さて、不遇の人生を閉じた天才:沢村栄治(元巨人軍)は最終章となりました。その1~3とブログ3回で天才:沢村栄治投手の人生を語れるにはおよびませんが、要点を付き今回が最終章となりました。
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 昭和10年、大日本東京野球倶楽部(愛称:東京ジャイアンツ)は結成にあたり、日米野球の功労者:沢村栄治を筆頭投手に挙げ、アメリカ遠征に行き、帰国した後の昭和11年には、日本職業野球連盟結成され、全国に次々とプロ野球チームが誕生した。(名古屋金鯱軍・大東京軍・名古屋軍・セネタース・阪急・大阪タイガース・東京巨人軍)その中でも大阪タイガースと巨人軍(東京ジャイアンツ)の2チームは激戦を続け実力争いをしていたそうであった。
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 昭和11年9月26日、強敵:大阪タイガースとの第一次甲子園リーグ戦において沢村投手の足上げ投法により日本プロ野球初のノーヒットノーランが達成し、日本プロ野球の歴史が大きく始動はじめたと言える。しかし昭和12年7月7日盧溝橋(ロコウキョウ)事件勃発し日中戦争が始まり、巨人軍のエース沢村も招集され歩兵第三十三連隊に入隊する。 巨人軍のエース沢村は、当時のスターであり、沢村栄治の入隊時の心臓レントゲン写真は相撲界の双葉山と共に新聞に載り、日本軍部の宣伝に多く利用されていたそうである。入隊した当時に行われた手榴弾の投てき練習では、野球の球の重量3倍ある手榴弾を76mと言う驚異的な記録を出し、戦争の中国戦線では、活躍したが、指手先等を負傷しながらも昭和15年、念願の日本に無事帰国し戦争で悪化する中において巨人軍のエース沢村は、日本のプロ野球界に火をつけ続け昭和15年7月には巨人対名古屋軍戦で3度目のノーヒットノーランを達成した。だが、巨人軍のエース沢村は150キロを超える豪速球も魔球ドロップも復活させる事は出来なかった。
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 そうなのです・・戦争により、沢村栄治は、思い銃をかつぎ連日の行軍そして無理な手榴弾の投てき・・沢村投手の2年間以上に渡った軍隊生活は、沢村の肩も指先も痛め、従来の沢村投手の球威を奪われてしまったのであった。昭和19年12月2日・・沢村栄治は、3度目の召集を受けて戦艦に乗り、台湾沖からフィリピンへ向かっていた。沢村は野球ボールを握り締め座っていると他の日本軍人が「巨人軍のエース沢村やないけ?戦争が終わったら、150キロを超える豪速球と魔球ドロップでノーヒットノーランやろ?」と騒がれてたそうな時、敵襲にあい、沢村栄治の部隊は全滅され、巨人軍のエース沢村投手(満27歳)戦死。不滅の大投手巨人軍永久欠番14番沢村栄治・・つまらぬ戦争の犠牲者となってしまった沢村栄治・・日本プロ野球界の始まったばかりの黎明期を飾った27歳という若さで・・静岡の草薙球場にも沢村栄治投手の足上げ投法の銅像がありますが、まさに短い野球人生でした。私は、1964年(昭和39年)12月2日、池田大作創価学会第3代会長(現名誉会長)が執筆開始した小説『人間革命』の書き出し「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、 悲惨なものはない」の創価学会歴代会長の平和への信念が込められている事に同意しますが、今現在の世界中のおいても「アグネス・チャンのコンサートへ:民音で三島市で開催。http://tomotaroukun.blog116.fc2.com/blog-entry-511.htmlではアグネス・チャンは、194ヵ国のなかで24の国で戦争・内戦があるらしい・・と語っていたが、未だに、誰のせいか?国家の国王や醜い政治家のせいであろうか・・戦争の犠牲者で戦死する人間が居るのです。戦争自体が間違っているのです。争うのなら、人を殺す武器や爆弾等も使わずに、スポーツで争い結果を出す!決着をつけるといった事は出来ないのだろうかと思う私です。

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