2018年09月

2018年09月25日

 映画「食べる女」を見た。原作・脚本は筒井ともみ、主演は小泉今日子、監督は「手紙」の生野慈朗だ。

 雑文筆家の餅田敦子(小泉今日子)の営む古本屋「モチの家」では、敦子が人生に悩む女性達においしい料理をふるまって元気を与えていた。モチの家に集うのは幼馴染みでごはん屋の女将美冬(鈴木京香)、男嫌いで敦子の編集担当の圭子(沢尻エリカ)、「ぬるい」彼氏に物足りなさを感じるドラマ製作会社のAP多実子(前田敦子)らだ。また多実子が通うBARロマの常連客の古着ショップ店員あかり(広瀬アリス)は、男に都合のいい恋愛を繰り返しては後悔していた。ある日料理ができないことで離婚の危機に直面した外国人妻マチ(シャーロット・ケイト・フォックス)が美冬の店を訪れる。行く所のないマチはモチの家に居候して、美冬の店で店を手伝いながら美冬に料理を習うことになる。一方圭子は偶然知り合ったサラリーマンのタナベ(ユースケ・サンタマリア)が彼女のマンションを訪れて料理を振る舞うようになっていた・・・。

 「人生にパワーを与えるのは、おいしいゴハンと愛しいセックスだ」をコンセプトにつくられた映画だという。確かに食事の場面がたくさん出てきて、登場人物がいかにもうまそうに食事をしている。食事が人生にパワーを与えるのは確かだろう。登場する女性もそれなりに個性的で魅力的だが、生き方にはあまり共感できない。セックスの扱いも疑問が残る。見終わって卵掛けご飯が無性に食べたくなった。

http://www.taberuonna.jp/#intro


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H.NODAnhome at 22:42│コメント(0)映画 │

2018年09月24日

 映画「コーヒーの冷めないうちに」を見た。原作は2017年に本屋大賞にノミネートされた川口俊和の同名小説、主演は「ナラタージュ」の有村架純である。テレビドラマ「Nのために」「アンナチュラル」の塚原あゆ子の監督デビュー作だ。

 時田数(有村架純)が働く喫茶店フニクリフニクラは、ある都市伝説を持っていた。店のある席に座って数にコーヒーを入れてもらうと、希望する過去に戻ることができるというのだ。ただし過去に戻っても現実は変わらない、過去に戻っても店を出ることはできない、過去に戻れるのはコーヒーが冷めるまでで、冷めるまでに飲み干さないと元の時に戻れなくなる、などいくつかのルールがあるというのだ。店には噂を聞きつけた「後悔」を抱えた人々が尋ねてくる。アメリカに行くという幼馴染み五郎(林遣都)とけんかしたキャリアウーマン二美子(波瑠)、認知症の妻佳代(薬師丸ひろ子)を介護する夫康徳(松重豊)、家業の旅館業を嫌い家を出てスナックを営む平井八絵子(吉田羊)らだ。しかしお目当ての席にはいつも謎の女性(石田ゆり子)が座っており、彼女がトイレに立つ時を待たないとその席に座ることはできない。一方店には数に興味を持つ大学生新谷(伊藤健太郎)が通うようになっていた。周りに心を閉ざしていた数だったが、新谷との交流でしだいに心を開いてゆくのだった。しかし数と謎の女性との間には何か因縁があるようすで・・・・。

 「コーヒーが冷めるまで過去に戻れる」という設定が肝だが、辻村深月の原作を映画化した「ツナグ」を想起させる設定の映画である。ただ登場人物一人一人のエピソードが「ツナグ」ほど感動的ではないのが惜しい。全体を貫く数と謎の女性との関係と和解ももう一つスッキリしない。

http://coffee-movie.jp/


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H.NODAnhome at 18:57│コメント(0)映画 │

2018年09月06日

 女子体操オリンピック代表候補宮川紗江選手へのコーチの暴力問題が世間を騒がしている。日本体操協会がコーチの無期限資格停止処分を発表すると、それに対抗して宮川選手側が体操協会の塚原副会長・女子強化部長夫妻をパワハラで逆告発するという事態に至っている。しかしコーチの暴力の問題と体操協会幹部のパワハラの問題は、分けて考えなければならないだろう。今回はコーチの暴力問題に限って論じたい。

この問題に関しては、表向き「どんな理由があっても暴力はダメだ」と語る人でも、心の中では「理由のある愛のムチならいいのではないか」と考えている人が少なからずいるのではないか。しかしこの考えは間違っている。宮川選手のコーチは暴力を振るってもなお宮川選手に慕われるほどの信頼関係を彼女との間に築いている。そんな信頼関係があるのなら、暴力に頼らなくても指導はできるはずなのだ。暴力は相手に物理的な力で脅威を与えるものなので、たとえ相手が納得しているように見えても心に目に見えない後遺症を少なからず残すことになる。また逆に被害者がその暴力を必要な「愛のムチ」と認識したとすると、彼または彼女が将来先輩や指導者となった時、後輩や生徒に対して暴力的指導を繰り返す可能性が大きい。正に負の連鎖だ。

 自分の教師生活を振り返ってみても、さすがに体罰を行使したことはないが、きつい言葉で生徒を怒鳴りつけた場面は大概カッとして思わず大声を出した時で、後で考えればもっと別の冷静な指導の仕方があったなと後悔する場面ばかりだ。また自分が小・中学校時代に見たり受けたりした教師の暴力的指導で、納得できたものは一つもなかった。暴力は「指導」ではないのだ。理由をきちんと示し、相手が心から納得してこそ「指導」なのだ。

 さらに指導される生徒は一度指導者を信用してしまうと、できないのは自分が未熟だからだと考え、どんな厳しい指導にも理由もなく従うように自分を追い込んでしまいやすい。それは一種の洗脳状態と言っていい。だから師弟は常に「信頼」の中身を問わなければならないのだ。この関係は実はスポーツ界だけでなく合唱界にも当てはまる。名門と呼ばれる中学・高校合唱部の合唱が本当に生徒一人一人のものになっていたのかは問われなければならない。中高で生徒が燃え尽きてしまうような合唱は、所詮先生のための音楽にすぎなかったのではないか。

H.NODAnhome at 00:01│コメント(0)教育 | ニュース・社会

2018年09月05日

 話題の映画「カメラを止めるな!」を見た。俳優は全てオーディションで選ばれた無名の新人で、イタリアの「ウディネ・ファーイースト映画祭2018」で観客賞2位、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018」で観客賞を得た作品である。脚本・編集・監督は劇場用長編を初めて撮る上田慎一郎だ。

 とある自主製作ホラー映画の撮影が山奥の廃墟で行われていた。主演女優逢花(秋山ゆづき)がゾンビと化した恋人の神谷(長屋和彰)に襲われる場面の撮影が進められるが、監督の日暮(濱津隆之)は逢花の演技が「嘘っぽい」と納得せず、同じ場面の撮影がすでに42テイクに達していた。休憩に入った逢花が、神谷やメイク係(しゅはまはるみ)と歓談していると、突然扉の外で物音が聞こえゾンビが部屋に侵入しようとする。始めはゾンビ役の俳優かと思っていた3人だが、本物のゾンビであることがわかり、何とか建物の外へ押し返す。しかし助監督もゾンビに襲われ自身もゾンビとなって3人を襲い始めるに至り、3人はパニックに陥る。監督は「これぞ迫真の演技」と驚喜し撮影を続けるのだった。3人は建物内に籠城するが・・・。

 冒頭の自主製作映画の場面が37分のワンカットで撮られている。本当にワンカットなのには驚いた。ただしその内容と質は中学校文化祭のビデオ劇レベルなのだ。しかし「何だ、ワンカットだけが売りの映画なのか」と思って油断したらさにあらず。その後にあっと驚く抱腹絶倒の種明かしが付いているのだ。ネタバレになるのでこれ以上は書けないが、これはやはり脚本と編集の妙と言わなければならない。また出演している俳優が無名だがどの人も個性的で魅力的なのだ。この映画はたった300万円の予算でつくられたというから、やはり映画のできは予算の多少では決まらない。一躍話題となった本作だが、にわかに盗作騒ぎが起きてマスコミの耳目を集めることとなった。今は解散している劇団PEACEの演劇「GHOST IN THE BOX」が原作だと、劇団を主宰していた和田亮一氏が訴えているのだ。上田監督は「劇にインスピーレーションは得たが、脚本は全くのオリジナル」と主張している。私は演劇の方を見ていないので、どちらが正しいかはわからないが、この映画の肝が全体のプロットにあるのは確かだ。

http://kametome.net/index.html


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H.NODAnhome at 18:56│コメント(0)映画 │