~顔に止まった蚊をつぶした者に厳罰、吹き矢で燕を射った者
にも厳罰~
これは、江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉(1646-1709年)に
よる「生類憐れみの令」(1687年)が語られるとき、よく紹介される
エピソードです。
~この日本では、バカ殿がバカ法律を作って、世の中を振りまわす
なんぞ、実にバカなことをやっていたものだ~
このエピソードは、確かにこんな印象を誘導します。
では、同じ頃、文化的に遥かに進んでいた?とされる西欧では、
どんな「素晴らしいこと」が行われていたのでしょうか?
必ずしも「隣の芝生は青い」わけではなかったようです。
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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)、歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) 確かにそうかも! 調べてみると、ヨーロッパでは、
~初期近代の16世紀後半から17世紀にかけて魔女熱狂とも
大迫害時代とも呼ばれる魔女裁判の最盛期が到来した~
とされているものね。
歴) こうした歴史上の魔女狩りの事例の多くは、現代では無知による
社会不安から発生した集団ヒステリー現象であったと考えられて
いるとことだ。
史) でも、「生類憐みの令」の場合、つまり日本では、そんな集団
ヒステリー現象までは引き起こしていない印象がするわ。
だって、この時代の尾張藩士の日記には、毎日のように
「楽しく魚釣りをした」なんて、悪びれずに書き残しているものね。
歴) そういう事実を探ってみるなら、「将軍の御威光」は、江戸から
遠く離れた尾張までは、必ずしも十分な強さで届いていなかった
ということかな。
もし、そういうことなら「生類憐みの令」は、建前はともかく、
その実態は幕府周辺、江戸周辺の「特定地域法」もどきの
状況で運営されていたのかもしれん。
史) そうよね、もし、全国一律の厳しさで取り締まっていたとしたら、
もっともっと多くの処罰状況・処罰実例が登場していても
おかしくないはずだものね。
魔女火あぶり処刑
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「生類憐みの令」のそういう「ゆるさ」に比べたら、一方の
「魔女狩り火あぶり処刑」は、下の紹介にも示されているように、もっと
もっと苛烈だったようだ。
~近世の魔女迫害の主たる原動力は教会や世俗権力ではなく、
民衆の側にあり、15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで、
推定4万人から6万人が処刑された、と考えられている~
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史) となると、こういうことにもなりそうね。
日本「生類憐みの令」とヨーロッパ「魔女裁判」と比べた時、
国民に与えた被害は、果たしてどちらが大きかったのか?
歴) 国内の歴史しか見ていないと、この「生類憐みの令」なんかは
確かにとんでもない悪法に見えるのも事実だ。
しかし世界史レベルで見比べるなら、世界にはもっと凄まじい
悪法があったことに気が付くことも少なくないゾ。
史) 日本国内の歴史だけを見て、あそこは拙い、ここは酷いと批判する
ことは自由だけど、でも、それだけだと自虐史観にもなりかねないものね。
ひょっこり落ち着いて、時には世界史と比べてみる作業も必要
なのかもねぇ。
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~そうかッ!綱吉の「生類憐れみの令」の頃、ヨーロッパ・キリスト教では
「魔女狩り」がメッチャ盛んに行われていたのかッ~
そうした視線で眺めてみるなら、こうも言えるのかもしれん。
~人類の進歩の度合いなんてものは、洋の東西を問わず、似たり寄ったりで、
どちらが進んでどちらが遅れているとは言えないものかもねぇ~
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日本史探検隊 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三/研修隊員・記録係
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