蒼野さんから11話が届きました。



夢。
多分、夢。
夢の中で俺は血を吐き、頭から血を流しながら木でできた剣を手にしながら荒い息を吐いていた。
周囲には5人もの男、そして正面にいけ好かない笑みを浮かべた誰かが立っている。

「ふわ~ははは! そら、見ろ知った事か!
 庶民が貴族に勝とうなどと言うのがそもそもの間違いなのだ!
 大口を叩いて全員を片付けると言った貴様の威勢はどうした?
最早死に体ではないか!」

そう何時の言うとおりで、夢の中だと言うのに俺は自分の身体を確かめる事ができた。
左腕、皹が入っている。右腕、肩が脱臼しかけている。左足、間接に違和感があって力が入らない。右足、辛うじて無事だったのはコレだろうが酷使しすぎて痛い。
こめかみを切ったのか、左目を覆わんくらいに血が垂れて行く。
地面をぽつりぽつりと叩く音、頬を撫でる暑さと冷たさ。
汗が服を湿らせ、土埃を髪に含ませて気持ちが悪い。

「貴族とは魔法を使うもの。魔法が使えるならばその身体を強化する事ができるのだ。
 それを? 凡人たる貴様が? 我を含めた6人をも相手にする?
 笑わせる! 笑止!
 口ばかりが達者では何も得られぬと言うことが今知れてよかったな」

気に入らない、バカみたいな語りの奴に負けるだなんてことが笑えて仕方が無い。
くくく、かかか。
奥底で笑みを殺し、身体に力を込めて再び構えを取る。
ソレを見た相手は、貴族の子と思しき人物は少しばかり眉を跳ねさせた。
口には言っている唾と供に血を吐き捨て、顎を伝う血を袖で拭う。
何を言っているのか夢を見ている俺としてはさっぱり分からない、何でこんな喧嘩になっているのかもわからない。
けれどもただ分かるのは――

『気にいらねえ……』

ただその一点だった、それだけで俺と夢の中の俺は一致した。
それだけで負けたくない、負けるわけにはいかないと気力を滾らせる。
俺はそのまま力を込め、一歩踏み込み――

~☆~

「――ち。だい――」
「ん……」

ペチペチ、ペシペシと頬を叩く感触に意識がゆっくりと浮上する。
何だろう、何が起きたんだろうと目蓋を開くが――視界が重ならない。
近視と遠視のような変な距離感でしか物が見られず、まるで酒で酔ったかのように一つのものが二つに見える。
――と言うか、右目が塞がっていた。
それでも此処まで視界がぶれるのであれば異常と言えば異常だが。

『全身に大小の傷口が有り。頭部から脊椎沿いに負傷が激しい』

人間の身体が表示され、頭が黄色く視界の隅で光る。
時間経過でその身体の映像は回転し、頭から胴体にかけて黄緑色へと変色している。
因みに緑色が万全の状態だ、その箇所が『死んだ』とされた場合は真っ黒、重傷になると真っ赤に点滅する。
右手を動かし、右目を覆っているものが何か触れてみたら包帯だった。
頭をグルグルと巻いているようで、どうやら右目は今のままでは使い物にはならなさそうだ。

「あ、気付いた」
「……あれ、何でレミリアが」

俺の頬をピタピタと触っているのはレミリアだった。
その背後には咲夜、そしてフランドールの姿も見える。
――少し遠いが、椅子に座ってパチュリーも居るようだ。
そして変な視界が緩やかに落ち着くにつれ、今居るのが部屋だと言う事に気がつく。
少し頭を動かすと直ぐ傍の机に鞘と剣、俺の鞄も置かれている。
呆然としている俺に対してレミリアは腰に手をあて、呆れたような表情を見せた。

「あのね……、三日も目を覚まさなかったのはどちら様?」
「え?」
「パチェから話を聞いたけど、何か魔法を使ったら大怪我したんだって?
 咲夜が直ぐに手当てしたけど、上半身は全部血に塗れていたといっても過言じゃ無いわね」
「……マジか」

三日?
全然分からない程だ、其処まで意識を無くして眠り込んでいたと言うのか。
携帯電話を取り出すよりも先に視界の方で意識して、日付をナノマシンから呼び出した。
――確かに、三日ほど経過しているようではある。
ゆっくりと上体を起こし、枕を腰の後ろに当てて顔を自分で触る。
欠伸が洩れ、寝ては居なかったんじゃないかと思った。

「来て早々だけど、貸しだからね」
「ん?」
「貴方が寝ている間に医者を呼んだのよ。
 傷口が全然塞がらなくてね、治療費とか薬代は負担したわよ」
「……すまん」

迷惑を掛けた、その事で頭が下がる。
両手をベッドに突き、上半身を下げて頭を大きく下げた。
――屈辱、と言う感情に似た所もあるだろう。
別に他人の世話になることが恥辱だなんて事は言わない、けれども誰かの世話になったと言う事がヒトとして恥ずかしいのだ。
迷惑を掛けた、もっとしっかりしていればかけないで済んだ迷惑だったのに。
それに対してレミリアは「はっ」と笑った。

「……一緒、ね」
「え?」
「あ、いいえ。こっちの話。
 けど別に気にする事ではないけどね。
 私は貴方を『招く』と言った立場だもの。
 貴方が勝手をして大怪我をするのも勝手だけど、許される限りはその面倒を見るのが主たる私の役目。
 少なくともそれくらいの矜持はあるわ」

そう言ってレミリアは、仕方が無い子ねとでも言わんばかりに笑みを浮かべる。
――なんだろう、何でだろう。
俺の居た世界は、どうしてこんなにも優しいヒトが居なかったのだろう。
俺が知っている限りなら、倒れたとなれば其処に漬け込む奴ばかりだ。
勿論高校生になってからはそんな事も無かったが、少なくとも油断出来る様な環境ではなかった。
それが、こんな――
バカみたいに、気を緩めることが出来るだなんて思いもしなかった。
心臓が、俺の知らない痛み方をした。
なまくらの錆び付いた刃物で斬り付けられるのではなく、鋭いガラス片で切り裂かれるような痛み。

「あら、お嬢様が矜持とは。
 珍しい事もありますわね」
「バカを言わないの。
 少なくとも立派であろうとしているだけ」
「立派、立派ですか。
 立派なヒトは気を失っているヒトに興味を持って、毎日神社まで押しかけたりはしないとは思いますが」
「べ、別にいいじゃない。
 咲夜だって大地見て少し興奮してたくせに」
「興奮ではなく、ただ驚いただけです」

――何の話だ?
よく分からないが、大きな迷惑を掛けたわけでは無さそうだ。
けれどもソレに甘んじるのは俺が許せない、許さない。
だから頭を働かせる、必死に考える。
何が出来るのか、何をもってして報いる事ができるのか。
考えて、考えた。
少なくとも二人が騒いでいる間に。

「大丈夫?」

フランドールが近寄って首を傾げながら尋ねてきた。
ソレに対して俺は大丈夫だと答えながら考え――

「……何か、恩返しをさせてくれ」

ただその言葉をもらす他無かった。
その言葉にレミリアと咲夜は静まり、フランドールも「ん~?」と訳が分からないと言ったようだ。
俺だって確かな何かを提示する事は出来ないが、この言葉だけでも吐き出さなければやってられなかった。

「何でもいい。
 料理だって一応出来る、掃除や家事も多分それなりには出来ると思う。
 他にも出来る範囲で、何か返させてくれ……」
「――別に、返してもらわなくてもいいんだけどね。
 けどソレは嫌なんでしょ?」
「――……、」

無言を肯定として受け取ったのか、レミリアは少しだけ目線を泳がせてからポムと手を叩いた。
――なんだ、その『今思いつきました』的な何かは。

「んじゃ、丁度いいわ。
 暫く此処で働いていきなさい」
「――例えば?」
「家事、洗濯、料理。
 あとは随時思いつきでエトセトラエトセトラだけど、此処の面子のお願いでも聞いたらいいんじゃない?
 例えばフランの遊び相手とか、私の暇つぶしとか」

そう言われて俺は少しばかり考え込むが、何故か一瞬空気が変わったような気がした。
それは興味、それは歓喜、それは驚き。
どうしても手に入らないと思っていたものが、手の届く居場所へと転がり込んできたかのような熱さが空気を占めた。

「え? 大地で遊んでも良いの?」
「お~い、俺で遊ぶってなんだか怖いぞ~」
「大丈夫大丈夫、多分バラバラにはならないから」
「バラバラになる要素有るの!? と言うか有ったの!?
 そんなヒトの相手させられるの俺!?」
「だいじょうぶ、きゅっとしてドカーンはしないから」
「何その『悟空~っ!!!』って叫びながら死にそうな技!?
 やめてよ! まだ死にたくないよ!
 ようやく『俺の旅はこれからだ』ってなったのに、次の週にもう『チ~ン』ってなってるの香山さんすんごい嫌なんですけど!?」

頭の中で今まで見て見た漫画やアニメでの似通ったシーンが浮かび上がる。
どう転んでも俺が痛い目を見る他無さそうな選択肢に血を吐きそうになった。
しかしそんな俺の突っ込みを持って戯れは終りだったらしく、全員シャンとする。

「兎に角、今は怪我を治すのに専念する事。
 医者が言うには何かが原因で傷口が拡大してるらしいし、今は処方された薬で何とか拮抗してるけど傷口が治癒しだして本来の再生力に戻るには一週間以上はかかるみたい。
 原因は分からないけど、それに関しては一緒に居たパチェが調べてくれてるから」
「一応調べてはいるけどね。
 けれども絞り込むには時間がかかるから、もし暇があったら顔を出してくれると突き止めるのにかかる時間が短縮できると思う」

そう言いながらパチュリーはこちらを見る事無く、ただペラペラと本のページを捲っていた。
ソレが何の本なのかは分からないが。     ――タイトルに『魔法での症状対策』と書かれている。

――多分ソレが俺に関する事なのかもしれないと思い、「有難う」と素直に述べた。
そこでようやくパチュリーは顔を上げる。

「ああ、貴方のおかげで図書館が酷い有様だから、ソレをどうにかしてくれるとありがたいわね。
 机、本、床、椅子。これらが全部血だらけ血まみれ。
 ――ああ、でも本を保護する項目に『血』を追加できたのは発見ね」
「あ、えっと。
 ご迷惑かけました……」

何かもう生きているだけでごめんなさいって感じだ、哀れにも程がある。
そんな俺を見て咲夜が小さく頷いた。

「では、そろそろ暇しましょうか。
 余り長居しても傷に響くかもしれませんので」
「それもそうね。
 とりあえず出歩く事は許すけど、無理だけはしないこと。
 ――無茶も、絶対にしないこと」
「あいあい、了解しましたよ――っと」
「またね~」
「――……、」

全員が去っていく、部屋がガランとする。
その瞬間、皆に軽く振っていた手を見て即座にベッドへと下ろした。
今心をキリキリと痛めたのはなんだろうか?
ソレすら自分で分からないほどに自分が分からず、ナノマシンで検索をかける。

『寂しい』

そんな単語が現れる。
手を見つめ、天上を見つめ、先ほどまで沢山のヒトが居てにぎやかだった筈の寂寥で満たされた部屋を眺める。

『大地、お前ゲーム好きだよな?』
『少なくとも、二階の自室窓から入ってきたお前に答える言葉は無いと思うが』
『冷たい事言うなよ~』

――外界で、似たような経験をしたという事を思い出す。
中学生から友人なんて一人も居なかった俺だが、何時しか仲間だと言う奴が現れた。
ソレは二人。
そして友人と言うには何かと奇妙な縁を持っていた。
先輩と幼馴染。

『こら~、何騒いでるのよ!
 変な事してると突き出すわよ!』
『よう、大地とゲームしてるだけだぜ?
 大乱闘! スマッシュブラザーズ! ってな』
『――……、』
『――ふ~ん』
『あ、信じてねえ!?
 って言うか大地、ポーズ解除して黙々と弱パンチ連打して地味にダメージ入れるな!』

気が付けば血と争い、そして生傷の耐えない独りぼっちの生活はなくなっていた。
毎朝勝手に押し入っては叩き起こし、時には食事を作っては食べて去ってく幼馴染。
かつては宿敵と言い渡してきた相手、今では同じ高校でずっとつるんでやまない。

『大地は――っと、啓介に遥(はるか)か。
 呉越同舟とまでは行かないが、二人が供に居るのは珍しい事だ』
『こりゃどうも、風紀委員長の拓郎殿。
 大地と啓介が騒いでたんで乗り込んだしだいであります』
『あ゛!? ゲームしてただけだって言うか何度同じフレーズを……
 大地、掴むな! 落すな!』
『うるせえ』
『うるせえ!? 何で大地に逆切れされてるんだよ!』

通りすがりで助けた都市で一番偉いヒトの息子、何故か高校が同じになった。
全部何が共通しているのか分からない、けれども何かが有ったとしてもこうやって集る事は少なくなかった。
それが楽しいのかと問われたら、小さく首を傾げるだろうが。

『大く~ん』
『あれ、マリ先輩だ。
 どうしたんですか? マリ先輩』
『んやあ、お菓子貰ったからお裾分けしようと思ってきたの。
 でも遥ちゃんだけじゃなくて啓介君に拓郎君まで居るなんて、ちょっとしたパーティーみたいだね~』
『あ、それならお茶淹れてきます。
 マリ先輩はここで待っててください。
 ほら、啓介行くわよ』
『俺ゲームしてるんですがぁぁぁああああっ!!!!?』
『拓郎に渡せば一番でしょ?』

何処かで会った事があるような気がする、一つ学年が上の先輩。
幼馴染の遥と風紀委員の仕事上良く組む事で記憶に新しい。
そんな、不良と学年警察のような相対する二つのグループが、仲良さそうにしているだなんて思うだろうか?
俺には到底思いつかないが――

『それじゃ、またな大地』
『ちゃんと健康的に生活しなさいよね~』
『では、またな大地』
『またね~、大君』

たぶん仲が良いだろう4人が去った後の何とも言えない空虚さ、物悲しさに今調べて出て気亜『寂しい』と言う文字はかなり近しいものだと思った。
停滞していた時間が、自分ではない誰かによって動かされてゆく。
普段では生まれる事の無い波が、何かを俺に齎してくれる。
それらに飲まれていった先にはやはり終りはあるのだと知ってはいるのだが、失う悲しさと言うのは知っている。

だから俺は手を握り締め、開き、その手を手の平へと叩きつけて小さく認めた。

「そうか、多分俺は――楽しかったんだ」


~☆~

「お嬢様」
「ん?」

大地の部屋から去った後、それぞれに散って行った後の事だ。
レミリアはパチュリーから渡された本を退屈そうに一ページずつ捲っては、眠気を覚ますかのように紅茶を啜っていた所だ。
紅茶には血が入っている。
定期的に血を飲まなければ吸血鬼とて力を発揮できないし、しまいには干からびてしまうからだ。
その血もただで供給できる訳でもなく、普通に考えて手に入れたいからと言って表立って手に入れられるようなものではないが。
そんなレミリアに対して咲夜が質問を投げかけた。

「あの……、実物を目にしたからには疑う余地もありませんが。
 しかし、『アレ』がそうだと?」

咲夜の態度には戸惑いが見える。
そこにあるのは不可解、理解不能、けれども否定できないのでどうすれば良いか分からないと言ったものだった。
ソレに対してレミリアは顔を上げる事すらせず、そのままページを捲りながら答えた。

「ええ、そうだって言ってるじゃない。
 だから私は連れてきたし、その為にどうすべきかを皆にも伝えたでしょう?」
「だとしても私には俄かには信じられません。
 存在しないものが現れる、それは――」
「むつかしい事考えないで、ただの神の証明だとしたら良いでしょう?」
「――……、」

レミリアは咲夜へと、別段何事でも無さそうに説明する。
存在しないと言うのは思い込みであり、其れが証明できないのは現段階で何かが足りないだけではないのかと。
其れは悪魔の証明ではないかと咲夜は突っ込みかねたが、それほど違う事を言っているわけではないので黙っている。

「いい? 悪魔の証明は『居ない証明をする』と言うこと、存在しない証明をするのに労力を割く。
 じゃあ神の証明にかかるのは『居ると言う証明をする』と言うこと、存在する証明をするのに労力を割く」

点、点、点。
咲夜は首をかしげ、神の証明もとい、神の存在証明とはその様なものだったかしらと疑問を抱く。
けれどもそれに関しては知り得ない事柄なので、訂正することも違うと声を上げる事も出来なかった。

「じゃあ、ここで一つ質問。
 類似点を述べよ」
「――捜す、と言うことでしょうか」
「惜しい、とだけ。
 正解は、証明がされていない時点でどちらにせよ『その時点ではどちらにせよ無いのと同じ』と言うこと。
 例えば私がかつて『大地と言う人物は存在する』と言う言葉に対して、同じように『大地と言う人物は存在しない』と言ったヒトが居る。
 其れを証明するには、私も貴方も捜さなければならないと言う事。
 そして同じように条件は課せられる。
 ヒトであるならば生きている、もしくはかつて生きていたと言う事を調べればいい。
 けれども証明すべきがそれ以外の何かであり、その時点での技術や力では知りうることが出来ないという事も考慮しなければならない。
 と言う事はつまり、『幻想郷に外来人は居る』と言うにしろ、『幻想郷に外来人は居ない』と言うにしろ、総力全力で幻想郷の全てを捜して出さなきゃいけないでしょう?
 それで結論はどうだったかしら?」
「――『香山大地と言う人物は、実際に存在した』、ですね」

咲夜の返事に「Capital」とレミリアは答える。
そこでようやくレミリアは本から顔をあげ、退屈だと決め付けた本に栞を挟んでパタムと閉ざした。

「大体、現在進行形で異変が起きているようなものよ。
 前兆予兆として見たものを幸せにも否定した者は貴女、見たものを不幸にも肯定したのは私。
 100人で同じ夢を見て、地震と津波が明日幻想郷を襲うとする。
 それを馬鹿馬鹿しいとして否定するのか、100人で見たのだから何かあるのかもしれないと備えるのか」
「お言葉ですがお嬢様。
 お嬢様には運命を操る事ができます。
 其れによって分かる事もあれば、操作できる事も有るので鼻から勝ち目など私には無かったのでは?」

そういう咲夜に対して、レミリアは少しばかり首を傾げ――

「え? 使っても意味無かったわよ?」

サラリと、そんな事を告げる。
咲夜は沈黙し、反芻し、そこでようやく「はい?」と聞き返すことは出来た。

「だから、運命なんか見ても操作しようとしても無理だったって事。
 咲夜、貴女も時間に関する能力が使えなかったんでしょ?」
「はい、そうですが――」
「其れと同じでね。何処かに『香山大地』と言う人物が絡んでいる運命は視る事も、操作する事も出来なかったのよね。
 つまり私は不干渉、駆け引きにおいては公平な立ち位置だったと思うけど。
 けど面白いわね……。もしかしたら彼は完全に切り離された存在なのかもしれないわね」
「と、申しますと――」
「地底の妖怪も心が読めないと言っていた。
 と言う事は、貴女も大体は察しが着いているのではなくて?
 其れとも其処まで『視て』無かった?」

そう尋ねるレミリアに、咲夜は少しばかり考え込んで「いえ」と小さく首を横へと振った。
其れを見て少しばかり満足したレミリアは、笑みを浮かべて話を続ける。

「なら、『アレ』の能力は分かりきったようなものでしょ。
 そして何処でどうなるか、もね」
「――つまり、レミリアお嬢様が彼の能力を知った上で欲すると言う筋書きもそのままに?」
「勿論。外来人と言うのは毒でもありえるけれども、扱いをうまくする事で薬にもなる。
 と言う事はつまり、『家事が出来て、掃除も洗濯も、料理も出来て。魔法が扱えて、剣技や格闘にも優れ、かつては英雄だと呼ばれた神殺しの傑物』を手元に置くことが、どれほどに面白いかは考えなくても分かるでしょ」

レミリアの言葉に咲夜はそれ以上の言葉は無く、ただ「――紅茶、御代わりを持って来ます」と言って部屋から下がった。

~☆~

ぶっちゃけだるいのだが、俺は30分ほどベッドでごろごろと休んでから自室を出た。
目的は図書館。
血をばら撒いたと言う、真っ先に『排除』すべき事柄があるからだ。
右目が塞がれていて微妙に距離感は狂っているが、それでも片目しか使えないという状況はコレが初めてじゃない。むしろ似たような感じで片目を塞がれる事のほうが多かった為、それなりに精度はあると思う。

「あ~、入るぞ~」

そう言って軽くノックを、戸を開ききってから図書館で言う。
当然返事は無く、パチュリーが居るだろう机の場所まではかなり遠かった。
まあ返事が来る訳がないだろうなと思いながらも小さく息を洩らし、ポケットに両手をつ込みながら本棚へと目線をやりながら歩く。

『部下を従える上司の気遣い100選!』『出来る部下は上司に褒められて伸びる!』
『アグレッシブに、其れで居て同僚に嫌われない仕事の仕方』
『時間を金に変える? 仕事が出来る人はこうやって働く!』
『簡単な人の操り方』『カリスマは地道に稼げ!』
『気遣いや約束を忘れてカリスマは育たない』『他者を思い遣る心とは何か?』
『心の闇、時には様子を見るのも大事』『声をかけてみよう、それだけで救われる命がある』
『パチュリー様の寝顔秘集』『レミリアお嬢様の微笑ましい場面』
『咲夜様の普通の女性らしい一時』『フランドールお嬢様が馴染むまで』
『門番のひと時、心を和ませる時間』『メイド妖精の楽しい時間』
『統治者する者の心得、こうやって貴族は殺された』
『マネーロンダリング、綺麗なお金を手に入れよう』
『事件を迷宮入りにするには猫は何匹必要か』
『武道の心得、生き残った者がルールだ!』

――うん、俺には難しそうな本ばかりだ。
何がどう難しいかは俺には何とも言えない、ただそれだけは理解して欲しい。
ずらずらと並んでいる本棚を通り抜けた先に前に辿り着いた机の間へと到着、そこの隅っこでパチュリーは場所をずらして先日と同じように読書中だった。
高く積み重ねられた本の山、辛うじて帽子が揺れてペラリペラリと捲られるページの音だけが聴こえる。
気付いてないのだろうか?
そう思いながら回り込んで近くで立つ。

「うい~っす、掃除に来ました~」
「――……、」
「……あら?」

真剣に読書をしていると言えば聴こえは良いが、コレは完全に没頭している。
何を読んでいるのかと其れを盗み見るが、ミミズがのた打ち回っているような字だから全く分からない。
視界に『ラテン語』と書かれ、文字が勝手に解読され始め――
うざいのでシステムを無効化、非表示にして視界をクリアにする。
確かにナノマシンは便利だが、コレを今までテストには使った事がない。
やろうと思えば視界に入れるだけで勝手に言語だって判別されるし、数式もある程度は解いてくれる。
情報を記憶して、必要な時に視る事も出来るのでカンニングし放題と言えばし放題だが――
何故だろう、其れをやった所で自分の頭が劣化するだけなので辞めた。
一度やってみたが、虚しいどころの騒ぎじゃない。
自分の力じゃない何かで得た勝利や結果と言う物は、心が空っぽになるものだと思い知った。
だから例え赤点を取ろうとも、自分の頭を使おうと思ってる。
拓郎だって『何かに頼ったヒトと言う物は弱く、脆いものだ。だから何時でも頼らずに済むよう自力を鍛えろ』と言ってたしな。
しかし、困ったものだ。
このままだと掃除をしに来たと言うのに何も出来ない。
頭を掻き、周囲を見ていると――誰かが丁度良くやって来た。
赤い髪、そしてその頭からなにやら黒いレミリアの羽根にも似たようなものが出ている。
背中からも出ている、多分彼女も人間ではないだろうが――
――あちらも、こちらに気がついた。

「あ――」
「えっと、初めまして――かな」
「は、はい。初めまして……」
「――……、」
「……――、」

会話が続かなかった、そして俺は頬を指でカリと掻いた。
其処まで口が達者じゃないと分かっている、だからこそどうしたら良いか悩むのだが……。

「あの……、此処を血で汚した本人なんで、出来れば掃除道具、場所――」
「あ、あああああ。わ、分かりました!
 ――パチュリー様は集中されているみたいですし、口頭説明よりは場所をお教えしますね」
「ああ、頼む」

彼女についててくりてくりと歩いてゆく、ポケットに突っ込んで手が良い感じに温まってきた。
けれども其れより先に空腹だけはどうにもし難い。
三日も寝ていたと言う事は、その間に取り入れるはずだった――九食! そう、九食も俺は食べ損ねている事になる!
しかも当日の夕食と今日の朝食を含めて十一食だ、コレは許される事ではない……
少し気を抜けばぐぅとでも鳴りそうなお腹、唾液を飲んで誤魔化す他無い。

「えっと、間違えてたらすみません。
 『香山大地』さん、ですか?」
「あ、うん? ううん?
 あ、うん、そ――そうだよ? うん」

お腹が空いていた為に半眼天上眺めだったので焦りに焦る。
そんな不審ともいえるような態度に彼女は別段気にはしなかったようだ。
少し居た堪れない。

「私は『小悪魔』と呼んでください。
 と言っても名前では有りませんが」
「無いのか?」
「種族名ですしね、少しおかしな話かもしれません。
 けれども悪魔界では『真名』なるものもありますし、此方は知られてしまうと絶対服従、心臓を握られているのと同じになってしまいますので」
「ふ~ん、面倒くさい事だな。
 ――自意識でこの館に?」
「いえ、一応パチュリー様に従ってます。
 主に身の回りの世話や、この図書館でのお仕事をしておりますね。
 ――先ほども見たとおり集中すると時間も周囲も分からなくなるので、頃合を見て紅茶や甘味を差し入れたり、時間をお教えする事も大事ですから」
「ああ、確かに。
 さっきの様子じゃあ四時間経過してようやく顔を上げるだろうしな……」

さっき見た時の本の山、そして分厚い数々の本。
アレをもし俺が読むとしたら――
――多分、夜になっても半分は読める気がしない。
俺の言葉に小悪魔はふふと笑い、それに俺はやれやれと肩を竦めた。

「そういえば、大丈夫なんですか?」
「何が?」
「その頭、包帯が物凄い巻かれてますけど。
 其れに先ほどの場所もまだ清掃が終わってないですが、当時は凄い血の量でした。
 話によれば三日も寝ていたとか」
「あ~、これ?
 多分大丈夫だろ、痛まないし。
 片目が塞がってるのは少し不便だけど、コレがあると頭が文字通り引き締まって眠気がさめる」

等とは言うが。実は頭痛のように頭が痛む。
ポケットに手を入れているのも、実は震えるのを隠しているだけだ。
喧嘩の後遺症か、首から下の痛覚や感覚が豪く鈍い。
だから手も動かすと言う事で問題は無いのだが、止めているとプルプル震えてしまうのだ。
遊ばせておくと完全に薬中かアル中みたいなので、ポケットに手を突っ込む事が多い。
それに、どんな負傷をしたのかは分からないが腕に至るまで、まるで乾燥しきったが故に亀裂が入ったかのように皮膚が罅割れている。
長袖で隠れてはいるのだが、手首までは隠せないのでこうする次第である。

「怪我をしたり病気をしたりして一番厄介なのは退屈なんだよ。
 だから掃除だけでもチャッチャカ終わらせて、ついでに本でも見繕って部屋に戻ろうかなと」
「けど、三日経つんですよね?
 其れにしては物々しい様相だと思いますが……
 それにその包帯、新しいはずなのに赤くなってきてませんか?」
「――……、」

携帯電話を取り出してみてみるが、そもそも画面が黒くてよく分からなかった。
指を這わせてみても湿り気を感じる事があまり出来ず、それが新しい出血なのかすらわからない。
諦めて、ただの言い訳を口にする。

「違うんじゃないか?
 俺は別に傷口が開いたような感じはしないし、多分まだ乾燥してないだけだろ」

そうは言うのだが、子悪魔は小さく溜め息を吐いて俺を見る。
その眼は俺の発言を全く信じていないものだった。

「はいはい、嘘乙――ですかね。
 そんな大怪我して痛みも何も無いだなんていう言葉を信用するなと言うのが無理です、その証拠に――」
「!? ――……、」

デコピンが俺の頭を叩く、それに一瞬「ぐ」と言う呻き声が喉から搾り出されそうに鳴るが、其れを何とか堪えると小悪魔は半眼ジト目で俺の表情を全て見ている。
そして更に連打、連打、連打。
ビシビシバシと叩きつけられるデコピンに喉が引きつって仕方が無い。
それどころか眼球が熱くなってきた、多分見えてない方は涙が流れている筈だ。

「止めろ、止めて、およしになられての三段活用!
 ざけんな、ざっけんな! お前さん初対面の相手をボコにするのが趣味なのか!?」
「あ、そうでした。初対面でした……」
「まず其処!?
 さっき交わした挨拶ですら既に遠い過去のお話!?」

小悪魔のデコピン乱舞から逃れ、頭を抑えながら何とか痛いとすら言わずに済んだ。
そんな俺を見て小悪魔は少しばかり複雑そうな顔をする。

「いえ、初対面の筈なんですけどね。
 私には初対面じゃないと言うか、何と言うか……」
「――いや、それは何か本格的に意味が分からない」
「たとえるならそう、まるでデジャヴのようなものなんですよ。
 確かに初めて会ったんですけど――うにゅ~っ……」

言語化して説明しようとする小悪魔、そんな彼女は言葉にする事がいかほどに難しいのかを語るかのように言葉に詰まった。
顔を赤くして、どうにかしようとする様はとてもじゃないが可愛らしくて仕方が無い。
そんな彼女に俺は自然と手が伸びた。

「えう?」
「まあま、そういうむつかしい事はどっかのお偉いさんに任せとこうぜ?
 また今度整理がついた時にでも教えてくれればそれで俺はいいからさ」

ぽんぽん、なでなで。
そんな感じで小悪魔の頭へと手を伸ばしていた。
そう言えば昔、「アンタは気安く人の頭撫でるけど、其れ止めなさい。だってごにょごにょごにょごにょ……」等と、幼馴染が言っていたな。
その理由は分からないが、理由が説明されなかったのでどうでもよかった。
――撫でてみると分かるが、人と言うのは存外温かいものなのかもしれない。
鈍い温かさが手に伝わってくる。
そんな事をしていると、少しして笑みを浮かべた小悪魔に避けられた。

「あら、ナンパですか?」
「難破? 海なんか有ったか?」
「あ、ああ――いえ、そうでしたね。はいはい、無意識無意識と」
「……なんかバカにされてるみたいで腹立つわ~」

気のせいですよ。
そんな事を言ってから小悪魔は掃除道具が詰め込まれた場所を教えてくれた。
――地味に遠い、けれどもキロ単位で離れている訳じゃないから助かる。
異世界にきてもモップはモップで、雑巾は雑巾でしかない。
むしろこれで魔法を扱うから生きた魔導具が雑巾やモップ代わりで、ゲヘゲヘグギャア言っているのを使って掃除するよりは断然マシだ

「水はどうしたらいい?
 まさか更に遠い場所から汲んで来いだなんて事にならないよな?」
「そこは、アレですよ。
 魔法使いの特権と言う事で」

バケツに水を入れ、モップと雑巾を装備してそのままパチュリーの居た場所へと戻る。
見ていて壮観ではあるが、やはり血は拭うにしても、落すにしても時間がかかるものだった。
匂いに関してはもうはや洗剤とか香料に頼る他無く、パチュリーは幾許か迷惑そうにしていたが――

「片目だけでよく其処まで動けますね。
 右目、塞がっているのに右の方も見えているみたいで」
「右目が塞がっているなら左目を動かしてその分をカバーすれば良いだけだしな。
 後は何処に何が有ったか覚えておく事と、音と気配をしっかりと感じる事かね。
 物の場所は自分を除いた第三者が動かさない限りはそこにある、となれば注意すべきは周囲に居るヒトだけだ」
「あ、えっと。『気』と言う奴ですか?」

小悪魔の言葉に俺は頷く。
俺の進学した高校では、主に都市を襲う汚染獣とやらを撃退する為に戦う生徒を育てる。
其処では戦う事を学び、人類が生き延びる為に化け物と戦う事を教わるのだ。
とは言え、俺は優秀だったかと言われたらそうでもない。
肉体を強化したり、気配を察知したり、回復を促進させたりする為に必要な『気』において一歩踏み出せないままだからだ。
気配を察知まではできる。
けれども自分や他者の気を操って回復を促進させる事も、身体を強化して攻撃や防御を増す事も出来ない。
つまり、凡人にしては戦える。ただそれだけなのだ。

「俺に出来るのは自分を基点にした半径数メートルまでの範囲で、動いているヒトと自分に対して向ける負の感情に対して敏感なだけかな。
 害意や悪意、そういったものを『掴みやすい』」
「なるほど。
 でも逆に正の感情、好意とか愛情には気付かないんじゃないですか?」

そんな小悪魔の問いに俺は――

「あ? 何それ?」

全くもって理解できず、すぐさまそんな答えを返していた。
小悪魔はその瞬間、まるで理解できないとでも言いたそうに感情と言う感情を全て消して俺を見ていた。

「――辞書、見ます?」
「バカにすんな、辞書的な意味では理解してるっての。
 けどさ、好意とか愛情とか言う『概念』なんてのは、誰かの都合の為に作ったものでしかないだろ?」
「……そう、ですか」

そう言ってから小悪魔はポツリと「……可哀想なヒト」と言った。
それに俺は怒るでもなく、嘲笑するでもなく。ただただ受け流した、聴かなかった事にした。
可哀想なヒト? 何で?
何でそんな発言をしたのか、何でそんな事を思ったのか分からない。
血だらけだった図書館を掃除し、掃除道具を片付けながら変な沈黙が重苦しかった。
無意味に右目を覆っている包帯を指先で叩くが、強く巻かれた包帯は目蓋に振動すら伝えてはくれなかった。

「……友人は、居なかったのですか?」
「友達? なんだそれ」

友人なんてモノは手の平を直ぐに返す。
自分に被害が及ぶと知れば、あからさまに他人へと舞い戻る。

「――ご家族は?」
「子供の時に二人とも居なくなった、だから殆ど自力で生きてきた」

小学生の半ばで親は居なくなった。
さや姉――さやかが居なければ俺は飢えて死んでいた。

「じゃあ……、ずっと独りだったんですか?」

そう問われて、俺は沈黙する。
――あれ、そう言われるとなんだか空っぽな気がしてきた。
ずっと独りだったのだろうか、ずっと誰とも関われずに生きてきたのだろうか?
そう考えて――

「仲間は……居た」
「仲間、ですか?」

ああ、そうだと言って説明する。
友人は居なかったけれども、多分傍に居ても唯一安らげる間柄の奴らなら居たのだと説明する。
幼馴染の岸堂遥(きしどう はるか)、先輩のマリ・セルギエント、喧嘩仲間の槌田啓介(つちだ けいすけ)、理解者である星野拓郎(ほしの たくろう)。
彼ら、彼女らが俺にとって――多分、友人ではないけれどもそれ以上の存在なのだろうといった。
其れに対して先ほどの沈黙から生じた重さを小悪魔は自身で打ち砕いた。

「なら、その人たちは貴方が好きだったんですよ」
「――けどさ、俺は褒められるような生き方はしてないぞ?
 むしろヒトとしては不良に足突っ込んでいるくらいだ。
 迷惑も沢山掛けた、傷けた事だって何度もある」
「それでも貴方と、香山さんと一緒に居たいと思った、願ったからこそ傍に居るのでしょう?
 迷惑掛けられても、一緒に居る事で傷ついても構わないと思う。
 其れが好意だと思いますよ。
 では逆に自分が同じだとしたらどうします?」

その問いに対して口を開き、そして言葉にしてから閉ざした。
其れに対して小悪魔は満足する回答だったのだろうと、吐き出した言葉に自分でも少し首を傾げるのだが、不思議と溶け込んでゆく。

「――香山さんは、感情表現が下手そうですしね。
 自分のなさっている事がどのような影響を与えるか分からないでしょう?」
「全然。と言うか、基本何も考えてない」
「では、一つずつ学んでいけばいいと思います。
 どのような生を今まで送ってきたか、他人である私が知る事は難しいです。
 けれどもその時学べる筈だった事は、今でも学べる筈ですから」

へえ、と。何の気も無く洩らす。
どのような事を学べたと言うのだろうか、其れが俺には分からないのだが――
ポム、と。
気が付けば小悪魔の手が頭に載っていた。
優しい笑顔を浮かべ、俺の頭を優しく撫でてくれている。

「好意と言うのは、こうやって触れても大丈夫な間柄の事を言うんですよ。
 見知らぬヒトとか、嫌いなヒトにこうやって触られたいですか?」
「――それは、嫌だ……」
「そういうことです。
 親しくなると共有する時間、場所、世界、感覚と言うものが増えてくるんですよ?
 同じ空間で誰かと寝たり、一緒に話をしながら食事をしたり、一緒に買い物に行ったり……
 色々有るんです」
「ん――んぁ」

小悪魔に、さっき自分がしたように頭を撫でられる。
そういえば、夢を見たときも八雲紫に頭を撫でられた記憶が有る。
その時と同じように温かく、優しく、落ち着く。
母親がそうしてくれたように、たしか――あの父親もそうしてくれたように。
――何で、俺は心がこんなにも痛むのだろう?

「だから、香山さんは今私が伸ばした手を避けたり嫌な顔をしなかったでしょう?
 其れが『香山さんの、私に対する好意』です。
 そしてさっき私が其れを避けなかったのも、避けなかったのも、嫌な顔をしなかったのも『私の香山さんに対する好意』なんです。
 そして、香山さんが私に手を伸ばしたのも香山さんの好意で、これは私の好意です。
 ――分かりますか?」
「……多分」

包帯越しに小悪魔の指が何処に触れているのか分かる、髪が鋭敏にも指に揺らされ動いているのも感じる。
笑みを浮かべてなんだか楽しそうにしている小悪魔に、俺は少しばかり唇を尖らせた。

「なあ、楽しんでないか?」
「はい。楽しいですよ?」
「むぅ……」

暫くそのまま小悪魔に撫でられ続けた、俺はその度に心が疼く。
傷口に塩を塗るような傷みが心を締め付け、其れとは別に気持ちだけは温まっていった。
そのまま時間を忘れかけ、パチュリーのところに戻ろうと言って俺は足を進めるのだが――

「あの――」
「ん?」
「英雄と神様って……、ご存知ですか?」

ふと、小悪魔がいきなりそんな事を尋ねてきた。
脈絡も無いし、何でそんな話になるのか理解できない。

「英雄? 神様?
 ――知らないな」

英雄とか神様とか、そういうのとは多分縁遠いだろう。
英雄と言えば俺の知っている限りだと歴史の人物か、もしくは人類が滅亡しないように貢献している人物かだ。
そして神様といえば宗教になるだろう。
俺は、別に神様を信じてなど居ない。
ただ居るのかどうかを問われたら居ると思う。
――多分何処かで人間が苦しんでいるのを、足掻いているのを見ているのだろう。
そうでなければ、何故誰も救わないのか気になる所だが――

――『ワ――し、は。世界を――』――
――『頼む、ころ――て、……れ』――

……変な映像が見えた。
廃墟、瓦礫と化した街中で俺は貼り付けられた虫の如く、コンクリート片から突き出た鉄線に腹を貫かれながら座り込んでいた。
助からない、そんな眼の前に言葉には出来ないなんとも言えぬ何かが居る。
そして喋っている。

――『……誰なんだよ、手前』――
――『カ、み――』――

小悪魔が見えなくなった、頭を振って何とか映像を取っ払おうとする。
すると今度はなにやらちんちくりんの女の子が視界へと入った。

――『わしは創世の神! 全ての生き物の母、そして大地じゃ!』――
――『はは、まだまだ甘いのじゃ! それよりも、お菓子はまだかのう?』――

先ほどの化け物と、何の関係があるのか分からない。
けれども、もう一度被りを振れば今度は小悪魔がちゃんと見えた。
不思議と吐き気も、頭痛もしなかった。

「あの、大丈夫ですか?」
「――パチュリーと話をして、さっさと戻るよ」
「その方が良いと思います。
 なんてったって、香山さんは痩せ我慢選手権第一位を取れるくらい嘘吐きですから」

なんていう小悪魔。
痩せ我慢選手権なんていつ開かれたのか?
そんな事を聴いても、きっと思いつきで言ったのだろうと考える。
しかしさっき見た小さな子、何処かで――覚えが――










※ 迷惑を掛けた
大地にとって他者に迷惑を掛けるのはとても恥ずかしい事だと思っている。
これに関しては両親の教育と、幼い時に色々教えてくれたお姉さんの考えが色々とごっちゃになっている。
掛けなきゃいけない迷惑に対しては幾分許容できるが、過失によって与えた迷惑に対しては頭が上がらないくらい重い罪のように思っている。
それとは別に、迷惑を掛けることがイコールで弱みになると思っている場所も有る。

※ 気を緩める
高校に入ってからようやく喧嘩生活と区切りがついた物の、それでも街中や自宅でさえも気が抜けなかった。
家の中でこそ横になって眠る事はあるが、それ以外の場所では横にならずに座って壁にもたれて眠る。
泥のように眠っていなければ、声を掛けたり扉が開いたりする音でも眼が覚める。

※ 寂しい
幼くして両親が居なくなり、中学生になってから感情と言う感情を忘れてしまった。
なので感情と言うものがよく分からなくなり、心の波は大体平坦。
楽しいと言う事でさえも分からず、精神に異常があると分かる。
PTSDと統合失調の併発をしている為に、寝ても醒めても休まらない状態。

※ 岸道 遥(きしどう はるか)
大地の幼馴染。同い年の女性。
父親が互いに仲が良く、その繋がりで家族ぐるみの付き合いをしていた。
幼稚園、小学生と一緒だったが途中で転校。
中学生の時に喧嘩しまくっていた大地を発見して風紀委員になることを決める。
エレベーター式の学校なので今も別の高校に通ってはいるが、昼休みや下校時間にはしょっちゅう様子を見に来る。
能力はテレポートで、知っている場所であれば座標指定で転移できる。
父親が既に寂れて久しい神社の跡取りで、別に形式ばる事もなく悠長にしているが、巫女さんとして毎日健気に掃除をしたり手入れをしに行っている。
老人や願掛けをする人々が疎らに来る程度で、別に催し事をやっていたり神を祀っているような事は無い。

――☆――
大地の母親が異世界の人物であるのと同じように、彼女の母親もまた異世界の人物である。
此方は大地の母親の面倒を見ていた教育係であり、教育係ではあるが幼くして抜擢された娘である。
実は超能力などではなくただの魔法使いであり、超能力者であるという事も実は出鱈目。遥は貴族の血を引き継いだれっきとした魔法使いである。
小学生の時に大地と供に事故に巻き込まれその事が原因で転校、ショックを受けて全てを忘れようとしていたが大地との再会で大地を助けようと決める。
大地が命の恩人なのだが、大地もまた事故のショックで全ての記憶を失っている。
『さや姉』について知っている。

※ 槌田啓介(つちだ けいすけ)
大地の仲間。
中学時代に出会ったライバル的存在であり、事あるごとに大地と激突していた。
だが途中で自分が騙されていて、大地が悪者に仕立て上げられていたと知って和解。
その馬鹿さ加減と真っ直ぐさから大地に初めて出来た『仲間』となる。
高校では頭が良くなく、これしかないと思って選んだ先で大地と出会い同じクラスになる。
能力は『肉体強化』で有り、脚力や腕力などを強化できる。眼力は強化できない。
成績は大地と並んでサボりまくっているので頗る良くなく、一週間前になって星野拓郎(後述)に縋ってようやく赤点を取るか取らないかのラインでテストを通過している。
喧嘩時代の渾名は「暴走機関車」であり、走ってなぎ倒しまくる様を表している。

――☆――
都市の方針に疑問を抱き、裏で色々と別の仲間を集めて行動していた。
超能力の開発と言うことが実は何かの実験ではないのかと踏み、色々と嗅ぎ回っている。
ただし高校に入ってから勧誘された口で、まだまだ下っ端。
大地に関して色々と不審に思うところがあり、彼の扱いが余りにも異常である為に囮として探ろうとしている。
ナノマシンの改造も実はその一端であり、本来であれば即座に通達が来て罰せられる事も知っている。
だが大地含め、啓介も未だに罰せられることが無い。

※ 星野拓郎(ほしの たくろう)
大地の仲間その2。
中学時代、大地が啓介と和解して供に行動するようになってから出会った。
大地たちの住まう都市を管理している『統括理事長』の息子であり、誘拐されかけていた所に喧嘩で雪崩れ込んだ大地たちが巻き添えで誘拐犯をぶっ飛ばして助けた。
その立場ゆえに隔たりの有る関係しか持てなかった彼だが、大地と啓介の接し方が変わらなかったので二人を信用・信頼して供に行動するようになる。
高校は大地や啓介と同じ場所に入り、クラスでさえも同じである。
能力は思考を分割して並行させて行うことが出来るというもの、人間の脳でコンピューターに劣らない計算や考え事が出来る。
本来であればエリートである筈なのだが、何故その様な高校に入ったのかと周囲に滅茶苦茶不思議がられている。
風紀委員の長(学校での風紀委員リーダー)をしている。

※ マリ・セルギエント
大地たちの通う高校の先輩、そして風紀委員。
ほんわかとした喋り方と、他人を思い遣る行動から評判が良い。
風紀委員の仕事をこなしながらもその傍らでバイトをしている、勉強も頑張っている。
だがそれらが表に出ないような性格や語りをするのであまり分からない。
能力は「時間を操る」と言うもので、十六夜咲夜と全く同じことが出来る。
ただし此方では、大地は彼女の時間に関する能力に影響されていた。

――☆――
孤児院の出であり、バイトや勉強を頑張っているのは孤児院へと恩返しをする為である。
孤児院に居た子供の時、大地や遥と出会って何度か遊んでいた。
両親が居ないことを泣いてばかりいたが、二人と遊んでいて励まされた。
久しぶりに会った大地が様変わりしていただけではなく、記憶すら失っていた事でショックを受ける。
遥と話をして、大地が昔の出来事と中学生の時の出来事で昔の事を忘れ、塞ぎ込んでいると知って遥と供に立ち直らせようとしていた。
高校生になって遥と再会してからは、定期的に二人で孤児院へと遊びに行っている。


※ どうでもいいこと。
左目と右目と言うのは、作者にとって右目は霞んでいるもので、左目は良く見えるというものである。
それを置き換えると『幻想であるが故に良く色々と見てしまう左目』と『曖昧であるが故に現実の見通しが立たない右目』と言う事になり。
大地も同じく『右目とは現実を見るもの』『左目は現実ではないものを見るもの』と言う風に分かれている。
つまり右目がふさがれている今の状況は……