上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場

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日米「密約」問題

日米密約の衆院外務委参考人質疑の詳報と、密約文書破棄を批判する常識的な新聞社説

日米の密約については、すでに、外務省の有識者委員会が今月(3月)9日に提出した報告書の詳報を紹介し、また密約に対する歴代政府の責任についての私見を書いた。
さらに、前後してしまったが、密約認定前のマスコミ報道についても、不十分ながら紹介し、財務省と日銀が今月(3月)12日に発表した、沖縄返還時の財政負担を巡る日米「密約」についての調査結果の報道を紹介しておいた。

以下では、日米間の「密約」問題に関する参考人質疑の詳報と、密約文書の破棄を批判する常識的な新聞社説を紹介し、記録に残しておこう。
なお、地方新聞の社説については、時間がなく探していないが、紹介があれば追加して紹介することにしたい。

毎日新聞 2010年3月20日 東京朝刊
日米密約:衆院外務委参考人質疑 詳報

 衆院外務委員会で19日、日米間の「密約」問題に関する参考人質疑が行われた。質疑の詳細は次の通り。

 ◇冒頭発言
 森田一・元運輸相 私は、60年の安保改定時の核持ち込みに関する密約には、大平正芳外相・蔵相・首相の秘書官として、72年の沖縄返還時の原状回復保障費の肩代わりに関する密約には大蔵事務官として関与した。
 80年4月、大平首相の執務室で伊東正義官房長官と加藤紘一副長官と、私(首相秘書官)が顔を合わせて首相と話すことがあり、首相は核問題について「国民に分かってもらえる何か良い方法はないか」と言った。3人ともほとんど同時に「それは難しいでしょうね」と答えた。首相は再びこの問題に言及することはなく、他界した。
 沖縄原状回復の密約では、大蔵省主計局法規課の筆頭課長補佐として関与した。沖縄返還に関しては外務省条約局から持ち込まれ、条約課長らと外務省内で協議した。日本が米側に支払う話ばかりしているが、大蔵省としては金額の大小よりも、もらったことが大事だと主張した。外務省が米側に要求したところ、米国はたとえ小さくても、議会の承認を取るのが大変だと聞いた。(原状回復費の)400万ドルについては、日本が米国に支払う3億2000万ドルの中から支払うということにしたいので、主計局としても了解してほしいということだった。これは極秘にするからということで、特に異議をさしはさまなかった。いわゆる柏木・ジューリック会談の中身も、外務省を経由して聞いていた。無利子預金は一切聞いていない。

 西山太吉・元毎日新聞記者 なぜ、日米同盟に密約が集中するのか。日本と米国は、戦勝、戦敗国の上下関係が冷戦関係に組み込まれ、聖域のような形で認識されていった。一方で、日本には反核、非核や戦争放棄への強い感覚があった。聖域の方に政策が傾斜していくと、日本国内政治独特のあつれき、摩擦が生じてくる。それをカムフラージュする、調整する機能を密約が持っていた。
 報告書が沖縄への核再持ち込みを密約ではないと言い切っているのは誤認だ。米国は日米のトップが実名で署名した文書は、両国政府の合意事項であるとの認識だ。仮に日本で引き継ぎがなかったと言っても米国には何の影響もない。また、財政の密約問題は項目ごとに分析しても仕方ない。米国の最高方針に基づいて分析しないといけない。思いやり予算は78年4月から始まったのではなく、72年の沖縄返還に伴う6500万ドルの米軍施設改良工事費から始まった。毎年の新たな負担であり、最も国民が知らないといけないという意味では最大の密約であった。

 斉藤邦彦・元外務事務次官 核搭載艦船の一時寄港の問題について、何が持ち込みに当たるか日米間に了解の差があったと思っている。三木武夫外相は68年4月に「核兵器を常備した軍艦の航行を拒否する権利を保留する」という趣旨の答弁をしている。これは同年3月の答弁と変わっており、領海通過に関する日本政府の立場は明らかに変わった。米側に相談した形跡はなく、日本が一方的に理解を変更した。国内の反核感情や米による核抑止力への依存などを考慮した政治判断だろう。米側の抗議の形跡もない。追及すれば日本政府を窮地に追い込み、日米安保体制に深刻な悪影響を与えると判断し、高度の政治判断を下した結果だ。
 「沖縄への核再持ち込み」について、非公開の朝鮮議事録は外交当局とまったく協議もせず国際約束には当たらないが、佐藤栄作首相の重要な政治的決定だったと思う。沖縄の核抜き返還という至上命題を実現するためにはどうしても必要だと、政治家として判断した結果だろう。
 東郷和彦・元外務省条約局長 私が条約局長時、国会審議で密約問題が何回か取り上げられたが政治的に大きな問題にならなかった。だが、政府の答弁内容と実態との間に大きな乖離(かいり)が生じていた。このままでは済まなくなると考え、局長の任期末に条約局長室にあった資料を整理し、五つの赤い箱形ファイルに年代順に収めた。全資料58点のリストを作成し、最重要資料16点に二重丸を付記した。さらに、A4の紙に3ページの意見書と4ページのリストの計7ページの文書を2部作成した。1部は後任の条約局長に引き継ぎ、もう1部は北米局長に送付した。私物のフロッピーに収めた7ページの文書は、12月4日に有識者委に提出した。退官後、扱いに苦慮してきた資料を有識者委を通じ、外務省、日本国民、歴史にお返しすることができた。
 公開された文書は、当時の政治家や外務省職員が安閑としていたわけではない経緯を示している。松永信雄条約局長が「問題の放置は重大な政治不信、国内政治の混乱を招く」とし、事態の打開のためにいわゆる非核2・5原則への転換を提言し、これが、田中角栄首相の発言案と説明資料の紙になっていた。
 冷戦終了とともに91年以降、アメリカは核兵器の艦船への搭載を原則やめたので、現時点では非核三原則を唱えても日本の安全保障は損なわれない。しかし、今後、米国が艦船搭載核兵器について肯定も否定もしない政策に戻るかもしれない。そうなったら、私は、日本は海上への持ち込みは認めるという非核2・5原則に立つことが最善と考える。今後は少数の政治家と官僚だけではなく、国民レベルで真剣に議論し、成熟した安保政策を導いてほしい。
 文書管理について。私がファイルに収めた文書すべてが発表されたわけではない。有識者委は、一部の文書は廃棄された可能性があると指摘した。それが本当なら、外務省は文書管理の実態と今後の対応について、きちんと向き合ってほしい。

 ◇文書廃棄
 鈴木宗男委員長 密約関連文書を誰から引き継ぎ、誰に引き継いだのか。

 東郷氏 前任の竹内行夫条約局長から引き継ぎ、後任の谷内正太郎氏に引き継いだ。作成リストは藤崎一郎北米局長にも送付した。

 鈴木氏 文書を破棄する立場にあった人は。

 東郷氏 廃棄の権限は局長にあると記憶している。

 鈴木氏 有識者委員会に提出したリストはすべて報告書に出ているか。

 東郷氏 全部は発表されていないと思う。

 鈴木氏 重要な「二重丸」をつけた16点は。

 東郷氏 8点が発表された。残り8点は見ていない。

 鈴木氏 「2001年4月の情報公開法施行前に破棄されたとの話が自分の耳に入ってきた」と公の場で述べている。

 東郷氏 当時、外務省の内情をよく知っていると思われる人から聞いたことがある。

 鈴木氏 文書管理上、破棄された可能性が高いとの認識か。

 東郷氏 個人的感触を言えば、私が残した文書の全部は残っていないと思うが、その後、本当にどうなったかはわからない。

 鈴木氏 谷内氏が部下に「書類管理などよしなにはからえ」と指示したとの話を知っているか。

 東郷氏 報道は承知している。私が残した文書の中の重要なものはいくつか出てきたが、出てきていないものが明らかにある。ただ文書がどうなったかの最終的な判断は、現在、外務省に勤務する人たちにしかできない。問題を正確に調べ、発表してほしい。

 服部良一氏(社民) 有識者委に提出して発表されなかった資料のうち重要と思う点は。

 東郷氏 60年安保条約締結で問題になった討議の記録や、74年秋に松永信雄条約局長が記した日誌風の記録文書などは、なくなったのかなと思っている。

 服部氏 情報公開法の施行前に廃棄したのではないか。

 東郷氏 お答えは差し控える。外務省で判断してほしい。

 ◇引き継ぎ
 鈴木氏 斉藤参考人が外務事務次官の時、歴代首相に密約問題を説明したことはあるか。

 斉藤氏 宮沢喜一、細川護熙、羽田孜、村山富市の4首相の誰にも話したことはない。

 鈴木氏 条約局長のころ密約を見たことがあるか。

 斉藤氏 なかった。

 鈴木氏 海部俊樹内閣以降の首相には説明されていないとの認識か。

 斉藤氏 その通りだ。

 斎藤勁氏(民主) 沖縄返還における核再持ち込みを「密約でない」とした有識者委の判断をどう思うか。

 斉藤氏 有識者委の結論に同意する。

 東郷氏 私は「密約である」と考えている。

 斎藤氏 東郷氏はなぜそう考える。

 東郷氏 常識的な意味で言えば「約束」と言って良く、それが国民に対し伏せられたので密約と考える。

 河野太郎氏(自民) 外相から後任の外相に引き継がれていたのか。

 東郷氏 条約局長としてお仕えした高村正彦外相はご存じだと思っていた。外務省幹部から説明したと思っていた。

 赤松正雄氏(公明) 海部首相の時までは、通常(核持ち込み密約について)引き継ぎがなされていた。海部首相の後、明らかに差が出てきた。どう評価しているか。

 斉藤氏 推測だが、91年以降アメリカは艦船に核兵器を搭載しなくなり、この問題が現実に起こる可能性はなくなった。首相に話す必要がなくなったと、いずれかの時点で判断されたのではないか。

 笠井亮氏(共産) 斉藤参考人の上司だった村田良三元事務次官は、日米間で非公開の了解があると次官の間で引き継いでいたと証言した。外相に伝えるのも次官の秘密の義務だったとも。

 斉藤氏 私は引き継ぎを受けていない。

 笠井氏 条約局長や事務次官だった斉藤参考人がなぜ知らないのか。

 斉藤氏 米国は91年に艦船に核兵器を搭載しない政策の変更をし、現実の問題ではなくなってきた。私が事務次官になったのは93年だったので引き継がれなかったのだろう。

 ◇核搭載船の寄港
 服部氏 外務省は当時、核持ち込みはされているという認識だったのか。

 東郷氏 持ち込みはあり得ると認識していた。

 河野氏 核持ち込みは、船に積んだ核兵器が港に入っていたことがあり得るという認識か。

 東郷氏 船に載った核を米国が日本の港に持ち込んでいたこともあり得る。

 赤松氏 日米安保改定の時点から、核搭載艦船がしばしば寄港しているという認識は持っていたのか。

 東郷氏 東郷文彦北米局長の68年のメモでは、安保条約改定交渉で我が方はすべての持ち込みは事前交渉の対象であるとの立場を取っており、艦船・航空機の一時立ち寄りについて、特に議論した記憶も記録もないと書いてある。日本側はそう判断していたと。しかし、昨年来勉強して、どうも違うんじゃないかと。有識者委のみなさんが指摘するように、米国が考えるイントロダクション(持ち込み)は、陸上からの場合のみではないかと。両国で認識に差があったのは事実だ。

 ◇非核2・5原則
 河野氏 (米高官の核持ち込み発言への対応策をまとめた)小和田恒、栗山尚一(元両条約局長)メモにはどう対処しようとしていたのか。

 東郷氏 メモの大筋は、「非核2・5原則」という方向で問題を収れんし、きちんと国民に説明すべきという方向だった。

 笠井氏 核搭載艦船の日本寄港について、日米で異なる立場を取っていることに東郷参考人自身は疑問を持たなかったか。

 東郷氏 条約局長を辞める時に意見書を書いた。国会の質疑が破綻(はたん)しないようにどうしたらいいか。今後、これまでの説明ではとても対応できなくなるので、経緯をわかりやすく説明するべきではないか。さらに、安全保障の将来を考えるのであれば、ラロック、ライシャワーらに、歴代の先輩が述べた非核2・5原則の方向で省内で再検討すべきではないかという三つを書いた。

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 ■人物略歴
 ◇もりた・はじめ
 34年生まれ。旧大蔵省法規課課長補佐の時に沖縄返還の「肩代わり密約」交渉にかかわる。核持ち込み密約の説明を米から受けた大平正芳元首相の秘書官。
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 ■人物略歴
 ◇にしやま・たきち
 31年生まれ。元毎日新聞政治部記者。沖縄返還の「肩代わり密約」の報道を巡り72年、女性事務官と共に国家公務員法違反容疑で逮捕、有罪判決を受けた。
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 ■人物略歴
 ◇さいとう・くにひこ
 35年生まれ。外務省条約課長、同局長など日米密約に関係する条約畑を歩む。宮沢、細川、羽田、村山各内閣で事務次官。駐米大使などを務めた。
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 ■人物略歴
 ◇とうごう・かずひこ
 45年生まれ。外務省条約局長など歴任。父・文彦元駐米大使が核持ち込み「密約」について68年に記録したメモが歴代首相らへの説明に引き継がれた。


毎日新聞 2010年3月20日 2時32分
社説:日米密約質疑 「文書破棄」の疑惑解明を

 日米安保条約改定や沖縄返還をめぐる日米密約に関する衆院外務委員会の参考人質疑で、東郷和彦・元外務省条約局長が核持ち込みなどの関連文書の一部が破棄された可能性があると指摘した。
 密約関連文書に不自然な欠落があることは外務省の有識者委員会報告書でも指摘されているが、元外務省幹部が国会で証言したのは初めてだ。これが、2001年の情報公開法施行を前に密約の存在を覆い隠すため意図的に行われたものなら事は重大である。岡田克也外相は文書消失の経緯など実態解明を急ぎ、責任の所在を明確にすべきである。
 東郷氏の証言によると、同氏は条約局長在任中に核搭載艦船の寄港をめぐる密約に関し58点の文書を5冊のファイルにまとめてリストを作成し、最重要資料16点に二重丸をつけて後任局長の谷内正太郎元事務次官に引き継いだほか、当時北米局長だった藤崎一郎駐米大使に封筒に入れて送付したという。
 ところが、有識者委員会の報告書で公表されたのは二重丸をつけた16点のうち8点だけだった。これについて東郷氏は「当時、外務省の内情をよく知っていると思われる人から情報公開法施行前に関連文書が破棄されたという話を聞いた」「私が残した文書の全部は残っていない。外務省に照会願いたい」と述べた。
 東郷氏が消失したと指摘した文書には60年1月20日付の外務省条約局長と米政府当局者の会談記録も含まれている。同氏は「この会談で米側は『核持ち込みは陸上のことをさしている。(核兵器配備を肯定も否定もしない)NCND政策に立てば海の上の核について米側はあるともないとも言わない』という趣旨のことを言っていた記録だと覚えている」と述べた。
 この証言は重要だ。米側の発言を踏まえれば「事前協議」制度は当初から尻抜けだったことになる。その意味からも、なぜ文書が消失したのかを徹底的に調査すべきである。
 一方、沖縄返還にからみ米軍基地跡地の原状回復補償費400万ドルを日本が肩代わりした問題で西山太吉・元毎日新聞記者は「秘密取り決めのジャンルに入る」と主張した。
 財務省は先に日本から米側への無利子預金の存在があったことを明らかにしたが、それは沖縄返還時の不透明な財政負担の一端にすぎない。西山氏は協定外で約束され国会審議にもかからなかった6500万ドルの米軍施設改良工事費こそが現在の「思いやり予算」につながる「最大の密約」であると指摘した。
 こうした問題も含め、政府の解明作業が不十分な部分を補う努力が国会に求められる。

東京新聞【社説】2010年3月20日
密約文書破棄 国民と歴史への背任だ

 衆院外務委員会での参考人質疑で、核持ち込みの日米密約に関する文書が情報公開法施行前に破棄された可能性が浮上した。事実なら問題だ。関係者からの聞き取りなど、解明を進める必要がある。
 文書破棄に言及したのは、一九九八年七月から約一年間、外務省条約局長を務めた東郷和彦氏。
 東郷氏によると局長在任中、六〇年の日米安全保障条約改定時の核搭載艦船寄港をめぐる密約に関する文書五十八件を五つの赤い箱型ファイルに整理し、文書リストとともに、後任の谷内正太郎前外務事務次官に引き継いだ。
 しかし、リストで最重要文書とした十六点のうち、外務省が公開した関連文書では八点しか確認できず、東郷氏は「外務省の内情をよく知る人から(二〇〇一年の)情報公開法の施行前に破棄されたと聞いた」と証言した。
 確認できなかった文書には、核搭載艦船の寄港に言及したライシャワー元米駐日大使の発言に対する歴代条約局長の意見書などが含まれる。重要文書の入ったファイルが、どうすれば消えるのか。
 文書破棄の可能性は、日米密約を検証した有識者委員会の報告書でも「当然あるべき会議録・議事録や来往電報類の部分的欠落、不自然な欠落、交渉経緯を示す文書類が存在しない」と指摘された。
 公文書は保存・管理し、一定期間後に公開することが望ましい。
 特に外交文書は、国民の命運を左右する外交の記録だ。時の外交活動の評価を後世に委ね、その教訓を将来に生かすためにも適切な保存が欠かせない。恣意(しい)的な文書破棄は日本国民と歴史に対する背任行為にほかならない。
 鈴木宗男委員長は谷内氏に参考人出席を求める考えを示し、岡田克也外相も外務省として調査する方針を表明した。谷内氏を含む関係者から聴取し、文書がどう扱われたか解明してほしい。
 ただ、参考人質疑を聞いて、気になったことがある。鈴木氏が東郷氏に対し、文書を破棄したのは谷内氏ではないかとして、執拗(しつよう)に質問していたことである。
 谷内氏は次官当時、部下に鈴木氏との会食を制限する文書を作成して鈴木氏が反発したり、北方領土の返還方法をめぐり見解が食い違うなど、両氏は反目してきた。
 谷内氏の参考人招致は破棄問題解明に不可欠だが、意趣返しであってはならない。密約検証は大局的見地から取り組むべきで、個人感情を挟む余地はないのである。

朝日新聞社説2010年3月20日(土)付
密約文書―破棄なら、二重の背信だ

 それが本当なら、国民に対する二重の背信行為である。徹底した真相の解明と責任の追及が必要だ。
 日米密約の核心にかかわる重要文書が、外務省内で破棄されていた可能性が高まった。元条約局長の東郷和彦氏が衆院外務委員会で、後任に引き継いだ「最重要資料」のうち半数が公表されていないと証言したのだ。
 先に、安保改定時の核持ち込み密約の存在などを認めた外務省の有識者委員会の報告書も、「当然あるべき文書が見つからず」、「不自然な欠落」も見られたと指摘していた。
 2001年4月の情報公開法施行を前に、当時の幹部が密約文書の破棄を指示したとの証言はすでにあった。東郷氏も省内事情をよく知る人から「文書が破棄されたと聞いた」と語った。
 民主主義国の外交で、密約は本来、あってはならない。ぎりぎりの国益判断で秘密にせざるをえない場合には、経緯を記録し、後年、一般に公開して、歴史の審判を受けるべきものだ。
 「密約はない」と半世紀にわたって国民にウソをつき続けたうえに、国民から重要な判断材料を奪うなどということが許されていいわけがない。
 今回、秘密指定を解除されて公開された外交文書からは、冷戦の下、日米安保体制による核抑止力と国民の強い反核感情の折り合いをどうつけるか、当時の政治家や外交官が真剣に悩み苦しんだ姿も浮き彫りになった。
 外交記録の破棄は、そうした先人の歩みを消し去る行為でもある。過去の政治判断や政策を検証し、将来に生かす道を封じてしまう。
 来年4月施行の公文書管理法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、廃棄には首相の同意を義務づけるなど、厳しいルールを定めている。
 岡田克也外相は東郷氏の証言を受け、「外務省としても、よく調査しなければいけない」と語った。
 比較的近年の話で、現役官僚が関与している可能性もある。個人の責任が明らかになることで、省内に亀裂が走る懸念もあろう。
 しかし、政権交代を経て、ようやく政府が密約の存在を正面から認めたのに、文書破棄の疑惑を放置したままでは、外交への国民の信頼回復も中途半端に終わりかねない。
 岡田氏には明確な指示を出して欲しい。改めて第三者機関を設置し、当時の外相や外務省幹部らから事情を聴くべきだ。
 外務官僚だけの判断で破棄が行われていた可能性もある。官僚の無責任な隠蔽(いんぺい)体質をただすうえでも、事実関係を明らかにすることが不可欠だ。
 真相に迫る責任は国会にもある。外務省任せにせず、国会が国政調査権を発動して調べる道もある。

沖縄返還に絡む財政上の日米密約問題をめぐる財務省・日銀の調査結果についての報道の紹介

日米の密約については、すでに、外務省の有識者委員会が今月(3月)9日に提出した報告書の詳報を紹介し、また密約に対する歴代政府の責任についての私見を書いた。
さらに、前後してしまったが、密約認定前のマスコミ報道についても、不十分ながら紹介しておいた。
以下では、財務省と日銀が今月(3月)12日に、沖縄返還時の財政負担を巡る日米「密約」についての調査結果を発表したので、その報道を紹介し、記録に残しておこう。

3月12日18時20分配信 時事通信
米連銀の無利子預金は「密約」=1億ドル、米側7000万ドル運用益−財務省

 財務省と日銀は12日、1972年の沖縄返還に絡み、日米で交わされたとされる財政負担に関する密約の調査結果を発表した。25年以上にわたり、米国の連邦準備制度理事会(FRB)傘下のニューヨーク連邦準備銀行に、財務省・日銀合わせて1億ドル以上を無利子で預金していたことを確認し、財務省は広い意味での「密約」に当たるとの認識を示した。
 菅直人副総理兼財務相は記者会見し、「沖縄返還協定に定めた3億2000万ドルにとどまらない(日本の)負担や使い道に関する秘められた約束があったと思われる」と述べ、返還協定を超えた日本の負担があったとの見解を表明。基地改善費など7500万ドルを日本が支出した可能性に言及したが、行政文書が存在しないため「断定はできない」と述べた。口座記録のある無利子預金以外の裏負担は解明できなかった。
 調査対象になったのは、大蔵省(現財務省)の柏木雄介財務官と米財務省のアンソニー・J・ジューリック特別補佐官が69年12月にイニシャルで署名したとされる文書(柏木―ジューリック文書)。無利子預金のほか、基地移転費用など、返還協定を超えた日本側負担を記している。文書自体は日本の財務省内では見つからず、米国国立公文書館で入手した。
 調査で判明したのは、日本政府が72年、米軍統治下の沖縄で流通していたドルを円に交換。そのときに日本が得た約1億0350万ドルについて、旧大蔵省が約5350万ドル、日銀は約5000万ドルに分けてそれぞれニューヨーク連銀に無利子で預け入れ、ほぼ同額の預金残高が99年まで維持された。それによる運用益は7000万ドル以上に上ると推計される。 

3月12日18時39分配信 毎日新聞
<無利子預金>「広義の密約」 米連銀に1億300万ドル

 財務省は12日、沖縄返還時の財政負担を巡る日米「密約」についての調査結果を発表した。72年末から99年末まで、日本政府と日銀が計約1億300万ドルを無利子で米ニューヨーク連邦準備銀行に預金していたことを確認。記者会見した菅直人副総理兼財務相は「(沖縄返還協定の)3億2000万ドルにとどまらない負担など、秘められた約束があったと思われる」と述べ、「(暗黙の合意である)広義の密約は存在した」ことを認めた。
 預金額は、沖縄返還時の通貨交換で日本政府が得た1億347万ドルとほぼ同じ。財務省によると、この間の想定運用益は7000万ドル以上という。無利子だったことについて菅氏は「ある種の利益を提供した」としながらも、「交換で得たドルを日本が運用すれば米国に金利負担や国際収支の悪化が生じる。日本が『棚ぼた的利益』を得るとの意識が米側にあった」との見方を紹介。「棚ぼた的な利益を相殺するもので、一般的な利益提供とは別」との認識を示した。
 また、無利子預金の日米合意などを盛り込んだ「柏木−ジューリック文書」について「(財政負担に関する)日米間の秘められた約束に至る交渉の出発点になった」と、初めて正式な文書として認めた。
 98年の改正日銀法施行に伴い、資産運用の効率化を進めていた日銀が、米側に無利子預金残高の引き下げを打診。99年に認められ、無利子預金は解消された。だが、この時点でも無利子預金が密約に基づくとの認識はなかったという。
 調査では、無利子預金の経緯などを記した資料や証言を国内では得られず、米外交文書などをもとに事実関係を推測した。【寺田剛】
 財務省が12日発表した、無利子預金に関する報告書の要旨は次の通り。
 ■調査対象
 69年12月に日米両国の財政当局が合意し、沖縄返還に伴う財政・経済上の処理を進める根拠となったとされる「柏木−ジューリック文書」。文書の探索に加え、言及されている「無利子預金」について、財務省の管理する外貨準備の一環を成す可能性があることから、米国関係当局の協力も得て、沖縄返還当時から近年に至るまでの事実関係の推移も確認した。
 ■調査結果の概要
 <1>「柏木文書」については、延べ1000人以上を投じて省内全部局で徹底探索したものの、保有を確認できなかった。一方、職員を米国に派遣し、米国立公文書館で、文書の写しを入手した。文書に関連して、米国立公文書館の公開資料や日本側関係者の記録等から、福田赳夫蔵相の了解の下、大蔵省と米財務省の間で、69年秋(9〜12月)に沖縄返還に伴う財政負担に関する会談が行われたことが確認された。財務省には会談の記録が残されておらず詳細は不明であるが、文書は「今後の細部にわたる交渉(70年6月以降に開催)の際に両者が従うべき指針」について、69年秋の時点で共有された「理解」を取りまとめたものと考えられる。
 <2>「柏木文書」に記載された無利子預金に関しては、文書の記述におおむね見合う運用として、日本の外貨準備の運用において、72〜99年までの間、一定金額以上の無利子の預け入れ残高を米ニューヨーク連銀に維持していたことが、連銀の調査でわかった。
 さらに、(イ)連銀は、72〜99年までの間、大蔵省から5300万ドルの「最低限の無利子預け入れ残高」を維持するとの指示があったと理解している(ロ)米財務省が99年に、連銀に対し、「『最低限の無利子預け入れ残高』を維持するとの日米両政府の理解については、既に期限を経過しているため、当該無利子預け入れ残高については、連銀と、日本国当局との間で合意した条件で処理することにつき問題はない」旨連絡している−−ことから、米当局としては、大蔵省及び日銀が一定期間一定金額以上の「最低限の無利子預け入れ残高」を連銀に維持する旨の日米間の理解があったものと認識していることがわかった。
 <3>以上から、無利子預金については、「柏木文書」に記載された内容に沿った日米間の理解が、大筋において最終的な合意となったことが推認される。こうした最終的な合意とそれに基づいた外貨準備の運用が、これまでに対外的に明らかにされてこなかったことは事実である。こうした取り扱いを「密約」とするならば、その意味での「密約」は存在した、あるいはいわゆる「広義の密約」が存在したと言える。
■今後の取り組み
 調査を通じて、▽文書の保存・管理において、主権者である国民が主体的に利用し得る歴史資料を残すとの観点が希薄であり、沖縄返還交渉に関する重要な歴史事実の検証が困難となっている▽一定額以上の無利子預金を維持する措置が継続されているにもかかわらず、関連事項が組織的に引き継がれていなかった−−ことが判明した。再発防止を徹底するため、速やかに以下の措置を講じたい。
 ▽条約交渉等の重要な国際交渉については、交渉経緯が跡付けられるよう、関連する行政文書については、原則として、長期間(30年または10年)保存するとともに、保存期間満了後には国立公文書館に移管▽作成から10年以上保存している行政文書を廃棄する場合には、文書の概要及び廃棄しても問題ない理由を記した承認書を作成。文書管理者の決裁を経ることとし、決裁を30年保存。

3月12日20時26分配信 産経新聞
米銀への無利子預金が1億ドル 日米「密約」のひとつか

 沖縄返還に伴い、日米間に「密約」があったとされる問題で、財務省と日銀は12日、米ニューヨーク連邦準備銀行への無利子預金の額が昭和47年末から平成11年末まで27年間にわたり、政府が5300万ドル、日銀が5000万ドルの計約1億ドルを維持していたと発表した。菅直人副総理・財務相は同日夕の記者会見で、沖縄返還協定(昭和46年)で定めた日本の財政負担3億2千万ドルにとどまらない「秘められた約束」が日米間に存在したとして、「広義の密約」のひとつにあたるとの見方を明らかにした。
 米公文書などによると、日本政府は昭和47年、沖縄で流通していたドルを円と交換。そのドルの一部をニューヨーク連銀に無利子で預け入れたほか、市中銀行を通じ、このドルを得た日銀も同様に無利子預金を行った。その際、日米間では無利子預金残高の最低限度額などを定めたというが、こうした措置を取った理由については不明という。円と交換されたドルの総額は1億347万ドルで、政府・日銀の無利子預金の額とほぼ同じだった。
 ただ、無利子預金の運用益が米国への利益供与にあたるとの見方について、菅財務相は「そうした指摘は当たらない」などと否定した。

読売新聞2010年3月12日(金)21:54
沖縄返還補償、無利子預金は1億ドル…財務相

 菅財務相は12日、1972年の沖縄返還に伴う財政負担などに関して日米間に「密約」があったとされる問題についての調査結果を発表し、日本が1億ドル超の預金をニューヨーク連邦準備銀行に無利子で預けていたことを認めた。
 この預金が対外的に明らかにされていなかったことなどから、広い意味での「密約」があったとの見解を示した。ただ、日本が本来受け取るべき運用益を米国側に供与し、米軍の基地移転費用などの 補填 ( ほてん ) にあてるとする合意は確認できなかったと説明した。
 調査結果によると、72〜99年までの27年間、当時の大蔵省が5300万ドル以上、日本銀行も約5000万ドルの預金を中央銀行の一つであるニューヨーク連銀に無利子で預けていた。日米の財政当局が69年に交わした文書に預金の存在が記されていた。日本側では文書は見つからなかったが、米国国立公文書館で文書の写しを得た。
 無利子預金は、米軍統治下の沖縄で流通していたドル現金を72年に日本政府が円に交換した際、日本政府が回収した1億ドルを預けたものという。財務省によると、仮に全額を運用していれば27年間で7000万ドルを超える運用益が出たと試算できる。しかし当時、日本側はドルと交換する円について、ほとんどコストをかけずにお札を増発するだけで調達できたため、この1億ドルを運用すると日本側に「棚ぼた的な利得」が生じることから、金利をなくすことでバランスを取ったと説明している。
 一方、71年に調印された沖縄返還協定では、米国側へ支払う補償費は3億2000万ドルとなっていたが、米国側の文書には、社会保障費や基地施設移転費など4億500万ドルに上るとの記述があったこともわかった。菅氏は「3億2000万ドルにとどまらない負担や、別途の使い道に関する秘められた約束があったと思われる」と指摘した。
 沖縄返還に伴う財政負担などに関する密約は、米国が支払うとされていた土地の原状回復補償費400万ドルなどを実際には日本側が肩代わりしたとされるもので、外務省の有識者委員会は9日、広い意味での「密約」にあたると認定した。今回の調査では、これとは別に無利子預金の存在などが確認された。

2010/03/12 21:57 【共同通信】
日米財政密約報告書詳報 
 財務省が12日発表した沖縄返還に絡む財政上の日米密約問題をめぐる調査結果の主な内容は次の通り。

 【経緯と調査結果の概要】
 ▽経緯
 調査対象は、1969年12月に日米両国の財政当局が合意し、沖縄返還に伴う、財政・経済上の処理を進める根拠となったとされる「柏木―ジューリック文書」(故・柏木雄介大蔵省財務官と米財務省のジューリック特別補佐官がイニシャルを書き入れたとされる69年12月2日付文書)。同文書の探索に加え、同文書で言及されている「無利子預金」について事実関係の推移の確認作業も行った。
 同文書には、沖縄返還に伴う日本側の財政・経済的な負担(総額4億500万ドルと無利子預金)についての記載がある。
 (1)民生用・共同使用資産の買い取り費用(1億7500万ドル)(2)基地の移転費用など(2億ドル 物品および役務で提供)(3)通貨交換(沖縄における円ドル通貨交換)により取得したドルを少なくとも25年間、米ニューヨーク連銀へ無利子預金(6千万ドルまたは現に通貨交換した額のいずれか大きい方の金額)(4)社会保障費用(3千万ドル)
 政府の公式見解である沖縄返還協定(71年6月締結)に記載されている3億2千万ドルの米国への支払いを超える内容・額の負担の約束があったことを示すものとの指摘がある。
 ▽調査結果の概要
 同文書は財務省内全部局において徹底した探索を行ったものの、その保有を確認できなかった。米国立公文書館で入手。米側の公開資料や日本側関係者の記録などから当時の大蔵省と米財務省の間で69年秋(9月から12月)に財政負担に関する会談が行われたことを確認。財務省内には記録が残されておらず詳細は不明だが、同文書は69年秋時点で共有された「理解」をまとめたもの。
 無利子預金は同文書の記述におおむね見合う運用として日本の外貨準備で72年から99年までの間、一定金額以上の無利子の預入金残高を同連銀に維持していたことが同連銀の調査で分かった。米当局としては、残高を維持する日米間の理解があったと認識していることも分かった。
 同文書の内容に沿った理解が日米間の最終的な合意となったことが推認される。合意と同文書に基づく外貨準備の運用は対外的に明らかにされてこなかったことは事実。こうした取り扱いを「密約」とするならば、「密約」あるいは「広義の密約」は存在したといえる。
 【調査結果の詳細】
 ▽柏木―ジューリック文書
 2008年9月以降、計3回にわたり省内探索を実施したが、同文書を含め沖縄返還交渉に関する文書は確認できなかった。返還交渉にかかわったと思われる当時の審議官と課長に対し可能な範囲で聞き取り調査したが、同文書について知っている者はいなかった。
 ▽無利子預金について
 同文書にある無利子預金については、外国為替資金特別会計がニューヨーク連銀に設置している当座預金勘定の「最低限の無利子預入残高」が最も類似。この残高は5300万ドルで、日銀分と合わせて99年12月まで1億350万ドルあった。この額は沖縄返還時に県内にあった米ドルを日本円に交換した額1億347万ドルに近い。
 最低限の無利子預入残高は99年12月に同連銀からの提案を受け、1200万ドルに引き下げられた。
 98年以前の最低限の無利子預入残高の推移については財務省内で確認できなかったため、ニューヨーク連銀に沖縄返還前から99年末までの推移について照会。71年末までは数百万ドル以下で推移していたのが72年末に9600万ドル程度に増加し、73〜98年末までは5300万ドル超で推移し、99年末に900万ドル程度に減少したことが確認された(日銀分を除く)。
 同連銀によると、72〜99年までの間、大蔵省から5300万ドルの最低限の無利子預入残高を維持するとの指示があったと同連銀は理解しているが、指示文書は保有していない。
 菅直人財務相の指示で財務省職員を米国に派遣。職員が米財務省とニューヨーク連銀の担当者と面会して調査した。
 99年12月に無利子預金の残高を引き下げた経緯は、まず同年7月、日銀が同連銀に対して残高引き下げが可能かを照会。連銀の相談を受けた米財務省は「日米政府間の理解では残高維持の期限はすでに経過している。処理することは問題ない」と返答。これを受け同年11月、同連銀が日本側に残高引き下げを提案した。
 大蔵省や日銀が一定期間、一定額以上の無利子預金を同連銀に維持するとの日米間の理解があったと、米当局は認識していた。
 我部政明琉球大学教授が98年10月に(日米密約の)論文を発表した時点で、大蔵省は論文で言及された無利子預金がニューヨーク連銀の預金に関係しているとまでは思い至らず、大蔵省が知らない別の隠し口座があったのではないかとの認識だった。日銀に照会したが、担当者は知らないという返答だった。
 このため同連銀が99年11月に残高引き下げを提案した時、大蔵省は通常業務の一環と考えた。無利子預金は、同連銀に無料で依頼していた証券の保護預かりや為替介入業務の対価の側面を持つ当座預金であると認識。当時の外貨準備高と比較しても、少額であり自然な水準と考えていた。
 日銀は、改正日銀法が98年に施行されたのに伴い、安全かつ効率的な運用という観点から外貨資産の見直しを実施。この一環として、ニューヨーク連銀に無利子預金の残高引き下げの可能性を照会した。
 【今後の取り組み】
 ▽事務運営の改善
 文書の保存・管理において、国民が利用できる歴史資料を残すとの観点が希薄で、沖縄返還交渉に関する重要な歴史事実の検証が困難になった。無利子預金を維持する措置が続いているのに、関連する事項が組織的に引き継がれていなかった。
 同様の問題の再発防止を徹底するため、財務省独自の取り組みとして、文書管理規則を厳格化し、文書管理の研修を強化する。
 文書管理規則を改正し、条約交渉などの重要な国際交渉は、交渉経緯が跡付けられるように、関連文書は原則として長期(30年または10年)の保存期間を設定し、保存する。保存期間満了後は国立公文書館に移管する。
 保存期間満了前のできるだけ早い時期に、国立公文書館への移管・廃棄を決める仕組みを先行導入する。
 文書廃棄の場合は、文書の概要や廃棄理由を記した廃棄承認書について、文書管理者の決裁を経る。決裁は30年保存。行政文書の廃棄・移管記録の保存期間を5年から30年に延長する。
 文書管理研修のマニュアルを作成し、全職員を対象に文書管理研修を行う。
 ▽効率的な運用徹底
 外貨準備は今後も適切な運用に努めるとともに、長期的な残高データの管理の在り方を抜本的に見直す。

朝日新聞2010年3月12日23時5分
米に無利子預金、菅氏「広義の密約」 沖縄返還めぐり

 1972年の沖縄返還費用をめぐる密約問題に関連し、菅直人財務相が12日、記者会見し、日本政府が米ニューヨーク連邦準備銀行に無利子預金をしていたことについて、「広義の密約があったと言える」との談話を発表した。この預金をめぐっては、米側に運用益をあげさせる目的があったとの指摘があるが、菅氏はこうした目的は否定した。
 財務省は、核持ち込みなど日米間の四つの密約に関する外務省の調査に合わせ、沖縄返還費に関する別の密約について独自に調べていた。
 米側で公開された米軍文書に、日本政府が返還に伴う通貨交換で得た最低6千万ドルを連銀に無利子で25年間預けると合意し、これに伴う米側利益は1億1200万ドルになるとの記述があり、沖縄返還協定枠外の「裏負担」と指摘されていた。会見で菅氏は「当時の日米間には、返還協定に定める3億2千万ドルにとどまらない負担や、別途の使い道に関する秘められた約束があったと思われる」と述べた。
 今回の密約調査では、69年12月、柏木雄介・大蔵省財務官とアンソニー・ジューリック米財務長官特別補佐官(いずれも当時)が署名した秘密覚書の存否が焦点になった。この覚書は米国立公文書館ですでに公開。返還交渉における指針について日米の共通理解を記した内容で、無利子預金もこの中に含まれていた。
 財務省は省内の全部局を対象にこの文書を探したが、見つからなかったという。ただ、職員を米国に派遣して米側の文書を入手。署名などからこの文書を本物と判断し、「柏木・ジューリック文書に記された日米間の理解が大筋において最終的な合意になったことが推認される」と認定し、日米間で無利子預金をめぐる秘密の合意があったと認めた。
 同省の調べでは、預金額は大蔵省(当時)と日本銀行分で72年以降、一時的な例外をのぞいて1億ドル余で推移。沖縄返還時に通貨交換で日本政府が取得した1億347万ドルに近い数字だった。99年になって日本銀行が引き下げを打診。米側も了解し、同年末に1200万ドルに減額された。
 一方、財務省は、米軍文書にある通り6千万ドルを年利6%で25年間運用した場合、得られる利息は約4600万ドルと試算。そのため、米軍文書に記載された1億1200万ドルについては「かなり数字が違う。数字の上のミステリー」(菅氏)としている。
 菅氏は預金の存在を国民に知らせなかったことや、省内で引き継ぎがなされていなかったことなどを「問題」と指摘。無利子預金の背景については、日本政府が沖縄で流通していた米ドルを大量に入手し、米国の銀行に預けて多額の利子を受け取るのはおかしい、と米側がとらえていた可能性を挙げた。(北沢卓也)

琉球新報2010年3月13日
米銀に無利子で1億ドル 沖縄返還の財政密約

 【東京】財務省は12日、1960年代後半の沖縄返還交渉に際し、日本側の財政負担を定めた日米密約の調査結果を発表した。沖縄に流通していたドルを円に交換したことによって生じた約5300万ドルを、大蔵省(当時)が、沖縄が返還された1972年から99年まで約27年間、ニューヨーク連邦準備銀行の口座に無利子で預金していたことが判明した。日銀も約5000万ドルを無利子で預金しており、計1億300万ドルを超える資金が、国民に知らされないまま米国に預金されていたことになり、財務省は同政策を「広義の密約」と結論付けた。
 菅直人財務相は、沖縄返還協定で定めた3億2000万ドルを上回る資金が、米側に基地施設改善移転費や基地従業員の労務管理費などとして支払われていた可能性について「負担していたと推測される。3億2000万ドルにとどまらない負担に関する秘められた約束があった」と述べ、長年指摘されてきた日本側の「裏負担」があったと推定した。
 研究者の間では、これら預金の運用益が沖縄返還協定合意額の3億2000万ドルを上回る分の資金の拠出元となったのではと指摘されているが、今回の調査ではそれを裏付ける文書などは発見されなかった。
 菅財務相は密約が結ばれた背景について「米側には、沖縄返還に際し発生する利息は(日本にとって)『棚ぼた的利益』との思いもあったのでは。沖縄返還時、日本はコストをかけずにドルから円へ交換できた。米の厳しい財政事情もあった。日米双方の利益を相殺する判断だったと思う」と述べ、一般的な利益の提供には当たらないとした。
 今回、調査対象となったのは、当時の日米交渉担当者が1969年に作成した柏木―ジューリック文書。財務省は約1400冊のファイルを探索したが、同文書のほか3億2000万ドルを超える日本側負担を裏付ける記録は省内では発見されなかった。

沖縄タイムス2010年3月14日 09時58分
[「同盟の闇」]密約問題は過去の話か
 旧大蔵省の柏木雄介財務官と米財務省のジューリック特別補佐官が沖縄返還交渉にからんで1969年12月に結んだ文書は、我部政明琉大教授が10年以上も前に米国で入手した秘密覚書だ。
 この覚書を手がかりに、財政に絡む日米密約を独自に調査していた財務省は、日本側がニューヨーク連邦準備銀行の口座に1億300万ドル超の資金を約27年にわたって無利子で預金していたことを確認した。
 菅直人財務相は記者会見で、この無利子預金を「広義の密約」だったと認めた。一人の研究者の執念が「同盟の闇」を照らし出したわけだ。
 沖縄返還に伴う核の再持ち込みや日本側の財政負担については、交渉当時から不透明感がつきまとい、国会でもたびたび取り上げられた。自民党政権はこれまで、判で押したように密約の存在を否定し続けてきたが、外務省の有識者委員会に続き財務省の独自調査でも、国民不在の密約外交が暴かれたことになる。
 鳩山政権による日米密約調査はこれで区切りを迎えることになるが、密約問題を過ぎ去った過去の話だとして見過ごすわけにはいかない。
 秘密覚書は米国立公文書館で公開されているが、日本側の文書は見つかっていない。秘密覚書の存在が米公文書によって明らかになったにもかかわらず、日本側にその文書がないのはなぜなのか。
 返還交渉の闇の部分を、闇のままに葬り去るために、意図的に廃棄したのではないか。そのような疑いをもたれても仕方がないだろう。
 「当然あるべき文書が見つからず、見つかった文書にも不自然な欠落が見られる」と外務省有識者委員会の報告書は指摘している。
 過去の忘却や歴史の歪曲(わいきょく)は許されない。米国では25年後に外交秘密が原則公開されるが、国会で密約の存在を否定し、うその答弁を続けてきた過去の政権は、この種の文書の公開に消極的だった。
 政策決定過程の検証を可能にするためにも、重要文書の保存・公表のあり方を見直すべきである。
 「暗黙の合意」による核持ち込みの密約に対し、岡田克也外相は「非核三原則を堅持する」との考えを強調した。だが、問題は決して簡単でない。
 非核三原則を「国是」としながら米国の「核の傘」に頼ってきた矛盾を整理しない限り、核持ち込みをめぐる虚構の構図は、以前と少しも変わらずに生き続ける。
 柏木・ジューリック秘密覚書を分析した我部教授は、沖縄返還に伴う財政負担の密約に思いやり予算のルーツがあると言う。それは米軍普天間飛行場返還に伴うグアム移転経費の問題にもつながる。
 巨額の税金がどのように使われてきたのか。使われようとしているのか。納税者である国民はそれを詳細に知る権利がある。
 復帰後の38年は、日米密約や、地位協定にからむ非公開の合意が少しずつ明らかになっていった歴史でもあるが、「同盟の闇」は依然として深い。

認定前の日米政府間の密約に関する報道

日米4密約問題を調査した外務省有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)は今月(3月)9日、3密約を認定した報告書を岡田克也外務大臣に提出したことは、すでに紹介した。
また、特に歴代政府の責任について私見を書いた。

前後してしまったが、委員会の報告書が提出されるまでの、日米政府間の密約に関するこれまでのマスコミ報道をまとめて紹介し、記録に残しておこう。
漏れがあるだろうから、可能であれば今後補充したい。
[ ]は私によるものである。

(1)そもそも日本政府は、核を積載した米艦船の通過は事前協議の対象という立場をとっているが、アメリカはそのような立場をとっていないことは、例えば元駐日アメリカ大使・ライシャワー氏の証言で明らかになっていた。
毎日新聞(1981年5月18日)
元駐日アメリカ大使・ライシャワー氏の記者会見

私は、日本国民と米政府との間に、確かに、誤解が存在したと思います。そして、しばしば日本政府と米政府との間にも誤解がありました。なぜなら、私は、日本政府が合意事項の幾つか、口頭合意がなんであったかを忘れていたと思うのです。つまり、核兵器を積んだ船の寄港・通過は全く問題がないであろうという合意です。
(略)それ[核兵器を積載しているかどうか]は事前協議の対象になり得ないのです。なぜなら、それは人々に、われわれは核兵器を積んでいると言うことだからです。われわれは決して、そこのとについて言いません。
(略)日本の政府は核を積んだ米艦船が常時、通過していたことを知っているし、日本の国民も同じでしょう。
(略)日本政府がそのようにいっている[核兵器積載の米国の艦船の寄港は事前協議の対象になる、という日本政府の説明]のなら、ウソをいっていることになるね。

(2)佐藤栄作首相の密使として核持ち込み密約にかかわった若泉敬・元京都産業大学教授の遺書についての報道
琉球新報2005年5月14日
「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏

 著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込み密約にかかわった自らの責任を悔い「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自決)します」と記されている。
 慰霊の日のこの日、若泉氏は同墓苑に喪服姿で参拝に訪れている。これまでも自決するために沖縄を訪問したといわれており、遺書の内容はこれを裏付けるものとなった。
 遺書は「嘆願状」の題目で10行の便せん5枚。自らの著書により県民に「新たな不安、心痛、憤怒を惹(ひ)き起こした」と述懐。沖縄返還交渉で緊急時の核の再持ち込みの「密約」が交わされたとされる1969年の日米首脳会談以来、密使としてかかわった自らの責任の重さを記している。
 墓苑での自決を思いとどまった若泉氏は、著書の英訳出版など日米関係の実態をさらに広めようとしたが、96年7月27日、すい臓がんのため死去した。
 若泉氏の同墓苑参拝に立ち会うなど、92年から亡くなる直前まで取材した琉球朝日放送(QAB)報道制作局長の具志堅勝也さん(50)がこのほど、同氏の弁護士から遺書の写しを入手した。具志堅さんは「いつも沖縄のことを気に掛けている人だった。本土復帰は良かったのかと質問を受けたこともある。密約は県民にとってありがたい話ではないが、歴史の裏に隠された真実を知ってほしい」と話した。

(3)「核密約」示す米公文書も存在

朝日新聞2007年10月07日23時57分
沖縄返還時、「核密約」示す米公文書 外務省は存在否定
 日米両国が沖縄の「核抜き本土並み返還」に合意した1969年11月、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領との会談直前に、両国間で返還後の沖縄に米軍の核の再持ち込みなどを認める「密約」を結んだことを明示する米政府の公文書が見つかった。密約の内容は当時の複数の米高官らが認めているが、「秘密議事録」と記述された米側の公文書が明らかになったのは初めて。
 見つかったのは、キッシンジャー大統領補佐官(当時)からニクソン大統領にあてた69年11月12日付と同13日付のメモ。信夫隆司(しのぶ・たかし)・日大教授(日米外交史)が今夏、米国立公文書館で入手した。首脳会談の進め方や手順を説明した文書で、05年に機密指定解除された。
 12日付のメモで、キッシンジャー氏は「返還後の沖縄への核兵器持ち込みと繊維問題に関する日米間の秘密合意に関連して、佐藤首相とあなた自身(ニクソン大統領)は次のような交渉のやりとりをする」と記したうえで、「手続きに関する申し合わせ」を添付した。
 「申し合わせ」の核問題に関する項では、首脳会談での具体的な交渉の進め方が記され、「secret Minute」(秘密議事録=密約)という言葉があり、日米間で核密約があったことが前提となっていたことがうかがえる。
 また「申し合わせ」は佐藤首相の密使としてキッシンジャー氏と交渉した若泉敬・元京都産業大教授(故人)の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で全文が明かされ、「日本政府は(中略)共同声明についての修正された秘密議事録(=密約)と共に(中略)受け入れるものと了解する」と訳されている。
 さらに13日付のメモには、若泉氏が使っていたコードネーム「ヨシダ」が登場し、「この取り決めは昨日午後、私(キッシンジャー氏)とヨシダ氏との最終会談で合意した」などと書かれている。
 信夫教授は「密約の存在が公文書のメモの中で明確に確認された。若泉氏の著書の価値が高められた。外務省は政府の信頼を高めるためにも自ら検証すべきではないか」と話している。
 今回見つかった公文書について外務省は「文書がどんなものか定かではないのでコメントする立場にない。核の『密約』は存在しない」と従来の主張を繰り返している。

(4)民主党の岡田克也副代表が政権交代後の密約公開を約束
2009/03/14 18:02 【共同通信】
岡田氏、民主政権なら密約公開 沖縄返還めぐり

 民主党の岡田克也副代表は14日、大阪市で講演し、沖縄返還直前に日米両政府高官が交わしたとされる“密約”文書について「政権交代が実現すれば、日本政府が『ありません』と言い続けているものを全部出す。(政府が)どれだけうそを言ってきたかが分かる」と述べ、民主党政権での公開を明言した。
 沖縄返還をめぐっては、軍用地の復元補償費400万ドルを日本側が肩代わりする密約など、複数の秘密文書の存在が米公文書で裏付けられているが、日本政府は一貫して存在を否定している。
 岡田氏は「沖縄返還をめぐり、いろいろな密約があったと言われ、米国の情報公開では(密約の存在が)示されている」と指摘。その上で、民主党が政権を獲得した場合には「国民にきちんと説明責任を果たし、開かれた政治を実現する」と強調した。

(5)村田良平・元外務事務次官の証言
朝日新聞2009年6月29日20時54分
核持ち込み黙認、米と密約「文書あった」と元外務次官
 1960年の日米安保条約改定の際、核兵器を積んだ米艦船の日本寄港や領海通過に事前協議は必要ないとする秘密合意を日米両政府が結んだとされる問題で、元外務事務次官の村田良平氏(79)が29日、朝日新聞の取材に「そうした文書を引き継ぎ、当時の外相に説明した」と述べた。
 核密約については、米側公文書などで、すでに存在が裏付けられているが、日本政府は一貫して否定してきた。外務省の事務次官経験者が証言するのは初めて。
 村田氏は87年7月から約2年間、外務事務次官を務めた。村田氏によると、外務省で当時使っていた「事務用紙」1枚に記された日本語の密約文書を前任者から引き継ぎ、後任に渡した。村田氏は、当時の倉成正、宇野宗佑両外相に秘密合意について説明。三塚博外相には「(宇野内閣が短命で)話すチャンスがなかった」とした。首相に自ら直接説明することはしなかったという。「それは外相から説明するからと。ただ、実際に外相が話したかどうかは知らない」と説明した。
 政府が否定する秘密合意の存在を認めた理由については「代々の外相に歴代の次官が伝えてきた一方、国会答弁では核の持ち込みはないと言う。それはおかしいと思う」と述べた。「安保ができたばかりの時は、外交交渉の結果を表にできなかったこともある。だが今は50年がたち、核の持つ意味も変化した。北朝鮮も核を持っているのだから」とも語った。
 河村官房長官は29日の記者会見で「ご指摘のような密約は存在しない」と改めて否定。「事前協議がない以上は核持ち込みがないと、まったく疑いの余地を持っていない」と述べた。

(6)外務省が核密約裏付ける文書を保管していた!
朝日新聞2009年11月21日3時2分
外務省に核密約裏付ける文書 保管資料調査で発見

 岡田克也外相の指示を受けた外務省の日米密約調査で、核持ち込み密約の根拠をなす文書である「討議記録」の存在を裏付ける日本側文書が、同省の保管ファイルの中から発見されたことが20日、分かった。日本政府の「(討議記録は)承知していない」とする従来の立場を覆すものだ。
 外務省は、省内に保管されていた日米安保関係の2694冊、沖縄返還関係571冊、在米大使館にある約400冊のファイルを対象に、密約に関する文書がないか調べていた。調査は終了し、調査チームを率いた北野充・官房審議官(危機管理担当)が同日、外相に調査結果を報告した。岡田氏は来週にも第三者委員会を発足させ、文書の分析や意義の検証をする方針。
 討議記録は60年1月の日米安保条約改定直前に日米間で交わされ、核兵器の持ち込みに必要な事前協議の対象を定めている。米側で公開された文書には「米軍機の日本飛来や米海軍艦艇の日本領海、港湾への進入に関し、現行の手続きに影響を与えるものと解釈されない」と記され、米側はこの合意をもとに寄港・通過は「持ち込み」ではないとの立場を取ってきた。この米側文書は、交渉がまとまった59年6月に作られた討議記録の草案。
 今回の調査で見つかったのは、討議記録そのものではないが、合意内容が記された文書。60年1月6日に藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使がイニシャル署名した最終合意の内容が分かるという。
 これまでの自民党政権は密約そのものが存在しないと主張し、密約を裏付ける日本側文書の存在を認めていなかった。討議記録も「そうしたものが米国の公式文書としてあることは全く承知していない」(00年5月、河野洋平外相)と存在を否定していた。
 最近も「事前協議制度についての日米間の合意は、(協議の対象を定めた)交換公文及び『藤山・マッカーサー口頭了解』がすべて」(09年7月、中曽根弘文外相=いずれも当時)と主張。調査結果は、これらの政府見解を真っ向から否定するものだ。
 ただ、この討議記録の内容をめぐっては、日本側は当初、核兵器を積んだ艦船の寄港などを認めたことになると気づいていなかった、との指摘がある。実際、日本政府が「寄港・通過も持ち込みに当たる」との国会答弁を繰り返し、米側が合意内容の確認を何度も迫ったことも分かっている。調査ではほかにも多くの文書が見つかっており、日本側でこうした解釈のずれに気づいた過程も判明。「苦悩した様子がうかがえる」(外務省関係者)という。
 63年4月には、ライシャワー駐日米大使が大平正芳外相と会談し、核持ち込みの解釈をすりあわせている。大平氏はこの日の会談で米側解釈を受け入れたとされるが、今回の調査では会談当日の記録は見つからなかった。外務省職員が同席せずに記録がもともと作られていなかった可能性があるほか、破棄された可能性も捨てきれない。(倉重奈苗、鶴岡正寛)

(7)吉野文六・元外務省アメリカ局長の証言と密約文書の廃棄の可能性
毎日新聞 2009年12月13日 2時30分
沖縄密約:文書現存せず 外務省廃棄か 元局長証言と矛盾

 1972年の沖縄返還に絡み、「米国が支払うべき米軍用地の原状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりした」とされる密約そのものを記した文書が、外務省の調査で見つからなかったことが、12日分かった。サインした吉野文六元同省アメリカ局長自身が法廷で密約文書の存在と保存したことを証言しており、外務省がいずれかの段階で廃棄した可能性が高くなった。
 密約問題を解明するため先月発足した有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)の関係者が毎日新聞の取材に「サインされた文書そのものは見つからなかった」と明らかにした。同時に調査では、この密約に関連して日本側が400万ドルを直接負担したことを推定できる交渉過程の関連文書は発見された。このため、有識者委員会で精査しているが、最終的に外務省が密約の存在自体を認める可能性は高い。その場合「密約はあったが、文書は失われたか、廃棄された」という結論になるとみられる。
 この密約文書は、すでに米国で原本が公開されており、そこには当時交渉に当たった吉野氏のイニシャルである「B・Y」というサインも残っている。
 この密約に関連しては71年に密約を報じた西山太吉元毎日新聞記者らが起こした密約文書の情報公開訴訟が東京地裁で進んでいる。吉野氏は今月1日にこの訴訟に証人として出廷して、サインを自身のものと認め「事務官が(密約原本の)コピーを取り、ある程度保存していた」と証言した。外務省にいったんはこの文書が保存されていたことはほぼ確実だ。
 外務省幹部は「もし意図的に廃棄したとすれば、違法性が高いと裁判で判断されるかもしれない」と指摘しており、裁判の行方にも影響を与えそうだ。
 01年4月の情報公開法施行前に同省が文書管理の在り方を見直した際、「存在しない」としてきた文書が将来発覚する事態を恐れ、廃棄した可能性もある。【中澤雄大】
◇外務省、問われる責任
 沖縄返還に絡む原状回復補償費400万ドルをめぐる密約文書が外務省に保存されていなかったことで、密約を隠し続けてきた外務省の責任が改めて問題になる。外交上の秘密は当然付いて回るが、隠ぺいしたまま廃棄してしまえば、機密でなくなった後に妥当性を検証することが不可能になる。外務省の外交に対する姿勢と責任が厳しく問われそうだ。
 外務省では今回の密約のほかにも核搭載米艦船の寄港を認めた密約など計4密約について調査をしている。ただ今回の密約が他と異なるのは、当時から密約の存在が報道で暴露されていた点だ。
 密約は71年6月に吉野文六外務省アメリカ局長とスナイダー駐日公使(いずれも当時)の間で結ばれた。その後、西山太吉元毎日新聞記者が関連する文書を入手し、72年に国家公務員法違反で逮捕、起訴された。このため、当時から外務省にとっても文書の存否は大問題で、誤って捨てたり、無意識に捨てるということは考えにくい。
 岡田克也外相は、今後の外交文書公開のルールについても見直す考えを示している。60、70年代の密約が公開されないことに象徴されるように、外務省の外交文書公開が公平、中立に行われていない可能性があるためだ。
 01年4月の情報公開法施行前に、外交関連文書が廃棄されたことは当時の複数の外務省幹部が毎日新聞の取材に証言している。もし情報公開を恐れて文書を廃棄したとすれば、外務省の責任は極めて重い。【須藤孝】

(8)核密約文書を佐藤栄作首相の遺族が保管
毎日新聞 2009年12月22日 21時11分
核密約文書:佐藤元首相の遺族が保管 日米首脳署名

 沖縄返還(1972年)の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が69年11月に署名した、沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。草案などで密約の内容はすでに分かっていたが、両首脳の署名がある実物の存在が明らかになったのは初めて。
 密約は69年11月にワシントンで行われた日米首脳会談の際、両首脳がひそかに署名した「合意議事録」。返還交渉で佐藤氏の密使を務めた若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に著書でその草案の写真とともに明らかにした。今回の文書は文末にフルネームで署名があり、2通作成され、日米首脳がそれぞれ保管するとした本文の日本保管分とみられる。若泉氏は著書で「イニシャル署名する予定だったが、フルネームで署名したと佐藤首相から知らされた」と記述しており、符合する。
 この密約は現在、岡田克也外相が進めている密約調査でも対象になっており、調査では「外務省には保管されていない」という結論になっている。密約をめぐるやりとりは外務当局とは別に若泉氏の「密使」ルートで行われたため、外務省には保存されていないとみられる。しかし、両首脳の署名が残っており、米側は有効な公文書と見なしている可能性が高い。
 佐藤氏の次男の佐藤信二元通産相によると、元首相から引き継ぎなどはなく、75年の元首相の死去後に、元首相が使用していた書斎机を整理した際に見つかった。机は首相在任時に首相公邸で使っていて、その後、東京・代沢の自宅に運ばれたもので、元首相が文書を保管してそのままになっていたとみられる。
 佐藤元通産相によると、文書を発見した際に、密約が結ばれた69年当時駐米大使だった下田武三氏(故人)ら複数の外務省OBに「(外務省の)外交史料館で保管したい」と相談したが「公文書ではなく、私文書にあたる」と指摘されたという。佐藤元通産相は「資料として保管してほしいと思ったが、二元外交を否定しているのだと感じた」と話している。【中澤雄大】
 【ことば】沖縄核持ち込み密約  1969年11月にワシントンで行われた日米首脳会談時に、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した。首脳会談では沖縄の「核抜き本土並み」の返還が合意されたが、同時に密約で有事の際の沖縄への核兵器の再持ち込みを認めた。密約では、米国が核兵器を持ち込む事前協議を日本政府に申し入れた場合、「(日本が)遅滞なく必要を満たす」と明記しており、核持ち込みの事前協議の意味を事実上空洞化する内容となっている。若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に出版された著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で文書草案の写真と共に内容や経緯を明らかにした。

(9)複数の外務省事務次官経験者らの証言
毎日新聞 2009年12月30日 東京朝刊
核持ち込み密約:複数元次官ら「認識」 有識者委の調査に回答

 外務省の日米密約に関する有識者委員会(座長・北岡伸一東大大学院教授、6人)による聞き取り調査に対し、複数の同省事務次官経験者らが「核搭載米艦船の寄港などを認めた密約の存在を認識していた」と証言していたことが29日、分かった。核密約については、関連文書が外務省内に保管されていたことが明らかになっている。文書を扱った当事者らが密約の存在を認めたことで、有識者委は来年1月下旬にもまとめる報告書で「密約はあった」と結論づける見通しとなった。
 今年6月、村田良平元事務次官が前任次官から密約の引き継ぎを受けたことを毎日新聞などに明らかにしているが、今回の調査では、より詳細な文書の管理実態などが裏付けられたとみられる。有識者委は、検証を深める手がかりになるとして証言を重視している。
 調査に応じたのは、次官経験者ら4人で、村田氏は含まれていない。密約の解釈や交渉経過、背景などをまとめた関連文書の有無や保管状況を証言したという。日本の政権交代に加え、冷戦終結など、密約を結んだ当時と時代背景が異なることから、「密約はない」としていた従来の外務省の公式見解を覆しても、今後の日米関係に与える影響は小さいと判断したとみられる。
 また有識者委は、69年11月に当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した、沖縄への核再持ち込みを認める密約について、文書を保管していた次男の佐藤信二元通産相に調査協力を要請する。
 岡田克也外相は29日の記者会見で、信二氏が外務省OBに、保管していた文書を同省の外交史料館などに預ける相談をした際、OBが「私文書にあたる」と指摘していたことについて、「外務省関係者の『(文書が後に)出てきては困る』という反応だ」と述べた。【中澤雄大】

(10)有識者委員会の報告書の取りまとめの延期
毎日新聞 2010年1月12日 東京朝刊
日米密約:報告書の取りまとめ延期 来月下旬以降に

 日米密約を調査している有識者委員会(座長・北岡伸一東大大学院教授、6人)は11日、外務省で定例会合を開いた。資料の精査などに時間がかかるため、当初1月中に予定していた報告書の取りまとめが2月下旬以降にずれ込む見通しになった。会合では各委員から、報告書作成の進行状況が報告されたが、検証結果をまとめるにはなお時間が必要との認識で一致した。
 また、佐藤栄作首相とニクソン米大統領(いずれも当時)が交わした沖縄返還後の核再持ち込みを取り決めた密約について、密約文書を保管していた佐藤氏の次男、佐藤信二元運輸相から文書のコピーの提供を受けたことも報告された。【中澤雄大】

密約の認定と歴代内閣の責任

(1)すでに紹介したが、日米4密約問題を調査した外務省有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)は今月(3月)9日、3密約を認定した報告書を岡田克也外務大臣に提出した。
2010/03/09 20:08 【共同通信】
核持ち込みなど3密約認定 外務省有識者委報告

 日米4密約問題を調査した外務省有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)は9日、日米安全保障条約改定時(1960年)の核持ち込み容認など3密約を認定した報告書を岡田克也外相に提出した。記者会見で岡田氏は報告を追認、政府見解を変更した。さらに報告書が否定した沖縄返還決定時(69年)の核再持ち込み合意についても「一般常識からみれば密約としないわけではない」と指摘した。核持ち込みの可能性も指摘、「ない」としてきた政府見解も変更した。
 「国民の理解と信頼に基づく外交」実現に向けた解明作業で、被爆国でありながら米国の「核の傘」に依存する特殊事情を背景に形成された「政府のうそ」が明白になった。鳩山内閣が堅持する「持ち込ませず」などとした非核三原則と矛盾する内容を対米外交上、どう扱うかが焦点となる。
 核持ち込みに関し岡田氏は会見で、米の政策変更により可能性は無くなり問題はないとした。密約が解明されなかったことに「遺憾」の意を示し、歴代首相らの責任を指摘。非核三原則法制化には消極姿勢を示した。
 有識者委は「核持ち込み」のほか沖縄返還時(72年)の原状回復費肩代わり、朝鮮半島有事の米軍出動をめぐる合意を密約認定。沖縄再持ち込みは、政府内の引き継ぎがないなどとして否定。

(2)この委員会が検討した4つの密約とは、以下である。

・1960年の日米安全保障条約改定時に米核搭載艦船の立ち寄りを容認した「核持ち込み」の秘密

・朝鮮半島有事の際、在日米軍基地から出撃する米軍の戦闘作戦行動を日米安全保障条約上の事前協議の対象外とする合意の密約

・沖縄返還を決めた1969年11月の日米首脳会談で、佐藤栄作首相がニクソン大統領に有事の際の沖縄への核再持ち込みを認めた合意の密約

・1972年の沖縄返還に伴う軍用地の原状回復費肩代わり合意の密約。

このうち、同委員会は3つ目の、有事の際の沖縄への核再持ち込みについて密約とは認定しなかった。

(3)この件で私は、少なくとも3つの論点があると思っている。

一つ目の論点は、日米4密約問題を調査した外務省有識者委員会の報告書の密約認定の有無の是非である。
言い換えれば、同委員会が有事の際の沖縄への書く持込についてもは密約と認めなかったことが妥当だったと評価し得うるかどうかである。

二つ目は、外務省有識者委員会の報告書の提出を踏まえて、歴代政権担当者(特に歴代首相や外務大臣)がどのような責任(密約自体に対する責任と密約文書の廃棄に対する責任)をとるのかという論点である。

三つ目は、今の鳩山政権が外務省有識者委員会の報告書を受けて、どのような対応をするのかという論点である。

すでに一つ目の論点については、報告書の結論に批判を加えている方が少なくないようなので、私は、二つ目の問題に限定して私見を書くことにする。

(4)歴代の政権、特に自民党政権は、国会で、密約の存在を否定してきた。
しかし、密約は存在した。

ということは、歴代の(自民党)政権は、国民の「知る権利」という人権を保障しないどころか、ウソをつき続けて国民の「知る権利」を侵害してきたことになる。
また、主権者国民にウソをつき続け、主権者国民を裏切った、つまり国民主権主義を実質否定したことになる。
さらに言えば、主権者国民の知らないところで密約の内容が実行されたとなると、国家主権(国家の独立性)も侵害されたことになる。
米兵らが自民党政権をアメリカの傀儡政権と呼ぶ所以であろう。

(5)ところが、報告書の提出から1週間が経過したのに、歴代首相と外務大臣で政治的責任をとって辞任した国会議員は誰もいないようだ。
それどころか、大臣当時、密約の存在を否定する答弁を行っていながら、今になって密約を肯定する発言をしている厚顔無恥な元大臣もいるようだ。
下線は私が引いたものである。
毎日新聞 2010年3月10日 東京朝刊
日米密約:3密約確認 政府・与党「政権交代の成果」 自民は「歴代」擁護

 外務省の有識者委員会が9日、日米密約の存在を認める報告書をまとめたのを受け、政府・与党は「政権交代の成果」とアピール。長く政権党として密約の存在を否定してきた自民党からは歴代政権の対応を正当化する発言が相次いだ。【中田卓二、近藤大介】
 平野博文官房長官は同日の記者会見で「今までの政府が言ってきたことと事実関係が違ったわけで、政権交代による大きな効果だ」と自賛した。社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相も記者団に「こういうことが明らかになったのは、やはり政権交代の成果だ」と語った。
 一方、自民党は麻生太郎前首相が談話を発表し「『密約』については、自分は承知していない。核の持ち込み問題についての当時の国会・国民への説明ぶりは、わが国の安全保障を確保するとの観点に立った賢明な対応だった」と歴代政権を擁護。安倍晋三元首相も記者団に「いわゆる核密約についての申し渡しは前任者からはなかった」と説明し、60年に日米安保条約を改定した祖父の岸信介元首相に関しては「密約という認識はなかったと思う。冷戦の中で指導者が日本を守るために判断した」と語った。
 自民党の閣僚経験者の一人は「(密約を)公表して『けしからん』というのは簡単だが、米艦船内(に核兵器がないか)をすべてチェックなどしたら日米同盟が持たない」と主張。高村正彦元外相も記者団に「(核持ち込みについて)日米間の解釈の違いを詰めなかったのはけしからんと今の時点で言うのは、当時の苦渋の決断をした人たちに酷ではないか」と語った。ただ、高村氏は同時に「歴史の真実を明らかにするのは一定の意義はある」と鳩山政権の取り組みを評価もした。
 公明党の山口那津男代表は「情報にアクセスできた首相や外相という限られた人の判断をこれから検証する必要がある」と記者団に語り、自公政権時代の公明党の関与を言外に否定した。共産党の志位和夫委員長は記者会見し、00年の国会審議で不破哲三委員長(当時)が安保改定時の「討議の記録」の存在を指摘したことを挙げ「報告書は記録の存在を認めながら、それが密約だったことを否定している。悪質な歴史の偽造だ」と批判した。

以上の報道だけ見ると、元首相と元外務大臣を経験した自民党の国会議員は、国民の人権を侵害し主権者を裏切り、国家主権(国家の独立性)を脅かし、国政選挙で当選していることの重大性を全く理解していないようだ。

(7)もっとも、自民党の石破茂政務調査会長は、3月10日(水)の定例会見で、以下のように質疑応答で、石破氏の個人的な見解ではあるものの、歴代の自民党内閣の責任を認めている。
下線は私が引いたものである。
外務省の有識者委員会が密約についての報告書を出しましたが、これに対する政調会長の認識をお伺いします。また、今朝の外交部会で河野太郎さんが「自民党が密約を公表できなかったこと恥ずかしい」「歴代外相経験者を集めて話を聞くべき」と発言されていますが、会長の見解をお伺いします。

1点目でございます。いわゆる核の密約、これは広義も狭義も含みます。これがあったということが明らかになりました。私は、それはそれで1つの意義があろうと思っております。これがあったという事は事実でありますし、これが自民党政権時代に無かったと言ってきたことでございまして、その事実が明らかになったということは、意義のあることだと思っております。自民党政権時代に明らかにしなかったことについての責任、これは、「いやそれが正しかったんだ」などという強弁をするのではなくて、なぜ明らかに出来なかったのか。それは時期によって差もございます。これが合衆国によって公表された後も無かったと、いうことはどうであったかと。そのことが国益にプラスになったのかどうかという観点から、責任を問うということではなくて、国益にとってどうだったのかについては、私は議論をするべきだと思っております。それは、個人の「お前、隠してた、けしからん」と、個人の責任に帰すると言うよりも、その内閣の責任も問わねばならないことでありますし、あるいは、ごく短期間でありましたが、細川・羽田政権下においてもそれは明らかにならなかったのでございます。自民党がその責めの多くを負わなくてはなりませんが、そのことが国益としてどうであったのかという観点から、議論をするべきだ。そして、その事に責任があるとすれば、それは、私どもとしてきちんと明らかにせねばならないことではないかと思っております。ただ、これは個人的な見解でございますので、政調としてそういう風に決めたというような問題ではございません。(以下略)。

(8)ところが、その後、歴代内閣の責任を問う議論は党としての議論になってはいるのか、疑問である。
少なくとも自民党のHPを見ても、それについての記事はない。

(9)歴代内閣、特に元首相と元外務大臣の責任は、国会における国政調査権の行使を通じて問われることが必要になるだろうが、それとは別に、長期政権を担ってきた自民党が党として独自の調査を実施し、歴代の大臣(特に首相と外務大臣)をつとめた国会議員の責任を問うべきだろう。

もちろん、自民党の独自の内部調査に基づく責任追及とは別に、歴代の大臣をつとめた現職の国会議員は、個人的に潔く政治的責任をとって議員を辞任することが求められるだろう。

自民党はロッキード事件「もみ消し要請」の真相についての解明もいまだなされていないが、「責任政党」と自称してきた自民党とその歴代大臣(特に首相と外務大臣)が密約問題で本当に責任を果たすのかどうか、問われている!

「密約」に関する外務省の有識者委員会の報告書詳報

日米の密約問題を検証していた外務省の有識者委員会(座長、北岡伸一東大教授)は今月(3月)9日、岡田克也外相に報告書を提出した。
この件で、私見を書こうとしたが、文章が長くなったので、予定を変更して、以下では、報告書の詳報を紹介し、記録に残し、私見は別の機会に書くことにしよう。

日経新聞(09日 15:49)
核艦船寄港、暗黙の合意 有識者委報告、日米間に「広義の密約」

 日米の密約問題を検証していた外務省の有識者委員会(座長、北岡伸一東大教授)は9日、岡田克也外相に報告書を提出した。1960年の日米安全保障条約改定時に、核兵器を搭載した米軍艦船の日本への寄港を事実上認める了解があったかどうかについて、「暗黙の合意」があったと指摘、明確な文書がない「広義の密約」だったと結論づけた。朝鮮半島有事の際の米軍の在日米軍基地の自由使用や沖縄への核の再持ち込みなどの秘密文書の存在も確認した。
 有識者委は(1)核搭載艦船の一時寄港・領海通過(2)朝鮮半島有事の際の米軍による在日米軍基地の自由使用(3)緊急事態の際の沖縄への核の再持ち込み(4)沖縄返還の原状回復費の肩代わり――の4密約を検証対象とした。いずれも60〜70年代に交わされたとされる。
 自民党の歴代政権は国会答弁で密約の存在を否定していた。報告書は文書があるものを「狭義の密約」とし、文書がなくても暗黙の合意が成立した取り決めを「広義の密約」と分類した。


時事通信社(2010/03/09-16:17)
「密約」問題報告書詳報

 「密約」に関する外務省の有識者委員会が9日提出した報告書の詳報は次の通り。(一部敬称略、肩書は当時)

 【密約とは何か】
 両国間の合意あるいは了解で、国民に知らされておらず、かつ、公表されている合意や了解と異なる重要な内容を持つものは「狭義の密約」と言える。明確な文書でなく、暗黙のうちに存在する合意や了解だが、公表されている合意や了解と異なる重要な内容を持つものは「広義の密約」と言える。
 【核搭載艦船の一時寄港】
 1960年に改定した日米安全保障条約に付属する「安保条約第6条の実施に関する交換公文」は、日本が米国に提供する基地の使用に関して次のように規定している。
 「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更ならびに日本国から行われる戦闘作戦行動のための基地としての日本国内の施設および区域の使用は、日本国政府との事前協議の主題とする」
 核兵器を搭載した米艦船の日本の港への寄港が日米両国による事前協議の対象になるかという問題は、この交換公文の解釈をめぐる問題だ。
 1、「討議記録」の解釈
 政府の説明は、安保改定時にできた日米間の了解事項を前提にしている。「装備における重要な変更」は「核弾頭および中・長距離ミサイルの持ち込みならびにそれらの基地の建設」を意味するという了解である。政府が核搭載艦船の寄港は事前協議の対象になると説明するのは、それがこの了解でいう核弾頭の「持ち込み」に当たるとみなすからである。
 安保改定時、この了解事項は他の了解事項とともに、「討議記録」という名前で文書化されている。60年1月6日、藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使との間でイニシャル署名されたこの文書は、今回の調査では、コピーと考えられる文書が見つかった。
 この文書の2項Aの記述により、「持ち込み」は「装備の重要な変更」に当たり、事前協議の対象になることが確認できる。
 だが、核搭載艦船が日本の港に入るが、一定期間停泊後にそのまま出港するような場合も「持ち込み」になるのか。米国政府は63年4月、ライシャワー駐日大使を通じて大平正芳外相に、「持ち込み」には当たらないという米側の解釈を伝えてきた。だが安保改定交渉の際、日米間に「持ち込み」の意味についての合意があったわけではない。
 ライシャワー大使はこの日、2項Cの記述も持ち出した。
 「事前協議は合衆国軍隊とその装備の日本国への配置、合衆国軍用機の飛来、ならびに合衆国海軍艦船の日本国の領海への進入や港湾への入港に関する現行手続きに影響を与えるとは解されない。ただし、合衆国軍隊の配置における重要な変更の場合を除く」
 これこそ核搭載艦船の寄港を事前協議の対象外とする日米間の「密約」を示す記述ではないかと疑われてきた。
 だが、この記述を「密約」の証拠と見るのは難しいように思われる。まず、2項Cは、第2次台湾海峡危機を背景にして、米側が、米軍艦船や航空機の日本への通常の出入りが事前協議制度の制限を受けないことを確認するための了解であった。核兵器の「持ち込み」に関する了解であるという認識は日本側交渉者にはなかった。
 たしかに米政府は、2項Cの記述によって、核搭載艦船寄港を事前協議の対象外として処理できるとみなしたようである。ただ、交渉当時、その解釈を日本側に明らかにした形跡はない。
 2、「暗黙の合意」の萌芽(ほうが)
 マッカーサー大使は交渉開始前、核搭載艦船の寄港を事前協議の対象から外すよう日本側に真正面から求めれば、日本側は拒否せざるを得ないだろうと判断していた。60年代半ばに作成された米政府内の研究報告は、この問題では日米間に明確な了解ができなかったと結論している。
 日本側の態度が消極的なものであれば、詰めた話をせず、問題をあいまいなままにしておいてもよい、マッカーサーはそう考えたのではないか。事前協議の内容を詰める責任は日本側にあって、日本側がそれをしないのであれば、米側は米側の解釈で交換公文を理解してよいはずだ、マッカーサーはそう判断したのではないか。
 日本側の交渉者たちは米側の考え方に気付きつつ、漠然と希望は伝えたかもしれないが、核搭載艦船の寄港も事前協議の対象にしてほしいと正式に要求することはなく、米側もこの問題を正面から持ち出さなかった。それゆえ日米間で議論が詰められなかった。そういう構図が浮かび上がってくる。
 米側にしてみれば、問題を議論していなければ、現状通りでよいという解釈ができよう。日本側にしてみれば、核搭載艦船の寄港問題は将来の課題にして、今回はここまで、というようなことだったのではないか。
 結局、安保改定時には、あいまいにされたようである。だが、米側は日本側が事前協議なしの寄港を表立って認めることができないのを知っていたし、日本側は米国がこの問題で実際に事前協議するとは考えていなかったと思われる。双方はお互いの意向を知りながら、問題をそれ以上追及しなかったのである。そういう暗黙の合意が安保改定時にできあがりつつあったと見てよいだろう。
 3、「大平・ライシャワー会談」以後
 その「暗黙の合意」が日米間で固まるのは、「大平・ライシャワー会談」(63年4月3日)以降である。
 ライシャワー大使は、大平外相との間で「米国の現在の解釈に完全に沿うことで十分な相互理解に達した」と報告しているが、特にこの問題を議論するつもりも準備もない大平が周到な準備をしたライシャワーの一方的な説明を聞いて理解したから、日米合意ができたと言えるだろうか。
 重要なことは、日本政府が米側の解釈について明確に知らされ、実際に核搭載艦船の事前協議なしの寄港が行われている可能性が高いことを知ったこと、そして、米側の解釈に異議を唱えなかったことである。
 ライシャワーは、佐藤栄作首相にもひそかに米国の立場を伝えたようである(64年12月29日)。佐藤は大平同様、米側の解釈に異議を唱えなかったらしい。
 米国政府の解釈に異議を唱えなかったから、直ちに日本政府が同意したということにはならないだろう。だが、米側は、日本政府が米国は米国の解釈で行動することを許すものと受け取ったと思われる。ライシャワー以後は核搭載艦船の事前協議なしの寄港を続けたと推定される。
 だが日本政府は、米政府の考えをはっきり知らされた後も、核搭載艦船の寄港は事前協議の対象になる、と国会などで説明し続けた。さらに、具体的に米艦船の寄港が問題になると、米国がそういう日本の立場を知りながら事前協議をしてこないので、その艦船には核兵器を搭載していないはず、という趣旨の説明も行った。
 厳密にはうそとは言えないかもしれないが、まったく不正直な説明であるのは間違いない。
 政府は、不正直な説明を続けるために、明白なうそもついた。日米間には安保改定時に「藤山・マッカーサー口頭了解」があり、交換公文の意味が明確になる、ということにしたからである。
 何より問題は、歴代政府答弁が安保条約の事前協議に関して日米間には「交換公文」と「藤山・マッカーサー口頭了解」しかない、と事実(「討議記録」が存在する)に反する明白なうそをつき続けたことである。
 しかし、米政府は表だって異議を唱えなかった。日本政府が核搭載艦船の事前協議なしの寄港を現実問題として容認している以上、黙認せざるを得ないと考えたのであろう。
 今回の調査で明らかになった内部文書「装備の重要な変更に関する事前協議の件」(68年1月27日付)は東郷文彦北米局長が書き、双方の立場に異論を唱えず黙視する処理は政治的・軍事的に動かせないと主張。この文書は政府内で説明資料として使われた。首相、外相、外務省幹部が対象で、文書の欄外に、佐藤政権から宇野政権までの首相や外相らに説明したとの記述がある(海部政権にも口頭で説明)。日本政府のこの問題への対応は以後、「暗黙の合意」の維持で固まったのである。
 4、「暴露」への対応
 74年9月11日のラロック(退役米海軍少将)証言の後、外務省内では核搭載艦船の寄港(および領海通過)を事前協議の対象から外すことを公に認める可能性について検討がなされた。
 大平蔵相が積極的で、田中角栄首相と諮りつつ、フォード米大統領来日後、臨時国会までに決着を付ける方針を立てた。フォード大統領来日の際の首脳会談では田中首相が、核疑惑に答える課題の難しさについて語り、大統領の理解と解決への協力を求めた。外務省内でいくつかの対策案が検討されたが、結局、日の目を見ることがなかった。
 81年5月、再び「暗黙の合意」を揺さぶったのはライシャワーの発言である。しかし政府は、「暗黙の合意」の再検討には乗り出さなかった。
 91年、ブッシュ政権は米海軍の艦船、航空機から戦術核を撤去する決定を行った。これにより核搭載艦船の寄港問題は現実の日米関係を悩ます問題ではなくなった。90年代には米公文書公開によって「討議記録」の存在が指摘されるようになり、2000年までにはその概要が広く知られることになった。
 政府は冷戦終えんから10年という国際情勢の変化を踏まえ、米政府とも相談の上で、思い切って国民に経緯を説明し、核政策全般について再検討するべきはするという政治決断を行っても、あるいはその準備を始めてもよかったのではないか。
 5、結論
 日米両政府には「暗黙の合意」という広義の密約があった。それは安保改定時に姿を現し、60年代に固まった。
 「密約」問題に関する日本政府の説明は、うそを含む不正直な説明に終始し、本来あってはならない態度である。
 【朝鮮半島有事と事前協議】
 日米両国は60年の安保改定の際、在日米軍が日本から行う「戦闘作戦行動」を事前協議の対象とすることで合意した。それと同時に、両国は非公開の「議事録」(朝鮮議事録)により、朝鮮半島有事の際、国連軍の指揮下で行動する在日米軍が在日米軍基地を使用して直ちに(場合によっては事前協議なしに)出撃できることで合意していたことが今回の調査で確認された。
 69年の沖縄返還交渉で日本側は、主権国家として自国領土からの「戦闘作戦行動は当然協議を受けなくてはならない」との認識を固め、非公開の朝鮮議事録を首相による一方的な対外表明によって置き換えることを目指して対外交渉を行った。佐藤首相はニクソン米大統領と沖縄返還で合意した同年11月21日、朝鮮半島有事の際に在日米軍が出撃することについて、事前協議において「前向きかつ速やかに態度を決定する方針」と表明した。朝鮮議事録の失効、置き換えに関して、両国は明確な合意には達しなかったが、現状では、事前協議なしの出撃という密約は事実上有効性を失っているとみられる。
 ▽「密約」の認識
 岸信介首相は国会答弁で「在日米軍が国連軍の一部として、日本の基地を使用して作戦行動をするという場合においては、すべて事前協議の対象となる」と言明している。朝鮮議事録は明らかに、在日米軍基地からの戦闘作戦行動について朝鮮有事の場合は事前協議を免除することを秘密裏に認めた内容であり、密約の性格を帯びた文書であるとの認識を日本側交渉当事者および岸政権が持っていたのは確実である。
 【沖縄返還と有事の核再持ち込み】
 1、「有事における核の再持ち込み」という立場
 返還後の沖縄基地の機能に関する米政府の方針は、仮に返還時に核兵器を撤去する場合であっても、その条件として有事の核兵器再持ち込みが前提とされていたことがうかがわれる。
 正式交渉開始に先立ってニクソン政権は、核については、他の要素が満足できる合意に達し、かつ、緊急時の貯蔵と通過権の確保ができれば、最終段階で考慮するとの決定を行った。
 2、日本政府の立場
 施政権返還における日本政府の核兵器に関する立場は、非核三原則を踏まえて、核抜き返還を求めるものであった。
 外務省は、交渉では返還時の核撤去を求めるとともに、返還後の核持ち込みについては事前協議の対象とする立場を固めていた。
 同省は、交渉に当たって核兵器をめぐる秘密文書作成を極力避けるとともに、合意内容を、公表される共同声明に盛り込んで表に出そうとした。
 69年9月の愛知揆一外相訪米を前に、外務省では返還後の核の扱いに関する共同声明第7項に新たな文言を追加する修正案を工夫した。「日米安保条約の事前協議制度に関する米政府の立場を害することなく」の挿入が眼目であった。この対案の意味は、緊急事態の下では米側の事前協議に対し、日本政府が直ちに協議に応ずるであろうことを、非公開文書でなく共同声明で示そうとしたところにあった。
 (9月の)愛知外相とロジャース国務長官の会談以降、米側は核に関する共同声明案についての回答を遅らせる一方で、繊維問題について日本側の譲歩を迫る意向を重ねて示唆する戦術を採るようになる。
 核問題で米側からの回答がなく、11月(19日)の首脳会談での決着が予想される中、10月7日、佐藤首相は「米国が核(持ち込み)を日本に認めさせるあまり、逆に日本が自ら核武装をしようと言ったら米国も困るのではないか」「非核三原則の持ち込ませずは、誤りであったと反省している。この辺で(日本が)不完全武装だからどうすべきか、ということをもっと明らかにすべきであろうかとも考えている」と発言していた。返還交渉における核問題で米側からの回答が得られない事態の下、佐藤首相の判断が揺らいだことがうかがわれる。
 首脳間の最終決定を待つほかない事態となったことを受けて、外務省が取り組んだのは、共同声明とは別の文書を用意することだった。それが「会談録案」である。両国政府代表の発言記録とされ、日本側が核再持ち込みを認める可能性を示唆する内容だった。この「会談録案」は、11月の首脳会談直前に採用しないとの方針が決まる。
 外務省の「会談録案」起草と並行して、核の問題をめぐって関与したのは首相官邸だった。小杉照夫首相秘書官が関与したと思われる11月7日付文書は、共同声明第7項について三つの案にまとめたものであった。
 3、若泉−キッシンジャー・ルートと「合意議事録」
 若泉敬京都産業大教授は佐藤首相の信任状を得て、7月にキッシンジャー米大統領補佐官と会見し、極秘の連絡ルートを設定していた。若泉は佐藤首相の承認を得て、9月26〜30日、ホワイトハウスでキッシンジャーと会見した。キッシンジャーは若泉に2枚の紙を渡したが、1枚は繊維問題、もう1枚が核に関する内容であった。
 キッシンジャーは、緊急時の核再持ち込み、通過などの条件を示し、佐藤首相の大統領あての書簡、あるいは両首脳による合意議事録とすることを提案した。
 11月6日に佐藤首相と会見した若泉は、極秘に保管する(緊急時の核再持ち込みを認める)「合意議事録」に両首脳がイニシャルすることを提案、佐藤首相は了承して、第1案から第3案までの手書きの共同声明案を示し、交渉を指示した。
 「官邸案」は、若泉−キッシンジャー・ルートを通してニクソン大統領に伝えられることとなった。
 11月10日から12日までキッシンジャーと会談した若泉は帰国後の15日に佐藤首相に会い、共同声明が官邸案の第2案になること、さらに「手続きに関する取り決め」、「合意議事録」、繊維に関する「覚書」を伝えている。佐藤首相は(訪米)出発(17日)直前に、官邸第2案をニクソンが受け入れるとの感触を得るとともに、首脳会談の際に、首脳2人が小部屋に入り「合意議事録」に署名する手はずについても了承していた。
 4、佐藤・ニクソン会談と共同声明をめぐる合意(略)
 5、考察
 「合意議事録」が佐藤内閣の後継内閣をも拘束する効力を持ったのかについては、おそらく否定的に考えざるを得ないだろう。佐藤首相自身が、交渉開始前から「秘密了解」というものについて慎重であった。佐藤首相は「合意議事録」を自分限りのものと考え、長期的に政府を拘束するものとは考えなかったのではないか。「合意議事録」の保管方法から見て、佐藤首相はこの文書を私蔵したまま、その後引き継いだ節は見られない。
 この秘密文書は、共同声明の内容を大きく超える負担を約束したものとは言えず、必ずしも密約とは言えないであろう。
 この秘密文書がなくても、かねて準備していた「会談録」またはこれを基礎とした提案をして、結局合意は実現されたのではないか。
 他方で、若泉・キッシンジャー・ルートが果たした役割を否定することはバランスを失することになろう。このルートを通して、ニクソン大統領の意向が佐藤首相に届いた意義は大きい。
 【沖縄返還と原状回復補償費の肩代わり】
 沖縄返還協定第4条1項は、日本と日本国民の米国に対する請求権を放棄している。しかし、同協定4条3項には、沖縄返還時に、米国が軍用地として使用していた土地で、50年7月1日前に損害(形質変更)を受け、かつ61年6月30日後から協定の発効前にその使用が解除された土地について、原状回復のための「自発的支払い」を行う、との規定が置かれている。
 返還交渉の過程で、当初米側は、既に必要な原状回復補償は終了しており、これ以上の財政支出を求めないことを議会に約束していたことから、支払いに応じようとしなかった。しかし、日本側の粘り強い交渉の結果、米側は「自発的支払い」に応ずることになった。問題はその財源であった。米側は、原状回復のための新たな財政支出について議会を説得することは困難との立場を崩さなかったため、「自発的支払い」に必要な額を日本政府が支出することになった、とされる。つまり、原状回復費用を日本側が「肩代わり」することになり、そのことを確認するため、協定調印の直前(71年6月12日)、吉野文六アメリカ局長とスナイダー駐日公使とがイニシャルした非公表の「議論の要約」が作成され、これが沖縄返還交渉にかかわる、いわゆる「密約」の一つとされてきた。
 (6月9日に提示した)日本側の不公表書簡案は、「米国が(日本の支払総額)3億2000万ドルの中から(原状回復補償費)400万ドルを信託基金のために留保することを了知する」という趣旨であり、「日本が信託基金のために400万ドルを支払う」という踏み込んだ内容ではなかった。米側はこれに代わる記録を求めたが、内容的にはさほど日本側書簡案と差のない「議論の要約」となったものと思われる。日本側は、やがて公になることもあり得ることを前提に慎重に文案作成に臨み、米側も、こうした日本側の立場に配慮して慎重に作成にあたっていたことをうかがわせる。
 「議論の要約」の内容は、日本側が400万ドルを支払うことを約束したものではなく、米政府が3億2000万ドルの中から400万ドルを留保することを日本側が予期する、という趣旨である。両国政府を拘束するような内容ではなく、いずれかが相手側に何かを約束するものでもない。
 ▽考察
 不公表書簡案にせよ「議論の要約」にせよ、それ自体は「狭義の密約」に当たるわけではない。「議論の要約」は事務当局レベルのものであり、愛知外相や後継の福田赳夫外相などの政府首脳が認識していたか、といえば疑わしい。
 しかし、交渉プロセスにおいて、米側は自発的支払いを行うものの、その財源を日本側が負担する、という合意が成立していたこと、その財源の400万ドルを日本側支払い総額の3億ドルに追加することについて双方が了解していたことは確認できる。
 これらの合意や了解は非公表扱いとされ、明確に文書化されているわけでもなく、返還協定などにも明記されていないが、両国政府の財政処理を制約するものとなる。その点では、これらは「広義の密約」に該当すると言えるだろう。
 沖縄返還に伴う財政経済交渉は、米国の国際収支が悪化し、主要国の政策運営をめぐって黒字国と赤字国の責任分担をめぐる対立が激しさを増すという国際経済環境の下で行われた。大幅な黒字国の日本は、絶えず守勢に回り、早期返還実現のために、財政負担の中身を詰めるより、「高度の政治的判断」を優先したことは十分に理解できる。その過程では、公表できない合意や了解も必要となり、「議論の要約」もその一つかもしれない。
 【外交文書の管理と公開について】
 明治・大正期から昭和の太平洋戦争を経て、対日平和条約に至る外務省記録は、案件ごとに良く保存・整備され、日本外交の足跡をかなりの厚みをもって再現することが可能となっている。では、対日平和条約とともに再出発した外務省が、そうした営みを継承し、将来のために記録として残すということに十分に配慮してきたのであろうか。
 1、「密約」と文書管理について
 安保条約改定時の「討議記録」など4件に関する文書について、存在が確認されなかった文書もあることに注目せざるを得ない。
 1961年に制定の文書管理規定の「文書保存廃棄類別基準」は、第1類(永久保存)から第4類(1年保存)まで、該当する文書が具体的に示されている。今回の調査対象である「討議記録」「朝鮮議事録」「議論の要約」などは、存在していたとすれば、一義的には永久保存に分類されたと考えられる。
 「討議記録」などは、編さんの対象とされず、別に保管されている可能性を探ったが、その事実はなかった。また、条約書目録や移管目録にも記載はなかった。
 問題は、「討議記録」などが永久保存に分類されていたか否かである。要件を満たさないものとして、廃棄と判断された可能性もある。
 「討議記録」などのうち幾つかは、法的拘束力を有しないとみなされ、いったんは永久保存に分類されたものの、後日、有期限文書とされ、手続きに従って廃棄された可能性も捨てきれない。
 もう一つの指摘すべき点は、「討議記録」などに関連する対米交渉について、当然あるべき会議録・議事録や電報類の部分的欠落、不自然な欠落、あるいは交渉経緯を示す文書類が存在しないために、外務省内に残された記録のみでは十分に復元できなかったことである。
 今回の調査対象に限らず、重要な交渉について、戦前期の記録文書の多くが残され、戦後期の文書に欠落が目立つのはなぜか、という疑問が残る。記録を作成して保存する、という意識に欠け、組織としての取り組みに欠けていたことは否めない。
 当面は公表がはばかられる合意や議事内容であっても、国民に対する将来の説明のために、その経緯と結末に関する公的な記録を残しておくことの重要性を改めて指摘しておこう。
 歴史的に重要な文書の不用意な廃棄や不適切な処理が行われていたことは、いずれの行政官庁も多かれ少なかれ認めざるを得ないであろう。情報公開法が先に制定され、10年後に公文書管理法が制定されている。さらに同じ時期に省庁再編に直面したことから、行政官庁における公私文書の大量廃棄という事態を招いたことは容易に推測できる。
 2、提言
 「30年公開原則」に基づく外交記録公開制度は、時の経過とともに停滞気味となり、初期の意気込みも後退しているかに見える。外務省内の意識改革や人員・体制の強化を含めて、公開審査を抜本的に進展させるような具体策を早急に検討することを求めたい。
 審査を終え、「公開不要」や「公開対象外」となった文書について、その廃棄の是非の判断は多角的になされるべきであり、第三者の目が必要である。
 案件の選定過程や省内の審査過程において、少なくとも政務レベルの関与を確保することが必要と思われる。

実際の報告書は、以下で見ることができる。

いわゆる「密約」問題に関する調査結果
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/kekka.html

報道実務家フォーラム公開セミナー「「核密約」スクープはこうして生まれた」の紹介

知り合いの記者さんから、以下の案内をもらいました。

私はあいにく参加できませんが、マスコミの関係者の皆様、参加してみては如何でしょうか。

報道実務家フォーラム 公開セミナー

「核密約」スクープはこうして生まれた − 調査報道・私の手法

講師 太田昌克さん(共同通信編集委員)

2010年3月4日(木)午後6時半

早稲田大学8号館310教室
(東京都新宿区西早稲田1-6-1
 地下鉄東西線「早稲田」 またはJR・西武高田馬場からバス「早大正門」終点)


 1960年の日米安保条約改定に際し、米国が核を持ち込むことを日本政府が黙認することを約束した「核密約」。日本政府は長年にわたりその存在を否定してきましたが、4人の外務事務次官経験者が密約の存在を認めた証言をはじめとする共同通信のスクープが政府の嘘を暴きました。
 特ダネはどんな取材で得られたのか、担当した共同通信の太田昌克編集委員にお話ししてもらい、情報の端緒、調査の仕方など、実務の詳細を初めて明らかにします。


問い合わせ: jitsumukaforum@yahoo.co.jp
または早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース
瀬川至朗教授研究室(FAX:03-5286-3995)


報道実務家フォーラムとは
 報道実務家が話し合い、取材技法を高め知識を広げたり、情報、報道の自由と記者の権利について理解を深めたりする場です。新聞・通信・放送の記者でつくる「取材報道ディスカッショングループ」の議論の中から生まれました。

日本の刑事裁判権剥奪・放棄と国家主権放棄

1962〜63年、駐留米軍兵士の犯罪の9割につき日本が刑事裁判権を放棄していたこと、1974年のいわゆる伊江島住民狙撃事件でアメリカが日本の裁判権を取り上げた詳細な経緯が明らかになったようだ。
アメリカが日本の刑事裁判権を剥奪していたこと、それは日本の主権が侵害されたことを意味している。
日本が刑事裁判権を放棄したことはその限りで国家主権を放棄したことを意味している。
国会は国政調査権を行使して当時の事実解明に努め、日本政府は当時の経緯をきちんと国民に説明すべきである。

1.報道

2008年5月18日(日)「しんぶん赤旗」
米兵犯罪の裁判権(62〜63年)
日本が9割放棄

本側が裁判を行うべき米兵犯罪のほとんどで日本側が裁判権を放棄している実態が、一九六〇年代の米軍当局の統計から明らかになりました。
 国際問題研究者の新原昭治氏がこのほど、米国立公文書館で入手した米陸軍法務局作成の統計資料(一九六二年十二月一日―六三年十一月三十日、沖縄を除く在日米陸海空軍の合計)によると、次のような状況になっています。
 ―日本の裁判に付されるべき犯罪三千四百三十三件のうち、日本側が裁判権を保持し手放さなかったのは三百五十件で、全体の10・2%。
 ―米軍が日本に対し裁判権を譲るよう請求した事件(二千六百二十七件)のうち、日本から放棄を勝ち得たのは二千四百四十八件で、全体の93・2%。
 新原氏は、「米国の同盟国でも、トルコでの裁判権放棄はゼロだったとされている。日本は他国と比べて裁判権放棄の比率がきわめて高い」と指摘しました。

解説
背景に密約の存在
 新原氏は十七日の講演で、本来、日本に第一次裁判権があるはずの米兵犯罪で、日本が裁判権を放棄している背景には、一九五〇年代以来の日米密約があると指摘しました。
 この密約の存在については、多数の米政府解禁文書が言及しています。一九五七年十一月にフランク・ナッシュ米大統領特別顧問がアイゼンハワー大統領に提出した報告「米軍の海外軍事基地・付録」は、「秘密覚書で、日本側は、日本にとり物質的に重大な意味をもつものでない限り、第一次裁判権を放棄することに同意している」と明言し、密約の存在と内容を確認しています(新原昭治編訳『米政府安保外交秘密文書』)。

2008年5月18日(日)「しんぶん赤旗」
74年米兵住民狙撃
米が圧力 裁判権奪う
世界駐留への悪影響懸念
米解禁文書で新原氏が公表

 一九七四年の米兵による「伊江島住民狙撃事件」で当初、「公務外」の事件として日本側に裁判権を譲っていた米側が、突如、「公務中」だったとして日本側から裁判権を取り上げた詳細な経過が、米政府解禁文書で分かりました。米軍の特権的地位を定めた日米地位協定の下で、米側が「公務証明書」を恣意(しい)的に発行すれば、日本側から裁判権を奪える仕組みになっていることを示すものです。
 解禁文書は、国際問題研究者の新原昭治氏が三月から四月にかけて米国立公文書館で入手したもの。十七日に都内で開かれた日本平和委員会主催の学習会での講演で明らかにしました。
 日米地位協定は、米兵が犯した罪が「公務中」であれば裁判権を行使する第一次の権利は米側にあると規定しています(一七条3項a)。「公務中」との認定は、米軍指揮官が「公務証明書」を発行すればいいだけです。
 「公務証明書」に対し日本政府が過去に反証したことがあるのはわずか二例。その一つが伊江島住民狙撃事件です。
 新原氏が入手した同事件に関する米政府解禁の外交電報によると、沖縄県内でわき上がった事件への抗議運動を沈静化する狙いもあり、米側は当初、「公務証明書」を発行しないと日本側に通知しました。
 ところが米側は、国務長官発の緊急電で「国務省・国防総省共同メッセージ」を伝え、「どうしても『公務証明書』を発行しなければならない」と逆転決定。「米国内の事情」と「もし裁判権を行使し損なったら、その影響は米国が他の国々と結んでいる一連の地位協定にまで及び、…米軍要員の士気にも及ぶ」ことを理由にしました。
 日本に駐留する第五空軍は、緊急電を受け、事件の筋書きを書き換えて「公務証明書」を発行します。日本側は当初、「政治的しっぺ返しを受ける」(木村俊夫外相)として証明書発行の再考を要請。米側に拒否され、最終的には秘密の日米覚書をつくり、米側に裁判権があることを確認しました。
 刑事裁判権の問題は、現在でも米軍軍法会議で有罪になる事案が日本で不起訴になるなど重大な問題をはらんでいます。

 伊江島住民狙撃事件 一九七四年七月十日、沖縄県・伊江島の米軍補助飛行場内で米兵が草刈り中の青年を狙撃した事件。畜産の飼料のための草刈りは米側も黙認していたにもかかわらず、米兵がトラックで追い回し信号用の銃で狙撃し、負傷させました。日本政府が裁判権を放棄、被害者補償もされませんでした。

2.やはりアメリカの傀儡政権か!

(1)周知のように、自衛隊の前身である警察予備隊は、1950年の朝鮮戦争のために出兵した駐留米軍の穴埋め部隊として誕生した。
1952年のサンフランシスコ講和条約とともに(旧)日米安保条約が締結され、占領軍は日本に駐留し続けた。
そして警察予備隊は保安隊となり1954年には自衛隊となった。

(2)有事の際に日本の自衛隊を指揮するのは日本ではなくアメリカ(の最高司令官)であるという密約であったことがすでに明らかになっている(播磨信義ほか編著『新・どうなっている!?日本国憲法』法律文化社・2002年35頁で紹介知れている「読売新聞」1981年4月23日)。
1951年、当時の吉田茂・首相がアメリカ側に米軍の日本駐留を申しでしたとき一緒に申し出たもののようだ(同32頁「朝日新聞」2001年11月15日)。
こうして米軍の補完部隊として自衛隊は存在してきた。

(3)冒頭で紹介したスクープ報道によると、1962何〜63年、駐留米軍兵士の犯罪につき日本はその9割の事件で日本の裁判権を放棄していたという。
日本政府は、「日本にとり物質的に重大な意味をもつもの」以外、刑事裁判権を放棄してしまった結果のようだ。
また、1974年の米兵による「伊江島住民狙撃事件」においては、アメリカ側の一存で日本の刑事裁判権が剥奪されている。
米国が日本国民のことよりも米軍と犯罪米兵のことを優先させていることが如実に現れている。
多くの被害者が泣き寝入りさせられたのであろう。

これは日本国が国家主権が侵害されていたことを意味している。
時の政府はこれを受け入れていたわけである。

軍事専門家は、”軍隊が国民を守らない”ということが「軍事学における常識」だと断言していたが、駐留米軍は日本人を守るために存在しないから、アメリカも日本から刑事裁判権を剥奪したのであろう。
また、自民党政権は、国家主権(国家の独立)をも放棄し、自国民を守らない政権だったようだ。

元名海兵隊員が言うように、日本政府はまるでアメリカの傀儡政権である

だからこそアメリカの国際法違反の戦争であっても日本はその戦争に協力し戦争加害者の側に立ってきたのであろう。

(4)新聞社説もこれを厳しく批判している。

沖縄タイムス社説(2008年5月19日朝刊)
[裁判権放棄]主権国家が取る行為か

 またしても日米で取り交わされた密約が明らかになった。いったい政府は、国民に説明できない秘密事項をどれだけ抱えているのだろうか。
 米公文書で分かったのは、一九五三年に米政府と合意した「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄する」という密約だ。
 言うまでもないが、裁判権は国家の主権に深くかかわってくる。それなのに、政府は米兵が起こす刑事事件に対し第一次裁判権を行使しないという約束を交わしたのだから、あきれてしまう。
 その密約ゆえか、五三年から五七年の約五年間に起こった約一万三千件の米兵関連事件で裁判権を放棄したのは97%、約一万二千六百件に上る。実際に裁判に付したのは約四百件しかない。
 わずか五年でこの数字だ。その後はどうなのか。想像しただけでも暗澹たる気分にさせられる。
 公文書からは復帰後の七四年七月に伊江島で発生した米兵の発砲事件についても明らかになっている。米側の要求で日本側が裁判権を放棄しており、そこには自国民さえ守れぬ政府の姿がある。
 復帰後もそうなのだから、復帰前は推し量るべきだ。
 日米安全保障条約に基づく地位協定の不平等関係をもたらした起点がそこにあるのである。
 政府は「裁判権の放棄はない」というがその説明に納得する国民はいない。真実はどうなのか。放棄した数はどれだけあるのか。政府はきちんと説明すべきだろう。
 腑に落ちない点はまだある。日本側が裁判権を行使しても、米側はその結果に対し「刑罰が軽くなっている」と見ていたことだ。
 絶対にあってはならないが、もし、米軍に配慮して司法が判決に手心を加えたとしたら、それこそ主権国家の名に恥じる行為で、司法当局も責任は免れまい。
 六〇年の安保条約改定前には米政府が密約を公にするよう求めているが、当時の岸信介首相は「外部に漏れたら恥ずべき事態になる」とし応じなかったという。
 恥ずかしいとの認識はあったようだ。それにしてもなぜことが明らかになっても政府は本当のことを言わないのだろうか。
 私たちは現状の地位協定では不平等感が残るだけで、基地所在地住民の不安と怒りは増すだけだと指摘してきた。
 裁判権だけでなく身柄拘束を含めた協定上の問題はあまりにも多過ぎるからだ。解決するには「運用改善」では無理であり、抜本的な見直ししかない。
 地位協定における政府の対応について国際問題研究家の新原昭治氏は「日本に第一次裁判権がある『公務外』の犯罪でも、日本側が放棄し、なるべく米側に譲る密約がある」と指摘。その中で政府は「国民に隠している文書や合意を表に出すべきだ」と述べている。
 沖縄返還交渉時の「沖縄密約」、有事の際の核持ち込みも公文書で分かっているのに、政府はいまだに「ない」としている。かたくなな姿勢を政府は改めるべきだ。
 嘘を積み重ねれば信頼は損なわれるだけである。そのことを政府は肝に銘じる必要がある。

琉球新報社説(2008年5月19日)
米兵裁判権放棄 国民を守れず主権国家か

 主権による統治組織を持つ社会集団を「国家」と呼ぶなら、日本はこの定義から外れるのではないかと考えてしまう。そのくらいショッキングな日米両国政府の秘密合意の存在が明るみに出た。
 先ごろ機密解除された複数の米側公文書によれば、日米政府は日本に駐留する米兵らの事件をめぐり、1953年に「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄する」との密約に合意した。実際、日本側はその後、約5年間に起きた事件の97%の第一次裁判権を放棄していた。
 日本は52年、対日講和条約の発効で沖縄を除けば独立を回復し主権を取り戻した形となった。しかし、一方で、裁判権放棄という「外部に漏れたら恥ずべき事態」(当時の岸信介首相)がひそかに進行していたことになる。
 これでは「主権国家」と胸を張れまい。国民への裏切り行為ともいえ、歴代の政権が半世紀余にわたり公表を避けていた罪は重い。政府には、国民を欺き続けた経緯と責任の所在について、明確に説明してもらいたい。
 沖縄関係だと今回、伊江島の米兵発砲事件に関する「覚書」の存在が明らかになった。同事件は74年の発生だから、密約が沖縄返還後も連綿として生きていることがうかがえる。
 経緯はこうだ。伊江島の米軍射爆場で演習後、草刈りのために立ち入った住民を米兵が追い掛け、至近距離から狙い撃ちして負傷させた。米側は当初、兵士が公務外のため、第一次裁判権を日本に渡すとした。ところが、途中で方針を変え、公務中だったとして裁判権放棄を要求。日本は反発したが半年余の協議を経て、米側に屈した。残念だが、これが軍事同盟の実態だろう。
 当時の外交電報で、米政府は方針変更の理由について「裁判権を行使し損なえば、他国との地位協定や米兵の士気にまで影響が及ぶ」と報告していた。
 駐留先の住民の生命よりも、米兵の士気のほうが大切という米側の神経には驚くほかないが、それを「致し方なし」とする日本側の感覚も理解できない。国民、県民を守れずして、主権国家といえるのだろうか。
 今回の件では、日米地位協定の内実があらためて浮き彫りになった。日本はこの間、米兵の裁判権を確保しているとしてドイツ、韓国などより「有利な協定」と強調してきたが、その説明が根幹から崩れた。建前と実態は明らかに離反している。
 政府は、密約の存在を認めた上で、筋違いな協定の抜本的改定に着手すべきだ。そうしないと、国際社会の一員としての国家はおぼつかない。

3.日本政府は説明責任を果たすべきである!

駐留米軍兵士の犯罪がいまだに絶えないのは、そもそも米兵が人間を助けるためではなく、人を殺し、暴力を加えることを叩き込まれているからであるが、米兵の犯罪にいて日本が刑事裁判権を放棄してしまったからでもあったのだろう。

当時の政権は自民党政権である。
今の福田内閣は政府として当時の事情・経緯について説明する責任がある。
上記報道以外の時期においても同じように刑事裁判権が放棄されていると予想されうるから、政府は、きちんと説明して、責任を果たすべきである。
また、密約はほかにないのか、政府は情報開示して、説明する責任がある。
国会(衆参各院)は国政調査権を行使して、以上の点について真相を解明する必要がある。
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