私が内閣官房報償費(いわゆる機密費の情報公開訴訟を大阪地裁に提起していることについては、すでに紹介してきた(2007年5月提訴)。

その後、例えば、野中広務・元官房長官が内閣官房報償費の使途実態についてマスコミに証言したし、鈴木宗男・元官房副長官も同様の証言をした。

ほぼ1年前の昨年8月には、内閣官房報償費について担当していた内閣官房総務官(内閣総務官室室長)が大阪地裁で証言をした。

私は先月末(2011年6月28日)、陳述書を大阪地裁に提出した。

明日(同年7月27日)10時30分の裁判で私は本人尋問を受ける。

そこで、以下、私の陳述書を紹介する。

ただし、分量が4万7000字近くあるため1回で紹介できない。
4回に分けて紹介する。

なお、本文ではゴチックにしている箇所や下線を引いている箇所があるし表もあるが、以下では、それをそのまま再現してはいない(特に表の部分は見づらい)ので、ご了解いただきたい

以下は、その1である。
  陳 述 書

                         2011年6月28日
                     原告
                    神戸学院大学大学院実務法学研究科・教授・憲法学
                     上  脇   博  之 (かみわき・ひろし)㊞

 私は、原告として、かつ憲法研究者・政治資金研究者として、以下の通り陳述いたします。なお、本文だけではなく、文献等からの引用文におけるゴシックは、全て上脇によるものです。


機)楫鐓霾鷂開請求に至った動機と理由
1.現在の職業と経歴

私は憲法研究者です。
神戸大学大学院法学研究科博士課程前期課程(2年)を修了して同研究科博士課程後期課程に進学し3年で単位取得退学し、任期2年の日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、1年間非常勤講師を経験しました。
そして1994年4月、北九州大学(現在、北九州市立大学)法学部に講師として赴任し、その後、助教授、教授となりました。
2004年4月、神戸学院大学大学院実務法学研究科(法科大学院)に教授として移籍し、現在に至っています。

2.研究分野
私の研究分野は、法律学のなかの憲法学です。
特に西ドイツ(現在のドイツ)と日本における政党に関する憲法問題を研究してきました。
政党それ自体の憲法問題だけではなく、政党が活動する領域、政党政治に関する憲法問題を取り扱ってきましたので、人権論と統治機構論の両方を研究しています。
そもそも政党は憲法上どのような地位を有するのか(政党とその他の結社とは憲法上異なる地位を有するのか)という憲法問題から、いわゆる政党法が日本国憲法上許容されるのかという問題、どのような選挙制度や政治資金制度が憲法上要請されるのかという問題に至るまで、研究対象を徐々に拡大してきました。
これらの研究は、議会制民主主義を如何に確立し、かつ健全なものにするのかということに帰着するもので、「政治とカネ」の問題は私のこの研究における重大な関心事の一つです。
ここでは「単著の研究書」に限定して紹介しますと、『政党国家論と憲法学』(信山社・1999年)、『政党助成法の憲法問題』(日本評論社・1999年)、『政党国家論と国民代表論の憲法問題』(日本評論社・2005年)があります。

3.内閣官房報償費について支出関係書類の開示を請求するに至った動機と理由
1999年(平成11年)に、いわゆる情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律。1999年5月14日法律第42号)が制定されました(主要な条項は2001年4月1日施行)。
2001年(平成13年)には松尾克俊元要人外国訪問支援室長の機密費詐取事件(松尾氏の逮捕は2001年3月10日)がマスコミで報じられ、それが「組織ぐるみ」の機密費流用および機密費の官邸への「上納」問題へと発展して行きました。
同年2月には、第74代竹下登内閣(1987年11月6日〜1988年12月27日改造〜1989年6月3日。内閣官房長官は小渕恵三氏)から第75代宇野宗佑内閣(1989年6月3日〜同年8月10日。内閣官房長官は塩川正十郎氏)への引継ぎ文書が国会で取り上げられました。この引継ぎ文書は、1989年(平成元年)5月に作成された文書で、当時、首席内閣参事官だった古川貞二郎氏が作成したと筆跡鑑定でみなされており、いわゆる古川ペーパーとも呼ばれました(甲第6号証)。これは、機密費が外務省から内閣官房に「上納」されたという疑惑を裏付けるものではないか、かつ、機密費が消費税の導入等のために投入されたのではないかと、国会で追及され(甲第7号証)、マスコミも注目しました(例えば、甲第8号証)。
また、その翌2002年(平成14年)4月には、ほぼ10年前の第78代宮沢喜一内閣(1991年11月5日〜1993年8月9日)で加藤紘一衆議院議員が官房長官を務めていた時期(1991年(平成3年)11月〜1992年(平成4年)12月)の内閣官房報償費のごく一部(14カ月分で約1億4380万円)についての内部文書(甲第5号証の1〜3)が国会で取り上げられ、報償費の使途としては相応しくない「国会対策費」等に支出されているのではないかと追及が行われ、マスコミもこれに注目し報じました(甲第4号証)。
すでに2002年3月末には、市民団体「政治資金オンブズマン」の結成に加わり、政治家の「政治とカネ」問題を本格的に追及し始めます。
2004年(平成16年)2月10日、情報公開審査会(当時)は、外務省報償費の全支出に関する全部不開示処分についての前年7月31日の諮問につき、その一部を開示すべきであるとする答申を行いました(平成15年度(行情)答申545号及び第546号、平成15年度(行情)答申第547号から第566号、平成15年度(行情)答申第567号〜569号、平成15年度(行情)答申第671号及び第672号、平成15年度(行情)答申第673号から第677号、平成15年度(行情)答申第678号から680号)。そして、外務大臣は、それに基づき不開示決定の変更決定を行いました。つまり、国は外務省報償費の支出に関する行政文書について全部不開示ではなく、部分開示したのです。
2005年(平成17年)の年末に、私は3冊目の研究書(前掲の単著『政党国家論と国民代表論の憲法問題』)を出版し、研究成果の公表に一つの区切りができ、時間的な余裕が少し生まれました。
2006年(平成18年)2月28日、東京地裁が外務省の報償費の支出に関する行政文書き不開示処分を取消す判決を下しました(判時1948号35頁・判タ1242号184頁)。
「自民党をぶっ壊す」と公言し、国民の間で人気の高かった小泉純一郎内閣総理大臣は、同年9月に自民党総裁の任期満了を迎え、内閣総辞職となったため、退任しました。そして、小泉内閣で内閣官房長官を務め、これまた人気のあった安倍晋三衆議院議員が内閣総理大臣に指名・任命されました。
そこで、小泉内閣において内閣官房報償費がどのようなものに支出されたのかを知りたくなり、同年10月5日に、2005年4月〜2006年9月まで過去1年半の内閣官房報償費についての行政文書の情報公開請求を行ったのです。
政治学における「政治とカネ」問題の研究では、「金権民主主義」という表現が使用されています(例えば、岩井奉信『「政治資金」の研究』日本経済新聞社・1990年27頁以下)。“カネで日本の民主主義が買われ、左右されている”とすれば、憲法が想定している健全な議会制民主主義は成立しません。言い換えれば、日本の議会制民主主義がカネで買われないようにするためには、裏金を根絶し、かつ、そのためにもカネの流れをオープンにして主権者国民の監視の下におく必要があります。その原資が国民の血税であれば、尚更のことです。
私が内閣官房報償費の情報公開請求を行ったのは、このような問題意識からです。

4.内閣官房報償費の使途についての調査・研究
内閣官房報償費がどのようなものに使われているのかという使途について、私は、大いに関心を抱いてきました。
これまで、国会議員らがその使途について部分的に語っていますし、前述したように内部告発のようなものもあり、マスコミも報じてきました。また、このことを含め内閣官房報償費の使途に実態について紹介している書籍も刊行されています(例えば、歳川隆雄『機密費』集英社新書・2001年、古川利明『日本の裏金[上]首相官邸・外務省編』第三書館・2007年)。
私は、これらを通じて、内閣官房報償費の使途の実態の一部について調査・研究を行ってきました。
さらに、この情報公開請求に対する開示を受けて、私は、本格的に内閣官房報償費の使途の実態について調査・研究を行い、それを議会制民主主義の健全な発展に役立てたいと考えています。


供‘盂婀泳縞鷭費の使途の実態
1.使途実態の大まかな全体像
(1)歳川隆雄『機密費』(集英社新書・2001年)からわかる全体像

前述した松尾克俊元要人外国訪問支援室長の機密費取事件が発覚し、それが「組織ぐるみ」の機密費流用および機密費の官邸への「上納」問題へと発展したことを受けて、シャーナリスの歳川隆雄氏が『機密費』(集英社新書・2001年)を出版しています。
これによると、内閣官房報償費は、「対外裏工作資金」(1977年に起こった「ダッカ・ハイジャック事件」における日航機の乗客・乗員の身代金600万ドル、1979年ごろのアフガニスタンの反ソ・ゲリラ組織に供与された武器購入資金数万ドル、1996年に発生したペルー日本大使公邸人質事件や1999年に発生したキルギスでの日本人技師誘拐事件などに膨大な機密費投入、領土返還問題での対ソ(対露)交渉、日朝正常化を巡る北朝鮮交渉、沖縄の普天間飛行場移転問題での対米交渉への機密費支出)として使われていることが書かれています(94−98頁)が、それだけではないようです。
それ以外に、首相外遊における乱費(税金の無駄遣い・私物化、下記(ア))、与野党の国会対策費(下記(イ)(ウ)(エ))、「裏」の選挙対策費(税金の党派的違法支出、下記(オ)(カ)(キ))、議員の外遊費(下記(ク))、退任する日銀総裁らへの手当て(下記(ケ))、国会議員への付け届け(下記(コ))、政治評論家らへの付け届け(下記(サ))、自民党の“院外団”的な性格の各種団体への付け届け(下記(シ))、政府の諮問機関への手当てなど(下記(ス)(セ))にも支出されているようです。

(ア) 「大名旅行で機密費を乱費する首相外遊」。「首相の外遊」では、「『表』の直接経費は総理府(現内閣府)や各省庁の予算が充てられるが、現地での公式行事以外の飲み食い、土産代、随行団の旅費補填など『裏』の費用は官房機密費で賄われる。」(100−101頁)。
(イ) 「消費税導入に機密費10億円をブチ込む」。「88年度予算でみると官房機密費の約65%を内政・外交対策費が占めて」いる。「この『内政・外交対策費』という大雑把な呼び方が、意図的に実態を隠す言葉のすり替えであるのはいうまでもなく、永田町にもマスコミ界にも、それが政治権力を保持するための政界工作費であることを知らない者はもちろんいない。その政界工作費の筆頭格が国会対策費(国対費)、つまり与野党各勢力を懐柔し、あるいは一方を切り崩すための工作資金だ。時の政局の流れや政治問題のありようによって、これが臨機応変に投入されてきた。典型的なケースが竹下政権による『消費税』導入で、このときの機密費の豪勢な使われ方はいまも永田町の語り草になっている。」「消費税をめぐる与野党工作に竹下政権が計10数億円の官房機密費を投入したことは、『古川ペーパー』に明記されている。」「とにかく、公明・民社を主要なターゲットとして計10数億円もの官房機密費が多数派工作にブチ込まれたのだ」。(104−105頁)
(ウ) 「永田町で“公認”されている話では、重要法案をあげる国対費として官房機密費から支出されるのは一件当たり平均5千万円。野党側の市政や状況的タイミングによっては、投入額が数億円にもなるというのである。」(106頁)
(エ) 「重要法案の審議で国会がヤマ場にくるような局面ではなくても、飲み食いのツケ回しはほとんど恒常的に官房機密費から支払われている。」たとえば「2000年秋の『加藤政局』や2001年春の『森下ろし』騒動のように政局が緊迫した場面では、政治家たちの料亭会合が同時多発的に開かれる。『そういうときには官邸へのツケ回しがどっと増えるし、勉強会と称する集まりなんかでも官邸にツケを回してくるのが少なくない』と自民党の古参議員がいう。どこからみてもこれは立派な“たかり”だが、こんなふうにして国民の税金が政界工作に闇ガネとして消えていくのだ。」(106−107頁)
(オ) 「政界工作は、『裏』の選挙対策費としても大がかりに行われてきた。」「歴代の政権によって官房機密費が選挙対策に使われてきたことは、永田町ではいわば公然の秘密だ。」「選挙戦に突入すると、以外な苦戦に陥った候補者や資金が底をついた候補が出てくる。絶対に負けられない重点選挙区というのもある。官房機密費はこうしたケースで投入されるのだ。」「『ここで一発ブチ込めば圏内にすべり込めるというときは、官邸にSOSを送れば3百万、5百万のカネを出してもらえる。重点選挙区となれば官邸から出るカネは億単位だ』と自民党のベテラン議員が言う。もっとも、官邸から選挙資金を引き出せるのは主に政権派閥候補で、少なくとも非主流派では難しい。」(107−108頁)
(カ) 「国政選挙でなくても、多額の官房機密費が選挙に使われる場合がある。近年でいえば、98年11月に行われた沖縄県知事選がその典型的なケースだ。」「大田陣営や現地マスコミの調査によると、知事選後に稲嶺陣営の選挙母体『沖縄・未来を開く県民の会』が県選管に提出した『収支報告書』には、自民党本部から2回に分けて計1億7千万円の寄付があったことが記載されている。98年10月5日に1億円、同10月27日に7千万円。ところが自民党本部の沖縄知事選に関する収支報告には、1億円を『県民の会』に支出したとされているだけで、7千万円については記載なし。大田陣営はこの7千万円を『官邸の機密費の流用』とみなして県議会などで追及した。」「自民党沖縄県関係者の『官邸から知事選の資金が出たのは間違いない。私自身、選対の会議で報告を受けた』という証言などがマスコミで報道され、沖縄知事選への官房機密費投入は既定事実とみなされている。」(108−110頁)
(キ) 「沖縄関連では、『基地の町』の市長選でも官房機密費が投入されているといううわさが現地で絶えなかった。2000年11月の那覇市長選と2001年2月の浦添市長選でも億単位の資金が中央から注ぎ込まれたという指摘がある。」(110頁)
(ク) 「国会が終わると与野党議員の『使節団』と称するものを組み、大挙して海外に出かけるのは例年のことで、最近では各種の国際会議などに参加する議員も増えている。こうした議員に官邸は選別を出す。『ちょっと海外へ』と官邸に顔を出してあいさつすると、白い封筒に入った『軍資金』を渡してくれる。議員の格や外遊の内容によってランクがあり、与党議員だと新人でも一人最低30万円、中堅以上の議員なら百万円は堅いという。」(110―111頁)
(ケ) 「官房長官経験者の一人によると、官房長官が『報償費』を直接手渡す特別なケースがあるという。対象となるのは、退任する日銀総裁、検事総長、会計検査院長らで、その人物の在任中の実績に対する官邸の評価で金額が決められるが、少なくとも百万円単位のカネがのし袋に入れて渡される。」(111頁)
(コ) 「首相官邸からの盆暮れの手当・付け届けでいえば、国会関係のそれがやはり厚い。」「現自由党副幹事長の平野貞夫参院議員が『朝日新聞』のインタビューで、前尾繁三郎衆院議長秘書をしていた73年当時の体験をこんなふうに語っている。『7月と12月に盆暮れの付け届けをする習慣ができていた。(中略)官房長官の使いが議長の私邸に新聞紙に包んで紙の袋に入れた5百万円をもってきた。(中略)議運委員長に百万円、理事に50万円と配って歩いた』」。「共産党議員は受け取らず、『公明党は最初は背広の生地ぐらいしか受け取らなかった』(平野議員)という。が、公明党に限らず、スーツの靴の仕立券や一流靴店の仕立券が百枚束で何束も用意されていたということだ。」(112頁)
(サ) 「政界に近い対象範囲でいえば、政治評論家やメディア幹部、それに院内紙と総称される政治業界紙関係者への手当・付け届けも慣習化してきたものの一つだ。」「一件当たりが比較的少額の手当は官邸でも参事官レベルで処理されるが、もっと値の張る著名な政治評論家や有名マスコミ人への付け届けは政務担当首相秘書官が直接会った機会に渡すことが多い。」(112−113頁)
(シ) 「官房機密費から支出される盆暮の手当・付け届けで総額として最も大きいのは、政府が世論対策や選挙対策、あるいは情報源等として付き合っている各種団体へのそれだ。『そういう団体が大小6百ぐらいある』と元官房長官の一人がいう。主な団体としては、北方領土返還運動、遺族会・靖国神社、公共募金活動等の関係諸団体があり、総じて自民党の“院外団”的な性格のものが多い。手当の額も一団体10万円単位から百万円単位といわれ、トータルでは莫大な官房機密費が盆暮れごとに支払われていることになる。」(114頁)
(ス) 「各種の審議会・調査会など政府の諮問機関も官房機密費の大きな支出先だ。これら諮問機関には各界の有力者が顔を並べているので、手当の規模も相当なものになる」。(114頁)
(セ) 「官房機密費は官邸の内部でも使われているのだ。次のような数字がある。総理室12万円、官房長官室10万円、政務副長官室4万円、参事官室6万円、会議係4万円、守衛12万円、報道室10万円、車庫10万円・・・。これは官邸の各セクションに割り当てられている『毎月の手当』である。」(114頁)
以上紹介されている使途の中には、後述するように違法と評しうるもの、あるいは公金の支出として不適切なものが多く含まれています。

(2)1989年(平成元年)5月に作成された引継ぎ文書(古川ペーパー、甲6号証)からわかる全体像
前述した1989年(平成元年)5月に作成された第74代竹下登内閣(内閣官房長官は小渕恵三氏)から第75代宇野宗佑内閣(内閣官房長官は塩川正十郎氏)への引継ぎ文書「報償費について」(甲6号証)は、1989年(平成元年)5月に作成された文書で、当時、首席内閣参事官だった古川貞二郎氏(第81代村山富市内閣の途中1995年2月24日〜第87代第1次小泉内閣第1次改造内閣の2003年9月22日まで内閣官房副長官)が作成したと筆跡鑑定でみなされており、古川ペーパーと呼ばれています。
この点について、前掲の古川利明『日本の裏金[上]首相官邸・外務省編』は、以下のように記しています。
「テレビ朝日の『ニュースステーション』(01年2月19日放送)と日刊スポーツ(01年3月14日付け)が、このペーパーとは別に独自に古川の直筆の文書を入手し、専門家に鑑定してもらった結果を公表、いずれもかなりの高い確率で同一人物であると報じている。
 ニュースステーションの方では、専門家の1人が『82%から95%の確率で同一人物が書いたもの』と結論づける一方、日刊スポーツの記事では、20年以上のキャリアを持ち、警視庁の嘱託筆跡鑑定士でもある日本筆跡診断士協会会長・森岡恒舟の鑑定結果を紹介している。
 それによると、『な・の』、『格・略』、『貞・費』などの文字でみられる特有のクセを分析。『特に「な」の字は、三画目の点ないのが共通し、また、四番目となる書き出しが、かなり上から始まっている。どちらも珍しいクセで、同じようなクセを持っているのは数百人に1人しかいない。かな文字だけでも(比較対照した)二つの文字を書いたのが同一人物だというのが決定的なのに、漢字の類似点も合わせると、同一人物が書いた文章であることは、ほぼ100%間違いない』としている。」(70−71頁)
引継ぎ文書「報償費について」(古川ペーパー)おいては、内閣官房報償費の「性格」「報償の額」「平成元年度分の使用状況」が説明されています。なお、「別紙A」、「別紙B」もあります。
特に「報償の額」の箇所においては、1983年度(昭和58年度)から1989年度(平成元年度)までの7年間の「報償費の推移(決算額)」が明記されており、「内閣分」と「外務省分」の報償費の年度別総額と両者の合計額が記載されています。

1983年(昭和58年)度から1990年(平成2年)度までの報償費の推移(決算額)
    年度       内閣分      外務省分       合計
1983年(昭和58年)度  11億8000万円  14億7800万円  26億5800万円
1984年(昭和59年)度  11億8000万円  15億7700万円  26億5800万円
1985年(昭和60年)度  11億8000万円  15億7700万円  27億5700万円
1986年(昭和61年)度  11億8000万円  15億7700万円  27億5700万円
1987年(昭和62年)度  11億8000万円  15億7700万円  27億5700万円
1988年(昭和63年)度  12億7800万円  19億7700万円  32億5700万円
1989年(平成元年)度  12億9700万円  19億9700万円  32億9400万円
1990年(平成2年)度  11億8000万円  15億7700万円  27億5700万円
ただし、1990年度は「決算額」ではなく、実際には上記とは少し金額が異なっている可能性がある。

「別紙A」「別紙B」によると、「1989年(平成元年)度分の使用状況」が以下のように簡潔に明記されており、「備考」に明記されているのが支出予定の支出実態を表しています。特に「自民党外交対策費」というのが明記されており、内閣のための報償費が特定の政党のために使用されていること、つまり公金が私的なもののために投入されていることがわかります。

1989年(平成元年)度分の使用状況
   区分  予算額    備考
1.経常経費  6億円   総理・長官等の諸経費、官邸会議費、慶弔、国公賓接遇費、総理・長官主催接宴費等
2.官房長官扱  16億円   内政・外交対策費
3.官房長官予備費  5億円  
4.特別経費   5億2800万円  自民党外交対策費、夏季・年末経費、総理外遊経費、その他
  合計      32億2800万円  
  なお、4月末の使用済額と残額は省略した。

これに加えて、「報償費の推移(決算額)」における「(留意点)」の箇所には、次のような記述があります。
「昭和63年度分については、5億円(内閣分1億、外務省分4億)が増額されているが、これは、税制改正のための特別の扱いである。更に平成元年度についても、引き続き同様の額を計上しているが、これも新税制の円滑実施等の事情によるものであり、異例の扱いである。」
これは、上記「3.官房長官予備費」5億円の使途実態を表しているものです。税制の改正等をするときに異例の5億円が使用されているというのは、いわゆる国会対策(国対)のために公金が投入されていることを示唆しています。
これについて、前掲の古川利明『日本の裏金[上]首相官邸・外務省編』は、以下のように記しています。
「ここにある『税制改正』とは、当時の大蔵省の悲願だった『大型間接税』、つまり、『消費税』の導入のことである。
具体的には、1988(昭和63)年7月19日に召集された臨時国会で、これら消費税導入の関連法案の審議が本格化したわけだが、そもそもこの『大型間接税導入』は、国民世論や野党の猛反発から、中曽根内閣時代には『売上税』として失敗したものを受けて、その中曽根康弘から後継指名を受けた竹下登が、その内閣の命運を賭けて取り組んだ最重要課題でもあった。
 野党は無論、反対。与党の自民党内にすら賛成を渋る議員もいて、衆院の税制問題等調査特別委員会の委員長には、当時、自民党の最高実力者だった金丸信を充てるなど、政府・自民党は法案を是が非でも成立させるべく、万全の体制で臨んだ。」(65頁)
「政府・自民党が法案成立に向けて全力を投入したのが、野党勢力の分断だった。当時、『徹底抗戦の社会党、共産党』と『柔軟路線の公明、社民』といわれたように、二度にわかる会期延長をやったことと、法案の審議と採決自体には応じさせるため、中道よりの路線を取る公明、民社の両党を抱き込むことが、法案成立の最大の決め手になった。
 こうした流れを踏まえて、『古川ペーパー』に記されているように、前年度より、『税制改正のための特別の扱い』のため、計約5億円も増額された機密費が、これの国対関連に投じられたのは、ほぼ疑いの余地がない。
 当時、衆院特別委の委員長だった金丸のもと、タガをはずされたような機密費が投入された。当時の国対族だった自民党の議員に対しては、『接待する野党議員のメンバーを割り当てられ、連夜に渡る飲ませ食わせ、もちろん渡すものも渡して』、官邸からは『飲み食いのツケはすべてこっちに回せ。帰りの車代は一本(=百万円)』という指示が出ていた、という。」(66頁)

(3)1991年11月〜1992年12月の内閣官房報償費の支出からわかる使途実態
前述したように1991年(平成3年)11月〜1992年(平成4年)12月の内閣官房報償費の一部(14カ月分で約1億4380万円)についての内部文書(甲第5号証の1〜3)は、内閣官房長官から内閣官房報償費を受け取った者が作成したものと思われます。当時は、第78代宮沢喜一内閣であり、加藤紘一氏が官房長官を務めていました。
甲5号証の1の「金銭出納帳」、甲5号証の2の「収支整理表」、甲5号証の3の「支出内訳明細表」は、第78代宮沢喜一内閣で加藤紘一氏が官房長官を務めていた時期(1991年11月〜1992年12月)の内閣官房報償費の一部を記した内部文書といわれています。
「金銭出納帳」は、内閣官房報償費の執行に関わった人物が実際の収入と支払について記したものです。「収入」については、月毎に当該人物が内閣官房長官から、いつ、幾ら受け取ったのかを「年月日」「収入金額」の各欄に記載しており、「支払」については、当該人物が、いつ、誰(個人または団体)にどのような名目に、幾ら支出にしたのかを「年月日」「摘出」「支払金額」の各欄に記載しているものです。なお、差引残高は各頁の末尾に収入額の合計額及び支払金額の合計額とともに記載されています。
「収支整理表」は、内閣官房報償費の執行に関わった人物が収入と支出を整理してまとめたものです。「収入」においては、内閣官房長官から受け取った日と金額を小計とともに記載したものであり、「支出」においては、その内訳を支出項目(パーティー、手当、国対、香典、餞別、経費、花、結婚式、御祝、見舞出張)毎に概算で記載したものであり、「支払」においては、月毎の支払額が合計額とともに記載されているものであり、「収入の部」と「支出の部」においては、月毎に収入額と支出額が合計額とともに記載されているものです。
「支出内訳明細表」は、内閣官房報償費の支出の明細がまとめられているものです。支出項目(前掲)毎に、年月、支出相手、支出額が個別具体的に記載されたものです。
上記資料に基づき内閣官房報償費の使途が判明しているのは、主に内閣官房長官から内閣官房報償費を受け取った人物が、1991年(平成3年)11月〜1992年(平成4年)12月の期間の収支をまとめたものであり、その額は、合計で1億4386万円、月平均で約1200万円だけです。つまり、内閣官房報償費の一部にすぎません。
その支出(支払)分の項目に合計額を表にまとめると、以下のようになります。

  1991年11月〜1992年12月内閣官房報償費の一部の支出内訳
支出   内訳(概算)
パーティー 3028万円
手当 3050万円
国対 2521万円
香典 243万円
餞別 2043万円
経費 1298万円
花 113万円
結婚式 60万円
御祝 120万円
見舞・出張 103万円
小計 1億2579万円
その他 1807万円
合計 1億4386万円

以上のうち、例えば、パーティー(政治資金パーティ)や国対などへの支出は、後述するように違法な支出あるいは公金の使途として不適切な支出です。

(4)甲第11号証の3、甲第12号証の1ないし2の週刊誌報道から見える使途実態
フリーのジャーナリスト・上杉隆氏は、内閣官房報償費が配布された人物の氏名と金額が明記された「リスト」に基づき政治評論家・言論人やマスコミの政治部記者などに対し取材し、マスコミがなかなか野中元官房長官の証言を大きく報道しないのは内閣官房報償費が彼らに支出されているからである、と指摘しています。
1965年から園田直衆議院副議長の秘書をしていた平野貞夫・元参議院議員は、園田氏の使いで官房副長官室に行くと、竹下登・官房副長官が内閣官房報償費を月々300万円くれたので、新聞記者らに「酒や女」を世話したというのです。平野氏は、自民党離党後も、羽田孜政権のとき、熊谷弘官房長官から内閣官房報償費を預かり、ある政治評論家に渡したというのです。
フリーのジャーナリストの上杉隆氏は、元官邸関係者の「リスト」に関する証言を紹介し、内閣官房報償費が自民党の複数のルート(自民党の議員や秘書、自民党同志会、自民党職員、自民党幹事長室、自民党選対、自民党国対)を通じてマスコミに配布されていたというのです

(5)内閣総理大臣退陣の際の内閣官房報償費「山分け」
前述の甲12の1ないし2の週刊誌の記事によると、内閣総理大臣が退陣する際には、官邸に残された内閣官房報償費の「山分け」が最後の儀式として行われるとして、以下のような官邸秘書経験者の証言が紹介されています。
「基本は総理と官房長官で山分け。余った分はそれぞれの秘書官たちがお世話になった職員や官僚、評論家や記者らメディア関係者にも配って使い切る。引継ぎの時には金庫を空にするのが礼儀だった(笑い)」。
この「山分け」は、内閣官房長官の自由な判断で行われるでしょうから、その「使用目的」は「政策推進費」として支出されたものとして処理されることでしょう。
そこで注目されるのは、被告国「第4準備書面」(2008年12月17日)および同「第6準備書面」(2009年10月19日)の両別紙1「対象期間中における内閣官房報償費一覧」における「平成○○年K月」における最後の「支払決定書等の年月日」の「e」、「使用目的」の「政策推進費」、「使用目的区分」の「対価(合意・協力、情報)」であり、これが上記「山分け」に該当するのではないか、と思われます。
というのは、別紙1の「一覧」は、安倍晋三衆議院議員が内閣官房長官在任中の内閣官房報償費の一覧であり、「平成○○年A月」〜「平成○○年K月」まで月毎の支出がまとめられているのですが、第三次小泉内閣は2005年10月31日に発足しており、2006年9月26日までの期間ですから、「平成○○年A月」は「2005年11月」で、「平成○○年K月」は「2006年9月」であり、「平成○○年A月」〜「平成○○年K月」は「2005年11月」〜「2006年9月」に相当し、「使用目的」に「調査情報対策費」「活動関係費」がある月で、月の最後の「支払決定書等の年月日」の「使用目的」に「政策推進費」があるのは、「平成○○年K月」(=「2006年9月」)だけだからです。

なお、月の最後の「支払決定書等の年月日」の「使用目的」に「政策推進費」があるのは、「平成○○年K月」(=「2006年9月」)以外にもあった。
私の見落としである。
しかし、首相が退陣するときに「政策推進費」を使用する必要はないはずである。