Letters from the Middle of Nowhere

人生は旅、そして旅は人生。少しエロいアラフォー独身男のアジア旅日記。 海外旅行記や日々考えたことなど、好きなことを書いていきます。

【年齢】 アラフォー
【居住地】 日本
【職業】 リーマン
【趣味】 旅行、ピアノ、お酒、マッサージ
【理想の女性】 タン・ウェイ
【海外渡航】 約90回以上(フィリピン、中国は20回以上)、渡航国は約30ヶ国
【目標】 50歳までにリタイアし、プエルトガレラに移住

とある風俗体験記


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待ち合わせ場所であるコンビニへ行くと、スーツ姿の男たちが、ベンチに腰をかけスマホを弄っていた。店内で立ち読みをしながら、女の子が現れるのを待っている男もいる。店舗型の風俗店全盛の頃が懐かしい。

「ゴトウさまですか?待ち合わせ場所に到着されましたか?」
「はい、今、コンビニの前です」
「すぐに女の子、店を出ますので少々お待ちください」
私は、風俗店で予約をするとき、ゴトウという名で通すことにしている。

今回利用したのは、ソフト系オイマ専門店。最近、可愛らしい新人が入ったので試すことにした。80分15,000円のイベント価格である。
あまり期待していなかったが、現れたのは、若き頃の永作博美を思わせる飛び切りの美女だった。彼女の名はもも。
少しカールさせた肩までの髪、黒のカーディガンにスカート、薄い黒のストッキングにハイヒール。お洒落に金をかけているのがわかる。背は標準よりも高く、スタイルは抜群だ。

「お待たせしました。ゴトウさんですよね」
我々は、手を繋ぎながら、近所のラブホテルへと向かう。


ラブホは、「レオン」や「ロリータ」など映画のポスターが貼られた古い建物で、かび臭い匂いが漂う。我々の部屋は7階だった。幸運なことに、他の部屋とは異なり、広く清潔だ。

「可愛いね」
「そんなことないよ。恥ずかしいよ」
本当に彼女は可愛い。昔職場でいっしょだったマサキさんに顔立ちが似ている。今では体型が崩れ、おばさんと化してしまったが。
「シャワー浴びる?それまでに用意しておくね」
温いシャワーを浴び、口をゆすぎ、バスルームを出ると、彼女は、ベッドの上で、バスタオルを巻いて待っていた。その下はパンツ一枚のみだ。

「まず、うつぶせになってください。オイル塗りますね」
この店に入ってまだ2ヶ月という。マッサージの技術は高くないが、足の裏から太ももまで丁寧にオイルを塗り、筋肉を揉みほぐしてくれる。

「ここに来る前は何をしてたの?」
「トリマーって知ってる?犬の美容師さん。専門学校行ってたよ」
「仕事見つからないの?」
「ペットショップの給料安いもん。あ、私、ホームページでは20歳になってるけど、本当は19歳やねん」ときどき口に出る関西弁がキュートだ。

いつの間にか、彼女はバスタオルを取り、背中をおっぱいマッサージしていた。マカオのサウナでいう全身スクラブだ。
「鼠径部しますね」と、股間付近をじわりじわり刺激する。三角帯から息子へ手を伸ばす。
「気持ちいい?そろそろ仰向けになる?」

仰向けになると、パンツ一枚のももが恥ずかしそうな表情をしている。胸は決して大きくないが白くふっくらとしている。
「キスしてもいい?」キスはオプションで1,000円する。
「いいよ」
濃厚なディープキス。唇の形がとてもきれいだ。
左右の乳首を順番に舐めながら、オイルを付けた手で息子をゆっくりと上下に動かす。

手を伸ばし、パンツに手を入れようとすると「ダメ。今日は生理」と言う。
「おっぱいならいいよ」
両手で胸を揉みながら、彼女の乳首を口に咥える。小ぶりだが、弾力が素晴らしい。肌がとてもきれいだ。
「エッチしたくなってきた」
「ううん...」と言いながら、人差し指を立てる。
「10,000円?生理は大丈夫?」
「最後の方だし、いいよ。あ、でも、オールヌードは3,000円」
迷う私に、
「まけてあげようか?エッチ、7,000円でいいよ」
「生でもいい?」
「それはダメよ。彼氏でもゴム着だから」

残り時間は少ないはずだ。今から、ゴム着でセックスしても最後まで逝けないかもしれない。
「今度にしよう。今日はもう時間がないよ」
「うん」
「こっちの乳首の方が気持ちいい?」
右の乳首を丁寧に舐め、手の動きを早める。白い液が私たちの腹に飛びかかった。
「今度は、マッサージの前にエッチしようよ」
「うん、いいよ」
順番にシャワーを浴び、服を着るとタイマーが鳴った。

ホテルを出ると、街はすっかり暗くなっていた。腕を組みながら、当初待ち合わせたコンビニへと向かう。
「また、指名するよ」
「ほんと?うれしい」


今までで、最高のお遊びは、川島サウナのシュエだ。四川省出身の17歳で、素晴らしい美貌だった。
彼女は、シュエを越えているかもしれない。川島での80分1,398元(23,000円)と比べれば、もも80分25,000円は、決して悪くない気がする。

「お気に入り確定だな」と、私は得意満面で駅へと向かった。












性の黄昏


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チャーリー・チャップリンの名作映画「ライムライト」。落ちぶれた道化師を演じるチャーリーは、彼に思いを寄せる若きバレリーナにこう言う。「私はもう老人だ。精神的な愛だけで充分」

こんな美女に愛を告白されて、セックスを求めないなんてことがあるだろうか。私ならば、どんなに年をとろうとも、死に物狂いで、その期待に応えようとするだろうに、と当時思った。

だが、その考え方も、少しづつ変わりつつある。



男性の性欲は、テストステロンというホルモンが脳を刺激することによって起こる。20代を境に、その分泌量は減少し、40代以降には顕著になる。加齢とともに、性欲が衰えるのは、秋になれば木の葉が散るように、避けられない現象だ。我々は、化学物質の塊で、科学の法則から決して逃れることはできない。


若い頃は、常にムラムラし、性欲は疲れを吹き飛ばした。しかし、最近は、ビールを何本か飲み、ベッドに横になっているとあっけなく眠りに落ちてしまう。

性欲というのは、荒くれものの牛のようなものだ。自己制御の効かない得体の知れない何かから解放されるのは、ありがたいことに違いない。




来月、大連へ行くことに決めた。チケットは、夏休み価格で5万円以上。

ようやく今後の見通しが立つようになり、どこへ旅行しようか悩んだ末の選択だった。3~4泊程度の短期旅行ならば、マカオ、上海、大連、釜山が定番ではある。マカオ直行便ならば関空から4時間、4万円程で行くことができる。

ベトナムも、ハノイならば、渡航範囲内だが、あんな思い出の詰まった悲しい街に行くことはできない。


5年前ならば、間違いなくマカオを選んだだろう。それでも、大連を選んだのは、街がコンパクトで移動距離が少ないこと、そして、松骨やサウナでゆっくりと過ごせることだ。



マカオのサウナで、美女と混浴をしたり、濃厚なSPプレイをしたいのはやまやまだが、テストステロンが減少しつつある最近、やみくもに性欲を発散させるだけでは物足りない。上質なマッサージを受け、気持ちよく抜かれるくらいが、よりよい過ごし方に思える。


少し寂しいかな、とも思うが、自然界の法則に逆らっても仕方がない。老いつつも、その身の丈にあった楽しみ方を見つけなくてはならない気がする。















「なんで、部屋でじっとしてないの!?」 ~2018年も半ばを過ぎて~


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旅の目的は、人それぞれだが、旅先は、大きくふたつに分けることができる。それは、都会か田舎かだ。

近年、LCC(格安航空会社)が普及し、ダナンやセブなど、リゾート路線も増えたが、まだまだ限定的。週末旅行で訪れることができる場所の大半は、そこそこの都会である。


今年前半は、ハノイ、釜山、青島、再びハノイと、都会を訪れる旅行が続いた(釜山と青島には、プチリゾートが存在するが)。そして、滞在中、慌ただしく過ごしていたことを思い出す。



バーバラ・ストライサンドが監督・主演した、1991年の映画「サウス・キャロライナ(原題:The Prince of Tides)」。自殺を図った姉を見舞うために、南部の田舎街からニューヨークを訪れた国語教師トム(ニック・ノルティが素晴らしい演技を見せる)。精神科医ローエンスティン(バーバラが演じる)と面談を重ねるうちに、それまでずっと口を閉ざしていた過去を話し始める。そして、満たされない家庭生活を送っていた彼女と恋に落ちる。


大人の恋愛を描いた素晴らしい映画だが、印象に残っているのは、次のエピソードだ。

ニューヨークにやってきたトムは、しばらくするといてもたってもいられなくなってしまう。「罪悪感や、おのれの向上を図らねばという焦りにかられ、ジョギングや美術館巡りなどをせずにいられなくなってしまう」

いわゆる、ニューヨーク病に罹ってしまったのだ。



都会は魔物で、常に人や乗り物が行き交い、モノが消費され、情報が交差し、足早に時間が過ぎていく。何もせずにいると、自分だけが置いてきぼりを食らったような不安に襲われる。

実際には、通り過ぎる人は、我々の人生に何の関係もない人たちだ。消費をすれば懐は寂しくなるし、動き回れば、運動にこそなれ、汚れた空気を吸い、疲れるだけだ。


そうはわかっていても、大都会にいると、ついつい何かすることを探してしまう。それは、旅先でも変わらない。



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ニンビンへの小旅行から戻ったあと、Mは、カーテンで日光を遮断し、ベッドで寝て過ごしていた。その隙間から外を覗くと、日は眩しく、通りは賑やかだ。いてもたってもいられなくなり、ひとり外へ出かける。


ハノイ滞在の最終日、仕事に出かけるMを見送ると、旧市街を散策した。ホアンキエム湖周辺を歩き、バックパッカー街で土産物屋を覗く。昼間のターヒエン通りを訪ね、冷たいビールで喉の渇きを癒す。


午後遅くなった頃、Mからメッセージが届く。「もうすぐ仕事終わりそう。あなた、ホテルにいる?」

私は、「ホテルにいるよ」と返事をする。


日が沈みはじめ、空がオレンジ色に染まる。ホアンキエム湖の畔で、ベンチに腰掛け、黄昏る人々を眺めていると、新しいメッセージが来ていた。「あなた、どこにいるの!?今、ホテルに着いたよ!」


慌てて、ホテルへ戻ると、不機嫌そうなMが部屋の前に立っていた。「どこに行ってたのよ!?」



昼食を食べることもできないまま、忙しい仕事をこなし、ようやくホテルに戻ってきたM。彼女は言う。「なんで、ホテルの部屋で寝て過ごさないの!?今夜、帰るんでしょ?」


こうして、不満顔のMをなだめ、多分に諦めながら、チェックアウトまでの時間を過ごすことになる。せめて、彼女が戻る頃、ホテルにいるべきだったな、と後悔しながら(サンドウィッチとジュースくらいは用意しておくべきだったかもしれない)。


結局、トムと同じく、ハノイの街中で、ニューヨーク病に罹ってしまったのだ。




都会には都会の魅力がある。最たるものは、アクセスのよさと便利さだろう。だが、人々は常に忙しい。仕事や時間に追われ、生活することで精いっぱいだ。それはそれで仕方がない。


リゾートのよさは、何もしないことが最大の贅沢と思えることだろう。そろそろ、身体も精神も開放させ、静かな海を眺めながら過ごす旅行をしたいな、と思う。














2018年5月 ハノイ&ニンビン旅行記 Part 2 ~ハノイの落日と日の名残り~


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ニンビンへの小旅行から戻ったあと、ハノイで2日間過ごした。

汗が噴き出るような強い日差しのもと、バイディン寺(Chua Bai Dinh)やチャンアン(Trang An)を散策し、疲れが溜まっていた。その後、Mはずっと不機嫌なままで、居心地の悪い思いを抱えながらともに過ごすことになる。


同じ環境で暮らす者同士ならば、旅行はとても楽しいものだ。飛行機に乗り、ホテルに泊まり、観光地を歩き、食事を楽しむ。一方で、我々のような関係は、一筋縄ではいかない。どちらかが会いに訪ねると、もう片方が受け入れの手配をし、常に気を配り、過度に負担を背負うことになる。仕事をしながらであれば、なおさらだ。

こうして、我々の関係も、転換点を迎えるようになった。




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ハノイとニンビンと過ごした4日間、ずっと快晴の天気が続いた。

朝のホアンキエム湖周辺を散歩するのはまたとない楽しみだ。湖畔に設置されたベンチに腰を下ろし、静かな水面や道行く人たちを眺める。ジョギングをする人、体操をする人、ガイドブックやスマホを手に歩道をゆく観光客。バーベルを持ち上げる人もいる。

ハノイは典型的な東南アジアの大都市だが、点在する多くの湖がひとときの安らぎを与えてくれる。



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ハノイの名所のひとつ、ハノイ大聖堂(セント・ジョセフ教会)。ホアンキエム湖から徒歩5分の位置にあるカソリック教会。

この周辺は、観光通りとなっており、旅行客にはとても便利なエリアだ。

土産物を探すが、買うものと言えば、ベトナムらしいお洒落なぬいぐるみくらいか。



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この午後訪れたのが、Huong Sen Healthcare Centre。ハノイに5店舗ある、地元民向けの健康ランドである。訪れるのは今回で2回目となる。

105分のマッサージコースが35万ドン(約1,700円)。食堂では、無料で飲み物や軽食を摂ることができる。観光客向けのマッサージ屋と比べると、格安だ。


2種類の薬草風呂に浸ったあとは、サウナで汗を流し、個室でマッサージを受ける。マッサージ師は若い娘が多いが、この日付いたのはおばちゃん。それでも、丁寧なほぐしマッサージで、十分満足。

風呂に入ってからのマッサージはリラックス効果が高い。



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この頃には、ベトナム料理に飽きていた。

薬味がたっぷり効いたベトナム料理は、暑い気候によく合うが、毎食食べたいものではない。

夜は、Artisan Hotel併設のレストランで、オージー・ハンバーガー。ジューシーな歯応えでとても美味しい。




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翌日、仕事に出かけたMが戻るのを待つ間、近所を散策。この日も快晴で、日差しは強烈だ。

ホアンキエム湖に浮かぶ小島に建てられた玉山祠。ハノイでは必ず訪れる観光名所のひとつである。

入場料は、3万ドン(約150円)。



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13世紀、陳王朝時代に建てられたとされるが、現代の建物は19世紀後半に再建されたもの。

素朴な中国風の祠には、巧みな戦略で、元の侵攻を撃退した英雄チャン・フン・ダオが祭られている。この湖で取れたとされる、巨大な亀のはく製も展示されている。

平凡な祠ではあるが、湖を眺めながら、一息つくにはちょうどよい場所ではある。



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夕暮れどき、人々が夕涼みのために、ホアンキエム湖周辺に集まる。マジックアワーと呼ばれるこの時間、湖や街路樹がオレンジ色に染まる。


ようやく仕事を抜け出すことができたMだが、疲労が限界に達していた。

「なんでそんなにビールを飲むのよ!あなたが皮膚を掻いたりするのもビールのせいよ!」と言う。お金のこと、母親のこと、休みのない仕事のこと、出口の見えない生活に苛立っていた。可愛く従順でおとなしい猫は、どこかに身を隠してしまった。

昔、村上春樹があるエッセイでこう書いていた。「女が怒るのは、怒ることがあるからではない。怒りたいから怒るのだ。そのことに気付くまでに随分と遠回りをした」


Mは言う。「何でわかってくれないのよ!」

こうなっては、サンドバックになって、ひたすら耐え、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。



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日が暮れ、街に明りが灯る。金曜日の夜、通りは賑やかで、大音量で音楽が鳴り響く。

別れの時間が来ようとしていた。


1時間以上不機嫌だったMは、突如ベッドに潜り込み、体を求める。ジェルを使い、ゆっくりと挿入し、体位を変えながら、長い時間かけて交わる。細い腕を背中に伸ばし、激しいキスで口を塞ぐ。そして、かつてないほど、高い声を上げ続けた。



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ハノイ・ノイバイ空港まで、市中心街から約1時間。

予約したタクシーが、渋滞で遅れ、空港に到着した頃、チェックインカウンターには長い行列ができていた。ペットの小犬を連れて旅行に出かける家族が、航空会社職員に犬を引き渡すと、犬は鳴け叫び、空港中にその声が響き渡る。


セキュリティーへと向かう私に最後まで連れ添うM。次回会う日は決めていない。


我々の関係は、転換点を迎えようとしていた。

お互いをより知るようになった今、これまでと同じようにはいかないだろう。上り坂のあとは、下り坂が待っている。



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真夜中過ぎに出発したベトナム航空は、約4時間かけて大阪へと向かう。

座席は中央3列席の真ん中で、隣のおっさんが、ゲイかと疑いたくなるほど、不自然に身をもたれかける。彼を避けながら、朝食も摂らず、できる限り意識を遮断して過ごした。


暑い日々が続いた。肌が小麦色に焼けていた。

Mのことを考える。出口のない我々の関係について頭を巡らす。そして、すぐに諦めた。この先、どうなるかは、誰にもわからない。出会い、付き合い始めたばかりの頃の甘い感情は、朝霧のように霞んで見える。



感情が消える頃と、関係が終わる頃と、一体どちらが先になるだろうか。永遠に続く関係など存在しない。

国、文化、世代、言葉、生活、食べ物の好み。すべて異なる環境で、我々は、一体何を分かち合えるのだろう。


日本に到着するまでの間、空港のセキュリティーに消える私に、目を離さず、最後まで手を振り続けていたMの表情の意味を、ずっと考え続けていた。















2018年5月 ハノイ&ニンビン旅行記 Part 1 ~ニンビンの巨大寺院とチャンアンの地底湖を巡る~


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ハノイは美しい街で、訪れるたびに好きになる。ホアンキエム湖の畔に座り、静かな水面を眺めていると、幸せな気分になる。通りがかる人たちは、みな幸せそうだ。

だが、どの都市でも同じように、一歩奥へ足を踏み入れると、普通の人々の日常の空間が横たわる。発展著しいベトナムだが、誰もがその恩恵にあずかれるわけではない。職に溢れ、公園や路上でただ時間を潰す人も大勢いる。

何度か訪れ、ようやくその光と影とが、目に映るようになった。



2018年5月下旬、ハノイを再訪した。4泊5日の中期旅行であり、遅めのGW休暇である。

Mと再会し、ともに過ごした短く儚い滞在だった。




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ベトナム航空(Vietnam Airlines)B747ドリームライナーが、ハノイ・ノイバイ国際空港(Noi Bai International Airport)に到着したのは、正午を少し過ぎた頃。

今回のチケットは、Surprice!の割引価格で、往復41,440円。ジェットスター(Jetstar Pacific)と比べると、若干割高だが、往路は日中移動なので、身体への負担は少ない。

機内は、ほぼ満員。日本人ビジネスマンや、日本で就労する若いベトナム人の姿が目立つ。



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到着エリアへ出ると、Mが出迎えてくれた。さっそく、Mが手配したタクシーに乗り込み、市内へと向かう。

5月のハノイは猛暑で、日中は35度近くまで気温が上がる。じっとしているだけで、肌が汗ばむ厳しい季節。真冬の頃と比べると、まるで別世界だ。

郊外には、発展するベトナム経済を象徴するかのように、建設中のマンションや商業ビルが威容を誇っている。Mの親戚も、新しいマンションを購入したのだとか。



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ホテルは、前回と同じく、Centre Point Hanoi Hotel。ホアンキエム湖周辺に数多存在するミニホテルのひとつ。

湖まで徒歩5分とロケーションがよく、従業員が親切なので気に入っている。今回は、最上階のシティビュールームで、一泊約5,700円。部屋は申し分ないが、ベランダの構造には不満が残る(厚い壁に阻まれ、外がよく見えない)。

前回滞在したとき、受付担当だった可愛い女の子はいなくなっていた。



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Mとは、1ヶ月半ぶりの再会。十分に味わった体でも、久々に会えばすぐに火が付く。

ジェルで性器を十分に濡らしたあとゆっくりと挿入。ジェルの効果は抜群で、快感がすぐに訪れる。小道具を上手に使いこなすことはとても大切だ。

交わり果てると、Mは、すぐに眠ってしまった。



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夜は、ターヒエン通り(Ta Hien St.)へ出かける。通称ビア通りと呼ばれる、観光客向けの賑やかな通りである。

小さなプラスチック製の椅子に座り、冷たいビールを飲みながらバーベキュー。隣では、白人男性が、寂しそうにひとりフォーをすすっていた。

路上での食事は、汗が噴き出すような季節には、向いていないようだ。ビールもすぐに温くなってしまった。




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翌日、ニンビン(Ninh Binh)へ日帰り旅行に出かけた。

慌ただしく朝食を済ませ、チャーターしたタクシーに乗り込む。料金は、一日200万ドン(約1万円)。ツアーの方が安いが、乗り換えなどで時間がかかるという。

ニンビンを訪れたことがないという、Mの妹Hも同行しての3人旅。早朝7時にホテルを出発し、ニンビンへ到着したのは、ちょうどその2時間後だった。


ニンビンは、ハノイの南方にある地方都市で、景観地として知られている。古都ホアルー(Hoa Lu)や、カルスト状の奇岩で有名なタムコック(Tam Coc)とチャンアン(Trang An)は、2014年に、ユネスコの世界複合遺産に登録された。



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最初に訪れたのは、バイディン寺(Chua Bai Dinh)。ニンビン市内から少し離れた小山に建立された仏教寺院で、開眼式が行われたのは、2010年とつい最近のこと。

東京ドーム149個分と、東南アジア最大級の敷地面積を誇る。黄金の仏像、巨大な仏塔、広大な庭園などから成る、いわばお寺のテーマパーク。仏像マニアには堪らないだろう(たまに、そういう人がいる)。


まずは、カートに乗り、正面門へと向かう。そこから、外壁通路を辿り、小山を登る。通路には、数えきれないほどの仏像が参拝者を見下ろしている。それだけでも圧巻の光景である。



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寺院の中央に位置する釣り鐘堂にぶら下がる鐘も世界最大級の大きさ。

ここから眺める、カルスト湖の眺めは印象画のような美しさだ。



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小山の頂き付近に本堂がある。

ベトナムの仏教寺院は、中国の影響が大きく、漢字表記も多い。

ここには、3体の黄金の大仏が祀られている。文字通り、黄金色の輝きである。


Mは、ヘルプカウンター(のようなところ)で、ある証明書を書いてもらう。病気で訪ねることができない母親へ贈るのだという。祈る気持ちがあれば、きっとその人へ届くだろう。



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寺院は広大で、見所も多い。庭園に咲く花や果物はどれも美しい。

しかし、夏の日差しはきつく、自ずと疲れも出る。Hの顔から、次第に表情が消えていく。普段スクーター頼りの生活をしているツケが出る。

一通り見て回るのに、約2時間。喉がカラカラになっていた。




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その午後、訪れたのは、カルスト台地が生んだ奇岩で知られるチャンアン(Trang An)。

遠い昔、サンゴの死骸が固まった石灰質の海底が隆起したのち、雨に溶かされ、奇岩や洞窟が作られた。世界的に有名なのが、中国の桂林、日本では、山口県の秋吉台である。

ハロン湾は、海にあるが、タムコックやチャンアンは内陸にあるため、「陸のハロン湾」と呼ばれている。タムコックの方が有名だが、近年チャンアンが観光地として整備され、その人気が高まっているとのこと。


入場料20万ドン(約1,000円)を払い、小さな手漕ぎボートに乗り込む。船頭は、人のよさそうなおばちゃん。



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チャンアンには、いくつもの湖があり、それらは地下洞窟で繋がっている。

湖畔に造られた寺院や祠を訪ねながら、地底湖を潜り、新たな湖へと向かう。水面は、波ひとつない穏やかさで、透き通った水の中に小さな魚が見える。

石灰岩でできた山は、密林で覆われ、映画「アバター」のような世界だ。



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MとHは、寺院や祠を訪ねるたびに、賽銭を施し、祈りを捧げる。このために、わざわざ、小額紙幣をたくさん用意してきていた。

神秘的な山々、透き通る鏡のような湖、畔に浮かぶ石造りの祠。それは、この世のものとは思えない、美しい空間。

素晴らしい秘境体験だった。



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5時間にも及ぶ探検を終え、帰路に着く。

白い半月が青い空に浮かんでいた。


助手席に深くもたれ眠りにつくH。運転手と雑談するM。ハノイ市内に入り、家路へと向かう忙しい人々の姿を目で追っていると、ホテルに到着した。




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その夜、ホアンキエム湖を一望できる韓国料理屋で夕食。

ベランダから眺める湖の景色は、チャンアンとはまるで別次元の世界に見えた。



~Part 2へと続く~















ニンビンは素晴らしいところ(期間&読者限定記事)


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ニンビン(Ninh Binh)は、とても美しい景観地で、いい写真をたくさん撮ることができました。ただ、その多くにプライバシー情報が含まれているため、残念ながら、一般公開できません。


本当に信頼できる人のみ限定で、当時の写真を掲載したいと思います。


感想いただけると嬉しいです。



旅行記は、近々公開します。こちらは、一般向けです。















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ノマド的な暮らし


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遊牧騎馬民族の歴史は、紀元前6世紀、黒海沿岸の草原地帯で始まった。彼らは、スキタイという名で呼ばれている。

羊やトナカイを放牧させる暮らしは、それ以前にも存在した。古代ローマやペルシャでは、馬は戦車や荷車として用いられてきた。しかし、馬の背に直に乗り、羊の群れに交じりながら移動する暮らす生活は、それまでの常識を覆すものだった。

約1世紀ののち、その特異な生活スタイルは、東方のモンゴル高原へと伝播し、ツングース系の諸民族に採用される。紀元前4世紀には、匈奴と呼ばれる遊牧帝国が形成され、農業帝国である漢やその後継国家を脅かし続けた。


彼ら遊牧民にとって、草原は生活のすべてだった。夏・冬の放牧地を移動しながら、馬や羊を養い、その肉や乳製品を糧として暮らした。司馬遼太郎は、その著書「草原の記」で、彼らの暮らしをこう説明する。「火がほしければ乾いた獣糞を拾えばよく、食べ物が必要なら、食べ物たちはそのあたりの草を食んでいる」


気候変動や農民の進出で草原地帯の平和が脅かされれば、彼らは戦闘や略奪を行い、ときに征服者として貢物を献上させた。モンゴル帝国は、その最たるものだろう。

馬で大地を駆け、騎上から矢を放つ戦士集団が最大の軍事的圧力であった時代は、19世紀、もろくも崩壊した。西方では、銃を持ったコサック団に蹴散らされ、東方では、漢人による商品経済の浸透により、骨抜きにされた。

現在、遊牧生活を送る人たちはごくわずか。草原を彷徨う亡霊のごとく、貧しい暮らしを送っている。しかし、彼らの暮らしはずっとシンプルなままだ。所有物は、テントと身の回り品のみ。天を崇め、羊の群れとともに生き、死んでいく。




ヨーロッパの知と呼ばれる思想家、ジャック・アタリは、その著書「21世紀の歴史」の中で、世界はよりノマド的な暮らしに向かうだろうと述べる。ビジネスマン、技術者、芸術家たちは、ポータブルなモバイルを手に、世界を自由に移動する暮らしを送る。貧しい人たちは、仕事を求め、厳しい移動を余儀なくされる。

当時はピンとこなかったが、最近ではその意味を身をもって感じることができる。デジタル技術が大幅に進歩し、身近なものの多くが、それまでのモノから、デジタルコンテンツとなった。

写真、本、音楽、映画、ゲームは、スマホのアプリとなり、必要なデータは、クラウドからいつでも引き出すことができる。ディスクや紙媒体として所有しておく必要はない。カーシェアリングサービスを利用すれば、自動車を所有する必要もない(日本での普及はまだこれからだが)。



多くのモノを所有することに価値があるとされたのが20世紀の歴史だとすれば、より少ない所持品で自由に暮らすことが21世紀的な生き方なのかもしれない。

ひと昔の前の旅行が、エージェントを通した煩雑な手続きと雑多な手荷物だったのに比して、現在の旅行は、手軽かつ身軽だ。パスポートやカードなどの貴重品、医薬品、数枚の着替え、そしてスマホさえあれば、世界中どこへでも簡単に訪れることができる(もちろん、アフリカやアマゾンの奥地など、限界はある)。




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最近、身の回り品をまとめて整理した。

しがない賃貸アパート暮らしでも、長年暮らしていれば、自然とモノが増える。気が付けば、大量の本やCDなど、使うことのないモノに囲まれていた。


父親が不治の病となり、古い田舎の家を整理する必要に迫られたことで、モノに対する意識は大きく変わった。誰も住まない家、乗り手のいない車、使わない家具や家電、着る人のいない衣類など思い巡らすと、眩暈がしそうになる。

流動性ある金融資産こそ利用価値があるものだけれども、継ぐ者がいない有形資産など、残された人にとっては重荷でしかない。こうして、古い家屋が、相続者不明のまま、大量に放置されていくのだろう。




人一人が生きていくために必要なものは、決して多くはない。旅行をしていると、その事実を実感する。

仏教の教えではないけれど、モノを持てば持つほど執着も増える。本来シンプルなはずの人生が、複雑で忙しくなる。

大きな家など必要ないし、公共交通機関で移動できるのであれば車も必要はない。見栄えのよい服、豪華な装飾品。それらが、一体何であろうか。



大抵の人は、人生の最後を、病院のベッドで迎える。その瞬間に、家も車も豪華な調度品も、もはや無意味だ。どんな資産家も、その財産を墓場へ持っていくことはできない。



モンゴル帝国第2代大ハーン、オゴタイは、こう話したと言う。「財宝がなんであろう。金銭がなんであろうか。この世にあるものはすべて過ぎゆく」

そして、こう付け加える。「永遠なるものは、人間の記憶である」と。



自分が死を迎える時には、そばにあるのは小さなスーツケースひとつだけ。

それで、決して構わない気がする。生きていたことが、わずかな人たちの記憶に残ってさえいれば。










草原の記 (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社
1995-09-29





アラフォーと癒し旅


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中国の青島を旅行したのは、今回が2回目だった。前回は、友人と初めて訪れる街を散策し、面白そうな遊びを探して回った。


海辺の安食堂で蒸したヒトデを食べ、青島ビール工場を見学し、香港花園の居酒屋で出会った台湾人駐在員に夜の街を案内してもらった。彼が紹介してくれたマッサージ店では、フェラのサービスが含まれていた。香港花園のスナックでは、日本語を流暢に話す女の子たちと、楽しくおしゃべりをして過ごした(当時、「お持ち帰り」という発想はなかった)。


今回、旅先に青島を選んだのは、移動時間が短く、チケットが比較的安かったからだ。だが、それ以上に、久々にあまりよく知らない街を歩いて回りたいと思ったからでもあった。



青島はとても美しい街で、ドイツ支配時代の建物が今も大切に保存されている。小魚山公園から旧市街を望めば、赤とクリーム色の西洋風建築物が立ち並び、タイムスリップしたかのような気分を味わうことができる。第一海水浴場は、ゴミひとつ落ちてなく、静かで美しいビーチだ。



全体的に灰色がかった大連の街と比べると、青島は明るく、春の日差しがよく似合う。街を歩く人々の表情さえ陽気に見える。一度は訪れる価値のある観光地に違いない。




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アジア最大の歓楽都市、マカオを訪れたのは、昨年5月のこと。

ランドマークホテルの2階のある比較的新しいサウナ、壹號桑拿(ワンサウナ)。色白で可愛らしいベトナム娘を指名した。彼女は、個室に入るなり、我が息子を握りしめ、ニコッと微笑んだ。

シャワーを浴び、浴室のベッドにうつぶせになると、彼女は、ローションを塗り、その豊かな胸で全身をマッサージする。仰向けになったあとは、濃厚なキスとフェラ。そして、馬乗りになり、素股で腰をゆっくりと動かす。

ゴムを付けてのスパン。正常位から後背位に体位を変え、激しく膣の奥深くまで突き上げる。「ゴムを外していい?」と聞くと、素直に頷く。彼女の暖かい膣と粘液を味わいながら、膣内に激しく発射する(安易なNNは注意したいところだが)。


深く交わった後は、大きな湯舟にゆっくりと浸り、大画面のテレビで、中国のニュースを目で追う。休憩室で、足マッサージを受けながら、出来たての定食を食べ、スマホに届いたメッセージをチェックする。時間が過ぎるのは、あっという間だ。


究極の癒しとは、このようなものだろう。




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どんな美しい街でも、それだけでは物足りない。自由気ままな一人旅。観光し、食事をし、ビールを飲んで寝るだけでは満足できないものだ。

青島では、情報不足で、遊び場を見つけられなかっただけかもしれない。近々開催される国際会議の影響で、スナックや怪しいマッサージ屋がすべて閉鎖されていたからかもしれない。



香港花園のガールズバーで出会った中国人のおじさんは言う。「青島は、いいところだよ。また来てね」


近いうちに、香港花園などのナイトスポットは再開し、やがて、地下鉄などの交通網も完備するだろう。しかし、この街に戻ってくることはしばらくなさそうだ。




旅に出る理由は人それぞれ。限られた余暇を利用し、自分が稼いだ金で、どこへ旅行しようとその人の自由だ。だが、見知らぬ街を歩いて回るだけでは、十分に満たされることはない。


フィリピンの海辺のリゾート、大連の松骨、上海やマカオのサウナのように、リラックスし、時間を忘れ、ゆっくりと過ごすことができる場所が、旅先には必要なのではないだろうか。

特に、週末、疲れ、癒しを求めて海外へ渡航する、我々アラフォー世代には。












2018年4月 青島旅行記 ~膠州湾の絶景を巡る週末気晴らし旅~


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2018年4月下旬、中国の青島(チンタオ)を訪問した。3泊4日の週末旅行である。

青島を訪れるのは、5年ぶりのこと。どの航空券もGW価格で手が届かない中、山東航空の青島行きチケットのみがお値頃価格だった。


久々に訪れた青島は、巨大なビルが立ち並ぶ近代都市へと変貌を遂げていた。一方で、旧市街の歴史遺産はきれいに保存され、その美しさには絶えず魅了された。

お遊びは楽しめなかったが、天気に恵まれ、快適に過ごせただけでもよかったと思いたい。




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夕方5時頃、ほぼ定刻に出発した山東航空(Shangtong Airlines)は、約3時間かけて山東半島を目指す。乗客の多くは、日本観光に訪れた中国人の団体。機内は満席で、子供の泣き声や喚き声が絶えない。

CAは、清楚系のお姉さんが多く、好印象。昔ながらの地味な制服が、古き時代の女性を忍ばせる。

山東航空は、中国国際航空傘下のローカルエアラインだが、その歴史は比較的長い。日本へは関空にのみ就航している。今回のチケットは、Surprice!の割引価格で往復37,410円。これでも、他の都市や航空会社に比べて割安だった。



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青島流亭国際空港に到着したのは、午後7時過ぎ。街はすでに暗い。到着と同時に、China Unicomのsim-cardをスマホに装着するとすぐに起動した(お勧めです!)。

青島空港は、市中心街から約32キロ離れており、通常車で1時間ほどかかる。空港から市内へはリムジンバスが運行しているが、あいにく最終便が発ったあとだった。

タクシー乗り場が見つからないので、駐車場に停車していたタクシーに乗り込んだのが間違いだった。膠州湾大橋を過ぎた頃、メーターの進み具合が早いことに気付く。ホテルに着いた頃には、300元(約5,000円)を超えていた。

半年ぶりに訪れる中国。到着早々、ぼられては気分が悪い。



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青島市の中心地は、旧市街と新市街とに分かれている。旧市街には、史跡が残り、新市街には、近代的な商業ビルやデパートが立ち並ぶ。

今回宿泊したホテルは、新市街にある青岛山孚大酒店(Qingdao Sanfod Hotel)。朝食なしで一泊5,500円ほど。


建物は古いが、部屋は広く、十分快適に過ごすことができる。ウォシュレット付きのトイレやバスタブも備わっている。日本人街として知られる香港花園は目と鼻の先。地下鉄駅にも近い。唯一の欠点は、セキュリティーボックスがないことか。

コンシェルジェの女の子が、柔らかい雰囲気でとても可愛かった(日本語を話せるコンシェルジェもいて非常に助かった)。



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すでに夜も遅かったが、香港花園を散策。かつて、友人と飲み歩き、スナックで女の子と楽しく会話し、マッサージ店で抜いた場所だ。

地元でも人気スポットのようで、平日にも関わらず街は賑やか。その一方、日本人向けのスナックや怪しげなマッサージ屋は、すべてシャッターが下りていた。


のちに聞いたところによると、6月下旬に開催される上海協力機構会議(中国主導の軍事協力同盟)のため、すべて閉店されているとのこと。タイミングの悪い時期に来たものである(中国を訪れるときは、必ず、事前に大規模な会議やイベントを調べなければならない)。

安食堂で、青島ビールを飲み、その日を終えることにした。




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翌朝は、雲ひとつない快晴の天気。青島は、大阪に比べると若干空気が冷たいが、ジャケットを着ていれば、十分快適に過ごすことができる。

さっそく、地下鉄に乗り、旧市街へと向かう。


青島は、まだまだ開発途上の街で、インフラは十二分に整備されているとはいえない状況。

現在、開通している地下鉄は、2、3、11号線の3路線のみ(11号線は一部区間のみ開通)。最終的には、16号線まで完成させ、郊外までネットワークを広げる計画とのこと。



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地下鉄3号線汇泉广场駅で降車し、第一海水浴場へと向かう。青島には、いくつものビーチがある。第一海水浴場は、旧市街中心地に最も近いビーチである。

この朝、海は引き潮で、波はとても穏やか。冷たい風を頬に受けながら、靴を濡らさないように、干潟となった浅瀬を歩く。

通常、ビーチ沿いには、お洒落なカフェやレストランが並んでいるものだが、ここは中国。貝殻で作ったネックレスや浮き輪などを売るテントが並んでいるだけだった。



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青島は、1897年から第一次世界大戦で日本に占領されるまでドイツ海軍の支配下にあった。膠州湾出口付近の旧市街地は、赤とクリーム色のヨーロッパ風建築物が今もきれいに保存されている。


第一海水浴場西の小高い丘にあるのが、小魚山公園。ツアーならば、必ず訪れる青島随一の景観地である(昔、漁師が小魚を干していたことからその名が付いたとのこと)。

入場料は、10元(払っていない人も多かった)。旧市街地、第一海水浴場、そして膠州湾を遠望できる。

まるで、ヨーロッパの街に迷い込んだかのようだ。



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振り返ると、別の小さな丘に作られた信号山公園や電波塔である青島タワーが見える。

日差しは暖かく、吹き抜く風が気持ちいい。あまりもの心地よさに、立ち去るのが惜しくなる。

至福の時間だった。



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中国を訪れる楽しみのひとつは、マッサージを受けること(私は、腰痛持ちである)。あわよくば、スペシャルなサービスを受けたいと、誰もが願うものだろう。

この日、3軒目に訪ねたマッサージ店は、新市街にある良子足道(2軒目は電気マッサージ店でひどい目に遭った)。美食街として知られる云霄路にある高級マッサージ店である。80分の全身オイルマッサージは388元(約6,700円)。青島では、受付嬢はきれいでも、按摩師はおばさんや男の場合が多い。このとき担当したのも、30代のやや肉付きのよいおばちゃんだった。


背中や脚を十分に揉まれたあと、仰向けの姿勢で腹部のマッサージを受ける。オイルを塗られ丁寧に腹を撫でほぐされていると、手が息子に当たる。値段交渉となり、50元追加でハンドサービス。これが、今回の旅行で唯一のお遊びだった(随分と街を散策したが、エロい店は見つけられなかった)。

手コキをしている間、彼女は常にドアを確認していた。きっと、当局からの指示が厳しいのだろう。




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翌朝、薄い雲が空全体を覆っていたが、時折、日差しが眩しく地面を照らす。幸運なことに、この旅行、最後まで、天気には恵まれた。


地下鉄2号線から3号線へと乗り継ぎ、青島駅で降車。徒歩5分ほどの距離にある、聖ミカエル教会を訪れる。ドイツ支配時代は、この界隈で、最も高い建物だった。現在も、青島のランドマークとなっている。

内部にも、入ることができる。入場料は、10元。

豪華な外観とは異なり、内部は巨大な空洞。ステンドガラスの窓、キリストの絵画や像、そして、祭壇。マカオの教会と比べると、地味な印象だ。



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青島名物の桟橋へと足を運ぶ。旧市街中心地にある海岸に突き出た桟橋で、もともとは、軍事物資を積み込むために建設されたもの。その隣には、青島の名前の由来となった、小青島が浮かぶ。

観光客ならば必ず訪れる名所のひとつで、常に人で溢れ返っている。

海はゴミが散乱し、浅瀬では、藻やフナ虫が繁殖している。お世辞にもきれいと呼べる場所ではない。



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その日、さらに足を延ばし、石老人海水浴場を訪ねる(愛する女の人を待つ間に老人となり、石と化してしまった漁師の伝説からその名が付いたとのこと)。

労山区にある広く閑静なビーチだが、入口は、鉄のフェンスで塞がれていた。

海水浴シーズンの到来に合わせて砂を撒いている最中で、5月末まで閉鎖とのこと。観光客や家族連れの人たちが途方に暮れていた。



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一人旅をしていると、ゆっくりと外食をすることが難しい。最近は、弁当などを買って、ホテルの部屋で食べることが増えた。


中国に来たら必ずといっていいほど食べる鴨飯(私の大好物)。冷えた労山ビールとの相性は抜群。

青島では、ビールが安い。コンビニでは、青島ビールの中瓶は6元(約100円)、労山ビールはわずか2.6元(約40円)。日本とは比べ物にならない安さに加え、軽い飲み口でとても美味しい。



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夜は、香港花園のバー「桜坂」を訪ねる。酒を飲みながら女の子と会話を楽しむ、いわゆるガールズバーである。上海協力機構会議の影響で、スナックは壊滅状態だが、バーは見逃してもらっているという。


店員の女の子と話していると、50代と思われるおっさんが、同伴した女の子とともに現れる。日系企業に勤める中国人で、流暢な日本語を話す。

彼は言う。「お兄さん、青島に遊びに来たんでしょ?ダメだよ、今は、全部やってないよ。会議の影響で、6月まで店閉めちゃってるよ」



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こうして、最後の夜が終わる。

人通りの少ない夜の大通りでは、ホテルや銀行などの巨大ビルが、宇宙船のように派手な光を放っている。

果たして、それだけの宣伝効果はあるのだろうか。そして、一体誰が、その巨額の電気代を払うのだろう。


中国人民が汗水働いて貯めた金を、地方政府が浪費し、それが見せかけの繁栄となっている。郊外の空室だらけのマンションや商業ビル、人の通らない道路などを採算度外視で建設し続けるエネルギーは容易に止まりそうにない。80年代から続いてきた発展の勢いは、いずれ大きな調整へと向かうに違いない。




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最後の日。朝マックをすまし、タクシーで空港へと向かう。

空港までの高速道路はひどい渋滞だったが、機転の利いた運転で無事に到着(運ちゃんはとてもいい人だった)。1時間以上余裕を見ておく必要があるようだ。

混雑を回避し、迂回しながらの運転だったが、料金は約180元(約3,000円)。往路は、やはりぼったくりだった。



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青島国際空港は、地方空港らしく、空気が緩い。入管職員は、客の前で堂々とスマホを弄っている。

空港内のレストランで、麻婆豆腐を食べながら最後の青島ビール。ピリ辛の豆腐が、冷えたビールととてもよく合う。

青島は美しい。人々は親切で、とても居心地のいい街。だが、積極的に訪れたいほどではない。再訪することは、しばらくないだろう。


定刻の午後1時頃、山東航空の中型機は、雲に霞む青島の街をあとにした。




青島を訪れている間、たびたび大連の街を思い浮かべた。どちらも、大阪から約3時間の距離にある中国沿岸の港湾都市。半島部に位置することも共通している。

大連に比べ、華やかで明るい青島。気候は穏やかで、とても過ごしやすい。西洋風の建物と海の景色には、思わず息を呑む。街の至る所に街路樹が植えられ、公園や沿道は春の美しさに溢れていた。通りは広く、巨大ビルが放つネオンの光は目がくらむほどだ。地下鉄などのインフラが整備されれば、さらに便利で快適な都市へと発展してゆくことだろう。

一方、ロシアに支配された北方都市、大連。冬は厳しく街には北国の影が見える。その代わり、街はコンパクトで星海広場などの名所も近い。空港はアクセスがよく、交通網はいち早く整備された。そして、何よりも、松骨や洗浴などが多く、ゆっくりと体を癒しながら過ごすことができる。サウナもある。


青島を旅行して、改めて、大連の居心地のよさを思い知った短い週末旅行だった。












地産地消と旅の極意


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「インドシナで、本当の料理があるのはベトナムだけだ」と言われる。

カンボジアやラオスへ旅行したとき、緑豊かな自然と人々の素朴さには心打たれたが、特徴ある美味しい料理に出会うことはなかった。

ベトナム料理は、淡白で日本人の口にとてもよく合う。気候は比較的温暖で、山や水田、河川、そして海という地理的条件が比較的似ているからかもしれない(中華文明の端にあることも共通している)。



旅は、地産地消だと意識するようになったのは最近のこと。今も残る文化や伝統には、その土地で生き死んでいった人々の叡智が宿っている。大地に根差した小さな差異や特徴こそが、我々という存在を形作る。

旅行く先々で、その土地で取れた食材から調理された料理を食べ、その土地で作られたビールを飲む。それは、旅の最上級の喜びだと思う(できれば、その土地の女の子と楽しい思いもしたいものだ)。



今年1月にハノイを訪れたとき、冷たい北風が吹いていた。気温は10度を下回り、コートを着ていなければすぐに風邪をひいてしまう厳しい季節。

Mに案内され、有名なブンチャー屋やカエル料理専門店など、様々な名物料理店を訪れた。しかし、どの料理を食べても、特段美味しく感じられなかった。ハーブや香辛料が効いた炒め物や鍋料理は、東南アジアらしい汗掻くような気候にこそ相応しいのだろう(来月の訪問が楽しみである)。




Mがビザを取得し、日本を訪れることが決まってから、その準備に追われた。部屋を片付け、新たに布団を買った。そして、彼女を、どこへ案内するか思いを巡らした。

桜を見たいというM。桜の名所は、日本全国津々浦々どこにでもある。


関西圏で、外国人が好む観光地を絞り込み、ルートや値段を調べる。奈良の東大寺、大阪城、アベノハルカス、難波や心斎橋などのショッピングエリアと、見所は多い(京都は、移動距離があることから除外した)。そして、お好み焼きやウナギ料理などの和食レストランをリストアップした。

彼女も、きっと、桜の名所や歴史ある城や寺院などを訪ね、名物の料理を楽しみたいに違いない、と思ってのことだった。



日本に到着後、重いスーツケースを引き釣りながら、自宅へと向かう(その役目を担ったのは私)。その途中、Mは、満開の桜を嬉しそうに眺める(そこは、民家の庭で、写真を撮ったのは、ゴミ収集場だったのだが)。

綿花のように、真っ白に咲く満開の桜を見て満足したのだろうか。その後、彼女は、「疲れたから」と、積極的に外出しようとしなかった。



結局、訪れたのは、吉野山と海遊館の2ヶ所のみ。食事は、基本自炊で、外食は、吉野山の食堂で食べた親子丼だけだった。本当に、これでよかったのだろうか、と思えてしまう。


1週間の滞在中、Mは、その時間の多くを、寝室でぐっすりと眠るか、居間のソファに横になり、iphoneで家族とビデオチャットをしたりベトナムのテレビを見て過ごしていた。昼夕の時間となると、食事の準備に取りかかる。

家族や親戚10人もが暮らすハノイの家から離れて、広く快適な日本のマンションで、ゆっくりと静かに暮らす。それが、彼女にとっての日本旅行だったようだ。




昔、今は亡き母が、ツアーで韓国や香港を旅行したことがあった。彼女が語る外国旅行とは、遺跡や観光名所ではなく、ホテルのベッドや夕食だった。チェジュのロッテホテルで、枕が2つ置かれていたこと、夕食がお粗末だったこと、風変りな同行者がいたことなどだ。

ただ、その国や土地へ行ってみたい。いざその地へ着くと、特段何の印象ももたらさない。家や家庭のことが気にかかる。


きっと、Mは、母と同じように、旅を欲していないのだろう。我々が、異国の風景と情緒を味わうために、そして非日常の体験を求めて海外へ出かけるような旅行は。















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