浅間山の大噴火

1783年(天明3年)、浅間山は大噴火した。
噴煙は、上空1万メートルにまで達し、その時に流れ出た溶岩流は、付近の村々をあっというまに覆い尽くし、約1200人もの命が失われた。

流れ出た溶岩流は、何もかも焼き尽くしながら吾妻川へと流れ込み、川の岸辺には溶岩と一緒に運ばれてきた凄まじい数の死体と、家屋の残骸が打ち上げられた。

特に火口付近に近かった鎌原(がまはら)村は、わずか十数分の間に村全体が溶岩流に覆われ、この村だけで、477人の犠牲者を出した。
だが、村人たちが全滅したわけではなく、何とか93人ほどは、近くの高台に非難し、命拾いしたという。
その後、火山の山麓付近では約3ヶ月間に渡って煙がくすぶり続け、歴史的な大災害となったのである。

そして歳月は流れ、ようやくこの大噴火も昔話となりつつあったころ、鎌原(がまはら)村で、驚くような事件が起きた。
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日本の怪事件 PART2

パラコート連続毒殺事件
パラコート連続毒殺事件とは、1985年4月30日から11月17日の間に日本各地で発生した、無差別毒殺事件。
全て未解決。

関連事件34件(模倣犯を含む)のうち、13人が死亡。

全国各地の自動販売機の商品受け取り口に、農薬を混入したジュースなどが置かれていた無差別殺人事件。
毒物の混入された飲料を置き忘れの商品と勘違いさせ、それを飲んだ被害者が命を落とした。

当時は、瓶で販売されている飲料のキャップは構造上、開封と未開封の区別が付きにくかったため、一旦開封し毒物を混入した上で、キャップを戻しても一見目には、そうと分からない事が多かった。

ちなみにこの事件に起因して現在でもオロナミンCなどはビンのプルタブ形式を継続している。
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日本の怪事件 PART1

赤毛布の男
最初に書いておくが、この事件は迷宮入りであり、犯人はわかっていない。
昭和10年代、福井のある村で、ある小売商の家に夜半10時頃、訪問者があった。
本家からの使いです、といって表戸を叩くので、細君が起きて出てみると、赤毛布を頭からすっぽりかぶって、本家の提灯を持った男が軒先に立っている。
本家で急病人が出たから、呼んできてくれと頼まれたというのだ。

急いで亭主はその男とともに家を出ていった。
本家からその家までは8キロほどある。
亭主を送りだしてやった妻は心配しながらも、子供たちを再度寝かしつけて、自分もうとうととした。
しかし2、3時間後、また戸を叩く音がした。

出ていくとまた赤毛布の男である。
彼は「病人はとても朝までもたなそうだから、女房も呼んでくれと言われ、迎えに来た」と言った。
細君はすわ大変とばかりに、子供と親しい近隣の家にあずけて男とまた一緒に出ていった。
すると1,2時間たって、今度は子供を頼んだ隣家の戸を叩く者がいる。
また赤毛布の男で、顔は見えない。

「両親が、子供も連れてきてくれというので迎えに来た」と男は言った。
しかしその家の細君は、こんな夜中に子供に風邪をひかせては大変だし、もうぐっすり眠っているから明日にしておくれ、と言った。
男は再度頼んだが、彼女は頑として応じなかったので、赤毛布の男は不承不承、帰っていった。

ところが数日後、この小売商の夫婦は惨殺されて河に投げこまれているのが発見されたのである。
犯人があの赤毛布であることは明らかである。
が、物取りにしてはひとりひとり誘い出すなど、念が入りすぎている。
また子供まで誘い出して殺そうとしたことなどから考えるに、怨恨としても相当根の深いものだ。

本家の提灯を持っていた、ということからしてすぐに犯人は割れるものと思われたが、結局何ヶ月たっても犯人の見当はつかず、迷宮入りになってしまった。

しかし男が終始顔を見せなかったこと、子供だましの嘘でふらふらと夫婦ともども出ていってしまったこと、子供だけは、まるで隣家の細君が護符でもあったかのように守ってみせたことなど、まことに不気味な事件と言っていいだろう。
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