ここにある「逆進家系」とは、子孫が名乗ったその名を、遡ってその
御先祖にも使われることになった家系のことを言っています。
しかし、さすがにこの定義では分かりにくい。
そこで、具体的な例を挙げてみるなら、たとえばこんな方々です。
○藤原氏始祖・藤原鎌足( 614  -  669年)
  ○戦国大名・北条早雲(1432?-1519年)
実はこのお二方が、死ぬまでの間にこの名を使ったことはありません。
なぜなら、子孫が使っていた名を、その没後になって先祖である
このお二方にも冠するようになったからです。
そう、「大化の改新」の功労者であった中臣鎌足が自分のことを
藤原鎌足と名乗ったことはなく、それと同様に下剋上夘・戦国大名の
北条早雲も、自身でその名を使ったことはありません。
使ったことのない名前で後世語り継がれている・・・ヘンといえば、
いささかヘンな運びではあります。

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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) でも、藤原鎌足が天智天皇から「藤原姓」を賜ったのは、
   亡くなる前日のことだから、少なくとも一日は「藤原鎌足」だった
   わけでしょうに。

歴) その辺はとっても微妙・・・というより、むしろでっち上げの
   印象が強い。
   それよりは、鎌足の息子・藤原不比等(659-720年)が、そう主張
   することで自らの家系に箔を付けたという印象がしないでもない。

史) 真偽のほどはよく分からないけど、そういえば、
   「不比等は天智天皇の御落胤」とする噂が囁かれた時期も
   あったわね。

歴) 怖いものなしのイケイケドンドンの不比等の姿を不快に思う
   人間も「天皇の御落胤」ということなら納得せざるを得ない。
   そういう意味を持った「御落胤」噂だった気がしないでもない。

史) ずっと後のことだけど、平家の栄華を築き上げた平清盛にも
   確か「御落胤」説が囁かれていたよねぇ。

 houjyou_souun_01北条早雲  

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傍若無人に振る舞う人間に対しては、多かれ少なかれの違いはあっても、
まあ大体は誰もが内心嫉妬を覚えるものです。
ところが、「あの人は特別に恵まれた人」ということになれば、
そうした嫉妬心も少しは薄まり、自分の納得もしやすくなります。
不比等や清盛に囁かれた「御落胤」の噂には、そうしたものが
あったのでしょうが、戦国大名・北条氏の場合も、そうした庶民感情を
巧みに利用した「名乗り」だったかもしれません。
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史) この戦国下剋上の「」北条氏」って、長らく執権を務めた鎌倉幕府の
   「北条氏」とは縁故家系でもなく、それとは全然関係のない血統
   なのでしょう?

歴) 違うもなにも、戦国下剋上の「北条氏」がそう名乗っているのは、
   勝手に自己申告?したものに過ぎない。
   だから、血統的な裏付けとは全く関係がない。

史) だったら、なんでまた「北条氏」なんかを名乗ったのかしら。
   カッコイイ苗字ということなら、まだまだ他にもあったでしょうに。
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武士政権の本拠地・鎌倉に近い関東で、それなりの箔を付けるには
「北条氏」という名乗りはまことに意味あることだった。
この名乗りを訊けば、誰だって真っ先にイメージするのは、
「鎌倉幕府・執権の北条氏」だからね。
つまり、いささか斜に構えた姿勢だが、この名乗り自体が、自らの
権力の正統を主張していることになるわけだ。
だから、生前に浸かっていたのは別の名前に違いなかったはずの
「家祖」?にもこの「北条氏」を名乗らせておく必要があるわけで、
それが「北条早雲」という名乗りになったということなのだろう。


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日本史探検隊
 姫隊長・史乃古参隊員・歴三研修隊員・記録係
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