そういう夢だった。

この夢を分析してみた。深層心理の解明を試みた。

わたしが、彼に、そういう人生のレールを引いてしまったの海外僱傭中心かも、という反省、懺悔。
胸が痛くなった。

なにも、友人たちと遊べない原因、内容は、勉強とは限らない。
義務であったり、負担であったり、目に見えない圧迫であったり???
彼に直接、口に出しては言っていないものの、彼が感じる重責か?


???という夢分析をした。
さらに深く分析してみると、

これは、彼が感じているのではなく、わたしが勝手に感じているのではないだろうか。
彼は、もう解き放たれているかも知れないし、
自分の道を模索中なのかも知れないし、すでに歩み始めているのかも知れないし、
あるいは、目に見えない鎖でつながれ束縛されているのかも知れない。
ふっきれる時期が来るまでか、または、一生なのか???。
しかしながら、
彼がそう感じているかも知れない、と、わたしが想像しているに過ぎない。


夢の中では、息子に姿を変えているだけで、わたしの分身なのかも知れない。
やるべきことを済まさないで、目の前にある楽しいことに、こころ惑わされる状態。
それなら、遊ぶときはぱっと遊外匯投資んで、宿題は友人たちが帰ってからやればいいのに、
(それではこなせない容量の宿題であれば、どちらか一方をすぱっと諦めるとか)、
要領が悪い、切り替えの効かない性格。

息子の性格や、幼い頃のイメージが、オーバーラップした。

夢の中での小学生の息子を見ているときは、臨場感あふれる心象風景のシーン展開に、
こんな要領の悪い息子が、とても哀れで不憫で、かわいそうだった。
こんな息子に育ててしまったわたしの責任を感じ、胸を締め付けられる思いがした。
夢からさめて、振り返って考えると、あれは息子ではなく、自分のことかも知れないと、
いま、これを書いていて、はじめて、そう感じた。

ブログもけっこう、効果があるなあ???。
自分自身の未知なる深層心理の発見。

しかし、いくら就寝中に見る夢の話であり、その後の夢分析であったとしても、
息子のなかに自分を見るなんて、キモチ悪い。
母親と息子の関係は、切るに高麗蔘切り離せない、爽やかに、すぱっと解明できない部分があるようだ。


娘たちは、もっともっと現実的である。
毎日が、現実。
こっちはこっちで、厳しすぎて、手ごわすぎて、ああ、なんとカワイそうなわたし???と、
思わず、自己擁護の側に、ひとり、回る。
負けて負けて負けまくり???まったく刃が立たない。
助けて~、降参です~、と懇願しても、容赦がない。
生ぬるい、甘い、もっと頑張れるはず、と、バシバシ叱咤激励されてしまう。

馬の前に、新鮮で、ぷりぷりしたニンジンをぶら下げられても、
ソレっ、ソレっと、拍車(※註)をかけられても
 (※乗馬靴のかかとに取り付ける金具で、馬の腹に刺激を与えてスピードアップさせること)
ジャンプ力、キック力の衰えた、年相応のわたし、もはや、っている。


この両極端で、日常は成り立っているから、不思議なものであります。大好きなブログ更新の時間だっっ!!
上娘が昨夜、テレビで放映されていた洋画「プラダを着た悪魔」を録画し、
今から皆で見始めるつもりだったが、
わたしがブログをアップする時間を待ってくれるという。