天下人・豊臣秀吉(1537-1598年)亡き後、次の天下を狙う
徳川家康(1543-1616年)と、実質的な対立構図を迎えたのが、
秀吉57歳の折に誕生した豊臣秀頼(1593-1615年/享年23)です。
豊臣家にとっては大事な後継者ですから、いわば「お坊ちゃま」と
して、母・淀殿の手元で育てられました。
さらに、「関ヶ原の戦い」(1600年)の折りも、豊臣方の総帥で
ありながら、総大将である毛利輝元の庇護下に置かれ、大坂城を
出て戦うことはありませんでした。
さらに、その後の「大阪の陣」(1614/1615年)では、秀頼の本拠地・
大坂城が戦場になったのですから、これまた大坂城に釘付けでした。 
そこで思うのですが、
~秀頼は「外の風景」「世間」を見た経験があるのか?~

--------------------------------
例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
--------------------------------

史) 言葉を変えれば、こういうこと?
   ~秀頼は大坂城以外の土地を踏んだことがあったのか?~
   もう少し突き詰めていうなら、その人生に一度でものんびり
   できる機会、要するに「命の洗濯」みたいなことを味わうことが
   あったのか?って疑問でしょう。


歴)
 左様! 何しろ天下人の後継者だ。 
   秀吉の側室であり、その秀頼の母である「淀殿」(1569?-1615年)
   とて随分に気を使ったことだろう。
   病気や怪我をするような目に合わせちゃいけないのだから、
   おそらくは過保護の気味があっただろうな。


史) 窮屈な生活環境ね。 城内生活を強いられた上に、母・淀殿の
   強い意向もあって、戦場にも出してもらえないってことなら、
   これはもうほとんど「監視付き」の「軟禁状態」じゃん。
   「人権問題」よ、これ。

歴)
 そうだな。 ドラマなどでも、大坂城内か、または家康と対面した
   二条城内でしか秀頼の姿は出てこない。
   つまり、大坂と京都だけで、しかも両方ともが城内限定だ。

史)
 父・秀吉のように全国各地を駆け巡る経験はできなかったし、
   二十歳を超えても母・淀殿から離れることもできなかったわけ
   だから、可哀想といえば可哀想な境遇だったね。
 
toyotomi_hideyori_51
豊臣秀頼
           
お立ち寄り記念に→ his_nihon88_31 ←応援クリックも!

----------------------------
窮屈・・・確かに極めつけの窮屈さがあったことでしょう。
公的立場では政敵・家康と渡り合うだけでなく、政局困難な折、
家臣に対しても、その総帥として突っ張る姿勢を保ち続ければならず、
さらには私生活の部分においても、「ママゴン」淀殿の干渉があるの
ですから、心に大きなストレスを溜め込むのは当然です。
それを受け止めてくれたのが、家康の孫娘であり、秀頼の正室である
千姫(1597-1666年)だったのでしょう。
ひょっとしたら、秀頼がほっとできる場所はここだけだったのかも
しれません。
----------------------------

史)
 そういえば、秀頼と千姫は随分と仲の良い夫婦だったようね。
   時局は混迷を極めストレスは溜まる一方で、しかも息抜きする
   機会さえ持てなかったのだから、これで、もしも千姫が悪妻だったら、
   たぶん秀頼は早い段階で「ノイローゼ自殺」に走ったかもしれないね。

歴)
 あり得ないことではないなあ・・・言っちゃあなんだが、現在の
   天皇家にだって、似たような窮屈さがあるのかもしれないな。
   下々の無責任な想像に過ぎないものの、皇太子妃にせよ、
   その御息女・敬宮内親王にせよ、日常生活のストレスを上手に
   発散させられる場が見つけられないのが、体調不良の原因だと
   思えるゾ。

史) 折にふれ、高貴な出身と間違われることがある私だけど、
   「窮屈でない」ことは、ある意味それだけで「幸福」なことかも
   しれないわね。 ストレスが溜まったとしても、旅行や飲み会や
   オシャベリなど、その解消法はいくらでもあるのだから。
----------------------------
君のようなオナゴがストレスを溜めるなんて、傍若無人、荒唐無稽、
笑止千万な話だが、それはそれとして、がんじがらめの「窮屈さ」の
中でしか人生を送ることができなかった秀頼には、改めて同情を
覚えるゾ。 つまり、いかに金銀財宝を手中にしようが、
~当たり前の「世間」も知らないままに、若くして死ぬ~
これは、究極の不幸な人生かもしれんのだ。

その意味もあって、ワシ様は「人生120年」を目標にして日々
生き抜いているわけだ。
もちろん周りからは、「そんなに生き抜いてもらわなくて結構!」と
言われておる。 「近所迷惑だから」というのが、その理由だ。
しかし、彼らとて~窮屈で短かった秀頼の人生~を知ったなら、
おそらくはその意見を取り下げるに違いないぞッ!





 お立ち寄り記念に→ his_nihon88_31 ←応援クリックも!

日本史探検隊
 姫隊長・史乃古参隊員・歴三研修隊員・記録係
-------------------------------