2009年03月05日

 以下の文章は、2007年7月27日に当ブログに投稿したものである。
 採録をお許しいただきたい。
 今回の小沢一郎氏の政治献金疑惑。
 小沢氏自身が真っ黒だと私は信じる。
 自民党の幹事長時代から、金権政治の権化のような角栄、金丸の下で辣腕をふるった小沢氏のなれの果ては近々見られよう。
 小沢氏については、何度となくこのブログで取り上げた。
 再読していただきたく、URLを記す。
 http://blog.livedoor.jp/nidowarashi/archives/51153954.html

   2007年のブログは次の通り。
                                              参院選、当地ではいたって静かである。
 県都といっても人口約二十三万の中都市近郊に住む私の地域に選挙カーが来たのは二度だけで、選挙区に立候補している某候補の車のみである。
 期日前投票を済ませた私にとって静かなのは結構なことではあるが、いささかもの足りない。

 各党党首、全国をへめぐっての選挙戦。「自民党劣勢」というアナウンス効果がどれほどの揺り戻しをもたらすのか興味深い。

 自民党への逆風。「何を聞いても信用できぬ」という有権者の思いが本物とすれば修復は効くまい。

 与党にすがりつく公明党については一言だけ。
 どうしようもない宗教政党である。「平和、福祉、環境、人権、教育」のスローガンが泣いている。

 一方の野党。                                          私がどうしても民主党に与し得ない理由はただ一つ、小沢代表の存在である。
 彼は自民党以上に自民党的な人である。新党を作っては壊しを続けてきた小沢氏は単に権力指向の人である。

 金丸信との関係ひとつとっても彼を信じられない。
 金丸信の懐刀として暗躍した一時期を忘れてはならない。
 金丸の佐川急便からのワイロ事件。
 隣室に居て時折お茶を運んだだけで、金銭の授受現場には居ず茶坊主にすぎなかったと、小沢氏は弁明するが片腹痛い。
 殿に仕える茶坊主は、すべてを知っているが他言しないだけである。

 新党日本、国民新党は措くとして、
 共産党と社民党、特に社民党にはふんばって欲しい。
 私自身は共産党に近い考えを持つが彼らの頑なさにはついて行けない。

 私は炭坑労働者であった父ともども日本社会党の支持者であったが、最近はその時々で判断している。
 社民党の護憲論は、右傾化の進む風潮に釘を刺す意味で貴重な存在である。

 社民党の低迷は連合の存在が大きい。
 総評が連合に合流して、右から左まで烏合の衆である民主党を支持、その後社会党支持層の票が元社会党議員のいる民主党に流れた。
 労働運動の脆弱化も社民党離れを助長している。

 今回、選挙区は白紙、比例代表は死に票覚悟で社民党に投じた。

      ……………………………………………………

  国政の成就は衣食に窮する人なきにあり
                        島津斉彬

 



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2009年02月26日

 新財務相に任命された与謝野馨氏は、祖父母に与謝野鉄幹、与謝野晶子を持つ。
  やわ肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君
  その子二十櫛にながるる黒髪の おごりの春のうつくしきかな
  海恋し潮の遠鳴りかぞへては 少女(おとめ)となりし父母の家

 数え上げればきりがないほどの名歌を残した浪漫派の与謝野晶子は、種田山頭火の句ともども、私の愛唱する歌人である。
 彼女は鉄幹との間に十五人の子を儲け、その中の一人、次男秀の長男として生まれたのが与謝野馨である。

 その与謝野氏「能力は無いが 体力はある」云々と発言。能力のないことを自覚する人物が金融三大臣を兼務するというのだから空恐ろしい。

 朝日川柳に祖父鉄幹の歌をもじった秀作が出た。
 「われ男(お)の子 意気の子 名の子 つなぎの子」
                        安川修司(神戸市)
 言わずと知れた鉄幹の代表作であるが、もちろん「つなぎの子」、原作では「剣(つるぎ)の子」である。
 「つなぎの子」は、次期内閣までの「つなぎ役」の意味である。

 一方で、党内では、「(与謝野氏を)経済財政担当相・財務相・金融担当相、兼首相」とすべてに無能な麻生首相を揶揄する向きもあると聞く。

 そういえば、2/24日のテレビ朝日「報道ステーション」での「"与謝野体制"で国会答弁…総理の留守に」は麻生内閣の凋落を如実にしめしている。

 来るべき総選挙の前に、自民党の総裁選が行われるだろう。
 麻生現総裁では、総選挙を戦えないからである。
 しかし、仮に与謝野氏が総裁に選ばれたとしても、自民党は民主党の軍門に降ること間違いない。

 いずれにせよ、与謝野氏は貧乏くじを引いたことになる。
 早晩財務相兼務は解かれざるを得まい。所詮三大臣を兼務することなど出来るはずがない。
 ましてや、与謝野氏は健康に不安がある。彼は喉頭ガン手術という病歴を持つ。
 政治家の命は言葉であり、発する声量である。
 与謝野氏のだみ声は澱んで聞きずらい。
 毛頭、彼のだみ声を揶揄するつもりはないが、インパクトの無いことは否めない。

 シニカルなものの謂いようを良し とする人もいるが私は与しない。

 それでも、「与謝野氏 高まる存在感」(産経新聞)と世間の受けは良い。
 しかし、「麻生氏に較べれば、首相の座はだれが座っても、よりましだ」程度の話ならまだしも、ことは一国の宰相を選ぶ話。
 人材が枯渇しているとはいえ、次善の長(おさ)にふさわしいのは誰か。
 
 たぶん来たる衆院選では民主党が勝利するであろうから、自民党内の政争を云々することは無駄といえば無駄である。しかし政治は生き物、一時たりとも停滞を許されない。

 大海の嵐に翻弄される日本丸、はたして安全な寄港地に身を寄せることはできるのであろうか。老い先短い私ではあるが眠れぬ日が続く。

 

 

 

 



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2009年02月24日

 中川元財務相のイタリアでの所業、新たにバチカン市国における醜態が報じられた。
 記者会見の映像を見ただけでも酩酊状態であったことは火を見るより明らかだし、風邪薬との相乗効果との弁明が通じるなどとの荒唐無稽なジタバタ劇は観るに耐えなかった。

 そして、バチカン市国での醜態は、万死に値する所業である。
 中川氏は即刻議員バッチを外すべきである。その理由は、

 言い訳がセコ過ぎるし、二転三転する言い訳の裏におごりが感じられる。
   彼にかぎらず二世三世議員は、間違った意味での自信過剰を持つ。適当にあしらって、「良しに計らえ」とばかりに取り巻きのせいにする。しかし、
  THE  TRUTH,  A  LIE.    真実は一つ、嘘は無限。
   
 小泉元首相や安部元首相のように、議員でいるかぎり、院政とはいわないまでも、裏で国政に関わろうとするであろうこと。
       
   アルコール中毒の度合いが深刻であることを考えれば、再び同じ轍をふまないとはかぎらないこと。否、かならずやどこかで酩酊、泥酔して醜態を演 じるであろう。その場が場末の飲み屋であるなら一向にかまわないが、国政の場であれば許されない。バッチを外せという理由である。

 同行、同道した財務省の職員や秘書、在伊大使たちは、精査してしかるべき処分をすべきだが、たぶんなあなあに終わるであろう。そして、日本の政治は泥沼の深みにはまっていくこと間違いない。

 このような政治状況を生み出した原因の一つに、二世、三世議員の存在がある。
 そして、その責任はひとえに有権者にある。安易に世継ぎを認める思考回路が、粗製濫造の二世、三世議員たちを生ましめ、国政を危うくする。
 二世議員は自民党にかぎらない。民主党にも小沢代表、鳩山幹事長をはじめ相当数の二世議員がいる。
 菅直人副代表も他選挙区で息子を立候補させようとした。
 共産党の穀田議員も息子を議員にしようとした経緯がある。

 政治の世界だけではない。
 官僚の世界でも二世が存在する。
 美智子妃も親子二代にわたる外交官であった。外交官の場合、昔からその傾向は顕著であった。

 教員の場合。
 大分県の不正採用を例に挙げるまでもなく、情実採用は久しい昔から繰りかえされていたし、現在も法の網をかいくぐって慣習化しているはずである。
 私の周りにも、親子三代に亘る教員一家がいる。そして、その家族には他に姻戚を含めて五人の教員、教員経験者がいる。

 近親婚は劣性遺伝する可能性大だとされるが、政治家、教育者の場合には間違いなく劣性遺伝して国を危うくする。

 ここまで述べてきて、(戦前生まれにして、戦後に新制教育を受けた)我が世代の責任も語らずにはおけない。
 昭和21年に新制小学校入学なので、当然教育勅語は知らない。はじめて民主教育を受けた世代である。今年古希。
 青春時代は安保闘争に明け暮れ、社会に出てからは一転、未曾有の経済成長の波に乗って企業戦士となり、労働者側として、50年体制の下、組合運動の果て、現在に至る。
 その間の不作為による我が世代の責任の一つは、民主主義の醸成を怠ったことであろう。うわべだけは民主国家を唱っているが、主権在民の考えが形骸化した現在、我が世代に課せられた責務は、身近の有権者に選挙の折は棄権せずに、投票所のあの小さな台の上で、他人の意見に惑わされることなく意中の人の名を書くことを説く事である。それも飽くことなく、しつこいほどに。

 来るべき衆院選には70%を越える投票率を目指し、文字通りの選良を選ぶことが急務である。
 自分自身の考えで選んだ結果が、たとえ望まぬ方向だったしても、自己責任として納得できよう。
 少なくとも、他人に誘導されての投票よりも納得できる。

 

 

    


 

 



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2009年02月21日

 ソマリア沖の海賊対策の一環として、海上自衛隊の護衛艦二隻を配備、三月上旬出港させる予定だとされる。

 「海賊対策新法案」によれば、海自の艦艇が直接攻撃を受けていなくとも、海賊の船体を撃つ危害射撃も可能にするという。
 相手は海賊、武器使用の可能性大である。
 当然、隊員の生命に関わる出兵である。
                                               かって朝日新聞「声」欄に「少子化も招く徴兵令を懸念」と題する、21歳の大学生の投稿が載った。
 彼の主張の要点は次のとおり。

 「20歳といえば多くが大学生の年頃だ。社会に出ていくため勉学にいそしむ大切な時だ。徴兵令を導入すれば労働力のみならず……。戦争が起き、彼らが出征する事態に至れば、貴い命も失われる」 

 私は07/6/19日付けで、「……希望は、戦争。」と題するブログを投稿した。
 http://blog.livedoor.jp/nidowarashi/archives/50672830.html
 その中で、31歳のフリーターが書いた「国民全員が苦しむ平等を」という文章を紹介した。
 命を落とすほど危険な前線には、「苦しむ平等」、すなわち徴兵で臨めということである。

 もちろん、訓練されたプロの兵士も必要であろう。徴兵された新兵だけでは戦などできるわけがない。
 しかし、基本は徴兵制であらねばならぬ。持たざる者が前線にでて、持つ者が後方支援では不平等のそしりをまぬがれまい。

 要するに、上記の大学生は戦争のなんたるものかを深く考えていないのである。
 考えたくもないが、戦争になればだれかが戦場に征き、命をかけて戦わなければならない。大学生はだれに征けというのであろうか。 

 私は敗戦の時、6歳。戦場の経験などあるはずもないが、満州からの引き揚げ者。引き揚げまでの10ヵ月ほどを酷寒の彼の地で過酷な収容所生活を強いられ、同胞がソ連兵に目の前で殴り殺される瞬間も見ている。
 平和であるにこしたことはない。
 私は、憲法「第九条」を堅持してほしい。
 軍が国民を護るというのは幻想に過ぎないからである。

 ソビエト国境に接する北満に住んでいた開拓団の人たちが、鉄道に乗って南へ逃げようとしたとき、護ってくれるはずの関東軍に列車を奪われ、徒歩での避難を余儀なくされた。
 関東軍の幹部たちは私有財産を軍用機で日本に運んだともいわれている。

 戦場で命を落とすという代償は、国民すべでか平等に負わなければならない。
 そして、まず最初に徴兵されるべき人は為政者たる政治家たちである。 

   ただ、私は悩ましい。
 竹槍持っての国民皆兵にでもならないかぎり、年老いた私に徴兵令のくることはない。
 私に徴兵制について語る資格はないのかも知れない。

 
 



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2009年02月19日

 麻生首相の命運は尽きた。
 ここ数日の政局を見ると、余談を許さないが麻生首相の退陣は時間の問題である。

 では、次なる日本国総理大臣は誰か?
 小沢一郎?
 総選挙後の首班指名は小沢一郎になる可能性は大である。
 しかし、私は認めがたい。彼ほど自民党の体質がしみ込んだ政治家はいないからである。
 自らを策士とでも思い込んでいるのか、とにかく表に出たがらない。先の衆院本会議で代表質問に立たなかったことや、当初選挙向けの遊説日程優先を理由に米国クリントン国務長官との会談を拒否。
 危惧するのは、金丸信の残滓がいまだに彼の中に殘っていると思われることである。いわゆる政治資金に関する疑義である。
 ワールドワイドで政治を考えられないない人でもある。

 小泉元首相の再登場を云々するむきもあるが論外である。
 
 経済至上主義を旗印に郵政選挙を戦いとった彼であるが、その結果もたらした国内の現状を見れば、彼の再登場はまっぴらご免である。

 そして、国会議員職を引退して息子にその席を禅譲するという旧態依然の政治感覚は万死に値する。  

 麻生、小沢、小泉三氏については、過去のブログに書き込んでいる。
 お読みいただければ幸いである。

 「民主党いずこへ」
 http://blog.livedoor.jp/nidowarashi/archives/51062973.html

 「小沢一郎 刺客になるの巻」
 http://blog.livedoor.jp/nidowarashi/archives/51071285.html

 「姑息なり 小沢一郎」
 http://blog.livedoor.jp/nidowarashi/archives/51066652.html

 「麻生太郎と小沢一郎」
   http://blog.livedoor.jp/nidowarashi/archives/51052810.html

 「黙りゃんさい 小泉純一郎」
 http://blog.livedoor.jp/nidowarashi/archives/51043781.html

 

 いずれにせよ、お先真っ暗である。
 それでも、誰かを日本国内閣総理大臣の椅子に座らせねばならない。
 どうすればよいのか。

 来る総選挙、投票所に足を運び、仮に選択を違えても、意中の人に一票を投じることである。
 
 国政選挙の投票率が50%を割るという現状から脱しなければ、民意がどうこうと言う資格は国民にない。

 マスコミに願いたい。
 月一度の世論調査ではなく、週ごとの調査で麻生内閣に引導を渡して欲しい。
 そうすれば、総選挙の日がより近くなるであろう。  

 

 

 


 

 

 



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2009年02月18日

 やはりというか、中川財務相の醜態が、こともあろうにG7という国際会議の場でさらけ出された。
 中川財務相のアル中は夙に知られていたことである。
 一月の衆議院本会議の財政演説でも、原稿の読み違え26箇所、特に渦中を「うずちゅう」と読むていたらく。中学生でもそうは読むまい。
 彼、中川昭一は東京大学法学部出身の英才である。
 この場合も、酒の上の失態であることは間違いあるまい。
 その時点で処断すべきだった麻生首相の任命責任はのがれられまい。

 朝令暮改を地で行く財務相。17日朝に続投を表明、昼に予算通過後の辞意表明。夜に至って辞表提出と二転三転、痛々しいかぎりである。
 そして、夕方に与謝野経済財政担当相を財務相兼任とする首相裁断がなされたというドタバタぶりは滑稽ですらある。
 その与謝野さん曰く、「(自分は)能力はないが、体力はある」
 「なにをか言わんや」である。 
 ブレにブレる麻生内閣の体質を如実に示している。
 他に、内閣に獅子身中の虫がいないとも限らない。

 それにしても、麻生首相、したたかというか、鉄面皮というか、あきれ果てる。

 財政再建、景気対策に邁進すると、お題目のように唱えながら空念仏で、政策は遅々として進まない。
 それにもかかわらず夜毎のバー、料亭通い。
 公邸に住居を移してからは、さすがにその数は減ったが、外で飲食するというライフスタイルは固持するつもりらしい。公邸に帰るのはほぼ10時過ぎ。
 その間にSPや秘書たちに思いをいたしたことが一度でもあるのだろうか。

 「朕はたらふく食うてるぞ。汝臣民飢えて死ね。御名御璽」
 敗戦後の食料メーデーで掲げられたプラカードであるが、「御名御璽」が皇室の遠戚にあたる「麻生太郎」の名と重なる。ちなみに、御名御璽とは、天皇が自筆した名前と天皇印を意味する。

 そのような麻生首相を表向き死守しようとする自民党議員の面々、多少の温度差はあるものの、なべて保身のために黙して語らず。
 院政よろしく、森嘉郎や小泉純一郎がしゃしゃり出てくれば更に状況は悪化する。
 小泉元首相の再登場を期待する輩もいるが、派遣法の改悪で労働界の現況を招いた張本人であることを忘れてはならない。
 実のない言葉に踊らされて、ホゾを噛むことのないように、我々国民は学習すべきである。  

       ……………………………………………………

 「頑張れ! 日本一!」 中川財務相妻の夫へのシュプレヒコール。
                  何たるブラックユーモア

 渦中(うずちゅう)でなく アル中だったのか
                  朝日「かたえくぼ」 埼玉 青論氏
 

 


 



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2009年02月16日

 畢竟、国家は国民個々人の生命を護ることはないようだ。
 国民の生命と財産を守ることは憲法に明記されているが、それはあくまで概念としてである。
 初めに国体(国)ありきである。 

 横田めぐみさんの娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんはどうしているのだろう?
 「おじいちゃん、おばあちゃん会いに来て」と泣いて訴えたのが七年前。
 その後、2002,2004年と三家族が帰国したが、以来まったく進展がない。
 政府は水面下で努力しているといい、福田首相は首相就任の際、「任期内に拉致問題は解決する」と明言したと記憶にある。
 しかし、拉致問題は遅々として進展しなかった。

 ここにきて、昨年、北朝鮮が秋までに拉致問題を再調査すると表明して、家族会にいくばくかの期待感を与えた。
 それもつかの間、北朝鮮が「核施設の無能力化措置」を中断するという事態に至って、拉致問題の解決にも暗雲が立ちこめ始めた。

 確かに、徒に引き延ばしを続ける北朝鮮は交渉相手としては手強い。
 というより、相手側は誠意を全く示さないのだから、これ以上の進展は望めないのかも知れない。

 自国の民の生命が脅かされているのであるから、首相自らが北朝鮮に乗り込んで金正日主席と直談判するぐらいの気概を持って欲しい。
 「国民の生命と財産」を守るために。
 ここに言う国民の生命とは、昭和天皇が、敗戦後皇太子に書き送った、
 「三種の神器と日本人の血を守りたかった」という生命ではなく、具体的な個々人のことである。

 国があって国民(くにたみ)があるのでは決してない。
 一人一人の国民の合意があって国が成り立つのである。
 わが国の憲法には、明確に「主権在民」を謳っている。 
 

 そんな中、またぞろしゃしゃり出た安倍元首相の北朝鮮への強硬意見はパフォーマンスに過ぎまい。
 第一、彼が未だに政治の世界に身を置くこと自体許し難い。
 国会の場で敵前逃亡した彼に国政を論ずる資格はない。

 そんな中、アメリカのクリントン国務長官の来日に際して、河村官房血用官は
拉致家族との面会を示唆した。
 仮にそれが実現したとしても、多くは望めまい。
 麻生内閣のパフォーマンスに終わるに違いない。
 首相の認識の中に、拉致問題などかけらほどもないだろうから。

 安倍、福田両元首相も、あれだけ「自分の内閣の内に」などと声高に主張していたのに何にも出来なかった。というよりやらなかった。

 横田ご夫妻。
 お孫さんに会いに行きなさい。そのための手はずをお仲間と整えるべきです。

 

 

 



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2009年02月13日

 麻生首相、オバマ大統領のホワイトハウス入りを意識してか、ようやく公邸に居を構えた。
 それでも、数は減ったとはいえ夜遊びは止まない。
 懇談や打ち合わせの名を借りて、一晩で十万単位の浪費を繰り返し、そこでわが国の先行きを憂うなどといわれる筋はない。
                                                     「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」
 麻生総理の発言に耳を疑った。それでは、あなたはどうなんだ。

 「たらたら飲んで、食べて、何も出来ない人(総理)の分の金(夜毎の遊興費)を何で私が収めた税金(政党交付金)から払うんだ」とお返ししたい。

 昨年10月22日の記者会見で、首相は、
 「政治献金や政党助成金という形でお金を出すのは高級な食事をするだけのためではないと思いますが」と記者に問われて、
 「自分のお金だから。政党助成金もしくは私のその種の金。幸いにして自分でお金がありますから自分で払っています。はい」と答えている。

 「政党助成金もしくは私のその種の金云々」をどう解釈するかは微妙であるが、夜毎の飲食店・バー通いがライフスタイルと公言してはばからない首相が就任前に夜の街で散財していた資金源は間違いなく政治資金である。
 その中には当然税金である政党助成金も含まれる。
 政治資金もポケットマネーの内だとは強弁できまい。

 手元に「週刊朝日」2008/10/17号がある。
 記事の一つのタイトルに、「麻生首相が政治資金を注ぎ込む超高級店リスト」
 がある。
 記事は、麻生首相の政治資金収支報告書2005~2007年の写しと、飲食費の支払先の店名を20件挙げている。

 三年間で飲食費7,000万余、当然政治資金には政党交付金が含まれる。
 その使い方が半端ではない。

 その内容を紹介する。

 「ボバリー」(サロンバー)約1,000万円  「幸本」(料亭)約850万円
 「ラ・シュミネ(クラブ)約480万円  「赤坂浅田」(料亭)約440万円
 「千月」(料亭)約260万円  「なだ万(日本料理店)約150万円  

 以下、100万円以上の出費先が計16店並ぶ。

 ちなみに、「ボバリー」のママとは男女関係をうわさされたことがあり、「ラ・シュミネ」はこのママが経営した店だとされる。

 政治資金収支報告書に計上されて飲食費であるから、ポケットマネーとは強弁できまい。
 それにしても、不思議な現象がある。
 首相就任前の三年間に通った数ある飲食店の内、就任後に利用したのは、
「赤坂浅田」と「なだ万」だけなのである。
 なお、朝日新聞の「首相動静」に書かれている「日本料理店」とは有り体にいえば「料亭」のことである。料亭政治の隠れ蓑である。

 最後に、私では意を尽くし得ないので、「週刊朝日」の時任記者が書いた、的を射た記事を転載する。

 「……ポケットマネーではなく、政治活動に使うという大義名分のために税金のかからない政治資金を使って、お気に入りの女性と時間を過ごし、贅を尽くした料理を満喫しているわけである。
 そのくせ麻生氏は、「景気対策」だの「物価高を解決」だのと、庶民目線の政策を口にする。
 こんな公私のカネの区別のつかない生活を平気でしている人物に「庶民の痛み」など、わかるはずがないのは間違いない」                                      
  


 

 

 

 



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2009年02月11日

 連日のバッシングに、相当神経が高ぶっているだろう麻生首相。 過日の衆議院予算委会でも、答弁中に、声を出しての意味不明な高笑いが三度ほど見て取れた。                                                  救いがたいのは、彼自身がみずからの愚かさに気付いていないということである。
 あきれ果てて言うべきことばを持たないが、敢えて言いたい。
 漢字の読み違いを揶揄することに嫌悪感を持つ人もいるようだが、そうではあるまい。
 政治家にとって、言葉がすべてである。なのに、

 決然を「けんぜん」、有無を「ゆうむ」、基盤を「きはん」、詳細を「ようさい」と読み違える常識の無さは捨て置けない。
 いずれの漢字の読み方も、意識して読み違わないかぎりあり得ない読みである。中学生レベルの識字力である。

 定額交付金しかり、郵政問題しかり、ブレというより、端から定見を持たぬ御仁であるらしい。
 金メッキの金(出自と富)に溺れて、公私を混同してはばからない。
 ある時の総裁選で候補者の一人谷垣元財務相に「俺に先に(総理を)やらせろよ」と言ったと巷間伝わっているが、総理の席をお手玉扱い。その幼児性も救いがたい。

 そんな麻生首相でも、ネットの世界では支持者が多いという。
 一方で、全国紙の世論調査では軒並み支持率20%を割るていたらく。
 朝日新聞にいたっては支持率14%、まさに末期的症状である。

 ただ、ここで考慮に入れなければならないのは、新聞社の世論調査は、電話帳から無作為に抽出しての電話による調査であることである。
 固定電話の所有者は総じて世帯主である。
 若い世代の人たちは、携帯電話だけで固定電話を持たぬ人が多いと聞く。
 当然ながら、電話帳から抽出される年代は限られてくる。
 各新聞社の投書欄を見ると、6~70代の投稿者が多い。
 若い世代は、新聞を読むという習慣を身につけていないきらいがある。

 朝日新聞に限っていえは、時折、「若い世代からの投稿」という欄を設け、十代(時には小学生)の投書を掲載しているが、それとて高齢者とのバランスを狙ってのことであろう。

 かといって、街頭での対面調査はよけい偏りがでよう。
 もちろん、世論調査は一つの目安に過ぎない。
 しかし、これほど解散を求める国民の声に耳を傾けない自民党に対して、我々がなし得る手段の一つが世論調査を通じての意思表示である。 

 麻生首相、進退窮まった今こそ、
 いっそのこと、祖父吉田茂のひそみに習って、国会の場で「バカヤロー」と捨て台詞を発して、解散という大見得を切るパフォーマンスはいかが?
 国政史上にその悪名を残す絶好のチャンスですぞ。

 バカヤローと言われる前に、「無知な平民はバカヤロー」と。

        ……………………………………………………

  バカヤロー言うと言われる違いかな   朝日川柳  井原研吾 広島市

 



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2009年02月05日

 『その時だった。足袋を履いた足が、ふっと、もつれたかな、と思ったら、急に体が思うようにならなくなった。立っているべしと命じても、理不尽にも、いきなり四肢がこちらの言うことを聞いてくれなくなっていたので、緩く引き倒されるという感じで、よろめきながら座敷に入って臥した。
 立ち上がろうにも、立ち上がれない。急激に、こんどは身震いするほどの気分の悪さになぎ倒される。
 「え、なぜなの」、わからない、というのがはじめの思いだった。……
 これほど無体に、体が私を裏切り、吐き気がやってきていないのに、あっという間に食道がもりっと持ち上がって、嘔吐した。……
 これは死ぬ、もう死ぬのか。
 迫っている死に感ずいた瞬間に、「嫌だ、イヤだ!」ということを音声として口に出したと思う。
 突然の自分の死に向き合うことに、私は、慌てた。みっともなく焦った

 幾分、引用が長すぎたが、「文藝春秋」1999年11月号に掲載された、作家、服部真澄さんの「齢(よわい)、三十七歳、くも膜下出血生還記」の一部である。

 続く

  

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2008年11月28日

 28日の党首討論、全く期待を持たずに視聴した。
 そしてその通りになった。
 両者ともに一般論に終始。特に小沢氏の追求は、彼の語り口のせいもあるが、歯がゆいばかりであった。

 対面方式の討論もぎこちなさが目立つのみで緊迫感はまるでゼロ。
 司会者を真ん中に、左右に討論者を置くという配置の方がはるかに討論が彈んだであろう。
 45分間という時間も中途半端である。
 小沢代表などは、時間を間違えて途中で討論を止めようとしたが、余り時間があることを同僚に指摘されて質問を再開とする醜態を演じた。

 討論を終えて会場を去る小沢氏を、後にいた鳩山幹事長が蔑むような眼差しで見送った姿が印象に殘る。

 数々の失言と謝罪で、麻生氏がわが国の舵取り役としてはふさわしくないということは明々白々となった。
 早ければ年内にも彼の去就が取りざたされるであろう。
 その時、院内内閣制を理由に、解散せずに与党自民党が次の総理大臣を選出するのか、はたまた総選挙に臨み下野するのか計りがたい。

 仮に総選挙になり、民主党が政権を取ったとしてもわが国の行く末は暗い。
 小沢氏で活路が開かれるとはとても思えない。
 このような事態を招いたのはすべて我ら愚民のせいである。
 責めは我らが負わなければならない。

 近々行われるであろう世論調査が一つのバロメーターになろう。

 

 

 



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2008年11月26日

 安楽死(euthanasia)という言葉を聞くたびに、私は森鴎外の「高瀬舟」を思い起こす。

 京都を流れる高瀬川を往来する高瀬舟は、遠島を申し渡された罪人を護送する小船である。
 今日も、罪人が一人、役人に護られて送られていく。

 弟殺しの罪に問われた、喜助という男であるが、護送役人の同心・羽田庄兵衛には、とても殺人を犯した極悪人には思えなかった。
 問わず語りの会話の中で、次のようなことがわかる。

 同居していた弟は重い病をえて、兄の働きに頼らざるをえなかった。
 ある日、喜助が仕事を終えて、家に帰ってみると、弟が布団の上で血だらけになって倒れていた。
 自殺をしようと、喉に刃物を突き立てたが死にきれず、もがき苦しんでいた。

 刃を抜いてくれと哀願する弟に、躊躇しながらも喜助は願いどおりに刃を抜くと、弟は絶命した。
 運悪く、そこに近所の婆さんが顔を出し、大騒ぎとなってしまう。

 鴎外は「高瀬舟縁起」の中で、「高瀬舟」のテーマは、ユウタナシイ(安楽死 仏語)であると明言している。
 愛する者を、安らかに死なせたいと、真に願うのであれば、積極的であれ、消極的であれ、安楽死は罪を覚悟で実行するしかない。

 現行の法律に照らし合わせれば、心情はともかく安楽死は殺人である。
 実行すれば罪を問われ裁かれ、結果実刑を受けても仕方がない。
 それほどの覚悟と愛情があって初めて、安楽死問題の展望が開けてくるように思われる。

         ……………………………………………………

        太陽と死は直視できない。     ロシェフーコ

 

 



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2008年11月19日

 詩の受難時代なそうな。とにかく詩集が売れないという。

 若いときから、詩集は東西を問わず読んできた。
 愛読の詩は限りなくあるが、最も愛するワーズワースの、                 「私たち七人よ We are seven.」を紹介したい。私訳である。

 ……
 可愛い田舎娘に会ったことがある。
 「八歳です」、その娘は言った。
 彼女の髪は巻き毛でふさふさとしていた。

 「あなたは何人兄弟なの」
 「何人ですって?  みんなで七人よ」
 と、彼女は不思議そうに私を見た。

 「みんなはどこにいるのか教えてよ」娘は答えた。
 「あたしたちは七人、二人はコンウェイに住んでいるし、あとの二人は船乗りな    のよ。二人は教会のお墓にいるわ。姉さんと兄さんよ。私は母さんとお墓の
 近くに住んでいるの」
 ……

 「あなたは元気に走れ回れるし、手足も生きているよね。だけどお墓に二人寝
 ているのなら、あなたたちはたったの五人でしょ」

 「お墓は緑色でお家からよく見えるの。お家から十步ぐらいのお墓に、二人
  は仲良く寝ているの。
 そのそばで、あたしは靴下を編んだり、ハンケチにフリルを付けたりするわ。
 お墓の地面に腰を下ろして、二人に歌を歌ってあげるの」
 ……

 「最初に死んだのは、ジェーン姉さんで、ベッドの中で泣いていたら神さまが
  痛みを取ってくださって、行ってしまったの」
 ……

 「土が雪で白くなって、私がすべったり、走って遊んでいた時、ジョン兄さんも
  死ななければならなくなって、姉さんのそばに寝ているの」
 ……

 「でもね、二人は死んだんだよ。天国にいるんだよ」
 何度言っても無駄だった。

 娘は頑なに繰り返すだけだった。
 「いいえ、私たちは七人よ」

 原詩は、六十八行にわたるので、割愛せざるを得なかったが、大意は損ねていないと思う。

 作者のワーズワースは、十八世紀後半から十九世紀半ばに活躍したイギリスロマン派の詩人である。
 「私たち七人よ」は、同時代の詩人コールリッジの作品とともに出版した「抒情歌謡集 LYRICAL B」に収められている。

 子どもを歌った詩は数多くあろうが、この詩とともに、時折読み返す叙事詩に、
テニスンの「イノック・アーデン」(岩波文庫)がある。
 ぜひお薦めしたい叙事詩である。

 

 

 



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2008年11月18日

 ヘミングウェイについては多言を要しない。
 短篇の名手といわれるヘミングウェイだが、「日はまた昇る」「武器よさらば」などの長篇は、映画化されて公表を博した。

 ヘミングウェイはスペイン内戦で、フランコ将軍のファッシズムに抗して救援活動に参加し、その経験から生まれたのが「誰がために鐘は鳴る」である。

 「老人と海」は、それら作品群の中でも抜きんでいる名作といっても過言ではあるまい。ピュリッツァー賞、ノーベル賞を年を経ずして受賞したのもうなずける。

 「キューバのサンチャゴが八十四日間の不漁に耐えて、巨大なマカジキを鉤にかけ、二昼夜の死闘の後にそれをしとめるが、帰途、マカジキは鮫に襲われて、死骸しか殘らない」、大筋である。

 私が「老人と海」を初めて読んだ時の印象は、文章の簡潔さとテンポの速さだったが、冒頭のサンチャゴと少年の描写で、少年は、「老人が来る日も来る日も空の小舟で帰ってくるのを見るのが……辛かった」「この男(老人)に関するかぎり、なにもかも古かった。ただ眼だけがちがう。それは海とおなじ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた」(福田恒存訳)

 カジキを鉤にかけてからの老人サンチャゴの活写は息詰まるほどである。
 獲物のカジキを船べりに結わえて帰港するが、待ちかまえていた少年が眼にしたのは、鮫に襲われて無惨な姿になり果てたカジキマグロの残骸だった。

 自然に立ち向かうひ弱な人間、徒勞であっても成し遂げた満足感に深い眠りにおちいる老人、そして少年の涙。小説を読む醍醐味を十分に味わえる傑作である。

 「老人と海」も映画化され、名優スペンサー・トレイシーが主人公のサンチャゴを完璧に演じ、これまた好評を博した。

 ヘミングウェイの生涯は波瀾万丈、私たちを圧倒する。
 狩猟をこよなく愛し、アフリカで飛行機事故に遭いながら奇跡的に生還。自由奔放に生きた彼だが、最期は猟銃による自殺、享年六十二。
 我ら凡人には考えられぬ、贅沢にしてスケールの大きい生涯だった。



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2008年11月15日

 「酒なくて、なんでおのれの人生か」、正確さを欠くがどこかで読んだ箴言である。
 「酒はもう一つの人生である」、                              英語の箴言で原文は Drink is an another life.
 げに名文である。

 飲酒喫煙、ともに二十歳を過ぎてから覚えた。爾来、入院など、よほどのことがないかぎり絶やすことがない。
 飲酒はさておき、禁煙は何度試みたことか。成就したためしがない。 

 古今東西、酒にまつわる格言・箴言や詩歌は数多い。そのすべてを知るべくもないが、こころに残るいくつかを紹介してみたい。

 折りあらば飲み 折りなくも飲む  〈ドン・キホーテ〉
 三百六十日 日々 酔うて泥のごとし〈李白(唐の詩人)〉

 とにかく飲んべえはあらゆる理由を付けて酒に浸る。そこで、

 恋する者や酒飲みが地獄に堕ちたら天国は人影もなくさびれよう                    〈ルバイヤート〉
 などとうそぶく輩がでてくる。

 それが高じると、

 英雄たらんとする欲する男子はすべからくブランディーを飲むべし

 とか、

 世界の広さはその人のグラスの大きさに比例する

 など誇大妄想が広がる。
 だが人間一生酔い続けることはできない。かならず酔いが醒める時がくる。
 そして二日酔いの果て、

 人酒を飲み 酒酒を飲み 酒人を飲む

 大酒飲みが酒を飲み、酒は酒飲みに復讐をする

 酔い覚めの水 値千金       〈江戸川柳〉

 とあいなる。そして飲んべえの行き着く先は、

 死んだら湯灌(ゆかん)は酒でしてくれ。延べの送りにもかけてくれ
 美酒(うまざけ)。もし復活の日ともなり、逢いたい人は酒場の戸口にやって来て俺を待て。

 共にルバイヤートからの引用。ルバイヤートは全編これ刹那主義と享楽主義に充ち満ちて、酒と女だけが歌われる。飲んべえここに極まれり。

 粋な飲んべえもいるにはいる。

 雀どの お宿はどこか知らねども ちょちょっとご座れ 酒(ささ)の相手に             〈蜀山人〉                                                                                                    白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり
                    〈若山牧水〉              

 勇壮で賑やかなのは、

 杯持てや さあ卓をたたけ!               〈乾杯の歌〉

 私が愛誦してやまないのは、

 暮れ行けば浅間は見えず
 歌哀し佐久の草笛
 千曲川いざよふ波の
 岸近き宿にのぼりつ
 獨り酒濁れる飲みて
 草枕しばし慰む       〈千曲川旅情の歌〉 藤村

 旅にあっての酒はこうありたいものである。

 酒の効用を謳うものもある。

 酒は百薬の長
 ウイスキーは命の泉      共に和洋の名言だが、

 百薬の長とはいえど、万(よろず)の病は酒よりこそ起これ
                    〈吉田兼好〉

 と反撃される。されど、

 酒は人間そのものに他ならぬ      ボードレール

 ことほどさように、酒は私の分身である。
 けれども、いずれその酒に復讐されるだろうことは火を見るより明らかである。
 最近、血圧の高さが気にかかる。
 されど、
 酒は老人のミルクである
         玉村豊男 

      ……………………………………………………

  新しき葡萄酒は新しき革袋に入れよ  〈新約聖書〉



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2008年11月11日

 山本周五郎は、映画化された「樅の木は殘った」や「赤ひげ診療譚」などで知られているが、他にも多くの佳作がある。
 ほとんどの作品の舞台は江戸時代、市井ものと武家ものとに大別できる。市井ものには岡場所をあつかった作品も多々あり、武家ものといっても、剣劇ではなく、武士の心理を巧みに描いて読者を魅了する。

 私は、周五郎の書き出しのうまさにほとほと感じ入っているが、「さぶ」も例外ではない。

 「小雨が靄(もや)のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた……」

 さぶと同輩の栄二について、周五郎研究の第一人者である木村久邇典氏は、
 簡潔にまとめている。 
 「栄二とさぶは……経師屋の丁稚で、おない年であった。さぶには葛西に実家があるが、栄二は身寄りのない孤児。
 しかし、栄二は男ぶりもよく、目端が利いて腕もよく将来を属目されていた。
 それに対しさぶは、ぐずでのろまで万事に要領がわるく、店では糊をつくろ冴えない仕事をやらされていた。
 それでも二人は真実の兄弟以上に仲がよかった。しかも、いつも陰に日向になって栄二を支えるのが、さぶであった」(「さぶの呟き」より)

 その二人が励まし合いつつも、誤解や失望の中で成長していく様を、周五郎はいくつかの事件をからませながら、息つく暇が無いほどの筆力で描く。

 読み進めれば明らかだが、物語の推移は栄二を中心に展開される。
 まるで栄二が主人公であるかのように。
 では、なぜ書名が「さぶ」なのか。つぶさに読めば主人公は紛れもなくさぶである。
 盗みという濡れ衣を着せられたて送られた寄場で、瀕死の事故にあった栄二が叫んだのは、「さぶ、助けてくれ」だった。
 さぶが主人公であるに十分なせりふである。

 山本周五郎は、「曲軒」とあだ名されたほど、へそ曲がりだったそうだ。
 あらゆる賞を頑なに断ったのも彼であったし、純文学と大衆文学の違いを揶揄して、
 「おもしろい小説だけが本物の文学である」(要旨)と一喝したのもまた彼であった。
 その彼の名を冠した「山本周五郎賞」が、彼の没後であれ創設されたのも皮肉である。

 中編小説にも多くの佳作がある。
 むしろ、小説の醍醐味を味わえるのは、中編小説にあるのかも知れない。

 「ちいさこべ」「ちゃん」「将監さまの細みち」「つゆのひぬま」「橋の下」「こんち午の日」等々、珠玉の作品の数々は読む者をしてカタルシス(浄化)の世界へいざなって止まない。

 藤沢周平や池波正太郎よりも、山本周五郎を愛してやまない。

        ……………………………………………………

   文学は人間性を追求する
                山本周五郎

 



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2008年11月07日

 中学時代(1952~'54)の英語教科書は、全国的にほぼ「JACK AND BETTY」だった。
 ジャックとベティという 、アメリカの典型的な男女中学生の家庭・学校生活を通じて、基本的な文型を学んだ。
 This is a pen.といえばJACK AND BETTYを揶揄するほど初歩的な教科書であった。

 先に、アメリカとの初めての出会いは文通だったと書いたが、それはJACK AND BETTY のBETTYへの憧れだったからであろう。

 連合国の日本占領は1952年に解かれたが、その年、私は小学校の修学旅行で東京を訪れている。
 印象的だったのは、東京の街並みよりも、総司令部の玄関先にいたGHQの総司令官リッジウェイ中将を、バスの中から見たことだった。
 時代は朝鮮戦争のただ中、日本は糸偏・金偏景気に沸き返り、表面上は敗戦後の復興を満喫しているように見えたが、一方で、他国に占領されるという屈辱を味わっていた。

 そして教室では、英語を通じて、憧れのアメリカ文化を学ぶという日々であった。
 思えば、多感な少年期を、朝鮮特需などという負の部分にいささかの疑問を抱くことなく過ごした私の幼さに恥じ入る。
 JACK AND BETTY と聞くと、今でも当時の思い出が去来する。

 最後に、言い尽くせぬ思いを代弁してくれる文を紹介する。

 『アメリカ・イリノイ州シカゴの中学校に通うジャックとベティのストーリーに、遠いアメリカを夢見ながら英語を学んだ「Jack and Betty」エイジ。
 いま、あの時代をふりかえってみると、当時の憧れは、そのほとんどが実現していて、むしろ、多くの問題を抱えているものの、いまや日本はアメリカよりも豊かになってしまっている面があるかもしれない……
 フィフティーズ(1950年代)をひとことでいうと、「夢が夢としてあった時代」なのかもしれない。その夢を追いかけて、日本は成長してきた。
 アメリカもいい時代にあったのだ。
 目標としてあったのは、快適で人間らしく、自由で平和な社会に暮らし、心豊かに明るくありたいということだった』
   柳瀬尚紀編著「『ジャック&ベティ』の英語力で英語は読める」

 この理想と現実とのギャップが、私をして「好きで嫌いなアメリカ」と言わしめる所以である。

 第44代アメリカ大統領に選ばれた、オバマ氏が、勝利宣言の中で次のように述べている。
 「米国の真の強さは、軍事力や経済的豊かさではない。その理想の持つ力なのだ」

 

  

 

 

 

 

 



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2008年11月06日

 アメリカの大統領選挙は、民主党オバマ氏の圧勝に終わった。
 勝因はいろいろ挙げられるが、黒人への拒絶反応が薄まったことも大きな要因である。
 そんな「好きで嫌いな国 アメリカ」は、長年私の心の中で行き来していたテーマである。

                                                     私とアメリカの初めての関わりは、中学時代だった。
 以下は、「絹のマフラー」と題して、二年前に投稿したものである。
 今回、「好きで嫌いな アメリカ」というテーマで、数回に分けて、アメリカに対する私なりの思いを書こうとするにあたって、再録する。

 「昭和二十年末、朝鮮戦争での特需景気は少なからず日本の経済を潤したが、すでに石炭産業は斜陽化の道をたどっていた。

 常磐炭坑も例外ではあり得なかった。炭質の悪さと低カロリーのために、関東市場に近いという地の利だけでは生き残ることはできず、昭和二十九年、私が中学二年の時には、採炭すれど需要なしの不景気が続き、校庭に相当量の石炭が山と積まれていた。
 夏場は、高温のため自然発火が頻発し、ホースで水をかける光景が教室の窓越しによく見られた。

 そのころ、海外文通が流行っていた。
 当時はペンパル(pen pal)と称していたが、多くがアメリカの子どもたちであったことは頷ける。
 敗戦後の日本に、ララ物資を始めとする数々の物資援助をしてくれたアメリカの豊かさに、当然のことながら子どもたちは憧れた。
 私もその一人だった。

 英語の教科書は「JACK AND BETTY」で、アメリカの中流家庭をモデルに展開される、ジャックとベティの物語を羨望の気持ちで学んだ。

 私が文通の相手に選んだのは、イリノイ州の農家の娘で、名前は忘れたが同い歳であった。
 二年近くの間に、二十通ほどの手紙のやり取りがあった。

 すぐ続く。

 

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2008年11月05日

 敗戦時、私は六歳に過ぎなかったので軍国少年ではあり得なかった。
 しかし、次のような童謠ともつかない歌を正確に覚えている。

 ♪僕は軍人大好きだ
 いまに大きくなったなら
 勲章付けて剣下げて
 お馬に乗ってハイドウドウ

 勲章の起源は十一世紀、十字軍のイスラム侵攻の際に軍功あった騎士に与えられた記章にあるとされる。
 軍人にこそ似つかわしいもの、それが勲章であった。

 芥川龍之介の言葉は、優れたアイロニーである。
 「軍人は、よくもまあ、酔いもせず、勲章を胸につけて街中を歩けるものだ」
 自衛隊の高官も公式の場では、何の武勲か(戦後六十二年、わが国はいくさをしていない)勲章を付けている。

 「勲章付けて剣下げて お馬に乗って」のフレーズは、そのまま最高位の勲章をつけて剣を下げ白馬にまたがる昭和天皇の姿に重なる。

 わたしとて、社会において人並み以上に優れた業績を残した人々を顕彰することを認めるのにやぶさかではない。
 労をねぎらうと共に記念の章を授与することは、人々への励ましとなろう。

 しかし、叙勲制度の現実はどうであろうか。
 生存者叙勲は、五種類、二十八階級にわたる。
 勲一等に始まり、公務員の俸給(何級何号)よろしく細かく階級づけされている。
 上位二等くらいまでは、政治家、高級官僚、大企業の経営者、大学教授などがすべてを占めている。
 しかも授与するのは政府ではなく天皇である。

 人の功績を顕彰するのに、その生まれ、職業、性によって差別することはおよそ民主主義の世界にはそぐわない。
 一般国民は、たとえ内閣総理大臣経験者であっても決して授与されない勲章が存在する。
 天皇を初めとする皇族が受ける勲章だある。
 皇族に生まれたというだけで、青年に達すれば勲一等が授与される。

 方や、小中高校の校長経験者は勲五等がせいぜいで、地方自治などへの貢献者は勲六等、勲七等である。
 新聞の地方版の片隅に、時折死後叙勲の記事が載る。
 たいがいは小中校の校長経験者であり、勲五等なにがしかの勲位である。
 戦前はいざ知らず、教育者といえば、国民主権の現在にあっては、子どもたちに「人はすべて平等であり、その生まれ、性、職業によって差別されてはならない」と教えてきたはずである。
 
 その彼らが聖職(このことば自体には嫌悪を持つが)といわれる職業を四十年近く務めあげての評価が勲五等であり、ある家系に生まれただけで勲一等という矛盾に何ら疑問を持たないのであろうか。
 今、生涯一教師を貫く硬骨漢はいないのか。

 最後に、この文を書かせた一つの思いを述べたい。
 戦前から労働者と農民のために粉骨砕身惜しまなかった社会党の代議士がいた。
 その彼は勲二等の内示があった時、受勲を断ったと聞いていた。
 しかし、その後数年経って勲一等の内示があると、中国から受けた勲章に見合うからなどと言い訳をしながら車いすに乗って天皇から直接勲章を授与された。
 晩節を汚すとはまさにこのことであろう。
 悲しいかな彼が勲二等を断ったのは、差別の最たる勲章を否定してではなく、ただ単に勲一等が欲しかったに過ぎない。

        ……………………………………………………

    勲章は最も安上がりな国民慰撫の道具である。
                             SOMEONE
 
 



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2008年11月04日

 分け入っても分け入っても青い山

 いただいて足りて一人の箸を置く

 どうしようもないわたしが歩いてゐる

 まっすぐな道でさみしい

 さて、どちらへ行こう風がふく

 種田山頭火は、大正時代、荻原井泉水に師事した俳人である。
 大正十四年に出家、生涯にわたって乞食(こつじき)、放浪の生活を送った。
 俳風は自由律を専らとした。

 「(水の流れるような自然さ)〈行乞記〉を旅に求めながらも、そういた境地が実現したら(人間じゃなくなる)〈同前書〉と考え、悲喜哀楽の感情にとらわれる自分を率直に句にした」(世界大百科 平凡社)

 私と山頭火の出会いは、それほど昔のことではない。
 と言っても、手元にある「定本 種田山頭火句集(弥生書房)の奥付を見ると、昭和五十九年とあるので、二十五年ほど前になる。
 布張りの表紙は陽に焼け、綴じもゆるんで、当時いかに繙いたかがわかる。

 冒頭に紹介した句を読んでもらえばわかるように、伝統的な俳諧が要求する季語はみごとに無視されて、自由律にのって、リズム感溢れる直裁的な句がほとんどである。

 出家行脚の身というより、旅から旅への放浪だったが、山頭火はこよなく酒を愛した。
 一宿一飯を乞いながらの旅でも、酒をたしなむ程度の余裕はあったようだ。

 飄々と吟行を続けた山頭火は次のような文を残している。
 「酒は目的意識的に飲んではならない。酔いは自然発生的でなければならない。……酔ふことが飲むことのもくてきであってはならない。……
 求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。悠然として山を観る、悠然として酒を味わふ、悠然として精神的にくたびれあきらめるのである」

 私にとって、自戒の文である。
 私の安酒は、味あうというより、陶酔の世界に迷い込むための手段となりつつある。
 主治医の「安酒は飲むな」という忠告は身に染みる。

        ……………………………………………………

     折りあらば飲み 折り無くも飲む       詠み人知らず

 

 

 



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