「総理大臣」もどきに地位というくらいの答えが返ってくるのが、まあ一般的だろう。
要するに、国家の政権の最高の地位にあり、また最大の権力を握った者、というイメージだ。
たとえば、江戸幕府の政治形態を思い起こしてみると、確かに、この印象は強くなる。
輸入した日本も、それに倣ったものtpしていた。
じゃあ、どんなんだったのじゃあ?・・・
実はこんな風に説明されているのじゃあ。
~「征夷大将軍」とは、飛鳥時代(592-710年)、 奈良時代(710-794年)以来、
東北地方の蝦夷(異民族)征伐事業を指揮する臨時の官職~
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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)、歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) ゲッ、臨時の役職だってかぁ。
ということは、蝦夷征伐で大きな実績を見せた「征夷大将軍・坂上田村麻呂」
(758-811年)という存在も、実のところ、この「臨時官職」に過ぎなかったと
いうわけね。
歴) それが証拠に、田村麻呂以前も以後もこれに準じた役職には、「持節征東将軍」
とか「征東大将軍」とか、種々の名称があったゾ。
史) ではではヨ、その「臨時」の職分が、後世においての「総理大臣」もどきの地位に
まで出世したのには、どんな経緯があったのかしらん、それが知りたくなるよね。
歴) そのカラクリは、本邦初の武家政権である「鎌倉幕府」にあったように思われるゾ。
対して武士の権利を認めさせようとしていた。
史) でもねぇ、この時代に大きな台頭を見せてきた武装農民(後の武士)に対し、
朝廷公家はこんな意識を持っていたのでしょう?
坂上田村麻呂 / 伝・源頼朝像
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もって接していた。
そこは武士たちも百も承知。 しかし、
つまり、非常に形式的な理由付けなのだが、異民族征伐?のためとして地元東国に
「幕府」を置く許可を得ようとしたわけだ。
「異民族」?勢力があったからな。
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史) なるほど。 武士側から、
~「異民族」?に対する備えは十分ですか?~と、突っ込まれれば、朝廷公家とて
「ダメなモノはダメ」一辺倒で突っぱね続けることもできないわね。
歴) そこで、蝦夷討伐のための「幕府」(前線司令部)を置き、「征夷大将軍」を
そこの最高司令官としたわけだ。
こうすることで、「征夷大将軍」には、臨機応変の「判断」が許されることになる。
史) なあるほど。
何事かが発生した場合、当該前線からはるか離れた「京」へ、いちいちお伺いを
立てていたのでは「間に合わない」からねぇ。
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「東国限定・ミニ政府」が誕生することになるわけだ。
なんとなく、ペテンくさい印象もないではないが、これは虐げられ続けてきた者達、つまり
武士側の「生活の知恵」だったかもしれん。
困難でもない。
リサイクル活用?する方法は、よほどこの日本民族の感性にフィットしたようで、
途中いくらかの「幕府空白期間」はあったものの、源頼朝による鎌倉幕府(1185-1333年)
以後、足利尊氏に始まる室町幕府(1336-1573年)、さらには徳川家康が創立した
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日本史探検隊 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三/研修隊員・記録係
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