戦国の世に、甲斐・武田信玄(1521-1573年)、尾張・織田信長
(1534-1582年)など、数多の大名と死闘を繰り返したのが、
越後・上杉 謙信(1530-1578年)です。
ところが、意外なことに天下を狙う気はさらさらなかったようです。
天下統一を企てたのは、年齢的には若輩の信長であり、
それを横目で見た信玄が、後年になってその信長のアイデアを
パクったため、それなら謙信だって狙っていたとしても不思議はない。
あるいは、数度にわたる「川中島の戦い」(1553~1564年)に
おいての、相手信玄との戦いぶりがあまりにも有名になり、さらには
その信玄が晩年になって天下取りの行動を見せたこともあります。
だったら、その信玄と戦ったのだから、謙信だってそんな腹積りを
抱いていたのだろう。 こう考えたくもなるところです。

そのように見られることも少なくないようですが、それは大きな錯覚と
いうものでしょう。 

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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) もし、天下を狙っていなかったとしたらヨ、ナニユエ謙信は
   ああまで熱心に戦さをし続けたのかしら?
   何かしら、ヘンなお話ね。


歴)
 姫のような「欲張り女性」には、理解が難しいかもしれんが、
   戦国乱世の世にあった謙信の戦いの動機は、一口で言えば
   「社会秩序の回復」・・・その一点にあった。


史) まあ、稀にそういわれることがあるだけで、それほど「欲張り」と
   いうわけでもないけど、でもそれは「関東管領」を務め、つまり
   公人?というか、準公人?というか、そうした立場にあった
   「謙信」の公式見解?みたいなものでしょう。
   一武将・謙信としては、やはり腹の中には、それとは別の思惑を
   抱いていたのじゃないの?

歴)
 それはない、と断言できる。 なぜなら、謙信の戦の多くは、
   権力欲とか領土欲ではなく、「社会秩序の回復」にあったからだ。
   それがために「関東管領」に就いたともいえるくらいのものだ。

史)
 だったら、謙信サンの戦さって、多くの場合、自分自身に
   「特典」?が付かない「社会奉仕」みたいなものだったの? 

 

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越後・上杉謙信/甲斐・武田信玄
          

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ある意味では、そう言えるのかも知れんゾ。
謙信にとって大切だったのは、領土や権力ではなく、言葉にすれば、
「正義」そのものだった。
「関東管領」を引き受けたのも、自分が采配を振るうことで、
これまで繰り返されてきた騒乱が収まることを願ったものだった。
つまり、現に「室町幕府」が存在しているのだから、各位がその事実を
尊重して、「私欲」をなくせば自然に「私闘」も無くなる・・・
そう考えたものだった。
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史)
 でもさ、話は堂々巡りになっちゃうけど、その「室町幕府」自体が
    ボロボロ状態で、だからこそ「乱世」と言われるほどの社会情勢に
    なったわけでしょうに。
    その「ボロボロ幕府」を尊重せぃ・・・と言ったって、
    そんなことうまくいくハズがないじゃん。

歴)
 話は堂々巡りになっちゃうけど、だからこそ、秩序を破るものは、
    「この謙信が懲らしめるゾ」といった行動に出ざるを得なかった。
    その結果、謙信は頻繁に戦さに出た。
    有名な信玄との「川中島の戦い」もそうした戦の一つに過ぎない。
    
史) ふえぇ、だったら謙信サンは~戦国のボランティア武将~って
    ことになるの?
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そう言っていいかもダ。
言葉を変えれば、「無欲の正義漢」といったところかな?
そうした姿は、天下を狙う信長にはありがたいものだったかもしれん。
~実力を備えた者が得にもならんボランティアに精を出しているゾ、
  しめしめじゃなあ~ 
ということだからなぁ。






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日本史探検隊
 姫隊長・史乃古参隊員・歴三研修隊員・記録係
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