◇はじめに

(1)いわゆる郵便不正事件で、大阪地裁は、今月(9月)10日、厚生労働省の元局長に対し無罪判決を下した。
朝日新聞2010年9月10日
村木元局長に無罪判決 大阪地裁 郵便不正事件

 郵便割引制度をめぐる偽の証明書発行事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省の元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(54)の判決公判が10日、大阪地裁であった。横田信之裁判長は、検察側が描いた事件の構図の大半を否定。「村木元局長が証明書の発行を部下に指示したとは認められない」と述べ、無罪(求刑懲役1年6カ月)を言い渡した。大阪地検は、2週間の控訴期間内に今後の対応を上級庁と慎重に協議する。
 村木元局長は2004年6月、自称障害者団体「凛(りん)の会」(東京、後の白山会)が郵便割引制度の適用を受けるための偽の証明書を発行するよう、担当係長だった上村(かみむら)勉被告(41)=同罪で起訴、公判中=に指示したとして、昨年7月に起訴された。
 検察側は、凛の会元会長の倉沢邦夫被告(74)=一審・同罪は無罪、検察側控訴=が石井一(はじめ)・参院議員(76)に証明書が発行されるよう頼み、石井議員が当時の塩田幸雄・障害保健福祉部長(現・香川県小豆島町長)に口添えした「議員案件」だったと指摘。捜査段階の上村被告らの供述に基づき、当時課長だった村木元局長が塩田元部長から指示を受け、上村被告に証明書を不正発行させたと主張していた。
 ところが、上村被告は今年2月の村木元局長の公判で、「調書はでっち上げ」「証明書の発行は単独でやった」と説明を一転。横田裁判長は今年5月の公判で、上村被告らの供述調書計43通のうち34通について、「検事の誘導で作られた」などとして証拠採用しないと決定。残りの9通や関係者の手帳などの客観的証拠などから、証明書発行が議員案件だったのか▽村木元局長が上村被告に発行を指示したのか――などを検討した。
 判決は、検察側が石井議員と倉沢元会長が面会して口添えを頼んだと主張した「04年2月25日午後1時ごろ」について指摘。この日は石井議員が朝から千葉県成田市のゴルフ場にいたことが公判で明らかになったことを踏まえ、「面会は不可能だった」と述べた。
 「石井議員の口添えを受けて村木元局長に発行の便宜を図るよう指示した」とする塩田元部長の捜査段階の供述については、「議員の機嫌をとるために証明書を発行する必然性はない」とし、信用性に乏しいと指摘した。
 そのうえで、判決は証明書の発行が「議員案件」ではなかったとし、村木元局長から上村被告への発行の指示は認められないと結論づけた。(平賀拓哉)

(2)この無罪判決は、裁判の途中から、ある程度予想されるものであったが、判決後、この事件は、地検特捜部(の検事)による証拠改竄事件へと新たな展開をみせている。

そこで、以上について投稿するが、投稿しようと思って溜め込んでいたものもあり一度に投稿しきれないので、何回かに分けて投稿する。

(3)まず、ここでは、大阪地裁の判決に関する新聞社説を幾つか紹介し、記録に残すことにしたい。

(4)それらの社説(下記参照)における主張には、(一部社説の例外があるものの)幾つかの共通点がある。

第一に、大阪地裁特捜部に対して捜査の検証を求めていることである。
社説の見出しに明記しているものもある。

第二に、全ての取調べの可視化(全部録画)を求めていることである。
もっとも、社説の見出しには見られない。

しかし、第三に、死刑執行の停止を求めていないことである。


◇新聞社説

毎日新聞 2010年9月11日 2時33分
社説:元厚労局長無罪 検察捜査の徹底検証を


 大阪地検特捜部が摘発した障害者団体向けの料金割引制度を悪用した郵便不正事件で、厚生労働省の元局長、村木厚子被告に対し、大阪地裁は検察の描いた構図をことごとく否定した上で、無罪を言い渡した。検察は、捜査の問題点を徹底的に洗い直し、国民の信頼を取り戻さなければならない。
 実体のない障害者団体が、厚労省から偽の証明書の発行を受け、企業のダイレクトメールを大量発送して、郵便料金約80億円の支払いを免れたというのが事件の内容だ。検察は、国会議員が口添えした「議員案件」だったと主張し、村木元局長が部下の元係長に偽の証明書の作成を指示したとして、虚偽有印公文書作成の罪などで起訴した。
 判決は、元係長が独断で偽の証明書を作成したことを認めた上で、元局長との共謀を明確に否定した。検察が描いた「議員案件」との筋書きも退けた。
 元局長は一貫して無罪を主張し、関係者も法廷で、元局長の関与を認めた捜査段階の供述調書の内容を相次いで覆す証言を行った。
 裁判では、検察が取り調べの経過などを記したメモをすべて破棄していたことも明らかになった。メモは最高裁が「捜査上の公文書」との判断を示し、最高検も「適正な管理」を全国の高検、地検に通知していたという。調書の任意性を立証する上で、廃棄はいかにも不自然に映る。
 一方で、元係長が拘置中に取り調べ内容などを記録した「被疑者ノート」の記述は、元局長の関与を否定した法廷証言と合致した。今回の裁判は法廷で示される証拠をより重視する裁判員裁判の対象ではないが、判決は客観的証拠に基づき法廷証言の信用性を認め、検察の供述調書の大半を裏付けが不十分と退けた。
 「密室の犯罪」を扱う特捜検察では、関係者の供述を積み重ねる手法が常道とされる。ただ、捜査の過程で、自ら描いた構図と異なる供述が出ても軌道修正されにくい。今回の判決は特捜検察の捜査手法のあり方を厳しく問う結果になった。
 捜査の透明性を確保するうえで、取り調べの全過程を録音・録画する可視化の実現が急務である。千葉景子法相はコスト面などを理由に可視化の対象事件を限定して法制化する方針を示しているが、限定することが妥当なのか、幅広い論議が必要だろう
 元局長は逮捕から5カ月以上も身柄を拘束された。起訴後も長期間にわたり拘置されたが、逃亡や証拠隠滅の恐れがあったのか疑問を抱かざるを得ない。元局長の身体的、精神的な苦痛は計り知れない。検察は控訴を断念し、元局長の一刻も早い名誉回復を図るべきだ。

南日本新聞( 9/11 付 )社説
[村木元局長無罪] 検察は過ちの検証必要

 郵便制度悪用に絡む厚生労働省の文書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使の罪に問われた元局長村木厚子被告に対し、大阪地裁は無罪判決を言い渡した。
 検察側は懲役1年6月を求刑し、村木被告は一貫して無罪を主張していた。
 横田信之裁判長は判決で「偽造証明書の作成を部下に指示したことは認められない」と共謀を否定した。
 公判ではかつての上司や部下が、大阪地検特捜部による捜査で元局長の関与を認めた供述調書の内容を否定し、横田裁判長は「検察が誘導した可能性がある」などとして大半を証拠採用せず、検察は立証の柱を失っていた。当然の判決である。
 検察は判決を厳粛に受け止め、猛省を促したい。判決を今後の教訓とするために捜査の在り方を検証し、その結果を明らかにすべきだ。
 公判で浮き彫りになったのは、あらかじめ事件のストーリーを決め、それに沿った供述を容疑者に押しつけて有罪判決にもちこむという検察の捜査の構図である。
 従来の特捜事件によくある構図であり、今回の文書偽造事件でも起訴時には「十分な証拠」がそろっていたはずだっだ。
 だが、出廷したかつての上司や部下が捜査段階の供述を覆した上に、検察官の無理な取り調べを相次いで暴露し批判したことで、検察が描いた事件の構図は崩れたといえる。
 決定的だったのは、証拠採用された村木被告の部下だった元係長上村勉被告の「被疑者ノート」だ。
 ノートには、「冤罪(えんざい)はこうして始まるのか」「密室では検察に勝てない」など心情が克明につづられていた。密室での検察のずさんな捜査が浮かび上がってくる。
 検事や副検事ら取調官が取り調べの際に書いたメモを破棄していたことも問題になった。メモの取り扱いをめぐっては、最高検察庁が事件の着手前に必要な期間保管するよう各地検に通知していたのに守られていなかった。
 これでは検察に都合の悪いメモを意図的に破棄したのではないかとみられても仕方あるまい。
 裁判員制度のスタートで刑事裁判は書面審理から口頭主義へと軸足を移したこともあり、調書に向ける裁判所の目はおのずと厳しくなっている。こうした中で、冤罪を生まないために取り調べの全面可視化0件を一刻も早く導入する必要がある。

[京都新聞 2010年09月11日掲載]
「元局長は無罪」  供述誘導の捜査を批判

 「村木元局長は無罪」。大阪地裁の判決は明快だった。
 郵便の割引制度をめぐり偽の証明書が発行された事件で、横田信之裁判長は虚偽有印公文書作成・同行使の罪に問われた厚生労働省元局長・村木厚子被告の関与を、全面的に否定した。
 実体のない障害者団体・凛(りん)の会の設立者が国会議員に厚労省への口添えを頼み、上司の依頼を受けた村木元局長が部下の係長に指示して証明書を作成させた−大阪地検特捜部が描いた事件の構図は判決でことごとく崩れた。検察完敗といえる。
 判決は客観的事実より都合の良い供述を強引に得ようとした特捜部の捜査手法を断罪した。検察当局は、国民の信頼が大きく揺らいだことを重く受け止めるべきだ。
 元局長の関与を認めたとする供述調書について内容を覆す証人が相次いだことや公判での証言重視が今回裁判の特徴だった。結果的に8人の供述調書43通のうち、核心部分である係長の調書など34通が検察の誘導の可能性があるとして証拠採用されなかった時点で無罪判決は自然な流れだった。
 判決が理由説明で「いかに調書が多く、迫真性があるとしても、客観的な証拠で裏付けられなければ評価できない」とした点は説得力がある。
 密室で作成された供述調書の重視に傾きがちだった従来の裁判から、公判での証言を尊重するようになった点を評価したい。新しい裁判像として他の裁判にも示唆を与えるのではないか。
 公判を通じて、検察捜査のずさんさが浮き彫りにされたのも今回裁判の特徴だった。
 凛の会設立者が議員会館で国会議員と会い厚労省への口添えを頼んだと検察が主張する日に、当の議員は千葉県でゴルフをしていたことなど、裏付け捜査不足は著しい。取り調べのメモをすべて廃棄したとの検察の主張も、常識的に考えて信じがたい。
 公判で自らの単独犯行と訴えた元係長をはじめ、証人たちが相次いで検察の強引な取り調べを批判したのは、無実を訴える元局長の一貫した姿勢も影響していよう。
 特捜部が証拠も不十分なまま、自らが描く事件像に被告たちを引き込んだとすれば冤罪(えんざい)の構図そのものだ。
 無罪判決を受けた村木元局長は一日も早い現場復帰を願っている。今回の捜査には検察内部からも批判の声が出ているのだから、公判や判決での批判を覆す客観的証拠がないのなら、潔く控訴を断念してはどうか。
 事件は、密室での取り調べが冤罪を生む恐れをあらためて示した。その危険を避けるには、やはり取り調べの可視化が不可欠だろう。諸外国が採用している弁護士同席の是非も含め、早急に検討を進めるべきだ。

日経新聞社説2010/9/11付
全面敗北を喫した特捜検察

 この捜査・裁判は、特捜検察の歴史に残る失態だろう。
 障害者団体向けの郵便料金割引制度を悪用させるニセ認定書を厚生労働省が発行した事件で、大阪地検特捜部が逮捕、起訴した厚労省雇用均等・児童家庭局長(逮捕当時)村木厚子被告を大阪地裁は無罪とした。
 単に有罪立証に失敗したのではない。特捜検察が従前から、被告側の主張を破る決め手の証拠に使ってきた捜査段階の供述調書を、裁判所がほとんど全面的に排斥した結果の無罪である。検察は控訴を断念し、むしろ捜査経過と取り調べ実態の厳密な検証を急ぐべきだ。
 検察の起訴の支えは、村木被告の犯行関与を認めた、他被告や厚労省関係者の供述調書だった。その関係者らが法廷証言で次々に供述を覆すと、検察は供述調書43通を証拠として申請した。ところが裁判所は、うち34通を「検察官の誘導があった」と判断し証拠採用しなかった。
 証拠になった調書についても、内容の信用性(真実性)を子細に点検し、判決でその大部分を「事実と反する疑いがある」「不自然」「信用性が高いとはいえない」「客観的証拠による裏付けのない供述調書は、内容に具体性、迫真性があるようにみえても、信用性は大きく低下する」と結論づけた。
 捜査官が、客観的証拠を根拠にしない強引な取り調べをして容疑者や事件関係者から虚偽の自白調書・供述調書をとり、それが冤罪(えんざい)を生んできたのは事実だ。取り調べの様子を録音・録画する可視化を、日本弁護士連合会などが求める一番の理由も冤罪防止にある。
 裁判員裁判を機に、一部の事件で調書作成時の最後の場面を録音・録画するようにした検察・法務当局は、現在、取り調べ全体を可視化する是非を内部で検討している。
 今回の裁判を通じて、検察の精鋭と自他共に認める特捜部でさえも無理な取り調べと調書作成をしている疑いが濃厚になったわけで、検察・法務当局は適正な取り調べを担保する手段を講じる必要があるのではないか。「来年6月以降のできる限り早い時期に検討をとりまとめる」という悠長な態度を改め、可視化に踏み出すべきである。

朝日新聞2010年9月11日(土)付
村木氏無罪―特捜検察による冤罪だ

 あらかじめ描いた事件の構図に沿って自白を迫る。否認しても聞く耳をもたず、客観的な証拠を踏まえずに立件する。郵便不正事件での検察の捜査はそんな強引なものだった。
 大阪地裁は昨日、厚生労働省の局長だった村木厚子被告に無罪を言い渡した。村木被告は、郵便割引制度の適用団体と認める偽の証明書をつくり、不正に発行したとして起訴されていた。
 村木被告は大阪地検特捜部に逮捕された当初から容疑を否認し、一貫して無実を訴えていた。判決は証拠とかけ離れた検察の主張をことごとく退け、「村木被告が偽証明書を作成した事実は認められない」と指摘した。
 検察は、ずさんな捜査を深く反省すべきだし、村木被告の復職をさまたげるような控訴はすべきでない。
 偽証明書は、村木被告が障害保健福祉部の企画課長の時、障害者団体として実態がない「凛(りん)の会」に発行された。企画課長の公印が押されており、村木被告の容疑は、部下だった係長に偽造を指示したというものだった。
 係長は捜査段階で容疑を認めたが、公判では村木被告の指示を否定した。取り調べで係長は、偽造は自分の判断だと訴えたが、検事は取り合わなかった。参考人だった厚労省職員らも公判で強引な取り調べの実態を証言した。
 大阪地裁は係長らの調書を信用せず、証拠として採用しなかった。検察側の立証の柱はもはや失われていた。
 特捜部が描いた構図は、「凛の会」会長が民主党の国会議員に口添えを依頼し、厚労省では「議員案件」として扱われていた、というものだ。
 だが、議員会館で口添えを頼んだという当日、その議員はゴルフ場にいたことが公判で明らかになった。特捜部はそんな裏付けすら怠っていた。
 検察の捜査をめぐっては、東京地検特捜部が1993年に摘発したゼネコン汚職で、検事が参考人に暴行を加えて起訴されるという不祥事が起きた。その後も、特捜部に摘発された被告らが「意に反した調書をとられた」と公判で訴えるケースは少なくない。
 特捜検察に対する国民の信頼が揺らいでいるということを、検察当局者は真摯(しんし)に受け止めるべきだ。
 特捜検察はかつてロッキード事件やリクルート事件などで、自民党長期政権の暗部を摘発した。政権交代が可能になったいまでも、権力の腐敗に目を凝らす役割に変わりはない。
 冤罪史は「自白」の強要と偏重の歴史である。今回の事件もその列に加わりかねなかった。
 検察は、これを危機ととらえねばならない。弁護士や学識経験者も加えた第三者委員会をつくって検証し、取り調べの可視化などの対策を打つべきだ。それとともに報道する側も、より客観的で冷静なあり方を考えたい。

産経新聞2010.9.11 03:13
【主張】村木元局長無罪 「秋霜烈日」の原点に戻れ

 郵便不正事件で大阪地裁は虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省の元局長、村木厚子被告に無罪を言い渡した。
 証人が次々と捜査段階の供述を覆し、立証の柱となる被告らの供述調書の大半が証拠採用されなかったことから、予想された判決である。検察は重く受け止めねばならない。
 捜査はジグソーパズルのようなものだ。事件の全体像を描き、証拠となるピースを集め、当てはめて犯罪という絵を浮かび上がらせる。もとよりピースがすべてそろうとはかぎらないし、当初の構図と異なることもある。
 厚労省の証明書が偽造されて障害者団体向け割引郵便制度が悪用された今回の事件で、大阪地検特捜部が偽の証明書発行にあたって厚労省幹部の関与と政治家の口利きを疑ったのは無理もない。
 が、描いた構図に固執するあまり、一貫して容疑を否認する村木元局長らの取り調べは想定するストーリーに誘導され、脅迫まがいの言動もあった、と公判で明らかにされた。横田信之裁判長はそうした捜査を厳しく指弾し、供述調書43通のうち34通もの証拠申請を却下した。極めて異例である。
 しかも障害者団体の関係者が面会して口利きを依頼したという日に、当の政治家がゴルフをしていたという“アリバイ”が起訴後に確認された。こんな初歩的な裏付けを怠っていたとは大失態だ。
 供述偏重と強引な取り調べの背景には、検察の捜査力そのものの低下も指摘される。また、今回のケースによって取り調べの可視化の議論が加速するだろう。
 しかし、検察が巨悪に挑む最強の捜査機関であり、法の正義の砦(とりで)であることに変わりはない。「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」の記章は、秋の冷たい霜と夏の厳しい日差しから、検察官の厳正な職務と理想像を象徴している。まずは指摘された捜査批判に真摯(しんし)な検証で応え、その原点に立ち返ってほしい。
 われわれ報道する側も、一方的な捜査情報に寄りかかって事件の構図を見誤っていなかったかを反省し、自戒したい。
 村木元局長が法廷で述べた言葉は重い。「真相究明のための権限や手段を持つ検察が、常に真実に迫ることのできる機関になることを心から望んでいます」
 国民の検察への期待と信頼も、その一点につきる。

東京新聞2010年9月11日【社説】
村木元局長無罪 説明せよ 検察の暴走

 特捜の捜査がこれほど否定された判決もないだろう。厚生労働省の公文書偽造事件で村木厚子元局長に無罪が言い渡された。裁判員時代にこのずさんである。検察当局はよく調べ説明すべきだ。
 公判で大半の調書が不採用となった時、私たちは「特捜検察は猛省せよ」との見出しで捜査のずさんさを憂えた(五月二十九日)。その裁判の判決理由は「供述調書は信用性が高いといえない」「客観的証拠と符合しない」と何度も指摘し、言い換えれば丁寧に捜査の矛盾を列挙した。これが精鋭とも呼ばれる特捜が手掛けた捜査への評価だった。
 元局長の部下の元係長らの供述調書の大半は「誘導された疑いがある」と証拠採用されず、この日の無罪判決は想定はされていた。
 それにしても、裁判が明らかにした捜査の実態は恐ろしくなる。
 自称障害者団体が郵便割引制度を悪用しようと民主党の石井一参院議員に口利きを頼み、キャリア官僚の村木元局長が部下の元係長に偽の証明書を発行させた−。大阪地検特捜部のシナリオは壮大だった。しかし事実を丹念正確に積み上げていたなら、自分たちの誤りに気づいたのではないか。
 村木元局長は一貫して否認したが、取り調べは当時の上司や部下らから、時には強引に、都合のいい供述だけを集めた。村木元局長の指示を供述調書では認めたとされた元係長は「違うと言ったが、聞き入れてもらえなかった」と、弁護士差し入れの被疑者ノートに書きとめていた。
 元係長のフロッピーディスクに実際に残っていた偽証明書の作成日は、「指示された日」より前だった。これらは裏付け捜査で容易に分かったはずだ。
 この事件は裁判員裁判の対象犯罪ではないが、もし裁判員裁判で捜査機関の出す証拠がずさんだったのなら、と考えれば怖くなってしまう。警察や検察の取り調べをすべて録音録画する全面可視化への動きは時代の要請でもある。
 特捜は、政財界の汚職や経済事件を手がけることが多い。証拠の乏しい密室の犯罪では供述を引き出すことが重要になる。しかしだから誤れば社会的影響は大きく、綿密に供述などの証拠を照合する慎重な姿勢が当然、必要になる。それを忘れては国民を裏切ることになる。
 特捜が国民の信頼を回復しようとするなら控訴よりも、なぜ暴走したのか、なぜ防げなかったのか、検証しぜひ説明すべきだ。

(2010年9月11日01時43分 読売新聞)
村木元局長無罪 検察はずさん捜査を検証せよ(9月11日付・読売社説)

 検察の完敗といえる内容だ。判決は「犯罪の証明はない」として、検察が描いた事件の構図をことごとく否定した。検察は一連の捜査を徹底検証しなければならない。
 郵便不正に絡む偽証明書発行事件で、虚偽有印公文書作成などの罪に問われた厚生労働省元局長の村木厚子被告に、大阪地裁が無罪判決を言い渡した。
 大阪地検特捜部が立証しようとしたのは、村木被告が国会議員からの口添えを背景に、自称障害者団体への偽証明書の作成を部下に指示した、という構図だった。
 捜査段階では、村木被告の上司や部下が特捜部の筋立てに沿った供述をしたが、裁判に入ると相次いで供述内容を覆した。特に、村木被告から直接指示を受けたとされた元係長は、自らの単独犯行だったと証言した。
 公判で地裁は「検事の誘導があった可能性がある」として元係長らの供述調書に信用性を認めず、証拠として採用しなかった。判決も「検察官の主張する事実の中核は客観的状況と合わず、認定できない」と断じている。
 特捜部が誤った筋立てに沿った調書を作成し、それを根拠に被告らを起訴したということだろう。思い込みに基づく、ずさん捜査と言われても仕方あるまい。
 事件捜査では、容疑事実を裏付けるため、関係者の証言や物的証拠を十分に集めた上で起訴するのが基本だ。ところが特捜部が、口添えしたと見ていた国会議員を聴取したのは、村木被告を起訴した後のことだった。
 こうした捜査方針は、上級庁である大阪高検や最高検の了承を得て決められていた。基本を欠いた地検の捜査をチェックできなかった上級庁の責任も重大だ。
 さらに特捜部は、取り調べの際に作成したメモを廃棄していた。取り調べメモについては、最高裁が「裁判手続きにおいて証拠開示の対象になる」との判断を示している。不都合な証拠を隠したとも受け取られかねない。
 検察は過去、ロッキード事件やリクルート事件など、数々の政官界汚職を摘発してきた。今回のように、裁判の過程で次々と捜査の問題点が露呈するようでは、これまで得てきた国民の信頼を損ねることになろう。
 検察には控訴する道も残されているが、今必要なのはメンツを捨てて捜査を再点検することだ。
 検察官の資質も問われよう。若手検事の指導も含め、組織全体の見直しが急務である。