さて、「戦国時代」はいつ始まったのか?
ひとつにはこんな見解もあります。
~室町将軍・足利義教が暗殺に倒れた瞬間から~
そして、この第六代将軍・足利義教(1394-1441年)が暗殺された
事件を「嘉吉の乱」(1441年)と呼んでいます。
この事件から「戦国時代」が始まったと見るのであれば、その
行動に出た赤松満祐(1381-1441年)こそが「下克上時代」
「戦国時代」の幕開けを担った人物ということになりそうです。
そして、この暗殺事件から十数年後になって、その「赤松遺臣」
たちが見せた行動も、実は満祐に負けず劣らずのビックリ仰天
ものだったのです。
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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)、歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) その赤松満祐って「三尺(約90センチ)入道」ともアダ名された
くらいに小柄な体躯で、そしてまた随分とアクの強さを備えて
いた人物だったようね。
歴) 自分が政治的にヤバイ立場に立たされたことを自覚するや、
相手に先んじて「将軍暗殺」という思い切りの行動を取った
満祐も、確かに一種の怪人には違いないが、その十数年後に
「赤松遺臣」たちが見せた、まさに「なんでもあり」の行動も
また凄かった。
史) 将軍を殺した赤松一族は、幕府からすれば逆賊以外の何者でも
ないということでしょうに。
そんな人物たちが一体どんな「なんでもあり」を見せたってわけ?
歴) 簡単に言えばこういうことになる。
この頃の幕府は、天皇家の内紛?に振り回される形になって
いて、これが大きな悩みだった。
幕府の面子・政治的立場からすれば、少し前に後南朝に
奪われた「三種神器」の神璽をなにがなんでも奪い返す必要が
あったということだ。
史) なんで、こんなところへも「三種神器」の問題が登場するの?
あぁ、それが「天皇家の内紛」ってことなのか。
赤松満祐
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さよう、その通り。
しかし、神璽奪還がそうそうたやすい仕事ではないことにいち早く
気が付いたのが「赤松遺臣」たちだ。
そこで、幕府にこんな提案を持ち掛けた。
~お悩みの「神璽」は私共が取り返すによって、その代わりに
「赤松家再興」の方をどうぞよろしゅうに!~
つまり、赤松側にはこのドサクサに紛れて過去の罪(将軍殺し)を
チャラにした上で、逆に幕府に「恩を売る」行動に出た。
早い話が、幕府側の足元を見たわけだ。
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史) 幕府に対して御家再興を願い出るなんて、ちょっとばかり
厚かましい感じね。
だって、その幕府のトップである将軍を、うるさい存在だから
という理由で、いち早く消してしまったのは他ならぬ赤松家で
しょうに。
歴) 将軍を殺しておきながら、返す手で将軍家に恩を売るのだから
確かに超ド級の「なんでもあり」と言えるのかもしれん。
史) で、その企みというか努力というか、まさに「なんでもあり」は
上手く運んだの?
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幕府がその赤松遺臣に神璽奪還を外注?したものの、肝心の神璽の
行方はここから先も行ったり来たりを繰り返した。
しかし、とにもかくにも奪い返したその働きを評価した幕府は
赤松家の再興(1458年)を正式に認めた。
幕府からすれば、この「赤松遺臣」たちが果たした「神璽奪還」は、
17年前の大いなる恨みさえ忘れてしまえるほどに嬉しかったという
ことになりそうだ。
そして、こうした「なんでもあり」の風潮が全国レベル拡散していった
社会を今我々は「戦国時代」と呼んでいることになる。
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日本史探検隊 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三/研修隊員・記録係
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