時点では担任にまず公立は無理って言われて。行けるとしても1番下のヤンキーだらけの男子校の工業高校しか無理と。なんやったらそこもギリギリ通るかどうか、みたいな。それより下の私立のアホ高校だとなんせ月謝がバカ高いから、頼むからどこでもいいから公立行ってくれと親にも言われ、しょーがなく必死に勉強して。とりあえず私立・公立問わず、ヤンキーだらけでしかも男子校なんて死んでも嫌でしたからね(笑)。つってもほんとにアホ過ぎたので、勉強って言っても初歩の初歩ぐらいのところから(苦笑)。公文式とか通いましたもんね。まあその甲斐あって、担任には当初「おまえの頭でそんなとこ行けると思ってんのか!?滑っても責任持てへんぞ!」とまで言われていた、それでも当時下から2番目の男女共学の公立高校になんとかギリギリ合格したんですけど。とにかく中3の時期はずっと勉強したり、勉強してる風を装ったりと、なにかと大変でしたね〜(苦笑)。



あの娘とスキャンダル / チェッカーズ





受験勉強の時には当時流行っていた、レベッカの『REBECCAⅣ』をよく聴いてましたね~。冬ぐらいの時期かなあ。確か兄貴の影響だったかと思いますけど。あとなぜか未だに非常に印象に残っているのが中村あゆみのアルバム『Midnight Kids』。確かクラスの仲の良かった女の子が「これめっちゃええから聴いてみて〜」ってテープ貸してくれたのを切っ掛けによく聴いてたからだと思うんですが、未だに聴くと一瞬にしてあの頃にフィードバックするというか。調べてみるとこのアルバムって実は前年に出ていて、85年に爆発的ヒットを記録した彼女の代表曲である『翼の折れたエンジェル』が入ってる訳でもないんですが、なぜか当時気に入ってずっと夜中に聴いてた記憶。特に、恐らくシンディーローパーの『TIME AFTER TIME』を意識して作られたであろうこの曲のイントロを聴くと毎回胸がキュンキュンします(笑)。



悲しみのセンセイション / 中村あゆみ





1985年は、もうこのブログでは何度も出てくる『ふぞろいの林檎たち』にどっぷりハマり始めた年でもあります。前にも書いたと思いますが、修学旅行の確か初日の夜にちょうど『ふぞろいの林檎たちⅡ』の最終話があって、男部屋はお決まりの枕投げが始まってわいのわいのの大騒ぎの中、オレ1人だけテレビの前に陣取ってテレビにかじり付いて見入ってたという(笑)。女子部屋は全員集まってその時間ばかりは静かに見入ってたらしく、翌日のバスはもう、前述の仲のいい女友達とはふぞろいの話しで持ち切りでしたね~(笑)。これも前に書きましたけど、当時人気絶頂のキョンキョンがいいともの『テレフォンショッキング』にゲストで出てタモさんに「もう最近はふぞろいの林檎たちの放送が毎週凄い楽しみで。ほんとに毎回生き方とか考え方とか色々考えさせられるんですよね〜。」的なことを言ってたのが非常に印象に残ってますね〜。ちなみにふぞろい観始めたのがパート2からで、85年の年末に関西地区では夕方にパート1の再放送が始まって。それはそれはもう毎夕を楽しみにして観てましたね〜。まだビデオとか無くて、仕方ないのでテレコのマイク部分をテレビのスピーカーの前に設置して録音するという、ラインアウトでもないライブRECという荒技で録音したテープをずっと聴いてました(笑)。録音中部屋に急に入って来たうちのおばあちゃんの声入ってたり(苦笑)。特にパート1の最終回は何十回聴いたかわからないぐらい。てかそのテープまだ持ってますよ(笑)。もうほんとに、初めて観た時からふぞろいの世界観が凄く好きでしたね~。お陰で全編流れるサザンも大好きになったし。オレこの先どういう人生送るかわからないけど、しょーもない学校行ってしょーもない就職先に勤めてもいいから、こんな人生だったらいいなあ~って幼心に漠然と思ったというか。そうか、そう考えたらふぞろいⅡ放映からちょうど30年か。なんかこれはこれでまた感慨も一塩ですね〜。。。

img_0







1985年という年は、初めて女の子と付き合った年でもあります。つっても今考えると、もう全然付き合ったとは言えないレベルですが…(苦笑)。中1の頃に同じクラスにちょータイプの子がいて。背が高くて色白で色素薄くてそばかすのある薄茶色のショートカットの、陸上部で運動神経良さそうなスポーツマンタイプのボーイッシュな女の子でした。あだち充の漫画で言うと『若松みゆき』みたいな感じの子(笑)。オレって当時は相当ちっちゃかったので、身長的にはオレより高かったと思います。喋りやすい子で、笑い上戸なのもあり、最初の席がまあまあ近かったのもあってすぐ仲良くなって。で、なんかの拍子ですぐプライベートで遊んだんですよ。同じクラスのもう1人男の子とその子とその子の友達の女の子と4人で。つっても確かうちでレコード聴いてくっちゃべって、それからチャリで近所のジャスコ行ってソフトクリーム食ったぐらいだったと思いますけど(笑)。でもそのジャスコ行くまでにたまたま同じクラスのバレー部の奴に遭遇して、翌日にはすぐクラスで噂されて。あいつら4人で遊んでたって。今時ならよくある話しでしょうけど、当時のど田舎のうちの地元では、あんまり男女が仲良く遊ぶとかって無かったんですよ。年頃的にちょっとまだ恥ずかしいっていうのもありましたけど。しかもまだ中1だったし。で、結構噂されて遊びずらくなってしまって。それ以降はプライベートで遊ぶことはなくなってしまって。



YOUNG BLOODS / 佐野元春





実は一目見た時からずっとその子のことが好きで。あ、名前はKってことにしておきます。第一印象から可愛い子だなあという印象でした。中2になってクラスは変わってバラバラになったんですが、やっぱずっと好きで。中3になっても違うクラスだったんですが、同じクラスのNって女の子と理科の時間がたまたま隣の席になったことでちょー仲良くなるんですが、毎回理科の時間は隣の席のそいつと授業中ずっと喋る様になって。Nはオレがずっと好きなそのKとたまたまとても仲良かったんですよ。なのでしょっちゅうKの話しが出てくることもあり、ある日勢いでNにKへの思いを話したら、N曰く「えー!長澤くんのことオモロい子やし可愛い可愛い言うてるし(当時はオレ可愛かったらしい笑)、いけるんちゃう??」って言いだして、仲を取り持ってくれると言いだして。正に、恐らくちょうど30年前の7月頭ぐらいの時期ですよ。そこからは結構早かったですかね~。確かもう翌日にはN越しにKから手紙が来て。「えー!そんな思っててくれたなんてビックリや~!」的な内容でしたが、全然満更でも無さそうな感じで。で、オレも手紙書いてNに渡して。何書いたか全然憶えてないけど(笑)。それを何度も繰り返してましたかね~。文通ですよ文通!(爆笑)。話しの流れ的にはもう付き合う的なていで話しが進んでいて。クラスも違うし外でもなかなか逢いずらかったので、1時間ぐらい早く学校に行って逢ったりしてましたかね~。つっても周りの目が気になって、Nも交えてほんの数分話して終わり的な感じでしたけど。なんせ田舎だったし、今みたいな男女関係がオープンな雰囲気は校内には無かったし、そういう噂が立つのが早かったですからね〜、、、。とは言えとりあえず、生まれて初めて意中の女の子と付き合えて(まあまだちょっとした初両思い的な感じですが)、当時のオレは宙にも浮くぐらい舞い上がってたと思います。いや、多分ちょっと宙に浮いてたかもってぐらい。



恋に落ちて -Fall in love- / 小林明子





夏休み入る前に1回だけ夜に逢ったこともありましたね〜。土曜日の夜。ちょうど30年前の今ぐらいの時期じゃないすかね??『オレたちひょうきん族』観終わった後に出掛けた記憶。お互いの家の中間辺りにある小学校の近くの売店で待ち合わせして。逢ったはいいけどどこ行く?って話しになって、当時Kが通ってる寺子屋みたいな(笑)ボロい建物の塾かなんかで、鍵空いてるから入れるとかで、狭い入口に横並びに2人座って話しただけなんですけど、1時間半ぐらいでしたかね~。ほんとに話しただけっていうか、緊張して何も話せなかった様な記憶(笑)。可愛いっちゃあ可愛いですけど、如何にオレがウブで奥手で度胸もない小心者の田舎モンだったか…(苦笑)。でも当時のオレからしたら、それだけで幸せ絶頂だったと思います。



土曜日の恋人 / 山下達郎





そうこうしてる間に夏休みが来て。とは言え毎日の様に塾に通ったり試験勉強はしてたんですが、もう常に彼女のことは考えていて。でも全然電話出来なかったんですよ。ほんとにチキンだったので…。親が出たらどうしよ…?みたいなのにビビっちゃってて。アホみたいにKから電話してくれるのをひたすら待ってたんですが、一向に掛かってこなくて。業を煮やして1回だけ勇気を出して電話しましたかね~。そしたら案の定おかんが出て。ちなみにKのおかんは学食のパン屋で働いていて、たまに喋ったりして仲も良かったんですけど(笑)。1回だけ塾に行く途中に渡る橋の上で反対側の歩道をお互いチャリで走ってるところで遭遇して。ほんとに一瞬でしたけど、お互いに気付いて。オレはもうそれだけで嬉しかったですね~。そんなこんなで悶々としてる間にどんどんと夏休みは過ぎ、夏休みが終わる前の1週間前辺りに登校日があったんですが、内心また逢えるかもってドキドキしてたんですが、そしたらまた手紙貰ったんですよ。でも帰ってから読んでって前置きがあったので嫌な予感はしてたんですが、帰宅して読んでみると案の定別れの手紙でした。明白なことは書いてませんでしたけど、簡潔な文脈からは"さよなら"的な意味は読み取れました。いやあ~~~もうほんとにショックでしたね。。。勿論せっかくの夏休み中たったの1度も連絡しなかったオレがアホ過ぎだし完全に悪いんですけど。相当立ち直れなかったぐらいショックでした。てか今考えるとほんとにアホ過ぎですよね~。フラれて当然です。とは言え間違い無く異性とのことでは、当時生まれてきて1番ショックでしたね。当分立ち直れなかった記憶。あ〜30年前に戻って当時のオレを慰めてあげたい(笑)。



シャイニン・オン君が哀しい / LOOK






あれから30年かあ〜と思うと、なんというか非常に微妙な感覚にも陥ります。長い様な短い様な。言うまでもなく色々あったし。現状の自分と当時の自分を照らし合わせてみたり。勿論当時の自分からしたら今の現状は想像も出来ないし、タイムスリップして説明しても理解に苦しむぐらいかも。人の人生ってほんとわからないもんですよねえ。いやあ、感慨深いです。

ちなみに1985年というと一般的には、
●『夕やけニャンニャン』放送開始、おニャン子クラブが社会現象
●松田聖子と神田正輝が『聖輝の結婚』
●LIVE AID開催
●日航ジャンボ墜落
●夏の甲子園で桑田・清原擁するPL学園が優勝
●ロス疑惑の三浦和義逮捕
●夏目雅子さんが急性骨髄性白血病により死去
●任天堂『スーパーマリオブラザーズ』発売
●『8時だョ!全員集合』が放送終了
●『ニュースステーション』放送開始
●淡路島と徳島の鳴門市を結ぶ東洋一のつり橋「大鳴門橋」が開通
●西武・森祇晶監督就任
●両国国技館オープン
●他、テレビでは『毎度おさわがせします』『金曜日の妻たちへⅢ 恋におちて』
『スケバン刑事』『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』
『アッコにおまかせ!』『さんまのまんま』『夜のヒットスタジオDELUXE』
●映画では『ビルマの竪琴』『乱』『Wの悲劇』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
『ランボー怒りの脱出』『ロッキーⅣ炎の友情』『ネバーエンディング・ストーリー』

など。
アラフォーの方にとってはこの上なく懐かしいんじゃないでしょうか(笑)。


5ecca0e2


ca03eff2


33b4eaa9


img_3


back-to-the-future-delorean


c0230049_8513680


dly1506240001-f1


42a5484f


We-Are-The-World







たまによく思うんですが、80年代が青春時代であり思春期で良かったなあって。古き良き時代というか。今考えると何も無かった時代ですからね。勿論携帯もパソコンも。ヘタしたらビデオも留守電も無かった家庭とかザラだったし。ほんとに不便でしたよ~。でもそのお陰で色んなことを考えたり労力を使ったりしたことって、今となってみればいい経験であり想い出でもあるというか。今のとても便利な生活も慣れてしまうと手放せなくなるぐらい素晴らしいモンですが、それもこれも何も無くて散々苦労してきたからこそ有り難みもわかるって部分も非常にあるし。なんかアレはアレで良かったなあ~って思うし、アレを実際に経験出来たっていうのは、ある意味人生に於いて非常に財産だとも思ってます。あの80年代の、テクノロジーが一気に進化して一気に世界観が変わった様な独特な空気感が、未だにほんとに好きです。音楽的にも、シンセサイザーを駆使したコンピューターサウンドが導入されて、80年代特有の雰囲気が漂う曲が非常に多いし。洋邦問わず、明るく軽快でカラフルで煌びやかなポップスの名曲も沢山あるし。一種独特の雰囲気を持っていた時代だと思います。かの松本隆さんがインタビューで「とくに80年代はバブルと重なったことで付加価値が付き、音楽の質が高くなった。文化はお金がかかるものだから、バブルでみんなが潤沢にお金をもっていたことが文化を豊かにしたんだと思う。景気のいいときには面白い文化が生まれるし、景気が悪いと文化もしぼんで廉価ものが多くなってきてしまう。」っておっしゃってましたけど、なるほどなあ〜的な。

まあそんな訳で、既にここ数日序曲的に暑いですけど、これから梅雨が明けて本格的に暑い夏がやってくる訳なんですけど、暑くなると余計に、特に夜中とかは、ちょうど30年前のことを色々と想い出してキュンキュンしそうですね~。ミッドナイト・キュンキュン・インサマーですよ!ま、今年は30年前とは違ってどうか楽しい夏になります様に……(苦笑)。




ミ・アモーレ / 中森明菜


天使のウインク / 松田聖子


BOYのテーマ / 菊地桃子


ふたりの夏物語 / 杉山清貴&オメガトライブ


Bye Bye My Love (U are the one) / サザンオールスターズ


Easy Lover / Philip Bailey, Phil Collins


Everybody Wants To Rule The World / Tears For Fears


Careless Whisper / George Michael


Say You, Say Me / Lionel Richie


We are the World / USA for Africa


1985年CM集

このページのトップヘ