日本の歴史には三つの「幕府」(武士政権)が登場しています。
これを通説となってい年代で古い順から並べてみると、
○鎌倉幕府(1192-1333年/約142年間/将軍は  9代)
○室町幕府(1336-1573年/約238年間/将軍は15代)
○江戸幕府(1603-1867年/約265年間/将軍は15代)
見ての通り、三幕府は、確かに中枢機構の所在地が異なっても
いますが、さらにはそれぞれの政策理念が異なっていたことも
指摘できそうです。
そうでなければ、幕府が入れ替わることなく、天皇家のように
「万世一系」の形態にあっていても、何らの不都合を生じなかった
ハズですから。
では、各幕府の「設立趣旨」?あるいは「創業理念」?に当たるものは
何だったのでしょうか?
 

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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) 各々についてはよくは分かんないけど、最初の「鎌倉幕府」に
   限れば、「土地問題」が絡んでいたことは間違いないでしょうね。
   だって、多少極端な言い方かもしれないけれど、朝廷・公家・寺社
   には認められていた「土地所有」が、武士つまり武装農民には
   認められないなんて、大層不公平な制度だものね。


歴)
 確かに! それまでそうした権利を認められずに奴隷もどきの
   扱いを受けていた武士階層が、いわば「奴隷解放宣言」を
   果たしたという形が「鎌倉幕府」だったのかもしれん。


史) そう言えば、次第に朝廷・公家へ擦り寄るような姿勢を見せた
   創業者・源頼朝(1147-1199年)の血統は三代で絶えてしまって
   いるわね。 これって、
   ~いかに創業者家であろうと幕府の「設立趣旨」に違反する
     者は許せない~

   とする武士団の強い総意がそうさせたものでしょうに。

歴)
 メッチャ簡単にいうなら、確かにそうも言えそうだ。
   なにせ、二代将軍・頼家と三代・実朝という、将軍二人が暗殺
   された事実もその表れだろうなあ。
   つまりは源氏嫡流の人間であっても、朝廷にシッポを振るような
   奴は許せん、ということだろう。
   だったら、自分の娘を入内させようとした途端に不可解な死を
   迎えている初代・頼朝にしたところで、それが暗殺死ということで
   あっても不思議でもないわけだ。

史)
 じゃあ「鎌倉幕府」はそれで一件落着として、次の「室町幕府」の
   個性はどう言い表したらいいのかしねら。

 
 tokugawa_ieyasu_01     
 江戸幕府創立者/徳川家康

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この時代は、天皇家は二つ(南朝/北朝)に分かれてしまうし、
「鎌倉幕府」は末期症状を示すし、さらには朝廷には「後醍醐天皇」
(1288-1339年)という野心家が登場して「天皇親政」にまで至った。
つまり、武士階級からしたら、鎌倉幕府でやっと得た「武士の権利」?
を手放すことにもなりかねない重大な局面を迎えたことになる。
だから、「天皇親政」に戻さないためにも、「武士政権」の再興は
目下の急務だったわけだ。
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史)
 で、足利尊氏(1305-1358年)にそのお鉢が回ったということ?
   でも、その「室町幕府」って、真ん中あたりの七代将軍の頃
   くらいからガッタガタになっちゃうでしょう?
   そんでもって、幕府自体はなんとか続いているのに、ドッコイ
   世の中はどこも「戦乱」まみれという状況・・・だから実質的には
   「戦国時代」に突入しているってことよね。
   

歴) あちこちに公方(将軍)が誕生するなど、権力が分散していた
   のでは、安定した社会は望めない。
   だから、室町幕府の最大の弱点とは、権力を一本化できなかった
   ことだと言えるのかもしれん。
 
   
史) ははん、その反省があって次の「江戸幕府」は強力な体制を
   敷いたワケか。
   「参勤交代」にせよ「人質政策」にせよ、「天下普請」にせよ、
   権力の一本化ができていたからこそ、諸大名に対するこうした
   強制力を伴った強い命令を下せた、ということよね。
   でなければ、室町幕府のように「笛吹けど踊らず」の状態で
   終わっちゃうものね。
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ところが、こうしら強力体制を築きながら、それだけで充分だとは
考えなかったのが、この江戸幕府の初代将軍・徳川家康
(1543-1616年)だ。
権力だけでなく、朝廷を凌駕する権威すら手に入れようとした。
それが、死後の家康が「東照大権現」に祭り上げられた事実だ。
要するに、「天照大神」の子孫であることがその権威の裏付けに
なっているのが「天皇」という存在なら、徳川将軍は
「東照大権現」(家康自身)という神の子孫であることをその裏付けに
しようとしたわけだ。
考えてみれば、なんとも気宇壮大なプランじゃないか。
それでも、後の時代には「幕府」という統治機構が姿を消すことに
なったのだから、歴史のうねりというものは、一人の人間がコントロール
できるほど生易しいものではない、とも言えそうだ。





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日本史探検隊
 姫隊長・史乃古参隊員・歴三研修隊員・記録係
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