日本史探検隊

日本史について思いつきの探検を繰り返しています。 |日本史探検隊| 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三

林子平

探検結果のご報告もお楽しみに! 研修隊員

探検417 六無斎は朱子学被害者

~親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど 死にたくも無し~
こんな六つの「無」を嘆いて、自ら六無斎(ろくむさい)と号した
人物が林子平(1738-1793年)です。 
今でいうトップクラスの「有識者」に当たるのでしょうか、
「寛政の三奇人」の一人にも挙げられている優秀な人物です。
では、その子平がなぜ「六無斎」の立場になってしまったものか?
江戸幕府老中・松平定信(1759-1829年)に睨まれたからに
ほかなりません。

子平は著書「海国兵談」の中でこんな指摘をしました。
~江戸の日本橋より唐、オランダまで境なしの水路なり~
つまり、日本から中国・オランダ(世界中)まで海はひと続きに
なっておるからして、外国に対する国防策を講じるべきだ。 
これが老中・松平定信(1759-1829年)の癇に障った。

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例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。
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史) 海に囲まれた日本であり、しかも諸外国との付き合いを拒んで
    いた状況にあるなら、至極当然の指摘でしょうに。
    それなのに、老中殿はなんで頭に来ちゃったの?

歴) その根底には「朱子学」があるだろうな。
    要するに、こういうことだ。
    ~部屋住みの田舎侍の身でありながら、天下の御政道に
      口を挟むとは、身分をわきまえぬ不届き千万な行いッ~


史) あれ、子平が指摘した「海の危険性」そのものは問題に
    ならなかったの?

歴) 子平はそれ以前のところで糾弾されたわけだ。
    なにせ、松平定信はガチガチの「朱子学原理主義者」だからね。
    ~我々のような身分を有するものだけに御政道を論じる
     資格があるのであって、他の者には断じてないッ~


史) しかし、まあなんとも窮屈な世の中ねぇ。
    「言論の自由」が保証されていることの有難味を感じるわ。

      hayashi_shihei_51 林子平

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さよう、著作が発禁とされ「言論の不自由」を味わった子平は、
やむなく自ら版木を彫るなどして自費出版(1791年)を強行した。
しかし、その版木までもが没収されたのだ。
さらには蟄居命令を受け、政府対個人の戦いはここに決着を見た。
このことに大きなダメージを受けたのだろう、子平はこの二年後
(1793年)に亡くなった。
いわば、政府転覆を目指す極悪政治犯もどきの扱いの中で、
その生涯を終えたことになる。
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史) 随分とお気の毒なお話ねぇ。
   でも、この老中・松平定信って、自らが主導した幕政改革が
    「寛政の改革」って呼ばれ、江戸幕府の三大改革にも加えられて
    いるからには結構に「名君」だったのでしょう。

歴) 「名君」の定義にもよるが、ワシ様はそのようには捉えていない。
    とにかく「朱子学原理主義者」だから、とことんに商業・商人を
    蔑視する政策を取り続けた事実は動かせない。
    早い話が、「商業重視政策」を持ち出した政敵・田沼意次
    (1719-1788年)にワイロ政治家との汚名をきせたばかりか、
    失脚にまで追い込んだのもこの松平定信なのだ。   

史) 社会からこうした有益な提言があったにも拘わらず、結局
    江戸幕府は海外に対して関心を払うことを怠ったわけね。
    何かしら鈍感過ぎる印象だけど、これが「朱子学原理主義者」
    真髄ということなら、やはり名君とは言えない感じよねぇ。
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~江戸の日本橋より唐、オランダまで境なしの水路なり~
その後の歴史を眺めてみれば、この林子平の提言の意義が
分かろうというものだ。
実際にこの水路を使って、外国から黒船がやって来た時の幕府は
~太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)、たった四杯(四隻)で夜も眠れず~
その時の幕府の茫然自失ぶりを揶揄した狂歌がこれだからなぁ。


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探検014 歴史から見た島国

イザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」に中に「日本人は
水と安全はタダだと思っている」という有名な言葉があります。

「元寇」などの多少の例外はあっても、四方を海に囲まれた
日本国&日本人は確かに昔から「安全」について、それほど
の神経もコストも払わなかった、という歴史があります。

「海」に注意を払っていなかったことは、幕末になって「黒船」が
やって来たときのあわてぶりを見れば一目瞭然です。



例によって、以下の会話は、日本史探検隊の
史)=姫隊長/史乃(しの)歴)=古参隊員/歴三(れきぞう)です。

史)
 「黒船」が来たくらいで、なんでそう慌てるの?
歴)
 「過去の安全」が「今そこにある危険」に大転換したのだから、
   慌てて当然だろうが!

史)
 なんで「安全」が「危険」に? そこがイマイチ分かんないナ。

歴) 昔は「海」が「自然の城壁」だった。大海を越えて大軍を送る
   なんてことができるような「外国」がなかったからだ。
   ところが、「蒸気船」にはそれができる! しかも四方が海だ。
   つまり、いつでもどこからでも来てしまえる、ということだ。
   だから慌てた。

史)
 そんなこと、日本人にだって分かっていたことじゃないの?
   だって、「出島」にはオランダが来ているのだし、日本人自身も
   お盛んな「密貿易」を通じて「海」のことはよく知っているハズよ。

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理屈は確かにその通り!
だから、そのことが分かっていて、従来の「海があるから安全」という
国防意識に対して、海があるから危険」という警鐘を鳴らした人も
実はいたのです。

林子平(はやし・しへい)は自費出版で「海国兵談」を著わし、
「日本橋から中国やオランダまでもが境なしの水路であるゾヨ」と
言っています。

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歴)
 この話を聞いて姫は「林子平って林家三平のお弟子さん?」
   なんて、スカタンのつまらんボケをかますつもりだろうが、
   ドッコイ!そうは問屋が卸さないゾ!

史) 先回りされちゃったけれど、その林家三平のお弟子さんでは
   ない「林子平」のせっかくの警鐘はどうなったの?

歴) ええか! 聞いてオドロけ! 弾圧された!
   例の「寛政の改革」の名君?松平定信に徹底的に弾圧された。
   そして約60年後に実際に「黒船来航」事件?が起きたわけだ!

史)
 妥当な意見なのに、なんでまた弾圧なんかしたの?

歴) 理由は至極単純で、つまりは「お上の御政道に口を出すな」と
   いうことだ。
   現代風に言うなら、「素人が口を出すのはお止しなさい。国政は
   プロである我々政治家に任せておけば大丈夫です。」と言って
   いることになる。

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ここで、姫隊長・史乃にはちょいと連想したことがあったのですが、
それを口に出せば、この歴サンの長いウンチクに耳を傾けることに
なるのは必至・・・それを避けながら、内心では・・・

史)
 <??ひょっとしたならば、昔の「海」と現在の「原発」は似た
        ような状況に置かれているのかも??・・・>

歴) なんだ、なんだ、急に黙りこくっちゃってサ・・・腹でも減ったか?
   いやあ、姫はノンキでホントに羨ましい性分ですナ!


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