はじめに

(1)阪神淡路大震災(1995年1月17日)から昨日(2013年1月17日)18年を迎えた。

(2)このブログを開設して以降このブログでも2度投稿している。

14年前の阪神淡路大震災を思って

阪神・淡路大震災17年の追悼の祈りについての報道とメモリアル集会アピールの紹介

(3)その間に、東日本大震災(2011年3月11日)もあった。

マグニチュード9の東日本大震災から13日目

東日本大震災・東電福島原発事故から1年…マスコミ報道

(4)南海トラフ大地震が起きた場合の想定もマスコミで注目されてきた。

南海トラフ大地震の被害想定・「防災の日」に関連する新聞社説と原発問題

(5)以下、18年を迎えた阪神・淡路大震災についての報道の一部を、記録に残すために紹介しておこう。
◆18年を迎えた阪神・淡路大震災についての報道
NHK1月17日 17時42分
阪神・淡路大震災18年 犠牲者追悼

 6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で18年になります。
神戸市などでは、おととしの東日本大震災で被災した東北地方の関係者も参列して、犠牲者を追悼するさまざまな行事が行われました。
 神戸市中央区の公園、「東遊園地」では、「1.17」の形に並べられたろうそくを前に、阪神・淡路大震災で家族や友人を亡くした人たちが、地震が起きた午前5時46分に黙とうをささげました。
東遊園地には、東日本大震災が起きた日の「3.11」の形に並べた灯籠も用意されました。
 一方、神戸市中央区で行われた追悼行事では、東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の関係者を含むおよそ300人が犠牲者を追悼しました。
兵庫県の井戸敏三知事は、「南海トラフ巨大地震の被害想定が示され、ことしはハード、ソフトの両面から対策を講じる年となる。あの悲しみを繰り返さないよう、一層の力を注ぎたい」と決意を述べました。
 阪神大震災から18年がたち、神戸市では、震災の後に生まれたり移り住んだりして、震災を経験していない人が40%を超えました。南海トラフ巨大地震の脅威が指摘されるなか、震災の経験や教訓を次の世代にどう伝え、新たな災害への備えにどう生かしていくかが課題になっています。

毎日新聞 2013年01月18日 地方版
阪神大震災18年:鎮魂の祈り重ね 被災地で追悼行事 /兵庫

 阪神大震災から18年を迎えた17日、被災地では追悼行事が営まれ、鎮魂の祈りが重ねられた。あの日から刻まれた日々は昨秋、6434人の犠牲者数を上回った。それでも忘れられない、忘れてはいけない家族、友人、同僚−−。東遊園地(神戸市中央区)に足を運んだ人たちも、竹灯籠(とうろう)の淡い明かりに心を映していた。【阪神大震災取材班】

 ◇亡き弟、兄が追悼「見守られている」 芦屋の宮原さん、形見のぬいぐるみ胸に
 「ここに来ると、和夫に見守られている気がする」。芦屋市山芦屋町の会社員、宮原義男さん(30)は、全壊した自宅の下敷きになり亡くなった弟の和夫さん(当時4歳)を思い、父寿夫(ひさお)さん(63)、母喜代子さん(52)とともに竹灯籠の前で静かに目を閉じた。
 8歳年下の幼い弟の死を受け入れられず、一日中泣いて夜も眠れない日々が続いた。「和夫君と一緒に生きて」。しばらくして、和夫さんの幼稚園の先生から1枚の写真を受け取った。和夫さんが自慢の工作を手に、満面の笑みを浮かべていた。なぜか救われたような気がした。
 「和夫の形見だけでも救いたい」。がれきと化した自宅に何度も通い、ようやくクマのぬいぐるみを家族と見つけ出した。和夫さんが外出する時にいつも抱きしめ、ボロボロになるほど好きだった。ぬいぐるみは新しい家族になった。
 震災後は東遊園地を訪れ、和夫さんの墓参りに行くのが、家族の恒例となった。「和夫に生かされた命を大切に、また1年頑張ろうと勇気が出る」。家族の胸には、クマのぬいぐるみが柔らかな笑みをたたえていた。

 ◇長田区の住職・榎本さん、建立の慰霊碑に合掌 妹の死も受け入れ供養 「阪神淡路大震災 物故者諸精霊」と刻まれた神戸市長田区西代通2の慰霊碑。午前5時46分、同区の明照寺住職、榎本博一さん(83)が静かに手を合わせた。96年11月に自ら建立して以来、毎朝続ける日課だ。同区では、榎本さんの妹幾江さん(当時58歳)を含め、921人が亡くなった。
 あの日、幾江さんが1人で住んでいた近所の木造2階建てアパートが倒壊。1階にいた幾江さんの遺体を掘り出せたのは数日後だった。周囲でも大勢が亡くなり、妹の死も「仕方がない」と受け入れるしかなかった。
 日がたつにつれ、地元に支えられてきた寺の住職としての役割を考えるようになり、「多くの仏さんが落ち着ける場所が必要だ」と慰霊碑を建てた。06年に脳梗塞(こうそく)で入院した1カ月間などを除き、榎本さんは毎朝、「仏さんに会いに」慰霊碑に足を運ぶ。
 17日は朝から、近所の人たちもお参りに訪れた。震災では、付近の家々の大半が倒壊。「寒い中を裸足で逃げた」「あっちの通りでは9人、こっちでは4人が亡くなった」−−。碑の近くにたいた火を囲み、震災の記憶を語り合った。西代通2丁目自治会長の勝間田登さん(78)は「18年が経ち、お参りに集まる人も減った。生き残った者として震災を語り伝えたい」と話していた。

 ◇復興した街並み、700人が参加−−1・17メモリアルウオーク
 交通機関が使えなかった震災当時を思い出しながら、復興した街並みやモニュメントを巡る「1・17ひょうごメモリアルウォーク2013」(ひょうご安全の日推進県民会議主催)が、被災地の6コースであった。
 神戸市中央区の市立中央体育館から約5キロを歩くコースには約700人が参加。自宅が半壊したという同市須磨区、無職、猶原信男さん(61)は「母が宮城県石巻市出身なので、東日本大震災の被災者を思いながら歩きたい」と話していた。

 ◇遺族ら200人、神大犠牲者の冥福祈る 歌手の森さんも
 阪神大震災で犠牲になった神戸大学の学生らのための追悼行事が、神戸市灘区の同大学六甲台第1キャンパスで行われた。遺族や大学関係者ら約200人が集まり、犠牲者らの冥福を祈った。
 雪がちらつく中、参加者らは1分間黙とうし、慰霊碑の前に献花した。その後、震災で法学部4年だった弟渉さん(当時22歳)を亡くした歌手の森祐理さんが、震災からの復興を願って作られた「しあわせ運べるように」など2曲を歌った。
 毎年参加しているという愛知県豊明市の中村房江さん(66)は、地震による火災で経営学部3年だった息子の公治さん(当時21歳)を亡くした。
 房江さんは慰霊碑の前で手を合わせ、「今年も来たよ。お母さんは元気だよ」と公治さんに語りかけた。

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 ◇思いあふれる東遊園地
 東遊園地で開かれた「1・17のつどい」。この日だからこそ語りたい、この思いを−−。

 今年も無事に来られたよ−−。神戸市東灘区の主婦、寺内和子さん(64)は、倒壊した実家の下敷きになり亡くなった母の藤井あい子さん(当時83歳)に心の中でつぶやき、手を合わせた。和子さんの自宅も全壊したが、家族3人の無事を確認すると、約10分離れた実家に走った。自分がどこにいるか分からないほど変わり果てた、通い慣れた道。たどり着いた実家は1階が完全につぶれ、あい子さんの姿はなかった。必死に手でがれきをかき分けると、温かいものに触れた。あい子さんの足だった。何とか病院に運んだが、命は救えなかった。「きょうだいの中で一番近くにいたのに、助けられなかった」。震災4年後に介護職についたのも、母にしてあげられなかったことを誰かにしてあげたいとの思いから。「亡くなった母と同世代のお年寄りの世話をしていると、どうしても母と重ねてしまう」。いつか心の整理が付く日まで、東遊園地での母との「会話」は続く。
 遺骨が見つからず、お墓もないので、ここがお墓のようなもの−−。加古川市の会社員、佐藤悦子さん(49)は、神戸市須磨区に住んでいた母正子さん(当時64歳)を思い、手を合わせた。加古川市から駆けつけ、正子さんのアパート近辺の避難所や病院を捜しても姿はなかった。「母のかけら一つでもいいから見つけたい」。地震と火災で何もなくなったアパート跡を1カ月で6回も掘り起こしたが、最後まで遺体は見つからなかった。県警から「生きている方向で捜します」と言われたが、半年後に葬式を営んだ。正子さんの誕生日や「母の日」には、アパートの跡地で手を合わせ続けた。震災2日前、最後に電話で交わした優しい声が、今も耳に残っている。「京都旅行の土産があるから取りにおいで」
 今日だけはいくら思い出してもいい日。モニュメントの息子の銘板をなでてあげます−−。神戸市東灘区の技師、伊藤文男さん(78)は実家近くのマンションに住んでいた長男邦明さん(当時34歳)を亡くした。あの日、仕事を終え、午前0時過ぎに実家を訪れた邦明さんは、母親が買っていた新品の革靴を持ち帰った。「今度持って帰るよ」と言いながら、ずっと実家に置いていた靴だった。「今考えると旅立ちのための靴だったのかな」。倒壊したマンションの部屋で見つかった靴は火葬され、邦明さんと共に旅立った。
 娘の死を語るのには勇気がいる。でも、震災を風化させないためには、語り継がなければ−−。神戸市長田区の無職、寺田孝さん(73)は長女弘美さん(当時30歳)の遺影を手に東遊園地を訪れた。同市須磨区で1人暮らしだった孝さんのアパートは全壊したが、一命を取り留めた。すぐに長田区にあった弘美さんのアパートに向かったが、残っていたのは焼け跡だけ。「あと1時間早く着いていれば、助かったかもしれない」。地面に繰り返し額をこすりつけた。しばらくは弘美さんの死に向き合えなかったが、4年前、震災の「語り部ボランティア」に志願。「死ぬまでろうそくの火をともしに来ます」。口元を一文字に結び、弘美さんのアパート跡に向かった。
 生き残った者として、いつまでもつらい思いを引きずらず、前向きに生きたい−−。神戸市東灘区の無職、綱島鉄男さん(78)は、小学校教諭だった長男純一さん(当時33歳)を亡くした。秋に結婚を控え、家族が増えるのを楽しみにしていた折、下宿先のアパートの全壊に巻き込まれた。東日本大震災では、宮城県女川町に住む妻の親族も犠牲になった。「それぞれの震災を後世に伝えていかないと」。そっと手を合わせた。
 自分は今、彼に胸を張れるか−−。東京都渋谷区のテレビ制作会社員、中森賢士さん(37)は神戸大に通っていた18年前、同じ学部の友人、篠塚真さん(当時21歳)を失った。これまで「1・17」には友人が亡くなったアパート跡を訪れてきたが、仕事に迷いがあった3年前、初めて東遊園地に来た。「伝わっているのか分からないけれど、自分にできることをしよう」。初めて震災の番組を作った。「孫は亡くなったけれど、あんたは生きていて何かやることがある」。納骨の日、篠塚さんの祖父にかけられた言葉に向き合っている。
〔神戸版〕

神戸新聞2013/1/17 22:33
阪神・淡路大震災19年目 復興格差拡大に懸念

 神戸市長田区のJR新長田駅前広場では、ボランティアや地元の駒ケ林中学、湊川高校の生徒たちが作ったペットボトルの灯籠を地面に並べて「1・17ながた」の文字を浮き上がらせた。夕暮れ時から点灯し、午後5時46分に黙とう。揺れる炎は暖かく、冷たい風で消えそうになる火を親子連れらが継ぎ足した=17日午後6時20分、JR新長田駅前広場(撮影・三津山朋彦)
 神戸市長田区のJR新長田駅前広場では、ボランティアや地元の駒ケ林中学、湊川高校の生徒たちが作ったペットボトルの灯籠を地面に並べて「1・17ながた」の文字を浮き上がらせた。夕暮れ時から点灯し、午後5時46分に黙とう。揺れる炎は暖かく、冷たい風で消えそうになる火を親子連れらが継ぎ足した=17日午後6時20分、JR新長田駅前広場(撮影・三津山朋彦)
 6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、19年目に入った。鎮魂の祈りに包まれた被災12市は、災害に強いまちづくりに向け、新たな一歩を踏み出す。将来は、南海トラフ巨大地震や内陸直下型地震の発生も懸念される。悲しみを繰り返さないために、阪神・淡路と東日本大震災の教訓を踏まえた対策を急ぎたい。高齢化率が50%に迫る復興住宅への対応は、超高齢化社会を見据えた私たちの暮らしの備えにつながる。震災20年の節目も近づいている。安心社会の実現に向けた被災地の先進的な取り組みへの期待は大きい。
 発生から19年目に入った阪神・淡路大震災。復興したまち並みは以前の姿をほぼ取り戻した。一方で、災害復興住宅では高齢化や孤立化が進むなど、被災者間の復興格差の広がりが懸念される。
 兵庫県内の復興住宅は265団地。2001年に40・5%だった高齢化率(65歳以上)は昨年48・2%となり、過去最高を更新した。単身高齢世帯率も44・2%で過去最高を記録。県などは子育て世代への優先入居などで若者の入居を促すが、顕著な効果は出ていない。
 復興住宅の孤立化も深刻だ。昨年1年間の「独居死」は61人に上る。約9割が60歳以上で、死後1カ月以上経過して見つかったケースもある。
 国や自治体が被災者に最大350万円を貸し付けた「災害援護資金」の未返済額は、昨年3月時点で約183億円。返済義務のある人の約6割を60歳以上が占める。
 一方で、県内の被災12市の域内総生産(GDP、実質)は直近の11年度(速報値)が14兆1331億円となり「復興特需」とされた震災直後の1996年度を上回った。
 「ボランティア元年」と呼ばれた阪神・淡路を機に成立したNPO法に基づく県内のNPO法人数は、18日に8団体が新たに認証され、計1238団体に上る。震災の教訓を踏まえ、県が独自に始めた住宅再建共済の加入率は昨年11月末時点で8・7%にとどまり、南海トラフ巨大地震など来るべき災害に備え、加入率の向上と制度の全国的な広がりが課題だ。
(岡西篤志)
阪神淡路大審査と東日本大震災











しんぶん赤旗2013年1月17日(木)
阪神・淡路大震災18年  孤独死 1000人超す

 地震では助かった命なのに、誰にもみとられず亡くなっていく―阪神・淡路大震災後、仮設住宅と復興公営住宅で起きた被災者の孤独死が1011人に達しました。(グラフ)

抜本的支援が急務
 「男性は餓死に近い。枕元に酒パックと履歴書。冷蔵庫は自治会が配ったリンゴだけだった」(97年、神戸市中央区の仮設住宅)、「死後2週間の男性は風呂上がりの裸のままうつ伏せになって、うじがわいていた」(07年、同市北区の復興県営住宅)。発見者の声です。
 97年8月には、神戸市中央区の仮設住宅で、真夏にもかかわらず料金滞納で市に水道を止められた女性(53)が衰弱死し、大問題になりました。

「棄民政策」
 被災者に自力再建を押しつけた国・自治体の姿勢は「棄民政策」とよばれましたが、この痛ましい死はその象徴といえます。東日本大震災でくり返してはいけない負の教訓です。
 ほとんどの孤独死は、人と人とのつながりが断ち切られたこと、元の生活に戻る見通しがなく生きる希望を失ったことが主な要因と指摘されています。
 震災後、地域のコミュニティーが壊され、「住み慣れた元の街に戻りたい」という被災者の願いがふみにじられました。仮設住宅と復興住宅は数が足りないうえ、県や市は郊外や埋め立て地など不便な遠方に多く建設。被災者は、仮設入居の際も復興住宅に移る際も抽選でバラバラにされ、追いやられました。

高齢化・貧困
 仮設住宅では、仕事がなくアルコールに依存する人が増え、孤独死が社会問題に。断熱性がなく極端な寒暖、すきま風など劣悪な住環境が健康を悪化させました。
 復興住宅では、仮設住宅でできたコミュニティーが再び壊されたうえ、鉄のドアで仕切られて孤立がさらにすすみ、高齢化、病気、貧困が孤独死増に拍車をかけています。
 孤独死は一向に減らず、防ぐために被災者への抜本的支援が急務です。

地域・医療との連携強化が必要
 金持(かなぢ)伸子・日本福祉大学名誉教授 日本は高齢者の独り住まいが増え、分断が広がっていますが、震災でいっそう表面化しました。
 公営住宅の多くは家族からも職場からも遠く、高齢化とともに分断、孤立がすすみました。
 県や市は見守り制度をつくりますが、スタッフは非正規職員で、戸をたたいて声をかけるのが精いっぱい。何に困っているかまで見守りできていないのが実情です。生活保護が必要な人が多いのに手が届かず、住民同士の助け合いも高齢化で難しくなっています。
 これらの状況が孤独死を生んでいます。この時期に借り上げ復興公営住宅からの転居をすすめれば、孤独死は一段とすすむでしょう。せめて集会所などに支援のスタッフが常駐し、被災者の相談に乗ったり、地域包括センターや医療関係者との連携を密にするなどの支援がぜひとも必要です。
孤独死の推移