江戸時代。 家康が生きている頃はともかく、その後の幕府は
諸外国との外交貿易を止めてしまいました。
いわゆる「鎖国政策」です。
ただ、そうは言っても、何もかも完全にシャットアウトしたわけでは
なく、長崎「出島」を幕府直轄の窓口として、オランダ国など少数の
外国の間の貿易は続けました。
言葉を変えれば、諸外国との貿易はオランダを経由する形で、
幕府が「独占」する仕組みを構築したことになります。
実は、どの国においても「貿易」は大変に「儲かる」商売?なのです。
ウハウハで「儲かる」からこそ、どの国も「貿易」を重視し、
場合によっては相手国に対する侵略さえ気にも留めないほどの
熱心さを見せたわけです。
でも、ちょっと待て!・・・

--------------------------------
例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
--------------------------------

史) でも、ちょっと待ってヨ。 その「儲かる」商売である「貿易」を
   「独占」していたということなら、江戸幕府は「超大金持ち」に
   なっていたハズじゃん。
   だって、ウハウハ儲かる商売を「一人占め」していたわけよ。
   なのに「貧乏幕府」ってどういうことなの? とってもヘンじゃん。


歴)
 なるほど、いいところに目をつけたものだ。
   だから、前説抜きで、その答を先に出しておくとこういうことだ。
   ~確かに貿易は儲かった。ただし、幕府は儲からなかった~


史) なによそれ・・・儲かったけど儲からなかったって?
   禅問答みたいで意味不明! ひょっとして、例によって
   このワタシメを「おちょくって」いるわけ?

歴)
 そうではないゾ。 言語も明瞭なら、その意味も明瞭な
   名回答と言って欲しいくらいのものだ。
   つまり、こうした分かりにくい「現象」の背景には、神君家康公
   (1543-1616年)が、幕府の公式学問として採用した「朱子学」が
   あった、と言いたいわけさ。

史)
 まさます話が見えてこないわ。 
   学問と貿易にいったいどんな関連があるっちゅうのサ?



dejima_sakoku_51 tokugawa_ieyasu-zou_51
 (長崎)出島/神君・家康公
          

お立ち寄り記念に→ his_nihon88_31 ←応援クリックも!

----------------------------
ええか、そんならこう説明しよう。
元来は中国の学問である「朱子学」には「士農工商」という思想がある。
つまり、メッチャ極端に言うなら、その身分区分の最下位にある
「商人」とか、その生業である「商業」を軽視、というよりは、むしろ
積極的に蔑視したわけだ。
ええか、姫ほどのオタンチンであって、ここまでは分かるだろう。
では、「貿易」とはなんだ?
言葉を変えるなら、「外国相手に商売する」ことではないかえ。
だったら、必然的にこんな結論になるだろうが。
~武士たるものが、賤しい商人のマネゴトをすべきではないッ!~
----------------------------

史)
 なあるほどネ。 
   でも「出島」で「貿易」をしていたのは、幕府自身ヨ。 
   そうすると、言っていることとやっていることの間には大きな
   矛盾があるってことになる。 
   逆に言うなら、「幕府の信念」ってそんな程度のものだったの?

歴)
 こう見たらどうだ? 「出島貿易」に対して、幕府は確かに
   許認可権は持っていたが、実務そのものは、「商人」に
   「丸投げ」した。
   これなら、幕府が「商売」という穢れ?に「汚染」されることも
   ないからね。

史) だとすると、出島貿易でウハウハ儲かったのは商人で
   あって、幕府は「カヤの外」だったわけね。
   これなら、~「貿易独占」しながら「貧乏幕府」~の一件も
   理解できるわ。
   ひょっとしてこれも、「武士は喰わねど高楊枝」の一例かもね。
----------------------------
面白いのが、この後の幕末期の経緯だ。
貧乏で体力不足になった幕府に立ち向かったのが、薩摩藩や
長州藩だったが、この両藩には「共通点」がある。
第一には、ともに「関ヶ原の戦い」(1600年)の折には、
徳川方の敵、つまり「反幕府」の立場にあったこと。
第二に、そのこともあって、幕府ほどには「朱子学」に染まって
いなかったこと。 つまり、幕府の方針に背を向ける傾向があるから、
「商売蔑視」の気分が薄かったこと。
第三に、だからこそ「金儲け」に精を出せたこと。
薩摩藩の場合なら、琉球国をダミー会社?にして、盛んに
「海外(密)貿易」に励んだし、
長州藩の場合なら、「下関」という物流に適した土地を最大限に
利用して、盛んに「国内貿易」に励んだ。

そして幕末。
最終的な勝者になったのは、幕府つまり「貿易否定派」ではなく、
薩長つまり「貿易実践派」だった、というわけだ。
多分、貿易で稼いだ「軍資金」保有の差もまた、勝敗を決定した
一つの要因になったのだったろうよ。




 お立ち寄り記念に→ his_nihon88_31 ←応援クリックも!

日本史探検隊
 姫隊長・史乃古参隊員・歴三研修隊員・記録係
-------------------------------