竹下彌平さんについての情報提供をお願いします。

明治時代に存命だった竹下彌平さんの御子孫を探しています。
あるいは、竹下彌平さんについての情報を求めています。

竹下彌平さんとは、大日本帝国憲法(明治憲法)発布(1889年)の14年ほど前の1875年(明治8年)に、当時にしてはかなり民主的な内容の「憲法提言」を東京の「朝野新聞」(同年3月4日付)に投稿した方です。

竹下彌平さんは、当時、鹿児島県の「襲山郷」に居住されていました。
鹿児島県下大隅国贈唹郡襲山郷住居愛国愚夫
鹿児島明治8年2月1日謹述
                         竹下彌平

「襲山郷」とは、1869年〈明治2年)に「曽於郡郷と日当山郷とが合併してできた郷」です。
その「襲山郷」は、1879年(明治12年)に、「西襲山郷」と「東襲山郷」とに分かれていますから、わずか10年間だけ存在した郷です。

西襲山郷=朝日、西光寺、東郷、嘉例川=後の西襲山村(日当山村)
東襲山郷=田口、大窪、川北、重久、松永=後の東襲山村。

この郷は、今の霧島市(そのなかの姶良郡隼人町、霧島町、国分市)です。
私の故郷なのです。

霧島市に情報提供をお願いしましたが、当時の戸籍は廃棄されているとの返事でした。

竹下彌平さんの御子孫、あるいは竹下彌平さんについての情報をご存知の方は、お知らせいただければ幸いです。

◇参考文献:

・ 川嵜兼孝・久米雅章・松永明敏『鹿児島近代社会運動史』南方新社・2005年54−63頁。
・ 出原政雄「日本最初の民間憲法草案 ― 国分・隼人地方の竹下彌平」志学館大学生涯学習センター・隼人町教育委員会編『隼人学』南方新社・2004年109−118頁。