Letters from the Middle of Nowhere

人生は旅、そして旅は人生。少しエロいアラフォー独身男のアジア旅日記。 海外旅行記や日々考えたことなど、好きなことを書いていきます。

【年齢】 アラフォー
【居住地】 日本
【職業】 リーマン
【趣味】 旅行、ピアノ、お酒、マッサージ
【理想の女性】 タン・ウェイ
【海外渡航】 80回以上(フィリピン、中国は20回以上)、渡航国は約30ヶ国
【目標】 50歳までにリタイアし、プエルトガレラに移住

旅の諫め


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まだ若い頃、タイへ遊びに出かけるとき、タイ航空の深夜便を利用した。私は個人旅行だったが、機内には、ツアー参加者と見られるシニア世代のおじさんおばさんが多く搭乗していた。

隣の座席の人の好さそうなおばさんは、夜10時過ぎになると、何とか眠ろうと努力しているようだった。座席をリクライニングしても落ち着けなかったようで、やがて毛布を抱いて床に横になり寝てしまった。普段、規則正しい生活をしているのだろう。毎朝決まった時間に起き、夜床につく習慣を続けていると、自然に体が反応してしまうものだ。

深く座席にもたれ、体を休めようとしながら、そんなおばさんを他人事のように眺めていた。そして、バンコクに到着するやいなや、街を散策し始めた。今振り返ると、なんて若くエネルギーに満ち溢れていたのだろう、と思えてしまう。



アラフォーになり、体に様々な負担を感じるようになった。睡眠不足は堪えるし、過度な運動をすると疲れが残る。つまらないことで不安を感じたり、深酒をしては死にそうな気分で翌日の仕事をこなす。物忘れは多くなるし、集中力はすぐに途切れる。年をとることはろくでもないことだと常々思うようになった。

昔、村上龍の「年をとり大切なことは、決して無理をしないこと」とのエッセイ記事を読み、そんなものかと思っていたが、今はその言葉が骨身に沁みる。



先日、ベトナムのハノイを訪れた。Mに再会し、充実した4日間を送った。ハノイの数少ない観光名所を巡り、名物料理を食べ、情熱的に交わり、夜はいっしょに眠った。Mとは、会うたびに相性のよさを感じるし、お互いの気持ちは深まるばかりだ(この先、どうなってしまうのだろう)。

懸念だった日本滞在のビザも無事に取得できた。大使館も役所仕事なので、定められた書類を所定の様式で提出すれば、きちんとしたレスポンスをする。犯罪や不法滞在、不法就労の恐れがなければ、ビザの発給を拒む理由はない。




今回のベトナム旅行は、順調に見えて、実際は大変なものだった。

往復路ともの深夜便に加え(さらに遅延した)、ハノイまでも襲ったシベリアの寒波の影響で、体調を崩し、帰国便に乗る頃には、くしゃみが止まらなかった。帰国後も、喉や鼻の痛みは続き、2週間近く経った今ようやく平常を取り戻すことができた。充実したハノイ滞在の代償だったのかもしれない(いいことばかりではないのだ)。



海外へ頻繁に出かける強者たちの投稿を日々Twitterなどで見ていると、「なんて体力があるのだろう」と感心する。タイやドイツで、若くきれいな女の子とセックスをするという情熱がもたらす魔力のようなものだろうか。

しかし、年とともに、体力とともに性欲は衰え、情熱は先細くなってしまうもの(そうでない人たちも稀にいるようだが)。充実した旅行から帰国したのちの生活は苦労の多いものだろう。



年とともに、旅行のスタイルも変化せざるを得ないと考えるようになった。深夜便や早朝便は極力避けたいし、夜遊びも極力減らしたい。


遊びのスタイルとして最高なのは、プエルトガレラで、昼間ビーチリゾートを満喫し、開店と同時にBFを済まし、いいセックスをし、夜10時頃に眠りにつくことだろう。

昼間から遊べる中国やマカオのサウナも健康的でいいものだ。日中、気持ちよく抜き、夜はいい食事をしながら美味しくビールを飲み、ぐっすりと眠る。


年とともに、楽しめる条件は制限される。そんな中で、上手に旅とお遊びを楽しんでいきたいものである。















2018年1~2月 ハノイ旅行記 Part 2 ~水上人形劇とタンロン遺跡、そして別れ~


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季節は真冬で、2月のハノイはとても冷える。東南アジアの一都市と思えないような気候だ。

Mも風邪気味で(寒いのに薄着をする)、部屋で寝て過ごすことも多かった。

暖かいホテルの部屋で、穏やかな湖や通り過ぎる人たちを眺めながら、ゆっくりと過ごすのが一番の贅沢なのかもしれない。




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Centre Point Hanoi Hotelは、9階の屋上が食堂になっており、湖を眺めながら朝食をすることができる。

パンやオムレツなど西洋風の朝食が基本だが、ベトナム風のフォーを選ぶこともできる。どれも美味しく、満足いくものだった。



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ひとり湖畔を散歩する。朝のホアンキエム湖周辺は、人が疎らだ。地元の人たちが、ベンチに腰掛け湖を眺めている。

熱く苦いベトナムコーヒーを飲みながら、静かな水面を眺める。ハノイは、ホーチミンほど歓楽街が発達していないが、自然が多く落ち着いて過ごすことができる。湖畔で物思いに耽るにはもってこいだ。


旅行をしていると、たくさんの人たちを見かける。誰もがよりよい生活をしようと懸命にもがいている。退屈な人生などひとつもないし、その人や家族にとっては、かけがえのない大切な人生だ。幸せそうに見える人たち、満足そうに見える人たち、その腹の中は他の人には決してわからない。誰もが、何かを抱えながら生きている。そんな当たり前のことに思いを走らせる。



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昼は、デリバリーの軽食。Mは、手配の達人で、スマホひとつでなんでも手際よくこなす(私は、甘えるばかりだ)。

安い食堂でも、注文すれば、ホテルまで運んでくれる。

食事のたびにビールを飲む私に、Mは、「そんなに飲んだらダメよ」と、眉を寄せる。ベトナム人奥さんの厳しさは有名で、尻に敷かれる日は近いかもしれない。猫が虎に変貌しつつあるのを感じる(Twitterの投稿もチェックされたので、いくらか削除しました)。



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夕方、ベトナム名物、タンロン水上人形劇(Water Puppetry)を観劇。ホアンキエム湖北側にある劇場で、連日公演されている。入場料は、ひとり10万ドン(約500円)。鑑賞時間は、約50分。観光ツアーに組み込まれているため、ほぼ満席。

ベトナム庶民の生活や祭りなどをコミカルに歌う人形劇で、軽快かつ複雑な人形の動きには驚くばかり。

途中から、同じような内容が続き、若干飽きが来る。30分くらいが適当ではないだろうか。それでも、一見の価値はある。



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その夜は、郊外にある魚料理店で晩飯。

フランス風邸宅を改造したお洒落なレストランで、有名店らしい。「魚を食べたい」と話した私の要望に、Mが応えてのこと。私など、ホテル近所の安食堂で構わないのだが、Mは、せっかくだから美味しい店に連れて行きたいと、連日いろいろな店へ連れて行ってくれた。

若干脂っこかったが、白身の魚は食べやすかった。ハノイは内陸地なので川魚が中心。海魚が好きな人には物足りないかもしれない。




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翌日、ハノイ滞在最後の日。

この日は、タンロン遺跡(旧ハノイ城跡)を訪れる。政府庁舎などが集まる市の中心地にある。11世紀から19世紀にかけて、歴代王朝の城が築かれていた。今も発掘作業が進められている。



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近年、ハノイは観光化計画が急速に進んでおり、この遺跡も、床にはタイルが敷かれ、桜や梅などの植樹が行われている最中。数年後には、立派なモニュメントになるようだ。入場料は、ひとり3万ドン(約150円)。

敷地は決して広くはなく、中国風の建物は地味。軍によって使用された薄暗い地下部屋だけが印象のパッとしない遺跡だった。



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観光が済んだところで、スパへ出かける。今回は、私がネット情報をもとに選んだ。

Huong Sen Healthcare Centerは、Yen Phu通りにある中規模のサウナで、現地では人気店のようだ。次から次へと訪れる多くの客を見かけた。

薬草入りの小さな樽風呂に浸かり、サウナで汗を流したあと、105分のマッサージ。マッサージ師は、20歳くらいの笑顔が魅力的な女の子で、技術レベルが高くとても気持ちがいい。残念ながら、際どいタッチやお誘いはまったくなかった。

料金は、ひとり35万ドン(約1,700円)。女の子には、チップに5万ドン(約250円)を渡した。

Mも、頬を赤らめ満足そう。



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スパにはレストランが併設されており、お粥や飲み物は無料(アルコールは有料)。

マッサージのあと、冷えたビールを飲みながら、ベトナム風鍋をつつく。

とてもいい時間だ。



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最後の夜は、再びターヒエン通り。街を歩いていると、焼いた肉と香草の香が漂ってくる。

金曜日の夜、街はお祭りモードで、とても賑やか。綺麗なビアガールや風船売りが路上に立っている。

軽い食事とビールで、友人と飲み交わせば幸せな気分になるに違いない。



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ハノイを去るときがやって来た。

Mとは、到着してから、ずっといっしょに過ごしていた。毎日、いっしょに寝、抱き合い、そして、交わった。

離れるのは辛い。



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Mが手配したGrabタクシーに乗り、空港へと向かう。彼女は最後まで見送りすると言って聞かない。

鮮やかにライトアップされたホン河(紅河)にかかる橋を通り、しばらくするとハノイ・ノイバイ国際空港へ到着。タクシーには、外で待ってもらい、Mといっしょにチェックインをする。航空会社職員は、冷たくひどく不愛想だ。

別れは辛いが、すぐに会えないわけではない。帰国後、ビザ申請のための書類を揃え直さなければならない。


最後に抱き合い、キスをする。ベトナムでは、人前でキスをすることがないらしく、Mは赤い顔をして怒っていた。その表情が愛おしい。入管の列へと向かう私に最後まで手を振っていた。



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深夜2時頃発のフライトが、「航空会社の事情により」というわけのわからない理由で1時間遅れる。風邪気味の体で、無為に空港で過ごすのは堪えるものだ。

ハノイから関空までの約4時間、前列のおっさんのひどいイビキに耐える苦行のような移動だった。



帰国後、iphoneで撮った写真を眺める。Mが様々な表情をしている。旅のすべての瞬間に、大切な想いがある。

忙しい旅だった。たった4日間の訪問。何と短く儚いことだろうか。


愛しい人が暮らす美しい街ハノイ。そこへ戻る日は決して遠くはないだろう。その前に、ビザ申請というやり残した宿題をこなさなくてはならない。















2018年1~2月 ハノイ旅行記 Part 1 ~ホアンキエム湖の畔とロッテタワー~


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2018年1月下旬から2月の初旬、ベトナムのハノイを訪問した。5泊6日の中期旅行である。

もともとは、遅めの正月休みとして1週間ほどフィリピンで過ごす予定でいたが、昨年末に変更した。どんなよい関係でも、会えなくては続かない。

上海旅行以来、2ヶ月半ぶりに越南天使と再会。そして、4日間、離れることなくともに過ごした短くも充実した滞在だった。




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今回は、昨年新たに就航したジェットスター・パシフィック(Jetstar Pacific)航空を利用。預入手荷物などのオプション付きで、往復31,510円と安かった(たびたび行われるセールでは、15,000円以下で購入することも可能)。

その代わり、就航時間は往復路ともに深夜で、体への負担が大きい。普通の人たちが寝付く時間に空港に向かうのは、気分のよいものではない(この年になると本当にきつい)。

午後10時半頃、ほぼ定刻で出発したフライトは大幅に遅れ、ハノイ・ノイバイ国際空港(Noi Bai International Airport)へ到着したのは午前2時半を回っていた。冬型の大気と偏西風の影響で、この時期、スムーズに飛ばないらしい。



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入管では、職員が少なく異常に時間がかかる。ようやく、手荷物をピックし、到着フロアへ出ると、Mが出迎えてくれた。彼女は、2時間以上遅れての到着にも関わらず、ずっと空港で待ってくれていた。

彼女が手配したタクシーに乗り、ハノイ市内へと向かう。前髪を垂らし日本人のような髪型に変えたMは、とても可愛い。トレンチコートとストッキング姿がよく似合う。



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途中、「お腹空いたでしょ」と、屋台で簡単な食事とビールを買ってくれる。そして、再びタクシーを走らせる。

ホテルに到着したのは、午前4時過ぎのことだった。



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今回宿泊したのは、Centre Point Hanoi Hotel。ホアンキエム湖周辺に無数に存在するミニホテルのひとつ。窓から湖を眺めることができるDelax Lake View Roomは、朝食付きで一泊約6,000円。ふたりでのんびり過ごすには、眺望のよい落ち着いたホテルがいいと考えてのこと。

ベトナムでは、法律上、未婚の男女が同室に宿泊することが禁止されているが、agodaで予約するとき、ホテルにメッセージを送ると、「彼女のIDを預けてくれたら大丈夫ですよ」とのこと(3つ星以下のホテルであれば通常問題ないらしい)。

従業員は、若い人が多く、テキパキと対応してくれる(受付の女の子がすごく可愛かった)。みな親切で、目が合うと、笑顔で挨拶をしてくれる。部屋は、決して広くはないが、清潔でとても過ごしやすい。必要な設備はすべて備わっていた。次回も是非利用したい素晴らしいホテルだ。


Mとは、2ヶ月半ぶりの再会。簡単な食事をし、プレゼントを渡し、シャワーを浴びると、お互い貪るように激しく体を求め合う。そして、翌昼まで、冬眠する熊のようにぐっすりと眠った。




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翌日の午後、タクシーに乗り、昼食へ向かう。この旅行中、移動にはMに頼り切りだった。ベトナムではGrabタクシーが普及していて(Grabバイクも多い)、スマホで簡単に手配することができる(電話で待ち合わせ場所を確認し合う必要があるので、旅行者にはハードルが高い)。値段も、通常のタクシーに比べると安い。


Mが案内してくれたのは、老舗ブンチャーの店Huong Lien。ブンチャーとは、ベトナム風つけ麺で国民的料理のひとつ。焼いた肉が入ったスープに香草や米麺を浸して食べる。

2016年に、オバマ前大統領が訪れ、カリスマシェフであるアンソニー・ボーデイン(私は彼の番組の大ファンである)とテレビ収録を行った店である。ハノイでは観光名所となっているようだ。

お世辞にも清潔とはいえない店内だが、東南アジアらしい雰囲気が溢れている。欧米系の観光客も見かけたが、地元の人が多いようだ。味は、これといって特徴のない平凡なものに思えたが。



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好レートで知られるHa Trung通りで両替し、雑貨屋で格安のSIMカードを購入。ホテルへ戻ると、Mは疲れて寝てしまった。

1月のハノイは寒く、気温は10度前後。街ゆく人も、みな厚手のコートを着ている。常夏のホーチミンとは、気候がかなり異なるようだ。



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その夜訪れたのは、カエル料理店。ハノイ最大の湖、タイ湖(西湖)の畔にある。Mの妹も合流しての夕食となった。

揚げたカエルの脚を野菜一杯の鍋に入れて食べる。カエルの肉は、鶏肉よりも柔らかくプリプリしている。淡泊な味で、とても食べやすい。同時に煮込んだ皮は、硬く不気味だったが。

人気店のようで、地元の若者が仲間と楽しそうに鍋をつついていた。



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その日、最後に訪れたのが、旧市街北側にあるターヒエン通り(Ta Hien St.)。格安でビールを飲むことができることから、ビアホイ通りとも呼ばれている(実際は、観光客プライスだが)。

店の軒先にプラスチックの椅子と小さなテーブルが並べられ、庶民的なベトナム料理を食べることができる。週末には、歩行者天国となり、お祭りモードとなるとても楽しい通りである。

この日は平日で、人通りは少ない。夜は特に冷え、客引きの女の子もみな震えていた。




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翌朝、在ハノイ日本大使館へと向かう。Mのビザ申請をするためである。

大使館の警備は厳重で、入館にはIDの提示と厳重な手荷物検査が行われる。

1階の狭い窓口はビザを申請する人たちで溢れている。まとめて申請する代理店業者も多い。最近は、申請者が増え、通常1週間のはずの審査が2週間かかるそうである。



30分以上待たされ、ようやく申請書類一式を提出すると、滞在予定表を書き直してほしいと言われる。「毎日、どこで何をするか具体的に書いてください」とのこと。細かい予定など決まっているはずはないのだが。

翌日には、電話連絡があり、保証人の所得証明として提出した源泉徴収票では受け付けられないという。「外務省では、納税証明書か所得証明書しか受け付けていないんです」とのこと。まったく難儀なものである。



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日本大使館から徒歩3分のところにあるロッテタワーを訪れる。ロッテ財閥が巨額の投資を行った地上65階建ての巨大ビルで、高級ホテルや最先端オフィス、そして、お馴染みのデパートが入っている。

地下の食品売り場で、フォー(米麺)やニュクマム(魚醤)などの食材を買い込む(帰国時、調味料は重くかなりの負担となった)。日本に滞在していれば、Mがベトナム料理を恋しくなるだろうと考えてのこと。


65階の展望ホールへと登る。外国人は23万ドン(約1,200円)、ベトナム人は18万ドン(約900円)と料金が異なる。



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今回の滞在中、ほとんど曇り空だった。

展望ホールからの眺望は特に優れていたわけではないが、高所からハノイ市内を見渡しているととても気分がいい。

ホン河(紅河)やタイ湖(西湖)の輪郭がよく見える。郊外では建設中のビルが多く、これからの発展を予測させる。

ベトナムはまだまだ貧しい国だが、勤勉な人々と豊かになりたいという庶民の願望が、この街や国を、今後大きく変えてゆくことだろう。



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夕方、ホアンキエム湖周辺を散策。Mは、「スリが多いから気を付けて」と言うが、身の危険を感じたことは、この滞在中まったくなかった。旅行者として、気を付けるべきことを気を付けていれば、特段心配はない。

日が沈んだあとの湖はとても美しく、祠や寺院が鮮やかにライトアップされている。噴水もロマンティックな気分にさせる。旧市街のフランス風建築や中国式建造物の配置は芸術的だ。



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ホアンキエム湖に近いハノイ大聖堂(セント・ジョセフ教会)も、夜にはライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸し出している。時代を超えた美しさだろう。多くの観光客が訪れ、写真を撮っている。

旧市街では、旅行代理店、土産物屋、そして、お洒落なカフェやバーなどが軒を連ねる。路駐されたバイクや縦横無尽に走り回るバイクにさえ気を付けていれば、とても便利で過ごしやすいエリアだ。



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その夜は、ターヒエン通りの有名店で夕食。再び、Mの妹も加わる(ガールズトークが花咲く)。

New Dayという店で、欧米人客が多い(「地球の歩き方」でも紹介されている)。中華風の癖のない料理が多く、この旅行中一番美味しかった。ベトナム料理は、淡泊で食べやすいが、パクチーなどの香草やニンニクや生姜などの薬味が多く、毎日食べているとくどく感じる。

ベトナムのビールには、主に、Saigon Beer、Beer Hanoi、333があるが(他にもいろいろあるが)、Saigon Beerが一番味わいが深く美味しい。



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Mと彼女の妹に案内され、マーケットや裏路地を歩く。

赤一色で統一された中華街では、おばあさんが路肩で紙銭を燃やしている(死者が冥界で困らないようにとのお呪い)。

昔の城壁(のようなもの)が、ライトアップされ、路肩に植えられた木にランタンが輝いている。美しいハノイの夜だった。



(Part 2へと続く)















反省とお詫び


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先日、突如、あるメッセージが送られてきた。以前遊んだ女の子で、このブログに、本人とわかる写真が掲載されていた(ボカシが入っていてもわかる人には簡単にわかってしまうもの)。彼女は、「なんで、そんなことをするのよ!家族に影響しちゃったのよ!弁護士連れて日本に行って、訴えるから!」と厳しく非難した。


このブログは、以前にも書いた通り、もともとは備忘録で、個人的な旅の記録を綴っていたものである。当初、多くの人が読むとは想定していなかった。そのため、海外で遊んだ女の子の写真や名前が掲載されてもいた。日本語で書かれた文章なので、外人は気付くことはないだろうと、安易に考えていたのもよくなかった。



読者さんにとっては、ビジュアルが多く、具体的な記述、内容が望ましいとは思うけれど、彼女たちにもプライバシーはある。特に夜の仕事をする娘は、その事実を誰にも知られたくないに決まっている。法的にも問題がある。




今現在、多くの過去記事を閲覧できない状態にしている。内容を再確認し、特定の人物、名前、顔写真、また風俗関係の情報については、不特定多数にわからないよう少しづつ修正を行い、随時再掲載します(プライベートモードを活用することも検討中です)。


若干面白みは欠けてしまうとは思うけれど、ブログの存続のためなので、ご理解頂けたらと思います。












「日本人は、ビザはいらないの!?」


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世界パスポートランキングよれば、日本人は、世界159ヶ国・地域へビザなしで渡航できるらしい。これは、ドイツ、シンガポール、デンマークなどに次ぎ世界第10位で、我々は世界で最も信頼度の高いパスポートを所有していることになる。

一般の観光旅行であれば、大抵の国へビザを取得することなく訪問することができる。ロシアやミャンマーでも、ビザ緩和化が進められているので、今後益々海外渡航手続きが簡略化されることだろう(まずは、ウラジオストクに行ってみたいものです)。


一昔前は、ビザを取得するために、大使館へ書類を送付したり、領事館へ出向いたりしていたが、今では、その必要はほとんどなくなった。冷戦後の国際環境の変化、IT化の普及、各国の観光客誘致政策、そして、外交努力の賜物なのだろう。



昨年11月、上海で、Mちゃんと会ったとき、彼女は、「ビザはすぐに取れた?」と聞いた。「日本人はビザはいらないよ」と話すと、彼女は驚いていた。ベトナム人が中国のビザを取得するのは難しくないが、それでもちょっとした手間と手数料がかかる。

彼女は日本を訪問したがっていた。ベトナム人にとって、日本は憧れの国のひとつ。アジアで最も発展し、近代的で、清潔な都市を持つ日本のイメージは我々の想像以上によいのだ。しかし、ベトナム人が、個人で日本のビザを取得する場合、そのハードルは高い。所得や銀行残高を証明する書類を求められ、面接を受けなくてはならないこともある。不法滞在、不法就労を行わないことを自ら証明しなければならない。



彼女は言う。「なぜ、ベトナム人は、簡単に日本のビザを取れないの?」


職業や能力、そして身体条件などが同じでも、属する国が違うだけで、渡航条件が異なる。単純労働に従事する英語も話せない日本人が簡単にベトナムを訪れることができる一方、外国語を解し、十分に能力があるベトナム人は、簡単に日本を訪れることができない。

人間は、家族、氏族、地域、国家など、集団ごとにまとまり利害を共有する性質を持っている。有利な集団に所属すれば、楽に生きることができる反面、不利な集団に属すれば、または集団から見放されれば、生きることは困難となる。

日本人として生きることはとても有利で、ベトナム人として生きることはなかなか大変なのだ。



普段、我々は、ついつい愚痴を言いがちだ。人間の欲望は無限大で、我儘を言い出せばきりがない。誰もが理想通り生きることができるはずはないし、満たされないことは多い。

しかし、世界を見渡せば、少なくとも海外を旅行することに限っては、我々は、非常に大きなアドバンテージを有している。裕福な国に生まれ、世界で最も有利な条件で渡航できるパスポートを持っている。この感覚は、他の国の人たちと比べてみないとわからないのではないだろうか。


アラブの産油国の人々を、黄金のベッドに寝そべる人たちと嘲笑するのは簡単だが、我々一般の日本人も、恵まれた環境で生きている。世界には、未舗装の道を躓きながら歩いている人たちが大勢いる。こうした事情も、世界を旅してみないと気付かないものだ。



ベトナム再訪まで、あとわずか。今回は、Mちゃんが、日本へ渡航できるよう大使館へ赴き、ビザ申請を行うつもりでいる。申請書類はすべて用意した。彼女の滞在時の保証も行う。あとは、審査が無事通ってくれることを願うばかりである。


果たして、寒い冬が終わり、季節が変わり始める頃、ふたりして満開の桜を眺めることができるだろうか。















貧しさとは… ~フィリピンの医療制度と途上国の現実~


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日本の危機的な財政状況の原因が、膨れ続ける社会保障費にあるのは周知の事実。いずれ、どこかの時点で行き詰ることは間違いない。90年代以降、人口動態が大幅に変化したにもかかわらず、制度を見直さなかったつけは、将来世代が支払うことになる。

国家財政を揺さぶる社会保障制度だが、受給者の立場から見れば、とてもありがたい制度となっている。



父が、首の神経が圧迫される病気で体の自由が利かなくなりつつある。ひとり暮らしなので日常生活にも不便している。父本人も不安に感じ、介護制度について調べているようだ。そこで知ったのが、大盤振る舞いともいえる、手厚い社会保障制度だった。


障害を抱え要介護認定を受けると、在宅介護受給者として、ヘルパーさんが毎日家まで来て、掃除や入浴、そして食事の世話などをしてくれるらしい。階段やトイレに手すりを付ける費用も一割負担だという。介護保険を支払っているから受給する資格があるのは当然だが、あまりの手厚さに制度が持続するのか心配になるほどだ。

一般の医療についても、検査や入院、そして手術で高額な医療費がかかった場合、高額医療保障制度で賄うことができ、自己負担はごくわずかだ。


我々の世代が、退職する頃には、きっと、今のような手厚い保障を受けることはできないだろう。受給条件は厳しくなり、自己負担額は増大するに違いない。特定の高額医療は保険適用外となり、延命治療を諦め、ベッドで死を待つことになるのかもしれない。




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先月、フィリピンへ渡航し、プエルトガレラを訪問した。

現地で暮らすフィリピン人の友人が、胸に感染症を起こし手術が必要となったという。彼女は、会社で働いていたにも関わらず保険に加入されていなかった(フィリピンでは、半年以上雇用する場合、社会保険への加入を義務付けられている)。途上国とはいえど、医療費は決して安いものではない。

検査費用が高額だったため、やむなく、医師の簡単な診療のみで手術に踏み切ることとなった。手術後、症状が再発し、他の医者に相談すると、またも手術が必要だという(わずかながら財政援助をしてあげた)。


彼女の心配は、痛む患部と膨らむ一方の医療費だった。話を聞いていると、フィリピンでの診療そのものが信用に値しないものに思えた。十分な検査もなく安易に手術に踏み切り、しこりがあれば単純に摘出するのは、まっとうな医学を修めたものの発想とは思えないものだ。



プエルトガレラで暮らす日本人の友人からも、信じがたいような話を聞いた。

「フィリピンでは、病院の目の前で血を流している人がいても、金がなければ門前払いを受けるんです」と彼は言う。

フィリピンでは、病院の勤務医は、病院の施設を間借りしている開業医で、診療収入から賃料を病院へ支払わなくてはならない。診療費を賄えない患者を抱えては、自らが破産してしまうことになる。

そのため、病院へやってくる患者が真っ先に問われるのは、保険加入の有無と医療費を賄う資力があるかどうか。医療費を支払うことができない患者は、冷たく追い払われる(善意で診療してくれる医師もいるだろうが)。



貧しい人たちは、病気になっても、治療を受けられず、家族に看取られながらその一生を終えることになる。日本では、簡単に治る病気でも、満足な治療を受けられず命を落とす人は多い。それが、途上国の現状である。


医者が十分に信じられない場合もある。ある人は、「血圧が高いから、健康のために米をもっと食べるように言われた」と話す。炭水化物の過剰摂取が体に悪いことは、誰もが知っている。医師と面談しても、まともな助言さえ得られないのがフィリピンの現実なのだ。最低限の検査機器さえ備えていない病院も多い。




気候温暖で、自然が溢れ、人が優しい、そんなフィリピンで暮らしたいという気持ちは今も変わらない。

暖かい日差しを浴び、眩しく輝く海を眺め、ビーチを散策する。友人と会い、ビールを飲み交わしながら、談笑に耽る。そんな理想の余生の過ごし方を思い浮かべては、日々労働に励み、旅を繰り返す。その一方で、医療に関しては、将来も(保険の受給条件が悪化したとしても)、日本に依存せざるを得ないのではないだろうか。



途上国へ旅行すると感じることは多い。何よりも、貧しさの現実を、この目ではっきりと見、肌で知ることができるからだろう。

貧しいということは、日々の食費や家賃に窮することであり、病気になってもまともな治療を受けることができないことだ。


激しく往来する車を避けながら、路上を掻き分けるように歩く、ボロを纏ったやつれた障害者。それは、目に入れるにもおぞましい姿だ。
















新年の挨拶 2018 ~性地巡礼から大人の旅へ~


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新年早々、まだ薄暗いうちに家を出、普段なら満員のはずの電車に乗り込む。乗客はまばらで、やむなく出勤する人たちが眠そうに席に座っている。

進行方向とは逆向きの席に深く腰を下し、窓の外を眺めていると、朝日が昇ってきた。通勤電車の中から眺める初日の出。何とも味気ない気はしたが、徐々に強くなる陽の光が、やがて遠くに映る山の稜線を鮮やかなオレンジ色に変える。自分がいる場所を忘れ、うっとりとその光景を眺めながら思う。

「今年は、いい年になりそうだな」



元旦という日は、きっと我々日本人のDNAに深く刻み込まれているのだろう。思わず身を引き締め、新たな一年をどう過ごそうかと頭の中に描いてみたくなる。



今年は、大人の旅をしようと思う。何が大人の旅かは、自分自身でもまだよくわからない。ただ、性地巡礼のようなお遊びスポット巡りとは異なる旅行をしたいと思う(こんなことを書くと、益々PVが減ってしまうかもしれないが)。

今年最初の旅は、1月末のベトナム、そして3月初旬の韓国。その後は、まだ白紙のまま。



いつも乗るいつもの電車からの景色。満員電車の中、体がぶつからないように、窮屈な身をさらに捻る。痴漢に間違われないように吊り革を探す。スマホでゲームや漫画の世界に没頭するスーツ姿の男たち。メイクに余念のない女子高生。車外に映る美しい景色を見過ごしていることに、彼らは一体いつ気付くのだろう。

今年は、同じような場所を旅することが増えるかもしれない。それでも、必ず新しい発見があることだろう。見落とした景色の中から重大なヒントが見えてくるかもしれない。



改めて、新年あけましておめでとうございます。

今年一年が、みなさんにとって、実りある年となることを願っています。




2017年を総括 ~一年のうちひと月は海外暮らし~


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昨年、海外へ9回渡航し、「こんなことは、もう二度とないだろうな」と思っていたら、今年も9回渡航してしまった。

そのうち、6回は、2~3泊の東アジア旅行。わずかな休暇を上手に利用して、海外へ出かけたというのが実情に近い。1週間の旅行は、冬と夏の2回のみで、それは人並みではないだろうか(実際、年次休暇を消化しきれていない)。


今年の特徴は、上海を3回訪れたこと、初めてシェムリアップを訪れたこと、ブログを通じて知り合った友人たちと旅先で会ったこと、そして、Mちゃんに出会ったことにある。みなさんから、とてもいい刺激と思い出を頂きました。




今年も、どれくらい海外旅行にお金を費やしたか計算してみた。あえて、家計簿を残すのは、「楽しかったからよかった」と考え、締めるべきものを締めずにいると際限なく出費が膨らんでしまうからである。何事にも限りがある以上、上手に使わなければならない。


航空券      25万円
現地交通費     3万円
宿泊費      17万円
お遊び      40万円
食費等その他  10万円
合計        95万円


これらのうち、旅行そのものにかかる出費は、航空券、現地交通費、宿泊費の合計45万円。遊び代や食費などは、日本で暮らしていても発生するもので、月4万円くらいの出費は、決して高い額ではない(国内風俗2回と飲み代で消えてしまう額だ)。

ただ、上海やマカオでの遊びで、連日3万円以上費やしたのは、やりすぎだったかもしれない。絶世の美女と出会い、遊ばずにいられないのが男というものだが、いい女と遊ぶことに慣れてしまうと、レベルを落とすのが難しくなる(高級ワインを飲んだあと、格安の山梨ワインを飲むようなもの)。



海外でどのくらい時間を費やしたかも計算してみた。旅行出発日から帰国日まででは、43日間、実際に海外で過ごした日数では、35日間であった。一年のうちひと月は海外で過ごしたことになる。


幸福への第一歩は、好きなことに集中的に、時間やお金に配分すること。上手にやりくりしながら、限られた人生を楽しんでいきたいものである。




私には、昔から奇妙なジンクスがある。経済の好況サイクルのように、3年周期で、うまくいかない年、まあまあの年、そして幸運な年と繰り返している気がしていた。そのサイクルに従えば、今年は不運の年だったはずだが、実際はよい一年だった。来年はどうなるのだろう、と不安に思うこともあるが、そんなことを考えても意味がないのだろう。


川幅が一様でなく、流れに緩急があるように、誰にも様々な紆余曲折がある。やるべきことをきちんとしていれば、道を踏み外すことは少ないのではないか。



今年も残すところあとわずか。新しい年がみなさんにとって、よき一年であることを願っています。















サバンビーチのメリークリスマス


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先日、フィリピンのプエルトガレラを訪問し、友人と再会した。彼女に、「〇〇は、今働いているの?」と、知人について尋ねると、「クリスマスパーティをしてるよ」とのことだった。

「クリスマスまで、まだ2週間以上あるじゃないか」と問うと、友人のひとりがマニラへ帰省するので、早めにパーティを開くことにしたのだという(パーティをしないという選択肢は存在しない)。


フィリピンは世界一クリスマスシーズンが長い国として知られている。海外へ出稼ぎに行く人が多いので、彼等がいるうちにお祝いしておこう、とクリスマス前からパーティーが続く。

パーティーとはいっても、ささやかなもの。Red Horseの大瓶にフライドチキンなどの食事、そして、カラオケ。大した金などなくても、気の知れた仲間とビールを飲みながら冗談を飛ばし、思う存分カラオケを歌えば幸せだろう。




昔から、なぜクリスマスにお祝いをしなければならないのかわからなかった。日本の伝統行事ならばともかく、異文化のお祭りをクリスチャンでない日本人がお祝いする必要があるのだろうか。最近では、ハロウィン・パーティも盛んだという。

結局、みな家族や友人と会うきっかけがほしいだけなのだ、と思うようになった。



人類は、何万年もの長い間、狩猟採集生活をしてきた。その時代の出来事は、今も我々の遺伝子の中に生きている。遠い昔、我々は、小さな血縁集団だけで暮らし、その集団に属することは、身の安全と安心を保証するものだった。現実には、いろいろと問題はあるだろうが、家族集団といれば幸せと感じるように我々はプログラムされている。

人類集団が拡大するに従って、血縁関係にない人たちも友人として受け入れるようになる。エリック・パーカー著「残酷すぎる成功法則」によれば、それは、他者を疑似家族と見なす行為だという。そのような行動様式は、人類以外の動物では見られないものだ。



日本に限らず、世界では、地方から都市へと多くの人が移り住んでいる。生まれ育った土地を離れ暮らす人たちは多い。都会では孤独に陥りがちだ。そのような人たちにとって、家族や友人とともに過ごす時間はかけがえのないものだろう。

イエス・キリストの生誕も、サンタクロースも、トナカイも、七面鳥もどうでもいい。大切なのは、家族や友人とともに過ごす幸せな時間だ。


誰もが、人と繋がっていたい。大切な人と時間を分かち合いたい。それは人間の本能で、その欲求を満たしてくれるのがクリスマスだとしたら、無下に否定する理由はない。



私自身は、クリスマスも年末年始も仕事で終始することになる。ひどく味気ないが、それでも、多くの人たちが幸せな気分で過ごしていると想像すると、決して悪くない気はする。















2017年12月 プエルトガレラ旅行記 Part 2 ~サバンビーチのある晴れた一日~


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楽園の日々は短い。

仕事や時間、日々のしがらみをすべて忘れて、気のすむまで滞在することができたらどれだけ素晴らしいだろうか。

そんな焦りに似た感情を抱えつつも、穏やかな時間が過ぎていった。




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サバンで長年暮らす友人宅を訪ねる。10年ほど前に日本での仕事を辞め、フィリピンでリタイア生活を始めた。大きな病気をせず、資産を食いつぶさず、生き長らえてきた。

隣人は、金持ちの中国人女。フィリピンの各地で、フィリピン人ボーイフレンドとダイビングを楽しみながら暮らしているらしい。放し飼いの鶏が、ベランダや路地を徘徊して回っていた。

人生80年という時代、長く生きることが最大のリスクとなる。アーリー・リタイアメントを成功させるのは生半可なことではなない。金融資産だけに頼る生活は不安と隣り合わせに違いない。



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友人宅を出ると、空が晴れ渡っていた。厚い雲は去り、海は眩しいばかりだ。

サバンビーチを散策する。これほど、楽しい散歩道は存在しない。

サバン沖に浮かぶフローティングバーでは、白人たちがビールを飲み、海を眺めている(船酔いしない人が羨ましい)。



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スモールラグーナビーチは人が疎らでとても静か。波の音が心地よい。

背後には、高級リゾートホテル。

砂浜に残る珊瑚の残骸を踏みしめながら、西へと足を進める。



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西端の小さな入り江が、ビックラグーナビーチ。スモールラグーナ以上に静かなビーチだ。

日光浴をする白人、ダイビングのため沖に出る韓国人たち。

プエルトガレラ全景を見渡せる岬へ登ろうとすると、巨大なトカゲが藪の中を歩いていた(怖ろしくなり、すぐに退散)。



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足を東へ向け、再びサバンビーチへ。

サバンビーチのフェリー埠頭に新しくできた待合室。古い施設は、昨年の台風で壊れてしまった。

サバンの街を歩いていると、昔BFした女の子に出会うことがある。彼女たちにとっても、この場所は、特別なのかもしれない。今では、違う仕事をしていたりする。



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サバンビーチの東端には、まだ白い砂が残っている。

ビーチ沿いにできた新しいホテルを試してみたくもなる。



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お気に入りのレストラン、Tina's Placeでサンミゲルライト。目の前は海。

波の音を聞きながら、ビールを飲んでいると、忘れかけた感情が蘇る。「自由とは、幸せとは、有意義な人生とは・・・」

サバンで過ごすことは、進み過ぎた時計の針を少しばかり戻す作業なのかもしれない。



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夜は、再びディスコ巡り。What's Upで、前日目に留まった娘をBF。

彼女の名前はC、マニラ郊外出身の19歳。サバンに来て約半年になるという。

BFは4,000ペソ。夜10時を過ぎれば3,000ペソに値下げされるという。



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シンディーは、若干肌が濃いながらも、細く綺麗な体をしている。タトゥーがないのも高評価(実は、舌にピアスをしていた)。

ホテルの部屋で、テレビを見ながらのんびりと過ごしたあと、シャワーを浴び、ゆっくりと交わる。

2回戦を終えると、友達に会いたいからと帰って行った。




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翌朝は、曇り空。

乾季に入ったばかりのこの季節、天候はまだ不安定のようだ。

静かな海を眺めながら苦いインスタントコーヒー。楽園を去るのが惜しい。



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Si-Katでマニラへ戻る。Kさんも同じ日程だった。

幸い、フェリーもバスも乗客は少ない。

9時半頃サバンビーチを出発し、エルミタへ到着したのは午後2時を回った頃。バスの座席が狭く、膝が痛くなってしまった。



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マニラでは、再びRiviera Mansionに泊る。早期割引価格で、朝食なし一泊4,200円ほど。

今回は、バスタブが付いていたが、風呂の栓が壊れ、湯が溜まらない。



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マラテにある健康ランド「山忠」を訪れるつもりが、Red Massageへ。マラテのレメディオス・サークル付近にある韓国系リンガム・マッサージ店である。

80分のリンガム・マッサージは、1,300ペソ。シャワー付きは1,600ペソ。100分シャワー付きは1,800ペソとなっている。受付で、写真から女の子を選べるようになった。

担当したのは、アンナ(仮名)、22歳。小柄だが、整った顔立ちと綺麗なスタイル。小さな子供がいる。金に困っているらしく、「仕事が終わったら、ホテルに行ってもいいよ」と言う。終業時間が遅いので、連絡先のみ交換して別れる。

こうして、最後の夜も終わった。




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翌朝、4時頃にホテルをチェックアウトし、空港へと向かう。

深夜発着のフライトは、体には堪えるが、マニラの渋滞を避けて移動できるのがメリット。空港まで約30分、170ペソ。

若干心配していたセキュリティーも問題なく通過。最近は、銃弾恐喝事件を聞かなくなった。旅客の安全のためのセキュリティーチェックが、旅客の脅威であってはならないのは当然のことだ。



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復路は、ジェットスター・アジア(Jetstar Asia)航空。朝7時頃、マニラを出発。街はまだ暗い。

大阪まで約3時間、寝不足を取り戻すかのように、うとうとと過ごす。険しい山々の頂に白い雪が見え始めた頃、関空へ到着。

今年最後の旅行が終わりを告げた。



日本に到着すると、サバンで暮らす友人からメッセージが届いていた。「無事に日本に着いた?」「無事に着いたよ」と返事をする。彼女は言う。「よかった。神様が導いてくれたのよ」

神様が、近いうちに、プエルトガレラへ導いてくださるように。


故郷とは心が帰る場所という。ならば、プエルトガレラこそが我が故郷かもしれない。そこで暮らす親しい人たちが、安全で健康で過ごせることを願ってやまない。















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