「沖繩復帰40周年と沖縄タイムス・琉球新報各社説の紹介」をしています。

「その1」では、先月(2012年4月)下旬のものを、
「その2」では、今月(2012年5月)上旬のものを、
それぞれ紹介しました。

ここでは、「その3・最後」として、今月中旬の沖縄タイムス・琉球新報各社説を紹介します。


7.沖縄タイムス

沖縄タイムス2012年5月12日 09時55分
[沖縄振興基本方針]絵に描いた餅では困る

 政府は11日、今後10年の沖縄振興計画の指針となる沖縄振興基本方針を決定した。
 「民間主導の自立型経済の発展」「アジア・太平洋地域の発展に寄与する『万国津梁(しんりょう)』の形成」などを方向性として打ち出している。那覇空港の第2滑走路の整備や鉄軌道の調査・検討を具体的に明記した。新振計の目玉事業がいよいよ動きだすが、いずれもどう実現するかが重要だ。
 那覇空港の第2滑走路増設は経済界を中心に長年にわたって求めていたもので、基本方針にあるように、国際物流拠点の形成や、観光客増加に対応するための受け入れ態勢の整備は不可欠だ。
 第2滑走路建設に向けてすでに環境影響評価(アセスメント)が進んでいる。厳しい国の財政事情の中でどう財源を確保するかが最大のハードルだ。
 那覇空港は、民間機と自衛隊機との「軍民共用」である。自衛隊機のトラブルで民間機に影響を与えることも少なくない。自衛隊との運用形態がどうなるかについての論議がほとんど聞こえてこないのが気がかりだ。
 防衛計画の大綱や中期防衛力整備計画(2011〜15年度)には島しょ防衛の強化がうたわれ、航空自衛隊那覇基地の1個飛行隊を2個飛行隊に増やすことが盛り込まれている。戦闘機の配備を倍に増やす計画なのだ。
 滑走路増設によって自衛隊が専用滑走路を持つことになるのであれば、観光振興など本来の趣旨に反すると言わざるを得ない。政府が主張する「負担軽減」にも逆行する。滑走路増設の目的を明確にすべきだ。
 公共交通システムの整備は戦後ずっと続く沖縄の大きな課題である。モノレールは那覇市内の12・9キロだけの運行であり、効果は限定的だ。
 沖縄はモノレールを除くと鉄軌道のない唯一の県で、車社会を招いている。主要幹線道路の混雑は大都市並みで経済的損失は計り知れない。
 北部、中部、南部を鉄軌道で結ぶことになれば、経済効果のみならず、通勤圏の拡大など県民生活を一変させるに違いない。
 低コストで建設できるバリアフリーの新型路面電車(LRT、トラム)が注目を集めている。大学教授や会社経営者らでつくる市民団体「トラムで未来をつくる会」は「LRT導入基本計画」を発表したり、シンポジウムを開催したり、導入に向けた活動を活発化させている。
 機は熟した。どういう形態が望ましいか、導入を前提にした具体的な論議を始めるときだ。
 改正沖振法の特徴は沖縄振興計画の策定主体が国から県に移ったことであるが、県のフリーハンドではない。
 沖縄振興計画が基本方針に適合していないと認めるときは首相は知事に対し、変更を求めることができる、と改正沖振法は定めている。
 沖縄の手かせ足かせになりかねないとの危惧に配慮し、基本方針は沖縄の自主性を最大限に尊重することを明記している。実際の運用面でその姿勢を貫いてもらいたい。

沖縄タイムス2012年5月13日 09時56分
[日米軍事拠点化]雲散霧消する負担軽減

 復帰40年の県民意識の変化として見逃せないのは、自衛隊に対する肯定的な受け止めが広がったことだろう。
 沖縄では本土復帰とともに自衛隊が移駐した。復帰当時を知る那覇防衛施設局(現沖縄防衛局)の元職員は「沖縄では軍人は住民を守らないというイメージが強く、施設局職員は『隠れ自衛隊員』と嫌悪された」と振り返る。沖縄戦での旧軍のイメージをひきずる自衛隊に対し、県民の視線は冷ややかだった。
 こうした中、自衛隊は不発弾処理や離島の急患搬送など「民生支援」に力を注ぎ、県民への浸透を図ってきた。東日本大震災における自衛隊の救援活動は、県内でも高い評価を得ている。
 ただ、日米の安保政策の流れを勘案したとき、劇的変容を遂げつつある自衛隊の軍事的側面を無視するわけにはいかない。自衛隊、米軍ともに民生支援と軍事戦略は密接にリンクしている。その両面を問わなければ本質を見失う。
 日米は今、軍事一体化を進めつつ、自衛隊の「南西シフト」を固めようとしている。先月発表された日米共同文書は「2国間の動的防衛協力の促進」に向け、日米の共同訓練場をグアム以外に米自治領の北マリアナ諸島に整備する方針を打ち出した。国外に演習場を確保し、米軍と日常的に共同訓練するというのである。集団的自衛権の行使に関する国内議論も置き去りにしたまま、なし崩し的に自衛隊と米軍の一体化が進んでいるのが現状だ。しかもその最前線は、沖縄を含むアジア太平洋地域である。
 防衛省は与那国島への陸自配備を足掛かりに、先島進出に向けた動きを強めている。先日は北朝鮮の「衛星」発射に備え、石垣市などに地対空誘導弾パトリオット(PAC3)部隊などを大々的に展開した。尖閣問題など対中国もにらんだ前線拠点として沖縄での自衛隊の活動が存在感を増しつつある。
 4月実施の県民世論調査で、先島への自衛隊配備は賛成が44%で反対を4ポイント上回った。一方、地域別では先島地方は反対が過半を占める。
 本島住民には、先島配備への負担感が小さいのかもしれない。が、自衛隊の認知度向上は、本島の米軍基地運用にも影響を与えかねない。在日米軍専用施設の74%を占める現状は自衛隊移管や共同使用という形式的措置で大幅縮減が可能だ。沖縄の基地負担を象徴する数値だけ塗り替え、軍事要塞(ようさい)としての役割が固定化されることも懸念される。
 「軍隊の肯定」の代償は何か。それを最も肌で知るのは沖縄県民だろう。忘れてはならないのは沖縄戦の教訓だ。大規模な軍隊が駐留したために凄惨(せいさん)な地上戦に巻き込まれ、極限時は「住民を犠牲にする軍隊」を目の当たりにした痛苦な歴史的体験である。
 日本本土を守る安全保障上の「防波堤」として沖縄が存在しているのではない。「国境の領土」ととらえる国と、住民の利害は常に一致するとは限らない。自治や民意をフルに発揮し、再び戦場となる可能性を極力排除する姿勢を貫けるかが試されている。

沖縄タイムス2012年5月14日 10時23分
[復帰教育]世替わり体験 次世代へ

 明治以降の沖縄の歴史には二つの大きな断層がある。沖縄戦をはさんで戦前と戦後に大きな断層があり、施政権返還をはさんで復帰前と復帰後に大きな断層がある。この二つの「世替わり」は住民の暮らしに極めて大きな変化をもたらした。
 沖縄戦については、学校現場で取り上げられ、家庭でも語り伝えられてきたが、それに比べると、二つの「世替わり」の間にはさまれた27年に及ぶ「米統治下の沖縄」が語られる機会は、沖縄の中でも意外と少ない。
 復帰前の土地の強制接収は基地問題の文脈の中で盛んに語られてきたが、貧しい沖縄の暮らしや住民意識など、複雑な心のひだが取り上げられることはなかなかない。
 たとえば、「異民族支配」と「祖国復帰」。本土の若い世代が、今、こういう言葉に接したら、どこか遠い国の昔の出来事のような印象を受けるのではないだろうか。復帰後に沖縄で生まれた世代にとっても、この二つの歴史的な用語は、肌触りを欠いた言葉になってしまった。
 沖縄大学で12日に開かれた「日本復帰40年を問う」シンポジウム。復帰運動にかかわった60〜80代の政治家ら6人がそれぞれの濃密な体験を語った。会場には同世代を中心に多くの人たちが詰めかけ、体験談に自身を重ね合わせて聞き入った。
 パネリストの一人が「もっと若い人たちに来てもらいたかった」と語ったように復帰運動に携わった人たちもだんだん少なくなっている。日本の中でも特異な沖縄の「世替わり」体験を、歴史に埋もれさせてはいけない。
 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、沖縄の施政権は米国に委ねられた。その年の11月、立法院は「琉球の即時母国復帰請願」を決議した。日本への復帰を「母国復帰」と表現していることに注目してほしい。50年代を通して民族感情を込めた「祖国復帰」という言葉がひんぱんに使われた。学校現場では、沖縄教職員会が中心になって日の丸掲揚運動や日本人教育が徹底された。
 65年、ベトナム戦争が本格化し、沖縄の基地がフル回転し始める。民族主義的な復帰運動が、反戦復帰を求める運動に変わり始めるのは60年代後半からだ。
 外国軍隊の行為によって私有財産や人権が脅かされ、軍事優先政策のために自治が著しく制限を受けていることに対する異議申し立て―それが復帰運動の底に流れる太い幹のような主張だった。
 軍事植民地からの脱却を求める沖縄の声は、戦後、世界各地で展開された植民地解放運動ともつながる普遍性をもっていた。復帰に託した「平和な沖縄県」や「豊かな沖縄県」はどれだけ実現されたのだろうか。そのことを問い返す日が「5・15」である。
 県教育庁は復帰前後の沖縄の状況を教えるよう県立高校に通知文を送付した。
 直接体験していない教師も多い。「世替わり」の体験を引き継ぐためにも、学校で家庭で、話し合う機会をつくっていく必要がある。

沖縄タイムス 2012年5月15日 09時43分
[復帰40年]普天間を解決する時だ

 1965年8月19日、佐藤栄作首相は現職の総理大臣として戦後初めて沖縄を訪れた。那覇空港での歓迎式典で、沖縄の祖国復帰が実現しない限り日本の戦後は終わらない、との歴史的メッセージを発した佐藤氏は、こうも語っている。
 「私たち国民は沖縄90万のみなさんのことを片時も忘れたことはありません」
 のちに行政主席、県知事となる屋良朝苗氏は日記に記している。「総理を迎えた時は正直言ってさすが涙が出た」
 復帰が実現したのはその日から7年後のことである。
 72年5月15日。40年前の復帰の日、東京と沖縄で二つの記念式典が開かれた。対照的だったのは、佐藤首相と屋良県知事の式典での表情である。
 政府にとって復帰を実現することは、何よりも戦争で失った領土を外交交渉で取り戻すことを意味した。
東京での式典で佐藤首相は、高揚感に満ちあふれた表情で万歳を三唱した。
 だが、那覇の式典に出席した屋良知事の表情は終始、硬かった。「復帰の内容をみますと、必ずしも私どもの切なる願望がいれられたとはいえないことも事実であります」
 あの日も、那覇市民会館と隣の与儀公園で、復帰記念式典と抗議集会が並行して開かれた。40年後のきょうも、同じ日に式典と抗議集会が開かれる。
 基地問題をめぐる過重負担の構図はこの40年間、ほとんど何も変わっていない。
 復帰から2009年3月末までに返還された米軍基地は、面積にして約19%にとどまる。この間、本土では約59%が返還されたのに、沖縄の負担軽減は遅々として進まない。
 沖縄タイムス社と朝日新聞社が4月に実施した県民意識調査によると、沖縄の基地が減らないのは本土による沖縄差別だと思うかとの問いに対し、「その通り」だと答えた人が50%に上った。
 「基地の現状は不公平だ」「本土の人たちは沖縄をあまり理解していない」―そう考える人たちが県内で急速に増えている。沖縄の人たちのまなざしが厳しくなっただけではない。本土の側の沖縄理解も、急速に変わりつつある印象を受ける。
 この40年を通して本土と沖縄の心理的な距離は、今が一番開いているのではないだろうか。基地問題をめぐって「心の27度線」が浮上しつつある。危険な兆候だ。
 米軍普天間飛行場の辺野古移設を盛り込んだ06年の日米合意は、死文化した。辺野古移設計画を断念し、早急に日米交渉を始めるべきである。普天間の固定化は許されない。
 沖縄を軍事要塞(ようさい)化し日米で中国を封じ込めるという発想は、米中関係の奥深さや国境を越えた「ヒト・モノ・カネ」の移動、市民レベルの文化交流など、国際政治の潮流を無視した一面的な考えである。冷戦思考を引きずっていては、沖縄の未来を展望することはできない。
 沖縄の民意は変わった。基地依存・財政依存からの脱却を目指した「沖縄21世紀ビジョン」の将来像は、多くの県民に共有されており、これからの沖縄振興は、この自立の動きを後押しするものでなければならない。

沖縄タイムス 2012年5月16日 09時40分
[新振計決定]自立への態勢は整った

 復帰40年を迎えた15日、県は沖縄振興の向こう10年間の道筋を描く「沖縄21世紀ビジョン基本計画」を決定した。初めて県が自前で策定した計画だ。仲井真弘多知事が、復帰記念式典出席のため来県した野田佳彦首相に手渡した。
 同計画は、「自立」「交流」「貢献」を基本的な指針に掲げ、使い道の自由度の高い沖縄振興特別推進交付金(一括交付金)を活用した事業の推進や、アジアと日本をつなぐ国際物流拠点の形成などを盛り込んだ。
 県は、同計画において、2021年度の県内総生産を10年度比約1・4倍の5兆1千億円とする目標を設定した。全国最低レベルの1人当たり県民所得も10年度の207万円から271万円(21年度)に増やすことを目指す。
 本土復帰後4次にわたる10年ごとの沖縄振興(開発)計画は、いずれも国の主導で決定されたものだ。対して今回初めて県が策定し、国は支援する仕組みへと転換した。
 本土復帰後、沖縄に投下された国の振興予算は約10兆円に上る。道路などの社会資本は一定整備されたものの、雇用を創出する有力な地域産業の育成は進んでいない。民間主導の自立型経済をどうつくるかは、最大の課題となっている。
 仲井真知事が「従来の国計画に基づく手法では限界にきており、沖縄が自ら歩んでいく新たな段階に入った」とインタビューでその意義を語ったように、沖縄の真の自立に向けた第一歩としたい。
 野田首相は、復帰記念式典の式辞で「アジア太平洋の玄関口として沖縄は新たな発展の可能性がある」と述べ、新振計の実現に尽力することを約束した。
 那覇空港第2滑走路について「2013年度予算編成で財源を検討し、整備を推進する」と明言した。鉄道整備のあり方についても「必要な調査・検討を進める」と示した。
 第2滑走路整備は、国際貨物ハブ事業を推進する上で、さらに離島住民の生活を支える拠点として、経済団体などが強く求めている。公共交通システムの整備も、主要幹線道の渋滞が激しく経済的損失も生じているため導入を求める声が高まっている。
 駐留軍用地跡地利用特別措置法も成立し、返還軍用地の給付金の給付期限を拡充するなど、基地の跡利用を後押しする態勢が整った。
 いずれも今後10年の沖縄にとって重大プロジェクトになることは間違いない。
 過去の振計では金融特区や自由貿易地域、特別自由貿易地域などの制度が鳴り物入りで創設されたものの、さまざまな制約が付き、期待した効果は表れていない。
 巨額の政府予算が投じられた北部振興策や再編交付金も沖縄の自立につながっているとはいえず、建設された箱物がかえって自治体の負担となっているケースもある。
 これまでの課題も踏まえ、県自らが策定した計画を真の自立にどうつなげ、県民の豊かな生活に結び付けるか。施策の具体化はこれからだ。「ポスト復帰40年」は、自ら切り開く気概にかかっている。

沖縄タイムス 2012年5月17日 09時27分
[ポスト「復帰40年」]場の力を育て高めよう

 復帰の日の15日に開かれた「沖縄復帰40周年記念式典」は、過去を振り返りつつ将来に思いをはせるセレモニーだった。政府と県が共催したこともあって、式典自体は淡々と何事もなく進んだ。
 だが、40年前と同様、式典の外では、激しい雨の中、抗議集会が開かれた。政府と県のすれ違いも表面化した。
 仲井真弘多知事が米軍普天間飛行場の県外移設を訴えたのに対し、野田佳彦首相は「普天間の固定化はあってはならない」と言うだけであった。それをどのような形で実現するのか、そもそも辺野古案は死んでいるのか生きているのか、肝心な点には一切触れなかった。
 この期に及んでもなお、辺野古断念を明言しないのは、県民にとって「蛇の生殺し」に遭っているようなものだ。
 沖縄の米軍は戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争に参加してきた。これほど戦争ばかりしてきた軍隊は米軍以外、世界中どこにもない。沖縄はそのすべての戦争で出撃・補給・後方支援などの基地として使われた。
 県民は凄惨(せいさん)な地上戦を経験し、27年にわたって米国による軍事支配を受け、小さな島の中で金網を隔てて米軍と同居し、米兵による事件事故や演習被害にさらされながら、彼らの挙動をつぶさに見てきた。
 47都道府県の中で、沖縄以外にこのような戦争体験・戦後体験をもつ県はない。
 もうこれ以上我慢できないという主張は抑制されたささやか主張と言うべきである。
 日本で「安全保障」ということばが定着したのは戦後のことである。戦前は「国防」ということばが一般的だった。専門家によると、「安全保障」のもともとの意味は「心配のない状態」のことで、国家の軍事的防衛を意味する「国防」よりもはるかに広い概念だ。
 沖縄の基地問題を考えるときに大切なことは、軍事的防衛の観点だけで物事を考えないことである。
 沖縄が21世紀に果たすべき役割ははっきりしている。歴史体験を積極的に生かし、東アジアの中に「心配のない状態」をつくり出していくこと。そのために沖縄の「場の力」を発揮すること、である。
 安全保障は国の専権事項であり沖縄がどうのこうの言うべきではないという考えも、間違っている。
 普天間問題に関して沖縄は当事者そのものであり、一方の当事者抜きで頭越しに進めることのほうが問題だ。
 改正沖縄振興特別措置法(改正沖振法)と駐留軍用地跡地利用特別措置法(跡地法)の沖縄関係2法が3月30日に成立した。改正沖振法に基づく「沖縄21世紀ビジョン基本計画」も、復帰の日の15日に正式に決まった。
 沖縄県は、新たな制度をひっさげ、船をこぎだしたことになる。
 進むべき方向性ははっきりした。経済の力をつけ、依存体質を克服し、平和創造と文化発信によって独自性を打ち出すことだ。



8.琉球新報

琉球新報2012年5月12日
社説 国の騒音甘受主張 まるで「地上げ屋」だ

 嘉手納基地周辺に暮らし続ける人々に対して、国による移転補償費を受け取る権利を行使せず、別の場所にも転居しない住民に対し「航空機騒音の影響を、自ら甘受すべきものであるといえる」と言い放った。札束をちらつかせたどう喝としか思えない。
 10日に那覇地裁沖縄支部であった第3次嘉手納爆音訴訟の第3回弁論の場で国側が準備書面に記した主張のことだ。まるで「地上げ屋」の言葉ではないか。バブル景気の時代に強引な手法と高値を提示して地主から土地を買い占めた人々との区別がつかない。
 本来は生命と生活の安全を保障されるべき国民に対し、「地上げ屋」まがいの国の態度はあまりに理不尽だ。
 なぜ基地の騒音に苦しんでいる実情を訴えると「甘受せよ」という言葉を投げ掛けられないといけないのか。なぜ国土面積のわずか0・6%の沖縄に在日米軍専用施設の74%が存在するのか。その問いに国は答えず、逆に開き直って責任を住民側に転嫁している姿勢にしか見えない。この国の社会正義はどうなっているのか。
 琉球新報と毎日新聞が今月実施した世論調査でも沖縄に基地が集中する状況に県内の69%が「不平等だと思う」と回答している。多くの県民が差別的な境遇に置かれていると感じている。
 この訴訟では過去にも国側から住民を蔑視するような主張が出されている。1982年の第1次訴訟の口頭弁論の答弁書では「原告住民は通常と異なる生活態度をとっている。または特殊感覚の持ち主」と主張し、原告住民を異常者扱いした。弁護団が抗議し、裁判長は「書き換え」を勧告したが、国側は結果的に拒否している。
 国が主張する基地周辺への転居は騒音を容認しているとの「危険への接近の法理」について第1、2次訴訟の判決とも退けた。騒音の影響を受けられずに居住できる地域が限られている沖縄の現状を裁判所が認定したのにもかかわらず国が「甘受」を口にすること自体容認できない。
 国の論理を突き詰めれば、沖縄から全住民を追い出し、基地だけの無人の島にしたいと言っているようなものだ。国は基地被害に苦しむ人々の声に真摯(しんし)に耳を傾けるという当たり前の責務を全うすべきだ。差別とどう喝がまかり通る民主国家などあり得ない。

琉球新報2012年5月12日
社説 振興基本方針 取引材料にしてはならない

 今昔の感を深くする。政府の「沖縄振興基本方針」の中で、「格差是正」の単語は、過去の振興計画を振り返る中で触れるにとどまった。社会資本の本土並み整備は、目標でなくなったということだ。代わりに「沖縄の自主性」という言葉が前面に躍る。
 自主性重視に賛同する。国に依存していては決して振興などしなかったからだ。本土と同じ形にとらわれず、独自性を追求し、自らの努力で目指す将来像にたどり着くほかない。
 基本方針を受け、県は来週、次の振興計画となる沖縄21世紀ビジョン基本計画(仮称)を決定する。自前の工夫で「アジア・太平洋の発展に寄与する21世紀の万国津梁」沖縄を実現したい。
 国際競争力を持つ観光地形成、貨物ハブを活用したものづくりなど、基本方針が示す具体策もうなずける。中でも教育が極めて重要としたのは卓見だ。自助努力による振興には人材が何より必要だからだ。基地の跡地利用や離島振興を明記したのも評価したい。
 ただ、気になる点がある。那覇空港の第2滑走路整備を図るとしたものの、「適切な財源の確保が前提」とわざわざ明記した点だ。「財源がないから整備しない」と逃げ道を用意したように見える。
 離島県での空港の重要性は言うまでもない。他府県では戦後、国の一部たる国鉄が鉄路を整備したのだから、沖縄では空路を国が責任を持って整備すべきだ。
 「沖縄の旅客需要は高いのに、滑走路1本では2010年代半ばにボトルネック(制約要因)になる」と十数年前から指摘されたのに、遅々として進まなかったのは怠慢のそしりを免れない。那覇空港は国管理空港だということを、政府は忘れてはいけない。
 那覇空港の整備を沖縄への恩恵であるかのごとく扱うのも問題だ。政府は国内外との交流を拡大する観光立国をうたった。沖縄は中国大陸や台湾と次々に空路を開設しつつある。空港整備はアジアと日本のパイプを太くすることになる。政府の方向性に合致しているはずだ。
 政府には、振興計画を基地問題との取引材料にしようとする狙いも見え隠れしているが、ゆめゆめ結び付けてはならない。「沖縄の潜在力を存分に引き出すことが、日本再生の原動力にもなり得る」との基本方針の文言を、政府は肝に銘じてほしい。

琉球新報2012年5月13日
社説 軍港へオスプレイ 普天間配備を即刻撤回せよ

 あまりにも理不尽で憤まんやるかたない。沖縄を一体何だと思っているのか。
 米政府が垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを米軍普天間飛行場に配備する計画をめぐり、7月にも分解した機体を海路で那覇軍港に搬入し、組み立てた上で試験飛行する意向を日本政府に伝えた。
 オスプレイは開発段階で重大な墜落事故を繰り返し、「未亡人製造機」と呼ばれるなど、かねて危険性が指摘されてきた。先月もモロッコで米兵4人が死傷する墜落事故を起こしたばかりで、“欠陥機”の疑念は強まる一方だ。
 本紙が実施した最新の世論調査では、普天間飛行場へのオスプレイ配備計画に対し、県民の9割が反対している。そうした中、県都那覇市の市街地にあり、那覇空港に隣接する那覇軍港を利用するとの打診は正気の沙汰とは思えない。
 米側は最初に配備する12機を分解した状態で那覇軍港に搬入し、約1カ月かけて同軍港で機体を組み立てる計画という。不具合が起きやすい組み立て直後のオスプレイを人口密集地の那覇市上空を含めて試験飛行するというからあぜんとする。翁長雄志那覇市長が「今までのどの案よりも異常。事実なら県民、市民を愚弄(ぐろう)するものにほかならず、強い怒りを禁じ得ない」と猛反発するのは当然だ。
 基地問題では慎重な物言いの仲井真弘多知事も「反対だ。非常に無理がある。日比谷公園とか新宿御苑みたいなところに持ってこられるのか」と強い不快感を示した。沖縄と本土で二重基準を平気で使い分ける日本政府の欺瞞(ぎまん)性を見透かした発言と言える。
 日米両政府はオスプレイ配備に関して当初、キャンプ富士(静岡県)や岩国基地(山口県)など本土の米軍基地に一時駐機し先行運用することで、沖縄側に安全性をアピールする狙いだった。だが、地元の反発を理由に日米両政府は本土先行駐機を断念した経緯があるからだ。
 オスプレイが安全とする科学的な根拠を何ら示さないまま、沖縄には県民の意向を一切無視して配備を強行しようとする。日米両国が掲げる民主主義や人権尊重が、それこそ聞いてあきれる。
 このままでは米軍基地の安定的運用が困難になり、日米安全保障体制が大きく揺らぐのは目に見えている。普天間飛行場への配備計画そのものを即刻、撤回すべきだ。

琉球新報2012年5月15日
社説 復帰40年/自立の気概持とう 国の空洞化、無策を憂う

 米国統治下に置かれていた沖縄が1972年5月15日に日本に復帰してから、満40年を迎えた。
 県民が「復帰」に込めた「基地のない平和な沖縄」「日本国憲法の下への復帰」の理想は今なお、実現していない。
 沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中し、基地から派生する事件・事故、爆音被害によって、県民の生命や基本的人権が危険にさらされ続けている。理不尽な状況を招いたのは沖縄ではない。問われるべきは、民主主義や憲法が機能しないこの国の空洞化、為政者の無策ぶりだろう。

「基地依存」は先入観
 米軍普天間飛行場の移設問題について、県民は知事選など各種選挙を通じて繰り返し名護市辺野古への移設を拒否してきたが、日米両国は民意を無視し続けている。
 この国の官僚は垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの本土への一時配備について、「検討する」としながら地元から反対の声が上がるや「理解が得られない」とあっさり引っ込めるありさまだ。
 野田佳彦首相に問いたい。民意無視と危険極まりないオスプレイの配備は、沖縄差別ではないのか。
 琉球新報の最新の世論調査によると、多くの県民が道路、港湾の着実な整備などを背景に「復帰」を肯定的に評価する一方で、沖縄振興の重点として「米軍基地の整理縮小と跡地利用」を求めている。
 県民総所得に占める基地収入の比率は、復帰時の15・5%が2009年度には5・2%まで低下した。本土側から「基地がないと沖縄経済は立ち行かないのではないか」といった声が絶えないが、これは先入観以外の何物でもない。基地返還前と返還後で経済効果が十数倍となった那覇新都心地区や、同じく170倍超の北谷町美浜・ハンビー地区の発展ぶりを見れば納得いくはずだ。沖縄は既に基地依存経済から脱している。
 今後の沖縄振興の指針となる仲井真県政の沖縄21世紀ビジョンも過密な米軍基地を「沖縄振興を進める上で大きな障害」とし、沖縄経済の阻害要因と位置付けた。
 沖縄の県民所得は全国平均の7割、完全失業率は2倍近くで高止まりしたままだ。「基地の整理縮小と跡地利用」と雇用創出を並行して進めなければ、沖縄の自立的発展はおぼつかない。
 幸い沖縄の要求をほぼ満たす形で改正沖縄振興特措法と跡地利用推進特措法が成立した。本県はこの「沖縄2法」と本年度にスタートする新しい振興計画に基づき今後10年間、自立的発展を目指す。

人材育成に注力を
 経済界や個々の企業には、沖縄の自立的発展の主役としての気概を期待したい。いずれ復帰特別措置にも終わりの時が来る。税制優遇措置なしで成長と雇用を維持できる経営基盤を築かねばならない。
 健康産業や観光業界で既に手掛けているように、成長するアジア市場を見据えた商品開発や販売促進活動の強化は各業界で急務だ。
 県の「沖縄21世紀ビジョン基本計画」案では、新振計の基軸の筆頭に「沖縄らしい優しい社会の構築」を定めた。一括交付金を活用し、子育て支援や福祉、環境などソフト事業を想定している。従来の沖縄振興策がハード偏重だけに、ソフト重視で均衡を図るのは当然だろう。県や市町村にとっては、自治力の腕の見せどころだ。
 沖縄が日本とアジアの懸け橋として羽ばたいていけるか否かは、人材の確保が鍵だ。沖縄の大学進学率は36・9%(2011年度)で全国平均の54・3%と開きがある。県内の生活保護世帯の中学3年生(2010年3月卒)の進学率が74・4%にとどまり、県内全体より約20ポイントも低い。
 沖縄の前途にとって危うい状況だ。家庭の経済格差が教育格差につながる悪循環は、断ち切らねばならない。県民所得が低い本県では、他府県以上に人材育成への支援に力を注いでしかるべきだ。関係機関は人材と雇用なくして沖縄に未来はない、と肝に銘じてほしい。

琉球新報2012年5月16日
社説 復帰記念式典/差別と犠牲断ち切るとき 沖縄に民主主義の適用を

 民主主義社会は世論を尊重することが基本です。なぜ、(日米)両政府とも沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのですか。
 復帰40周年記念式典で上原康助元沖縄開発庁長官はこう述べた。ほとんどの県民が共有する疑問だろう。なぜ政府は沖縄に民主主義を適用しないのだろうか。
 県民の願いは、ほんのささやかなことでしかない。米軍基地の移設を、拒否すれば強要されることがない他県の国民と同様に、沖縄にも強要しないでほしいということだ。沖縄の民意も、他県と同じ重みでくみ取ってほしい。

繰り返す二重基準
 差別の例証としてよく取り上げられるのが、国土の0・6%しかない沖縄に全国の74%の米軍専用基地が集中するという点だ。だが、より問題なのは政府の態度である。
 2005年の在日米軍再編協議で米側は、沖縄の海兵隊の九州、北海道など本土への移転を打診した。だが日本側は検討しようとすらせず、打診自体をひた隠しにした。
 防衛庁(当時)首脳はその理由を「本土はどこも反対決議の山」だからと説明した。実際には正式に可決した自治体議会はなかったにもかかわらず、だ。
 政権交代後もそうだ。普天間飛行場の徳之島移転案は正式打診もしていないのに、反対の空気をくんで断念した。だが沖縄は知事も地元市長も反対で、県議会が全会一致で反対決議をしたにもかかわらず、押し付けようとしている。
 同様の二重基準(ダブルスタンダード)は、米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備でも繰り返している。政府は当初、本土の米軍基地に一時駐機し先行運用することで安全性をアピールする予定だったが、地元の反発で断念した。
 しかし沖縄では猛反発をよそに、今夏にも配備を強行しようとしている。よりにもよって世界一危険とされる普天間飛行場に、だ。しかも県都那覇で組み立て、市街地上空で試験飛行するという。政府は都心の新宿や銀座の上空で同じことを許すだろうか。
 野田佳彦首相は復帰記念式典で「沖縄の基地負担の早期軽減を具体的に目に見える形で進める」と述べた。政府が今まさに進めようとしていることとの、あまりの乖離(かいり)に言葉を失う。
 閣僚は来県するたび「沖縄の民意に耳を傾ける」と口にする。今回の首相もそうだ。だが耳を傾けた結果、実行したためしはない。

低姿勢の「演出」
 沖縄の民意をくむ意思などないのに、低姿勢を演じる。そして「政府がこれほどお願いしているのに、受け入れない沖縄はわがままだ」という国民世論を喚起しようとしている。そう見るのはうがちすぎだろうか。
 美辞麗句はもういい。沖縄の意思をくむなら、首相はまず真っ先にオスプレイ配備を撤回させてもらいたい。その上で普天間・海兵隊の県外・国外移設に本気で取り組んでほしい。
 東日本大震災後、福島と沖縄の近似性が指摘されるようになった。危険は周縁部に負わせ、利益は中央が享受する構図がうり二つだ。国策を進めるため補助金を投じた結果、地域経済が国依存型になってしまう点も似ている。
 違うのは、沖縄では銃剣を突き付けられて土地を収奪された点だ。「誘致」などしていない。
 もっと大きく異なる点もある。原発事故後の福島に、政府が新たな原発を造るだろうか。県議会も知事も反対しているのに、原発を強要することなどできるだろうか。今、政府がしようとしているのはそういうことだ。
 差別を自覚した県民は、もはや分水嶺を越えている。もう犠牲を甘受するだけの存在には戻れない。政府はその重みを知るべきだ。次の世代に犠牲を強いることのないよう、今の世代で差別の連鎖を断ち切りたい。


琉球新報2012年5月17日
社説 新沖縄振計 自立向け「釣り具」生かせ

 本土復帰40年の節目の15日、沖縄の未来を開く道しるべがくっきりと形を結んだ。
 県は、2012年度から21年度までの新たな沖縄振興計画となる「沖縄21世紀ビジョン基本計画」を決定した。
 復帰後4次にわたり、国主導で策定された計画と異なり、県が初めて策定し、国に支援を求める構図となった。
 沖縄主導の沖縄振興への歴史的な転換である。
 「魚ではなく、釣り具が欲しい」
 2002年の第4次となる沖縄振興計画の策定を前に、稲嶺恵一元知事は当時の策定主体だった国に対し、繰り返し要望した。
 一時しのぎになりかねない物や金を投じるよりも、沖縄の独自性を生かし、民間主導の経済活性化に結び付く法的枠組みや、自由度の高い制度を創設する必要性の方が高い、と説いた言葉だ。
 復帰後、沖縄に注がれた国の振興予算は約10兆円に上る。道路や港湾など、社会資本の整備は進んだが、県民の雇用を増やす産業育成は停滞している。
 金融特区や自由貿易地域などが創設されたが、国による制約が企業の進出意欲を損ない、経済波及効果は乏しいままだ。
 3月に成立した改正沖縄振興特別措置法と返還される軍用地の跡利用を支援する跡地利用推進特措法は、まさに新たな沖縄振計の「釣り具」の両輪に当たる。
 自立に向けた土台は整い、これから問われるのは実行力だ。
 新沖縄振計の特色は、不利な県土条件を、可能性を帯びた「優位性」と捉える逆転の発想にあろう。
 台風襲来などの自然的不利性、離島県である地理的不利性、米軍基地が振興の阻害要因となる社会的不利性などを踏まえた上で、その克服が成長の伸びしろになり得ると位置付けている。
 自立、交流、貢献を基本指針とし、アジアと日本を結ぶ国際物流拠点の形成や、使途の自由度が高い沖縄振興特別交付金(一括交付金)を活用した事業を進めることを盛り込んでいる。
 野田首相は復帰記念式典で、新振計実現に努めると約束した。県と国が緊密に連携し、新たな沖縄づくりで協調してもらいたい。
 「沖縄の、沖縄による、沖縄のための」自前の振興計画に基づき、真の成長発展力を引き出す気概が県や市町村、県民に求められる。

琉球新報2012年5月18日
社説 グアム移転費削除 基地返還の速やかな履行を

 米上院歳出委員会の軍事建設等小委員会が策定した2013会計年度の歳出法案の原案で、在沖縄海兵隊グアム移転費2600万ドル(約21億円)を全額削除した。米上院で2年連続でグアム移転費が全額削除されるのはほぼ確実な情勢だ。
 先に日米両政府が共同文書で発表した米軍再編見直しは早くも行き詰まった形だ。だからといって両政府が文書でうたった嘉手納以南の5施設・区域の返還の停滞を見過ごすわけにはいかない。グアム移転の成否にとらわれることなく、沖縄の基地負担軽減に全精力を傾けるべきだ。
 同小委員会がグアム移転費を全額削除したのは、共同声明で米軍のアジア太平洋地域の新配置案が明らかにされていなかったのが主な理由だ。共同文書は、懸案の普天間移設問題には触れず、グアム移転と切り離すことで上院の理解を得ようとの狙いがあったとみられる。辺野古以外の選択肢を示唆する内容もあった。しかし、最重要課題の普天間移設問題を棚上げにした文書は、まやかし以外の何物でもない。
 在沖海兵隊の兵員は、米軍が県に回答した数より、グアム移転計画で日米両政府が発表した数の方が数千人単位で多いことが明らかになっている。あり得ない話だが、ここにも計画のまやかしが透けて見える。
 日米間のグアム移転協定では、日本側の資金提供は「米政府の資金の拠出があること」との条件が明記されている。ところが、防衛省は、義務もないのに12年度に81億円を予算計上している。米に追従し、沖縄に犠牲を強いる姿勢は、そろそろ改めてはどうか。
 米上院の動きを県や関係市町村も注視している。返還予定の牧港補給地区を抱える浦添市の儀間光男市長は「グアム移転に関係なく早期の全面返還を要請したい」と訴え、北谷町の野国昌春町長も「(返還を)着実に進めていくべきだ」とくぎを刺した。日米両政府はこの訴えを重く受け止めるべきだ。
 米軍配置の在り方の報告書提出という米上院の求めを受け、先に米戦略国際問題研究所のマイケル・グリーン上級顧問らが県などから聞き取りをした。グリーン氏は、基地負担にあえぐ沖縄の現状を肌で感じたはずだ。実のある報告書がまとまり、米議会で県民への共感が広がることを強く期待したい。


(紹介、おわり)