2006年10月09日

「思えば遠くへ……来てました」石垣 直哉(プロデューサー)

石垣 直哉

映画学校を卒業して10年とちょっと。
この秋、私が初めて企画・プロデュースをした映画『アオグラ』が公開されます。

卒業後、フリーの制作進行からスタートし、年の休みが片手で数えられるような 激忙生活を3〜4年続け、20代半ばに過労で倒れ救急車→入院→長期休業をする こと2回、体調の問題から現場で働くことを断念し、製作会社の総務・経理とし7年事務職に就き……。と、今現在プロデューサーという自分の想い続けていた一つのゴールに辿り着いていることが信じられないようなキャリアを送ってきました。

こんな私がプロデューサーになれたのは、「映画を創る(プロデューサー になる)」という単純な目標からブレなかったから、それだけだと思います。映画を創る上で役に立たない経験なんてありません。映画をやること、救急車で運ばれること、サラリーマンをやること、すべてが映画を作る上で大事な経験でしかない。そう思い続けていた私には、ハタ目からは横道に逸れまくっているように見えるこのキャリアも、「映画を創る」という目標への一本道でしかなかったのです。

映画学校在学中の私は、それはそれはいい加減な学生でした。授業もサボってばかりで、いつも学生ホールにスケッチブックを広げ、絵を描いて時間を潰しているダメ学生でした。でも、毎日学校には居たのです。なぜか。それは、「映画を創りたい」という共通の旗印の下に集まった同期たちと、ああでもないこうでもないと映画について話したかったからでした。ここで交わしたすべての会話もまた重要な経験であり、今の私の血となり骨となりました。(授業に出席しつつ、 尚且つ空き時間で皆と会話していればよかったのですが…)

また、当時私は美術デザイナーを志して、美術ゼミに在籍していたのですが、 「美術はプロになってからいくらでも学べる」と、監督、製作、役者、ナレーター、カメラも覗けばブームも握り、「プロになってからでは出来ないであろう経験をする」ことに執着しておりました。結果、製作の魅力にとり付かれてしまい、美術から製作へと方向転換することになりましたが、目の前にある様々な体験をただひたすらに乗り越え、突き進んだ結果出てきた結論でしたから、これもまた今思えば一本道でしかなかったような気がします。

学生の皆さんは、とにかく色々な経験をしてください。これは、無理に色々なことをしてくださいという意味ではありません。何をしている時でも、何もしていない時でも、「今、自分は貴重な経験をしているんだ」ということを忘れないでくださいということです。
『アオグラ』は、言ってみれば「今、自分は貴重な経験をしているんだ」ということに気づかず、焦り続ける若者の24時間を描いた映画です。
自分の将来を思う時、先を思えば思うほど視界はボンヤリしてきます。当たり前です。それを不安に思う必要はないのです。それより、目の前にある体験に真っ向からぶつかってみましょう。そういう映画です。

当面の夢であったプロデューサーが、目標にかわり、そして実現をしてしまいました。
正直、僕もこの先どこへ進むべきか見えていません。
とりあえず、今日も今を経験しながら生きることにします。
それで大丈夫でしょう。たぶん。

「アオグラ」公式HP : http://www.cinehouse.co.jp/aogra/

│カテゴリ:OB 
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