2013年04月15日

オフィシャルブログの移転

2005年4月より スタートした
本学園オフィシャルブログが、
2013年4月16日より下記アドレスに変更になります。

日本映画大学学生、教職員はじめ
横浜放送映画専門学院・日本映画学校の卒業生、講師の皆さまも
引き続き、よろしくお願いいたします。

http://www.eiga.ac.jp/blog


2013年04月09日

「三年間で学んだこと」 荘原正樹 (日本映画学校 映像科卒業)

編集 ソウハラ090 8244 9805 荘原正樹














この三年間は僕の人生にどう影響するのだろう?

未だ就職先も決まらず、春からの予定は真っ白。
なのに引っ越すのは、家賃が一人で住むには高すぎることと(一年間、友人と一緒に住んでいた。彼は先に部屋を出て行った)、今、住んでいるこの場所から離れたいからだ。

引っ越しのため、荷物を整理しているとき、懐かしいものを見つけた。
一年生のとき撮った映画の台本だった。

初めての映画制作で僕は撮影を選んだ。
特に理由は無い。何をすればいいか分からず、ほんの少しの興味で選んだだけだった。
初めて持ったカメラのずっしりした重量感が両手に伝わり、ファインダーを覗いたとき、ああ、こうやって映画は作られるんだと実感し、感動した。

二年生になって編集部に進んだ。
編集は面白かったし、やりがいはあった。フィルムに写る無数のコマを切ったり貼ったりする作業は、「俺、今映画作ってるよ」って感じの充実感があった。撮影した画を繋いでスタインベックで見て、あれこれ考えることも好きだった。
デジタルになってもその気持ちは変わらなかった。
ただ、編集部に入ったのは、「将来は絶対に編集技師になる!」みたいな確固たる理由では無く、ただ漠然と編集でもしてみよっかな、と思ったからだった。編集の仕事で食っていこうという情熱もなかった。

昔から自分で決めることが苦手だった。
僕が今までの人生で選んできた選択の恐らくほぼ全て、何となく、だったと思う。

映画が好きで、映画を作ってみたいと思い、この学校に入学した。
しかし実際は、何となく生きてきて、何となく生きていた。そうしているうちに、映画すら何となくで作るようになってしまっていた。

いつから自分は、惰性に流されるようになったのだろう。
自分で選択する苦労を嫌がって、失敗や辛いことは全て他人のせいにした。
何故、自分自身で決断することを放棄したのだろう。
何となくで過ごしてしまった三年間を、僕はとても後悔していた。

台本の中に一枚の写真が挟まっていた。
初めて作った映画のクランプアップのときに撮った集合写真。
撮影が終わって安心したのか、能天気な顔をしている。
あの頃は何も分からず、無我夢中だった。必死に行動していた。
三年間で一番忙しかったが、一番充実していた。

遅いかもしれないが、これからは、自分の行動は自分で決めよう。
がむしゃらにやろう。
(日本映画学校 映像科25期生)





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2013年04月02日

「『卒業』も良いが、やっぱり『俺たちに明日はない』」 庄司寿之(日本映画学校 映像科卒業)

しょうじ IMG_3469












写真:最前列左

月日が経つのは早いもので、もう卒業である。

この3年間で、人間研究、800feet、1000feet三科、1500feet、三科卒制、卒制と沢山の実習を経験した。
どの実習も本当に大変だった。
苦痛だった。
早く終われと何度も願った。
一日一日はあっという間に過ぎていくのに、終りは果てしなく遠くに思えた。
ようやく完成しても、反省と後悔の嵐。

しかし驚いた事に、卒業を迎えた今思い返すと、これまでの長く苦しかった日々も「いい思い出」に成りつつある。

写真には、在学中最も苦しかった時期の自分がいる。
なんだ、割といい顔してるじゃん。
共に写っている仲間達に、感謝。
(日本映画学校 映像科25期生)


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2013年03月26日

『これから「名画座」の話をしよう。』細野辰興(映画監督、日本映画大学教員 )

ほその














 「映画の本質」の話から入ろう。と云っても日頃ゼミで話しているメディアとしての「映画の社会的役割の本質」ではない。「映画の観られ方の本質」だ。
 TVもインターネットも存在しない遠い昔、映画はどの様に人々に観られていたか? リュミエール兄弟のグラン・カフェを例に出すまでもなく人々は、住居から出て映画が上映される場所に集まって観ていたのだ。映画館か野外上映かは知らないが、兎に角、人々は一箇所に集まって映画を観てきた。それが「映画の観られ方の本質」だ。勿論、私も基本、その様に映画を観てきた。

 私が十代後半から二十代前半の頃、都会を中心に映画のオールナイト興行と云うものが花盛りだった。高倉健、鶴田浩二、藤純子などの東映任侠映画が魁だったが、色々な「封切り館」で土曜の夜から日曜日の朝にかけて映画を上映し若者を中心に圧倒的な支持を得ていた。
 一番の全盛期(1969年前後)には田舎の高校生だった私がオールナイトに嵌るのは、それよりもう少し後の大学生の時代。任侠映画は下火になっていたが、色々な特集上映が組まれ、一晩で数本往年の映画が観られるオールナイトに毎週の様に通い続けた。観たい映画たちを観ようと思っている人達ばかりの空間に身を置き共通の映画を観る悦びよッ。今、思い出してもワクワクして鳥肌が立ってくる(笑)。
 その中でも特に印象に残っているのは、新宿東映(現在の「バルト9」)の『宮本武蔵』五部作(監督・内田吐夢 主演・中村錦之助)一挙上映と、知る人ぞ知る名画座の老舗、池袋・文芸坐(現在の「新文芸坐」当時は同じビルに文芸地下と芝居小屋ルピリエの三空間在った。)の『日活映画特集』だ。   
 『宮本武蔵』五部作では10年間に及ぶ武蔵の大河の奔流のような凄まじい生き様を一晩で体験し、脚本の鈴木尚之氏の名台詞「青春二十一、遅くはないッ。」を反芻し自らを鼓舞したものだ。
 文芸坐(正確には文芸地下の方)の日活特集は、「日活」が「にっかつ」と改めロマン・ポルノ路線に変更して間もない頃だったので何処か「往年の日活アクションよもう一度! 」的な雰囲気が漂い満席の場内は凄い熱気! 映画館丸ごとその時代へタイムスリップしたかの様だった。石原裕次郎出現前の日活映画(50年代前半)から始まり裕次郎が登場、ブレイクした黄金期までの作品群を遡ると云う、戦後最高の人気スター誕生のクロニクルを追体験。一本一本微妙に変化していく裕次郎やレギュラー共演者たちの顔つき、そして当時の日本の風景。それを一晩で他の観客たちと一緒に追体験してしまった興奮は、大袈裟にではなく生涯、忘れることはない。

 さて、ここからは今日のテーマである宣伝です(笑)。その名画座の老舗、「新文芸坐」で来たる4月6日㈯に私のオールナイト特集を実施してくれることになりました。題して、
【『私の叔父さん』DVD発売記念 気になる日本映画達<アイツラ>2012番外編 異才・細野辰興オールナイト&高橋克典トークイベント】
『私の叔父さん』『竜二Forever』(主演・高橋克典)『シャブ極道』(主演・役所広司)の3本立て。
 今年の一月に「シネマヴェーラ渋谷」が【90年代のバイオレンス映画】特集の中で2日間に亘り『シャブ極道』を8回上映してくれ、未見の方を中心に、かなりの集客と反響を呼んだ。再上映を求める声がtwitterを中心に飛び交い始め、丁度、『私の叔父さん』のDVD発売が3月20日に迫っており、イベント企画人として知る人ぞ知る「錦之助」さんの仲介もあり、実現した。
 他の作品では滅多に観ることが出来ない役所広司と高橋克典!! &生・高橋克典と私のトークイベント。オールナイト向きの番組になったとは自負している(笑)。

 処が、若者の名画座離れが甚だしいと耳に入って来る。なんて勿体ないことを!? と思う。映画館ではなくTVのモニターで映画を観て育った世代が映画館にノスタルジーを感じないのは解らないではない。しかし、映画館、特に特集上映中心の名画座は映画ファンや映画を勉強しようと思っている者には宝庫中の宝庫だ。滅多に観られない作品たちが、そこへ行けば大スクリーン&フィルム上映され、他の観客たちと一緒に観られる贅沢さ。自分以外の反応も判る。意外な人とも遭遇する。「新文芸坐」などは入れ替えもないので何回も観ることが出来る。書籍やチラシなどの資料や情報も手に入る。何より映画のライブ感を体験できる。これを利用しない手はないではないかッ。
 「新文芸坐」を筆頭に「大井武蔵野館」、「飯田橋ギンレイ坐」、「早稲田松竹」、「目黒シネマ」、「シネマジャック&ベティ」、「シネマヴェーラ渋谷」、「下高井戸シネマ」、「川崎アートセンター」、三月一杯で閉館となる「銀座シネパトス」など魅力的な名画座はまだまだ在る。
 若者よ、「映画の本質」に戻って映画館で映画を観よ! 名画座デビューせよ! 名画座に通って往年の映画の力を体感せよ! それこそが明日の力だッ。
 先ず手始めに、4月6日㈯の「新文芸坐」の私のオールナイト特集辺りから覗いてみようではないか(笑)。
(日本映画大学 准教授)


PS:「新文芸坐」さんの御好意で日本映画大学の学生は、4月6日㈯の私のオールナイト特集に、学生証を提示すれば割引料金(当日2500円、前売り2300円の処を2000円)で入場できること になりました。 28日(木)から劇場窓口で前売り券を購入できるそうです。

新文芸坐ホームページ
http://www.shin-bungeiza.com/allnight.html

『私の叔父さん』ホームページ
http://www.magicaltv.net/_webpage/watashino-ojisan/










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2013年03月19日

「筋書きの第一歩!」植田朱里(日本映画大学1年)


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まず、みなさん最初にあいさつと名前を書いている方が多いのでとりあえず名前は一番最後にします。

こんにちは。
週刊コラムのお話をいただき、何を書こうか悩んでいたら夜中の3時です。

みなさん、3月8日は何をされていましたか?

映画が好きな方なら誰でもわくわくする第36回日本アカデミー賞授賞式がありましたね!

私は日頃の行いが良いおかげで、日本アカデミー賞授賞式のスタッフさんのお手伝いを少しだけやらせて頂きました!
(本当は募集メールに一番に返信しただけなのは内緒なんですが。)

まず、一番の感想としては
「頑張って頑張って頑張って、私も受賞者としてあそこに立ちたい!!(そして、あわよくば最優秀賞を頂きたい。)」
と、とても貪欲な感想です。

他にもたくさん感じたことがあるんですが、やはり一番はそう感じました。

"映画"に対しての大きな変化としては、今まではつくる側に興味が沢山あり、演技に対して興味が薄かったのですが今回の受賞者の方の素晴らしい顔を間近で感じ、演技に対しても興味がわきました。

大学生活も約一年が経ち、たくさんのことを学びました。
なので、あの場に立つのには相当な努力と信頼と忍耐、そして人間関係がなければ・・・

ちょっと、こういう真面目な文章書くの苦手なので簡単に。
折れるのはやくてすいません。

映画もテレビも何事も準備が大事。入念な準備があっての本番。
計画通りにいかないのなんて当たり前なので、その時その時の行動が大事。
そして当たり前ですが、人間関係はとても重要。何かをやるには本当に大勢の人が関わっていること。
今回スタッフをお手伝いさせていただいて改めて思ったこと、学んだことです。

次にスタッフのお手伝いの機会があったらこの間よりももっと成長した自分で挑めます。
と、アピールも忘れない。よしっ。

そして、お礼も忘れてはいけません!!
今回このような機会を提供して下さった
富山さん、雨宮さん、根本さん
ありがとうございました!!

富山さんは
「何年か後に君たちが受賞者になって、実は、数年前日本アカデミー賞授賞式のスタッフをやって…なんて綺麗な話しになれば(笑)」
と、冗談まじりにおっしゃっていたのですが

その筋書きの第一歩を踏めた私が頑張るしかない!と思っております!!

ということでこれからも頑張ります。

そろそろ朝日が見えてきそうなので失礼いたします。
何時間も悩んでいたのが伝わると思います。
そして何時間も悩んでこんな文章ですいません。

2,3月とフリーターのような生活を送っています。
はやく本業の大学生に戻りたい…
それではお休みなさい。
失礼いたします。

1年熊岡クラスの植田朱里でした。
(日本映画大学 映画学部 2期生)

日本アカデミー賞公式サイト
http://www.japan-academy-prize.jp/index.php
*第36回日本アカデミー賞のOB受賞者
優秀脚本賞・青島 武「あなたへ」
優秀撮影賞・清久素延/江原祥二「のぼうの城」

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