日本史探検隊

日本史について思いつきの探検を繰り返しています。 |日本史探検隊| 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三

探検結果のご報告もお楽しみに! 研修隊員

探検454 僧衣姿の男女を見分ける法

ウソかマコトか、随筆「枕草紙」の作者として有名な平安時代
の女性・清少納言(966頃-1025年頃)にはこんなお話が
残されています。

兄・清原致信(生年不肖-1017年)が、二十名ほどの騎兵・
歩兵に館を襲撃された時のお話です。
すでに出家していた清少納言も、じつはこの館にいて、混乱に
巻き込まれてしまいました。

なにしろ兄・致信を標的にした「襲撃」ですから、賊側も殺気
立っています。

とうに五十歳を超えて老齢?の域に達していた清少納言は、
この時(1017年)、雅な宮廷衣装とも無縁な僧衣をまとっていた
でしょうから、相手の「うっかりミス」(男女の見間違い)を心底心配
しました。 そこで・・・

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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) そのお話、なんか聞いたことあるような気がするなぁ。
    僧衣姿になると、男女の見分けが難しいってことだったよね。

歴) そんな地味っぽく遠慮勝ちなお話ではなく、その続きはこうだ。
    ~あわわわ・・・うっかり「男」に見間違えられようものなら 
      ワタシの命もありゃあせんぞッ!~
    切羽詰まった清少納言は、とっさに裾をまくり上げるや、
    「前」を晒して、男ではないことを納得?させ、難を逃れた。

史) それって、ほんとにほんとのお話なの?
    枕草紙にある「すさまじきもの」(興ざめなもの)を、地でいって
    いる感じで、ちょいとばかりできすぎじゃないかしら?

歴) こういう性に関するちょいとしたお話は、まあ神話の昔から、
    数多くある。
    だから、実話かどうかは別にして、平安のインテリ女性である
    清少納言がその材料に取り上げられても不思議ではない。


史)
 そういうことなら、同じようなお話の「男性編」もありそうね。

  000_back_01 どこが違うの? 違いがハッキリ!

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鋭いッ!  確かにあるぞ。
洒脱な絵画「○△□図」で有名な、江戸時代の禅僧・仙厓義梵
(1750-1837年)が、よく似たエピソードを持っている。

ただし、こちらは「女と間違えられた」というお話になっている。

仙厓は男だから当然だな。
さて、仙厓が江戸から博多への帰途、箱根の関所にさしかかった
ところ、どう見間違えたのか、番所の役人が仙厓にこう問い
ただしたのだ。
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史) ~お主ッ、もしや尼僧ではあるまいなッ、面を上げいッ!~
    くらいのことを言ったわけね、きっとなら。

歴) 僧衣姿は、確かに男女の見分けが難しいから何となく
    自然な運びに感じられるところだ。

史) 義梵サンも清少納言と同じことをしたってか?
    すると、こんな風な具合だったのかしら。
    ~無言のまま、いきなり衣の裾をたくし上げるや、股間を見せ、
     男であることの証明に及んだ~
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その通り、姫はスケベかして話の呑み込みが早いなぁ。
それはともかく、
~女性(清少納言)の場合にせよ、男性(仙厓義梵)の場合にせよ、
 「男女の証明」はああじゃこうじゃの説明より、「ナニ」を目視確認させる
 ことが最も説得力のある方法だ~

こうしたお話を大らかな気分で語れたのも、それこそ「今は昔」だ。

「同性婚」とか「性別違和(性同一性障害)」などの概念が定着した、
現代では、そうしたお話自体が「セクハラでアウト」ということなのかもダ。


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 姫隊長・史乃古参隊員・歴三研修隊員・記録係
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探検453 平将門が本邦初でした

初めての武家政権である鎌倉幕府が誕生する250年も前のこと、
すでに武士が台頭し、その勢力を広げ始めていました。
その草分け的存在とされているのが、平将門(生年不肖-940年)
で、いわば、地方のボスのような存在でした。

その一生は波乱万丈に充ち、歴史的にも面白いものがありますが、
今回はちょっと意表を突いたテーマで、その平将門が保持して
いる幾つかの「日本初」のタイトル?に注目してみました。

そんなものがあるのかしら? では、いったいどんな「本邦初」を?

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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) ひょっとして、戦の陣頭に立って奮戦していた将門の馬が
    突風に驚いて突然棹立ちになったその瞬間に、矢が飛んで
    きて、不運にも額に命中し、あえなく戦死したことかしら。

歴) えぇか、考えてもみよ。
    馬上で流れ矢に当たって死んだ者は、それまでにも数えきれない
    くらいいたはずだ。 
    だったら、それは正解とは言えんゾ。

史) う~んい、そうか。
    そう言えば、日本刀を発明したのが、この平将門だって、
    言われてなかったっけ。

歴) 確かに、従来型の反りのない直刀から反りを有した
    湾刀(わんとう)へと移行し始めた時期と、平将門が活動した
    時代とがちょうど重なっていることは事実だ。
    ではこの発明がズバリ将門ご本人によるものかといえば、
    ちょいと怪しい気もするが、大負けに負けて、ここでは
    セーフということにしておこう。

史) 武士の走りでもあったのだから、将門自身も朝廷に対しては
    それほど従順でなかったはずよねぇ、きっとなら。
    そうすると、そうした反抗態度を鮮明にした武士階級の
    最初の人物ってことが言えないかした。
    現に、自ら新皇と名乗ることで、既存の天皇と張り合う姿勢を
    見せていたものね。

    tairano_masakado_51 平 将門

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なかなかにいいところを突いているかもしれん。
将門の考えを簡単に言うならこういうことだ。
~朝廷は朝廷で、京を中心にしてどうぞ自由におやりください。
  ただし、我々武士も、関東では自由にやらせていただきます~

つまり、朝廷の影響力を受けない関八州(関東地方)を自らのエリアとし、
朝廷圏とは一線を画す運営を目指したわけだから、いわば
(関東)分離独立運動に打って出たとは言えそうだ。
そして、これもある意味、本邦初の出来事だったと言えるかもしれん。
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史) それに、いま思い出したけど、獄門刑(さらし首)ってのも平将門が
    最初ではなかったかしら。

歴) 流れ矢に当たった将門の首は都へ運ばれ、そして、それまでは
    なかった刑、獄門刑(さらし首)に処された。
    これもまあ、将門の三つ目の「本邦初」と言えるのかもしれん。


史) 20世紀になって、大蔵省の仮庁舎を建てる計画のために、
   東京のド真ん中・大手町にあった「平将門の首塚」を壊した
   ところ、その直後から大臣やら工事関係者数十人が次々と
   亡くなったという話も聞いたことがあるわ。
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ところが、そうした「怨霊の報復」のような話は、昔の昔からメッチャ
数多く語られているから、残念ながら、これは「本邦初」とは言い難い。
それにしても、意外なところに「平将門の本邦初」があって、改めで
歴史の面白さを知った思いがするなぁ。


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 姫隊長・史乃古参隊員・歴三研修隊員・記録係
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探検452 天武系皇位継承の厄介さ

~2020年10月7日に称徳天皇(718~770年)の
  1250年御遠忌法要が営まれた~

ひょっこり、こんな字面が目に留まり、その称徳天皇に思いを
馳せ、「天武系」天皇を一覧にしただけでなく、その皇位継承の
有様を再確認してみたわけです。

※(00)は天皇の代数

(40)天武→(41)持統/夫から妻(天智の娘)へ>女帝へ
(41)持統→(42)文武/祖母から孫へ>史上唯一のパターン
(42)文武→(43)元明/息子から母親へ>世代が逆戻り&女帝へ
(43)元明→(44)元正/母親から娘へ>女帝から女帝へ

(44)元正→(45)聖武/伯母から甥へ>聖武の妻は藤原不比等の娘
(45)聖武→(46)孝謙/父親から娘へ>女帝へ
(46)孝謙→(47)淳仁/本家?筋から分家?筋へ>淳仁、天皇をクビになる
(47)淳仁→(48)称徳/前任者・孝謙の重祚(再登板)>女帝復活

よく見ると、一般的な「父→男子」や「兄→弟」のパターンが
ひとつもありません。
しかも半数が女帝で、その上に「廃帝」や「重祚」まで絡んで
いるのですから、率直に言って「無理に無理を重ねた」印象があります。

でも、なんでまたこんなムリムリなことになったのでしょうか?。

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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) ふえぇ、没後1250年の法要だってか。
    何せ僧・道鏡とのセックス・スキャンダルの方が有名で、
    そんなに偉い天皇だったとも思えないけどなぁ。

歴) その辺を話し出すとワシ様自身が「口角泡を飛ばす」状態に
    なりかねんから、今回は遠慮しておくが、上の一覧を眺めた
    姫の御感想はいかに?

史) よくよく眺め直してみると、一般的なイメージになっている
    「父→男子」や「兄→弟」のパターンがひとつもないし、
    それに半数が女性天皇になっているから、何かしら皇位継承
    自体に苦労している印象があるね。

歴) 確かに! その上に「廃帝」や「重祚」まで絡んでいるのだから、
    率直に言えば、「無理に無理を重ねた」印象になっている。

史) でも、なんでまたこんなムリムリなことになったのかしらねぇ。

     syoutoku_tennou_51 称徳天皇(孝謙天皇)

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その点については、こんな指摘もできるかもしれん。

○天皇適任男子に、代々早死・病弱の者が多かったこと。
○持統女帝が自分の血筋以外は認めなかったこと。
○朝廷内における藤原不比等の影響力が大きくなったこと。

つまりは、このような環境?や思惑?が複雑に絡まって、このような
継承プロセスを生んだということになりそうだ。
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史) なるほど、ごもっともな理由が並んだけど、なによ、その持統女帝
    態度は? 可愛くないわね。

歴) これも、「口角泡を飛ばす」ことになりかねないが、早い話が、
    持統女帝は、あくまでも自分が持つ父・天智のDNAで皇統を
    繋ぎたかったようだ。

史) そんなこと言ったって、天武天皇は天智天皇の「弟」なのだから、
    同じDNAを持っているでしょうから、要するに、持統女帝は
    皇室での権力を独占したかった、ということなの?
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どうも、そういう我欲ということではなく、持統女帝は夫・天武を天皇家の
正式な一員とは見ていなかったフシが感じられる。
要するに、~正式な天皇家にとって、夫・天武は部外者である~という
意識だ。

そうなると、当の天武天皇が正史となる「日本書紀」の編纂を命じたのは、
そうした空気を払拭するためだったとも解釈できる。
だから、この辺はやっぱり「口角泡と飛ばす」ことになりかねん、という
わけだ。


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 姫隊長・史乃古参隊員・歴三研修隊員・記録係
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探検451 パワハラ付きの手伝普請

「関ヶ原の戦い」(1600年)の折に端を発した徳川VS島津の
確執は、その後も長く尾を引くことになりました。

この時、島津(薩摩藩)は東軍(徳川方)へ味方する旨を
申し出ましたが、徳川方がこれを頭から疑ったこともあって、
西軍への参加を決めたのです。
すっかり拗ねちゃったというわけです。


で、結局は島津が参加した西軍(豊臣方)は惨敗を喫する
ハメになりました。
この成り行きに島津は腹に据えかねる思いを抱いたのでしょう。
敢えて東軍の陣中を中央突破するという猛々しい敗走ぶりを、
徳川側に見せつけました。
いわゆる「島津の退き口」です。

しかし、この島津の当て付けもどきの行動に、今度は徳川が、
「ムッ!」ときた。

こんなことが積み重なって、両者互いに「仮想敵国」
「不倶戴天の敵」と見るようになったは、自然の成り行きと
言えるかもしれません。

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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) そんな手ごわい島津なら、幕府を開いた徳川としても、なるべく
    早い段階で潰しておきたかったでしょうね。

歴) しかし、この世の出来事とは思えないほどに勇猛な退却ぶりを
    見せつけられたのだから、一戦交えることは幕府としても
    さすがに腰が引ける。

史) そこで、当の薩摩藩に天下普請として、それまで暴れ川で
    手の付けられなかった木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)
    合流する地域の改修工事を申し付けたわけね。

歴) それだけではないぞ。
    幕府にとって薩摩藩は、もはや「仮想敵国」だ。
    だから、だからこんな過酷な条件も付けた。
     ~工事費用は全額を薩摩藩が負担せい!~ 
     ~専門職人は一切雇ってはならんこととする!~

史) ふえぇ、情け容赦なしのパワハラね。、
    「関ケ原の負け組」だからと言って、島津側もそこまで
    隠忍自重しなければならないものなのかしら。

 kiso3sen_satsumagishi_51

 治水神社(岐阜県海津市) 薩摩義士之像



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こうした話を知った薩摩藩の中からは、実際「一戦交えるべし!」との
意見も出たそうだが、結局は1754年、家老・平田靱負(ゆきえ/
1704-1755年)を総奉行としてこの難工事に着手することした。


しかし、幕府はさらにこんな指示も出したそうだから、単なる「嫌がらせ」
どころか、明白に「懲罰」の意図を持っていたのだろう。
~食事は一汁一菜しか認めんゾ!~

さらには地元民に対しても
~ええか、あいつら(工事関係者)にはミノや草履とて、決して決して
  安く売ってはならんゾ!~

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史) その上に、大雨被害によるやり直し工事も増えていったそうだし、
    そればかりか幕府は幕府で、おそらくは意図的な?計画変更を
    指示したそうね。

歴) 工事済部分の堤防を決壊させるなどの妨害工作にも手を下した
    そうだ。
    ということは、ハナから「イビリ倒す」くらいの腹積りがあったの
    だろう。
    ひょっとしたら、腹を立てた薩摩藩がケツを捲るように仕向けて
    いたのかもしれん。

史) 工事自体は宝暦4年から同5年(1754-1755年)にかけての
    1年ほどで完了させたけど、この後もまた随分と悲惨な状況
    だったのね。
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その通り!
この工事の完成を見るまでの間に薩摩藩はハンパでない借金を作り、
薩摩藩士51名の自刃者と33名の病死者を出した。
工事完了後には、こうした一切の責任を一身に負う形で総奉行・
平田靱負は自刃した。
これが「宝暦治水事件」と呼ばれる出来事だ。

なお、20世紀に入った1938年(昭和13年)には、平田靱負ら85名の
薩摩藩士殉職者を「祭神」として顕彰するために「治水神社」
(岐阜県海津市)が建立されている。


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 姫隊長・史乃古参隊員・歴三研修隊員・記録係
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探検450 読み方が立ち位置を示す?

後継天皇の即位によって退位された前天皇・皇后は、
現在「上皇/上皇后」と呼ばれています。
そこで、そうした「皇」の字を使った関連名称を少しばかり
集めてみると、ザっとこんな感じになります。
天皇/皇后/皇太子/上皇/法皇/新皇/皇帝

では、さて、上の言葉の“皇“の部分をなんと読む?
現代仮名遣いで表すなら、順にこうなります。
てんのう/こうごう/こうたいし/じょうこう/ほうおう/
しんのう/こうてい


同じ“皇”の字でありながら、なぜか、それぞれに違った
“音”を当てており、その読み方は統一されていません。

そこで、「はて、なんでやねん?」 となるのは必至です。

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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) 「なんでやねん?」が必死とは思えないけどなあ。
    だって、これらの“音”については、高名な学者さん(プロ)に
    よる独自の「学説」も多数あるって聞いたことがあるものね。

歴) それはそれで一向に構わないが、素人なりの解釈も面白
    かろうと思って、今回話題に出したのだ。

史) 直感で物言えば、この中では「こう/おう」という発音よりも
    「のう」が一番格上に感じるワ。
    だって、「天皇(のう)」は現役だけ、「上皇(こう)」
    御隠居さんで現役ではないものネ。

歴) ところが、「法皇(おう)」ってのもあるゾ。
   それに、現役・御隠居で区別しているというなら、
    「皇(こう)帝」は、間違いなしに現役を指した名称だと捉える
    べきだと思えるが・・・これは如何?

史) それはいいのよ、「皇帝」は外国のお話なんだから。
    問題は、やはり日本国の文化と捉えるべきで、同じ漢字を
    使っているからと言って、そこへ外国(中国)文化まで
    混ぜこぜにしちゃうのは御法度だと思うけど。

        goshirakawa_houou_01 後白河法皇

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なるほど、姫の意見も一理無くはないなあ。
だったら日本独自の文化として捉えてみるが、なにせ「言霊信仰」
民族だ、やはりこの手の使い分けには、それなりの理由があるのだろう。
意味もないのに、わざわざ言葉の使い分けをしたとは、ちょっとばかり
考えにくいゾ。
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史) じゃあ、外国の礼である「(中国)皇帝」はバッサリ除外することに
    して、日本における「のう/こう/おう」の使い分けを探れば
    いいってことね。
    ひょっとして「偉い順」で「のう/こう/おう」になっているんじゃ
    ないかしら? モロ、直感だけど。

歴) なぁるほど、さっきの現役・御隠居の区別という感覚だな。

史) そこへ、もう一つの「おう」を加えれば、これまた直感だけど、
    要するに「どこに身を置いているか」で使い分けたとも考えられる
    のじゃないかしら。
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ほほう、それは「天皇(のう)」は現実社会での権威者を表す発音とし、
「皇后/皇太子/上皇」などの、いわゆる天皇に付随した名誉身分を
「こう」としたという解釈だな。

そういうことなら、平将門(生年不肖-940年)が自ら称した「新皇」も、
現実社会での権威者を表したいわけだから「しんのう」と発音すべき
ということになるなぁ。

それに、「法皇(おう)」の発音・読み方となると、現実社会でも隠居社会
でもなく、それらとは一線を画した「仏の世界」に身を置いていることを
強調したものかもしれないなぁ。


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