ジョシア・スタンプ卿 イングランド銀行総裁(1928〜1941)
◆シルビオ・ゲゼル

二階堂ドットコムでは涼風会、リチャード氏は独立党、『日本人の知らない恐ろしい真実』のabe氏はAnti-Rothschild Allianceをそれぞれ立ち上げている。目的に若干の違いはあっても、ともに既存のマスメディアに期待せず独自に情報収集をし、それを共有しようとするところに価値があると思う。ネットだけに多くは期待せず、しかしながら情報提供(時に掲示板による簡素な議論の場も)することで、世間一般の人々への何らかの動機付けしそこからどう枝葉が伸びて行くかにはあまり感知しない。あくまで動機付けに専念すること自体が目的であると思う。いずれも主体的行動者であるところは僕のような傍観者とは違う賞賛に値する人達である。またそんな人たちに集まる人間も不思議と社会的ステータスのある人が多かったりする。アンチ掲示板の真剣な議論を見てたりすると、まんざらこの社会も捨てたものじゃない気もしてくる。
そんな中で以前より気になっているのが新地域通貨制度である。上記abe氏も長年取り組んであられるが,19〜20世紀初頭にかけてのドイツ人経済学者シルビオ・ゲゼルの提唱した”時間とともに価値が目減りするスタンプ貨幣制度”である。簡単に言うと1週間あるいは1月ごとに紙幣にスタンプを貼らないといけないようにすることで通貨の退蔵を防ぎ、流通を促進させることで、銀行券の発行権をもつ各国の中央銀行の大株主達に代表される民間の大資本家達が金利生活者としてのらりくらり生活している今の社会の現状を打破していこうとするものである。
そしてこれらがなんと実際に導入されたケースがあるのである。以下それを紹介する。
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◆日本人が知らない恐るべき真実
第五章 もうひとつの「お金」は可能だ!
■5-7 ヴェルグルの労働証明書 00:09 2005-09-22
ゲゼルの自由貨幣理論を実践し、大成功をおさめたのが、オーストリア・チロル地方のヴェルグルです。世界大恐慌の影響は、このヨーロッパの小さな田舎町にも波及していました。当時、人口わずか4300人のこの街には500人の失業者と1000人の失業予備軍がいました。通貨が貯め込まれ、循環が滞っていることが不景気の最大の問題だと考えた当時の町長、ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーは、自由貨幣の発行を実践してみることを決意し、1932年7月の町議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。
ウンターグッゲンベルガー自身が地域の貯蓄銀行から32000オーストリア・シリングを借り入れ、それをそのまま預金として預け、それを担保として32000オーストリア・シリングに相当する「労働証明書」という地域通貨を発行しました。
この労働証明書は、1シリング、5シリング、10シリングの三種類からなり、
裏面には
「諸君、貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機、そして人類を貧困に陥れた。経済において恐ろしい世界の没落が始まっている。いまこそはっきりとした認識と敢然とした行動で経済機構の凋落を避けなければならない。そうすれば戦争や経済の荒廃を免れ、人類は救済されるだろう。人間は自分がつくりだした労働を交換することで生活している。緩慢にしか循環しないお金が、その労働の交換の大部分を妨げ、何万という労働しようとしている人々の経済生活の空間を失わせているのだ。労働の交換を高めて、そこから疎外された人々をもう一度呼び戻さなければならない。この目的のために、ヴェルグル町の『労働証明書』はつくられた。困窮を癒し、労働とパンを与えよ」
と書いてありました。
そして、町が道路整備などの緊急失業者対策事業を起こし、失業者に職を与え、その労働の対価として「労働証明書」という紙幣を与えました。
労働証明書は、月初めにその額面の1%のスタンプ(印紙)を貼らないと使えない仕組みになっていました。つまり、言い換えれば月初めごとにその額面の価値の1%を失ってゆくのです。ですから手元にずっと持っていてもそれだけ損するため、誰もができるだけ早くこのお金を使おうとしました。この「老化するお金」が消費を促進することになり、経済を活性化させたのです。
当初発行した32000シリングに相当する「労働証明書」は、次第に必要以上に多いことがわかり、町に税金として戻ってきた時に、そのうちの3分の1だけが再発行されることになりました。「労働証明書」が流通していた13.5ヵ月の間に流通していた量は平均5490シリング相当に過ぎず、住民一人あたりでは、1.3シリング相当に過ぎません。しかしながら、この「労働証明書」は週平均8回も所有者を変えており、13.5ヵ月の間に平均464回循環し、254万7360シリングに相当する経済活動がおこなわれました。これは通常のオーストリア・シリングに比べて、およそ14倍の流通速度です。回転することで、お金は何倍もの経済効果を生み出すのです。
こうしてヴェルグルはオーストリア初の完全雇用を達成した町になりました。「労働証明書」は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も完備され、ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森も植樹され、税金もすみやかに支払われたのです。
ヴェルグルの成功を目の当たりにして多くの都市はこの制度を取り入れようとしました。1933年6月までに200以上の都市で導入が検討されたのです。しかし、オーストリアの中央銀行によって「国家の通貨システムを乱す」として禁止通達を出され、1933年11月に廃止に追い込まれました。
このようなスタンプ通貨の成功は、大恐慌後の不景気に喘ぐ米国でも非常に関心を持もたれました。全国的な通貨不足を補うために何千もの地域通貨が、あらゆる小さな村や町で発行されたのです。エール大学の教授、アーヴィング・フィッシャーは調査団をヴェルグルに送り、以来、アメリカの自治体にもこのシステムが次第に導入されていきました。そして、このスタンプ通貨を法案化する動きも出ました。
1933年2月18日に、アラバマ州の上院議員ジョン・バングヘッドが「緊急のときは連邦政府も代用貨幣の発行を認める」という法案を提出しました。また、同年2月22日にインディアナ州の下院議員ピーテンヒルも同様の法案を下院に提出。フィッシャーも時の財務省次官ディーン・アヒソンに行政からの支持をお願いしていました。しかし、判断に迷ったアヒソンはハーバード大学のラッセル・スプラーグ教授に見解を求め、スプラーグは「このスタンプ通貨は機能するだろうが、強力な分権的意思決定を前提にしている。大統領と協議すべき問題である」と進言しました。その後の3月4日、ルーズベルト大統領は、スタンプ通貨の使用および発行を禁止し、中央集権化されたニュー・ディール政策を実施。従来の小さな政府による自由放任経済から大きな政府による統制経済へ移行していきました
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引用終わり。
このケースについて研究すれば(すでに専門家により研究されているだろうが)、いろんな問題点も見えてくるだろうしこれから先際限なく続くであろう格差社会を打破できるかもしれない。また序に言えば、地域社会の復活が叫ばれる昨今、大量の団塊の世代の引退に伴う新たな活躍の場も提供できるのではないだろうか?何も小学生の通学の警備監視だけでは物足りないのではないか?
最後に現在の資本主義経済と自然経済の共存をすでに提唱しておられる平和党公式ブログ(代表・大坂佳巨 低学歴・低収入・低血圧) も紹介させて頂く。氏のブログは最近知ったのだが、とても好感の持てるブログである。
◆自由地と自由貨幣による自然的経済秩序
(なぜ表紙にNWOと書いてあるのか不思議なのだが)

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