2005年10月31日

「DVD映像で蘇る喜八監督とその思い出」佐藤闘介(映画監督)

佐藤闘介

この夏に突然、近所の岡本喜八邸に呼び出されると、岡本みね子プロデューサーは僕にこう告げた。
「(喜八)監督はいないけど、岡本喜八を主人公にして作品を撮りなさい。佐藤闘介監督作品として仕上がりに責任を持つこと。だけど、予算は殆ど無いからね!」
僕の頭の中は、一瞬にして「・・・」となり、かくして僕にとって、いちばん長い夏がやって来たのである・・・。

岡本喜八監督のボックスが、東宝、角川から連続して発売されることになり、僕は東宝ボックス1の、“Soldiers”と題された第一巻特典ディスク用映像を任され、今、特別協力の川島章正氏とともに編集作業に入っている。
僕は監督はもちろん、脚本・撮影、さらにはインタビュアー、解説など、狂言回しとして“出演”もしている(予算が無いから!?)。内容は岡本喜八邸に残る、ありとあらゆる監督の私物を駆使し、喜八監督のエッセイ集をドラマ化、さらに無謀と言うか、最後のオリジナルシナリオSFブラックコメディ『アンドロイド』を、僕なりの視点で部分的に映像化するというものである。今回注目なのは、若き日のカントクとみね子ママを演じて貰うために抜擢した二人の新人、無名塾出身の滝藤賢一君、長尾奈奈さん。
喜八監督の次女岡本真実さんは岡本邸での撮影中、喜八監督役の滝藤君のあまりのソックリぶりに涙を流してしまった。単なる特典映像の枠を超えた、というか、色々とオキテ破りの作品になりそう、である。未編集のインタビュー映像を含めたオールラッシュは九時間半を超えている。

また、ボックス1収録の『独立愚連隊』『独立愚連隊西へ』『戦国野郎』『地と砂』は、そのまま僕の父(佐藤允)の代表作となる。これに、『どぶ鼠作戦』が加われば完璧なのだけれど、現実はそうもいかなくて『赤毛』(でも、最高に面白い映画)が入っての五作品収
録となる。ま、でもボックス1は『愚連隊シリーズ』が中心であることに変わりはない。
父の、というか喜八監督の『独立愚連隊シリーズ』を初めて見たのは、高校を卒業して間もない頃だった。 上映時間に少し遅れて、劇場扉を開けると、自分の年齢にほぼ近い二十歳代の父が目の前にいた。映画だから言葉を喋り、後ろ姿など、身振り手振り全てが撮られている。泣き、笑い、怒り、あらゆる感情があり、ヒロインとのラブシーンもある。これは映画を観ているというより、もうタイムスリップで若き日の父を目撃しているようで、フラフラと朝方、家に帰ると現在の父が起きていて、「朝までどこ行ってたんだ!?」と怒鳴ら
れ、なんだか殆ど、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の様な体験であった・・・。

それまで、様々な人達に、かつては岡本喜八と言えば佐藤允、佐藤允といえば岡本喜八と、当時日本映画の中で最も斬新な映画を送り続ける黄金コンビだったと聞かされていた。
父は喜八映画に十二作出演、厳密に言えばこえに岡本喜八監修・脚本のテレビシリーズ『遊撃戦』全十三話が加わるが、中でも『独立愚連隊』『独立愚連隊西へ』『どぶ鼠作戦』『戦国野郎』の四本(喜八監督はこれらを真の意味で和製ウエスタン『愚連隊四部作』と位置づけていたフシがある)での父は、もっとも良い時期に出会えた最高の役柄だったと思う。
『愚連隊』では弟の死の真相を追及するべく従軍記者と偽って戦場をさすらう二丁拳銃の脱走下士官、続く『西へ』では、中国語ペラペラの軍曹、そして『作戦』では行方不明になった新任参謀を探しに札付きの兵を率いて戦地に向かう特務隊の隊長(この映画は『プライベート・ライアン』の元ネタになったという噂がある)、『戦国野郎』では若き日の秀吉、木下藤吉郎を文字通りに怪演した(この映画はストーリーが、メル・ギブソンの『マッドマックス2』とウリふたつ!)。若き日の父は岡本喜八という最高の映画監督によって、最高の脚本、最高の役柄で、日本映画アクション史上、最大スケールの映画に出演することが出来たのだ。一俳優という仕事を選んだ者にとってこれ以上の幸せは無い。

でも不思議なことに二十代の父が出演した喜八映画以外の東宝映画を見ると、なぜかしっくりこないものがある。どうして、喜八映画に出たときとこうも違うのか。僕なりの答えを見つけるとするなら、それは、喜八映画の中での父は監督と同年齢、つまり三十代の役を演じていたからだ。他の映画の父は素顔の若者、それもどこかオッサン顔で、青春ものなどに出ると、なんだかとっても居心地悪いのである。それがひとたび喜八映画に出てくると、颯爽として、まるでハリウッドスターの如き精彩さを放つのである。最近で言えば『プラトー
ン』のウィレム・デフォーや『ギャング・オブ・ニューヨーク』の大人になった口髭デ・カプリオを彷彿とさせるのだ。そして何よりも喜八映画での父は、喜八監督その人に似ている。まるで兄弟のように・・・!
やがて父と喜八監督は『日本のいちばん長い日』でひとつの節目を迎えた。全てはすでにやり尽くされていたのだ・・・。
そしてその後、の父と監督は、至福の時間を過ごした俳優と監督として、他人には、否、家族にさえも絶対にわからない、極論すれば男と男にしかわからない、ハードボイルドな“感情”で結ばれていたのだと僕は、ささやかながら三本の映画を監督してみて、あらためて確信する。

父の『助太刀屋助六』における友情出演が初出演の『結婚のすべて』と奇妙に符合する出演シーンで、本当に見事な、そして運命的なコラボだったと感嘆せざるを得ない。
喜八監督が遺した愛用のホームビデオ、ソニー・デジタル・ハンディカム・DCR−VX1000で撮影された、東宝岡本喜八DVDボックス特典ディスク用映像『喜八監督がいた。/Memory of Kihachi Spirits』は、岡本喜八・佐藤允コンビ作品の思い出のオマージュであり、言わば映像の、エッセイ集になれば、と思っている。

│カテゴリ:OB 
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